もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/あ・か行
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鳴り物入りでプロ入りしたけれどあまり活躍できなかった選手、あるいは短い期間しか活躍できなかった選手、はたまたプロ野球選手を辞めたあと他のスポーツなどで活躍した選手が、もしプロ野球選手として成功していたらどうなったかを考える。
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- 日本国外のプロリーグ含め、野球選手として現役を引退している人物限定で。
- 外国人選手はもしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/外国人選手へ。
あ
赤川克紀
- 同い年の小川泰弘とともに先発ローテを守っていた。
- 館山昌平の復活はなかったかもしれない。
赤田将吾
- 元々ライオンズへの愛着が強かったので、おそらく最後まで西武一筋で現役を終えていた。
- 2010年のオリックス・小瀬浩之転落死の際には赤田の代わりに(史実で2009年の成績が不振気味でなおかつ子供の頃オリックスファンだった)栗山巧がオリックスにトレードされていた。
- 西武の外野陣はレフト(福地・)友亮・栗山、センター赤田、ライトGGになっていた。
赤堀元之
- 間違いなく通算250セーブ以上を達成していた。
- 名球会入りを果たしていた。
- 大塚晶文はセットアップのまま。
- 岡本晃も先発のまま。
- 2001年の日本シリーズで登板が見れた。
- 上手くいけば日本一になれていた。
阿久根鋼吉
- 4番バッターになってたかもしれない。
- どっちにしろ、新庄剛志は背番号1を希望してたので9への変更は史実通りだったかも。
- ホセ・マシーアスの背番号は42になってたかもしれない。
- 小田智之やマイカ・ホフパワーも現実以上に活躍できたかもしれない。
- ブレイク時期によってはシャーマン・オバンドーやDTクローマーの退団が早まってたかもしれない。
- FAで他の球団に移籍していた可能性は高いので小谷野栄一や中田翔は史実通りブレイクできたかもしれない。
- ニキビ予防洗顔のCMにも出演していたかもしれない。
荒木大輔
- スワローズはもっと早く2度目の優勝を果たしていた。
- 21世紀初頭までエースとして活躍していた。
- そして200勝を達成していた。
- 90年代になっても男の子の名前1位が「大輔」だった。
- 多分「松坂」の前にメジャー入り。
- 神宮球場とクラブハウスを結ぶ「荒木トンネル」が自宅まで掘られていた。
- 荒木をくじで外して斎藤雅樹を取った巨人が称えられることもなかった。
- ヤクルトの監督に就任していた可能性も。
安斉雄虎
- ベイスターズのエースとして同期入団の筒香嘉智とともに投打の軸として活躍していた。
- 真野恵里菜と中学時代同級生であったことが史実以上に有名になっていたかも。
い
飯島秀雄
- それ以後、第二・第三…の飯島が続いた。
- 短距離選手はプロ野球選手へのもうひとつの登竜門となった。
- 藤瀬史朗や今井譲二はもっと有名になっていた。
- 福本豊がこの道で生きていくことが強制され、2000本安打以上打つことはなかったかも。
- 相手チームはこの代走に対抗するために、肩の強さだけが取り得の捕手を終盤起用する。
- 例:槍投げ、遠投の選手。最初はリード力がないから駄目だと思われていたがこれが意外に使えた。
- クローザーの条件の中に「牽制が上手いこと」が加わる。
- ノムさんは史実より早くクイックモーションを開発していた。
井川慶
ヤンキースでも活躍できたら
- 日米通産200勝を達成できたかもしれない。
- 星野仙一から「面影ない」と言われることはなかった。
- 現役は阪神で終えてたかもしれない。
- 29は井川慶本人が推薦する選手が出るまでの欠番とされたかもしれない。
- もちろんオリックスや独立リーグでプレイすることもなかった。
- 史実通りオリックスへ移籍したとしても現実以上に活躍できていた。
- 2014年の躍進に貢献していた。
- 史実通りオリックスへ移籍したとしても現実以上に活躍できていた。
- 今頃(2020年現在)は阪神で投手コーチを務めていそう。
石井毅
- 夫人の実家である木村家の養子になることもなく「木村竹志」ではなかった。
- 引退後は母校・箕島高校硬式野球部の監督に就任していた。
- 星稜・堅田外司昭はプロ野球審判員に入局していた。
石井雅博
- 重傷を負った吉村禎章の代わりにスタメンで使われ続けていた。
- 吉村禎章は復帰後DHのあるパ・リーグの球団に移籍していた。
- ゲーム『ドラゴンクエスト』の復活の呪文の「くわたきよ はらしのずかな かはたはら いしい」の「いしい」の元ネタが石井浩郎(当時は早稲田大学野球部所属、後に清原と同時期に巨人に移籍)という説が広まることもなかった。
石毛博史
- 2000年代半ばまで巨人のクローザーを務めていた。
- 近鉄や阪神に移籍することはなかった。
- 佐々木主浩や高津臣吾とともに90年代のセリーグを代表するクローザーになっていた。
- 槙原寛己が現役晩年にクローザーへ転向することはなかった。
- 河原純一がクローザーへ転向することもなかったので、史実よりも早く放出されていた。
一場靖弘
- 岩隈・田中とともに楽天の三本柱となっていた。
- 楽天は2009年に初優勝を達成していた。
- ヤクルトにトレードされなかった場合楽天の2013年の日本一にも貢献した。
- 楽天は2009年に初優勝を達成していた。
- メジャーリーグに挑戦していた。
- プロ入り時の裏金事件のイメージを払拭出来ていたかも。
- 「楽天市場」のイメージキャラクターになっていた。
- 「楽天一場」なんて言われていた。
- リリーフとして活躍していた場合なんjでの暖簾スレでは確実に「楽天市場」が使われていた。
稲尾和久
- 通算300勝どころか、400勝も達成し、日本プロ野球通算勝利数1位の金田正一を超える。
- 金田の引退後の球界への発言力は低下していた。
- 金田の名球会のワンマン運営も無かった。
- 金田の引退後の球界への発言力は低下していた。
- 黒い霧事件以降も現役を続行、史実通り監督を務めていたら、野村克也、村山実と共に選手兼任監督となっていた。
- 1973~1974年に400勝を達成するもんなら、ロッテ対太平洋戦は、別の意味での「遺恨試合」となっていた。
- 400勝目、401勝目の相手がロッテなら尚更。
- 史実通り1974年で退任すれば、チームは連続で選手兼任監督が誕生していた。
- 1973~1974年に400勝を達成するもんなら、ロッテ対太平洋戦は、別の意味での「遺恨試合」となっていた。
- 東尾修の200勝達成は少なくとも無かった。
- 黒い霧事件の影響で、大エースが1人いたぐらいでは投手不足は解消されなかったので野手転向自体は無かった。
- 日本プロ野球史上最多勝利数記録保持者として発言力が高まったことで、ロッテの監督に就任した際は福岡移転が実現していた。
- これにより、南海がダイエーに売却が決まった際は、当時の中内功社長の希望通り、グリーンスタジアム神戸への移転が実現していた。
- 阪急がオリックスに売却される際には、1990年での西宮撤退、1991年の千葉マリンスタジアムへの移転が実現した。
- これなら阪神対ダイエーが関西ダービーとなっていた。
- 阪急がオリックスに売却される際には、1990年での西宮撤退、1991年の千葉マリンスタジアムへの移転が実現した。
- これにより、南海がダイエーに売却が決まった際は、当時の中内功社長の希望通り、グリーンスタジアム神戸への移転が実現していた。
稲垣秀次
- 中卒や草野球の選手もプロスカウトの対象となっていた。
- 辻本賢人が阪神にドラフト指名された際に色々と比較されたり注目されていたかも。
糸数敬作
- 糸井のトレードの際、彼との間違いとのネタはなかった。
- 沖縄の星として伊良部秀樹とともに称される存在になっていた。
- 琉球ブルーオーシャンズの設立に立ち会っていたかもしれない。
稲田直人
- 内野ユーティリティとして堂上直倫とともに称される存在になっていた。
- サードなら小谷野栄一のブレイクが遅れていた。
- 上手くいけば生涯日本ハムで現役を終えていた。
犬伏稔昌
- パワプロの能力も高くなり、能力をネタにされる事はなかった。
- 史実以上に左殺しの代名詞となっていた。
井上真二
- 90年代、00年代の巨人の主軸を打っていた。
- 松井や清原を獲らなかったかも知れない。
- 広沢克己がFA移籍はなかった。
井場友和
- 台湾への移籍はなかったかもしれない。
- 先発で活躍できてたら武田勝や八木智哉のブレイクが遅れていた。
- 中継ぎだと武田久や江尻慎太郎のブレイクが遅れていた。
今岡誠
2005年まではレギュラーを取っていたが、2006年以降は不振が続いた。もし2006年以降も活躍できたら。
- 藤川俊介が7をつけることはなかった。
- 引退まで阪神でプレー。
- 井口資仁に誘われてロッテの二軍監督になることもない。
- 2000本安打を達成できた。
- 西岡剛を獲得しなかったかも。
- 「≒もし1塁コンバートが早まっていたら」かもしれない。
- クレイグ・ブラゼルを獲得しなかったかも。
- 新井兄弟も獲得していたか怪しい。
入来智
- 同期の野茂英雄と共に先発ローテを守っていた。
- 史実通り、巨人に移籍していた場合、弟の祐作と一緒に在籍する年数ももっと長かった。
- さらに史実通りヤクルトへ移籍していた場合、史実では実現しなかった兄弟対決も実現していた。
- 台湾や韓国のチームへの移籍はなかった。
入来祐作
- 日本ハムへのトレードはなかった。
- 高橋尚成か木佐貫洋のブレイクが遅れていた。
- メジャー移籍後の成績も史実よりよくなっていた。
- 打撃投手になったあともちゃんと仕事ができていた。
岩村明憲
日本復帰後も活躍できたら
- 日米通産2000本安打を達成できた。
- 松井裕樹の背番号は史実とは違ってたかも。
- 福島ホープスの選手兼任監督になることもなかった。
- ヤクルトに復帰していたかは微妙なところ。
岩本勉
- 06年・07年の優勝に貢献していた。
- そもそも札幌移転後も日ハムのエースとして活躍していた。
- 晩年の小宮山みたく敗戦処理で活躍してたと思われ
- そもそも札幌移転後も日ハムのエースとして活躍していた。
- 「まいど!」が現実よりも長く流行していた。
- 斎藤佑樹の背番号は何番になってたのだろうか?
- タレント転向もなかったか遅れている。
- 「パ・リーグ党芸人座談会」に彼(ガンちゃん)が出演せず、普通に日本ハムファンの芸人が出演している。
- 「とっとこハム太郎」のまいどくんと相互に便乗し合っていた。
- “ハム”繋がりもあり、日本ハム球団と「とっとこハム太郎」のコラボが実現していたかも。
- 場合によっては、ファイターズのコーチに就任していたかも。
うえ
上田利治
- 正捕手となり、史実より早く広島をAクラスに引き上げていた。
- 引退後は阪急ではなく広島の監督に就任。
- 広島初優勝の監督は古葉さんではなくウエさんだったかも。
- その場合古葉さんは南海の監督に就任していた。(野村監督の後釜あたり)
- 広島初優勝の監督は古葉さんではなくウエさんだったかも。
- 引退後は阪急ではなく広島の監督に就任。
- 昭和50年代前半の阪急黄金時代は無かったかも。
- 史実でも監督経験のある梶本隆夫が黄金期の監督として阪急を率いていた。その場合「現役時代達成できなかった日本一を監督として達成した」と称えられていた。
- 「1イニング4三振の合間のタイムリーヒットが彼の現役時代の唯一の見せ場」と言われることもなかった。
鵜久森淳志
- 済美高等学校の後輩の福井優也との対決が見られた。
- 同じ高校のティモンディとの共演も見られた。
- 4番になってた場合、ドラフト下位の4番として注目された。
- 2014年の野球部の不祥事の時には何らかの形でコメントを述べていたであろう。
内海五十雄
- 背番号26番第1号として称される存在になってた。
- 同じ背番号の孫の哲也のプロ入りが大きな話題を呼んだ。
- 戦後まで現役を続けていただろう。
内之倉隆志
- 1994年にダイエーをAクラスに引き上げていた。
- 三塁手から捕手にコンバートされなかった。
- だから松永浩美のFA移籍はなかった。
- 1993年のドラフトに入団した小久保裕紀は違う背番号だった。
- おそらく「3」、「10」を背負っていた。
- もしくは内之倉が「3」が背負っていた。
- おそらく「3」、「10」を背負っていた。
江藤智
メジャーで通用するくらいの活躍ができていたら
- 巨人移籍もタイトルを獲得していたかもしれない。
- 小久保裕紀の獲得はなかったかもしれない。
- 別の球団に無償トレードされた。
- 豊田清の巨人入団後の人的補償は違う選手になってた。
- サミュエル・エトーとの対談が行われたかもしれない。
- ただし通訳付きで。
榎田健一郎
- 「パンチ」「イチロー」と同時期に、登録名を「エノケン」にしたかも。
戎信行
- 最優秀防御率以降エースに定着。
- オリックスの2000年代前半の成績はマシなものになっていた。
- 分配ドラフトでオリックス・バファローズに入っていた。
お
大石達也
- 西武の守護神になっていた。
- 同世代の高橋朋己や増田達至は中継ぎ中心だった。
- 斎藤佑樹の立場がますます悪くなり、引退が早まっていたかもしれない。
- 小石博孝も現実以上に活躍していた場合、「大石小石コンビ」として一世を風靡していた。
- 小石がリリーフ登板する際に彼(大石)と名前を間違われるハプニングが現実以上に有名になっている。
大久保秀昭
- 2001年近鉄いてまえ打線の弱点だった捕手の穴がなくなり、さらに強力なものに。
- ただしポジションの被る北川博敏がトレードで来なかった可能性もあり、そうなるとあの「代打逆転満塁サヨナラ優勝決定本塁打」もなかったことに…。
- あそこまでドラマチックな展開になることはなくても、もっと楽に優勝できていただろう。
- ただしポジションの被る北川博敏がトレードで来なかった可能性もあり、そうなるとあの「代打逆転満塁サヨナラ優勝決定本塁打」もなかったことに…。
- 大東めぐみももっと売れっ子になっていた。
- アマチュアではなくプロで監督になっていたかも。
大久保博元
- 西武で正捕手の座を獲得していた場合、伊東勤は史実より早く現役を引退していたか、もしくはFAで他球団に移籍していた。
- 89年にバークレオが不振の時にDHに定着した場合はデストラーデは来日しなかったorもしくは来日が遅れていた。
- 90年~92年に西武が3年連続日本一できたかどうかは怪しい…
- 仮にデストラーデが95年に来日して史実通り不振のまま退団した場合はダメ外人と扱われていた。
- 90年~92年に西武が3年連続日本一できたかどうかは怪しい…
- 俊足強肩を生かすため伊東は外野に転向。史実の平野謙のような立ち位置になっていた。
- 89年にバークレオが不振の時にDHに定着した場合はデストラーデは来日しなかったorもしくは来日が遅れていた。
- 巨人移籍後に正捕手に定着していた場合、村田真一は史実より早く現役を引退していたか、もしくはFAで他球団に移籍していた。
- 場合によっては2000年のドラフトで阿部慎之助を指名しなかった可能性もある。
- おそらく阿部は逆指名で阪神に入団していた可能性が高い。
- この場合村田真一のその後のコーチ人生が吹っ飛ぶため、当然コンパクト教も生まれず、2014年からの深刻貧打は回避できた可能性がある。
- 場合によっては2000年のドラフトで阿部慎之助を指名しなかった可能性もある。
- 後の楽天監督就任はなく、巨人で首脳陣入りしていたかもしれない。
- 可能性があるのは、2002年の第一次原政権あたりか?
大久保勝信
- 00年代のオリックスは2008年以外にも何度かAクラスに入っていた。
- 「代打逆転満塁サヨナラ優勝決定本塁打」を打たれた投手として現実よりも有名になっていた。
大嶋匠
- ソフトボールからのプロを目指す選手、男子ソフトの認知度向上となった。
- 有名なドラフト下位は異色の経歴でなく実績で証明したと評された。
大島裕行
- G.G.佐藤はレギュラーになれず控えに甘んじていた。
- 西武のドラフトでの地元選手軽視傾向も少しは改善されていたはず。
- 「大阪桐蔭ライオンズ」とか揶揄されることもなかった。
大慈彌功
- 伊東勉と正捕手争いをしていた。
- 打撃の開花次第でコンバートもあった。
- セカンドライフが軌道に乗れば、MLBのスカウトになったか微妙。
大田泰示
巨人で才能開花していた場合
- 陽岱鋼は獲得していなかった。
- 吉川光夫は楽天かロッテ辺りにトレードされていた。
大沼幸二
- 豊田清に繋ぐセットアッパーとして活躍していた。
- 俺達総帥と揶揄されることはなかった。
- シーズン途中に現役引退することはなかった。
大野倫
- 沖縄出身の野手は大成しないと思われる事はなかった。
- 吉永幸一郎とのトレード相手が変わっていた。
- 高校時代の酷使がなく投手としてプロ入りしていたらどうなっていたか...
大場豊千
- 父親大場隆広氏の知名度は高かった。
- 松井の穴を埋められる存在と目されていたか。
大森剛
- ポスト原として4番を打っていた。
- 初年度から活躍した場合、翌年のドラフトでわざわざ元木を指名することもなかった。
- ポジションかぶらないからそれは問題ないだろう。
- 93年の巨人の貧打線はなかった。
- 従ってわざわざ40歳の落合を中日から獲ることはしなかったろう。
- 松井秀喜は1年間、ファームでじっくり育てられた。2年目に新人王獲得。
- そもそも松井を指名したか?
- もし長く現役を続けていたら、坂本は巨人に入っていなかったかも。
- そうなったら堂上直倫が巨人に入団していた。
- 堂上が巨人に入団していたら中日の某二軍打撃コーチからパワハラを受けることがなく、それに反発した森岡が中日をクビになることはなかった。
- そうなったら堂上直倫が巨人に入団していた。
- AKB48の大森美優が彼の娘であるという事実は加入後すぐに明らかになっていた。
- 娘の美優も現実以上に倉持明日香や若田部遥と比較されていた。
- 史実より引退が遅れているので、娘の美優が物心つく頃まで現役を続けられていた。
- 長嶋監督も暗に認めたホモ疑惑があったので、括約…もとい活躍してたら増長してホモセクハラを起こしていたかもしれない。
- 突如、謎のトレードでパリーグに放出される。
- 史実でも最後は近鉄に移りましたが・・。
- 近鉄への移籍後も活躍できていたかも。
- その場合、彼も2001年の優勝に貢献していた。
- もしかすると礒部公一の捕手から外野の転向がなかったか遅れていたかも。
- 球界にホモスキャンダルの免疫が出来て多田野がビデオ発覚後も普通に横浜入りしていた。
- TRSMも(もし本当に出演していたら)出演を認めていた。
- 突如、謎のトレードでパリーグに放出される。
- 近鉄でも現実以上に活躍していた場合、引退後近鉄〜楽天orオリックスバファローズでコーチを務めていた。
- オリックスの場合、関西に残っているので娘の美優はAKB48ではなくNMB48に入っていた。
- 阪神ファンの多いグループの中で「大森二世」としてだけでなく「オリ姫代表」として有名になっていたかも。
- オリックスの場合、関西に残っているので娘の美優はAKB48ではなくNMB48に入っていた。
緒方耕一
- 2000年代後半までは現役を続けていた。
- 盗塁王のタイトルを緒方孝市と分け合っていた。
- 「おがたこういち」はセ・リーグ盗塁王の代名詞となっていた。
- 巨人は清水隆行を獲得することはなかったか、獲得しても代打代走要員に。
- 清水は盗塁下手だったから代走には使えなかったと思うけど・・・。
- 鈴木尚広より早く代走の切り札の立ち位置を確保できていた。
- 代走の神様と言われた。
荻野忠寛
- 荻野貴司が背番号0に変更することはなかった。
- 益田直也は中継ぎで大成していた。
尾崎将司
- 黒い霧事件の際は、池永正明の無実を晴らすために奔走していた。
- 弟の健夫・直道も野球選手になっていた。
- 実際健夫はヤクルトに指名されたが拒否している。
- 健夫が坂口良子と結婚することはなかっただろう。
- 日本でのゴルフはマイナーなままだったかもしれない。
- 丸山茂樹もゴルフ以外の道を歩んでいただろう。
- 石川遼もJリーガーになっていたか?
- ただ、同世代の樋口久子の活躍が史実通りなら、「プロゴルフ=女子」と取られていたかも。
- 自己破産もなかった。
- ファミコンソフト「ジャンボ尾崎のホールインワン・プロフェッショナル」も無い。
尾崎匡哉
- 一塁手だと中田翔、捕手だと大野奨太のブレイクが遅れていた。
- 金子誠離脱時には再びショートに戻っていたかもしれない。
- マイカ・ホフパワーの獲得はなかったかもしれない。
小川博
- 長きに渡りロッテのエースとして君臨する。
- だから、あの事件も起こさなかったのだろう。
- マリーンズの「背番号26」は純粋に「ファン=26番目の選手」という意味で欠番扱いになっているか、もしくは彼の功績が讃えられて永久欠番になっていた。
- 1990年代のロッテの成績が良くなっていた。
- 最多奪三振がよりクローズアップされていたかも。
小田幸平
- 阿部慎之助が入団、實松一成の移籍はなかった。
- FAで巨人に移籍した野口茂樹の人的補償ではなかった。
- 加藤健が中日ドラゴンズに移籍していた。
小田智之
- 札幌ドーム第一号ホームランを打った選手として称されていた。
- 背番号変更後も「北のイチロー」と呼ばれていた。
- 安打製造機になってメジャー挑戦もしていた。
- 退団時期によっては小谷野栄一や中田翔のブレイクが遅れていた。
小野剛
- 背番号降格、イタリア行はなかった。
- エース級に成長した場合、松井退団後の成績はマシだった。
小野仁
- 現在でも内海とともに巨人で左腕の2本柱として活躍。
- 杉内がFAで移籍してくることはなかったかも知れない。
- 逆に背番号があいていた工藤は何の軋轢もなく移籍。
- もしかしたらメジャー移籍していた可能性も。
- 後輩の摂津より先に沢村賞をとる。
- (利き腕の違いはあるものの)2018年に吉田輝星(金足農業)が活躍した際には同じ秋田の超高校生級投手として比較されていた。
か
甲斐拓哉
- 甲斐拓也と共に緒方孝市&緒方耕一以来の「ほぼ同姓同名」選手同士としてもてはやされていた。
- 拓哉のポジションが投手なので「同音異字対決」が実現していた。
- パ・リーグ同士なので上手くいけばオールスターゲームでバッテリーを組んでいた可能性もある。
- 拓哉のポジションが投手なので「同音異字対決」が実現していた。
- 同期入団の西勇輝の背番号21への変更が遅れていた、あるいは別の背番号を付けていた。
香川伸行
- 南海・ダイエーの正捕手として長きに渡り君臨し、本塁打王を何度も獲得していた。
- 1980年代の南海や1990年代のダイエーの成績が史実より良かった。
- 香川人気で南海の観客動員が増加したので、ダイエーへの球団売却はなかったか遅れていた。
- 南海から直接ソフトバンクに売却されていた可能性もある。
- 城島健司は駒澤大学を経由して1999年に入団。香川はこのあたりで引退していた。
- 王監督の後任は秋山ではなく香川。
- 「ドカベンプロ野球編」序盤は「ドカベン(山田)vsドカベン(香川)」の対決で盛り上げていた。
- どこかで香川真司との絡みがあった。
- 現実以上に香川照之と名前を勘違いする人が多かったかも。
笠原栄一
- 80年後半のロッテは低迷する事はなかった。
- ドラフト1位としては11年間で未勝利、プロ野球記録はなかった。
- 1990年に金田が監督復帰に背番号34を背負うことはなかった。
- 笠原自身も41に変更はない。
- 引退後は福岡市内のローソンでオーナーを勤務していない。
- 地元群馬で群馬ダイヤモンドペガサスの監督か投手コーチ就任していた。
- 息子の将生がプロ初勝利を挙げ、一軍での親子勝利として話題になっていた。
- だから、将生が野球賭博に染めることはなかった。
嘉勢敏弘
- 90年代後半から「二刀流」に挑戦する選手が増えていた。
- NPB初の「投手のシーズン2桁本塁打」は大谷翔平よりも前に達成していた。
加藤哲郎
- 1989年の日本シリーズよりも前から知名度が高かった。
- 近鉄一筋で現役を終えていた。
- 現実よりも長く現役を続けられていた。
- 少なくとも大阪ドームに移転する頃まで現役を続けていた。
- 引退後に雀士になっていたか怪しい。
- 同郷のエビちゃんとの共演が見られたかも。
加藤幹典
- 石井一久二世と呼ばれていた。
- 背番号46への変更はなかった。
- 退団時期によっては原樹理の背番号が異なってた。
- 小川泰弘のブレイクが遅れていた。
金村曉
- さすがにあの発言はなかった。
- 阪神へのトレードもなく、引退まで日本ハムでプレーした。
- 阪神ではなく日本ハムで投手コーチをしている。
- 阪神へのトレードもなく、引退まで日本ハムでプレーした。
- 100勝か150勝は達成していた。
- ライアン・グリンかブライアン・スウィーニーの獲得はなかったかもしれない。
萱島大介
- 赤星とともに俊足コンビを組んでいた。
- 場合によってはこちらも盗塁王に輝いていたかも。
- 京阪に「萱島」駅がありしかもある程度有名な駅なので、京阪沿線在住の阪神ファンにはネタにされていた。
- 但しこの選手の苗字の読み方は「かやじま」、京阪の駅は「かやしま」と読み方が異なるので間違う人も多かったのでは?
- もちろん競輪選手にはならなかった。
川上憲伸
ブレーブスでも活躍できていたら
- 150勝か200勝は達成できたかもしれない。
- 史実通り、現役は中日で終えていたかもしれない。
- 11番は川上の預かり番号になってたかもしれない。
- 2013年以降の中日はBクラスばかり続くことはなかったはず。
川口知哉
- オリックスの左のエースとして2009年現在も活躍している。
- もちろんビッグマウスも健在。
- オリックスが00年代前半に低迷する事はなかった。
- 同い年で同じ在阪球団の左腕投手ということで阪神の能見篤史と何かと比較されていた。
- 交流戦での対戦も実現していたかも。
- 引退後は女子プロ野球京都の監督ではなく、オリックスの投手コーチを務めていた。
川崎憲次郎
- 中日移籍後も活躍していたら
- もちろん川崎祭は起こらず、2003年のオールスターには普通に出場していた。
- 2004年の開幕投手の座を実力で勝ち取っていた。
- もちろん2009年時点でも現役である。
- 2005年入団の中田賢一は背番号18を背負っていた。
- 当然中里篤史はずっと背番号70のまま。
- むしろ中里は解雇が早まったか?
- 当然中里篤史はずっと背番号70のまま。
- 史実どおり2003年まで故障で棒に振り、2004年の開幕戦で好投して大復活、そのまま主力投手として活躍を続けるという展開であれば、開幕戦起用の落合采配は別の意味で伝説的になった。前年の川崎祭を見事に見返すことにもなった。
- その場合は前代未聞の「2度目のカムバック賞受賞」を成し遂げていた。
- 「川詐欺」という蔑称は無かった。
川﨑雄介
- ロッテ一筋でキャリアを全うした。
- 高山久は西武一筋でキャリアを全うするか他の選手とトレードで阪神に移籍した。
- 2010年の下克上日本一にも当然貢献している。
- 引退時期によっては吉見祐治と石川歩の背番号が異なっていた。
川島亮
- 楽天へのトレードはなかったかもしれない。
- どっちにしろFAで他の球団へ移籍していた可能性はある。
- 彼の後に17番を背負った選手ももう少し活躍できてたかもしれない。
- 成瀬善久はヤクルトでも活躍できてたかもしれない。
川藤幸三
- むしろ現役生活は短くなっていたかもしれない。
- あそこまで愛される選手にはなっていなかった。
- モルツ球団に入ってざこば師匠が「川藤出さんかい!」「ホンマに出してどないすんねん」ということもなかった。
- 1986年のオールスターでのヒット→2塁で刺されてアウトということもなかった。
- 新人時代に二軍で最多盗塁を記録していた実績を引っさげ、俊足の外野手として活躍していたかも。
- 史実の後の赤星憲広みたいになっていた可能性がある。
- 阪神で「代打の切り札」のポジションが確立されたのは真弓明信か八木裕からだった。
- 入団時の瞬足内野手のままだったら78年オフに田淵と西武にトレードに出された可能性もありそう…
- 古沢が西武や広島へ移籍することはなかった。
河原純一
- 1990年代後半には巨人のエースピッチャーとなっていた。
- 恐らく阪神の暗黒時代には天敵となっていた。
- 抑え投手になっていたら槙原寛己は先発のままかセットアッパーで現役を引退。
- 恐らく阪神の暗黒時代には天敵となっていた。
- 2002年のリーグ優勝時には史実と同じく抑えピッチャーとして活躍。
- 西武への移籍や中日へのテスト入団はなかった。
- または米大リーグに移籍していた。
き~こ
北篤
- 野手転向した選手として糸井嘉男や石井琢朗、高井雄平らとともに称される存在になっていた。
- 梶谷隆幸か荒波翔のブレイクが遅れていた。
木田勇
- 80年代の日本ハムは西武と激しい優勝争いを演じていた。
- 工藤幹夫(82年に20勝)が同様に活躍を続けていたら凄いことになっていた。
- 大洋にトレードされることも無かった。
紀田彰一
- 多村仁は21世紀に入る前に自由契約にされていた。
- FAでニューヨーク・ヤンキースに「選手として」入団していたかも。
- レギュラーを取っていたらヤンキースはA・ロッドを獲得しなかったかも。
木下智裕
- 左腕の中継ぎとして、活躍していた。
- 1983年の新人王を獲得していたかもしれない。
- 巨人に移籍することはなかった。
- 引退後は、後続のオリックスで打撃投手やスコアラーに就任していた。
- もしくは、球団職員として、フロント入りしていた。
木元邦之
- 田中賢介のブレイクが遅れていた。
- ホセ・マシーアスやミッチ・ジョーンズを獲得しなかったかもしれない。
- オリックス移籍はなかったかもしれない。
- FAで他の球団に移籍していた可能性はあった。
- 引退後は京都市の中学の保健体育の教師にはならなかった。
- Qさまの学力王決定戦には出ていたかもしれない。
倉持明
- ロッテの守護神として君臨。100セーブ以上は挙げていた。
- 1980年代にロッテは1回くらいは優勝・・・ってのはやっぱ無理か?
- そもそも80年前期にロッテは優勝している。
- クラウンライターやヤクルトにトレードされることはなかった。
- 1980年代にロッテは1回くらいは優勝・・・ってのはやっぱ無理か?
- 娘の明日香が生まれる頃まで現役を続けていた。
- 現実以上にテレビで明日香との共演が見られた。
- もしかすると明日香の野球関係のテレビ出演が増えていたかも。
- 現実以上にテレビで明日香との共演が見られた。
- 落合と一緒に川崎球場の観客動員数増加に貢献していた。
- 観客が流しそうめんをすることもなかった。
- どこかの球団で投手コーチになっていた。
- 落合監督就任時に中日の投手コーチを務めていた。
栗山英樹
- ヤクルトの1番打者として定着してた。
- 飯田の処遇によっては1990年代末期の真中台頭まではレギュラーだったかもしれない…
- 引退後はヤクルトのコーチを務めていて場合によっては日本ハムの監督に就任してなかったかもしれない…
- それで指導者として実績を残していればヤクルトの監督に就任してた可能性もある。
- 場合によっては若松政権でコーチを務めたのち若松退陣後は一旦解説者となり2012年に日ハムの監督に就任してその後は史実通りと言う可能性も…。
- 東京学芸大からプロを目指す選手が増えた。
黒田哲史
- 少なくとも巨人にトレードはされず、西武で現役を全うしていた。
- 新山千春が子連れで稼ぐこともなかった。
- そもそも新山と結婚していない。
源五郎丸洋
- 阪神の不動のエースとして活躍し、1992年の亀新フィーバー時には現実とは逆に阪神がヤクルトを押しのけ優勝を果たしていた。
- 1985年の阪神優勝・日本一が「エースなき優勝」と言われることはなかったかも。
- その名字が色んな所で度々ネタにされていた。
- ラグビーの五郎丸歩の話題では引き合いにされていた。
- 2015年には源五郎丸があのポーズをさせられていただろう。
- 2015年には五郎丸歩との共演も見られたかも。
- 中野渡進(元横浜)、下敷領悠太(元ロッテ)については言うまでもない。
- ラグビーの五郎丸歩の話題では引き合いにされていた。
小坂誠
2005年オフに金銭トレードで入団した小坂選手でしたが、打撃不振などからレギュラーをつかむことができず、2008年オフに楽天に移籍しました。 もし巨人でレギュラーを獲っていたら・・・
- ショートに定着していた場合
- 二岡智宏が三塁、小久保裕紀が一塁にそれぞれコンバートされていたため、李承ヨプは外野で登録されていた。
- 李承ヨプは06年限りで退団したかもしれない。
- 二岡が小笠原道大の人的保障で日ハムに移籍していた。
- よって不倫騒動も無かった。
- さすがに二岡をプロテクトから外すとは思えんが・・・。
- 2008年シーズン、坂本勇人は二塁を守っていた。
- そして木村拓也は守備固めでの出場が中心になっていた。
- そもそも木村拓也を獲得していない・・・ってことはないかもな。どこでも守れるし。
- セカンドの場合
- 06年オフに仁志敏久が横浜へトレードされたことにより空いたセカンドに定着。
- 両方に共通すること
- 現実より長く巨人でプレーしており上手くいけば巨人で現役を終えていた。
小嶋達也
- 「ポスト井川」として左のエースになっていた。
- 能見篤史のブレイクが遅れていた。
- 2007〜10年のどこかで阪神が優勝出来ていた。
- ルーキーイヤーに1年を通して活躍できており、同期入団の上園啓史と新人王を争っていた。
後藤光貴
- 史実以上に内野手の後藤光尊(オリックス~楽天)と混同する人が続出していた。
- そして同音異字「ごとうみつたか」対決が現実以上に話題を呼ぶ。
- 河原純一とのトレードが「巨人・西武両チームにマイナスをもたらしたNPB史上最低最悪の大失敗トレード」とか酷評されることはなかった。
- そもそも巨人にトレードされることはなかった。
- そのトレードからのブレークなら話は別。
- そもそも巨人にトレードされることはなかった。
小林宏之
- 阪神移籍後も活躍していたら
- 「トリプルK」が早々と解散することもなかった。
- 2011〜12年の阪神はAクラス入りを果たせていた。
- 登録名を「小林宏」にしていたので現実以上に元オリックスの小林宏と混同されやすかった。
- 不良債権扱いされることもなかった。
小林雅英
- インディアンスでも活躍出来ていたら(ただし抑えで)。
- 引退前に250セーブ達成できたかもしれない。
- パ・リーグに所属歴にある投手で初の達成になってた。
- 史実通り、巨人やオリックスに移籍していた場合の成績ももう少しよくなっていた。
金剛弘樹
- 岩瀬に代わる抑えとして定着していた。
- 浅尾・金剛・岩瀬が勝利の方程式に。
- 二軍における最多登板記録は片瀬清利の240試合のままだった。
- 2013年以降艦これネタで加賀繁以上にいじられている。
- 金剛繋がりで筋肉番付ネタでも弄られていた。
近藤真一
- 90年代の中日はもっと優勝できていた。
- 同じ左投手の山本昌は200勝を取ることも、最年長完封記録を持つこともなかった。
- 横浜(大洋)やロッテあたりにトレードされていたかも。
- そもそもアメリカへの野球留学から呼び戻されず(星野が呼び戻したのは故障離脱した近藤の穴を埋めるため)、オファーのあったメジャーリーグに入っていた。もし活躍していれば野茂以前に日本人選手の大リーグ志向が生じたかも。
- 息子さんの中日入団がもっと話題を呼んだ。
- 息子さんももっと活躍できていたかも。
権藤博
- 稲尾和久を超える史上最速ペースで200勝を達成していた。
- 中日はもっと優勝できていたし、巨人のV9もなかった。
- 与那嶺要か中利夫の後任あたりで中日の監督になっていたかも。
- 近藤貞雄が投手分業を考えることもなかった。
- そうなったのは権藤の酷使がきっかけの為。
関連項目
もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら |
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