もしあのプロ野球選手があの球団に移籍していたら/さ~な行

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さ行編集

佐々木主浩編集

マリナーズ→巨人

マリナーズ退団時に当時の堀内監督が一旦は争奪戦への参加を表明するも、フロントの反対により実現しませんでした。

  1. 横浜・巨人両球団の2004年の成績は史実より落ちていた。
    • かつてのクローザーを獲得し損ねた横浜はもちろん、巨人もチーム内外の風当たりを懸念する声からフロントが反対したことから、チームになじめず投手陣がさらに悲惨な状態になっていたと思われる。
    • 下手すれば、巨人は2004年~2006年にかけて3年連続Bクラスに落ちていた。
    • 佐々木に払った13億の高額年俸が不要になるため横浜はもっと効果的な補強ができていたかもしれない
    • 逆に阪神は2004年もAクラス入りしていた(史実では4位)。
  2. 本人も、2004年限りで現役を引退していたかもしれない。
  3. 背番号22は吉見祐治がロッテ移籍まで着用した後、2011年から須田幸太が着用。
横浜→オリックス

1994年、横浜ベイスターズの近藤監督は宮古島でやったオリックスとのオープン戦でオリックスの仰木監督に「おたくの鈴木一朗(イチロー)とうちの佐々木をトレードしませんか?」と言いましたが、仰木監督は「まだ一年間見ていないから出せないな。」と言って断りました。もし、このトレードが成立していたら…

  1. 1998年、横浜が優勝することはなかった。
    • イチローがブレイクしてもAクラスに入ることはなかった。
  2. 佐々木主浩が「大魔神」と呼ばれることはなかった。
  3. そもそも、1993年オフにオリックス監督が土井正三から仰木彬に交代しなければ可能性があった。
  4. 2004年の球団合併までに在籍していた場合、地元繋がりで楽天に移籍していた。
横浜→ダイエー

1994年にフロントに入った根本さんが目を付け、トレード寸前まで行ったそうです。

  1. やはり1998年、横浜が優勝することはなかった。
  2. ダイエーのAクラス入り及び優勝は少し早くなったかもしれない。
    • ダイエーはペドラザを獲得しなかった可能性がある。あるいは横浜がペドラザを取っていた?

佐々木信也編集

大毎→巨人

1959年オフに巨人の水原茂監督からの誘いを受けましたが、新聞沙汰になったことにより、本人は断りました。もし受け入れていたら…

  1. 史実よりも長くプレーしていた。
    • それでも、代打や守備固めで出場することが多かった。
  2. 史実よりも遅れて解説者になっていた。
    • 引退後は日本テレビの解説者になっていた可能性もあった。
    • フジテレビのプロ野球ニュースのキャスターになることはなかったかもしれない。
      • 引退後にフジテレビの解説者に就任し、そのままプロ野球ニュースのキャスターになっていた可能性もあり得る。

定岡正二編集

巨人→近鉄

巨人の定岡正二はキャリア末期に近鉄へトレードされる事になっていたが、これを拒否しました。もし、そのトレードをすんなり受け入れていたら・・・。

  1. 淡口憲治と山岡勝は引退まで巨人。
    • いや、淡口憲治は蓑田浩二との交換トレードで阪急ブレーブスに移籍していたかもしれない。
  2. 近鉄ではリリーフ要因として2,3年投げていた。
    • 1989年の日本シリーズでも投げるも、大局に影響はなかった。
  3. 引退後、「へなちょこ」「負け犬」などと呼ばれる事はなかった。
    • いや、巨人OBであることをネタに芸能界入りするのは同じで、結局その後の人生は変わることなかったと思う。
    • 芸能活動は関西メインとなり、所属も吉本興業もしくは松竹芸能だった。
  4. 後に出演するTBS系のスポーツ番組に出演する事が無かった。
  5. 兄の智秋(当時・南海内野手)一家が大阪暮らしについて色々とフォローしていた。

嶋重宜編集

広島→近鉄

2003年にトレードの構想があったようですが消えました。

  1. 2004年の近鉄の成績が史実より良くなり、あるいは合併消滅ではなく身売りで済んでいた?
    • 史実通り合併消滅の場合オリックスはプロテクトしていただろう。その場合オリックスの成績は史実より高くなった。
      • 楽天に入った場合初代4番打者になっていた?
  2. 2004年の広島は最下位になっていた。

下柳剛編集

阪神→横浜

2007年にFA宣言した際には下柳本人と言うより愛犬の待遇をめぐる争いであったと言われており、結果的に阪神に残留しましたが、ではその時横浜に移籍していたら?

  1. それでも横浜暗黒時代が避けられていたかと言うと……
  2. 「ハマのおじさん」は工藤ではなく、下柳になったかもしれない。
    • 工藤は2007年から在籍なので「おじさんコンビ」となっていた。
  3. 阪神は2008年、「Vやねん!」がネタになるほど勝てたかどうかわからない。
  4. 田中秀太のプレーに対して激怒してグラブを叩きつける、という事件は起こらなかった。
    • その代わりに横浜で石川雄洋か藤田一也あたりが同じような感じで餌食に..?
    • 田中秀太に激怒したのは2007年のことなので史実通りかと。
  5. デイリースポーツが2010年のW杯の試合翌日に本田圭佑よりも彼の結婚を一面で取り上げるということはなかったかも。

新庄剛志編集

阪神→横浜

新庄本人は横浜移籍を希望しており、畠山準氏とのトレードで移籍する予定でしたが、藤田平監督が任期途中で解任されたことにより、流れてしまいました。もし、実現していたら…

  1. 1998年の日本一に貢献していた。
  2. 野中信吾氏とのトレードで移籍していたか。
  3. 中根仁氏と盛田幸希氏の交換トレードは無かったかも。
  4. その後の阪神の成績が意外と良かったかも。

進藤達哉編集

1999年オフ、進藤達哉はFA権を行使して千葉ロッテかオリックスに移籍しようとしました。しかし、編成の都合で破談となってしまいました。もし、移籍が実現したら。

共通事項
  1. 江藤は横浜に入団した。
  2. それでも、現役引退後にコーチとしてベイスターズに復帰するのは史実通り?
横浜→千葉ロッテ
  1. ポジションは三塁
    • 内野が二塁・酒井、三塁・進藤、遊撃・小坂となる。
    • NPB歴代No.1の堅守内野陣が組まれた可能性も。
  2. 初芝が追いやられた可能性が高い。
    • 江藤を獲得できなかった巨人か阪神あたりに移籍していたかも。
  3. 確実に今江、西岡らにいい影響を与えていた。
  4. オリックスの背番号7は空き番のまま。
横浜→オリックス

翌年、トレードでオリックス入りとなります。もし、FAで一年早く移籍していたら。

  1. 小川はオリックスで野球人生を全うしたと思う。

千賀滉大編集

ソフトバンク→西武

帆足和幸の人的補償候補として検討されたものの、当時の千賀は育成選手であり人的補償対象外だったため断念しました。

  1. 支配下登録直後は不安定な西武中継ぎ陣の中でリリーフエースとして文字通りの獅子奮迅の活躍が見られていた。
    • 先発再転向は史実通り。投手陣の隙が埋まることで、場合によっては2017年は西武がパリーグを制覇していたかもしれない。
  2. 2018年・2019年の西武のポストシーズンの成績がもう少しよくなっていた。
  3. 2019年シーズンより菊池雄星に変わって背番号16を着用。
    • 松坂には背番号00を提示していた。
  4. 仮に育成選手が人的補償の対象として認められていた場合、その後のFA人的補償が根底からひっくり返っていた可能性も否めない。
    • 鶴岡慎也の人的保証が甲斐拓也だった可能性もなくはない。
    • 怪我等により開幕から長期離脱する支配下選手との育成契約が史実ほど行われない。

た行編集

高村祐編集

近鉄→巨人

2004年シーズン途中に巨人の元木大介との交換トレードが東京中日スポーツで報じられたが誤報であり、もし入団していたら

  1. 抑えを固定できなかったチーム事情で抑えを任されいた。
  2. 東北楽天ゴールデンイーグルスへの入団はない。

田口壮編集

オリックス→阪神

田口壮は2001年FAでカージナルスへ移籍しましたが、阪神も獲得に動いていました。本人の意向で阪神入団はお流れとなりましたが、もし田口壮が阪神に入団していたら…

  1. 2002年の阪神はAクラス入りは果たせた。
    • Aクラスは果たせなかったとしても、もう少し良い成績を残せていただろう。
    • 巨人は優勝できなかった、あるいは優勝してもデッドヒートは必至だった。
  2. カージナルスの2006年のWS優勝はなかったかも。
    • 2004年もWS出場を果たせなかった可能性あり。
  3. 2003年にアニキ(金本)は他球団へ移籍していたかも。
  4. 「阪神に行きたくない10カ条」の影響で、阪神ファンから全く応援されなかった。
    • そのまま不振に陥り、2,3年でひっそりと引退。
      • そして、石嶺、山沖、星野と続いた失敗FAに名を連ねていた。
  5. ノムさんの後任の阪神監督が仰木さんなら呼ばれて入った可能性が大きいし、以前からの恩師なので活躍できやすかった。

武田一浩編集

日本ハム→中日

日本ハムで活躍していた武田一浩投手は1995年、上田利治監督ら首脳陣との衝突からわずか2試合の登板に終わり、同年オフにはトレード要員となります。明治大学の先輩だった星野仙一監督の復帰が決まっていた中日へのトレード(交換相手は与田剛)が内定しましたが、中日が与田(翌1996年途中でロッテにトレード)の放出に消極的だったことから成立に至らなかった一方、ダイエーの王貞治監督が武田の獲得を熱望。下柳剛・安田秀之との交換トレード(2対2)で松田慎司とともにダイエーへ移籍し、1996年にキャリアハイの15勝を挙げました。その後1998年オフにFA宣言して中日に移籍しましたが、もし予定通り中日にトレードされていたら?

  1. 武田は中日の右のエースとして、同僚の今中慎二(左のエース)とともに先発ローテーションの柱として活躍。
    • 1996年は今中や斎藤雅樹・ガルベス(ともに巨人)と四つ巴の最多勝争いを展開。今中・武田のダブルエース&山本昌・前田幸長・門倉健・野口茂樹による強力先発ローテと「強竜打線」の活躍により、1996年の中日はセ・リーグ優勝を達成していた。1998年も野口・武田・川上・山本昌・門倉の先発ローテでリーグ優勝(史実の1999年と合わせて2連覇)できていたかもしれない。
      • 同年の日本シリーズでは今中が開幕投手を務めていただろうが、武田はパ・リーグを知り尽くしていることも相まってオリックス主催試合(グリーンスタジアム神戸)の第3戦あたりで先発していただろう。となると第2戦は山本昌が先発か?(第4戦はおそらく武田と同様の理由で前田幸長が先発か)
  2. ダイエーの暗黒時代脱出、城島健司の成長は史実より遅れていたかもしれない。下柳が史実の武田のポジションになれれば史実通りかもしれないが。
  3. 与田は史実通り、中日から放出されて以降も故障から復活できず引退していた。日本ハムの1996年〜2002年(史実で下柳が在籍していたシーズン)の成績は史実より悪くなり、上田監督の辞任も史実(1999年)より早くなっていた。
    • 1996年はオリックスが、1998年は西武がそれぞれ史実より早く優勝を決めていた。
  4. 日本ハムから勝利を挙げられないままパ・リーグを去ったことになるため、交流戦が開始された2005年まで現役を続けるか、その後さらにセ・パ各1球団ずつを渡り歩かない場合、全12球団からの勝利(史実では巨人移籍後=引退年の2002年に達成)は達成できなかったことになる。
  5. 背番号は29番(トレード相手の与田が着用していた背番号)あたりだろうか?

立浪和義編集

中日→ホークス
  1. あまりにも黒いうわさが絶えなかったため、コンプライアンスを重視する落合が上手いこと干して引退に追い込んだ立浪。
  2. 彼がソフトバンクに買収されてきわめて裕福になったホークスに引き抜かれていたらどうだっただろうか。
  3. そうはいっても年齢的に下り坂だった。落合に干されなくて普通の監督だったら、聖域化して批判されていただろう。
  4. 三塁は小久保で盤石だったし、小久保の加齢と一塁転向を考慮しても松田との競争に勝てなかっただろう。
  5. 年齢的に二塁守備に戻るのも難しいだろう。パンチ力がないので指名打者を使うのももったいない。
  6. 2006年のように外野練習を続けるのもありだが、多村には絶対勝てないし、左翼か右翼で柴原や大村との併用になる。
  7. レフトで加齢して、ヤニキなみの聖域となってしまうかも。
  8. 一塁もズレータや末期の松中がいた。
  9. ソフトバンクの有り余る資金力で獲得はできるだろうが、高齢高年俸のベンチウォーマーとして、主力の休養と代打時の出場となるだろう。
  10. 結果、落合の起用法が合理的だったといえる。
  11. ホークスはドラゴンズよりコンプライアンスが厳しいので、不祥事が発覚して首になるかもしれない。
  12. 監督は絶対にできなかっただろう。

谷繁元信編集

横浜→巨人

1997年オフ、FA権を所得し、当時正捕手が不在だった巨人の移籍の噂が囁かれましたが、横浜が強くなってきたことにより残留しました。もしFAで巨人に移籍していたら・・・。

  1. 村田真一は史実より早く引退していた。
    • 或いは、横浜に移籍して史実の頃まで現役を続けていた。
  2. 阿部慎之助は巨人に逆指名で入団しなかった。
    • 阿部はどこが指名してただろうか。
      • 史実で谷繁を獲得していたはずの中日か、それとも地元(千葉県)のロッテあたりか。
        • 谷繁を失う横浜の可能性もある。
  3. 横浜は1998年優勝できなかった。
    • 権藤博は史実より早く監督を退任していた。
    • 横浜は史実より早く暗黒期に突入していた。
  4. 中日は史実より優勝回数が減っていた。
  5. 中村武志は横浜へ移籍せず、中日一筋で現役を終えていた。

坪井智哉編集

阪神→西武

2001年に野村監督との関係が悪化したためトレード要員になり、西武の土肥選手との話が浮上しました。もし西武に移籍していたら?

  1. 2004年の日本ハムはBクラスになり、ロッテがAクラスになっていた。
  2. 新庄剛志と出会わなかったので史実ほど活躍できていない可能性もある。
  3. 引退後にDeNAの打撃コーチを務めるのは変わらない。

土肥義弘編集

西武→阪神
  1. 2002年から巨人キラー(2005年、横浜の投手として対巨人戦7勝1敗)を発揮していれば阪神は史実より1年早くAクラスになれたかも。
  2. 2003年の優勝にかなり貢献していた。
    • ただ当時の阪神の中継ぎ投手事情を考えると隙間がなかった可能性も。
  3. 2005年の横浜はBクラスになり、2016年に15年ぶりのAクラスと言う事になっていた。

な行編集

西口文也編集

西武→広島

1995年にスポーツ紙に報道されたようです。

  1. 1997・1998年に西武はリーグ優勝できたのだろうか。
    • 場合によってはヤクルトや横浜が日本一になれなかったかもしれない。
  2. でもその後のカープの成績を考えると200勝は結局ムリだった?
  3. 関東圏でないのでジョセフ・オツオリに似ていると言われずオツのあだ名が定着する事もなかった。
  4. 松坂大輔の成績は史実とあまり変わらないか。
  5. 90年代後半の広島は史実よりいい成績を残せていた。
    • 小林幹英や澤崎の酷使はなかった。

仁志敏久編集

巨人→オリックス

2006年オフにオリックスから巨人にトレードされた谷佳知ですが、シーズン中にも仁志敏久とのトレード話がありました。しかし仁志が拒否。結局仁志は横浜にトレードされました。もしこのトレードが実現したら・・・。

  1. 仁志と原監督の仲違いはあまり大きくならなかった。
    • そして原監督もそんなに批判されなかった。
  2. 巨人の外野が大変なことになっていた。
    • 同時に横浜の内野も(以下略)。
      • 藤田一也、野中信吾、石川雄洋らによる二遊間争いが1年早く始まった。
  3. 平野恵一も谷とのセットで巨人に出されたかも。

野村克也編集

南海→巨人

1975年オフに巨人から水面下で選手兼任ヘッドコーチとして移籍を打診されましたが、監督の長嶋が拒否したため実現しませんでした。もし、この移籍が実現したら・・。

  1. 1976年と1977年は阪急の倒し方を巨人ナインに伝授し、日本シリーズを制覇か。
    • 3番レフト張本勲、4番ファースト王貞治、5番キャッチャー野村克也のHON砲が大活躍し、レギュラーシーズンも史実よりも2位以下に差をつけて優勝できていた。
  2. 江夏は南海に移籍しても野村がいないため、クローザーになることなくそのまま引退していた。
    • 日本球界の投手分業制はもっと遅れていたか。
  3. いずれは長嶋との野球観の違いで齟齬が生じるようになり、やがてベンチは冷戦状態になっていた。
  4. 川上哲治に自らの野球観を継ぐものと称賛されて、長嶋解任後の藤田政権でもヘッドコーチを務めていた。
    • 長嶋ファンからの抗議の的となっていた。
  5. サッチーも史実よりは大人しくなっていた。
    • 南海でのサッチー関連のトラブルが生じず、サッチーもそこまで南海に悪感情を抱いていないため、なんばパークスにも最初から野村の名前が展示されていた。
    • そもそも史実では1977年に南海ホークスの選手兼任監督を解任され退団したが、それよりも2年早く監督を退任し円満に退団できていた。
      • そして、現役生活の大半を過ごし幾度もの優勝を支えたホークスでその功績が称えられ、現役時代の南海での背番号19がホークスの永久欠番になり、ダイエー・ソフトバンクへの身売りを経ても受け継がれていた。
        • その場合、後に南海・ダイエー・ソフトバンクで背番号19を着用した選手は、別の背番号を着用していた。
    • 南海の後任監督は穴吹かブレイザーが就任したか。
  6. ヤクルト監督就任は予定通りか
    • 流石に巨人の生え抜きではないので巨人の監督に就任することはないが、さらにその先の阪神・楽天の監督就任も史実通りだろう。
  7. 巨人では正捕手に定着して現役生活の晩年を過ごし、1980年に王貞治と共に現役を引退していた。
    • 現役引退後も指導者としては、ヤクルトの監督に就任するまでは、藤田政権・王政権の巨人でヘッドコーチを務めていた。

関連項目編集

もしあのプロ野球選手があの球団に移籍していたら
あ~こ/さ~の/は~わ