もし赤字83線の段階でローカル線を全廃していたら

2021年3月1日 (月) 12:35時点におけるChakuwiki (トーク | 投稿記録)による版 (文字列「[[Category:」を「[[カテゴリ:」に置換)
ナビゲーションに移動 検索に移動

詳しくはこちらを参照。

  1. 札沼線が全廃されたことにより、現在における勝田線同様、大都市近傍で需要が見込まれるのに廃止したという先見の明のなさの象徴として語り継がれる。
    • 香椎線も。
      • 福岡市営地下鉄箱崎線は香椎線沿いにまで路線が延伸されていた。このため西鉄宮地岳線は全線が廃止に追い込まれていた可能性もある。
      • 香椎線は香椎 - 宇美間が廃止対象なのでそれはない。その場合は長者原駅は開業しなかった。
    • 札幌市営地下鉄南北線は少なくとも篠路あたりまでは延長されていた。
    • 札沼線は新十津川以北廃止のためそれはない。(ただ後に石狩沼田以北が廃止になっていたかも。)可部線も可部以北廃止なのでその危険性はない。
      • 石狩沼田ではなく、石狩当別以北では?
    • ちなみに勝田線も赤字83線に入っているが…。
      • 福岡市営地下鉄空港線が福岡空港からさらに志免・宇美まで延伸されていた。福岡空港以遠は「福岡高速鉄道」という第三セクターの手で建設され、一部区間では勝田線の廃線跡を流用していた。
  2. 五稜郭~松前が松前線として現在まで残る。吉岡海底が松前線との乗換駅となり、松前観光の玄関駅としてある程度賑わう。
    • 津軽二股の事例を考えるとそうは思えないが
    • 北海道新幹線開通とともに、江差線同様廃止されてしまったかもしれない。
    • 吉岡海底というより知内/渡島知内だろう。この場合、仮に新幹線開通後松前線が廃止されていたとしても知内駅は廃止されなかっただろう。
      • 知内に近いのは湯ノ里の方だけど。
  3. 新藤原は今でも終点。
    • 野岩鉄道があるのでそれはない。
      • そもそも野岩鉄道ができていたかは…。
    • 会津線ともども東武の一員になっていただろう。
    • 下手すれば東武は鬼怒川温泉まで路線が短縮。
  4. 信楽線が廃止されているため、信楽から京都・大阪へは直接大津方面に向かうのがメインルートとなっていた。
    • 信楽町は甲賀市ではなく大津市に合併されていた可能性もある。
    • この事故も起こらず、世界陶芸祭も開催されなかった。
    • 石山~信楽間を結ぶ帝産湖南交通のバスが廃止されることもなかった。
  5. 木原線が廃止されれば、同線の終点である上総中野で接続している小湊鉄道の運命も危うかった。
    • 養老渓谷か上総牛久が終点になっているか、最悪の場合全線廃止もありうる。
      • 京成千原線の千原延伸を見返りに廃止されていたかもしれない。
        • おそらく千原(ちはら台)ではなく海士有木開通をもって廃止になりそう。
  6. 真岡線が廃止になっていれば関東でSLの話題を集めているのは昔も今も秩父鉄道
    • または大井川鐵道。
  7. 伊勢線が廃止になってしまったら名古屋~紀州方面の列車はいまだに亀山でのスイッチバックを余儀なくされている。
    • このため特急「南紀」は名古屋~津・松阪間で所要時間が近鉄特急と比較して圧倒的に遅く、松阪以南から名古屋に行く時には同駅で近鉄に乗り換えるのが主流になっていた。
    • それを防ぐために伊勢線は紀勢本線の支線扱いとなっていた可能性もある。
      • 同様に内子線も予讃線に編入されたかもしれない(あそこは海線が地すべり地帯だったこともあって特定地方交通線の特例もなったほどだから)。
    • 逆に亀山市は全ての特急が亀山駅に停車するため、現実よりも発展していた。
      • 京都から新宮へは草津線~亀山経由の方が便利になっていた。
    • 近鉄が伊勢線を引き継いだ可能性もある。
    • そもそも、伊勢線は赤字83線の取り組み時点では開業していない。
      • 伊勢線は国鉄としては建設されず、智頭急行や北越急行のように最初から3セクの路線として開業していた可能性もある。
      • 史実どおり国鉄線として開業していたとしても、石勝線のように特急しか走らない路線として開業していたかもしれない。
        • その場合、途中駅は鈴鹿しか設置されなかった。
      • 伊勢線もC線なので建設凍結もさせなかったと思う。
  8. 鳴門線が廃止されていることから、鳴門市の中心部には鉄道が通らないことになっていた。
    • 鳴門市の代表駅は池谷駅となり、同駅は「鳴門市」駅に改称されていた。
  9. 予土線が存在しないため、鉄道で四国を一周することができなくなっていた。
  10. 参宮線が廃止されていたら、近鉄志摩線は鳥羽線が開業するまでは孤立路線になっていた。
    • 快速みえも松阪止まりだった。
      • 参宮線は伊勢市以東が廃止対象だったので伊勢市止まりになっていたかも。
        • 近鉄鳥羽線を見返りに国鉄参宮線の伊勢市以東が廃止されていた可能性も。
    • あるいは近鉄が参宮線の廃線跡を譲り受けていた。
      • 近鉄によって改軌・電化が行われていた。
      • となると現実の近鉄鳥羽線が存在しないことになる。
  11. 東武鉄道は会津若松(or米沢)まで伸びていた。
    • 2012年現在、日本最長の私鉄は東武鉄道となっている。
      • その他、有力私鉄が幾つかの路線を引き継ぐも、2000年代に大半が廃止されて行った。
      • 同時期の名鉄や近鉄のように、東武も小泉線や佐野線などの末端線を切り離していたかも。
  12. 地方では高校生のバイク通学が認められるようになっていた。
    • 高校生にとっての通学手段が奪われてしまうので集団就職する人も少なくはなく、衰退することもなかったかもしれない。
      • 集団就職の衰退は産業の高度化とオイルショック前後の就職活動の競争激化による影響が大きいので、地方では通学できない生徒のために寮がある高校が増えていた。
  13. 幾つかの路線では復活営業しているかもしれない。(特に三陸とか)
  14. 特定地方交通線廃止もなかった。
  15. Chakuwikiの「もしあの国鉄路線が全通していたら」がもっと多くなっていた。
  16. 八戸線、大湊線が廃止されたため、2010年12月以降、青春18切符だけで八戸で行くことができなくなっていた。
    • 八戸線は鮫以南が廃止対象。その場合は青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道に乗車できる特例が設けられていた。
      • この際、愛称として使われている「うみねこレール八戸市内線」が、正式な路線名となる。
    • または、実史の「青春18きっぷ 北海道新幹線オプション券」みたいな「オプション券」を設定した可能性もある。
  17. 三陸鉄道は存在しなかった。
    • 「あまちゃん」に北三陸鉄道として登場することはなかった。
      • 場合によっては八戸線鮫以南、気仙沼線も含めて(震災後は山田線・大船渡線の海線も)引き継いでいたかもしれない。
        • 気仙沼線は三陸鉄道の路線として開業していたかも。その場合BRTではなく鉄道として震災復旧していたかもしれない。
  18. 日本最南端の駅は山川駅になっていた。
  19. 最初に廃止された路線は1969年だったので国鉄の新線建設は1970年代でストップしていた。
    • 史実ではそれ以降に開業した鹿島線、岡多線、吾妻線の長野原草津口ー大前間、可部線の加計ー三段峡間は開業しなかった。
      • 岡多線(瀬戸以南)はAB線じゃないので建設継続される。むしろ史実で無駄に使われた予算がCD線(83線廃止以降も建設継続)建設に充てられるから、史実とは違い全通していたし、(国鉄の財政悪化も遅くなるので)岡多・瀬戸線や伊勢線の廃止はなく、南方貨物線だって建設再開してたかもしれない。
      • 鹿島線は鹿島臨海鉄道が建設。
        • ↑のような状態ならば、普通に国鉄(建設公団)が作ったと思う。ついでに臨港線(神栖方面)も国鉄が開通し、後に旅客扱いも行われていた。
      • もしかしたらりんかい線もJR臨海線として開通していたかもしれない。
  20. 烏山線が存在しないのでJR東日本が蓄電池電車を開発することはなかった。
    • 男鹿線とかでやったのかな。
    • 久留里線はあいつらがいるしなぁ…
      • 木原線側廃止で久留里線も無くなっていたかも。
  21. 木原線の廃止により、首都圏一の赤字路線となった相模線の存続も厳しくなっていたかもしれない。
    • この場合元の所有者だった相模鉄道が買い戻したりして。
  22. 三江線は南北に分断されたまま廃線となり、ついに全通することはなかった。
    • 阿仁合線・角館線も。
  23. 志布志駅は史実と真逆の路線が残ることに(志布志線・大隅線が存続、日南線が廃止)。曲がりなりにも鹿児島県に属する志布志市(当時は志布志町)にとってはこのほうが良かったかもしれない。
    • 鹿屋市から鉄道が消えることはなかった。