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*'''関東の国道'''の噂。国道のうち、高速道路・有料道路については[[高速道路]][[自動車専用道路]]へ。
{{Pathnav|ざんねんなモノ事典|ざんねんなスポーツ事典|name=格闘技}}
※編集される方は「[[Chakuwiki:お願い/ざんねんなモノ事典]]」をご覧ください。
==分割済み==
*[[ざんねんな相撲事典]]
==団体==
===ボクシング===
====ボクシングジム====
;オザキボクシングジム
#所属ボクサーが猟奇的事件を起こし、のちにここが火元となり小田急火災に至った。


==主要<!--Chakuwikiで記事の量が多い-->・他地方のページに記述のある国道==
;協栄ボクシングジム
{|style="width:80%;"
#世界王者を多く輩出する名門だが、先代の金平正紀の時代には黒い霧や毒入りオレンジ、疑惑の判定、元ミカドの冷遇などスキャンダルが非常に多く、息子の桂一郎に変わってからもファイトマネー未払いなどが相次いだ。
|style="width:50%;" valign="top"|
#*最後はビルのオーナーとの金銭トラブルで休業。
*[[国道1号]]
*[[国道4号]]
*[[国道6号]]
*[[国道16号]]
*[[国道17号]]
*[[国道18号]]
*[[国道20号]]
*[[国道50号]]
*{{国道|東北|118}}
*[[国道119号]]
*[[国道120号]]
*[[国道121号]]
*[[国道122号]]
*[[国道125号]]
*{{国道|東海|135}}
*[[国道140号]]
|style="width:50%;" valign="top"|
*[[国道246号]]
*[[国道254号]]
*[[中日本高速道路#小田原厚木道路|国道271号]]
*{{国道|甲信越|292}}
*[[国道294号]]
*[[国道298号]]
*[[国道299号]]
*{{国道|東北|349}}
*[[国道352号]]
*[[国道354号]]
*[[国道400号]]
*{{国道|東北|401}}
*{{国道|甲信越|405}}
*{{国道|甲信越|406}}
*{{国道|甲信越|462}}
*[[国道463号]]
|}


==国道14号==
;笹崎ボクシングジム
[[画像:Route14.jpg|thumb|240px|14号線同士の分岐]]
#ファイティング原田を育てたジムとして有名だが、「ボクシング版江川事件」以降は低迷が続き、日本チャンピオンすらなかなか出なかった。
#通称千葉街道。千葉県内を通る国道で最も若い番号の国道は国道14号ではなく[[国道6号]]。
#*国道6号は千葉や船橋との交流が薄い柏や松戸を通過するので、湾岸沿いの住民は14号が一番若いと錯覚している人もいる。
#*東京都内では江戸川区小松川以西は[[東日本高速道路#京葉道路|京葉道路]]。起点の日本橋から浅草橋までは国道6号と重複。
#番号が若いのに[[国道16号]]に吸収される14号。
#並行する有料道路の京葉道路は14号バイパス扱いだが、千葉プール制の料金体系のため無料化ははるか先の話である。
#*江戸川区一之江橋から篠崎出入口までの間はの京葉道路は無料の国道14号だが実体はJH管轄のため、無料道路なのに高速のキロポストが立っているという珍しい現象がある。
#*京葉道路があるため、並行する千葉街道区間は指定区間から外されている。しかも市川・船橋市内の大半が片側1車線のため渋滞がひどく、県道並みの低ランク道路というのが実情。
#**幕張インター以東が指定区間。それまでの旧街道の趣から一転して郊外のバイパス的雰囲気となり、落差がすごい。
#*標識の表記も英語入りでないものが結構多い。
#何も知らない東京人が千葉に行くのに利用すると泣きを見る国道
#*千葉県内の14号は渋滞が酷く、本八幡駅や船橋あたりで酷い渋滞に巻き込まれるとか?
#東小松川~市川橋の区間は、最近になってようやく14号のおにぎり標識を立ててもらえた。
#357号との重複区間では中央分離帯の改良工事が進行している。
#*その分離帯の真下に357号を移管させ、重複を解消するのかもしれない。
#**そうではなくて、渋滞の解消のために直進(通過)交通は地下を通す立体交差(357号の幕張地区高架のように)にするそうだ。
#日本橋を起点にする7国道の中で16号と唯一、接続しない。
#*昔は千葉の市街地で接続してた(重複区間もあった)が16号が京葉道路沿いに本線を移したため、千葉の市街地を走る16号は126号に変更になった
#*15号も接続してないが…
#千葉駅前に一方通行区間が存在する。
#*人通りの多い商店街を貫く。
#*地元民では通称「ナンパ通り」として有名。
#*そごう側から外房線ガードをくぐったところで右斜めでパルコまで突っ切る道(これが一方通行)が市道格下げ、左斜めの富士見東電前回りになった。


==国道15号==
;不二ボクシングジム
[[画像:KQKamataST00.jpg|frame|平面交差最後の日(京急蒲田駅)]]
#岡本不二が弟子のピストン堀口を連れて日本拳闘倶楽部から独立して設立された由緒あるジムだった。
#東京と横浜を結ぶ国道。通称第一京浜。
#東洋太平洋王者と日本王者は輩出したが、世界王者は出ないまま2010年に閉鎖。
#*国道15号何に第一京浜。第二京浜は国道1号。
#**海に近い順に番号つけたからね。
#***というよりこっちが元祖国道1号
#*新橋より北は[[銀座]]のメインストリート(中央通り)。だから沿道の路線価が日本一高い国道でもある。
#**平日の日中は歩行者天国、タクシーの路駐も多い。
#**ここの区間に限っては昭和通との交差点を除いて青看板が一切ない。
#*国道1号よりも東海道に近いルートになっている。
#[[箱根駅伝ファン|箱根駅伝]]で定番のコース。
#堂々と[[京浜急行電鉄|京急]]の踏み切りがあるけど近いうち消えるかも…
#*2008.1.3に[[東海大学]]をものすごく敵に回した気がする
#**撤去して初めての駅伝に出られないという悲劇・・・
#横浜方面は多摩川を越えるとなぜか横須賀が標識に出る。
#青木橋交差点で国道1号と合流して終点になるが、そのことを示す補助標識も設置されている。
#日本橋を起点とする国道の中で唯一、都内で右左折していない。
#神奈川県内の国道の中で、一番渋滞と無縁じゃなかろうか?
#*道路拡幅未了の生麦あたりはそこそこ混む。
#**今まで2車線だったのが、右折1車線直進1車線になってしまうのが原因。
#*確かに渋滞として無縁の道路だと思う。多摩川の辺りで車の動きが一気に変わる。
#*川崎あたりなんかも右左折でそれなりに詰まってる気がする。立体は整備されてないところもあるし。
#*川崎市の新川橋交差点は右折だけでなく左折も分離されているので歩行者にとっては安心して渡れる。ある意味信号交差点の理想系といえる。
#全区間幅員50mになる予定。神奈川県内で一番豪華な道路。横浜駅近くでは片側4車線以上、川崎は片側3車線に自転車専用帯付設。
#*上り青木橋から東神奈川辺りがカオス。レーンがどんどんズレていくので、3車線の中央レーンを直進すると何故か右折専用レーンにたどり着いてしまう。
#地元では「一国(いちこく)」と呼ばれてるが、「国道1号」のことかと勘違いする余所者が多い。
#横浜市内は鉄道より海沿いを走っているので内陸に住んでいると使わない人はとことん使わない。
#道路沿いに「国道駅」がある。
#蒲田要塞の東側の間近を通る。
#*その蒲田要塞が完成後、要塞付近の国道15号は地下化された。
#**国道15号と環八の交点は高架化が完成するまでは渋滞が酷かったが、現在は京急と国道15号立体化で渋滞が緩和されている。
#神奈川県内区間は2車線区間と3車線区間が頻繁に変化する。


==国道51号==
;三迫ボクシングジム
[[画像:Route51-00.jpg|thumb|240px|起点([[水戸駅]]前)]]
#日本のオリンピック金メダリスト2人(桜井孝雄、村田諒太)はともにここでプロデビューしたが、いずれもジムがアマチュア側とトラブルを起こし、プロアマ間のしこりを残してしまった。
#水戸駅北口から[[千葉市]]へと繋がる国道。
#*その上、村田は帝拳に引き抜かれた。
#*北口から西は[[国道50号|50号]]
#*鹿行の動脈。
#*[[水戸市|水戸]]から千葉市に行く場合、国道51号を通った方が早く行ける。([[国道6号]]経由だと、土浦や柏で混雑が酷い。)
#*[[千葉]]県で最も早い番号の国道は6号線だが、実質的には[[#国道14号|14号線]]と51号線が千葉県の大動脈。
#**国道51号が、国道14号の延長線みたいな物。
#*本当は逆([[千葉市]]が起点)なんだけどね。
#夢の国道51号
#大洗町の夏海バイパスは高速かと勘違いするほどの道路幅。
#*しかも歩道が無い。
#*事実高速並みの速度で走る車も多い。皆100km/hで走ってると噂が立つ。
#**でも覆面要注意(捕まってるクルマを目撃しました)。法定速度区間です。
#W杯が無かったら鹿嶋バイパスは存在しない。
#北半分は快走路。
#*しかし、夏場は海水浴客の車でいっぱい。
#ここで[http://www.mika-y.com/bbs/news/news.cgi?page=370&no=0&P=R 空前絶後の事故]が発生した。
#*↑のリンクが切れてるので概要を。水戸市島田町地内の51号で故障で停車してた乗用車と作業をしていたレッカー車に、飲酒運転のトレーラーが突っ込んだ事故。突っ込まれた衝撃で高架下へ転落して被害が拡大。
#千葉市の多くは狭い片側1車線
#*旧道はバスがよく擦る。新道(北千葉バイパス)には行きにくい。
#*基点がしょぼい。
#オービスが[[鉾田市]]辺りにある。
#鉾田市内に「ゆずり車線」が上下線とも2ヶ所ずつある。しかし、道路巾が急に狭くなる所も2ヶ所あり制限速度は40km/h。でかいトレーラなんかが迫ってくるのが怖い。その落差に唖然。
#貝塚で北千葉バイパスが途切れ14号にむけてほぼ直角に曲がるので、よく呑気にスピード出してるのが事故る(まっすぐいけるように早く計画道路実行してくれよ)。
#見込んだよりも実際の交通量が少ないからなのか、片側2車線分(中央分離帯あり)を作ってあるのに、対面通行にして半分しか使っていない区間がある。
#鉾田あたりは[[暴走族|珍走]]のメインストリートだったけど最近はどうなんだろ。
#霞ヶ浦末端部を渡るまでの暫定2車線がもどかしい。しかも逆から来ると渡った途端潮来へは国道を下りるよう誘導される。市中心部を通るのはこの道なのに。
#*上戸のあたりよね。常陸利根川に架かる橋と稲荷山のカーブをどうにかしないと拡幅できないんだろうね。国道を下りるルートは潮来駅周辺への誘導かと。
#東関東道の延伸に併せてようやくこちらのバイパスも延伸整備するようだ。拡幅はあるのだろうか。


==国道123号==
====ボクシング王座認定団体====
#宇都宮と水戸を結ぶ国道。
;IBF日本
#*栃木側では水戸街道と呼ばれている。(勿論、国道6号とは別物)
#奈良池田ジム会長の池田久がJBCを離れ、当時設立間もないIBFから承認を受けて発足。
#茨城県内は那珂川に沿ってる。
#しかし、JBCの圧力でほとんど関西ローカルにとどまり、認知度が低かった。
#益子町からは県道1号を利用して笠間から国道50号で水戸へ走ったほうが近い。
#そのため参加ジムも非常に少なく選手不足なため、経験が浅い選手を世界に挑戦させて惨敗したり、空手やキックボクシングの掛け持ち、さらには網膜剥離でJBCから引退勧告を受けた選手なども参加させていて、杜撰な運営だった。
#*おかげで県境付近は交通量が少ない。
#線形がすぐ北を走る国道293号と酷似している。
#水戸から茂木まで並行して走る茨城・栃木県道51号線は、通称123号バイパスと呼ばれている。(実際に距離も所要時間も短い)


==国道124号==
===その他===
[[画像:ChoshiBigBridge00.jpg|thumb|240px|銚子大橋]]
;SWS
#茨城と千葉をまたぐ国道の一つ。
#1990年に新日本・全日本から多くの選手・スタッフを引き抜いて誕生したプロレス団体だが、週刊プロレスにバッシングされまくって1992年に崩壊。
#*北側の起点は[[茨城/鹿行#鹿嶋市の噂|鹿嶋市]]
#*当時週刊プロレスの編集長だったターザン山本は後年、ジャイアント馬場から金銭を受け取って、その見返りとしてSWSをバッシングしていたことを暴露本で告白している。
#**W杯特需でバイパス完成。しかも片側二車線。
#***神栖市中心部は片側3車線化工事までおっ始めた。すでに部分的には完成してる。
#*銚子大橋を経由
#旧神栖町区間の中央分離帯は無駄に広い所がある。
#ほとんど、茨城県の国道
#*千葉県の銚子区間は1kmもない。
#*千葉県では一番存在感のない国道だと思う。
#実際の起点は、水戸駅前。(水戸~鹿嶋は国道51号重複)
#*国道の端はそうだけど、↑は終点扱い。
#神栖の鹿島セントラルホテル前付近は、国道124と国道124(旧道?)と県道44と県道50・・・と道路が集中しているので渋滞しやすい。


==国道126号==
;戦極
#銚子から千葉へ至る国道である。東金街道と呼ばれる。
#PRIDE消滅後に立ち上がった新団体のひとつだが、地上波放送がなかなか獲れず、テレビ東京がレギュラーのダイジェスト番組を放送するにとどまった。
#*東金で国道128号を吸収する。
#その後、吉田道場勢が離脱してから迷走が続き、メインスポンサーだったドン.キホーテの撤退でとどめを刺された。
#16号と2箇所で接続する。東金方面から京葉道路を越え、千葉市街を経由して穴川で戻ってくるルートになったため。
#銚子連絡道路の現状の終点とは微妙に直接繋がっていない。数十mだけ県道を経由するのだが、銚子に行こうとしてその県道を左折しそうになる。


==国道127号==
;全日本女子プロレス
#通称「内房なぎさライン」
#1968年に創立、ビューティーペアやクラッシュギャルズ、極悪同盟など数々のスター選手を輩出し、「女子プロレスブーム」の火付け役となる。
#内房線と異なり、起点は[[千葉/安房#館山市の噂|館山市]]。
#*しかしその裏で、経営陣一族の浪費癖や経営多角化の相次ぐ失敗などで巨額の借金を抱えてしまう。
#狭いトンネルが多く、渋滞が激しかったが、館山道・富館道がができて若干改善された。
#*さらに、80年代の終わりにはスター選手だったクラッシュギャルズの2人(ライオネス飛鳥・長与千種)と2人の宿命のライバル・ダンプ松本が相次いで引退して以降、ガクッと客足が遠のく。
#*鋸山付近は指定国道とは思えない貧弱さである。
#*1996年頃には、倒産騒動があり、主力選手が他団体に移籍する始末。
#*だが館山市に入ると急激に道が良くなる。
#結局、巨額の借金を抱えたまま、2005年に惜しまれつつ解散した。


==国道128号==
==人物==
#外房の命綱。
===ボクシング===
#有料のバイパスが多い。
====日本人====
#地元では『イチニッパー』と呼ばれてる。
;赤城武幸
#アマチュア時代に世界選手権やアジア大会出場など実績を残し、鳴り物入りで8回戦プロデビューも、世界タイトルは挑戦すら果たせなかった。


==国道129号==
;猪崎かずみ
#神奈川県の中央を縦断する形で、平塚から相模原まで続く道。
#世界最高齢女子プロボクサーとしてギネスにも認定された。
#*134号、1号、東名、246号、16号と幹線道路との交差が多いので交通量は他の地区にもれず、常に多い。
#海外で世界初挑戦が一度決まったものの、メディカルチェックの問題のため見送られた。
#**全線にわたって渋滞してるイメージしかないんだけど。ここに限らず神奈川県内は国道はなるべく通らないように上手く県道を使ったほうが移動しやすい気がする。難しいんだけどね。タイミング悪いと国道以上に混雑する道も多いし。
#その後、後に世界5階級王者となる藤岡奈穂子にKO負けを喫し、引退勧告をを受ける。
#***圏央道の開通により金田交差点以北は渋滞が緩和している。逆に平塚市内は右折車の多さもあって相変わらず渋滞が酷い。
#タイに渡り現役を続行するが、年齢を理由にランキングに入れず引退を余儀なくされた。
#*以前は平塚の四つ角が起点だったが、その後高浜台に変更。
#厚木以北は立体交差多し。
#*主に金田交差点以北で、圏央道開通後は渋滞が大幅に減少した。
#全線に渡って相模川と並行している。
#*道路版の[[相模線]]なのか?
#'''いちにっきゅー'''
#*「いちにーきゅー」じゃね?
#厚木市内で、一目見ただけでは国道246号と区別がつかなくなる区間が存在する。
#*重複区間は片側3車線である。
#**金田交差点では、129号が合流する側、逆に厚木文化会館前だと246号が合流する側になる。
#*平塚厚木間は国道412号と重複している。
#平塚から来た場合、直接、伊勢原方向の246へは行けない。
#*因みに東京・相模原方面だと信号がある
#*無理に突っ切ろうとするとドツボにハマる。厚木西の渋滞を見て厚木ICで降りる時は素直に246との合流まで行ってそこから左折で森の里方面に切り返す方が安全。
#現在、神奈川県道22号横浜伊勢原線と交わる戸田交差点で立体交差する予定である。
#*129号側の立体化は完成した。そのお陰で伊勢原方面の渋滞は概ね解消した。
#*一方の海老名・横浜方面は東河内(ひがしこうち)交差点の影響で渋滞が悪化する事もしばしば。
#*戸田のちょい南の平塚市大神に「イオンモール」が出来るので混雑するかもね。
#**それ以前に平塚市内は日によっては西湘バイパスからの車やららぽーと湘南平塚からくる車で混雑する。
#おおむね圏央道と並行して走っている。


==国道130号==
;海老原博幸
#東京港と第一京浜(国道15号)上の芝4交差点とを結ぶ。旧海岸通りと呼ばれる。
#昭和を代表する名チャンピオンのひとりだったが、引退後が残念だった。
#国道174号に次いで、2番目に短い国道。
#1986年に娘を交通事故で亡くした。
#*大昔は日本一短かったが、国道174号の区域変更によりその座を明け渡した。
#そのショックもあり酒の量が増えてしまった。
#完走した達成感を得るには、徒歩か自転車がいいかも。
#*その後、肝機能障害のため1991年4月20日に51歳の若さで他界。
#正式なおにぎりがない。
#**親友のファイティング原田は「俺は親の葬式でも泣かなかったが、海老原が死んだ時は泣きまくった」と相当なショックだったという。
#ジムの後輩でロシア出身のユーリ・アルバチャコフがリングネームを継承して「ユーリ海老原」を名乗ったが、ロシア語で「エビ」が{{あきまへん}}な意味の単語に聞こえるため改名されてしまった。


==国道131号==
;鬼塚勝也
#羽田空港と第一京浜を結ぶ空港国道。全線に渡り、都道と重複。
#1990年代に活躍したスピードタイプの世界チャンピオンなのだが…。
#*主に環八(都道311号)と都道6号である。
#世界戦では微妙な判定での勝利も多かった(タノムサク戦2試合、林在新戦、李承九戦など)。
#*世界戦での唯一のKO勝利も日本人(松村謙二)相手のものだった。
#*2度目の防衛戦となったアルマンド・カストロ戦(接近戦で相手に打ち負けず判定勝ち)など良い試合もあるのだが…。


==国道132号==
;ガッツ石松
#川崎港からの港国道・・・だが、起点が中途半端。
#ボクサーとしては、実力者。しかし、引退後のタレント活動の方がインパクトが大きい。
#*いちおう東扇島が無かった時代の名残り。
#クイズ番組での珍回答が、よくネタにされる。
#川崎港から川崎駅に向かう道路だが、並行する409号より快適に走れる。
#*「ヒントでピント」のモザイクを使った問題で「SEX」と答えたことは有名。
#国道357号の接続する所まで国道指定した方が分かり易いかも。
#*そうすれば東扇島ランプまでわかりやすいし。


==国道133号==
;亀田三兄弟
#横浜港から国道16号上の桜木町1交差点とを結ぶ。
#ボクシング人気復活の起爆剤として期待されたが、相次ぐトラブルで国内ライセンスを失い、長男興毅と次男大毅はアメリカで引退を余儀なくされた。大毅に至っては海外初戦で敗れ網膜剥離のおまけ付き。
#*山下公園の近くから国道区間となり、神奈川県庁前を通る。
#残った三男和毅は国内復帰が認められたものの、テレビからは見放され世界戦ですらネット配信のみという寂しい有様。
#国道16号から来た場合、案内標識上におにぎりマークが描かれていないことがわかる。この方向からでは、地図かカーナビなしで完走は不可能。
#妹の姫月もプロボクサーになったが、セコンドライセンス停止中の父から離れられないため、海外で転戦せざるを得なくなっている。
#*植え込みの所におにぎり標識があるぞ。


==国道134号==
;具志堅用高
[[画像:134Enoshima.JPG|thumb|right|240px|鎌倉高校前駅から見る134号]]
#世界タイトル13連続防衛という金字塔を打ち立てたが…。
#横須賀~大磯を結ぶ道。
#*本人は当時のジュニアフライ級世界記録だった12度の防衛で引退するつもりだったが、周囲の説得で続行した。
#*Fヨコの交通情報においては「海沿いを走る」という言葉が頭につく。
#当時の会長が相手のジュースに薬物を混入させたという疑惑で文春砲をぶつけられた(いわゆる毒入りオレンジ事件)。
#湘南地域を通るため渋滞が多い
#*この影響で引退セレモニーが中止に。
#*茅ヶ崎~江ノ島は4車線になったから結構マシなんだけど、そっから出る道がほぼ全部混んでる。
#引退後、ジムを立ち上げ後進の指導に勤しむ一方、ジムの活動資金集めのために太田プロと契約し本格的にタレント活動を始めた。
#**箱根駅伝でこの付近の一部を走ることになる。
#*しかし、あまりのおトボケぶりが人気を博し、タレント活動が多忙を極めたためジムにあまり顔を出さなくなり、遂にはジムを閉めてしまう。
#*夏場は一層、酷くなりそう。
#**酷くなりそう、じゃなくて酷いんだよ。[[国道1号|1国]]もどうにもならんから土地勘のないヨソモンは車で来んな、頼むから。
#***鎌倉高校前駅から134見たけどすごいノロノロ運転。やっぱ小田急+江ノ電で行った方が良いわ。
#*稲村ヶ崎が上りも下りも休日で空いてると運転手は歓喜の雄叫びをあげる。すると鎌倉幕府の落ち武者がコーラスしてくれる(実際は谷間に排気音が反響するだけなんだけどね)。
#三浦海岸沿いの渋滞も酷い。
#沿道に住んでいる人の家に車で行くと最初に出てくる会話は「'''今日は道混んでた?'''」
#鎌倉~逗子の間はかつて有料道路の区間だった。歩行者の所在を考えていないような構造がその名残。
#*小坪のトンネルから鎌倉方面に見える海はカラオケでちょくちょく見かける。
#下り鎌倉高校前の踏切右折は禁止にして貰いたいのですが・・・。
#*一応拡幅工事してるね。どうせなら全線片側2車線にして欲しいんだが。
#行楽シーズンの江ノ島への車の進入はバス以外禁止して欲しい。折角西浜に沢山駐車場作ったんだから。
#湘南大橋が4車線に。江ノ島以西は大磯迄がネック。西湘バイパス迄の4車線化はまだか?
#*平成27年3月にとうとう開通。夜中に走ったら西湘バイパスから江の島まで信号全部青で感動した。昼間も大磯出口の渋滞が無くなり嬉しい限り♪残りは↓
#恐らく江ノ電と並行する地域は永遠に4車線化されない。
#*いっその事、津波に対する防潮堤名目で鎌倉湾岸道路を海に作っちゃえば良いんだけど、海の上なのに何故か反対派が絶対「おおたかの森」を見つけるんだろうなあ(皮肉です)。
#第一回湘南マラソンでQちゃんこと高橋尚子さんを見て感動した。けど、その湘南マラソン、毎年スタート地点が変わったりで安定しないし、真っ直ぐルートでつまらない。参加者は地元マラソンランナーだけの気がする。
#4車線後、箱根や新東名から圏央道に向かう車が西湘バイパス~ここ~新湘南バイパスを使って行く車が激増している。
#*渋滞はしなくなったが明らかに交通量は増えた。
#昔は「湘南遊歩道路」と呼ばれていた。


==国道138号==
;古口哲
#全長わずか60kmながら、3県に跨り、しかも'''甲'''信越・'''東海'''・'''関東'''に跨っているのでどの地方にも分類しづらい。
#アマチュア時代には当時のアマチュア日本記録となる61連勝をマークした。
#観光地を通るだけに行楽シーズンは至る所で渋滞が発生。地元民はこの道を使うのをとことん避ける。
#しかし、プロ転向の際にゴタゴタ(いわゆる「ボクシング版江川事件」)があり、2年のブランクを要した。
#*事実上の終点である箱根の宮の下交差点(国道1号交点)は、点滅制御のため、渋滞しやすい。
#鳴り物入りでプロデビューしたが、練習がおろそかになり、タイトルには届かなかった。
#**神奈川の押しボタン信号が原則、閃光方式になれば事故も減ると思うけどな。山梨や静岡も場所によっては点滅信号が残っているし。
#*少なくとも、休日の御殿場インター周辺に地元ナンバー(富士山or沼津)は殆どいない。
#*起点の上宿交差点から北口本宮を経たバイパス入口の交差点あたりまでもずっと渋滞する。当然裏道も渋滞している。
#**拡幅計画もあることはあるものの、いつ始まっていつ拡がるのかは誰にもわからない。
#通称は「いちさんぱー」
#静岡・神奈川県境の乙女峠からの富士山の眺望は見事だ。
#*この辺はかなりの山道(R137御坂峠より線形悪い)なのに飛ばしまくる。御殿場側は終始ヘアピンなうえに登坂車線も無いから路肩にも避けられない。
#北口と東口の神社がある。
#籠坂越えは富士北麓へのメインルートだが、線形も悪けりゃ見通しも悪い。バスは対向車線へはみ出してくる。
#並行して中央道の支線を建設中。新東名なんか待たずに早く開通させてくれ。
#河口湖へ行く場合は山中湖で分かれる道を忍草に出てずっと直進すると国道137号バイパスを経由して北岸に出られる。富士吉田や河口湖大橋の渋滞を避ける時などにどうぞ。


==国道139号==
;小島英次
#静岡の富士から東京の奥多摩まで結ぶ一般国道。
#東洋太平洋王座を当時の日本最短タイ記録で獲得し、世界王座への期待も高かった。
#*静岡に向かう方が上りで、東京に向かう方が下りだった気がする。
#アレクサンデル・ムニョスの世界王座に2度挑戦するが、最初は2回TKO負け、2度目は奮闘するも10回TKOで力尽きた。
#国道1号の富士由比バイパスから分岐し、南→西→北へと進路を変える。
#その後の再起戦で一度勝っているワエンペッチ・チュワタナにまさかの2回TKO負け。「もう終わった」などの声が相次いだ。
#山梨県内は富士五湖の近くを通るので、観光の車が多く渋滞しやすい。
#そして進退を懸けた仲宣明で勝利し復活を果たしたと思われたが、網膜剥離が発覚したため引退を余儀なくされた。
#東京都内では存在感は薄い。山奥にある上、区間距離も短い。
#*というか、この辺りはほとんど山梨県のような感じ。
#**それでも多摩地区では数少ない国道であるのは間違いないが。
#*後年になって指定された林道同等の道だから仕方ない。
#富士から大月まで指定区間。
#静岡では「大月線」と呼ぶ。
#*とはいえその呼び方が通じるのは富士市、富士宮市だけ。おまけにそれらの地域において「大月線」が意味するのは通常、西富士道路ではなく旧道の方。富士宮市内では今は県道414号線になっている方の道。
#*山梨県人は、静岡県内での「大月線」という呼び方を聞いて逆に驚く。
#*静岡側の住民も、大月へ向かう道だから大月線、という程度の認識でしかなく、大月が山梨県内のどの辺りなのか正確に把握している者は少ない。たまに地図で見て、あまりの遠さ(富士宮市から見て)に驚く。
#大月以北には道路地図に「悪路」と書かれるほどの[[酷道ファン|酷道]]区間を抱える。バイパスが2014年度開通予定。
#*松姫峠の改良は嬉しいが、小菅村中心部をバイパスする道路も欲しい・・・と言ったら世の利権ガーから叩かれそうだ。
#**原始村を通る村道をどうぞ。
#オウムの問題になった旧・上九一色村を通る国道でもある。
#芝桜まつりの会場がさりげなく道路脇にあるのだが、開花シーズン以外はどこにあるのか誰も気づかないだろう・・・


==国道144号==
;小関桃
#長野原で分ける必要があったのか・・・?
#WBC女子世界アトム級17度防衛は男女通じて日本人最多世界王座防衛記録であるが…。
#*[http://explorer.road.jp/jp/haneo3.html 羽根尾国道三起点]を作りたかったお上の遊び心では…? 個人的には史実の144号と145号を統合して上田市起点・沼田市終点の1本の国道・144号にした方がいいと思うが。なお145号は別の国道に割り当てる。
#アマチュア及び海外での実績からB級でプロテストを受けるも不合格となり、C級でスタートとなった。
#県境である鳥居峠付近の勾配は群馬側・長野側でかなりの差がある。
#ウィンユー・パラドーンジムをKOで下しWBC王座を奪取するが…。
#*バッティングの疑いがあり、ウィンユー陣営からの抗議でビデオ判定持ち込まれた。
#**結果、ヒッティングも認められバッティングのみのダメージか確証が得られなかったため、王座奪取は認められたものの、次々戦までの再戦が指令された。
#***ところが、ウィンユーがノンタイトルで敗れ再戦消滅。判定が覆らなかったショックが癒えなかったという説もある。
#以降は防衛を重ねたが、偶然のバッティングによる試合停止が2度もあった。
#宮尾綾香を破りWBAとの王座統一を達成したが、以降は対戦希望者が激減し、ミニフライ級(当時)に上げた。
#黒木優子を破り2階級制覇を達成するもこれがラストマッチになった。
#前述の防衛記録は女子では世界2位の記録でもあったが、こういった経緯や女子ボクシングの国内での不人気さもありほとんど評価されなかった。


==国道145号==
;コング斉藤
#吾妻地域を東西に貫く動脈的存在。
#1970年代にアメリカから逆輸入されたヘビー級ボクサーで、アメリカ時代既に「モハメド・アリと対戦か?」の文字が新聞で踊るなど話題になった。
#*長野原と沼田を繋ぐ国道
#日本デビュー戦では2回KO勝利を挙げるも、相手の無気力ボクシングが発覚したため一転バッシングを浴びる。
#*長野原、沼田ともに国道の拠点。
#その後、名誉挽回を懸けてミドル級の日本人と対戦も、今度は2回KO負け。かえって評価を落としてしまった。
#民主党政権に変わってから何かと話題の「あの区間」を通る国道。
#*この八ッ場バイパス、2011年現在全線開通していない為か長野原草津口駅付近で「←東京方面」という具合に旧道へ誘導される。が、実際はそのまま145号本線まで走行できる(踏切有)。反対側(長野原方面)にはバイパスの案内が一切なされていない。
#**JR吾妻線が廃線になったのでたぶんその踏切も廃止されたんじゃないかな?
#*2015年から吾妻渓谷ルートが通れなくなって残念。「あの区間」のバカヤロー。
#国道144もだが、2016年の大河ドラマを見越してか、「真田街道」と書かれた幟がちらほら立っている。確かに真田氏の出身は上田市の旧真田町、上田城を本拠に移し、岩櫃城や沼田城方面に勢力を伸ばしたのでこのルートを進軍したり行き来していたはず。
#並行するバイパスは上田ではなく北御牧方面に向かってしまう予定。


==国道146号==
;坂本博之
#長野原と軽井沢を結ぶ国道。草津と軽井沢を結ぶ道とも言える。
#「平成のKOキング」と呼ばれ世界ランク1位まで上り詰めるも、4度の世界挑戦は1度も実らなかった。
#起点付近と終点付近は山道。その間に挟まれた区間は北軽井沢の高原地帯を通る。
##1997年7月26日、WBC世界ライト級王者のスティーブ・ジョンストン(アメリカ)に挑んだが、12回判定負け。
#*起点付近から峠の茶屋まではカーブ、勾配ともにきつい。
##1998年8月23日、ジョンストンを破りWBC世界ライト級王座を獲得したセサール・バサン(メキシコ)に挑むが、またしても12回判定負け。
#峠の茶屋を境に北には鬼押ハイウェー、南には白糸ハイランドウェイが平行して走る。
##2000年3月12日、WBA世界ライト級王者のヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)に挑み、初回に2度のダウンを奪うも、2回に王者の左アッパーを受け右目を負傷。
#*前者は嬬恋・万座方面、後者は軽井沢駅への近道。ただし、いずれも有料道路。
##*5回、傷がさらに深くなったところで4度目のドクターチェックが入り、ここで試合ストップ。5回TKO負け。
#*後者はたまに無料になったりする。
##2000年10月11日、セラノを破りWBC世界ライト級王座を獲得した畑山隆則に挑み、初回から一進一退の激しい攻防戦を繰り広げるが、迎えた10回、畑山の連打を浴びたところでダウン。セコンドからタオルが投入され、10回KO負け。
#市を通らない国道である。
#長野県はほとんど通らない。それに軽井沢の大半は群馬だ。
#*いや、両県とも通る距離は同じくらい。


==国道245号==
;桜井孝雄
#意外と短い。
#日本初のオリンピックボクシング金メダリストだが、プロ転向を巡り大学と揉めてOB会名簿からも除外されてしまった。
#*[[水戸市|水戸]]⇔[[ひたちなか市|ひたちなか]]⇔[[日立市|日立]]を結んでいるだけ。
#プロでも自分のスタイルが受け入れられず「所詮アマ出身」とバッシングされた。
#**起点からしばらく51号との重複。
#*苦境を脱するため、ジムの会長が「カエル跳びパンチ」を教えたが、身に付かなかった。
#常陸那珂港をかすめている。
#**その後、後輩である輪島功一のものになった。
#夕刻の日立市内では、中心部へ向えば向かうほど混んでいる。
#2012年、ロンドン五輪での村田諒太の金メダルを見ることなく逝去。
#*国道6号のバイパスには使えない。
#湊大橋を渡りきると、那珂湊きってのローサイド店街を通る。
#原研が有名。
#付近の住民は'''ニーヨンゴー'''と呼ぶ。
#ひたちなか市の245号線沿いには、森三中黒沢の実家がある。


==国道255号==
;高野人母美
#秦野~小田原を結んでいることになっているが、秦野市内はすべてR246と重複。
#プロボクサーとモデルの二刀流で女子ボクシングを背負って立つ存在として期待されるも、世界王座には届かず、その後は引退撤回騒動やファイトマネー未払いとトラブルが相次ぎ、日本を離れてアメリカ西海岸を拠点とするも戦績は芳しくないらしい。
#*実質、松田町から始まる。
#アマチュア時代には発熱でロンドン五輪につながる大会を欠場したこともあった。
#*県道62号か71号でも組み込んだ方が見た目がよさそうだ。
#試合より前日計量のパフォーマンスばかり注目される。
#というわけで単独区間はR246篭場インター~R1小田原市民会館前交差点。
#多数の県道や[[東名高速道路]](大井松田IC)、[[中日本高速道路#小田原厚木道路|小田原厚木道路]](小田原東IC)と接続。
#愛称というか通称は「にーごーごー」。
#新幹線をくぐった直後(広小路交差点)からはこの国道がどこにあるかが分からなくなる。下って行く時の方から見て下り線は直進、上り線は右から合流してくる。
#*そしてこの下り線はどうやら国道ではないらしい。新栄通りという名前だが、おそらくただの市道。
#*あそこは小田原市民以外にとっては恐怖。ナビを見ても判らない。途中で右折があったり一通になったり・・。10回位通ったけど未だに自信を持って255号を走ってるって言えないよ(茅ヶ崎市民)。
#下り線は広小路~大工町通り~銀座通りで国道から外れるが、銀座通り交差点で再び合流。栄町一丁目交差点(スクランブル)で左折し、市民会館まで伸びる。
#道幅は一通区間を含めほぼ全線かなり広い。ただし片側一車線(一通区間は二車線っぽくなっている)。
#なお、多くの区間で(多少距離はあいているが)酒匂川、JR御殿場線と並行する。
#早く小田原東IC~大井松田ICに行くなら西隣の幹線道路を使った方が速い。
#*あの道路何のために整備されてんだろうな?北側は変な所で終わるし


==国道291号==
;田辺清
#前橋~柏崎を結んでいるが、水上~南魚沼間の清水峠は車はおろか人も通ることはほぼ無理。
#日本初のオリンピックボクシングメダリストとして鳴り物入りでプロ転向したが、世界挑戦を目前に網膜剥離を発症したため引退を余儀なくされた。
#*谷川岳が険しいから。
#*群馬県側はまだ登山道として通行可能。新潟県側は一部を除いて登山道としても通行不能。
#**国道291号の清水峠区間の新潟県側は事実上の廃道状態なのに立派な国道291号なので、地図にはちゃんと点線で国道のルートが示されている
#***明治初期に作られた道で、馬車が通れるように勾配が緩やかになるように作られた。開通式には山縣有朋を始めお偉方が一堂に会したが、開通一か月で大雨でいくつも土砂崩れが起き、翌年も雪崩等で被害を受け早々に廃道になってしまったそうな。
#***当時の技術故、沢は今なら橋を渡すところだが源流まで迂回しているので登山道に比べ非常に遠回り。関越トンネルもあるし再開通の可能性は限りなくゼロ。つか、再開通と言っても一から作るのと同等だし。
#***谷川岳ロープウェイ乗り場から一ノ倉沢出合まではお手軽ハイキングコースみたいなもん。緩斜面の上、一応舗装されている。で、最後に一ノ倉沢の景観を見せられてぶったまげる。
#南魚沼~魚沼間は、国道17号のバイパスとして使えるケースもある。
#*魚沼~小千谷間も国道17号と並走するが、この間は道幅が狭いため、交通量が少ないといっても抜け道には不適。
#国道17号の指定解除で単独区間が少しずつ増えている。少しは存在感も増したかな?


==国道293号==
;ピューマ渡久地
[[画像:Kanuma dango3kyoudai.JPG|thumb|長男がやたらでかい「3兄弟」]]
#鬼塚勝也、辰吉丈一郎と共に平成の三羽烏と呼ばれ活躍した。
*区間:栃木県[[足利市]]→茨城県[[日立市]]
#だが、チャコフ・ユーリ(勇利アルバチャコフ)相手に日本王座3度目の防衛戦を前に失踪し、王座剥奪と共に無期限ライセンス停止処分を受けた。
#栃木・茨城間の山越えルートの一つ。
#その後、ライセンスが戻り復帰し、世界初挑戦として勇利と対戦が実現するが、9回TKO負け。
#*足利から日立なら、国道50号→6号の方が断然速い。
#飯田覚士相手に2度目の世界挑戦が決まるも、脳梗塞と誤診されてしまい中止。
#*関東平野の北端を走る。
#通称「ニー・キュー・サン」


;栃木県区間の噂
;新井田豊
#足利市内の渋滞がひどい。
#世界王座7度防衛を果たしたが、微妙な判定も多く、対戦相手陣営に「八百長」と吐かれたこともあった。
#*アピタなどのショッピングセンターや渡良瀬川北の右左折の連続が原因。
#足利学校の隣を通る。
#田沼町(現佐野市)に入ると埃っぽくなる。これは栃木市を経由し、都賀町付近まで続く。
#*砂利だか土砂だか石灰だかなんだか知らんがそういったもの満載のダンプが撒き散らしてんのかな。道路わきの植え込みがまるで火山灰をかぶったかのように真っ白になってるんだもん。ありゃヒドイ。
#都賀町の舗装の悪さはガチ。
#鹿沼市内では国道121号、352号と3重複する区間がある。初めて3つの国道標識を見る人はびっくりするかも。
#*国道マニアのあいだでは、国道の「だんご3兄弟」と呼ばれることもある。
#栃木の県庁所在地宇都宮市も経由するが、実際は山の裾を這うように申し訳程度に進んでいく。
#馬頭町(現那珂川町)から県境区間はかつては峠越えの酷道であった。今はバイパスで橋が整備され、その面影は消えつつある。
#葛生周辺はダンプがよく走っている。
#越床トンネルを佐野市方面へ抜けるとアスファルトなのにワダチが出来ている。


;茨城県区間の噂
;西島洋介山
#常陸太田の渋滞がひどすぎる。
#日本人として珍しい重量級プロボクサーだったが、それゆえに相手に恵まれず試合の度に渡米して帰国して練習が続いた。
#*さらに、北向きの一方通行の箇所がある。
#その後国際タイトル獲得に至ったが、JBCが公認していない世界タイトルだったため、返上を巡りジムを揉めた。
#終点となるのは国道6号でなく、もう少し東にある国道245号の方。
#結果、JBCライセンスを放棄せざるを得なくなりアメリカを拠点とするが、やがて試合枯れが続き、タイトルマッチで2回KO負けを喫し引退。
#平成17年、栃木の今市で誘拐され、殺害された女児の遺体がこの国道沿い(路線は間違いないが、少し山に入ったところだったかもしれない)で発見された。
#その後、総合格闘技に転向したが、5戦全敗で終わった。
#*これ以降、茨城での存在感が増した。


==国道295号==
;畑中清詞
#国道51号線から成田空港までを結ぶ短い国道。
#東海地区初の世界チャンピオンであるが…。
#*所謂、港国道(国道130号、174号等。)を除けば最も短い国道だと思う。
#1988年の世界初挑戦は少年マガジンの表紙を飾るほど期待が大きかったが、大差判定負け。
#**港国道除いたら国道332号が一番短いぞ。しかも空港連絡国道という共通点がある。
#*この試合自体もローブローが多くインターバルに時間を要したため生中継が試合途中で終わってしまった。
#成田空港方面は途中から空港との分岐で一般道側に入れば、松尾横芝ICまで行ける。
#*これにより一度地元での熱も冷めてしまった。
#成田空港に向かう新空港自動車道のスマートインターチェンジがある。
#1991年に2度目の世界挑戦。TKOで悲願の世界王座を獲得したが…。
#*だが、営業時間は10:00~15:00まで。
#*この試合はCBCで中継はあったもののローカルにとどまり、関東で放送のなかった初の世界戦になってしまった。
#*その新空港道と併走しているが、時間帯によっては高速とデットヒートを繰り広げるぐらい流れが速い。
#**この時間、キー局のTBSではなんと綱引きを放送し、深夜も含めて放送予定がなかったが、抗議が殺到したため急遽録画放送を組んだ(ただしメインは竹原慎二)。
#***本人は「綱引きに負けた」と自虐した。
#名前が名前なので中畑清と間違われやすかった。


==国道296号==
;保住直孝
#通称成田街道。
#ビッグマウスで竹原慎二や寺地永らを何度も挑発していたが、全く相手にはされなかった。
#八千代~船橋の渋滞が激しすぎる。千葉県の道路行政がいかに貧弱であるかを象徴するような道。
#現役時代から何度も逮捕されており、結局はボクシング界から永久追放された。
#*新木戸と工業団地入口はラジオの交通情報でも常連のワード
#**短いけれど起点付近の成田街道入口~中野木(上り)も、県道69号、8号と合流するのでいつも混んでいる。
#*佐倉→成田→その先、と田舎方面に行くに連れてまともな道になっている気がする。
#県道8号線と重複させる意図が不明
#*推測だが、国道の起点は(上級の)国道上に取るような決まりがあるのだと思う。この場合は14号。県道から昇格した時期の問題なんかも絡んで、中野木までは重複しているのでは?


==国道297号==
;宮崎亮
#路線上は館山~市原であるが、実質は勝浦~市原。房総半島横断国道の一つ。
#2012年の大晦日、盟友井岡一翔が返上したWBA世界ミニマム級王座を獲得した。
#*紀伊半島の国道168号みたいな感覚
#その後、ライトフライ級に上げたが、それにもかかわらず減量に苦しみ、2013年大晦日の転級初戦でKO負け。
#市原市を南北に横切り、ほぼ小湊鉄道に沿う。市原市の奥深さとゴルフ場の多さを感じられる国道。
#2016年に2階級挑戦、田口良一と手を合わせるも大差判定負け。
#*山中の途中地点で目立つのは圏央道市原鶴舞ICと大多喜のロードサイド店くらい。
#翌2017年の引退直後、公務執行妨害で逮捕。
#圏央道の開通で市原鶴舞以西の高速バスの通行が無くなった。


==国道353号==
;村田英次郎
#桐生と柏崎を結ぶ道だが、四万温泉~苗場が不通。
#世界タイトルに4度挑戦しいずれも失敗したが、うち2度は引き分けで涙を飲んだ。
#*ただし、実際に始まるのは[[群馬/東毛#みどり市の噂|みどり市]]から。そこまでは[[国道122号]]の影に隠れている。
#**赤城山の南麓を通る。ちょっと幹線としては北過ぎるがトラックは少なくない。
#下手すると、「[[渋川市|渋川]]から[[群馬/北毛#草津町の噂|草津温泉]]へ行くときに通る道」ぐらいの認識でしかない。
#*しかし、草津に行く道は中之条から145号へと変わり、353号は四万温泉へと向かう。
#*渋川を過ぎて145号を分けるまでは準高速扱い。
#分断区間の端点はダム(群馬側)とスキー場(新潟側)。
#*スキー場は閉鎖された。現在は本当に何もない。
#十二峠の十日町側ではスノーシェッドの損傷により片側交互通行が続いている。それにしても線形のわりに車の多い道だ。
#*沿線に奇勝清津峡を抱えるのが大きいのだろうか。
#上越新幹線を下をくぐるのに雪覆いを設けている。トンネルの外郭が地上に剥き出し。
#清津峡まで下りてしまえば快適な道。十二峠越えは古いスノーシェッドとそれに覆われたヘアピンに苦しめられる。
#それ以前に、途中で東に逸れて峠を越え石打に出てからまた二居で清津川沿いに戻るというのは、川に沿ってずっと上がれないほどあの岩壁は続いているのか。
#こんな道だが、沿線に道の駅がわりと多い。


==国道355号==
;矢尾板貞雄
#千葉県香取から茨城県笠間を結ぶ国道。霞ヶ浦(西浦)の東岸を南北に貫いている。
#当時の世界王者パスカル・ペレスにノンタイトルで勝利し、日本人2人目の世界王者として期待された。
#基点が国道125号と同じ場所に存在し、さらに潮来市内までは国道51号と重複しているため、実質的な基点は国道51号との交点の潮来市永山である。
#後にそのペレスの持つ王座に挑んだがKO負け。
#茨城県内の国道のでは非常に地味な存在ではあるが、県中央部(友部)付近から鹿行方面へ一番最短距離で移動できる。
#2度目の世界挑戦へ向けて強豪との対戦を繰り返し、ポーン・キングビッチへの挑戦が決まるが、師匠とのトラブルのため突如引退してしまう。
#石岡市内の一部と終点近くの笠間あたりで渋滞するくらいで、基本的には渋滞とは縁遠い。
#*ただし潮来方面から北上の場合の6号との交差手前の渋滞はどうしようもない。
#石岡~笠間は常磐線に沿う。
#*この区間ではバイパス建設が進んでいる。
#石岡の恋瀬橋に近い側の道は以前は有料道路となっていた。
#一部、30k制限の箇所がある。


==国道356号==
;渡辺二郎
#千葉県銚子市から利根川沿いに走り、我孫子市まで結ぶ。ほぼ成田線に沿っている。
#パヤオ・プーンタラットとWBA・WBC統一戦に挑むはずが、両団体の当時のルールの違い(WBAはまだ15ラウンド制だった)を理由に統一戦とは認められずWBA王座を剥奪された。
#利根水郷ラインという愛称が付いているけど、我孫子の一部で重複していない。
#引退後、裏社会に足を踏み入れ、島田紳助引退や羽賀研二が「稀代のワル」となる原因を作った。
#香取から栄は堤防に沿っているため、スピード違反に注意が必要。
#*このため、世界チャンピオン会から除外されている。
#*堤防には自転車道が併設されているが、こちらは国道ではなく千葉県道409号だったりする。残念ながらおにぎりと六角形が横並びしているポイントは見つからず。
#**その自転車道は佐原から我孫子を結んでいるもので、佐原から銚子を結んでいる自転車道も別にある。
#佐原以東は急激に規格が落ちていく。ここから銚子までは実に長丁場。
#我孫子駅近くのループの規制速度は国道においては最低の20km/h。
#銚子までの区間にぶつ切れ途切れ途切れに造られたバイパスはいつまで経っても繋がらない。


==国道357号==
====外国人====
[[画像:R357-00.jpg|frame|葛西臨海公園付近にて]]
;ジゼール・サランディ
#千葉市から横須賀市までを結ぶ、実は海岸線側の16号線的道路。
#トリニダード・トバゴ出身の女子プロボクサーで、プロでは無敗を誇りWBA・WBCを含む幾多の世界王座を獲得したが・・。
#[[羽田空港]]から川崎・東扇島を通って大黒ふ頭までなど、壮大な未開通区間があり、今世紀中の完成は絶望的。
#2009年1月4日、自動車事故に遭い、21歳で帰らぬ人になってしまった。
#*ところがこの路線の整備が川崎自動車公害訴訟の[http://www.kirihara.co.jp/scope/MAY99/tema.html 和解条項に組み入れられている]ので、国としては何がなんでも進めなくてはいけないはずだが、さて?
#*免許こそ持っていたものの普段は自分で運転せず運転手を雇っていたが、この時は自分で運転していて事故に遭ったとか。
#**困ったときの秘密兵器、大深度地下だろ~! これで、交通量増えても空気汚染されないみたいな事を言って有耶無耶にするでしょう。
#***国側は空気汚染どうこうの問題より、工事着工の資金が不足しているのだと思われ。羽田~大黒間は早く開通して欲しい。
#***13号地~[[東京/品川区#八潮の噂|大井埠頭]]間も未開通、だけど臨海トンネルで迂回可
#****若洲と中央防波堤を結ぶ橋が建設中。
#*****でも現状の357号からあの橋へは直接入れないので新木場の交差点が地獄になりそうだ
#***大深度地下って言っても埋立地だから基本的に移転とかあるわけじゃないしなぁ・・・未開通区間はほとんど海上だったり川や運河だし。そもそもアクセスの高速だけあればよくね、って地域ばかり。
#船橋市内は毎日渋滞。並行する国道14号も混むので、急ぐ場合は東関東道か京葉道路を使ったほうが良い。
#*というより、あの界隈ではこの国道が最もマトモな道に見えるほど幹線道路事情が劣悪
#神奈川県内の道路整備が進み、大黒ふ頭~金沢八景まで1本で繋がった。
#*故に横須賀や金沢区からはこの国道を使えば、川崎駅や羽田空港へは早く行ける。
#*八景島より南はいつまで経っても構想が進められない・・・あんないい道をいつまでただの乗降スペースにするつもりなんだ。
#**まぁようやく横須賀市が動き出したので、事業化自体はだいぶ近づいたかな?
#レインボーブリッジは封鎖できなかったがこの道は封鎖できた。
#東京都区間はそろそろ全線開通が見えてきた。
#*そうなると湾岸環八ランプ~千葉県まではほぼ1本道で行かれる。
#磯子駅~三渓園あたりまでは無信号区間で意外と快走に走れる。
#*この国道で一番快走に走れるのは実は神奈川区間だったりする。


==国道407号==
;マイク・タイソン
#区間:足利~入間
#少年時代から素行が悪いことで知られていたが、1990年に東京ドームでジェームス・ダグラスにプロ初黒星を喫してからが特に残念だった。
#通しで走る人はまれ。
#*その翌年に強姦事件を起こし3年間服役。
#*たいていの国道は通しで走る人ってまれだろ。
#*1997年のイベンダー・ホリフィールド戦2で相手の耳をかじり失格。
#神奈川や多摩から西埼玉、群馬方面に向かうときによく使われる。
#*引退後も2度逮捕された(1回は執行猶予、1回は不起訴)。
#東松山~太田区間はパトカーや白バイが多い。
#起点からしばらく国道299号と重複。
#なぜか日光街道の愛称がある。それに関連し、並木も存在している。
#坂戸バイパス(鶴ヶ島~坂戸)・東松山バイパスの北半分・熊谷警察署以北は片側2車線。他は片側1車線。
#熊谷市内で[[国道17号]]と重複。この区間では熊谷警察署前が渋滞のメッカ。
#*ここが渋滞している場合はこの国道を通しで行くよりも旧道(県道83号線)を通った方が太田方面~熊谷方面を早く通過できることがある。
#太田市内は車ディーラー密集地帯。
#*[[現代財閥#現代自動車の噂|某韓国メーカー]]は死んだ。
#栃木県区間は'''たった数百m'''。
#*勿論、車線数は変わらない。
#日高市内の拡幅未了区間が厄介。
#東松山市内は標識通りに行くと途中で県道を介さないと行けないシステム。


==国道408号==
;タノムサク・シスボーベー
#千葉県成田市から茨城県を経由して、栃木県高清水町へ至る国道である。
#世界王座に3度挑むもすべて失敗、中でも鬼塚勝也との2戦は「疑惑の判定」に泣かされた。
#*え?高根沢町じゃなかったっけ?
#それより前にも松村謙二に「疑惑の判定」で東洋太平洋王座を追われてしまった。
#牛久北部からつくばまでは牛久学園通、西大通、東大通の名称がつけられている。
#*この区間でさえ、指定区間外である。
#125号と合流した後、栃木の真岡に入るまで、標識上に表れない。
#つくば~下館間は[[国道125号]]、下館~真岡間は[[国道294号]]に隠れている。
#*さらに宇都宮市の一部では[[国道121号]]が隠れている。
#**125号は下館通ってないから、これは「つくば~下妻」(125)、「下妻~真岡」(294)だよね。
#***ありがちありがち。
#*当時建設大臣だった県選出の国会議員のせいで、つくば~筑西を結ぶ県道14号線が国道に昇格できなかった
#成田市-つくば市間はとても国道とは思えない。
#*+10番の某国(いや酷)道よりは・・・
#**あそこは別格だ…
#つくば市の交差点にある珍来の存在感は異常。


==国道409号==
;ルイス・ネリ
#川崎の溝の口から成田を結ぶ道路らしいがそんなルートを使うドライバーは殆どいない。
#山中慎介のWBC世界バンタム級王座を奪うが、ドーピング検査で陽性に。
#*というより溝の口~成田なら首都高3号線~中央環状線~湾岸線~東関東自動車道で行く方が普通。
#*だが、処分は課されず、代わりに再選が命じられた。
#**大抵の人は第三京浜廻りするんでは?
#こうして再戦になるが、今度は体重超過でベルトを剥奪。
#東京湾アクアライン
#*試合は山中を返り討ちにするも、日本のリングから永久追放、WBCからも処分された。
#*千葉県に入ると圏央道と概ね並走
#**これらの件で日本では「悪童」と呼ばれるようになり、井上尚弥も「信用に値しない」と対戦拒否。
#川崎市内は246号から離れていくと道路事情が良くなる。
#処分明けに再起を果たすが、ファン・カルロス・パヤノ戦であわや体重超過。
#木更津市金田にあるベイシアの交差点(千葉県道87号袖ヶ浦中島木更津線との交差点)は、茂原方面からアクアライン方面へ行く際一度左折して87号線に合流してから再度右折しなければならない。その上、87号線との合流部が2車線+2車線=2車線で右折レーンも1レーンという欠陥構造。このため渋滞や事故が起こりやすく、土休日の夕方は大渋滞で右折車が直進レーンまではみ出す状態になっている。
#次のエマヌエル・ロドリゲス戦でまた超過をやらかし、相手より試合を拒否される。
#かつては山道を外房へ向かう高速バスもよく通っていた。
#スーパーバンタム級に階級を上げ、WBC2階級制覇。
#[[京浜急行電鉄/路線別#大師線|大師線]]踏切が未だにガン。踏切の地下化は中止されたのでこの地獄は永遠に続く。
#ブランドン・フィゲロアとWBA・WBC統一戦に挑むが、KO負け。
#*その付近では正月の1月1日~3日は川崎大師関連で交通規制も行われる。
#*日本からは「ざまあみろ」の声が多数。


==国道410号==
;サーシャ・バクティン
#館山から木更津へ向け、房総半島を縦断する国道。
#協栄ジムでプロとなったロシア人ボクサーで世界チャンピオンの期待も高かったが…。
#初期の頃は鴨川と君津の境など酷道区間があった。
#日本王座獲得後、六本木の路上で傷害事件を起こし逮捕。示談は成立したものの資格停止処分とともに王座も返上。
#*低い山だから大丈夫だろうと思って走るととんでもない目に遭うこともあった。
#一度解雇になった協栄に復帰するも、沖縄ワールドリングに移籍。
#そんなわけで現在は県道の房総スカイラインに役目を奪われている。
#プロでは負け知らずで、帰国後にマイナー王座のIBOは獲得したが、健康問題のため引退。
#房総半島の先端を占めるが、扱いはやっぱり雑。県道の方が整備されている区間が長い。
#「長谷川穂積や亀田興毅もサーシャには勝てないだろう」と対戦を希望するファンも多かったが、ともに実現しなかった。


==国道411号==
;エドウィン・バレロ
#八王子市から青梅市を通って甲府市に至る国道。
#生涯戦績27戦全KO勝利という完璧な記録を持っていたが…。
#*八王子市民は青梅までの道路だと思っている。
#コカインやアルコールに依存し、妻をDVの末殺害し逮捕。
#通称、滝山街道。
#その後、警察の独房で自殺。
#*青梅市友田~古里駅前は「吉野街道」、古里駅前~奥多摩方面は「青梅街道」。
#*山梨側は大菩薩ラインと変わる。
#片側一車線なので混む日が多い。
#*圏央道ができてから多少マシになった。
#*それでもって路線バスやトラックが多い。
#*バスやトラック同士が普通にすれ違えないため、それらがすれ違う度に後ろが詰まる。
#バイパスの新滝山街道を整備しているが、供用されているのは道の駅周辺と戸吹~サマーランドだけ。
#*遺跡発掘のため、建設が大幅に遅れているらしい。
#**2013年3月16日全線開通しました。
#*八王子IC側の道路は少し西に伸び、途中に[[創価大学]]のバス停がある。
#八王子方面からあきる野市に入ると、眺めが良い。
#加住町の辺りからは創価大学が見える。
#東京と山梨の県境付近にある「柳沢峠」から見える富士山は超・絶景。
#*近くに有名な花魁淵がある
#**一之瀬高橋トンネルの開通により花魁淵付近の道路は旧道になりましたが、厳重に封鎖されているので徒歩でも近づくことができなくなってしまいました。
#*県境は峠ではなく、深山橋(139号の終点直前にある橋)近くの丹波山村側の沢に架かる橋上です。
#**都県境と峠は約25km離れています。
#*峠前後は本当に何もない。携帯の電波も入らない。慣れない人は夜に走らない方がいいかも。
#道路の整備状況は概ね山梨>東京
#*東京側は全体的に幅員が狭く、青梅以西は30キロ制限の箇所が多い。
#**対岸に高規格道路を建設中。50km/h制限のため取締りも多い。元々多いが。この道を通ると日原には行けないので注意。
#国道16号~あきる野間はバイパスを国道411号にした方が良いと思うが。


==国道412号==
;フロイド・メイウェザー・ジュニア
#平塚から中央道の相模湖ICに至る国道。
#プロ戦績50戦50勝で世界5階級制覇、PFPでも最強と言われたが…。
#だが平塚から厚木まで129号と重複しているため誰も気づかない。
#とにかく素行の悪さは折り紙付きで犯罪歴が多く、世界王座に君臨していた時に収監されたことも。
#厚木から先、しばらく3車線の道路を走ったかと思うとどんどん道路が狭くなり、やがて車窓から見える風景が郊外から田舎に変わり、そして山道に……。
#「勝てない相手とは戦わない」と公言している。
#*小鮎川を超えると店がなくなる。
#*極力弱い相手としてやらないチャンピオンは少なくないが、公言しているだけいいのか悪いのか…。
#湘南地区から山梨方面への最短ルート
#第一線を引いてからはボクサーじゃないのとエキシビションを重ねるが、とにかく茶番だと叩かれてる。
#*最近は圏央道開通で少し薄れつつあるが…。
#甲信方面から帰宅する神奈川県民ドライバーの多くは相模湖駅前でこの道へ逸れる。
#相模湖プレジャーフォレスト(旧名称:相模湖ピクニックランド)はこの道沿いにある。霧のイルミリオンはどんなイルミより幻想的だ(と、思う)。
#三ケ木~青山までは国道413号と重複する。
#*三ヶ木で交通がガラッと入れ替わる。バスも入れ替わる。
#愛川町で一旦下へ降りてまた上る。でかい橋でもかけてくれればいいのに。
#日曜日は宮ヶ瀬ダムへの来場客がいっぱい。しかしその中にはなぜか走り屋の姿もあるという。
#*ちなみに東名厚木ICに直結しているが、ここから宮ヶ瀬へ行くなら県道で清川村中心部を回った方が速い。途中狭いが道志方面へもこちらが早く行ける。
#最終的には津久井広域道路によってバイパスされる。なお全通の目途は全く立っていない。
#*それは寧ろ413号線の話では?特に青山~橋本五差路の区間。
#**計画上は412号を越えてさらに相模湖IC付近まで続いているんですよ。相模湖駅前の様相を考えれば完成したら交通事情もだいぶ変わるはず。
#相模ダム周辺区間では妙な古めかしさがある。見た目よりは新しいはずなんだけど。


==国道413号==
===プロレス===
#山梨県富士吉田市から神奈川県相模原市まで続く国道。
;アジャ・コング
#*山梨県内では道志みちと呼称されている。
#本名が宍戸江利花なので、フジテレビの「めちゃイケ」でエリカ様をやる羽目になってしまった。
#**山梨県内と言うより青山~山中湖の区間が道志みちと呼ばれているが。
#相手に裏拳を当てた後、フォールしようとしたら、相手に丸め込まれて、3カウントを取られてしまったことが何度もあった。
#***山梨県の地名を名乗る割には神奈川県区間もけっこう長い。R411と同様県境は橋(道志川本流を渡る両国橋)の上。
#首都圏から富士山ないし山中湖への近道。
#*ツーリングコースとして人気が高い。
#*山中湖方面は中央道より速いことがあるが逆は渋滞多し。
#国道412号と交差するまでの区間は、夜走ると怖い。(街灯が少なく、神奈川県内は狭路・急カーブが含まれている。)
#神奈川県側に1.5車線区間があり、ちょっとした酷道。
#*実際通ったとき結構ノロノロ運転だった。
#*ただしあれでも昔の様相と比べると整備状況はそれこそ天と地ほどの差だったらしい。
#週末になると相模原市内の渋滞が酷くなる。
#*休日の城山ダム周りは渋滞してしょうがない。
#道の駅があり、それなりの人入りである。
#南岸の旭ヶ丘から来た時、平野の交差点で手前の道へ右折してしまうと三国峠、果ては神奈川県の最奥地へ連れて行かれる。
#現在、津久井広域道路と言う名目で相模原~青山間の413号のバイパスを作る計画が存在している。
#*但し、現在は橋本五差路~県道65号の区間までしか開通していない。最もこの道から長竹三差路を介して青山で左折すれば道志みちに出られるが。
#この道はバイクなどで賑やかだが、山一つ隔てた旧秋山村の県道は交通量も少なく快走路。たまにはいかが?
#夜はかなりの無法地帯になることも多々。


==国道461号==
;垣原賢人
#栃木の日光~茨城の日立
#現役期間中に所属した所属団体が、崩壊・分裂・経営不振などといった良くない事態に陥るというジンクスがある。
#*以前は高萩が終点であった。
#*新生UWF→デビュー直後に分裂。
#**常磐線の踏み切り回避のため。
#*Uインター→新日本との対抗戦で佐々木健介を破り名を上げるも、1996年12月に崩壊。
#茨城県の常陸太田がきつい。区間は短いが酷道の要素を含んでいる。
#*キングダム→後輩の桜庭和志や金原弘光らの台頭に影が薄くなり、1998年2月に解散。
#*は旧水府村と旧里美村間の峠付近のことですね。幅員が1車線+αしかないため、すれ違いは無理です。対向車が来ないことを祈りましょう。
#*全日本→三沢光晴率いるアンタッチャブルの一員となって活躍したが、2000年6月に分裂。
#**ただでさえ狭いわ暗いわ(森の中を走るので)勾配きついわで充分酷道と言っていいと思うが雨が降るとこの区間はそこらじゅうで路面が川状態になるので要注意。予備知識なくたまたま入り込んで死ぬかと思ったぞ。
#*ノア→フロントへの不信感を募らせ、8月の旗揚げ戦で大森隆男を一方的に叩きのめして、そのまま退団。
#**この区間を通る車両はほとんどが猪鼻峠(県道22号)を通る(ここも決していい道ではないが、すれ違いは十分に可能)。
#**垣原は引退直前のインタビューで「試合後、大森から『ああいうのはボクは出来ない』と言われ、自信を無くした。小橋さんらが真剣に相談に乗ってくれてありがたかったが、本当はこの世界を辞める気でいた」と語っている。
#*栃木の那珂川町内も酷道区間あり。こちらも周辺の県道へ迂回した方が無難。
#*新日本→ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで優勝を果たしたが、怪我を繰り返し2006年4月に引退。
#**ここは生活道路の感がある。
#昆虫採集が好き過ぎて、ブラジルや北朝鮮の密林を探索しようとしたことがある(いずれも断念)。
#*てな訳で酷道入門編としては絶好かもしんない。ただし民家の鼻先をかすめるところもあるので'''地元民には絶対迷惑かけるな。'''
#起点付近は片側2車線と豪華。
#常陸大子駅周辺は商店街のすり抜けを強いられる。大型車などにとってはかなり窮屈。


==国道464号==
;剛竜馬
[[画像:R464は高速道路ではない.jpg|thumb|right|240px|高速道路ではありません]]
#1972年に国際プロレスでデビュー。翌1973年には早くも海外に武者修行に出され、[[カナダ]]では新日本の吉田光雄(後の長州力)をタッグを組んだこともある。
#千葉の松戸から同県の成田まで続く道
#1976年に凱旋帰国。ファン投票で「剛竜馬」という新たなリングネームを名乗り、国際の次代のエースとして期待されていたが…。
#北総鉄道が中央分離帯の役割を果たしている箇所が有名。
#*金銭面の不満から1978年5月に国際プロレスを退団し、新日本プロレスに移籍。
#*地元の通称は「100m道路」。でも片側2車線。
#移籍後に藤波辰巳とWWFジュニアヘビー級王座のタイトルを懸けて2回戦ったがいずれも敗れ、翌1979年前半は海外遠征に励んだ。
#*線形と流れは良好。
#*前回のタイトルマッチから約一年後の10月2日の大阪大会で逆さ抑え込みで藤波から初勝利を挙げたが、2日後の蔵前でのリターンマッチに敗れ2日天下に終わってしまう。
#**バイパス区間に至っては信号もなく、'''この道路は高速ではありません'''とご丁寧に書いてあったりする
#**この二連戦以降、剛は藤波を生涯のライバルと定め、1980年に新日本に入団。
#***でも車線境界線は 8m + 12m で1セットの高速道路仕様。
#しかし新日本入団後はなかなか日の目を見ず、前座戦線が定位置となってしまう。
#*電車がこちらを追い抜いていくさまは鉄ちゃんにとって中々の見物。見物したい場合は左側車線を走りましょう。急ぐ車に右車線を提供汁。
#*1981年にはテレビ朝日のドラマ『警視庁殺人課』にレギュラーとして出演していたが、第13話を最後に途中降板となってしまった。
#松戸市内は渋滞がよく起こる。
#その後、新日本の内部対立から発生したUWF(第1次)の旗揚げメンバーとして名を連ねたが、ラッシャー木村と共に4ヶ月で退団。
#*狭い上、踏切が多い。この辺りは市道レベル。
#*UWFへの参加もラッシャー曰く「新間(寿)さんへの義理で参加していただけ」とのこと。
#*印旛日本医大より東側も貧弱道路。中央線が無い区間もある
#1984年11月には全日本プロレスに移籍。元国際のメンバーで「国際血盟軍」を結成したが、選手事情もあり1986年に人員整理の一環として解雇されてしまう。
#**成田スカイアクセスに沿って高規格道路を鋭意建設中。しばしの間お待ちを。
#その後は建設内装業の下働きやアメリカのAWA参戦・1シリーズだけの全日本スポット参戦を経て、1988年に「パイオニア戦志」の設立を発表。
#***北千葉道路の延伸で印西市内の現道は指定を外れた一方、成田の北須賀より東側は国道のまま。
#*翌1989年4月30日に旗揚げ戦を行い、物珍しさから後楽園ホールを満員にしたが内容はボロボロ、来賓に来ていた藤波からは酷評を受けてしまう。
#成田からトレースを続けた場合、起点側には行けない箇所が松戸にある。
#1990年からは「パイオニア軍団」として新日本に参戦したが評価は厳しく、12月の藤波とのシングルマッチを最後に業務提携を終了。パイオニア戦志も活動休止となってしまう。
#R6東京方面より松戸隧道交差点をR464へ入る場合、R464へ入る車がR6の中央寄り車線をふさいでしまうのでR6側で渋滞が発生する。あそこは右折禁止してその2つ先の交差点「七畝割」から入って迂回するのが吉。距離的にも殆ど変わらないしいくらか時間短縮できるし、それに後続車にも迷惑をかけずに済む(ここ重要)のでお勧め。
#*藤波とのシングルマッチ直前の週刊ゴングのインタビューで剛は「俺にはプロレスしかないから。プロレス無しでは生きていけない、'''プロレスバカ'''ですよ」と語っていたが…。
#*というか起点が中途半端。その七畝割交差点を起点にした方がすっきりする感じもする。
#*一時期、パイオニア戦志をSWSに吸収合併する話もあったが、選手会のほぼ全員から反対を受けて頓挫。
#**んで、七畝割を起点にしたら今度はそこが渋滞するので手前の松戸隧道交差点で右折した方が(以下略
#パイオニア戦志の活動休止から1年半後、新たなスポンサーを獲得し1992年に「オリエンタルプロレス」を旗揚げ。
#***七畝割は右折専用レーンがあるけど松戸隧道交差点の北行は'''右折専用レーンがない'''の。右折禁止にはなってないけどあそこで右折しようとする奴の気がしれない。もちろんあそこがなぜ右折可なのかは歴史的経緯も含めて知ってるけどさ(ヒントは左から合流してくる細い道)。まあトンネル北側の陣ヶ前交差点が上下線ともなぜ右折禁止になってるかを考えればわかりそうだけど。
#*「出前プロレス」や「ほっかほかビデオ」などのユニークな企画で当初は好調だったが…。
#新鎌ヶ谷から印旛日本医大までは渋滞もなく快走路だったが、ここ数年、千葉ニュー中央や牧の原あたりにショッピングモールや大型店が多数進出してきたため渋滞するようになった
#**剛が海外遠征の利益をピンハネしていたというスキャンダルが発覚し、選手会から永久追放処分を受けてしまう。
#*そのため、バイパスが開通した。
#1993年8月にはたった一人で「剛軍団」を結成したが、執拗に再戦を要求した藤波からは「二度と名前を出すな」と絶縁宣言を受けてしまう。
#**が、蓋を開けた途端に欠陥だらけであることを露呈にしてしまったらしい
#*そんな中、旗揚げ1周年の後楽園大会で試合中に何度も「ショア」と叫び、試合後のマイクで「私はプロレスしかできない'''プロレスバカ'''です!」と発言。客の喝采と「バカ」コールを浴び、プロレスマスコミでも大々的に取り上げられた。
#***大々的に取締会(取締役会ではない)やっていることがあります。スピードの出しすぎにご注意!!
#*これ以降、プロレス界でちょっとした「プロレスバカ」ブームが起き、テレビ朝日の「リングの魂」にも数回連続で出演。
#****楽しく走る貴方。バイパス部の橋脚下に居る白馬の王子様にもし声を掛けられたらラッキーかも。サインと国への募金が出来て、運が良いと「30日間(または以上)車に乗らなくて良い権利書」が貰えます
#*1995年4月2日に東京ドームで行われたオールスター興行「夢の懸け橋」の第4試合にも参戦し、試合後には観客席から「ショア!」「バカ!」という掛け声が鳴り響いた。
#*****大爆笑。とんだ大特典だこと。というより、いらん!!!!
#この勢いで個人プロダクションの「冴夢来プロジェクト(冴夢来プロレス)」を1996年に設立。
#2016年12月、ようやく外環道~新鎌ヶ谷駅近辺に関し概要発表。一部有料道路での建設と。なんでもエエからはよ造ろうや。
#*新人の育成・弁当付きの無料興行など太っ腹な企画で話題を呼んだが、金の使い方を巡ってスポンサーと衝突、1年程で呆気なく崩壊してしまった。
#*外環のJCT予定地には分流部の準備工事がされているが、それが活かされるのはいつの日か誰にも分からない。
#様々なトラブルで90年代末にはプロレス界からは完全に干され、上がれるリングは国際の先輩だった鶴見五郎率いる国際プロレスプロモーションぐらいしかなくなってしまった。
#2017年2月、印西市若萩~成田市北須賀間延伸。曲がりなりにも印旛沼にやっとこさ届いた。暫定二車線区間の四車線化はいつの日になることやら。
#*2001年には鶴見の計らいで引退試合が組まれたが、ギャラに納得できない剛がドタキャンし、本人不在のままテンカウントゴングが鳴らされる前代未聞の引退試合に。
#*成田の北須賀から東側、成田市街地や51号・空港に出るまでの現道がえらい貧弱のままで、道路状況の割に交通量も多いため危険。
#2003年にはひったくりの疑いで逮捕され(本人は否認)、更に[[東京スポーツ]]がこの報道に合わせて、2001年に剛がゲイビデオに出演していたことを報じた。
#**せめて北須賀交点までは4車線化するべきだったと思う。
#*このゲイビデオ出演は、CSの番組で新日本の田中リングアナが既に存在を示唆していたり、週プロの投書欄で「剛竜馬が信じられないようなビデオに出演している」という噂が立っていたため、少なくともプロレス関係者の中では周知の事実だったと思われる。
#***この辺りは現道が酷すぎたので、暫定2車線で開通しただけでもかなりマシになったレベル
#*剛本人も後に「自分の体で稼ぐことの何が悪いのか」とゲイビデオ出演の事実をあっさり認めている。
#*北須賀延伸から遅れること2年、成田の土屋の近くまで延びて成田市街地・空港へのアクセスが相当楽になった。
#釈放後は更にボロボロになり、零細団体のエース格となったが1年後に団体が自然消滅。
#**次は是非西行き車線を造ってほしい。土屋近辺から北須賀を抜けて若荻まで。早急に頼む。土屋~成田ICより多分、というより絶対に工期は少なくて済むはずだから・・・。
#*半引退状態を経て2006年にDDTで復帰戦が組まれたが、過度の飲酒で身体は無惨なほどに衰えていた。
#くぬぎ山交点ではどちらの方向に行っても踏切に引っかかる。
#*2009年には若手の時の剛と顔が似ている竜剛馬というレスラーと夢のタッグを結成したが、もうこの頃になると立っているのがやっとという状態だった。
#*そのうち、新鎌ヶ谷駅方面は新京成の立体化で解消予定。
#生涯最後の試合の約1ヶ月後の10月7日、自転車を運転中に交通事故に遭い、その際開放骨折した右手首の傷口から入った細菌が原因となり、敗血症のため53歳という若さで死去。
#**しかもこの交点付近にある新京成は西へ回る構造となっている。
#**踏切が全くないのは市道方面だけ。それ以外は現時点では県道含めて新京成の踏切がある。
#初富交差点を新鎌ヶ谷方面から来ると右折禁止を食らい、国道464号松戸方面にはいかれない。よって、全線走破するには成田方面から行かないと全線走破できない。


==国道465号==
;ザ・コブラ(ジョージ高野)
*区間:茂原市~富津市
#デビュー戦がざんねんだった。
#番号からもまるわかりの新設国道。全線にわたってすれ違いもろくにできない区間が点在する。
#*1983年11月3日に蔵前国技館で行われたザ・バンピート(デイビーボーイ・スミス)戦で日本デビューを果たしたが、スミスが技を受けようとしなかったり、トップロープ越しのノータッチ・プランチャーを仕掛けたがスミスがかわして鉄柵と床へ激突、両膝に大ダメージを受けてしまった。
#木原線の不通区間を結ぶが、この区間だけ異様なほど未改良なのは狙ってやってるに違いない。
#**このデビュー戦は後日ワールドプロレスリングで中継されたが、途中からはダイジェストになっていた。
#***プランチャーを仕掛けたシーンはカットされている。
#その後ジュニアヘビー級の二冠王(NWAとWWF)となったが、団体の都合や業務提携の解消から1985年に2本とも返上。
#*新設されたIWGPジュニアヘビー級王座には二回挑戦したが、二回ともタイトルを獲得できなかった。
#**1回目は越中詩郎に敗れ、2回目の高田延彦(当時伸彦)戦は両者リングアウトでタイトルは移動せず。


==国道466号==
#[[東京の道路交通#環八通り(都道311号)|環八]]&[[第三京浜道路・横浜新道#第三京浜道路の噂|第三京浜]]。


==国道467号==
;ジャイアント馬場
#[[神奈川]]県[[大和市]]から[[藤沢市]]に至る一般国道である。
#説明不要、『世界の巨人』。故に残念エピソードもダイナミック。
#県道時代からの通称である藤沢町田線と呼ばれることが多い。
#ある日の試合中、トップロープから攻撃しようとしたら、足を滑らせ、トップロープに股関を強打した。
#いつも渋滞する。
#*ちなみに、その試合は日本テレビで生中継され、全国のお茶の間に流れてしまった。
#皆さんは「町田街道」と呼びますか?「藤沢街道」と呼びますか?
#*「町田街道」と言えば[[東京の道路交通#町田街道(都道47号)|八王子から町田を通って246に行く道]]だと思う。by八王子市民
#**沿道住民がどう呼ぶかって事でしょ。それを言ったら「鎌倉街道」なんか関東のいたるところで「ウチんところにあるのこそが鎌倉街道!」ってなっちまう。ちなみに俺の場合は藤沢に住んでた時は「町田街道」、大和に引っ越してからは「藤沢街道」だったな。
#***かつては高尾から町田市辻通って藤沢まで町田街道って言われていたような…。


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;スーパー・ストロング・マシン
{{一般国道}}
#当初は「キン肉マン」をモチーフにしたレスラーになる予定だったが、作者(ゆでたまご)や集英社の了承を得ていなかったため、ボツとなっている。
[[Category:国道|*かんとう]]
#1985年の熊本での試合後に、藤波辰巳(当時)に「'''お前平田だろ!?'''」と言われてしまった。
[[Category:関東地方|こくとう]]
#1994年のSGタッグリーグに蝶野正洋とタッグを組み出場。
#*優勝決定戦(VS武藤敬司・馳浩組)では試合の終盤に自らマスクを脱ぎ、孤軍奮闘したが武藤のムーンサルトプレスを喰らいフォール負け。
#**試合後、リング上で「'''こんなしょっぱい試合ですいません!'''」とファンに謝罪した。
 
;高野拳磁(高野俊二)
#上記のジョージ高野の弟。身長200cm・体重130kgという恵まれた体格だったが、練習嫌いが災いし大成することなくフェードアウトしていった。
#*山本小鉄は「小橋健太のような根性があれば、ゆうに前田日明を超える逸材だった」と語っている。
#一時、協栄ジムでボクシング練習をしており、プロボクサー転向で日本初の世界ヘビー級王者を目指す計画もあったが、かの毒入りオレンジで頓挫。
 
;ハル薗田
#全日本プロレスで選手としてだけでなく若手のコーチとしても活躍していたが南アフリカ航空295便墜落事故で新婚の妻とともに命を落とした。
#*新婚旅行を兼ねた南ア遠征へ向かう途中の悲劇であった。
#**しかも当初はパリ経由の予定が相手側プロモーターの手違いで当該便に乗ることになってしまった。
 
;藤波辰爾(藤波辰巳)
#選手としては日本人2人目のWWE殿堂入りを果たすなど、決して残念ではないが…。
#主力選手の退団や総合格闘技ブームがあったとはいえ、新日本の社長としては残念としか言いようがない。
#2003年には近い将来の引退を宣言していたが、その後健康状態が良化し引退カウントダウンを撤回。
#1985年に発売された「マッチョ・ドラゴン」は'''迷'''曲として知られている。
#師匠の猪木からシングルで勝つことが遂に出来なかった(タッグでは一試合ピンフォールを取った試合がある)。
 
;クリス・ベノワ
#世界ヘビー級王座や世界タッグ王座を獲得するなど輝かしい実績を残した名選手だったが一家心中事件を起こしたため一時は存在がほぼ抹消されていた。
#*WWEの公式サイトからもプロフィールが消されている。
#*事件の原因は激しい戦いによる脳の損傷だったとされている。
 
;森嶋猛
#身長190cm・体重125kg(デビュー時は113kg、ピーク時は170kg)という巨体を活かし、GHCヘビー級王座を3回獲得したが…。
#*天龍源一郎とのタッグマッチではジャンボ鶴田のテーマ曲で入場したが、試合後に天龍から「ジャンボってあんなのだったっけ?」「『嶋』って名前の付くヤツであんなおどろおどろしい奴も珍しいよ(天龍の本名は嶋田源一郎)」と酷評。
#*更にWWEのトライアウトではビンスに「太ったアジア人の少女だ」と酷評。
#2015年4月に糖尿病による脂肪肝を理由に引退を発表。
#*9月に大阪府立体育会館で引退試合を行う予定だったが12月末に延期となり、結局その引退試合も行われずにノアを退団。
#その後2018年7月に後楽園ホールのリング上で10月に復帰することを表明したが、練習中の化膿性関節炎を理由に復帰を断念。
#*そしてその直後の11月4日に歌舞伎町の路上でタクシー運転手を殴って現行犯逮捕。
#*実は逮捕される直前に「『幸福伝道師』という肩書きの名刺を配っていた」「インディー団体や女子プロレス団体で酒や金の無心をする森嶋の姿が頻繁に目撃された」という話も…。
 
;渡辺桃
#Queens Questのリーダーだが、林下詩美より目立っていない。
#ワンダー・オブ・スターダム王座を13回防衛したことが話題にならなかった。
 
===K-1===
;ボブ・サップ
#2002年にK-1デビューするとアメフトをはじめとした数多くのスポーツで鍛え上げられた巨体と「ザ・ビースト」と呼ばれるほどのアグレッシブなファイトスタイルやそのキャラクターが人気を博し、バラエティ番組にも多く出演。
#*また、大晦日に放送されたダイナマイトでの曙太郎との一戦は当時紅白歌合戦の視聴率を瞬間的に上回った。
#2006年に契約のこじれから出場予定だった試合をボイコット。一時法廷闘争まで噂されたが後に和解。その後2010年にも試合のボイコットを起こすなど2度の敵前逃亡を起こしてしまった。
#*ただしこれに関しては契約していた会社にも問題があるわけで本人の問題という訳ではないのだが・・・。
#技術を覚えてからセオリーに沿ったファイトに拘ってしまい成績が悪化。たびたびKO・TKO負けを喫していた。
#2017年には週刊文春に6年近くDVを行っていたことをスクープされてしまった。
 
===柔道===
;石井慧
#下記の棟田康幸を抑えて北京オリンピックに出場し、見事21歳で最重量級の金メダルを獲得するも、その後問題発言を連発し柔道ファンから嫌われる。
#2008年秋に柔道を引退し総合格闘技に転向。裏切り者として柔道関係者を完全に敵に回す。
#あとに「夢だった総合格闘技に転向するために、わざと批判されて柔道界から追放されるためにこのような発言をした」と証言(消えた天才より)
 
;内柴正人
#アテネ・北京とオリンピック連覇し大ヒーローだったが2011年に{{あきまへん}}
#北京オリンピックの男子柔道の金メダリストは2人ともざんねんな選手に。
 
;棟田康幸
#2003年男子100kg超級、2007年男子無差別級とそれぞれオリンピック前年の世界選手権で2度の優勝経験がありながら、オリンピックに1度も出場できず。
#アテネオリンピックは2003年世界選手権の100kg級優勝の井上康生と同無差別級優勝の鈴木桂治に敗れて出場逃す。
#ラストチャンスだった北京オリンピックは若手の石井慧に阻まれて出場できず。
 
===総合格闘技===
;青木真也
#2009年の大晦日のDynamite!!で、対戦相手の廣田瑞人の右腕を骨折させ一本勝ち。
#*ところが試合後に、対戦相手の廣田や観客に向かって中指を立てるファックサインで侮辱。後に厳重注意を受けた。
#その一年後の大晦日のDynamite!!で長島☆自演乙☆雄一郎と対戦。
#*逃げ回るわ反則はするわで2R4秒・失神KO負け。
#**試合後には「しょっぱい逃げ方してるから罰が当たった(須藤元気)」「人生逃げてちゃ勝てない(魔裟斗)」と酷評されてしまった。
#*試合前のインタビューで青木が答えていた「2Rになったら五体満足で帰れないから、その辺よろしくお願いします」という内容を、皮肉にも自身が体現することになってしまった。
 
==試合・シーズン展開==
===ボクシング===
;全日本新人王決定戦
#全日本新人王には次回発表の日本ランキングで最下位にランクされる特典が与えられるが、その次の更新で消える選手も多く、「意味がない」と言われる始末。
#近年、世界を獲るのはほとんどアマエリートばかりなので新人王獲ってもタイトル挑戦の機会に恵まれなくなった。
 
;WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ 渡嘉敷勝男対ルペ・マデラの4戦
#最初の対戦は渡嘉敷にとっての初防衛戦で渡嘉敷が勝利したが、微妙な判定だった。
#2度目は5度目の防衛戦として対戦したが、引き分け。
#3度目はダイレクトリマッチとなり、今度はマデラが勝ったが、負傷判定に納得がいかないファンが多かったことや当初引き分けと発表するなど不手際が重なった。
#これに協栄ジムが抗議し、3連続で組む羽目になった。4度目はマデラがしっかりと勝利し完全決着。
#これに割を食ったのがマデラに対戦を要求していた新垣諭。対戦が消滅した新垣の所属する奈良池田ジムはIBF日本設立へ。
 
;WBC世界ミニマム級タイトルマッチ 井岡弘樹対ナパ・キャットワンチャイの3戦
#最初の対戦は井岡にとって2度目の防衛戦、最終12ラウンドでダウン寸前まで追い込まれるも終了ゴングが30秒早く鳴らされ辛くも引き分けた「疑惑のゴング」。
#これを受けて組まれたダイレクトリマッチでナパが判定勝ちで王座奪取。
#3度目の対戦はナパの2度目の防衛戦。11回TKOで井岡を沈めるが、レフェリーストップに納得がいかない井岡の兄・一法(現井岡ジム会長。井岡一翔の父)がリングに乱入しナパに対して暴行するという事件が起きた。
 
;1997年6月28日 WBA世界ヘビー級タイトルマッチ (王者)イベンダー・ホリフィールド対マイク・タイソン(挑戦者)
#3回にタイソンがホリフィールドの耳を噛みちぎり反則負け。
 
;2001年7月16日 日本フライ級タイトルマッチ (王者)坂田健史対内藤大助(挑戦者)
#坂田にとって日本タイトル初防衛戦となったが、0-1の引き分けで王座防衛という微妙な結果に終わり、試合後に内藤の同僚がおもちゃのナイフのようなものを持って暴れ出す事件が起こり、遺恨試合になってしまった。
 
;2002年4月19日 WBC世界フライ級タイトルマッチ (王者)ポンサクレック・ウォンジョンカム対内藤大助(挑戦者)
#内藤にとって敵地タイでの世界初挑戦だったが、当時の世界タイトルマッチ最短記録となる34秒KO負けを喫し、帰国後に「日本の恥」などとバッシングされた。
 
;2013年12月3日 WBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦 (IBF王者)亀田大毅対リボリオ・ソリス(前WBA王者)
#まず、前日計量でソリスが規定体重を超過し、WBA王座を剥奪された。
#*再計量でも超過した後に水やコーラをがぶ飲みして悪態をついた。
#これを受けて、当初以下の特別ルールが設定されていた。
##大毅勝利→IBF防衛・WBA獲得
##引き分け→IBF防衛・WBA空位
##ソリス勝利→IBF・WBAとも空位
#試合は2-1の判定でソリスの勝利。そのため2-3.の裁定が採られるはずだった。
#ところがIBFの試合後の会見で「IBF王者としては残る」としたため、混乱が生じた。
#この変更について、亀田陣営は前日計量後に把握していたが、JBCはまったく知らされておらず不信感を募らせた。
#結局、大きな混乱を招いたとして亀田ジムの会長及びマネージャーのライセンス更新を認めず、亀田三兄弟もボクサーライセンスが消えた。
#*三兄弟は新会長・マネージャーを迎えるにしても移籍するにしても非常に厳しい条件を突き付けられたため、国内での活動を諦めざるを得なかった。
 
;WBC世界バンタム級タイトルマッチ 山中慎介対ルイス・ネリの2戦
#最初の対戦は具志堅用高に並ぶ13連続防衛が懸った試合。ネリがTKOで沈めたがドーピング検査で陽性反応が出たと発表され大混乱。
#その後命じられた再戦でネリは体重超過のため王座剥奪(試合はネリがTKOで返り討ち)。その後ネリは日本のリングから永久追放処分、山中は引退。後味の悪さを残した。
 
;2017年12月9日 IBF世界スーパーフェザー級王座決定戦 尾川堅一対テビン・ファーマー
#試合は尾川の判定勝ちとなっていたが、試合前のドーピング検査で陽性反応が出たため無効試合となり王座獲得も無効とされた。
 
;2018年4月15日 WBC世界フライ級タイトルマッチ (王者)比嘉大吾対クリストファー・ロサレス(挑戦者)
#前日計量で比嘉が計量オーバーを犯し、王座を剥奪された。
#試合も減量失敗の影響で本来の実力を出せず9回TKO負け。
 
===プロレス===
;1990年6月8日 全日本プロレス ジャンボ鶴田vs三沢光晴
#ジャンボ鶴田が何度も「オー!」をやったら、客に「『オー!』はいいよ。」と野次られてしまった。
#ジャンボ鶴田がロープに寄りかかっている三沢光晴にドロップキックをかまそうとしたが避けられ、ロープに股間をぶつけてしまった。
#*その後、ジャンボ鶴田が三沢光晴のバックドロップを返して、フォールしたが、三沢に返され、3カウントを取られてしまった。
 
;1999年1月4日 新日本プロレス 橋本真也vs小川直也
#小川が橋本を一方的に痛めつける試合となり無効試合に。
#*試合後に小川がマイクで「新日本プロレスのファンの皆様、目を覚ましてください!」と発言。
#**リング下ではセコンド同士の言い争いに端を発した乱闘が発生しており、当時引退していた長州力がカメラマンを押し退け、小川に対して「これがお前のやり方か?」と詰め寄った。
#***この乱闘で小川側のセコンドだった村上和成が、飯塚高史らに集団で顔面を踏みつけられ一時昏睡状態に陥るほどの重傷を負うなど、かなり後味の悪い試合となってしまった…。
#一説では大仁田厚の新日本初参戦を警戒した猪木の当て付けという説もある。
 
;2004年10月9日 新日本プロレス・IWGPヘビー級選手権試合 (王者)藤田和之vs佐々木健介(挑戦者)
#藤田和之が佐々木健介にグラウンドでの胴絞めスリーパーをやったが、藤田の両肩がマットについていたのでレフェリーが3カウントを入れてしまった。
#*佐々木健介の妻である北斗晶は大激怒。
#*勝利した佐々木健介はうっかり、喜んでしまい、北斗晶に怒られた。
 
;2005年2月20日 新日本プロレス・IWGPヘビー級/3冠ヘビー級W選手権試合 (IWGP王者)天山広吉vs小島聡(3冠ヘビー級王者)
#試合終了直前、天山が脱水症状でKO負け。思わぬ形での決着にリング上も混乱した。
#*某選手はそれにキレて小島にガチで蹴りを入れたとか。
 
 
===総合格闘技===
;2004年6月20日 PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND セルゲイ・ハリトーノフ対セーム・シュルト
#ハリトーノフがシュルトをマウントからのパンチや鉄槌打ちの連打でTKO勝ちした試合だったが、敗者のシュルトの顔面が腫れ上がり血まみれになるという凄惨な状態になり地上波ではダイジェストでしか流されなかった。
#この試合を控室で見ていた選手たちもこれには唖然としており、ヒョードルやノゲイラですらハリトーノフの冷酷なファイトに言葉を失うほどであった。
 
==競技場==
;両国メモリアルホール
#戦前は初代両国国技館だったが、敗戦後はGHQの接収され、「土俵を広げる」条件で1場所だけ行われた。
#接収解除後は蔵前国技館が既に建設に入っていたなどから売却された。
#*[[日本大学]]の講堂として使われた。
 
;大阪大国技館
#旧両国国技館より大きな施設だったが、戦局悪化のため4年で7回の準本場所を開催したのみで倉庫に転用→戦後に接収で解体されてしまった。
 
;東京ドーム
#プロレス団体が、東京ドームを興業に使うと「崩壊または分裂。最悪の場合、消滅する」というジンクスがある。
 
==関連項目==
*[[幸運なスポーツ事典]]
 
[[カテゴリ:ざんねんなスポーツ事典|かくとうき]]
[[カテゴリ:格闘技|さんねんな]]

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分割済み

団体

ボクシング

ボクシングジム

オザキボクシングジム
  1. 所属ボクサーが猟奇的事件を起こし、のちにここが火元となり小田急火災に至った。
協栄ボクシングジム
  1. 世界王者を多く輩出する名門だが、先代の金平正紀の時代には黒い霧や毒入りオレンジ、疑惑の判定、元ミカドの冷遇などスキャンダルが非常に多く、息子の桂一郎に変わってからもファイトマネー未払いなどが相次いだ。
    • 最後はビルのオーナーとの金銭トラブルで休業。
笹崎ボクシングジム
  1. ファイティング原田を育てたジムとして有名だが、「ボクシング版江川事件」以降は低迷が続き、日本チャンピオンすらなかなか出なかった。
不二ボクシングジム
  1. 岡本不二が弟子のピストン堀口を連れて日本拳闘倶楽部から独立して設立された由緒あるジムだった。
  2. 東洋太平洋王者と日本王者は輩出したが、世界王者は出ないまま2010年に閉鎖。
三迫ボクシングジム
  1. 日本のオリンピック金メダリスト2人(桜井孝雄、村田諒太)はともにここでプロデビューしたが、いずれもジムがアマチュア側とトラブルを起こし、プロアマ間のしこりを残してしまった。
    • その上、村田は帝拳に引き抜かれた。

ボクシング王座認定団体

IBF日本
  1. 奈良池田ジム会長の池田久がJBCを離れ、当時設立間もないIBFから承認を受けて発足。
  2. しかし、JBCの圧力でほとんど関西ローカルにとどまり、認知度が低かった。
  3. そのため参加ジムも非常に少なく選手不足なため、経験が浅い選手を世界に挑戦させて惨敗したり、空手やキックボクシングの掛け持ち、さらには網膜剥離でJBCから引退勧告を受けた選手なども参加させていて、杜撰な運営だった。

その他

SWS
  1. 1990年に新日本・全日本から多くの選手・スタッフを引き抜いて誕生したプロレス団体だが、週刊プロレスにバッシングされまくって1992年に崩壊。
    • 当時週刊プロレスの編集長だったターザン山本は後年、ジャイアント馬場から金銭を受け取って、その見返りとしてSWSをバッシングしていたことを暴露本で告白している。
戦極
  1. PRIDE消滅後に立ち上がった新団体のひとつだが、地上波放送がなかなか獲れず、テレビ東京がレギュラーのダイジェスト番組を放送するにとどまった。
  2. その後、吉田道場勢が離脱してから迷走が続き、メインスポンサーだったドン.キホーテの撤退でとどめを刺された。
全日本女子プロレス
  1. 1968年に創立、ビューティーペアやクラッシュギャルズ、極悪同盟など数々のスター選手を輩出し、「女子プロレスブーム」の火付け役となる。
    • しかしその裏で、経営陣一族の浪費癖や経営多角化の相次ぐ失敗などで巨額の借金を抱えてしまう。
    • さらに、80年代の終わりにはスター選手だったクラッシュギャルズの2人(ライオネス飛鳥・長与千種)と2人の宿命のライバル・ダンプ松本が相次いで引退して以降、ガクッと客足が遠のく。
    • 1996年頃には、倒産騒動があり、主力選手が他団体に移籍する始末。
  2. 結局、巨額の借金を抱えたまま、2005年に惜しまれつつ解散した。

人物

ボクシング

日本人

赤城武幸
  1. アマチュア時代に世界選手権やアジア大会出場など実績を残し、鳴り物入りで8回戦プロデビューも、世界タイトルは挑戦すら果たせなかった。
猪崎かずみ
  1. 世界最高齢女子プロボクサーとしてギネスにも認定された。
  2. 海外で世界初挑戦が一度決まったものの、メディカルチェックの問題のため見送られた。
  3. その後、後に世界5階級王者となる藤岡奈穂子にKO負けを喫し、引退勧告をを受ける。
  4. タイに渡り現役を続行するが、年齢を理由にランキングに入れず引退を余儀なくされた。
海老原博幸
  1. 昭和を代表する名チャンピオンのひとりだったが、引退後が残念だった。
  2. 1986年に娘を交通事故で亡くした。
  3. そのショックもあり酒の量が増えてしまった。
    • その後、肝機能障害のため1991年4月20日に51歳の若さで他界。
      • 親友のファイティング原田は「俺は親の葬式でも泣かなかったが、海老原が死んだ時は泣きまくった」と相当なショックだったという。
  4. ジムの後輩でロシア出身のユーリ・アルバチャコフがリングネームを継承して「ユーリ海老原」を名乗ったが、ロシア語で「エビ」が×××××な意味の単語に聞こえるため改名されてしまった。
鬼塚勝也
  1. 1990年代に活躍したスピードタイプの世界チャンピオンなのだが…。
  2. 世界戦では微妙な判定での勝利も多かった(タノムサク戦2試合、林在新戦、李承九戦など)。
    • 世界戦での唯一のKO勝利も日本人(松村謙二)相手のものだった。
    • 2度目の防衛戦となったアルマンド・カストロ戦(接近戦で相手に打ち負けず判定勝ち)など良い試合もあるのだが…。
ガッツ石松
  1. ボクサーとしては、実力者。しかし、引退後のタレント活動の方がインパクトが大きい。
  2. クイズ番組での珍回答が、よくネタにされる。
    • 「ヒントでピント」のモザイクを使った問題で「SEX」と答えたことは有名。
亀田三兄弟
  1. ボクシング人気復活の起爆剤として期待されたが、相次ぐトラブルで国内ライセンスを失い、長男興毅と次男大毅はアメリカで引退を余儀なくされた。大毅に至っては海外初戦で敗れ網膜剥離のおまけ付き。
  2. 残った三男和毅は国内復帰が認められたものの、テレビからは見放され世界戦ですらネット配信のみという寂しい有様。
  3. 妹の姫月もプロボクサーになったが、セコンドライセンス停止中の父から離れられないため、海外で転戦せざるを得なくなっている。
具志堅用高
  1. 世界タイトル13連続防衛という金字塔を打ち立てたが…。
    • 本人は当時のジュニアフライ級世界記録だった12度の防衛で引退するつもりだったが、周囲の説得で続行した。
  2. 当時の会長が相手のジュースに薬物を混入させたという疑惑で文春砲をぶつけられた(いわゆる毒入りオレンジ事件)。
    • この影響で引退セレモニーが中止に。
  3. 引退後、ジムを立ち上げ後進の指導に勤しむ一方、ジムの活動資金集めのために太田プロと契約し本格的にタレント活動を始めた。
    • しかし、あまりのおトボケぶりが人気を博し、タレント活動が多忙を極めたためジムにあまり顔を出さなくなり、遂にはジムを閉めてしまう。
古口哲
  1. アマチュア時代には当時のアマチュア日本記録となる61連勝をマークした。
  2. しかし、プロ転向の際にゴタゴタ(いわゆる「ボクシング版江川事件」)があり、2年のブランクを要した。
  3. 鳴り物入りでプロデビューしたが、練習がおろそかになり、タイトルには届かなかった。
小島英次
  1. 東洋太平洋王座を当時の日本最短タイ記録で獲得し、世界王座への期待も高かった。
  2. アレクサンデル・ムニョスの世界王座に2度挑戦するが、最初は2回TKO負け、2度目は奮闘するも10回TKOで力尽きた。
  3. その後の再起戦で一度勝っているワエンペッチ・チュワタナにまさかの2回TKO負け。「もう終わった」などの声が相次いだ。
  4. そして進退を懸けた仲宣明で勝利し復活を果たしたと思われたが、網膜剥離が発覚したため引退を余儀なくされた。
小関桃
  1. WBC女子世界アトム級17度防衛は男女通じて日本人最多世界王座防衛記録であるが…。
  2. アマチュア及び海外での実績からB級でプロテストを受けるも不合格となり、C級でスタートとなった。
  3. ウィンユー・パラドーンジムをKOで下しWBC王座を奪取するが…。
    • バッティングの疑いがあり、ウィンユー陣営からの抗議でビデオ判定持ち込まれた。
      • 結果、ヒッティングも認められバッティングのみのダメージか確証が得られなかったため、王座奪取は認められたものの、次々戦までの再戦が指令された。
        • ところが、ウィンユーがノンタイトルで敗れ再戦消滅。判定が覆らなかったショックが癒えなかったという説もある。
  4. 以降は防衛を重ねたが、偶然のバッティングによる試合停止が2度もあった。
  5. 宮尾綾香を破りWBAとの王座統一を達成したが、以降は対戦希望者が激減し、ミニフライ級(当時)に上げた。
  6. 黒木優子を破り2階級制覇を達成するもこれがラストマッチになった。
  7. 前述の防衛記録は女子では世界2位の記録でもあったが、こういった経緯や女子ボクシングの国内での不人気さもありほとんど評価されなかった。
コング斉藤
  1. 1970年代にアメリカから逆輸入されたヘビー級ボクサーで、アメリカ時代既に「モハメド・アリと対戦か?」の文字が新聞で踊るなど話題になった。
  2. 日本デビュー戦では2回KO勝利を挙げるも、相手の無気力ボクシングが発覚したため一転バッシングを浴びる。
  3. その後、名誉挽回を懸けてミドル級の日本人と対戦も、今度は2回KO負け。かえって評価を落としてしまった。
坂本博之
  1. 「平成のKOキング」と呼ばれ世界ランク1位まで上り詰めるも、4度の世界挑戦は1度も実らなかった。
    1. 1997年7月26日、WBC世界ライト級王者のスティーブ・ジョンストン(アメリカ)に挑んだが、12回判定負け。
    2. 1998年8月23日、ジョンストンを破りWBC世界ライト級王座を獲得したセサール・バサン(メキシコ)に挑むが、またしても12回判定負け。
    3. 2000年3月12日、WBA世界ライト級王者のヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)に挑み、初回に2度のダウンを奪うも、2回に王者の左アッパーを受け右目を負傷。
      • 5回、傷がさらに深くなったところで4度目のドクターチェックが入り、ここで試合ストップ。5回TKO負け。
    4. 2000年10月11日、セラノを破りWBC世界ライト級王座を獲得した畑山隆則に挑み、初回から一進一退の激しい攻防戦を繰り広げるが、迎えた10回、畑山の連打を浴びたところでダウン。セコンドからタオルが投入され、10回KO負け。
桜井孝雄
  1. 日本初のオリンピックボクシング金メダリストだが、プロ転向を巡り大学と揉めてOB会名簿からも除外されてしまった。
  2. プロでも自分のスタイルが受け入れられず「所詮アマ出身」とバッシングされた。
    • 苦境を脱するため、ジムの会長が「カエル跳びパンチ」を教えたが、身に付かなかった。
      • その後、後輩である輪島功一のものになった。
  3. 2012年、ロンドン五輪での村田諒太の金メダルを見ることなく逝去。
高野人母美
  1. プロボクサーとモデルの二刀流で女子ボクシングを背負って立つ存在として期待されるも、世界王座には届かず、その後は引退撤回騒動やファイトマネー未払いとトラブルが相次ぎ、日本を離れてアメリカ西海岸を拠点とするも戦績は芳しくないらしい。
  2. アマチュア時代には発熱でロンドン五輪につながる大会を欠場したこともあった。
  3. 試合より前日計量のパフォーマンスばかり注目される。
田辺清
  1. 日本初のオリンピックボクシングメダリストとして鳴り物入りでプロ転向したが、世界挑戦を目前に網膜剥離を発症したため引退を余儀なくされた。
ピューマ渡久地
  1. 鬼塚勝也、辰吉丈一郎と共に平成の三羽烏と呼ばれ活躍した。
  2. だが、チャコフ・ユーリ(勇利アルバチャコフ)相手に日本王座3度目の防衛戦を前に失踪し、王座剥奪と共に無期限ライセンス停止処分を受けた。
  3. その後、ライセンスが戻り復帰し、世界初挑戦として勇利と対戦が実現するが、9回TKO負け。
  4. 飯田覚士相手に2度目の世界挑戦が決まるも、脳梗塞と誤診されてしまい中止。
新井田豊
  1. 世界王座7度防衛を果たしたが、微妙な判定も多く、対戦相手陣営に「八百長」と吐かれたこともあった。
西島洋介山
  1. 日本人として珍しい重量級プロボクサーだったが、それゆえに相手に恵まれず試合の度に渡米して帰国して練習が続いた。
  2. その後国際タイトル獲得に至ったが、JBCが公認していない世界タイトルだったため、返上を巡りジムを揉めた。
  3. 結果、JBCライセンスを放棄せざるを得なくなりアメリカを拠点とするが、やがて試合枯れが続き、タイトルマッチで2回KO負けを喫し引退。
  4. その後、総合格闘技に転向したが、5戦全敗で終わった。
畑中清詞
  1. 東海地区初の世界チャンピオンであるが…。
  2. 1988年の世界初挑戦は少年マガジンの表紙を飾るほど期待が大きかったが、大差判定負け。
    • この試合自体もローブローが多くインターバルに時間を要したため生中継が試合途中で終わってしまった。
    • これにより一度地元での熱も冷めてしまった。
  3. 1991年に2度目の世界挑戦。TKOで悲願の世界王座を獲得したが…。
    • この試合はCBCで中継はあったもののローカルにとどまり、関東で放送のなかった初の世界戦になってしまった。
      • この時間、キー局のTBSではなんと綱引きを放送し、深夜も含めて放送予定がなかったが、抗議が殺到したため急遽録画放送を組んだ(ただしメインは竹原慎二)。
        • 本人は「綱引きに負けた」と自虐した。
  4. 名前が名前なので中畑清と間違われやすかった。
保住直孝
  1. ビッグマウスで竹原慎二や寺地永らを何度も挑発していたが、全く相手にはされなかった。
  2. 現役時代から何度も逮捕されており、結局はボクシング界から永久追放された。
宮崎亮
  1. 2012年の大晦日、盟友井岡一翔が返上したWBA世界ミニマム級王座を獲得した。
  2. その後、ライトフライ級に上げたが、それにもかかわらず減量に苦しみ、2013年大晦日の転級初戦でKO負け。
  3. 2016年に2階級挑戦、田口良一と手を合わせるも大差判定負け。
  4. 翌2017年の引退直後、公務執行妨害で逮捕。
村田英次郎
  1. 世界タイトルに4度挑戦しいずれも失敗したが、うち2度は引き分けで涙を飲んだ。
矢尾板貞雄
  1. 当時の世界王者パスカル・ペレスにノンタイトルで勝利し、日本人2人目の世界王者として期待された。
  2. 後にそのペレスの持つ王座に挑んだがKO負け。
  3. 2度目の世界挑戦へ向けて強豪との対戦を繰り返し、ポーン・キングビッチへの挑戦が決まるが、師匠とのトラブルのため突如引退してしまう。
渡辺二郎
  1. パヤオ・プーンタラットとWBA・WBC統一戦に挑むはずが、両団体の当時のルールの違い(WBAはまだ15ラウンド制だった)を理由に統一戦とは認められずWBA王座を剥奪された。
  2. 引退後、裏社会に足を踏み入れ、島田紳助引退や羽賀研二が「稀代のワル」となる原因を作った。
    • このため、世界チャンピオン会から除外されている。

外国人

ジゼール・サランディ
  1. トリニダード・トバゴ出身の女子プロボクサーで、プロでは無敗を誇りWBA・WBCを含む幾多の世界王座を獲得したが・・。
  2. 2009年1月4日、自動車事故に遭い、21歳で帰らぬ人になってしまった。
    • 免許こそ持っていたものの普段は自分で運転せず運転手を雇っていたが、この時は自分で運転していて事故に遭ったとか。
マイク・タイソン
  1. 少年時代から素行が悪いことで知られていたが、1990年に東京ドームでジェームス・ダグラスにプロ初黒星を喫してからが特に残念だった。
    • その翌年に強姦事件を起こし3年間服役。
    • 1997年のイベンダー・ホリフィールド戦2で相手の耳をかじり失格。
    • 引退後も2度逮捕された(1回は執行猶予、1回は不起訴)。
タノムサク・シスボーベー
  1. 世界王座に3度挑むもすべて失敗、中でも鬼塚勝也との2戦は「疑惑の判定」に泣かされた。
  2. それより前にも松村謙二に「疑惑の判定」で東洋太平洋王座を追われてしまった。
ルイス・ネリ
  1. 山中慎介のWBC世界バンタム級王座を奪うが、ドーピング検査で陽性に。
    • だが、処分は課されず、代わりに再選が命じられた。
  2. こうして再戦になるが、今度は体重超過でベルトを剥奪。
    • 試合は山中を返り討ちにするも、日本のリングから永久追放、WBCからも処分された。
      • これらの件で日本では「悪童」と呼ばれるようになり、井上尚弥も「信用に値しない」と対戦拒否。
  3. 処分明けに再起を果たすが、ファン・カルロス・パヤノ戦であわや体重超過。
  4. 次のエマヌエル・ロドリゲス戦でまた超過をやらかし、相手より試合を拒否される。
  5. スーパーバンタム級に階級を上げ、WBC2階級制覇。
  6. ブランドン・フィゲロアとWBA・WBC統一戦に挑むが、KO負け。
    • 日本からは「ざまあみろ」の声が多数。
サーシャ・バクティン
  1. 協栄ジムでプロとなったロシア人ボクサーで世界チャンピオンの期待も高かったが…。
  2. 日本王座獲得後、六本木の路上で傷害事件を起こし逮捕。示談は成立したものの資格停止処分とともに王座も返上。
  3. 一度解雇になった協栄に復帰するも、沖縄ワールドリングに移籍。
  4. プロでは負け知らずで、帰国後にマイナー王座のIBOは獲得したが、健康問題のため引退。
  5. 「長谷川穂積や亀田興毅もサーシャには勝てないだろう」と対戦を希望するファンも多かったが、ともに実現しなかった。
エドウィン・バレロ
  1. 生涯戦績27戦全KO勝利という完璧な記録を持っていたが…。
  2. コカインやアルコールに依存し、妻をDVの末殺害し逮捕。
  3. その後、警察の独房で自殺。
フロイド・メイウェザー・ジュニア
  1. プロ戦績50戦50勝で世界5階級制覇、PFPでも最強と言われたが…。
  2. とにかく素行の悪さは折り紙付きで犯罪歴が多く、世界王座に君臨していた時に収監されたことも。
  3. 「勝てない相手とは戦わない」と公言している。
    • 極力弱い相手としてやらないチャンピオンは少なくないが、公言しているだけいいのか悪いのか…。
  4. 第一線を引いてからはボクサーじゃないのとエキシビションを重ねるが、とにかく茶番だと叩かれてる。

プロレス

アジャ・コング
  1. 本名が宍戸江利花なので、フジテレビの「めちゃイケ」でエリカ様をやる羽目になってしまった。
  2. 相手に裏拳を当てた後、フォールしようとしたら、相手に丸め込まれて、3カウントを取られてしまったことが何度もあった。
垣原賢人
  1. 現役期間中に所属した所属団体が、崩壊・分裂・経営不振などといった良くない事態に陥るというジンクスがある。
    • 新生UWF→デビュー直後に分裂。
    • Uインター→新日本との対抗戦で佐々木健介を破り名を上げるも、1996年12月に崩壊。
    • キングダム→後輩の桜庭和志や金原弘光らの台頭に影が薄くなり、1998年2月に解散。
    • 全日本→三沢光晴率いるアンタッチャブルの一員となって活躍したが、2000年6月に分裂。
    • ノア→フロントへの不信感を募らせ、8月の旗揚げ戦で大森隆男を一方的に叩きのめして、そのまま退団。
      • 垣原は引退直前のインタビューで「試合後、大森から『ああいうのはボクは出来ない』と言われ、自信を無くした。小橋さんらが真剣に相談に乗ってくれてありがたかったが、本当はこの世界を辞める気でいた」と語っている。
    • 新日本→ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで優勝を果たしたが、怪我を繰り返し2006年4月に引退。
  2. 昆虫採集が好き過ぎて、ブラジルや北朝鮮の密林を探索しようとしたことがある(いずれも断念)。
剛竜馬
  1. 1972年に国際プロレスでデビュー。翌1973年には早くも海外に武者修行に出され、カナダでは新日本の吉田光雄(後の長州力)をタッグを組んだこともある。
  2. 1976年に凱旋帰国。ファン投票で「剛竜馬」という新たなリングネームを名乗り、国際の次代のエースとして期待されていたが…。
    • 金銭面の不満から1978年5月に国際プロレスを退団し、新日本プロレスに移籍。
  3. 移籍後に藤波辰巳とWWFジュニアヘビー級王座のタイトルを懸けて2回戦ったがいずれも敗れ、翌1979年前半は海外遠征に励んだ。
    • 前回のタイトルマッチから約一年後の10月2日の大阪大会で逆さ抑え込みで藤波から初勝利を挙げたが、2日後の蔵前でのリターンマッチに敗れ2日天下に終わってしまう。
      • この二連戦以降、剛は藤波を生涯のライバルと定め、1980年に新日本に入団。
  4. しかし新日本入団後はなかなか日の目を見ず、前座戦線が定位置となってしまう。
    • 1981年にはテレビ朝日のドラマ『警視庁殺人課』にレギュラーとして出演していたが、第13話を最後に途中降板となってしまった。
  5. その後、新日本の内部対立から発生したUWF(第1次)の旗揚げメンバーとして名を連ねたが、ラッシャー木村と共に4ヶ月で退団。
    • UWFへの参加もラッシャー曰く「新間(寿)さんへの義理で参加していただけ」とのこと。
  6. 1984年11月には全日本プロレスに移籍。元国際のメンバーで「国際血盟軍」を結成したが、選手事情もあり1986年に人員整理の一環として解雇されてしまう。
  7. その後は建設内装業の下働きやアメリカのAWA参戦・1シリーズだけの全日本スポット参戦を経て、1988年に「パイオニア戦志」の設立を発表。
    • 翌1989年4月30日に旗揚げ戦を行い、物珍しさから後楽園ホールを満員にしたが内容はボロボロ、来賓に来ていた藤波からは酷評を受けてしまう。
  8. 1990年からは「パイオニア軍団」として新日本に参戦したが評価は厳しく、12月の藤波とのシングルマッチを最後に業務提携を終了。パイオニア戦志も活動休止となってしまう。
    • 藤波とのシングルマッチ直前の週刊ゴングのインタビューで剛は「俺にはプロレスしかないから。プロレス無しでは生きていけない、プロレスバカですよ」と語っていたが…。
    • 一時期、パイオニア戦志をSWSに吸収合併する話もあったが、選手会のほぼ全員から反対を受けて頓挫。
  9. パイオニア戦志の活動休止から1年半後、新たなスポンサーを獲得し1992年に「オリエンタルプロレス」を旗揚げ。
    • 「出前プロレス」や「ほっかほかビデオ」などのユニークな企画で当初は好調だったが…。
      • 剛が海外遠征の利益をピンハネしていたというスキャンダルが発覚し、選手会から永久追放処分を受けてしまう。
  10. 1993年8月にはたった一人で「剛軍団」を結成したが、執拗に再戦を要求した藤波からは「二度と名前を出すな」と絶縁宣言を受けてしまう。
    • そんな中、旗揚げ1周年の後楽園大会で試合中に何度も「ショア」と叫び、試合後のマイクで「私はプロレスしかできないプロレスバカです!」と発言。客の喝采と「バカ」コールを浴び、プロレスマスコミでも大々的に取り上げられた。
    • これ以降、プロレス界でちょっとした「プロレスバカ」ブームが起き、テレビ朝日の「リングの魂」にも数回連続で出演。
    • 1995年4月2日に東京ドームで行われたオールスター興行「夢の懸け橋」の第4試合にも参戦し、試合後には観客席から「ショア!」「バカ!」という掛け声が鳴り響いた。
  11. この勢いで個人プロダクションの「冴夢来プロジェクト(冴夢来プロレス)」を1996年に設立。
    • 新人の育成・弁当付きの無料興行など太っ腹な企画で話題を呼んだが、金の使い方を巡ってスポンサーと衝突、1年程で呆気なく崩壊してしまった。
  12. 様々なトラブルで90年代末にはプロレス界からは完全に干され、上がれるリングは国際の先輩だった鶴見五郎率いる国際プロレスプロモーションぐらいしかなくなってしまった。
    • 2001年には鶴見の計らいで引退試合が組まれたが、ギャラに納得できない剛がドタキャンし、本人不在のままテンカウントゴングが鳴らされる前代未聞の引退試合に。
  13. 2003年にはひったくりの疑いで逮捕され(本人は否認)、更に東京スポーツがこの報道に合わせて、2001年に剛がゲイビデオに出演していたことを報じた。
    • このゲイビデオ出演は、CSの番組で新日本の田中リングアナが既に存在を示唆していたり、週プロの投書欄で「剛竜馬が信じられないようなビデオに出演している」という噂が立っていたため、少なくともプロレス関係者の中では周知の事実だったと思われる。
    • 剛本人も後に「自分の体で稼ぐことの何が悪いのか」とゲイビデオ出演の事実をあっさり認めている。
  14. 釈放後は更にボロボロになり、零細団体のエース格となったが1年後に団体が自然消滅。
    • 半引退状態を経て2006年にDDTで復帰戦が組まれたが、過度の飲酒で身体は無惨なほどに衰えていた。
    • 2009年には若手の時の剛と顔が似ている竜剛馬というレスラーと夢のタッグを結成したが、もうこの頃になると立っているのがやっとという状態だった。
  15. 生涯最後の試合の約1ヶ月後の10月7日、自転車を運転中に交通事故に遭い、その際開放骨折した右手首の傷口から入った細菌が原因となり、敗血症のため53歳という若さで死去。
ザ・コブラ(ジョージ高野)
  1. デビュー戦がざんねんだった。
    • 1983年11月3日に蔵前国技館で行われたザ・バンピート(デイビーボーイ・スミス)戦で日本デビューを果たしたが、スミスが技を受けようとしなかったり、トップロープ越しのノータッチ・プランチャーを仕掛けたがスミスがかわして鉄柵と床へ激突、両膝に大ダメージを受けてしまった。
      • このデビュー戦は後日ワールドプロレスリングで中継されたが、途中からはダイジェストになっていた。
        • プランチャーを仕掛けたシーンはカットされている。
  2. その後ジュニアヘビー級の二冠王(NWAとWWF)となったが、団体の都合や業務提携の解消から1985年に2本とも返上。
    • 新設されたIWGPジュニアヘビー級王座には二回挑戦したが、二回ともタイトルを獲得できなかった。
      • 1回目は越中詩郎に敗れ、2回目の高田延彦(当時伸彦)戦は両者リングアウトでタイトルは移動せず。


ジャイアント馬場
  1. 説明不要、『世界の巨人』。故に残念エピソードもダイナミック。
  2. ある日の試合中、トップロープから攻撃しようとしたら、足を滑らせ、トップロープに股関を強打した。
    • ちなみに、その試合は日本テレビで生中継され、全国のお茶の間に流れてしまった。
スーパー・ストロング・マシン
  1. 当初は「キン肉マン」をモチーフにしたレスラーになる予定だったが、作者(ゆでたまご)や集英社の了承を得ていなかったため、ボツとなっている。
  2. 1985年の熊本での試合後に、藤波辰巳(当時)に「お前平田だろ!?」と言われてしまった。
  3. 1994年のSGタッグリーグに蝶野正洋とタッグを組み出場。
    • 優勝決定戦(VS武藤敬司・馳浩組)では試合の終盤に自らマスクを脱ぎ、孤軍奮闘したが武藤のムーンサルトプレスを喰らいフォール負け。
      • 試合後、リング上で「こんなしょっぱい試合ですいません!」とファンに謝罪した。
高野拳磁(高野俊二)
  1. 上記のジョージ高野の弟。身長200cm・体重130kgという恵まれた体格だったが、練習嫌いが災いし大成することなくフェードアウトしていった。
    • 山本小鉄は「小橋健太のような根性があれば、ゆうに前田日明を超える逸材だった」と語っている。
  2. 一時、協栄ジムでボクシング練習をしており、プロボクサー転向で日本初の世界ヘビー級王者を目指す計画もあったが、かの毒入りオレンジで頓挫。
ハル薗田
  1. 全日本プロレスで選手としてだけでなく若手のコーチとしても活躍していたが南アフリカ航空295便墜落事故で新婚の妻とともに命を落とした。
    • 新婚旅行を兼ねた南ア遠征へ向かう途中の悲劇であった。
      • しかも当初はパリ経由の予定が相手側プロモーターの手違いで当該便に乗ることになってしまった。
藤波辰爾(藤波辰巳)
  1. 選手としては日本人2人目のWWE殿堂入りを果たすなど、決して残念ではないが…。
  2. 主力選手の退団や総合格闘技ブームがあったとはいえ、新日本の社長としては残念としか言いようがない。
  3. 2003年には近い将来の引退を宣言していたが、その後健康状態が良化し引退カウントダウンを撤回。
  4. 1985年に発売された「マッチョ・ドラゴン」は曲として知られている。
  5. 師匠の猪木からシングルで勝つことが遂に出来なかった(タッグでは一試合ピンフォールを取った試合がある)。
クリス・ベノワ
  1. 世界ヘビー級王座や世界タッグ王座を獲得するなど輝かしい実績を残した名選手だったが一家心中事件を起こしたため一時は存在がほぼ抹消されていた。
    • WWEの公式サイトからもプロフィールが消されている。
    • 事件の原因は激しい戦いによる脳の損傷だったとされている。
森嶋猛
  1. 身長190cm・体重125kg(デビュー時は113kg、ピーク時は170kg)という巨体を活かし、GHCヘビー級王座を3回獲得したが…。
    • 天龍源一郎とのタッグマッチではジャンボ鶴田のテーマ曲で入場したが、試合後に天龍から「ジャンボってあんなのだったっけ?」「『嶋』って名前の付くヤツであんなおどろおどろしい奴も珍しいよ(天龍の本名は嶋田源一郎)」と酷評。
    • 更にWWEのトライアウトではビンスに「太ったアジア人の少女だ」と酷評。
  2. 2015年4月に糖尿病による脂肪肝を理由に引退を発表。
    • 9月に大阪府立体育会館で引退試合を行う予定だったが12月末に延期となり、結局その引退試合も行われずにノアを退団。
  3. その後2018年7月に後楽園ホールのリング上で10月に復帰することを表明したが、練習中の化膿性関節炎を理由に復帰を断念。
    • そしてその直後の11月4日に歌舞伎町の路上でタクシー運転手を殴って現行犯逮捕。
    • 実は逮捕される直前に「『幸福伝道師』という肩書きの名刺を配っていた」「インディー団体や女子プロレス団体で酒や金の無心をする森嶋の姿が頻繁に目撃された」という話も…。
渡辺桃
  1. Queens Questのリーダーだが、林下詩美より目立っていない。
  2. ワンダー・オブ・スターダム王座を13回防衛したことが話題にならなかった。

K-1

ボブ・サップ
  1. 2002年にK-1デビューするとアメフトをはじめとした数多くのスポーツで鍛え上げられた巨体と「ザ・ビースト」と呼ばれるほどのアグレッシブなファイトスタイルやそのキャラクターが人気を博し、バラエティ番組にも多く出演。
    • また、大晦日に放送されたダイナマイトでの曙太郎との一戦は当時紅白歌合戦の視聴率を瞬間的に上回った。
  2. 2006年に契約のこじれから出場予定だった試合をボイコット。一時法廷闘争まで噂されたが後に和解。その後2010年にも試合のボイコットを起こすなど2度の敵前逃亡を起こしてしまった。
    • ただしこれに関しては契約していた会社にも問題があるわけで本人の問題という訳ではないのだが・・・。
  3. 技術を覚えてからセオリーに沿ったファイトに拘ってしまい成績が悪化。たびたびKO・TKO負けを喫していた。
  4. 2017年には週刊文春に6年近くDVを行っていたことをスクープされてしまった。

柔道

石井慧
  1. 下記の棟田康幸を抑えて北京オリンピックに出場し、見事21歳で最重量級の金メダルを獲得するも、その後問題発言を連発し柔道ファンから嫌われる。
  2. 2008年秋に柔道を引退し総合格闘技に転向。裏切り者として柔道関係者を完全に敵に回す。
  3. あとに「夢だった総合格闘技に転向するために、わざと批判されて柔道界から追放されるためにこのような発言をした」と証言(消えた天才より)
内柴正人
  1. アテネ・北京とオリンピック連覇し大ヒーローだったが2011年に×××××
  2. 北京オリンピックの男子柔道の金メダリストは2人ともざんねんな選手に。
棟田康幸
  1. 2003年男子100kg超級、2007年男子無差別級とそれぞれオリンピック前年の世界選手権で2度の優勝経験がありながら、オリンピックに1度も出場できず。
  2. アテネオリンピックは2003年世界選手権の100kg級優勝の井上康生と同無差別級優勝の鈴木桂治に敗れて出場逃す。
  3. ラストチャンスだった北京オリンピックは若手の石井慧に阻まれて出場できず。

総合格闘技

青木真也
  1. 2009年の大晦日のDynamite!!で、対戦相手の廣田瑞人の右腕を骨折させ一本勝ち。
    • ところが試合後に、対戦相手の廣田や観客に向かって中指を立てるファックサインで侮辱。後に厳重注意を受けた。
  2. その一年後の大晦日のDynamite!!で長島☆自演乙☆雄一郎と対戦。
    • 逃げ回るわ反則はするわで2R4秒・失神KO負け。
      • 試合後には「しょっぱい逃げ方してるから罰が当たった(須藤元気)」「人生逃げてちゃ勝てない(魔裟斗)」と酷評されてしまった。
    • 試合前のインタビューで青木が答えていた「2Rになったら五体満足で帰れないから、その辺よろしくお願いします」という内容を、皮肉にも自身が体現することになってしまった。

試合・シーズン展開

ボクシング

全日本新人王決定戦
  1. 全日本新人王には次回発表の日本ランキングで最下位にランクされる特典が与えられるが、その次の更新で消える選手も多く、「意味がない」と言われる始末。
  2. 近年、世界を獲るのはほとんどアマエリートばかりなので新人王獲ってもタイトル挑戦の機会に恵まれなくなった。
WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ 渡嘉敷勝男対ルペ・マデラの4戦
  1. 最初の対戦は渡嘉敷にとっての初防衛戦で渡嘉敷が勝利したが、微妙な判定だった。
  2. 2度目は5度目の防衛戦として対戦したが、引き分け。
  3. 3度目はダイレクトリマッチとなり、今度はマデラが勝ったが、負傷判定に納得がいかないファンが多かったことや当初引き分けと発表するなど不手際が重なった。
  4. これに協栄ジムが抗議し、3連続で組む羽目になった。4度目はマデラがしっかりと勝利し完全決着。
  5. これに割を食ったのがマデラに対戦を要求していた新垣諭。対戦が消滅した新垣の所属する奈良池田ジムはIBF日本設立へ。
WBC世界ミニマム級タイトルマッチ 井岡弘樹対ナパ・キャットワンチャイの3戦
  1. 最初の対戦は井岡にとって2度目の防衛戦、最終12ラウンドでダウン寸前まで追い込まれるも終了ゴングが30秒早く鳴らされ辛くも引き分けた「疑惑のゴング」。
  2. これを受けて組まれたダイレクトリマッチでナパが判定勝ちで王座奪取。
  3. 3度目の対戦はナパの2度目の防衛戦。11回TKOで井岡を沈めるが、レフェリーストップに納得がいかない井岡の兄・一法(現井岡ジム会長。井岡一翔の父)がリングに乱入しナパに対して暴行するという事件が起きた。
1997年6月28日 WBA世界ヘビー級タイトルマッチ (王者)イベンダー・ホリフィールド対マイク・タイソン(挑戦者)
  1. 3回にタイソンがホリフィールドの耳を噛みちぎり反則負け。
2001年7月16日 日本フライ級タイトルマッチ (王者)坂田健史対内藤大助(挑戦者)
  1. 坂田にとって日本タイトル初防衛戦となったが、0-1の引き分けで王座防衛という微妙な結果に終わり、試合後に内藤の同僚がおもちゃのナイフのようなものを持って暴れ出す事件が起こり、遺恨試合になってしまった。
2002年4月19日 WBC世界フライ級タイトルマッチ (王者)ポンサクレック・ウォンジョンカム対内藤大助(挑戦者)
  1. 内藤にとって敵地タイでの世界初挑戦だったが、当時の世界タイトルマッチ最短記録となる34秒KO負けを喫し、帰国後に「日本の恥」などとバッシングされた。
2013年12月3日 WBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦 (IBF王者)亀田大毅対リボリオ・ソリス(前WBA王者)
  1. まず、前日計量でソリスが規定体重を超過し、WBA王座を剥奪された。
    • 再計量でも超過した後に水やコーラをがぶ飲みして悪態をついた。
  2. これを受けて、当初以下の特別ルールが設定されていた。
    1. 大毅勝利→IBF防衛・WBA獲得
    2. 引き分け→IBF防衛・WBA空位
    3. ソリス勝利→IBF・WBAとも空位
  3. 試合は2-1の判定でソリスの勝利。そのため2-3.の裁定が採られるはずだった。
  4. ところがIBFの試合後の会見で「IBF王者としては残る」としたため、混乱が生じた。
  5. この変更について、亀田陣営は前日計量後に把握していたが、JBCはまったく知らされておらず不信感を募らせた。
  6. 結局、大きな混乱を招いたとして亀田ジムの会長及びマネージャーのライセンス更新を認めず、亀田三兄弟もボクサーライセンスが消えた。
    • 三兄弟は新会長・マネージャーを迎えるにしても移籍するにしても非常に厳しい条件を突き付けられたため、国内での活動を諦めざるを得なかった。
WBC世界バンタム級タイトルマッチ 山中慎介対ルイス・ネリの2戦
  1. 最初の対戦は具志堅用高に並ぶ13連続防衛が懸った試合。ネリがTKOで沈めたがドーピング検査で陽性反応が出たと発表され大混乱。
  2. その後命じられた再戦でネリは体重超過のため王座剥奪(試合はネリがTKOで返り討ち)。その後ネリは日本のリングから永久追放処分、山中は引退。後味の悪さを残した。
2017年12月9日 IBF世界スーパーフェザー級王座決定戦 尾川堅一対テビン・ファーマー
  1. 試合は尾川の判定勝ちとなっていたが、試合前のドーピング検査で陽性反応が出たため無効試合となり王座獲得も無効とされた。
2018年4月15日 WBC世界フライ級タイトルマッチ (王者)比嘉大吾対クリストファー・ロサレス(挑戦者)
  1. 前日計量で比嘉が計量オーバーを犯し、王座を剥奪された。
  2. 試合も減量失敗の影響で本来の実力を出せず9回TKO負け。

プロレス

1990年6月8日 全日本プロレス ジャンボ鶴田vs三沢光晴
  1. ジャンボ鶴田が何度も「オー!」をやったら、客に「『オー!』はいいよ。」と野次られてしまった。
  2. ジャンボ鶴田がロープに寄りかかっている三沢光晴にドロップキックをかまそうとしたが避けられ、ロープに股間をぶつけてしまった。
    • その後、ジャンボ鶴田が三沢光晴のバックドロップを返して、フォールしたが、三沢に返され、3カウントを取られてしまった。
1999年1月4日 新日本プロレス 橋本真也vs小川直也
  1. 小川が橋本を一方的に痛めつける試合となり無効試合に。
    • 試合後に小川がマイクで「新日本プロレスのファンの皆様、目を覚ましてください!」と発言。
      • リング下ではセコンド同士の言い争いに端を発した乱闘が発生しており、当時引退していた長州力がカメラマンを押し退け、小川に対して「これがお前のやり方か?」と詰め寄った。
        • この乱闘で小川側のセコンドだった村上和成が、飯塚高史らに集団で顔面を踏みつけられ一時昏睡状態に陥るほどの重傷を負うなど、かなり後味の悪い試合となってしまった…。
  2. 一説では大仁田厚の新日本初参戦を警戒した猪木の当て付けという説もある。
2004年10月9日 新日本プロレス・IWGPヘビー級選手権試合 (王者)藤田和之vs佐々木健介(挑戦者)
  1. 藤田和之が佐々木健介にグラウンドでの胴絞めスリーパーをやったが、藤田の両肩がマットについていたのでレフェリーが3カウントを入れてしまった。
    • 佐々木健介の妻である北斗晶は大激怒。
    • 勝利した佐々木健介はうっかり、喜んでしまい、北斗晶に怒られた。
2005年2月20日 新日本プロレス・IWGPヘビー級/3冠ヘビー級W選手権試合 (IWGP王者)天山広吉vs小島聡(3冠ヘビー級王者)
  1. 試合終了直前、天山が脱水症状でKO負け。思わぬ形での決着にリング上も混乱した。
    • 某選手はそれにキレて小島にガチで蹴りを入れたとか。


総合格闘技

2004年6月20日 PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND セルゲイ・ハリトーノフ対セーム・シュルト
  1. ハリトーノフがシュルトをマウントからのパンチや鉄槌打ちの連打でTKO勝ちした試合だったが、敗者のシュルトの顔面が腫れ上がり血まみれになるという凄惨な状態になり地上波ではダイジェストでしか流されなかった。
  2. この試合を控室で見ていた選手たちもこれには唖然としており、ヒョードルやノゲイラですらハリトーノフの冷酷なファイトに言葉を失うほどであった。

競技場

両国メモリアルホール
  1. 戦前は初代両国国技館だったが、敗戦後はGHQの接収され、「土俵を広げる」条件で1場所だけ行われた。
  2. 接収解除後は蔵前国技館が既に建設に入っていたなどから売却された。
大阪大国技館
  1. 旧両国国技館より大きな施設だったが、戦局悪化のため4年で7回の準本場所を開催したのみで倉庫に転用→戦後に接収で解体されてしまった。
東京ドーム
  1. プロレス団体が、東京ドームを興業に使うと「崩壊または分裂。最悪の場合、消滅する」というジンクスがある。

関連項目