ページ「偽笑点の特徴」と「もしあのバス会社が○○だったら」の間の差分
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*新規追加時は本社所在地の都道府県順に、同じ都道府県内は五十音順になるようにお願いします。 | |||
*国鉄・JRバスは一番最後にお願いします。 | |||
*バス会社同士が合併していたらについては[[もしあの企業が合併していたら]]へ。 | |||
=== | ==北海道・東北== | ||
===てんてつバス=== | |||
;札幌留萌線の認可が下りていたら | |||
# | *天塩炭鉱鉄道は1960年代に札幌と留萌を結ぶ長距離バスを申請していましたが沿岸バスと北海道中央バスに認可がくだり、天塩炭鉱鉄道は却下されました。もし天塩炭鉱鉄道も認可されていたら。 | ||
#達布留萌線のデマンド化は避けられていた。 | |||
#* | #*但し、入出庫も兼ねた札幌留萌線と一体化した運用になっていたかも知れない。 | ||
#*それでも本数削減は避けられなかったかもしれない。 | |||
#* | #そもそも第二会社のてんてつバスは存在せず、天塩炭鉱鉄道が社名変更していただけだった。 | ||
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== | ===弘南バス=== | ||
;ICカードを導入していたら | |||
*かつては2003年12月に導入する計画がありましたが、立ち消えとなりました。もし弘南バスも予定通りにICカードを導入していたら・・・? | |||
**詳細は[http://www.mitene.or.jp/~itono/alt/trtpc023.html こちら]の2002/10/28のニュースを参照。 | |||
#少なくとも新城線(青森市内線)は廃止に追い込まれることはなく、史実以上に市営バスと熾烈な競争をしていた。 | |||
#*青森市内の区間では、割引率やポイント加算等は他地区よりもはるかに強化されていた。 | |||
#同じく、民放3局・[[松屋フーズ|デフォルトで味噌汁がつく某牛丼チェーン店]]の無い[[秋田|隣県]]に大きく差を付けれるので大歓迎に沸いていた。 | |||
#*それどころか、[[岩手|南東部に位置する隣県]]も見下していた。 | |||
# | #**某掲示板で、「JR東日本エリアどころか、JR上場4社のエリアで唯一ICカードが使える交通機関の無い秋(ry」などと書かれていた。 | ||
#* | #***秋田中央交通のICカード導入が早まっていた。 | ||
# | #調子に乗って、弘南鉄道にもICカードが導入されていたかもしれない。 | ||
#*追随して青森市営バスやJRバス東北にも導入していた。 | |||
#*[[ | #**JRバスに至ってはICカードがないのは東北だけと言われることもなかった。 | ||
#* | #**北東北はICカード不毛の地と言われ続けることもなかった。 | ||
# | #**青森市営バスは既存の磁気バスカードのシステムを置き換えていたかもしれなかった。 | ||
# | #2003年頃はさすがに独自仕様の可能性が高く、青森県内での2018年現在のICカード導入状況では西四国[[愛媛|各]][[高知|県]]と沖縄に並び、独自仕様しか使えない県としてみなされていた。 | ||
# | #*その後になって、宮崎交通と同じように相互規格を導入していたかもしれない。 | ||
# | #*下手すればかつての福島交通同様MIFARE規格を導入してそのままという可能性が高い。(そもそもFeliCa導入の予定が無いから) | ||
# | #*旧南部バスは岩手県自動車と同じsuica規格が導入される。 | ||
#* | |||
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#* | |||
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=== | ===八戸市交通局=== | ||
;高速バスに参入していたら | |||
# | 詳しくは[http://blog.goo.ne.jp/hayate_hiro/e/ba3ade86b1afc229aae67bf4878fd97f こちら]を参照 | ||
# | #三八五バスも高速バスに参入していた。 | ||
# | #長崎県交通と並んで珍しい公営高速バスとなっていた。 | ||
#* | #成功していれば各地で同様の路線が次々とできていた。 | ||
#* | #*特に首都圏~京阪神では公営バス同士が共同運行する高速バス路線も存在していた。 | ||
#**[[高槻市|高槻市営バス]]が高速バスに参入することで、高槻発着の高速バスも誕生していた(現実には[[名神高速道路]]のバスストップに停車するのみ)。 | |||
#*[[神戸淡路鳴門自動車道]]開通後は徳島県の公営バスが京阪神方面への高速バスの運行に参入していた。 | |||
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=== | ===岩手県北自動車=== | ||
;岩手県交通に合流していたら | |||
*岩手県のバスは戦時統合で花巻電鉄、岩手県北自動車、岩手東部乗合自動車、岩手県南自動車、岩手中央自動車などに整理された後、戦後に県北を除いて合併し現在の岩手県交通が誕生しました。この時岩手県北自動車も合併していたら? | |||
# | #106急行バスの誕生が遅れた。 | ||
# | #*山田線の本数が現実より多かった。 | ||
# | #岩手県のバスは国際興業カラーに染まっていた。 | ||
# | #夜行バス「ビーム1」(品川~宮古)は国際興業・岩手県交通の共同運行で池袋始発となり、[[遠野市|遠野]]・[[岩手/沿岸南部#釜石市の噂|釜石]]・[[岩手/沿岸北部#山田町の噂|山田]]経由で運行されていた。 | ||
# | #県北自動車発行のバスカードが、岩手県交通と相互利用できなくなることはもちろんなかった。 | ||
# | #青森の南部バスの民事再生法適用時も岩手県交通が事業譲受していて、青森県南地方の民営バスのカラーリングも国際興業色が強くなっていた。 | ||
# | #*もし史実の南部支社の車両が国際興業カラーになっていれば、八戸市内では十鉄バスと誤乗が増えていたかもしれなく、結局は塗り替えを取りやめていた。 | ||
# | #*むしろ事業譲渡先が十鉄バスになっていたかも。 | ||
#* | |||
#* | |||
=== | ===宮城交通=== | ||
;1940年代前半に発足していたら | |||
#宮城電鉄が合併の中心になっていた。 | |||
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=== | ==関東== | ||
===東京都交通局(都営バス)=== | |||
;バス事業から撤退していたら | |||
# | 元々都バスは関東大震災に伴う鉄道代行バスとして1924年7月末までの限定的なものになる予定でした。もし予定通りバス事業を廃止していたら。 | ||
#* | #都内のバス事業も営団が運営していた。 | ||
# | #*東京メトロ発足時に青バスを継承したはとバスに返還されていた。 | ||
# | #*営団に引き継がれるのは東京地下鉄道とその傘下の葛飾乗合自動車、東京高速鉄道系の東京環状乗合自動車となっていた。 | ||
#**王子電気軌道、城東乗合自動車は戦時統合で別のバス会社と合併していた。 | |||
# | #戦後になって私鉄系バス会社が次々と中心部に路線乗り入れを行っていた。 | ||
# | #都電廃止時に代替バス路線を巡って民間のバス各社が争った。 | ||
# | #青森市営バスが日本最古の公営バス事業者としてみなされていた。 | ||
;2001年~2003年度の新車をらくらくステップバスも並行して導入していたら | |||
東京都交通局では、2001年度から2003年度までの予算をらくらくステップバス(ワンステップバスの乗降口に一段段差をつけたバス)とノンステップバスを合わせて導入するようにしていましたが、障害者団体の反対に合い、やむなく全車ノンステップバスにせざるを得なくなり、中型ロング車の大量増殖の原因となりました。もし、障害者団体の反対が無かった、もしくは反対を押しのけてらくらくステップバスを導入していたら・・・ | |||
#ナックルカラーはいまだに健在。 | |||
#ブルーリボンシティは、既に導入されていた。 | |||
#後に、コストダウンの関係で、ワンステップバスで導入される。 | |||
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# | |||
;2005年の他社譲渡中止がなかったら | |||
廃車となった車両それまで他社に譲渡していましたが、2005年、石原都知事(当時)は地方の環境問題を理由に他社への譲渡が中止され、石原知事の退任まで続きました(人道的支援を目的とした譲渡は例外)。もし、2005年の他社譲渡中止がなかったら? | |||
#中古バスの価格が高騰することはなかった。 | |||
#南部バスはモノコックボディのバスが生き残ることもなかった。 | |||
#宮城交通は名鉄バスの中古に切り替えることもなかった。 | |||
# | |||
# | |||
# | |||
;NYのような都市24時間化に都交通局が対応を迫られることになったら | |||
# | #地下鉄や普通鉄道線が対応できないことを理由に、旧都電路線を夜22時〜朝5時のみ運行のトロリーバス路線として復活する。 | ||
# | #代わりに運賃は都電時代より高騰。 | ||
# | #猪瀬知事時代に試験運行されたものが本格的に施行されていた。 | ||
;東京多摩地区全域にも走っていたら | |||
# | #周辺を走る小田急バスや京王バスなどは現実よりも本数が少なかった。 | ||
# | #八王子市や町田市にも都営バスが走っていた。 | ||
# | #練馬区なども現実よりも広い範囲で都営バスが走ってたかもしれない。 | ||
#*国際興業バスの光02系統は都営バスで走っていた。 | |||
#* | #**他にも現実の西武バスや国際興業バスの一部の便も都営バスで走っていた。 | ||
#民間バス事業者が引き受けたがらないような山間部の過疎地域にも「山間部の公共交通を確保する」ことを名目に路線が多数開設されていた。 | |||
#* | |||
# | |||
;東京BRTの運行を担っていたら | |||
#担当営業所はおもに[[Wikipedia:ja:都営バス有明営業所|有明営業所]]。 | |||
# | #*有明に連節バス対応の設備が当初より設置され[[もしあのバス路線が○○だったら#都営バス|この内容]]の「連節バス導入」の項が実現していた。 | ||
# | #*史実同様SORAが導入されていた。 | ||
#* | #*新車は優先してこの運用に入る。 | ||
# | #系統番号はどうなっただろうか。 | ||
=== | ===国際興業=== | ||
;武蔵野乗合自動車を手放さなかったら | |||
# | 武蔵野乗合自動車(現:[[小田急バス]])は最初、国際興業傘下でしたが、小田急グループに売り渡されました。もし、今でも国際興業傘下だったら? | ||
# | #そのうち、国際興業バスに吸収される。 | ||
# | #神奈中が小田急バスになっている。 | ||
# | #*神奈中は東急系だった過去があるので小田急バスにはならず、町田の旧関東バス路線が小田急バスになっている。 | ||
# | #東北地方への高速バスは一部池袋駅経由で吉祥寺駅発着になっていた。小田急シティバスの高速バスは新宿には行かず、やはり池袋駅を拠点にしていた。 | ||
#一般路線車のみならず、空港リムジンバスや高速バスまでもがいすゞだらけになる。 | |||
;飯能交通を買収しなかったら | |||
# | #国際興業は多摩方面に路線を持たなかった(史実では、間野黒指系統の成木一丁目四ツ角停留所が青梅市内)。 | ||
# | #1990年~遅くとも2000年ぐらいに倒産していた。 | ||
# | #*その場合、路線の後継先は西武かイーグルになっていた。 | ||
# | #**その場合、間野黒指系統は西武管轄で美杉台の車庫開設と同時に南口始発美杉台経由に変更になり、間野黒指~東青梅駅も開設されていた。 | ||
#*西武飯能日高・宮沢湖・埼玉医大方面のバスは継承しても、名栗方面は継承しなかった可能性大。中沢方面についてはほぼ間違いなく切られていた。 | |||
#**その場合、原市場小学校・原市場中学校からのデマンドバスを走らせていた。 | |||
;川越から撤退しなかったら | |||
# | #現在でも川越線沿いをバスで結べていた。 | ||
# | #*それでも市境付近は危なそう。 | ||
#*2000年代以降に笠幡駅までに短縮されていた可能性も。 | |||
#* | #霞ヶ関団地→かすみ野への停留所改名は史実通り。 | ||
#三光町経由の便は後に尚美学園大学経由になっていた。 | |||
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=== | ===立川バス=== | ||
;サザエさんバス事件がなかったら | |||
→[[もし出版業界であの事件がなかったら#サザエさんバス事件(1951年~1975年)]] | |||
# | |||
== | ===東京急行電鉄(大東急時代)=== | ||
;山手線内側・武蔵野鉄道関係を除く城西・城南・多摩地域の全バス会社が合流していたら | |||
#史実の関東バス・小田急バス・立川バス・西東京バスのエリアは京王分離後同社直営バスが走る。 | |||
# | #*2000年位に分社化される。 | ||
# | #*旧小田急線沿線周辺は分離後小田急が継いだと思うが。 | ||
# | #史実の臨港バスは京急バスの一部だった。 | ||
# | |||
=== | ==中部== | ||
===長野電鉄バス=== | |||
;川中島自動車を支援していたら | |||
川中島自動車(現:アルピコ交通)が経営難に陥った際、[[長野電鉄]]は一旦支援に乗り出しましたが、川中島の経営陣の姿勢に疑問を抱き支援を中止しました(その後川中島自動車は倒産、松本電鉄傘下入りして今に至る)。もし長野電鉄が支援を継続していたら・・ | |||
# | #川中島自動車は最終的に長野電鉄傘下になる。社名もずっとそのままだったかも。 | ||
# | #川中島自動車が持っていた新潟県妙高地域のバス路線は、長野電鉄に移管される(殆ど飛び地に近い状態だったので)。 | ||
# | #高速バスの長野~大阪線、長野~東京線がダブルトラックになることはなかった。 | ||
#*前者は長電と[[阪急バス]]、後者は長電・[[京王バス]]・[[西武バス]]3社の共同運行だった。 | |||
#* | #[[アルピコグループ]]は松本電気鉄道、諏訪バスの2社がメインで成立。 | ||
# | #[[長野vs松本]]を反映して、現実同様長電とアルピコとの仲は悪かったかも。 | ||
# | #*そのため、高速バス長野~松本線は開業しなかったか、開業したとしてもそれまで調整に相当時間を要した。 | ||
#* | |||
;戦時統合で川中島自動車を合併していたら | |||
# | #[[長野vs松本|長野対松本]]のせいかアルピコとの仲は現実通りか。 | ||
=== | ===信南交通=== | ||
# | ;伊那バス・おんたけ交通を分離していなかったら | ||
# | *戦時統合で現在の伊那バス、おんたけ交通のエリアも含めて発足した信南交通ですが、1949年に伊那バス、おんたけ交通が分離しました。もし両社が分離せず戦時統合時のエリアのままだったら? | ||
# | #[[名古屋鉄道|名鉄]]傘下になっていた可能性が高そう。 | ||
# | #*その場合、現実で名鉄系の中央アルプス観光と共同運行する駒ヶ根駅~しらび平間の路線は信南交通の単独運行。中央アルプス観光はロープウェイに専念。 | ||
#権兵衛トンネル経由の伊那市駅~木曽福島駅間の路線バスは、今も存続している。 | |||
#*管理・検査機能を伊那市に集約して、木曽エリアの車両の面倒も見る、といった合理化も行われたかも。 | |||
#*木曽福島~新宿間の高速バスは、権兵衛トンネル経由になっていた。 | |||
#意外と「いいなかライナー」(飯田~中津川)が信南交通単独で存続しているかも。 | |||
#現実と同じく一般路線は壊滅的か? | |||
=== | ===北日本観光自動車=== | ||
# | ;路線バス進出が認められていたら | ||
# | [[近畿日本鉄道|近鉄]]系の北日本観光自動車は、S30年代に[[北陸鉄道]]の労使紛争に乗じて石川県内の路線バスに大々的に進出しようとしましたが、申請却下されました。もし進出に成功していたら・・ | ||
#* | #金沢発の高速バス路線は、北陸鉄道、[[西日本JRバス]]と3社での参入合戦になる。 | ||
#*大阪線は北陸鉄道-[[阪急バス]]、西日本JRバス、北日本観光自動車-[[近鉄バス]]のトリプルトラックになる。 | |||
#**ただ近鉄バスはターミナルの立地が良くないため、場合によっては北日本観光自動車と西日本JRバスとが組んだかも(大阪~白浜線の明光バス(近鉄系)の例がある)。 | |||
#*名古屋線は[[名古屋鉄道|北陸鉄道の親会社]]の意向で締め出されたかも。 | |||
#**それは有り得ないだろう。もし、締め出しを受けられたならば、北日本観光自動車はJR東海と西日本JRバスと組んでいた。 | |||
#*横浜線「ラピュータ」は北日本観光自動車の担当になる。当時[[相模鉄道|相鉄]]は専ら近鉄と組んでいたので。 | |||
#**近鉄系の防長交通が、東京線もまだないのに相鉄と横浜~徳山「ポセイドン」を開設した例がある。 | |||
#現実より更に体力が低下した北陸鉄道は、宣言通り自社の鉄道線を全廃・・ | |||
#東京池袋線(現在は新宿まで)は、西武バス・北陸鉄道・北日本観光自動車の三社共同運行(後に、JRバス関東と西日本JRバスが加わる)と言う形で、開業していた。 | |||
#*1988年末誕生当時のバス車両は、東京~新潟・北陸・三重間の共同運行会社の車両が西武バスに合わせていた。これによって、日産ディーゼルスペースウイング3軸車が導入されていた。 | |||
#**しかし、近鉄系の三重交通が日産ディーゼル社のほかに富士重工HD2型スーパーハイデッカーボディーを着装のいすゞスーパークルーザーをも導入していた。その例があるので、北日本観光自動車は富士重工製ボディー着装した日野のスーパーハイデッカーを導入。当時の名古屋線・京都線については、日野車体製のブルーリボングランデッカーを。もし仙台線や福岡線、千葉線、横浜線に進出していたら、日野セレガGD又は三菱ふそうエアロクイーンを導入していた。 | |||
#*何と現実でも2014年に金沢~東京線が実現!同社の路線バスが久々に復活した。 | |||
#名鉄系の北陸鉄道バスは、日野と三菱ふそう主体で少数派として日産ディーゼル。近鉄系の北日本観光自動車は、日野一社に統一されていたか日野と三菱ふそう又はいすゞと言う形式で導入されている。 | |||
=== | ==近畿== | ||
# | ===近鉄バス=== | ||
# | ;茨木バスを吸収合併しなかったがら | ||
近畿日本鉄道自動車部(現[[近鉄バス]])は1965年に茨木バスを吸収合併し、茨木・摂津市内にも路線を持つようになりましたが、もし茨木バスが近鉄に合併されなかったら… | |||
#茨木・摂津両市内に近鉄バスのエリアが飛び地的にできることはなかった。 | |||
#茨木バスは独立したバス会社として生きのびるか、[[阪急バス]]に合併されていたかもしれない。 | |||
#*特に後者の場合、茨木・摂津両市内における阪急バスの力は現実以上に強くなっていた。 | |||
#*あるいは[[神姫バス]]に合併されていたかもしれない。 | |||
#大阪~関東方面の近鉄バス運行の夜行高速バスが茨木市内に停まることもなかった。 | |||
#[[もし新京阪線が戦後京阪に帰属していたら]]、[[京阪バスグループ|京阪バス]]に合併されていた。 | |||
=== | ===尼崎市交通局=== | ||
;阪急バスに管理委託していたら | |||
# | 当初は、武庫営業所および同営業所運行路線を阪急バスに管理委託する予定でしたが、ある問題で中止となり、阪神バスに管理委託することになりました。もし阪急バスに管理委託していたら… | ||
# | #尼崎市営バスの廃止が史実よりも早まっていた。 | ||
#* | #塚口営業所および同営業所運行路線も阪急バスに管理委託していた。 | ||
#*その代わりに、ダイヤの面では、現実とあまり変わらなかった。 | |||
== | ==中国・四国== | ||
=== | ===日本交通=== | ||
# | ;鳥取県の路線バス事業に進出しなかったら | ||
# | 澤タクシー(のちの[[日本交通]])は、戦後に鳥取県の路線バス事業に進出し、既に県内を独占していた日ノ丸自動車と泥仕合を繰り広げました。もし日本交通が鳥取県内で路線バスを運行していなかったら・・ | ||
# | #京阪神から鳥取、米子へは現実ほど高速バスが幅を利かせていなかった。 | ||
#*大阪~鳥取線が開設されるのは[[中国自動車道]]ができてから(現実より遅くなる)。なので[[智頭急行]]開業前も大阪~鳥取間で鉄道側に一定のシェアが残っていたかも。 | |||
#**「まつかぜ」はS61.11の城崎電化後も2往復程度が新大阪~米子間で運転されている。そのまま智頭急行の開業まで走る。 | |||
#*日ノ丸自動車が京阪神~鳥取県内に高速バスを運行していた(事実日ノ丸自動車は大阪~鳥取間にバス路線を運行していたことがある)。さらに阪急バスと共同運行していた可能性もある。 | |||
#鳥取県内のバス事業は日ノ丸自動車の独占状態となっていた。 | |||
#*奈良県・宮崎県とともに1県1事業者の県となっていた。 | |||
#社名は現在も澤タクシーのままで、大阪のタクシー事業者の一つでしかなかった。 | |||
=== | ===ことでんバス=== | ||
# | ;戦時統合で琴平参宮・琴平急行両電鉄を合併していたら | ||
# | #→[[もしあの企業が合併していたら#高松琴平電気鉄道と琴平参宮電鉄・琴平急行電鉄]] | ||
=== | ===伊予鉄バス=== | ||
;伊予鉄南予バスが伊予鉄道の持株会社化と同時に「伊予鉄バス」に社名変更していたら | |||
#本社を八幡浜市から松山市に移転した。 | |||
# | #ICい~カードが旧南予バスでも使用可能になった。 | ||
# | |||
=== | ==九州・沖縄== | ||
# | ===北九州市=== | ||
# | ;西鉄に事業を譲渡していたら | ||
# | 昭和38年[[北九州市]]が誕生した際、合併前の若松市の市営バス事業が引き継がれ、[[福岡のバス#北九州市営バス|北九州市営バス]]となりましたが、これを引き継ぐのが西鉄バスだった場合は? | ||
#北九州市交通局は無かった。 | |||
#*北九州市電は西鉄北九州市内線になっていた。 | |||
#2014年現在でも西鉄は単体で日本最大のバス会社だった。 | |||
#現在は西鉄バス北九州の管轄。 | |||
=== | ===九州産業交通=== | ||
;熊本県内の全バス会社が合流していたら | |||
# | #→[[もしあの企業が合併していたら#熊本県内の全鉄道・バス会社|もしあの企業が合併していたら#熊本県内の全鉄道・バス会社]] | ||
# | |||
# | |||
=== | ===鹿児島交通=== | ||
;新車を現在でも導入していたら | |||
#嫌われていない。 | |||
# | #ハイバックシートで導入していた。 | ||
# | |||
=== | ==国鉄バス・JRバスグループ== | ||
===国鉄バス=== | |||
;新橋〜蓮田間に路線を開設していたら | |||
* [[wikipedia:ja:武州鉄道|武州鉄道]]の廃止後、沿線住民から新橋〜岩槻・蓮田間に代替となるバス路線の陳情が国鉄に行われ、試運転まで実施されました。 | |||
# | **しかし、競合する東都乗合(現在の国際興業)が同一ルートで路線開設したためにお蔵入りになったとされています。[https://iwatsuki.raunzi.com/%E9%80%A3%E8%BC%89%E3%83%BB%E5%AF%84%E7%A8%BF/%E6%AD%A6%E5%B7%9E%E9%89%84%E9%81%93-%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BA%94-%EF%BD%9E%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E6%AD%A6%E5%B7%9E%E9%89%84%E9%81%93%EF%BD%9E-%E6%AD%A6%E5%B7%9E%E9%89%84 参考]もし、国鉄での運行が実現していたら? | ||
# | #東北自動車道の開通後、通勤時に急行便が設定されていた。 | ||
#それでも埼玉高速鉄道開通の打撃は避けられなかった。 | |||
;中国鉄道のバス部門も買収していたら | |||
# | 中国鉄道(現在の津山線・吉備線)の鉄道部門は戦時買収私鉄指定により国有化されましたが、バス部門(現在の中鉄バス)は買収されませんでした。もし、バス部門も買収していたら? | ||
#* | #史実で中鉄バスの営業領域となっているエリアは中国JRバスの営業領域となっていた。 | ||
#* | #*中国JRバスは現実より規模が大きくなっていた。 | ||
# | #*美伯線(津山~倉吉)がJRバス移行時点で残っていたかも。 | ||
#* | #*ただJRバスは自治体からの補助金がもらえなかったので、特に美作地方では現実以上に路線廃止(→自治体バス化)が進んでいた。 | ||
# | #**路線のほとんどは2000年以降両備バスに譲渡されていた。 | ||
#テレビせとうちは開設されなかった。 | |||
#「中国ハイウェイバス」(大阪~津山)の運行に中国JRバスも加わっていた。 | |||
#東京~岡山間の夜行バスは当初から[[京浜急行バス|京急]]・[[両備ホールディングス#両備バス|両備]]の「ルブラン」、[[小田急バス|小田急]]・[[岡山の交通#下電バス|下津井]]の「ルミナス」と、[[JRバス関東]]・中国JRバスの「ドリーム岡山」によるトリプルトラック運行だった。 | |||
#*「京浜吉備ドリーム」号は存在しなかった。 | |||
#*JRに対抗するために前者2つが統合され4社共同運行だったりして(京急と小田急が両方入ったかは分からないが…)。 | |||
;大島自動車を買収していなかったら | |||
*詳細は[[wikipedia:ja:大島線 (中国ジェイアールバス)|こちら]]を参照。 | |||
# | #国鉄バスは離島に路線を持つことはなかった。 | ||
# | #大島自動車は防長交通に買収されていた。 | ||
[[ | ;鞍手合同自動車を買収していなかったら | ||
[[ | *現在の[[JR九州バス]]直方線。もし、鞍手合同自動車が国鉄に戦時買収されなかったら? | ||
[[ | #陸上交通事業調整法により西鉄に合併され西鉄バスの路線となっていた。 | ||
#*砂津や天神への直通バスも走っている。若宮インターにバスターミナルが作られていた可能性もある。 | |||
#*逆に犬鳴峠を越える路線は分断・全廃されている可能性がある。 | |||
#*行先番号付与、76番となっていた。 | |||
#**高速バス(直方駅 - 宮田町駅 - 福丸駅 - (若宮IC - 九州自動車道 - 福岡IC) - 博多駅)は「みやた号」となっていた | |||
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 道路・自動車史|あのはすかいしや]] | |||
[[カテゴリ:バス|もしあのかいしや]] |
2021年11月19日 (金) 21:47時点における版
- 新規追加時は本社所在地の都道府県順に、同じ都道府県内は五十音順になるようにお願いします。
- 国鉄・JRバスは一番最後にお願いします。
- バス会社同士が合併していたらについてはもしあの企業が合併していたらへ。
北海道・東北
てんてつバス
- 札幌留萌線の認可が下りていたら
- 天塩炭鉱鉄道は1960年代に札幌と留萌を結ぶ長距離バスを申請していましたが沿岸バスと北海道中央バスに認可がくだり、天塩炭鉱鉄道は却下されました。もし天塩炭鉱鉄道も認可されていたら。
- 達布留萌線のデマンド化は避けられていた。
- 但し、入出庫も兼ねた札幌留萌線と一体化した運用になっていたかも知れない。
- それでも本数削減は避けられなかったかもしれない。
- そもそも第二会社のてんてつバスは存在せず、天塩炭鉱鉄道が社名変更していただけだった。
弘南バス
- ICカードを導入していたら
- かつては2003年12月に導入する計画がありましたが、立ち消えとなりました。もし弘南バスも予定通りにICカードを導入していたら・・・?
- 詳細はこちらの2002/10/28のニュースを参照。
- 少なくとも新城線(青森市内線)は廃止に追い込まれることはなく、史実以上に市営バスと熾烈な競争をしていた。
- 青森市内の区間では、割引率やポイント加算等は他地区よりもはるかに強化されていた。
- 同じく、民放3局・デフォルトで味噌汁がつく某牛丼チェーン店の無い隣県に大きく差を付けれるので大歓迎に沸いていた。
- それどころか、南東部に位置する隣県も見下していた。
- 某掲示板で、「JR東日本エリアどころか、JR上場4社のエリアで唯一ICカードが使える交通機関の無い秋(ry」などと書かれていた。
- 秋田中央交通のICカード導入が早まっていた。
- 某掲示板で、「JR東日本エリアどころか、JR上場4社のエリアで唯一ICカードが使える交通機関の無い秋(ry」などと書かれていた。
- それどころか、南東部に位置する隣県も見下していた。
- 調子に乗って、弘南鉄道にもICカードが導入されていたかもしれない。
- 追随して青森市営バスやJRバス東北にも導入していた。
- JRバスに至ってはICカードがないのは東北だけと言われることもなかった。
- 北東北はICカード不毛の地と言われ続けることもなかった。
- 青森市営バスは既存の磁気バスカードのシステムを置き換えていたかもしれなかった。
- 追随して青森市営バスやJRバス東北にも導入していた。
- 2003年頃はさすがに独自仕様の可能性が高く、青森県内での2018年現在のICカード導入状況では西四国各県と沖縄に並び、独自仕様しか使えない県としてみなされていた。
- その後になって、宮崎交通と同じように相互規格を導入していたかもしれない。
- 下手すればかつての福島交通同様MIFARE規格を導入してそのままという可能性が高い。(そもそもFeliCa導入の予定が無いから)
- 旧南部バスは岩手県自動車と同じsuica規格が導入される。
八戸市交通局
- 高速バスに参入していたら
詳しくはこちらを参照
- 三八五バスも高速バスに参入していた。
- 長崎県交通と並んで珍しい公営高速バスとなっていた。
- 成功していれば各地で同様の路線が次々とできていた。
- 特に首都圏~京阪神では公営バス同士が共同運行する高速バス路線も存在していた。
- 神戸淡路鳴門自動車道開通後は徳島県の公営バスが京阪神方面への高速バスの運行に参入していた。
岩手県北自動車
- 岩手県交通に合流していたら
- 岩手県のバスは戦時統合で花巻電鉄、岩手県北自動車、岩手東部乗合自動車、岩手県南自動車、岩手中央自動車などに整理された後、戦後に県北を除いて合併し現在の岩手県交通が誕生しました。この時岩手県北自動車も合併していたら?
- 106急行バスの誕生が遅れた。
- 山田線の本数が現実より多かった。
- 岩手県のバスは国際興業カラーに染まっていた。
- 夜行バス「ビーム1」(品川~宮古)は国際興業・岩手県交通の共同運行で池袋始発となり、遠野・釜石・山田経由で運行されていた。
- 県北自動車発行のバスカードが、岩手県交通と相互利用できなくなることはもちろんなかった。
- 青森の南部バスの民事再生法適用時も岩手県交通が事業譲受していて、青森県南地方の民営バスのカラーリングも国際興業色が強くなっていた。
- もし史実の南部支社の車両が国際興業カラーになっていれば、八戸市内では十鉄バスと誤乗が増えていたかもしれなく、結局は塗り替えを取りやめていた。
- むしろ事業譲渡先が十鉄バスになっていたかも。
宮城交通
- 1940年代前半に発足していたら
- 宮城電鉄が合併の中心になっていた。
関東
東京都交通局(都営バス)
- バス事業から撤退していたら
元々都バスは関東大震災に伴う鉄道代行バスとして1924年7月末までの限定的なものになる予定でした。もし予定通りバス事業を廃止していたら。
- 都内のバス事業も営団が運営していた。
- 東京メトロ発足時に青バスを継承したはとバスに返還されていた。
- 営団に引き継がれるのは東京地下鉄道とその傘下の葛飾乗合自動車、東京高速鉄道系の東京環状乗合自動車となっていた。
- 王子電気軌道、城東乗合自動車は戦時統合で別のバス会社と合併していた。
- 戦後になって私鉄系バス会社が次々と中心部に路線乗り入れを行っていた。
- 都電廃止時に代替バス路線を巡って民間のバス各社が争った。
- 青森市営バスが日本最古の公営バス事業者としてみなされていた。
- 2001年~2003年度の新車をらくらくステップバスも並行して導入していたら
東京都交通局では、2001年度から2003年度までの予算をらくらくステップバス(ワンステップバスの乗降口に一段段差をつけたバス)とノンステップバスを合わせて導入するようにしていましたが、障害者団体の反対に合い、やむなく全車ノンステップバスにせざるを得なくなり、中型ロング車の大量増殖の原因となりました。もし、障害者団体の反対が無かった、もしくは反対を押しのけてらくらくステップバスを導入していたら・・・
- ナックルカラーはいまだに健在。
- ブルーリボンシティは、既に導入されていた。
- 後に、コストダウンの関係で、ワンステップバスで導入される。
- 2005年の他社譲渡中止がなかったら
廃車となった車両それまで他社に譲渡していましたが、2005年、石原都知事(当時)は地方の環境問題を理由に他社への譲渡が中止され、石原知事の退任まで続きました(人道的支援を目的とした譲渡は例外)。もし、2005年の他社譲渡中止がなかったら?
- 中古バスの価格が高騰することはなかった。
- 南部バスはモノコックボディのバスが生き残ることもなかった。
- 宮城交通は名鉄バスの中古に切り替えることもなかった。
- NYのような都市24時間化に都交通局が対応を迫られることになったら
- 地下鉄や普通鉄道線が対応できないことを理由に、旧都電路線を夜22時〜朝5時のみ運行のトロリーバス路線として復活する。
- 代わりに運賃は都電時代より高騰。
- 猪瀬知事時代に試験運行されたものが本格的に施行されていた。
- 東京多摩地区全域にも走っていたら
- 周辺を走る小田急バスや京王バスなどは現実よりも本数が少なかった。
- 八王子市や町田市にも都営バスが走っていた。
- 練馬区なども現実よりも広い範囲で都営バスが走ってたかもしれない。
- 国際興業バスの光02系統は都営バスで走っていた。
- 他にも現実の西武バスや国際興業バスの一部の便も都営バスで走っていた。
- 国際興業バスの光02系統は都営バスで走っていた。
- 民間バス事業者が引き受けたがらないような山間部の過疎地域にも「山間部の公共交通を確保する」ことを名目に路線が多数開設されていた。
- 東京BRTの運行を担っていたら
- 担当営業所はおもに有明営業所。
- 有明に連節バス対応の設備が当初より設置されこの内容の「連節バス導入」の項が実現していた。
- 史実同様SORAが導入されていた。
- 新車は優先してこの運用に入る。
- 系統番号はどうなっただろうか。
国際興業
- 武蔵野乗合自動車を手放さなかったら
武蔵野乗合自動車(現:小田急バス)は最初、国際興業傘下でしたが、小田急グループに売り渡されました。もし、今でも国際興業傘下だったら?
- そのうち、国際興業バスに吸収される。
- 神奈中が小田急バスになっている。
- 神奈中は東急系だった過去があるので小田急バスにはならず、町田の旧関東バス路線が小田急バスになっている。
- 東北地方への高速バスは一部池袋駅経由で吉祥寺駅発着になっていた。小田急シティバスの高速バスは新宿には行かず、やはり池袋駅を拠点にしていた。
- 一般路線車のみならず、空港リムジンバスや高速バスまでもがいすゞだらけになる。
- 飯能交通を買収しなかったら
- 国際興業は多摩方面に路線を持たなかった(史実では、間野黒指系統の成木一丁目四ツ角停留所が青梅市内)。
- 1990年~遅くとも2000年ぐらいに倒産していた。
- その場合、路線の後継先は西武かイーグルになっていた。
- その場合、間野黒指系統は西武管轄で美杉台の車庫開設と同時に南口始発美杉台経由に変更になり、間野黒指~東青梅駅も開設されていた。
- 西武飯能日高・宮沢湖・埼玉医大方面のバスは継承しても、名栗方面は継承しなかった可能性大。中沢方面についてはほぼ間違いなく切られていた。
- その場合、原市場小学校・原市場中学校からのデマンドバスを走らせていた。
- その場合、路線の後継先は西武かイーグルになっていた。
- 川越から撤退しなかったら
- 現在でも川越線沿いをバスで結べていた。
- それでも市境付近は危なそう。
- 2000年代以降に笠幡駅までに短縮されていた可能性も。
- 霞ヶ関団地→かすみ野への停留所改名は史実通り。
- 三光町経由の便は後に尚美学園大学経由になっていた。
立川バス
- サザエさんバス事件がなかったら
→もし出版業界であの事件がなかったら#サザエさんバス事件(1951年~1975年)
東京急行電鉄(大東急時代)
- 山手線内側・武蔵野鉄道関係を除く城西・城南・多摩地域の全バス会社が合流していたら
- 史実の関東バス・小田急バス・立川バス・西東京バスのエリアは京王分離後同社直営バスが走る。
- 2000年位に分社化される。
- 旧小田急線沿線周辺は分離後小田急が継いだと思うが。
- 史実の臨港バスは京急バスの一部だった。
中部
長野電鉄バス
- 川中島自動車を支援していたら
川中島自動車(現:アルピコ交通)が経営難に陥った際、長野電鉄は一旦支援に乗り出しましたが、川中島の経営陣の姿勢に疑問を抱き支援を中止しました(その後川中島自動車は倒産、松本電鉄傘下入りして今に至る)。もし長野電鉄が支援を継続していたら・・
- 川中島自動車は最終的に長野電鉄傘下になる。社名もずっとそのままだったかも。
- 川中島自動車が持っていた新潟県妙高地域のバス路線は、長野電鉄に移管される(殆ど飛び地に近い状態だったので)。
- 高速バスの長野~大阪線、長野~東京線がダブルトラックになることはなかった。
- アルピコグループは松本電気鉄道、諏訪バスの2社がメインで成立。
- 長野vs松本を反映して、現実同様長電とアルピコとの仲は悪かったかも。
- そのため、高速バス長野~松本線は開業しなかったか、開業したとしてもそれまで調整に相当時間を要した。
- 戦時統合で川中島自動車を合併していたら
- 長野対松本のせいかアルピコとの仲は現実通りか。
信南交通
- 伊那バス・おんたけ交通を分離していなかったら
- 戦時統合で現在の伊那バス、おんたけ交通のエリアも含めて発足した信南交通ですが、1949年に伊那バス、おんたけ交通が分離しました。もし両社が分離せず戦時統合時のエリアのままだったら?
- 名鉄傘下になっていた可能性が高そう。
- その場合、現実で名鉄系の中央アルプス観光と共同運行する駒ヶ根駅~しらび平間の路線は信南交通の単独運行。中央アルプス観光はロープウェイに専念。
- 権兵衛トンネル経由の伊那市駅~木曽福島駅間の路線バスは、今も存続している。
- 管理・検査機能を伊那市に集約して、木曽エリアの車両の面倒も見る、といった合理化も行われたかも。
- 木曽福島~新宿間の高速バスは、権兵衛トンネル経由になっていた。
- 意外と「いいなかライナー」(飯田~中津川)が信南交通単独で存続しているかも。
- 現実と同じく一般路線は壊滅的か?
北日本観光自動車
- 路線バス進出が認められていたら
近鉄系の北日本観光自動車は、S30年代に北陸鉄道の労使紛争に乗じて石川県内の路線バスに大々的に進出しようとしましたが、申請却下されました。もし進出に成功していたら・・
- 金沢発の高速バス路線は、北陸鉄道、西日本JRバスと3社での参入合戦になる。
- 大阪線は北陸鉄道-阪急バス、西日本JRバス、北日本観光自動車-近鉄バスのトリプルトラックになる。
- ただ近鉄バスはターミナルの立地が良くないため、場合によっては北日本観光自動車と西日本JRバスとが組んだかも(大阪~白浜線の明光バス(近鉄系)の例がある)。
- 名古屋線は北陸鉄道の親会社の意向で締め出されたかも。
- それは有り得ないだろう。もし、締め出しを受けられたならば、北日本観光自動車はJR東海と西日本JRバスと組んでいた。
- 横浜線「ラピュータ」は北日本観光自動車の担当になる。当時相鉄は専ら近鉄と組んでいたので。
- 近鉄系の防長交通が、東京線もまだないのに相鉄と横浜~徳山「ポセイドン」を開設した例がある。
- 大阪線は北陸鉄道-阪急バス、西日本JRバス、北日本観光自動車-近鉄バスのトリプルトラックになる。
- 現実より更に体力が低下した北陸鉄道は、宣言通り自社の鉄道線を全廃・・
- 東京池袋線(現在は新宿まで)は、西武バス・北陸鉄道・北日本観光自動車の三社共同運行(後に、JRバス関東と西日本JRバスが加わる)と言う形で、開業していた。
- 1988年末誕生当時のバス車両は、東京~新潟・北陸・三重間の共同運行会社の車両が西武バスに合わせていた。これによって、日産ディーゼルスペースウイング3軸車が導入されていた。
- しかし、近鉄系の三重交通が日産ディーゼル社のほかに富士重工HD2型スーパーハイデッカーボディーを着装のいすゞスーパークルーザーをも導入していた。その例があるので、北日本観光自動車は富士重工製ボディー着装した日野のスーパーハイデッカーを導入。当時の名古屋線・京都線については、日野車体製のブルーリボングランデッカーを。もし仙台線や福岡線、千葉線、横浜線に進出していたら、日野セレガGD又は三菱ふそうエアロクイーンを導入していた。
- 何と現実でも2014年に金沢~東京線が実現!同社の路線バスが久々に復活した。
- 1988年末誕生当時のバス車両は、東京~新潟・北陸・三重間の共同運行会社の車両が西武バスに合わせていた。これによって、日産ディーゼルスペースウイング3軸車が導入されていた。
- 名鉄系の北陸鉄道バスは、日野と三菱ふそう主体で少数派として日産ディーゼル。近鉄系の北日本観光自動車は、日野一社に統一されていたか日野と三菱ふそう又はいすゞと言う形式で導入されている。
近畿
近鉄バス
- 茨木バスを吸収合併しなかったがら
近畿日本鉄道自動車部(現近鉄バス)は1965年に茨木バスを吸収合併し、茨木・摂津市内にも路線を持つようになりましたが、もし茨木バスが近鉄に合併されなかったら…
- 茨木・摂津両市内に近鉄バスのエリアが飛び地的にできることはなかった。
- 茨木バスは独立したバス会社として生きのびるか、阪急バスに合併されていたかもしれない。
- 特に後者の場合、茨木・摂津両市内における阪急バスの力は現実以上に強くなっていた。
- あるいは神姫バスに合併されていたかもしれない。
- 大阪~関東方面の近鉄バス運行の夜行高速バスが茨木市内に停まることもなかった。
- もし新京阪線が戦後京阪に帰属していたら、京阪バスに合併されていた。
尼崎市交通局
- 阪急バスに管理委託していたら
当初は、武庫営業所および同営業所運行路線を阪急バスに管理委託する予定でしたが、ある問題で中止となり、阪神バスに管理委託することになりました。もし阪急バスに管理委託していたら…
- 尼崎市営バスの廃止が史実よりも早まっていた。
- 塚口営業所および同営業所運行路線も阪急バスに管理委託していた。
- その代わりに、ダイヤの面では、現実とあまり変わらなかった。
中国・四国
日本交通
- 鳥取県の路線バス事業に進出しなかったら
澤タクシー(のちの日本交通)は、戦後に鳥取県の路線バス事業に進出し、既に県内を独占していた日ノ丸自動車と泥仕合を繰り広げました。もし日本交通が鳥取県内で路線バスを運行していなかったら・・
- 京阪神から鳥取、米子へは現実ほど高速バスが幅を利かせていなかった。
- 鳥取県内のバス事業は日ノ丸自動車の独占状態となっていた。
- 奈良県・宮崎県とともに1県1事業者の県となっていた。
- 社名は現在も澤タクシーのままで、大阪のタクシー事業者の一つでしかなかった。
ことでんバス
- 戦時統合で琴平参宮・琴平急行両電鉄を合併していたら
伊予鉄バス
- 伊予鉄南予バスが伊予鉄道の持株会社化と同時に「伊予鉄バス」に社名変更していたら
- 本社を八幡浜市から松山市に移転した。
- ICい~カードが旧南予バスでも使用可能になった。
九州・沖縄
北九州市
- 西鉄に事業を譲渡していたら
昭和38年北九州市が誕生した際、合併前の若松市の市営バス事業が引き継がれ、北九州市営バスとなりましたが、これを引き継ぐのが西鉄バスだった場合は?
- 北九州市交通局は無かった。
- 北九州市電は西鉄北九州市内線になっていた。
- 2014年現在でも西鉄は単体で日本最大のバス会社だった。
- 現在は西鉄バス北九州の管轄。
九州産業交通
- 熊本県内の全バス会社が合流していたら
鹿児島交通
- 新車を現在でも導入していたら
- 嫌われていない。
- ハイバックシートで導入していた。
国鉄バス・JRバスグループ
国鉄バス
- 新橋〜蓮田間に路線を開設していたら
- 武州鉄道の廃止後、沿線住民から新橋〜岩槻・蓮田間に代替となるバス路線の陳情が国鉄に行われ、試運転まで実施されました。
- しかし、競合する東都乗合(現在の国際興業)が同一ルートで路線開設したためにお蔵入りになったとされています。参考もし、国鉄での運行が実現していたら?
- 東北自動車道の開通後、通勤時に急行便が設定されていた。
- それでも埼玉高速鉄道開通の打撃は避けられなかった。
- 中国鉄道のバス部門も買収していたら
中国鉄道(現在の津山線・吉備線)の鉄道部門は戦時買収私鉄指定により国有化されましたが、バス部門(現在の中鉄バス)は買収されませんでした。もし、バス部門も買収していたら?
- 史実で中鉄バスの営業領域となっているエリアは中国JRバスの営業領域となっていた。
- 中国JRバスは現実より規模が大きくなっていた。
- 美伯線(津山~倉吉)がJRバス移行時点で残っていたかも。
- ただJRバスは自治体からの補助金がもらえなかったので、特に美作地方では現実以上に路線廃止(→自治体バス化)が進んでいた。
- 路線のほとんどは2000年以降両備バスに譲渡されていた。
- テレビせとうちは開設されなかった。
- 「中国ハイウェイバス」(大阪~津山)の運行に中国JRバスも加わっていた。
- 東京~岡山間の夜行バスは当初から京急・両備の「ルブラン」、小田急・下津井の「ルミナス」と、JRバス関東・中国JRバスの「ドリーム岡山」によるトリプルトラック運行だった。
- 「京浜吉備ドリーム」号は存在しなかった。
- JRに対抗するために前者2つが統合され4社共同運行だったりして(京急と小田急が両方入ったかは分からないが…)。
- 大島自動車を買収していなかったら
- 詳細はこちらを参照。
- 国鉄バスは離島に路線を持つことはなかった。
- 大島自動車は防長交通に買収されていた。
- 鞍手合同自動車を買収していなかったら
- 現在のJR九州バス直方線。もし、鞍手合同自動車が国鉄に戦時買収されなかったら?
- 陸上交通事業調整法により西鉄に合併され西鉄バスの路線となっていた。
- 砂津や天神への直通バスも走っている。若宮インターにバスターミナルが作られていた可能性もある。
- 逆に犬鳴峠を越える路線は分断・全廃されている可能性がある。
- 行先番号付与、76番となっていた。
- 高速バス(直方駅 - 宮田町駅 - 福丸駅 - (若宮IC - 九州自動車道 - 福岡IC) - 博多駅)は「みやた号」となっていた