もし京成電鉄が○○だったら

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京成電鉄

押上経由で上野へ延伸していたら

うえの 浅草 おしあげ
Ueno  
  Asakusa Oshiage
  1. 町屋経由の路線は誕生しなかった。
    • 当然京成の日暮里駅もない。今に至る駅舎大改造もなく、日暮里・舎人ライナーだって計画の大変更があったに違いない。
    • 「こち亀」の両さんの思い出話(博物館動物園前駅、お化け煙突、東京スタヂアムetc)が変わってしまう。
    • 青砥駅も今のような複雑な構造にはなっていなかった。
    • 堀切菖蒲園近辺は鉄道空白地帯になってしまう。
    • 筑波高速度電気鉄道は東武と合併していた
      • 東武は筑波方面への免許は切り捨てて、上野~北千住のルートを建設していた。
        • 浅草駅の地位は史実よりも低下していた。
  2. 押上で京成と都営地下鉄が分岐していた。
    • いややっぱり浅草では?
      • いや、昔まじにあった。京成白髭線というものが、押上から今のJR貨物の「隅田川」駅近くまで単線で伸びていたそうな。駅名は白髭橋だったかな。
        • 上野へ向かうとすれば向きが逆でしたけどね。
      • 浅草〜青砥間も複々線になっている。
    • そもそも浅草線が浅草を通っていない可能性もある。その代わりに東駒形の辺りに駒形駅ができていそう。
  3. 浅草から銀座線と競合するわけだが、急行線的性格を持たせて押上、浅草、上野の3駅になっただろう。
    • 相互乗り入れはさすがに無理っぽい。
  4. 京成上野駅の場所が間違いなく変わるので、今みたいに「いらない子」扱いにはならず大発展・・・か?
    • 上野駅東側にしか駅を作らせてもらえず、山手線内側(通称・万里の長城)に路線を食い込ませることができなかったかもしれない。
      • 多分今東京メトロの本社がある辺り。
        • そして東京メトロの本社は別の所に出来ていた。
        • 台東区役所の辺りに頭端式ホームが出来ていたかもしれない。
  5. 戦争中、上野のトンネルに省線(後の国鉄→JR)の1等車を疎開させたという話があるが、これができなくなる。
  6. スカイライナーの都心側ターミナルが京成上野だけになっていた。
    • 日暮里駅での山手線との乗換えができないため、京成上野駅の立地次第ではスカイライナーの利用が史実よりも低迷していた。
      • おそらく乗り換えの利便性は現実の東京メトロ上野駅位だった。
    • 「外国人に人気の高い観光地」ということで京成浅草(仮)にも止まっていたかもしれない。
  7. 雷門の真ん前に線路を引くわけにもいかないだろうから、京成浅草駅と東武浅草駅は若干離れているはず。

改軌されていなかったら

  • 都営浅草線・京急線乗り入れのため、京成の全路線は1959年(昭和34年)に軌間を1372mmから1435mmに改軌しています。
  1. 現在も1372mmの軌間である都営新宿線・京王線と直通運転をし、新宿~高尾と成田空港を結ぶ路線になっていた。
    • 北総線は本八幡から成田方面に伸びていた。
  2. 新京成線は、開業当初は1067mmだったが、その後1372mm→1435mmと2回改軌している。そのため、2回目の改軌は行われず、京成千葉線との直通運転は史実通り行われていた。
  3. 成田方面と高尾を結ぶ有料特急が実現していたかもしれない。
    • 都営新宿線は急行よりさらに停車駅を削減し、京王線内は特急で運転していた。
    • スカイライナーが実際に地下鉄を走っていた。
    • 京王電鉄も有料特急車両を導入していた。
  4. 20m4扉車が導入されていた。
    • 10両編成の列車が存在した。
  5. 史実通り京王電鉄との合併が実現して新宿駅京成上野駅が1つのレールで結んで居た。

新京成電鉄

鉄道連隊演習線を全区間転用していたら

  • 新京成線の元となった鉄道連隊演習線は、新津田沼以東にも線路が引かれていたようです。
  1. 新津田沼以東の路盤をそのまま流用していた場合は、京成大久保が本線との接続駅になっていた。
    • 演習線も千葉駅付近まで延びていたらしいので、意図的に京成千葉線に接続させなかった可能性は十分あり得る。
  2. ルートの一部が重複する為、千葉都市モノレールは開業しなかったかもしれない。
  3. 史実の新京成線同様、一部区間では線路が付け替えられている。
  4. 宮野木や犢橋へのアクセスが格段に容易になっていた。
    • 少なくとも「宮野木=JCTがあるところ」としか思われないことはないはず。
    • 犢橋高校に在学していたマツコ・デラックスが、後年新京成のサービスをトークのネタにしていたかもしれない。
  5. 新津田沼(or習志野)-二宮-作新台-犢橋-宮野木-穴川-作草部-(旧)京成千葉。駅の配置は概ねこのような感じか

鉄道連隊演習線が民間に転用されなかったら

  1. どこかの段階で国鉄が路線跡を利用していた。
    • ただし史実よりも開業は遅れ、多くの箇所で線路が付け替えられていたと見られる。
    • 遅くとも1970年代前半までに旅客化されている。
  2. 武蔵野線は松戸を起点としていた。
    • 開業当初は府中本町から松戸に比べて松戸から津田沼までの本数だけが異様に多いと言うダイヤになっていた。
    • 津田沼からそのまま南に伸ばすと谷津干潟にぶつかってしまうため、津田沼-京葉線間のルート策定に手こずっていた。
  3. 成田新幹線の跡地を利用して成田空港へのアクセス鉄道が国鉄(orJR東日本)によって建設されていた。
    • 当然北総鉄道は存在せず。

軌間が1067mmのままだったら

史実では、1953年に1067mmから1372mmに、1959年に1372mmから1435mmに改軌されました。

  1. 北総鉄道との相互直通運転はなかった。
    • むしろ、京成高砂~新鎌ヶ谷間の開業が史実よりも早まっていた。
  2. 東京地下鉄半蔵門線の押上~松戸間が開通し、相互直通運転が行われていた。
    • 無論、京成千葉線との相互直通運転はなかった。

京成電鉄が直接開業させていたら

  1. 京成松戸線となる。
  2. 松戸〜柴又間は未成線とならずに開業していた。そのまま上野or都営行きで都心直結を果たしていた。
    • その場合北総線の二期区間は開業せず、上記のルートを経由して都心に向かっている。
  3. 当たり前だが、車両は京成のものなのでくぬぎ山の狸はなかった。
    • 車両は京成のお下がり。
  4. 急行運転が行われていたかもしれない。新京成は駅間が短いため速達列車の設定ではなく車両性能を上げることを選んだが、お下がりでは加速性能が芳しくなく、急行運転による利便性向上に舵を切っていた可能性がある。

北総鉄道

運賃が安かったら

  1. バブル崩壊がもう少し遅ければ可能性はあったかもしれない…。
    • 史実通りの状況で運賃を安くしていた場合は、千葉急行と同様に債務超過に陥り会社が潰れていた。
  2. 間違っても沿線住民に訴訟を起こされることは無かった。
  3. ここの代わりに東葉高速鉄道が槍玉に挙げられていた。
  4. 千葉ニュータウンはもっと発展していた。
    • 西の多摩・東の千葉ニュータウンと言われていた。
      • 印西市の人口はとっくに10万人を超えていた。
  5. 開業時から低水準だった場合、駅や車両はもっと質素な造りになっていた。
    • ボックス形の駅名標は存在しなかった。
    • 7000形は京成3500形の色違いだった。場合によっては冷房も準備工事のみで落成した。
      • 下手したら独自の車両を持たない第3種鉄道事業者だったかも。

全線が住宅・都市整備公団により建設されていたら

  • 史実では小室-印旛日本医大間が公団により建設されています(この区間が3セク保有なのもその名残)。
  1. 「北総・公団線」ではなく「公団線」と呼ばれていた。
  2. 9000系と9100系の編成数が史実よりも多い代わりに、北総の車両がほぼ全て存在しなくなる。
  3. 公団の独立行政法人化に伴い京成に押し付けていた可能性大。
    • 線路保有自体は史実通り千葉ニュータウン鉄道となっているはず。
    • ずっと公団運営だったとしても、東京メトロの民営化等の煽りを受けて民主党政権時に真っ先に仕分けされてしまう。
  4. 運賃は現実よりも安くなっていたかも。
  5. ちょうど大阪府都市開発により建設された泉北高速鉄道と似たような運命をたどっていた。

全線が京成電鉄の路線だったら

  1. 運賃が安くなる、と思ったら京成本体の経営危機の煽りで京成の運賃が北総並みに高くなる。
  2. スカイライナー・アクセス特急は史実通り。
    • 特急、急行は運転されていない。
  3. つい最近まで京成の「1000形」が走っていた。
    • 大手私鉄同士の譲渡車として名鉄3880系と比較される。
  4. 成田のジャスコに駅ができていた。

最初の開業区間が異なっていたら

京成高砂~新鎌ヶ谷
  1. 最初から都心に直通していたため、経営が早い段階で安定していた。
  2. 武蔵野線の東松戸駅と東武野田線の新鎌ヶ谷駅は北総と同時期でなかったとしてももっと早く開業していた。
  3. 新京成電鉄と相互乗り入れをして居たハズだから今より、もっともっと経営は安定して居た。
    • そもそも松戸方面への直通は実施されなかった。
  4. 京成高砂駅の立体化が早まった。

倒産していたら

  1. 京成線は全面廃止され西地域が鉄道の空白地帯になっていた。
    • どこかの私鉄の傘下に入っていただけだと思う。
      • その場合、運賃が加算運賃もしくは打ち切り計算となってた可能性あり
      • 西武グループ入りしていた。
  2. 印西市一帯は村のまま。
    • 印西の市制は2000年代に入ってからだと思う。むしろ下手したら白井はまだ町だったかも。
      • 印旛本埜と合併して市になっていたという可能性も。
      • 印西市の中心駅は今でも木下駅のまま。
    • むしろ千葉県営鉄道が本八幡から建設され、都営新宿線と乗り入れていた。
  3. 千葉県全体の人口も大幅に少なかった。
  4. 某ネズミ王国も存在しない。
  5. 成田空港はJRの一人勝ち。
    • あるいは格安バス。
  6. それでも野田線は地味。

関連項目