もしあの芸能人がブレイクしていたら
鳴り物入りでデビューした芸能人がもしブレイクしていたら?
- 新規追加は50音順でお願いします。
- 後に(別の形で)ブレイクした人・グループについては「史実より早くブレイクしていたら」の妄想とします。
- 実際にそこそこブレイクした人・グループについては「史実以上にブレイクしていたら」の妄想とします。
- 現在活動中の芸能人については現在活動しているジャンルへお願いします。
- 「○○といえば(別の××)だった」という投稿は禁止です。
独立項目
- もしあの俳優がブレイクしていたら(女優・子役についてもこちらへ)
- もしあの歌手がブレイクしていたら
- もしあの女性アイドルがブレイクしていたら
- もしあの声優が○○だったら#ブレイクしていたら
芸人
個人
後藤秀樹
- 2014年秋に芸能界引退することはなかった。
- 吉本新喜劇の座長に就任していた。
- 小籔千豊の仕事をいくつも奪っていた。
- 小籔の影が薄くなっていた。
- 鈴木つかさ脱退後ザ・プラン9に加入し、ユニット内コンビとしておーい久馬とシェイクダウンを再結成していた。
なすび
『電波少年』の懸賞生活で人気を博したが、芸人としては本格的なブレイクには至らなかった。現在でも活動しているが、もし、芸人として本格的にブレイクしていたら?
- 俳優業に力を入れることはなかった。
- ローカルタレントとして福島を中心にした活動をすることはなかった。
- エベレスト登山に挑戦することもなかっただろう。
ビートきよし
ビートたけしの相方。現在でも活動しているが、ツービート時代はそれなりの人気があり、「よしなさい」は流行語になったものの、次第に人気が低迷した。その後も安定した人気を堅持していたら?
- 演歌歌手として活動したり俳優業に進出するなど活動が迷走することはなかった。
- 島田洋八と関係を持つこともなく、うなずきトリオ/うなづきコンビとして活動することもなかった。
- たけしに誘われてオフィス北野入りすることもなかったかもしれない。
山本高広
織田裕二の物まねで一時的に人気を博したが、織田裕二からの抗議でそれができなくなり、その後の人気は伸び悩んだ。現在でも活動しているが、現在に至るまで人気があったら?
- 織田裕二の物まねに留まることなく、他の芸能人のものまねでも名を馳せていた。
- 山本高広のモノマネに抗議した織田裕二は更に叩かれていた。
- 織田はこの一件でフェードアウトされていた。
- 山本の物まねを認めていたら安定した人気を堅持しており、物まねされる側の立場として良好な関係を築いていた。
- 織田は山本の物まねの恩恵を受けていた。
- そもそも両者の関係が悪化することもなかった。
- 松浦亜弥や前田敦子と比べられることもなかった。
- 角野卓三も。
- 市原隼人や藤原竜也も同類とみなされることはなかった。
- 市原のあの発言が史実通りなら比べられていたかも。
コンビ・グループ
アームストロング
とにかく明るい安村がかつて組んでいたお笑いコンビ。もし、コンビ時代にブレイクしていたら?
- 安村は「とにかく明るい安村」として活動していなかった。
- ネタの決め台詞「安心してください、穿いてますよ」は存在していない。
- ピースやパンサーの仕事をいくつも奪っていた。
アリtoキリギリス
そこそこの人気があったものの大ブレイクには至らなかった。もし、コンビとして史実以上に大ブレイクしていたら?
- コンビ活動は現在に至るまで活発的になっていた。
- ナインティナイン、さまぁ〜ず、爆笑問題、ダウンタウンの仕事を奪っていた。
- バナナマンにも何らかの影響があった。
- 特に爆笑問題はキャラが被るので十分あり得た。
- 石井正則は俳優業に力を入れることはなかった。
- そもそも、三谷幸喜は石井を見出していなかった。
- 小柄な男優として伊藤淳史と並び称される存在にはなっていなかった。
- むしろ岡村隆史、田中裕二をライバル視していた。
- 石塚がいるコンビは人気が出ないというジンクスは生まれなかった。
- ホンジャマカの二の舞になることはなかった。
- 石塚義之の存在が薄れることもなかった。
- 名前の縁でノースリーブス『キリギリス人』のPVにも登場していた。
- 2016年に解散することはなかった。
アルカリ三世
坂本ちゃんがかつて組んでいたお笑いコンビ。もし、坂本ちゃんの一時的な人気に留まることなく、コンビとしてもブレイクしていたら?
- 添野豪は俳優に転身することはなかった。
- 坂本ちゃんが多忙な身になってすれ違うことはなかった。
- 解散に追い込まれることもなかった。
インパクト
- 増本と石原は構成作家に転身することはなかった。
- トリオということもあり、ネプチューンの仕事をいくつも奪っていた。
ABブラザーズ
中山秀征と松野大介によるお笑いコンビ。初期の頃はそれなりの人気があったが、「いただきます」終了後は次第に人気が低下した。もし、それ以後も安定した人気を堅持していたら?
- 松野大介は作家に転身することはなかった。
- 『芸人失格』を執筆することもなかった。
- 渡辺プロを退社することもなかった。
- 中山秀征は司会業に力を入れることはなかった。
- 白城あやかと結婚することもなかった。
グレートチキンパワーズ
活動初期はそれなりの人気はあったものの次第に伸び悩んだ。
- 北原雅樹は俳優に、渡辺慶は脚本家・小説家に転身することはなかった。
- 北原は更に加古川へ移住することなく、ローカルタレントにもなっていなかった。
- アイドル性が強いため、Kinki Kidsのライバルとしても張り合っていた。
猿岩石
『電波少年』のユーラシア大陸横断ヒッチハイクで人気を博し、その後は歌手デビューまでもしたが、歌手としても『白い雲のように』以外はヒット曲に恵まれず、その後は番組の企画で手裏剣トリオに改名するも人気は伸び悩み、本格的にブレイクすることができなかった。もし、『電波少年』のユーラシア大陸横断ヒッチハイク終了後も本格的にブレイクしていたら?
- 芸のない芸人と揶揄されることはなかった。
- 嫌いな芸人ランキングにランクインすることもなかった。
- ローカルタレントに成り下がることもなかった。
- 森脇和成が引退することはなかった。
- 有吉弘行は毒舌キャラになることはなかった。
- 石橋貴明の存在が薄れることもなかった。
- 手裏剣トリオへの改名では成功例としてさまぁ~ずやくりぃむしちゅーと比べられることはなかった。
- コンビの癖にネーミングがなぜトリオなのかという疑問も起きていた。
- そもそも改名自体なかったのでは?
- コンビの癖にネーミングがなぜトリオなのかという疑問も起きていた。
- この場合、ユーラシア大陸横断から帰国後、西武球場で行った凱旋ライブで「コントを始めたとたん客が帰る」という事態は起こらなかった、かもしれない。
- 同じく広島出身のコンビであるアンガールズの存在が薄れていた。
- 『マジカル頭脳パワー!!』の音楽シャウトで『白い雲のように』が出題された時に「DEEN」「スピッツ」「T-BOLAN」「GLAY」などと答えることはなかった。
- NHK紅白歌合戦への出場を果たしていた。
- 歌手としても史実以上に評価されていた。
- その分、Kinki Kidsやタッキー&翼の存在が薄れていた。
- CHEMISTRYも?
- その分、Kinki Kidsやタッキー&翼の存在が薄れていた。
ジャリズム
渡辺鍾(世界のナベアツ/桂三度)と山下しげのり(オモロー山下)によるお笑いコンビ。もし、世界のナベアツの一時的な人気に留まることなく、コンビとしてブレイクすることができていたら?
- 2度に亘る解散もなく、2人の活動も迷走することはなかった。
- 渡辺鍾は放送作家に転身したり世界のナベアツとして活動したり桂三度として落語家に転身することはなかった。
- 山下しげのりはオモロー山下として活動することなく、うどん屋を開店したり記者に転身することはなかった。
- 三村マサカズ、上田晋也等と並ぶツッコミの名手と称されるようになっていた。
- スベリキャラにはなっていなかった。
- マネージャーへの転身を考えることもなかった。
- 友野英俊とガリッパナを結成することもなかった。
- 三村マサカズ、上田晋也等と並ぶツッコミの名手と称されるようになっていた。
スープレックス
劇団ひとり(川島省吾)がかつて組んでいたお笑いコンビ。
- 秋永和彦はツッコミの名手として名を馳せる事ができていた。
- 活動停止することもなかった。
- 川島省吾は劇団ひとりに改名することはなかった。
- 作家活動したり大沢あかねと結婚することもなかった。
- 有吉弘行の存在が薄れていた。
- さまぁ~ずやくりいむしちゅーの仕事をいくつも奪っていた。
テンション
- 田口浩正が俳優に本格転向することはなかった。
- 小浦一優も「芋洗坂係長」として活動していなかった。
- 同期のバカルディ(現さまぁ〜ず)と人気を二分していた。
パイレーツ
ギャグの1つである「だっちゅーの」は流行語になったものの、それ以外のギャグは流行らず、低迷し、解散していった。その後は相方を変えて再結成され、脱お笑い路線に転じたが、ブレイクには至らなかった。もし、安定した人気を堅持していたら?
- お笑いとグラビアの融合は成功していた。
- パイレーツ以外にも二番煎じコンビの結成が乱立していた。
- 浅田好未は引退することはなかった。
- 西本はるかは女優に転向することはなかった。
- 2代目相方である宇恵さやかもブレイクしていた。
- 流行語芸人は一発屋に終わるジンクスが出なかった。
- そもそもツービートの二の舞になることはなかった。
ピテカンバブー
- 西田征史の脚本家転向はなかった。
- 日本を代表する脚本家といえば未だクドカンのままだった。
- 「TIGER & BUNNY」や「とと姉ちゃん」はなかった。
- 日本を代表する脚本家といえば未だクドカンのままだった。
B&B
- 現在に至るまで人気芸人だったら
- 島田洋七は現在ではバラエティ番組の司会業が多くなっていた。
- 島田紳助の仕事の多くを奪っていた。
- 「オレたちひょうきん族」の降板は無かった。
- 史実のBIG3(ビートたけし・明石屋さんま・タモリ)に洋七と志村けんを加えた「BIG5」扱いされていた。
- それでもやはり、洋八は漫才の時以外はテレビに呼ばれないでいた。
- たけし軍団や欽ちゃんファミリーに対抗して「島田組」を作っていた。
- 「佐賀のがばいばあちゃん」は執筆されなかったかもしれない。
- 選挙に当選していたかもしれない。
130R
コンビ自体存続していますが、もし、コンビ活動が活発的になるほどブレイクしていたら?
- =板尾創路のわいせつがなかったら、といえる。
- 175Rは別のネーミングで活動していた。
プラスドライバー
- 東京03は結成されなかった。
- ダチョウ倶楽部の仕事を奪っていた。
- ネプチューンのライバルにもなっていた。
ホンジャマカ
コンビ自体存続していますが、ここではホンジャマカとしてブレイクしていたらとします。
- ホンジャマカの知名度は『東京フレンドパーク2』にとどまることはなかった。
- 『東京フレンドパーク2』以外にもコンビとしての仕事が増えていた。
- 恵俊彰はキャスターに、石塚英彦はグルメリポーターに転向することはなかった。
- 『TVスター名鑑』は別々に掲載されることはなかった。
- 「大石恵三」が成功していたら、バカルディがさまぁ~ずに改名することもなかった。
- 「ウンナンの気分は上々」の改名企画そのものがないので、海砂利水魚がくりぃむしちゅーに改名することもなかった。
- 初期の11人体制を保ったままブレイクしていた場合、全員で冠番組を持っていた可能性が非常に高い。
- メンバーの脱退や新規加入も頻繁に行われていた。
マックボンボン
志村けんはザ・ドリフターズに加入する前、付き人同士でマックボンボンというコンビを組んでおり、レギュラー番組も持っていました。しかしその番組は視聴率的に惨敗し、相方を変えても売れることなく解散し、志村はドリフに加入し現在に至ります。
もし、番組が大当たりして、あるいは番組出演はなく長い下積みを経てブレイクしていたら・・・
- 「ドリフの弟分」として人気を得て、漫才ブーム終焉まで続いていただろう。
- 解散後、志村はドリフに加入せずピン芸人として活躍。
- 「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」も「志村けんのバカ殿様」もなかった。
- グリーンラベルのCMに志村は出てこなかった。
- 売れ方次第では司会者としてブレイクし、史実の人気司会者たちから仕事を奪っていた。
- 荒井注の後釜はすわ親治になっていた。
- いまも「志村健」のまま。
- それか、本名(志村康徳)に戻してたかも。
- ドリフはバンド色を残したままだった。
- ある程度売れたところで独立し、「オレたちひょうきん族」に出演していたかもしれない。
- 日本放送演芸大賞の何らかの賞を取っていたかもしれない。
- 「8時だョ!全員集合」も史実より早く終わっていたかもしれない。
- 「ドリフ大爆笑」もなかったかもしれない。
- いかりや長介との仲は非常に険悪になっていた(史実では、いかりやはマックボンボンのテレビ出演に猛反対していた)。
- ドリフのメンバーと共演することは一切無かったかも。
- ドリフ以上の人気を得ていた場合、いかりや長介は「器の小さい奴」と叩かれていたかもしれない。
- いかりやの意向通りに下積みを経てからブレイクした場合は、良い師弟関係を保っている。
- マックボンボンの人気がドリフを上回っても、互いに認め合う関係になっていた。
- ドリフのメンバーと共演することは一切無かったかも。
- 都倉俊一(出演していた番組の司会を務めていた)作曲で歌を出し、歌手としても人気を博した。
- 「東村山音頭」もマックボンボン名義でリリースしていた。
りあるキッズ
「未来のダウンタウン」として期待され、小学生でコンビを組みましたが、長田の素行問題などでブレイクできず解散しました。もし、テレビでレギュラー持つほどブレイクしていたら?
- 子供の時に、お笑いの道を歩む人が増えていた。
- 当時小学生だった兄弟コンビ「まえだまえだ」と何らかの形で共演していたかもしれない。
男性アイドル
全般
- ジャニーズ以外の男性アイドルは市民権を得ていた。
- ジャニーズ事務所の天下を抑え込むことができていた。
- ジャニーズが必要以上に圧力をかけることもなかった。
- ジャニーズ所属者が激務を強いられることもなかった。
- ジャニーズの勢力は更に弱まっていた。
- 月刊平凡やKindaiが休刊になることもなかった。
- 男性アイドル雑誌はそもそも集英社が天下を取っていなかった。
個人
竹本孝之
1980年代初頭のアイドルブームの最中、サンミュージックよりデビューし、同期の近藤真彦らと人気を争っていたが、伸び悩んだ。もし近藤真彦並みの人気を得ていたら。
- ソロで苦戦するジャニーズを尻目に、サンミュージックはその後も男性ソロアイドルを次々とデビューさせていた。
- 川崎憲次郎と親戚であることが史実以上に広く知られていた。
ひかる一平
- ジャニーズはもっと積極的にソロ歌手をデビューさせていた。
- 史実でその後グループのセンターになったメンバーも何人かはソロでデビューしていた。
- 滝沢秀明・今井翼ソロデビュー報道の際に抹殺されることはなかった。
- ドラマや映画でも何回か主役を張っていた。
- 21世紀版「必殺仕事人」の主演も東山紀之ではなくひかる一平だった。
- たのきんの影が薄くなっていた。
グループ
OJS48
AKB48に関連するグループの1つで警察OBで構成される中高年男性アイドルグループ。現在でも活動しているが、他のAKB姉妹ユニットと同様にブレイクしていたら?
- 秋元康プロデュースの男性アイドルユニットは売れないというジンクスを破っていた。
- AKB48の男性版も結成させ、ジャニーズやEXILEと張り合っていた。
- アイドルは中高年でも通用する風潮が生まれていた。
- これを受けて二番煎じとするグループの結成が乱立していた。
- 仕事がAKB48グループのイベントや握手会の警備にとどまることもなかった。
男闘呼組
光GENJIと同様にブレイクしていたら
- TOKIOへの期待は史実以上に大きかった。
- 農家タレント(?)になることはなかったかも。
- アイドル業界もバンドブームに便乗していた
- 「ジャニーズのバンドは(売れても)中ヒット止まり」というジンクスはここで打破できていた。
- 岡本健一の息子・圭人のジャニーズ事務所入りがもっと話題を呼んだ。
KAT-TUN
オリコンチャート1位の常連であり、「Real Face」はミリオンセラーになったもののそれ以降はメンバーの度重なるスキャンダルで人気が伸び悩んだ。もし、SMAPや嵐と同様に国民的アイドルといえるまでブレイクしていたら?
- 嵐の仕事を奪っていた。
- SMAPも同様であった。
- その二つ以上に関ジャニの仕事を奪ってそうだ。
- SMAPも同様であった。
- 赤西仁の早期脱退はなかった。
- 黒木メイサとは結婚していなかった。
- ジャニーズとスウィートパワーとの関係悪化も起きなかった。
- 『GTO』(2012年版)の主演も当初の予定通り赤西仁だった。
- 黒木メイサとは結婚していなかった。
- 田中聖は女や副業に手を出すことはなかった。
- 事務所を解雇されることもなかった。
- INKTも結成されなかった。
- キスマイの存在が薄れていた。
- Hey!sey!jump、Sexy zoneも。
- ゴールデンタイムに冠番組を持っていた。
- 嵐やSMAP同様、フジテレビで放送されていた。
- スズキソリオのCMが事務所の先輩であるTOKIOに奪われることはなかった。
- 田口淳之介の脱退や活動休止もなかった。
タッキー&翼
嵐と同様にブレイクしていたら
- (それぞれのソロも含め)もっと多くCDをリリースしていた。
- オリコン1位獲得ももっと多かった。
- 5大ドームツアーも実現できた。
- コンビで冠番組も持っていた。
- 嵐(及びメンバー)の仕事をいくつか奪っていた。
- 同じ2人組ユニットであるKinki kidsにも何らかの影響があった。
- そもそもエイベックスからリリースしていなかったらこうなっていただろう(エイベックスの全タイトルCCCD導入方針で伸び悩んだため)。
- ジャニーズはこれ以降もエイベックスに所属するグループが現れていた。よってジャニーズエンタティメントとジェイストーム所属に偏重することもなかった。
- ジェイストームは嵐専用じゃなくて?
- 嵐以外も所属していますが、何か?
- ジェイストームは嵐専用じゃなくて?
- ジャニーズとエイベックスとの関係が薄れることもなかった。
- ジャニーズはこれ以降もエイベックスに所属するグループが現れていた。よってジャニーズエンタティメントとジェイストーム所属に偏重することもなかった。
- エイベックスはEXILEに推し変することはなかった。
- E-girlsやJ SOUL BROTHERSも世に出ることはなかった。
- そもそもLDHを推していなかった。
- E-girlsやJ SOUL BROTHERSも世に出ることはなかった。
- ジャニーズはこれ以降も2人組ユニットの結成に精力的になっていた。
- タッキーがシニア向けヘアカラーのCMに出演することはなかった(泣)。
- ヒロミに師事する形でリフォーム作業をやることもなかった。
- そもそも「有吉ゼミ」には出演していなかった。
- ヒロミに師事する形でリフォーム作業をやることもなかった。
- タッキーが細木数子の餌役にされる事もなかった。
- ソロ活動中心になることもなく、ユニットとしての活動も精力的になっていた。
- 活動休止を宣言することはなかった。
- 不仲説も出なかった。
- 滝沢秀明は三宅健とKEN☆Tackeyを結成することはなかった。
忍者
- SMAPは売れないまま淘汰されていた。
- グループ名つながりでこの作品の主題歌を担当していた。
- 映画『忍者ハットリくん』の主演はメンバーから1人選ばれていた(史実では香取慎吾)。
- 古川英司と志賀泰伸が脱退することはなかった。
- その後、四銃士というグループ名に改名することはなかった。
- 「少年忍者」時代にブレイクしていた場合、中村亘利はCHA-CHAには参加せず、草なぎ剛がSMAPとの兼任で参加していた。
- そもそも草なぎはSMAPに参加しなかった。
幕末塾
1989年〜1991年頃に活躍した男性アイドルグループ。メンバーには彦摩呂などがいた。
- 彦摩呂はグルメリポーターに転向することはなかった。
- 石塚英彦の仕事を奪うこともなかった。
- 阿藤快も。
- ましてやあの体形になることはなく、バラエティ番組で幕末塾時代と比べられることはなかった。
- 体型の激変という点で渡辺徹が現実以上にネタにされていた。
- 石塚英彦の仕事を奪うこともなかった。
- 所属レーベルであるNECアベニューの主力になっていた。
- NECアベニューが廃業することもなかった。
- ジャニーズの仕事を奪っていた。
- 光GENJIは史実より早く解散に追い込まれ、SMAPもブレイクできなかった。
- 48グループのように兄弟分グループも誕生させていたとしたら、本当の意味でジャニーズ事務所と張り合っていた。
- 秋元康は男性アイドルのプロデュースでも名を馳せていた。
- おニャン子クラブと48グループの関係のように、2010年代現在も秋元氏プロデュースの男性アイドルグループが存在するかも。
- OJS48も成功していたかも。
- 48グループのイベントでの警備員としてだけでなく今でも歌手活動を続けている。
- EXILEの存在が薄れていた。
FLAME
2000年のジュノンボーイから4人が集まって結成されたグループ。
- 金子恭平の脱退及び移籍はなかった。
- 史実で正式解散となった2010年以降も活動を継続していた。
- EMALF結成もなかった。
- FLAMEに続くジュノンボーイ出身グループが新たに結成されていた。
- 1年後輩に当たる小池徹平もウエンツではなくジュノンボーイ同士でユニットを結成していた。
- 嵐やEXILEの人気も史実ほどではなかった。
- KAT-TUNも赤西仁脱退の時点で解散していた。
- フライトマスターレーベルがw-inds.関連専門になることもなかった。
HEADS
アミューズが「ガキラッパー」のキャッチで売り出した男性アイドルグループ。
- ONE OK ROCKは結成されなかった。
- Takaは別のバンドでメジャーデビューを目指していた。
- ALEXの痴漢もなかったかも。
- 植原卓也の俳優デビューも遅れていた。
- 嵐やw-inds.をライバル視していた。
息っ子クラブ
おニャン子クラブの男性版として結成されたグループ。もしおニャン子並みの人気を得ていたら?
- 秋元康は男性アイドルのプロデュースでも名を馳せていた。
- 幕末塾は結成すらされなかったかもしれない。
- AKB48の男性版が結成されてたかも。
- 後におニャン子同様メンバー増員を繰り返した。
- ジャニーズの独壇場ではなくなっていた。
RUN&GUN
吉本興業が手掛けた男性アイドルグループ。グループ自体は一応存続しているものの現在は専らメンバーがソロで活動中。
- w-inds.を特にライバル視していた。
- 関ジャニ∞は表に出られなかったかもしれない。
- 吉本はNMB48に力を入れることはなかった。
モデル
泉里香
現在はモデルだけでなく、グラビアアイドルとしても活動している泉里香ですが、グラビア進出前はブレイクに至りませんでした。もし、グラビアアイドルだけでなく、本業のモデルとしてもブレイクしていたら?
- 乃木坂46メンバーがモデルとして台頭していなければ十分あり得た。
- 「Ray」を卒業することもなかった。
- 白石麻衣の存在が薄れていた。
- 佐々木希、桐谷美玲、小嶋陽菜のライバルとして張り合っていた。
- グラビア進出は多分なかった。
- モグラ女子の一員として名を馳せることもなかった。
- 遅咲きのグラビアアイドルとして壇蜜と比べられることもなかった。
- 蛯原友里、押切もえの仕事を奪っていた。
- セーラームーン出身でまた同じ関西出身ということで何かと北川景子と比較されていた。
新川優愛
- グラビアアイドル時代にブレイクしていたら
現在はモデル・女優として活動している新川優愛ですが、以前はグラビアアイドルとして活動していましたが、グラビアアイドル時代はブレイクには至らず、その後はモデルに転身してブレイクし、現在に至っています。もし、グラビアアイドル時代にブレイクしていたら?
- AKB48にグラビアの仕事を奪われていなかったらこうなっていた。
- 篠崎愛、吉木りさの仕事を奪っていた。
- 吉木りさは売れない演歌歌手という認識で終わっていた。
- 手島優、原幹恵も。
- 原幹恵に代わって志村ファミリー入りしていたかも。
- CM出演は女性向け商品より男性向け商品の方が多かった。
- 某生理用品や某ヘアカラーのCMキャラクターになることはなかった。
- そもそも出演CMは女性向け商品に偏重することはなかった。
- 同じくミスマガジングランプリ受賞者である乃木坂46の衛藤美彩と比べられていた。
- 久松郁実と比べられていた可能性もある(こちらはモデル、グラビア双方で成功しているため)。
- 『サンデージャポン』のゲストの常連になっていた。
- 「温泉女子部」や「肉食女子部」にもレギュラー出演していたかも。
- その分、『世界一受けたい授業』の常連ゲストにはなっていなかったかも。
- 『サンデージャポン』へのゲスト出演はモデル枠ではなくグラビア枠での出演だった。
- 現在では↓のグラビアアイドル達が出演するポジションについている。
- 壇蜜、小島瑠璃子、杉原杏璃、武田玲奈、橋本マナミの存在が薄れていた。
- 橋本マナミは売れない女優という認識で終わっていた。ましてや乃木坂46の橋本奈々未と混同されることもなかった。
- 柳ゆり菜、柳いろはも。
- 『王様のブランチ』のMCにはなっていなかった。
- seventeenに出ることはなく、西内まりやとの共演も少なかった。
- non-noのモデルにすらなっていなかったので新木優子と混同されることもなかった。
- 史実通りにモデルに進出してもモグラ女子の一員として名を馳せていた。
- 泉里香、馬場ふみかのライバルとして張り合っていた。
- グラビアとモデル両方で活躍できていたので、筧美和子、佐野ひなこ、久松郁実と現実以上に良い意味で比較されていた。
- ミスマガジンが休止になることはなかった。
- そもそも本人はモデルを志向していなかった。
- グラビアアイドル時代をひた隠すこともなかった。
西内ひろ
西内まりやの姉。現在でも活動しているが、西内まりや以上にブレイクしていたら?
- 桐谷美玲の良きライバルとなっていた。
- 同い歳で同じくモデル路線で売り出している小嶋陽菜に対してはライバル視していた。
- 橋本環奈がブレイクした時には同じグループに所属していたことが話題になっていた。
- DVL(REV.from DVLの前身)時代にブレイクしていたら路線変更することなく、アイドルとして活動し続けていただろう。
- 橋本環奈と二分する存在になっていた。あるいは橋本環奈の存在が薄れていた。
- WikipediaでもDVL時代のことが言及されていた。
- 大人の事情が減っていた。
- DVL(REV.from DVLの前身)時代にブレイクしていたら路線変更することなく、アイドルとして活動し続けていただろう。
- 肉体系キャラにはなっていなかった。
- 下着メーカーのモデルになったりミス・ユニバース・ジャパンに出場することはなかった。
- 妹にコンプレックスを抱いていることをネタにすることはなかった。
- 広瀬アリス、有村藍里といい意味で比べられていた。
- 世代は違うが石田ゆり子とも。
- 道端カレン・ジェシカ、能世あんな・えれなも同様。
- モデル姉妹は妹しか人気が出ないものとみなされることはなかった。
- 仕事の幅も史実より広がっていた。
- ドラマでもいい仕事を貰っていた。
- CM出演本数も史実より多かった。
- 山田優や西山茉希などの仕事を奪っていた。
- 香里奈も。
その他
石ダテコー太郎
- 石舘光太郎時代にブレイクしていたら
芸人としてブレイクしていたと仮定。
- 現在は脚本家・石ダテコー太郎として活動していますが、適切なジャンルがないのでここに記載しております。
- 脚本家への転向はなかった。
- 「アメトーク」のアニメ系企画に出演していた。
六車奈々
- 東京進出に成功していたら
現在は関西ローカルを中心に活躍している六車奈々ですが、一時は女優として東京進出したものの、大ブレイクには至りませんでした。もし、東京進出に成功していたら?
- =「病院へ行こう!」が大ヒットしていたら、といえる。
- 藤原紀香の仕事を奪っていた。
- 同世代である松嶋菜々子、宮沢りえ、篠原涼子などのライバルとして張り合っていた。
- 吉田羊、吉瀬美智子の存在が薄れていた。
- 関西以外でも知名度を上げていた。
- ドラマでの仕事が更に増えていた。
- 活躍の場が競馬番組などに留まることもなかった。