国鉄の客車

2018年5月27日 (日) 16:05時点における>I.T.Revolutionによる版
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旧型客車

  1. 実は、系列という概念がない。
  2. 正式な呼び方ではないらしい。
    • 国鉄の現場で20系以降の客車と区別するために便宜的に呼んでいたそうだ。それが鉄道ファンにも広まった。
  3. 新車の投入は優等列車が優先された。
    • 普通列車には優等列車からのお下がり、もしくは60系客車。
  4. 10系以前の客車には「急行形」「一般形」といった明確な区分がなかった。
    • 普通車に至っては登場時は急行で使用され、後継車が登場すると普通列車にも使用されるようになっていた。
    • 現場では「一般形」と呼ばれていたが、正式な車両区分ではなかった。
  5. 新造時の室内灯が白熱灯か蛍光灯かで形式が変わる。
  6. 実は、運転停車という概念がない。
    • 機関車連結や交換待ちなどの間にも手動ドアを開けて乗降できた。
      • そのため単線区間の長い幹線で優等列車停車歴のない駅は少数派。
      • 北陸本線田村-敦賀が交流電化された際、それまでは区間運転の気動車普通しか停車しなかった田村駅が急行列車も停車する駅になったのは、田村駅で機関車の交換を行っていたため。

10系

  1. 軽量構造を始めて採用し、「軽量客車」と呼ばれた。
    • 実際にはそれ以前の旧型客車と混用されたため、本形式も広い意味では旧型客車に入る。
      • 車体や台車こそ近代的になったが、ブレーキや連結器、暖房、電気配線などといった設備は従来のものを踏襲した。
  2. 同時期に製作された末期の旧型国電の車体は10系をベースにしている。
    • 新性能電車の車体のベースにもなっている。
    • 同じ1956年登場のキハ55系も。
  3. 寝台車、座席車(普通車、グリーン車)、食堂車、郵便車がいた。
    • 食堂車には石炭コンロを使うものと電子レンジを使うものがあった。
    • 郵便車には50系もどきの車両もあった。
  4. 北陸トンネルでの火災の原因は食堂車の石炭コンロが原因と言われていたが、実際は電気系統の火災だった。
    • そのせいで食堂車の使用は中止された。
  5. 軽量構造ゆえに腐食が早く、早くから廃車になる車両も現れた。
    • グリーン車に至っては早い時期に形式消滅。
      • 電気暖房がなかったため、早期廃車された。
        • 1970年10月、大阪万博輸送を終えた12系客車や165系電車が10系の置き換えに回された。
    • そのせいで1世代前の43系が多く生き残っていた。
    • 寝台車はそこそこ末期まで残っていたが、設備のしショボさは否めず…。
      • 寝台車は老朽化の元凶となった下降窓を採用していたが、それでも長く使われた。
        • 通路側の折りたたみ椅子がないため、寝台セット・解体時などに立っている客への配慮らしい。
          • そうする位なら上昇式にして椅子を設ければ良かった気もするが。
    • 火災実験のために廃車となった車両もある。
  6. 車体構造はスイス国鉄の軽量客車をモチーフとしている。なのでヨーロピアンなデザインになった。
  7. 実はJR化後も普通車が残っていた。
    • しかも平成になった時点でも残っていた。10系グリーン車廃車から15年以上過ぎたにも関わらず。
      • JR東日本に工場入場用の控車代用として継承されたものだが、末期はほとんど使われなかった。
  8. 実は20系以降の客車と並行して製造されている。
    • 郵便車については1980年代まで製造されていた。
      • 50系もどきになっていたが。なんで10系を名乗り続けたのかはまあアレだ(所有者が郵政省だったちうのも含め)。

30・31系

  1. 日本で初めて造られた鋼体車両。
  2. KATOで初めて製品化された客車もこれ。
    • 昔の技法を基準としている為ライト点灯化されたものはない。
    • オハフ30は製品化してくれないため自己責任。

32系

  1. 戦前に作られた狭小窓の客車。
  2. 初期はWルーフ、後期は丸屋根。
    • Wルーフ車は昭和30年代にオハネ17や荷物車・職用車への改造種車となって比較的早い時期に姿を消した。
  3. 本州以南ではのちの35形に切り替えられたが北海道では二重窓の関係か32系を延々に作り続けていた。
    • 室蘭本線のC57135の最終SL普通列車にも活躍していた。
    • 山口線もビデオでD51に引かれている映像を映し出されていた。
  4. 今では動態・静態ともにスハフ32の丸屋根しか現存しない。
    • JR東日本のみ動態保存中。静態は小金井公園で貴婦人様(汽笛なし)の後。
    • かつては福岡の貝塚公園にキューロクと共に静態保存されていたスハ32がいたが、解体されて20系に置き換えられてしまった。

35系

  1. 戦前から戦後一貫で製造された大窓の客車
  2. 戦前は丸屋根、戦後はキノコ切妻。
    • 戦前型のなかにはノーシル・ノーヘッダーや張り上げ屋根の試作車も結構あった。
  3. 今でも大井川鐵道のSLに使っている。
    • パレオエクスプレスでもこれの戦後型が使われていたが、12系化後は北海道に譲渡された。
  4. スハ42形もこいつの仲間。
    • 乗り心地向上のために台車変更され、別形式になったもの。スハ43系登場までのつなぎだった。
    • 一部は軽量化改造を受けてオハ36形になった車両もあったが、電気暖房を設置したらスハ級に戻ってしまった。
  5. Wikipediaに載るのが比較的遅かった。
  6. 2017年という時代にJR西日本が新造した。

43系

オハ47 2261
  1. 戦後の急行型客車。
    • 確かに急行列車に使用された実績はあるが、正式な意味での急行形ではない。なお、国鉄の現場では一般形と呼んでいたが、こちらも正式な呼び方ではない。したがって、当形式には正式な急行形でも一般形でもないため、旧客には明確な車両区分が存在しない。
  2. 外観は61系と似ているが窓はそれより大きい。
  3. 北海道では45系として二重窓で製造された。
  4. 近代化の際には蛍光灯化や青15号化された車両も出ていた。
  5. 今ではJR東日本大井川鐵道でSL列車の客車に使われている。
    • かつては秩父鉄道のSL急行「パレオエクスプレス」にも使われていたが、12系化後にJR北海道に行った。
      • 2014年度のSL減便後はその行方が分からない。
  6. 銀河鉄道999の999号の客車もこれがモデルだ。

60系

オハニ36 11
  1. 木造客車を鋼製化したもの。
    • 「鋼製化」は戦前に木造客車を鋼製客車へ改造したことを差し、戦後に行われた木造客車の60系への改造は「鋼体化」と呼んで区別されている。
  2. 旧型客車の定期運用として最後まで残った。
  3. 冷房改造やリクライニングシートを装備してグリーン車に生まれ変わった車両やここからさらにお座敷車両に改造された車両も存在した。
    • 気動車に改造された車両もあった。
  4. 製造のきっかけは八高線
    • 「木造車体はなんとかしねえとやべえなあ」とは判っていたらしいがカネが出なかった。
    • なんとかする方法も新車ではなく、国鉄工場で改造。
    • 当時日本を統治していたGHQが、国鉄に新車の製造許可をなかなか出さなかったので、新車を製造したくても出来なかった。
      • 国鉄職員がCTSの担当者をラッシュ時の両国駅に連れていき、ボロボロになった木造客車に乗客が寿司詰め状態になっている悲惨な状況を見学させて、ようやく鋼体化改造としての製造許可を貰えた。
  5. まだ現役のオハニ36も60系客車のうちだが、分類上だけに近い。
    • 特急かもめに使ったので客室は60系では例外のグレード。
    • 登場時はオハニ63で台車も他車同様だったため、乗り心地が悪く、10系と同タイプの台車に履き替えた。
  6. いらなくなった木造車体は都営住宅になったらしい…。
  7. 関西本線でもデゴイチ等に引かれて大活躍。
  8. グリーン車もいたが新製車はゼロ。オハ61からの改造。冷房改造した車両は重量増の為スロ62・スロフ62と別形式起こされ、電気暖房併設改造車は2000番代と新番代起こされた。
    • 「〇〇(配置基地の電略)和式」といわれる81系客車もスロ62からの改造。老朽化進行と12系改造車に置き換わる形で廃車。

70系

  1. 戦後の車両不足に対処するため、戦災で被災した車両を復旧させた客車。
    • 元々客車だった車両だけでなく、電車の被災車を改造したのもあった。
  2. 客室は基本的にロングシートであった。
  3. そのグレードの低さから本来の客車が行き届くと早いうちに荷物車に改造された。
    • さらに荷物車にも後継車が登場すると救援車に転用されてしまった。
  4. JR東日本に1両だけ引き継がれ、他の旧客とともにイベント列車で使用されたが、末期はあまり使用されなかった。

新系列客車

12系

  1. 電源分散方式を初めて採用した。スハフ12にディーゼル発電機搭載。
  2. 旧客(10系まで)とも混結可能。座席車が12系、寝台車が10系の混結列車もあった。
    • きたぐにに至っては普通車が12系でグリーン車が旧客という、グリーン車の方が乗り心地で劣っていた。
  3. 14系のベースになった。混結可能。
    • 実際に12系と14系の混結列車が設定されたは1980年代以降からだった。
      • それ以前は14系が特急用とされていたため、寝台車には20系の改造車が使われていた。
      • 九州では12系と24系の混結列車があった。
  4. 14系座席車が登場するまでは特急にも使われた。
  5. 国鉄末期にはジョイフルトレインや普通列車用に改造された車両も現れた。
    • 中には気動車に改造された車両までもあった。
  6. JRになってから扱いが悪くなり、廃車になる車両も多かった。オリジナルで残る車両も残り少ない。
    • 中には海外に譲渡されたものが結構いた。
  7. 実は大阪万博が登場のきっかけだった。
  8. 同時期に登場したキハ65系と設計上の共通点が多い。
  9. 何気にSL列車によく使用されているような気がする。
    • 車両の特徴上、使い勝手が非常に良いのでSL列車の使用客車としては一番重宝されている。
      • しかしながらも老朽化が深刻化しているので、各鉄道会社もこれに頭を抱えている状況。
  10. 通勤車化されたものは、乗務員室の扉が設置されたり白帯が撤去されたりしていた。こちらは短命に終わった。
  11. 各中小私鉄に譲渡されたものもあった。
    • わたらせ渓谷鐵道のトロッコ列車や秩父鉄道のSL「パレオエクスプレス」など。
    • 若桜鉄道にもC12が牽引するSL列車に使う予定の客車として納車された。
      • こちらは元ムーンライト高知の客車だった。
  12. トイレ付近の屋根にハッチがある。これは車両製造の際、車体組み立て後に、屋根からトイレユニットを搬入するために設けられたもの。
  13. 1969~72年に製造され、10系客車の早期廃車を促した形式。
    • いや、1978年まで増備された。最終期の車両は前面窓の幅が狭く細長いのが特徴。
  14. 1989(平成1)年2月時点では残存率100%だった。
  15. オリジナルの方向幕には本州・九州の主要な駅名が一通り入っている。

14系

スハネフ14 27
  1. 寝台車と座席車がいた。混結可能。
    • はまなす
    • ふるさとライナー山陰も運転日によっては混結されていた。
  2. 電源分散方式といって20系や24系みたいな電源車がいなかった。スハフ14とスハネフ14にディーゼル発電機搭載。
    • 北陸トンネルの大参事がトラウマになって、分散発電から電源車を用いた集中電源方式にシフトしていったというのは有名な話。
    • 流石に「さくら」など行先が二手に分かれる列車は電源車方式には戻せず、最期まで14系が使われた。
    • それどころか本来14系である必要ない筈の「北星」「北陸」等の20系からの置き換えにも使われた。造り過ぎた?
  3. デビュー順は20系→14系→24系。
    • その後24系25型→14系15型と回帰とまではいかないものの火災対策を強化した上で併結運用のため製造再開。
  4. ゴルゴム式に改造を受けて、ジョイフルトレインに生まれ変わった客車多数。
    • 中には個室寝台車に改造され、「北斗星」などに運用されている車両もある。大出世もいいとこだ。
      • その中には座席車から個室寝台車に改造された車両もある。車体はほとんど新製した。
  5. 一応特急型であるが、実際には夜行の急行列車などでよく運用されていた。
  6. B寝台を2段式寝台にした14系15形も造られたが、何故か「あかつき」にしか投入されなかった。
  7. 引退後にタイフィリピンに渡った車両もいる。
    • フィリピンへ行った車両の窓には投石対策として鉄格子が装着されていた気がする。
  8. 座席車の車体構造は183系を基にしている。
  9. 北海道のSLに使われている客車はこれ。
    • 塗装は茶色に赤帯の2代目三等車色であった。
  10. 過去には東でもC58に引かれていた時期もあった。
  11. 食堂車や2段式A寝台のように24系になったものや2段式B寝台、個室A寝台(シングルデラックス) 個室B寝台(ソロ)のように24系から編入されたものもある。
    • このほか個室B寝台、ロビーカーに改造されて転用されたものも。
    • 編入するに当たっては配管や配線変更必要だが、主に床下方面でのことなので外観・内装は目立った変化がない。編入改造ついでに古くなった内装板張替え程度はあったようだが、それとてさしたる改造とはいえない。
  12. 15型はJR九州にもいたが86年のあかつきの減車、減便での転用だった。
  13. あかつきのシングルデラックス(オロネ14-300番台)は24系に組み込み事が出来る。
    • 14系の1系統24系の2系統といった給電方式の違いがあるがオロネ14-300には切り替えるスイッチがあり、それを使うことによって24系に組み込むことができる。
    • そのためJR西日本車の日本海などに連結されいたことがある。
    • 四国にも14系が在籍するが東武鉄道に譲渡予定である。

20系

交通科学博物館に保存されている食堂車
  1. 列車ホテル。
  2. 軽量化が図られている割には、どっしりした印象がある。
    • パンタグラフが付いている異質な感じのする電源車があったけれど、重すぎで早々にパンタの撤去と中身の改造を受けるハメになってしまった。最終的には24系に組み込まれた。
      • その重さ何と64t。中型機関車並み。
  3. 寝台急行銀河で使われていた。当時の寝台急行としては破格の設備だった。
  4. 末期には12系客車(12系のシステムに合わせ20系を改造)と連結して急行・だいせんになった。
    • 急行に転用後は「銀河」を除きヘッドマークに愛称が表示されず、単に「急行」と表示されていた。それが何か哀れだった。
      • 転用の際、側面上部にあったクリーム帯が消された(他の2本の帯も白くなる)ので、ドラえもんの頭みたいな印象になった。
  5. スタイルそのものは14系や24系と比較してもスマートだと思う。
  6. 実は手動ドア
    • 急行転用の際に、併結相手の12系と一括操作できる自動ドアに改造される。
    • ただし自動施錠はできた。
  7. みずほ」(当時は東京~熊本・大分)の20系化の際、付属の大分編成が単独運行する区間(門司~大分)用の電源車が必要になり、急遽専用の電源車が用意された(マヤ20)。のちに「さくら」「あかつき」等にも使用。
    • 何と32系客車からの改造。写真で見る限り外観は旧客当時の姿のまま。
  8. ナハネフ22とナハフ20の後尾は右半分を車掌室として使い、左半分が展望室として開放された。
  9. 1988年に来日したオリエント急行の連結器変換アダプターとして、清算事業団で眠っていたナハネフ23 8が引っ張り出された。
    • これが北海道で営業した唯一の例。
    • こいつのプルマンカラーはなかなか似合っていた。

24系

浦和駅を通過する『北斗星』(24系25形)
  1. ブルートレイン。
    • 現在残っている、カシオペアを除くブルートレインの客車は全て24系。
  2. グリーントレイン。
    • トワイライト用の24系は(青森までの)相方であるEF81もろとも深緑のオリジナル塗装に塗り替えられた。
  3. よく見ると1両背の低い車両がある。
    • 東海道線や横須賀線が113系だった頃のグリーン車に似た様なのがいたなぁ。
    • 北斗星とトワイライトの真ん中あたりに連結されている食堂車がそれ。元は481系などの特急用電車からの転用。
      • たまには「なは」のレガートシート車(種車はサロ481)のことを思い出してあげてください。
      • 当時は他の列車にオシ24が使用されていたので、仕方がなくサシ481形&サシ489形を改造した経緯がある。
      • トワイライト用の食堂車(ダイナープレヤデス)は元々日本海に連結する予定で改造されたものだった。なので最初は青地に銀帯の姿で登場している。
  4. 金帯・銀帯・白帯。
    • どういうアレがあるのかは知らないけど、銀帯は早々に消滅。現存する北斗星とトワイライトは金帯で統一、あけぼの日本海は金と白の混編成。
      • 金帯=24系25形グレードアップ改造車。銀帯=24系25形(2段式寝台車で帯材はステンレス)。白帯=24系(3段式寝台車でオリジナル車だが2段式寝台に改造済み・帯は塗装)。もちろん混結可能。
  5. 切妻の緩急車はなんとなく見栄えが悪い。特急型なのに切妻というのが何だかしっくり来ない。
    • 切妻緩急車(オハネフ25-100)同士をつなぐと分割時に連結間隔が狭過ぎるのと方向限定せずにつなげられる車両が欲しいという理由で折妻の緩急車・オハネフ25-200も登場した。が、角度は申し訳程度。
  6. 12系や14系とは混結できないが、九州では12系から電源をもらう形で混結列車が存在した。
    • はまなすも14系と24系が混結しているが、こちらは24系に14系との混結改造を施している。ただし24系については14系に編入されていない。
  7. おでこに前照灯をつけると阪急電車の顔になりそう。
  8. 個室寝台車はさまざまな種類があり雑多。
    • 特に北斗星用の車両は、JR東・北双方とも色々いててよくわからない。
  9. JR北海道のオハネフ25の中には、はまなす用のスハネフ14が不足したため、電源装置を取り付けて14系に編入した車両がある。

50系

ローカル線のヌシ(当初予定)
  1. 旧国鉄の客車の常識を打ち破る赤系統の塗色。レッドトレイン。
    • 旧型客車を置き換える目的で製造されたので、客が一目で新車だと判る色、汚れが目立ちにくい色、国鉄標準色にある色、と言う理由で赤2号になった。
      • 実は車体色にはもうひとつ候補の色があり、上のお偉いさんが赤色をボツにした場合は、緑色になる予定だった。
  2. ○ットン便所だった。
    • 九州では末期はトイレの全面タンク式化で12系が併結されていた。
    • 「海峡」用はさすがにタンク式に改造された。
    • 一応、タンク式への準備工事はされていた。
  3. 北海道用は51系。1-10番車は小型窓。車軸発電機がベルト駆動からギア駆動になった。
  4. 3社ではディーゼルカーに改造されたり、ジョイフルトレインに改造されたり。ここでは建築限界測定車になったり波乱万丈。
    • 九州の車両は冷房改造された。冷房機はここからの流用。1000番台に改番。
    • ここでも冷房改造されて、快速「海峡」に充当された。
  5. JRになってから扱いが悪くなった。そのせいで早くから廃車になった。
    • 全て平成まで残ったが、初めて廃車が出たのは平成最初の年だった。その次の巳年(21世紀最初の年)に九州から撤退、その翌年に海峡線を最後に定期運用が全滅。
      • 思えば登場した1977年も巳年だ。
    • JR化後に保線コスト削減や機回しによる停車時間をなくしたいことからSL専用編成を除き寿命より早く引退させてしまった。
      • 日本では山々が多いため元々客車が似合わない国と指定されているらしい。
  6. 1980年代前半までは福知山線でも運用されていたため、大阪市内でもその姿を見ることができた。
    • 平成になっても東海道線で定期客車列車で走ってた(草津線乗り入れ運用の草津-京都)。
  7. 原型車は荷物車・郵便車が残っている。用途は控車と救援車だけどね…。
    • 真岡鉄道の車両は?塗装変わってるけど・・・
  8. 通勤用の客車であるが、なぜか「一般形」に区分された。
    • 国鉄では通勤形はロングシートと規定していたため。その一方で室内はセミクロスシートであるが、通勤形でも近郊形でもない車両であるため、一般形になった。
      • そのため、日本の客車には通勤形や近郊形がないとか。
    • 正式な意味で一般形に区分される客車は50系が唯一の存在。
      • 旧客のことを「一般形」と呼ばれることもあるが、こちらは明確な区分がなかったため、正式なものではなかった。
  9. 自動ドアという点を除けば、旧型客車に近い。
  10. 同時期に登場したキハ40系気動車との共通点が多い。
  11. 実は当時の貨物列車削減によって、宙ぶらりんになった機関車(とその運転士)に仕事を与えるために造られた。
    • 交流電化線区には417系を入れたかったが、交直流電車が高額すぎてやむなく50系を製造したのはそのため。
  12. JR九州で現在活躍しているSLの客車も実はこれの改造。九州唯一の本系列。
    • 登場時はSLばんえつ物語のデビュー時と同じく茶色とクリームのツートンカラーで金色の装飾がされていた。
      • 車内チャイムもハイケンスのセレナーデの転用はなくオリジナル曲。
        • 今はもうすっかり真っ黒に塗り替えられた。

マニ30(2代目)

  1. マニ30など、存在しない…。
  2. 近づくと、職質される事が多かったらしい。

JNR 日本国有鉄道

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