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<[[勝手に鉄道車両開発/私鉄]]
*年表に追加する時は、見やすいように時系列にてお願いします。
==大手私鉄==
*ヨーロッパ戦線の話は[[第二次世界大戦/ヨーロッパ戦線]]で。
===阪神電気鉄道===
==1941年==
====6000系====
;マレー半島攻略作戦
*阪神各駅停車用列車(青銅車)。
#実は真珠湾より先に戦闘が始まった。
*阪神5000系置き換え用。
#快進撃だの大勝利だのと言われるが、相手はショボイ二線級部隊だった。
**まずは5311形(方向幕未設置車)を置き換え。
#*進撃スピードは評価できる。
*1000系の青銅車バージョン。
#**自動車どころか自転車に乗ってズンズン進撃する日本軍。ある意味凄い光景。
**ドアを青色に塗装。
#***後の話だけど、その自転車が戦後余って、その使い道の一つとしてできたのが競輪。
#****ちなみにこの自転車は現地人からパクった
#タイを中心に戦前から自転車を輸出していたのが功を奏した。そういえばこの辺は今でも日本の単車が大活躍。
#*以外かもしれないが、自転車は長距離移動の手段としては非常に優秀。燃料不要で整備修理が楽で、馬のようにエサもいらない。川も自転車をしょって移動できる…と、当時のマレー半島の進軍手段としては実は最適といえた
#勝ったと喜んでたら、自分たちより遥かに多い捕虜にびっくり。とても食わせられる人数じゃないため、収容所まで歩かせることに…。
#*フル装備の兵士でも普通にやってるし、装備のない捕虜も余裕だろ、と思ったら軟弱な連中が数多く脱落。予想外の事態で戦争犯罪に
#日本軍がゴムタイヤがパンクした軍用車で進撃していたらイギリス植民地から招集された兵が戦車と勘違いして逃げ出した。
#*金属のホイールむき出しで走っていたため走行音が戦車と錯覚するものになったからだという。


====5600系====
;真珠湾攻撃
*5500系をベースにした車両で、2両固定編成。
#「地上の燃料タンクとかダミーに決まってんじゃんwww」と思っていたら本物でした。残念。
*[[阪神電気鉄道#武庫川線|阪神武庫川線]]の7890系の予備車というのが当初のコンセプトだった。
#レーダーから司令部への連絡手段として電話の代わりに「自転車」を常備。だって盗聴されたら大変じゃないか!
*それがきっかけで、5500系の増結用としても作られるようになり、本線急行用や奈良線への進出を図るようになる。
#*これだ事実だって言うんだから…
*モーターは1個225kwにまで強化され、加速性能を殺さずに、最高速アップ。
#「国立公園に"れーだー"などという得体の知れないものは設置できない」と役所と軍が対立。
*当然、近鉄乗り入れ用の機器も完備。
#真珠湾へ移動中の空母艦上では攻撃機に800kg爆弾が装着できない事が発覚し爆弾架を改修。なんておバカな……。
*なんば線・奈良線系統では、9000系や1000系の代走用として運用されることとなる。
#潜水艦に搭載する魚雷の貯蔵施設を「偶然」破壊。戦艦を大破着底させるより遥かに大戦果だが当時の日本軍は気付いていなかったかも。
*更に、9000系・1000系とも仲良く連結して運転できる用にブレーキ読替装置や加速度リミッターも搭載。
#*「正面戦力にしか興味なし」の連中ばかりだから仕方ない。
*この措置にともない、これまで56xxを名乗っていた車両は全て100が足され、57xxとなる。
#*一方、攻撃してくださいと言っているように堂々と置いていた大量の原油は傷ひとつ無かった。
*5600系の車両番号ロゴは、ほかの車両との識別のため、フォントが斜体となる。例→''5601''
#*そして港湾設備も司令部もたいした損傷を受けなかったらしい。
#**そもそも石油タンクや港湾施設は一回二回の航空攻撃では破壊しきれるものではなかったから。攻撃するだけ無駄だったから攻撃しなかっただけ。終戦間近になっても日本の石油タンクと港湾施設は多くが無事だったのも簡単に壊せないというのが理由(まあ、タンクは空になってたし港に居る艦艇は大打撃を受けているが)
#アメリカが「空母ハンパねぇ」と上記の週刊「護衛空母」、月刊「正規空母」モードになったのに日本は相変わらず「戦艦最高!」の思考のまま。
#*一概にそうとは言えないが、開戦後も防空能力が皆無に等しい艦隊型駆逐艦を作ったりしてるのもまた事実…。
#*既存の軽巡洋艦を防空巡洋艦に改装した事もあるらしいけど、2隻程度じゃ…
#*日本も真珠湾以後は空母それなりに造ってる。戦艦は完成間近の武蔵はともかく信濃は建造中断して空母に改装した(竣工から10日で沈没したが)。
#**信濃の空母改装が決定したのはミッドウェーで大量に空母が沈んでからだから。
#***ただ、信濃以降の戦艦建造は開戦後にキャンセルされている。空母中心にシフトしようと計画していたのは事実である。
#****そもそも歴史上有力な空母機動部隊を有した国が日本とアメリカしかないって時点で空母を評価していないなんて事は無いのであった
#*アメリカも、開戦後に就役した戦艦(サウスダコタ級)や武蔵より後に就役した戦艦(アイオワ級)があるから完全に空母重視になったわけではない。
#**アメリカの場合、戦艦と空母の両方を造るだけのカネと資材があったというだけ。
#そもそも所属不明の小型潜水艇を破壊した時点で警戒しろよw
#*日本の攻撃はフィリピンやグアムからだと思い込んでた様子。
#**現在でも「予想外だった」説と「わざと攻撃させた」説が入り乱れている。
#***「開戦が近いとは思ってたけど、真珠湾とは思わなかった」が無難な解答例。
#***そもそも黄色い猿如きが太平洋を渡ってハワイなんて攻撃できるわけがない。なんて思想が根強かったせいもあるらしい。
#真珠湾攻撃直前に太平洋艦隊司令長官キンメル大将へ警報電報が送られたものの、民間電報と一緒に扱われたため間にも拍子にも合わず……。
#この攻撃以降真珠湾での艦船の停泊位置が岸からやや離したところに変更された。
#ハワイ攻撃に向かう機動部隊はソ連の船に出会ったら沈める予定だった。
#*出てきたアメリカ太平洋艦隊に遭遇した場合は宣戦布告前なので礼砲でも撃ってそのまま引き返すつもりだったらしい。
#大正時代の海軍大学校の卒業図上演習や昭和初期?のアメリカの架空戦記でも似たような作戦が題材にされていた。
#「実はアメリカがわざと日本に攻撃させたのでは」という陰謀説もある。


====3000系====
;マレー沖海戦
*[[京阪関連路線延長・新線|京阪中之島線が路線延長]]して阪神と接続した際、京阪直通用として新造。
#初めて作戦行動中の戦艦が空激で沈められる。
*1000系とは異なり阪急9000系がベース。もちろん[[日立製作所]]製。
#英国首相が涙目だったとか。
*車内は近鉄L/Cカーと同じくロング・クロス転換可能なデュアルシート装備。
#*枕を濡らして泣いたらしい。あのブルドックがねぇ…。
**阪神初となる液晶ディスプレイを装備。
#*いっぽうのアイルランド人は大喜びした。
*塗色は上半分黄色・下半分白色でその間に黒色の帯が入るタイガースカラー。
#*もう一方のヒトラーは激怒。「黄色い猿がアングロサクソンの戦艦を!?」だって。
*京阪のほか[[山陽電気鉄道|山陽]]と[[近畿日本鉄道|近鉄]]への乗り入れにも対応。姫路・神戸・大阪・京都・奈良を股にかける万能車両。
#攻撃に参加したある日本機の操縦士は戦闘翌日に沈没海域を通過した際に花束を投げ入れた。


====1000系ワンマン仕様====
;シンガポール攻略戦
*[[阪神電気鉄道#武庫川線|武庫川線]]の旧型車を追い出すための車両。
#チャーチル「全滅してでも守れ」どこの末期日本軍だよorz…。
*2両編成。1000系増結車(1501-1601形)ベースで、車番は50番台。
#*全滅どころか水源絶たれて13万の兵が降伏。
**基本は武庫川線に従事するが、増結車としての運用もこなせる。
#シンガポール要塞の沿岸砲は陸側に向けられなかったとさ。
***当然、山陽・近鉄線も走れる。
#「急に○○が来たので」の例の一つ。まさか陸伝いでくるとは思っても居なかった。
#交渉が長引きそう→「イエスかノーか」→降伏。


====2000系====
==1942年==
*8000、9300系をベースにした作りで、前後一両目がロングシート。
;パレンバン降下作戦
**近鉄仕様の方は現状の予定では全車両ロングシート。
#一応陸軍初の空挺作戦。
***クロス化が安易にできるように準備工事済み。
#製油所襲撃部隊は武器の回収に失敗したが、拳銃と軍刀を駆使して戦った。
**下に黒、上は白および無塗装、ラインカラーは特急仕様が赤、近鉄仕様がヴィヴァーチェオレンジを基調。
#*オランダ軍の装甲車は死角から群がり、人力で撃破。強すぎるw
**↓のこともあり、ロングシートが連結部分にあることがある。
#オランダ軍の放火による精油所の火災を濡れじゅうたんで消した人がいたらしい。
*直通特急、快速急行の併合化(実際は無い)に伴い、新造。
*方向幕はフルカラーLEDで、大型化し視認性を向上。
**LCDなどの行先・種別表示器を設置。
*5600系同様に近鉄車、近鉄仕様車とも連結して運転できるようにブレーキ読替装置や加速度リミッターも搭載し、緊急時や将来性も重視。
**勿論山陽も連結可能。
**加速度リミッターにより本線各駅停車、緊急時などでの近鉄、山陽区間内の種別にも使うことが可能。


===京阪電気鉄道===
;ウェーク島攻略戦
====600R形・700R形====
#嫌がらせでF4Fが爆弾落としたら、駆逐艦如月が轟沈。パイロットびっくり。
*600形、700形をリニューアルした車両。
#*救援は残念ながら間に合わなかったが、そのお陰で空母戦力を温存できた。
*方向幕をLED化、車内案内表示器、ドア開閉予告ランプを設置。
#*かなり急げば間に合ったらしいが一番近くにいたのは怠け者のスプルーアンスだった。その時点で海兵隊の命運は決まってしまった…
**車内案内表示器は液晶ディスプレイで、沿線情報が流れる。
#*「俺達は兄弟を見捨てないと誓っているのに!」と救援に行けなかった海兵隊員は涙目だったとか。
*運賃箱も設置。ちなみに小田原機器の特注品。
#*機銃という説もある。こっちだったらいくらなんでも運が悪すぎる。
**整理券発行機も。
#一応日本軍が占領したもののハワイから近過ぎる為に補給には随分苦労したそうな。
***それでもサービス維持のため、係員を添乗させる。
#*日本兵が、記念物級の鳥を食用にして絶滅させている。
*車外スピーカーを設置し、そこから発車メロディを流せるようにする。
#水雷戦隊と陸戦隊だけで攻略を試みるも見事失敗。陸戦隊は揚陸要員じゃないってのに……。
*座席もバケット化し。手すりを増設。
#*結局、機動部隊などから応援を呼んで再攻撃。敵の指揮官を生け捕りにするなどの幸運でやっとこさ占領。
**''手すりはいいが、関西人の嫌いなバケットシートに交換しちゃっていいのか?''
#**私が読んだ雑誌では結構な数の増援部隊を見て負けを悟った米軍の指揮官が無駄な抵抗をやめて投降したと書いてあった。
***''関西特有の蛍光灯カバーもついていないので関西文化外ってことでは?''
**むしろ9000系RNや3000系と同じタイプでいいんじゃないか?
*始発もしくは終点で案内メロディ付きの放送。
**作曲は'''言うまでもなく'''[[wikipedia:ja:向谷実|あの人]]。
*塗装も本線系統と同じイメージのものに塗り替えられるが、どの色を使うのだろう・・・


====4000系====
;珊瑚海海戦
*中之島線開業で登場した3000系をベースに設計した新型通勤電車。
#歴史史上初めて空母と空母が戦った海戦
*外観は3000系と同じで塗装は通勤車と同じグリーン系。
#*陸上基地の航空機や艦隊同士の砲撃戦のない「純粋な空母機動部隊同士の対決」としては最初で最後でもある
*車内はオールロングシートである以外は3000系と同じ。
#日本軍損害空母1隻損傷軽空母1隻撃沈。米軍損害空母1隻沈没1隻損傷とギリギリ日本の勝利だったが、日本側は軍としての目的を果たせなかったため、戦略的には米軍勝利。
*''この場合3200系のほうがいいと思うのは俺だけ?''
*5扉車も連結される。


====15000系====
;ドゥーリットル空襲
*8000系の後継として誕生。
#理想郷からやってきた爆撃機。
*先頭車両のみ動力付きハイデッカー車で、中間車はダブルデッカー付随車。
#日本軍は9機撃墜と報じたが、誰も見ていないので「空気撃墜w」と噂された。
*[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]の215系快速アクティーや251系スーパービュー踊り子号を参考に考案された。
#*証拠品として靖国神社の木にぶら下げられたパラシュートはわざわざ中国大陸から運んできたもの。
*ドアは両開き式。
#なお爆撃機の発艦の模様を撮影していたのは『駅馬車』などで知られる映画監督のジョン・フォード。
*座席は1人掛け+2人掛けのオールクロスシート。
#*日本軍機だと思って手を振った小学生が機銃掃射されて死亡した他、海軍の96陸攻を陸軍の隼が敵の第二次攻撃と誤認して誤射してる。
*メインは本線の特急用であるが、稀ながら、[[京阪中之島線]]の快速急行にも使用される。
#底引き網漁船に見つかったせいで爆撃機の発進位置がかなり東にずれた。
*つまりは3000系の2扉Verってことでおk?
#*それは、徴用され、旭日旗を掲げた海軍所属の哨戒艇


====KXF-1系(後の18000系)====
;ミッドウェー海戦
*京阪初となる振り子車両。
#AFでは真水が不足中()
*コードネームの「KXF」とは、Keihan eXperimental of Furiko(京阪における振り子試験車両)の略。
#*嘘情報にまんまと引っ掛かるw
*加速・減速性能は3000系に準拠。
#嘘情報を流す間に海兵隊はミッドウェイ基地をせっせと要塞化。
*3ドアかつL/Cカー。
#*海軍は中破したヨークタウンをハワイ基地にドック入りしてから3日後には出航可能な状態に。
*特急から普通まで何でもこなす万能選手である。
#**一方、日本は同じく珊瑚海で損傷した瑞鶴・翔鶴は修理中。この辺りに差が出た。
#*アメリカは映画監督を派遣してカラーで記念撮影。
#*さらに基地航空隊の増援もやってきた。
#*1942年5月28日、ついに死守命令が出た。
#結局ヨークタウンは撃沈されたが日本軍の潜水艦に見つからなければハワイに回航されて修理されるはずだった。
#そもそも、ミッドウェー攻撃は軍機モノの秘密情報のはずなのに、料亭の女中から誰でも知っていたとは豊田副武の弁。こんな情報管理じゃ負けるのは当たり前。
#*一応「米軍をミッドウェーにおびき寄せるのが目的」だから、わざと情報管理を緩くした。なんて説もあるとか。
#太平洋戦争の転換期といわれるが、仮に日本が完勝(米空母をすべて撃沈+ミッドウェー島を占領)していたとしても結局は物量チートで米軍に負けていたと思う。
#*とはいえ太平洋艦隊ほぼ全滅ともなれば政府と軍は「待てばいいや」となっても国民はパニクるから、万に一つぐらいの可能性で…というのは考えすぎか。


====9000系リニューアル車====
;ガダルカナルの戦い
*既に9055Fがリニューアルされているが、残りの4編成を快速急行仕様に改造。
#補給の途絶で文字通り「餓島」となった。
**座席は3000系と同じもの(東レ製エクセーヌ)に取り替える。
#設営隊と400人ぽっちの護衛だけで進出するとか米軍を舐めすぎじゃなかろうか?
***配置もほぼ3000系と同様の配置にする。
#*完成しかかった飛行場は米軍がありがたく再利用させてもらいましたとさ。
**化粧版も白、ドア内部を黒に。
#*「いや、補給線の長さから考えてこの兵力は妥当」と主張する方もおられるだろうが、同時期に海軍は「豪州占領で米英の反攻拠点撃滅」などと壮大な机上空論を展開している事から推察するにどうも補給に関しては'''深く考えていなかった'''ようだ。
**塗装もコンフォートサルーン(青+白に銀帯)仕様に変更する。
#**然り。
**前面デザインを3000系と同じに、側面窓も同じにする。
#海兵隊の初上陸作戦には丁度良い実験台になってしまった。
#オーストラリアの軍人がガイドとして同行して上陸地点(しかも上陸寸前の状況)を詳しく調べたデータを海兵隊に提供していたという事はあまり知られていないらしい。
#*あの辺は豪州政庁があったから。
#ガダルカナルのタカかい?
#陸でも海でも、「兵力の分が悪いときは夜襲」という日本軍お得意の戦闘教義が思い切り否定された。
#*おまけに重装備が完全不足。海軍が陸軍に渡したガ島の地図は海図を拡大しただけの代物で、内陸部は白紙だった。
#**上陸した海兵隊は夜間の奇襲には充分備えていた為に日本軍の攻撃部隊は殆ど壊滅しちゃいましたとさ。
#海兵隊では日本海軍から捕獲した製氷機が大活躍。アイスを作って食いまくっていた。
#*「トージョーアイスカンパニー」という屋号も付けられた。
#**占領したガダルカナル島の飛行場は完成状態で、あとは第一陣の到着を待つばかりだったらしい。
#せめて第一次ソロモン海戦のときに輸送船を沈めていれば…。
#*輸送船撃沈に時間かけたら空襲されるじゃん!と足早に切り上げてしまったのが敗因の一つ。
#**がこのときすでに米空母部隊は航空支援を中止し撤退してたらしい。
#ガダルカナルと対岸のツラギ島・フロリダ島の間でたくさんの海戦が発生。
#*結果冗談抜きで鉄底海峡とよばれるほど船が沈んだ。
#第一次ソロモン海戦の一方的な勝利の裏で探照灯の戦訓が無視される、無能参謀 神重徳が幅を利かせる根拠ができるなど後の大失態の布石が敷かれることになる。


====2000系(2代)====
;南太平洋海戦
*8000系後継案・その2。2000系の空き番台活用で考えてみました。
#放棄されたとはいえ、交戦国の敵空母へ臨検隊が移乗したのは最初で最後であろう。
*ラッシュ時、昼間時のどちらにも対応できる新型式の特急用車両として開発。
#*このとき、日本軍は、その空母が応戦する様子を記録したフィルムを鹵獲している。
*基本車両は3扉車で運転席後部及び扉間は転換クロスシート、車端部がロングシート。ただしクロスシート部分は2+2人掛け、ロングシートはハイバックタイプである点が3000系(2代)と異なる。
*中間車のハイデッカー車は存続。ただし混雑時対策のためドアは両開きとし(ハイデッカー車両のみ2扉車)、車端部は他の車両と同様のロングシートとする。
*最終増備計画は120両(8両×15編成)とし、正月臨時ダイヤの全ての特急や、枚方市折り返しの特急・快速急行の代走も本系列で全てまかなうことを可能とする。


====8000系30番台(旧3000系)再リニューアル====
==1943年==
*8000系30番台(旧3000系)を観光特急用に再リニューアル。
#米軍のいわゆる「物量チート」が発動するのがこの年。
**阪急6300系「京とれいん」に対抗。
#ニミッツ「↑↑↓↓←→←→BA」
*2階建て車両(8831)の1階部分を子供用のプレイルームに改装。2階部分は転換クロスシートに取り替え。
#*マッカーサー「ゆうてい みやおう (ry」
*大阪寄りから3両目と4両目(8681・8781)はグループ向けのセミコンパートメント、他の車両は従来通り転換クロスシート車。
#海上護衛総司令部設置もこの年。遅ぇよ。
*転換クロスシートは全て革張りの豪華仕様。内装には木材や金箔も使用。
#カイロ会談。ルーズベルトは中国を煽てる為に蒋介石を参加させた。
**日よけはすだれを使用する。
#*中国はルーズベルトに過剰に期待をかけられて、大陸打通作戦で打撃を受け、最後の最後まで日中戦争に連敗する惨めな結果を残した。
*運用は休日の淀屋橋~出町柳間快速特急をメインとする。


===近畿日本鉄道===
;ビスマルク海海戦
====25000系====
#簡潔にいえば空襲してくるけどとろい輸送船を護衛しながら敵のど真ん中を突っ切ってくれ。
4代目ビスタカー
#*結果輸送船全滅、護衛の駆逐艦の半分が撃沈。
*デザインは23000系に準ずる。
#**しかも発生したのが3月3日。
**22600系じゃなくて?
#別名ダンピール海峡の悲劇
**増結車はそれも考えたが、やめた。
#この作戦を考えた神重徳は別名海軍の辻政信、神さん神がかりとか言われる無能参謀
***中間運転台をやめて、貫通式の先頭車にしてしまえばそれもありかも、って増結車は不要か?
#*しかも懲りずに大和の海上特攻を考えたのもこいつ。
*運用は阪伊特急、名伊特急中心。
#*他にも捷一号作戦を立案したり、制空権のないサイパンに扶桑型で特攻すると言い張ったりしている。過去の成功体験から抜け出せない、典型的な日本人参謀である。
*22600系に続き、平成25年伊勢神宮式年遷宮までに10編成を新製。
#実は名将木村昌福提督唯一の敗戦
*車両ラインナップ
#この海戦で使用されたスキップボミングは実はイタリア軍が考えた爆撃法
*#モ25100(伊勢方先頭車:パンタグラフ1基装備/WC)
#*その恐ろしさは飛行機と同じ速度で爆弾が突っ込んでくると考えればわかる。
*#サ25200(ダブルデッカー車:自販機有)
#実は沈んだ駆逐艦朝潮は輸送船との約束を守るため戦場に残り沈んだ。
*#モ25300(中間車:大阪・名古屋側に中間運転台/喫煙室有)
*#モ25400(中間車:伊勢側に中間運転台/WC)
*#サ25500(ダブルデッカー車:自販機有)
*#モ25600(大阪・名古屋方先頭車:パンタグラフ1基装備)
**増結車
***増結時はモ25300とモ25400の間に組み込む
***当初は単独走行は想定せず。
*#モ25700(伊勢方に運転台:パンタグラフ1基装備/WC)
*#モ25800(大阪・名古屋方に運転台)
*将来の阪神三宮乗り入れに配慮した準備工事を施工。
**ついでに山陽電鉄への乗入れにも対応させてみる。


====25020系====
;海軍甲事件
25000系のマイナーチェンジ車
#ブーゲンビル島上空で山本五十六大将が戦死。
*阪伊特急、京伊特急、またはその併結運用を想定。
#暗号は計画的に。ってか単なる怠慢だろこれ。
**名古屋線へは間合い運用での乗り入れ程度
#*暗号がバレて、しかも伝統の時間厳守で定刻通りに飛行してたからなぁ。
*非貫通先頭車は23000系の形状、貫通先頭車は22600系の形状に準じたものとする。
#*内容モロバレの旧D暗号をそのまま使ったのが原因。おまけに新D暗号も芋蔓式に解読される始末。
*カラーリングは22600系を参考にする。
#山本五十六が第三種軍装を着用したのはこの時が最初で最後らしい。
*車両ラインナップ
**A編成
*#モ25120(伊勢方非貫通先頭車:パンタグラフ1基装備/WC)
*#サ25220(ダブルデッカー車:自販機有)
*#モ25320(大阪・京都方貫通先頭車:喫煙室有)
**B編成
*#モ25420(伊勢方貫通先頭車:WC)
*#サ25520(ダブルデッカー車:自販機有)
*#モ25620(大阪・京都方非貫通先頭車:パンタグラフ1基装備)
**増結車
***増結時はモ25300とモ25400の間に組み込む
***30000系引退までは専用の増結車は用意せず、既存の特急車を使用する。


====40000系====
;かわいそうなゾウ事件
*22600系をベースに、老朽化が進んでいる現ビスタカー(30000系)に変わる新型車両。
#空襲に備えて上野動物園の大型動物が殺処分に。
*編成は30000系同様、Mc-DD-DD-Mcとする。
#ハンニバルにアルプス越えさせられたゾウの方が可哀想などと言ってはいけない。
*将来の阪神乗り入れに備えて準備工事施工済。
#ドラの世界ではインドに運ばれて無事に生き延びたということになっている。
#*あれってB-29が本土に来てたからサイパン陥落後の話じゃない?
#ゾウにばかり注目がいくが、トラやユキヒョウなどが優先的に処分された。ネコ科動物ファン涙目。
#あくまで軍は「空襲されたときのために動物園の猛獣の避難計画・最悪の場合の殺処分の手順を作っておいて」だったが、本土空襲の前に動物園が殺処分してしまった。


====50000系====
;JFK遭難事件
*なかなかFGT(フリーゲージトレイン)を完成させられないJR総研等に痺れを切らせた近鉄が独自に開発したFGT。
#ケネディー家の御曹司が艇長を務めるPTボート(魚雷艇)が駆逐艦の体当たりで行方不明に。
*そのために近鉄は、わざわざスペイン国鉄(レンフェ)の技術者を招聘して開発を行った。
#*とりあえず無事に帰ってみると味方によって勝手に死亡認定されていたことが発覚。
*車体デザインは16400系と同等だが、他系列との連結は出来ない仕様になっている。
#後にケネディはこの時魚雷艇を沈めた駆逐艦「天霧」の元乗員一同から選挙のたびに激励の色紙を贈られている。
*2両固定編成と4両固定編成が存在する。
#当時の日本海軍では、魚雷が誘爆するとこちらもただではすまないため、魚雷艇に対して体当たりするのを嫌っていたらしい。
*車体にはPowered by Renfeとスペイン国旗のステッカーが貼られている。
*主な運用は京都~吉野、大阪阿部野橋~大和八木が中心。
*阪神方面への乗り入れは一応出来るようにはなっているが、まず殆ど乗り入れはしてこない。
*スペインにゆかりのある車両ということで(スペイン村最寄りの)鵜方駅で報道陣に初公開。そのままそのまま報道陣を乗せて大阪阿部野橋駅まで運行。但し営業運転開始後は阪神方面同様志摩線にはまず殆ど乗り入れない。(極稀に団体列車で乗り入れる程度)
*製造元の近畿車輛から終電後の時間に片町線→大和路線→和歌山線と甲種輸送し吉野口駅で近鉄に引渡し。


====5830・9050(2代目)・9830系====
;べラ湾夜戦
*現在のシリーズ21が登場して10年近く経過しているので、新型シリーズ21として登場させる。
#アメリカの名駆逐艦乗りアーレイ・31ノット・バーグ大佐が考え、ムースブルッガー中佐が実行した奇策よって日本艦隊は壊滅。
*5830系はL/Cカー(ロング・クロスシート転換可能座席装備)・他2系列はロングシート車。
#*この戦術はその後セントジョージ岬沖海戦で実行し日本海軍をソロモンから一掃することに。
*現在の9050系(9020系の大阪線用)は9010系に改番。
#地味に雪風に並ぶ幸運艦時雨も幸運を発揮して唯一生き残っている。
*車内は液晶モニターを装備し、次駅案内や扉開閉案内のほか、運行案内や最新ニュースも流す。
*ロングシートはクッションの柔らかいものに変更する。
*車体は近鉄としては3000系以来のステンレス製。
*奈良線所属編成は[[阪神電気鉄道|阪神]]及び[[山陽電気鉄道|山陽]]乗り入れ対応。


====3240系====
;キスカの戦い
*↑の地下鉄烏丸線乗り入れ版。
#よーし。上官、米海兵隊を連れてキスカ島を奪回するぞー!
**3220系がベース。
#*しかし彼らが上陸した時、島にいたのは犬だけだったとか。
*[[勝手に鉄道車両開発/地下鉄#京都市交通局20系|京都市営20系]]も同一設計に。
#**島にいたのは数匹の犬だけなのに上陸作戦の死者は約100名、結構な数の同士討ちが発生したらしい。
#***後世「最も実戦的な上陸訓練」と呼ばれることに……。
#****上陸したアメリカ軍は、陸軍第7歩兵師団である。
#兵舎前の『ペスト患者収容所』と書かれた立て看板(悪戯で残して行ったらしい)を見た米軍がパニック!
#*島を去り行く日本軍の軍医は一発の銃弾も使わず米軍に一泡吹かせたのであった。
#**なお、この看板を解読したのはドナルド・キーン(鬼怒鳴門)さんらしい。


====5220系====
==1944年==
*5200系のシリーズ21+ステンレスver。
;トラック島空襲
#あれれ? 連合艦隊は何処へ行ったの?
#那珂、舞風など連合艦隊所属艦が数隻撃沈されたが、そんな事が瑣末事になるほどトラック島にあった輸送船、航空機が破壊された。


====N10000系====
;竹槍事件
*[[近鉄関連路線延長・新線|近鉄奈良・鈴鹿線亀山延伸]]に伴い登場する「アーバンライナー」の新型車両。
#「竹槍とかwwんなもんより飛行機作れよバーカwww」と毎日新聞が書いて東條首相ご立腹。
*最高速度160km/h。
#以下、首相の行動とその反応
*フルアクティブサスペンション及び車体傾斜機構を備え、大阪難波~近鉄名古屋間を1時間30分台で運転。
#*すぐに発禁処分にしろ!→もう配達し終えてまーす!
*車内設備はデラックスシート車1両+レギュラーシート車5両を基本とし、多客時はレギュラーシート車2両を増結。
#*毎日なんか廃刊にしてしまえ!→このくらいで廃刊とかw世界中から笑われっぞw
*各座席にパソコンの使用及び携帯電話の充電に対応したコンセントを設置。
#*書いた記者を召集しろ!→同世代1人も徴兵されてねえぞ、懲罰召集じゃねえかゴルァ
*[[阪神電気鉄道|阪神]]及び[[山陽電気鉄道|山陽]]への乗り入れにも対応。
#書いた記者のバックにいたのは海軍。


====N2000系====
;サイパン島の戦い
*まさかの[[近鉄大阪線・名古屋線#名古屋線の噂|名古屋線]]用新車両。
#絶対勝てると豪語していた大本営だったが守備隊主力は数日で全滅。
*3連+セミクロスシートタイプのN2000系と4連+転換クロスシートのN2200系タイプの二種類。
#水際で撃退できると見栄を張って総攻撃に出たら艦砲射撃と爆撃であっという間に壊滅したとか。
*どうせL/Cカーを導入される筈がないのでハナからいらないといっておく。
*運行区間は[[近鉄大阪線・名古屋線#名古屋線の噂]][[近鉄大阪線・名古屋線#大阪線の噂|大阪線]]名張~伊勢中川、[[近鉄大阪線・名古屋線#山田線の噂|山田線]]、[[近鉄大阪線・名古屋線#鳥羽線の噂|鳥羽線]]、[[近鉄大阪線・名古屋線#志摩線の噂|志摩線]]。
*なので必然的にステンレス。


====23020系====
;マリアナ沖海戦
*伊勢志摩ライナーで使用される予定
#かつて連合艦隊が日本海海戦をワンサイドゲームで飾ってから40年目、ワンサイドゲームで敗れた。
#列挙すればキリがない劣勢な点を、たった一つの優位(航続距離)を活かして挽回しようとした。
#*それで勝てるなら苦労はしなかった。結局虎の子の空母3隻が沈んで勝負有り。
#**あまりの圧勝に米軍から「マリアナのターキーショット」と呼ばれてしまった。
#**しかしそれ以外に挽回の方法が無かったのも事実。
#当時の日本軍機の搭乗員が苦笑いしながら曰く「敵の弾が当たっていないのに気体がガタガタ揺れるんですよ。何とか空母に戻って機体を見てみるとあちこちに破片が刺さっていてね」
#*VT信管恐るべし、である。
#**日本軍の技術者がVT信管の原理を聞いて唖然としたとか。
#**実際はまだこのときにはVT信管があまり間に合ってなかったらしく、使用されたのは全体からみるとごく一部だったとか。


===阪急電鉄===
;インパール作戦
====新1000系====
#作戦を決行する前から、補給が困難だという理由で反対意見が多かったが強硬。案の定補給に悩まされて日本軍敗退。
*日立製A-Train。3000系列・5100系置き換え用
#*政治的な理由で初めたあまり意味のない作戦だった。
*車体の塗装はマルーン。デザインは東京メトロ10000系のような丸っぽい前面。
#無茶口のせいです。
*神戸線仕様は神戸市営地下鉄の直通に対応・宝塚線仕様は宝塚寄り2両がデュアルシート。
#*無茶口は悪くない。彼は正真正銘のイギリスのスパイであり、彼の本性に気がつかなかった陸軍と大本営が悪い。
*まさかのミュージックホーン。
#**ああ、だからウィンゲート旅団があんなに易々と…。
#正直、インパールどころかエルサレムあたりまで遠征しないと作戦は失敗だと思うw
#インパール作戦を計画したのは日本人ではなく、[[インド]]人の「スバス・チャンドラ・ボース」である。
#*でも実行したのは無茶口
#*ボースが「インド国内に反攻拠点が欲しい」とゴネたんだっけ。でも現地指揮官は無茶口だしなぁ。
#*チャンドラはインド国民軍の一員として最後まで戦った。その頃無茶口は{{あきまへん}}
#**そのチャンドラボース曰く、ある程度道筋つけてくれるだけでいいのに、日本軍は全てやろうとしたから失敗したんだと言ってたらしい。
#作戦名はウ〇コ作戦。
#一応「勝手に撤退した師団長が居なければ当初の目的を一時的にも達成し、英軍に大打撃を与えれたであろう画期的な作戦」と評価する外国の軍事評論かも居るとか・・・うまく行ってもよくは無いだろうが。
#ジンギスカン作戦とか言ってる時点で、補給を軽視しているように見えるが、当初の部隊の要求では、資材や工作隊その他大量に要求していた。それが上層部に行くにつれ削られて、東京から返事が来るまでにまた削られてああなってしまったらしい。


====9000系第3編成以降====
;垃孟、騰越の戦い
*2000系・3000系・3100系などの置き換え目的
#島嶼戦以外で日本軍が玉砕した数少ない戦い。
*第2編成までとの変更点
#連隊規模で守備する日本軍陣地を中国が1個軍規模で包囲した戦い。
**東京メトロ10000系や東武50000系などと同様に、車体コーナー部の隅柱を厚肉化し、断面形状を三角形とした。
#*日本軍は激しく反撃して3ヵ月持ちこたえるも援軍が到着する前に全滅。
**ドアチャイムをドア開閉時に自動で鳴るように改良。開閉時それぞれ「パンポーン」×2回作動する。
#日本軍戦死傷者3100名、中国軍戦死傷者2万8000名。
**起動加速度を3.0km/h/sへ引き上げられた。


====9300系第12編成以降====
;ペリリューの戦い
*大阪市営堺筋線直通対応車。オールロングシート。
#あまり知られていないけど太平洋戦域の激戦地の一つ。
*2300系・3300系置き換え目的でもある。
#米軍指揮官「こんな島4日で占領できる。敵の指揮官のサムライソードを土産に持って帰って来い。」
*第11編成までとの変更点については[[勝手に鉄道車両開発/関西私鉄#9000系第3編成以降|9000系第3編成以降]]と同様
#*上陸した海兵師団の全連隊が壊滅する羽目に。
#*結局陥落するのは2ヵ月後。
#日本軍守備隊がバンザイ突撃を禁じて徹底的に籠城した初めての戦い。
#*この戦いの戦訓が硫黄島や沖縄に引き継がれていくことに。


====7000系VVVF更新車====
;台湾沖航空戦
*7000系7011F以降のアルミ車(鋼製車の7020F除く)について施工。
#空母10隻以上撃沈などの大戦果!!(とみんな思い込んでいる。)
*車体は7007F・7320Fと同様にリニューアル。
#*激戦になればなるほど至近弾の誤認や他人の攻撃を自分のと思い込んだりで戦果誤認が増えるが・・・偵察機で確認できなかったこともあり、これはその最たる例と言えるだろう。
*編成は9000系と同じく200kwモータを使用した3M5T。モータについては関西私鉄初の永久磁石同期電動機を採用。
#*東京では祝勝会まで行われたとか。
#最大の成果はアメリカの株式市場を急落させたことである。
#戦果を鵜呑みにしてレイテに行ったら・・・あれ?なんかいっぱいいるよ?


====10000系====
;比島沖海戦(レイテ湾海戦)
*[[阪急阪神ホールディングス関連路線延長#阪急電鉄|阪急徳島線]]経由で梅田・新神戸~徳島間を結ぶ座席指定特急用車両。
#世界最大の海戦だが、戦力差は歴然。
*最高速度160km/h。
#日本の空母部隊を囮に使ってレイテに突入する作戦は、囮作戦がはまったにもかかわらず主力が意味不明な反転をしたため大失敗。別働隊は突入して壊滅していった。
*梅田寄りから10000(Mc1)-10500(M2)-10550(T1)-10650(T2)-10600(M1)-10100(Mc2)の6両固定編成。
#*これがゲームで有名な「戦場の霧」効果である。実感したければ適当な戦略ゲームを起動しよう。きっと栗田提督の気持ちが分かるはずだ。
**徳島寄りの10100型はスーパーシート・他5両はレギュラーシート車。
#まんまと引っ掛かったハルゼーは自身の仇名(ブル・ハルゼー)に恥じない勢いで小沢艦隊に噛み付いたそうな。
**10500・10100型には男女共用・女性専用・男性小用トイレと洗面所、10650型には身障者用及び男性小用トイレ・洗面所をそれぞれ設置。
#サマール沖では日本の水上部隊が護衛空母相手に大苦戦。
**10650型には車椅子対応座席を設置。
#*このときたった一隻の護衛駆逐艦が大立ち回りを演じる。
**10500・10600型に自販機コーナーを設置。
#実はハルゼー唯一の水上戦がこの海戦だがその戦闘が救助した乗員を乗せて撤退中の駆逐艦野分をフルボッコにしたという地味なもの。
*客室端部には26インチ液晶画面を設置。次駅・行先案内やニュース、前面展望などを流す予定。
#*が実は駆逐艦野分はトラックで最新鋭戦艦の砲撃や空襲をかわして逃げた逃亡と武運には定評のある船でもあった。
*10550型には展望用フリースペースを設置。
#さらに日本に戻る途中に重巡熊野と戦艦金剛など多数の艦艇を失う不運にあう。
*シートピッチはレギュラーシート車1050mm(2-2列)、スーパーシート車1100mm(2-1列)。
*多客時には貫通型の先頭部を持つ10030(Mc3)-10180(Tc)を10650型と10600型の間に増結。


====N2000系====
==1945年==
*阪急徳島線の特急(料金不要)車両。阪急梅田~鳴門・徳島間で運転。
{{統合検討|沖縄戦|トーク:沖縄戦}}
*梅田寄りから2000(Mc1)-2550(T1)-2570(T2)-2580(T2)-2590(T2)-2560(T1)-2500(M1)-2100(Mc2)の8両編成。
;富永恭次敵前逃亡事件
*梅田寄り2両はロングシート、徳島寄り6両は京都線9300系と同様のセミクロスシート。
#特攻隊の司令官が敵前逃亡した事件。
*2580型にはWCを設置。


====10300====
;北号作戦
*系阪急各線で使用もちろん徳島線でも使用する予定
#最後の大成功だった日本の作戦。
#*日本小川ですら、ここまでうまくいくとは思ってもなかったらしい。
#敵爆撃を避けるために自らスコールに突っ込むとか、潜水艦に艦砲射撃とか素敵すぎることをやりまくる。
#南号作戦のことは(ry。
#伊勢・日向が大活躍。{{極小|なんか予定の使い方と違ったけど}}
#*戦後、米軍から、あれはどうなっていたんだ?といわれたらしい。全く攻撃が当たらないから。


===南海電気鉄道===
;ルソン島の戦い
====6000系再更新車====
#フィリピン戦線最大の激戦。
*新車を入れるお金も無いしあんまり傷んでもいないのでリニューアルされた、流石にVVVF化はされなかったが。
#日本軍が戦車師団を投入して米軍戦車と正面から殴り合ったおそらく唯一の戦い。
*車内は天空のような木目調の化粧板に8000系・6200系更新車準拠の茶色の床と明るくなり車椅子スペースが6300系と同じ位置に作られた。
#*チハたんやハゴたんよりも強力な75mm砲を搭載した1式砲戦車が活躍したとか。
*座席はレトロな臙脂色のモケットに張り替えられ肌触りが良くなったが座り心地は変わらない、6200系更新車と同じくスタンションポールが付いた。
#日本軍は20万以上の大兵力を擁していたため、結局終戦まで決着つかずだった。
**取付け場所は座席端部のみである。
*車内案内表示LCD画面がドア鴨居部に千鳥配置で各1台取り付けられ高野線の沿線観光案内やCM、ニュース等が流れる、その他ドアチャイム、開閉告知ランプも付いた。
*運転台周りは新型ATSが取り付けられ列車選別装置もフルカラー化された、車掌台にモニタ表示器が取り付けられたため仕切りが付けられ併結時に入って座ることが出来なくなった。
*車外は6300系・6200系更新車同様のスカートが取り付けられたのと列車無線アンテナがL字形に交換された以外あまり変化はない。


====13000系====
;[[硫黄島]]の戦い
*南海本線の特急「サザン」の新型車両の増備車。
#日本の島嶼防衛戦としては一番有名。
*編成は和歌山港側からモハ13001(Mc1)-サハ13701(T3)-モハ13201(M1)-サハ13801(T1)-サハ13851(T2)-モハ13101(Mc2)の6両固定編成。
#援護の為に一週間続ける筈の空爆と艦砲射撃を3日間で打ち切ると海軍から通告された海兵隊の参謀達と通告した海軍側は殺し合いの一歩手前な雰囲気だったとか。
*和歌山港寄り2両が指定席、難波寄り4両が自由席車。
#*生存している当時の海兵参謀は海軍を「安全な場所から大砲を撃つだけの臆病者」呼ばわりしているらしい。
*指定席車両は[[wikipedia:ja:南海12000系電車|12000系]]をベースとし、自由席車は4扉で近鉄L/Cカーのようなロング⇔クロスシートを切り替え可能なデュアルシートを完備する。原則としてラッシュ時はロングシート、昼間などの閑散時はクロスシートで運用する。
#立ち止まるとジャップに殺される、後ろに下がると海兵隊司令官、通称「ハウリングマッドスミス」に殺される、だったら前進だ!!
*T3に車椅子対応トイレ、女性用トイレ、洗面所、男子小用トイレを、Mc1に自動販売機と多目的室をそれぞれ設置する。
#海兵隊は兵士の損失もさることながら大隊、中隊指揮官の損失も目を覆うばかりだったとか。
*車内案内装置は液晶式を採用する。
#*日本軍は海兵隊の幹部指揮官が前線で小隊長や中隊長に指示しているところを目ざとく見つけては狙撃したり砲弾を撃ち込んだ。
*必要に応じて難波寄りに1000系2連を増結する。
#**海兵隊は大損害を覚悟した上で作戦を強行したが実際の損耗は予想の斜め上だったらしい。
#米軍が陽動のために沖縄近海で盛んに怪電波を出すものの、陸軍の情報担当者はこれを見破ったらしい。
#海兵隊は日本軍の作ったトンネルを見つけては破壊して埋めたそうな。
#*ところがいつの間にか修復しては後方から奇襲したり折角敷設した電話線を切断したり海兵隊の陣地に忍び込んで武器を失敬したり…
#硫黄島占領後、同島飛行場に緊急着陸して助かった航空機の搭乗員と上陸作戦で戦死した兵士の数はかなり近いらしい。
#こいつは退避用滑走路じゃなくて爆撃機を護衛する戦闘機部隊の基地じゃねえか!俺達は無差別爆撃の片棒担がされたのかよ!?と激怒した海兵隊員がいたそうな。
#*それは、アメリカ海軍太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督の弁。
#ロサンゼルス五輪の金メダリストである西竹一中佐が戦死した。
#*「オリンピックの英雄バロン西、貴方を失うのはあまりにも惜しい」という呼びかけがあったかどうかは謎。
#星条旗を立てる写真で有名。
#*写っている兵士の1人は後に重圧に押しつぶされ酒浸りになってしまったらしい。
#人員の被害があまりにも大きかったため一時は毒ガスの使用まで検討された。


====1070系====
;坊ノ岬沖海戦
*7000系の置き換え用VVVFはシーメンス(歌わない)
#いわゆる[[大和_(戦艦)|大和]]による水上特攻。
#*巷では矢矧以下の護衛艦艇への注目度は非常に低い……。
#**「男たちの大和」のスピンオフで「男たちの雪風」とか作られたら見てみたい気もする。
#「戦艦残したまま降伏するとかカッコ悪いじゃん?」というのが海軍の本音だった模様。
#*長門「・・・・・・」
#**厳密に言えば戦力になる戦艦かな。長門は1944年末に岸壁の女王扱いになってるし……。
#**ホントは長門も出したかったようだが燃料が無かった。
#***そんな[[提督の決断ファン|提督の決断シリーズ]]で、長門や榛名とかそういうのを呉に集めて再編成してから作戦開始みたいな・・・。
#**徹底抗戦派を諦めさせる為大和には戦闘不能になってもらいたかったとか、天皇の「もう船はないのか?」と言う言葉を「艦隊はナニをサボっているのか」と起こられたと勘違いしたとか・・・
#***この天皇の言葉には海軍に「主力艦艇のほとんどを失い、降伏するしかありません」といわせたかったという説もあるが・・・ここら辺ははっきりしない。
#***どっちにしろ、降伏後のことがわからない以上戦うしかなく、一番現実的な作戦だったのかもしれない。
#****司令官は最初命令拒否したらしい。曰く、犬死にするだけのために行きたくない。
#大和艦長と護衛艦隊の司令官は犬猿の仲だったって話は本当なんだろうかw
#*同郷で兵学校の同期。仲が悪かったかは知らんけど。
#かなり都市伝説に近いがこの海戦で大和などに積まれていた51万805円3銭(今の価値にしておよそ10億)が亡失金として記録されている。
#*今わかっている限りでは浜風におよそ14万、霞に少なくとも3万積まれていた。
#スプルーアンスの考えでは空母部隊に攻撃させずに戦艦部隊で攻撃するつもりだった。


==その他==
;沖縄の戦い
===山陽電気鉄道===
#上記硫黄島が東京都なので、国内で唯一の地上戦云々は嘘。
====6000系====
#対馬丸の悲劇はアニメ化され、学校教材の定番となっている。
*阪急9000系or阪神1000系がベース。
#*主人公の中の人は後に海賊王となる。
*一部編成はセミ転クロ仕様に。
#**県知事が後退し、県民が重い腰を上げて疎開第一弾をしたのが対馬丸。これが沈んだせいでまた疎開は下火になった。
*将来を配慮して近鉄乗り入れ対応準備工事も施工済。
#***対馬丸以外に沈んだ沖縄からの疎開船が無いというあたり本当にタイミングが悪い
#チハたんぶっ殺しまくって麻痺した米軍はなにを考えたか、嘉数戦で歩兵の援護無しで日本軍陣地にシャーマン戦車を突撃させた。
#*日本側の砲火が上手いこと戦車から歩兵を引き剥がした。
#*非力な47mm速射砲で側面や背面からシャーマンを滅多打ちにしたらしい。
#**恐怖のあまり中の戦車兵が平電でSOSを連打したとか。
#よく「軍が民間人を犠牲にした」「軍が居るから戦争になった」なとよく言われるが、軍が何度も警告したのに疎開せず戦いに巻き込まれに言ったのは沖縄県民と沖縄県庁である。
#*当時はまさかあのような鉄の暴風が吹き荒れるなど誰も思っていなかったと思う。
#**ただし南洋からの避難者でもいれば話は変わっていたかもしれない。
#米軍の沖縄戦最高司令官のサイモン・バックナー中将が戦死している。
#*アメリカ史上最高司令官の戦死は現在に至るまでこの人のみ。
#*死因は前線視察中に、日本軍の砲撃でさく裂した榴弾の破片が直撃したこと。


====5100系====
;「桃太郎 海の神兵」上映
*車体は5030系とほぼ同じ。
#空襲で焼け残った映画館で戦意高揚映画。いろいろと遅すぎる気がする。
*座席は車端部ロング4人掛け、扉間2列+1列クロス。
#すでに敗戦を悟っていたスタッフは、極力戦闘シーンを削り子供たちに夢や希望を与えられる作品に仕上げた。
*2両編成。
#「ファンタジア」を参考にしたそうな。
**梅田側先頭車はモハ5100形。パンタグラフ、モーター4基、制御装置を搭載。
#当時学生だった手塚治虫が号泣しながら観たらしい。
**姫路側先頭車はクハ5650形。SIVとコンプレッサを搭載。トイレ付。
*足回りが近鉄22600系ベースとなっている。
**但し台車は5030系と同じボルスタアンカー付き台車。


===近江鉄道===
;マンハッタン計画
====7000系====
#極秘計画なのに大量のソ連スパイが侵入してた。
*(特急仕様車)
#リチャード・ファインマン博士が金庫を調べると、約半数の暗証番号がデフォルト設定だった。
*行先表示機は、LED。
*全車転換クロスシート装備。
*おもに特急に使われる。
*この際ミュージックホーンも付ける。
**「ひっこにゃん、ひっこにゃん、ひっこにゃんにゃん、プァーン」みたいな
*自社の彦根工場で700系を、元に製作。
*愛称は「Ohmi Liner」なんてどう?


====8000系====
;インディアナポリス撃沈
*近江鉄道の新型通勤電車。
#まさに[[歴史のif検討委員会]]としか言いようがない話。
*快速にも、普通にも使われる。
#米軍は沈んだこと+救助が遅れたことの責任の擦り付け合いで揉めたとか。
*800系を全て転クロにして、行先表示をLEDに。
#*戦後、沈めた伊58の艦長にまで、撃沈でなく事故であったように証言するように迫ったらしい。
#*それに対して伊58艦長は「ジグザグ航行を行っていても撃沈できた」と証言するも米海軍に都合が悪いのでもみ消される。後に「ジョーズ」を見て自由研究の課題にした少年により公になった。
#日本の海上戦力は壊滅状態だったので、かなり無防備に航行していたようだ。
#*インディアナポリス艦長は対潜艦艇による護衛(インディアナポリスは対潜装備を持ってない)を上層部に頼んだら断られた。


====LE-800系====
;対ソ防衛戦
*近江鉄道の高性能気動車。
#満州、樺太、千島に極東ソ連軍が大挙襲来。
**信楽高原鉄道乗り入れ専用車。
#条約無視の行動だが「関東軍特種演習は敵対的軍事行動だからもう関係ねーよ」とソ連側は主張。
**実はレールバス。けど、JR東日本のキハ110くらいの高性能な気道車。
#「掛け算の出来ない兵士」「時計のねじを巻けない兵士」などの有名なエピソードはこの頃。
**運用区間は、信楽~八日市
#とある人曰く、ソ連兵は「農家のおっさん」「どうみても囚人のコワモテ」で構成されとったらしい。あと、女性兵士には驚いたとのこと……。
***ちなみに、本形式は旧型の800系にかつて本線で使われていたLE-10のディーゼル機関を無理やり800系に載せるという、滅茶苦茶な改造がされた。
#*ソ連では、独ソ戦で人材が払底して、他の連合国ではやらなかった女性も前線で戦う羽目になった。なので、女性の戦闘機パイロットとか戦車搭乗員もいた。
#樺太では国境に展開していた日本軍が頑強に抵抗したためソ連軍は出だしから躓いたとか。
#*日本軍の中には小銃の数が足りないため、訓練用の木銃を持って突撃する部隊も現れたとか。


====2200系====
;占守島の戦い
*220系の改造車。
#おそらく大日本帝国軍の組織的な軍隊としての「最後の戦い」
**つりかけモーターを普通モーターに変更。
#戦後のゴタゴタにまぎれて北海道侵攻の足がかりにするために千島列島東端の占守島(しゅむしゅとう)に上陸したソ連軍と日本軍の戦い。
**VVVFインバーター装備。
#*終戦したため日本軍は装備の放棄、降伏準備を進めていたが、命令が「連合軍との戦闘を禁ずる、ただし自衛のための戦闘はこれにあらず」だったため、砲撃してきたソ連軍相手に交戦開始。
**三両編成が基本。
#*当時占守島は、米軍上陸に備えて内陸には満州から移動してきた精鋭の戦車連隊や重砲が、海岸近くには33cm臼砲など強力な戦力が展開していた。
**行先表示をLEDに変更。
#**戦車隊は上陸したてで満足な対戦車火器を持たないソ連兵に車載機銃乱射しながら突撃した。
#***それでも陸揚げされた対戦車砲などで連隊の約半数の戦車が撃破または行動不能に、陣頭指揮をとった連隊長の池田大佐も戦死する結果に。
#***おそらくチハやハ号が最後に活躍した戦場。
#**丘の上に設置した野戦高射砲を水平射撃してソ連の赤い津波を吹き飛ばしたとか。どこのロンメルさんだよ。
#お互い終戦後のドサクサにまぎれて戦闘している上日本軍の生き残りはほとんどがシベリアに抑留されてしまった為詳細な戦果がはっきりしていない。
#*そのため「日本軍の重砲1門とソ連軍の重砲4門が撃ちあって日本側が圧勝した」「日本側が4機の戦闘機と4機の攻撃機で制空権を確保しつつ敵艦を撃沈した」「チハが無双した」など、何処からがホントでウソか解らない逸話が多い。
#最終的に日本軍が上の命令に従って降伏したが、戦闘は日本の勝利に、戦後ソ連が北海道に侵攻できなかった理由のひとつとも


====10000系ファミリー====
[[Category:第二次世界大戦|たいへいようかくねんへつ]]
*親会社の[[西武鉄道]]の10000系のデータをもとに自社工場で製造。ノックダウン生産の車両である。
*試験車両第一号は3両編成で、クハ-モハ-クハの編成。
**座席配列は特急用そのもの。その特性から、主に臨時・貸切便用に使われる。あと、ワンマン運用不可である。
*これをクモハ-クハの2両編成に短縮し、ワンマン運用機器を取り付けたものは「10200系」である。
**運賃箱などを取り付けるため、一部の座席が撤去となったほか、運転室に近いほうのデッキの壁が取っ払われた。
*10000系・10200系の通勤時間帯での運用が不向きだとわかると、3ドア・セミクロスシートタイプに改造した「10500系」も登場。
**2両固定編成で、クモハ-クハの編成。ワンマン運用可能。
 
===信楽高原鉄道SKR1000系===
*信楽高原鉄道の高性能気動車。
**近江鉄道乗り入れに使用。
**運用区間は、八日市~信楽
 
[[Category:勝手に鉄道車両開発|かんさいしてつ]]

2021年8月29日 (日) 18:25時点における版

1941年

マレー半島攻略作戦
  1. 実は真珠湾より先に戦闘が始まった。
  2. 快進撃だの大勝利だのと言われるが、相手はショボイ二線級部隊だった。
    • 進撃スピードは評価できる。
      • 自動車どころか自転車に乗ってズンズン進撃する日本軍。ある意味凄い光景。
        • 後の話だけど、その自転車が戦後余って、その使い道の一つとしてできたのが競輪。
          • ちなみにこの自転車は現地人からパクった
  3. タイを中心に戦前から自転車を輸出していたのが功を奏した。そういえばこの辺は今でも日本の単車が大活躍。
    • 以外かもしれないが、自転車は長距離移動の手段としては非常に優秀。燃料不要で整備修理が楽で、馬のようにエサもいらない。川も自転車をしょって移動できる…と、当時のマレー半島の進軍手段としては実は最適といえた
  4. 勝ったと喜んでたら、自分たちより遥かに多い捕虜にびっくり。とても食わせられる人数じゃないため、収容所まで歩かせることに…。
    • フル装備の兵士でも普通にやってるし、装備のない捕虜も余裕だろ、と思ったら軟弱な連中が数多く脱落。予想外の事態で戦争犯罪に
  5. 日本軍がゴムタイヤがパンクした軍用車で進撃していたらイギリス植民地から招集された兵が戦車と勘違いして逃げ出した。
    • 金属のホイールむき出しで走っていたため走行音が戦車と錯覚するものになったからだという。
真珠湾攻撃
  1. 「地上の燃料タンクとかダミーに決まってんじゃんwww」と思っていたら本物でした。残念。
  2. レーダーから司令部への連絡手段として電話の代わりに「自転車」を常備。だって盗聴されたら大変じゃないか!
    • これだ事実だって言うんだから…
  3. 「国立公園に"れーだー"などという得体の知れないものは設置できない」と役所と軍が対立。
  4. 真珠湾へ移動中の空母艦上では攻撃機に800kg爆弾が装着できない事が発覚し爆弾架を改修。なんておバカな……。
  5. 潜水艦に搭載する魚雷の貯蔵施設を「偶然」破壊。戦艦を大破着底させるより遥かに大戦果だが当時の日本軍は気付いていなかったかも。
    • 「正面戦力にしか興味なし」の連中ばかりだから仕方ない。
    • 一方、攻撃してくださいと言っているように堂々と置いていた大量の原油は傷ひとつ無かった。
    • そして港湾設備も司令部もたいした損傷を受けなかったらしい。
      • そもそも石油タンクや港湾施設は一回二回の航空攻撃では破壊しきれるものではなかったから。攻撃するだけ無駄だったから攻撃しなかっただけ。終戦間近になっても日本の石油タンクと港湾施設は多くが無事だったのも簡単に壊せないというのが理由(まあ、タンクは空になってたし港に居る艦艇は大打撃を受けているが)
  6. アメリカが「空母ハンパねぇ」と上記の週刊「護衛空母」、月刊「正規空母」モードになったのに日本は相変わらず「戦艦最高!」の思考のまま。
    • 一概にそうとは言えないが、開戦後も防空能力が皆無に等しい艦隊型駆逐艦を作ったりしてるのもまた事実…。
    • 既存の軽巡洋艦を防空巡洋艦に改装した事もあるらしいけど、2隻程度じゃ…
    • 日本も真珠湾以後は空母それなりに造ってる。戦艦は完成間近の武蔵はともかく信濃は建造中断して空母に改装した(竣工から10日で沈没したが)。
      • 信濃の空母改装が決定したのはミッドウェーで大量に空母が沈んでからだから。
        • ただ、信濃以降の戦艦建造は開戦後にキャンセルされている。空母中心にシフトしようと計画していたのは事実である。
          • そもそも歴史上有力な空母機動部隊を有した国が日本とアメリカしかないって時点で空母を評価していないなんて事は無いのであった
    • アメリカも、開戦後に就役した戦艦(サウスダコタ級)や武蔵より後に就役した戦艦(アイオワ級)があるから完全に空母重視になったわけではない。
      • アメリカの場合、戦艦と空母の両方を造るだけのカネと資材があったというだけ。
  7. そもそも所属不明の小型潜水艇を破壊した時点で警戒しろよw
    • 日本の攻撃はフィリピンやグアムからだと思い込んでた様子。
      • 現在でも「予想外だった」説と「わざと攻撃させた」説が入り乱れている。
        • 「開戦が近いとは思ってたけど、真珠湾とは思わなかった」が無難な解答例。
        • そもそも黄色い猿如きが太平洋を渡ってハワイなんて攻撃できるわけがない。なんて思想が根強かったせいもあるらしい。
  8. 真珠湾攻撃直前に太平洋艦隊司令長官キンメル大将へ警報電報が送られたものの、民間電報と一緒に扱われたため間にも拍子にも合わず……。
  9. この攻撃以降真珠湾での艦船の停泊位置が岸からやや離したところに変更された。
  10. ハワイ攻撃に向かう機動部隊はソ連の船に出会ったら沈める予定だった。
    • 出てきたアメリカ太平洋艦隊に遭遇した場合は宣戦布告前なので礼砲でも撃ってそのまま引き返すつもりだったらしい。
  11. 大正時代の海軍大学校の卒業図上演習や昭和初期?のアメリカの架空戦記でも似たような作戦が題材にされていた。
  12. 「実はアメリカがわざと日本に攻撃させたのでは」という陰謀説もある。
マレー沖海戦
  1. 初めて作戦行動中の戦艦が空激で沈められる。
  2. 英国首相が涙目だったとか。
    • 枕を濡らして泣いたらしい。あのブルドックがねぇ…。
    • いっぽうのアイルランド人は大喜びした。
    • もう一方のヒトラーは激怒。「黄色い猿がアングロサクソンの戦艦を!?」だって。
  3. 攻撃に参加したある日本機の操縦士は戦闘翌日に沈没海域を通過した際に花束を投げ入れた。
シンガポール攻略戦
  1. チャーチル「全滅してでも守れ」どこの末期日本軍だよorz…。
    • 全滅どころか水源絶たれて13万の兵が降伏。
  2. シンガポール要塞の沿岸砲は陸側に向けられなかったとさ。
  3. 「急に○○が来たので」の例の一つ。まさか陸伝いでくるとは思っても居なかった。
  4. 交渉が長引きそう→「イエスかノーか」→降伏。

1942年

パレンバン降下作戦
  1. 一応陸軍初の空挺作戦。
  2. 製油所襲撃部隊は武器の回収に失敗したが、拳銃と軍刀を駆使して戦った。
    • オランダ軍の装甲車は死角から群がり、人力で撃破。強すぎるw
  3. オランダ軍の放火による精油所の火災を濡れじゅうたんで消した人がいたらしい。
ウェーク島攻略戦
  1. 嫌がらせでF4Fが爆弾落としたら、駆逐艦如月が轟沈。パイロットびっくり。
    • 救援は残念ながら間に合わなかったが、そのお陰で空母戦力を温存できた。
    • かなり急げば間に合ったらしいが一番近くにいたのは怠け者のスプルーアンスだった。その時点で海兵隊の命運は決まってしまった…
    • 「俺達は兄弟を見捨てないと誓っているのに!」と救援に行けなかった海兵隊員は涙目だったとか。
    • 機銃という説もある。こっちだったらいくらなんでも運が悪すぎる。
  2. 一応日本軍が占領したもののハワイから近過ぎる為に補給には随分苦労したそうな。
    • 日本兵が、記念物級の鳥を食用にして絶滅させている。
  3. 水雷戦隊と陸戦隊だけで攻略を試みるも見事失敗。陸戦隊は揚陸要員じゃないってのに……。
    • 結局、機動部隊などから応援を呼んで再攻撃。敵の指揮官を生け捕りにするなどの幸運でやっとこさ占領。
      • 私が読んだ雑誌では結構な数の増援部隊を見て負けを悟った米軍の指揮官が無駄な抵抗をやめて投降したと書いてあった。
珊瑚海海戦
  1. 歴史史上初めて空母と空母が戦った海戦
    • 陸上基地の航空機や艦隊同士の砲撃戦のない「純粋な空母機動部隊同士の対決」としては最初で最後でもある
  2. 日本軍損害空母1隻損傷軽空母1隻撃沈。米軍損害空母1隻沈没1隻損傷とギリギリ日本の勝利だったが、日本側は軍としての目的を果たせなかったため、戦略的には米軍勝利。
ドゥーリットル空襲
  1. 理想郷からやってきた爆撃機。
  2. 日本軍は9機撃墜と報じたが、誰も見ていないので「空気撃墜w」と噂された。
    • 証拠品として靖国神社の木にぶら下げられたパラシュートはわざわざ中国大陸から運んできたもの。
  3. なお爆撃機の発艦の模様を撮影していたのは『駅馬車』などで知られる映画監督のジョン・フォード。
    • 日本軍機だと思って手を振った小学生が機銃掃射されて死亡した他、海軍の96陸攻を陸軍の隼が敵の第二次攻撃と誤認して誤射してる。
  4. 底引き網漁船に見つかったせいで爆撃機の発進位置がかなり東にずれた。
    • それは、徴用され、旭日旗を掲げた海軍所属の哨戒艇
ミッドウェー海戦
  1. AFでは真水が不足中(笑)
    • 嘘情報にまんまと引っ掛かるw
  2. 嘘情報を流す間に海兵隊はミッドウェイ基地をせっせと要塞化。
    • 海軍は中破したヨークタウンをハワイ基地にドック入りしてから3日後には出航可能な状態に。
      • 一方、日本は同じく珊瑚海で損傷した瑞鶴・翔鶴は修理中。この辺りに差が出た。
    • アメリカは映画監督を派遣してカラーで記念撮影。
    • さらに基地航空隊の増援もやってきた。
    • 1942年5月28日、ついに死守命令が出た。
  3. 結局ヨークタウンは撃沈されたが日本軍の潜水艦に見つからなければハワイに回航されて修理されるはずだった。
  4. そもそも、ミッドウェー攻撃は軍機モノの秘密情報のはずなのに、料亭の女中から誰でも知っていたとは豊田副武の弁。こんな情報管理じゃ負けるのは当たり前。
    • 一応「米軍をミッドウェーにおびき寄せるのが目的」だから、わざと情報管理を緩くした。なんて説もあるとか。
  5. 太平洋戦争の転換期といわれるが、仮に日本が完勝(米空母をすべて撃沈+ミッドウェー島を占領)していたとしても結局は物量チートで米軍に負けていたと思う。
    • とはいえ太平洋艦隊ほぼ全滅ともなれば政府と軍は「待てばいいや」となっても国民はパニクるから、万に一つぐらいの可能性で…というのは考えすぎか。
ガダルカナルの戦い
  1. 補給の途絶で文字通り「餓島」となった。
  2. 設営隊と400人ぽっちの護衛だけで進出するとか米軍を舐めすぎじゃなかろうか?
    • 完成しかかった飛行場は米軍がありがたく再利用させてもらいましたとさ。
    • 「いや、補給線の長さから考えてこの兵力は妥当」と主張する方もおられるだろうが、同時期に海軍は「豪州占領で米英の反攻拠点撃滅」などと壮大な机上空論を展開している事から推察するにどうも補給に関しては深く考えていなかったようだ。
      • 然り。
  3. 海兵隊の初上陸作戦には丁度良い実験台になってしまった。
  4. オーストラリアの軍人がガイドとして同行して上陸地点(しかも上陸寸前の状況)を詳しく調べたデータを海兵隊に提供していたという事はあまり知られていないらしい。
    • あの辺は豪州政庁があったから。
  5. ガダルカナルのタカかい?
  6. 陸でも海でも、「兵力の分が悪いときは夜襲」という日本軍お得意の戦闘教義が思い切り否定された。
    • おまけに重装備が完全不足。海軍が陸軍に渡したガ島の地図は海図を拡大しただけの代物で、内陸部は白紙だった。
      • 上陸した海兵隊は夜間の奇襲には充分備えていた為に日本軍の攻撃部隊は殆ど壊滅しちゃいましたとさ。
  7. 海兵隊では日本海軍から捕獲した製氷機が大活躍。アイスを作って食いまくっていた。
    • 「トージョーアイスカンパニー」という屋号も付けられた。
      • 占領したガダルカナル島の飛行場は完成状態で、あとは第一陣の到着を待つばかりだったらしい。
  8. せめて第一次ソロモン海戦のときに輸送船を沈めていれば…。
    • 輸送船撃沈に時間かけたら空襲されるじゃん!と足早に切り上げてしまったのが敗因の一つ。
      • がこのときすでに米空母部隊は航空支援を中止し撤退してたらしい。
  9. ガダルカナルと対岸のツラギ島・フロリダ島の間でたくさんの海戦が発生。
    • 結果冗談抜きで鉄底海峡とよばれるほど船が沈んだ。
  10. 第一次ソロモン海戦の一方的な勝利の裏で探照灯の戦訓が無視される、無能参謀 神重徳が幅を利かせる根拠ができるなど後の大失態の布石が敷かれることになる。
南太平洋海戦
  1. 放棄されたとはいえ、交戦国の敵空母へ臨検隊が移乗したのは最初で最後であろう。
    • このとき、日本軍は、その空母が応戦する様子を記録したフィルムを鹵獲している。

1943年

  1. 米軍のいわゆる「物量チート」が発動するのがこの年。
  2. ニミッツ「↑↑↓↓←→←→BA」
    • マッカーサー「ゆうてい みやおう (ry」
  3. 海上護衛総司令部設置もこの年。遅ぇよ。
  4. カイロ会談。ルーズベルトは中国を煽てる為に蒋介石を参加させた。
    • 中国はルーズベルトに過剰に期待をかけられて、大陸打通作戦で打撃を受け、最後の最後まで日中戦争に連敗する惨めな結果を残した。
ビスマルク海海戦
  1. 簡潔にいえば空襲してくるけどとろい輸送船を護衛しながら敵のど真ん中を突っ切ってくれ。
    • 結果輸送船全滅、護衛の駆逐艦の半分が撃沈。
      • しかも発生したのが3月3日。
  2. 別名ダンピール海峡の悲劇
  3. この作戦を考えた神重徳は別名海軍の辻政信、神さん神がかりとか言われる無能参謀
    • しかも懲りずに大和の海上特攻を考えたのもこいつ。
    • 他にも捷一号作戦を立案したり、制空権のないサイパンに扶桑型で特攻すると言い張ったりしている。過去の成功体験から抜け出せない、典型的な日本人参謀である。
  4. 実は名将木村昌福提督唯一の敗戦
  5. この海戦で使用されたスキップボミングは実はイタリア軍が考えた爆撃法
    • その恐ろしさは飛行機と同じ速度で爆弾が突っ込んでくると考えればわかる。
  6. 実は沈んだ駆逐艦朝潮は輸送船との約束を守るため戦場に残り沈んだ。
海軍甲事件
  1. ブーゲンビル島上空で山本五十六大将が戦死。
  2. 暗号は計画的に。ってか単なる怠慢だろこれ。
    • 暗号がバレて、しかも伝統の時間厳守で定刻通りに飛行してたからなぁ。
    • 内容モロバレの旧D暗号をそのまま使ったのが原因。おまけに新D暗号も芋蔓式に解読される始末。
  3. 山本五十六が第三種軍装を着用したのはこの時が最初で最後らしい。
かわいそうなゾウ事件
  1. 空襲に備えて上野動物園の大型動物が殺処分に。
  2. ハンニバルにアルプス越えさせられたゾウの方が可哀想などと言ってはいけない。
  3. ドラの世界ではインドに運ばれて無事に生き延びたということになっている。
    • あれってB-29が本土に来てたからサイパン陥落後の話じゃない?
  4. ゾウにばかり注目がいくが、トラやユキヒョウなどが優先的に処分された。ネコ科動物ファン涙目。
  5. あくまで軍は「空襲されたときのために動物園の猛獣の避難計画・最悪の場合の殺処分の手順を作っておいて」だったが、本土空襲の前に動物園が殺処分してしまった。
JFK遭難事件
  1. ケネディー家の御曹司が艇長を務めるPTボート(魚雷艇)が駆逐艦の体当たりで行方不明に。
    • とりあえず無事に帰ってみると味方によって勝手に死亡認定されていたことが発覚。
  2. 後にケネディはこの時魚雷艇を沈めた駆逐艦「天霧」の元乗員一同から選挙のたびに激励の色紙を贈られている。
  3. 当時の日本海軍では、魚雷が誘爆するとこちらもただではすまないため、魚雷艇に対して体当たりするのを嫌っていたらしい。
べラ湾夜戦
  1. アメリカの名駆逐艦乗りアーレイ・31ノット・バーグ大佐が考え、ムースブルッガー中佐が実行した奇策よって日本艦隊は壊滅。
    • この戦術はその後セントジョージ岬沖海戦で実行し日本海軍をソロモンから一掃することに。
  2. 地味に雪風に並ぶ幸運艦時雨も幸運を発揮して唯一生き残っている。
キスカの戦い
  1. よーし。上官、米海兵隊を連れてキスカ島を奪回するぞー!
    • しかし彼らが上陸した時、島にいたのは犬だけだったとか。
      • 島にいたのは数匹の犬だけなのに上陸作戦の死者は約100名、結構な数の同士討ちが発生したらしい。
        • 後世「最も実戦的な上陸訓練」と呼ばれることに……。
          • 上陸したアメリカ軍は、陸軍第7歩兵師団である。
  2. 兵舎前の『ペスト患者収容所』と書かれた立て看板(悪戯で残して行ったらしい)を見た米軍がパニック!
    • 島を去り行く日本軍の軍医は一発の銃弾も使わず米軍に一泡吹かせたのであった。
      • なお、この看板を解読したのはドナルド・キーン(鬼怒鳴門)さんらしい。

1944年

トラック島空襲
  1. あれれ? 連合艦隊は何処へ行ったの?
  2. 那珂、舞風など連合艦隊所属艦が数隻撃沈されたが、そんな事が瑣末事になるほどトラック島にあった輸送船、航空機が破壊された。
竹槍事件
  1. 「竹槍とかwwんなもんより飛行機作れよバーカwww」と毎日新聞が書いて東條首相ご立腹。
  2. 以下、首相の行動とその反応
    • すぐに発禁処分にしろ!→もう配達し終えてまーす!
    • 毎日なんか廃刊にしてしまえ!→このくらいで廃刊とかw世界中から笑われっぞw
    • 書いた記者を召集しろ!→同世代1人も徴兵されてねえぞ、懲罰召集じゃねえかゴルァ
  3. 書いた記者のバックにいたのは海軍。
サイパン島の戦い
  1. 絶対勝てると豪語していた大本営だったが守備隊主力は数日で全滅。
  2. 水際で撃退できると見栄を張って総攻撃に出たら艦砲射撃と爆撃であっという間に壊滅したとか。
マリアナ沖海戦
  1. かつて連合艦隊が日本海海戦をワンサイドゲームで飾ってから40年目、ワンサイドゲームで敗れた。
  2. 列挙すればキリがない劣勢な点を、たった一つの優位(航続距離)を活かして挽回しようとした。
    • それで勝てるなら苦労はしなかった。結局虎の子の空母3隻が沈んで勝負有り。
      • あまりの圧勝に米軍から「マリアナのターキーショット」と呼ばれてしまった。
      • しかしそれ以外に挽回の方法が無かったのも事実。
  3. 当時の日本軍機の搭乗員が苦笑いしながら曰く「敵の弾が当たっていないのに気体がガタガタ揺れるんですよ。何とか空母に戻って機体を見てみるとあちこちに破片が刺さっていてね」
    • VT信管恐るべし、である。
      • 日本軍の技術者がVT信管の原理を聞いて唖然としたとか。
      • 実際はまだこのときにはVT信管があまり間に合ってなかったらしく、使用されたのは全体からみるとごく一部だったとか。
インパール作戦
  1. 作戦を決行する前から、補給が困難だという理由で反対意見が多かったが強硬。案の定補給に悩まされて日本軍敗退。
    • 政治的な理由で初めたあまり意味のない作戦だった。
  2. 無茶口のせいです。
    • 無茶口は悪くない。彼は正真正銘のイギリスのスパイであり、彼の本性に気がつかなかった陸軍と大本営が悪い。
      • ああ、だからウィンゲート旅団があんなに易々と…。
  3. 正直、インパールどころかエルサレムあたりまで遠征しないと作戦は失敗だと思うw
  4. インパール作戦を計画したのは日本人ではなく、インド人の「スバス・チャンドラ・ボース」である。
    • でも実行したのは無茶口
    • ボースが「インド国内に反攻拠点が欲しい」とゴネたんだっけ。でも現地指揮官は無茶口だしなぁ。
    • チャンドラはインド国民軍の一員として最後まで戦った。その頃無茶口は×××××
      • そのチャンドラボース曰く、ある程度道筋つけてくれるだけでいいのに、日本軍は全てやろうとしたから失敗したんだと言ってたらしい。
  5. 作戦名はウ〇コ作戦。
  6. 一応「勝手に撤退した師団長が居なければ当初の目的を一時的にも達成し、英軍に大打撃を与えれたであろう画期的な作戦」と評価する外国の軍事評論かも居るとか・・・うまく行ってもよくは無いだろうが。
  7. ジンギスカン作戦とか言ってる時点で、補給を軽視しているように見えるが、当初の部隊の要求では、資材や工作隊その他大量に要求していた。それが上層部に行くにつれ削られて、東京から返事が来るまでにまた削られてああなってしまったらしい。
垃孟、騰越の戦い
  1. 島嶼戦以外で日本軍が玉砕した数少ない戦い。
  2. 連隊規模で守備する日本軍陣地を中国が1個軍規模で包囲した戦い。
    • 日本軍は激しく反撃して3ヵ月持ちこたえるも援軍が到着する前に全滅。
  3. 日本軍戦死傷者3100名、中国軍戦死傷者2万8000名。
ペリリューの戦い
  1. あまり知られていないけど太平洋戦域の激戦地の一つ。
  2. 米軍指揮官「こんな島4日で占領できる。敵の指揮官のサムライソードを土産に持って帰って来い。」
    • 上陸した海兵師団の全連隊が壊滅する羽目に。
    • 結局陥落するのは2ヵ月後。
  3. 日本軍守備隊がバンザイ突撃を禁じて徹底的に籠城した初めての戦い。
    • この戦いの戦訓が硫黄島や沖縄に引き継がれていくことに。
台湾沖航空戦
  1. 空母10隻以上撃沈などの大戦果!!(とみんな思い込んでいる。)
    • 激戦になればなるほど至近弾の誤認や他人の攻撃を自分のと思い込んだりで戦果誤認が増えるが・・・偵察機で確認できなかったこともあり、これはその最たる例と言えるだろう。
    • 東京では祝勝会まで行われたとか。
  2. 最大の成果はアメリカの株式市場を急落させたことである。
  3. 戦果を鵜呑みにしてレイテに行ったら・・・あれ?なんかいっぱいいるよ?
比島沖海戦(レイテ湾海戦)
  1. 世界最大の海戦だが、戦力差は歴然。
  2. 日本の空母部隊を囮に使ってレイテに突入する作戦は、囮作戦がはまったにもかかわらず主力が意味不明な反転をしたため大失敗。別働隊は突入して壊滅していった。
    • これがゲームで有名な「戦場の霧」効果である。実感したければ適当な戦略ゲームを起動しよう。きっと栗田提督の気持ちが分かるはずだ。
  3. まんまと引っ掛かったハルゼーは自身の仇名(ブル・ハルゼー)に恥じない勢いで小沢艦隊に噛み付いたそうな。
  4. サマール沖では日本の水上部隊が護衛空母相手に大苦戦。
    • このときたった一隻の護衛駆逐艦が大立ち回りを演じる。
  5. 実はハルゼー唯一の水上戦がこの海戦だがその戦闘が救助した乗員を乗せて撤退中の駆逐艦野分をフルボッコにしたという地味なもの。
    • が実は駆逐艦野分はトラックで最新鋭戦艦の砲撃や空襲をかわして逃げた逃亡と武運には定評のある船でもあった。
  6. さらに日本に戻る途中に重巡熊野と戦艦金剛など多数の艦艇を失う不運にあう。

1945年

統合検討中

このページまたは節は沖縄戦に統合することが検討されています。意見のある方はトーク:沖縄戦までお願いします。

富永恭次敵前逃亡事件
  1. 特攻隊の司令官が敵前逃亡した事件。
北号作戦
  1. 最後の大成功だった日本の作戦。
    • 日本小川ですら、ここまでうまくいくとは思ってもなかったらしい。
  2. 敵爆撃を避けるために自らスコールに突っ込むとか、潜水艦に艦砲射撃とか素敵すぎることをやりまくる。
  3. 南号作戦のことは(ry。
  4. 伊勢・日向が大活躍。なんか予定の使い方と違ったけど
    • 戦後、米軍から、あれはどうなっていたんだ?といわれたらしい。全く攻撃が当たらないから。
ルソン島の戦い
  1. フィリピン戦線最大の激戦。
  2. 日本軍が戦車師団を投入して米軍戦車と正面から殴り合ったおそらく唯一の戦い。
    • チハたんやハゴたんよりも強力な75mm砲を搭載した1式砲戦車が活躍したとか。
  3. 日本軍は20万以上の大兵力を擁していたため、結局終戦まで決着つかずだった。
硫黄島の戦い
  1. 日本の島嶼防衛戦としては一番有名。
  2. 援護の為に一週間続ける筈の空爆と艦砲射撃を3日間で打ち切ると海軍から通告された海兵隊の参謀達と通告した海軍側は殺し合いの一歩手前な雰囲気だったとか。
    • 生存している当時の海兵参謀は海軍を「安全な場所から大砲を撃つだけの臆病者」呼ばわりしているらしい。
  3. 立ち止まるとジャップに殺される、後ろに下がると海兵隊司令官、通称「ハウリングマッドスミス」に殺される、だったら前進だ!!
  4. 海兵隊は兵士の損失もさることながら大隊、中隊指揮官の損失も目を覆うばかりだったとか。
    • 日本軍は海兵隊の幹部指揮官が前線で小隊長や中隊長に指示しているところを目ざとく見つけては狙撃したり砲弾を撃ち込んだ。
      • 海兵隊は大損害を覚悟した上で作戦を強行したが実際の損耗は予想の斜め上だったらしい。
  5. 米軍が陽動のために沖縄近海で盛んに怪電波を出すものの、陸軍の情報担当者はこれを見破ったらしい。
  6. 海兵隊は日本軍の作ったトンネルを見つけては破壊して埋めたそうな。
    • ところがいつの間にか修復しては後方から奇襲したり折角敷設した電話線を切断したり海兵隊の陣地に忍び込んで武器を失敬したり…
  7. 硫黄島占領後、同島飛行場に緊急着陸して助かった航空機の搭乗員と上陸作戦で戦死した兵士の数はかなり近いらしい。
  8. こいつは退避用滑走路じゃなくて爆撃機を護衛する戦闘機部隊の基地じゃねえか!俺達は無差別爆撃の片棒担がされたのかよ!?と激怒した海兵隊員がいたそうな。
    • それは、アメリカ海軍太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督の弁。
  9. ロサンゼルス五輪の金メダリストである西竹一中佐が戦死した。
    • 「オリンピックの英雄バロン西、貴方を失うのはあまりにも惜しい」という呼びかけがあったかどうかは謎。
  10. 星条旗を立てる写真で有名。
    • 写っている兵士の1人は後に重圧に押しつぶされ酒浸りになってしまったらしい。
  11. 人員の被害があまりにも大きかったため一時は毒ガスの使用まで検討された。
坊ノ岬沖海戦
  1. いわゆる大和による水上特攻。
    • 巷では矢矧以下の護衛艦艇への注目度は非常に低い……。
      • 「男たちの大和」のスピンオフで「男たちの雪風」とか作られたら見てみたい気もする。
  2. 「戦艦残したまま降伏するとかカッコ悪いじゃん?」というのが海軍の本音だった模様。
    • 長門「・・・・・・」
      • 厳密に言えば戦力になる戦艦かな。長門は1944年末に岸壁の女王扱いになってるし……。
      • ホントは長門も出したかったようだが燃料が無かった。
        • そんな提督の決断シリーズで、長門や榛名とかそういうのを呉に集めて再編成してから作戦開始みたいな・・・。
      • 徹底抗戦派を諦めさせる為大和には戦闘不能になってもらいたかったとか、天皇の「もう船はないのか?」と言う言葉を「艦隊はナニをサボっているのか」と起こられたと勘違いしたとか・・・
        • この天皇の言葉には海軍に「主力艦艇のほとんどを失い、降伏するしかありません」といわせたかったという説もあるが・・・ここら辺ははっきりしない。
        • どっちにしろ、降伏後のことがわからない以上戦うしかなく、一番現実的な作戦だったのかもしれない。
          • 司令官は最初命令拒否したらしい。曰く、犬死にするだけのために行きたくない。
  3. 大和艦長と護衛艦隊の司令官は犬猿の仲だったって話は本当なんだろうかw
    • 同郷で兵学校の同期。仲が悪かったかは知らんけど。
  4. かなり都市伝説に近いがこの海戦で大和などに積まれていた51万805円3銭(今の価値にしておよそ10億)が亡失金として記録されている。
    • 今わかっている限りでは浜風におよそ14万、霞に少なくとも3万積まれていた。
  5. スプルーアンスの考えでは空母部隊に攻撃させずに戦艦部隊で攻撃するつもりだった。
沖縄の戦い
  1. 上記硫黄島が東京都なので、国内で唯一の地上戦云々は嘘。
  2. 対馬丸の悲劇はアニメ化され、学校教材の定番となっている。
    • 主人公の中の人は後に海賊王となる。
      • 県知事が後退し、県民が重い腰を上げて疎開第一弾をしたのが対馬丸。これが沈んだせいでまた疎開は下火になった。
        • 対馬丸以外に沈んだ沖縄からの疎開船が無いというあたり本当にタイミングが悪い
  3. チハたんぶっ殺しまくって麻痺した米軍はなにを考えたか、嘉数戦で歩兵の援護無しで日本軍陣地にシャーマン戦車を突撃させた。
    • 日本側の砲火が上手いこと戦車から歩兵を引き剥がした。
    • 非力な47mm速射砲で側面や背面からシャーマンを滅多打ちにしたらしい。
      • 恐怖のあまり中の戦車兵が平電でSOSを連打したとか。
  4. よく「軍が民間人を犠牲にした」「軍が居るから戦争になった」なとよく言われるが、軍が何度も警告したのに疎開せず戦いに巻き込まれに言ったのは沖縄県民と沖縄県庁である。
    • 当時はまさかあのような鉄の暴風が吹き荒れるなど誰も思っていなかったと思う。
      • ただし南洋からの避難者でもいれば話は変わっていたかもしれない。
  5. 米軍の沖縄戦最高司令官のサイモン・バックナー中将が戦死している。
    • アメリカ史上最高司令官の戦死は現在に至るまでこの人のみ。
    • 死因は前線視察中に、日本軍の砲撃でさく裂した榴弾の破片が直撃したこと。
「桃太郎 海の神兵」上映
  1. 空襲で焼け残った映画館で戦意高揚映画。いろいろと遅すぎる気がする。
  2. すでに敗戦を悟っていたスタッフは、極力戦闘シーンを削り子供たちに夢や希望を与えられる作品に仕上げた。
  3. 「ファンタジア」を参考にしたそうな。
  4. 当時学生だった手塚治虫が号泣しながら観たらしい。
マンハッタン計画
  1. 極秘計画なのに大量のソ連スパイが侵入してた。
  2. リチャード・ファインマン博士が金庫を調べると、約半数の暗証番号がデフォルト設定だった。
インディアナポリス撃沈
  1. まさに歴史のif検討委員会としか言いようがない話。
  2. 米軍は沈んだこと+救助が遅れたことの責任の擦り付け合いで揉めたとか。
    • 戦後、沈めた伊58の艦長にまで、撃沈でなく事故であったように証言するように迫ったらしい。
    • それに対して伊58艦長は「ジグザグ航行を行っていても撃沈できた」と証言するも米海軍に都合が悪いのでもみ消される。後に「ジョーズ」を見て自由研究の課題にした少年により公になった。
  3. 日本の海上戦力は壊滅状態だったので、かなり無防備に航行していたようだ。
    • インディアナポリス艦長は対潜艦艇による護衛(インディアナポリスは対潜装備を持ってない)を上層部に頼んだら断られた。
対ソ防衛戦
  1. 満州、樺太、千島に極東ソ連軍が大挙襲来。
  2. 条約無視の行動だが「関東軍特種演習は敵対的軍事行動だからもう関係ねーよ」とソ連側は主張。
  3. 「掛け算の出来ない兵士」「時計のねじを巻けない兵士」などの有名なエピソードはこの頃。
  4. とある人曰く、ソ連兵は「農家のおっさん」「どうみても囚人のコワモテ」で構成されとったらしい。あと、女性兵士には驚いたとのこと……。
    • ソ連では、独ソ戦で人材が払底して、他の連合国ではやらなかった女性も前線で戦う羽目になった。なので、女性の戦闘機パイロットとか戦車搭乗員もいた。
  5. 樺太では国境に展開していた日本軍が頑強に抵抗したためソ連軍は出だしから躓いたとか。
    • 日本軍の中には小銃の数が足りないため、訓練用の木銃を持って突撃する部隊も現れたとか。
占守島の戦い
  1. おそらく大日本帝国軍の組織的な軍隊としての「最後の戦い」
  2. 戦後のゴタゴタにまぎれて北海道侵攻の足がかりにするために千島列島東端の占守島(しゅむしゅとう)に上陸したソ連軍と日本軍の戦い。
    • 終戦したため日本軍は装備の放棄、降伏準備を進めていたが、命令が「連合軍との戦闘を禁ずる、ただし自衛のための戦闘はこれにあらず」だったため、砲撃してきたソ連軍相手に交戦開始。
    • 当時占守島は、米軍上陸に備えて内陸には満州から移動してきた精鋭の戦車連隊や重砲が、海岸近くには33cm臼砲など強力な戦力が展開していた。
      • 戦車隊は上陸したてで満足な対戦車火器を持たないソ連兵に車載機銃乱射しながら突撃した。
        • それでも陸揚げされた対戦車砲などで連隊の約半数の戦車が撃破または行動不能に、陣頭指揮をとった連隊長の池田大佐も戦死する結果に。
        • おそらくチハやハ号が最後に活躍した戦場。
      • 丘の上に設置した野戦高射砲を水平射撃してソ連の赤い津波を吹き飛ばしたとか。どこのロンメルさんだよ。
  3. お互い終戦後のドサクサにまぎれて戦闘している上日本軍の生き残りはほとんどがシベリアに抑留されてしまった為詳細な戦果がはっきりしていない。
    • そのため「日本軍の重砲1門とソ連軍の重砲4門が撃ちあって日本側が圧勝した」「日本側が4機の戦闘機と4機の攻撃機で制空権を確保しつつ敵艦を撃沈した」「チハが無双した」など、何処からがホントでウソか解らない逸話が多い。
  4. 最終的に日本軍が上の命令に従って降伏したが、戦闘は日本の勝利に、戦後ソ連が北海道に侵攻できなかった理由のひとつとも