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==鹿児島の新聞の噂==
少数派に留まった車両や完全な車両置き換えに至らなかった車両がもし、更に増備されていたら?
#いわさきグループのおかげで鹿児島新報が潰れた。(と、いうよりは「潰した」と言ったほうが正確かも)
#*元社員から岩崎グループと、県内某大手スーパーは恨まれている。
#*創刊45周年記念号を出した直後(2日後)に突然廃刊した。
#**↑そしてそれを「無責任体質だ!企業としての危機管理能力が足りない!!」などと決して追及しなかったマスコミ。マスコミの同業者にはひたすら甘い体質をまざまざと見せつけた事例だった。自浄作用なんて絶対ねーな、マスコミ。
#***需要がなくなれば(…というよりも競争に負ければ)いづれ消えるのよ…と。


===[http://373news.com/ 南日本新聞]===
*新規追加は「会社別(東から順)+形式が若い順→形式不明(50音)」の順にお願いします。
#年寄りが大好きなローカル新聞。鹿児島県内の購読率は約80%、奄美以北では確実に読まれている。
**項目内に史実の導入編成数を書いていただければ幸いです。
#*故に年寄りの死亡率と購読率減少が、見事に正比例する。
*現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。
#「南日本」と題するため鹿児島県下だけではなく、宮崎県にも支局や販売店があるが、都城周辺を除きあまり購読されていない。
*1年以上、増備が行われていない形式でお願いします。
#*ただし宮崎県庁や県立図書館でリアルタイムに読める。意外と地元紙よりも情報が早いことも…
#巻頭コラム「南風録」の論評は、県内で絶大な影響力がある。また中学から高校の国語の試験問題でたまに問題文として引用されることがある。
#*ここで鹿児島に批判的な論評が載ると、集金の時に年寄りから説教される(by集金人)
#夕刊の芸能スポーツ面記事は、サンケイスポーツ(九州では未販売)から配信されたものを使っている。
#*福岡では売っている。
#夕刊の特集面は一部フリーライターを活用して取材・構成をしている為、ユニークで読み応えが高い。
#*夕刊止めて数年経ったので現在は知らんが、2000年前後の夕刊記事はかなりカオスな状態だった。何度読んでも意味が通らない文章がよく載ってたよ。。。。。
#かなり昔から鹿児島に進出するあらゆる人や会社は南日本新聞社に一度は挨拶に訪問するのが一種の通過儀礼化している。特に会社関係の場合は原則、社長が挨拶しなければその後の県内での運営が上手くいかないジンクスがある。
#南日本新聞の報道がなければ、あらゆる県内でのスクープ報道は信用されない。
#第二TV面にあすの沖縄のTV番組も出ているが今日の番組は出ていない。恐らく船便で奄美方面に1日遅れで配送される為と思われる。
#単なる地方紙の分際でブロック紙気取り。
#購読率アップを[[創価学会|あの教団]]に頼っている。
#保守的な鹿児島に在って何故か左巻きである(市民の広場に左系投書が多く掲載される等、全体的に左翼論調)。
#*年寄りは臨終間際に左にドライブするから当然である。
#公務員が酒の席でドジを踏むと「黒ヂョカ」という欄で実名で面白おかしく書かれる。
#販売店主任が飲酒運転でドジを踏んだため、実名がデ~ンと載ってしまった。
#*配達中に放火をした消防団所属の配達員もいた。
#*更に更に配達中、マンションのベランダから女性の下着を盗もうとして、部屋の中にいた男に捕まった配達員もいる。
#**他紙配達員と配達などで接触事故を起こした場合、お互いに不問にするという闇ルールがあるらしい。
#**自配達員が事故を起こした場合、販売店に申請しても使い物にならない保険に入っていたり、言いがかりをつけて本人に責任を負わせる始末。
#***仕方なく、配達人各自が自身の保険屋に連絡すると「なんて新聞社だ!」と呆れられる始末(実話)
#客からのクレームに、かなり神経が参っている模様。
#最近、古新聞の自主回収を始めた。年寄りにかなり好評。
#*古新聞の回収は確かに評価できる。しかし古紙の値段が上昇してから始めてるので、どうにも裏読みしたくなる。
#**他紙と併読している客にしてみれば、南日本以外の新聞も回収してくれるので評価が高い。
#***特に高齢読者の場合、リサイクル置き場まで遠いし、疲れるという事情があり、感謝されるケースもある。
#取材能力があるのかは疑問。
#*リナシティかのやの社説はウィキペディアの後追いであったが、逆に検証可能性を満たしてくれた。
#*「九州新幹線、博多 - 熊本1時間4本」の記事も[[西日本新聞|ここ]]と[[熊本のメディア|熊本日日新聞]]から1日遅れであった。
#*プラッセだいわ鹿屋店開業(1991年)の記事を書かない時点でレベルは知れたもの。
#MBCに代わって宮崎を侵略中。
#*宮崎県政や[[宮崎/諸県|諸県]]の話題を県内ニュースとして扱う。
#鹿児島市に、役所の建物としては全く不向きな旧社屋を押し付けた。
#*そして自らは[[鹿児島市|与次郎]]に「スタンガン」みたいな形の本社屋を建てた。
#2008年3月、字体が変わった。
#*前の字体のほうが良かったなー。orz
#県内の地上波放送局全てに出資している。
#*ウィキペディアの受け売りなんだろうが、おおすみFMネットワークとディ!ウェイヴには出資できないはず。


===南九州新聞===
;関連項目
#[[鹿児島/大隅|大隅]]ローカル新聞。夕刊のみな上に4ページ。
*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/私鉄]] - 導入計画があったが未成に終わった車両はこちらへ。
#休刊が非常に多い。それが故にGW・年末年始はテレビ欄がほとんどを占める。
#MBCにラジオ局開局を阻止されたが、40年後に間接的に実現。
#公称部数は5000部と読まれているか微妙な立場だが、市立図書館や「天下の」鹿屋高校に置かれてあるので一定の支持は得られていると思う。
#*鹿児島大学附属図書館や鹿児島県立図書館には置かれていない。薩摩(というより鹿児島市)至上主義が垣間見える。
#公的機関や企業以外で購読している層がいるのかは不明。
#*少なくとも周囲の一般家庭で目にしたことはない。
#通常は回覧板的内容ではあるが、「塵も積もれば山となる」ように50年続けば資料の宝庫。
#1面のコラムが記者の日記帳化しており、ただの宣伝で終わることもある。
#誤字脱字が多く、また日本語が不自由な人が書いたような記事も多い。


==鹿児島の民放各局==
==独立済み==
#各局とも朝のワイドショー(TV局的にはニュース番組とか報道番組とか言いたいんだろうが)放送時間帯帯。
*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/関西私鉄]]
#6時~7時までのCMは馬鹿みたいにパチンコ屋のCMが多い。
#*2003年ごろに解禁されてから急に増えた気がする。それまではチラシでしか見たことがなかった。
#KKB(鹿児島放送)やKYT(鹿児島読売テレビ)は熊本のKAB(熊本朝日放送)やKKT(くまもと県民テレビ)と紛らわしい。
#*全然紛らわしくない。むしろMBCと[[長崎のメディア#長崎放送|NBC]]
#**NBC'''50ニュース'''まであります。
#KKBとKYTの送信塔はそっくり。
#とりあえず民放4局は何気に仲がいい気がする。番組改編の発表も合同だし。
#*「角が多くなれば丸くなる法則」が働いてるのだろうか。


===各局の噂===
==茨城交通・ひたちなか海浜鉄道==
*[[南日本放送]]
===キハ3710・37100形===
*[[鹿児島放送]]
史実では両形式合わせて3両の製造に留まりましたが、もし、所属車両全車置き換えに至るまで増備していたら?
#留萠鉄道や羽幌炭礦鉄道からの譲渡車は本形式によって淘汰されていた。
#*キハ205にも何らかの影響があった。
#JR東海からキハ11形を譲受することはなかった。


===[http://www.kts-tv.co.jp/ 鹿児島テレビ放送]===
==上信電鉄==
#坪内アナは[[フジテレビ]]の軽部アナに似ているから、小軽部といわれているが、その実績を買われて軽部アナの代役として、フジの全国ネットの朝の情報番組で夏休み時の代役を受け持つ数少ない全国区の地方アナでもある。
===7000形===
<!--#困った時のタマリ頼みというぐらい、寒いローカルタレント:タマリの出番が多い。じゃっどん小野ちゃんも干されたのにしぶとく食い下がったw。-->
*2両編成1本のみ在籍ですが、もし上信電鉄の車両が全て7000形になっていたら?
#自主製作番組は不得手らしい。長寿番組で人気が安定しているのは報道をのぞけば、『ナマイキvoice』と『ぱじゃま倶楽部』ぐらい。
#150形、200形、250形、500形、1000形、6000形は引退に追い込まれていた。
#割と系列局のネット率が高い『ミュージックフェアー』は、地元出身のタレントがMCになったのにも関わらず、なぜかネットされなかった。冠スポンサーとの確執が原因か?
#上信電鉄は全て自社発注車両で固める珍しい中小私鉄になっていた。
#めざましTVは5:25分スタートではなく5:55スタート。
#上信電鉄は全車両が冷房化していた。
#*トリプルクロスの某U局でさえ5:25スタートになったので、相当不満が大きそうだ。
#JR東日本から107系を譲受することはなかった。
#**だから、ついに2007年10月から5:25スタートになった。
#金曜日に『こたえてちょうだい』のネットがされない。
#*その代わりに健ちゃんパウダーをふりまく料理番組が放送されている。
#早朝と夜中にある『ぽよダンス』の視聴率は限りなく0%に近い。
#*やっぱりといっていいのかいつの間に終わってしまった。
#[http://www.kts-tv.co.jp/imagine.php スーパーニュースイマジン](2006年4月~2007年3月)のスタッフについて
#*古木圭介は、旅行会社の創業者。TV向きな人選じゃない。(しかし鹿児島市長選にも出馬した強者でもある)
#**↑当時の現職の得票に大きく迫ったものの僅かな差で落選した。落選理由の一つに、心を寄せていたかも知れない市職員まで敵(現職への投票または棄権)に回した可能性を挙げる者もいる。市役所周辺へのあまりに大音量かつ頻繁な選挙運動カーの巡回に「右翼のほうがまだ節度がある」と評した者もいたとか。本人に原因があるわけではないのだろうが・・・。
#*坪内アナの役割分担がいまいち不明確、キャスターなのか太鼓持ちなのか?。
#*「気象予報士の新井クン」は、古木さんのアドリフから定着。
#*「いまじんクンの旅」は、キャラに無理がある。
#*結局、2007年4月1日からは、なぜかスーパーニュースイマジンの前に放送されていたKTSスーパーニュースに戻った。
#*途中からモノラル放送だったり地デジ開始後もCGを16:9にしなかった辺りで手抜き感が…。
#かつてはトリプルクロス局だった。
#*その頃は明らかにフジテレビじゃなく日本テレビの番組が編成の中心であった。
#*ズームイン朝のインパクトが大きいだけで[[大分のメディア#テレビ大分|大分]]と大して変わらない。
#*ちなみにKTSはおろかMBC、更にはテレビ宮崎もトリプルクロスなんて言葉は使っていない。
#参院選で落選候補に当確を打ってしまった
#*↑2007年の参議選の話だと思うが、10数年前に当確ミスやったのもここだったと思う。
#*1990年の衆議選なら3局とも当確ミス(KYTはまだない)。
#**↑1992年(だったと思う)の。こういうのって記録がちゃんと残らないんだよね。
#さよなら絶望先生を独立U局以外の地上波放送局で初めて放送した。前番組はフジテレビ系列のノイタミナ枠のもやしもんを放送していたが、後番組の墓場鬼太郎ではなくさよなら絶望先生を放送した。キー局よりも独立U局を優先した非常に珍しい例である。
#*スポンサーのひょうたん書店のおかげであるが、今後もがんばってほしい。本当に。(と思うくらい鹿児島は深夜アニメが無い。)
#[[#フレンズFM762|フレンズFM]]は手下。
#デジタル放送のOP・CLには、映画「魔女の宅急便」でおなじみの「やさしさに包まれたなら」のピアノバージョンが流れている。
#日テレとのクロスネット時代、「YAWARA!」や「機動警察パトレイバー」が放送されなかった。
#*ちなみにパトレイバーは本放送終了の数年後KKBで放送された。
#スローガンの「きっかけはKTS」は、フジテレビをパクったものと思われる。
#*他系列局も使っているのでそういうのはパクったとは言わない。
#*同時のCX系列の統一キャンペーンであるので、パクったというよりは言わされてたといった方が正しい。
#「うる星やつら」や「めぞん一刻」はフジより30分先行で放送されていた。
#*長崎のKTNも同じ。
#地元企業セイカ食品は「セイカ劇場」として30秒のCMを日曜に放送している。
#*内容はセイカのお菓子(白くま、ボンタンアメ、兵六餅)にまつわる故事や出来事をアニメーションと語りで伝えるもので、最後に次の番組案内を行う。
#時刻出しを忘れることが多く、平日と日曜日の朝7時に放送されている番組の次番組では時刻が出ないことがある。
#KTSのロゴの字体は、山形のYTSのにそっくり。
#フジとの関係は親密。
#*開局40周年番組をフジにネットさせたから。
#**「南洲翁異聞」のこと。フジでは深夜に放送された。
#***たまたま篤姫の年だったからだと思う。
#*フジがやらかした「王シュレット事件」でTNCをはじめとする九州の系列局とは仲が悪くなったが、その中でもKTSとは仲が良い。
#*しかしUMKとともに「めざましテレビ」の露出度が格段と下がったことを無視してはいけない。
#筆頭株主は岩崎産業。いわさきグループと考えていいのだろうか?


===[http://www.kyt-tv.com/ 鹿児島読売テレビ]===
==東武鉄道==
#現在は日本テレビ(又は大阪よみうりTV)の完全子会社らしい。
===2080系===
#しかしなぜか南日本新聞も株式を一部持っている。
2000系のうち、車齢の若い中間車を活用して6両編成に改造した車両。6編成登場予定だったが、2編成だけに留まった。
#*社屋は隣同士。
#野田線の大型化が遅れていた
#徳住アナばかりが、クローズアップされる。
#*史実通りに野田線から撤退なら支線に転用されていた。
#*しかし鹿県他局の女子アナと比べると綺麗なヒトだと思う(byファン)
#**その場合、3両編成に改造され、3000系列の置き換えに回されていた。
#最近大阪よみうりTVのローカル番組のネット放送が増えつつあるが、隣のくまもと県民TVではネット中の朝のワイドショーの『なるトモ』の放送はない。『たかじんのそこまで言って委員会』は最初にネット。
#その後冷房化されていた。
#'''緑色'''にこだわる。山本さん・時刻表示・ロゴマークetc...
#2000系の最終増備車も野田線に回され、同種の改造を受けていた。
#マスコットキャラクターの『山本さん』が踊る天気予報がある。
#*もうひとつ冠番組がある。「山本さんが行く」とあるが山本さんはどこにも出かけてない。
#朝の『おは4』、夜中のNNN24のネット放送がない。
#*しかし、おは4はフィラーの一部なので飛び降りがほとんど。
#*[[鳥取・島根のメディア|うち]]もそう。老舗局なのに・・・
#**ここも昨年11月からスタート。
#*ごくまれにやる。2007年の年末から1週間は連続放送のようだ。
#*そして、OHA!4及びフィラーを正式にスタートさせた。
#**ただし、まれにメンテナンスで放送されない事もある。
#長島アナの声が微妙に出川に似ているという噂。
#*深夜の音楽番組AMPのナビゲーターをしていた時の長島アナは寒かった。
#自社製作がAMPとニュースと宣伝しかない。いやマジで。
#*情報番組も30分番組の夢いろあっとねっとくらい。
#**夢いろあっとねっとの料理コーナーで出る料理はうまそうなものが多い。
#*しまじろうを月一で潰すのはやめてほしい。
#社屋CGをいつまでたっても使いまわす。昔は公式HPで公開していた。
#*社屋を改築してもCGはそのまま
#中四国・九州で初めてバーチャルスタジオを導入。信じられないが。
#他の3局と違い、(一番後発なので)自社系列の制作会社を持たない為、一部の番組は地元他局系列の制作会社に番組制作している。
#*一部ではスタッフ不足である事は前々からよく聞く話なので、人材が育ってないからという声もある。
# 川崎宗則はズームインのネット局を鹿児島放送だと思っていた。KYT涙目。
#*宗リンが鹿児島にいた頃って、ここ開局してたっけ?
#略称のKYTは、'''Kagoshima Yomiuri Tv'''の略であり、決して'''空気が読めないテレビ'''ではないので注意されたい。
#*むしろ空気を読んで、午後5時台には他の民放局がニュースをやる中、ドラマの再放送をする。
#*本当に空気が読めないテレビは隣県の[[テレビ宮崎|{{あきまへん|ウンコ}}]]だ。
#**そこは素直にKTMと名乗っていればよかったのに。
#*それなら札幌テレビ旭川放送局はどうなるの。。(テレビのコールサインがJOKY-TVなので・・ by北海道民)
#*2chでもネタにされているくらい。
#[[讀賣テレビ放送|本家]]以外の○○読売テレビは、ここだけ。
#ニュース速報の音がなんとなく不気味。
#開局当初は離島では視聴できなかった。
#*他の民放局共通の事項。与論島への中継局設置までにMBCは21年、KTSは11年かけたものをたった5年で済ませたのだから大したもの。
#フジテレビ系列でないにもかかわらず岩手めんこいテレビ制作の「Break Point!」が放送されている。
#人気アニメ「名探偵コナン」ではこの局をパロったテレビ局が登場。
#*徳住アナは「徳住アナ」としてアニメにも出演しているのでパロディと言い切れるかは疑問。放送前後にニュースプラス1でも紹介されている。
#日本テレビとは不仲らしい。
#*かつては良好だったが、17時台のリアルタイム未ネット、ドラバラZONEの反発により関係が悪化する。
#**その反面ytvとなら現在も親密。
#*FBSでやっていなかった[[Perfumeファン|HAPPY!]]が同時ネットだxt(以下略
#**あれだけ番組宣伝が流れていて不仲なわけがない。せめてやりすぎコージーの宣伝を堂々と流すNBCくらいになってから。
#隠れた[[モスバーガーファン]]である。
#*放送終了前の天気予報でモスバーガーの看板をズームアップしてくれる。


===エフエム鹿児島===
===8000系===
#'''μFM(ミューエフエム)'''。九州で一番開局の遅いJFN系列局。
#私鉄で最も増備された車両なのは史実通り。
#そのせいか自社製作番組がJOY FM・FMKより少ない。DJ POCKYが頼みの綱。
#*「私鉄の103系」の異名も史実と同じである。
#*明らかに金曜日にJOY FMで喋っているPOCKYの方がアゲアゲだ。
#インフレナンバーの発生は史実通り。
#**一部の輩が調子に乗って2ちゃんねるに「FM鹿児島 DJポッキーについて」とμFM限定でスレを建てた。アンチスレであったが実際は誹謗中傷で、ついには先に建てられた2スレ目を無視して後スレでmixiのログイン時間を報告する'''だけ'''の訳のわからない事態になっている。
#9000系と10000系の登場は史実通り。
#***こう弄ばれてはいるが、実際はDJ POCKYに興味関心を抱かない人がほとんど。
#当初から額縁スタイルのグループも後期型・末期型には存在。
#****一部のリスナーから「同じ音楽ばかりを流さないで下さい。」とクレームのメールがあった。
#色々言って、9000系と10000系の登場時期は史実と変わらない気がする。
#*****一時期「DJ POCKY'S」という、何のひねりもない番組アシスタントとのユニットを結成して「プレシャスメモリー」という曲ばかりかけていた。上記「またかよ~」状態だった。
#*9000系や10000系の増備が本格化して以降も長期間にわたって増備されていた。
#*****一部のリスナー&常連がJOY FMの「'''耳恋'''」などに逃げている人が出てきている。
#「保守的な東武」の印象が史実以上に強くなっていた。
#******ポッキーじゃないがJFN「Switch!」の時間にJOY FMの「昼パラ」へ鹿児島市からのリクエストがあった。
#*******「Switch!」は東京でやってない全国ネットの番組だから鹿児島県民が聴かなくても仕方ない。
#*******「昼パラ」は[[鹿児島/大隅|大隅地方]]からのリクエストが普通に読まれる。
#****最近はPOCKYより、'''高森てつ'''の声が増えたような。
#**ただ、「ポキパン」を宮崎でも売ってしまう辺りは正直疑問だ。
#***発売元の南九州ファミリーマートが鹿児島と宮崎が営業エリアだからだと思う。
#『放送室』を放送していない。JOY FMがかなりの範囲で聞けるから問題ない。
#*いつの間にかネットが再開されていた。しかし、TOKYO FMの遅れネットなのに、放送時間はJOY FMと同じ。
#*と思ったら、いつの間にかJOY FMの方が土曜深夜0時に移動していた。
#*2007年10月からμFMも土曜深夜0時に移動した。
#*2008年4月から2局揃って土曜深夜2時に移動した。どうして合わせる必要があるのか。
#**[[TOKYO FM]]と同時ネットにしたからだろう。
#*JOY FMがかなりの範囲で聞けるって言っても大隅の方だろ。
#**公式エリアに鹿児島市も含まれている(大隅は全域)。6割カバーなら「かなり」で語弊はない。指宿市・さつま町でも普通に聴けるしね。県本土で聴けないのは東シナ海沿岸くらいじゃない?
#鹿児島本局より阿久根・鹿屋中継局のエリアが半端無く広い。
#*阿久根中継局の電波は筑紫平野まで届いているらしい。
#**↑南阿蘇で聴けますた。
#***なのに、[[薩摩川内市]]内ではMP3のチューナーで受信できないという矛盾がある。
#**しかし[[熊本/阿蘇#南阿蘇村の噂|南阿蘇]]で聴く「おっさ~」には違和感がありすぎる。それに南阿蘇では大分以外の九州のFM局が全て入るのでわざわざμFMを聴くことはない。
#**長崎の[[長崎/彼杵|諫早や東彼杵]]、福岡の[[大牟田市]]ではクリアに聴ける。[[佐賀/東部|神埼市]]はFM福岡と、大村市はFM長崎との混信がある。
#*鹿屋中継局の電波は宮崎市まで届く。
#**鹿屋中継局も[[鹿屋市#輝北|輝北町]]では受信できないという矛盾(カーラジオなら姶良か阿久根の中継局が拾えるがFMケータイではJOY FMと都城のCFMしか拾えない)
#日曜夜9時のチャート番組、『μFMザ・チャート』の歌は、フルコーラスが多い。
#*だが、時間の関係で途中までしか流れない曲もある。
#*10曲中9曲。ちなみに年末に流れる年間チャートは日曜日ではない。
#*2008年10月からジングルが変わり、イントロに曲紹介が入るようになった。正直前の方が良かった。orz
#**でもリスナーの苦情が殺到し、それを考慮した上で曲紹介の後にイントロが入るようになった。
#ニュースや天気予報のCMに、[[公共広告機構]]のCMが流れることが多い。
#JFNニュースのアナウンス(提供スポンサーなし)は、開局当時から使用されている。
#*1980年代後半生まれの人がなぜ「開局当時」と言い切れるのだろう…。
#ごあんどというCDを出したことがある。
#*当時のジングルが収録されているのでヘビーリスナーにはお宝になると思う。


===フレンズFM762===
===50000系===
#'''KTSの関連企業'''であり3セク。夜間は[[J-WAVE]]の中継局。
*東武50000系は半蔵門線乗り入れ用の50050系、有楽町線・副都心線乗り入れ用の50070系、TJライナー用50090系など合わせて400両が製造されましたが、東武伊勢崎線曳舟~久喜・東武動物公園~南栗橋の半蔵門線直通電車と東上線池袋~小川町間の車両が全て50000系列になっていたら?
#*日曜日も。ただし開局当時はTOKIO HOT 100を放送しないほど自社番組が充実していた。
#30000系の東上線転属や9000系の副都心線乗り入れ改造、10000系リニューアルはなかった。
#KYTのオープニングで流れる曲が使われている。
#*一部のこれらの車両はワンマン運転線区に改造され転属していた。このため8000系は引退に追い込まれていた。
#*朝の番組で南日本新聞ニュースを聴いてみよう。
#**噂されていた8000系の上信電鉄譲渡が実現していたかもしれない。
#藤井フミヤは滅多に出てこない。
#*9000系は副都心線に乗り入れず、2013年に引退していたかもしれない。
#*開局当時は藤井フミヤプロデュースを前面に打ち出していた。
#**いや、9000系は9101編成と同様地上専用車になっていただろう。もしくはインドネシアに譲渡された。
#送信所がKTSとKYTと同じところにあるので鹿児島市外に飛びまくり。
#**9050系は史実通り副都心線に乗り入れていた。
#*6050系は2017年の快速廃止で引退していた。
#日比谷線乗り入れ用70000系は日比谷線乗り入れの他、浅草発着の久喜以遠直通列車にもつかわれていた。
#*野田線は全て60000系で統一されていた。
#50000系列が平成の8000系と呼ばれていた。
#必然的にインフレナンバーになってしまうので早期に改番が行われていた。


===おおすみFMネットワーク===
===60000系===
#'''全国初'''の'''3局同時の24時間サイマル放送局'''。『FMかのや』・『FMきもつき』・『FM志布志』を傘下としている。
現在18編成が導入されているが、ここでは野田線在籍車両全てが60000系に置き換えられたという想定
#*局としては「ある放送局の番組をおおすみFMネットワークを通して3局に流している」らしい。
#野田線のホームドア設置駅が増えていた。
#*どうみてもFMかのやが親局でFMきもつき・FM志布志は中継局だ。
#東武10000系に廃車が発生していた。
#*ほとんどの番組はFMかのやのサーバーから流されています。
#素人ばかりの放送局。フレンズFMの中の人からは将来を危惧されている。
#小学生がコールサインを読み上げた。更に普段は4歳児がジングルを担当する。
#番組表が公式HPで見れない日がある。更にコメント欄が海外から荒らされている。
#2007年末を自社番組で年越すのはここだけ。
#[[鹿児島/大隅|大隅]]で唯一の放送メディアであるが、その価値が分からない地元民多数。
#大隅といいながら南大隅・錦江・垂水・内之浦では聴けず、都城・串間、挙句の果てには鹿児島市の鴨池で聴けるという矛盾。
#*まともに聞けるのは送信所の近くだけ(鹿屋市西原・肝付町新富・志布志市志布志町志布志)
#特定の人物に任せすぎ。そろそろ他の人で昼か夕方のワイド番組でも作ってくれ…。
#開局から2年経っても未だにフィラーばっかり。


==奄美ぬミヂィアぬ噂==
==西武鉄道==
#沖縄のテレビは奄美大島は無理でも徳之島あたりまで映る。
===5000系===
#*南海日日と奄美新聞の番組表に載っている。
#特急「ちちぶ」・「こぶし」・「むさし」・「おくちちぶ」の本数が史実よりも多くなっていた。
#映るようになったのは現在のNHK沖縄が今帰仁中継局を開局した1968年。
#富山地方鉄道に譲渡されていた車両数が史実よりも多くなっていた。
#*その後1970年代に民放も開設。
#*訂正、「与論島で」が抜けてました。奄美大島は下記の通りです・・・・・・
#鹿児島側のNHK・MBCによる電波侵略達成は1968年よりあとのような・・・・・・。
#*NHKは1963年、民放は1976年末(KKBは1989年、KYTは1996年、与論島はもっと後)。
#*沖縄のNHKは奄美への回線をおすそ分けしたかたちなので、見切れてNHK鹿児島の番組が映ってしまうらしい。
#でもKYT与論、知名(沖永良部島)は沖縄最北端の人々の希望。
#地元紙が2つあるから独占の本土より健全。


===南海日日新聞===
==京成電鉄==
#10ページ、薄い。
===3600形===
#朝日からの配信を使用
*史実では9編成しか導入されなかった。
#3600番台が埋まる為3700番台も存在した。
#*次の形式が3700形ではなく3800形となっていた。
#先頭車が電動車化改造され京急に乗り入れていた。
#8両化では編成をバラさず3700形と同様の車両を組み込んでいた。
#パンタグラフのシングルアーム化が行われていた。
#本形式の置き換えは2020年以降だった。


===大島新聞===
==東京急行電鉄==
#10ページ、白黒。逆に新鮮かも。
===2000系===
#配達が遅れる地域への配慮で「あすのテレビ」欄がある。
*史実では3編成しか導入されなかった。
#読売からの配信を使用
#東武にも乗り入れていた。
#*でもって、どう考えても南国では季節外れな東京の「季節の風物詩」が載ったりする。
#*場合によっては全車両が東武乗り入れに対応していた。
#8590系の田園都市線転属はなかった。
#5000系の導入が遅れていた。
#東急8500系を転属させない限り、ちょっと経緯が想像できない。
#*おそらく8500系は大井町線に転属していた。しかしそうなると東横線から外れた8090、8590系や9000系が大井町線に転属したのか怪しくなるな…
#編成数次第では2020系が違う形式名になっていた。
#*6020系もそれに合わせた形式になっいただろう。
#*3020系も。


===奄美テレビ放送===
===5000系 (2代) ===
#自主放送が1日2時間しかない。残りは朝日ニュースター。
*2007年までの3年間で250両を投入する予定が、180両で打ち止めとなった。
#どちらにしろ8500系はある程度残るので2020系は史実通り開発されていた。
#5050系及び4000系の製造に尽力を尽くすため6ドア車両の増結が遅れていたかもしれない。
#*ホームドア設置の事も考えれば、下手すりゃ3年も使用されず廃車解体された車両も存在していた。
#8500系は長野電鉄や秩父鉄道に譲渡され、在来車を置き換えていた。
#恐らくサークルKの車両が2000系のみになるため、同車は田園都市線から早期に撤退していたかもしれない。


===ディ!ウェイヴ===
===5200系===
#今更というかようやくというかできたFM局。奄美市と龍郷町限定。
*史実では1編成のみ実験的に投入された。
#開局日が今のところ誰にもよく知られていない。
#あり得るとすれば大井町線→田園都市線に集中投入。
#とりあえずMBCのテレビ番組との中継を持っている。
#*新玉川線との直通後は数編成が東横線に転属、残りが大井町線の折り返し運用に使用される。
#地元紙の番組表の扱いはMBCラジオ・NHKFM以上。地元メディアでは唯一だから当然と言える。
#おそらく池上線か目蒲線で生涯を終えていた。
#*池上線の旧型車置き換えは史実よりも早かった。
#現在でも複数の地方私鉄に譲渡され活躍している(史実では上田交通のみ)。


==越境受信の噂==
===7000系 (2代) ===
#AM/FMは放送局のほうにあるのでとりあえずテレビだけ。
7700・7600系置き換え及び1000系の地方譲渡用に19本が製造される予定だったが、7本で打ち止めとなった。
#県外のテレビが映るところは結構ある。
*2017年に増備が再開されましたが、ここでは当初の予定通りに増備が行われていたとします。
#*出水郡の熊本、大隅半島東部の宮崎、沖永良部島と与論島の沖縄。長崎はわからん。
#1000系1500番台は存在しなかった。
#県外で鹿児島のテレビが映るところはそう多くはない……と思う。
#7700系及び7600系は2012年までに現役を退いていた。
#*割と映るのはえびの・都城・串間。ただしいずれも多素子アンテナ必須。
#2013年の日比谷線直通終了をもって東急1000系は引退していた。
#**宮崎では足りない系列局の補充に重宝される。
#上記の通り日比直から外れた1000系を池多摩線に転用する必要がないので、1000系の地方譲渡が更に行われていた。
#*熊本は4系列揃っているけど現在でも受信されているのだろうか? 水俣では阿久根向けのアンテナをみかけなかったけど(出水で熊本向けもそう多くない)。
#*史実では譲受しなかった弘南鉄道や北陸鉄道とかにも譲渡されていたかも?
#*熊本城は阿久根のMBCとKTSだけ、宮崎市内でも無理をすれば城山からのVHF電波は拾える。[[九州・沖縄の国道#国道265号|国道265号]]の輝領峠では阿久根しか映らない。
#**岳南鉄道や豊橋鉄道に養老鉄道、熊本電鉄も有力。
#*宮崎市の県道11号(イオンモールのある通り)で無駄にでかいUHFアンテナがあるけどどこを狙っているのだろうか。
#*これにより捻出された旧7000系・7200系の一部は大井川鐵道に再譲渡され、16000系や21000系を置き換えていた。
#鹿児島空港のANA機で映されているのはNHK宮崎だ。
#*NHK鹿児島放送会館前でもNHK宮崎が映ったりする。
#県外のテレビが映る人は一時期[[アニメファン|ある方面]]では'''勝ち組'''の扱いであった。特に[[ガンダムファン|ここ]]とか[[鋼の錬金術師ファン|ここ]]とか。
#*前者のほうはフレッツで逃げられるかと思ったら……(市外局番が宮崎扱いになる)曽於市以外はきっちり1週間の格差があった。


==隣接メディア==
===7700系電装化改造車===
*[[熊本のメディア]]
7915Fと同様の改造車が更に増備されていたら?
*[[宮崎のメディア]]
#=7915Fの故障がなかったら、である。
*[[沖縄のメディア]]
#現在は7000系(2代)に置き換えられていた。


[[Category:鹿児島|めていあ]]
==小田急電鉄==
[[Category:都道府県別のメディア|かこしま]]
===2000形(2代)===
*史実では8両編成9本が導入された。登場時は後に中間車2両を増備して、1000形同様に千代田線直通用となる計画があった。もしこれが実現していたら?
#1000形とともに現在も千代田線直通用として運用に入っていた。
#*1000形1081編成(8両)も10両化されていた。
#*小田急車のJR直通化に伴い直通運用から退く。
#3000形(2代)の8両編成がもっと製造されていた。
#*史実より9本または10本多く製造されていた。
#4000形(2代)の製造が遅くなっていた。
#*新製当初からJRへの直通に対応していた。
#基本優等列車として活躍し、小田原駅や藤沢駅にも定期運用で乗り入れていた。
 
===2300形===
史実では特急増発用にSE車登場後格下げされることを前提として1編成のみ導入されましたが、もし、更に増備されていたら?
#1700系を格下げに追い込んでいた。
#準特急は設定されなかった。
#*2320形は登場しなかった。
#NSE登場とともに格下げされていた。
#大規模な格下げ改造が祟って早期淘汰の対象になっていた。
 
===2320形===
準特急用として2編成のみの導入でした。
#2300形はNSE登場まで特急車として使われた。
#*しかし編成が異なるので予備車となっていた。
#NSE登場後はそのままの形で急行に転用されていた。
#ラッシュ時に適さない構造であるため、早期淘汰の対象になっていた。
#箱根湯本行急行には本形式が充当されていた。よって、東武6050系のようなポジションになっていた。
 
===50000形===
*史実では2編成のみの導入でしたが、もし、置き換え対象である10000形全車置き換えに至るまで導入していたら?
#10000形は全編成長野電鉄へ譲渡。
#*よって、253系は譲渡されなかった。
#60000形の導入数が減っていた。
#*コンセプトが違うからその辺りは史実通りだと思う。「あさぎり」の運用にVSEが入るとは思えないし。
#調子に乗って7000形も置き換える。
#*7000形も史実より早く全廃されていた。
#*60000形は地下鉄直通特急とあさぎり運用分で製造を終わっていた。
#2016年にシートサービスが廃止されることはなかった。
#70000形は登場しなかった。
 
==京浜急行電鉄==
===2000形===
史実では8両編成6本、4両編成6本72両が導入されました。
#京急ウィング号の本数が史実よりも多く運行されていた。
#*休日の快特の一部も京急ウィング号になっていたかもしれない。
#*京急ウィング号は完全な無料列車になっていた。
#久里浜線が三崎まで延伸していたら、可能性があった。
#後継の2100形電車の車両数も多くなっていた。
#浅草線・京成線方面の乗り入れ対応工事も後期車を中心に行われていた。
#*もちろん成田スカイアクセス線にも対応。
===600形(3代)===
史実では、8両編成8本、4両編成6本が投入されましたが、もっと投入されていたら…
#1000形電車の廃車が史実よりも早まっていた。
 
===2100形===
計画では、8両編成12本96両が製造される予定でしたが、8両編成10本80両で製造されました。
#京急ウィング号の本数が史実よりも多く運行されていた。
#久里浜線が三崎まで延伸していたら、確実にあり得た。
#1編成が黄色塗装に変更され、「KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN」として運行していたかもしれない。
 
==富士急行==
===5000形===
*史実では事故車の補充で1編成のみの導入でしたが、もし、もっと多く導入されていたら?
#小田急2200形や京王5000系の譲受車はなかった。
#1編成しかないことを理由にラッピング車になることはなかった。
#今頃は6000系に置き換えられている。
 
==長野電鉄==
===10系===
*史実では1編成のみの導入でしたが、もし、もっと多く導入されていたら?
#東急5000系や営団3000系を購入することはなかった。
#*長野電鉄は譲渡車に頼り切ることはなく、その後も自社発注車を導入していた。
#**東急8500系や東京メトロ03系も購入しなかった。
#**そもそも長野電鉄に新車を導入できるほどの体力があったら・・・。
#1編成しかないことを理由に早期廃車になることはなかった。
#今頃は冷房化やワンマン化改造されていただろう。
 
===2100系===
*史実では2編成のみ導入されました。
#特急「ゆけむり」の本数が史実よりも多くなっていた。
 
==富山地方鉄道==
===9000形===
*3編成で、基本は富山都心線のみでの導入だった。
#T100の代わりに低床車両として導入されていた。
#富山ライトレールと紛らわしい配色になっていたかもしれない。
 
==名古屋鉄道==
===モ800形===
*3編成の導入でした。
#600V線区は多少延命できたかもしれない。
#廃止して譲渡された場合、豊橋鉄道にももう少し譲渡されている。
#*イベント用を除けば780形と800形とT1000形だけに統一できたかもしれない。
#**それでも運動公園前行きの運用には2018年4月まで入る事は出来なかったか、史実より早い時期に改造がなされた。
 
===1030系・1230系===
史実では、6両編成4本が製造されました。
#名古屋鉄道の顔として、活躍していた。
#廃止が史実よりも遅れていた。(史実では、2019年に全廃)
#7500系の特別整備は史実より早く打ち切られていた。
#*1次車のみの施行となっていた。場合によってはその1次車にも特別整備が行われず1030系化された編成があった。
#1850系も増えていたかもしれない。
 
===1600系===
*忠実では特急用パノラマカー置き換えのための4編成の導入に留まりました。
#導入されるとしたらパノラマDXも置き換えているはず。
#*よってパノラマDXの廃車が早まっていた。
#予定通り、一部特別車の急行に用いられていた。
#*当然全車特別車特急も残っているはず。
#**1000系も残っているので5000系は誕生しない。
#***乗客減少からそれはない。
#**それでも廃止するなら、2300系が増えたかもしれないが。
#連結すると他にほとんど例のない5両or7両になってしまうのが課題。
#**7両は犬山線や常滑線、5両は河和線辺りがメインか。
#*現在では3300系列との連結も日常的。
#急行ではなく忠実の2200系のような運用になっていた可能性が高そう。2200系は導入されなかったかもしれない。
#*空港特急の予定でもあったとはいえ、イメージアップしたいだろうから2000系に関しては全く変化なし。
#*と言うか史実の2300系が2200系として生産されて1600系と連結していた。よって1700系への改番も史実通り。
#どう頑張ってもク1600形が余ることになるが、編成数によってはMc車化や中間車化改造が行われていたかもしれない。
#両数がそこそこ多ければ1600系専用の一般車と増結車が製造され1000系のように組み替えられていた。よって2200系の製造数が減り1030・1230系の全廃が早まっていたかも。
#**2200系がない以上、無理に特別車2両+一般車4両にする必要性は無いと思われ。一部特別車1000系のこともあるが、運用が別の以上共通化する必要性もないし。
#2000系による1600系運用の代走が見られたかもしれない。逆は余程のことがない限りやらないだろうが。
#現在でも西尾線で運用されていた。
#*忠実通り吉良吉田行き急行の型になるかもしれないが。当時のダイヤのままだと福地駅のダイヤが大変なことになる。
#*上記のような3+2両の特急になるか。{{極小|ホームからはみ出すけど}}
#最近になって、忠実の1700系のような塗装に変更され始める。
#*前面の方向幕もフルカラーLED化されていたる。
 
==一畑電車==
===7000系===
*1両4編成が導入される予定ですが、もし、一畑電車の全車置き換えに至るまで製造されていたら?
#東急1000系は一畑電車に導入されなかった。
#*もしかしたら7000系は2両編成になっていたかもしれない。
#3000系全車のみならず、2100系・5000系も置き換えられていた。
 
==水島臨海鉄道==
===MRT300形===
キハ20系置き換え用に製造されたが、6両で製造が打ち止められた。もし、キハ20系全車置き換えに至るまで製造されていたら?
#JR東日本からキハ30形・キハ37形・キハ38形を購入することはなかった。
#*同世代のキハ20形冷房車を非冷房キハ30形で置き換えることもなかった。
#在来車とシステムが異なるため、運用も効率よく行われていた。
 
==広島電鉄==
===1060形電車===
*宮島線専用の高性能電車だったが市内線直通車の増備に方針が転換されたため1両しか製造されなかった。
#下回りが京阪のお古だった1050形ではなくこちらが2両連結化や冷房化といった改造を受けていた。
#宮島線からの高床車消滅は史実よりやや遅れ90年代中頃までずれ込んでいた。
#阪急の中古を改造した1070形・1080形は登場しなかった。
#運転台が先頭部分の片側に偏っていたため前面展望が楽しめる電車としてファンの間で知られていた。
#トップナンバーの1061号は引退後に宮島口か楽々園あたりで保存されていた。
#万一この形式による市内線乗り入れが実現していたら現在の広電の姿は大きく異なっていた。
#*都電荒川線や東急世田谷線のように市内線のホームが嵩上げされていたかもしれない。
#*なお史実では1060形乗り入れのためには市内の橋の補強工事が必要だったので断念している。
 
==地下鉄==
===営団地下鉄06系===
*史実では1編成のみしか導入されなかったが、これがもし量産されていたら?
#6000系の置き換えは史実よりも速いペースで進んでいた。
#*余剰となった6000系が北綾瀬支線用に改造されるだろうから、ハイフン車と5000系は早くから運用を離脱していた。
#**05系に北綾瀬支線に転属した編成はなかった。
#*当時としては6000系の置き換えは時期尚早なのでむしろ東西線あたりに5000系置き換え用として転用されていた。
#**その分、05系の製造数が減っていた。
#**青帯の6000系を見ることができていた。
#**2次試作車の6101編成は廃車になっていた。
#副都心線開業に伴う07系の移転先は千代田線になっていた。
#*帯色も同じなので形式以外区別する要素がなくなる。
#それでも6000系を完全に置き換えるのは難しいだろうから16000系は導入されている。
#*但し導入数は史実よりも少なかった。
#*ただ、千代田線にホームドアが取り付けられるとなるとドア位置が他車と異なるのがネックになって16000系に置き換え→廃車という運命をたどるかも。
#**そうなるとしたら07系同様東西線に転属の方があり得るんじゃない?
#***いや、ホームドア設置時期が東西線と同時期になるだけだろう。
 
===東京メトロ10000系===
*史実では36編成導入されましたが、もし7000系を全て置き換えるくらい増備されていたら?
#8両固定編成も製造されていた。
#7000系は全車ジャカルタに譲渡されていた。
#17000系は登場しなかった。
 
===都営地下鉄5200形===
*史実では2編成(後に1編成に組み替え)しか導入されなかった。
#最初から5200形として登場していた(史実では5000系6次車として導入)。
#6000形や10-000形同様、途中からオールステンレス車になっている。
#*窓の構造などにもマイナーチェンジが幾らかなされていた。
#**この為8両化の際には10-000形同様、従来車に後期車を増結させる手法を取っていた。
#**1号線(浅草線)の8両化が1980年代に進んだかも。車体更新の際完全に中間車化される車両が。(更新の際)運転台が簡易化された車両も(旧馬込車両工場の設備上)。
#**上記の8両化が1980年代のうちに完了すれば,5000形は(運用上)19編成に纏められる。
#5300形は史実ほど投入されず、しばらくは5200系と5300形が6:4程度の割合で運転されていた。
#*とはいえ13-000形の導入と同時期に5400形(仮)によって5200系の置き換えが進んでいる。
#*↑10-300形(10号線用)では?5300形は現実と同じく5500形に置き換わるが,5400形(仮)は2020年代に,5500形の追加増備で引退するだろう。
 
===都営地下鉄10-000形8次車===
*史実では2編成しか導入されなかった。
#試作車は置き換えられていた
#*経年の浅い中間車2両は8次車に組み込まれる。
#*1・2次車も置き換えが早まっていたかも
#10両化の際は7次車の中間車が組み込まれる。
#VVVF化が行われていた。
#10-300形に置き換えられなかった。
 
===横浜市営地下鉄3000形(1次車)===
*史実では新横浜〜あざみ野間延伸に伴い6連×8本が導入されていたがそれよりも更に増備を続けていたら。
#1000形の淘汰が早まり90年代であっという間に消滅。
#*冷房化や旅客案内表示機も付かなかった。
#よって3000R形の登場も遅くなったかもしれない。
 
===大阪市営地下鉄旧20系(10系試作車)===
*史実では谷町線に4連×1編成が急行運転を想定し投入されましたがさらに増備されていたら?
#中央線の車両は40系となっていた。
#谷町線に30系の転入はなかった。
#御堂筋線に来なかった。
#*史実の10系は全て量産車のデザインで存在する。
#今頃30000系に置き換えられていた。
 
===大阪市営地下鉄20系===
*史実では中央線に6連×7編成、谷町線に6連×9編成が投入され(最終的に中央線に集結)ましたがさらに増備されていたら?
#御堂筋線中百舌鳥延伸時おける新車増備は10系ではなく20系となっていた。
#*その後も21系登場まで増備されていた。
#*10系は8連×16編成で打ち止めになっていた。
#**但し10系9連化用の中間車(1900形)は20系と同一の車体になっている。
#**よって10A系(10系のVVVF改造車)は存在しない。
#**もしくは9両化のタイミングで改造の上バラして組み込んでいたかも。
#御堂筋線の10連化にあたっては現実の10A系同様10系を改造の上バラして組み込んでいた。
#中央線用20系のVVVF更新、高速対応化が終了するとこちらも車体とVVVFの更新が実施されていた。
#車両番号は30番台となり、後に登場する谷町線用が50番台となっていた。
#昭和時代のうちに工場機能が緑木に一元化されていたらこうなっていたかも。
 
===大阪市営地下鉄30系冷房改造車===
*史実では新30系と呼ばれる後期タイプのみ冷房改造されましたが、初期タイプの改造も行われていたら?
#さすがに全車両改造されることはないだろう。
#*恐らく旧7000・8000形は改造の対象から外されていた。
#中央線と千日前線への投入もあった。
#*さすがに御堂筋線は新20系に置き換えられていただろう。
#*中央線用については近鉄けいはんな線の学研奈良登美ヶ丘延伸に伴うスピードアップを機に廃車あるいは谷町線か四つ橋線に転用されていた。
#新30系に関しては全車両冷房改造されていた。
#*史実では新造から10年経たずに廃車された3043・3543・3597の3両も改造されて延命していた。
#それでも2000年代後半~2010年代前半に30000系への置き換えが実施されていた。
#*30000系は御堂筋・谷町線以外にも投入されていた。
#堺筋線の60系も史実よりも多くの車両が冷房改造されていた。
#*66系初期タイプの新造は天下茶屋延伸とそれに伴う8連化に伴う不足分だけに終わっていた。
#谷町線以外でも末永く活躍している編成も存在していた。
#冷房改造の時期が早かったら(1980年代後半に検討されたことがある)こうなっていたかもしれない。
 
===神戸市営地下鉄西神・山手線3000形===
*史実では西神南駅開業分並びに増発目的で6連×6本と少数が導入されていましたが、もしもそれ以上増備し続けると。
#1000形は機器更新されることなく早々と淘汰が進められ、引退した。
#*1998年から置き換えが始まっていた。
#*当時としては3次車の置き換えは時期尚早なので3次車の3編成は残ったほか、1・2次車に組み込まれている3次車は3000形に編入された。
#1998年に増備された編成はGTO-VVVFからIGBT-VVVF搭載で新造された。
#*夢かもめ開業以降に導入された編成はドア開閉警告音がブザーからチャイムに切り替えられた。
#西神・山手線内でもワンマン運転が行われるようにもなったかも知れない。
#GTO素子が老朽化したら機器更新されていたかも知れない。
#6000形の置き換え対象にはならなかった。
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 私鉄史|あのてつとうしやりようかさらにそうひしてつ]]
[[カテゴリ:鉄道車両|もしさらにそうひ]]

2021年5月8日 (土) 04:16時点における版

少数派に留まった車両や完全な車両置き換えに至らなかった車両がもし、更に増備されていたら?

  • 新規追加は「会社別(東から順)+形式が若い順→形式不明(50音)」の順にお願いします。
    • 項目内に史実の導入編成数を書いていただければ幸いです。
  • 現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。
  • 1年以上、増備が行われていない形式でお願いします。
関連項目

独立済み

茨城交通・ひたちなか海浜鉄道

キハ3710・37100形

史実では両形式合わせて3両の製造に留まりましたが、もし、所属車両全車置き換えに至るまで増備していたら?

  1. 留萠鉄道や羽幌炭礦鉄道からの譲渡車は本形式によって淘汰されていた。
    • キハ205にも何らかの影響があった。
  2. JR東海からキハ11形を譲受することはなかった。

上信電鉄

7000形

  • 2両編成1本のみ在籍ですが、もし上信電鉄の車両が全て7000形になっていたら?
  1. 150形、200形、250形、500形、1000形、6000形は引退に追い込まれていた。
  2. 上信電鉄は全て自社発注車両で固める珍しい中小私鉄になっていた。
  3. 上信電鉄は全車両が冷房化していた。
  4. JR東日本から107系を譲受することはなかった。

東武鉄道

2080系

2000系のうち、車齢の若い中間車を活用して6両編成に改造した車両。6編成登場予定だったが、2編成だけに留まった。

  1. 野田線の大型化が遅れていた
    • 史実通りに野田線から撤退なら支線に転用されていた。
      • その場合、3両編成に改造され、3000系列の置き換えに回されていた。
  2. その後冷房化されていた。
  3. 2000系の最終増備車も野田線に回され、同種の改造を受けていた。

8000系

  1. 私鉄で最も増備された車両なのは史実通り。
    • 「私鉄の103系」の異名も史実と同じである。
  2. インフレナンバーの発生は史実通り。
  3. 9000系と10000系の登場は史実通り。
  4. 当初から額縁スタイルのグループも後期型・末期型には存在。
  5. 色々言って、9000系と10000系の登場時期は史実と変わらない気がする。
    • 9000系や10000系の増備が本格化して以降も長期間にわたって増備されていた。
  6. 「保守的な東武」の印象が史実以上に強くなっていた。

50000系

  • 東武50000系は半蔵門線乗り入れ用の50050系、有楽町線・副都心線乗り入れ用の50070系、TJライナー用50090系など合わせて400両が製造されましたが、東武伊勢崎線曳舟~久喜・東武動物公園~南栗橋の半蔵門線直通電車と東上線池袋~小川町間の車両が全て50000系列になっていたら?
  1. 30000系の東上線転属や9000系の副都心線乗り入れ改造、10000系リニューアルはなかった。
    • 一部のこれらの車両はワンマン運転線区に改造され転属していた。このため8000系は引退に追い込まれていた。
      • 噂されていた8000系の上信電鉄譲渡が実現していたかもしれない。
    • 9000系は副都心線に乗り入れず、2013年に引退していたかもしれない。
      • いや、9000系は9101編成と同様地上専用車になっていただろう。もしくはインドネシアに譲渡された。
      • 9050系は史実通り副都心線に乗り入れていた。
    • 6050系は2017年の快速廃止で引退していた。
  2. 日比谷線乗り入れ用70000系は日比谷線乗り入れの他、浅草発着の久喜以遠直通列車にもつかわれていた。
    • 野田線は全て60000系で統一されていた。
  3. 50000系列が平成の8000系と呼ばれていた。
  4. 必然的にインフレナンバーになってしまうので早期に改番が行われていた。

60000系

現在18編成が導入されているが、ここでは野田線在籍車両全てが60000系に置き換えられたという想定

  1. 野田線のホームドア設置駅が増えていた。
  2. 東武10000系に廃車が発生していた。

西武鉄道

5000系

  1. 特急「ちちぶ」・「こぶし」・「むさし」・「おくちちぶ」の本数が史実よりも多くなっていた。
  2. 富山地方鉄道に譲渡されていた車両数が史実よりも多くなっていた。

京成電鉄

3600形

  • 史実では9編成しか導入されなかった。
  1. 3600番台が埋まる為3700番台も存在した。
    • 次の形式が3700形ではなく3800形となっていた。
  2. 先頭車が電動車化改造され京急に乗り入れていた。
  3. 8両化では編成をバラさず3700形と同様の車両を組み込んでいた。
  4. パンタグラフのシングルアーム化が行われていた。
  5. 本形式の置き換えは2020年以降だった。

東京急行電鉄

2000系

  • 史実では3編成しか導入されなかった。
  1. 東武にも乗り入れていた。
    • 場合によっては全車両が東武乗り入れに対応していた。
  2. 8590系の田園都市線転属はなかった。
  3. 5000系の導入が遅れていた。
  4. 東急8500系を転属させない限り、ちょっと経緯が想像できない。
    • おそらく8500系は大井町線に転属していた。しかしそうなると東横線から外れた8090、8590系や9000系が大井町線に転属したのか怪しくなるな…
  5. 編成数次第では2020系が違う形式名になっていた。
    • 6020系もそれに合わせた形式になっいただろう。
    • 3020系も。

5000系 (2代)

  • 2007年までの3年間で250両を投入する予定が、180両で打ち止めとなった。
  1. どちらにしろ8500系はある程度残るので2020系は史実通り開発されていた。
  2. 5050系及び4000系の製造に尽力を尽くすため6ドア車両の増結が遅れていたかもしれない。
    • ホームドア設置の事も考えれば、下手すりゃ3年も使用されず廃車解体された車両も存在していた。
  3. 8500系は長野電鉄や秩父鉄道に譲渡され、在来車を置き換えていた。
  4. 恐らくサークルKの車両が2000系のみになるため、同車は田園都市線から早期に撤退していたかもしれない。

5200系

  • 史実では1編成のみ実験的に投入された。
  1. あり得るとすれば大井町線→田園都市線に集中投入。
    • 新玉川線との直通後は数編成が東横線に転属、残りが大井町線の折り返し運用に使用される。
  2. おそらく池上線か目蒲線で生涯を終えていた。
    • 池上線の旧型車置き換えは史実よりも早かった。
  3. 現在でも複数の地方私鉄に譲渡され活躍している(史実では上田交通のみ)。

7000系 (2代)

7700・7600系置き換え及び1000系の地方譲渡用に19本が製造される予定だったが、7本で打ち止めとなった。

  • 2017年に増備が再開されましたが、ここでは当初の予定通りに増備が行われていたとします。
  1. 1000系1500番台は存在しなかった。
  2. 7700系及び7600系は2012年までに現役を退いていた。
  3. 2013年の日比谷線直通終了をもって東急1000系は引退していた。
  4. 上記の通り日比直から外れた1000系を池多摩線に転用する必要がないので、1000系の地方譲渡が更に行われていた。
    • 史実では譲受しなかった弘南鉄道や北陸鉄道とかにも譲渡されていたかも?
      • 岳南鉄道や豊橋鉄道に養老鉄道、熊本電鉄も有力。
    • これにより捻出された旧7000系・7200系の一部は大井川鐵道に再譲渡され、16000系や21000系を置き換えていた。

7700系電装化改造車

7915Fと同様の改造車が更に増備されていたら?

  1. =7915Fの故障がなかったら、である。
  2. 現在は7000系(2代)に置き換えられていた。

小田急電鉄

2000形(2代)

  • 史実では8両編成9本が導入された。登場時は後に中間車2両を増備して、1000形同様に千代田線直通用となる計画があった。もしこれが実現していたら?
  1. 1000形とともに現在も千代田線直通用として運用に入っていた。
    • 1000形1081編成(8両)も10両化されていた。
    • 小田急車のJR直通化に伴い直通運用から退く。
  2. 3000形(2代)の8両編成がもっと製造されていた。
    • 史実より9本または10本多く製造されていた。
  3. 4000形(2代)の製造が遅くなっていた。
    • 新製当初からJRへの直通に対応していた。
  4. 基本優等列車として活躍し、小田原駅や藤沢駅にも定期運用で乗り入れていた。

2300形

史実では特急増発用にSE車登場後格下げされることを前提として1編成のみ導入されましたが、もし、更に増備されていたら?

  1. 1700系を格下げに追い込んでいた。
  2. 準特急は設定されなかった。
    • 2320形は登場しなかった。
  3. NSE登場とともに格下げされていた。
  4. 大規模な格下げ改造が祟って早期淘汰の対象になっていた。

2320形

準特急用として2編成のみの導入でした。

  1. 2300形はNSE登場まで特急車として使われた。
    • しかし編成が異なるので予備車となっていた。
  2. NSE登場後はそのままの形で急行に転用されていた。
  3. ラッシュ時に適さない構造であるため、早期淘汰の対象になっていた。
  4. 箱根湯本行急行には本形式が充当されていた。よって、東武6050系のようなポジションになっていた。

50000形

  • 史実では2編成のみの導入でしたが、もし、置き換え対象である10000形全車置き換えに至るまで導入していたら?
  1. 10000形は全編成長野電鉄へ譲渡。
    • よって、253系は譲渡されなかった。
  2. 60000形の導入数が減っていた。
    • コンセプトが違うからその辺りは史実通りだと思う。「あさぎり」の運用にVSEが入るとは思えないし。
  3. 調子に乗って7000形も置き換える。
    • 7000形も史実より早く全廃されていた。
    • 60000形は地下鉄直通特急とあさぎり運用分で製造を終わっていた。
  4. 2016年にシートサービスが廃止されることはなかった。
  5. 70000形は登場しなかった。

京浜急行電鉄

2000形

史実では8両編成6本、4両編成6本72両が導入されました。

  1. 京急ウィング号の本数が史実よりも多く運行されていた。
    • 休日の快特の一部も京急ウィング号になっていたかもしれない。
    • 京急ウィング号は完全な無料列車になっていた。
  2. 久里浜線が三崎まで延伸していたら、可能性があった。
  3. 後継の2100形電車の車両数も多くなっていた。
  4. 浅草線・京成線方面の乗り入れ対応工事も後期車を中心に行われていた。
    • もちろん成田スカイアクセス線にも対応。

600形(3代)

史実では、8両編成8本、4両編成6本が投入されましたが、もっと投入されていたら…

  1. 1000形電車の廃車が史実よりも早まっていた。

2100形

計画では、8両編成12本96両が製造される予定でしたが、8両編成10本80両で製造されました。

  1. 京急ウィング号の本数が史実よりも多く運行されていた。
  2. 久里浜線が三崎まで延伸していたら、確実にあり得た。
  3. 1編成が黄色塗装に変更され、「KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN」として運行していたかもしれない。

富士急行

5000形

  • 史実では事故車の補充で1編成のみの導入でしたが、もし、もっと多く導入されていたら?
  1. 小田急2200形や京王5000系の譲受車はなかった。
  2. 1編成しかないことを理由にラッピング車になることはなかった。
  3. 今頃は6000系に置き換えられている。

長野電鉄

10系

  • 史実では1編成のみの導入でしたが、もし、もっと多く導入されていたら?
  1. 東急5000系や営団3000系を購入することはなかった。
    • 長野電鉄は譲渡車に頼り切ることはなく、その後も自社発注車を導入していた。
      • 東急8500系や東京メトロ03系も購入しなかった。
      • そもそも長野電鉄に新車を導入できるほどの体力があったら・・・。
  2. 1編成しかないことを理由に早期廃車になることはなかった。
  3. 今頃は冷房化やワンマン化改造されていただろう。

2100系

  • 史実では2編成のみ導入されました。
  1. 特急「ゆけむり」の本数が史実よりも多くなっていた。

富山地方鉄道

9000形

  • 3編成で、基本は富山都心線のみでの導入だった。
  1. T100の代わりに低床車両として導入されていた。
  2. 富山ライトレールと紛らわしい配色になっていたかもしれない。

名古屋鉄道

モ800形

  • 3編成の導入でした。
  1. 600V線区は多少延命できたかもしれない。
  2. 廃止して譲渡された場合、豊橋鉄道にももう少し譲渡されている。
    • イベント用を除けば780形と800形とT1000形だけに統一できたかもしれない。
      • それでも運動公園前行きの運用には2018年4月まで入る事は出来なかったか、史実より早い時期に改造がなされた。

1030系・1230系

史実では、6両編成4本が製造されました。

  1. 名古屋鉄道の顔として、活躍していた。
  2. 廃止が史実よりも遅れていた。(史実では、2019年に全廃)
  3. 7500系の特別整備は史実より早く打ち切られていた。
    • 1次車のみの施行となっていた。場合によってはその1次車にも特別整備が行われず1030系化された編成があった。
  4. 1850系も増えていたかもしれない。

1600系

  • 忠実では特急用パノラマカー置き換えのための4編成の導入に留まりました。
  1. 導入されるとしたらパノラマDXも置き換えているはず。
    • よってパノラマDXの廃車が早まっていた。
  2. 予定通り、一部特別車の急行に用いられていた。
    • 当然全車特別車特急も残っているはず。
      • 1000系も残っているので5000系は誕生しない。
        • 乗客減少からそれはない。
      • それでも廃止するなら、2300系が増えたかもしれないが。
  3. 連結すると他にほとんど例のない5両or7両になってしまうのが課題。
      • 7両は犬山線や常滑線、5両は河和線辺りがメインか。
    • 現在では3300系列との連結も日常的。
  4. 急行ではなく忠実の2200系のような運用になっていた可能性が高そう。2200系は導入されなかったかもしれない。
    • 空港特急の予定でもあったとはいえ、イメージアップしたいだろうから2000系に関しては全く変化なし。
    • と言うか史実の2300系が2200系として生産されて1600系と連結していた。よって1700系への改番も史実通り。
  5. どう頑張ってもク1600形が余ることになるが、編成数によってはMc車化や中間車化改造が行われていたかもしれない。
  6. 両数がそこそこ多ければ1600系専用の一般車と増結車が製造され1000系のように組み替えられていた。よって2200系の製造数が減り1030・1230系の全廃が早まっていたかも。
      • 2200系がない以上、無理に特別車2両+一般車4両にする必要性は無いと思われ。一部特別車1000系のこともあるが、運用が別の以上共通化する必要性もないし。
  7. 2000系による1600系運用の代走が見られたかもしれない。逆は余程のことがない限りやらないだろうが。
  8. 現在でも西尾線で運用されていた。
    • 忠実通り吉良吉田行き急行の型になるかもしれないが。当時のダイヤのままだと福地駅のダイヤが大変なことになる。
    • 上記のような3+2両の特急になるか。ホームからはみ出すけど
  9. 最近になって、忠実の1700系のような塗装に変更され始める。
    • 前面の方向幕もフルカラーLED化されていたる。

一畑電車

7000系

  • 1両4編成が導入される予定ですが、もし、一畑電車の全車置き換えに至るまで製造されていたら?
  1. 東急1000系は一畑電車に導入されなかった。
    • もしかしたら7000系は2両編成になっていたかもしれない。
  2. 3000系全車のみならず、2100系・5000系も置き換えられていた。

水島臨海鉄道

MRT300形

キハ20系置き換え用に製造されたが、6両で製造が打ち止められた。もし、キハ20系全車置き換えに至るまで製造されていたら?

  1. JR東日本からキハ30形・キハ37形・キハ38形を購入することはなかった。
    • 同世代のキハ20形冷房車を非冷房キハ30形で置き換えることもなかった。
  2. 在来車とシステムが異なるため、運用も効率よく行われていた。

広島電鉄

1060形電車

  • 宮島線専用の高性能電車だったが市内線直通車の増備に方針が転換されたため1両しか製造されなかった。
  1. 下回りが京阪のお古だった1050形ではなくこちらが2両連結化や冷房化といった改造を受けていた。
  2. 宮島線からの高床車消滅は史実よりやや遅れ90年代中頃までずれ込んでいた。
  3. 阪急の中古を改造した1070形・1080形は登場しなかった。
  4. 運転台が先頭部分の片側に偏っていたため前面展望が楽しめる電車としてファンの間で知られていた。
  5. トップナンバーの1061号は引退後に宮島口か楽々園あたりで保存されていた。
  6. 万一この形式による市内線乗り入れが実現していたら現在の広電の姿は大きく異なっていた。
    • 都電荒川線や東急世田谷線のように市内線のホームが嵩上げされていたかもしれない。
    • なお史実では1060形乗り入れのためには市内の橋の補強工事が必要だったので断念している。

地下鉄

営団地下鉄06系

  • 史実では1編成のみしか導入されなかったが、これがもし量産されていたら?
  1. 6000系の置き換えは史実よりも速いペースで進んでいた。
    • 余剰となった6000系が北綾瀬支線用に改造されるだろうから、ハイフン車と5000系は早くから運用を離脱していた。
      • 05系に北綾瀬支線に転属した編成はなかった。
    • 当時としては6000系の置き換えは時期尚早なのでむしろ東西線あたりに5000系置き換え用として転用されていた。
      • その分、05系の製造数が減っていた。
      • 青帯の6000系を見ることができていた。
      • 2次試作車の6101編成は廃車になっていた。
  2. 副都心線開業に伴う07系の移転先は千代田線になっていた。
    • 帯色も同じなので形式以外区別する要素がなくなる。
  3. それでも6000系を完全に置き換えるのは難しいだろうから16000系は導入されている。
    • 但し導入数は史実よりも少なかった。
    • ただ、千代田線にホームドアが取り付けられるとなるとドア位置が他車と異なるのがネックになって16000系に置き換え→廃車という運命をたどるかも。
      • そうなるとしたら07系同様東西線に転属の方があり得るんじゃない?
        • いや、ホームドア設置時期が東西線と同時期になるだけだろう。

東京メトロ10000系

  • 史実では36編成導入されましたが、もし7000系を全て置き換えるくらい増備されていたら?
  1. 8両固定編成も製造されていた。
  2. 7000系は全車ジャカルタに譲渡されていた。
  3. 17000系は登場しなかった。

都営地下鉄5200形

  • 史実では2編成(後に1編成に組み替え)しか導入されなかった。
  1. 最初から5200形として登場していた(史実では5000系6次車として導入)。
  2. 6000形や10-000形同様、途中からオールステンレス車になっている。
    • 窓の構造などにもマイナーチェンジが幾らかなされていた。
      • この為8両化の際には10-000形同様、従来車に後期車を増結させる手法を取っていた。
      • 1号線(浅草線)の8両化が1980年代に進んだかも。車体更新の際完全に中間車化される車両が。(更新の際)運転台が簡易化された車両も(旧馬込車両工場の設備上)。
      • 上記の8両化が1980年代のうちに完了すれば,5000形は(運用上)19編成に纏められる。
  3. 5300形は史実ほど投入されず、しばらくは5200系と5300形が6:4程度の割合で運転されていた。
    • とはいえ13-000形の導入と同時期に5400形(仮)によって5200系の置き換えが進んでいる。
    • ↑10-300形(10号線用)では?5300形は現実と同じく5500形に置き換わるが,5400形(仮)は2020年代に,5500形の追加増備で引退するだろう。

都営地下鉄10-000形8次車

  • 史実では2編成しか導入されなかった。
  1. 試作車は置き換えられていた
    • 経年の浅い中間車2両は8次車に組み込まれる。
    • 1・2次車も置き換えが早まっていたかも
  2. 10両化の際は7次車の中間車が組み込まれる。
  3. VVVF化が行われていた。
  4. 10-300形に置き換えられなかった。

横浜市営地下鉄3000形(1次車)

  • 史実では新横浜〜あざみ野間延伸に伴い6連×8本が導入されていたがそれよりも更に増備を続けていたら。
  1. 1000形の淘汰が早まり90年代であっという間に消滅。
    • 冷房化や旅客案内表示機も付かなかった。
  2. よって3000R形の登場も遅くなったかもしれない。

大阪市営地下鉄旧20系(10系試作車)

  • 史実では谷町線に4連×1編成が急行運転を想定し投入されましたがさらに増備されていたら?
  1. 中央線の車両は40系となっていた。
  2. 谷町線に30系の転入はなかった。
  3. 御堂筋線に来なかった。
    • 史実の10系は全て量産車のデザインで存在する。
  4. 今頃30000系に置き換えられていた。

大阪市営地下鉄20系

  • 史実では中央線に6連×7編成、谷町線に6連×9編成が投入され(最終的に中央線に集結)ましたがさらに増備されていたら?
  1. 御堂筋線中百舌鳥延伸時おける新車増備は10系ではなく20系となっていた。
    • その後も21系登場まで増備されていた。
    • 10系は8連×16編成で打ち止めになっていた。
      • 但し10系9連化用の中間車(1900形)は20系と同一の車体になっている。
      • よって10A系(10系のVVVF改造車)は存在しない。
      • もしくは9両化のタイミングで改造の上バラして組み込んでいたかも。
  2. 御堂筋線の10連化にあたっては現実の10A系同様10系を改造の上バラして組み込んでいた。
  3. 中央線用20系のVVVF更新、高速対応化が終了するとこちらも車体とVVVFの更新が実施されていた。
  4. 車両番号は30番台となり、後に登場する谷町線用が50番台となっていた。
  5. 昭和時代のうちに工場機能が緑木に一元化されていたらこうなっていたかも。

大阪市営地下鉄30系冷房改造車

  • 史実では新30系と呼ばれる後期タイプのみ冷房改造されましたが、初期タイプの改造も行われていたら?
  1. さすがに全車両改造されることはないだろう。
    • 恐らく旧7000・8000形は改造の対象から外されていた。
  2. 中央線と千日前線への投入もあった。
    • さすがに御堂筋線は新20系に置き換えられていただろう。
    • 中央線用については近鉄けいはんな線の学研奈良登美ヶ丘延伸に伴うスピードアップを機に廃車あるいは谷町線か四つ橋線に転用されていた。
  3. 新30系に関しては全車両冷房改造されていた。
    • 史実では新造から10年経たずに廃車された3043・3543・3597の3両も改造されて延命していた。
  4. それでも2000年代後半~2010年代前半に30000系への置き換えが実施されていた。
    • 30000系は御堂筋・谷町線以外にも投入されていた。
  5. 堺筋線の60系も史実よりも多くの車両が冷房改造されていた。
    • 66系初期タイプの新造は天下茶屋延伸とそれに伴う8連化に伴う不足分だけに終わっていた。
  6. 谷町線以外でも末永く活躍している編成も存在していた。
  7. 冷房改造の時期が早かったら(1980年代後半に検討されたことがある)こうなっていたかもしれない。

神戸市営地下鉄西神・山手線3000形

  • 史実では西神南駅開業分並びに増発目的で6連×6本と少数が導入されていましたが、もしもそれ以上増備し続けると。
  1. 1000形は機器更新されることなく早々と淘汰が進められ、引退した。
    • 1998年から置き換えが始まっていた。
    • 当時としては3次車の置き換えは時期尚早なので3次車の3編成は残ったほか、1・2次車に組み込まれている3次車は3000形に編入された。
  2. 1998年に増備された編成はGTO-VVVFからIGBT-VVVF搭載で新造された。
    • 夢かもめ開業以降に導入された編成はドア開閉警告音がブザーからチャイムに切り替えられた。
  3. 西神・山手線内でもワンマン運転が行われるようにもなったかも知れない。
  4. GTO素子が老朽化したら機器更新されていたかも知れない。
  5. 6000形の置き換え対象にはならなかった。