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==独立項目== | |||
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==あ行== | |||
===会いたい(沢田知可子)=== | |||
#沢田知可子の曲。 | |||
#*本人もデビュー前に、自身のファン第一号になってくれた高校の先輩を交通事故でなくしたという経験があるらしい。 | |||
#**作詞担当の沢ちひろはこのことを知らなかったとか。テキトーに作詞した感じらしい。 | |||
#作曲は財津和夫。 | |||
#*財津さんの作った曲の中で一番売れたのは、心の旅でもサボテンの花でも、虹とスニーカーの頃でも、青春の影でも、Wake Up!でもなく、これ。意外。 | |||
#*実は、作曲:財津和夫といいつつ、デモテープに財津が吹き込んだのはテキトーな鼻歌だったらしい。それをきちんと作り変えたのは芳野藤丸。 | |||
===赤いスイートピー=== | |||
#随所に松本隆的語彙と構文が散りばめられている曲。 | |||
#*曲の松任谷カラーを打ち消して、松田聖子の曲にするために相当無理して作ったらしい。 | |||
#実は発売当時(1982年)、赤いスイートピーというのは存在しなかった。 | |||
#♪春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ~ | |||
#*春色というのは人によって違うだろうし、それを狙った。 by松本隆 | |||
#♪煙草のにおいのシャツにそっと寄り添うから~ | |||
#*ここも松本構文っぽい。煙草のにおいという女性の嫌うものを前に出して、そのにおいがしても寄り添ってくる女性という構図。 | |||
#♪I will follow you あなたについて行きたい | |||
#*followの発音って、本当はファローじゃねえのかとか感じる | |||
#松田聖子がただのかわい子ぶりっ子から脱皮し、国民的アイドルへと羽ばたいた曲だったりする。 | |||
#実は松田聖子は発売した年の紅白ではこの曲を歌っていない。 | |||
#*その年の紅白で歌ったのは「野ばらのエチュード」。この曲は2015年の紅白でようやく歌われた。 | |||
===明日があるさ=== | |||
#1963年の暮れに発売された坂本九の代表曲の一つ。 | |||
#*1985年、坂本が日航ジャンボ機墜落事故に遭遇する直前に収録されたNHK-FMの番組で最後に歌った曲の1つでもある。 | |||
#その後2000年に缶コーヒーのCMソングとしてこの曲が起用され、空前のリバイバルヒットとなった。 | |||
#*翌2001年にはウルフルズとRe:Japanがそれぞれカバー曲を発売し、両方とも大ヒット。 | |||
#**年末の新語・流行語大賞のトップ10にもノミネートされ、大晦日の紅白歌合戦には2組揃って出場。翌2002年の春の選抜高校野球の入場行進曲にも採用された。 | |||
===あー夏休み=== | |||
#TUBE=夏というイメージを際立たせる名曲の一つ。 | |||
#♪Hold me tight 夢とちゃうのかい こんな出会いは~ | |||
#*TUBE自体、厚木とか海老名のあたりの人の集まりな上に、湘南バリバリ感を出した楽曲なのに、なぜか、ここだけ関西弁。 | |||
#歌詞は、プロデューサーの長戸大幸に煽られて、前田亘輝がやけくそで書いたものらしい。 | |||
#*元々、曲のタイトルも「Oh! Summer Holiday!」とするつもりだったとか。これも長戸にクソミソ言われて、原案を和訳しただけの「あー夏休み」にしたとか。 | |||
===あの素晴しい愛をもう一度=== | |||
#北山修と加藤和彦という、当時の京都フォークの二大巨頭の合作。 | |||
#曲も詞も良いうえにポリティカルな要素がないから、いろんな人にカバーされている。 | |||
#青少年合唱向けのアレンジもされており、中学か高校の音楽で接した経験のある人も多いだろう。 | |||
===いとしのエリー=== | |||
#「エリー」とは実は原由子のことである。 | |||
#*ただ、これには諸説あり、桑田佳祐の姉であるえり子を由来する説と桑田がファンであるエリック・クラプトンを由来する説があり、後者は「いとしのレイラ」から転化したとも言われている。 | |||
#*なお、えり子の方は「シュラバ★ラ★バンバ」にも登場している。 | |||
===WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント=== | |||
#元々「HEY!HEY!HEY!」に篠原涼子が出演した際に、浜田雅功が小室哲哉に対して冗談で「僕にも曲を作ってくださいよ」という一言から制作された曲。 | |||
#*サビの歌いだしに「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」とあるのはもちろんこの番組に由来する。 | |||
#浜田は発売前に「10万枚いかないかもしれない、これで売れなかったら俺のせいだ」と落ち込んでいたが、小室は「(オリコン)1位取れるよ」と励ました。 | |||
#*結果として213.5万枚を売り上げ、オリコンは7週連続で1位を獲得。年間ランキングでも2位に入り、年末の紅白歌合戦にも出場。 | |||
#**その紅白には松本人志もゲイシャ・ガールズの扮装で登場し、歌っている浜田に対して着物やかつらを被せたりした。 | |||
#小室曰く「寝る暇もない浜田のことを思って歌詞を書き出したが、浜松町で働くサラリーマンを見ているうちに応援歌になっていった」と語っている。 | |||
#曲の合間でBUSAIKU HAMADAと言っているのは、松本人志。 | |||
===海の声(浦島太郎)=== | |||
#浦ちゃんこと浦島太郎の曲。 | |||
#*浦島太郎の正体は桐谷健太。 | |||
#[[au]]のCM、三太郎シリーズから生まれた曲。 | |||
#*ということもあって、最初はLISMOストアとうたパスというauの配信サイトでのみの配信だった。結局売行き好調でiTunes等でも配信されて、総合1位をとったりしている。 | |||
#作曲は元BEGINの島袋氏。だからどことなく琉球民謡っぽい音階が使われている。 | |||
#*あんまり知られていない話であるが、BEGINもセルフカバーしているらしい。 | |||
===越冬つばめ=== | |||
#森昌子の歌った名曲の1つ。 | |||
#*森昌子は、大人の演歌歌手として歩んでいく上で、大事な転換点となった曲と、方方で言っている。 | |||
#作曲は篠原義彦。 | |||
#*その正体、円広志だったりする。 | |||
#♪ヒュールリー ヒュールリーララー | |||
#*この曲は詞が先にできて、そこに音をつけるというスタイルで作るものだったんだが、円広志は、この部分に音をはめるのに、ものすごく苦労したらしい。 | |||
#**円いわく「ヒュールリー ヒュールリーララー」は、夏祭りのお囃子にしか聞こえないとか。 | |||
===襟裳岬=== | |||
#フォーク&ニューミュージックの大御所、吉田拓郎が作曲した曲。 | |||
#*吉田曰く、遊び半分、救いの手半分で、当時色々逆境にあった演歌歌手の森進一にフォーク調の曲を歌ってもらおうと思って作ったんだけど、編曲後帰ってきたデモテープは完全に演歌になっていて、腰を抜かしたらしい。 | |||
#*後年、吉田がカバーしたバージョンは、かなりフォーク調になっている。デモテープもこんな感じやったんやろかね。 | |||
#♪襟裳の春は何もない春です | |||
#*これに日高地方民が大激怒してレコード発売元のビクターの電話がパンクしたという言い伝えがあるとか。 | |||
#*でも、結局、襟裳岬の知名度があがったおかげで、森進一は[[北海道/日高#えりも町の噂|えりも町]]の名誉町民になった。 | |||
#*さらにこの曲の歌詞を引用した杉本清による1976年の天皇賞・春の名実況も語りぐさになっている。「見てるか天国の仲間たち、俺はお前たちの分まで走ったぞ!勝ったのはエリモジョージです。何もないえりもに春を告げた」 | |||
#実は元々B面曲。 | |||
#「夜のヒットスタジオ」のオープニングメドレーで中森明菜が森進一の前でこの曲を歌う時に、モノマネをしながら歌ったのが印象的だった。 | |||
===お江戸-O・EDO-=== | |||
#カブキロックスのヒット曲。 | |||
#*いか天から広まった。 | |||
#[[#TOKIO|どっかで沢田研二が歌ってそうな感じのする曲]]の歌詞をちょっといじっただけ。 | |||
#*江戸時代風の衣装を着て、そんな感じの曲を歌うというコンセプトだったはずなんだが、いろいろ雑すぎてそれが逆にウケる感じになった。 | |||
#♪ O・E・DO お江戸が二人を抱いたまま~~ | |||
#*元歌の「TOKIO」の部分を「ODEDO」に変えてるだけ。曲全体でこんな感じ。 | |||
#♪ ほしいなら 何もかも その手にできるよ いろはにほへと | |||
#*元歌の「A to Z」の部分を「いろはにほへと」に変えた点は、単純と言えば単純だが、いいひねりだとは思う。 | |||
#いか天で火が付き、司会の三宅裕司らには気に入られたが、いか天審査員の一人、吉田健(沢田のバックバンドのベーシストを勤めた経験がある。)には、全く受け入れられなかった。 | |||
#*この曲を聴いてぶちぎれながら、嫌味で「沢田さんや糸井さんが見ているといいですね」と言った。 | |||
===大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い=== | |||
#爆風スランプの代表曲の一つ。 | |||
#「玉ねぎ」とは[[日本武道館]]のこと。 | |||
#*武道館でライブを行うことが決まり、客入りが心配だったサンプラザ中野が客入りが悪かった<del><small>言い訳</small></del>理由を歌にしたものだとか。 | |||
#**その歌詞から、武道館で会う約束をして会えなかった恋人の失恋ソングとしても認識されている。 | |||
==か行== | |||
===勝手にシンドバッド=== | |||
#タイトルの由来は「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバッド」 | |||
#*それ以前に志村けんが両曲を組み合わせたギャグを行なっており、そこから拝借したとも言われている。 | |||
#音楽番組でテロップが入るきっかけにもなった。 | |||
#*テンポが早過ぎて「何を言っているのかわからない」という苦情が寄せられたため、それを受けて対応した。 | |||
===悲しい色やね=== | |||
#上田正樹の曲だが、なぜか、やしきたかじんが、「オレ全く関係ないのに、『たかじんさんええ曲ですねえ。私何回も聞きましたよ~。』と言われんねん」とこぼしていた。 | |||
#*上田本人にも、たかじんのBarで同じことを言っていた。 | |||
#♪にじむ街の灯を 二人見ていた | |||
#*これ、作詞の康珍化は「尼崎の灯を 二人見ていた」って歌詞で送っていたらしい。上田正樹はこれでは売れへんから、この部分だけは書き直してくれと言って、今の形になったとか。(たかじんのBarで上田が暴露していた。) | |||
#**作詞の康珍化は、大阪に行かずに、この曲を書いたとか。そら、そんな味気ない歌いだしになるわ。 | |||
#♪アホみたい 大阪弁ブルース | |||
#*正確には「ホールド・ミー・タイト 大阪ベイブルース」なんやけど、なぜかよく間違われる。 | |||
#「ダンガンロンパ」でこの曲のタイトルをモノクマがセリフでそのまま引用しているのだが、果たしてこのゲームをプレイする主な層(10代)に元ネタがわかった人はいたのだろうか・・・。 | |||
===川の流れのように=== | |||
#美空ひばりの遺作であり、最大のヒット曲。 | |||
#*本来はシングルになる予定はなかったが、ひばり本人の強い希望もあり急遽シングルとして発売された。 | |||
#この曲の『川』というのはニューヨークのイースト川を指している(作詞を担当した秋元康は当時ニューヨークに住んでいた)。 | |||
===Give Me Up=== | |||
#元々はマイケル・フォーチュナティの曲。 | |||
#日本でもBaBeなどがカバーしている。 | |||
#*BaBeにとっての代表曲であるが、このせいでBaBeは洋楽を積極的にカバーしているという印象がついてしまった。 | |||
#**BaBeにとってのシングルにおけるカバー曲はこの他に「Hold Me!」しかない(それ以外はオリジナル曲)。 | |||
#SPEEDの「Wake Me Up!」はこの曲に間違えられる。 | |||
===月月火水木金金=== | |||
#戦時中の軍歌。 | |||
#*歌詞の内容から、24時間働けますか的な働き方をしているサラリーマンに好かれたりする。 | |||
#実は、ドリフ大爆笑77のオープニングは、この曲の替え歌だった。 | |||
#*78年以降、隣組の替え歌で固定化されたので、これを知っている人は少ない。 | |||
===けんかをやめて=== | |||
#♪喧嘩をやめて~ ふたりを止めて~ 私のために争わないで もうこれ以上 | |||
#*サビの前半でけんかを止めるという、いい行動をとっているが、その原因が自分というのは何というか。。。。。。 | |||
#1番の歌詞をざっくり流してみると、これって二股かけてた女が、男にその事実がばれた挙句、男同士が喧嘩してるっていう、ただの修羅場の話なんだと分かる。 | |||
#2番の歌詞はもう開き直っている。ざっくりいうとゲロってるんだが、全然反省してない感じ。 | |||
#*2股の理由が「ボーイフレンドの数競う仲間たちに自慢したかったの」だってさ。しかもダメ押しで「ただそれだけなの」とまで言い放つ。 | |||
#*さらに2股かけられたボーイフレンドには、'''♪いつか本当の愛 分かる日が来るまで そっとしておいてね 大人になるから'''と言い放つ始末。ここまで来たら、なんも言えんやろね。 | |||
#作詞・作曲は竹内まりや。本人曰く、「私の曲の中では『何様ソング』の代表」らしい。 | |||
#*実はもともとは、竹内まりやが河合奈保子のために書いた曲。割とすぐにセルフカバーしたけど。 | |||
#**ご本人が引退されてオーストラリアに移住されたこともあり、令和の今となっては、この曲が河合奈保子の曲であることも、河合奈保子の存在自体も忘れられている気がする。 | |||
#河合奈保子はこの曲が出た年(1982年)の紅白にも出場したが、歌ったのはこの曲ではなく「夏のヒロイン」。 | |||
#*当時の紅白歌合戦が厳粛すぎたせい。そもそもこの曲のテーマ自体が争い事であり、当時の紅白にそぐわなかったから。 | |||
#**ヒロシ&キーボーも「3年目の浮気」が大ヒットしたにも関わらず、同様の理由で出場できなかった。 | |||
===心の旅=== | |||
#TULIPが一躍スターダムをのし上がることとなったヒットソング。 | |||
#ボーカルは財津和夫<br /> ではなくて姫野達也。 | |||
#*財津の声では売れない、姫野の声なら売れると判断したレコード会社の人間の意向で、こうなった。 | |||
#**財津さんはしばらくの間、姫野さんのことを相当恨んでいたらしい。 | |||
===COSMOS=== | |||
#合唱曲としてのイメージが強いが、元はアクアマリンのファーストシングル。 | |||
#このコスモスは花ではなく宇宙を意味する。 | |||
==関連項目== | |||
*[[ざんねんな音楽事典]] | |||
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2020年8月6日 (木) 07:29時点における版
- 新しく曲を追加する場合は五十音順でお願いします。
独立項目
あ行
会いたい(沢田知可子)
- 沢田知可子の曲。
- 本人もデビュー前に、自身のファン第一号になってくれた高校の先輩を交通事故でなくしたという経験があるらしい。
- 作詞担当の沢ちひろはこのことを知らなかったとか。テキトーに作詞した感じらしい。
- 本人もデビュー前に、自身のファン第一号になってくれた高校の先輩を交通事故でなくしたという経験があるらしい。
- 作曲は財津和夫。
- 財津さんの作った曲の中で一番売れたのは、心の旅でもサボテンの花でも、虹とスニーカーの頃でも、青春の影でも、Wake Up!でもなく、これ。意外。
- 実は、作曲:財津和夫といいつつ、デモテープに財津が吹き込んだのはテキトーな鼻歌だったらしい。それをきちんと作り変えたのは芳野藤丸。
赤いスイートピー
- 随所に松本隆的語彙と構文が散りばめられている曲。
- 曲の松任谷カラーを打ち消して、松田聖子の曲にするために相当無理して作ったらしい。
- 実は発売当時(1982年)、赤いスイートピーというのは存在しなかった。
- ♪春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ~
- 春色というのは人によって違うだろうし、それを狙った。 by松本隆
- ♪煙草のにおいのシャツにそっと寄り添うから~
- ここも松本構文っぽい。煙草のにおいという女性の嫌うものを前に出して、そのにおいがしても寄り添ってくる女性という構図。
- ♪I will follow you あなたについて行きたい
- followの発音って、本当はファローじゃねえのかとか感じる
- 松田聖子がただのかわい子ぶりっ子から脱皮し、国民的アイドルへと羽ばたいた曲だったりする。
- 実は松田聖子は発売した年の紅白ではこの曲を歌っていない。
- その年の紅白で歌ったのは「野ばらのエチュード」。この曲は2015年の紅白でようやく歌われた。
明日があるさ
- 1963年の暮れに発売された坂本九の代表曲の一つ。
- 1985年、坂本が日航ジャンボ機墜落事故に遭遇する直前に収録されたNHK-FMの番組で最後に歌った曲の1つでもある。
- その後2000年に缶コーヒーのCMソングとしてこの曲が起用され、空前のリバイバルヒットとなった。
- 翌2001年にはウルフルズとRe:Japanがそれぞれカバー曲を発売し、両方とも大ヒット。
- 年末の新語・流行語大賞のトップ10にもノミネートされ、大晦日の紅白歌合戦には2組揃って出場。翌2002年の春の選抜高校野球の入場行進曲にも採用された。
- 翌2001年にはウルフルズとRe:Japanがそれぞれカバー曲を発売し、両方とも大ヒット。
あー夏休み
- TUBE=夏というイメージを際立たせる名曲の一つ。
- ♪Hold me tight 夢とちゃうのかい こんな出会いは~
- TUBE自体、厚木とか海老名のあたりの人の集まりな上に、湘南バリバリ感を出した楽曲なのに、なぜか、ここだけ関西弁。
- 歌詞は、プロデューサーの長戸大幸に煽られて、前田亘輝がやけくそで書いたものらしい。
- 元々、曲のタイトルも「Oh! Summer Holiday!」とするつもりだったとか。これも長戸にクソミソ言われて、原案を和訳しただけの「あー夏休み」にしたとか。
あの素晴しい愛をもう一度
- 北山修と加藤和彦という、当時の京都フォークの二大巨頭の合作。
- 曲も詞も良いうえにポリティカルな要素がないから、いろんな人にカバーされている。
- 青少年合唱向けのアレンジもされており、中学か高校の音楽で接した経験のある人も多いだろう。
いとしのエリー
- 「エリー」とは実は原由子のことである。
- ただ、これには諸説あり、桑田佳祐の姉であるえり子を由来する説と桑田がファンであるエリック・クラプトンを由来する説があり、後者は「いとしのレイラ」から転化したとも言われている。
- なお、えり子の方は「シュラバ★ラ★バンバ」にも登場している。
WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント
- 元々「HEY!HEY!HEY!」に篠原涼子が出演した際に、浜田雅功が小室哲哉に対して冗談で「僕にも曲を作ってくださいよ」という一言から制作された曲。
- サビの歌いだしに「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」とあるのはもちろんこの番組に由来する。
- 浜田は発売前に「10万枚いかないかもしれない、これで売れなかったら俺のせいだ」と落ち込んでいたが、小室は「(オリコン)1位取れるよ」と励ました。
- 結果として213.5万枚を売り上げ、オリコンは7週連続で1位を獲得。年間ランキングでも2位に入り、年末の紅白歌合戦にも出場。
- その紅白には松本人志もゲイシャ・ガールズの扮装で登場し、歌っている浜田に対して着物やかつらを被せたりした。
- 結果として213.5万枚を売り上げ、オリコンは7週連続で1位を獲得。年間ランキングでも2位に入り、年末の紅白歌合戦にも出場。
- 小室曰く「寝る暇もない浜田のことを思って歌詞を書き出したが、浜松町で働くサラリーマンを見ているうちに応援歌になっていった」と語っている。
- 曲の合間でBUSAIKU HAMADAと言っているのは、松本人志。
海の声(浦島太郎)
- 浦ちゃんこと浦島太郎の曲。
- 浦島太郎の正体は桐谷健太。
- auのCM、三太郎シリーズから生まれた曲。
- ということもあって、最初はLISMOストアとうたパスというauの配信サイトでのみの配信だった。結局売行き好調でiTunes等でも配信されて、総合1位をとったりしている。
- 作曲は元BEGINの島袋氏。だからどことなく琉球民謡っぽい音階が使われている。
- あんまり知られていない話であるが、BEGINもセルフカバーしているらしい。
越冬つばめ
- 森昌子の歌った名曲の1つ。
- 森昌子は、大人の演歌歌手として歩んでいく上で、大事な転換点となった曲と、方方で言っている。
- 作曲は篠原義彦。
- その正体、円広志だったりする。
- ♪ヒュールリー ヒュールリーララー
- この曲は詞が先にできて、そこに音をつけるというスタイルで作るものだったんだが、円広志は、この部分に音をはめるのに、ものすごく苦労したらしい。
- 円いわく「ヒュールリー ヒュールリーララー」は、夏祭りのお囃子にしか聞こえないとか。
- この曲は詞が先にできて、そこに音をつけるというスタイルで作るものだったんだが、円広志は、この部分に音をはめるのに、ものすごく苦労したらしい。
襟裳岬
- フォーク&ニューミュージックの大御所、吉田拓郎が作曲した曲。
- 吉田曰く、遊び半分、救いの手半分で、当時色々逆境にあった演歌歌手の森進一にフォーク調の曲を歌ってもらおうと思って作ったんだけど、編曲後帰ってきたデモテープは完全に演歌になっていて、腰を抜かしたらしい。
- 後年、吉田がカバーしたバージョンは、かなりフォーク調になっている。デモテープもこんな感じやったんやろかね。
- ♪襟裳の春は何もない春です
- これに日高地方民が大激怒してレコード発売元のビクターの電話がパンクしたという言い伝えがあるとか。
- でも、結局、襟裳岬の知名度があがったおかげで、森進一はえりも町の名誉町民になった。
- さらにこの曲の歌詞を引用した杉本清による1976年の天皇賞・春の名実況も語りぐさになっている。「見てるか天国の仲間たち、俺はお前たちの分まで走ったぞ!勝ったのはエリモジョージです。何もないえりもに春を告げた」
- 実は元々B面曲。
- 「夜のヒットスタジオ」のオープニングメドレーで中森明菜が森進一の前でこの曲を歌う時に、モノマネをしながら歌ったのが印象的だった。
お江戸-O・EDO-
- カブキロックスのヒット曲。
- いか天から広まった。
- どっかで沢田研二が歌ってそうな感じのする曲の歌詞をちょっといじっただけ。
- 江戸時代風の衣装を着て、そんな感じの曲を歌うというコンセプトだったはずなんだが、いろいろ雑すぎてそれが逆にウケる感じになった。
- ♪ O・E・DO お江戸が二人を抱いたまま~~
- 元歌の「TOKIO」の部分を「ODEDO」に変えてるだけ。曲全体でこんな感じ。
- ♪ ほしいなら 何もかも その手にできるよ いろはにほへと
- 元歌の「A to Z」の部分を「いろはにほへと」に変えた点は、単純と言えば単純だが、いいひねりだとは思う。
- いか天で火が付き、司会の三宅裕司らには気に入られたが、いか天審査員の一人、吉田健(沢田のバックバンドのベーシストを勤めた経験がある。)には、全く受け入れられなかった。
- この曲を聴いてぶちぎれながら、嫌味で「沢田さんや糸井さんが見ているといいですね」と言った。
大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い
- 爆風スランプの代表曲の一つ。
- 「玉ねぎ」とは日本武道館のこと。
- 武道館でライブを行うことが決まり、客入りが心配だったサンプラザ中野が客入りが悪かった
言い訳理由を歌にしたものだとか。- その歌詞から、武道館で会う約束をして会えなかった恋人の失恋ソングとしても認識されている。
- 武道館でライブを行うことが決まり、客入りが心配だったサンプラザ中野が客入りが悪かった
か行
勝手にシンドバッド
- タイトルの由来は「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバッド」
- それ以前に志村けんが両曲を組み合わせたギャグを行なっており、そこから拝借したとも言われている。
- 音楽番組でテロップが入るきっかけにもなった。
- テンポが早過ぎて「何を言っているのかわからない」という苦情が寄せられたため、それを受けて対応した。
悲しい色やね
- 上田正樹の曲だが、なぜか、やしきたかじんが、「オレ全く関係ないのに、『たかじんさんええ曲ですねえ。私何回も聞きましたよ~。』と言われんねん」とこぼしていた。
- 上田本人にも、たかじんのBarで同じことを言っていた。
- ♪にじむ街の灯を 二人見ていた
- これ、作詞の康珍化は「尼崎の灯を 二人見ていた」って歌詞で送っていたらしい。上田正樹はこれでは売れへんから、この部分だけは書き直してくれと言って、今の形になったとか。(たかじんのBarで上田が暴露していた。)
- 作詞の康珍化は、大阪に行かずに、この曲を書いたとか。そら、そんな味気ない歌いだしになるわ。
- これ、作詞の康珍化は「尼崎の灯を 二人見ていた」って歌詞で送っていたらしい。上田正樹はこれでは売れへんから、この部分だけは書き直してくれと言って、今の形になったとか。(たかじんのBarで上田が暴露していた。)
- ♪アホみたい 大阪弁ブルース
- 正確には「ホールド・ミー・タイト 大阪ベイブルース」なんやけど、なぜかよく間違われる。
- 「ダンガンロンパ」でこの曲のタイトルをモノクマがセリフでそのまま引用しているのだが、果たしてこのゲームをプレイする主な層(10代)に元ネタがわかった人はいたのだろうか・・・。
川の流れのように
- 美空ひばりの遺作であり、最大のヒット曲。
- 本来はシングルになる予定はなかったが、ひばり本人の強い希望もあり急遽シングルとして発売された。
- この曲の『川』というのはニューヨークのイースト川を指している(作詞を担当した秋元康は当時ニューヨークに住んでいた)。
Give Me Up
- 元々はマイケル・フォーチュナティの曲。
- 日本でもBaBeなどがカバーしている。
- BaBeにとっての代表曲であるが、このせいでBaBeは洋楽を積極的にカバーしているという印象がついてしまった。
- BaBeにとってのシングルにおけるカバー曲はこの他に「Hold Me!」しかない(それ以外はオリジナル曲)。
- BaBeにとっての代表曲であるが、このせいでBaBeは洋楽を積極的にカバーしているという印象がついてしまった。
- SPEEDの「Wake Me Up!」はこの曲に間違えられる。
月月火水木金金
- 戦時中の軍歌。
- 歌詞の内容から、24時間働けますか的な働き方をしているサラリーマンに好かれたりする。
- 実は、ドリフ大爆笑77のオープニングは、この曲の替え歌だった。
- 78年以降、隣組の替え歌で固定化されたので、これを知っている人は少ない。
けんかをやめて
- ♪喧嘩をやめて~ ふたりを止めて~ 私のために争わないで もうこれ以上
- サビの前半でけんかを止めるという、いい行動をとっているが、その原因が自分というのは何というか。。。。。。
- 1番の歌詞をざっくり流してみると、これって二股かけてた女が、男にその事実がばれた挙句、男同士が喧嘩してるっていう、ただの修羅場の話なんだと分かる。
- 2番の歌詞はもう開き直っている。ざっくりいうとゲロってるんだが、全然反省してない感じ。
- 2股の理由が「ボーイフレンドの数競う仲間たちに自慢したかったの」だってさ。しかもダメ押しで「ただそれだけなの」とまで言い放つ。
- さらに2股かけられたボーイフレンドには、♪いつか本当の愛 分かる日が来るまで そっとしておいてね 大人になるからと言い放つ始末。ここまで来たら、なんも言えんやろね。
- 作詞・作曲は竹内まりや。本人曰く、「私の曲の中では『何様ソング』の代表」らしい。
- 実はもともとは、竹内まりやが河合奈保子のために書いた曲。割とすぐにセルフカバーしたけど。
- ご本人が引退されてオーストラリアに移住されたこともあり、令和の今となっては、この曲が河合奈保子の曲であることも、河合奈保子の存在自体も忘れられている気がする。
- 実はもともとは、竹内まりやが河合奈保子のために書いた曲。割とすぐにセルフカバーしたけど。
- 河合奈保子はこの曲が出た年(1982年)の紅白にも出場したが、歌ったのはこの曲ではなく「夏のヒロイン」。
- 当時の紅白歌合戦が厳粛すぎたせい。そもそもこの曲のテーマ自体が争い事であり、当時の紅白にそぐわなかったから。
- ヒロシ&キーボーも「3年目の浮気」が大ヒットしたにも関わらず、同様の理由で出場できなかった。
- 当時の紅白歌合戦が厳粛すぎたせい。そもそもこの曲のテーマ自体が争い事であり、当時の紅白にそぐわなかったから。
心の旅
- TULIPが一躍スターダムをのし上がることとなったヒットソング。
- ボーカルは財津和夫
ではなくて姫野達也。- 財津の声では売れない、姫野の声なら売れると判断したレコード会社の人間の意向で、こうなった。
- 財津さんはしばらくの間、姫野さんのことを相当恨んでいたらしい。
- 財津の声では売れない、姫野の声なら売れると判断したレコード会社の人間の意向で、こうなった。
COSMOS
- 合唱曲としてのイメージが強いが、元はアクアマリンのファーストシングル。
- このコスモスは花ではなく宇宙を意味する。