もしあの芸能人がブレイクしていたら
鳴り物入りでデビューした芸能人がもしブレイクしていたら?
- 新規追加は50音順でお願いします。
- 後に(別の形で)ブレイクした芸能人については「史実より早くブレイクしていたら」の妄想とします。
- 実際にそこそこブレイクした芸能人については「史実以上にブレイクしていたら」の妄想とします。
- 現在活動中の芸能人については現在活動しているジャンルへお願いします。
歌手・バンド
個人
克美しげる
- ムード歌謡路線への転向に成功していたら
克美しげるは初期の頃はそれなりの売れ行きがあり、絶頂期には「エイトマン」の主題歌を歌ったが、ムード歌謡路線転向後は次第に売れ行きがフェードアウトしていった。もし、ムード歌謡路線への転向に成功していたら?
- 不倫や借金生活に走ることはなかった。
- 愛人殺害事件も起きなかった。
- クスリに走ることもなかった。
- カムバック企画として3000万円作戦が行われることはなかった。
- 克美茂への改名もなかった。
- 俳優活動も活発的になっていた。
研ナオコ
- 東宝レコード時代に歌手としてブレイクしていたら
研ナオコは東宝レコードからレコードデビューしたが歌手としてはヒットに恵まれず、次第にCMやバラエティ番組に出演するタレントとして有名になり、キャニオン・レコードに移籍後に歌手として大ブレイクした。もし、東宝レコード時代に歌手としてブレイクしていたら?
- ニューミュージック路線への転向はなかっただろう。
- 東宝レコードはその後、歌謡曲歌手に力を入れていた。
- 史実のように「カルトレーベル」と呼ばれることはなかったかもしれない。
- 場合によっては、業績不振に陥ることなく1980年代以後もレコード会社として存続していたかもしれない。
近藤夏子
- ワーナー時代にブレイクしていたら
同じくワーナーからデビューしたきゃりーぱみゅぱみゅやゲスの極み乙女。並みに(ワーナー時代に)ブレイクしていたら?
- ワーナーからよしもとアール・アンド・シーにレーベルを移籍することはなかった。
- 「前向いちゃって、走っちゃって、転んじゃって〜こんな自分です。スキです。か?〜」以後、新譜が2年間空くこともなかった。
- 2011年くらいにNHK紅白歌合戦に出場していた。
浜崎あゆみ
- 女優時代にブレイクしていたら
浜崎あゆみは元々は女優として活動していましたが、女優時代はブレイクに至らず、歌手に転向して大ブレイクしました。もし、女優としてブレイクしていたら?
- 事務所移籍は当然ない。
- サンミュージックはお笑いに力を入れることはなく、現在でも女性芸能人に力を入れていた。
- 桜井幸子が事務所移籍することもなかった。
- 安室奈美恵の全盛期がもう少し長く続いていた。
- 女子高生の文化も色白志向が高まることもなかった。
- 華原朋美も同様であった。よって小室ファミリーの全盛期が続いていた。
- 『電波少年』に出演したり体調不良に悩まされたりすることもなかった。
- 「感じ悪いね」発言騒動はなかった。
- 歌詞盗作騒動もなかった。よって安倍なつみと比べられることもなかった。
- 突発性難聴にかかることもなく、左耳の聴覚が失われることもなかった。
- 女優時代を黒歴史にすることはなかった。
- 酒井法子の仕事のいくつかを奪っていた。
- 愛内里菜が世に出ることはなかった。あるいは違った路線でデビューしていた。
- 松浦勝人はエイベックスを退社していた。
- そもそも、松浦は浜崎を見い出していなかった。
- 安達祐実の存在が薄れていた。
- 安達祐実は『家なき子2』以降、次第にフェードアウトしていった。
- 井戸田潤と結婚することもなかった。
- 『未成年』との縁で野島ドラマの常連になっていた。
- 桜井幸子の仕事も奪っていた。
- 遠藤久美子、矢田亜希子、釈由美子などと1978年生まれ女優の一員になっていた。
- 正統派路線を貫いており、転向とともにギャルに支持される路線へ走ることはなかった。
- 2ちゃんねるの「あみ&あゆ板」は「鈴木あみ板」のままだった。
HIMEKA
- カナダに帰国することはなく、2015年現在もアニソン歌手として活動を続けていた。
みずき舞
- 細江真由子時代にブレイクしていたら
現在は演歌歌手で元プロレスラー小橋建太夫人。もし本名(細江真由子)でのアイドル活動時期にブレイクしていたら。
- ポップスと演歌を融合した「アダルトミュージック」というジャンルが史実以上に広く受け入れられていた。
- ムード歌謡との線引きがあいまいなものに。
- 本名でブレイクしているので改名はなかったかもしれない。
- いずれにしても小橋と出会い、後に結婚するという流れは変わらなかった。ただマスコミでの捉えられ方は全く異なっていた。
みちよ
- 平家みちよ時代にブレイクしていたら
現在はシンガソングライターとして活動しているみちよですが、元々は平家みちよというアイドルとして活動していました。もし、平家みちよ時代にブレイクしていたら?
- ハロプロの筆頭となっていた。
- モーニング娘。は現実ほど売れなかった。
- つんくよりはたけの方がプロデューサーとして評価されていた。
- つんくは普通のシンガーソングライターとして活動していた。
- 史実での「つんくファミリー」は「はたけファミリー」になっている。
グループ
al.ni.co
元WANDSの上杉昇と柴崎浩による2人組ユニット。
- 解散することは当然なく、猫騙やabingdon boys schoolが結成されることはなかった。
- 上杉昇はキワモノ路線に走ることはなかった。
- 柴崎浩は西川貴教と関係を持つこともなかった。
THE ALFEE
- ALFIE時代にブレイクしていたら
THE ALFEEは1974年にALFIE名義で「夏しぐれ」(松本隆&筒見京平コンビによって最初に作詞・作曲された曲)でアイドル・フォークグループとしてデビューしましたが、ヒットする事無くそれから数年間鳴かず飛ばず状態が続き、バックバンド活動等の地道な活動を経て1979年にALFEEに改名して再デビュー、その後80年代に入って大ブレイクを果たし現在まで続くロックバンドとなりましたが、もしデビュー当時のアイドル・フォーク路線でブレイクしていたら・・・。
- 果たして30年以上バンドとしての活動が続いていたか・・・・・。
- 80年代初期のロック路線への転身もなかったかもしれない。
- 同様に高見沢氏が作詞家・作曲家としても活躍する事もなかった。
- 『木枯らしに抱かれて』や『真っ赤なウソ』は存在しない。
- 同様に高見沢氏が作詞家・作曲家としても活躍する事もなかった。
- 坂崎氏がラジオの名パーソナリティーとして名を馳せる事もなかった。
- BEAT BOYSの「スターズ★オン23」(「ショック!! TAKURO23」)は制作されていない。
- 当初の4人組のまま活動を続けていた。
- この人といえばずっと「ダルビッシュ有」だった。
dos
- 事実上の解散はなく、もう少し長く活動が続いていた。
- TRUE KiSS DESTiNATiONは結成されなかった。
- Kaba.ちゃんはオネエタレントに転向することはなかった。
- ×××××することもなかった。
- イロモノ路線に走ることもなかった。
- 小室ファミリーの黒歴史が減っていた。
- というか、小室ファミリーの退潮は起きなかった。
pigstar
- 「ピリオド」、「純情ロマンチカ」の主題歌担当を黒歴史としていた。
- 活動休止はなかった。
MAD CATZ
NMB48及びAKB48の山本彩がメンバーだったガールズバンド
- 当然山本彩のNMB48入りはなかった。
- 所属レーベルはSMEのままだった。
- MBS日5アニメの主題歌も手掛けていただろう。
- 逆にSCANDALは、ブレイクしなかったかもしれない。
- MUSIC JAPANアニソンSPで、けいおん!のEDテーマ曲「Don't say ”lazy”」をカバーしていたのはMAD CATZとなっていた。
- NHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』の主題歌は別アーティストになっていた。
- あるいはセンターは別のメンバーになっていた。
- その場合、2015年の紅白歌合戦はNMB48は落選していた。
- MAD CATZが担当したってことは…無いか。
- あるいはセンターは別のメンバーになっていた。
ラ・ムー
菊池桃子がボーカルを務めていたバンド。
- 菊池桃子のアーティスト転向は成功したとみなされていた。
- 歌手活動を続けており、女優に転向することはなかった。
- 菊池桃子にとっての黒歴史になることはなかった。
芸人
アームストロング
- 安村は「とにかく明るい安村」として活動していなかった。
- ネタの決め台詞「安心してください、穿いてますよ」は存在していない。
- ピースやパンサーの仕事をいくつも奪っていた。
インパクト
- 増本と石原は構成作家に転身することはなかった。
- トリオということもあり、ネプチューンの仕事をいくつも奪っていた。
後藤秀樹
- 2014年秋に芸能界引退することはなかった。
- 吉本新喜劇の座長に就任していた。
- 小籔千豊の仕事をいくつも奪っていた。
テンション
- 田口浩正が俳優に本格転向することはなかった。
- 小浦一優も「芋洗坂係長」として活動していなかった。
- 同期のバカルディ(現さまぁ〜ず)と人気を二分していた。
B&B
- 現在に至るまで人気芸人だったら
- 島田洋七は現在ではバラエティ番組の司会業が多くなっていた。
- 島田紳助の仕事の多くを奪っていた。
- 「オレたちひょうきん族」の降板は無かった。
- 史実のBIG3(ビートたけし・明石屋さんま・タモリ)に洋七と志村けんを加えた「BIG5」扱いされていた。
- それでもやはり、洋八は漫才の時以外はテレビに呼ばれないでいた。
- たけし軍団や欽ちゃんファミリーに対抗して「島田組」を作っていた。
- 「佐賀のがばいばあちゃん」は執筆されなかったかもしれない。
- 選挙に当選していたかもしれない。
ホンジャマカ
コンビ自体存続していますが、ここではホンジャマカとしてブレイクしていたらとします。
- ホンジャマカの知名度は『東京フレンドパーク2』にとどまることはなかった。
- 『東京フレンドパーク2』以外にもコンビとしての仕事が増えていた。
- 恵俊彰はキャスターに、石塚英彦はグルメリポーターに転向することはなかった。
- 『TVスター名鑑』は別々に掲載されることはなかった。
- 「大石恵三」が成功していたら、バカルディがさまぁ~ずに改名することもなかった。
- 「ウンナンの気分は上々」の改名企画そのものがないので、海砂利水魚がくりぃむしちゅーに改名することもなかった。
マックボンボン
志村けんはザ・ドリフターズに加入する前、付き人同士でマックボンボンというコンビを組んでおり、レギュラー番組も持っていました。しかしその番組は視聴率的に惨敗し、相方を変えても売れることなく解散し、志村はドリフに加入し現在に至ります。
もし、番組が大当たりして、あるいは番組出演はなく長い下積みを経てブレイクしていたら・・・
- 「ドリフの弟分」として人気を得て、漫才ブーム終焉まで続いていただろう。
- 解散後、志村はドリフに加入せずピン芸人として活躍。
- 「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」も「志村けんのバカ殿様」もなかった。
- グリーンラベルのCMに志村は出てこなかった。
- 売れ方次第では司会者としてブレイクし、史実の人気司会者たちから仕事を奪っていた。
- 荒井注の後釜はすわ親治になっていた。
- いまも「志村健」のまま。
- それか、本名(志村康徳)に戻してたかも。
- ドリフはバンド色を残したままだった。
- ある程度売れたところで独立し、「オレたちひょうきん族」に出演していたかもしれない。
- 日本放送演芸大賞の何らかの賞を取っていたかもしれない。
- 「8時だョ!全員集合」も史実より早く終わっていたかもしれない。
- 「ドリフ大爆笑」もなかったかもしれない。
- いかりや長介との仲は非常に険悪になっていた(史実では、いかりやはマックボンボンのテレビ出演に猛反対していた)。
- ドリフのメンバーと共演することは一切無かったかも。
- ドリフ以上の人気を得ていた場合、いかりや長介は「器の小さい奴」と叩かれていたかもしれない。
- いかりやの意向通りに下積みを経てからブレイクした場合は、良い師弟関係を保っている。
- マックボンボンの人気がドリフを上回っても、互いに認め合う関係になっていた。
- ドリフのメンバーと共演することは一切無かったかも。
- 都倉俊一(出演していた番組の司会を務めていた)作曲で歌を出し、歌手としても人気を博した。
- 「東村山音頭」もマックボンボン名義でリリースしていた。
- マックと言えばマックボンボンのことになっていた。
- ハンバーガーショップのマクドナルドは、関東でも「マクド」と呼ばれていたかも。
男性アイドル
男闘呼組
光GENJIと同様にブレイクしていたら
- TOKIOへの期待は史実以上に大きかった。
- アイドル業界もバンドブームに便乗していた
- 「ジャニーズのバンドは(売れても)中ヒット止まり」というジンクスはここで打破できていた。
忍者
- SMAPは売れないまま淘汰されていた。
- グループ名つながりでこの作品の主題歌を担当していた。
- 古川英司と志賀泰伸が脱退することはなかった。
- その後、四銃士というグループ名に改名することはなかった。
幕末塾
1989年〜1991年頃に活躍した男性アイドルグループ。メンバーには彦摩呂などがいた。
- 彦摩呂はグルメリポーターに転向することはなかった。
- 石塚英彦の仕事を奪うこともなかった。
- ましてやあの体形になることはなく、バラエティ番組で幕末塾時代と比べられることはなかった。
- 所属レーベルであるNECアベニューの主力になっていた。
- NECアベニューが廃業することもなかった。
- ジャニーズの仕事を奪っていた。
- 光GENJIは史実より早く解散に追い込まれ、SMAPもブレイクできなかった。
- 秋元康は男性アイドルのプロデュースでも名を馳せていた。
- EXILEの存在が薄れていた。
FLAME
- 金子恭平の脱退及び移籍はなかった。
- 史実で正式解散となった2010年以降も活動を継続していた。
- EMALF結成もなかった。
- FLAMEに続くジュノンボーイ出身グループが新たに結成されていた。
- 嵐やEXILEの人気も史実ほどではなかった。
- KAT-TUNも赤西仁脱退の時点で解散していた。
- フライトマスターレーベルがw-inds.関連専門になることもなかった。
女性アイドル
俳優・女優
小林稔侍
『はね駒』が大ヒットするまではブレイクに至らなかった。もし、それ以前にブレイクしていたら?
- 『キャプテンウルトラ』のキケロ星人ジョーは彼の代表作になっていた。
- 子供達に嫌われる事もなく、途中降板もなかった。
- 小林稔侍は悪役のイメージが強いままであった。
ディーン・フジオカ
朝ドラ『あさが来た』でブレイクしましたがもしそれ以前にブレイクしていたら?
- 独身時代にブレイクしていたら史実の福山雅治並に女性人気は絶大になっていた。
- その分結婚した時のショックは大きかっただろう。
- 同世代でタイプも似ている玉木宏や向井理のライバルとなっていた。
中山忍
中山美穂の妹としてデビューしたものの、アイドル時代はブレイクに至らなかった。現在は2時間ドラマを中心に女優として活動しているが、もし、中山美穂並みに人気を博していたら?
- 中山美穂の妹程度の知名度で終わることはなかった。
- 活躍の場が2時間ドラマ中心にならず、連続ドラマでもいい仕事を貰っていた。
- 歌手活動ももう少し長く続けていた。
- 『マジカル頭脳パワー!!』のくっつきバトルロイヤルで中山秀征が中山忍と答えた時に「中山美穂の妹です。」と説明することはなかった。
- 女性芸能人の妹の成功例として、荻野目洋子と並び称される存在になっていた。
- そして荻野目洋子と比べられていた。
夏菜
「純と愛」の不振で女優として成功するには至らなかった。
- 堀北真希、新垣結衣、石原さとみ、長澤まさみなどの仕事を奪っていた。
- 同じショートヘアで朝ドラヒロイン、という共通点がある榮倉奈々も。
- 1989年生まれの女優は成功しないというジンクスは崩れていた。
- 不作に終わることもなかった。
- (史実で出世頭である)桐谷美玲と並び称さられる存在になっていた。
- 名前だけの女性芸能人の成功例として、杏や波瑠と並び称される存在になっていた。
- 某生理用品のCMが新川優愛に取って代わることもなかった。
- 本田翼、能年玲奈、佐藤栞里、篠田麻里子の存在が薄れていた。
- 瀧本美織、剛力彩芽も。
- セミヌード写真集発売の扱いが史実より大きかった。
- 少なくとも最低1本は民放のドラマで主演を務めていただろう。
- 「ホテルコンシェルジュ」で西内まりやの脇役、という扱いになることなかった。
裕木奈江
- 『ポケベルが鳴らなくて』が大ヒットしていたら当然こうなっていた。
- 『ポケベルが鳴らなくて』の前にブレイクしていて知名度があったので、低視聴率なのにバッシングが激しかったのだが・・・
- 週刊誌から叩かれることなく、嫌いな女性芸能人の1人に挙がることもなかった。