戸ノ内
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戸ノ内の噂
- 戸ノ内地区南の沖縄+廃墟ぶりは自主制作映画が3本撮影出来る勢い。
- 『モスリン橋の、袂に潜む』とかいう映画のモデルになっている。見たこと無いから知らんけど。
- 予告編だけ見るとものすごい田舎の島がモデルになっていて、戸ノ内っぽさは打ち消されている。けど、島には独特の風習があるとか、青線があるなんて設定はどう見ても戸ノ内を意識している。だいたいタイトルにモスリン橋なんて入ってる時点で蓋然性は高い。
- 路上に産廃が平気で棄てられている。
- 「進めよう! 覚せい剤、シンナー乱用無い街づくり」なんて立て看板が何個も残っている。いくら治安がよろしくないと言われる尼崎でもここまで酷い所は戸ノ内くらい。
- 『モスリン橋の、袂に潜む』とかいう映画のモデルになっている。見たこと無いから知らんけど。
- 地形的には大阪府豊中市。ここだけ、猪名川の川向うにある。
- とはいえ、豊中とも、川幅は狭いが旧猪名川によって隔てられている。
- 逆に園田の方では猪名川のこちら側に豊中が張り出してきている(豊中市利倉西)。
- 道路整備などの行政サービスが追いついていない。
- 府県境にあるため、兵庫県も大阪府も金を出したくないんだろうということがよく分かる。
- おかげで山手幹線が幹線とは思えない終端部を形作っている。
- 同和行政が敷かれている地域。
- ここの場合、元々は同和地区じゃなかったのに、流浪の末にこの地に流れ着いた人々が「我々は部落民だからなんとかしろ!」と役所へ暴動紛いの陳情を繰返した結果、同和指定されたという変わった歴史がある。まあ流浪民の出自は同和と沖縄出身者が多かったらしいが……
- まあ令和の今ならえせ同和行為として糾弾されたんだろうけど、昭和の時代には許された左翼系の反社会的活動の歴史が、そこにある。
- 左翼系と言っても共産党はむしろえせ同和に最も厳しい態度をとっている。同和行政を推進したのは社会党ー民主党ー立憲系統。
- まあ令和の今ならえせ同和行為として糾弾されたんだろうけど、昭和の時代には許された左翼系の反社会的活動の歴史が、そこにある。
- 同和問題は関東より関西の方がうるさい。
- ここの場合、元々は同和地区じゃなかったのに、流浪の末にこの地に流れ着いた人々が「我々は部落民だからなんとかしろ!」と役所へ暴動紛いの陳情を繰返した結果、同和指定されたという変わった歴史がある。まあ流浪民の出自は同和と沖縄出身者が多かったらしいが……
- アクセス路が3本しか無い。
- 3本ともすべて渡河する必要があるルート。さながら川が堀になっている。
- 北に向かうと陸地で繋がっているが、阪急などで遮られる。
- どうも本当は道が続いているらしいが、約2kmに渡って、人通りもほとんど無いルートになっている。因みに車の通抜けは不可みたい。
- 阪急より北側は住所が戸ノ内町でなく、東園田町になる。
- 内側を守るために堀は造られるものだが、戸ノ内の場合、むしろ堀の外側を守るために堀がある。
- 北に向かうと陸地で繋がっているが、阪急などで遮られる。
- 仮にこんな危険なところに無理して橋を架けて往来を活発にしたいとは誰も思わなかったんだろうなあと感じる。
- 神崎川を挟んで隣接する大阪市からもアクセスできる。
- 3本ともすべて渡河する必要があるルート。さながら川が堀になっている。
- モスリン橋は漢字で書くと毛斯綸橋。
- 戸ノ内に工場のあった毛斯綸紡績という会社が私費で架けたとか。
- 毛斯綸紡績は昭和元年に倒産。その工場は鐘紡が買った後、戦中に軍需工場に転換されるも空襲で焼かれる。
- 戸ノ内町には旧遊郭があった。
- 神埼新地と呼ばれていたが阪神大震災の頃に壊滅。まあ元々女性のレベルも低かった。
- 元々市内の難波にあった青線が集団移転して誕生したらしい。
- 怪しい政治団体の事務所もある。
- 治田寺には立派な阿弥陀如来坐像があるらしい。
- でも基本的に自分のお寺の檀家以外には寺を開いていないため、ほぼほぼ見ることはできない。
- ここの住職は非常に無愛想という評判。ソースはグーグル案内。
- 実は、戸ノ内本土から見て川向うの大阪府豊中市側の塩野義製薬のグラウンドも尼崎市戸ノ内。
- ついでにいうと、阪神高速池田線も戸ノ内をかすめている。
- 住所が「尼崎市戸ノ内」なのはこの川向う部分(住居表示未実施)だけ。他は「戸ノ内町○丁目」。
- 旧猪名川でここだけは両岸が尼崎市ということになるのだが、この場所にある水門は不思議なことに大阪府(西大阪治水事務所)が管理している。
- 戸ノ内素盞鳴神社は、それなりに古い歴史を誇る。
- 多田源氏や織田信長が焼いては再建してというのを繰り返していたらしいから、それなりの歴史だ。
- そこらじゅう、改良住宅だらけ。団地が妙に真新らしいのは、大人の事情。
- 阪神・淡路大震災を受けて、やっと地元が密集する狭小住宅の改良住宅化に合意した結果、平成になってできた団地が多いため。
- 何故合意に時間がかかったかと言うと接収時の価格を吊り上げるために戸ノ内の旧住民が団結していたから。市役所側も「下手なことをやると人権問題にするぞ」等と脅されたのでは、そりゃ、うかつに手は出せないよね……
- 昔は車の通れない道だらけだったが道幅も、この改良に合わせて拡幅された。
- 狭い道路は不便だから、普通は拡幅されるとなると住民は喜ぶんだろうけど、ここの場合は警察や当局の侵入時に逃げ延びられるように、わざと複雑な路地を張り巡らせた様な街にしていたとか……
- 阪神・淡路大震災を受けて、やっと地元が密集する狭小住宅の改良住宅化に合意した結果、平成になってできた団地が多いため。