「もしあの歌が大ヒットしていたら/あ・か行」の版間の差分
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#シングルCDがリリースされていた(史実では発売未定)。 | #シングルCDがリリースされていた(史実では発売未定)。 | ||
#*2014年7月23日に発売されました。 | #*2014年7月23日に発売されました。 | ||
#**ていうか史実よりも早い時期に発売されている。 | |||
#J☆Dee'zの知名度は現実以上に高くなっていた。 | #J☆Dee'zの知名度は現実以上に高くなっていた。 | ||
#ポケモンアニメにおける音楽担当の変更<!--ピカチュウレコード→Sony Music-->は成功したと見なされていた。 | #ポケモンアニメにおける音楽担当の変更<!--ピカチュウレコード→Sony Music-->は成功したと見なされていた。 | ||
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#アニメ化は1年~1年半ほど早く実現していた。 | #アニメ化は1年~1年半ほど早く実現していた。 | ||
#*ガルパンか進撃の巨人の、放送時期が被ったほうのアニメがヒットしなかった。 | #*ガルパンか進撃の巨人の、放送時期が被ったほうのアニメがヒットしなかった。 | ||
#*劇場版の公開は2014年あたりになっていた。 | |||
#*「ラブライブ! サンシャイン!!」も2014年あたりに企画がスタートし、アニメ化も史実より早い時期(2015年1月or7月あたり?)に実現していた。 | |||
#9・18事件も重なって、アイマスは2010年の時点で壊滅した。 | #9・18事件も重なって、アイマスは2010年の時点で壊滅した。 | ||
#*翌年のアニメ化もなかったか、アニメ化されても[[もしあのアニメが大ヒットしていなかったら/あ行#THE IDOLM@STER|大コケ]]していた。 | #*翌年のアニメ化もなかったか、アニメ化されても[[もしあのアニメが大ヒットしていなかったら/あ行#THE IDOLM@STER|大コケ]]していた。 | ||
#**デレマスのアニメ化もお蔵入りに(そもそもデレマス自体なかったかもしれないけど)。 | |||
#早く売れすぎたためブーム終息も早く、2015〜6年頃にはもう下火になっていた。 | #早く売れすぎたためブーム終息も早く、2015〜6年頃にはもう下火になっていた。 | ||
#この曲のヒットでμ'sは史実よりも早い時期に大ブレイクしていた。 | |||
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#*「碧いうさぎ」以外の手話ソングを知っている人間のほうが珍しいと思うのだが。 | #*「碧いうさぎ」以外の手話ソングを知っている人間のほうが珍しいと思うのだが。 | ||
#**「切手のないおくりもの」「きみにあえてうれしい」は? | #**「切手のないおくりもの」「きみにあえてうれしい」は? | ||
#CHAGE and ASKAの楽曲(YAH YAH YAH)と間違われる人が続出していた。 | |||
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2016年9月7日 (水) 18:33時点における版
- 新規登録は曲名の50音順にお願いいたします。
- カバーなど同じ曲が複数のアーティストでシングル発売された場合、曲名を中項目に、アーティスト名を小項目に(発売順で)書いてください。
あ行
愛ってナンダホー(大島麻衣)
- 大島麻衣は過去のアイドル扱いされることはなかった。
- 「足を見るオジサンはチカン」発言の余波でファンが離れたと見なされることはなかった。
- 大島麻衣はその後も歌手活動を積極的に続けていた。
- 後輩の小島瑠璃子も歌手として活動していたかも。
アイドルはウーニャニャの件(ニャーKB with ツチノコパンダ)
- 「48グループのCDは握手券がつかないと売れない」と言われることはなかった。
- そもそも、あの事件がなければ付けられた可能性はあった。
- 『妖怪ウォッチ』では7月の新展開まで本楽曲がエンディングテーマ曲として使用されていた。
- Dream5が『妖怪ウォッチ』の主題歌に復帰することはなかった。
- 『ようかい体操第二』も存在しない。
- Dream5が『妖怪ウォッチ』の主題歌に復帰することはなかった。
- アニメ『妖怪ウォッチ』本編でもニャーKBにスポットが当たるエピソードがあった。
- センターの島崎遥香の人気が上がり、AKB48の新しいエースになっていた。
- 2015年度のAKB48選抜総選挙で神7入りを果たした。(史実では9位)
- ツチノコパンダの知名度が上がり、『妖怪ウォッチ』の新しい看板キャラクターになっていた。
- エンディングの映像が当初からダンスシーンの多いものであったら、本項のようになっていたかも。
- 当初のエンディングの映像はダンスシーンが少なく、「振付がよくわからない」という苦情が出ていたため。
I テンプレート:ハート ×××(大塚愛)
- 大塚愛は過去のアーティスト扱いされることはなかった。
- 復帰後にリリースした「Re:NAME」の売り上げはもっとましなものになっていた。
- 卒業式の定番ソングになっていた。
青い花火(浜田朱里)
- 浜田朱里はアイドル歌手としても成功した。
- 浜田朱里がヌードを晒すこともなかっただろう。
青山Killer物語(ラ・ムー)
- 菊池桃子は1990年代以後も積極的に歌手活動を行っていた。
アタックNo.12005(福田沙紀)
- 福田沙紀は女優より歌手に重点を置いて活動していた。
- 「ライフ」の安西愛海役も別の女優が演じていた。
- 「クイズ!ヘキサゴンⅡ」に出演することもなかったか、あるいは実際より長期間出演し続けていた可能性も(史実では上記の「ライフ」出演と同時期に降板)
雨の権之助坂(ビートきよし)
- ビートきよしは演歌歌手兼子二郎に転向し、ビートたけしを気にする生活は送らなかったかもしれない。
- 山形県では大泉逸郎と双璧を並べる芸能人扱いされたかもしれない。
- 目黒が「南の巣鴨」と呼ばれたかも。
イエローマン 〜星の王子様〜(サザンオールスターズ)
- サザンは保守的な路線に転向することはなかった。
- 大森隆志はサザンを脱退することはなかった。
- バカっぷりを叩かれることなく、評価が上がっていた。
- B'zを揶揄して大コケしたと見なされることはなかった。
- よって、B'zファンがサザンに因縁を持つこともなかった。
インファントの娘(ザ・ピーナッツ)
映画『モスラ』公開時に正式の主題歌としてシングル発売された。
- 逆に「モスラの歌」の知名度は低くなっていた。
X海峡Y景色(J☆Dee'z)
- シングルCDがリリースされていた(史実では発売未定)。
- 2014年7月23日に発売されました。
- ていうか史実よりも早い時期に発売されている。
- 2014年7月23日に発売されました。
- J☆Dee'zの知名度は現実以上に高くなっていた。
- ポケモンアニメにおける音楽担当の変更は成功したと見なされていた。
every-body(谷村奈南)
- 谷村奈南は名実ともにポスト安室奈美恵になっていた。
- 事務所の後輩である西内まりやの活動にも影響していた。
- もしかするとヴィジョンファクトリーは社名をライジングプロダクションに戻すことなく、平哲夫と決別していたかもしれない。
- 水着写真集を出すこともなかったかも。
- 出したとしても1冊のみ。
教えてMr.Sky(藤崎詩織)
- 藤崎詩織は「ときめきメモリアル」の1キャラクターに留まらないバーチャルアイドルとして大成功を収めていた。
- 虹野沙希、如月未緒、片桐彩子といった藤崎詩織以外のヒロインもバーチャルアイドルデビューしていた。
- 陽ノ下光など2のキャラクターもバーチャルアイドル活動をしていた。
- ときメモシリーズの全ヒロインがメンバーのバーチャルアイドルグループが結成されていたかもしれない。
- 極上生徒会やラブプラスのヒロイン達も追従していた。
- ウインビー国民的アイドル化計画も復活し大成功を収めていたかもしれない。
- 以降のシングル含めた曲にもときめきメモリアル関連以外のタイアップが付いていた。
- 栗林みえも便乗含めて史実以上に売れていた。
- この時期から他社も追随する形で萌えキャラのバーチャルアイドル化が大流行していた。
- 他社もコナミと同様イメージを守るという名目で二次創作禁止措置を取ったかもしれない。
- 粗製濫造の状況になり「THE IDOLM@STER」や「初音ミク」や「ラブライブ!」は史実ほど大ヒットしないなど歴史が変わっていただろう。
- 1990年代の美少女ゲームブームを象徴するヒット曲は、『サクラ大戦』の「檄!帝国華撃団」ではなく「教えてMr.Sky」になっていた。
- 渡辺プロダクションはバーチャルアイドル最大手の芸能事務所になっていた。
- 初音ミクなど人気キャラクターもナベプロと契約して活動していた。
- 財津和夫(チューリップ)のファン層が「ひとつ屋根の下」も知らない若年層にも広まっていた。
乙女の祈り(真野恵里菜)
- 真野恵里菜は名実ともにポスト松浦亜弥になっていた。
- 逆に道重さゆみや嗣永桃子はブレイクしなかったもしれない。
- ハロプロがAKBに史実ほどの差をつけられることはなかったかも。
- 「THE NEXT GENERATIONパトレイバー首都決戦」のヒロインも別の女優になっていた。
思い出せない花(フレンチ・キス)
- フレンチ・キスは完全復活を遂げていた。
- AKB48の派生ユニットは過去のものになることはなかった。
- 「てんとうむchu!」はシングルを出すことができた。
か行
かたつむり(おぐまなみ)
AKB48の奥真奈美(現在は卒業)がおぐまなみ名義で『おじゃる丸』のエンディングテーマとして使われた曲だが、売り上げは伸び悩んだ。
- 奥真奈美は年少メンバーとしてもっと良い扱いを受けていた。
- 場合によっては選抜復帰も考えられた(史実では『BINGO!』のみ)。
- 高校進学を機に卒業することもなかっただろう。
- 『MUSIC JAPAN』でこの曲が歌われていた。
- 『おじゃる丸』のシンボルソングは、『詠人』や『プリン賛歌』ではなく本楽曲になっていた。
悲しきノンフィクション(Something ELse)
Something ELseのデビューシングル。
- 当然ながら『雷波少年』に出演することなどありえなかった。
悲しみのアイドル(大地真央)
- 宝塚歌劇団は現実よりメディア進出に積極的になっていた。
- 場合によっては史実より早く宝塚を退団して歌手として活動していたかもしれない。
- その場合は宝塚の衰退が史実より早く進んでおり、黒木瞳は有名になれなかった。
- 真矢みきは宝塚に入団しなかったかもしれない。
- 退団した後はサンミュージックに所属していた。
カラスの女房(中澤ゆうこ)
- 和田薫は丸坊主になることはなかった。
- 中澤裕子は演歌歌手としてブレイクし、路線変更をすることはなかった。
- アイドルグループから演歌歌手転向の成功例として、史実以上に城之内早苗と比較されていた。
- この曲は、中澤ゆうこのイメージが強くなり、後に堀内孝雄がカバーすることはなかったかも。
- 堀内孝雄がカバーしても「はぐれ刑事純情派」の主題歌になることもなかった。
- それでも作曲したのが堀内孝雄本人だから、ひっそりとアルバムに入れたかもしれない。
- 堀内孝雄がカバーしても「はぐれ刑事純情派」の主題歌になることもなかった。
カンニングのヘイ・ユウ・ブルース(カンニング)
- カンニング自身がCDが売れなかったことをネタにすることはなかった。
ギターをひいてよ(あゆ朱美)
あゆ朱美(後の戸田恵子)のデビューシングル。
- 戸田恵子はアイドル演歌歌手・あゆ朱美として有名になっていた。
- 後に彼女が女優・声優デビューしても、その経緯は現実とは全く異なっていた可能性がある。
- 女優・声優活動する際の芸名も「あゆ朱美」になっていたかもしれない。
君にささげる僕の歌(水木一郎)
水木一郎のデビューシングル。
- 水木一郎が、後にアニメソング歌手に転向することはなかっただろう。
- アニメソングがメインにはならないにしても、アニメソングを何曲か録音していた可能性はある。
Can't Stop My Heart(McKee)
同日発売されたポケットビスケッツ「Rapturous Blue」とのオリコン初登場順位対決で勝利していたら?
- 『ウリナリ!!』の歌手プロジェクトはMcKee中心の展開となり、ポケットビスケッツは企画消滅していたかも。
Can't Stop!! -LOVING-(SMAP)
- SMAPのデビュー曲です。
- 音楽番組などで史実の『SHAKE』と同じくらい使われていた。
- 光GENJIの解散が早まったかも?
- 解散時期に限らず、「リラの咲くころバルセロナへ」や「勇気100%」あたりをSMAPが歌っていた可能性がある。
- 「SAY YES」のオリコン連続1位を「7」で止めていた。
- SMAPの売れ方は史実と異なっていた。
- 遅くとも1995年頃にはシングルミリオンセラーを達成していた。
- マネージャーの飯島三智の力は上がらず、ジャニーズ内でSMAPの独立性が高まることはなかった。
クリスマス・イブ(山下達郎)
JR東海のCMによるヒットではなく、シングル発売(1983年)時点でヒットしていたらとして
- JR東海のCMが流れるより以前に季節限定発売ではなくシングルの通年販売がされていた。
- 仮に季節限定発売のままだったとしてもオリジナルからの再リリースの期間が史実より短くなっていた。
- 「クリスマスキャロルの頃には」や「サイレント・イブ」などのクリスマスソングは史実より早く発売されていたかもしれない。
- 1983年時点で既に山下達郎のイメージが「夏」から「冬」に切り替わっていた。
軽蔑していた愛情(AKB48)
- AKB48はその後も社会派ソングをリリースし続けていた。
- AKB48は社会派アイドルとして売り出していた。
- 「マジすか学園」もなかっただろう。
- 「ハステとワステ」のようなコミックソングもあり得ない。
- 『BINGO!』以降、万人受けする路線に転換することもなかった。
- AKB48は社会派アイドルとして売り出していた。
- いじめ自殺事件と共に注目されていた。
- AKB48はこれ以降も悲劇的な曲を歌っていた。
- 悲劇過ぎる曲で売れなかったと見なされることはなかった。
- というか、女性アイドルグループが歌う悲劇的な曲は売れないというジンクスすら出来なかった。
恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.(SUPER MONKEY'S)
SUPER MONKEY'Sのデビュー曲
- 当時のリーダーだった牧野アンナ、それに新垣寿子は史実より長く在籍していた。
- 沖縄アクターズスクールのインストラクターにはならなかった。なのでSPEED以降の出身者が世に出たかどうか微妙。
- 安室奈美恵のソロ転向も遅れていた。場合によってはセンターボーカルにならなかった。
- 場合によっては松浦勝人プロデュースもavex移籍もなかった。
恋人は君ひとり(山岡英二)
ヤンマーのCMのアイドル路線の曲でデビューするも売れず、後に吉幾三と改名して現在の地位に。
- 現実の新御三家(野口五郎・西城秀樹・郷ひろみ)に山岡英二を加えた「新四天王」が70年代前半の男性アイドルの代表的な存在になっていた。
- ヤンマーのCMには今でも出演している。
- セレッソ大阪(ヤンマーが前身)のオフィシャルサポーターになり、応援歌をレコーディングしていた。
- 訛りを隠して無口なイメージで売っていた。
- あるいは、訛りを活かして「8時だョ!全員集合」などのお笑い番組でも活躍した。
- 「企画モノ」的に演歌やコミックソングのレコードを出し、その際には吉幾三と名乗ったかも。
- あるいは、訛りを活かして「8時だョ!全員集合」などのお笑い番組でも活躍した。
- デビューから数年後にはポップス系のシンガーソングライターに転向した。
- ヤンマーのCMソングといえば、小林旭の「赤いトラクター」ではなく本楽曲のイメージが強かった。
5年目の破局(ヒロシ&キーボー)
- ヒロシ&キーボーは「3年目の浮気」の一発屋で終わることはなかった。
- 解散に追い込まれることもなかった。
今夜かしら明日かしら(テレサ・テン)
テレサ・テンの日本デビューシングル。
- テレサ・テンは本作以後も日本ではアイドル路線で売り出され、演歌路線に転換することはなかった。
- 路線が当時、日本で人気絶頂だったアグネス・チャンと被っていたことにより、その後の日本での活動に影響があったかもしれない。
- アイドル路線でブレイクしても結局どこかで行き詰まり、それ以後は演歌路線に転換していたかもしれない。
君の瞳は百万ボルト(堀内孝雄)
現実に「君の瞳は10000ボルト」としてヒットしたのが、誤って認識した人が少なくなかった。
- 堀内孝雄が、アリス活動休止前にソロのヒット曲がないと言われることがなかった。
さ行
桜の花びらたち2008(AKB48)
- AKB48はキングレコードに移籍することはなかった。
- その当てつけとして乃木坂46が結成されることもなかった。
- 『Baby baby baby』はCDでリリースされていた。
- 独占禁止法問題が大きく扱われていた。
- 卒業式の定番ソングになっていた。
SANPEI DAYS(三瓶)
- その後も歌手活動を継続していた。
- 精力的に活動し、一発屋扱いされなかった。
ジェット・マシーン(フィンガー5)
渡米により活動を休止していたフィンガー5の復帰第一弾シングル。
- フィンガー5はその後も人気を維持していた。
- 具志堅実(1975年、マネージャーに専念した玉元一夫に代わって加入)が15歳になった1982年に紅白歌合戦初出場を果たした。
- 史実で人気絶頂の頃は、メンバーの年齢の関係で夜9時開始だった紅白歌合戦に出場できなかった。
- 玉元晃が15歳になった1976年に、晃のソロor晃と兄たちのユニットで初出場し、その後も81年まではソロやユニットでの出場という形だったかも。
- 具志堅実(1975年、マネージャーに専念した玉元一夫に代わって加入)が15歳になった1982年に紅白歌合戦初出場を果たした。
- フィンガー5といえばお子様ソングの印象が強いままで終わることはなかった。
- フィンガー5は史実以上に長く活動していた。
- フィンガー5の路線変更は成功したと見なされていた。
- その後もいろんなアーティストによってカバーされていたかもしれない。
時代を殴るには自分の素手がいい(幕末塾)
- 幕末塾はこの曲でブレイクしていた。
- 人を殴るを題材とする曲といえばチャゲアスの『YAH YAH YAH』ではなくこの曲を指していた。
- どこかのプロボクサーがこの曲をテーマ曲にしていたかもしれない。
シャ・ラ・ラ(サザンオールスターズ)
- サザンのクリスマスソングと言えば『クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)』ではなくこの曲を指していた。
- 桑田佳祐と原由子のボーカルによるデュエットソングはこの曲以外にも積極的に発売されていた。
- サザンは現実以上に夏のイメージが強くなることはなかった。
少年よ 嘘をつけ!(渡り廊下走り隊7)
「少年よ 嘘をつけ!」は同時発売となったNot yet「西瓜BABY」に売り上げで大きく水を開けられ、前作「希望山脈」の売り上げより大きく落とし、大コケしました。もし、「少年よ 嘘をつけ!」が大ヒットしていたら?
- 「クレヨンしんちゃん」の主題歌は引き続き渡り廊下が担当していた。
- 浦野一美は渡り廊下での評価が上がっていた。
- SDN48の印象が強いままで終わることはなかった。
- 渡り廊下のメンバーとしては無理があると見なされることはなかった。
- 過去のアイドル扱いされることはなかった。
- 第5回選抜総選挙の圏内にもランクインしていただろう。
- 渡り廊下のメンバー間格差を象徴することもなかった。
- SDN48の印象が強いままで終わることはなかった。
- 渡り廊下が活動休止状態になることなく、年に2~3回はシングルをリリースしていた。
- 渡辺麻友名義のシングルは渡り廊下のシングルとしてリリースしていた。
- 2013年11月に解散を発表することもなかっただろう。
- 渡り廊下の男子目線の曲は売れないというジンクスはなかった。
- 第4回選抜総選挙では渡辺麻友が1位になっていた。
- 大島優子が1位に返り咲くことはなかった。
- 指原莉乃も総選挙で順位を飛躍的に上昇することはなかった。
- 多田愛佳はHKT移籍でなく、兼任メンバーになっていた。
- 仲川遥香は他の海外移籍組とともに兼任メンバーとしてAKBに復帰していた。
- 多田・仲川は大コケしたことで左遷させられたと見なされることはなかった。
- メンバーの仲が悪くなったデマもなかった。
- AKB48の派生ユニットの全盛期が続いていた。
- =もし『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス』が大ヒットしていたらである。
- 渡り廊下はイロモノアイドルへの路線変更は成功したとみなされていた。
- 現実以上に子供に支持されていた。
白い街(石原裕次郎)
- 「名古屋をテーマにしたご当地ソングは大ヒットしない」というジンクスはこの時点で覆されていた。
- 名古屋をテーマにしたご当地ソングが現実よりも多く発表されていた。
新宿駅から(松山まさる)
この曲でデビューするも売れず、何度かの改名の後「五木ひろし」としてブレイクしましたが、この曲がヒットしていたら…
- 芸名は今でも松山まさる
- 青春歌謡の歌手と見られていた
- 青春歌謡が下火になった辺りで人気が低迷したかも。
- その後不遇の時期があったものの、理解ある作詞家や作曲家に見出されて再ブレイク…という、現実と似たようなことになっていたかも。
- その場合でも改名はしていない
- その後不遇の時期があったものの、理解ある作詞家や作曲家に見出されて再ブレイク…という、現実と似たようなことになっていたかも。
- ブレイクするきっかけになった番組「全日本歌謡選手権」の現在の知名度は現実よりやや低い
新盛り場ブルース(里見洋と一番星)
「幻の名盤解放歌集」発売時ではなく、1971年のオリジナル盤発売当時に史実以上に売れていたら?
- ショッキング演歌がブームになっていた。
- 彼らの歌唱法を模倣する歌手も出現していた。
- グループ自体も史実より長く活動していた。
すてきなエルザ(ザ・ライオンズ)
- 東芝が大損することはなかった。
- ザ・タイガースの人気を奪っていた。
- 巨大な蝶ネクタイがブームに…ということはさすがにない。
- 熱烈なファンが、コンサートへ行くときに巨大な蝶ネクタイをつけることはあったかも。
- 西武ライオンズと関わりを持っていた。
素直なままで(IZAM with ASTRAL LOVE)
『素直なままで』は発売当時の歌手のネームバリューやタイアップとなったドラマ『ショムニ』の高視聴率とは裏腹に、オリコンではトップ10入りを逃した。もし、ドラマの視聴率に比肩するほどシングル売上が好調だったら?
- ドラマ『ショムニ』の曲といえば、SURFACEの「それじゃあバイバイ」ではなく本楽曲のイメージが強かった。
- IZAMはソロ名義での活動にも勢力的になっていた。
Splendid Love(Lip's)
- Lip"s が、90年代を代表するアイドルグループになって、「静岡だけ、すごく知名度の高いアイドル」や、ribbon の亜流扱いされることがなかった。
- Lip's が、スーパーモンキーズより先んじてダンスアイドルグループとして知名度を上げた。
- 吉村夏枝がan・anでヌードを晒すこともなく、数少ない「島根県石見地方が生んだアイドル」になっていた。
- 仮に、加藤貴子が今のように女優として成功しても、芸能界で永作博美並みのポジションを得ただろう。
それでも好きだよ(指原莉乃)
『それでも好きだよ』は同時発売となった乃木坂46『おいでシャンプー』に売り上げで大きく水を開けられ、大コケした。もし、『それでも好きだよ』が大ヒットしていたら?
- 乃木坂46は『ぐるぐるカーテン』の一発屋で終わっていた。
- 場合によってはAKB48公式ライバルユニットは失敗したと見なされていた。
- 第4回選抜総選挙では指原莉乃が1位になっていた(史実では第5回で1位)。
- 場合によってはHKTに移籍することもなかった。
- 『意気地なしマスカレード』は指原莉乃withアンリレ(入山杏奈・川栄李奈・加藤玲奈)名義でリリースすることはなかった。
- 指原莉乃のソロ活動が活発的になっていた。
た行
だからその手を離して(B'z)
- B'zのデビュー曲
- TM NETWORKと比較され、批判されていた。
- 早い話が倉木麻衣と宇多田ヒカルの間で起きたパクリ騒動がここで起きていた。
- ハードロック路線になることはなかった。
- 稲葉浩志が歌い方を変えることはなかった。
時計をとめて(わらべ)
「めだかの兄妹」「もしも明日が…。」と同程度のヒットになっていたら。
- わらべは解散に追い込まれることもなかった。
- この場合、サンドイッチは結成されず、鳥居かほりと藤井暁が結婚することもなかった。
- 欽ちゃんファミリーの全盛期が続いていた。
- ニャンニャン事件の余波で大コケしたとみなされることはなかった。
としごろ(山口百恵)
- 山口百恵のデビュー曲。もし南沙織の「17才」、森昌子の「せんせい」並みに大ヒットしていたら?
- 出演していた映画「としごろ」もヒットしていた。
- 山口百恵は清純派路線で売り出されていた。
- 「青い果実」「ひと夏の経験」などはなかった可能性がある。
- 20歳過ぎで引退するのはおそらく史実と同じ。
- 引退前の盛り上がりは史実ほどではなかったかもしれない。
- 引退後にメディアで取り上げられる機会は現実よりも少なかった。
- 「伝説の歌手」「大物」というイメージではなく「70年代の人気歌手の1人」という感じか。
- 若い世代の間での知名度は、現実よりもずっと低いだろう。
dragons' dance(YUKI)
- 小室ブームの下降は史実よりも緩やかになっていた。
- (シングルが同日発売・アニメ映画主題歌という共通点がある)「もののけ姫」の割を食らったとみなされることはなかった。
- 中日ドラゴンズ第二応援歌となった。
Toi et moi(安室奈美恵)
- 小室ブームが続いていた。
- 安室奈美恵が小室哲哉と決別することはなかった。
- あったとしても遅れていた。
- 安室奈美恵が小室哲哉と決別することはなかった。
- 1999年度のNHK紅白歌合戦で、この曲が歌われていた。
- ピカチュウは安室奈美恵の応援担当ゲストだった。
- これ以降、ポケモン関係の楽曲はavexが管理。
- ポケモンアニメの主題歌もavex所属のアーティストによるタイアップとなっていた。
- ももクロやエビ中ではなく、IDOL☆STREET系のアイドルが主題歌を歌っていた。
- 史実とは逆にソニーミュージックが妖怪ウォッチのアニメ主題歌を管理していた。
- 2000年以降、「安室の時代は終わった」と言われることもない。
- 翌年にリリースした九州沖縄サミットのテーマ曲「NEVER END」は自身最大のヒット曲「Can you Cerebrate?」のセールス記録を越えていた。
- 2000年前半~半ばのavexは安室と浜崎あゆみで人気を二分していた。
- 宇多田ヒカルは史実ほど売れず、和製R&Bが定着することはなかった。
- 日本のポピュラー音楽の世界でToi et moi(トワ・エ・モア/トワ・エ・モワ)といえば「誰もいない海」や「虹と雪のバラード」を歌った歌謡ポップデュオではなく本楽曲というイメージが強くなっていた。
- 小室哲哉の海外での事業は大成功していた。
- 女性歌手が産休に入ると売れなくなるジンクスが確立することはなかった。
- 産休及び育休制度が史実より早く普及していたかも?
翔んでディープインパクト(和田青児)
- 競馬の三冠馬であるディープインパクトを歌った演歌。
- 以降も競馬をテーマにした歌が出続けたのは言うまでもない。
- ダービーを勝ったウオッカ、アパパネやオルフェーヴル、ジェンティルドンナといった以降の三冠馬など名馬が出る度に歌った曲は確実に出ていた。
- 騎手にも波及し歌手デビューが定番になっていた。
- コイウタ(前川清)やキタサンブラック(北島三郎)など歌手が馬主の競走馬がGI勝った時に表彰式で所有馬をテーマにした描きおろし曲を歌っていただろう。
- 芸能界での馬主ブームは史実以上だった。
な行
ナウ ロマンティック(KOJI1200)
- 今田耕司は歌手としての評価が上がっていた。
- 『IQサプリ』で大コケしたことをネタにされることもなかった。
名古屋はええよ!やっとかめ(つボイノリオ)
近年におけるインターネットでのブームではなく、発表後(1985年)からご当地ソングとして定着するほど大ヒットしていたら
- 名古屋の知名度は史実よりさらに向上していた。
- 「名古屋に来たらカラオケ店で絶対に歌う歌」として史実よりさらに注目されていた。
- それぞれの時代に合わせたバージョンが発売されていた。
- 例えば「瑞穂グラウンドが国立競技場に、小牧が国際空港に」は「TV塔がスカイツリーに、セントレアが国際空港に」に変わっていた。
- セントレアは国際空港だから、「レインボーホールが国際展示場に」に変わったかもしれぬ。
- 「愛・地球博」開催がされた2005年頃にリメイクして発売されていたり、あるいはSKE48がカバーして歌っていたとかあったかも知れない。
- 例えば「瑞穂グラウンドが国立競技場に、小牧が国際空港に」は「TV塔がスカイツリーに、セントレアが国際空港に」に変わっていた。
- 「名古屋をテーマにしたご当地ソングは大ヒットしない」というジンクスが崩れていた。
- 東日本大震災でアカんくなった東京の未来を預言した唄として、全国に再注目された。
- 新幹線の名古屋飛ばしのさいに「私たち名古屋人が怒ったらよ、新幹線を名古屋で止めてまうでよ」がよく引用されていた。
NOTHING FROM NOTHING(AYUMI featuring DOHZI-T & DJ BASS)
浜崎あゆみがアイドル時代にAYUMI名義でリリースした幻のデビュー曲。
- 浜崎はavexへ移籍せず、カリスマ性の強いアーティストではなくアイドル歌手として売れていた。
- あるいはラッパーとして売れたかもしれない。
夏だモン(広瀬香美)
- 広瀬香美といえば冬の歌というイメージを脱却していた。
- 翌年発売のアルバム「rhapsody」に「ヤッパ・・・冬だモン Ver.」を収録することはなかった。
- 主題歌になったドラマも史実以上にヒットしていた。
- くりぃむしちゅーの例えツッコミのネタが一つ減っていた。
なめこのうた(福原遥)
インターネット上でのブームだけでなく、CDの売上や音楽配信で史実以上の数字を記録していたら
- なめこブームが続いていた。
- アニメはDVDではなく、TVシリーズだった。
- 福原遥の歌手活動がさらに活発になっていた。
- ジュニアアイドルとして大ブレイクしていたかもしれない。
- 2013年のNHK紅白歌合戦に、福原遥が出場していただろう。
- ジュニアアイドルとして大ブレイクしていたかもしれない。
- 「なめこのCD」に収録されている楽曲が次々とシングル化されていた。
は行
Bye-Bye(ブラックビスケッツ)
『ウリナリ!!』で指定された売上枚数のノルマを達成していたとしたら?
- 南々見(南原)とケディがブラックビスケッツから脱退することはなかった。
- ブラックビスケッツはもう少し長く活動を続けていた。
- 『ウリナリ!!』自体の勢いも史実ほど低下しなかったかもしれない。
- 2ndシングルの「Timing」のようにミリオンヒットを達成していた。
- その後に発売されたポケットビスケッツの「Days/My Diamond」も触発され大ヒットしていた。
- そして年末には再びポケビ&ブラビでの紅白出演を果たしていた。
- 白組で出場していた?(98年紅白で「来年は白組で」というメッセージを出していた)。
- そして年末には再びポケビ&ブラビでの紅白出演を果たしていた。
- その派生企画である映画「ナトゥ」は制作されなかった。
博多みれん(野口五郎)
演歌でデビューしたものの、この曲が売れなかったのでアイドルに転向しましたが、もし大ヒットしていたら…
- 五木ひろしのライバルとみられていた。
- 「新御三家」は郷ひろみ・西城秀樹と、もう1人は伊丹幸雄、本郷直樹、あおい健(現・田中健)等のうちの誰かになっていた。
- 芸名の由来になった野口五郎岳をテーマにした曲を歌った。
- バラエティで活躍したり、ギターの腕前を披露したりするのは現実と同様。
- 座長公演で力を発揮していただろう。
- 木村好夫(演歌ギターの大御所)の後継者のような存在になっていたかも。
白鳥のまごころ(寺内タケシとブルージーンズ)
- 「百万本のバラ」と同じくらい、日本人に親しまれるソ連の歌謡曲になっていた。
- 史実以上に多くのCDに収録されていた。
飛行機雲(綾瀬はるか)
- 綾瀬はるかはその後も歌手活動を積極的に行っていた。
- その後もヒットが続けば、歌手として紅白歌合戦に出場していた。
- この場合、和田アキ子の紅白卒業が早まっていた。
- その後もヒットが続けば、歌手として紅白歌合戦に出場していた。
BE HAPPY 恋のやじろべえ(タンポポ)
- タンポポのメンバーチェンジは成功したとみなされていた。
- 活動休止状態になることもなく、その後の新曲はシングルとして発売し続けていた。
- 柴田あゆみの知名度が上がっていた。
- プッチモニの「WOW WOW WOW」をシングル化されていた。
Be mine 〜君が好きだよ〜(May J.)
「Garden」並みの大ヒットになっていたら?
- 「May J.はカバー曲しかヒットさせられない歌手」という風潮はこの時点で消えていた。
- この曲が収録されたアルバム『for you』も史実以上に大ヒットしていた。
VICTORY(EXILE)
2010年のFIFAワールドカップ日本代表応援ソング。
- この年のFIFAワールドカップといえば、Superfly「タマシイレボリューション」ではなく本楽曲のイメージが強かった。
- この曲が収録されたシングル「FANTASY」も史実以上に大ヒットしていた。
- EX FAMIRYは存在しなかった。
ぴすとっ☆SMILE♪ノンすとっP!!〜輝け明日のスター大作戦〜(あべにゅうぷろじぇくと feat.佐倉紗織)
参照:wikipedia:ja:My Sweet Lady/ぴすとっ☆SMILE♪ノンすとっP!!〜輝け明日のスター大作戦〜。収録曲の1つで名古屋競輪場の主題歌でしたが・・・。
- 名古屋競輪場の売上が史実以上に増加していた。
- 他競輪場にも波及し同県の一宮競輪場も廃止は一旦見送りになったのではないだろうか?
- 客層の劇的な変化で競輪そのものへのイメージも変えていた。
- 佐倉紗織含めてave;newは萌えおこしなど一般の需要が高まりエロゲーから卒業していた。
- 次の主題歌だった「ぴすとっ☆DREAM♪ネバーぎぶあっP!! 〜乙女の覚悟宣言〜」もシングルリリースされていた。
- キャラクターと主題歌の変更は行われず、初代が名古屋競輪場のマスコットキャラクターとテーマ曲として半永久的に定着していた。
- 平塚競輪場のイメージキャラクターだった小池栄子のように競輪自体のマスコットキャラクターとテーマ曲に昇格していた。
- キャラクターと主題歌の変更は行われず、初代が名古屋競輪場のマスコットキャラクターとテーマ曲として半永久的に定着していた。
ふるさと(モーニング娘。)
- モー娘のバラードは売れないジンクスはなかった。
- 「LOVEマシーン」以降、アップテンポを主体とすることもなかっただろう。
- そもそも、女性アイドルグループが歌うバラードは売れないジンクスは生まれなかった。
- 大型連休の定番ソングになっていた。
- 鈴木亜美の「BE TOGETHER」との同日発売対決で勝利していたかもしれない。
- 「ふるさと」といえば文部省唱歌の印象が強いままで終わることはなかった。
ふるさと(嵐)
史実以上に好評だったらとする。
- NHK紅白歌合戦での歌唱が「ごり押し」と批判されることはなかった。
- というより、最初からNHK音楽コンクール課題曲として作られていたらこんな展開にならなかったと思う。
- シングルCDがリリースされていた(史実ではアルバム『Japonism』通常盤のボーナストラックとして収録)。
- よくてc/w止まりではなかろうか。
- 嵐は真の意味で国民的グループになっていた。
故郷の悲しき星(藤浩一)
藤浩一(後の子門真人)のデビューシングル。
- 藤(子門)が、後にアニメソング歌手に転向することはなかっただろう。
- アニメソングがメインにはならないにしても、アニメソングを何曲か録音していた可能性はある。
- 史実どおり『ひらけ!ポンキッキ』の楽曲を歌っていた可能性も十分ありうる。
- そもそも子門真人に改名することもなく、藤浩一の芸名で活動し続けたかもしれない。
ブンガチャ節(北島三郎)
北島三郎御大の幻のデビュー曲
- 「オバケのQ太郎」でアニソンとして採用され、天童よしみの「大ちゃん数え歌」とともに演歌歌手の歌ったアニソンとなっただろう。
- 「盆踊りだけで知られている」という枕詞はなかっただろう。
平成枯れすすき/バッカじゃなかろかルンバ!(さくらと一郎)
「バッカじゃなかろかルンバ!」は楽天の野村克也監督が2008年のセパ交流戦の巨人戦後に口ずさんで有名になった曲。平成枯れすすきのカップリング曲であるためセットで掲載。
- 野村監督が巨人戦後に歌う前から有名になっていた。
- 野村監督の作詞作曲と勘違いされることはなかった。
- 2006年発売の曲なのに「平成生まれは知らない曲」などと言われることもなかった。
- バラエティ番組などで野球選手がカラオケに行って歌っていた。
- 楽天が応援歌か選手の登場曲として使用するようになっていたかもしれない。
- ニコニコ動画ではプロ野球や野球アニメ(メジャー、おお振り、大正野球娘など)のMADのBGMとして人気が出ていた。
ぼくたちの失敗(森田童子)
ドラマ「高校教師」によるヒットではなく、収録アルバム発売時点(1976年)にヒットしていたら。
- 森田童子は引退せずにバラード歌手として大成していた。
- 仮に引退していたとしても、史実の「高校教師」のヒットで復帰していた。
- 彼女を男性と間違える人もいたかもしれない。
- 女性が自分のことを「ぼく」と呼ぶ風潮は史実より進んでいた。
僕らのLIVE 君とのLIFE(μ's)
- 「ラブライブ!」の知名度はアニメ化以前から高かった。
- 2010年夏コミでの「伝説開幕」のポスターが晒されることはなかった。
- アニメ化は1年~1年半ほど早く実現していた。
- ガルパンか進撃の巨人の、放送時期が被ったほうのアニメがヒットしなかった。
- 劇場版の公開は2014年あたりになっていた。
- 「ラブライブ! サンシャイン!!」も2014年あたりに企画がスタートし、アニメ化も史実より早い時期(2015年1月or7月あたり?)に実現していた。
- 9・18事件も重なって、アイマスは2010年の時点で壊滅した。
- 翌年のアニメ化もなかったか、アニメ化されても大コケしていた。
- デレマスのアニメ化もお蔵入りに(そもそもデレマス自体なかったかもしれないけど)。
- 翌年のアニメ化もなかったか、アニメ化されても大コケしていた。
- 早く売れすぎたためブーム終息も早く、2015〜6年頃にはもう下火になっていた。
- この曲のヒットでμ'sは史実よりも早い時期に大ブレイクしていた。
ま行
街角のビリー・ザ・キッド(太田貴子)
- 太田貴子のロック歌手転向は成功とみなされていた。
- 1990年代以後も高橋研とのコンビで楽曲を発表していたかも。
- 後にアニソン歌手に復帰することもなかった。
- 太田貴子は『魔法の天使クリィミーマミ』のイメージで終わることはなかった。
- 太田貴子は現実以上に知名度が上がっていた。
真夏のMagic(Lead)
- 嵐などジャニーズに対抗できるグループに成長したかもしれない。
魔法のメロディ(MELODY)
『キッズウォー』1作目の主題歌。2作目の主題歌も(タイトルは『愛の花』)引き続き担当した。
- キッズウォーシリーズの主題歌は3作目以降もMELODYが担当していた。
- ZONEは別の形でブレイクしいてた。
みかん(大竹しのぶ)
- 大竹しのぶは歌手としての名声が高まっていた。
- モーニング娘。や関ジャニ∞(三兄弟)が歌う同名の曲が「大竹しのぶのカバー曲」と誤解されることが増えていた。
みかん(モーニング娘。)
- ウインターソングの定番が増えていた。
- スーパーの青果売場での定番ソングになっていた。
- 低迷期などという評価を払拭していた。個人的には2007年の娘。の曲の中で一番よかったと思うのだが…。
- ジュンジュンやリンリンの活動の場もひろがったかもしれない。
や行
勇気100%
光GENJI
『忍たま乱太郎』の主題歌としての人気だけでなく、CD売上で史実以上の数字を記録していたら?
- グループが解散しなかった。
- したとしても遅れていた。
- メンバーが相次いで事務所を退社することはなかった。
- SUPER5とSAY'Sは存在しない。
- SMAPはブレイクしないまま終わっていた。
- 1994年以降も紅白歌合戦に出場していた。
- 光GENJIのデビュー7周年記念イベントは史実以上に盛り上がりを見せていた。
- 本作の次回作シングル「BOYS in August」も史実以上に大ヒットしていた。
Ya-Ya-Yah
- 正式デビューが実現していた。
- オリジナル曲が次々とシングル化され、その度にマスコミにも積極的に登場。
- 弟分ユニットのJ.J.Expressもデビューしていた。
- KAT-TUNが史実より早くデビューしていた。
- Hey!Say!JUMPは結成されず、山田涼介は別の形で世に出された。
- デビュー後、相次いでメンバーが脱退するともなかった。
- 2002年に『忍たま乱太郎』がブームになっていた。
- カップリング曲の『世界がひとつになるまで』は手話ソングの定番だった。
- SMAPの『世界にひとつだけの花』と混同されることなど決してあり得ない。
- 「碧いうさぎ」以外の手話ソングを知っている人間のほうが珍しいと思うのだが。
- 「切手のないおくりもの」「きみにあえてうれしい」は?
- CHAGE and ASKAの楽曲(YAH YAH YAH)と間違われる人が続出していた。
NYC
- 正式にデビューしたグループとして認められていた。
- ファンクラブが結成されていた。
- Sexy Zone バージョンはカップリング曲扱いにならなかった。
- 紅白歌合戦への出場を疑問視する声は一切出なかった。
- 中山優馬は本当の意味で人気者になっていた。
夕陽を見ているか?(AKB48)
- 女性アイドルグループが歌うバラードは売れないジンクスはこの曲で崩れていた。
ユメタマゴ(NYC)
- =もしあのアニメが大ヒットしていたら/な行#忍たま乱太郎 忍術学園 全員出動!の段、である。
- 中山優馬がソロで活動することはなかった。
- 本楽曲が、オリコンウィークリーチャートで一位を獲得することができた。
- ジャニーズ系グループの連続初登場首位の記録がストップすることはなかった。
- これ以降のシングルも大ヒットし続けていた。
- 2012年度のNHK紅白歌合戦にNYCが出演していた。
- 当時NMB48に所属していた山田菜々と中山優馬が姉弟であることがカミングアウトされ、話題になっていたかも。
- 同日発売だった、SKE48の「バンザイVenus」は史実ほどヒットしなかった。
- SKE48のブレイクは史実より遅れていた。
夢のENDはいつも目覚まし(B.B.クイーンズ)
- B.B.クイーンズが活動休止することはなかった。
- 『おどるポンポコリン』の印象が強いままで終わることもなかった。
- アニソンといえばお子様ソングの風潮が今でも続いていた。
- 『クレヨンしんちゃん』の主題歌もJ-POPに依存することもなかった。
- 『クレヨンしんちゃん』のシンボルソングは、『オラはにんきもの』ではなく本楽曲になっていた。
夜桜お七(吉木りさ)
坂本冬美の同タイトル曲のカバー
- 吉木りさはその後も演歌歌手として本格的に活動していた。
- グラビアアイドルに転向することもなかった。
- 島谷ひとみの二の舞になることはなかった。
夜空を待ちながら(野猿)
- 赤玉ブラザースは無かった。
- CAが加入することもなかった。
- 野猿がそれ以降迷走することはなかった。
ヨロシク原宿(ニックじゃがあず)
イモ欽トリオ、よせなべトリオに続いて欽ちゃん番組からデビューした音楽ユニットだが、レコード売上は前者二組と比べ伸び悩んだ。
- ニックじゃがあずに続いて「山口良一&生田悦子」「長江健次&松居直美」によるユニットが結成されレコードデビューしていたかも。
らわ行
Loverboy(マライア・キャリー)
- 2001年以降、「マライアの時代は終わった」と言われることはなかった。
- マライアはビルボードのHot 100で12年連続で週間1位を獲得し、自身の持つ最長記録をさらに更新していた。
- この曲が使われていた映画『グリッター きらめきの向こうに』も大ヒットしていたかも。
Lost the way(DiVA)
- =もしウルトラマンサーガが大ヒットしていたらである。
- DiVAの増員は成功したと見なされていた。
- オリジナルメンバーと追加メンバーとの格差を象徴することはなかった。
- DiVAが活動休止状態になることはなかった。
- 宮澤佐江、梅田彩佳はSNH、NMBに移籍することなく、AKBとの兼任メンバーになっていた。
ロックンローラー大放送(アラジン)
- アラジンは「完全無欠のロックンローラー」の一発屋で終わることはなかった。
- アラジンは現実以上に知名度が上がっていた。
- 「クイズヘキサゴン」の企画ユニットの方のアラジンは別のユニット名になっていた。
LolitA★strawberry in summer(SweetS)
SweetSのデビュー曲
- SweetSはブレイクし、瀧本美織の黒歴史となることはなかった。
- 解散後女優転向は史実通りでも、朝ドラヒロインになることはなかっただろう。
- 瀧本美織以外のメンバーも解散後芸能活動を続けていた。
WORST CRIME〜About a rock star who was a swindler〜(WANDS)
- WANDSの路線変更は成功したと見なされていた。
- 旧来のWANDSファンが離れたと見なされることもなかった。
- 上杉昇と柴崎浩は音楽性の違いからWANDSを脱退し、al.ni.coを結成することはなかった。
- 第3期WANDSとして原点回帰することもなく、和久二郎と杉元一生は違った形でデビューしていた。
- ビーイングブームが続いていた。