ページ「新発田市」と「日吉 (横浜市)」の間の差分

(ページ間の差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
 
 
1行目: 1行目:
#市名の読みが独特なので、初見の県外の人にはまずまともに読んでもらえない。「しんはつだ」「しんはった」「しんほった」「しんぱつでん」などなど、珍回答の数々。
{{小地域|reg=関東|pref=神奈川|city=横浜市|ku=港北区|ruby=ひよし|eng=Hiyoshi}}
#*ちなみに正解は「しばた」。
==日吉の噂==
#**現地音では「すんばだ」。新潟市では阿賀北の人間を総称して「スンバダショ」(新発田衆の新発田読み)と呼んで揶揄している。
[[画像:Hiyoshi01.JPG|frame|日吉駅改札前にて]]
#*県外でこの地名を読めるのは、たぶん、歴史(戦国)マニアか高校野球マニアくらいと思われる。
*日吉駅の噂は[[横浜市の駅#日吉駅の噂|こちら]]へ。
#**私はどちらともマニアなので読めます。
#日吉の[[慶應義塾大学]]の地下に築かれた地下壕には、太平洋戦争末期に、[[大日本帝国|日本]]海軍連合艦隊司令部が置かれていた。
#市のシンボルである、城とあやめをこよなく愛する。
#*乗るべき艦艇がほとんど沈められてしまい無くなってしまったから。つまりカッパの陸上がり状態。それでも、ここに移転する直前までは、旗艦は軽巡洋艦大淀に置かれていた。司令長官は豊田副武海軍大将。終戦直前には、小沢治三郎海軍中将が、最後の連合艦隊司令長官兼海軍総隊司令長官となり、豊田大将は軍令部総長に
#*市民男性の95%はお堀でザリガニ釣りの経験有り。
#*戦後も、地下司令部は、出入口が塞がれただけで埋め戻されていない為、次の大地震の時には日吉の丘全体が陥没するだろうと慶應の中では言い伝えられている。
#*学年で一人はお堀でおぼれた経験有り。
#*地下司令部の地図は普通部(中学校)の生徒が夏休みの宿題で作った。
#自衛隊の車両が街中を日常的に走っている。ナチュラル過ぎて、もはや違和感なし。
#慶應大学の土地は、学園誘致の為に、[[東京急行電鉄|東急]]初代社長の五島慶太がタダであげたもの
#新病院が駅前に完成。それにあわせて、現在、駅前を区画整理中。
#*ちなみに、慶応と書くと慶應の関係者でないとすぐわかる。
#紫雲寺を占領して、念願の海岸をゲット。
#**ちゃんとした書類以外は面倒だし相手が読めないから普通は応の字を書く。そんなことにこだわるのは慶早戦とか言っちゃうおペンな人くらい。
#新潟東港(工業地帯や火力発電所が立地。アルビレックスの練習場もある。)を押さえていて財政的に裕福な隣の聖籠町を何かにつけて羨ましく感じている。でも城下町のプライドがあるので、面には出さない。
#*慶應の父母会などがあると、日吉東急の駐車場がベンツでビッチリ埋まる。
# [http://poppoyaki.hp.infoseek.co.jp/ 「ポッポ焼き」] 新発田では「蒸気パン」。「ポッポ焼き」と呼ぶのを許さない。
#[[田園調布]]を真似て作った放射状の道路だが、中途半端なため、地元住民でもよく迷う。
#*この前あやめ祭り行ったけど「ポッポ焼き」として売られてた。また、土日ウオロクコモ店に来ている屋台は「ポッポ焼き」。
#*道の狭さの割りに自分勝手な路駐をしまくる人が多いので、商店街は車が擦れ違えない。
#*「ポッポ焼き」は新発田市民からすれば外来語。近年、侵食されつつあるようで困ったものである。
#**タクシーが列を成している普通部通りが一番ひどい。
#猿橋中学校は学生の9割がヤンキー。アロハシャツが制服だった時代もあったらしい。
#*バスの運転手たちのスキルが高い。
#「のっぺ(汁)」は新発田では「こにも(小煮物から来ていると思われる)」。あくまでも「煮物」のひとつであり断じて「~汁」ではない。正月はやっぱり「こにも」で「腹くっちょ(お腹いっぱいに)」しないとな~。
#待ち合わせ場所は駅前の「銀の玉」。
#新発田駅の近くの東公園には、新津機関区ゆかりのD51形蒸気機関車であるD51・512号機が静態保存されている。しかし、荒川町にて静態保存されている735号機と比較すると、保存状態は決して良いとは言えないかもしれない。
#* 通称、銀玉(ぎんたま)。正式名は玉の下に書かれてるけど、ほとんどの人が知らない。
 
#** 正式名は「虚球自像」である。
[[Category:新潟|しはたし]]
#*ぎんたま・・・[[銀魂ファン|あのマンガ]]とは関係・・・ないよね。
[[Category:甲信越地方の市|しはたし]]
#**日吉住民のジャンプ読みの中には、むしろあの漫画の作者が日吉出身かと思った人間もいたとか
#「三国志」「信長の野望」「提督の決断」などの歴史ゲームシリーズで有名な[[コーエーテクモゲームス|コーエー]]の本社が駅のすぐ近く。でも近隣を武将などがウロウロしているという訳でもなく、普通すぎる。
#*駅前にワラワラとたむろする学生を見て「無双」シリーズを考えたかもしれない。
#*もともと綱島街道沿いに本社があったが、その周辺、そして駅のそばとどんどん会社が大きくなってきた。正直驚いた。
#*現社屋は壁面に巨大太陽が描かれており、いかにも犯罪を起こしそうなカルト教団の様相。夜には目が光って不快度が倍増。
#*実は商店街の中にひっそりシブサワ・コウの事務所があるのは意外と知られていない。
#日吉の吉日、という地酒があるが、あまり知られてはいないようだ。
#昭和63年頃まで電話局が「日吉局」で、市外局番が044だった。そのため、綱島(045)に電話をかけるときも市外通話になってしまった。
#*自分は044日吉局エリアだったが、中学の時のクラスの連絡網は前も後ろも045の市外局番住民
#本町6丁目の谷戸池跡地は地盤沈下が激しい
#[[佐賀|佐賀県]]から上京してきたはなわが最初に住んだ街はじつは日吉。
#駒林小学校はJリーグの岡野の母校
#駒林小は昔田んぼだった
#慶応慶應KOって言いますが、日大中・高もあります。しかも駅周辺での「お行儀」の良さは同程度。
#*KOの方がガラは悪かったりする。
#*日大高の子たちは、コンプを感じるため、大学受験で良いところに行こうとする。
#昔、森戸が原ではヌード撮影も行われていたほど森の中だった
#2008年12月18日頃より、mixiの「日吉」コミュニティでは、「日吉の治安と環境を守る!」と一人で息巻いている人が、過去の逆恨みを延々と書き連ねている。
#ラーメン激戦区で、狭い商店街の中に10店ほどが存在する。店の入れ替わりも激しく、ラーメン屋の跡にラーメン屋ということもしょっちゅう。
#*家系と魚介系つけ麺の店が多いが、たまに塩ラーメンの店がぽっこり開店する。が、速攻つぶれる。
#*らすた麺は09年春頃からごはんがタダになった。あと、スープの味が日によってけっこう変わる気がする。
#*この街の大勝軒は永福系。
#つい最近までアムロの人が浜銀通りの奥に住んでいた。

2014年8月9日 (土) 17:50時点における版

日吉の噂

ファイル:Hiyoshi01.JPG
日吉駅改札前にて
  1. 日吉の慶應義塾大学の地下に築かれた地下壕には、太平洋戦争末期に、日本海軍連合艦隊司令部が置かれていた。
    • 乗るべき艦艇がほとんど沈められてしまい無くなってしまったから。つまりカッパの陸上がり状態。それでも、ここに移転する直前までは、旗艦は軽巡洋艦大淀に置かれていた。司令長官は豊田副武海軍大将。終戦直前には、小沢治三郎海軍中将が、最後の連合艦隊司令長官兼海軍総隊司令長官となり、豊田大将は軍令部総長に
    • 戦後も、地下司令部は、出入口が塞がれただけで埋め戻されていない為、次の大地震の時には日吉の丘全体が陥没するだろうと慶應の中では言い伝えられている。
    • 地下司令部の地図は普通部(中学校)の生徒が夏休みの宿題で作った。
  2. 慶應大学の土地は、学園誘致の為に、東急初代社長の五島慶太がタダであげたもの
    • ちなみに、慶応と書くと慶應の関係者でないとすぐわかる。
      • ちゃんとした書類以外は面倒だし相手が読めないから普通は応の字を書く。そんなことにこだわるのは慶早戦とか言っちゃうおペンな人くらい。
    • 慶應の父母会などがあると、日吉東急の駐車場がベンツでビッチリ埋まる。
  3. 田園調布を真似て作った放射状の道路だが、中途半端なため、地元住民でもよく迷う。
    • 道の狭さの割りに自分勝手な路駐をしまくる人が多いので、商店街は車が擦れ違えない。
      • タクシーが列を成している普通部通りが一番ひどい。
    • バスの運転手たちのスキルが高い。
  4. 待ち合わせ場所は駅前の「銀の玉」。
    • 通称、銀玉(ぎんたま)。正式名は玉の下に書かれてるけど、ほとんどの人が知らない。
      • 正式名は「虚球自像」である。
    • ぎんたま・・・あのマンガとは関係・・・ないよね。
      • 日吉住民のジャンプ読みの中には、むしろあの漫画の作者が日吉出身かと思った人間もいたとか
  5. 「三国志」「信長の野望」「提督の決断」などの歴史ゲームシリーズで有名なコーエーの本社が駅のすぐ近く。でも近隣を武将などがウロウロしているという訳でもなく、普通すぎる。
    • 駅前にワラワラとたむろする学生を見て「無双」シリーズを考えたかもしれない。
    • もともと綱島街道沿いに本社があったが、その周辺、そして駅のそばとどんどん会社が大きくなってきた。正直驚いた。
    • 現社屋は壁面に巨大太陽が描かれており、いかにも犯罪を起こしそうなカルト教団の様相。夜には目が光って不快度が倍増。
    • 実は商店街の中にひっそりシブサワ・コウの事務所があるのは意外と知られていない。
  6. 日吉の吉日、という地酒があるが、あまり知られてはいないようだ。
  7. 昭和63年頃まで電話局が「日吉局」で、市外局番が044だった。そのため、綱島(045)に電話をかけるときも市外通話になってしまった。
    • 自分は044日吉局エリアだったが、中学の時のクラスの連絡網は前も後ろも045の市外局番住民
  8. 本町6丁目の谷戸池跡地は地盤沈下が激しい
  9. 佐賀県から上京してきたはなわが最初に住んだ街はじつは日吉。
  10. 駒林小学校はJリーグの岡野の母校
  11. 駒林小は昔田んぼだった
  12. 慶応慶應KOって言いますが、日大中・高もあります。しかも駅周辺での「お行儀」の良さは同程度。
    • KOの方がガラは悪かったりする。
    • 日大高の子たちは、コンプを感じるため、大学受験で良いところに行こうとする。
  13. 昔、森戸が原ではヌード撮影も行われていたほど森の中だった
  14. 2008年12月18日頃より、mixiの「日吉」コミュニティでは、「日吉の治安と環境を守る!」と一人で息巻いている人が、過去の逆恨みを延々と書き連ねている。
  15. ラーメン激戦区で、狭い商店街の中に10店ほどが存在する。店の入れ替わりも激しく、ラーメン屋の跡にラーメン屋ということもしょっちゅう。
    • 家系と魚介系つけ麺の店が多いが、たまに塩ラーメンの店がぽっこり開店する。が、速攻つぶれる。
    • らすた麺は09年春頃からごはんがタダになった。あと、スープの味が日によってけっこう変わる気がする。
    • この街の大勝軒は永福系。
  16. つい最近までアムロの人が浜銀通りの奥に住んでいた。