もしあの人の出身地が別の場所だったら
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- 新規追加はジャンル別五十音順にお願いします。
- 「地元の観光大使etc.になっていた」「あの人と同郷のよしみでコラボしていた」「楽曲が地元の駅で駅メロディに採用されていた」、 「同姓同名の〇〇の家族だった」 などの安易な投稿はご遠慮ください。
- 新規追加時、現実での出身地も書いていただければ幸いです。
- 出身地に論争が起こりうる場合は居住経験を詳しく書いていただければ幸いです。
独立済み
スポーツ
アントニオ猪木
現実では神奈川県横浜市鶴見区出身。
- 福岡県福岡市
- 福岡県出身のプロレスラーは現実よりもっと多かったはず。
- 坂口征二とは「福岡タッグ」として活躍した。
- 同郷のタモリと仲が良かったかもしれない。
- 朝鮮半島
- 現実よりもっと北朝鮮との関わりが深かった。
- ブラジル移住はないが、敗戦後、日本に引き上げていた。
王貞治
現実では東京府東京市本所区 (現在の東京都墨田区) 出身。
- 北海道
- 北海道日本ハムファイターズの監督に就任していた。
- それ以前に巨人自体札幌に移転させていた。
- 北海道出身を代表するプロ野球選手になっていた。
- 札幌市立山の手養護学校の名誉校長に任命されていた。
- 中国から北海道に開拓のために移住した人の家に生まれていた。
- 福岡県
- 史実よりも早く福岡ソフトバンクホークスの監督に就いていた。
- もしくは巨人軍を福岡に移転させていた。
- ↓のように西鉄ライオンズに入団していたら、ライオンズは福岡にとどまっていた。
- 実家は長浜ラーメンの屋台を経営する店だったかもしれない。
- 父の王仕福が故郷である中国浙江省から福岡県に移住していたらこうなっていた。
- 高校時代には九州一の高校球児になっていた。
- 母校も福岡県内のどこかの進学校になっていた。
- 福岡県出身を代表するプロ野球選手になっていた。
- 西鉄ライオンズに入団していたかも。
- 台湾
- 現実でも中華民国国籍ですが…
- 台湾人初のプロ野球選手になり、台湾の英雄となっていた。
- 台湾に国民栄誉賞のような賞があったら、それを受賞していた。
- そもそも国民栄誉賞が日本ではなく台湾で創設された。
- 台湾各地の球場に王貞治の銅像が立っていた。
- 台湾出身の王姓の野球選手と言えば、満場一致で王貞治になっていた。よって王建民の影が薄くなっていた。
- 台湾の国会議員になり、ゆくゆくは、総統にもなっていた。
- 呉昌征に憧れて野球選手になっていた。
- 台湾に国民栄誉賞のような賞があったら、それを受賞していた。
- 王貞治自身が生まれた1940年当時、台湾が日本領だった事を考えると、違和感なさそう。
- 野球チャイニーズタイペイ代表の監督を務めていた。
- 日本ではもっぱら「おう・ていじ」と読まれる。
- 台北オリンピック開催を構想していた。
- 1988年、2000年、2008年、2020年の何れかに立候補していた。
- 当選していた場合、組織委員会会長もしくは最終聖火ランナーを務めていた。
- 実家は日本料理店だったかもしれない。
折茂武彦
現実では埼玉県上尾市出身。
- 北海道
- 史実より早く北海道でプロバスケチームを立ち上げていた。
- いすゞ自動車かボッシュ辺りから権利を買い取っていたかもしれない。
金栗四三
現実では熊本県玉名郡春富村 (現在の和水町) 出身。
- 東京都
- 東京マラソンに「金栗賞」の冠が付いていた。
- 福岡県福岡市
- 福岡国際マラソンは第1回から一貫して福岡で開催されていた。
- 神奈川県箱根町
- 旅籠か木彫り職人の家に生まれていた。
- 箱根駅伝誕生には出身地への恩返しの意味も込められていた。
- 芦ノ湖の往路ゴール地点には金栗の銅像が建てられていた。
具志堅用高
現実では沖縄県石垣市出身。
- 北海道
- 名字は「具志堅」ではなかった。
- 「知里」とかだった。
- おそらくアイヌ系だった。
- 北海道出身のプロボクサーが増えていたかもしれない。
- 内藤大助は具志堅のジム所属だった(現実では担当トレーナーが所属)。
- 異名はオオワシかオジロワシ。
- 「ちょっちゅね」に替わって「そだねー」が史実より40年ほど早く流行語化した。
黒木優子
現実では福岡県福岡市出身
- 北海道・東北・北信越のいずれか
- 「スキーでは雪国の人には敵わない」と言うはずもなく、社会人になってもスキーを続けていた。
琴光喜啓司
現実では愛知県岡崎市出身。
- 鳥取県
- 琴櫻以来の関取として地元で大いに期待される。
- その師匠から四股名を受け継ぐ噂がもっと信憑性を帯びていた。
- 石浦の注目度が下がっていた。
- 高知県
- =両親が地元を離れなかったら、である。
- 同県出身の元大関・朝潮に誘われ若松部屋に入門した可能性が高い(実際にも声をかけられていた)。
- 朝青龍戦の28連敗はなく大関昇進が早まった。
- 日大で学生横綱を獲得したあの先輩同様、土佐犬をあしらった化粧まわしを着用した。
貴ノ岩義司
現実ではモンゴル・ウランバートル出身
- 宮崎県
- 金城以来の宮崎県出身関取として現実以上に注目された。
- 琴恵光の影が薄くなっていた。
- 少なくとも日馬富士に暴行されることは無かった。
- 2017年九州場所は地元での開催だけあって好成績を挙げていたかも。
- 貴乃花夫人の河野景子が故郷宮崎でスカウトした弟子になっていたかも。
辰吉丈一郎
現実では岡山県倉敷市出身
- 大阪府
- 名実ともに「浪速のジョー」と呼べる。
- 和氣慎吾の人生が変わっていたかも。
照強翔輝
現実では兵庫県三原郡三原町 (現在の兵庫県南あわじ市) 出身。
- 岩手・宮城・福島
- 現実通り1995年1月17日生まれだった場合、実際阪神・淡路大震災と同じ日に生まれたから東日本大震災発生時に何らかのコメントを残していただろう。
- 積極的にボランティア活動に参加していた。
- 熊本県
- この場合でも現実通り1995年1月17日に生まれていた場合、熊本地震発生時に何らかのコメントを残していた。
西野朗
現実では埼玉県浦和市(現在のさいたま市)出身。
- 大阪府
- 史実より早くガンバ大阪の監督に就任していた。
- Jリーグ発足時に初代監督として就任していたかも。
- ガンバのタイトル獲得も早まっていた。
福士加代子
現実では青森県北津軽郡板柳町出身。
- 大阪府
- 大阪国際女子マラソンでは地元の声援を多く浴びて活躍した。
- リオ五輪選考会ゴール後には「リオ決定やねん!」と叫んだ。
星野仙一
現実では岡山県児島郡福田町(現在の岡山県倉敷市)出身。
- 東北地方 (とくに宮城県)
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの監督には2011年以前には既に就任していた。
- もしかしたら2005年の創設当初に初代監督として任命されていたかも。
- そして2013年以前にも何回か優勝に導いていた。
- 大阪府または兵庫県
- 阪神タイガースに入団していた可能性がある。
- 1970年代に阪神はリーグ優勝していたかも。
- 1974年にジャイアンツのV10を阻止していたのは中日ではなく阪神だったかも。
妙義龍泰成
現実では兵庫県高砂市出身。
- 群馬県(特に富岡市)
- 「妙義龍」という四股名は妙義山に由来するとされた。
- 「妙義龍」という四股名に対する批判もなかった。
若乃花幹士(初代)
現実では青森県弘前市青女子出身。
- 鹿児島県
- 井筒部屋に入門していた。
- そして横綱に昇進し、四代目・西ノ海嘉治郎を襲名していた。
- 引退後は井筒部屋を継承し、弟の初代貴ノ花を入門させ、井筒部屋を角界を代表する大部屋に成長させている。
- そして若貴ブームの際には、霧島や逆鉾や寺尾が所属している事もあって井筒部屋への注目度が高まっていた。
- 初代貴ノ花が逆鉾を襲名し、若貴どちらかが五代目・西ノ海嘉治郎を襲名していた。
- 鶴ヶ嶺は新たに部屋を興していたかもしれない。逆鉾や寺尾はここに入門していた。
- 井筒部屋から多くの相撲部屋が分家独立する事になるため、井筒一門が存在していたかもしれない。
- 栃若時代ではなく、栃西時代と呼ばれていた。
政治家
東龍太郎
現実では大阪府大阪市出身。
- 宮崎県宮崎市
- 宮崎県知事を務めていた。
- 史実通り東国原英夫が宮崎県知事に当選した場合は「もう一人の宮崎県知事の東」として話題となっていた。
- 東国原英夫が尊敬する人物の一人として挙げていたかもしれない。
- 苗字の読みも「あずま」ではなく「ひがし」だった。
- 史実通り東国原英夫が宮崎県知事に当選した場合は「もう一人の宮崎県知事の東」として話題となっていた。
安倍晋三
現実では東京都新宿区生まれ、本籍地は山口県大津郡油谷町 (現在の長門市) 。
- 岩手県
- 現実よりもっと東日本大震災からの復興に力を注いでいた。
- 当然、復興のスピードも速くなる。
- 2020年のオリンピックは仙台での開催だったかもしれない。
- 原発再稼働など口が裂けても言えなかった。
- 自民党は再稼働推進派と再稼働反対派で二分されていた。
- 東日本大震災をきっかけに首相に復帰したと見なされていた。
- 復興道路の数も現実より多い。特に岩手では。
- 同郷の小沢一郎と仲が良かったかもしれない。
- 自自連立の時代には、「一三同盟」と呼ばれる仲になっていた。
- となると、安倍晋三も史実より新自由主義寄りになっていたかもしれない。
- むしろ小沢一郎が今も新自由主義者のままだったか。
- 「あまちゃん」にも何らかのコメントをしていた。
- 親戚には岸信介ではなく鈴木善幸が居た。
- 東北(岩手県以外)
- この場合も東日本大震災からの復興に力を注いでいた。
- 宮城・福島なら尚更。
今村雅弘
現実では佐賀県鹿島市出身。
- 東北6県 (青森・秋田・山形・岩手・宮城・福島)
- 少なくとも、2017年4月の 「撤回しなさい!」 や 「震災はまだ東北の方でよかった」 などの失言はなかったであろう。
- 特に岩手・宮城・福島の出身であればなおさらのこと。
小泉純一郎
現実では神奈川県横須賀市出身。
- 大阪府
- 2008年大阪五輪招致にかなり熱心になっていた(史実ではビデオ出演のみ)。
- 当選したかどうかは微妙だが、それでも最下位で落選、ということにはならなかっただろう。
- 東京一極集中が緩和されていた。
- 鹿児島県
- 九州新幹線・鹿児島ルートの部分開通式に参加した。
- 東九州自動車道や南九州自動車道の建設ペースが早まっていた。
- 2018年時点で東九州道は志布志まで、南九州道は鹿児島県北部区間が全通していた。
- 鹿児島市が政令指定都市になっていた。
- 苗字は小泉ではなく(父の旧姓である)鮫島だった。
田中角栄
現実では新潟県刈羽郡二田村 (現在の柏崎市) 出身。
- 全般
- 新潟県と山形県庄内地方以外の出身だった場合、上越新幹線は建設されなかった。
- その場合新潟市が政令指定都市になることはなかった。
- 北海道
- 北海道の交通事情改善に手を入れていた。
- 赤字ローカル線の多くは廃線にならなかった。が、美幸線や白糠線はそれでも廃線になっていた。
- 道央自動車道は20世紀中に全線開通していた。
- 道東自動車道も。
- 青函トンネルが国鉄時代に開通していた。
- そうはならなくても北海道新幹線が青函トンネル開通と同時に開業していた。
- 津軽海峡大橋が建設されていた。
- 道北出身なら北海道新幹線を旭川まで、道東出身なら釧路まで引っ張っていた。
- こうなっていたら史実の上越新幹線以上に政治新幹線と言われていた。
- 北方領土の返還が実現していたかも。
- 実現できなかったとしても日ソ関係の改善には力を入れていた。
- 少なくとも平和条約締結は実現していたかも。
- 実現できなかったとしても日ソ関係の改善には力を入れていた。
- 実家の商売が農作物の卸商か何かになっていた。
- アイヌ民族に対して過去の弾圧を謝罪していた。
- 青森県
- 東北新幹線は1982年の時点で一気に青森まで開業していた。
- 多分新青森ではなく、直接青森駅に乗り入れる。
- または最初の開業区間は仙台まで。民営化前後に青森まで全通した。
- どっちにしろ盛岡や八戸が東北新幹線の終着駅になることはなかった。
- 青森が盛岡に遅れを取ることはなかった。
- そのため東北本線は第3セクター化されず、今でも日本最長の鉄道路線だった。
- 東北新幹線の速達列車の愛称は「はつかり」になっていた。
- 「はやぶさ」は北海道新幹線開業時に使用される。
- 「はやて」は使用されなかった。
- 史実の新青森開業の2010年12月に北海道新幹線青森~新函館北斗が開業していた。
- 札幌延伸は2020年ごろに開業する。
- 2007年に青森市が政令指定都市になっていた。
- 本州最北端、全国北から2番目の政令指定都市になる。
- 苗字は「田中」ではなかったかも。
- 八戸かその辺りの出身だと東北自動車道は八戸を通るルートになっていた。
- 宮城県
- 東北新幹線の最初の開業区間は仙台までだった。
- 1997年または2002年に盛岡まで開業した。
- そのため東北本線は仙台(または小牛田)以北が第3セクター化されていた。
- 新青森開業は史実と同じ2010年。
- こちらも青森が盛岡に遅れを取ることはなかった。
- 秋田新幹線は東北新幹線の盛岡延伸後に開業か、山形新幹線を延伸する形で奥羽本線経由になっていた。
- 後者の場合、山形行きの愛称は「やまばと」、秋田行きの愛称が「つばさ」になり、「こまち」は使用されなかった。
- 東北新幹線の盛岡延伸が遅れた結果、羽田~花巻の航空便は現在でも存続している。
- 史実の羽田~山形や羽田~富山のように粛々と運航してそうだが。
- 秋田県
- 福島~山形~秋田にフル規格の奥羽新幹線が建設されていた。
- そのためミニ新幹線というものは存在しなかった。
- または山形までフル規格で建設され、山形以北がミニ新幹線。
- 愛称は「やまばと」と「つばさ」が使用される。
- 東北新幹線と並行してるため、史実の上越新幹線以上に政治新幹線と言われていた。
- 現実以上に菅義偉が田中角栄と比較されていた。
- 山形県
- 山形新幹線は福島~山形がフル規格で建設されていた。
- 名称は奥羽新幹線。
- 秋田新幹線は山形から奥羽本線上にミニ新幹線として建設されていた。
- 羽田~山形の航空便は奥羽新幹線開業により廃止されていた。
- 茨城県
- 上野~水戸~仙台に常磐新幹線が建設されていた。
- そのため関東のすべての都県に新幹線の線路と駅があった。
- 常磐線を走る特急列車が激減し、高崎線が現在でも特急街道になっていた。
- 山梨県
- 中央新幹線が軌道規格で国鉄時代に開業した。
- そのためリニア新幹線は実用化されない。
- または北陸新幹線が新宿~甲府~松本~富山経由のルートで建設される。
- 同郷の金丸信の影が薄くなっていた。
- 長野県長野市
- 上越新幹線は建設されず、北陸新幹線が1982年に長野まで開業していた。
- そして長野オリンピック直前の1997年に金沢まで開業。2010年代には福井や敦賀まで開業している。
- 国鉄時代に開業したため信越本線の横川~軽井沢間は廃止されなかった。
- 2007年に長野市が政令指定都市になっていた。
- 2010年代に金沢市も政令指定都市になる。
- 長野県松本市
- 北陸新幹線は新宿~甲府~松本~信濃大町~富山のルートで建設されていた。
- まず1982年に新宿~松本が開業する。
- 1987年に東京乗り入れ。1997年に松本~金沢が開業した。
- 史実より距離が短縮され、東京~金沢は2時間ほどで結ばれていた。
- そのため羽田~富山・小松の航空便は廃止。
- 大糸線の松本~信濃大町間が第3セクター化されていた。
- 大糸線は信濃大町~糸魚川の路線となり、ある意味路線名的にこっちのほうが正しい。
- 長野~新潟の特急北越が松本発着になっていた。
- 上野~新潟の特急「とき」も上野~長野の特急「あさま」も存続し、高崎線は史実の常磐線、中央線以上の特急街道になっていた。
- 富山県
- 北陸新幹線は1982年に富山まで開業していた。
- 富山~金沢は1997年ごろに開業。
- 史実には存在しなかった北陸新幹線の終着駅が富山という時代が10年~20年続いていた。
- 富山と石川の関係が岩手と青森のようになっていた。
- 富山までJR東日本の管轄になっていた。
- 富山がJR東日本とJR西日本の境界駅になる。
- 北越急行ほくほく線は建設されなかった。
- 北陸本線が第3セクター化されるのは富山以西だけだった。
- 羽田~富山の航空便は北陸新幹線開業により廃止されていた。
- 羽田~花巻の方が存続している。
- 石川県
- 北陸新幹線は1982年の時点で大宮~金沢が開通していた。
- その反面、上越新幹線は開通していなかったか民営化後の開通となっていた。
- 新大阪延伸も2014年に実現していた。
- 金沢までJR東日本の管轄になっていた。
- 同じく石川出身の森喜朗も田中派入りさせていた。
- 森が現実には福田派入りしたのは中選挙区時代のライヴァルである奥田敬和が田中派に所属していたから。従って奥田が田中派以外の派閥に所属していない限り森が田中派入りする可能性はない。
- 最も奥田が総選挙に初当選した1969年時点では田中は佐藤派に所属していたので奥田も佐藤派に所属。佐藤派が佐藤栄作総理の退陣後田中派・周山クラブ(保利茂・松野頼三ら)・中立派(木村俊夫・粕谷茂ら)に3分裂したので奥田が田中派に参加せず周山クラブか中立派に所属していた場合のみ森が田中派に入ることになる。
- 周山クラブはのち福田派に合流したので史実とは逆に森が田中派所属、奥田が福田派所属となった。中立派は自然消滅したのでその場合奥田は無派閥を貫くか田中派以外の派閥に加入することになる。
- 北陸本線が第3セクター化されるのは最低でも金沢以西のみ。
- 2007年に金沢市が本州の日本海側初の政令指定都市になっていた。
- 福井県
- 北陸新幹線は西側から建設され、1982年に新大阪~福井が開業。
- 京都で東海道新幹線と分岐する湖西ルートで建設されている。
- そのため湖西線は建設されなかったか、埼京線のような新幹線併設の路線になっていた。
- 東海道新幹線に京都止まりの列車があった。
- 京都で東海道新幹線と分岐する湖西ルートで建設されている。
- 富山以東の東京側のルートが長野経由(史実と同じルート)、越後湯沢経由(史実のほくほく線に沿うルート)、松本経由(中央本線沿いのルート)で揉めていた。
- 和歌山県
- 和歌山新幹線が建設されていた。
- 和歌山と淡路島の間に橋を建設していたかもしれない。
- 鳥取県
- 山陰新幹線が建設されていたか、智頭急行がミニ新幹線になっていた。
- 同郷の石破茂が田中角栄の再来と言われていた。
- 島根県
- 上記同様に山陰新幹線が建設されていたか、伯備新幹線が岡山~米子~出雲市で建設されていた。
- 竹島の返還が実現していたかも。
- 同郷の竹下登の影が薄くなっていた。
- 徳島県
- 本四連絡神戸~鳴門ルートに鉄道が併設されていた。
- 場合によっては四国新幹線が開通していた。
- 四国に1つくらいは政令指定都市ができていた。
- 同郷の三木武夫が田中の退陣とともに力を失い総理大臣になれなかったかもしれない。
- 熊本県
- 九州新幹線の博多~熊本間が山陽新幹線の延長として1982年に開業していた。
- 熊本~鹿児島中央間は2004年に開業していた。
- 史実には存在しなかった九州新幹線の終点が熊本という時期が20年以上存在していた。
- よって熊本と鹿児島の関係が岩手と青森のような関係になっていた。
- 熊本市が九州の中心に返り咲いていたかもしれない。
- 鹿児島県
- 九州新幹線は1982年の時点で西鹿児島まで開通していた。
- 九州自動車道も八代以南が西回り経由で昭和の内に鹿児島まで全通していた。
- 鹿児島の赤字ローカル線の多くは廃止にならず、鹿屋市から鉄道が消えることもなかった。
- 鹿児島市が政令指定都市になっていた。
- 日本での火山対策が現実より進んでいる。
- 「今西郷」とか「角栄どん」と呼ばれていた。
東国原英夫
現実では宮崎県都城市出身。
- 鹿児島県
- 鹿児島県知事として薩摩大根などを宣伝していた。
- 宮城県知事と混合されることもなかった。
- 鹿児島県でも旧曽於郡なら都城とも縁が深かっただろう。
- 実際に東国原は鹿児島県曽於郡が発祥であり、両親も同地出身だったことから可能性は高かった。
- 大分県
- 大分県知事としてカボスなどを宣伝していた。
- 鹿児島県出身の場合と同じく宮城県知事と混合されることもなかった。
- 大分県でも佐伯市なら宮崎とも縁が深かっただろう。
- 秋田県秋田市
- 「東国原」という名字にはならない。
- 秋田県知事として比内地鶏を宣伝していた。
- この世界でも宮城県知事と混合されることもなかった。
- 北海道
- 「名字」は東国原ではなかった。
- 宮崎出身の開拓使の子孫なら東国原という名字だった可能性はある。
- 北海道知事として北海道の農作物や酪農製品を宣伝していた。
- 北海道の魅力度が更に上がっていた。
- この場合も宮城県知事と混同されることはなかった。
- 鳥取県
- 名字は「東国原」ではなく「名和」あたりだった。
- 鳥取県知事として20世紀梨あたりを宣伝していた。
- 宮城県知事と混同されることはなかったが、島根県知事と混同されていた。
- 鳥取が糸電話で揶揄されたCMに対して何らかのコメントをしていた。
- 茨城県
- この場合も名字は「東国原」ではなかった。
- 少なくとも茨城県が魅力度最下位になる事はなかった。
- この場合も宮城県知事と混同されていた。
村山富市
現実では大分県大分市出身。
- 宮崎県宮崎市
- 宮崎初の内閣総理大臣になっていた。
- 東国原英夫の人生に大きく影響を与えていたかもしれない。
- 同郷の福島瑞穂をまるで実の娘のようにかわいがっていた。
- 兵庫県
- 阪神・淡路大震災に上手く対応できただろう。
- 村山内閣は現実より長続きしていた。
その他
水戸岡鋭治
現実では岡山県岡山市北区出身。
- 北海道
- 苗字は「水戸岡」であったか怪しい。
- 岡山から移住してきた人の子孫だったら「水戸岡」だった可能性はある。
- JR北海道の所有する車両の多くをデザインしていた。
- JR北海道の不祥事はなかったかもしれない。
- それどころか経営自体ましだった。
- 少なくとも留萌本線の留萌~増毛間の廃止や単独での維持困難な路線や区間を発表する事はなかった。
- それらの路線や区間には水戸岡デザインの観光列車が走っていた。
- キハ285系やDMVの開発中止もなく、水戸岡デザインの車両になっていた。
- 少なくとも留萌本線の留萌~増毛間の廃止や単独での維持困難な路線や区間を発表する事はなかった。
- それどころか経営自体ましだった。
- JR北海道は史実のJR九州のような体質になり、特急誘導もひどくなっていた。
- ここ書かれていることのいくつかは現実のものになっていた。
- JR東日本管内
- JR東日本の車両のデザインを手がけていた。
- 東北・上越・北陸新幹線の車両は現実より派手なものになっていた。
- JR東日本は現実以上に特急誘導がひどくなていた。
- 地方交通線ですら特急を設定していた。
- 「採算が取れない」として廃止、もしくは快速格下げに追い込まれていた。
- 地方交通線ですら特急を設定していた。
- JR東日本と水戸岡との思惑の違いで軋轢が起きそう。
- 東北出身なら東北地方の活性化に力を入れていた。
- そして私鉄にも力を入れていた。
- 十和田観光電鉄は廃線に追い込まれることがなかったかも。
- そして私鉄にも力を入れていた。
- 愛知県
- JR東海の車両のデザインを手掛けていた。
- JR東海は史実ほど新幹線至上主義になっていなかった。
- ローカル線にも力を入れており、水戸岡デザインの観光列車を運行させていた。
- ここ書かれていることのいくつかは現実のものになっていた。