「もしプロ野球ドラフトで抽選に勝ったのがあの球団だったら」の版間の差分
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*史実で指名していない球団が指名していた場合は[[もしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたら]]へお願いします。 | *史実で指名していない球団が指名していた場合は[[もしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたら]]へお願いします。 | ||
*ドラフト以外で入団した選手は[[もしあのプロ野球選手があの球団に入団していたら]]へお願いします。 | *ドラフト以外で入団した選手は[[もしあのプロ野球選手があの球団に入団していたら]]へお願いします。 | ||
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#1985年に優勝できていなかった可能性が高い。 | #1985年に優勝できていなかった可能性が高い。 | ||
#某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。 | #某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。 | ||
#*となると2005年と23年の阪神のアレはなかったかも。 | |||
;阪急 | ;阪急 | ||
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#三塁ではなく、外野に転向していたか? | #三塁ではなく、外野に転向していたか? | ||
#松永の代わりに阪神へトレードされた。 | #松永の代わりに阪神へトレードされた。 | ||
#*岡田自身が阪神ファンだったため松永のように1年でFA宣言して移籍なんてことはせず、史実とは逆に阪神で現役を終えていた。 | |||
#仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。 | #仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。 | ||
#*「29-1」が「[[33-4]]」になっていたかも。 | #*「29-1」が「[[33-4]]」になっていたかも。 | ||
#1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。 | #1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。 | ||
#1984年の日本シリーズは逆に阪急が日本一になっていたかも。 | |||
;西武 | ;西武 | ||
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#1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。 | #1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。 | ||
#大石より先にバファローズの監督に就任した。 | #大石より先にバファローズの監督に就任した。 | ||
#*梨田昌孝の後任になっていたかも。 | |||
#大阪ドーム移転後に打撃コーチに就任し「いてまえ打線」をもっと強力なものにしていた。 | |||
===原辰徳(1980)=== | ===原辰徳(1980)=== | ||
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#*巨人だったら引退まで巨人に居れたかも? | #*巨人だったら引退まで巨人に居れたかも? | ||
#史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。 | #史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。 | ||
# | #当然あの手首負傷はない(津田恒実とチームメイトになるので) | ||
#2000本安打も達成していたはず。 | #2000本安打も達成していたはず。 | ||
#80年代〜90年代前半にもう1、2回優勝出来ていたかも。 | |||
#三村敏之か達川光男の後任として広島の監督に就任し、山本浩二の2度目の監督はなかった可能性も。 | |||
;大洋 | ;大洋 | ||
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#*もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。 | #*もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。 | ||
#背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か? | #背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か? | ||
#*応援歌に「エイトマン」の替え歌が使われることはなく、「ニコニコ笑顔」というフレーズが入っていた。 | |||
#80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。 | #80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。 | ||
#*史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。 | #*史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。 | ||
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#1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。 | #1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。 | ||
#オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。 | #オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。 | ||
#*オリックスの監督としても活躍出来ていたかも。 | |||
===金村義明(1981)=== | ===金村義明(1981)=== | ||
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#地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。 | #地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。 | ||
#打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた? | #打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた? | ||
===西村徳文(1981)=== | |||
※史実ではロッテに入団 | |||
#外野手やスイッチヒッターに転向していたかどうか? | |||
#ロッテのコーチや監督には就任しなかった。 | |||
#*ネット上で「西なんとか監督」と呼ばれることもない。 | |||
#*2019年にオリックスの監督に就任することもなかった。 | |||
#**監督によっては、2019年、2020年の2年連続最下位を免れていた。 | |||
;南海 | |||
#内野の要として守備を安定させる。 | |||
#ダイエー買収・福岡移転後、九州出身ということで人気が上昇する。 | |||
#引退後はホークスの指導者になっていた。 | |||
#*2005年・2010年のソフトバンクがロッテに日本シリーズ進出を阻まれることはなかった。 | |||
#**2005年はボビー・バレンタインがロッテの監督だったので、どっちみちそこは史実通りだろう。 | |||
#*秋山幸二の後任で監督に就任していた。 | |||
#**工藤公康の監督就任は遅れていた。 | |||
#***あるいは工藤公康はソフトバンクの監督にはならなかった。 | |||
#*工藤公康は伊原春樹の後任として2015年に古巣西武の監督に就任し、黄金時代を築いていたかも。 | |||
;ヤクルト | |||
#入団後数年間の選手層を考えるとレギュラー定着は80年代後半になっていた。 | |||
#*マルカーノ退団後に二塁手の定位置を確保する。 | |||
#*もしくは早い段階で外野手に転向した。 | |||
#ヤクルトで指導歴を重ねた場合、若松勉の後任で監督に就任したかも。 | |||
#*古田敦也が選手兼任監督を務めることはなかった。 | |||
===荒木大輔(1982)=== | ===荒木大輔(1982)=== | ||
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#巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。 | #巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。 | ||
#王監督就任時に野手への転向を打診される。 | #王監督就任時に野手への転向を打診される。 | ||
=== 野口裕美(1982) === | |||
※史実では西武に入団 | |||
;中日 | |||
#1年後輩の山本昌さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。 | |||
#東京六大学の投手の先輩である星野仙一監督(明治大学出身)からは、かわいがられたかもしれない。 | |||
;阪急 | |||
#1年後輩の星野伸之さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。 | |||
#立教大学を一般入試で現役合格したインテリで、理論派で読書家の上田利治監督から一目おかれた。 | |||
#仮に、野球で大成できなくても、慶應義塾大学野球部出身で当時ブレーブス広報を務めていた小川友次さんが宝塚歌劇団理事長を歴任したように、阪急阪神グループの関連企業・組織の経営に携わっていた可能性あり(史実では西武退団後、大日本スクリーン製造-いまのSCREENホールディングス-に入社し、系列企業の執行役員も務めた)。また、東京六大学の先輩の小川さんが、よき相談相手になっていたかも? | |||
===高野光(1983)=== | ===高野光(1983)=== | ||
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#*広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。 | #*広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。 | ||
#巨人に移籍していなかったかもしれない。 | #巨人に移籍していなかったかもしれない。 | ||
#1989年のシーズン途中でデストラーデを獲得することはなかった。 | |||
#*[[もしあのプロ野球選手があの球団に入団していたら#外国人選手/オレステス・デストラーデ→阪神|デストラーデは阪神に入団していた。]]その場合暗黒時代が軽減されていた。 | |||
;日本ハム | ;日本ハム | ||
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#*おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。 | #*おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。 | ||
#**史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。 | #**史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。 | ||
#***鳥越が浜名ギャルに「浜名出せ」といわれてしまうこともなかった。 | |||
#****史実よりも中日での出場機会が増える李鍾範や久慈、神野のパフォーマンスが悪ければ、鳥越はトレードされていない。 | |||
#ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた? | #ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた? | ||
#本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。 | #本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。 | ||
#1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。) | #1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。) | ||
#杉浦監督が構想していた湯上谷と立浪の二遊間が実現していた。 | |||
#当然、中日の監督に就任することはなく、2022年から工藤公康の後任でソフトバンクの監督に就任していた。 | |||
#*ホークスは3年連続Bクラスに沈んでしまっていた。 | |||
#**23年オフの戒めFA騒動と人的補償拒否騒動では、史実以上にイメージが悪化していた。 | |||
#大阪府民でPL学園高出身ということで「地元の星や」と歓迎されていた。 | |||
;中日のその後 | ;中日のその後 | ||
#種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。 | #種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。 | ||
#*種田は中日のコーチになっていた。 | |||
#**いまでもがに股打法が親しまれていた。 | |||
#小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?) | #小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?) | ||
#*どっちにしても近鉄は蹴っていた。 | #*どっちにしても近鉄は蹴っていた。 | ||
#*福留孝介もダイエーに入団し、福留・松中・城島の最強クリーンアップを形成し、2003年のダイハード打線が史実以上に強力なものになっていた。 | |||
#森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。 | #森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。 | ||
#*森野将彦は球界を代表するスラッガーの1人に成長していた。 | |||
#**森岡良介は1軍ベンチで内野のバックアップになっていったので、2軍でパワハラ騒動が起きることもなかった。 | |||
#***アライバコンビに加えモリモリコンビも注目されていた。 | |||
#****ショーゴーが失敗したとしても、中日で森という文字がついた名字は大成しないといわれてしまうこともなかった。 | |||
#****むしろ史実より早くアライバコンビは解体されており、井端より荒木が上とされていた。 | |||
#中日は連続最下位になることはなかった。 | |||
#立浪政権でのさまざまな迷走もなかった。 | |||
#落合が立浪の特別扱いを解除し、立浪を干すことでタニマチやフロントに目をつけられることもなかった。 | |||
#*落合監督が星野政権時代の体罰肯定的な、立浪のPL的な気質を解体するのに5年かかることもなかった。1年で積弊生産し、むしろタニマチやフロントも解体し、もっとまともな親会社に身売りさせることに成功していた。 | |||
#**落合監督は退任させられることもなく、まだ監督を続けていたかも。落合のもとで現代的な人権感覚が導入され、中日は現在でも強豪で12球団ホワイトで雰囲気の明るいチームになっていた。 | |||
#ミスタードラゴンズといえば荒木雅博になっていた。その荒木雅博と落合の関係性はもっとも理想的な師弟関係と呼ばれていた。 | |||
#李鍾範が史実のようにポジションを変えることなく、遊撃手のままアジャストしていたかも。 | |||
#*そうなっており、中日も史実のように低迷していなかった場合、李政厚は韓国からメジャーではなく中日に移籍していた。大島洋平の後釜になっていた。 | |||
===長嶋一茂(1987)=== | ===長嶋一茂(1987)=== | ||
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#父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか? | #父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか? | ||
#背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。 | #背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。 | ||
#一茂をライバルに据えた水島新司の野球漫画「虹を呼ぶ男」の舞台が大洋になっていた、あるいは連載されなかった。 | |||
===川崎憲次郎(1988)=== | ===川崎憲次郎(1988)=== | ||
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#いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。 | #いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。 | ||
#東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。 | #東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。 | ||
#*史実で2位になった1993年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。 | |||
;阪神 | ;阪神 | ||
266行目: | 342行目: | ||
;全般 | ;全般 | ||
#社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。 | #社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。 | ||
;ヤクルト | |||
#東都1部の本拠地である神宮球場に入りたかったこともあり、本人は大喜びだった。 | |||
#高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。 | |||
#石井一久のブレイクが遅れていた。 | |||
#史実でヤクルトの外れ1位で指名された岡林洋一は当初の予定通りロッテが指名し入団していた。 | |||
;近鉄 | ;近鉄 | ||
273行目: | 355行目: | ||
#*巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。 | #*巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。 | ||
#*ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。 | #*ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。 | ||
;西武 | ;西武 | ||
288行目: | 365行目: | ||
#小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。 | #小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。 | ||
#高木監督時代に優勝していた。 | #高木監督時代に優勝していた。 | ||
#*星野監督時代の1996年にも優勝していた。 | |||
#1997年の最下位は回避できた。 | #1997年の最下位は回避できた。 | ||
#2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。 | #2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。 | ||
295行目: | 373行目: | ||
#1996年は優勝していた。 | #1996年は優勝していた。 | ||
#江藤と同時にFA移籍した可能性も。 | #江藤と同時にFA移籍した可能性も。 | ||
;阪神 | |||
#ロッテと同様絶対に行きたくないと思っていた球団だったため間違いなく蹴られていた。 | |||
#*阪神はその後しばらく亜細亜大学出身の選手を指名できなくなっていた。 | |||
#史実で阪神が1位指名した湯舟敏郎はロッテが本来1位指名する予定だったため湯舟はロッテに入団し、阪神の暗黒時代が悪化していた。 | |||
#*つまり1990年ドラフトでの小池の一件におけるロッテと阪神の立場が逆になっていた。 | |||
===矢野輝弘(1990)=== | ===矢野輝弘(1990)=== | ||
306行目: | 390行目: | ||
;中日のその後 | ;中日のその後 | ||
#殆ど影響無し? | #殆ど影響無し? | ||
#*史実で矢野が絡んだ大豊泰昭+1人⇔関川浩一・久慈照嘉のトレードの顔ぶれが変わっていた可能性がある。 | |||
#野口茂樹は1996年にノーヒットノーランを達成できたのだろうか?(史実では矢野とバッテリーを組んで達成) | |||
;阪神のその後 | ;阪神のその後 | ||
326行目: | 412行目: | ||
#*[[もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/セ・リーグ#中日ドラゴンズ|1994年や1996年も巨人ではなく、中日がリーグ優勝を果たしていた]]。 | #*[[もし日本プロ野球であの球団が優勝していたら/セ・リーグ#中日ドラゴンズ|1994年や1996年も巨人ではなく、中日がリーグ優勝を果たしていた]]。 | ||
#ストッパーに転向していなかったかもしれない。 | #ストッパーに転向していなかったかもしれない。 | ||
#*中日は伝統的にストッパーに恵まれてるチーム(斎藤隆のプロ入り後は中山裕章→宣銅烈→ギャラード→岩瀬仁紀)だから、2000年代に入っても先発で投げ続けていただろう。 | |||
#「ササキ様に願いを」は作られなかった。 | #「ササキ様に願いを」は作られなかった。 | ||
#史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。 | #史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。 | ||
349行目: | 436行目: | ||
#外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。 | #外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。 | ||
#*内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。 | #*内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。 | ||
#*チーム事情で一塁を守ることもあったかも。 | |||
#**オマリーやパチョレック退団後の助っ人外国人の何人かは入団しなかったかも。 | |||
#3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。 | #3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。 | ||
#一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。 | #一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。 | ||
359行目: | 448行目: | ||
#少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので) | #少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので) | ||
#*有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか? | #*有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか? | ||
#**王貞治を超えることを目標に「56」とか「60」とかの可能性もある。 | |||
#松井の出身地の[[石川|石川県]]での[[石川のメディア#北陸中日新聞|北陸中日新聞]]の購読者が増えていた。 | #松井の出身地の[[石川|石川県]]での[[石川のメディア#北陸中日新聞|北陸中日新聞]]の購読者が増えていた。 | ||
#*その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。 | #*その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。 | ||
#1996年最終戦での敬遠はなかった。 | #1996年最終戦での敬遠はなかった。 | ||
#*もし江藤智がシーズン途中で離脱せず、松井秀・山﨑・大豊との本塁打王争いに最後まで絡んでいた場合、広島バッテリーから敬遠策を仕組まれていた可能性はある?と思いきや、後ろに山﨑や大豊が控えてるならその可能性も低いだろう。 | |||
#福留孝介は入団しなかった可能性も。 | #福留孝介は入団しなかった可能性も。 | ||
#*福留は当初遊撃手。 | #*福留は当初遊撃手。 | ||
#1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。 | #1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。 | ||
#*1998年(史実では横浜優勝)も中日が優勝していた。史実通り1999年も優勝すれば2連覇、さらに2000年も優勝できれば3連覇を達成していた。1997年もナゴヤドーム元年の最下位転落は免れていただろう(史実の松井はナゴドでも結構ホームランを打っていたので)。 | |||
#*1996年は「5番・中堅手」(史実では星稜高校の先輩である音重鎮がこの打順&ポジションだった)として、ダネル・コールズ、立浪和義、アロンゾ・パウエル、山﨑武司、大豊泰昭とともに「強竜打線」の一翼を担った。史実で本塁打王争いを繰り広げた松井秀・山﨑・大豊の567番トリオが猛威を振るい、同年の中日はヘタしたら90勝に到達できたかもしれない。 | |||
#入団時点では同姓の松井隆昌(1996年まで)・松井達徳(1997年まで)が中日に在籍していたため、表記は「松井秀」になっていた。 | |||
#星稜高校の大先輩・小松辰雄の引退試合で花束贈呈を務めていた。 | |||
#もちろん「燃えよドラゴンズ!」の歌詞に「3番松井がタイムリー」あるいは「4番松井がホームラン」などと登場していた。 | |||
;ダイエー | ;ダイエー | ||
376行目: | 472行目: | ||
#松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。 | #松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。 | ||
#高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。 | #高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。 | ||
#パ・リーグ所属なので、2000年のシドニー五輪に選出されていた。 | |||
;巨人のその後 | ;巨人のその後 | ||
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#スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。 | #スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。 | ||
#広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。 | #広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。 | ||
#1993年のセ・リーグの新人王は松井か鶴田泰だった。 | |||
===福留孝介(1995)=== | ===福留孝介(1995)=== | ||
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#小田幸平が中日に移籍しなかった。 | #小田幸平が中日に移籍しなかった。 | ||
#*落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。 | #*落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。 | ||
#谷繁元信FA移籍の際に中村武志の代わりに横浜に移籍した可能性も。 | |||
===松坂大輔(1998)=== | ===松坂大輔(1998)=== | ||
467行目: | 566行目: | ||
#*優勝できていた場合、[[もしあのプロ野球球団の監督が○○だったら#権藤博(横浜)|権藤監督は辞任せずに済んだかもしれない。]] | #*優勝できていた場合、[[もしあのプロ野球球団の監督が○○だったら#権藤博(横浜)|権藤監督は辞任せずに済んだかもしれない。]] | ||
#99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。 | #99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。 | ||
#*前年の優勝チームなので、高卒ルーキーの開幕投手はいくら松坂とはいえ厳しいのでは。 | |||
#三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。 | #三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。 | ||
#セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。 | #セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。 | ||
#2007年もNPBにいてメジャー挑戦が1年遅かったら | |||
#*2007年は横浜はリーグ優勝できた。 | |||
#**優勝を手土産に翌年メジャーへ。 | |||
#**巨人戦と中日戦はもう少し勝てそう。逆に阪神戦は史実通り苦手。 | |||
#*2007年の三浦と寺原の負け数は事実よりも少なかった。 | |||
#*NPBに復帰するタイミングも1年遅れる。 | |||
;日本ハム | ;日本ハム | ||
495行目: | 601行目: | ||
;共通する事 | ;共通する事 | ||
#ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。 | #ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。 | ||
#高校野球時代の豪速球をやや控えて制球力にまわすこと、NPB全体の球速インフレについていけず微妙な成績になるのは史実通り。 | |||
;巨人 | ;巨人 | ||
500行目: | 607行目: | ||
#ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。 | #ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。 | ||
#*寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。 | #*寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。 | ||
#**杉内俊哉獲得時に人的補償で放出されていたかもしれない。 | |||
;横浜 | ;横浜 | ||
505行目: | 613行目: | ||
#FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。 | #FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。 | ||
#*そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。 | #*そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。 | ||
#*内川同様、「横浜を出る喜び」と揶揄されていたかも。 | |||
#**一方で、DeNA買収初年度のシーズンが終わるまでFA権がとれないはずなので、DeNAによってチームがよくなったと感じ残留してくれるかもしれない。 | |||
===辻内崇伸(2005)=== | |||
* 関連項目:[[もしプロ野球であの事件が起きなかったら#2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら|2005年高校生ドラフトでの交渉権間違いがなかったら]] | |||
;オリックス | |||
#史実より長く活躍できており、肩の治療も行えていたかもしれない。 | |||
#女子プロ野球の指導者になっていたかは不明 | |||
#T-岡田は巨人が外れ1位で指名していた。 | |||
#*「T-岡田」は史実のオリックスで岡田監督就任等の経緯もあったので本名の「岡田貴弘」のまま。 | |||
#母校の大阪桐蔭と巨人の関係が悪化することもなかったかもしれない | |||
===陽仲壽(陽岱鋼)(2005)=== | ===陽仲壽(陽岱鋼)(2005)=== | ||
527行目: | 646行目: | ||
#投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。 | #投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。 | ||
#斎藤佑樹は指名しなかった。 | #斎藤佑樹は指名しなかった。 | ||
#*斎藤は大学卒業後のプロ入りなので指名は可能。むしろ斎藤と田中が同一チームなら話題になるので、指名したのでは。 | |||
#吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。 | #吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。 | ||
532行目: | 652行目: | ||
#一応、出身地なので大いに歓迎された。 | #一応、出身地なので大いに歓迎された。 | ||
#もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。 | #もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。 | ||
#*2014年にリーグ優勝を果たし、それを置き土産に渡米したかも。 | |||
#**史実通り2021年に帰国していたら、平野佳寿と揃っての帰国になり同年のリーグ優勝に貢献していた。 | |||
#里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…) | #里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…) | ||
#*その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも? | #*その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも? | ||
#西勇輝のブレイクが遅れていた、あるいは影響を与えていた。 | |||
;横浜 | ;横浜 | ||
542行目: | 665行目: | ||
===堂上直倫(2006)=== | ===堂上直倫(2006)=== | ||
※史実では中日に入団 | |||
;巨人 | ;巨人 | ||
#相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。 | #相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。 | ||
#坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた? | #坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた? | ||
#*その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。 | |||
#**高橋周平や京田陽太が他球団に指名されていたかもしれない。 | |||
#*2020年時点で2000本安打に到達できていなかったかもしれない | |||
#*2006年当時の高校生ドラフトの外れ1巡目指名はウェーバー方式だったため坂本は中日ではなく[[もしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたら#坂本勇人→阪神(2006)|阪神が指名していたかもしれない。]] | |||
#兄である堂上剛裕が史実通り移籍してきた場合、兄弟揃っての出場はこちらで実現していたかも。 | |||
;阪神 | ;阪神 | ||
550行目: | 679行目: | ||
#甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…? | #甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…? | ||
#*小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也) | #*小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也) | ||
#巨人の場合と同様、FA取得して地元中日へ移籍するかも。 | |||
===中田翔(2007)=== | ===中田翔(2007)=== | ||
564行目: | 694行目: | ||
#本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。 | #本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。 | ||
#2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。 | #2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。 | ||
#翌年(2021年)での同僚選手に対する暴行事件で、埼玉西武へ無償トレードにした。 | |||
#*いや、西武はファーストで主砲山川穂高とポジションが被るので、T-岡田が衰えてきた同じ在阪球団のオリックスか日本ハムな気がする。 | |||
#*あるいは暴行事件自体なかったかも。 | |||
#2023年現在も在籍していれば、生え抜き最古参でチーム最年長になっているかも。 | |||
#2014年、2015年、2021年のいずれかで阪神が優勝していた。 | |||
#髙濱卓也は横浜の外れ1巡目で単独指名されていた。 | |||
;ソフトバンク | ;ソフトバンク | ||
#ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。 | #ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。 | ||
===髙濱卓也(2007)=== | |||
※史実では阪神に入団 | |||
;横浜 | |||
#外れとは言え地元高校からの1位指名に大フィーバー。 | |||
#DeNA買収直後の時点で石川雄洋と二遊間を組み、倉本寿彦が入団するより数年早く『横高出身二遊間コンビ』が実現していた。 | |||
#田中健二朗は地元球団である中日が外れ外れ1位で指名か。 | |||
#2014年のドラフトで弟の祐仁もDeNAに指名されたかも。 | |||
#現実以上に活躍して、ロッテへトレード移籍しなかったかも。 | |||
===大田泰示(2008)=== | ===大田泰示(2008)=== | ||
※史実では巨人に入団。後に日本ハム、横浜DeNA。 | |||
;ソフトバンク | ;ソフトバンク | ||
#巨人の外れ1位はもちろん長野久義。 | #巨人の外れ1位はもちろん長野久義。 | ||
578行目: | 723行目: | ||
#巨人の背番号55は空き番号のまま。 | #巨人の背番号55は空き番号のまま。 | ||
#*間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。 | #*間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。 | ||
#2022年から北海道日本ハムへ移籍した。 | |||
===松本啓二朗(2008)=== | |||
※史実では横浜に入団 | |||
;阪神 | |||
#赤星憲広の電撃引退後に中堅のレギュラーに抜擢される。 | |||
#*藤川俊介のブレークは多分無かった。 | |||
#*マット・マートンが阪神で中堅手を守る事は無かった。 | |||
#*2011年のドラフトで伊藤隼太が1位指名される事は無かったかも。 | |||
#横浜の1位指名は誰になっていただろうか。 | |||
#*松本以外の指名結果が史実通りだった場合藤江均(史実2位)か細山田武史(史実3位)が繰り上がっていた。 | |||
===菊池雄星(2009)=== | |||
※史実では西武に入団 | |||
;共通する事 | |||
#球団によっては2021年開幕時点で残留している。 | |||
#*或いは、史実より早く米球界に挑戦している。 | |||
#2018年の西武優勝は無かった。 | |||
#ソフトバンクを苦手とするのは多分史実通り。 | |||
#大久保博元の西武コーチ時代二度目の暴力問題は史実程騒がれない。 | |||
;楽天 | |||
#地元では大フィーバー。 | |||
#プロ入り後カモとしていた球団だっただけに史実程勝利数は伸びていない。 | |||
#*それでも2013年の日本一には貢献していた。 | |||
#史実通り大久保博元が首脳陣に入閣していた場合三度目の暴力問題が起きていたかも。 | |||
#*この場合監督には就任出来ていない。 | |||
;日本ハム | |||
#大谷翔平が史実通りに入団した場合、『花巻東コンビ』で売り出していた。 | |||
#*菊池が抑えて大谷が打ってのWお立ち台もしばしば見られた。 | |||
#2016年の日本一に貢献していた。 | |||
#場合によっては史実より早く米球界に挑戦していた。 | |||
#日ハムの成績が悪かった2013年と2017年に成績がいいため、2010年代は毎年ソフトバンクと日ハムの優勝争いになっていた。 | |||
#日ハムの地元人気は史実以上になっていた。 | |||
;中日 | |||
#翌年以降のドラフトが史実通りなら大野雄大と左腕二枚看板で売り出していた。 | |||
==2010年代== | ==2010年代== | ||
602行目: | 785行目: | ||
===山田哲人(2010)=== | ===山田哲人(2010)=== | ||
※史実ではヤクルトに入団 | |||
;オリックス | ;オリックス | ||
#オリックスは2011年はクライマックスシリーズ進出を、2014年には18年ぶりの優勝を果たしていた。 | #オリックスは2011年はクライマックスシリーズ進出を、2014年には18年ぶりの優勝を果たしていた。 | ||
#*2014年のセ・リーグのCS優勝が史実通り阪神で、こちらもCS優勝していたら同年の日本シリーズは阪神×オリックスの関西ダービーになっていた。 | |||
#一方、ヤクルトの2015年は良くてAクラスになっていた、 | #一方、ヤクルトの2015年は良くてAクラスになっていた、 | ||
#*日本シリーズに進出できても、ソフトバンクに4連敗していたと思われる。 | #*日本シリーズに進出できても、ソフトバンクに4連敗していたと思われる。 | ||
#*この年は巨人か阪神が優勝していた。 | |||
#尽く高卒野手が育たないオリックスなので、史実通り育っていない可能性も多分にある。 | #尽く高卒野手が育たないオリックスなので、史実通り育っていない可能性も多分にある。 | ||
#*もし史実通りトリプルスリーとか達成していた場合、何かとイチローと比較されていた。 | |||
#駿太は他球団か2位以下でオリックスに入団していただろう。 | #駿太は他球団か2位以下でオリックスに入団していただろう。 | ||
#*他球団の場合は登録名を「駿太」にせず、本名フルネームの「後藤駿太」だった。 | #*他球団の場合は登録名を「駿太」にせず、本名フルネームの「後藤駿太」だった。 | ||
#*他球団の場合は、背番号繋がりでローズと関連付けられることもなかった。 | #*他球団の場合は、背番号繋がりでローズと関連付けられることもなかった。 | ||
#兵庫県出身なので、ファンから「地元の星」として愛されていた。 | |||
#2021年の日本シリーズは史実とは逆にオリックスが日本一になっていた。 | |||
#*そもそも2021年のヤクルトは優勝できず、[[もし阪神タイガースがあの年に優勝していたら#2021年|同年は阪神が優勝]]していた。 | |||
#**日本シリーズは阪神VSオリックスの関西ダービーになり、やはりオリックスが日本一になっていた。 | |||
===菅野智之(2011)=== | ===菅野智之(2011)=== | ||
※史実では日本ハムの指名を拒否 | |||
;巨人 | ;巨人 | ||
#それでもアンチ巨人からのバッシングは必至だが、史実よりはマシになっていた。 | #それでもアンチ巨人からのバッシングは必至だが、史実よりはマシになっていた。 | ||
617行目: | 809行目: | ||
#*巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。 | #*巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。 | ||
#**CSにおける初戦からの3連敗もなかった。 | #**CSにおける初戦からの3連敗もなかった。 | ||
#**2012年のリーグ優勝、日本一に大きく貢献していた。 | |||
#*となれば、2012年の新人王は野村祐輔ではなく菅野だった。 | #*となれば、2012年の新人王は野村祐輔ではなく菅野だった。 | ||
#日ハムの外れ1位はいったい誰になっていただろうか…。 | #日ハムの外れ1位はいったい誰になっていただろうか…。 | ||
623行目: | 816行目: | ||
#*巨人と競合した横浜に入団していた?<!--その場合2015年の野球賭博には関与しなかったのでは?--> | #*巨人と競合した横浜に入団していた?<!--その場合2015年の野球賭博には関与しなかったのでは?--> | ||
#**DeNAだった場合、2014年オフに自由契約になっていた可能性もある。 | #**DeNAだった場合、2014年オフに自由契約になっていた可能性もある。 | ||
#**笠原将生や福田聡志らともかかわることもないため少なくとも野球賭博に手を出すことはなかったかも? | |||
#**横浜も藤岡貴裕の1位指名に成功した場合ロッテか日ハムが外れ1位で指名した。 | |||
#2012年に大累進を指名することも無く、日本ハムへ入団したと思われる(史実でもトレードで日本ハムへ移籍)。 | #2012年に大累進を指名することも無く、日本ハムへ入団したと思われる(史実でもトレードで日本ハムへ移籍)。 | ||
#翌年、巨人の1位指名は誰になっていただろう? | #翌年、巨人の1位指名は誰になっていただろう? | ||
629行目: | 824行目: | ||
#背番号は最初から「18」を付けていた。 | #背番号は最初から「18」を付けていた。 | ||
#*杉内俊哉は「21」あたりか。 | #*杉内俊哉は「21」あたりか。 | ||
#「清武の乱」は起こらず清武英利氏は球団代表から追い出されてなかったかもしれない。 | |||
===高橋周平(2011)=== | |||
※史実では中日に入団。 | |||
;東京ヤクルト | |||
#村上宗隆は一塁手にコンバートされていた。 | |||
#山田哲人が史実通りブレイクしていた場合二塁手としての出場機会はなかった。 | |||
===藤岡貴裕(2011)=== | ===藤岡貴裕(2011)=== | ||
636行目: | 838行目: | ||
#*少なくてもトレードでたらい回しにされる事は無かったのか? | #*少なくてもトレードでたらい回しにされる事は無かったのか? | ||
#プロ入り後の活躍度合いは微妙だが、少なくともこの年の横浜のドラフトが『嫌がらせドラフト』と呼ばれる事は無かった。 | #プロ入り後の活躍度合いは微妙だが、少なくともこの年の横浜のドラフトが『嫌がらせドラフト』と呼ばれる事は無かった。 | ||
#横浜の2位以下の指名結果が史実通りだった場合、松本竜也は巨人、北方悠誠はソフトバンクがそれぞれ2位で指名したか。 | |||
#ロッテは外れ1位で松本を指名したか中後悠平(史実2位)が繰り上がった。 | |||
===藤浪晋太郎(2012)=== | ===藤浪晋太郎(2012)=== | ||
645行目: | 849行目: | ||
#2013年のヤクルトは最下位を免れていた。 | #2013年のヤクルトは最下位を免れていた。 | ||
#*2015年も日本一になれていた。 | #*2015年も日本一になれていた。 | ||
#史実通りイップスに陥ってしまった場合森岡良介は野次将軍になっていなかったかコーチ職を早々に退いていた。 | |||
#2021年のリーグ優勝・日本一に貢献していた。 | |||
;ロッテ | ;ロッテ | ||
#2013年に楽天を抑えてリーグ優勝あるいはCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。 | #2013年に楽天を抑えてリーグ優勝あるいはCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。 | ||
#*もちろん田中マー君の連勝を止めていた。 | #*もちろん田中マー君の連勝を止めていた。 | ||
#*2014年もまともな成績を残しており、2015年もCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。 | |||
#黒田に怒られたり161球投げさせられることはなかった。 | |||
#*そのため、2022年でも貴重な戦力になっていた。 | |||
#吉井コーチ・監督の指導により才能が開花し佐々木朗希と共に160km/hコンビで売り出していた。 | |||
#*場合によっては史実より早く渡米していた。 | |||
;オリックス | ;オリックス | ||
#史実の阪神と同様、地元の星として歓迎され注目される。 | #史実の阪神と同様、地元の星として歓迎され注目される。 | ||
#2014年にリーグ優勝出来ていて、15年以降もまともな成績を残している。 | #2014年にリーグ優勝出来ていて、15年以降もまともな成績を残している。 | ||
#*2021年に日本一になれていた。 | |||
#**2022年の日本一を置き土産に、吉田正尚と共に史実通りメジャー移籍。 | |||
#2016年のドラフトで史実通り澤田圭佑が指名されていた場合、大阪桐蔭同級生コンビで売り出していた。 | |||
#山岡泰輔と山本由伸のブレイクが遅れていた。 | |||
;阪神のその後 | ;阪神のその後 | ||
660行目: | 875行目: | ||
#和田豊が当たりくじを引けなかった分手のひら返しもないので、2012年のチームの不振を引きずるファンが現実より多かった。 | #和田豊が当たりくじを引けなかった分手のひら返しもないので、2012年のチームの不振を引きずるファンが現実より多かった。 | ||
#西岡との大阪桐蔭OBコンビもなかった。 | #西岡との大阪桐蔭OBコンビもなかった。 | ||
#金本監督による「161球事件」は起こらず、母校である大阪桐蔭と阪神の関係が悪化することはなかった。 | |||
===石川歩(2013)=== | ===石川歩(2013)=== | ||
669行目: | 885行目: | ||
#「セ・リーグには行きたくなかった」と入団後のインタビューで語っているので入団拒否した可能性も(本人は子供の頃から大の中日ファン)。 | #「セ・リーグには行きたくなかった」と入団後のインタビューで語っているので入団拒否した可能性も(本人は子供の頃から大の中日ファン)。 | ||
#*その場合、翌年のドラフトで中日が単独1位指名。 | #*その場合、翌年のドラフトで中日が単独1位指名。 | ||
#*そうなった場合、この年に巨人から支配下指名された選手は2021年3月の田口麗斗トレード移籍を以て全滅していた。 | |||
===大瀬良大地(2013)=== | |||
※史実では広島東洋に入団 | |||
;東京ヤクルト | |||
#入団4年目の2017年をもって戦力外通告を受け、退団を余儀なくされていた。 | |||
#史実通りの活躍だったら2018年のヤクルトは優勝していた。 | |||
#被本塁打が相当なものになっていたかも。 | |||
#広島は2016年~2018年の3連覇を達成出来なかったかも。 | |||
;阪神 | |||
#岩貞祐太は日本ハムに入団していた。 | |||
#背番号は史実で岩貞が付けていた「17」だった。 | |||
#*そして史実の岩貞同様、のちに「14」に変更した。 | |||
#ドラフト同期の梅野隆太郎と同じ生年月日であることが話題を呼んだ。 | |||
#2014、15年の阪神は優勝出来ていた。 | |||
===松井裕樹(2013)=== | ===松井裕樹(2013)=== | ||
676行目: | 908行目: | ||
#当時は金城龍彦が所属していた為、入団当初の背番号は「1」ではない。 | #当時は金城龍彦が所属していた為、入団当初の背番号は「1」ではない。 | ||
#*史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。 | #*史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。 | ||
#**そうなった場合、桑原将志と楠本泰史は史実と違う背番号を付けていた。 | |||
#史実通り抑えとして定着した場合、山﨑康晃は新人王を獲れなかったかも。 | #史実通り抑えとして定着した場合、山﨑康晃は新人王を獲れなかったかも。 | ||
#*そうなった上で翌年有原航平の1位指名に成功し、2015・2016両年の指名結果も史実通りだった場合2016~2017年に掛けて連覇も有り得た。 | |||
#石橋杏奈との交際→結婚は史実通り? | #石橋杏奈との交際→結婚は史実通り? | ||
#史実の外れ1位だった柿田裕太は阪神か日ハムへ。 | #史実の外れ1位だった柿田裕太は阪神か日ハムへ。 | ||
#楽天の外れ1位指名で岩貞祐太を指名した可能性も。 | #楽天の外れ1位指名で岩貞祐太を指名した可能性も。 | ||
#2017年のドラフト会議の指名結果が史実通りだった場合、楠本泰史(小中学校の同級生でベイスターズジュニアとシニアで共にプレー)とプロでもチームメイトに。 | |||
#*同じくチームメイトだった甲斐綾乃が球団職員になった際3人の対談動画が球団公式youtubeチャンネルに投稿されていた。 | |||
===有原航平(2014)=== | |||
※史実では日本ハムに入団。 | |||
;DeNA | |||
#山﨑康晃は阪神に入団した。 | |||
#*翌年以降抑えの固定に苦しみ2010年代後半のチーム成績は史実の様な好成績にならなかった可能性も。 | |||
#**三嶋一輝の抑え起用が史実より早く見られたかも。 | |||
#史実通り1年目から活躍した場合2015年のリーグ優勝は微妙なまでもAクラスは有り得た。 | |||
#*この為、中畑政権は史実より1~2年長かったかも。 | |||
#2019年はDeNAがリーグ優勝し、それを置き土産に史実より1年早くメジャーに挑戦していた。 | |||
;広島 | |||
#地元出身選手の1位指名に大フィーバー。 | |||
#2015年にセ・リーグの新人特別賞を受賞できていた。 | |||
#野間峻祥は中日に指名されていたかも。 | |||
#*この場合、友永翔太か井領雅貴は指名されなかった可能性がある。 | |||
#2016~2018のリーグ3連覇には当然貢献していた。 | |||
#2019年の広島はAクラス入り出来ていたかも。 | |||
;阪神 | |||
#山﨑康晃はDeNAが外れ1位で単独指名。 | |||
#西勇輝は阪神に移籍しなかったかも。 | |||
#2019年の阪神は史実と異なる形でAクラス入り出来ていた。 | |||
===山﨑康晃(2014)=== | ===山﨑康晃(2014)=== | ||
690行目: | 949行目: | ||
#そもそも最初からリリーバー起用を行っていたか疑問。 | #そもそも最初からリリーバー起用を行っていたか疑問。 | ||
#*「先発ローテの一角を任される康晃」も多分にあったかもしれない。 | #*「先発ローテの一角を任される康晃」も多分にあったかもしれない。 | ||
#DeNAの外れ外れ1位は石田健大(史実2位)が繰り上がっていたか逆に横山雄哉を指名していた。 | |||
===高山俊(2015)=== | ===高山俊(2015)=== | ||
695行目: | 955行目: | ||
;ヤクルト | ;ヤクルト | ||
#オリックスから坂口智隆を獲得することはなかった。 | #オリックスから坂口智隆を獲得することはなかった。 | ||
#*史実とは逆に阪神が坂口を獲得していたかも。 | |||
#**レフト福留、センター坂口、ライト糸井のベテラン外野陣が形成されていた。 | |||
#***近本光司の入団後はセンターのレギュラーを譲り、原口文仁と共に左右の代打の神様として阪神を支えていた。 | |||
#****ダブルグッチと呼ばれていた。 | |||
#河載勲は契約されていなかった。 | #河載勲は契約されていなかった。 | ||
#*背番号は「00」を背負っていた。 | #*背番号は「00」を背負っていた。 | ||
708行目: | 972行目: | ||
#*「超変革」の目玉選手が1人減っていた。 | #*「超変革」の目玉選手が1人減っていた。 | ||
#*阪神とヤクルトの順位が逆になった可能性がある。 | #*阪神とヤクルトの順位が逆になった可能性がある。 | ||
#阪神の現状を見ていると意外と史実よりも活躍したかも。 | |||
#*2021年のリーグ優勝→日本一にも貢献していた可能性もある。 | |||
#**2022年のリーグ優勝も。 | |||
#*ヤクルトが同じ外野手のドミンゴ・サンタナを獲得することはなかった。 | |||
===柳裕也(2016)=== | ===柳裕也(2016)=== | ||
715行目: | 983行目: | ||
#*但し、2位以下でも濱口遥大の指名に成功していたら別。 | #*但し、2位以下でも濱口遥大の指名に成功していたら別。 | ||
#球団通算4000勝になった際の勝利投手になっていた。 | #球団通算4000勝になった際の勝利投手になっていた。 | ||
#入団3年目の2019年に最優秀防御率を獲得した。 | #入団3年目の2019年に最優秀防御率を獲得した。 | ||
#中日は次の指名でやはり他球団と同じく佐々木千隼だっただろうか。 | #中日は次の指名でやはり他球団と同じく佐々木千隼だっただろうか。 | ||
#*そちらも外した場合、京田陽太が1位指名されて以下の順位が繰り上がっていたか吉川尚輝(史実の巨人1位)を指名して競合していた? | #*そちらも外した場合、京田陽太が1位指名されて以下の順位が繰り上がっていたか吉川尚輝(史実の巨人1位)を指名して競合していた? | ||
#2位以降のドラフトが史実通りであれば佐野恵太との同級生コンビ、或いは後年入団した伊勢大夢、入江大生と共に「明大カルテット」で売り出していた。 | |||
#2021年度オールスターゲーム出場できないどころか、森下暢仁(広島東洋)との明大リレーすらなかった。 | |||
#2021年、実働5年で戦力外通告を受けられて退団になってしまった。 | |||
#史実通りの成績を残せた場合2021年はAクラスこそ厳しいものの最下位は無かったかも。 | |||
#2019年、2022年はDeNAがリーグ優勝できたかも。 | |||
#2022年、2023年は2桁勝利できた。 | |||
===清宮幸太郎(2017)=== | ===清宮幸太郎(2017)=== | ||
728行目: | 1,001行目: | ||
#高校時代より通い慣れた神宮球場でホームランを量産していただろう。 | #高校時代より通い慣れた神宮球場でホームランを量産していただろう。 | ||
#村上に代わって史実より多少は活躍出来ていたかもしれない。 | #村上に代わって史実より多少は活躍出来ていたかもしれない。 | ||
#ヤクルトの優勝はなかった。 | |||
;巨人 | ;巨人 | ||
733行目: | 1,007行目: | ||
#岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。 | #岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。 | ||
#*岡本は三塁かレフトを守っていた。 | #*岡本は三塁かレフトを守っていた。 | ||
#**史実で三塁のレギュラーに定着。 | |||
#オリックスから中島宏之を獲得することはなかった。 | #オリックスから中島宏之を獲得することはなかった。 | ||
#阿部慎之助は400本塁打を打てずに引退していた。 | #阿部慎之助は400本塁打を打てずに引退していた。 | ||
#巨人の90代4番打者になっていた。 | |||
#無理して起用した場合、巨人は史上初の3年連続Bクラスを達成していた。 | |||
#*4番に起用してそうなっていた場合、4番打者の代数をカウントするアナクロな思考も批判されていた。 | |||
;阪神 | ;阪神 | ||
742行目: | 1,020行目: | ||
#背番号は「31」を背負っていた。 | #背番号は「31」を背負っていた。 | ||
#*著書でこれを提唱していた遠藤章造が喜ぶ。 | #*著書でこれを提唱していた遠藤章造が喜ぶ。 | ||
#むしろ無理して起用した場合、指標から考えて史実よりも成績が悪くなっていた。 | |||
#*矢野政権は連続Bクラスに沈み、予祝などのオカルトが史実以上に問題視されていた。 | |||
;ソフトバンク | ;ソフトバンク | ||
749行目: | 1,029行目: | ||
#2018年のレギュラーシーズンはリーグ優勝できていた。 | #2018年のレギュラーシーズンはリーグ優勝できていた。 | ||
#*このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。 | #*このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。 | ||
#**そうしていれば育成成功していただろう。 | |||
#***逆に実力がつく前に一軍で無理して出場させていれば、ホークスの連続日本一はなかったかもしれない。 | |||
===村上宗隆(2017)=== | ===村上宗隆(2017)=== | ||
※史実ではヤクルトに入団 | ※史実ではヤクルトに入団 | ||
;共通する事 | |||
#50本塁打になっていた。 | |||
#ヤクルトが日本一どころか2連覇も果たせなかった。 | |||
;楽天 | ;楽天 | ||
#球団初の開幕6連勝で波に乗り、令和になって初のパ・リーグ優勝した後、その年の日本シリーズで4タテ(史実ではソフトバンク)による日本一になった。 | #球団初の開幕6連勝で波に乗り、令和になって初のパ・リーグ優勝した後、その年の日本シリーズで4タテ(史実ではソフトバンク)による日本一になった。 | ||
757行目: | 1,043行目: | ||
#千葉ロッテから鈴木大地をFA獲得する事は無かったかも。 | #千葉ロッテから鈴木大地をFA獲得する事は無かったかも。 | ||
#2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。 | #2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。 | ||
#楽天の主砲となり、現在に至る。 | |||
#2022年は楽天が優勝できていたかも(史実では貯金18まで増やしたものの、最終的には負け越しでBクラスとなった)。 | |||
#*その場合、夏の高校野球とプロ野球の双方で宮城県勢が優勝したことになり、地元は大盛り上がりしていた。 | |||
;巨人 | |||
#捕手として育てていたので、数年は二軍暮らしだった。 | |||
#*2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。 | |||
#*日本代表に選ばれるのは早くて2020年代中旬以降。 | |||
#岸田、大城のうち、どっちかは指名しなかった。 | |||
#*巨人は、二位で亜細亜大学の高橋(史実の阪神二位)を指名していた。 | |||
#仮に内野手として育てる過程の場合、ファーストに定着した。 | |||
#*逆に中田翔は獲得せず、日ハムに残ったままだった。 | |||
#史実通り活躍していた場合、2021年は巨人がリーグ優勝していた。 | |||
#*優勝していなくてもシーズン勝ち越しで終えていた。 | |||
#**岡本などとともに強力クリーンアップを形成していた。 | |||
#*日本一にもなっていただろう。 | |||
#*阪神は2021年も巨人に負け越し、2012年から10年連続の負け越しとなっていた。 | |||
#**2023年のアレもなかったかもしれない | |||
#*2022年もAクラスに食い込んでいただろう。 | |||
#史実通り55本以上の本塁打を打っていたら、低迷していた巨人人気が復活していただろう。 | |||
#*観客動員も阪神を上回っていた。 | |||
#*その一方で[[アンチ巨人]]の恨み節も相当あった。 | |||
===馬場皐輔(2017)=== | ===馬場皐輔(2017)=== | ||
762行目: | 1,070行目: | ||
;ソフトバンク | ;ソフトバンク | ||
#飯田優也(ソフトバンク)・松田遼馬(阪神)によるトレードは破談していた。 | #飯田優也(ソフトバンク)・松田遼馬(阪神)によるトレードは破談していた。 | ||
===田嶋大樹(2017)=== | |||
※史実ではオリックスに入団 | |||
;埼玉西武 | |||
#2023年、実働6年で戦力外通告を受けられて退団になってしまった。 | |||
===根尾昂(2018)=== | ===根尾昂(2018)=== | ||
※史実では中日に入団 | ※史実では中日に入団 | ||
;共通する事 | |||
#投手転向はなかったか? | |||
;日本ハム | ;日本ハム | ||
#「大谷2号」として、注目されていた。 | #「大谷2号」として、注目されていた。 | ||
#先輩の中田翔氏から可愛がられていた。 | #先輩の中田翔氏から可愛がられていた。 | ||
#*2021年に同僚選手に対する暴行事件を起こして巨人へトレードされることもなかったかもしれない。 | |||
#吉田輝星氏は指名されることはなかったかもしれない。 | #吉田輝星氏は指名されることはなかったかもしれない。 | ||
#実力がつく前に無理に出場させて、日ハムの暗黒時代は悪化していた。 | |||
;巨人 | |||
#「守備で内野には使えない」と判断され、一年目から外野にコンバートされた。 | |||
#高橋優貴が獲得出来なかったため、2021年は苦戦していたかも。 | |||
#*高橋は根尾を外した中日が指名していた。 | |||
#**その場合、スコアボードなどの表記では「高橋優」になっていた。 | |||
#2020年の増田大輝で前例があるだけに野手登録のまま一軍での登板機会はあった。 | |||
;ヤクルト | |||
#史実より早い段階から一軍でも遊撃での出場機会が得られた。 | |||
#上茶谷大河は小園海斗を外したDeNAが一本釣りか。 | |||
#2位以降でも清水昇を指名出来なかった場合2021年に日本一どころかリーグ優勝すら達成できていたか危うい。 | |||
#翌年のドラフトで長岡秀樹か武岡龍世のどちらかはヤクルトに指名されなかったかも。 | |||
;中日のその後 | |||
#外れ1位は甲斐野央(ソフトバンクの外れ外れ1位)か2位の梅津晃大が繰り上がっていた。 | |||
#*1位甲斐野2位梅津で両獲りした可能性も。 | |||
#ドラフト戦略が見直され翌年以降立て続けに地元出身高卒選手(2019年石川昂弥、2020年高橋宏斗)を1位指名しなかった可能性も。 | |||
#長い目で見るとこの方がよかったかもしれない。 | |||
===藤原恭大(2018)=== | ===藤原恭大(2018)=== | ||
※史実ではロッテに入団 | ※史実ではロッテに入団 | ||
;共通する事 | |||
#ロッテの背番号1は空き番になったまま。 | |||
;楽天 | ;楽天 | ||
#浅村栄斗氏が移籍することはなかったかもしれない。 | #浅村栄斗氏が移籍することはなかったかもしれない。 | ||
#辰巳涼介は他球団に指名されていた。 | |||
;阪神 | ;阪神 | ||
790行目: | 1,132行目: | ||
#*多分、白崎浩之のトレード移籍で空き番号となっていた「6」を付けていた。 | #*多分、白崎浩之のトレード移籍で空き番号となっていた「6」を付けていた。 | ||
#翌年のドラフトで森敬斗がDeNAに1位指名されることは無かったかも。 | #翌年のドラフトで森敬斗がDeNAに1位指名されることは無かったかも。 | ||
#*森下暢仁を指名して2年連続で広島と競合していたか、逆に広島が森を単独指名した。 | |||
#上茶谷大河は根尾昂を外したヤクルトが一本釣りか。 | #上茶谷大河は根尾昂を外したヤクルトが一本釣りか。 | ||
#2021年のドラフト指名結果が史実通りだった場合1位指名の小園健太とユニフォームの背ネームがややこしい事に(どちらも「K.KOZONO」なので)。 | |||
;オリックス | |||
#史実通り試合に出ていた場合安達了一は史実より早く二塁にコンバートされていた。 | |||
#2021年のリーグ優勝には間違いなく貢献していた。 | |||
#太田椋(史実1位)か紅林弘太郎(2019年2位)のどちらかはオリックスに指名されなかった。 | |||
#*太田は広島の外れ1位か、阪神が2位で指名した。 | |||
===佐々木朗希(2019)=== | ===佐々木朗希(2019)=== | ||
797行目: | 1,147行目: | ||
#千葉ロッテから涌井秀章氏が金銭トレードで獲得することはなかった。 | #千葉ロッテから涌井秀章氏が金銭トレードで獲得することはなかった。 | ||
#背番号は「18」を背負っていた。 | #背番号は「18」を背負っていた。 | ||
#完全試合達成にはならなかった。 | |||
;日本ハム | ;日本ハム | ||
803行目: | 1,154行目: | ||
#監督の栗山英樹氏から可愛がられていた。 | #監督の栗山英樹氏から可愛がられていた。 | ||
#*「朗希」と下の名前で呼ばれるのは確実だろうな。 | #*「朗希」と下の名前で呼ばれるのは確実だろうな。 | ||
===石川昂弥(2019)=== | |||
※史実では中日に入団 | |||
;ソフトバンク | |||
#1年目から一軍で試合に出る事は恐らく無い。 | |||
#王会長や小久保二軍監督から英才教育を受けていた。 | |||
#砂川リチャードは支配下登録されなかったかも。 | |||
;オリックス | |||
#2021年の優勝に貢献できたかは微妙。 | |||
#*同年の骨折による離脱が無かった場合宗佑磨の出場機会は史実より減っていた。 | |||
#**この為、同年のパのゴールデングラブ賞三塁手部門は茂木栄五郎が受賞した。 | |||
#吉田正尚、杉本裕太郎と強力クリンナップを形成した。 | |||
#翌年のドラフトで佐藤輝明を1巡目指名していない。 | |||
;中日のその後 | |||
#ドラフト戦略が見直され翌年のドラフトで高橋宏斗は中日に1位指名されなかったかも。 | |||
#2022年シーズンの高橋周平は三塁、阿部寿樹は二塁でそれぞれ固定起用された。 | |||
==2020年代== | ==2020年代== | ||
===佐藤輝明(2020)=== | ===佐藤輝明(2020)=== | ||
※史実では阪神に入団 | ※史実では阪神に入団 | ||
;共通 | |||
#2021年の阪神はBクラスに低迷していた。 | |||
#*代わりに広島がCS出場を果たしていた。 | |||
#*巨人には15年連続の負け越しとなっていた。 | |||
#*Aクラス入りできていても、前半戦で「あかん優勝してまう」と快進撃で盛り上がらなかった。 | |||
#*2023年にアレを出来ていたか怪しい。 | |||
;ソフトバンク | ;ソフトバンク | ||
#2021年4月9日対東北楽天戦=楽天生命パーク宮城で場外ホームランを放った。 | |||
#ソフトバンクは2021年のCS出場を果たせていた。 | |||
#ルーキーながらベストナインに選出した。 | |||
#同じくモノノフである石川柊太と意気投合していた。 | |||
#2022年はぶっちぎりで優勝できていた。少なくともリーグ最終日のシーズン最終戦で順位が入れ替わってV逸という事はなかった。 | |||
;巨人 | |||
#坂本勇人、岡本和真、丸佳浩、梶谷隆幸、ゼラス・ウィーラーらと超重量打線が誕生していた。 | |||
#*巨人の打撃成績はさらにえげつないものになっていた | |||
#*2021年のセ・リーグは巨人がぶっちぎり優勝していた。もちろん終盤の10連敗もない。 | |||
#**仮に優勝を逃していても僅差の2位で終わり、阪神と立場が逆になっていた。 | |||
#*特に阪神ファンから目の敵にされていた。 | |||
#*恐らく2021年の新人王を獲得していた。 | |||
#田口麗斗と廣岡大志のトレードは行われてなかった可能性が高い | |||
#*坂本の後継問題は佐藤輝明とは関係ないので現実でも行われた。 | |||
#助っ人外国人も取ってなかったか、スモークとテームズのどちらか一人のみになってた可能性もある | |||
#平内龍太は阪神が外れ1位で一本釣りか | |||
#背番号は恐らく、自身が抜く前に関西学生野球リーグ通算本塁打記録を保持していた二岡智宏にちなんだ「7」。 | |||
#*近畿大学の先輩でもあるから、本人の励みになったこと請け合い。 | |||
;オリックス | |||
#2021年の日本シリーズはオリックスが日本一になっていた。 | |||
#*翌年の日本一にも貢献していた。 | |||
#関西球団なので、「地元の星だ」と喜ばれていた。 | |||
#杉本裕太郎が遅咲きでブレイクしなかったかも。 | |||
#*三塁手としての起用もありうるので宗佑磨のブレイクにも影響が出ていた。 | |||
#背番号は近畿大学の先輩でもある糸井嘉男から「7」を受け継いでいる。 | |||
#*吉田正尚は渡米するまで背番号34のままだった。 | |||
#新人王をチームメイトの宮城大弥と争っていた。 | |||
#史実で外れ1位だった山下舜平大は入団しなかった。 | |||
===早川隆久(2020)=== | ===早川隆久(2020)=== | ||
※史実では楽天に入団 | ※史実では楽天に入団 | ||
;ロッテ | ;ロッテ | ||
# 同郷・球団の先輩で、かつ早稲田大学での恩師でもある小宮山悟監督から、喜んで送り出された。 | |||
#*背番号も小宮山が背負ってた「14」になった。 | |||
# 優勝出来ていた可能性もある。 | |||
;ヤクルト | |||
#奥川恭伸らと強力な先発ローテーションを形成し2021年の日本一に貢献していた。 | |||
#*彼の受賞によりこの年のセ・リーグ新人特別賞での表彰選手がもう1人増えていた。 | |||
===小園健太(2021)=== | |||
※史実では横浜DeNAに入団 | |||
;阪神 | |||
#森木大智が高校生ドラフトで2位に指名していた。 | |||
#*DeNAが外れ1位で指名した可能性も。 | |||
===渡会隆輝(2023)=== | |||
※史実では横浜DeNAに入団 | |||
;ロッテ | |||
#背番号は「0」を背負っていた。 | |||
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2024年4月16日 (火) 10:02時点における最新版
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- 史実で指名していない球団が指名していた場合はもしあのプロ野球選手があの球団にドラフト指名されていたらへお願いします。
- ドラフト以外で入団した選手はもしあのプロ野球選手があの球団に入団していたらへお願いします。
- 史実でプロ入りしていない選手はもしあの選手が日本プロ野球入りしていたらへお願いします。
- 抽選の結果、指名を拒否した選手が指名球団に素直に入団していた場合はもしあの選手がドラフト指名を拒否しなかったらへお願いします。
1980年代以前[編集 | ソースを編集]
江夏豊(1966)[編集 | ソースを編集]
※史実では阪神に入団
- 巨人
- 1968年の奪三振がさらに増えていた。
- 高橋一三とともに左腕の二枚看板を形成する。
- 南海か日本ハムへトレードされた可能性もある。
- 現実と真逆に阪神の打者(特に田淵幸一あたり)との因縁の対決が話題になる。
- 引退後にクスリに手を出さなかった可能性がある。
- 東映
- 尾崎行雄に代わる先発のエースとして定着。
- 日本ハムへの売却時に放出されたかも。
- 高橋直樹はトレードされず、引退まで日本ハムに所属していた。
- 阪急
- 2年後入団した福本と共に「W豊」と呼ばれる。
- 黄金時代がもう少し長く続いていた。
- 山口高志はずっと先発主体だった。
- トレードで広島か中日に移籍していたかもしれない。
江川卓(1978)[編集 | ソースを編集]
木田勇(1978)[編集 | ソースを編集]
※史実では広島の指名を拒否→翌年日本ハムに入団
- 大洋
- 在京(というか地元)球団なので当然入団していた。
- 広島の指名を拒否したのは両親の病気が理由だったため。
- 1979年の大洋は優勝できていたかもしれない。
- そうなれば「江夏の21球」も存在しなかった。
岡田彰布(1979)[編集 | ソースを編集]
※史実では阪神に入団
- 1985年に優勝できていなかった可能性が高い。
- 某CMからどんでんと言われることも、阪神の監督にもなっていない。
- となると2005年と23年の阪神のアレはなかったかも。
- 阪急
- 当時の打線に更に磨きがかかっていた。
- 三塁ではなく、外野に転向していたか?
- 松永の代わりに阪神へトレードされた。
- 岡田自身が阪神ファンだったため松永のように1年でFA宣言して移籍なんてことはせず、史実とは逆に阪神で現役を終えていた。
- 仰木監督退任後、石毛ではなく岡田がブルーウェーブの監督を務めた。
- 「29-1」が「33-4」になっていたかも。
- 1985年以降も何度か優勝出来ていたかも。
- 1984年の日本シリーズは逆に阪急が日本一になっていたかも。
- 西武
- 石毛の三塁転向は遅れていた。
- 1985年も日本一になれた。
- 南海
- 大阪出身ということで歓迎される。
- 王監督の後任になっていた可能性が高い。
- 藤原満の引退後三塁に再転向した。
- 連続Bクラスがダイエーに代わるまで続いていなかったかも。
- 近鉄
- 1980年は日本一になり前年の雪辱を果たす。
- 大石より先にバファローズの監督に就任した。
- 梨田昌孝の後任になっていたかも。
- 大阪ドーム移転後に打撃コーチに就任し「いてまえ打線」をもっと強力なものにしていた。
原辰徳(1980)[編集 | ソースを編集]
※史実では巨人に入団
- 80年代の巨人は暗黒時代になっていた可能性が高い。長嶋解任・青田問題・江川事件の暗い影を史実より長く引きずっていただろう。
- 日本ハムがクジを引いていたら入団拒否→江川事件の再来となっていたかも。
- 入団したなら、2011年に菅野智之を引いても拒否されない。
- 巨人以外は全て入団拒否だったのでは…?
- 大洋は入団容認していたはず。もし大洋なら遠藤との東海大コンビで騒がれただろう。
- 無論巨人の監督にも就任せず、2000年代後半以降の優勝回数が減っていた。
- 入団拒否→浪人だった場合、翌年槙原寛己は巨人に指名されなかった。
- 広島
- 川口和久は他球団に指名されていた。
- 巨人だったら引退まで巨人に居れたかも?
- 史実の三塁手ではなく、二塁手になっていた。
- 当然あの手首負傷はない(津田恒実とチームメイトになるので)
- 2000本安打も達成していたはず。
- 80年代〜90年代前半にもう1、2回優勝出来ていたかも。
- 三村敏之か達川光男の後任として広島の監督に就任し、山本浩二の2度目の監督はなかった可能性も。
- 大洋
- 1~4位まで全員当たりという大成功ドラフトになっていた。(2位の堀井は指導者として成功)
- FAで駒田を取りに行っていなかった。
- 屋鋪・高木豊も横浜で引退していた。
- 2000年代中盤に監督就任、よって大矢明彦の再任はなかった。
- もしくは権藤博の後任あたりで就任し森祇晶が横浜の監督になることもなかったかも。
- 背番号は巨人に移籍した松原誠の後を受けて25が有力か?
- 応援歌に「エイトマン」の替え歌が使われることはなく、「ニコニコ笑顔」というフレーズが入っていた。
- 80年代~90年代半ばの大洋(横浜)は優勝までとは行かなくとも史実より成績も良くAクラスに入った回数も増えていたはず。
- 史実で3位になった1983年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
- 田代富雄は史実より早く一塁手にコンバートされていた。
- 近藤貞雄は山下大輔と高木豊の守備位置を入れ替えるだけでよかった。
- ロッテからレオン・リーをトレードで獲得することはなかった。
石毛宏典(1980)[編集 | ソースを編集]
※史実では西武に入団
- 阪急
- バンプ・ウィルスの加入はなかった。
- 1984年の日本シリーズでは、日本一になっていた。
- オリックスの監督就任の際に問題になることはなかった。
- オリックスの監督としても活躍出来ていたかも。
金村義明(1981)[編集 | ソースを編集]
※史実では近鉄に入団
- 阪急
- 地元に加えて本人も意中の球団、ということで歓迎されていたのは間違えない。
- 打者転向は史実通りだが、三塁には松永浩美がいたので外野手になっていた?
西村徳文(1981)[編集 | ソースを編集]
※史実ではロッテに入団
- 外野手やスイッチヒッターに転向していたかどうか?
- ロッテのコーチや監督には就任しなかった。
- ネット上で「西なんとか監督」と呼ばれることもない。
- 2019年にオリックスの監督に就任することもなかった。
- 監督によっては、2019年、2020年の2年連続最下位を免れていた。
- 南海
- 内野の要として守備を安定させる。
- ダイエー買収・福岡移転後、九州出身ということで人気が上昇する。
- 引退後はホークスの指導者になっていた。
- 2005年・2010年のソフトバンクがロッテに日本シリーズ進出を阻まれることはなかった。
- 2005年はボビー・バレンタインがロッテの監督だったので、どっちみちそこは史実通りだろう。
- 秋山幸二の後任で監督に就任していた。
- 工藤公康の監督就任は遅れていた。
- あるいは工藤公康はソフトバンクの監督にはならなかった。
- 工藤公康の監督就任は遅れていた。
- 工藤公康は伊原春樹の後任として2015年に古巣西武の監督に就任し、黄金時代を築いていたかも。
- 2005年・2010年のソフトバンクがロッテに日本シリーズ進出を阻まれることはなかった。
- ヤクルト
- 入団後数年間の選手層を考えるとレギュラー定着は80年代後半になっていた。
- マルカーノ退団後に二塁手の定位置を確保する。
- もしくは早い段階で外野手に転向した。
- ヤクルトで指導歴を重ねた場合、若松勉の後任で監督に就任したかも。
- 古田敦也が選手兼任監督を務めることはなかった。
荒木大輔(1982)[編集 | ソースを編集]
※史実ではヤクルトに入団
- 巨人
- 史実より引退が早くなっていた。
- 巨人に斎藤雅樹が入団しないため、巨人の90年代の優勝回数が減っていた。
- 王監督就任時に野手への転向を打診される。
野口裕美(1982)[編集 | ソースを編集]
※史実では西武に入団
- 中日
- 1年後輩の山本昌さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
- 東京六大学の投手の先輩である星野仙一監督(明治大学出身)からは、かわいがられたかもしれない。
- 阪急
- 1年後輩の星野伸之さんとともに若手サウスポーコンビとして売り出されていた。
- 立教大学を一般入試で現役合格したインテリで、理論派で読書家の上田利治監督から一目おかれた。
- 仮に、野球で大成できなくても、慶應義塾大学野球部出身で当時ブレーブス広報を務めていた小川友次さんが宝塚歌劇団理事長を歴任したように、阪急阪神グループの関連企業・組織の経営に携わっていた可能性あり(史実では西武退団後、大日本スクリーン製造-いまのSCREENホールディングス-に入社し、系列企業の執行役員も務めた)。また、東京六大学の先輩の小川さんが、よき相談相手になっていたかも?
高野光(1983)[編集 | ソースを編集]
※史実ではヤクルトに入団
- いずれにせよ新人開幕投手は務めていなかった。
- 西武
- 渡辺久信が入団せず、西武の優勝回数が減っていた。
- 渡辺←→高野のトレードがあったかも。
- 渡辺が西武監督に就任することはなかった。
- 大洋
- 銚子利夫は他球団に指名されていた。
- 長内孝は広島で現役を全うした。
- 阪急(オリックス)
- 投手層の薄い阪急で史実より活躍していた。
- 1984年の日本シリーズでは、日本一になっていたかもしれない。
- 阪急電鉄の広告やCMに出演していたかも。
- 引退後、オリックスでコーチを務めていていたのは史実通り。
広沢克己(1984)[編集 | ソースを編集]
※史実ではヤクルトに入団
- 西武
- 大久保・清原をドラフト指名することはなかった。
- 広沢が指名されても清原指名は史実通りだろう。当初構想にあった清原のサードコンバートが実現していた。
- 巨人に移籍していなかったかもしれない。
- 1989年のシーズン途中でデストラーデを獲得することはなかった。
- デストラーデは阪神に入団していた。その場合暗黒時代が軽減されていた。
- 日本ハム
- 大島康徳をトレードで獲得せず、大島の監督就任もなかった。
- 山本正之は「熱血ファイターズの歌」を制作しなかった(他の中日出身者が日本ハムの監督に就任していれば別の話だが)。
清原和博(1985)[編集 | ソースを編集]
阿波野秀幸(1986)[編集 | ソースを編集]
※史実では近鉄に入団
- 1987年パリーグ新人王は西崎幸広が獲得。
- 10.19決戦と1989年の近鉄優勝はなかった。
- 指名された複数球団全てで出場した唯一の選手にはならなかった。
- 大洋
- 史実通り1年目から活躍しセリーグ新人王を獲得。
- 長年左のエースとして君臨し、史実通り1998年の横浜優勝にも貢献、引退まで大洋・横浜一筋で通した。
- 野村弘樹のブレイクが遅れる。
- 巨人のコーチには就任しなかった。
- 巨人
- やはり先発の一角として活躍するが、長嶋監督時に構想から外れ横浜にトレード、その後は史実通り。
- 西武との日本シリーズで伊原春樹から執拗に抗議されボークを連発してしまう。
立浪和義(1987)[編集 | ソースを編集]
※史実では中日に入団
- 南海
- 中日入団の場合と同様1年目からレギュラーを獲得し新人王に。
- 翌年ダイエーが元木大介をハズレ1位で指名→入団拒否はなかった。
- おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
- 史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。
- 鳥越が浜名ギャルに「浜名出せ」といわれてしまうこともなかった。
- 史実よりも中日での出場機会が増える李鍾範や久慈、神野のパフォーマンスが悪ければ、鳥越はトレードされていない。
- 鳥越が浜名ギャルに「浜名出せ」といわれてしまうこともなかった。
- 史実でも浜名は中日とダイエーで競合しているが。
- おそらく浜名千広、もしかしたらポジション的に考えると小久保や井口も他球団へ、となっていたかも知れない。
- ダイエーの初優勝ももう少し早まっていた?
- 本人の残した数字自体は史実とあまり変わらず2000本安打と二塁打の日本記録も達成していた。
- 1987年の南海のドラフトがドラフト史上最大級の大当たりと言われる。(もっとも、立浪の外れで獲得したのが吉田豊彦で、それ以降も若井基安、柳田聖人、大道典嘉、吉永幸一郎、村田勝喜とそうそうたるメンバー。)
- 杉浦監督が構想していた湯上谷と立浪の二遊間が実現していた。
- 当然、中日の監督に就任することはなく、2022年から工藤公康の後任でソフトバンクの監督に就任していた。
- ホークスは3年連続Bクラスに沈んでしまっていた。
- 23年オフの戒めFA騒動と人的補償拒否騒動では、史実以上にイメージが悪化していた。
- ホークスは3年連続Bクラスに沈んでしまっていた。
- 大阪府民でPL学園高出身ということで「地元の星や」と歓迎されていた。
- 中日のその後
- 種田仁はトレードに出されず中日で現役生活を全うしていた。
- 種田は中日のコーチになっていた。
- いまでもがに股打法が親しまれていた。
- 種田は中日のコーチになっていた。
- 小学生の時キャンプで立浪にバットを貰ってファンに→立浪に憧れてPLに進学した、というエピソードのある福留孝介は中日に入団しなかった(おそらく巨人入り?)
- どっちにしても近鉄は蹴っていた。
- 福留孝介もダイエーに入団し、福留・松中・城島の最強クリーンアップを形成し、2003年のダイハード打線が史実以上に強力なものになっていた。
- 森野将彦や荒木雅博はレギュラー獲得が早まっていたかも。
- 森野将彦は球界を代表するスラッガーの1人に成長していた。
- 森岡良介は1軍ベンチで内野のバックアップになっていったので、2軍でパワハラ騒動が起きることもなかった。
- アライバコンビに加えモリモリコンビも注目されていた。
- ショーゴーが失敗したとしても、中日で森という文字がついた名字は大成しないといわれてしまうこともなかった。
- むしろ史実より早くアライバコンビは解体されており、井端より荒木が上とされていた。
- アライバコンビに加えモリモリコンビも注目されていた。
- 森岡良介は1軍ベンチで内野のバックアップになっていったので、2軍でパワハラ騒動が起きることもなかった。
- 森野将彦は球界を代表するスラッガーの1人に成長していた。
- 中日は連続最下位になることはなかった。
- 立浪政権でのさまざまな迷走もなかった。
- 落合が立浪の特別扱いを解除し、立浪を干すことでタニマチやフロントに目をつけられることもなかった。
- 落合監督が星野政権時代の体罰肯定的な、立浪のPL的な気質を解体するのに5年かかることもなかった。1年で積弊生産し、むしろタニマチやフロントも解体し、もっとまともな親会社に身売りさせることに成功していた。
- 落合監督は退任させられることもなく、まだ監督を続けていたかも。落合のもとで現代的な人権感覚が導入され、中日は現在でも強豪で12球団ホワイトで雰囲気の明るいチームになっていた。
- 落合監督が星野政権時代の体罰肯定的な、立浪のPL的な気質を解体するのに5年かかることもなかった。1年で積弊生産し、むしろタニマチやフロントも解体し、もっとまともな親会社に身売りさせることに成功していた。
- ミスタードラゴンズといえば荒木雅博になっていた。その荒木雅博と落合の関係性はもっとも理想的な師弟関係と呼ばれていた。
- 李鍾範が史実のようにポジションを変えることなく、遊撃手のままアジャストしていたかも。
- そうなっており、中日も史実のように低迷していなかった場合、李政厚は韓国からメジャーではなく中日に移籍していた。大島洋平の後釜になっていた。
長嶋一茂(1987)[編集 | ソースを編集]
※史実ではヤクルトに入団
- 大洋
- 史実よりは出番を与えられて活躍出来ていたかも知れない。
- 外れ1位の盛田幸妃は他球団が指名していた可能性も。
- 父親の巨人監督再就任とともに移籍、は史実通りか?
- 背番号は当時空き番の5になっていた可能性が高そう(3番は高木豊の番号のため譲られなかっただろう)。
- 一茂をライバルに据えた水島新司の野球漫画「虹を呼ぶ男」の舞台が大洋になっていた、あるいは連載されなかった。
川崎憲次郎(1988)[編集 | ソースを編集]
※史実ではヤクルトに入団
- 巨人
- 中日に移籍することはなかった。
- 勿論川崎祭も起きてない。
- 吉田修司同様巨人では振るわずダイエーにトレードされていたかも。
野茂英雄(1989)[編集 | ソースを編集]
※史実では近鉄に入団
- ロッテ
- 90年代にあと3~4回ぐらいAクラスに入れたかも
- バレンタイン監督に太鼓判を押されてメジャー行きか?
- 広岡GMと揉めてメジャーへ、ってあれ?誰かと全く同じだ…
- 拒否され、翌年(社会人なので)再度複数球団による競合というシナリオも。
- 小池秀郎の行き先にも影響が及ぶ場合もある。
- その場合、プロ入りは92年のバルセロナ五輪後まで無かった。
- 12球団OKじゃなかったっけ?
- ダイエー
- ダイエーの旧南海時代から続くBクラス更新は無かった
- 99年と98年以外は優勝は出来なくともAクラスにはなっていたかも知れない
- 野茂のメジャーへの移籍が遅れていたら藤井将雄のダイエー入団は実現しなかったかも知れない
- 元木大介は無事巨人入り。
- 元木の2位単独は当時の評価から考えて厳しいので抽選にはなりそう。
- オリックス
- オリックスブレーブス元年、上田監督に「ええで」と言われ新人王。
- 次の監督土井正三に「あんな出鱈目なフォームのヤツ、使えん」と言われ実力を発揮しつつも寡黙になる。
- その翌シーズン(1992)には史実より3年早くアメリカへ旅立ってたかもしれない。
- そして仰木監督。イチロー、パンチと一緒に「ヒデオ」と登録名変更を要望されるも拒否。しかしマジックにも乗りオリックス4連覇(94年~97年)。全盛期を迎える。
- 佐藤和弘は外れ1位なのでこのケースだと入団していない可能性がある。
- ただ佐藤は2位でも取れそうだがら入団はあり得ないとまではいえない。
- 佐藤和弘は外れ1位なのでこのケースだと入団していない可能性がある。
- 第一次仰木政権終了の01年末に退団→渡米も全盛を過ぎマイナー契約で終了。現役を終える。
- 日本ハム
- 数年後「そのまんまハムの広告」と賞賛される。
- 江夏~矢作の後継者と呼ばれる
- いろいろな意味で○モ○デオに関係のある某投手と比較される。
- 東京ドーム時代に1回は優勝出来ていた。
- 史実で2位になった1993年に優勝できていたかも。その場合、翌年最下位に転落することはなかった。
- 阪神
- 大阪出身なので一躍大スターに。
- 中村監督に甘やかされた後、藤田監督と衝突、最終的に球団と対立し数年後メジャ…あれ?
- でも92年は優勝できたのかも
- 史実である葛西稔が他球団に指名されていた。
- よって彼が入団1年目にバッシングの標的に遭うことはなかった、というよりそれを糧に2年目以降実績を上げること自体なかったかも・・・
- もちろん「遠山→葛西→遠山→葛西」の投手リレーも存在しなかった。
- 彼が引退後阪神コーチとなって藤川球児をブレイクさせる下地を作ることもなく、藤川もひっそりと球界を去っていたかもしれない。
- 葛西氏が2位以下で阪神に指名されたかもしれないので、同氏については史実通りだったかも・・・。
- ロッテが外れ1位で葛西を指名予定だったため、阪神が2位指名になることはありえなかった。
- ロッテは外れ1位1番目で小宮山を獲ってるけど?
- 大洋
- 先発に野茂、抑えに佐々木という強力な投手陣が出来上がる。
- 野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
- それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
- でも、1位じゃなかったら佐々木は入団しなかったと思う。
- 日本ハムの大沢啓二(当時、常務)が大声で「佐々木で行こう」といったため、指名を繰り上げて1位で指名した。
- それはない。佐々木は大洋以外狙ってなかったらしい。(佐々木と大学の同期、大塚(元西武)談)
- 斎藤隆は大洋ではなく中日に入団
- 野茂の外れ一位で佐々木が近鉄に。
- ベイスターズに改名した直後には優勝していた。
- ヤクルト
- ソウル五輪でバッテリーを組んだ古田との相性はバッチリ。ヤクルトは現実以上の黄金時代を築く。
- ノーコンを意に介さないピッチングスタイルは、次第に野村監督と古田をイラつかせる要因になっていった。
- 「ヤクルトみんなでノモ」のCMがヒットし、人気者に。
- 女性芸能人若しくはフジテレビの女子アナと結婚していた。
- 石井一久は指名されていないかもしれない。
- 近鉄のその後
- 他のパリーグチームに入団していた場合、90年代初頭には早くもBクラス常連チームへ転落。
- 人気も低下し、20世紀中に球界再編の可能性も。
1990年代[編集 | ソースを編集]
小池秀郎(1990)[編集 | ソースを編集]
- 全般
- 社会人(松下電器)時代に成績を落とさなかったので、史実より活躍できていた。
- ヤクルト
- 東都1部の本拠地である神宮球場に入りたかったこともあり、本人は大喜びだった。
- 高津臣吾も史実通り入団していたら、「亜細亜大学コンビ」と呼ばれていた。
- 石井一久のブレイクが遅れていた。
- 史実でヤクルトの外れ1位で指名された岡林洋一は当初の予定通りロッテが指名し入団していた。
- 近鉄
- 2年連続で当たりを引き当てた仰木監督は「ゴッドハンド」と呼ばれていた。
- 右の野茂、左の小池の両輪で悲願の日本一を達成した。
- とはいうものの入団しただろうか?
- 巨人・ヤクルト・西武以外は拒否の方針だったので、近鉄入りは微妙なところ。
- ロッテじゃなければという話もあったので、ごねたけど最終的には入団になりそうな気がする。
- 西武
- 工藤公康の移籍後に左腕エースとして君臨。西武の黄金時代はさらに長くなっていた。
- 前年に続いて8番目にくじを引いた球団が当てたため「残り物には福がある」と言われた。
- 高山郁夫(西武)⇔高木宣宏(広島)のトレードはなかった。
- 中日
- 岐阜出身なので歓迎される。
- 小島弘務か矢野輝弘のいずれかが指名されない。
- 高木監督時代に優勝していた。
- 星野監督時代の1996年にも優勝していた。
- 1997年の最下位は回避できた。
- 2000年と2002年のどちらかは移籍しなかったかもしれない。
- 広島
- 大野や川口の後釜と目される。
- 1996年は優勝していた。
- 江藤と同時にFA移籍した可能性も。
- 阪神
- ロッテと同様絶対に行きたくないと思っていた球団だったため間違いなく蹴られていた。
- 阪神はその後しばらく亜細亜大学出身の選手を指名できなくなっていた。
- 史実で阪神が1位指名した湯舟敏郎はロッテが本来1位指名する予定だったため湯舟はロッテに入団し、阪神の暗黒時代が悪化していた。
- つまり1990年ドラフトでの小池の一件におけるロッテと阪神の立場が逆になっていた。
矢野輝弘(1990)[編集 | ソースを編集]
史実では、巨人と中日の2位競合で抽選の結果、中日が交渉権を獲得。
- 巨人
- 村田真一と兼用で捕手を務めていた。
- 村田が年齢と共に出場機会が減った後、矢野は正捕手となる。
- 阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
- ファンであった阪神に逆指名で入団していたかもしれない。
- 中日のその後
- 殆ど影響無し?
- 史実で矢野が絡んだ大豊泰昭+1人⇔関川浩一・久慈照嘉のトレードの顔ぶれが変わっていた可能性がある。
- 野口茂樹は1996年にノーヒットノーランを達成できたのだろうか?(史実では矢野とバッテリーを組んで達成)
- 阪神のその後
- 正捕手は山田勝彦のままだった。
- 当時の阪神は暗黒時代だったので、1998年以降の成績はもっと酷くなっていた。
- 上記のように、阿部は阪神に逆指名で入団していた可能性がある。
- その場合、当時の監督は野村克也だったので、彼に指導された分、リードは史実の巨人より少し良くなっていたかもしれない。
- 阿部が阪神に入って現実通り活躍出来ていれば、阪神も現実通りAクラスに浮上に黄金時代を築けていたかも。
- 2016年以降も阪神に在籍していれば、彼の父親の元チームメイトである掛布雅之と師弟関係になっていた。
- 全般
- 声優の水樹奈々は矢野のファンになることはなかった。
- 野球の知らない水樹奈々ファンにも矢野の名前が知れ渡ることはなかった。
- 阪神にトレードされない限りあの引退試合はないと見られるので村田修一が引退試合キラーと言われることはなかった。
斎藤隆(1991)[編集 | ソースを編集]
※史実では横浜に入団
- 中日
- 1998年は中日が優勝していた。
- ストッパーに転向していなかったかもしれない。
- 中日は伝統的にストッパーに恵まれてるチーム(斎藤隆のプロ入り後は中山裕章→宣銅烈→ギャラード→岩瀬仁紀)だから、2000年代に入っても先発で投げ続けていただろう。
- 「ササキ様に願いを」は作られなかった。
- 史実で斎藤隆の外れ1位として中日から1位指名された落合英二は2位で指名されていた(他球団は落合の故障を考慮して指名を見送っていた)。
松井秀喜(1992)[編集 | ソースを編集]
※史実では巨人に入団
- 阪神
- 阪神暗黒時代はなかったかも。
- 松井が何人いようとどうにもならないと思えてしまうのが阪神暗黒時代なのである。阪神の歴史はあんまり変わらなかったと思う。
- ただ最下位と言う最悪の状況だけは免れる事が出来たかも知れない
- 暗黒時代でもないが優勝にも届かない微妙な状況が続いたってことか?
- 優勝は出来なくとも、少なくともAクラス入りは何度か果たしていただろう。松井の加入によりチームの雰囲気が変わり選手が勢いづくだろうから。
- 現実にはFAで入った金本や西岡がその役割を果たした。
- 普通に中村監督時代に優勝できていたかもしれない。1992年の阪神の成績からみてありえない話じゃない。
- 1993年か1994年にリーグ優勝していただろう。上手く行けば連覇とか?
- それどころか星野時代に史上初の連覇+日本一を達成していたりして。
- というか、連覇以前に2002年のオフ後にさっさとヤンキースに移籍したと思う。
- 上のように、星野監督就任よりも以前に達成しているだろう。
- 指導者に恵まれず1軍昇格がないまま退団。
- ヤンキースタジアムのスポンサー広告が何故かオレンジ色の「○○新聞」などではなく「朝日新聞」になっていた。
- 勢い余って一塁側には「大阪西川」、照明下には「川上塗料」、バックスクリーンには「三菱電機」。
- 浜風の影響で意外とホームラン数は伸びていないと思う。東京ドームが本拠地の巨人と比べて5本ぐらい減るだろう。
- 外野ではなく高校時代と同じ三塁を守っていたかも。
- 内野手のままだったら片岡が移籍しなかった。FAしたとしても別球団に行っていた。
- チーム事情で一塁を守ることもあったかも。
- オマリーやパチョレック退団後の助っ人外国人の何人かは入団しなかったかも。
- 3番新庄・4番松井という黄金クリーンナップが実現していたかも。
- 一部で阪神ファンだという話を疑問視する声があるので入団拒否して駒澤大学へ進学して4年後に逆指名で巨人入団なんて事も。
- ドラフトでの表情を見る限り巨人ファンではなかっただろうし、事前に拒否してないのに突然入団拒否はありえないだろうと思う。
- 萩原誠放出後に31をつけていたのは間違いない。
- 天然芝の甲子園球場でプレーすることになったため、メジャー入りしてしばらくした後に怪我で悩まされるということはなかったかもしれない。
- 中日
- 巨人を差し置いて中日が松井在籍時に4回リーグ優勝または日本一に。
- 少なくとも背番号は「55」ではなかったのは間違いない(大豊泰昭が王の年間55本塁打にあやかって着けていたので)
- 有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
- 王貞治を超えることを目標に「56」とか「60」とかの可能性もある。
- 有力なのは宇野のロッテ移籍で空いた「7」あたりか?
- 松井の出身地の石川県での北陸中日新聞の購読者が増えていた。
- その逆に北國新聞は活躍をほとんど報じなかった。そのため、石川県での人気は低かった。
- 1996年最終戦での敬遠はなかった。
- もし江藤智がシーズン途中で離脱せず、松井秀・山﨑・大豊との本塁打王争いに最後まで絡んでいた場合、広島バッテリーから敬遠策を仕組まれていた可能性はある?と思いきや、後ろに山﨑や大豊が控えてるならその可能性も低いだろう。
- 福留孝介は入団しなかった可能性も。
- 福留は当初遊撃手。
- 1994年・1996年は巨人ではなく中日が優勝していたかも知れない。
- 1998年(史実では横浜優勝)も中日が優勝していた。史実通り1999年も優勝すれば2連覇、さらに2000年も優勝できれば3連覇を達成していた。1997年もナゴヤドーム元年の最下位転落は免れていただろう(史実の松井はナゴドでも結構ホームランを打っていたので)。
- 1996年は「5番・中堅手」(史実では星稜高校の先輩である音重鎮がこの打順&ポジションだった)として、ダネル・コールズ、立浪和義、アロンゾ・パウエル、山﨑武司、大豊泰昭とともに「強竜打線」の一翼を担った。史実で本塁打王争いを繰り広げた松井秀・山﨑・大豊の567番トリオが猛威を振るい、同年の中日はヘタしたら90勝に到達できたかもしれない。
- 入団時点では同姓の松井隆昌(1996年まで)・松井達徳(1997年まで)が中日に在籍していたため、表記は「松井秀」になっていた。
- 星稜高校の大先輩・小松辰雄の引退試合で花束贈呈を務めていた。
- もちろん「燃えよドラゴンズ!」の歌詞に「3番松井がタイムリー」あるいは「4番松井がホームラン」などと登場していた。
- ダイエー
- 活躍した場合、いつの間にかポスティングでメジャーに行ってしまっている。
- 謎の無償トレードでナベ○ネ部隊にプレゼントされる。
- 王の後継者として期待される。
- 「門田2世」との呼び声も高かった。背番号も44になっていそう。
- ホークスの暗黒時代は1990年代中盤には終わっていた。
- 生卵事件もなかった。
- 星稜高校の1年先輩の村松有人とともに外野手でコンビを組んでいた。
- 松中信彦が逆指名して入団しなかったかも知れない。
- 高校時代と同じ内野手だった場合、小久保裕紀の指名はなかったか入団してもブレイクが遅れていた。
- パ・リーグ所属なので、2000年のシドニー五輪に選出されていた。
- 巨人のその後
- おそらく戦力の劣化はほとんどないと思われる。
- ただチームの意気は今より下がっていたかもしれない。
- 外野手補強のために稲葉や谷辺りが巨人に指名されていたかもしれない。
- 長嶋監督の復帰の盛り上がりが小さくなっていたかも。
- 「10.8決戦」やメークドラマも存在しないかも。
- 全てに言えること
- 長嶋茂雄との師弟関係が出来なかったので、2013年の国民栄誉賞受賞はなかった可能性が高い。
- 長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞も死去後に?
伊藤智仁(1992)[編集 | ソースを編集]
- 広島
- ヤクルトよりも選手生命が短くなってた可能性が高くなる。
- 投手コーチになり黒田・マエケンに高速スライダーを伝授していただろう。
- オリックス
- 小林宏は入団しなかった。
- 小林-オマリーの14球もなかった。
- スローカーブの星野伸之と好対照をなしていた。
- 広島の場合同様に選手生命は短くなっていた可能性が高くなる。
- 1993年のセ・リーグの新人王は松井か鶴田泰だった。
福留孝介(1995)[編集 | ソースを編集]
- 全般
- 中日・巨人以外に指名され拒否していた場合、福留個人については史実通り。
- 中日
- 原俊介はすんなり巨人が獲得。
- 荒木雅博の指名はなかった。
- 1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
- こちらは福留が史実通り外野に転向していれば可能性はあったかも。
- いずれにせよ荒木・井端の名二遊間は誕生しなかった。
- 1999年ドラフトで中日は誰を1位指名していただろう?岩瀬は逆指名で2位だろうし・・・。
- おそらく松坂大輔を指名していたはず。
- 1998年ドラフトで井端弘和を指名していなかったかもしれない。
- 種田仁は中日で現役を全うしていた。
- 「タネダンス」をしていたのは中日の応援団だった。
- 1996年と1998年に優勝していた。
- 巨人
- 原俊介はすんなり中日が獲得。
- その代わり荒木雅博を2位指名か?
- この年の中日2位は逆指名の門倉健なので、荒木を取るなら3位以下になる。
- 2007年CSでの巨人惨敗もなかった。
- メジャー挑戦をもっと早くに表明していた可能性も?
- 二岡が入団することはなく、山本モナは芸能活動を続行していた。
- 史実通り外野手転向なら、高橋由伸の獲得に動かなかった可能性も裏事情にもよるが。
- 高橋由伸よりも清水が指名されていない。
- 佐々木恭介と出会わなかったので史実ほどの成績は残せない。
- オリックス
- 1年目に育成成功していたら谷は他球団に指名されていた。
- 2学年上の福留宏紀と区別するためスコアボードでは「福留孝」と表記される。
- 2000年代前半にメジャー移籍したか、山崎武司とトレードされていた。
- ヤクルト
- 岩村明憲は指名されていない。
- 池山隆寛の引退が早まっていた。
- 外野に転向した場合、真中満はレギュラーを獲れずじまいだった。
- 近鉄は
- 外れ1位で澤井良輔を再競合していたか?
- 当然「ヨッシャー」も話題にならず。
- まあ、どっちにしてもチームの状況はあんまり変わらなかったということで…。
原俊介(1995)[編集 | ソースを編集]
この年、中日は1位で福留孝介を指名して外し、外れ1位で原俊介を指名して外し、外れの外れ1位で荒木雅博を獲得した。原と荒木のその後の活躍の差は周知の通り。
- でも荒木は3位ぐらいで獲ってた。
- ちなみに2位は逆指名入団の門倉健。
- どっちにしろ中村武志が健在だったので出番は無かった。
- 小田幸平が中日に移籍しなかった。
- 落合監督は小田を高く評価していたので、いずれにせよ野口の人的補償でなくとも、原とトレードしてでも獲得していたと思う。
- 谷繁元信FA移籍の際に中村武志の代わりに横浜に移籍した可能性も。
松坂大輔(1998)[編集 | ソースを編集]
※史実では西武に入団
- 横浜
- 少なくとも2002年~2004年・2006年の最下位はなかったかも。
- その他の年はともかく、2003~2004年はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに横浜の順位は変わらなかったと思う。
- 04年の場合打線だけ見れば優勝してもおかしく無いレベル
- マルハがTBSへ株式を売却するところまでは現実通りあったとしても、DeNAへの身売りはなかったかもしれない。
- その分阪神が現実よりも苦戦したかも。2003年と2005年のどちらかはリーグ優勝できなかったかもしれない。
- その他の年はともかく、2003~2004年はどんなに好投しても味方の貧打と中継ぎの乱調に足を引っ張られ、勝ち星がなかなか付かずに横浜の順位は変わらなかったと思う。
- 背番号は1998年当時空き番だった17(過去に斉藤明夫らが使用)か27(平松政次らが使用)だった。
- 横浜高校から横浜ベイスターズに入団したことから「ミスター横浜」という異名がつけられる。
- 古木克明は(第一志望の)ダイエーに入団していた。
- 古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
- 逆に「行きたい球団はダイエー」と書いていたと話題にされていた。
- 古木が小学校の卒業文集に「絶対に行きたくない球団は大洋」と書いていたことが話題にされることもなかった。
- 史実通りの時期にポスティングでメジャー入り。
- 99~01年の間に横浜がもう一度優勝できていた可能性もある。ただしいずれポスティングでメジャー移籍した後は史実通りの暗黒時代へ。
- 優勝できていた場合、権藤監督は辞任せずに済んだかもしれない。
- 99年には「新人にして開幕投手」の大偉業を達成し、この年まで在籍していた大魔神と組んで連覇を達成。ただし以後孤軍奮闘の末メジャーに移籍することになる。
- 前年の優勝チームなので、高卒ルーキーの開幕投手はいくら松坂とはいえ厳しいのでは。
- 三浦と共に先発の柱で「W大輔」と間違いなく呼ばれていた。
- セリーグでは打席に立つため攻撃面でも大きく貢献した。
- 2007年もNPBにいてメジャー挑戦が1年遅かったら
- 2007年は横浜はリーグ優勝できた。
- 優勝を手土産に翌年メジャーへ。
- 巨人戦と中日戦はもう少し勝てそう。逆に阪神戦は史実通り苦手。
- 2007年の三浦と寺原の負け数は事実よりも少なかった。
- NPBに復帰するタイミングも1年遅れる。
- 2007年は横浜はリーグ優勝できた。
- 日本ハム
- 北海道移転前に1回くらい優勝していた。
- 06年奇跡の日本一を手土産にメジャーへ…
- 背番号は広瀬哲朗が引退して空き番になっていた1(史実では同年ドラフト5位の阿久根鋼吉が着ける)だった。
- 入団拒否→社会人入り、の可能性も…
- 父の出身地である稚内市で主催試合が行われた。
新垣渚(1998)[編集 | ソースを編集]
※史実ではオリックスの指名を拒否
- ダイエー
- 無論オリックスの三輪田スカウトは自殺していない。
- 暴投記録更新は史実通りかも。
- 2011年頃にはトレードされていたか、戦力外になっていた可能性もある。
- 2002年のドラフト会議で、多田野数人氏を指名していた可能性が高い。
- 1999年に新人王を巡って、西武の松坂大輔氏と争っていた。
田中賢介(1999)[編集 | ソースを編集]
- 中日
- 荒木か井端のどちらかが完全に外野に転向することになっていた。
2000年代[編集 | ソースを編集]
寺原隼人(2002)[編集 | ソースを編集]
※史実ではダイエーに入団。
- 共通する事
- ダイエー以外はセ球団(中日・巨人・横浜)からの指名だったため公式戦で近鉄と対戦する事が無く、何らかの形でソフトバンクに移籍したとしても13球団勝利は達成できていない。
- 高校野球時代の豪速球をやや控えて制球力にまわすこと、NPB全体の球速インフレについていけず微妙な成績になるのは史実通り。
- 巨人
- 2003年の巨人投手陣の成績が少しだけまともになっていたかもしれない。
- ソフトバンクへのトレードもなかったかもしれない。
- 寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
- 杉内俊哉獲得時に人的補償で放出されていたかもしれない。
- 寧ろ、小久保裕紀と交換で移籍していた。
- 横浜
- 2016年現在、横浜生え抜き投手として活躍していた。
- FAでソフトバンク行きか、多村仁志の復帰時にトレードで交換要員になっていた可能性も。
- そもそも多村仁はトレード放出されなかった。或いは、ソフトバンク以外の球団に放出されたかも。
- 内川同様、「横浜を出る喜び」と揶揄されていたかも。
- 一方で、DeNA買収初年度のシーズンが終わるまでFA権がとれないはずなので、DeNAによってチームがよくなったと感じ残留してくれるかもしれない。
辻内崇伸(2005)[編集 | ソースを編集]
- オリックス
- 史実より長く活躍できており、肩の治療も行えていたかもしれない。
- 女子プロ野球の指導者になっていたかは不明
- T-岡田は巨人が外れ1位で指名していた。
- 「T-岡田」は史実のオリックスで岡田監督就任等の経緯もあったので本名の「岡田貴弘」のまま。
- 母校の大阪桐蔭と巨人の関係が悪化することもなかったかもしれない
陽仲壽(陽岱鋼)(2005)[編集 | ソースを編集]
- ソフトバンク
- 史実通り外野手に転向して活躍していたら、長谷川勇也・柳田悠岐・中村晃のいずれかはブレイクしていなかった。
- 柳田は地元の広島に指名されていたかも。
- ショートのままだった場合、川崎宗則の渡米まで活躍できなかった。
- 今宮健太を獲得していなかったかも。
- 史実通り同じ年に実の兄の耀勲も入団していたら、同一球団所属の兄弟選手として現実以上に話題となっていた。
- この場合、名前の読みは兄と揃えて「ヤン・チョンソ」としていた。
田中将大(2006)[編集 | ソースを編集]
※史実では楽天に入団
- 全部に共通すること
- 1年目から活躍し、新人王を取る可能性はまず無かった。
- 2009年も楽天はBクラスだった。
- 2013年もリーグ優勝はおろか、Aクラスに入れたかどうかも微妙。
- 2013年に24連勝無敗の偉業を達成することはなかった。
- 日本ハム
- 投手陣が充実していたため1年目から先発は無かった。
- 斎藤佑樹は指名しなかった。
- 斎藤は大学卒業後のプロ入りなので指名は可能。むしろ斎藤と田中が同一チームなら話題になるので、指名したのでは。
- 吉川光夫は(大嶺祐太が史実通りなら)地元ソフトバンクの外れ1位として指名されていた。
- オリックス
- 一応、出身地なので大いに歓迎された。
- もしかしたら2008年はリーグ優勝、2011年もクライマックスシリーズ進出を果たしていた。
- 2014年にリーグ優勝を果たし、それを置き土産に渡米したかも。
- 史実通り2021年に帰国していたら、平野佳寿と揃っての帰国になり同年のリーグ優勝に貢献していた。
- 2014年にリーグ優勝を果たし、それを置き土産に渡米したかも。
- 里田まいとは結婚していなかったかも知れない(日ハムは彼女の出身地、横浜も在京球団ということで出会いの接点はありそうだがここの場合は…)
- その代わりに他の女性芸能人、もしくは在阪局の女子アナあたりが結婚相手だったかも?
- 西勇輝のブレイクが遅れていた、あるいは影響を与えていた。
- 横浜
- 1年目から先発で投げれていたが楽天と違ってチーム状態がアレなのでそんなに勝ち星は挙げられなかった。
- 広島の前田健太とは同学年なので非常に強力なライバル関係になっていた。
- 同郷の巨人・坂本勇人の対決も注目されていた。
- 2013年以降もDeNAに残留していた場合、2017年以降は番長から背番号「18」を引き継いだ。
堂上直倫(2006)[編集 | ソースを編集]
※史実では中日に入団
- 巨人
- 相思相愛だった中日ファンから「立派に育ってFAで中日に来い!」とエールを受ける。仮にそれが実現していれば巨人にとって駒田以来2人目の生え抜き選手FA他球団流出となった。
- 坂本勇人は外れ1位で中日が獲得していた?
- その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
- 高橋周平や京田陽太が他球団に指名されていたかもしれない。
- 2020年時点で2000本安打に到達できていなかったかもしれない
- 2006年当時の高校生ドラフトの外れ1巡目指名はウェーバー方式だったため坂本は中日ではなく阪神が指名していたかもしれない。
- その場合、史実ほど活躍できていたかは微妙。
- 兄である堂上剛裕が史実通り移籍してきた場合、兄弟揃っての出場はこちらで実現していたかも。
- 阪神
- 野原将志を獲得することはなかった。
- 甲子園で活躍したヒーローだが思うような実績を残せない…?
- 小林宏之をFAで獲得の際の人的保障でロッテへ、となっていたかも(史実では高濱卓也)
- 巨人の場合と同様、FA取得して地元中日へ移籍するかも。
中田翔(2007)[編集 | ソースを編集]
※史実では日本ハムに入団
- 全部に共通すること
- 1軍に入れてた?
- 他の3球団はレギュラーが固定されていて、割り込むのが困難だっただろう。結局日本ハムが一番マシだったということになる。
- 野手ではなく投手として指名されていたら?
- 阪神
- 福留は阪神に入団していなかっただろう。
- 福留は鹿児島出身なので、地元九州のソフトバンクに入団。
- 古巣中日への復帰もあった。
- 本拠地が天然芝の球場になるので膝を痛める事は無く今でもレフトを守っていたかも。
- 2020年に岡本和真と並ぶ本塁打王(を含む)と打点王による二冠王になっていた。
- 翌年(2021年)での同僚選手に対する暴行事件で、埼玉西武へ無償トレードにした。
- いや、西武はファーストで主砲山川穂高とポジションが被るので、T-岡田が衰えてきた同じ在阪球団のオリックスか日本ハムな気がする。
- あるいは暴行事件自体なかったかも。
- 2023年現在も在籍していれば、生え抜き最古参でチーム最年長になっているかも。
- 2014年、2015年、2021年のいずれかで阪神が優勝していた。
- 髙濱卓也は横浜の外れ1巡目で単独指名されていた。
- ソフトバンク
- ドラフトでの柳田悠岐の指名と長谷川勇也、中村晃のブレイクはなかった可能性も。
髙濱卓也(2007)[編集 | ソースを編集]
※史実では阪神に入団
- 横浜
- 外れとは言え地元高校からの1位指名に大フィーバー。
- DeNA買収直後の時点で石川雄洋と二遊間を組み、倉本寿彦が入団するより数年早く『横高出身二遊間コンビ』が実現していた。
- 田中健二朗は地元球団である中日が外れ外れ1位で指名か。
- 2014年のドラフトで弟の祐仁もDeNAに指名されたかも。
- 現実以上に活躍して、ロッテへトレード移籍しなかったかも。
大田泰示(2008)[編集 | ソースを編集]
※史実では巨人に入団。後に日本ハム、横浜DeNA。
- ソフトバンク
- 巨人の外れ1位はもちろん長野久義。
- 大田は指名を拒否して東海大学に進学していたかも。
- その場合、巨人が2011年に菅野智之を外していたら更に悩ましいことに。
- 結局は史実とあまり変わらず、か?
- 史実より一軍出場は多かったと思う。
- 巨人の背番号55は空き番号のまま。
- 間違いなく松井の国民栄誉賞受賞を持って永久欠番になっていた。
- 2022年から北海道日本ハムへ移籍した。
松本啓二朗(2008)[編集 | ソースを編集]
※史実では横浜に入団
- 阪神
- 赤星憲広の電撃引退後に中堅のレギュラーに抜擢される。
- 藤川俊介のブレークは多分無かった。
- マット・マートンが阪神で中堅手を守る事は無かった。
- 2011年のドラフトで伊藤隼太が1位指名される事は無かったかも。
- 横浜の1位指名は誰になっていただろうか。
- 松本以外の指名結果が史実通りだった場合藤江均(史実2位)か細山田武史(史実3位)が繰り上がっていた。
菊池雄星(2009)[編集 | ソースを編集]
※史実では西武に入団
- 共通する事
- 球団によっては2021年開幕時点で残留している。
- 或いは、史実より早く米球界に挑戦している。
- 2018年の西武優勝は無かった。
- ソフトバンクを苦手とするのは多分史実通り。
- 大久保博元の西武コーチ時代二度目の暴力問題は史実程騒がれない。
- 楽天
- 地元では大フィーバー。
- プロ入り後カモとしていた球団だっただけに史実程勝利数は伸びていない。
- それでも2013年の日本一には貢献していた。
- 史実通り大久保博元が首脳陣に入閣していた場合三度目の暴力問題が起きていたかも。
- この場合監督には就任出来ていない。
- 日本ハム
- 大谷翔平が史実通りに入団した場合、『花巻東コンビ』で売り出していた。
- 菊池が抑えて大谷が打ってのWお立ち台もしばしば見られた。
- 2016年の日本一に貢献していた。
- 場合によっては史実より早く米球界に挑戦していた。
- 日ハムの成績が悪かった2013年と2017年に成績がいいため、2010年代は毎年ソフトバンクと日ハムの優勝争いになっていた。
- 日ハムの地元人気は史実以上になっていた。
- 中日
- 翌年以降のドラフトが史実通りなら大野雄大と左腕二枚看板で売り出していた。
2010年代[編集 | ソースを編集]
斎藤佑樹(2010)[編集 | ソースを編集]
※史実では日本ハムに入団
- 東京ヤクルト
- 神宮のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
- 神宮での初登板は、大フィーバーとなっていた。
- かつての荒木大輔の「大ちゃんフィーバー」を超える「佑ちゃんフィーバー」が起こっていた。
- 史実で外れ1位で入団した山田哲人はクジの競合相手だったオリックスへ。
- その結果、2014年のオリックスはリーグ優勝を達成し、2015年のヤクルトはリーグ優勝を逃していた。
- 高校時代と同様、先輩にちなんで「T-山田」と呼ばれていた。
- オリックスは、翌年山田とポジションの被る安達了一を指名しなかった。
- 西野真弘の指名もなかった。
- オリックス入団の場合でも史実のようにトリプルスリーを達成するような選手にまでなれていたかどうか?という部分はあるが、少なくともレギュラークラスで活躍していたのは間違いないだろう。
- それでも史実の1位指名だった駿太は他球団が指名しなければ2位以下で獲っていたはず。
- 斎藤は群馬県出身なので、ヤクルトの主催試合が前橋(敷島球場)で行われていた。
- 1年目から活躍できていれば、2011年にヤクルトが優勝出来ていた。
- ソフトバンク
- 大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
- ただ、活躍できなかった場合はとことん出番がなかったと思われる。
- 最悪の場合育成契約になっていた可能性も。
山田哲人(2010)[編集 | ソースを編集]
※史実ではヤクルトに入団
- オリックス
- オリックスは2011年はクライマックスシリーズ進出を、2014年には18年ぶりの優勝を果たしていた。
- 2014年のセ・リーグのCS優勝が史実通り阪神で、こちらもCS優勝していたら同年の日本シリーズは阪神×オリックスの関西ダービーになっていた。
- 一方、ヤクルトの2015年は良くてAクラスになっていた、
- 日本シリーズに進出できても、ソフトバンクに4連敗していたと思われる。
- この年は巨人か阪神が優勝していた。
- 尽く高卒野手が育たないオリックスなので、史実通り育っていない可能性も多分にある。
- もし史実通りトリプルスリーとか達成していた場合、何かとイチローと比較されていた。
- 駿太は他球団か2位以下でオリックスに入団していただろう。
- 他球団の場合は登録名を「駿太」にせず、本名フルネームの「後藤駿太」だった。
- 他球団の場合は、背番号繋がりでローズと関連付けられることもなかった。
- 兵庫県出身なので、ファンから「地元の星」として愛されていた。
- 2021年の日本シリーズは史実とは逆にオリックスが日本一になっていた。
- そもそも2021年のヤクルトは優勝できず、同年は阪神が優勝していた。
- 日本シリーズは阪神VSオリックスの関西ダービーになり、やはりオリックスが日本一になっていた。
- そもそも2021年のヤクルトは優勝できず、同年は阪神が優勝していた。
菅野智之(2011)[編集 | ソースを編集]
※史実では日本ハムの指名を拒否
- 巨人
- それでもアンチ巨人からのバッシングは必至だが、史実よりはマシになっていた。
- 当然ながら浪人した時以上に実戦勘は研ぎ澄まされてはいるだろうから、新人王を取っていた2013年(13勝6敗)よりもさらにえげつない成績を残したかも。
- 巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。
- CSにおける初戦からの3連敗もなかった。
- 2012年のリーグ優勝、日本一に大きく貢献していた。
- となれば、2012年の新人王は野村祐輔ではなく菅野だった。
- 巨人は史実以上に大差をつけてセ・リーグを制覇していた。
- 日ハムの外れ1位はいったい誰になっていただろうか…。
- 松本剛を1位指名し、その他選手も史実通り順位を繰り上げる形で指名していた。
- この年の巨人の外れ1位松本竜也はどうなっていたか。
- 巨人と競合した横浜に入団していた?
- DeNAだった場合、2014年オフに自由契約になっていた可能性もある。
- 笠原将生や福田聡志らともかかわることもないため少なくとも野球賭博に手を出すことはなかったかも?
- 横浜も藤岡貴裕の1位指名に成功した場合ロッテか日ハムが外れ1位で指名した。
- 巨人と競合した横浜に入団していた?
- 2012年に大累進を指名することも無く、日本ハムへ入団したと思われる(史実でもトレードで日本ハムへ移籍)。
- 翌年、巨人の1位指名は誰になっていただろう?
- 東浜巨か藤浪晋太郎を指名していたか、或いは指名拒否覚悟で大谷翔平かもしれない。
- 2位で獲得候補だった鈴木誠也かも。
- 背番号は最初から「18」を付けていた。
- 杉内俊哉は「21」あたりか。
- 「清武の乱」は起こらず清武英利氏は球団代表から追い出されてなかったかもしれない。
高橋周平(2011)[編集 | ソースを編集]
※史実では中日に入団。
- 東京ヤクルト
- 村上宗隆は一塁手にコンバートされていた。
- 山田哲人が史実通りブレイクしていた場合二塁手としての出場機会はなかった。
藤岡貴裕(2011)[編集 | ソースを編集]
※史実ではロッテに入団。後に日本ハム→巨人へトレード。
- 横浜
- 高城俊人・白崎浩之と共にオリックスへ移籍していた。
- 少なくてもトレードでたらい回しにされる事は無かったのか?
- プロ入り後の活躍度合いは微妙だが、少なくともこの年の横浜のドラフトが『嫌がらせドラフト』と呼ばれる事は無かった。
- 横浜の2位以下の指名結果が史実通りだった場合、松本竜也は巨人、北方悠誠はソフトバンクがそれぞれ2位で指名したか。
- ロッテは外れ1位で松本を指名したか中後悠平(史実2位)が繰り上がった。
藤浪晋太郎(2012)[編集 | ソースを編集]
※史実では阪神に入団
- ヤクルト
- ライアン小川を抑えて新人王を獲得出来たかも。
- 石山は指名されなかった。
- その場合、2018年のヤクルトは交流戦優勝を逃しシーズンもAクラスに入れたかどうか微妙な所。
- 2013年のヤクルトは最下位を免れていた。
- 2015年も日本一になれていた。
- 史実通りイップスに陥ってしまった場合森岡良介は野次将軍になっていなかったかコーチ職を早々に退いていた。
- 2021年のリーグ優勝・日本一に貢献していた。
- ロッテ
- 2013年に楽天を抑えてリーグ優勝あるいはCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。
- もちろん田中マー君の連勝を止めていた。
- 2014年もまともな成績を残しており、2015年もCS優勝・日本シリーズ出場を果たしていたかも。
- 黒田に怒られたり161球投げさせられることはなかった。
- そのため、2022年でも貴重な戦力になっていた。
- 吉井コーチ・監督の指導により才能が開花し佐々木朗希と共に160km/hコンビで売り出していた。
- 場合によっては史実より早く渡米していた。
- オリックス
- 史実の阪神と同様、地元の星として歓迎され注目される。
- 2014年にリーグ優勝出来ていて、15年以降もまともな成績を残している。
- 2021年に日本一になれていた。
- 2022年の日本一を置き土産に、吉田正尚と共に史実通りメジャー移籍。
- 2021年に日本一になれていた。
- 2016年のドラフトで史実通り澤田圭佑が指名されていた場合、大阪桐蔭同級生コンビで売り出していた。
- 山岡泰輔と山本由伸のブレイクが遅れていた。
- 阪神のその後
- 2013年以降も低迷を続けていて、14年のCS優勝もなかった。
- 西岡や福留も移籍してこなかった場合尚更。
- 和田豊の監督退任が早まっただろう。
- 和田豊が当たりくじを引けなかった分手のひら返しもないので、2012年のチームの不振を引きずるファンが現実より多かった。
- 西岡との大阪桐蔭OBコンビもなかった。
- 金本監督による「161球事件」は起こらず、母校である大阪桐蔭と阪神の関係が悪化することはなかった。
石川歩(2013)[編集 | ソースを編集]
※史実ではロッテに入団
- 巨人
- ロッテは小林誠司(史実の巨人1位)を指名か。
- そうなった場合、某所で「肘」と呼ばれることはなかったかも。
- 巨人ではヒゲは禁止なのでイメージがガラリと変わっていた。
- 「セ・リーグには行きたくなかった」と入団後のインタビューで語っているので入団拒否した可能性も(本人は子供の頃から大の中日ファン)。
- その場合、翌年のドラフトで中日が単独1位指名。
- そうなった場合、この年に巨人から支配下指名された選手は2021年3月の田口麗斗トレード移籍を以て全滅していた。
大瀬良大地(2013)[編集 | ソースを編集]
※史実では広島東洋に入団
- 東京ヤクルト
- 入団4年目の2017年をもって戦力外通告を受け、退団を余儀なくされていた。
- 史実通りの活躍だったら2018年のヤクルトは優勝していた。
- 被本塁打が相当なものになっていたかも。
- 広島は2016年~2018年の3連覇を達成出来なかったかも。
- 阪神
- 岩貞祐太は日本ハムに入団していた。
- 背番号は史実で岩貞が付けていた「17」だった。
- そして史実の岩貞同様、のちに「14」に変更した。
- ドラフト同期の梅野隆太郎と同じ生年月日であることが話題を呼んだ。
- 2014、15年の阪神は優勝出来ていた。
松井裕樹(2013)[編集 | ソースを編集]
※史実では楽天に入団
- DeNA
- 地元出身選手の指名で大フィーバー。
- 当時は金城龍彦が所属していた為、入団当初の背番号は「1」ではない。
- 史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。
- そうなった場合、桑原将志と楠本泰史は史実と違う背番号を付けていた。
- 史実通りに金城が退団した場合、活躍次第で与えられたかも。
- 史実通り抑えとして定着した場合、山﨑康晃は新人王を獲れなかったかも。
- そうなった上で翌年有原航平の1位指名に成功し、2015・2016両年の指名結果も史実通りだった場合2016~2017年に掛けて連覇も有り得た。
- 石橋杏奈との交際→結婚は史実通り?
- 史実の外れ1位だった柿田裕太は阪神か日ハムへ。
- 楽天の外れ1位指名で岩貞祐太を指名した可能性も。
- 2017年のドラフト会議の指名結果が史実通りだった場合、楠本泰史(小中学校の同級生でベイスターズジュニアとシニアで共にプレー)とプロでもチームメイトに。
- 同じくチームメイトだった甲斐綾乃が球団職員になった際3人の対談動画が球団公式youtubeチャンネルに投稿されていた。
有原航平(2014)[編集 | ソースを編集]
※史実では日本ハムに入団。
- DeNA
- 山﨑康晃は阪神に入団した。
- 翌年以降抑えの固定に苦しみ2010年代後半のチーム成績は史実の様な好成績にならなかった可能性も。
- 三嶋一輝の抑え起用が史実より早く見られたかも。
- 翌年以降抑えの固定に苦しみ2010年代後半のチーム成績は史実の様な好成績にならなかった可能性も。
- 史実通り1年目から活躍した場合2015年のリーグ優勝は微妙なまでもAクラスは有り得た。
- この為、中畑政権は史実より1~2年長かったかも。
- 2019年はDeNAがリーグ優勝し、それを置き土産に史実より1年早くメジャーに挑戦していた。
- 広島
- 地元出身選手の1位指名に大フィーバー。
- 2015年にセ・リーグの新人特別賞を受賞できていた。
- 野間峻祥は中日に指名されていたかも。
- この場合、友永翔太か井領雅貴は指名されなかった可能性がある。
- 2016~2018のリーグ3連覇には当然貢献していた。
- 2019年の広島はAクラス入り出来ていたかも。
- 阪神
- 山﨑康晃はDeNAが外れ1位で単独指名。
- 西勇輝は阪神に移籍しなかったかも。
- 2019年の阪神は史実と異なる形でAクラス入り出来ていた。
山﨑康晃(2014)[編集 | ソースを編集]
※史実ではDeNAに入団
- 阪神
- 呉昇桓が中継ぎになっていた。
- 「小さな大魔神」と呼ばれることはなかった。
- 横浜DeNAの抑えは三上朋也のままだった。
- ヤスアキジャンプをやることはなかった。
- そもそも最初からリリーバー起用を行っていたか疑問。
- 「先発ローテの一角を任される康晃」も多分にあったかもしれない。
- DeNAの外れ外れ1位は石田健大(史実2位)が繰り上がっていたか逆に横山雄哉を指名していた。
高山俊(2015)[編集 | ソースを編集]
※史実では阪神に入団
- ヤクルト
- オリックスから坂口智隆を獲得することはなかった。
- 史実とは逆に阪神が坂口を獲得していたかも。
- レフト福留、センター坂口、ライト糸井のベテラン外野陣が形成されていた。
- 近本光司の入団後はセンターのレギュラーを譲り、原口文仁と共に左右の代打の神様として阪神を支えていた。
- ダブルグッチと呼ばれていた。
- 近本光司の入団後はセンターのレギュラーを譲り、原口文仁と共に左右の代打の神様として阪神を支えていた。
- レフト福留、センター坂口、ライト糸井のベテラン外野陣が形成されていた。
- 史実とは逆に阪神が坂口を獲得していたかも。
- 河載勲は契約されていなかった。
- 背番号は「00」を背負っていた。
- 山田哲人の後を受けて「23」かも。
- 大成していた場合、青木復帰はなかった。
- 山田哲人の後を受けて「23」かも。
- 背番号は「00」を背負っていた。
- 真中監督の「幻のガッツポーズ」がネタにされることもなかった。
- 阪神は外れ1位で誰を指名していたのやら?
- 同じ外野手のオコエ瑠偉を指名し楽天と競合していた可能性も?
- そちらも外していた場合、坂本誠志郎が1位指名されて以下の選手の順位が繰り上がったか重信慎之介(史実の巨人2位)辺りを指名してお茶を濁していた。
- 逆に原樹理(史実のヤクルト外れ1位)を指名していたかもしれない。
- 競合回避或いは外れ1位候補といわれていた上原健太かも。
- 同じ外野手のオコエ瑠偉を指名し楽天と競合していた可能性も?
- 2016年シーズンの阪神は現実以上の苦戦を強いられていた。
- 「超変革」の目玉選手が1人減っていた。
- 阪神とヤクルトの順位が逆になった可能性がある。
- 阪神の現状を見ていると意外と史実よりも活躍したかも。
- 2021年のリーグ優勝→日本一にも貢献していた可能性もある。
- 2022年のリーグ優勝も。
- ヤクルトが同じ外野手のドミンゴ・サンタナを獲得することはなかった。
- 2021年のリーグ優勝→日本一にも貢献していた可能性もある。
柳裕也(2016)[編集 | ソースを編集]
※史実では中日に入団
- DeNA
- DeNAが2017年のポストシーズンで史実通りの善戦が出来たかは微妙。
- 但し、2位以下でも濱口遥大の指名に成功していたら別。
- 球団通算4000勝になった際の勝利投手になっていた。
- 入団3年目の2019年に最優秀防御率を獲得した。
- 中日は次の指名でやはり他球団と同じく佐々木千隼だっただろうか。
- そちらも外した場合、京田陽太が1位指名されて以下の順位が繰り上がっていたか吉川尚輝(史実の巨人1位)を指名して競合していた?
- 2位以降のドラフトが史実通りであれば佐野恵太との同級生コンビ、或いは後年入団した伊勢大夢、入江大生と共に「明大カルテット」で売り出していた。
- 2021年度オールスターゲーム出場できないどころか、森下暢仁(広島東洋)との明大リレーすらなかった。
- 2021年、実働5年で戦力外通告を受けられて退団になってしまった。
- 史実通りの成績を残せた場合2021年はAクラスこそ厳しいものの最下位は無かったかも。
- 2019年、2022年はDeNAがリーグ優勝できたかも。
- 2022年、2023年は2桁勝利できた。
清宮幸太郎(2017)[編集 | ソースを編集]
※史実では日本ハムに入団
- ヤクルト
- 王柏融(北海道日本ハム)が球団通算8000本塁打になっていた。
- 史実の外れ1位だった村上宗隆はクジの競合相手だった巨人か楽天へ。
- 清宮を外した日ハムが村上を指名→クジを引き当て史実とは所属球団が逆になっていた可能性も。
- 高校時代より通い慣れた神宮球場でホームランを量産していただろう。
- 村上に代わって史実より多少は活躍出来ていたかもしれない。
- ヤクルトの優勝はなかった。
- 巨人
- 背番号は「55」を背負っていた。
- 岡本和真のブレイクが遅れていた可能性がある。
- 岡本は三塁かレフトを守っていた。
- 史実で三塁のレギュラーに定着。
- 岡本は三塁かレフトを守っていた。
- オリックスから中島宏之を獲得することはなかった。
- 阿部慎之助は400本塁打を打てずに引退していた。
- 巨人の90代4番打者になっていた。
- 無理して起用した場合、巨人は史上初の3年連続Bクラスを達成していた。
- 4番に起用してそうなっていた場合、4番打者の代数をカウントするアナクロな思考も批判されていた。
- 阪神
- 甲子園のヒーローが帰ってくると大盛り上がり!
- 甲子園での初出場は、大フィーバーとなっていた。
- 2018年の阪神は最下位を免れていた。
- 背番号は「31」を背負っていた。
- 著書でこれを提唱していた遠藤章造が喜ぶ。
- むしろ無理して起用した場合、指標から考えて史実よりも成績が悪くなっていた。
- 矢野政権は連続Bクラスに沈み、予祝などのオカルトが史実以上に問題視されていた。
- ソフトバンク
- 大先輩の王会長のもと、英才教育が施される。
- 背番号は「3」を背負っていた。
- 松田宣浩は史実より1年早く背番号を「5」に戻していた。
- 2018年のレギュラーシーズンはリーグ優勝できていた。
- このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。
- そうしていれば育成成功していただろう。
- 逆に実力がつく前に一軍で無理して出場させていれば、ホークスの連続日本一はなかったかもしれない。
- そうしていれば育成成功していただろう。
- このチームの育成方針を考えると、1年目から一軍出場できなかった可能性も高いので結局同じかも。
村上宗隆(2017)[編集 | ソースを編集]
※史実ではヤクルトに入団
- 共通する事
- 50本塁打になっていた。
- ヤクルトが日本一どころか2連覇も果たせなかった。
- 楽天
- 球団初の開幕6連勝で波に乗り、令和になって初のパ・リーグ優勝した後、その年の日本シリーズで4タテ(史実ではソフトバンク)による日本一になった。
- 35本塁打で、令和になって初のパ・リーグMVPを獲得した(入団2年目によるMVPは、稲尾和久投手(57年 元西鉄)・杉浦忠投手(59年 元南海)で、打者は史上初)。
- 千葉ロッテから鈴木大地をFA獲得する事は無かったかも。
- 2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
- 楽天の主砲となり、現在に至る。
- 2022年は楽天が優勝できていたかも(史実では貯金18まで増やしたものの、最終的には負け越しでBクラスとなった)。
- その場合、夏の高校野球とプロ野球の双方で宮城県勢が優勝したことになり、地元は大盛り上がりしていた。
- 巨人
- 捕手として育てていたので、数年は二軍暮らしだった。
- 2019年のセの新人王は近本光司が受賞した。
- 日本代表に選ばれるのは早くて2020年代中旬以降。
- 岸田、大城のうち、どっちかは指名しなかった。
- 巨人は、二位で亜細亜大学の高橋(史実の阪神二位)を指名していた。
- 仮に内野手として育てる過程の場合、ファーストに定着した。
- 逆に中田翔は獲得せず、日ハムに残ったままだった。
- 史実通り活躍していた場合、2021年は巨人がリーグ優勝していた。
- 優勝していなくてもシーズン勝ち越しで終えていた。
- 岡本などとともに強力クリーンアップを形成していた。
- 日本一にもなっていただろう。
- 阪神は2021年も巨人に負け越し、2012年から10年連続の負け越しとなっていた。
- 2023年のアレもなかったかもしれない
- 2022年もAクラスに食い込んでいただろう。
- 優勝していなくてもシーズン勝ち越しで終えていた。
- 史実通り55本以上の本塁打を打っていたら、低迷していた巨人人気が復活していただろう。
- 観客動員も阪神を上回っていた。
- その一方でアンチ巨人の恨み節も相当あった。
馬場皐輔(2017)[編集 | ソースを編集]
※史実では阪神に入団
- ソフトバンク
- 飯田優也(ソフトバンク)・松田遼馬(阪神)によるトレードは破談していた。
田嶋大樹(2017)[編集 | ソースを編集]
※史実ではオリックスに入団
- 埼玉西武
- 2023年、実働6年で戦力外通告を受けられて退団になってしまった。
根尾昂(2018)[編集 | ソースを編集]
※史実では中日に入団
- 共通する事
- 投手転向はなかったか?
- 日本ハム
- 「大谷2号」として、注目されていた。
- 先輩の中田翔氏から可愛がられていた。
- 2021年に同僚選手に対する暴行事件を起こして巨人へトレードされることもなかったかもしれない。
- 吉田輝星氏は指名されることはなかったかもしれない。
- 実力がつく前に無理に出場させて、日ハムの暗黒時代は悪化していた。
- 巨人
- 「守備で内野には使えない」と判断され、一年目から外野にコンバートされた。
- 高橋優貴が獲得出来なかったため、2021年は苦戦していたかも。
- 高橋は根尾を外した中日が指名していた。
- その場合、スコアボードなどの表記では「高橋優」になっていた。
- 高橋は根尾を外した中日が指名していた。
- 2020年の増田大輝で前例があるだけに野手登録のまま一軍での登板機会はあった。
- ヤクルト
- 史実より早い段階から一軍でも遊撃での出場機会が得られた。
- 上茶谷大河は小園海斗を外したDeNAが一本釣りか。
- 2位以降でも清水昇を指名出来なかった場合2021年に日本一どころかリーグ優勝すら達成できていたか危うい。
- 翌年のドラフトで長岡秀樹か武岡龍世のどちらかはヤクルトに指名されなかったかも。
- 中日のその後
- 外れ1位は甲斐野央(ソフトバンクの外れ外れ1位)か2位の梅津晃大が繰り上がっていた。
- 1位甲斐野2位梅津で両獲りした可能性も。
- ドラフト戦略が見直され翌年以降立て続けに地元出身高卒選手(2019年石川昂弥、2020年高橋宏斗)を1位指名しなかった可能性も。
- 長い目で見るとこの方がよかったかもしれない。
藤原恭大(2018)[編集 | ソースを編集]
※史実ではロッテに入団
- 共通する事
- ロッテの背番号1は空き番になったまま。
- 楽天
- 浅村栄斗氏が移籍することはなかったかもしれない。
- 辰巳涼介は他球団に指名されていた。
- 阪神
- 地元のスター選手として注目されていた。
- 史実の1位指名入団である近本は他球団が指名していた。
- 2019年の阪神はAクラスになれなかった可能性が大。
- もしロッテが近本を取り史実レベルに活躍した場合、ロッテがAクラスになっていたかも。
- 2019年の阪神はAクラスになれなかった可能性が大。
小園海斗(2018)[編集 | ソースを編集]
※史実では広島に入団
- DeNA
- 遊撃は大和がレギュラーだったため1年目から史実通りに試合に出られたかは微妙だが……。
- 仮に史実通りに試合に出ていた場合、倉本寿彦、石川雄洋、中井大介の出場機会は史実より少なくなり、柴田竜拓のブレークもやや遅れた。
- 1年目から遊撃以外の守備位置での出場機会があったかも。
- 宮崎敏郎が所属していたため、背番号は「51」では無い。
- 多分、白崎浩之のトレード移籍で空き番号となっていた「6」を付けていた。
- 翌年のドラフトで森敬斗がDeNAに1位指名されることは無かったかも。
- 森下暢仁を指名して2年連続で広島と競合していたか、逆に広島が森を単独指名した。
- 上茶谷大河は根尾昂を外したヤクルトが一本釣りか。
- 2021年のドラフト指名結果が史実通りだった場合1位指名の小園健太とユニフォームの背ネームがややこしい事に(どちらも「K.KOZONO」なので)。
- オリックス
- 史実通り試合に出ていた場合安達了一は史実より早く二塁にコンバートされていた。
- 2021年のリーグ優勝には間違いなく貢献していた。
- 太田椋(史実1位)か紅林弘太郎(2019年2位)のどちらかはオリックスに指名されなかった。
- 太田は広島の外れ1位か、阪神が2位で指名した。
佐々木朗希(2019)[編集 | ソースを編集]
※史実ではロッテに入団
- 楽天
- 千葉ロッテから涌井秀章氏が金銭トレードで獲得することはなかった。
- 背番号は「18」を背負っていた。
- 完全試合達成にはならなかった。
- 日本ハム
- 背番号は「11」を背負っていた。
- 同じ岩手県の高校から日本ハムに入団したこともあって、名実共に「大谷2世」として、大注目されていた。
- 監督の栗山英樹氏から可愛がられていた。
- 「朗希」と下の名前で呼ばれるのは確実だろうな。
石川昂弥(2019)[編集 | ソースを編集]
※史実では中日に入団
- ソフトバンク
- 1年目から一軍で試合に出る事は恐らく無い。
- 王会長や小久保二軍監督から英才教育を受けていた。
- 砂川リチャードは支配下登録されなかったかも。
- オリックス
- 2021年の優勝に貢献できたかは微妙。
- 同年の骨折による離脱が無かった場合宗佑磨の出場機会は史実より減っていた。
- この為、同年のパのゴールデングラブ賞三塁手部門は茂木栄五郎が受賞した。
- 同年の骨折による離脱が無かった場合宗佑磨の出場機会は史実より減っていた。
- 吉田正尚、杉本裕太郎と強力クリンナップを形成した。
- 翌年のドラフトで佐藤輝明を1巡目指名していない。
- 中日のその後
- ドラフト戦略が見直され翌年のドラフトで高橋宏斗は中日に1位指名されなかったかも。
- 2022年シーズンの高橋周平は三塁、阿部寿樹は二塁でそれぞれ固定起用された。
2020年代[編集 | ソースを編集]
佐藤輝明(2020)[編集 | ソースを編集]
※史実では阪神に入団
- 共通
- 2021年の阪神はBクラスに低迷していた。
- 代わりに広島がCS出場を果たしていた。
- 巨人には15年連続の負け越しとなっていた。
- Aクラス入りできていても、前半戦で「あかん優勝してまう」と快進撃で盛り上がらなかった。
- 2023年にアレを出来ていたか怪しい。
- ソフトバンク
- 2021年4月9日対東北楽天戦=楽天生命パーク宮城で場外ホームランを放った。
- ソフトバンクは2021年のCS出場を果たせていた。
- ルーキーながらベストナインに選出した。
- 同じくモノノフである石川柊太と意気投合していた。
- 2022年はぶっちぎりで優勝できていた。少なくともリーグ最終日のシーズン最終戦で順位が入れ替わってV逸という事はなかった。
- 巨人
- 坂本勇人、岡本和真、丸佳浩、梶谷隆幸、ゼラス・ウィーラーらと超重量打線が誕生していた。
- 巨人の打撃成績はさらにえげつないものになっていた
- 2021年のセ・リーグは巨人がぶっちぎり優勝していた。もちろん終盤の10連敗もない。
- 仮に優勝を逃していても僅差の2位で終わり、阪神と立場が逆になっていた。
- 特に阪神ファンから目の敵にされていた。
- 恐らく2021年の新人王を獲得していた。
- 田口麗斗と廣岡大志のトレードは行われてなかった可能性が高い
- 坂本の後継問題は佐藤輝明とは関係ないので現実でも行われた。
- 助っ人外国人も取ってなかったか、スモークとテームズのどちらか一人のみになってた可能性もある
- 平内龍太は阪神が外れ1位で一本釣りか
- 背番号は恐らく、自身が抜く前に関西学生野球リーグ通算本塁打記録を保持していた二岡智宏にちなんだ「7」。
- 近畿大学の先輩でもあるから、本人の励みになったこと請け合い。
- オリックス
- 2021年の日本シリーズはオリックスが日本一になっていた。
- 翌年の日本一にも貢献していた。
- 関西球団なので、「地元の星だ」と喜ばれていた。
- 杉本裕太郎が遅咲きでブレイクしなかったかも。
- 三塁手としての起用もありうるので宗佑磨のブレイクにも影響が出ていた。
- 背番号は近畿大学の先輩でもある糸井嘉男から「7」を受け継いでいる。
- 吉田正尚は渡米するまで背番号34のままだった。
- 新人王をチームメイトの宮城大弥と争っていた。
- 史実で外れ1位だった山下舜平大は入団しなかった。
早川隆久(2020)[編集 | ソースを編集]
※史実では楽天に入団
- ロッテ
- 同郷・球団の先輩で、かつ早稲田大学での恩師でもある小宮山悟監督から、喜んで送り出された。
- 背番号も小宮山が背負ってた「14」になった。
- 優勝出来ていた可能性もある。
- ヤクルト
- 奥川恭伸らと強力な先発ローテーションを形成し2021年の日本一に貢献していた。
- 彼の受賞によりこの年のセ・リーグ新人特別賞での表彰選手がもう1人増えていた。
小園健太(2021)[編集 | ソースを編集]
※史実では横浜DeNAに入団
- 阪神
- 森木大智が高校生ドラフトで2位に指名していた。
- DeNAが外れ1位で指名した可能性も。
渡会隆輝(2023)[編集 | ソースを編集]
※史実では横浜DeNAに入団
- ロッテ
- 背番号は「0」を背負っていた。