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1985年ドラフトで[[読売ジャイアンツ|巨人]]は意中としていた清原和博ではなく[[早稲田大学]]進学が決まっていた桑田真澄を1位指名しました。もしあっさりと清原を指名していたらどうなっていたのだろう?
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==2002年オフ==
02年にFA権を取得してメッツ・巨人・阪神の3球団に入団する事を考えましたが結局、年俸3億から5億円(当時の日本人プロ野球最高年俸)の値上げで近鉄に残留しました。
仮に中村ノリが02年のFA権を取得して上記の3球団に移籍していたら。
#少なくとも近鉄の身売りは実史よりも遅れていた
#*ドジャース(マイナー)→オリックス→育成選手扱いで中日(その後昇格)にはならなかった。
#**オリックスともめて自由契約になる際、野球と関係のない所属を含めたコラがネットにばら撒かれることもなかった。


==読売ジャイアンツが清原和博を指名していたら==
;メッツ
=== 巨人が抽選に勝っていたら ===
入団目前まで行きましたが、メッツがメディカルチェックを終えるとすぐに公式ホームページに「入団に合意した」と先走って発表してしまい、中村がこれに反発して破談となりました。
#清原は引退まで巨人に居られただろう。
#新庄と日本人選手どうしとして競演していた
#*引退が早まった可能性もある。
#天然芝球場で尚且つ近鉄時代に怪我をする前なので実史のドジャース時代に比べたら活躍がマシになる
#しかし通算成績は現実の世界とほとんど変わらなかっただろう。
#*とわ言えマイナー落ちになってたら悪名高いままメッツの契約が切れる2年後に近鉄に復帰していた
#*西武からFAで巨人に移籍した前後の成績を見比べてみるといい。
#ポジションのかぶる駒田はトレードされていた。
#*中畑もトレードされていた。
#入団1年目で4番に抜擢されることはなかった(当時の巨人は原、クロマティ、吉村といった打者がいたため、当時10代の清原が入り込める余地がなかったと思う)。
#*清原ではなく桑田を指名したのはこのためか?
#**この時は巨人は投手が必要だったため、1位から4位まで投手を指名していた。
#4番に抜擢されたのは3年目ぐらいか。
#FA制度の導入はなかったか?
#当時、1桁台の背番号は7しか空いていなかったのでもしかしたら永久欠番になっていたかもしれない。
#*巨人は高卒新人野手にあまりいい背番号を与えない傾向があるので、吉村禎章の後を受けて55をつけていた可能性もある。
#**そうなると、この7年後に松井秀喜が入団していたら何番になったやら・・・
#89年の日本シリーズで巨人は0勝3敗まで追いつめられることはなく、もう少しすんなり勝っていた。
#*当然、「巨人はロッテより弱い」等とマスコミに報道されることもなかった。


===巨人が抽選に敗れていたら===
;巨人
#桑田をはずれ1位で獲り、結局史実とあまり変わらない。
#松井の穴埋めとして活躍を期待されるが、思うように活躍できず巨人の成績は上がっても精々3位か4位に留まった
#桑田を取らなかった場合は、投手力が悪化し王監督の辞任が早まった。
#その後、本人の性格の問題からフロント、選手間の亀裂を自ら作り谷や李承燁の加入と引き換えに他球団に放出されていた
#清原のその後は下記の項目を参照。
#*清原同様、結局オリックスに移籍していそう。
#*西武だったら史実通り。
#少なくとも小久保の獲得はなかった。
#頭髪を黒に染めていた。


==清原和博が西武・巨人以外の球団に入団していたら==
;阪神
===近鉄だったら===
#片岡やアリアスとポジションが被るため、彼らとレギュラー争いを演じた。
#西武の代わりに黄金時代が到来。
#*あるいは今岡が控えになったかも。
#中村紀洋は芽が出なかったかも。
#*ショートにコンバートされた可能性が高い。
#「地元の星や!」と大阪では大喝采。
#しかしあまり実際の歴史と変わらなかったような(リーグ優勝→過大な報酬を要求→メジャー挑戦→…)
#ブライアントは無名のままアメリカへ帰国。
#それでも一時期は人気が出て、食いだおれ人形に扮した中村ノリ人形が登場する。
#10.19決戦は勝っていた。
#*阪神ファンは「地元の星だ」と大喜び。
#89年の日本シリーズは文句なしで勝利し、近鉄は日本一になれた。
#甲子園は天然芝球場なので怪我が減って実史よりも活躍できた可能性も・・・
#*もし4勝0敗で勝っていた場合、当時の巨人監督の藤田監督は解任されていたかもしれない。
#阪神では珍しい1973年生まれのスター選手となっていた。
#鈴木監督と喧嘩して現実より早く巨人へ行ったかも。
#金本や新井は阪神入りしなかったかもしれない。
#*もしくは野茂に誘われて、一緒にメジャーに行っていたかもしれない。
#2003年の優勝メンバーの1人となっていた。
#2004年まで近鉄に在籍していたら、2005年以降はオリックスから楽天に在籍していた。
#*この年の阪神は日本一になっていたかもしれない。
#入来智と「鉄パイプ大立ち回り」(!?)を演じていた。


===南海だったら===
==2004年オフ==
#暗黒時代は回避できた
2004年の球界再編後、ロサンゼルス・ドジャースに移籍します。その後2度目のFA宣言で2009年から楽天に入団するのですが、もし分配ドラフトにより2005年から楽天でプレーしていたら?
#*「生卵事件」は起こらなかった。
;楽天
#王監督の就任はなかったか?
#年俸の大幅減は避けられなかった。
#1994年に秋山幸二がダイエーに移籍したことで、同球団でも「AKコンビ」が実現する。
#*もめて自由契約→中日へと史実をかぶるかも。
#無論4番を打っていた。
#*1年目の楽天は最下位脱出は無理でも、もう少し(03・08年の横浜程度は)勝てていたかも。
#**あの頃はお山の大将状態だったので史実よりもっと酷いことになっていたと思う。
#2006年にホセ・フェルナンデスを獲得することはなかった。
#近鉄時代以上にチーム内で浮いてしまって、2度目のFAで巨人か阪神へ。
#*その前に寺原と交換トレードでソフトバンク行きもあったかも。
#**その場合多村はFAでソフトバンクへ。
#***多村は横浜ファンらしいから三浦と同理論でFAの可能性は低いと思うが、結局はあのタイミングで別の投手とトレードされていただけだろう。
#*だったら小笠原の抜けた日本ハムのほうが可能性高そう。
#*横浜の場合は金城か石井(琢)、木塚、川村の誰か+若手の2:1トレード。
#**村田がいるからいらんわ。横浜が補強するなら間違いなく投手だし。
#*でも土肥を解雇とか謎が多いフロントだからありえたかも。
#**その場合は1塁村田、3塁中村、外野で内川とか。
#2006年からの野村克也監督に丸められていそう。
#*そして野村再生工場の下で復活出来ていたかも。
#**上手くいけば史実の山﨑武司のようになっていた。
#**09年には楽天を優勝に導きノムさんを胴上げ。パ・リーグあるいは日本シリーズでMVPに。


===日本ハムだったら===
==2006年オフ==
#巨人との日本シリーズで「KK決戦」、「東京ドーム決戦」が発生し話題になる。
2006年度の終了時に年俸8000万円が気に入らずオリックスを退団、結局年俸400万円で中日の入団テストを受け中日に入団しましたが、中日以前にもヤクルトの古田監督、日ハムのヒルマン監督も獲得(年俸1000万円で獲得)に興味を示していました。もし、これらの球団に移籍していたら?
#1993年、1998年は優勝していた。
;日本ハム
#ミスターファイターズは田中幸雄ではなく清原。
#07年の優勝時に大幅な年俸値上げ(年俸1000万円→1億円以上)をフロントに要求する
#*一応日ハムフロントも中村ノリの話を聞き入れ年俸を上げるが、精々2000万~3000万円程度に留まる
#**''中村ノリ「俺の価値は2000万かよ!!」''
#**それに対するフロントの答え→「出て行きたければ'''勝手にどうぞ'''」
#*補足として日ハム時代のノリは本塁打打っても20~25発程度だったと思うので
#*その後、来年度の年俸が納得できず日ハムを退団するのだが・・・


===中日だったら===
;ヤクルト
#後に入団する立浪和義とともに「KTコンビ」が組まれた。
#07年のヤクルトの成績が多少はマシになった・・・か?
#*落合・宇野と共にOUK砲などと呼ばれたかも知れない。
#*その結果古田も退団することも無かった。
#**いや、1986年オフに落合を獲得してなかったかも。(=牛島和彦も中日に残留)
#1年だけ復活するも、翌年成績がた落ちで解雇。
#1994年に巨人に勝ち優勝。
[[カテゴリ:もしあのプロ野球選手があの球団に移籍していたら|なかむらのりひろ]]
#1988年の日本シリーズは中日が制覇している。
#*例の新幹線高架下直撃弾も渡辺久信から放った。
#斉藤学(史実でのドラ1)が中日に入ることはなかった。
#*よって、掛布雅之の現役引退も史実より遅くなっていた。<!--斉藤から受けた手首への死球が掛布引退の引き金となった-->
 
===阪神だったら===
#1986年に連覇達成。
#*それ以降強豪チームに。
#*92年は優勝していた。
#近鉄と同じく「地元の星や!」と大阪では大喝采。
#暗黒時代突入は遅れていた。
#*4番候補として外国人を獲得しては失敗する、なんてこともなかった。
#バースの影でじっくりと育成されていた。
#*そして1988年、バースの退団によって4番を任され一気に地位を確固たるものとする。
#*いや、ルーキーの年に故障した掛布に代わって三塁手として名を馳せていたかもしれない。
#さすがにFAを取っても巨人に行くことはなかっただろう。
#遠山昭治(当時)の阪神入りはなかった。
#*ゆえに阪神との縁もなかったため、後年の「遠山→葛西→遠山→葛西」という投手リレーも存在しなかった。
 
===西武は===
#優勝の常連からは陥落。
#*しかしAクラスぐらいは守りきる。
#森監督の退任が早まった。
#*堤オーナーの「やりたければどうぞご勝手に」発言はなかった。
#片平晋作の大洋移籍はなかった。
#*しかし実際は指導者等として西武に戻ってきたため彼の現在は史実通り。
 
==清原和博がドラフト指名を拒否していたら==
#プロ入りが遅れた分成績も落ちる。
#江川の二の舞だと揶揄される。
#社会人に進み、3年後に1988年ドラフトで川崎憲次郎らとバッティング。
#1988年のソウル五輪で全日本の四番を務め、二大会連続金メダルに貢献。
 
==桑田真澄がどこの球団からも指名を受けなかったら==
#そのまま[[早稲田大学]]に進学。早大では斎藤佑樹より前にあらゆる記録を樹立していた可能性もあった。
#*1986~89年にかけて六大学野球は盛り上がっていた。
#*小宮山悟(史実での1988~89年の早大のエース)はどのような影響を受けるのだろうか。
#*取手二高の石田や仙台育英の大越のように中退していたかもしれない。
#**その後社会人野球チームを経てプロ入り。
#**あるいはアメリカに渡ってメジャーリーグを目指したかも。
#卒業後[[阪神タイガース|阪神]]に入団して伝統の一戦がKK対決で盛り上がっていたかも。
#「さらば桑田真澄、さらばプロ野球」が出版されることもなかった。
#もっと早くメジャーへ行ってたかもしれない。
#莫大な借金(17億円)を抱えることは無かった。
#*「投げる不動産屋」と呼ばれることは無かった。
#1988年のソウル五輪にも出場。
#1989年のドラフトは野茂と桑田だけで12球団の1位指名が占められた。
#*潮崎哲也・佐々岡真司・与田剛も野茂か桑田のはずれ1位だった。
#*元木大介が巨人にすんなり入団できていたかも。
#江川卓がもう少し長く現役を続けていた。
#*西本聖が中日にトレードされることもなかった。
#いずれにせよ、桑田が第一志望であった巨人に入団できなかった可能性がある。
 
==両者の立場が逆だったら==
#清原は意中の球団だったため少々トラブルはあったが巨人に入団していた。
 
 
[[Category:歴史のif検討委員会 日本プロ野球史|とらふと1985]]

2021年3月1日 (月) 12:25時点における版

2002年オフ

02年にFA権を取得してメッツ・巨人・阪神の3球団に入団する事を考えましたが結局、年俸3億から5億円(当時の日本人プロ野球最高年俸)の値上げで近鉄に残留しました。 仮に中村ノリが02年のFA権を取得して上記の3球団に移籍していたら。

  1. 少なくとも近鉄の身売りは実史よりも遅れていた
    • ドジャース(マイナー)→オリックス→育成選手扱いで中日(その後昇格)にはならなかった。
      • オリックスともめて自由契約になる際、野球と関係のない所属を含めたコラがネットにばら撒かれることもなかった。
メッツ

入団目前まで行きましたが、メッツがメディカルチェックを終えるとすぐに公式ホームページに「入団に合意した」と先走って発表してしまい、中村がこれに反発して破談となりました。

  1. 新庄と日本人選手どうしとして競演していた
  2. 天然芝球場で尚且つ近鉄時代に怪我をする前なので実史のドジャース時代に比べたら活躍がマシになる
    • とわ言えマイナー落ちになってたら悪名高いままメッツの契約が切れる2年後に近鉄に復帰していた
巨人
  1. 松井の穴埋めとして活躍を期待されるが、思うように活躍できず巨人の成績は上がっても精々3位か4位に留まった
  2. その後、本人の性格の問題からフロント、選手間の亀裂を自ら作り谷や李承燁の加入と引き換えに他球団に放出されていた
    • 清原同様、結局オリックスに移籍していそう。
  3. 少なくとも小久保の獲得はなかった。
  4. 頭髪を黒に染めていた。
阪神
  1. 片岡やアリアスとポジションが被るため、彼らとレギュラー争いを演じた。
    • あるいは今岡が控えになったかも。
    • ショートにコンバートされた可能性が高い。
  2. しかしあまり実際の歴史と変わらなかったような(リーグ優勝→過大な報酬を要求→メジャー挑戦→…)
  3. それでも一時期は人気が出て、食いだおれ人形に扮した中村ノリ人形が登場する。
    • 阪神ファンは「地元の星だ」と大喜び。
  4. 甲子園は天然芝球場なので怪我が減って実史よりも活躍できた可能性も・・・
  5. 阪神では珍しい1973年生まれのスター選手となっていた。
  6. 金本や新井は阪神入りしなかったかもしれない。
  7. 2003年の優勝メンバーの1人となっていた。
    • この年の阪神は日本一になっていたかもしれない。

2004年オフ

2004年の球界再編後、ロサンゼルス・ドジャースに移籍します。その後2度目のFA宣言で2009年から楽天に入団するのですが、もし分配ドラフトにより2005年から楽天でプレーしていたら?

楽天
  1. 年俸の大幅減は避けられなかった。
    • もめて自由契約→中日へと史実をかぶるかも。
  2. 無論4番を打っていた。
    • 1年目の楽天は最下位脱出は無理でも、もう少し(03・08年の横浜程度は)勝てていたかも。
      • あの頃はお山の大将状態だったので史実よりもっと酷いことになっていたと思う。
  3. 2006年にホセ・フェルナンデスを獲得することはなかった。
  4. 近鉄時代以上にチーム内で浮いてしまって、2度目のFAで巨人か阪神へ。
    • その前に寺原と交換トレードでソフトバンク行きもあったかも。
      • その場合多村はFAでソフトバンクへ。
        • 多村は横浜ファンらしいから三浦と同理論でFAの可能性は低いと思うが、結局はあのタイミングで別の投手とトレードされていただけだろう。
    • だったら小笠原の抜けた日本ハムのほうが可能性高そう。
    • 横浜の場合は金城か石井(琢)、木塚、川村の誰か+若手の2:1トレード。
      • 村田がいるからいらんわ。横浜が補強するなら間違いなく投手だし。
    • でも土肥を解雇とか謎が多いフロントだからありえたかも。
      • その場合は1塁村田、3塁中村、外野で内川とか。
  5. 2006年からの野村克也監督に丸められていそう。
    • そして野村再生工場の下で復活出来ていたかも。
      • 上手くいけば史実の山﨑武司のようになっていた。
      • 09年には楽天を優勝に導きノムさんを胴上げ。パ・リーグあるいは日本シリーズでMVPに。

2006年オフ

2006年度の終了時に年俸8000万円が気に入らずオリックスを退団、結局年俸400万円で中日の入団テストを受け中日に入団しましたが、中日以前にもヤクルトの古田監督、日ハムのヒルマン監督も獲得(年俸1000万円で獲得)に興味を示していました。もし、これらの球団に移籍していたら?

日本ハム
  1. 07年の優勝時に大幅な年俸値上げ(年俸1000万円→1億円以上)をフロントに要求する
    • 一応日ハムフロントも中村ノリの話を聞き入れ年俸を上げるが、精々2000万~3000万円程度に留まる
      • 中村ノリ「俺の価値は2000万かよ!!」
      • それに対するフロントの答え→「出て行きたければ勝手にどうぞ
    • 補足として日ハム時代のノリは本塁打打っても20~25発程度だったと思うので
    • その後、来年度の年俸が納得できず日ハムを退団するのだが・・・
ヤクルト
  1. 07年のヤクルトの成績が多少はマシになった・・・か?
    • その結果古田も退団することも無かった。
  2. 1年だけ復活するも、翌年成績がた落ちで解雇。