日立市
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日立市の噂
- 「日立」という地名は、徳川光圀(水戸黄門)が名付けた。
- こういう、へえ〜、なるほど、ためになる、わかりやすい情報は、俗説といいます。大間違いの時があるから注意しましょうね。
- 俗説かもしれんが、日立市もそう言ってるんだから別にいいんじゃね?
- 徳川斉昭の治世で建てられた城砦は「助川海防城」だから、徳川光圀が「日立」と命名したとは考え難い。元々は「日立市」じゃなくて「助川市」になるはずだった。
- 日立の創業小屋レプリカには、1910年(日立の創業年)当時の日立市のジオラマが展示されているが、言うまでもなく日立駅は「助川駅」という名称。
- 神峰神社の風流物(山車)も、本来の名称は「宮田風流物」で、日立が創始した風流物ではない。
- そもそも昭和に合併するまで「助川町」と「日立町」が別々に存在したわけだから、斉昭の時代に「助川」の地名があったからといって光圀が日立と名付けなかった証拠にはならない。
- 一応「光圀が神峰神社詣でをした時「日が昇る姿が領内で一番である」といったことにちなむ」というのが定説だが、これが真実だとしても光圀がそう言ったと書かれてるだけで名付けたとは書かれていないことに注意。言った言わないは別にしてもそういった伝承がどこかから出てきて、あるタイミングでじゃあそれを地名に付けようと考えた別の人間がいる可能性が高い。
- 日立製作所が名前の由来だと思っていた。
- そりゃそうだ。1939年の市制施行で「日立市」をゴリ押しした県幹部は、「『助川』は地方的名称だが、『日立』は広く知られている。日立鉱山と日立製作所で全国に知られているからだ。」って言い放ったからな。
- でも当時の日立市の市域に、日立製作所の敷地は殆ど残っていない。軒並み、子会社や他社との合弁会社に分社化された。
- 合併の際に「日立町+助川町の対等合併なのに日立の名だけ残るのはいかがなものか」というよくある問題を回避するのに「企業名とかに付いてる日立だから日立町は関係ないんだ」ということでメンツを立てた要素もあるらしい。
- こういう、へえ〜、なるほど、ためになる、わかりやすい情報は、俗説といいます。大間違いの時があるから注意しましょうね。
- 日立市の下水道普及率は98%と桁外れである。
- もしも、茨城県に日立市がなかったら茨城県の普及率は全国最低。
- それはないでしょう…(全国最低は10%ちょっと)
- 県内では守谷も98%越えてたと思う。
- もしも、茨城県に日立市がなかったら茨城県の普及率は全国最低。
- 昔は人口が茨城県最大だった。
- 現在は、第2位。
- いや、つくば市にも抜かれて3位になった。
- 十王と合併して逆転…したけど、また抜かれちゃったし。
- 厳密には、2002年つくばの茎崎編入で日立が3位転落→2004年日立の十王編入で2位復帰→2005年つくば人口増(+日立人口減)により再び3位転落。
- つくば市みたいな「寄り合い所帯」とは異なり、日立市は好くも悪しくも「一枚岩」。他の自治体では、鹿嶋市や水戸市も「一枚岩」だが。
- いや、つくば市にも抜かれて3位になった。
- 昔って戦後すぐの話じゃん。
- 常陸多賀周辺の衰退が激しい。
- 現在は、第2位。
- 市内に「金沢」というところがあるが、「かなざわ」ではなく「かねさわ」と呼ぶ
- 「団地」といっても、一戸建てが立ち並ぶ住宅地。集合住宅は「アパート」と言う
- 冷戦時代には、海岸工場の近隣に社宅が林立していた。その社宅群から山側に進むと兎平交差点があり、兎平交差点の脇には2018年現在ではゼビオとニトリが建ってるが、1980年代には「供給」と呼ばれる日立福利サービス(現在:日立ライフ)のスーパーマーケットだった。
- 山火事に弱い。そのためかどうかは知らないが、日立製作所内では、防火訓練、防火施設がハンパじゃない。
- 山火事にあった山はもう復活している。
- 2014年3月25日十王高原・宮田町で山火事発生。自衛隊も出動し、丸2日かかって鎮火。
- 日立市が所有する消防車両の台数は日立製作所の市内事業所が有する消防車両台数に負けている。(2010年調べ。日製の台数は日立市消防出初式資料より。)
- 民放のFM放送局が受信しにくい(特に南部)。
- これがきっかけでラジオ局を作ろうと模索してたのにね…
- ついにコミュニティFMが開局するそうな。
- 「日立工業高校」は戦時中に「日立市立中」として開校し、戦後県に移管した際に一時期「日立三高」と呼ばれていた。
- 水戸三高もかつては水戸市立でした。
- 日立は渋滞が多い。
- 川が意外に多い。宮田川、鮎川など。
- 宮田川はねずみ色の水が流れる「どぶ川」だったが、近年は水生昆虫などが見られる程度には自然が快復した。でも魚はいまだほとんど見られない。
- 日立鉱山からでる水が原因だと言われてる。
- 稀に綺麗な川があるけど、崖を降りないと川岸にたどり着けない…。
- 桜川も。
- 宮田川はねずみ色の水が流れる「どぶ川」だったが、近年は水生昆虫などが見られる程度には自然が快復した。でも魚はいまだほとんど見られない。
- JRの駅で大甕駅を読める県外の人はほとんどいないし、(おおみかえき)まず書けない。
- 地名は大みか。
- そうなんだよね。みかの甕が常用漢字にないもんだから、平仮名にしてしまった。お上が言うことは絶対正しい、の典型だよね。
- お上が愚だからしょうがない。
- いわき市民は大甕を読める。
- お上が愚だからしょうがない。
- そうなんだよね。みかの甕が常用漢字にないもんだから、平仮名にしてしまった。お上が言うことは絶対正しい、の典型だよね。
- 無理して読んでも、精々「オオカメ」か?
- 現地に事業所がある日立内では「おおみか」とひらがな表記
- 茨城県人でも正確に書ける人は少ないと思われる
- 今は廃止になった日立電鉄に乗りに行こうと思い調べると、接続駅が読めなかった。時刻表で調べてやっとわかった(by神奈川県民)
- 大甕の「甕」は、「器」を意味する。「大甕」とは「大きい器」ってことになる。
- 地名は大みか。
- 女子高生がやたらと多い
- 暑さしのぎか、私のすぐ前でいきなりスカートをまくり上げびっくりした。(当然見せパンかブルマ)
- 小学校3、4年生の社会科の教科書は「のびゆく日立」が主だ。でも日立市は衰退してるので「のびゆく」は教育上よろしくない。
- 今は成長や発展でなく麺がのびるイメージか…泣けてくる
- せめて「のびゆく助川」だったら…。
- 日立市で大きい郵便局は多賀郵便局。日立郵便局は多賀局の半分の業務量だが2倍以上の局舎。
- 日立郵便局はゆうちょ銀行の営業店があるがATMの稼働時間が平日は8時から20時それに対し他が郵便局は郵便局会社がゆうちょ銀行の代理業務を行っているがATMは平日が8時から21時とゆうちょ銀行日立店に比べ1時間も長い。
- 伊勢甚劇場がなくなったと思ったら、2007年に入って市内の映画館がすべて消えた。
- 読みは「ひたち」なのになぜか「常陸市」ではない。
- 日立製作所の博物館で、モーターか何かの古い設計図がひろげてあって、そこに「HIDACHI」とあった。ふるくはどうやら「ひだち」といってたらしい。
- そう言えば、産後の「肥立ち」も「ひだち」だった。
- 国造の時代(7世紀前半)には、現在の日立市は「常陸国」じゃなくて「多珂国 (たがのくに)」の一員だった。
- 国造時代の多珂国は、南端が助川(1939年以後の日立市)で、北端が苦麻(戊辰戦争前の熊川、戊辰戦争後の大熊)。南端である助川の別名が「道の口」で、北端である苦麻の別名が「道の尻」。
- 日立市役所が発行するパンフレットは、都市の方をひらがなで「ひたち」と表記してる物が多い。用例:「ひたち秋祭り」「ひたちこども芸術祭」。
- 常磐道の日立南太田インターは、「日立南・太田」なのか「日立・南太田」なのかよく分からない。
- あの位置では、南太田でなく、東太田だろう。
- それ正解!!!
- 「日立南」+「(常陸)太田」でしょう。
- 北海道新幹線にできる「新函館北斗」駅 のようなものか。でも「日立南太田」よりは分かりやすい。
- 原則としてインターの名前で「東西南北」は地名の後ろにつける、ということを知っていればわかる。ただ上信越道の「須坂長野東」と同様に「太田日立南」とした方がわかりやすかっただろう。
- あの位置では、南太田でなく、東太田だろう。
- ひたちの水は水道水
- やっと小木津駅にエレベーターが設置される。残るは大甕駅のみ。
- こないだ出張で行って、6号沿いのファミレスで昼食を取ったが凄く訛っていて何度か聞き取れないで「はい?」とか「えっ?」と言っていたら美人な女性店員から怪訝な顔で見られた。
- 日立北高という高校では、日立一校を追い抜かそうと躍起になってるが格差が酷く、進学校であり就職する人もまた多い。
- ここの女子はなかなかスカートが短いよ。何気ヤンキー高だな。
- 文系と理系のクラスで違う。文系はヤンキー系だが理系はお洒落としてのミニスカート。それと就職する人の割合も文系理系で違う(OB)
- 豊浦中から良い人材が入学しているみたいだぞい。あの辺は工場もあるからレベルが高いと見た。
- 豊浦からいい人材なんて行ってません。そもそも豊浦は近隣でも学力が低い方であるし、上位約10名程度は日立一高以上の学校に行く。約10名以下は格差ともいえる学力の開きがあるがそういった生徒の中でも割と成績のいい方の生徒は北高に行く。工場が近いとかあまり関係ないと思われるが、北高周辺の親は高学歴も多い(東工大や東大もちらほら)。(豊浦OB→日立第一生)
- ここの女子はなかなかスカートが短いよ。何気ヤンキー高だな。
- 日立市は人口が19万人以上あるにも関わらず、なぜか市内にスターバックスがない。日立市より人口の少ない市でも土浦、ひたちなか、下妻、取手、守谷の各市にはあるのに(2009年5月現在)。
- ジャスコさえない・・・。
- かつては"伊勢甚ジャスコ"(大きさは今の大き目のコンビニ~平屋建のスーパー程度)が市内各地にあった。
- 2013年冬、日立市にやっとスタバ開店。
- スタバなのにドライブスルーやってるという噂を聞いたが本当かな。
- ジャスコさえない・・・。
- 日立市の人口は約19万人で、小田原市、熊谷市、甲府市(ともに約20万人)などと同規模であるが、市内に大手の証券会社の支店が一つもない。また、メガバンクの支店もみずほ銀行1行しかない(2009年5月現在)。
- 日立電鉄は2005年3月31日廃止された。茨城県内唯一の直流電化私鉄だったのに残念だ。
- 21世紀になってからの市長選は全て無投票。かつては日製系と鉱山系の主導権争いで市を割る選挙戦をやっていた時代もあったらしいが。
- AKB48岡部麟の出身地。
- 市制を施行した日は1939年9月1日だが、よりによって第二次世界大戦が勃発した日。
- 「日立の樹」があると思って勘違いしていく人がいるだろうが、あれはハワイのモンキーポッドなので勘違いなきよう。
- 日立駅前に「日立の樹」があるわけでもない。(歯車のモニュメントしかなかった。)
- 茨城県北部最大の都市。水戸・土浦に次ぐ御三家の三番目だったが二番目はつくば市に替わり三番目は当市。
- 2004年11月1日に多賀郡十王町を編入合併。多賀郡は消滅した。
日立
- 日立は遊ぶ所がない。(かみね公園は最悪)
- 夜に遊ぶ所もない。
- ボンベルタが潰れて県北からデパートがなくなった。
- ヨーカドーで我慢しとこう。
- さくらシティが出来て復活した。
- しかしさくらシティも潰れた。
- 日立市の旧ボンベルタ伊勢甚日立店跡地にできた複合店でスーパーカスミや100円ショップキャンドゥ、よしもとゲームミュージアムなどが入っていた。
- リーマンブラザーズの破産により2年も経たずに閉鎖した。日立市民はリーマンブラザーズが日立にまでとびっくりした人も多い。
- ついにさくらシティの廃墟が取り壊されるみたい(跡地は平屋建のスーパーになるらしい)
- しかしさくらシティも潰れた。
- いまはヨーカドーも危ないとかなんとか
- 数年後にヨーカドー消滅らしいよ。日立駅の駅ビル化の噂もどうなのだろうか。
- 遂に2022年1月16日で閉店決定。
十王
- 十王は多賀郡最後の自治体だった。
- 十王川が町名の由来のようだが、十王川の河口の方は合併前から日立市だった。
- 予約が速攻で埋まってしまう国民宿舎がある。
- 国際十王交通、及びその前身の十王自動車とは関係ない。
- 98年まで川尻駅だった。6国の半分番号の国道3号が通る熊本市南区にもある。
- 生活圏は高萩市で、市外局番もそれと同じ0293だったが日立市に合併後日立市と同じ0294に変更された。
日立と工業
- 日本有数の工業地帯と言うことで、戦争末期にはアメリカ駆逐艦?の艦砲射撃をくらった。
- 戦艦5隻、巡洋艦2隻らしい。(駆逐艦9隻は砲撃せず)
- 40cm砲だったらしいからアメリカ海軍の超弩級戦艦
- 5馬力モーターを開発した小平波平を、市民の一部が知っている
- 日立駅中央口広場にあるモーターのモニュメントが恥ずかしい。
- クリスマスシーズンのイルミネーションと共にサンタが上ってるのがなんとも情けない。
- 日立製作所の発祥地であることは有名だが、ジャパンエナジーの発祥地でもあることはあまり知られていない。
- 日鉱金属(新日鉱HD)、日産財閥系会社の発祥地である。
- 大煙突が折れたのが、密かに悔しい。
- そしてその日製はもともと日立鉱山(JX)の修理工場ということもあまり知らされていない。
- 工場が分散しているせいか、市街地も分散傾向。
- 常磐線の651系「スーパーひたち」を最初に造ったのが川崎重工なので、日製で大問題になったことがある。
- 日産自動車との関係が深いために、日産車の比率が県内でも高い。
- 日立市民(もしかしたら茨城県民も?)は日立市のことは「ひたち」、日立製作所は「にっせい」という。
- 日立市民以外は「にっせい」は「日本生命」の事を言うが、日立市民は「日本生命」のことを略さずに「にほんせいめい」と言う。
- 方角を示すとき「東西南北」の順で、「海側・山側・水戸側・平(たいら)側」と言う。