もしあの地域が別の県に属していたら/東北
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複数地方
東北
二戸地域が青森県
現在、岩手県北の二戸地域は岩手県に属していますが、1871年の廃藩置県実施から約5年間は青森県に属していました。もし、そのまま二戸地域が青森県に属していたら。
- 実史の二戸郡は青森県の郡となる。
- 九戸郡が青森県の郡と勘違いする人が出てくる。
- 2002年12月1日の東北新幹線八戸開業時には、「戸」を巡るツアーが企画されたりして。
- 四戸が復活する。
- 2010年12月の東北新幹線新青森(=全線)開業時には、青森県内の新幹線途中駅にすべて「戸」が付されることになる(二戸・八戸・七戸十和田)。
- 折爪岳・二戸中継局の出力は、実史ほど強くなっていない。
- 階上岳・八戸中継局が無指向性で送信されていた。(実際は南側(岩手県側)に電波を発射していない。)
- (実史上での)青森県三八上北地域で、在盛テレビ局を視聴する事はできなかった。(二戸が青森県に属する上、紫波新山・盛岡送信所からの距離が有り過ぎる(約150km以上)為。)代わりに二戸地域で、在盛テレビを視聴する習慣ができる。
- IGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道の境界駅は、目時駅ではなく御堂駅。
- もしかしたら、東北本線「盛岡⇔御堂間」はIGRいわて銀河鉄道に転換されなかったか…。
- 八幡平市は誕生しなかった。(安代町が青森県に所属していたため)
- 盛岡市に本部がある「スーパーマーケットジョイス」が二戸地域(更に実在する青森県八戸市の店舗も)に出店できず、代わりに「ユニバース」が、二戸地域に出店している。
青森県南部地方(青森県東部)が岩手県
- 青森県は誕生せず弘前県のままで県庁も弘前にある
- 県の面積が小さくなるので弘前県は秋田県と統合する可能性も
- チャクウィキでは岩手県vs弘前県の対決がネタにされていた
- 月曜から夜ふかしでもネタにされる
- 県の領域が大きいので岩手県南部は宮城県だったかも知れない
岩手県南部(旧仙台藩領)が宮城県
- 平泉が宮城県の世界遺産になる
- 松島は史実ほど観光開発されない?
- 仙台市が政令指定都市に昇格後、県の中央に位置する大崎市が県庁移転の運動を起こしている
- 史実と同じく、三陸沿岸(女川、気仙沼、大船渡など)は冷遇されたまま。
- むしろ仙台との連絡のため三陸縦貫道などの整備は進んでいた?
- 水沢も含まれるので宮城県が「小沢王国」と呼ばれていた。
- 安住淳は史実の達増拓也的なポジションとなり、村井嘉浩を破って宮城県知事に転身していた。
南三陸地方が岩手県
- 三陸と言えば100%岩手県。
- 岩手県の観光地が増えるかも。
- 三陸自動車道石巻以北やみやぎ県北幹線道路の整備は(震災があったとしても)遅れていた。その分仙台~石巻間の4車線化や国道284号線の高速化が優先されていた。
- 気仙郡も気仙沼も岩手県にある。
宮城県旧磐城国が福島県
- 福島市の求心力は現在以上に高かった。
- 相馬市や南相馬市も現在ほど仙台への一方的な流出、依存とはならなかった。
福島県県北地方が宮城県
- 福島県…じゃなくて郡山県が出来ていて県庁も郡山市。
- 福島市と郡山市はライバル意識は持っているか?
- 福島市に県庁も国立大学も医大もないということになるので、石巻や大崎レベルの人口だったかも(奥羽線や国道13号の起点という重要性はあるだろうが)
- そもそも奥羽線や13号の分岐点にならなかった可能性もある
- 明治時代に早々に日銀の支店が仙台より先にできているほどだったので、逆に宮城県第二の都市として史実よりも栄えていたかもしれない。
- 福島市に県庁も国立大学も医大もないということになるので、石巻や大崎レベルの人口だったかも(奥羽線や国道13号の起点という重要性はあるだろうが)
- 福島空港ではなく郡山空港である。
浜通り夜ノ森以北が宮城県
関東
甲信越・北陸・東海
近畿
中国・四国
隠岐諸島が鳥取県
- 隠岐と結ぶフェリーは米子発着だった。
- 空路は米子空港発着。出雲空港は存在せず。
- 島根県が返還を求めてる。
- 島根県から村が消滅している。
備後地方が岡山県
- 広島空港はもっと広島市に近い場所に建設されていた。
- あるいは現実の旧空港の場所で拡張していた。
- 福山市は現実以上に岡山志向が強くなっていた。
- 広島~福山間の高速バスは運行されていなかったかもしれない。
- 山口県の周南市以東は広島県に属していた。
- 三原市や三次市は存在しなかった。あるいは存在したとしても現実より遥かに小さな市となっていた。
美作地方が鳥取県
- 島根の人口を超える。面積は超えない。
- 旧小田県は全域岡山県になっていた。
- 南勝線が全通していた。
- 津山市が鳥取県となるので因美線は現実よりも利用客が多かった。
- タブレット閉塞も現実よりも早く廃止されている。
- 智頭急行は岡山県を通らなかった。
- 車両型式の「HOT」は「HT」になっていた。
- 当県の天気予報は鳥取市、米子市、津山市。
- この世界でも相変わらず島根県と混同するし、存在感も薄い。
- しかし、中国自動車道で本気を出す。
- 岡山県は深津県のみ合併している。
- 新見地区の出っ張りぷりが。
- 人口は相変わらず少ないか?
- 県庁は鳥取市。
- 島根県側は史実通り。
- 津山地区はテレ朝系が見れなくなるかも。
- 兵庫県と大部分に接近する事に。
- 大山と蒜山を一緒くたにした観光PRが行われる。
- 高校サッカーの県大会は作陽と米子北の2強になる。
- ただし青山敏弘(倉敷市出身)は作陽に進学しなかった可能性が高い。
板野郡が香川県
- 都道府県で一番狭いのは大阪府。
- 徳島阿波おどり空港は別の名前になっている。
宇摩郡が香川県
- この場合でも都道府県で一番狭いのは大阪府だと思う。
- 四国中央市が香川県に!
幡多郡が愛媛県
- 半家駅が愛媛県の物に…。
- 「日本一長い」校名の篠山小学校と篠山中学校の校名が短くなる(校区全体が愛媛県になるため)。
三好郡が愛媛県
- それでも四国中央市の市名にクレームを付けていた。
- あるいは現実の三好市+東みよし町で四国中央市。
- その場合愛媛の市は宇摩市になって愛知県の某市は三好市になった。
- あるいは現実の三好市+東みよし町で四国中央市。
- 徳島線が川之江駅まで伸びていた。
- 池田高校は甲子園で一時代を築けていただろうか?
石見地方が広島県
- 国鉄今福線の工事が継続され、かつ芸備線吉田口起点で大朝経由の芸石線として開業しただろう。
- 広島県は兵庫県と同様瀬戸内側から日本海側まで県域があるので、本州を陸路で縦断する際必ず通らなければならない県となっていた。
佐伯郡が山口県
- 広島県が兵庫県より小さくなり、山口県が栃木県より大きくなっていた。
- しかし、人口はあまり変わらない。
- 広島市は佐伯区や西区の一部を失うので今より小さくなっていた。
- しかし、山口県との県境として今と同じくらい発展はしている。
- 大竹市と廿日市市、江田島市の一部も山口県のものとなっていた。
- 岩国市・大竹市・廿日市市は今よりもさらに寂れる。
- 宮島は現在よりも観光客が少なくなっていた。
- 工場地帯もないので和木町は貧乏なまま岩国市に編入されていた。
- 小瀬川が県境を成すことはなく二級河川になっていた。
- 岩国市・大竹市・廿日市市は今よりもさらに寂れる。
- 佐伯区と西区の一部は五日市市として独立していた。
- 東の拠点として今よりも発展していた。
- 廿日市市と五日市市と連続するので間違える人が多数。
玖珂郡が広島県
- 広島県が山形県より広くなり、山口県が千葉県よりも狭くなっていた。
- 広島県は面積が9位となる。
- 岩国市は西の拠点として今より発展していた。
- 岩国市は人口が30万人を超え中核市となっていた。
- 小瀬川は周辺人口のおかげで一級河川になれた。
- 岩日線はJRのものとなり未成区間やとことこトレインは存在しなかった。
- 岩国市北部が秘境の地なんて言うこともなかった。
- 岩国市は人口が30万人を超え中核市となっていた。
- 柳井市も県境の町として今より少し発展する。
- 残った熊毛郡の方は周辺と合併して熊毛市とかになっていたかもしれない。
- 広島岩国都市圏として広島市はさらに発展していた。
- その間にある廿日市市や大竹市も発展し人口も増えていた。
- 広島市は湯来町との合併を拒否したかもしれない。
- 和木町は10km²ぐらいしか満たない中に2万人以上が住んでいた。
- 大竹市も人口が3倍以上となり、廿日市市も20万人を超え中核市となっていた。
- 安芸太田町や北広島町も今より過疎が緩やかだった。
- 大竹市も人口が3倍以上となり、廿日市市も20万人を超え中核市となっていた。
- 広電宮島線は岩国市まで延伸し、錦帯橋線や空港線もできていた。
- その間にある廿日市市や大竹市も発展し人口も増えていた。
九州・沖縄
壱岐・対馬が別の県
- 福岡県
- 誰も疑問に思わない。めでたし、めでたし。
- 「現実に福岡県じゃないの?」とか言ってるのは誰だ?
- そこの市外局番が「0920」だから、疑問に思わないね。
- 唐津-長崎間の高速バスは運転されない。
- 博多~壱岐~対馬の船便や航空便はもっと増便されるので、島の人も大喜び。
- 長崎~壱岐の便が存在しないので、壱岐空港は定期便のない空港になっていた(対福岡ではジェットフォイルに敗れているため)。
- 福岡県とあの国の結びつきがますます強く…
- 本当に「福岡市壱岐区」が誕生していたかもしれない。
- 佐賀県
- 壱岐島はそんなに違和感は無いが…。
- 唐津東~通寺浦の船便は増便している。
- 唐津~壱岐~対馬でトンネルを掘ろうという計画が出てくる。
佐賀県東部が福岡県
- 佐賀県ではなく伊万里県のまま。
- 県の面積は非常に小さいが…ダメなら長崎県に合併していたか。
- 有明佐賀空港は別の名前になっていた。
- 九州新幹線は佐賀県を通らない事に。
佐賀県東部が福岡県、佐賀県西部が長崎県
- 全般に言えること
- 長崎新幹線計画がこんなに揉めることはなかった。
- 福岡・長崎ブランドのおかげて地域全体のイメージは良くなった。
- 東部→福岡編
- ここでは北松浦(唐津)・三養基(鳥栖)・神埼・佐賀・小城(多久)を東部とします。
- 唐津は福岡地方(玄界地方)、それ以外は筑後地方(有明地方)の一部になっていた。
- 「福岡県唐津市」が福岡を代表する観光地となる。
- 福岡市民が観光地を尋ねられたらまず「唐津」というようになった。
- 福岡・久留米のベッドタウンというイメージが現状より強かった。
- 県庁を失った佐賀市の人口は市全体で10~15万人(=諫早・飯塚)程度。
- しかし柳川~佐賀間の通学需要があったので佐賀線は廃止されなかった。
- 一方久留米は拠点性が増し人口40万人程度(福山と同じくらい)。
- 西部→長崎編
- ここでは西松浦(伊万里)・杵島(武雄)・藤津(鹿島)を西部とします。
- 佐賀県を代表する観光地の殆どが長崎ブランドとなるためもっと観光客が多かった。
- 佐世保周辺と合わせて長崎北部の周遊ルートになっていた。
- 武雄は県の交通の中心地となり人口が増えた。
- 長崎~佐世保を高速で移動するときに佐賀県内を通ることはなかった。
- 規模は小さいながら肥前山口も県内幹線の分岐点ということもありある程度発展。
島原半島が熊本県
- 熊本市と島原市の間に海底トンネルか橋ができていた。
- 天草との間にもできていた可能性がある。
- 島原半島へのアクセスは熊本経由がメインとなっていた。
諸県地方が鹿児島県
- これも違和感なさそう。
- 「宮崎県には中小多数の県がある」が「鹿児島県には中小多数の県がある」に。
- 肥薩線は宮崎線を通っていない。
- 東国原英夫が宮崎県知事になることはなかった。
- 鹿児島県知事になっていたか。
- もしあの地域が1つの県だったら/九州#旧鹿児島県・旧都城県との違いは日南市串間市が含まれるか否かのみ。
奄美地方が沖縄県
1609年に薩摩に琉球が侵攻されるまでは琉球王国の一部でした。 しかし、その後も琉球文化は色濃く残り、戦後アメリカに占領されたときも沖縄と同時返還を望んで先に返還されたという経緯、さらに現在、道州制計画でも沖縄と1つの地域にする案があります。
- 沖縄県の県土は2倍近くに広がっていた。
- 人口も20万くらい増えていた。
- 以上の結果を踏まえ、沖縄の経済は少し向上し、もし沖縄戦がなかったらにあげられていることのいくつかは・・・・・・
- 奄美はこうなる
- 奄美市以外は沖縄県奄美郡になる。
- 史実の経緯だと「大島郡」じゃない?
- 旧名瀬市に沖縄県奄美合同庁舎が開設される。
- 奄美市以外は沖縄県奄美郡になる。
- ダイエーは奄美からも撤退していた。
- 跡地にサンエーがオープンする。
- 奄美は、言語的には沖縄方言に近いけど、文化的には鹿児島と沖縄の中間だよ。「琉球文化」に近い所だけ見て奄美を沖縄の一部だと言うのは覇権主義。
- こんなところで「覇権主義」と言うのはよくない。ここに書かれているのは「もし」だから。
- そんなの百も承知だし、それをいうなら宮古・八重山も同じ。宮古・八重山が琉球処分や戦後の占領政策で中国に取られなかっただけでもまし。
- 歴史も環境も市民の流動も全て無視で、食い込んでいるだけで他地域扱いされるこの都市よりかはマシでしょ。
- というか、元々琉球だった沖永良部や与論と後に琉球に制圧された徳之島以北は分けて考えるべき。
- 奄美の高校が沖縄県代表として甲子園や国立、花園や総体等の大会に出場していたかも。
- 鹿児島から喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島への航空便は存在しない。
- 与論島へは代わりに那覇空港からの便が多数飛び、本土からの客は那覇経由で行くのが一般的になっている(沖永良部も?)。
- 現実でも与論島と那覇空港を結ぶ便は存在する。
- 奄美空港が県内第2ハブ空港のような役割となり、喜界島、徳之島へは奄美空港で乗り継ぐかたちとなる。
- 鹿児島から奄美大島への便はさすがに存在する。
- 与論島へは代わりに那覇空港からの便が多数飛び、本土からの客は那覇経由で行くのが一般的になっている(沖永良部も?)。
- 県道の番号がひっ迫しかける。
- ただし主要地方道のみ。一般県道は大丈夫。そしたら本島の一部の県道の番号が変わっていた。
- 沖縄一高い山は湯湾岳になる。
- 龍郷、喜界、伊仙、天城、和泊、知名、与論は町昇格の人口要件(8000人)に届かず今でも村。
- このような経緯から平成の大合併で「沖永良部町(知名村+和泊村)」「南徳之島町(天城村+伊仙村)」が誕生する。
- 訂正 誤:南徳之島町 正:西徳之島町
- あるいは史実の徳之島町も含めて新設合併して「徳之島町」かもよ。
- このような経緯から平成の大合併で「沖永良部町(知名村+和泊村)」「南徳之島町(天城村+伊仙村)」が誕生する。
- 電力会社の管轄は沖縄電力になる。
- 奄美地方が「薩南諸島」と言われることはなかった。
- トカラ列島(十島村)の帰属でもめる。
- 奄美大島の国道58号に相当する路線は、330号前後の番号になっているかもしれない。
- それは無いと思う。恐らく史実通りに58号が指定される。
- A&Wやローソン、ファミマが奄美大島に進出している。
- 徳之島、沖永良部島、与論島、喜界島は微妙。
- 逆に奄美文化と鹿児島文化の近さが注目されていた。
- それでも沖永良部島、与論島は名実ともに「沖縄」だっただろう。
- 知名、和泊、与論は国頭郡の一部だった。
- それでも沖永良部島、与論島は名実ともに「沖縄」だっただろう。
- 泉重千代や本郷かまとが「長寿県沖縄」の象徴とされていた。
- だがギネス記録取り消しが平均寿命低下と重なって「長寿県沖縄」のイメージを損なってしまう羽目に。
- 奄美が沖縄の一部になる事により、沖縄出身力士が増えていた。
- 沖縄返還が奄美と同時だったら有り得た。
- 奄美群島選挙区は沖縄選挙区に統合され、沖縄選挙区が1区と2区に分割された。
- 2021年現在は奄美群島の小選挙区は沖縄3区になっている。
- 沖縄ブランドのおかげで奄美の観光開発も現実より進んでいる。
- 鹿児島県の県鳥はマナヅルあたりになっていた。
- 沖縄県の県鳥がルリカケスになっていたかは微妙。
- 梅雨入りの区分などで奄美群島が奄美地方として特別扱いされる事はなかった。
- 沖縄地方とされていた。この場合、沖縄気象台管轄のなぜ気象台がある。
- 名瀬と名護が同じ県になるので間違える人が現実より増えていた。
- 奄美と沖縄本島が1つの県になるため、奄美・沖縄山原の世界遺産登録が現実より早まっていた。