もしあの国鉄路線が全通していたら/四国

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未成線のまま廃止や第3セクター転換となった国鉄の路線が、全通していたら?

木原線(木更津~上総亀山~上総中野~大原)

  1. 小湊鉄道は廃止になっていた。
    • もしくは京成に助けを求めていた。
  2. 房総半島を鴨川を経由せずに横断できるようになるので、電化されていた。

越美線(越前花堂~九頭竜湖~北濃~美濃太田)

  1. 名古屋から福井まで特急が走っていた。
    • 当初は高山線経由で設定されるも、方向転換が2回になるのでキハ85系投入と同時に太多線経由に改められた。
    • 数本は金沢まで延長運転を行っていた。
  2. 水害からの復旧が早まっていた。
  3. 長良川鉄道は生まれなかった。
    • 美濃町線は段階的ではなく一度に廃線となった。

高千穂線(立野~高森~高千穂~延岡)

  1. 急行や特急の走る幹線になっていた。
    • 博多~延岡間の所要時間が大幅に短縮されていた。
    • 宮崎への短絡ルートにもなっていたので、博多~宮崎間の所要時間も大幅に短縮されていた。
    • 新しい九州横断鉄道になってた。
  2. 2005年の台風で被害を受けてもすぐに復旧されていた。
  3. 沿線のどこかが市に昇格していた。

津軽半島線(津軽中里~三厩)

  1. 津軽鉄道は国鉄(現:JR)で運行。
  2. 北津軽郡小泊村(現:中泊町小泊)内にも鉄道駅が開通した。
    • 道の駅十三湖高原付近にも鉄道駅が開通した。
  3. 現実に開通した津軽海峡線のルートが若干変更されていた。
  4. 現実の津軽線蟹田以北の「非電化区間」がもう少し賑わっていた。

大間線(大畑~大間)

  1. 対岸の北海道・戸井線も開通していた。
  2. 実史では、東日本フェリーが「大間~函館線」航路を運行しているが、国鉄が大戸連絡船を運航していた。
  3. 国鉄(実史上では後の下北交通)大畑線の廃止も無かった。
  4. 青函トンネルが東ルートで開業した場合、接続する大湊線や大畑線及び実史では大間線と同様に未成線に終わった戸井線が、電化開業した。
  5. 下北交通はバス専業のままにより、社名は、「下北バス」のままだった。
  6. 2008年9月4日に東日本フェリーが「北海道~青森・大間線」の路線撤退を表明したが、大間線が全通していたら、実史ほど騒ぎにならなかった。
  7. 大間駅にはマグロの駅弁が作られて売られていた。

岩日線(川西~錦川~日原)

  1. 開業後は陰陽連絡の主要ルートとして位置づけらた。
    • 優等列車も設定。
  2. 新幹線との連絡を改善するため、御庄駅を移転、新岩国に改称。
  3. C57-1の動態保存はこの路線で実施。
  4. しかし、乗車密度の低さから伊勢線や中村線などと同様に第三セクター化は免れなかった。

中津川線(中津川~飯田)

  1. 特急か快速が名古屋・飯田間に設定され、高速バスは同区間に無かった。
  2. 中津川止まりの快速・セントラルライナーの一部が乗り入れた。
  3. もし中津川線が第3セクターとして開業していたらも参照。

美幸線(美深~仁宇布~北見枝幸)

  1. 結局、開業しても10年足らずで白糠線と同様に廃線となった。

興浜線(浜頓別~北見枝幸~雄武~興部)

  1. 稚内から網走までの直通列車が設定された。
  2. 開業時は流氷鉄道として脚光を浴びた。

北十勝線(新得~足寄)

  1. 札幌~南千歳~新得~足寄~北見~網走の急行・特急が設定される。
    • この場合、池北線は3セク化も廃線も無く、代わりに石北線の北見以西が消えていたかも……
  2. 白糠線と同時に開業していたなら、高規格な分だけ新得~釧路の所要時間を短縮できたかもしれない。すなわち帯広を「おおぞら」は経由しない。

白糠線(足寄~北進~白糠)

  1. 北十勝線と同時に開業していたなら、高規格な分だけ新得~釧路の所要時間を短縮できたかもしれない。すなわち帯広を「おおぞら」は経由しない。
  2. 単独開業なら、廃線時期が少し延びただけ…

油須原線(豊前川崎~油須原)

  1. レールの準備はできていたようだが、白糠線・大隈線と同レベル(15年以下)の短命路線で終わっただろう。
  2. 漆生~油須原が油須原線となり、上山田線は飯塚から下山田までに短縮された可能性も。

五新線(五条~新宮)

  1. 和歌山県東南部へはこれがメインルートとなり京都・新大阪~王寺~五条~新宮~紀伊勝浦間に特急が運転される。
    • 大阪から新宮へのアクセスが大幅に改善される。
  2. 特急「くろしお」は串本止まりになっていた。
  3. JR和歌山線は王寺~五条間が複線化されていた。
  4. 奈良県十津川村は温泉を中心とする一大観光地になっていた。
  5. 奈良交通の日本一長い路線バスは廃止。

今福線(広島~可部~三段峡~浜田)

  1. 木次線・三江線と大して変わらぬたたずまいだっただろう。
  2. 浜田自動車道のライバルになっていたかも。
  3. 広島浜田間の高速バスに影響を与えていたし、現実と違って競合状態になっている。
  4. この今福線は単線非電化のうえ、あちこちでルートが遠回りをしているので広島~浜田間のバスの競合相手にはならないと思われる。ただ、開通していればバスの方が廃止になっていたかもしれない。
  5. もしかしたら智頭急行や北越急行のような3セク路線になっていたかもしれない。

弥彦東線(東三条~越後長沢~只見)

  1. 只見町から新潟方面に抜ける方法がもう一つ出ていた程度で、只見線と変わらずローカル扱いされる。
    • 只見駅が交通の要所になったかは疑問。
    • 信越本線と弥彦線の十字路として、東三条駅が交通の要所になったかは疑問。
  2. 国道の未開通はそんなに問題視されない。
  3. トンネルの掘削がどれくらい掛かったことやら…。