ページ「もし1980年代の漫才ブームがなかったら」と「もし中村紀洋があの球団に移籍していたら」の間の差分

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#もみじ饅頭は広島みやげの定番になっていなかった。
{{Pathnav|もしあのプロ野球選手があの球団に移籍していたら|[[もしあのプロ野球選手があの球団に移籍していたら/さ~な行|さ~な行]]|name=中村紀洋}}
#「笑ってる場合ですよ!」も存在せず、当然後続の「笑っていいとも!」もなかった。
==2002年オフ==
#*「オレたちひょうきん族」もなかったので、日本のお笑い界は随分つまらない物になっていた。
02年にFA権を取得してメッツ・巨人・阪神の3球団に入団する事を考えましたが結局、年俸3億から5億円(当時の日本人プロ野球最高年俸)の値上げで近鉄に残留しました。
#島田紳助は最後まで松本竜介とコンビを組んでいたが、知名度は関西限定だった。
仮に中村ノリが02年のFA権を取得して上記の3球団に移籍していたら。
#ツービートは味のある超ベテランコンビとして地味に人気者である。
#少なくとも近鉄の身売りは実史よりも遅れていた
#*たけし軍団もなかったので、東国原英夫は宮崎県議会議員を経て知事になった。
#*ドジャース(マイナー)→オリックス→育成選手扱いで中日(その後昇格)にはならなかった。
#明石家さんまは売れない落語家として終わる。
#**オリックスともめて自由契約になる際、野球と関係のない所属を含めたコラがネットにばら撒かれることもなかった。
#*タージンのポジション→森脇健児のように東京進出→失敗・タージンのポジションかな
#「8時だよ!全員集合!!」がメンバーの体力が続く限り存続する。
#「佐賀のがばいばあちゃん」も世に出なかった。
#「M-1グランプリ」も行われなかった。
#田園調布に家が建たない
#漫才師の活躍の場はそれまで通り寄席中心。
#*お笑いスクールは作られず、みな弟子入りしていた。
#三遊亭小遊三は真打昇進を果たせなかった。
#フジテレビ系CS局のフジテレビ721・739の開局が無いか、チャンネルが1つしか無かった。


[[Category:歴史のif検討委員会 メディア・芸能史|まんざいぶーむ]]
;メッツ
入団目前まで行きましたが、メッツがメディカルチェックを終えるとすぐに公式ホームページに「入団に合意した」と先走って発表してしまい、中村がこれに反発して破談となりました。
#新庄と日本人選手どうしとして競演していた
#天然芝球場で尚且つ近鉄時代に怪我をする前なので実史のドジャース時代に比べたら活躍がマシになる
#*とわ言えマイナー落ちになってたら悪名高いままメッツの契約が切れる2年後に近鉄に復帰していた
 
;巨人
#松井の穴埋めとして活躍を期待されるが、思うように活躍できず巨人の成績は上がっても精々3位か4位に留まった
#その後、本人の性格の問題からフロント、選手間の亀裂を自ら作り谷や李承燁の加入と引き換えに他球団に放出されていた
#*清原同様、結局オリックスに移籍していそう。
#少なくとも小久保の獲得はなかった。
#頭髪を黒に染めていた。
 
;阪神
#片岡やアリアスとポジションが被るため、彼らとレギュラー争いを演じた。
#*あるいは今岡が控えになったかも。
#*ショートにコンバートされた可能性が高い。
#しかしあまり実際の歴史と変わらなかったような(リーグ優勝→過大な報酬を要求→メジャー挑戦→…)
#それでも一時期は人気が出て、食いだおれ人形に扮した中村ノリ人形が登場する。
#*阪神ファンは「地元の星だ」と大喜び。
#甲子園は天然芝球場なので怪我が減って実史よりも活躍できた可能性も・・・
#阪神では珍しい1973年生まれのスター選手となっていた。
#金本や新井は阪神入りしなかったかもしれない。
#2003年の優勝メンバーの1人となっていた。
#*この年の阪神は日本一になっていたかもしれない。
 
==2004年オフ==
2004年の球界再編後、ロサンゼルス・ドジャースに移籍します。その後2度目のFA宣言で2009年から楽天に入団するのですが、もし分配ドラフトにより2005年から楽天でプレーしていたら?
;楽天
#年俸の大幅減は避けられなかった。
#*もめて自由契約→中日へと史実をかぶるかも。
#無論4番を打っていた。
#*1年目の楽天は最下位脱出は無理でも、もう少し(03・08年の横浜程度は)勝てていたかも。
#**あの頃はお山の大将状態だったので史実よりもっと酷いことになっていたと思う。
#2006年にホセ・フェルナンデスを獲得することはなかった。
#近鉄時代以上にチーム内で浮いてしまって、2度目のFAで巨人か阪神へ。
#*その前に寺原と交換トレードでソフトバンク行きもあったかも。
#**その場合多村はFAでソフトバンクへ。
#***多村は横浜ファンらしいから三浦と同理論でFAの可能性は低いと思うが、結局はあのタイミングで別の投手とトレードされていただけだろう。
#*だったら小笠原の抜けた日本ハムのほうが可能性高そう。
#*横浜の場合は金城か石井(琢)、木塚、川村の誰か+若手の2:1トレード。
#**村田がいるからいらんわ。横浜が補強するなら間違いなく投手だし。
#*でも土肥を解雇とか謎が多いフロントだからありえたかも。
#**その場合は1塁村田、3塁中村、外野で内川とか。
#2006年からの野村克也監督に丸められていそう。
#*そして野村再生工場の下で復活出来ていたかも。
#**上手くいけば史実の山﨑武司のようになっていた。
#**09年には楽天を優勝に導きノムさんを胴上げ。パ・リーグあるいは日本シリーズでMVPに。
 
==2006年オフ==
2006年度の終了時に年俸8000万円が気に入らずオリックスを退団、結局年俸400万円で中日の入団テストを受け中日に入団しましたが、中日以前にもヤクルトの古田監督、日ハムのヒルマン監督も獲得(年俸1000万円で獲得)に興味を示していました。もし、これらの球団に移籍していたら?
;日本ハム
#07年の優勝時に大幅な年俸値上げ(年俸1000万円→1億円以上)をフロントに要求する
#*一応日ハムフロントも中村ノリの話を聞き入れ年俸を上げるが、精々2000万~3000万円程度に留まる
#**''中村ノリ「俺の価値は2000万かよ!!」''
#**それに対するフロントの答え→「出て行きたければ'''勝手にどうぞ'''」
#*補足として日ハム時代のノリは本塁打打っても20~25発程度だったと思うので
#*その後、来年度の年俸が納得できず日ハムを退団するのだが・・・
 
;ヤクルト
#07年のヤクルトの成績が多少はマシになった・・・か?
#*その結果古田も退団することも無かった。
#1年だけ復活するも、翌年成績がた落ちで解雇。
[[カテゴリ:もしあのプロ野球選手があの球団に移籍していたら|なかむらのりひろ]]

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