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*[http://www.ytv.co.jp/ ytv:讀賣テレビ放送公式サイト]
{{Pathnav|ざんねんなモノ事典|ざんねんなスポーツ事典|name=格闘技}}
==ytv.の噂==
※編集される方は「[[Chakuwiki:お願い/ざんねんなモノ事典]]」をご覧ください。
#ヤンポチ。
==分割済み==
#*ただいま失踪中。
*[[ざんねんな相撲事典]]
#**と言うより、いつの間にかロゴが大幅に変わっている。
==団体==
#***ウキキになりました。
===ボクシング===
#****''「ウキウキわくわく、YTV!」''
====ボクシングジム====
#****ウキキの弟らしきキャラの「ミニニ」が新たに加わった。
;オザキボクシングジム
#*****しかしそのウキキやミニニが不評。今の'''<font color="#FFD800">ytv</font><sup><font color="#EF810F">・</font></sup>'''より昔の'''<span style="color:red">よみうりテレビ</span>'''に戻して欲しいとの声も。
#所属ボクサーが猟奇的事件を起こし、のちにここが火元となり小田急火災に至った。
#[[読売ジャイアンツ|読売巨人軍]]の兄弟会社であるが、「[[阪神タイガース]]命」のテレビ局である。
#*「トラトラタイガース」はもう終了しました。
#**「トラトラタイガース」は「[[情報ライブ ミヤネ屋ファン|ミヤネ屋]]」の「トラトラR」というコーナーが受け継いでいる。ちなみに[[中日ドラゴンズ|ドラゴンズ]]のお膝元の[[中京テレビ放送|中京テレビ]]と[[広島東洋カープ|カープ]]のお膝元の[[広島テレビ放送|広島テレビ]]でも放送されている。
#*虎バンに取って代わられたね。
#*巨人戦を阪神戦に差し替えること、しばしば。
#**どういうわけか、[[サンテレビ]]や[[BS放送局#NHK|BS1]]が中継する日に差し替えるため、V局、U局、BSで阪神戦を同時中継。
#*「読売」テレビなのにこの阪神マンセーっぷりは異常。やっぱり巨人だと関西では視聴率取れないのか?
#**「ズームイン」でもプロ野球割りコミ情報と称して全国ネットで堂々と阪神プッシュしてたしね。大阪の性質上やむを得ない。
#***お陰で巨人とは兄弟会社のくせになぜか阪神の存在感が異様に大きかった。
#*在阪パ・リーグ3球団時代は特に際立ってた(MBS=南海、ABC=近鉄、KTV=阪急と他3局でそれぞれ推しがあったため)。
#かつては東京・[[八王子市]]の堀之内にスタジオを持っていた。
#*ほとんどのバラエティ番組はここで収録されていた。現在は世田谷のスタジオ(自社持ちではない)を主に使っている模様。
#「フィクション」の注意書き発祥の局。
#讀賣テレビが好きならば『週間テレビ広辞苑』(関西地区での放送は1988年4月~1989年3月)を知っているのはデフォ。
#*一応オープニングはローリング・ストーンズの曲であった。
#地デジも10チャンネルを死守した。
#*アナログでの親局チャンネルが10チャンネルの局で、唯一デジタルでも10チャンネル。
#**アナログ10chの民放は本局や[[テレビ朝日|テレ朝]]等m全国に7局ありました。日テレ系では[[山形のメディア#山形放送|山形]]と[[南海放送|松山]]。
#**アナログの親局チャンネルが9chの2局([[西日本放送|西日本という]]と[[テレビ西日本|社名コンビ]])と12chの3局([[テレビ東京|テレ東]]・[[広島テレビ放送|広テレ]]・[[仙台放送]])はデジタルではキー局の番号に、11chの9局([[名古屋テレビ放送|メーテレ]]、[[山陽放送]]等)も3~8のいずれかに統一された。
#*3桁番号が101なので、BS1と被っている。
#**いっそのこと「001」にすればいいのにね…
#***[[NHK]]総合テレビと被るで。
#****[[テレビ愛知|名古屋のテレ東]]も同じことがいえる。
#****1桁でもデジタル9chは[[TOKYO MX]]と[[奈良のメディア#奈良テレビ放送|奈良テレビ]]だけ。
#*携帯のワンセグだとボタンが「*」だから一瞬わからなくなる…
#局愛称が「よみうりテレビ」から「ytv」に変わった。
#*ロゴは'''<span style="color:red">よみうりテレビ</span>'''→'''<font color="#FFD800">ytv</font><sup><font color="#EF810F">・</font></sup>'''に変わった。
#*グループである[[読売新聞]]の番組表には「よみうりテレビ」と平仮名のまま。
#以前は[[九州朝日放送|KBC]]や[[札幌テレビ放送|STV]]より自主制作率が下回っていた。(今はどうだろう?)
#*↑2007年10月からミヤネ屋が3時間に拡大するので、独立UHFをのぞいて自社制作率日本一の民放[[朝日放送|大阪ABC]]と並んだんちゃうか?
#**さらにミヤネ屋は系列局の要望で3時間となったと同時に25局ネットへ。なるトモも5局ネット、たかじん~委員会も10数局ネット。さらには昼のニュースDの関西のニュースや夕方のニューススクランブルは日テレ系衛星放送で配信されてるから、ytvエリアだけで見れる番組は意外と少ない。
#***ただそういう番組の殆どは日本テレビにはネットされることはない。しかもそれで何を放送しているかと思えばドラマの再放送。
#****テレビ信州もネットされていません。
#*****テレビ信州は2008年1月からミヤネ屋を放送開始することになりました。
#****2008年4月より日本テレビでも1時間だけだがネット開始。なるトモ!の悲劇(定着しだしてから打ち切り)再びか?
#*****打ち切りどころか9月より2時間に拡大。
#******10月からは4時台廃止し、再放送枠に。ミヤネ屋全時間帯日テレの監視下に。
#*******宮根の体力がもたんだろ、おはよう朝日やった後に昼に3時間って。
#*******前番組「ザ・ワイド」末期の頃、共同制作を維持しつつここに主導権を譲り、行く行くは大阪発にする構想があった。これが番組が変わって実現したって事かも。
#*******そして「2時っチャオ!」を打ち切りに追い込んだ。
#***ちなみに「2時のワイドショー」は20局前後だった。
#****当時はマストバイが少なかったからな。クロスネットはアフタヌーンショーの時差ネット。
#***純粋な関西ローカル番組は週間えみぃSHOWくらい。ほんわかテレビは三重テレビでも放送されている。
#****そのえみぃSHOWも2009年3月で終了…。
#平日に[[大阪市/中央区#大阪ビジネスパーク|OBP]]に行くと、アナウンサーのロケ現場によく遭遇する。(就活中によく見た)
#在阪局に言えることだが、創価学会が嫌い。CMは極力流さないし、「そこまで言って委員会」でも学会を批判してた。
#*↑「LP」はどうなんだろう?
#**実際今のところ学会のCMを流してるのは[[テレビ大阪]]のみで在阪4局(MBS・ABC・KTV・YTV)は局の方針で流していない。[[京都放送|KBS]]と[[サンテレビ]]はどうかわからん。
#***サンテレビはアンチ創価みたいだが、CMや番組の拒否は無い。
#*じゃぁ某ケンミンSHOWにエア本さんが出てたのは何故?
#**'''東京の制作会社に丸投げだから'''らしい。
#**ケンミンSHOWだけじゃない。この間大阪で彼女のソロイベントを主催してた。なので、創価嫌いでもMBSやKTVと違って学会員タレントの制限まではしてないと思う。
#***いやいや、MBSはエア本さんが「ウルルン」末期の司会していたし、関テレも「たかじん胸いっぱい」に某学会タレントがちょくちょく出ている。
#ケータイでいうとau。
#*キー局はdocomoな感じなのに…。
#[[魔人探偵脳噛ネウロファン]]から恨まれている。
#*結界師ファンからも恨まれてるかも?視聴率低迷で深夜になったから。
#*さらに[[はじめの一歩ファン]]からも恨まれている。
#思想的には逆ではあるが関東のキー局といえば[[テレビ朝日]]とかぶるかな。視聴率がキー局(準キー)より低め、アナログ10チャンネル、討論系番組がメインコンテンツ。
#*テレ朝との関係はABC・MBSより良好と言われている。
#**という訳で[[もしあのテレビ局が違う系列局になったら/近畿#読売テレビ→ANN|こんなページ]]作りました。
#生駒山デジタル放送送信所はMBSと共同使用している。
#[[外国語FM局|FMCO・CO・RO]]の大株主のことはあまり知られていない。
#[[関西テレビ放送|某局]]から勝手にライバル視されているようだが、当ののこの局は格下にしか思っていない。
#[[日本テレビ|日テレ]]と非常に仲が良い。
#*なにしろ日テレより遅れて開局したから。
#**キー局の意向で設立された。
#*それでも「[[たかじんのそこまで言って委員会ファン|たかじんのそこまで言って委員会]]」は日テレでは放送されない。
#**言うまでもなくたかじんは大のアンチ東京だから。
#***正確には、東京そのものではなく、'''東京へのおのぼりさんを強烈に嫌悪している'''。ビートたけしなど、親密な関係にある人もいる。
#****勿論、嫉妬である。
#****東京のキー局の中でもたかじんの一番嫌いな局は日テレ。他キー局はごくまれにゲスト出演しても日テレにだけは死んでも出ないとか。
#*****しかし「たかじんnoばぁ〜」は日テレでもネットしていた。
#*逆に仲が悪いのは[[札幌テレビ放送|STV]]。「2時のワイドショー」を一切ネットせず同名の自主制作番組を流していた程。(ちなみに向こうの方が先。)
#**なお、STVと最も関係が深い在阪局はMBS。
#**また、[[テレビ大分]]との関係も悪い。
#***[[テレビ金沢]]との関係も悪い。
#****ただ、KTKとの関係は近年改善されてきている。
#***[[長野のメディア#テレビ信州|テレビ信州]]との関係も(ry
#**しかし、STVも一応「そこまで言って委員会」をネットしている。
#**ついでに言えばSTVは日テレとも仲が悪い。
#***STVと日テレの関係が特に悪化したのは90年代以降だが、ytvとは開局以来と言っていいほど険悪。
#***なんか読売テレビで「どさんこワイド」やってるww(2010/3/22)
#**なお、ytvと関係が深い在札局はHTBだが、uhbが日テレ系列に移りたいというならばuhbとytvの関係は最高なものになる。
#*そのこともあってか、「ミヤネ屋」を日テレにネットさせると関西色から日テレに合わせた内容に変えてくれるから、他の在阪局と比べむしろキー局思い。
#**近年は番組制作力も上昇しているので、日テレに恩返しをし始めたのだろう。
#*元々日本テレビ自体、ズームイン内で地方局製作のを流したり多チャンネル対応の為として地方局に番組制作のノウハウを教えて作った番組を日テレがネットしたりと他のキー局に比べて逆ネットに対して抵抗が少ないのも大きい。
#*日テレ制作の帯番組の視聴率が、関西では軒並み低い数値が出る傾向にある(特にズームインはかなり低い)。だからと言ってそれが原因で日テレと不仲になっていることは聞いたことがない。
#**視聴率が大きな理由でキーと不仲になったMBSとは対照的。
#*U局では[[テレビ神奈川]]と仲良し。
#**tvkとの関係はMBSよりも良好と思われる。但し[[サンテレビ]]程ではない。
#**逆に[[東京MXテレビ|TOKYO MX]]との関係はあまりしっくりこない。
#*[[中京テレビ放送|中京テレビ]]放送との関係も非常に良好。
#**また、かつて日テレと系列関係のあった[[名古屋テレビ放送|メ~テレ]]との関係も良好。
#スポンサー紹介のときに「提供」の文字を出さない。スポンサー会社のロゴだけが並ぶ。
#*そんなことない。
#もし[[産経新聞]]が[[読売新聞]]に買収されたら確実に「産経テレビ」になりそう。[[関西テレビ放送|関西テレビ]]との関係も考えれば。
#*え?じゃあ、関テレはどこ系列に?
#**[[テレビ大阪]]が独立局になり、[[もしあのテレビ局が違う系列局になったら/近畿#関西テレビ→TXN|関テレがTXNになるかもしれない。]]
#**あるいは関テレが朝日放送と合併してANN系列になり、テレビ大阪は関テレが使用していた帯域を利用して広域局になるかもしれない。
#[[ジャニーズ事務所]]との関係はあまりしっくりしない。
#*ただししっくりしないのは本社のほうで、関西支部との関係は良好。
#*ジャニーズとは親密な日テレとは対照的。
#*反面、[[オスカープロモーション]]との関係は関西民放で最も親密と言われる。
#**だから、オスカーと仲がよいテレ朝との関係は悪くない。
#**もしテレ朝がABCを失った場合にはytvと完全ネットを組むことも十分ありうる。
#在阪準キー局で最も新聞色が濃い。
#*KTVとABCは新聞と仲が悪いし、MBSも繋がりが薄いので。
#**「朝日」放送だの「毎日」放送だの言ってるのにね。
#***MBSはいっそNJBに名称戻せば良いのに・・・その方がイメージ上がるよ。
#**しかし、ここも最近は読売より産経の方が親密らしい。読売とはさほど悪いわけではないが。
#**ついでに言えば在阪でもっとも右寄り。
#わくわく宝島はともかく、30年以上の歴史を持つ鳥人間コンテストも休止へ・・・
#*これも経営悪化を物語っている。
#**経費削減なら仕方ない。
#***そもそも琵琶湖でやること自体が景気云々を無視してももう無理だ。皆が飛びすぎる。
#*鳥人間は日テレじゃないのか?
#**いや、これで合ってる。第一[[滋賀|琵琶湖]]でやってた訳だし・・・。
#「鈴木健二の人間テレビ」が不評だったのを境に、鈴木健二はテレビ出演はほとんどしなくなった。
#設立当初の局名は新大阪テレビ(NOTV)。
#*'''No TV? But NOTV'''・・・あーややこしい。
#[[フジテレビ]]とは「ヤッターマン」をめぐる問題で仲が悪くなった。
#*「天才バカボン」を奪われたことに対してのリベンジ。これでお相子。
#[[TBS]]との関係も[[毎日放送|MBS]]と比べれば良好。[[もしあのテレビ局が違う系列局になったら/近畿#読売テレビ→JNN|こんなページ]]もあります。
#AKBINGO!は未ネット。


==番組の噂==
;協栄ボクシングジム
#日曜11時45分から放送の「週刊えみチャンネル」は最強のゲス番組!!大好きです。
#世界王者を多く輩出する名門だが、先代の金平正紀の時代には黒い霧や毒入りオレンジ、疑惑の判定、元ミカドの冷遇などスキャンダルが非常に多く、息子の桂一郎に変わってからもファイトマネー未払いなどが相次いだ。
#*[[関西テレビ放送|関西テレビ]]の月曜19時の番組かい!
#*最後はビルのオーナーとの金銭トラブルで休業。
#*「日曜11時40分から放送の[[ローカルTV番組ファン#ウラネタ芸能ワイド!週刊えみぃSHOW|週刊えみぃSHOW]]」ですよ
#*09年3月に終了して、4月から高田純次と司会を務める「愛の修羅バラ」です。(因みに、[[中京テレビ放送|ここ]]と合作)
#週刊えみNOW後の「[[たかじんのそこまで言って委員会ファン|たかじんのそこまで言って委員会]]」はTVタックルも真っ青な過激討論番組!痛快!
#*愛知県でも放送されています。東京の番組ではありえない本音トークが愉快痛快限りなくて大好き!
#**全国色々な所でネットされているが、「東京にネットしていないから・・・」を殺し文句にコメントを引き出しているのでフルネットになることはない。
#*歌手が本業?の司会者が「東京ネットされたら俺はやめる!」「NHKが頭下げても紅白には出ない!」というが、代表曲の1曲は「'''東京'''」
#*東京にネットしない理由は「東京の人間はクレームが五月蝿いから」。自分の発言に責任を持つ気は0らしい。
#**テレビに顔を出す人間の言うことではないですな。
#**たかじんは自分を含んで全人類の悪口を言うほどすごい独裁主義。もちろん嫌いなものには嫉妬。
#**まぁ、気持ちの半分は分かる。でも東京の人間全てがそうではないけどね。
#**あと宮城以外の東北地方地域にもネットされていません。
#*関西以外のことはこれでもかと非難するくせに、某脱線事故や某大地震のような自分らに都合の悪いことは扱おうとしない、あるいは非難を控えめにする。
#**ここで叩いている奴は、「そこまで行って委員会」が見られない関東地方の人間。キー局も東京ばかり持ち上げて関西をとことん貶めるだろ。
#***結局非ネット地域からは「事件や事故をネタにするだなんて不謹慎だ」とかそういう抗議が来ない、だからじゃないか?
#*[[特定アジア]]を徹底的に叩きまくっているので右翼番組とも呼ばれている。
#**極右状態と言われるほどの偏向報道に変遷してしまったため、久米宏から番組に苦言を呈したことがある。
#**動画サイトでアップロードされているが、出演者は全く気にしていない。事実、「東京では放送されていないのに東京の人に番組(そこまで言って委員会)のことを言われた」といっただけである。
#***[[銀魂ファン|銀魂]]にパロディにされないかが心配。
#*TVタックルって何?(by高知市民)
#**火曜日の深夜にやっているやつだよ(by島根県人)
#**月曜9時じゃないの?(by東京都民)
#**どっちも正解。<!--下の東京都民は[[日本語]]が間違っている。正しくは「東京じゃ月曜9時」-->
#どっちの料理ショーの制作局。ただ大阪局制作のせいか、人気番組なのにまだハイビジョンで放送していない。
#*しかし在阪局の中でのHD率は一番高い。
#一昔前の土曜の12:00は「ルパン三世」「シティハンター」の再放送枠だった。
#「名探偵コナン」など、数々のアニメを制作している。
#*ゴールデンタイムで放映しているアニメはここの製作アニメだけ。(高知から見た視点なので本気にしないでください。)
#**この局以外にゴールデンタイムにアニメを放送しているテレビ局はテレビ朝日とテレビ東京だけである。
#*実際に仕切ってるのは東京支社
#*元々は「魔法騎士レイアース」のスタッフがコナンを始めるために譲った状態で打ち切った。
#**しかし、CLAMPと当局との対立で絶縁した。
#*裏番組の「怪傑えみちゃんねる」の上沼恵美子や、「たかじんのそこまで言って委員会」の出演者はこのアニメの存在に不満に思っている。
#他の大阪局にも言えることだが、夕方ニュースのクオリティが東京よりも高い。CGはキレイに動くわ、特集は面白いわ……
#*でもテロップ汚い
#**気づいたらきれいになっていた
#ときめきたい?ムリ?
#'''[[秘密のケンミンSHOWファン|<s>Chakuwiker</s>借民御用達の番組]]'''はここで制作している。
#*しかし、大阪の奇妙な面ばっかり流すなので[[日本テレビ]]製作だと思っている人が多い。
#**よってその番組は自虐的な番組である。
#日テレ系のアニメは昔から殆どがこの局の制作。
#金をかけたスペシャル番組はよみうりテレビのお家芸。
#[[毎日放送|MBS]]とかぶる面がある。夏にイベントやったり深夜にアニメゾーンやったり創価学会嫌いだったり・・・
#*そして極めつけは橋下知事を賭けたミヤネ屋vsぷいぷいのじゃんけん対決。
#ローカル番組を放送するため日曜22:30-の黒バラが見れない。仙台は見れますよ。
#*そのローカル番組とは、「大阪ほんわかテレビ」
#**オレはこっちの方が見たいけどね(by茨城県民、元大阪市民)
#*月曜24:29から24:59まで。あと、CM長過ぎ。
#最近のマイブームはU系アニメの制作。
#*今のところは[[wikipedia:ja:乃木坂春香の秘密|こ]][[ケメコデラックス!ファン|れ]]だけだが、これから増えそうな予感。・・・まぁ頑張れ。
#**と思ったら今期は1本も作っていない。やはり下記の経営悪化が影響なんんだろうか?
#***来期も作る気配ナッシング。
#*MONDAY PARKはMBSのアニメシャワーとは違って放送枠ごと録画されるので、いい迷惑である。
#**ケメコ見たいだけなのに、何でRDみてーなメタボアニメまで録らなきゃならないんだよ・・・
#*[[wikipedia:ja:カオス;ヘッド|これ]]の製作協力もやってたらしい。でも何故かネットはしなかった。
#*2009年春は[[wikipedia:ja:07-GHOST|これ]]。それも無駄に放送局が多い。
#**多いけど、ytvと大の仲良しである中京テレビの名前が無いのは何故?
#*同年夏にGAをネットするけど今回は出資しないかも。
#*乃木坂春香は2期が決まった。
#*ケメコの2期マダー?
#*一方で日テレ製作作品については非常に消極的で、2ヶ月遅れなんて日常茶番。
#*マンパは第一枠だけ大東洋がスポンサーだった時期がある。
#*青い文学が興和とニトリがスポンサーについたおかげ(PTにハピネット)で集中放送開始。早朝の審議会番組だと60件ぐらいの要望があったらしい。
#2009年4月よりスタートの「サプライズ」木曜の制作を担当。サブタイトルは「怒っとOSAKA」。
#*最初見たけど、案の定お得意の大阪自虐番組だった。
#*サプライズのスタートにより19時~22時はぐるナイを除きytv製作番組が重なる事に。
#**さらにNEWSZEROの後のドラマも。
#*ただ2010年1月から「サプライズ」ytv制作分は水曜に移動するので、木曜のytv制作番組の集中は多少緩和される。
#最近は通販番組がやけに増えてきている。土曜の夕方や平日の午前中にもやるように。
#土曜朝のワイドショーが[[毎日放送|他]][[関西テレビ放送|3]][[朝日放送|局]]に比べて硬派である。
#*他3局の路線は2時ワイドと近いような・・・。
#関テレでの「笑っていいとも!」同様、ytvでの「ズームイン」の視聴率が、NNN局の中でも非常に悪い。
#深夜の定時番組にやたらと枠のタイトルをつける(「MONDAY PARK」「キン★ドン」「DO-YA」など)。
#*新聞の番組欄やGコードも枠内ひとまとめ、もしくは枠名のみ掲載され、枠内の番組の開始時刻も掲載されないため、枠第2部以降の番組だけタイマー録画したいときにはいい迷惑になっている。
#**[[毎日放送|こっち]]の[[アニメシャワーファン|あれ]]とは大違い。


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;笹崎ボクシングジム
{{NNN}}
#ファイティング原田を育てたジムとして有名だが、「ボクシング版江川事件」以降は低迷が続き、日本チャンピオンすらなかなか出なかった。


{{DEFAULTSORT:よみうりてれひ}}
;不二ボクシングジム
[[Category:讀賣テレビ放送|*]]
#岡本不二が弟子のピストン堀口を連れて日本拳闘倶楽部から独立して設立された由緒あるジムだった。
[[Category:大阪の企業]]
#東洋太平洋王者と日本王者は輩出したが、世界王者は出ないまま2010年に閉鎖。
 
;三迫ボクシングジム
#日本のオリンピック金メダリスト2人(桜井孝雄、村田諒太)はともにここでプロデビューしたが、いずれもジムがアマチュア側とトラブルを起こし、プロアマ間のしこりを残してしまった。
#*その上、村田は帝拳に引き抜かれた。
 
====ボクシング王座認定団体====
;IBF日本
#奈良池田ジム会長の池田久がJBCを離れ、当時設立間もないIBFから承認を受けて発足。
#しかし、JBCの圧力でほとんど関西ローカルにとどまり、認知度が低かった。
#そのため参加ジムも非常に少なく選手不足なため、経験が浅い選手を世界に挑戦させて惨敗したり、空手やキックボクシングの掛け持ち、さらには網膜剥離でJBCから引退勧告を受けた選手なども参加させていて、杜撰な運営だった。
 
===その他===
;SWS
#1990年に新日本・全日本から多くの選手・スタッフを引き抜いて誕生したプロレス団体だが、週刊プロレスにバッシングされまくって1992年に崩壊。
#*当時週刊プロレスの編集長だったターザン山本は後年、ジャイアント馬場から金銭を受け取って、その見返りとしてSWSをバッシングしていたことを暴露本で告白している。
 
;戦極
#PRIDE消滅後に立ち上がった新団体のひとつだが、地上波放送がなかなか獲れず、テレビ東京がレギュラーのダイジェスト番組を放送するにとどまった。
#その後、吉田道場勢が離脱してから迷走が続き、メインスポンサーだったドン.キホーテの撤退でとどめを刺された。
 
;全日本女子プロレス
#1968年に創立、ビューティーペアやクラッシュギャルズ、極悪同盟など数々のスター選手を輩出し、「女子プロレスブーム」の火付け役となる。
#*しかしその裏で、経営陣一族の浪費癖や経営多角化の相次ぐ失敗などで巨額の借金を抱えてしまう。
#*さらに、80年代の終わりにはスター選手だったクラッシュギャルズの2人(ライオネス飛鳥・長与千種)と2人の宿命のライバル・ダンプ松本が相次いで引退して以降、ガクッと客足が遠のく。
#*1996年頃には、倒産騒動があり、主力選手が他団体に移籍する始末。
#結局、巨額の借金を抱えたまま、2005年に惜しまれつつ解散した。
 
==人物==
===ボクシング===
====日本人====
;赤城武幸
#アマチュア時代に世界選手権やアジア大会出場など実績を残し、鳴り物入りで8回戦プロデビューも、世界タイトルは挑戦すら果たせなかった。
 
;猪崎かずみ
#世界最高齢女子プロボクサーとしてギネスにも認定された。
#海外で世界初挑戦が一度決まったものの、メディカルチェックの問題のため見送られた。
#その後、後に世界5階級王者となる藤岡奈穂子にKO負けを喫し、引退勧告をを受ける。
#タイに渡り現役を続行するが、年齢を理由にランキングに入れず引退を余儀なくされた。
 
;海老原博幸
#昭和を代表する名チャンピオンのひとりだったが、引退後が残念だった。
#1986年に娘を交通事故で亡くした。
#そのショックもあり酒の量が増えてしまった。
#*その後、肝機能障害のため1991年4月20日に51歳の若さで他界。
#**親友のファイティング原田は「俺は親の葬式でも泣かなかったが、海老原が死んだ時は泣きまくった」と相当なショックだったという。
#ジムの後輩でロシア出身のユーリ・アルバチャコフがリングネームを継承して「ユーリ海老原」を名乗ったが、ロシア語で「エビ」が{{あきまへん}}な意味の単語に聞こえるため改名されてしまった。
 
;鬼塚勝也
#1990年代に活躍したスピードタイプの世界チャンピオンなのだが…。
#世界戦では微妙な判定での勝利も多かった(タノムサク戦2試合、林在新戦、李承九戦など)。
#*世界戦での唯一のKO勝利も日本人(松村謙二)相手のものだった。
#*2度目の防衛戦となったアルマンド・カストロ戦(接近戦で相手に打ち負けず判定勝ち)など良い試合もあるのだが…。
 
;ガッツ石松
#ボクサーとしては、実力者。しかし、引退後のタレント活動の方がインパクトが大きい。
#クイズ番組での珍回答が、よくネタにされる。
#*「ヒントでピント」のモザイクを使った問題で「SEX」と答えたことは有名。
 
;亀田三兄弟
#ボクシング人気復活の起爆剤として期待されたが、相次ぐトラブルで国内ライセンスを失い、長男興毅と次男大毅はアメリカで引退を余儀なくされた。大毅に至っては海外初戦で敗れ網膜剥離のおまけ付き。
#残った三男和毅は国内復帰が認められたものの、テレビからは見放され世界戦ですらネット配信のみという寂しい有様。
#妹の姫月もプロボクサーになったが、セコンドライセンス停止中の父から離れられないため、海外で転戦せざるを得なくなっている。
 
;具志堅用高
#世界タイトル13連続防衛という金字塔を打ち立てたが…。
#*本人は当時のジュニアフライ級世界記録だった12度の防衛で引退するつもりだったが、周囲の説得で続行した。
#当時の会長が相手のジュースに薬物を混入させたという疑惑で文春砲をぶつけられた(いわゆる毒入りオレンジ事件)。
#*この影響で引退セレモニーが中止に。
#引退後、ジムを立ち上げ後進の指導に勤しむ一方、ジムの活動資金集めのために太田プロと契約し本格的にタレント活動を始めた。
#*しかし、あまりのおトボケぶりが人気を博し、タレント活動が多忙を極めたためジムにあまり顔を出さなくなり、遂にはジムを閉めてしまう。
 
;古口哲
#アマチュア時代には当時のアマチュア日本記録となる61連勝をマークした。
#しかし、プロ転向の際にゴタゴタ(いわゆる「ボクシング版江川事件」)があり、2年のブランクを要した。
#鳴り物入りでプロデビューしたが、練習がおろそかになり、タイトルには届かなかった。
 
;小島英次
#東洋太平洋王座を当時の日本最短タイ記録で獲得し、世界王座への期待も高かった。
#アレクサンデル・ムニョスの世界王座に2度挑戦するが、最初は2回TKO負け、2度目は奮闘するも10回TKOで力尽きた。
#その後の再起戦で一度勝っているワエンペッチ・チュワタナにまさかの2回TKO負け。「もう終わった」などの声が相次いだ。
#そして進退を懸けた仲宣明で勝利し復活を果たしたと思われたが、網膜剥離が発覚したため引退を余儀なくされた。
 
;小関桃
#WBC女子世界アトム級17度防衛は男女通じて日本人最多世界王座防衛記録であるが…。
#アマチュア及び海外での実績からB級でプロテストを受けるも不合格となり、C級でスタートとなった。
#ウィンユー・パラドーンジムをKOで下しWBC王座を奪取するが…。
#*バッティングの疑いがあり、ウィンユー陣営からの抗議でビデオ判定持ち込まれた。
#**結果、ヒッティングも認められバッティングのみのダメージか確証が得られなかったため、王座奪取は認められたものの、次々戦までの再戦が指令された。
#***ところが、ウィンユーがノンタイトルで敗れ再戦消滅。判定が覆らなかったショックが癒えなかったという説もある。
#以降は防衛を重ねたが、偶然のバッティングによる試合停止が2度もあった。
#宮尾綾香を破りWBAとの王座統一を達成したが、以降は対戦希望者が激減し、ミニフライ級(当時)に上げた。
#黒木優子を破り2階級制覇を達成するもこれがラストマッチになった。
#前述の防衛記録は女子では世界2位の記録でもあったが、こういった経緯や女子ボクシングの国内での不人気さもありほとんど評価されなかった。
 
;コング斉藤
#1970年代にアメリカから逆輸入されたヘビー級ボクサーで、アメリカ時代既に「モハメド・アリと対戦か?」の文字が新聞で踊るなど話題になった。
#日本デビュー戦では2回KO勝利を挙げるも、相手の無気力ボクシングが発覚したため一転バッシングを浴びる。
#その後、名誉挽回を懸けてミドル級の日本人と対戦も、今度は2回KO負け。かえって評価を落としてしまった。
 
;坂本博之
#「平成のKOキング」と呼ばれ世界ランク1位まで上り詰めるも、4度の世界挑戦は1度も実らなかった。
##1997年7月26日、WBC世界ライト級王者のスティーブ・ジョンストン(アメリカ)に挑んだが、12回判定負け。
##1998年8月23日、ジョンストンを破りWBC世界ライト級王座を獲得したセサール・バサン(メキシコ)に挑むが、またしても12回判定負け。
##2000年3月12日、WBA世界ライト級王者のヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)に挑み、初回に2度のダウンを奪うも、2回に王者の左アッパーを受け右目を負傷。
##*5回、傷がさらに深くなったところで4度目のドクターチェックが入り、ここで試合ストップ。5回TKO負け。
##2000年10月11日、セラノを破りWBC世界ライト級王座を獲得した畑山隆則に挑み、初回から一進一退の激しい攻防戦を繰り広げるが、迎えた10回、畑山の連打を浴びたところでダウン。セコンドからタオルが投入され、10回KO負け。
 
;桜井孝雄
#日本初のオリンピックボクシング金メダリストだが、プロ転向を巡り大学と揉めてOB会名簿からも除外されてしまった。
#プロでも自分のスタイルが受け入れられず「所詮アマ出身」とバッシングされた。
#*苦境を脱するため、ジムの会長が「カエル跳びパンチ」を教えたが、身に付かなかった。
#**その後、後輩である輪島功一のものになった。
#2012年、ロンドン五輪での村田諒太の金メダルを見ることなく逝去。
 
;高野人母美
#プロボクサーとモデルの二刀流で女子ボクシングを背負って立つ存在として期待されるも、世界王座には届かず、その後は引退撤回騒動やファイトマネー未払いとトラブルが相次ぎ、日本を離れてアメリカ西海岸を拠点とするも戦績は芳しくないらしい。
#アマチュア時代には発熱でロンドン五輪につながる大会を欠場したこともあった。
#試合より前日計量のパフォーマンスばかり注目される。
 
;田辺清
#日本初のオリンピックボクシングメダリストとして鳴り物入りでプロ転向したが、世界挑戦を目前に網膜剥離を発症したため引退を余儀なくされた。
 
;ピューマ渡久地
#鬼塚勝也、辰吉丈一郎と共に平成の三羽烏と呼ばれ活躍した。
#だが、チャコフ・ユーリ(勇利アルバチャコフ)相手に日本王座3度目の防衛戦を前に失踪し、王座剥奪と共に無期限ライセンス停止処分を受けた。
#その後、ライセンスが戻り復帰し、世界初挑戦として勇利と対戦が実現するが、9回TKO負け。
#飯田覚士相手に2度目の世界挑戦が決まるも、脳梗塞と誤診されてしまい中止。
 
;新井田豊
#世界王座7度防衛を果たしたが、微妙な判定も多く、対戦相手陣営に「八百長」と吐かれたこともあった。
 
;西島洋介山
#日本人として珍しい重量級プロボクサーだったが、それゆえに相手に恵まれず試合の度に渡米して帰国して練習が続いた。
#その後国際タイトル獲得に至ったが、JBCが公認していない世界タイトルだったため、返上を巡りジムを揉めた。
#結果、JBCライセンスを放棄せざるを得なくなりアメリカを拠点とするが、やがて試合枯れが続き、タイトルマッチで2回KO負けを喫し引退。
#その後、総合格闘技に転向したが、5戦全敗で終わった。
 
;畑中清詞
#東海地区初の世界チャンピオンであるが…。
#1988年の世界初挑戦は少年マガジンの表紙を飾るほど期待が大きかったが、大差判定負け。
#*この試合自体もローブローが多くインターバルに時間を要したため生中継が試合途中で終わってしまった。
#*これにより一度地元での熱も冷めてしまった。
#1991年に2度目の世界挑戦。TKOで悲願の世界王座を獲得したが…。
#*この試合はCBCで中継はあったもののローカルにとどまり、関東で放送のなかった初の世界戦になってしまった。
#**この時間、キー局のTBSではなんと綱引きを放送し、深夜も含めて放送予定がなかったが、抗議が殺到したため急遽録画放送を組んだ(ただしメインは竹原慎二)。
#***本人は「綱引きに負けた」と自虐した。
#名前が名前なので中畑清と間違われやすかった。
 
;保住直孝
#ビッグマウスで竹原慎二や寺地永らを何度も挑発していたが、全く相手にはされなかった。
#現役時代から何度も逮捕されており、結局はボクシング界から永久追放された。
 
;宮崎亮
#2012年の大晦日、盟友井岡一翔が返上したWBA世界ミニマム級王座を獲得した。
#その後、ライトフライ級に上げたが、それにもかかわらず減量に苦しみ、2013年大晦日の転級初戦でKO負け。
#2016年に2階級挑戦、田口良一と手を合わせるも大差判定負け。
#翌2017年の引退直後、公務執行妨害で逮捕。
 
;村田英次郎
#世界タイトルに4度挑戦しいずれも失敗したが、うち2度は引き分けで涙を飲んだ。
 
;矢尾板貞雄
#当時の世界王者パスカル・ペレスにノンタイトルで勝利し、日本人2人目の世界王者として期待された。
#後にそのペレスの持つ王座に挑んだがKO負け。
#2度目の世界挑戦へ向けて強豪との対戦を繰り返し、ポーン・キングビッチへの挑戦が決まるが、師匠とのトラブルのため突如引退してしまう。
 
;渡辺二郎
#パヤオ・プーンタラットとWBA・WBC統一戦に挑むはずが、両団体の当時のルールの違い(WBAはまだ15ラウンド制だった)を理由に統一戦とは認められずWBA王座を剥奪された。
#引退後、裏社会に足を踏み入れ、島田紳助引退や羽賀研二が「稀代のワル」となる原因を作った。
#*このため、世界チャンピオン会から除外されている。
 
====外国人====
;ジゼール・サランディ
#トリニダード・トバゴ出身の女子プロボクサーで、プロでは無敗を誇りWBA・WBCを含む幾多の世界王座を獲得したが・・。
#2009年1月4日、自動車事故に遭い、21歳で帰らぬ人になってしまった。
#*免許こそ持っていたものの普段は自分で運転せず運転手を雇っていたが、この時は自分で運転していて事故に遭ったとか。
 
;マイク・タイソン
#少年時代から素行が悪いことで知られていたが、1990年に東京ドームでジェームス・ダグラスにプロ初黒星を喫してからが特に残念だった。
#*その翌年に強姦事件を起こし3年間服役。
#*1997年のイベンダー・ホリフィールド戦2で相手の耳をかじり失格。
#*引退後も2度逮捕された(1回は執行猶予、1回は不起訴)。
 
;タノムサク・シスボーベー
#世界王座に3度挑むもすべて失敗、中でも鬼塚勝也との2戦は「疑惑の判定」に泣かされた。
#それより前にも松村謙二に「疑惑の判定」で東洋太平洋王座を追われてしまった。
 
;ルイス・ネリ
#山中慎介のWBC世界バンタム級王座を奪うが、ドーピング検査で陽性に。
#*だが、処分は課されず、代わりに再選が命じられた。
#こうして再戦になるが、今度は体重超過でベルトを剥奪。
#*試合は山中を返り討ちにするも、日本のリングから永久追放、WBCからも処分された。
#**これらの件で日本では「悪童」と呼ばれるようになり、井上尚弥も「信用に値しない」と対戦拒否。
#処分明けに再起を果たすが、ファン・カルロス・パヤノ戦であわや体重超過。
#次のエマヌエル・ロドリゲス戦でまた超過をやらかし、相手より試合を拒否される。
#スーパーバンタム級に階級を上げ、WBC2階級制覇。
#ブランドン・フィゲロアとWBA・WBC統一戦に挑むが、KO負け。
#*日本からは「ざまあみろ」の声が多数。
 
;サーシャ・バクティン
#協栄ジムでプロとなったロシア人ボクサーで世界チャンピオンの期待も高かったが…。
#日本王座獲得後、六本木の路上で傷害事件を起こし逮捕。示談は成立したものの資格停止処分とともに王座も返上。
#一度解雇になった協栄に復帰するも、沖縄ワールドリングに移籍。
#プロでは負け知らずで、帰国後にマイナー王座のIBOは獲得したが、健康問題のため引退。
#「長谷川穂積や亀田興毅もサーシャには勝てないだろう」と対戦を希望するファンも多かったが、ともに実現しなかった。
 
;エドウィン・バレロ
#生涯戦績27戦全KO勝利という完璧な記録を持っていたが…。
#コカインやアルコールに依存し、妻をDVの末殺害し逮捕。
#その後、警察の独房で自殺。
 
;フロイド・メイウェザー・ジュニア
#プロ戦績50戦50勝で世界5階級制覇、PFPでも最強と言われたが…。
#とにかく素行の悪さは折り紙付きで犯罪歴が多く、世界王座に君臨していた時に収監されたことも。
#「勝てない相手とは戦わない」と公言している。
#*極力弱い相手としてやらないチャンピオンは少なくないが、公言しているだけいいのか悪いのか…。
#第一線を引いてからはボクサーじゃないのとエキシビションを重ねるが、とにかく茶番だと叩かれてる。
 
===プロレス===
;アジャ・コング
#本名が宍戸江利花なので、フジテレビの「めちゃイケ」でエリカ様をやる羽目になってしまった。
#相手に裏拳を当てた後、フォールしようとしたら、相手に丸め込まれて、3カウントを取られてしまったことが何度もあった。
 
;垣原賢人
#現役期間中に所属した所属団体が、崩壊・分裂・経営不振などといった良くない事態に陥るというジンクスがある。
#*新生UWF→デビュー直後に分裂。
#*Uインター→新日本との対抗戦で佐々木健介を破り名を上げるも、1996年12月に崩壊。
#*キングダム→後輩の桜庭和志や金原弘光らの台頭に影が薄くなり、1998年2月に解散。
#*全日本→三沢光晴率いるアンタッチャブルの一員となって活躍したが、2000年6月に分裂。
#*ノア→フロントへの不信感を募らせ、8月の旗揚げ戦で大森隆男を一方的に叩きのめして、そのまま退団。
#**垣原は引退直前のインタビューで「試合後、大森から『ああいうのはボクは出来ない』と言われ、自信を無くした。小橋さんらが真剣に相談に乗ってくれてありがたかったが、本当はこの世界を辞める気でいた」と語っている。
#*新日本→ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで優勝を果たしたが、怪我を繰り返し2006年4月に引退。
#昆虫採集が好き過ぎて、ブラジルや北朝鮮の密林を探索しようとしたことがある(いずれも断念)。
 
;剛竜馬
#1972年に国際プロレスでデビュー。翌1973年には早くも海外に武者修行に出され、[[カナダ]]では新日本の吉田光雄(後の長州力)をタッグを組んだこともある。
#1976年に凱旋帰国。ファン投票で「剛竜馬」という新たなリングネームを名乗り、国際の次代のエースとして期待されていたが…。
#*金銭面の不満から1978年5月に国際プロレスを退団し、新日本プロレスに移籍。
#移籍後に藤波辰巳とWWFジュニアヘビー級王座のタイトルを懸けて2回戦ったがいずれも敗れ、翌1979年前半は海外遠征に励んだ。
#*前回のタイトルマッチから約一年後の10月2日の大阪大会で逆さ抑え込みで藤波から初勝利を挙げたが、2日後の蔵前でのリターンマッチに敗れ2日天下に終わってしまう。
#**この二連戦以降、剛は藤波を生涯のライバルと定め、1980年に新日本に入団。
#しかし新日本入団後はなかなか日の目を見ず、前座戦線が定位置となってしまう。
#*1981年にはテレビ朝日のドラマ『警視庁殺人課』にレギュラーとして出演していたが、第13話を最後に途中降板となってしまった。
#その後、新日本の内部対立から発生したUWF(第1次)の旗揚げメンバーとして名を連ねたが、ラッシャー木村と共に4ヶ月で退団。
#*UWFへの参加もラッシャー曰く「新間(寿)さんへの義理で参加していただけ」とのこと。
#1984年11月には全日本プロレスに移籍。元国際のメンバーで「国際血盟軍」を結成したが、選手事情もあり1986年に人員整理の一環として解雇されてしまう。
#その後は建設内装業の下働きやアメリカのAWA参戦・1シリーズだけの全日本スポット参戦を経て、1988年に「パイオニア戦志」の設立を発表。
#*翌1989年4月30日に旗揚げ戦を行い、物珍しさから後楽園ホールを満員にしたが内容はボロボロ、来賓に来ていた藤波からは酷評を受けてしまう。
#1990年からは「パイオニア軍団」として新日本に参戦したが評価は厳しく、12月の藤波とのシングルマッチを最後に業務提携を終了。パイオニア戦志も活動休止となってしまう。
#*藤波とのシングルマッチ直前の週刊ゴングのインタビューで剛は「俺にはプロレスしかないから。プロレス無しでは生きていけない、'''プロレスバカ'''ですよ」と語っていたが…。
#*一時期、パイオニア戦志をSWSに吸収合併する話もあったが、選手会のほぼ全員から反対を受けて頓挫。
#パイオニア戦志の活動休止から1年半後、新たなスポンサーを獲得し1992年に「オリエンタルプロレス」を旗揚げ。
#*「出前プロレス」や「ほっかほかビデオ」などのユニークな企画で当初は好調だったが…。
#**剛が海外遠征の利益をピンハネしていたというスキャンダルが発覚し、選手会から永久追放処分を受けてしまう。
#1993年8月にはたった一人で「剛軍団」を結成したが、執拗に再戦を要求した藤波からは「二度と名前を出すな」と絶縁宣言を受けてしまう。
#*そんな中、旗揚げ1周年の後楽園大会で試合中に何度も「ショア」と叫び、試合後のマイクで「私はプロレスしかできない'''プロレスバカ'''です!」と発言。客の喝采と「バカ」コールを浴び、プロレスマスコミでも大々的に取り上げられた。
#*これ以降、プロレス界でちょっとした「プロレスバカ」ブームが起き、テレビ朝日の「リングの魂」にも数回連続で出演。
#*1995年4月2日に東京ドームで行われたオールスター興行「夢の懸け橋」の第4試合にも参戦し、試合後には観客席から「ショア!」「バカ!」という掛け声が鳴り響いた。
#この勢いで個人プロダクションの「冴夢来プロジェクト(冴夢来プロレス)」を1996年に設立。
#*新人の育成・弁当付きの無料興行など太っ腹な企画で話題を呼んだが、金の使い方を巡ってスポンサーと衝突、1年程で呆気なく崩壊してしまった。
#様々なトラブルで90年代末にはプロレス界からは完全に干され、上がれるリングは国際の先輩だった鶴見五郎率いる国際プロレスプロモーションぐらいしかなくなってしまった。
#*2001年には鶴見の計らいで引退試合が組まれたが、ギャラに納得できない剛がドタキャンし、本人不在のままテンカウントゴングが鳴らされる前代未聞の引退試合に。
#2003年にはひったくりの疑いで逮捕され(本人は否認)、更に[[東京スポーツ]]がこの報道に合わせて、2001年に剛がゲイビデオに出演していたことを報じた。
#*このゲイビデオ出演は、CSの番組で新日本の田中リングアナが既に存在を示唆していたり、週プロの投書欄で「剛竜馬が信じられないようなビデオに出演している」という噂が立っていたため、少なくともプロレス関係者の中では周知の事実だったと思われる。
#*剛本人も後に「自分の体で稼ぐことの何が悪いのか」とゲイビデオ出演の事実をあっさり認めている。
#釈放後は更にボロボロになり、零細団体のエース格となったが1年後に団体が自然消滅。
#*半引退状態を経て2006年にDDTで復帰戦が組まれたが、過度の飲酒で身体は無惨なほどに衰えていた。
#*2009年には若手の時の剛と顔が似ている竜剛馬というレスラーと夢のタッグを結成したが、もうこの頃になると立っているのがやっとという状態だった。
#生涯最後の試合の約1ヶ月後の10月7日、自転車を運転中に交通事故に遭い、その際開放骨折した右手首の傷口から入った細菌が原因となり、敗血症のため53歳という若さで死去。
 
;ザ・コブラ(ジョージ高野)
#デビュー戦がざんねんだった。
#*1983年11月3日に蔵前国技館で行われたザ・バンピート(デイビーボーイ・スミス)戦で日本デビューを果たしたが、スミスが技を受けようとしなかったり、トップロープ越しのノータッチ・プランチャーを仕掛けたがスミスがかわして鉄柵と床へ激突、両膝に大ダメージを受けてしまった。
#**このデビュー戦は後日ワールドプロレスリングで中継されたが、途中からはダイジェストになっていた。
#***プランチャーを仕掛けたシーンはカットされている。
#その後ジュニアヘビー級の二冠王(NWAとWWF)となったが、団体の都合や業務提携の解消から1985年に2本とも返上。
#*新設されたIWGPジュニアヘビー級王座には二回挑戦したが、二回ともタイトルを獲得できなかった。
#**1回目は越中詩郎に敗れ、2回目の高田延彦(当時伸彦)戦は両者リングアウトでタイトルは移動せず。
 
 
;ジャイアント馬場
#説明不要、『世界の巨人』。故に残念エピソードもダイナミック。
#ある日の試合中、トップロープから攻撃しようとしたら、足を滑らせ、トップロープに股関を強打した。
#*ちなみに、その試合は日本テレビで生中継され、全国のお茶の間に流れてしまった。
 
;スーパー・ストロング・マシン
#当初は「キン肉マン」をモチーフにしたレスラーになる予定だったが、作者(ゆでたまご)や集英社の了承を得ていなかったため、ボツとなっている。
#1985年の熊本での試合後に、藤波辰巳(当時)に「'''お前平田だろ!?'''」と言われてしまった。
#1994年のSGタッグリーグに蝶野正洋とタッグを組み出場。
#*優勝決定戦(VS武藤敬司・馳浩組)では試合の終盤に自らマスクを脱ぎ、孤軍奮闘したが武藤のムーンサルトプレスを喰らいフォール負け。
#**試合後、リング上で「'''こんなしょっぱい試合ですいません!'''」とファンに謝罪した。
 
;高野拳磁(高野俊二)
#上記のジョージ高野の弟。身長200cm・体重130kgという恵まれた体格だったが、練習嫌いが災いし大成することなくフェードアウトしていった。
#*山本小鉄は「小橋健太のような根性があれば、ゆうに前田日明を超える逸材だった」と語っている。
#一時、協栄ジムでボクシング練習をしており、プロボクサー転向で日本初の世界ヘビー級王者を目指す計画もあったが、かの毒入りオレンジで頓挫。
 
;ハル薗田
#全日本プロレスで選手としてだけでなく若手のコーチとしても活躍していたが南アフリカ航空295便墜落事故で新婚の妻とともに命を落とした。
#*新婚旅行を兼ねた南ア遠征へ向かう途中の悲劇であった。
#**しかも当初はパリ経由の予定が相手側プロモーターの手違いで当該便に乗ることになってしまった。
 
;藤波辰爾(藤波辰巳)
#選手としては日本人2人目のWWE殿堂入りを果たすなど、決して残念ではないが…。
#主力選手の退団や総合格闘技ブームがあったとはいえ、新日本の社長としては残念としか言いようがない。
#2003年には近い将来の引退を宣言していたが、その後健康状態が良化し引退カウントダウンを撤回。
#1985年に発売された「マッチョ・ドラゴン」は'''迷'''曲として知られている。
#師匠の猪木からシングルで勝つことが遂に出来なかった(タッグでは一試合ピンフォールを取った試合がある)。
 
;クリス・ベノワ
#世界ヘビー級王座や世界タッグ王座を獲得するなど輝かしい実績を残した名選手だったが一家心中事件を起こしたため一時は存在がほぼ抹消されていた。
#*WWEの公式サイトからもプロフィールが消されている。
#*事件の原因は激しい戦いによる脳の損傷だったとされている。
 
;森嶋猛
#身長190cm・体重125kg(デビュー時は113kg、ピーク時は170kg)という巨体を活かし、GHCヘビー級王座を3回獲得したが…。
#*天龍源一郎とのタッグマッチではジャンボ鶴田のテーマ曲で入場したが、試合後に天龍から「ジャンボってあんなのだったっけ?」「『嶋』って名前の付くヤツであんなおどろおどろしい奴も珍しいよ(天龍の本名は嶋田源一郎)」と酷評。
#*更にWWEのトライアウトではビンスに「太ったアジア人の少女だ」と酷評。
#2015年4月に糖尿病による脂肪肝を理由に引退を発表。
#*9月に大阪府立体育会館で引退試合を行う予定だったが12月末に延期となり、結局その引退試合も行われずにノアを退団。
#その後2018年7月に後楽園ホールのリング上で10月に復帰することを表明したが、練習中の化膿性関節炎を理由に復帰を断念。
#*そしてその直後の11月4日に歌舞伎町の路上でタクシー運転手を殴って現行犯逮捕。
#*実は逮捕される直前に「『幸福伝道師』という肩書きの名刺を配っていた」「インディー団体や女子プロレス団体で酒や金の無心をする森嶋の姿が頻繁に目撃された」という話も…。
 
;渡辺桃
#Queens Questのリーダーだが、林下詩美より目立っていない。
#ワンダー・オブ・スターダム王座を13回防衛したことが話題にならなかった。
 
===K-1===
;ボブ・サップ
#2002年にK-1デビューするとアメフトをはじめとした数多くのスポーツで鍛え上げられた巨体と「ザ・ビースト」と呼ばれるほどのアグレッシブなファイトスタイルやそのキャラクターが人気を博し、バラエティ番組にも多く出演。
#*また、大晦日に放送されたダイナマイトでの曙太郎との一戦は当時紅白歌合戦の視聴率を瞬間的に上回った。
#2006年に契約のこじれから出場予定だった試合をボイコット。一時法廷闘争まで噂されたが後に和解。その後2010年にも試合のボイコットを起こすなど2度の敵前逃亡を起こしてしまった。
#*ただしこれに関しては契約していた会社にも問題があるわけで本人の問題という訳ではないのだが・・・。
#技術を覚えてからセオリーに沿ったファイトに拘ってしまい成績が悪化。たびたびKO・TKO負けを喫していた。
#2017年には週刊文春に6年近くDVを行っていたことをスクープされてしまった。
 
===柔道===
;石井慧
#下記の棟田康幸を抑えて北京オリンピックに出場し、見事21歳で最重量級の金メダルを獲得するも、その後問題発言を連発し柔道ファンから嫌われる。
#2008年秋に柔道を引退し総合格闘技に転向。裏切り者として柔道関係者を完全に敵に回す。
#あとに「夢だった総合格闘技に転向するために、わざと批判されて柔道界から追放されるためにこのような発言をした」と証言(消えた天才より)
 
;内柴正人
#アテネ・北京とオリンピック連覇し大ヒーローだったが2011年に{{あきまへん}}
#北京オリンピックの男子柔道の金メダリストは2人ともざんねんな選手に。
 
;棟田康幸
#2003年男子100kg超級、2007年男子無差別級とそれぞれオリンピック前年の世界選手権で2度の優勝経験がありながら、オリンピックに1度も出場できず。
#アテネオリンピックは2003年世界選手権の100kg級優勝の井上康生と同無差別級優勝の鈴木桂治に敗れて出場逃す。
#ラストチャンスだった北京オリンピックは若手の石井慧に阻まれて出場できず。
 
===総合格闘技===
;青木真也
#2009年の大晦日のDynamite!!で、対戦相手の廣田瑞人の右腕を骨折させ一本勝ち。
#*ところが試合後に、対戦相手の廣田や観客に向かって中指を立てるファックサインで侮辱。後に厳重注意を受けた。
#その一年後の大晦日のDynamite!!で長島☆自演乙☆雄一郎と対戦。
#*逃げ回るわ反則はするわで2R4秒・失神KO負け。
#**試合後には「しょっぱい逃げ方してるから罰が当たった(須藤元気)」「人生逃げてちゃ勝てない(魔裟斗)」と酷評されてしまった。
#*試合前のインタビューで青木が答えていた「2Rになったら五体満足で帰れないから、その辺よろしくお願いします」という内容を、皮肉にも自身が体現することになってしまった。
 
==試合・シーズン展開==
===ボクシング===
;全日本新人王決定戦
#全日本新人王には次回発表の日本ランキングで最下位にランクされる特典が与えられるが、その次の更新で消える選手も多く、「意味がない」と言われる始末。
#近年、世界を獲るのはほとんどアマエリートばかりなので新人王獲ってもタイトル挑戦の機会に恵まれなくなった。
 
;WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ 渡嘉敷勝男対ルペ・マデラの4戦
#最初の対戦は渡嘉敷にとっての初防衛戦で渡嘉敷が勝利したが、微妙な判定だった。
#2度目は5度目の防衛戦として対戦したが、引き分け。
#3度目はダイレクトリマッチとなり、今度はマデラが勝ったが、負傷判定に納得がいかないファンが多かったことや当初引き分けと発表するなど不手際が重なった。
#これに協栄ジムが抗議し、3連続で組む羽目になった。4度目はマデラがしっかりと勝利し完全決着。
#これに割を食ったのがマデラに対戦を要求していた新垣諭。対戦が消滅した新垣の所属する奈良池田ジムはIBF日本設立へ。
 
;WBC世界ミニマム級タイトルマッチ 井岡弘樹対ナパ・キャットワンチャイの3戦
#最初の対戦は井岡にとって2度目の防衛戦、最終12ラウンドでダウン寸前まで追い込まれるも終了ゴングが30秒早く鳴らされ辛くも引き分けた「疑惑のゴング」。
#これを受けて組まれたダイレクトリマッチでナパが判定勝ちで王座奪取。
#3度目の対戦はナパの2度目の防衛戦。11回TKOで井岡を沈めるが、レフェリーストップに納得がいかない井岡の兄・一法(現井岡ジム会長。井岡一翔の父)がリングに乱入しナパに対して暴行するという事件が起きた。
 
;1997年6月28日 WBA世界ヘビー級タイトルマッチ (王者)イベンダー・ホリフィールド対マイク・タイソン(挑戦者)
#3回にタイソンがホリフィールドの耳を噛みちぎり反則負け。
 
;2001年7月16日 日本フライ級タイトルマッチ (王者)坂田健史対内藤大助(挑戦者)
#坂田にとって日本タイトル初防衛戦となったが、0-1の引き分けで王座防衛という微妙な結果に終わり、試合後に内藤の同僚がおもちゃのナイフのようなものを持って暴れ出す事件が起こり、遺恨試合になってしまった。
 
;2002年4月19日 WBC世界フライ級タイトルマッチ (王者)ポンサクレック・ウォンジョンカム対内藤大助(挑戦者)
#内藤にとって敵地タイでの世界初挑戦だったが、当時の世界タイトルマッチ最短記録となる34秒KO負けを喫し、帰国後に「日本の恥」などとバッシングされた。
 
;2013年12月3日 WBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦 (IBF王者)亀田大毅対リボリオ・ソリス(前WBA王者)
#まず、前日計量でソリスが規定体重を超過し、WBA王座を剥奪された。
#*再計量でも超過した後に水やコーラをがぶ飲みして悪態をついた。
#これを受けて、当初以下の特別ルールが設定されていた。
##大毅勝利→IBF防衛・WBA獲得
##引き分け→IBF防衛・WBA空位
##ソリス勝利→IBF・WBAとも空位
#試合は2-1の判定でソリスの勝利。そのため2-3.の裁定が採られるはずだった。
#ところがIBFの試合後の会見で「IBF王者としては残る」としたため、混乱が生じた。
#この変更について、亀田陣営は前日計量後に把握していたが、JBCはまったく知らされておらず不信感を募らせた。
#結局、大きな混乱を招いたとして亀田ジムの会長及びマネージャーのライセンス更新を認めず、亀田三兄弟もボクサーライセンスが消えた。
#*三兄弟は新会長・マネージャーを迎えるにしても移籍するにしても非常に厳しい条件を突き付けられたため、国内での活動を諦めざるを得なかった。
 
;WBC世界バンタム級タイトルマッチ 山中慎介対ルイス・ネリの2戦
#最初の対戦は具志堅用高に並ぶ13連続防衛が懸った試合。ネリがTKOで沈めたがドーピング検査で陽性反応が出たと発表され大混乱。
#その後命じられた再戦でネリは体重超過のため王座剥奪(試合はネリがTKOで返り討ち)。その後ネリは日本のリングから永久追放処分、山中は引退。後味の悪さを残した。
 
;2017年12月9日 IBF世界スーパーフェザー級王座決定戦 尾川堅一対テビン・ファーマー
#試合は尾川の判定勝ちとなっていたが、試合前のドーピング検査で陽性反応が出たため無効試合となり王座獲得も無効とされた。
 
;2018年4月15日 WBC世界フライ級タイトルマッチ (王者)比嘉大吾対クリストファー・ロサレス(挑戦者)
#前日計量で比嘉が計量オーバーを犯し、王座を剥奪された。
#試合も減量失敗の影響で本来の実力を出せず9回TKO負け。
 
===プロレス===
;1990年6月8日 全日本プロレス ジャンボ鶴田vs三沢光晴
#ジャンボ鶴田が何度も「オー!」をやったら、客に「『オー!』はいいよ。」と野次られてしまった。
#ジャンボ鶴田がロープに寄りかかっている三沢光晴にドロップキックをかまそうとしたが避けられ、ロープに股間をぶつけてしまった。
#*その後、ジャンボ鶴田が三沢光晴のバックドロップを返して、フォールしたが、三沢に返され、3カウントを取られてしまった。
 
;1999年1月4日 新日本プロレス 橋本真也vs小川直也
#小川が橋本を一方的に痛めつける試合となり無効試合に。
#*試合後に小川がマイクで「新日本プロレスのファンの皆様、目を覚ましてください!」と発言。
#**リング下ではセコンド同士の言い争いに端を発した乱闘が発生しており、当時引退していた長州力がカメラマンを押し退け、小川に対して「これがお前のやり方か?」と詰め寄った。
#***この乱闘で小川側のセコンドだった村上和成が、飯塚高史らに集団で顔面を踏みつけられ一時昏睡状態に陥るほどの重傷を負うなど、かなり後味の悪い試合となってしまった…。
#一説では大仁田厚の新日本初参戦を警戒した猪木の当て付けという説もある。
 
;2004年10月9日 新日本プロレス・IWGPヘビー級選手権試合 (王者)藤田和之vs佐々木健介(挑戦者)
#藤田和之が佐々木健介にグラウンドでの胴絞めスリーパーをやったが、藤田の両肩がマットについていたのでレフェリーが3カウントを入れてしまった。
#*佐々木健介の妻である北斗晶は大激怒。
#*勝利した佐々木健介はうっかり、喜んでしまい、北斗晶に怒られた。
 
;2005年2月20日 新日本プロレス・IWGPヘビー級/3冠ヘビー級W選手権試合 (IWGP王者)天山広吉vs小島聡(3冠ヘビー級王者)
#試合終了直前、天山が脱水症状でKO負け。思わぬ形での決着にリング上も混乱した。
#*某選手はそれにキレて小島にガチで蹴りを入れたとか。
 
 
===総合格闘技===
;2004年6月20日 PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND セルゲイ・ハリトーノフ対セーム・シュルト
#ハリトーノフがシュルトをマウントからのパンチや鉄槌打ちの連打でTKO勝ちした試合だったが、敗者のシュルトの顔面が腫れ上がり血まみれになるという凄惨な状態になり地上波ではダイジェストでしか流されなかった。
#この試合を控室で見ていた選手たちもこれには唖然としており、ヒョードルやノゲイラですらハリトーノフの冷酷なファイトに言葉を失うほどであった。
 
==競技場==
;両国メモリアルホール
#戦前は初代両国国技館だったが、敗戦後はGHQの接収され、「土俵を広げる」条件で1場所だけ行われた。
#接収解除後は蔵前国技館が既に建設に入っていたなどから売却された。
#*[[日本大学]]の講堂として使われた。
 
;大阪大国技館
#旧両国国技館より大きな施設だったが、戦局悪化のため4年で7回の準本場所を開催したのみで倉庫に転用→戦後に接収で解体されてしまった。
 
;東京ドーム
#プロレス団体が、東京ドームを興業に使うと「崩壊または分裂。最悪の場合、消滅する」というジンクスがある。
 
==関連項目==
*[[幸運なスポーツ事典]]
 
[[カテゴリ:ざんねんなスポーツ事典|かくとうき]]
[[カテゴリ:格闘技|さんねんな]]

2021年9月7日 (火) 10:29時点における版

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分割済み

団体

ボクシング

ボクシングジム

オザキボクシングジム
  1. 所属ボクサーが猟奇的事件を起こし、のちにここが火元となり小田急火災に至った。
協栄ボクシングジム
  1. 世界王者を多く輩出する名門だが、先代の金平正紀の時代には黒い霧や毒入りオレンジ、疑惑の判定、元ミカドの冷遇などスキャンダルが非常に多く、息子の桂一郎に変わってからもファイトマネー未払いなどが相次いだ。
    • 最後はビルのオーナーとの金銭トラブルで休業。
笹崎ボクシングジム
  1. ファイティング原田を育てたジムとして有名だが、「ボクシング版江川事件」以降は低迷が続き、日本チャンピオンすらなかなか出なかった。
不二ボクシングジム
  1. 岡本不二が弟子のピストン堀口を連れて日本拳闘倶楽部から独立して設立された由緒あるジムだった。
  2. 東洋太平洋王者と日本王者は輩出したが、世界王者は出ないまま2010年に閉鎖。
三迫ボクシングジム
  1. 日本のオリンピック金メダリスト2人(桜井孝雄、村田諒太)はともにここでプロデビューしたが、いずれもジムがアマチュア側とトラブルを起こし、プロアマ間のしこりを残してしまった。
    • その上、村田は帝拳に引き抜かれた。

ボクシング王座認定団体

IBF日本
  1. 奈良池田ジム会長の池田久がJBCを離れ、当時設立間もないIBFから承認を受けて発足。
  2. しかし、JBCの圧力でほとんど関西ローカルにとどまり、認知度が低かった。
  3. そのため参加ジムも非常に少なく選手不足なため、経験が浅い選手を世界に挑戦させて惨敗したり、空手やキックボクシングの掛け持ち、さらには網膜剥離でJBCから引退勧告を受けた選手なども参加させていて、杜撰な運営だった。

その他

SWS
  1. 1990年に新日本・全日本から多くの選手・スタッフを引き抜いて誕生したプロレス団体だが、週刊プロレスにバッシングされまくって1992年に崩壊。
    • 当時週刊プロレスの編集長だったターザン山本は後年、ジャイアント馬場から金銭を受け取って、その見返りとしてSWSをバッシングしていたことを暴露本で告白している。
戦極
  1. PRIDE消滅後に立ち上がった新団体のひとつだが、地上波放送がなかなか獲れず、テレビ東京がレギュラーのダイジェスト番組を放送するにとどまった。
  2. その後、吉田道場勢が離脱してから迷走が続き、メインスポンサーだったドン.キホーテの撤退でとどめを刺された。
全日本女子プロレス
  1. 1968年に創立、ビューティーペアやクラッシュギャルズ、極悪同盟など数々のスター選手を輩出し、「女子プロレスブーム」の火付け役となる。
    • しかしその裏で、経営陣一族の浪費癖や経営多角化の相次ぐ失敗などで巨額の借金を抱えてしまう。
    • さらに、80年代の終わりにはスター選手だったクラッシュギャルズの2人(ライオネス飛鳥・長与千種)と2人の宿命のライバル・ダンプ松本が相次いで引退して以降、ガクッと客足が遠のく。
    • 1996年頃には、倒産騒動があり、主力選手が他団体に移籍する始末。
  2. 結局、巨額の借金を抱えたまま、2005年に惜しまれつつ解散した。

人物

ボクシング

日本人

赤城武幸
  1. アマチュア時代に世界選手権やアジア大会出場など実績を残し、鳴り物入りで8回戦プロデビューも、世界タイトルは挑戦すら果たせなかった。
猪崎かずみ
  1. 世界最高齢女子プロボクサーとしてギネスにも認定された。
  2. 海外で世界初挑戦が一度決まったものの、メディカルチェックの問題のため見送られた。
  3. その後、後に世界5階級王者となる藤岡奈穂子にKO負けを喫し、引退勧告をを受ける。
  4. タイに渡り現役を続行するが、年齢を理由にランキングに入れず引退を余儀なくされた。
海老原博幸
  1. 昭和を代表する名チャンピオンのひとりだったが、引退後が残念だった。
  2. 1986年に娘を交通事故で亡くした。
  3. そのショックもあり酒の量が増えてしまった。
    • その後、肝機能障害のため1991年4月20日に51歳の若さで他界。
      • 親友のファイティング原田は「俺は親の葬式でも泣かなかったが、海老原が死んだ時は泣きまくった」と相当なショックだったという。
  4. ジムの後輩でロシア出身のユーリ・アルバチャコフがリングネームを継承して「ユーリ海老原」を名乗ったが、ロシア語で「エビ」が×××××な意味の単語に聞こえるため改名されてしまった。
鬼塚勝也
  1. 1990年代に活躍したスピードタイプの世界チャンピオンなのだが…。
  2. 世界戦では微妙な判定での勝利も多かった(タノムサク戦2試合、林在新戦、李承九戦など)。
    • 世界戦での唯一のKO勝利も日本人(松村謙二)相手のものだった。
    • 2度目の防衛戦となったアルマンド・カストロ戦(接近戦で相手に打ち負けず判定勝ち)など良い試合もあるのだが…。
ガッツ石松
  1. ボクサーとしては、実力者。しかし、引退後のタレント活動の方がインパクトが大きい。
  2. クイズ番組での珍回答が、よくネタにされる。
    • 「ヒントでピント」のモザイクを使った問題で「SEX」と答えたことは有名。
亀田三兄弟
  1. ボクシング人気復活の起爆剤として期待されたが、相次ぐトラブルで国内ライセンスを失い、長男興毅と次男大毅はアメリカで引退を余儀なくされた。大毅に至っては海外初戦で敗れ網膜剥離のおまけ付き。
  2. 残った三男和毅は国内復帰が認められたものの、テレビからは見放され世界戦ですらネット配信のみという寂しい有様。
  3. 妹の姫月もプロボクサーになったが、セコンドライセンス停止中の父から離れられないため、海外で転戦せざるを得なくなっている。
具志堅用高
  1. 世界タイトル13連続防衛という金字塔を打ち立てたが…。
    • 本人は当時のジュニアフライ級世界記録だった12度の防衛で引退するつもりだったが、周囲の説得で続行した。
  2. 当時の会長が相手のジュースに薬物を混入させたという疑惑で文春砲をぶつけられた(いわゆる毒入りオレンジ事件)。
    • この影響で引退セレモニーが中止に。
  3. 引退後、ジムを立ち上げ後進の指導に勤しむ一方、ジムの活動資金集めのために太田プロと契約し本格的にタレント活動を始めた。
    • しかし、あまりのおトボケぶりが人気を博し、タレント活動が多忙を極めたためジムにあまり顔を出さなくなり、遂にはジムを閉めてしまう。
古口哲
  1. アマチュア時代には当時のアマチュア日本記録となる61連勝をマークした。
  2. しかし、プロ転向の際にゴタゴタ(いわゆる「ボクシング版江川事件」)があり、2年のブランクを要した。
  3. 鳴り物入りでプロデビューしたが、練習がおろそかになり、タイトルには届かなかった。
小島英次
  1. 東洋太平洋王座を当時の日本最短タイ記録で獲得し、世界王座への期待も高かった。
  2. アレクサンデル・ムニョスの世界王座に2度挑戦するが、最初は2回TKO負け、2度目は奮闘するも10回TKOで力尽きた。
  3. その後の再起戦で一度勝っているワエンペッチ・チュワタナにまさかの2回TKO負け。「もう終わった」などの声が相次いだ。
  4. そして進退を懸けた仲宣明で勝利し復活を果たしたと思われたが、網膜剥離が発覚したため引退を余儀なくされた。
小関桃
  1. WBC女子世界アトム級17度防衛は男女通じて日本人最多世界王座防衛記録であるが…。
  2. アマチュア及び海外での実績からB級でプロテストを受けるも不合格となり、C級でスタートとなった。
  3. ウィンユー・パラドーンジムをKOで下しWBC王座を奪取するが…。
    • バッティングの疑いがあり、ウィンユー陣営からの抗議でビデオ判定持ち込まれた。
      • 結果、ヒッティングも認められバッティングのみのダメージか確証が得られなかったため、王座奪取は認められたものの、次々戦までの再戦が指令された。
        • ところが、ウィンユーがノンタイトルで敗れ再戦消滅。判定が覆らなかったショックが癒えなかったという説もある。
  4. 以降は防衛を重ねたが、偶然のバッティングによる試合停止が2度もあった。
  5. 宮尾綾香を破りWBAとの王座統一を達成したが、以降は対戦希望者が激減し、ミニフライ級(当時)に上げた。
  6. 黒木優子を破り2階級制覇を達成するもこれがラストマッチになった。
  7. 前述の防衛記録は女子では世界2位の記録でもあったが、こういった経緯や女子ボクシングの国内での不人気さもありほとんど評価されなかった。
コング斉藤
  1. 1970年代にアメリカから逆輸入されたヘビー級ボクサーで、アメリカ時代既に「モハメド・アリと対戦か?」の文字が新聞で踊るなど話題になった。
  2. 日本デビュー戦では2回KO勝利を挙げるも、相手の無気力ボクシングが発覚したため一転バッシングを浴びる。
  3. その後、名誉挽回を懸けてミドル級の日本人と対戦も、今度は2回KO負け。かえって評価を落としてしまった。
坂本博之
  1. 「平成のKOキング」と呼ばれ世界ランク1位まで上り詰めるも、4度の世界挑戦は1度も実らなかった。
    1. 1997年7月26日、WBC世界ライト級王者のスティーブ・ジョンストン(アメリカ)に挑んだが、12回判定負け。
    2. 1998年8月23日、ジョンストンを破りWBC世界ライト級王座を獲得したセサール・バサン(メキシコ)に挑むが、またしても12回判定負け。
    3. 2000年3月12日、WBA世界ライト級王者のヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)に挑み、初回に2度のダウンを奪うも、2回に王者の左アッパーを受け右目を負傷。
      • 5回、傷がさらに深くなったところで4度目のドクターチェックが入り、ここで試合ストップ。5回TKO負け。
    4. 2000年10月11日、セラノを破りWBC世界ライト級王座を獲得した畑山隆則に挑み、初回から一進一退の激しい攻防戦を繰り広げるが、迎えた10回、畑山の連打を浴びたところでダウン。セコンドからタオルが投入され、10回KO負け。
桜井孝雄
  1. 日本初のオリンピックボクシング金メダリストだが、プロ転向を巡り大学と揉めてOB会名簿からも除外されてしまった。
  2. プロでも自分のスタイルが受け入れられず「所詮アマ出身」とバッシングされた。
    • 苦境を脱するため、ジムの会長が「カエル跳びパンチ」を教えたが、身に付かなかった。
      • その後、後輩である輪島功一のものになった。
  3. 2012年、ロンドン五輪での村田諒太の金メダルを見ることなく逝去。
高野人母美
  1. プロボクサーとモデルの二刀流で女子ボクシングを背負って立つ存在として期待されるも、世界王座には届かず、その後は引退撤回騒動やファイトマネー未払いとトラブルが相次ぎ、日本を離れてアメリカ西海岸を拠点とするも戦績は芳しくないらしい。
  2. アマチュア時代には発熱でロンドン五輪につながる大会を欠場したこともあった。
  3. 試合より前日計量のパフォーマンスばかり注目される。
田辺清
  1. 日本初のオリンピックボクシングメダリストとして鳴り物入りでプロ転向したが、世界挑戦を目前に網膜剥離を発症したため引退を余儀なくされた。
ピューマ渡久地
  1. 鬼塚勝也、辰吉丈一郎と共に平成の三羽烏と呼ばれ活躍した。
  2. だが、チャコフ・ユーリ(勇利アルバチャコフ)相手に日本王座3度目の防衛戦を前に失踪し、王座剥奪と共に無期限ライセンス停止処分を受けた。
  3. その後、ライセンスが戻り復帰し、世界初挑戦として勇利と対戦が実現するが、9回TKO負け。
  4. 飯田覚士相手に2度目の世界挑戦が決まるも、脳梗塞と誤診されてしまい中止。
新井田豊
  1. 世界王座7度防衛を果たしたが、微妙な判定も多く、対戦相手陣営に「八百長」と吐かれたこともあった。
西島洋介山
  1. 日本人として珍しい重量級プロボクサーだったが、それゆえに相手に恵まれず試合の度に渡米して帰国して練習が続いた。
  2. その後国際タイトル獲得に至ったが、JBCが公認していない世界タイトルだったため、返上を巡りジムを揉めた。
  3. 結果、JBCライセンスを放棄せざるを得なくなりアメリカを拠点とするが、やがて試合枯れが続き、タイトルマッチで2回KO負けを喫し引退。
  4. その後、総合格闘技に転向したが、5戦全敗で終わった。
畑中清詞
  1. 東海地区初の世界チャンピオンであるが…。
  2. 1988年の世界初挑戦は少年マガジンの表紙を飾るほど期待が大きかったが、大差判定負け。
    • この試合自体もローブローが多くインターバルに時間を要したため生中継が試合途中で終わってしまった。
    • これにより一度地元での熱も冷めてしまった。
  3. 1991年に2度目の世界挑戦。TKOで悲願の世界王座を獲得したが…。
    • この試合はCBCで中継はあったもののローカルにとどまり、関東で放送のなかった初の世界戦になってしまった。
      • この時間、キー局のTBSではなんと綱引きを放送し、深夜も含めて放送予定がなかったが、抗議が殺到したため急遽録画放送を組んだ(ただしメインは竹原慎二)。
        • 本人は「綱引きに負けた」と自虐した。
  4. 名前が名前なので中畑清と間違われやすかった。
保住直孝
  1. ビッグマウスで竹原慎二や寺地永らを何度も挑発していたが、全く相手にはされなかった。
  2. 現役時代から何度も逮捕されており、結局はボクシング界から永久追放された。
宮崎亮
  1. 2012年の大晦日、盟友井岡一翔が返上したWBA世界ミニマム級王座を獲得した。
  2. その後、ライトフライ級に上げたが、それにもかかわらず減量に苦しみ、2013年大晦日の転級初戦でKO負け。
  3. 2016年に2階級挑戦、田口良一と手を合わせるも大差判定負け。
  4. 翌2017年の引退直後、公務執行妨害で逮捕。
村田英次郎
  1. 世界タイトルに4度挑戦しいずれも失敗したが、うち2度は引き分けで涙を飲んだ。
矢尾板貞雄
  1. 当時の世界王者パスカル・ペレスにノンタイトルで勝利し、日本人2人目の世界王者として期待された。
  2. 後にそのペレスの持つ王座に挑んだがKO負け。
  3. 2度目の世界挑戦へ向けて強豪との対戦を繰り返し、ポーン・キングビッチへの挑戦が決まるが、師匠とのトラブルのため突如引退してしまう。
渡辺二郎
  1. パヤオ・プーンタラットとWBA・WBC統一戦に挑むはずが、両団体の当時のルールの違い(WBAはまだ15ラウンド制だった)を理由に統一戦とは認められずWBA王座を剥奪された。
  2. 引退後、裏社会に足を踏み入れ、島田紳助引退や羽賀研二が「稀代のワル」となる原因を作った。
    • このため、世界チャンピオン会から除外されている。

外国人

ジゼール・サランディ
  1. トリニダード・トバゴ出身の女子プロボクサーで、プロでは無敗を誇りWBA・WBCを含む幾多の世界王座を獲得したが・・。
  2. 2009年1月4日、自動車事故に遭い、21歳で帰らぬ人になってしまった。
    • 免許こそ持っていたものの普段は自分で運転せず運転手を雇っていたが、この時は自分で運転していて事故に遭ったとか。
マイク・タイソン
  1. 少年時代から素行が悪いことで知られていたが、1990年に東京ドームでジェームス・ダグラスにプロ初黒星を喫してからが特に残念だった。
    • その翌年に強姦事件を起こし3年間服役。
    • 1997年のイベンダー・ホリフィールド戦2で相手の耳をかじり失格。
    • 引退後も2度逮捕された(1回は執行猶予、1回は不起訴)。
タノムサク・シスボーベー
  1. 世界王座に3度挑むもすべて失敗、中でも鬼塚勝也との2戦は「疑惑の判定」に泣かされた。
  2. それより前にも松村謙二に「疑惑の判定」で東洋太平洋王座を追われてしまった。
ルイス・ネリ
  1. 山中慎介のWBC世界バンタム級王座を奪うが、ドーピング検査で陽性に。
    • だが、処分は課されず、代わりに再選が命じられた。
  2. こうして再戦になるが、今度は体重超過でベルトを剥奪。
    • 試合は山中を返り討ちにするも、日本のリングから永久追放、WBCからも処分された。
      • これらの件で日本では「悪童」と呼ばれるようになり、井上尚弥も「信用に値しない」と対戦拒否。
  3. 処分明けに再起を果たすが、ファン・カルロス・パヤノ戦であわや体重超過。
  4. 次のエマヌエル・ロドリゲス戦でまた超過をやらかし、相手より試合を拒否される。
  5. スーパーバンタム級に階級を上げ、WBC2階級制覇。
  6. ブランドン・フィゲロアとWBA・WBC統一戦に挑むが、KO負け。
    • 日本からは「ざまあみろ」の声が多数。
サーシャ・バクティン
  1. 協栄ジムでプロとなったロシア人ボクサーで世界チャンピオンの期待も高かったが…。
  2. 日本王座獲得後、六本木の路上で傷害事件を起こし逮捕。示談は成立したものの資格停止処分とともに王座も返上。
  3. 一度解雇になった協栄に復帰するも、沖縄ワールドリングに移籍。
  4. プロでは負け知らずで、帰国後にマイナー王座のIBOは獲得したが、健康問題のため引退。
  5. 「長谷川穂積や亀田興毅もサーシャには勝てないだろう」と対戦を希望するファンも多かったが、ともに実現しなかった。
エドウィン・バレロ
  1. 生涯戦績27戦全KO勝利という完璧な記録を持っていたが…。
  2. コカインやアルコールに依存し、妻をDVの末殺害し逮捕。
  3. その後、警察の独房で自殺。
フロイド・メイウェザー・ジュニア
  1. プロ戦績50戦50勝で世界5階級制覇、PFPでも最強と言われたが…。
  2. とにかく素行の悪さは折り紙付きで犯罪歴が多く、世界王座に君臨していた時に収監されたことも。
  3. 「勝てない相手とは戦わない」と公言している。
    • 極力弱い相手としてやらないチャンピオンは少なくないが、公言しているだけいいのか悪いのか…。
  4. 第一線を引いてからはボクサーじゃないのとエキシビションを重ねるが、とにかく茶番だと叩かれてる。

プロレス

アジャ・コング
  1. 本名が宍戸江利花なので、フジテレビの「めちゃイケ」でエリカ様をやる羽目になってしまった。
  2. 相手に裏拳を当てた後、フォールしようとしたら、相手に丸め込まれて、3カウントを取られてしまったことが何度もあった。
垣原賢人
  1. 現役期間中に所属した所属団体が、崩壊・分裂・経営不振などといった良くない事態に陥るというジンクスがある。
    • 新生UWF→デビュー直後に分裂。
    • Uインター→新日本との対抗戦で佐々木健介を破り名を上げるも、1996年12月に崩壊。
    • キングダム→後輩の桜庭和志や金原弘光らの台頭に影が薄くなり、1998年2月に解散。
    • 全日本→三沢光晴率いるアンタッチャブルの一員となって活躍したが、2000年6月に分裂。
    • ノア→フロントへの不信感を募らせ、8月の旗揚げ戦で大森隆男を一方的に叩きのめして、そのまま退団。
      • 垣原は引退直前のインタビューで「試合後、大森から『ああいうのはボクは出来ない』と言われ、自信を無くした。小橋さんらが真剣に相談に乗ってくれてありがたかったが、本当はこの世界を辞める気でいた」と語っている。
    • 新日本→ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで優勝を果たしたが、怪我を繰り返し2006年4月に引退。
  2. 昆虫採集が好き過ぎて、ブラジルや北朝鮮の密林を探索しようとしたことがある(いずれも断念)。
剛竜馬
  1. 1972年に国際プロレスでデビュー。翌1973年には早くも海外に武者修行に出され、カナダでは新日本の吉田光雄(後の長州力)をタッグを組んだこともある。
  2. 1976年に凱旋帰国。ファン投票で「剛竜馬」という新たなリングネームを名乗り、国際の次代のエースとして期待されていたが…。
    • 金銭面の不満から1978年5月に国際プロレスを退団し、新日本プロレスに移籍。
  3. 移籍後に藤波辰巳とWWFジュニアヘビー級王座のタイトルを懸けて2回戦ったがいずれも敗れ、翌1979年前半は海外遠征に励んだ。
    • 前回のタイトルマッチから約一年後の10月2日の大阪大会で逆さ抑え込みで藤波から初勝利を挙げたが、2日後の蔵前でのリターンマッチに敗れ2日天下に終わってしまう。
      • この二連戦以降、剛は藤波を生涯のライバルと定め、1980年に新日本に入団。
  4. しかし新日本入団後はなかなか日の目を見ず、前座戦線が定位置となってしまう。
    • 1981年にはテレビ朝日のドラマ『警視庁殺人課』にレギュラーとして出演していたが、第13話を最後に途中降板となってしまった。
  5. その後、新日本の内部対立から発生したUWF(第1次)の旗揚げメンバーとして名を連ねたが、ラッシャー木村と共に4ヶ月で退団。
    • UWFへの参加もラッシャー曰く「新間(寿)さんへの義理で参加していただけ」とのこと。
  6. 1984年11月には全日本プロレスに移籍。元国際のメンバーで「国際血盟軍」を結成したが、選手事情もあり1986年に人員整理の一環として解雇されてしまう。
  7. その後は建設内装業の下働きやアメリカのAWA参戦・1シリーズだけの全日本スポット参戦を経て、1988年に「パイオニア戦志」の設立を発表。
    • 翌1989年4月30日に旗揚げ戦を行い、物珍しさから後楽園ホールを満員にしたが内容はボロボロ、来賓に来ていた藤波からは酷評を受けてしまう。
  8. 1990年からは「パイオニア軍団」として新日本に参戦したが評価は厳しく、12月の藤波とのシングルマッチを最後に業務提携を終了。パイオニア戦志も活動休止となってしまう。
    • 藤波とのシングルマッチ直前の週刊ゴングのインタビューで剛は「俺にはプロレスしかないから。プロレス無しでは生きていけない、プロレスバカですよ」と語っていたが…。
    • 一時期、パイオニア戦志をSWSに吸収合併する話もあったが、選手会のほぼ全員から反対を受けて頓挫。
  9. パイオニア戦志の活動休止から1年半後、新たなスポンサーを獲得し1992年に「オリエンタルプロレス」を旗揚げ。
    • 「出前プロレス」や「ほっかほかビデオ」などのユニークな企画で当初は好調だったが…。
      • 剛が海外遠征の利益をピンハネしていたというスキャンダルが発覚し、選手会から永久追放処分を受けてしまう。
  10. 1993年8月にはたった一人で「剛軍団」を結成したが、執拗に再戦を要求した藤波からは「二度と名前を出すな」と絶縁宣言を受けてしまう。
    • そんな中、旗揚げ1周年の後楽園大会で試合中に何度も「ショア」と叫び、試合後のマイクで「私はプロレスしかできないプロレスバカです!」と発言。客の喝采と「バカ」コールを浴び、プロレスマスコミでも大々的に取り上げられた。
    • これ以降、プロレス界でちょっとした「プロレスバカ」ブームが起き、テレビ朝日の「リングの魂」にも数回連続で出演。
    • 1995年4月2日に東京ドームで行われたオールスター興行「夢の懸け橋」の第4試合にも参戦し、試合後には観客席から「ショア!」「バカ!」という掛け声が鳴り響いた。
  11. この勢いで個人プロダクションの「冴夢来プロジェクト(冴夢来プロレス)」を1996年に設立。
    • 新人の育成・弁当付きの無料興行など太っ腹な企画で話題を呼んだが、金の使い方を巡ってスポンサーと衝突、1年程で呆気なく崩壊してしまった。
  12. 様々なトラブルで90年代末にはプロレス界からは完全に干され、上がれるリングは国際の先輩だった鶴見五郎率いる国際プロレスプロモーションぐらいしかなくなってしまった。
    • 2001年には鶴見の計らいで引退試合が組まれたが、ギャラに納得できない剛がドタキャンし、本人不在のままテンカウントゴングが鳴らされる前代未聞の引退試合に。
  13. 2003年にはひったくりの疑いで逮捕され(本人は否認)、更に東京スポーツがこの報道に合わせて、2001年に剛がゲイビデオに出演していたことを報じた。
    • このゲイビデオ出演は、CSの番組で新日本の田中リングアナが既に存在を示唆していたり、週プロの投書欄で「剛竜馬が信じられないようなビデオに出演している」という噂が立っていたため、少なくともプロレス関係者の中では周知の事実だったと思われる。
    • 剛本人も後に「自分の体で稼ぐことの何が悪いのか」とゲイビデオ出演の事実をあっさり認めている。
  14. 釈放後は更にボロボロになり、零細団体のエース格となったが1年後に団体が自然消滅。
    • 半引退状態を経て2006年にDDTで復帰戦が組まれたが、過度の飲酒で身体は無惨なほどに衰えていた。
    • 2009年には若手の時の剛と顔が似ている竜剛馬というレスラーと夢のタッグを結成したが、もうこの頃になると立っているのがやっとという状態だった。
  15. 生涯最後の試合の約1ヶ月後の10月7日、自転車を運転中に交通事故に遭い、その際開放骨折した右手首の傷口から入った細菌が原因となり、敗血症のため53歳という若さで死去。
ザ・コブラ(ジョージ高野)
  1. デビュー戦がざんねんだった。
    • 1983年11月3日に蔵前国技館で行われたザ・バンピート(デイビーボーイ・スミス)戦で日本デビューを果たしたが、スミスが技を受けようとしなかったり、トップロープ越しのノータッチ・プランチャーを仕掛けたがスミスがかわして鉄柵と床へ激突、両膝に大ダメージを受けてしまった。
      • このデビュー戦は後日ワールドプロレスリングで中継されたが、途中からはダイジェストになっていた。
        • プランチャーを仕掛けたシーンはカットされている。
  2. その後ジュニアヘビー級の二冠王(NWAとWWF)となったが、団体の都合や業務提携の解消から1985年に2本とも返上。
    • 新設されたIWGPジュニアヘビー級王座には二回挑戦したが、二回ともタイトルを獲得できなかった。
      • 1回目は越中詩郎に敗れ、2回目の高田延彦(当時伸彦)戦は両者リングアウトでタイトルは移動せず。


ジャイアント馬場
  1. 説明不要、『世界の巨人』。故に残念エピソードもダイナミック。
  2. ある日の試合中、トップロープから攻撃しようとしたら、足を滑らせ、トップロープに股関を強打した。
    • ちなみに、その試合は日本テレビで生中継され、全国のお茶の間に流れてしまった。
スーパー・ストロング・マシン
  1. 当初は「キン肉マン」をモチーフにしたレスラーになる予定だったが、作者(ゆでたまご)や集英社の了承を得ていなかったため、ボツとなっている。
  2. 1985年の熊本での試合後に、藤波辰巳(当時)に「お前平田だろ!?」と言われてしまった。
  3. 1994年のSGタッグリーグに蝶野正洋とタッグを組み出場。
    • 優勝決定戦(VS武藤敬司・馳浩組)では試合の終盤に自らマスクを脱ぎ、孤軍奮闘したが武藤のムーンサルトプレスを喰らいフォール負け。
      • 試合後、リング上で「こんなしょっぱい試合ですいません!」とファンに謝罪した。
高野拳磁(高野俊二)
  1. 上記のジョージ高野の弟。身長200cm・体重130kgという恵まれた体格だったが、練習嫌いが災いし大成することなくフェードアウトしていった。
    • 山本小鉄は「小橋健太のような根性があれば、ゆうに前田日明を超える逸材だった」と語っている。
  2. 一時、協栄ジムでボクシング練習をしており、プロボクサー転向で日本初の世界ヘビー級王者を目指す計画もあったが、かの毒入りオレンジで頓挫。
ハル薗田
  1. 全日本プロレスで選手としてだけでなく若手のコーチとしても活躍していたが南アフリカ航空295便墜落事故で新婚の妻とともに命を落とした。
    • 新婚旅行を兼ねた南ア遠征へ向かう途中の悲劇であった。
      • しかも当初はパリ経由の予定が相手側プロモーターの手違いで当該便に乗ることになってしまった。
藤波辰爾(藤波辰巳)
  1. 選手としては日本人2人目のWWE殿堂入りを果たすなど、決して残念ではないが…。
  2. 主力選手の退団や総合格闘技ブームがあったとはいえ、新日本の社長としては残念としか言いようがない。
  3. 2003年には近い将来の引退を宣言していたが、その後健康状態が良化し引退カウントダウンを撤回。
  4. 1985年に発売された「マッチョ・ドラゴン」は曲として知られている。
  5. 師匠の猪木からシングルで勝つことが遂に出来なかった(タッグでは一試合ピンフォールを取った試合がある)。
クリス・ベノワ
  1. 世界ヘビー級王座や世界タッグ王座を獲得するなど輝かしい実績を残した名選手だったが一家心中事件を起こしたため一時は存在がほぼ抹消されていた。
    • WWEの公式サイトからもプロフィールが消されている。
    • 事件の原因は激しい戦いによる脳の損傷だったとされている。
森嶋猛
  1. 身長190cm・体重125kg(デビュー時は113kg、ピーク時は170kg)という巨体を活かし、GHCヘビー級王座を3回獲得したが…。
    • 天龍源一郎とのタッグマッチではジャンボ鶴田のテーマ曲で入場したが、試合後に天龍から「ジャンボってあんなのだったっけ?」「『嶋』って名前の付くヤツであんなおどろおどろしい奴も珍しいよ(天龍の本名は嶋田源一郎)」と酷評。
    • 更にWWEのトライアウトではビンスに「太ったアジア人の少女だ」と酷評。
  2. 2015年4月に糖尿病による脂肪肝を理由に引退を発表。
    • 9月に大阪府立体育会館で引退試合を行う予定だったが12月末に延期となり、結局その引退試合も行われずにノアを退団。
  3. その後2018年7月に後楽園ホールのリング上で10月に復帰することを表明したが、練習中の化膿性関節炎を理由に復帰を断念。
    • そしてその直後の11月4日に歌舞伎町の路上でタクシー運転手を殴って現行犯逮捕。
    • 実は逮捕される直前に「『幸福伝道師』という肩書きの名刺を配っていた」「インディー団体や女子プロレス団体で酒や金の無心をする森嶋の姿が頻繁に目撃された」という話も…。
渡辺桃
  1. Queens Questのリーダーだが、林下詩美より目立っていない。
  2. ワンダー・オブ・スターダム王座を13回防衛したことが話題にならなかった。

K-1

ボブ・サップ
  1. 2002年にK-1デビューするとアメフトをはじめとした数多くのスポーツで鍛え上げられた巨体と「ザ・ビースト」と呼ばれるほどのアグレッシブなファイトスタイルやそのキャラクターが人気を博し、バラエティ番組にも多く出演。
    • また、大晦日に放送されたダイナマイトでの曙太郎との一戦は当時紅白歌合戦の視聴率を瞬間的に上回った。
  2. 2006年に契約のこじれから出場予定だった試合をボイコット。一時法廷闘争まで噂されたが後に和解。その後2010年にも試合のボイコットを起こすなど2度の敵前逃亡を起こしてしまった。
    • ただしこれに関しては契約していた会社にも問題があるわけで本人の問題という訳ではないのだが・・・。
  3. 技術を覚えてからセオリーに沿ったファイトに拘ってしまい成績が悪化。たびたびKO・TKO負けを喫していた。
  4. 2017年には週刊文春に6年近くDVを行っていたことをスクープされてしまった。

柔道

石井慧
  1. 下記の棟田康幸を抑えて北京オリンピックに出場し、見事21歳で最重量級の金メダルを獲得するも、その後問題発言を連発し柔道ファンから嫌われる。
  2. 2008年秋に柔道を引退し総合格闘技に転向。裏切り者として柔道関係者を完全に敵に回す。
  3. あとに「夢だった総合格闘技に転向するために、わざと批判されて柔道界から追放されるためにこのような発言をした」と証言(消えた天才より)
内柴正人
  1. アテネ・北京とオリンピック連覇し大ヒーローだったが2011年に×××××
  2. 北京オリンピックの男子柔道の金メダリストは2人ともざんねんな選手に。
棟田康幸
  1. 2003年男子100kg超級、2007年男子無差別級とそれぞれオリンピック前年の世界選手権で2度の優勝経験がありながら、オリンピックに1度も出場できず。
  2. アテネオリンピックは2003年世界選手権の100kg級優勝の井上康生と同無差別級優勝の鈴木桂治に敗れて出場逃す。
  3. ラストチャンスだった北京オリンピックは若手の石井慧に阻まれて出場できず。

総合格闘技

青木真也
  1. 2009年の大晦日のDynamite!!で、対戦相手の廣田瑞人の右腕を骨折させ一本勝ち。
    • ところが試合後に、対戦相手の廣田や観客に向かって中指を立てるファックサインで侮辱。後に厳重注意を受けた。
  2. その一年後の大晦日のDynamite!!で長島☆自演乙☆雄一郎と対戦。
    • 逃げ回るわ反則はするわで2R4秒・失神KO負け。
      • 試合後には「しょっぱい逃げ方してるから罰が当たった(須藤元気)」「人生逃げてちゃ勝てない(魔裟斗)」と酷評されてしまった。
    • 試合前のインタビューで青木が答えていた「2Rになったら五体満足で帰れないから、その辺よろしくお願いします」という内容を、皮肉にも自身が体現することになってしまった。

試合・シーズン展開

ボクシング

全日本新人王決定戦
  1. 全日本新人王には次回発表の日本ランキングで最下位にランクされる特典が与えられるが、その次の更新で消える選手も多く、「意味がない」と言われる始末。
  2. 近年、世界を獲るのはほとんどアマエリートばかりなので新人王獲ってもタイトル挑戦の機会に恵まれなくなった。
WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ 渡嘉敷勝男対ルペ・マデラの4戦
  1. 最初の対戦は渡嘉敷にとっての初防衛戦で渡嘉敷が勝利したが、微妙な判定だった。
  2. 2度目は5度目の防衛戦として対戦したが、引き分け。
  3. 3度目はダイレクトリマッチとなり、今度はマデラが勝ったが、負傷判定に納得がいかないファンが多かったことや当初引き分けと発表するなど不手際が重なった。
  4. これに協栄ジムが抗議し、3連続で組む羽目になった。4度目はマデラがしっかりと勝利し完全決着。
  5. これに割を食ったのがマデラに対戦を要求していた新垣諭。対戦が消滅した新垣の所属する奈良池田ジムはIBF日本設立へ。
WBC世界ミニマム級タイトルマッチ 井岡弘樹対ナパ・キャットワンチャイの3戦
  1. 最初の対戦は井岡にとって2度目の防衛戦、最終12ラウンドでダウン寸前まで追い込まれるも終了ゴングが30秒早く鳴らされ辛くも引き分けた「疑惑のゴング」。
  2. これを受けて組まれたダイレクトリマッチでナパが判定勝ちで王座奪取。
  3. 3度目の対戦はナパの2度目の防衛戦。11回TKOで井岡を沈めるが、レフェリーストップに納得がいかない井岡の兄・一法(現井岡ジム会長。井岡一翔の父)がリングに乱入しナパに対して暴行するという事件が起きた。
1997年6月28日 WBA世界ヘビー級タイトルマッチ (王者)イベンダー・ホリフィールド対マイク・タイソン(挑戦者)
  1. 3回にタイソンがホリフィールドの耳を噛みちぎり反則負け。
2001年7月16日 日本フライ級タイトルマッチ (王者)坂田健史対内藤大助(挑戦者)
  1. 坂田にとって日本タイトル初防衛戦となったが、0-1の引き分けで王座防衛という微妙な結果に終わり、試合後に内藤の同僚がおもちゃのナイフのようなものを持って暴れ出す事件が起こり、遺恨試合になってしまった。
2002年4月19日 WBC世界フライ級タイトルマッチ (王者)ポンサクレック・ウォンジョンカム対内藤大助(挑戦者)
  1. 内藤にとって敵地タイでの世界初挑戦だったが、当時の世界タイトルマッチ最短記録となる34秒KO負けを喫し、帰国後に「日本の恥」などとバッシングされた。
2013年12月3日 WBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦 (IBF王者)亀田大毅対リボリオ・ソリス(前WBA王者)
  1. まず、前日計量でソリスが規定体重を超過し、WBA王座を剥奪された。
    • 再計量でも超過した後に水やコーラをがぶ飲みして悪態をついた。
  2. これを受けて、当初以下の特別ルールが設定されていた。
    1. 大毅勝利→IBF防衛・WBA獲得
    2. 引き分け→IBF防衛・WBA空位
    3. ソリス勝利→IBF・WBAとも空位
  3. 試合は2-1の判定でソリスの勝利。そのため2-3.の裁定が採られるはずだった。
  4. ところがIBFの試合後の会見で「IBF王者としては残る」としたため、混乱が生じた。
  5. この変更について、亀田陣営は前日計量後に把握していたが、JBCはまったく知らされておらず不信感を募らせた。
  6. 結局、大きな混乱を招いたとして亀田ジムの会長及びマネージャーのライセンス更新を認めず、亀田三兄弟もボクサーライセンスが消えた。
    • 三兄弟は新会長・マネージャーを迎えるにしても移籍するにしても非常に厳しい条件を突き付けられたため、国内での活動を諦めざるを得なかった。
WBC世界バンタム級タイトルマッチ 山中慎介対ルイス・ネリの2戦
  1. 最初の対戦は具志堅用高に並ぶ13連続防衛が懸った試合。ネリがTKOで沈めたがドーピング検査で陽性反応が出たと発表され大混乱。
  2. その後命じられた再戦でネリは体重超過のため王座剥奪(試合はネリがTKOで返り討ち)。その後ネリは日本のリングから永久追放処分、山中は引退。後味の悪さを残した。
2017年12月9日 IBF世界スーパーフェザー級王座決定戦 尾川堅一対テビン・ファーマー
  1. 試合は尾川の判定勝ちとなっていたが、試合前のドーピング検査で陽性反応が出たため無効試合となり王座獲得も無効とされた。
2018年4月15日 WBC世界フライ級タイトルマッチ (王者)比嘉大吾対クリストファー・ロサレス(挑戦者)
  1. 前日計量で比嘉が計量オーバーを犯し、王座を剥奪された。
  2. 試合も減量失敗の影響で本来の実力を出せず9回TKO負け。

プロレス

1990年6月8日 全日本プロレス ジャンボ鶴田vs三沢光晴
  1. ジャンボ鶴田が何度も「オー!」をやったら、客に「『オー!』はいいよ。」と野次られてしまった。
  2. ジャンボ鶴田がロープに寄りかかっている三沢光晴にドロップキックをかまそうとしたが避けられ、ロープに股間をぶつけてしまった。
    • その後、ジャンボ鶴田が三沢光晴のバックドロップを返して、フォールしたが、三沢に返され、3カウントを取られてしまった。
1999年1月4日 新日本プロレス 橋本真也vs小川直也
  1. 小川が橋本を一方的に痛めつける試合となり無効試合に。
    • 試合後に小川がマイクで「新日本プロレスのファンの皆様、目を覚ましてください!」と発言。
      • リング下ではセコンド同士の言い争いに端を発した乱闘が発生しており、当時引退していた長州力がカメラマンを押し退け、小川に対して「これがお前のやり方か?」と詰め寄った。
        • この乱闘で小川側のセコンドだった村上和成が、飯塚高史らに集団で顔面を踏みつけられ一時昏睡状態に陥るほどの重傷を負うなど、かなり後味の悪い試合となってしまった…。
  2. 一説では大仁田厚の新日本初参戦を警戒した猪木の当て付けという説もある。
2004年10月9日 新日本プロレス・IWGPヘビー級選手権試合 (王者)藤田和之vs佐々木健介(挑戦者)
  1. 藤田和之が佐々木健介にグラウンドでの胴絞めスリーパーをやったが、藤田の両肩がマットについていたのでレフェリーが3カウントを入れてしまった。
    • 佐々木健介の妻である北斗晶は大激怒。
    • 勝利した佐々木健介はうっかり、喜んでしまい、北斗晶に怒られた。
2005年2月20日 新日本プロレス・IWGPヘビー級/3冠ヘビー級W選手権試合 (IWGP王者)天山広吉vs小島聡(3冠ヘビー級王者)
  1. 試合終了直前、天山が脱水症状でKO負け。思わぬ形での決着にリング上も混乱した。
    • 某選手はそれにキレて小島にガチで蹴りを入れたとか。


総合格闘技

2004年6月20日 PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND セルゲイ・ハリトーノフ対セーム・シュルト
  1. ハリトーノフがシュルトをマウントからのパンチや鉄槌打ちの連打でTKO勝ちした試合だったが、敗者のシュルトの顔面が腫れ上がり血まみれになるという凄惨な状態になり地上波ではダイジェストでしか流されなかった。
  2. この試合を控室で見ていた選手たちもこれには唖然としており、ヒョードルやノゲイラですらハリトーノフの冷酷なファイトに言葉を失うほどであった。

競技場

両国メモリアルホール
  1. 戦前は初代両国国技館だったが、敗戦後はGHQの接収され、「土俵を広げる」条件で1場所だけ行われた。
  2. 接収解除後は蔵前国技館が既に建設に入っていたなどから売却された。
大阪大国技館
  1. 旧両国国技館より大きな施設だったが、戦局悪化のため4年で7回の準本場所を開催したのみで倉庫に転用→戦後に接収で解体されてしまった。
東京ドーム
  1. プロレス団体が、東京ドームを興業に使うと「崩壊または分裂。最悪の場合、消滅する」というジンクスがある。

関連項目