ページ「中央競馬の競走」と「中津川市」の間の差分

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==日本==
{{市|name=中津川市|reg=東海|pref=岐阜|area=東濃|ruby=なかつかわし|eng=Nakatsugawa-city}}
===GI(JpnI)===
{{東濃}}
====皐月賞====
==中津川市の噂==
#1939年にイギリスの2000ギニーを手本として創設。
*[[岐阜の駅#中津川駅の噂|中津川駅の噂]]
#*当初は「横浜農林省賞典四歳呼馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1949年から。
#妻籠を吸収してパワーアップ。
#**その名の通り、1942年までは横浜競馬場で開催していた。現在の名称になった年から中山競馬場に定着。
#*[[長野|長野県]]山口村と合併してついてきたのは馬籠宿じゃありませんか?妻籠は長野県[[長野/木曽#南木曽町|南木曽町]]にありますよ
#「最も速い馬が勝つ」と言われている。
#*藤村が岐阜のものに。
#2011年は震災で中山競馬場が被災したため、東京競馬場で代替開催。
#**・・・一瞬「ヒゲは名古屋人だろう」と思った。([[水曜どうでしょうファン|コレ]]に該当する者より)
#*オルフェーヴルが三冠馬になったのはこの年。この為、戦後唯一クラシック三冠を制した馬で、三冠戦限定で中山を走っていない競走馬になった。
#*昭和にも長野の村を横取りした事があった。(もともと長野だった)旧神坂村の半分が山口村に編入されたが、それと同時に残りの半分を中津川、というか岐阜のものにした。
#**そして同じ年の有馬記念を制し、中山も制覇。
#**長野県民からすればそういう見方になるだろうけど、端から見ればもともと神坂村域は中津川生活圏だったからそれに合わせた合併だったらしい。そこで起きたのが藤村騒動。
#***ちなみに「神坂」は「みさか」と読む。これを読めるのは[[道路ファン#パーキングエリア関連篇|この人たち]]位<!--中央自動車道神坂パーキングエリア-->。
#*中津川の中心部も馬籠も江戸時代は尾張藩で、元々中津川市にある苗木地区だけは苗木藩だった。
#[[東京]]から見るとフォークジャンボリー以来歴史が止まっている。
#地元民には失礼だけども年に一回猟奇的事件が起きるイメージが…。
#*リアルひぐらし
#*昨今はそれが瑞浪にシフトしてきた
#明知鉄道が市のエリア内を通っている。阿木と飯沼の両駅がそれ。
#*飯沼駅は「(普通鉄道で)日本一の急勾配駅」という大きな売りがあるので、明知鉄道にとっては非常に重要な存在。
#[[長野/下伊那#飯田市の噂|飯田]]への未成線である中津川線の分岐点になる予定だった。
#*神坂トンネルの水抜きボーリング中に湧き出た温泉が昼神温泉である。長野県側の昼神駅予定地には「国民年金保養センターひるがみ」が、神坂駅予定地には「クアリゾート湯舟沢」ができている。
#**クアリゾートの給料は市の施設の割にはとても安い。ボーナスはクアリゾートの割引券のみ。
#栗きんとんの発祥は中津川(すや)なのに恵那(川上屋)の名産品になっている。
#*中津:すや、川上屋。恵那:恵那寿や、恵那川上屋。
#中津川の美乃坂本駅前には以前、製造年月日が明日になっている未来パンが売られていたらしい。
#*美'''濃'''坂本では?
#**美'''乃'''坂本です!!
#***なんでこの駅だけ「美乃」なんだろうか?
#****「濃」の字を省略して「乃」と書いていた風習があったらしい。
#*****[[国道19号 (木曽高速)|国道19号]]上の案内標識は、東行き/西行き両方向とも何故か「←坂本駅」/「坂本駅→」と'''美乃'''を省略している。
#*ちなみに美濃国を通る中央本線には美'''濃'''のつく駅は1つもない。
#恵那郡を半ば強引に消滅に追いやった。
#ちなみに通称「なかつ」。「か」にアクセントがある。
#*本来は「中津」が地名だが、[[大分|大分県]][[大分/豊前#中津市の噂|中津市]]と重複を避けるために「中津川」になった
#**厳密に言うと町制時代から「中津川町」だったから重複を避けたと言うのは間違い。
#***[http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/cities/c-1945.htm ここ]参照。
#**中津川町は1890-1897,1951-1952の短期間のみで最後に苗木町と合併して中津川町になる前は長期間「中津町」であった。
#*[[大分/中部#日田市の噂|中津江村]]と混同している人がきっといる。もっとPRしたほうが良い。
#*その大分県中津市とは自県の県庁所在地よりも[[愛知|隣]][[福岡|県]]との結びつきが強い点でも似ている。
#岐阜市方面でも名古屋方面でもなく、長野方面を向いている。
#*'''長野県中津川市'''だと思われている。
#*10年位前まで、実際に「長野県」にある市だと勘違いしていた事があった。
#*特に[[長野/木曽|木曽]]や[[長野/下伊那|下伊那]]方面と親密。
#**流石に[[長野市]]や[[松本市|松本]]までは遠すぎて意識してられないだろう。
#**国道19号や中央線で陸続きになっている木曽地方はその通りだが、恵那山に遮られている下伊那地方とは全く交流が無い。
#*ちょうど中京圏と信州の分岐点といえる。
#*ま、名古屋へは向いてますよ、電車で1時間だし、名大進学者多いし。
#*仕事でも遊びでもみんな名古屋方面に行ってる。岐阜市に用事のある人は公官庁関係者ぐらい。
#リニアモーターカーの岐阜県内の駅はこの市内に出来るかも知れない。
#[[木津川市]]はここと[[木更津市]]とで間違えられやすい。
#「市」をつけなかったら木津川市はおろか[[十津川村|ここ]]ともかぶるぞ?
#[[名古屋市]]の飛び地(「中津川野外教育センター」)がある。名古屋から小学生が多数訪れる。
#*名古屋の小学生にとって、「中津川」は地名とは違う意味を持つ。
#**どんな意味?気になるなぁ。
#*ちなみに中学生は[[豊田市#稲武|稲武]]。県内になってしまっている。
#中山道・中津川宿が由来の宿場町。中津川駅は宿場町より低い所にある。'''坂が多い'''街。
#*なお「'''さ'''か」と発音する。
#*行ってみたがむしろ「坂ばかりの街」という感じ。中心街ですら平坦な所が少ない。
#中津川と言えば昔ながらの宿場町の風情だが、逆に言えば今風の大型店が少なく、住むにはちょっと…。と思っていたら、国体のせいかリニア中間駅内定のせいか、2012年になってヒマラヤやヤマダ電機などがたて続けにオープンするらしい。「次」は何?
#*とりあえず「かっぱ寿司」


====日本ダービー(東京優駿)====
===山口===
#1932年にイギリスのダービーを手本として創設。
#元・長野県だが、村名よりも馬籠の方が有名に…。
#「最も運のある馬が勝つ」と言われている。
#平成の大合併唯一の越県合併。
#今日はダービーめでたいな
#*平面直角座標系で長野県は8系で岐阜県は7系なのでこの座標系の地図データはそのまま統合できない(座標系の変換が必要)というこっそり地図屋泣かせな合併。
#*電話は一部(神坂地区)がNTT東だったのがNTT西へ(山口地区はもともと西)、日本郵政公社(当時)の管轄支社が信越支社から東海支社へ、自動車のナンバープレートは松本ナンバーから岐阜ナンバーへ、警察の管轄は長野県警木曽警察署から岐阜県警中津川警察署へ、とかなり大掛かりな変更だったようだ。
#馬籠宿は旧宿場町という以外にも島崎藤村の出身地ということもあり、観光客が多い。夕方は19号まで延々渋滞。
#馬籠宿は峠を挟んだ妻籠宿との関係が強かったので今までは長野県でした。
#*今でも、観光客は両方の宿場町を寄る人が少なくないのではなかろうか。


====菊花賞====
===蛭川===
#1938年にイギリスのセントレジャーステークスを手本として創設。
#中津川入りしたが、意識的には恵那市寄りだ。
#*当初は「京都農林省賞典四歳呼馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1948年から。
#*市役所も恵那のほうが近い。
#「最も強い馬が勝つ」と言われている。
#*ううむ、恵那市に入った方が自然だったかも。
#**昭和の大合併の時に合併話はあったが喧嘩別れに終わった過去があったから中津川市と合併した(元蛭川村民)
#**当時は蛭川の方が山林持ってて金があるから、貧乏人の恵那市なんかに入れるか!だったって聞いたんですがホント?
#***それは本当。山林じゃなくて鉱山ね。[[wikipedia:ja:恵比寿鉱山|恵比寿鉱山]]
#***昭和30年代初期はこの鉱山があったおかげでそれなりに栄えてたらしい。
#「ひる'''か'''わ」だが「ひる'''が'''わ」と読む率高し。
#*どっちでもどそない(元蛭川村民)
#ローソク温泉という放射能泉がある。
#*元はローソク病(梅毒)治療の為の湯治場だったとか。
#*現在は湧出量が減ってきており、同じ湯を数日使い回すので湯が汚い事がある。
#*客層も末期ガンの患者などが多く、殺伐とした温泉である。


====桜花賞====
===加子母===
#1939年にイギリスの1000ギニーを手本として創設。
#ひのきが採れる。
#*当初は「中山四歳牝馬特別」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1947年から。
#*それしか無い...
#**阪神競馬場での開催になったのは1950年から。
#母子加算とは関係ない。
#阪神競馬場の改修前は前半のペースが早くなりやすく「魔の桜花賞ペース」と呼ばれていた。
#トマトが有名。
#*改修後は順当な結果になることが多くなっている。
#中津川駅や坂下駅からの路線バス(北恵那交通)はここ(加子母総合事務所)が終点。以北は[[岐阜/飛騨#下呂市の噂|下呂]]まで濃飛バスが乗り入れる。そのためか、同じ中津川市でありながらなんとなく空気が違うような気がする。
#岡部幸雄騎手は旧八大競走の中で、このレースだけ勝てなかった。
#*2008年9月までは、さらに南の付知が両社の乗換地点だった。
#桜花賞の名の通り、スタート地点の付近には毎年桜が咲いている。


====優駿牝馬(オークス)====
===付知===
#1938年にイギリスのオークスを手本として創設。
#「裏木曽」と呼ばれる。
#*当初は「阪神優駿牝馬」と呼ばれていた。現在の名称になったのは1946年から。
#付知峡がほぼ唯一の観光地。
#[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]DF坪井慶介が中学時代に過ごした事がある。
#国道257号(国道256号との重複路線)に木製のの歩道橋がある。


====秋華賞====
===坂下===
#他の牝馬三冠やクラシック三冠と異なり、手本となる海外のレースが存在しない。
#合併前は中心地が長野との県境スレスレだった。
#エリザベス女王杯が古馬女王決定戦に移行する為、それに替わるレースとして1996年に創設。
#*合併した後も県境スレスレかと(県道6号を少し進めば南木曽町)
#*牝馬三冠時代のエリザベス女王杯は2400mだったのが、このレースでは400m短い2000mとして施行されている。
#坂下千里子はここではなく[[宇治市]]出身
#名古屋駅で昔坂下行きの電車を見たことがるが、まさかもう少しで長野県に入る場所だとは思いもしなかった。
#*早朝だけ坂下から名古屋まで直行する通勤快速は残ってるけど、さすがに名古屋から直通で来る電車は無くなった。
#阿寺断層が動いたらあぼーんするトンデモナイ町である。
#*谷に挟まれ木曽川の中に沈むアトランティスのような町になる。
#坂下駅の真裏に人口の割に立派な坂下病院がある。
#*その規模の大きさから、隣県の南木曽町や大桑村まで通院圏に収めている。
#*駅のすぐ裏だが駅を跨ぐ通路がないため、歩いて行くと遠回り。そのためわざわざ駅~病院間だけのシャトルバスがある(所要時間2分)。
===川上===
#坂下からいったん分離した。
#夕森公園がほぼ唯一の観光地。
#「中津川・川上屋」の栗きんとん


====高松宮記念====
===福岡===
#春のスプリント王者決定戦。かつての名称は「高松宮杯」。
#元NHKアナウンサー草野満代さんの出身地。
#ジャパンカップダートがチャンピオンズカップとして2014年に移動するまでは唯一の中京競馬場かつ第三場としてのG1レースだった(代替開催の新潟でのスプリンターズステークスは除く)。
{{DEFAULTSORT:なかつかわ}}
#1995年まではG2で2000mであり、夏の中京の中長距離決定戦だった。
[[Category:岐阜]]
#1996年春のスプリント王者決定戦としてG1に格上げされてから最初のレースのファンファーレは'''いろんな意味で'''伝説。
[[Category:所属に議論のある地域]]
 
[[Category:東海地方の市]]
====天皇賞(春)====
#通称「春の盾」。
#平地のG1では最長の3200㍍を走る。
#後述の秋にも言えるが、1980年までは一度天皇賞を制した馬は次の天皇賞に出走できない「勝ち抜き制」があった。これは天皇賞の権威を下げずに優勝馬を早期に繁殖馬にさせるという考えがあった。
#*この為、1955年まで優勝した馬は次に目標とするレースがなくなり引退する馬が多い為、より一流のレースを求めて「勝ち抜き制」がない有馬記念が創設されるきっかけになった。
 
====安田記念====
#レース名の「安田」は競馬法制定や東京優駿(日本ダービー)の創設などに尽力し、日本中央競馬会の初代理事長も務めた安田伊左衛門に由来。
#1951年に「安田賞」の名称で創設。現在のレース名になったのは1958年から。
#馬券がかなり荒れやすいレースで、三連複や三連単が高配当になることもしばしば。
 
====宝塚記念====
#有馬記念のようなビッグレースを関西にも、という声の元1960年に創設。
#現在の6月下旬開催になったのは2000年から。それ以前は6月上旬や7月上旬に開催されていた年もあった。
#1999年からは専用のファンファーレが使用。
#過去京都競馬場で7回(1966・1969・1974・1976・1991・1995・2006)、中京競馬場で1回(1980、芝2400m)開催されたことがある。
#今年も貴方の、そして私の夢が走ります。
 
====天皇賞(秋)====
#通称「秋の盾」。
#1984年に2000㍍に短縮された。
#*それ以前は春と同じ3200㍍を走っていた。
#1978年に八大競走では唯一と思われるカンパイ(スタートのやり直し)が発生した。
#2002年は東京競馬場の改修工事の影響で中山競馬場での開催に。
#1970年代から1990年代にかけて、「秋の天皇賞は1番人気が勝てない」というジンクスが存在していた。
#*1985年→シンボリルドルフがゴール前でギャロップダイナに交わされ2着。
#*1991年→メジロマックイーンが2コーナーでの斜行により18着に降着。
#*1992年→トウカイテイオーが乱ペースに巻き込まれ7着。
#*1998年→サイレンススズカがレース中に故障を発生し競走中止。
 
====ジャパンカップ====
#11月に行われる国際招待競走で、日本初の国際G1。
#*また、賞金の規模などから有馬記念や日本ダービーなどの八大競走と同格。
#1981年に創設されたが、創設から十年間日本馬の優勝は2頭しかいないなど、日本と外国の差は大きく開けられていた。
#90年以降は日本競馬のレベルの向上があり、現在は日本と海外の合計勝利数は日本が大きく逆転している。
#しかし、2010年代に入ると日本の芝と海外の芝の違いからの日本特有の高速馬場が祟り、加えてジャパンカップ後の数週間後に香港国際競走があるのか、海外招待馬の数が減少。
#*特に2019年は海外招待馬が一頭もいないという非常事態に。
#近年上記の通りとやかく言われるジャパンカップだが、それでも天皇賞(秋)と有馬記念に並ぶ下半期古馬クラシック三冠の二戦目で、一年の東京競馬場を締めくくる大一番なのか、高い注目度は変わらない。
#*加えて、ジャパンカップのみ日本競馬で唯一最終レースに行うG1競走でもある。(第11レースにやるのだが、この日の東京競馬場は11レースのみ)
#2014年からスイスの高給腕時計メーカーのロンジンがサポートしており、ゴール版の近くにロンジン製のタイマーが設置されている。
 
====チャンピオンズカップ====
#2000年、ジャパンカップダートという名で東京競馬場に創設。その名の通り、ジャパンカップのダート版として国際招待競走として2100mで行っていた。
#東京競馬時代は2007年までジャパンカップの前日開催。この為、ホープフルステークスがG1に格上げされるまでテレビ東京で中継される唯一のG1レースだった(後は一回だけNHKマイルカップを日程の都合で中継したのみ)
#*2004年のみジャパンカップと同日開催。
#2008年からは阪神のダート1800mに移行し、ジャパンカップの翌週日曜に固定。だがこの頃からジャパンカップ以上に多くの問題点が上がることに。
#*まず、ジャパンカップ創生期と違い、既に日本のダート馬は世界レベルに達しており、海外馬が優勝したのは2003年の一回のみ。後は全て海外馬が惨敗。
#*そしてダート競馬が盛んなアメリカと日本の馬場に使われるダートの違いが問題点の槍玉に挙げられ、海外招待馬が一頭もいない年が続出した。
#**アメリカはパワーが求められる赤土に対して、日本(というかJRA)はスピードが求められる砂を使っていた為、慣れない海外馬が苦戦することに。
#*加えて、右回りの阪神に移行したことで、左回りのコースしかないアメリカから招待馬が来るのかという疑問が武豊騎手などの関係者から疑問が相次いだ。
#**武豊騎手は左回りのコースである中京でやった方がいいと指摘した程(因みに府中にはダート1800mは設定できない)
#上記の声を受けたのか、2014年から左回りの中京1800mに移行。だが、招待馬なし連続が祟ったのか、単なる国際競走のチャンピオンズカップに改名することに。
#日本のダートグレード競走にとってはJBCクラシックや東京大賞典と並ぶ事実上の古馬ダートクラシック三冠の一つである。
 
====有馬記念====
#日本中央競馬会理事長の有馬頼寧(よりやす)が、中山競馬場の新スタンドの竣工を機に「暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大レースを」と提案。当時としては珍しかったファン投票で出走馬を選出する方式が採用され、1956年に「中山グランプリ」の名称で創設された。
#*第1回中山グランプリは大成功に終わったが、その直後の1957年1月9日に有馬頼寧が急逝。有馬の功績を称えて第2回から「有馬記念」に改称された。
#1996年には世界の競馬史上最高額となる875億円を売り上げた。
#6回コーナーを回る特殊なコースということもあり、外枠(15番枠・16番枠)はかなり不利。
#このレースがラストランになる馬も多い。
#シンザン、TTG対決、オグリキャップ・トウカイテイオーの復活、ダイユウサクの大激走、メジロパーマーの逃げ切り、ナイスネイチャの3年連続3着、グラスワンダーVSスペシャルウィーク、ディープインパクトの初黒星…名勝負・名場面多し。
#競馬場の改修や震災による被災で多くの重賞が別の競馬場で代替開催、又は競走スケジュールの変更で移動となるなど、G1を含めた大半の重賞が別の競馬場で開催経験がある中、有馬記念は創設から現在に至るまで一度も中山以外の開催はない(日本ダービーは最初目黒でやっていた)。
#1997年の生ファンファーレについてはお察しください…。
 
====東京大賞典====
#年末の大井競馬場で行われるダート界や地方競馬は勿論、日本競馬の一年の総決算。
#*東京大賞典は毎年12月29日に固定されており、その日の前日までJRAの一年の開催を終えている。
#前身は秋の鞍。その名の通り、最初は10月の2600mで行い、その後は距離や開催日変更やG1各付けを経て、2000mの年末のビックレースとして定着。
#2011年からは国際競走に昇格。これを期に年に一度の国際G1ファンファーレが生演奏されている。
 
====フェブラリーステークス====
#中央競馬のGIで毎年最初に行われるGIレース。
#1984年から1993年まではGⅢの「フェブラリーハンデキャップ」だったが、1994年にGⅡ昇格。レース名も「フェブラリーステークス」に改称された。
#*中央競馬と地方競馬の交流競走が拡大されるなか、1997年には中央競馬のダート重賞競走として初めてGIに格付けされた。
#「フェブラリー(February)」は英語で2月のことだが、1999年のみ1月(31日)にレースが開催されたことがある。
#*この時の勝ち馬は岩手のメイセイオペラ。
#2003年は東京競馬場の改修工事の影響で中山競馬場のダート1800mで開催された。
 
===GII(JpnII)===
;札幌記念
#夏競馬で最も格が高く、唯一のG2レース。
#*数少ない定量戦である為か、このレースに出走する有力馬が多く、関係者からスーパーG2と呼ばれている。
#このレースが開催される日の札幌競馬場の来場者数は他の日と比べて圧倒的に多いのか、同時期に行われる北海道マラソン開催日と被らないように設定している。
#*2013年は札幌競馬場改修の為、函館競馬場で開催。これにより中央競馬で唯一福島競馬場がG2以上の開催経験がない競馬場になってしまった…(小倉はかつてある)。
#ジャズ奏者マルタさんが'''サックスだけ'''で生ファンファーレを演奏したレースがこれ。
#*函館・札幌の重傷ファンファーレは他のファンファーレよりも難易度が高いのか、生演奏時には動画サイトでネタにされがちだが、今はある程度評価が高い。
 
;セントライト記念
#初代三冠馬のセントライトを記念して1947年に創設された重賞競走。
#2011年までは「ラジオ日本賞セントライト記念」だった。朝日杯FSの阪神への移動もあり2014年から現在の「朝日杯セントライト記念」に。
#1988年・2002年・2014年は中山競馬場の改修工事の影響で新潟競馬場での開催だった。
#神戸新聞杯に比べると菊花賞には若干繋がりにくいレース。
#*グレード制導入以降、セントライト記念に出走した後に菊花賞を制した馬は僅か6頭しかいない。
 
;東海ステークス
#GⅢのウインターステークスとして1984年に中京競馬場のダート2200mで創設。1990年に距離が100m延びダート2300mでのレースに。
#*1997年のGⅡ昇格を機にレース名を「東海ウインターステークス」に改称。この年から[[東海テレビ]]が優勝杯を提供(2012年除く)。
#*1999年は中京競馬場の改修工事の影響で小倉競馬場のダート2400mで開催された。
#2000年に開催時期が12月から5月に変更。更に同時期に行われていたダートのオープン特別の「東海ステークス」と統合され、現在のレース名に。
#2010年から2012年までは中京競馬場の改修工事の影響で京都競馬場のダート1900mで開催された。
#*2013年の競馬番組改正で平安ステークス(京都)と開催時期が入れ替わり、現在の1月開催に。
 
===GIII(JpnIII)===
;根岸ステークス
#1984年からオープン特別として施行されていたレースを1987年から重賞に格上げ。
#*現在の1回東京の開催になったのは2001年から。
#「根岸」は江戸時代末期に日本初の近代競馬場として横浜に開場した「根岸競馬場」から来ている。
 
;ダービー卿チャレンジトロフィー
#1969年にイギリスからレスター・ピゴット他2人の騎手を招待し、東京競馬場と京都競馬場で「英国騎手招待競走」が計4競走行われた。
#*その際東京で行われた競走の一つに、第18代ダービー卿エドワード・ジョン・スタンリー伯爵からトロフィーの寄贈を受けたことを記念し、「ダービー卿チャレンジトロフィー」が創設された。
#創設時は東京競馬場で11月に行われたが、1981年に中山競馬場へ変更。1990年からは施行時期が春の中山開催に繰り上げ。
#*2011年のみ、東日本大震災の影響で阪神競馬場での振替開催となった。
#当初の距離は芝1800mだったが、1984年から200m短縮されて芝1600mに。1990年には更に距離が短縮され芝1200mになったが、1996年から距離が芝1600mに戻った。
 
;アーリントンカップ
#1992年に阪神競馬場がアメリカのアーリントン国際競馬場(2000年からはアーリントンパーク競馬場)と姉妹提携を結んだのを機に、それまで存在していたペガサスステークスを「アーリントンカップ」に改称。
#2017年までは1回阪神の開幕週に開催されていたが、2018年からは皐月賞の前日の開催に。
 
;福島記念
#秋の福島開催に行われる芝2000mの名物重賞。
#競馬場の名を冠した第三場の記念重賞の中では唯一夏の主場開催とは異なる時期にやっている。
#*以前はマイル戦になる前の中京記念も同じだった。
 
;チャレンジカップ
#1950年に「チャレンジカップ」の名称で創設。1953年には朝日新聞からの賞寄贈を受け「朝日チャレンジカップ」と改称。
#*それ以来ずーっとこのレース名だったが、2014年に朝日杯FSの阪神競馬場への移動の影響で「朝日」が取れ、レース名が「チャレンジカップ」に戻った。
#開催時期は1969年から2011年まで9月の開催だったが、2012年から12月の開催に繰り下げとなった。
 
===地方競馬(ダートグレード以外)===
;ばんえい記念(BG1)
#年度末の3月下旬に行われるばんえい競馬の総決算。旧名は農林水産大臣賞典。
#*1988年から帯広に固定。それまでは各競馬場を転々としていた。
#年度最強馬を決めるレースであり、1トンのソリを引いて行われる。
#*よくばんえいの馬は1トンのソリを引いているという話があるが、実際に1トンのソリを引くのはこのレースのみ。
#**その証拠に普段はスタート直後軽々と超える第一障害が、このレースになると第一障害でも立ち止まる馬が多くいるなど一目瞭然である。
#1トンのソリを引いている以上、1着の馬でも完走するまで4分前後かかり、ほぼ全頭完走するまでも10分以上かかるなど、平地の競馬は愚かばんえいでも最も過酷なレースである。
#*なので最後の一頭が完走するまで目を見離さない現地のお客や視聴者も多い。
#帯広単独開催に移行してからはほぼ毎年陸上自衛隊による旧重賞ファンファーレと現重賞ファンファーレのメドレー生演奏が恒例。
 
==関連項目==
*[[日本中央競馬会]]
*[[競馬場/中央競馬]]
*[[競馬場/地方競馬]]
[[Category:競馬|きようそう]]

2013年7月13日 (土) 02:35時点における版

下呂      

  東白川 中津川
七宗 白川
八百津  
御嵩 瑞浪
可児
多治見 愛  知

中津川市の噂

  1. 妻籠を吸収してパワーアップ。
    • 長野県山口村と合併してついてきたのは馬籠宿じゃありませんか?妻籠は長野県南木曽町にありますよ
    • 藤村が岐阜のものに。
      • ・・・一瞬「ヒゲは名古屋人だろう」と思った。(コレに該当する者より)
    • 昭和にも長野の村を横取りした事があった。(もともと長野だった)旧神坂村の半分が山口村に編入されたが、それと同時に残りの半分を中津川、というか岐阜のものにした。
      • 長野県民からすればそういう見方になるだろうけど、端から見ればもともと神坂村域は中津川生活圏だったからそれに合わせた合併だったらしい。そこで起きたのが藤村騒動。
        • ちなみに「神坂」は「みさか」と読む。これを読めるのはこの人たち位。
    • 中津川の中心部も馬籠も江戸時代は尾張藩で、元々中津川市にある苗木地区だけは苗木藩だった。
  2. 東京から見るとフォークジャンボリー以来歴史が止まっている。
  3. 地元民には失礼だけども年に一回猟奇的事件が起きるイメージが…。
    • リアルひぐらし
    • 昨今はそれが瑞浪にシフトしてきた
  4. 明知鉄道が市のエリア内を通っている。阿木と飯沼の両駅がそれ。
    • 飯沼駅は「(普通鉄道で)日本一の急勾配駅」という大きな売りがあるので、明知鉄道にとっては非常に重要な存在。
  5. 飯田への未成線である中津川線の分岐点になる予定だった。
    • 神坂トンネルの水抜きボーリング中に湧き出た温泉が昼神温泉である。長野県側の昼神駅予定地には「国民年金保養センターひるがみ」が、神坂駅予定地には「クアリゾート湯舟沢」ができている。
      • クアリゾートの給料は市の施設の割にはとても安い。ボーナスはクアリゾートの割引券のみ。
  6. 栗きんとんの発祥は中津川(すや)なのに恵那(川上屋)の名産品になっている。
    • 中津:すや、川上屋。恵那:恵那寿や、恵那川上屋。
  7. 中津川の美乃坂本駅前には以前、製造年月日が明日になっている未来パンが売られていたらしい。
    • 坂本では?
      • 坂本です!!
        • なんでこの駅だけ「美乃」なんだろうか?
          • 「濃」の字を省略して「乃」と書いていた風習があったらしい。
            • 国道19号上の案内標識は、東行き/西行き両方向とも何故か「←坂本駅」/「坂本駅→」と美乃を省略している。
    • ちなみに美濃国を通る中央本線には美のつく駅は1つもない。
  8. 恵那郡を半ば強引に消滅に追いやった。
  9. ちなみに通称「なかつ」。「か」にアクセントがある。
    • 本来は「中津」が地名だが、大分県中津市と重複を避けるために「中津川」になった
      • 厳密に言うと町制時代から「中津川町」だったから重複を避けたと言うのは間違い。
      • 中津川町は1890-1897,1951-1952の短期間のみで最後に苗木町と合併して中津川町になる前は長期間「中津町」であった。
    • 中津江村と混同している人がきっといる。もっとPRしたほうが良い。
    • その大分県中津市とは自県の県庁所在地よりもとの結びつきが強い点でも似ている。
  10. 岐阜市方面でも名古屋方面でもなく、長野方面を向いている。
    • 長野県中津川市だと思われている。
    • 10年位前まで、実際に「長野県」にある市だと勘違いしていた事があった。
    • 特に木曽下伊那方面と親密。
      • 流石に長野市松本までは遠すぎて意識してられないだろう。
      • 国道19号や中央線で陸続きになっている木曽地方はその通りだが、恵那山に遮られている下伊那地方とは全く交流が無い。
    • ちょうど中京圏と信州の分岐点といえる。
    • ま、名古屋へは向いてますよ、電車で1時間だし、名大進学者多いし。
    • 仕事でも遊びでもみんな名古屋方面に行ってる。岐阜市に用事のある人は公官庁関係者ぐらい。
  11. リニアモーターカーの岐阜県内の駅はこの市内に出来るかも知れない。
  12. 木津川市はここと木更津市とで間違えられやすい。
  13. 「市」をつけなかったら木津川市はおろかここともかぶるぞ?
  14. 名古屋市の飛び地(「中津川野外教育センター」)がある。名古屋から小学生が多数訪れる。
    • 名古屋の小学生にとって、「中津川」は地名とは違う意味を持つ。
      • どんな意味?気になるなぁ。
    • ちなみに中学生は稲武。県内になってしまっている。
  15. 中山道・中津川宿が由来の宿場町。中津川駅は宿場町より低い所にある。坂が多い街。
    • なお「か」と発音する。
    • 行ってみたがむしろ「坂ばかりの街」という感じ。中心街ですら平坦な所が少ない。
  16. 中津川と言えば昔ながらの宿場町の風情だが、逆に言えば今風の大型店が少なく、住むにはちょっと…。と思っていたら、国体のせいかリニア中間駅内定のせいか、2012年になってヒマラヤやヤマダ電機などがたて続けにオープンするらしい。「次」は何?
    • とりあえず「かっぱ寿司」

山口

  1. 元・長野県だが、村名よりも馬籠の方が有名に…。
  2. 平成の大合併唯一の越県合併。
    • 平面直角座標系で長野県は8系で岐阜県は7系なのでこの座標系の地図データはそのまま統合できない(座標系の変換が必要)というこっそり地図屋泣かせな合併。
    • 電話は一部(神坂地区)がNTT東だったのがNTT西へ(山口地区はもともと西)、日本郵政公社(当時)の管轄支社が信越支社から東海支社へ、自動車のナンバープレートは松本ナンバーから岐阜ナンバーへ、警察の管轄は長野県警木曽警察署から岐阜県警中津川警察署へ、とかなり大掛かりな変更だったようだ。
  3. 馬籠宿は旧宿場町という以外にも島崎藤村の出身地ということもあり、観光客が多い。夕方は19号まで延々渋滞。
  4. 馬籠宿は峠を挟んだ妻籠宿との関係が強かったので今までは長野県でした。
    • 今でも、観光客は両方の宿場町を寄る人が少なくないのではなかろうか。

蛭川

  1. 中津川入りしたが、意識的には恵那市寄りだ。
    • 市役所も恵那のほうが近い。
    • ううむ、恵那市に入った方が自然だったかも。
      • 昭和の大合併の時に合併話はあったが喧嘩別れに終わった過去があったから中津川市と合併した(元蛭川村民)
      • 当時は蛭川の方が山林持ってて金があるから、貧乏人の恵那市なんかに入れるか!だったって聞いたんですがホント?
        • それは本当。山林じゃなくて鉱山ね。恵比寿鉱山
        • 昭和30年代初期はこの鉱山があったおかげでそれなりに栄えてたらしい。
  2. 「ひるわ」だが「ひるわ」と読む率高し。
    • どっちでもどそない(元蛭川村民)
  3. ローソク温泉という放射能泉がある。
    • 元はローソク病(梅毒)治療の為の湯治場だったとか。
    • 現在は湧出量が減ってきており、同じ湯を数日使い回すので湯が汚い事がある。
    • 客層も末期ガンの患者などが多く、殺伐とした温泉である。

加子母

  1. ひのきが採れる。
    • それしか無い...
  2. 母子加算とは関係ない。
  3. トマトが有名。
  4. 中津川駅や坂下駅からの路線バス(北恵那交通)はここ(加子母総合事務所)が終点。以北は下呂まで濃飛バスが乗り入れる。そのためか、同じ中津川市でありながらなんとなく空気が違うような気がする。
    • 2008年9月までは、さらに南の付知が両社の乗換地点だった。

付知

  1. 「裏木曽」と呼ばれる。
  2. 付知峡がほぼ唯一の観光地。
  3. 浦和レッズDF坪井慶介が中学時代に過ごした事がある。
  4. 国道257号(国道256号との重複路線)に木製のの歩道橋がある。

坂下

  1. 合併前は中心地が長野との県境スレスレだった。
    • 合併した後も県境スレスレかと(県道6号を少し進めば南木曽町)
  2. 坂下千里子はここではなく宇治市出身
  3. 名古屋駅で昔坂下行きの電車を見たことがるが、まさかもう少しで長野県に入る場所だとは思いもしなかった。
    • 早朝だけ坂下から名古屋まで直行する通勤快速は残ってるけど、さすがに名古屋から直通で来る電車は無くなった。
  4. 阿寺断層が動いたらあぼーんするトンデモナイ町である。
    • 谷に挟まれ木曽川の中に沈むアトランティスのような町になる。
  5. 坂下駅の真裏に人口の割に立派な坂下病院がある。
    • その規模の大きさから、隣県の南木曽町や大桑村まで通院圏に収めている。
    • 駅のすぐ裏だが駅を跨ぐ通路がないため、歩いて行くと遠回り。そのためわざわざ駅~病院間だけのシャトルバスがある(所要時間2分)。

川上

  1. 坂下からいったん分離した。
  2. 夕森公園がほぼ唯一の観光地。
  3. 「中津川・川上屋」の栗きんとん

福岡

  1. 元NHKアナウンサー草野満代さんの出身地。

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