素晴らしき将棋棋士の世界

2018年6月8日 (金) 00:25時点における>Unknown userによる版 (→‎谷川浩司)
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  • 「将棋指しは個性的な人(=変人)が多い」と言われるが、元からの将棋ファン以外には認識されていないものも多いはず。
    • よってここでは、プロ・アマ問わず、将棋棋士にまつわるエピソードを並べてみる。
    • 面白エピソードはもちろん、スゴイものももちろん可。
  • 一応百科事典項目なので、ネタは遠慮してください。ただし既に広く知られているものについてはネタでも可。
  • 記載は、節別に氏名の50音順とします。
  • 棋士名に段位やタイトル名は原則不要。
  • 氏名のリンク先は、ウィキペディアの項目名。
    • 存在しない場合は無理にリンクにしなくても良い。
  • 他の百科事典項目と同様、書き換えや記事の並び替え可。

全般

  1. 意外な事に見た目は紳士然として、インタビューなどの受け答えも普通であることが多い。
    • がそこは勝負師、仲の良い記者や仲間内だと「寝坊しなければ勝てる」とか「(将棋盤の前に)座れば勝てる」とライバル意識むき出し。
  2. ほとんどは小学生になるかならないかの頃からしのぎを削ってきた人たちなので勝負師気質は当然と言える。
    • 逆に「将棋以外の事は知らない」という人も多いため、奇人伝説が生まれる。
  3. 自動車の運転免許は持っていない棋士が多い。理由は「運転中に将棋の事を考えると危険だから」。
  4. 将棋以外、チェスや囲碁、カードゲームなども強い人が多い。
    • で将棋以外のゲームでも「感想戦」を行う。
  5. 棋士同士は、ライバルであると同時に同じ志を持つ仲間でもある。
    • 特に同年代同士の場合、仲が良いことが多い。
    • まず将棋の話では、一般人とは合わない(一般人の方が、棋士が何を言っているのかわからない)のも原因と思われる。
      • まさに「強敵」と書いて「とも」と読む関係である。
  6. 過去の棋譜は全て暗記しているのが当たり前。
    • 将棋漫画で、実際のプロ棋士同士の棋譜が使われたりすると「◯◯九段と△△八段の××戦」と瞬時にわかるらしい。
  7. 暗譜も当然で、さらに多面指しも当然できる。
  8. 「プロ棋士なら誰でも次の一手は瞬時に浮かぶ」「長考するのは、2手のうち、どちらを指そうか迷っているだけ」
    • 加藤一二三のセリフだが、プロ棋士は誰でもそうらしい。
  9. 金銭感覚は概してゆるく、飲み会などでは先輩が全額奢るのがデフォ。
    • 「次の対局で勝って取り戻す」という心理が働くらしい。

現役プロ棋士

糸谷哲郎

  • いとだに てつろう
  1. プロ棋士になったのちに阪大に入学・卒業している。
    • 大学に進学する棋士は少なくないが、国立大学に入学したのは珍しい。
      • ご丁寧にも、その阪大では将棋部に所属。ちなみにこの人、プロ棋士です。
    • さらに大学院修士課程も修了している。
  2. スイーツ好きな棋士は少なくないが、その中でもとくにスイーツ好きとして有名。
    • タイトル戦の解説ではおやつの解説(食レポ)も行う。
    • 駄菓子バーにいたところ、テレビのロケにつかまり、一般人の顔をしてインタビューに応じた。
  3. ポケモンカードの大会にゲスト参加し、初めてポケカをやったにもかかわらず優勝。限定100枚のプレミアムカードを獲得した。
  4. ニックネームは、以前は「怪物」(または「怪物くん」)、現在は「ダニー」または「ダニー先生」。
    • 前者は糸谷がデビューした頃、橋本崇載との対局で、橋本が「強すぎる。怪物だ!」と叫んだ事から。
    • 後者は名前の「いとだに」から。
  5. 奨励会時代、よくネット将棋を指していたが、その頃にプロデビュー間もない渡辺明に眼を付けられて一方的に負かされていた。
    • 渡辺いわく「糸谷狩り」。
    • しかし徐々に力関係は拮抗し、しまいには再度渡辺いわく「むしろ強敵になった」。
  6. 早見え早指しの棋風で、相手が指した直後に指すのが標準。
    • あのひふみんをして「一番の早指し」と言わせしめた。
    • NHK杯で渡辺明と対局した際は早指し合戦になり、感想戦含めても放送の尺が大幅に余った。
      • そして特別番組(過去のNHK杯の再放送)が編成された。

木村一基

  1. なぜか対局に和服を着て行くと勝てず「将棋界の七不思議」と言われる。
    • 将棋界の七不思議はその都度変わり、かつ必ず7個あるとは限らない。
    • 「屋敷伸之がC級1組から上がれない」など、達成されると消える。
      • 屋敷伸之がA級昇格したのは2011年3月11日(東日本大震災の日)。単なる偶然なのか?
  2. 奥さんが将棋連盟の現役職員であるため、秘密の給料やその額、勝敗などは全て筒抜け。
  3. とにかく受ける棋風のため、ついたあだ名が「千駄ヶ谷の受け師」。

佐々木大地

  1. 三段リーグ次点2回による昇段後1年以内でC級2組昇格を決めた。
    • 2018年時点で唯一の記録。
  2. とにかく義理堅い。
    • 師匠の深浦康市がA級降級の危機にあった最終局、解説のオファーを断って現地に向かった。
      • そして深浦が勝利し、六者プレーオフが実現した。
      • ただし、AbemaTVの現地中継でAbemaのスタッフジャンパーを着て登場した。
  3. 叡王戦第1局では会場の名古屋城まで高見泰地の応援にやってきた。
    • 高見が勝利し、叡王獲得への第一歩を記した。
    • ただし、ニコ生の中継で高見の作戦をバラした。

佐々木勇気

  1. 通称「青いの」。
    • 将棋連盟のフットサル大会に日本代表のユニフォームを着て参加。
    • 攻めるだけで守りに参加しなかったので渡辺明から「そこの青いの、守れ!」と言われた。
  2. 藤井聡太に初黒星をつけた。
    • 対局が決まってから藤井聡太の対局を見学して対局場の雰囲気を体験するなど、周到な準備をはかっての勝利だった。
  3. 生まれたのはジュネーブ
    • 当時フランスにいた両親が、出産費用の安いジュネーブの病院で出産した。
  4. 対局時の食事では必ず餅を追加する。
    • 「力うどん、餅追加」をオーダーするほど。

佐藤天彦

  1. あだ名は「貴族」。ファッションにこだわりがある。
    • 金をつぎ込みずぎて、光熱費の支払いができなくなったことがあるくらい。
    • 名人戦の賞金でヨーロッパから高級家具を大量に仕入れた。
    • タイトル戦の和服もグラデーションが入っていたり、アザラシ柄の羽織を着用したりする。
    • 投了前にはリップクリームを塗ってから投了する。
  2. 三段リーグ次点2回による昇段を唯一断った男。
    • 結果的に名人にまで上り詰めたのだから、本当に強ければ遠回りは問題ないという典型であろう。

佐藤紳哉

  1. キャッチフレーズは本人曰く、”砂糖のように甘い言葉で深夜に君を寝かさない”。
    • 一体何の仕事のキャッチフレーズだろう?
  2. ニコ生に解説者として出演した際、幼稚園児のコスプレをしたり、セーラー服を着たりとやりたい放題。
  3. 「ある将棋棋士がキャラクターを作ろうとして頑張りすぎている事件」として「爆笑 大日本アカン警察」でネタにされた。
    • NHK杯戦前のインタビューで、対局相手(豊島将之)について尋ねられたが、格上の豊島を呼び捨てにした挙句、格闘技のマイクパフォーマンスよろしく挑発するコメントを出した事がある。
      • 「豊島? 強いよね。序盤中盤終盤隙がないと思うよ。だけど、オレは負けないよ」
      • 「えー、こまた…駒たちが躍動する俺の将棋をみなさんに見せたいね」
    • 期待を裏切らず、対局ではキッチリ負けている。
      • 投了の時に被り物を外して「脱帽」のジェスチャーをしたが、そこはNHK。投了場面は撮り直しとなった。
    • しかもマイクパフォーマンスでやや噛んだため、いまだにネタにされる。
  4. ブログを更新しているつもりで、間違って一週間知人女性に電子メールを送り続け「あなたのことは、まるで興味ないので毎日長文のメールを送るのはやめてください。気持ち悪い」と返信された。
    • その後誤解が解け、なんやかんや(※細かい事情は不明)でその女性と付き合う事になった。
      • さらに意味不明な事に、それを自らブログで書いた事を最後にブログの更新を中止し、今でもそのままになっている[1]
    • その後、佐藤は結婚したが、相手はこの女性ではない。

佐藤康光

  1. メガネが似ているという理由で「桃屋の人」(=故・三木のり平)と呼ばれる。
  2. 対局に集中しすぎ、間違えて女子トイレに入りかかる。
    • 同じく対局室の入り口と押入れを何度も間違える。
      • 当然周囲から「ドラえもんか!」と突っ込まれる。
  3. メガネをかけたまま泳ぎ、案の定メガネをさらわれる。
  4. 特技は将棋と同じくらいの経歴を持つヴァイオリン演奏。
  5. 好物は納豆。
    • 朝食がパンでもパンに乗せるほど。
    • 本人曰く「納豆はデザート」

瀬川晶司

  1. 年齢制限によって奨励会を三段で脱落し、サラリーマン生活を経験しながら特例でプロ棋士になった異色の棋士。
  2. そもそもプロ棋士を志望したのが小学6年と遅かった。
  3. 奨励会脱落後は、将棋自体を辞めるつもりだったが、将棋の楽しさを再認識し、アマチュアの強豪として頭角を現す。
  4. アマチュア棋士でありながら、プロ棋士相手に17勝6敗の成績を挙げ、友人の勧めもあってプロ編入の嘆願書を連盟に提出。
    • 編入試験は、前例はすでにあった(後述)ものの、当時連盟のルールにはなかったので、全棋士に賛否を問い、賛成129、反対52でフリークラス編入試験の実施が認められた。
  5. 連盟推薦で試験官となった6人の棋士(内、女流1、三段1)と対戦し、3勝すれば合格という条件の中、2005年11月6日までに3勝(2敗)を挙げてプロ編入。当時の年齢は35歳。
    • 第一局の試験は(フリークラス編入を放棄してプロ棋士になった)佐藤天彦だったが、これは偶然でなく、連盟の配慮によるもの。
    • ただし「10年以内に順位戦C級2組に参加できなければ引退」という条件が付けられた。
  6. その後2009年5月に直近35局の勝率が6割5分7厘(23勝12敗)となり「良い所取りで、連続30局以上の勝率が6割5分以上」の昇級規定を満たしてC級2組に昇格した。年齢は39歳。
  7. その後フリークラス編入試験は制度化され、後に今泉健司がこの制度でプロ棋士になっている。
  8. なお編入試験自体は、1944年に元真剣師(賭け将棋師)の花村元司が受けてプロ棋士になっている。
    • 奨励会制度ができてからは瀬川が初。
  9. なお、この時の将棋連盟会長が米長邦雄でなかったら実現しなかったかもしれない。

高橋道雄

  1. 「『けいおん!』に出会って人生が変わった」棋士。
    • ニコ生の解説では、将棋そっちのけで「けいおん!」に対する熱き思いを語る。
    • NHKの解説ですらその手のコメントをする。
  2. 1960年生まれながら棋界屈指のサブカル好き。
    • アニメ・漫画・特撮・映画・アイドル・海外ドラマに興味がある。
    • 興味の対象はその都度変わる。
  3. アニメにはまる前はアイドル好きで、AKB48のファンだった。
    • 総選挙でも投票し、2014年の総選挙ではゲストで呼ばれた。
    • 惜しまれながら2015年にAKB48ファンを引退。

谷川浩司

  1. 将棋を始めたきっかけは、谷川浩司が5歳の頃、兄との兄弟喧嘩が絶えなかったため、父親が「将棋を指していればおとなしいだろう」と安易に考えたため。
    • その結果、将棋の勝ち負けをめぐって余計にケンカが多くなった。
  2. そのお兄さんは東大に進み、アマチュア棋士の強豪として鳴らした。
    • あの羽生善治がプロデビュー間もない頃、お兄さんは平手で羽生に勝っている。
  3. 王座戦で福崎文吾と対戦した際、タイトル戦に慣れてなかったために、飲み物もおやつも用意していなかった福崎があえいでいるのを見て「これをどうぞ」とお茶を差し出した事がある。
    • これで元気が回復した福崎は、谷川浩司に勝って王座を獲得。この一件で「敵に塩を贈った」と言われる。
    • 当の福崎は「弱った相手に勝っても仕方がない。『しっかりせえよ』『ちゃんと元気にかかってこいよ』というチャンピオン(谷川)の本当の強さを感じました。」と述べている。
  4. エビやカニが苦手。
    • ある対局において、棋士を含む関係者のメニューが「芝海老のカレーライス」だった。
    • 谷川はピラフに注文を変更したが、このピラフにもエビがどっさり入っていた。

永瀬拓矢

  1. 将棋に対するストイックな姿勢からついたあだ名が「軍曹」
    • 「将棋は努力すれば努力するだけ強くなる」がモットー。
      • 「1日10時間将棋の研究に費やせば強くなれる」との持論を持っている。
  2. 勝利に対する貪欲さも人一倍。
    • 不利とあらば先手番でも千日手を辞さない(むしろ常用する)
  3. いわゆる「将棋めし」に対しても一途。
    • 対局時はスポーツドリンクを大量に持ち込む。
    • 昼食は握り盛り合わせ(さび抜き)が定番。
    • タイトル戦ではおやつや食事にバナナを必ずつける。

中村太地

  1. 早稲田大学政治経済学部卒。
    • 大学時代は論文で奨学金をもらうほど優秀な成績。
    • 早稲田実業から進学しており、同級生に斎藤佑樹がいる。

橋本崇載

  • はしもと たかのり
  1. NHK杯の対局の際「金髪のパンチパーマに紫色のワイシャツ」という斬新なファッションで話題をさらった。
    • 奇抜な出で立ちは、ホストやヤンキーに喩えられることもあるが、人柄は見た目とは異なり、温和で礼儀正しく謙虚な時期もあった(過去形)。
    • 「カメラ目線」が多かった事でも話題をさらった。
    • 事前に何もやらなかった対局では、解説の渡辺明に「何か普通でしたね」と言われてしまう始末。
  2. 同じくNHK杯において、よせばいいのに羽生善治との対局前、佐藤紳哉のインタビューのパロディを完全コピーして披露。
    • 「羽生さん?強いよね。序盤、中盤、終盤、隙がないと思うよ。だけどオイラ負けないよ」
    • 「えー駒たっ・・・駒たちが躍動するオイラの将棋を皆さんに見せたいね」
      • さすがに羽生善治を呼び捨てにはできなかった模様。
  3. 同じくNHK杯において、二歩の反則で負けたことがある。
  4. 現役のプロ棋士であるにもかかわらず、芸能事務所と契約してバラエティ番組などにも出演している。
  5. しかし将棋界では、将棋の普及にも熱心で有望な若手株……らしい。
    • ただし自分が指さない手や流行の線型には無頓着で研究しない。
  6. 髪型をしょっちゅう変えることで知られており、髪型が変わる度にネット住民の間でネタにされている。
    • 奇抜な髪型等をするようになったきっかけは、デパートでの将棋大会を見た女子高生が「眼鏡をかけたおたく風出場者が多い」と述べたことに対して「マジやべぇ」と危機感を抱いたこと。
  7. 将棋の普及に熱心なのは確からしく、SHOGI-BAR(将棋バー)という店を経営していたことがある(2017年5月28日閉店)。

畠山成幸

  • はたけやま なるゆき
  1. 史上唯一の双子プロ棋士の兄。
    • さらに四段昇段も同日。(三段リーグ二位通過)
  2. 棋風は受け将棋。
  3. 棋界のダジャレ王豊川孝弘が駒が成るときに「畠山成る」と使う。

畠山鎮

  • はたけやま まもる
  1. 史上唯一の双子プロ棋士の弟。
    • さらに四段昇段も同日。(三段リーグ一位通過)
  2. 棋風は攻め将棋。
    • 名前をもじって「マモルは攻める」と言われる。
  3. 奨励会幹事をやっていたころ、当時奨励会員だった糸谷哲郎を厳しく指導。現在も事あるごとに糸谷の名前を出す。

羽生善治

  1. デビュー当時はあまりの強さに「ハブにはマングースでなければ勝てない」と言われたほどだった。
  2. 対局相手が悪手を指すと露骨に嫌そうな顔をする。された相手は負けを確信する。
    • 並みの棋士なら喜ぶところである。
  3. 対局後の感想戦において、自らの負けパターンまで説明する。
    • 「羽生は自分の勝ち負けでなく、将棋界全体の底上げを考えている」と言われる。
  4. 何気にイケメン。奥さんは元アイドルの畠田理恵。
    • 奥さんのツイッターが最近話題[2]
  5. チェスでも日本はおろか世界トップレベルの実力を持ち、棋戦の合間を縫って海外で対戦していたりする。
  6. 寝癖で知られ、連盟の公式中継サイトでも「羽生の入室は8時52分、後頭部に見事な寝癖がついている。」と書かれたほど。[3]
  7. 携帯電話を持たず、代わりにテレフォンカードを持っている。
  8. 羽生善治は、棋士仲間でも特別な存在。
    • 10歳の頃からのライバル・森内俊之は「同じ時代に将棋ができて良かった」。
    • 悲劇の天才棋士・故村山聖は、もの凄い負けず嫌いで有名だったが、羽生に負けたときは「がんばって昇級してください」。
      • また、上京する時には「羽生さんと一緒の空気を吸いたい」。
      • 村山が亡くなる直前、仕事でたまたま広島(村山の地元)に来ていた羽生に、村山本人の強い希望で会いに行った。
    • 渡辺明は「羽生がいなければもっとタイトルを獲れたのではないか?」との質問に対し
      • 「3~4は。ただ羽生さんがいなければ(羽生の棋譜の)勉強ができないので」と答えている。
    • 他にも羽生信者は棋界に多数いる。

福崎文吾

  1. 「勝負師のオーラが微塵んも感じられない」と言われ、実際に一般人と間違われる事多数。
    • 対局の時間になっても現れないので探したところ、入り口で見学者と勘違いしたガードマンに止められてロビーに座っていた。
    • 将棋会館に入ろうとしたら、藤井聡太のグッズ販売の整理券を渡された。
    • 関西将棋会館で奨励会員を相手に教師役で、持ち時間10秒の10秒将棋を指し「5、6、7、8、早く指さなー10やでー」「これで5番僕の勝ちね」などと騒いでいたところ……。
      • 道場整理のアルバイトの学生に「お客さん、もうちょっと静かに将棋を指してください」と注意される。
        • 福崎も福崎で、怒りもせず「うわあーごめんなさい」とその場をしのいで、アルバイトがいなくなるとまた騒ぐ
    • 名人戦の立会人として棋士の正装(和服姿)で来たにもかかわらず、大盤解説会場に入るときに係員に止められた。
  2. 奥さんに「クーラーを買ってきて」と頼まれ、何をどう間違ったのか、クーラーではなく、パソコンゲームを買ってきた。
  3. 自転車に「モナリザ号」と名付けている。
  4. 研究会に来たにも関わらず、将棋を指さずに「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌を1時間歌って帰る。
  5. 対局の時、自分の方が先手なのにいきなり考え始める。
    • 意味不明だが「対局開始時のルーティーン(黙祷)ではないか?」と言われている。
  6. 谷川浩司が福崎の将棋を称して「彼と将棋を指すと感覚を破壊される」と発言したことがある。
  7. 大盤解説では真っ当な手を指さず、二歩や王手放置などの反則手順の解説を行う。
    • 二歩→「1秒で取ったら大丈夫」「三歩にしたら反則やない」
    • 王手放置→「成ってもええんやけど、あえて成らないのが武士の情け」
    • 場が温まってきたきたところでちゃんとした手を指し「僕もプロだからね!」というところまでがセットである。
  8. 新聞のインタビューに応じた際「ご自身の棋士人生についてお聞かせください」と聞かれて「これといってお話しするようなことはないんですよ。僕は棋士になれただけで満足で…。」と大真面目に回答。
    • 当然記者は食い下がるが、さらに本人曰く「プロ棋士になるにはものすごいエネルギーが必要。だからプロになった時点でもう9割方満足、僕の半生はほぼ完結したんです。」とやはり本音だったらしい。

藤井猛

  1. 5chでは絶大な人気を誇り、関連スレの数では羽生善治に匹敵する。
    • 壮絶な逆転負けを喫することから5chでの通り名は「終盤のファンタジスタ」。
    • 勝勢から劣勢に転じる一手のことは「ファンタ」と呼ばれる。
  2. 将棋の解説で「よくわかんない」「なんとなく気持ち悪い」といった、テキトーな発言を連発。
  3. 定跡講座の最後の締めの言葉で「自分独自の手を自由に指せば良い」。定跡講座なのに……。
  4. いわゆる「画伯」で、中学校の美術の時間にモデルにした女子生徒に泣かれた事がある。
  5. 藤井聡太とは、藤井猛の方が当然先輩であるにも関わらず、同姓であることから間違われるので「元祖藤井」を名乗っている。
  6. マイナビが実施した「好きな棋士ランキング」で、羽生に次いで2位を獲得[4]
    • ただし同率2位で菅井竜也がいる。

丸山忠久

  1. 棋士仲間との付き合いがほぼ研究会のみで私生活は謎に包まれている。
    • 棋士仲間だけでなく、連盟職員もプライベートは知らないらしい。
  2. 口数が少なく、駒を指すときも音を立てないので「音無流」と呼ばれる。
  3. 優勢になってからも勝ちを急がず、相手の手を殺す方針を貫く。
    • 「激辛流」あるいは「友達を無くす戦い方」と言われる。
    • しかし相手の攻めをつぶすことに徹するあまり「攻めれば勝てる」局面をみすみす見逃し、負けてしまう事も。
  4. 対局時の食事も謎に包まれており、朝食に「ふぐちり鍋」、夕食に「ステーキ」を注文したことがある。
    • ちなみに対局時の夕食は、極度の緊張で軽いもので済ます棋士が多い。
  5. 対局中に頭頂部に「冷えピタ」を貼る。
    • 3枚貼ったこともあり、観戦したファンから「丸山さんの冷えピタが気になって対局に集中できない」と言われた。
  6. 突如アイドルと結婚して周囲驚愕。
  7. 対局中の食事のメニューやおやつが固定しており、しかも健啖家(大食い)。
    • お茶まで決まっており、あわせて「丸山定食」と呼ばれる。
      • 丸山が出前を頼むある店では、丸山が注文するメニュー(普通の唐揚げ定食に唐揚げ3個増量)を「丸山定食」と呼んでメニューに加えている。
    • おやつはカロリーメイトのチョコ味(4本入)。缶タイプも使う。
      • タイトル戦ではカロリーメイトが大量に用意されるが、それでも足りず、追加注文されることもあるほど。
      • その縁からカロリーメイトのCMに出ることになった[5]
  8. 三浦弘行が将棋ソフトの不正使用疑惑を受けたとき、疑惑をかけられた4局のうちの2局で対局者だった。
    • その疑惑を否定し「連盟の対応には賛同しかねる」。
    • コンピュータの棋譜との一致率を根拠とされた事については「コンピューターに支配されるなんてまっぴらごめんだ」と一貫して疑惑を否定した。

森内俊之

  1. 羽生世代で「羽生キラー」と呼ばれる羽生の最大のライバル。
    • 名人位をとったのは羽生より後だが、永世名人は先に取っている。
  2. クイズが趣味。
    • それが半端でなく、テレビのクイズ番組で優勝したことがある。
      • 賞品は「フランス旅行」だったが、名人戦の日程と重なっていて行けなかった。
    • 大学の学祭のクイズ研の大会に一版客として参加。ちゃっかり準優勝してママチャリをゲット。
  3. バックギャモンの世界大会に出場し、4位の記録を残している。
  4. 免許取りたての頃、谷川王将に挑戦する羽生善治(当時6冠)を応援するため、佐藤康光を連れて日光までドライブに行った。
    • 当人はいろは坂を越えて奥日光の会場まで行くつもりだったが、冬タイヤの装備なしということで身の危険を感じた佐藤康光に止められ、日光からタクシーで移動。
    • 対局終了後、用事があって早く帰る羽生を乗せ、首都高で恐怖のドライブ(車線を頻繁にかえる、周囲をトラックに囲まれるなど)を繰り広げた。
      • それが免許取って初めての夜間ドライブかつ高速道路走行だったことを知らされた羽生と佐藤康光は、家に帰るまで生きた心地がしなかった。
      • それ以降、羽生が森内の車に乗ったことはない。

牧野光則

  1. 四段昇段時に、昇段者が寄稿することになっている「将棋世界」誌に、なんと詩を寄稿。
    • 通常は謝辞及び挨拶や将棋観について寄稿する人が多いが、それらには一切触れず。
  2. 300手越えの長手数の対局を二度も経験している。
    • 2018年に中尾敏之と対局した時は負ければ引退に近づくという境遇の相手と戦後最長となる420手の末に持将棋(引き分け)となった。指し直し局では勝利。
  3. デビュー時と現在の容姿があまりにも違うため、ネットで「一体何があった?」と言われる。

三浦弘行

  1. お笑いコンビ・フットボールアワーの岩尾望に似ているというだけで、探偵!ナイトスクープの中で紹介されたことがある。
  2. 他人の結婚式に列席するも、ずっと詰将棋を解いていた。
  3. 空調の温度をめぐって加藤一二三と無言のバトル。両者とも一手ごとに温度を上げ下げ。
    • とにかく寒がりで、冬場の対局ではセーターとひざ掛けが必需品。
      • 冬の対局で、既にストーブが入っていたにも関わらず、もう一台ストーブを入れるように依頼し、相手に「暑い」と言われて下げられたことがある。
        • この時の対戦相手も加藤一二三。温度がらみでこの二者の相性は良くない。
  4. 対局時にはお湯の入った魔法瓶とインスタントコーヒーを持参し、将棋会館の湯飲みでコーヒーを入れて飲む。
  5. 対局の時に巾着袋からゼナを取り出し、対局相手を笑わせた。ちなみに相手は羽生善治。
  6. 解説者の仕事で、解説することを忘れて自分の世界に浸ってしまう。

宮田敦史

  1. ドラえもんに関する造詣が深く、同じくドラえもん通を自称する瀬川晶司と「ドラえもんクイズ対決」を行った事がある。
  2. 「太鼓の達人」の達人で、行きつけの店(もちろんゲーセン)ではマスターと呼ばれる。
  3. 詰将棋を説く能力に優れ、詰将棋解答選手権に5回優勝している(2018年現在)

山崎隆之

  1. 西の名門と言われる森信雄門下で、村山聖同様師匠の下で中学時代を過ごした。
    • しかし、山崎の「将棋しか考えていない態度」に森がキレ(阪神大震災で他の弟子が亡くなっている)、その後は広島に戻ることになった。
  2. 名人戦のテレビ中継で聞き手の矢内恵理子に「次がこの手でなかったら、矢内さんのこと諦めます」と告白した
    • 後に矢内が結婚した際、タイトル戦の前夜祭で「諦めます!」と花束を渡した。

渡辺明

  1. ニックネームが「魔太郎」。由来は藤子不二夫Aの漫画「魔太郎がくる!!」の主人公から。
    • ちなみに本人公認。
  2. 大の馬好き
    • 「自分にも周囲の人にも厳しいが、馬にはひたすら優しい」と言われる。
    • 将来の夢は「馬主になること」。
    • きっかけは「ダビスタ」で、本物の馬にも興味を持つようになったことから。
      • 小学生の頃、毎日曜、コンビニで競馬新聞を買っていた。
        • そのコンビニの店員からは「お父さんのお使い?えらいね~」と言われた。
  3. 現在の活躍の割に奨励会時代が長かったが、理由は「ダビスタ」と「パワプロ」に熱中しすぎたから。
    • 奨励会2級で足踏みしたが、本人は「マスコミに天才だと言われてマナーや態度を気にしなくなったから」と分析している。
    • プロ棋士の書いた本に「棋士に必要なのは、勉強・マナー・才能だ」に書いてあったのを見て、再度マナーや態度に気を付けるようになった結果、再び勝ちだしたらしい。
  4. 虫が大の苦手。
    • 虫に出くわすと第一人者の威厳は微塵もなくなるという。
    • 「地震、雷、虫、奥さんの中で最も怖い順番は?また対局に影響はありますか?」と聞かれて「虫 > 地震 > 雷 > 奥さん」。「虫は対局に影響がでる」らしい。
  5. 将棋界屈指のリア充で、19歳で結婚して20歳の時に子供ができた。
    • デキ婚で奥さんは4歳年上。これは奥さんの玉の輿狙いかも。
      • 結婚式、新婚旅行、婚約指輪、結婚指輪全部なし。若いのに入籍のみの超ジミ婚。
      • おまけに結婚記念日(入籍日)が2月29日なので、結婚記念日は4年に1度しか来ない。
        • ちなみにこれは偶然ではなく「結婚記念日を祝うのがめんどくさいから」。
    • 奥さんは後に旧姓名の伊奈めぐみ名義で漫画家デビュー。作品は「将棋の渡辺くん」。
      • タイトルからわかるように、ネタは他ならぬ渡辺明。
        • 内容はフィクションでなく、全て実話。他の棋士のエピソードも満載。
      • その中で「(賞金が高い)竜王戦に賭けている」と疑われているが、渡辺明本人は否定している。
      • 奥さんの絵では顔のパーツが極端に下に偏って描かれる。
    • 奥さんの兄はプロ棋士の伊奈祐介、その妻(義姉)は囲碁棋士の佃亜紀子。
    • 奥さんも面白い人で、NHKの「リソウの夫婦」への出演依頼があった際「うちは理想の夫婦ではないから」と断ろうとした。
      • 結局「リソウの夫婦」には出演したが、奥さんはブログで「結婚を、旦那は惰性、私は妥協だと思っています。」
  6. ニコ生の将棋の中継にこっそりコメントで参加し、自らが予測した手を解説者に否定されると、ムキになってその先の手を延々とコメントする。
  7. 蔵書は漫画が1200冊以上。一方で将棋関係の本は数えるほどしか持ってない。
    • 「人生の半分は漫画で学んだ」とは本人の弁。
      • 世界の事は「キャプテン翼」で、国内の事は桃鉄で学んだらしい。
    • 将棋の研究は、基本的にパソコンとネットで行っている。
  8. 徹底した合理主義者
    • 感覚派でなく、理論派で、対局の前には最近の流行や、相手の棋譜を徹底的に研究する。
    • 小学生の時「順調にいけば中学3年でプロになれるが、高校受験と重なって大変だから」と自ら考えて中高一貫校に進学。
      • 藤井聡太も同じような理由で中高一貫校に進んでいるが、これは藤井自身でなく、両親が考えたもの。
        • 中高一貫校出身の将棋棋士はかなり多い。
      • ちなみに兄弟子の宮田敦史と同じ学校を選んでいる。
    • 対局室に持ち込む時計は、腕時計でも懐中時計でもなく、デジタル電波時計。正確なのが気に入っているとか。
    • 対局の時は頻繁に靴の着脱を行うので、サイズが大きい靴を買う。
      • で靴売り場の店員とサイズを巡って毎回バトルを行っている。
    • 「対局中はおやつ位しか楽しみがない」と発言。
      • しかし食べにくかったり、着物が汚れるものは注文せず、かつ味がわかっているものを注文する。
        • 味がわかっているものを注文する理由は「期待して外れると対局に影響するから」。
    • 最も力が入る対戦は準決勝。理由は「準決勝に勝てば(決勝に負けても)名前が残るし賞金もでる」から。
    • 漫画家との対談があるときには数日掛けてその漫画家の作品を読んで「予習」する。
  9. 将棋ファンなら誰でも知っているが、一般の知名度は決して高くない。
    • 新幹線の移動などで将棋ファンからサインや写真をねだられるが……。
    • それを見た将棋ファンでない人たちは「芸能人がいるらしい」「佐野史郎似の人?」という反応。つまりわかってもらえない。
  10. 犬のぬいぐるみが好きで、自宅に100個以上持っている。
    • 個々のぬいぐるみに名前とキャラを付け、自分で声まであてる徹底ぶり。
    • それを知るファンから「スケートの羽生結弦選手のように、対局室に持って行かないんですか?」と聞かれて「汚れるから外には持っていかない」。
    • 一方、本物の犬は苦手。
      • 嫌いな理由は、子供の頃、犬に追いかけられて靴を持っていかれたから。
      • 棋士アンケートで「好きな動物」の欄に「犬のぬいぐるみ」と書こうとして奥さんに全力で止められ、結局強制的に「犬」に訂正された。
    • 本物の犬が苦手なのに「犬」と「犬のぬいぐるみ」の区別は怪しい。
      • 現在の奥さんと付き合っていた頃、渡辺が「犬を飼っている」と言ったが、それは「犬のぬいぐるみ」だった。
    • 同じくファンに「対局の朝、奥さんがぬいぐるみを持って家出したらどうしますか?」と聞かれて「仕方がないので対局に行き、そのあとぬいぐるみだけでも取り戻しに行きます」。
      • つまり優先順位は、対局 >> ぬいぐるみ > 奥さん。
    • 自宅の洗濯機が壊れた時、奥さんと共に家電量販店に行き、機種の選定で悩んでいたが…。
      • 店員に「この機種はぬいぐるみも洗えます」と言われて即決。
  11. 服には全く無頓着で自分で買ったことがなく、渡辺が20歳の時、それを聞いた中川大輔に「100万円持って新宿に来い」と呼び出され、スーツやカバンなど一式まとめて購入させられた。
    • 衣類系は一人で買い物に行けない。本人曰く「若者が多くて騒がしいところは苦手」。これを自分が20歳の頃から言っていたらしい。
    • 自分がかけているメガネのブランドを知らず、ネットでファンに教えてもらった。
  12. 中学生の頃、将棋の対局で足の肉離れを起こしたことがある。
    • 高校の運動会では、徒競走で腕がつった。
  13. 渡辺明の両親は穏やかで、渡辺いわく「叱られた事がない」「将棋も褒めて伸ばすタイプだった」。
    • が、渡辺自身は将棋で自分の息子に強くあたってしまい、息子さんは将棋嫌いに。
  14. 息子さんがサッカーをしており、保護者には持ち回りで世話役が回ってくるため、サッカー公式審判員4級の資格を持っている。
    • 審判の道具はレンタル可だが、渡辺にしては珍しく、自分で一式購入。
    • 2017年に更新を忘れて失効。
  15. 竜王戦の防衛戦で3連敗の後4連勝で勝ち「3連敗の後4連勝で勝った棋士はいない」という七不思議を達成して消した。この時の相手は羽生善治。
    • さらに「勝った方が初代永世竜王」のかかった一戦でもあった。
  16. 羽生善治を強く意識している。
    • 自宅近所の公園で羽生の声が聞こえたので「え?こんな所に羽生さん!」と驚いたら羽生が声をあてたゲームを子供がプレイしていた。
    • タイトル獲得通算20期達成を祝われたが「5倍の人(羽生)もいるので」と発言
  17. モーニング娘。のファンで、特に石川梨華推しだった。
    • 「若者が多くて騒がしいところは苦手」の割にコンサートには行けたらしい。
  18. 正月には、奥さんと兄・義姉の4人で大富豪をするのが恒例。
    • 4日で297回するとか。
    • 同じ棋士の伊奈祐介とは大富豪の感想戦もする。

元棋士

  • 引退した棋士、物故者。

大山康晴

  1. 中原誠らと並んで羽生善治以前の世代の代表格。
  2. 大の麻雀好き。タイトル戦の対局中にも記者室に顔を出し「君たち、仕事(麻雀)しなさい」というのが常だった。
    • 2日間の対局の場合は、将棋の勝負が終わってから自らも参加。
  3. 大変な負けず嫌いで、歩いている時、他人に抜かれると悔しがって抜き返したほど。
  4. 将棋4コマ漫画でギャグのネタに使われたが、その漫画の作者いわく「(実際の)大山は将棋しか考えない鉄人だった」と証言している。
  5. 棋士の間では「盤外戦の名人」としても有名で、既に自らの勝ちが見えた勝負でも、わざと遠回しに指して相手に精神的ダメージを与えた。
    • 特に若手有望株に対して使い、自分の第一人者としての地位を守ろうとした。
    • 羽生善治とも対戦し、大山はこの手を使おうとしたが、羽生は負けを見越して早々に投了して通じなかった。
    • 最たるものは1972年の「福田家事件」(福田家は対局場となった旅館)。
      • 内藤國雄棋聖に対し、大山は挑戦者であるにも関わらず、対局前日、内藤がまだ到着していなかった(※遅れることは事前連絡あり)のに「時間になったから宴会を始めよう」と言い出し、周りも大山の言う事に従わざるをず、宴会を行った。
      • 内藤が到着したときには宴会は終わっており、それを見た内藤は激怒。そのまま銀座で大酒をあおり、内藤は翌日の対局でも負けた。
      • さらにこれ以降実に10年にわたって内藤は順位戦で大山に勝てず、カモにされていた。なぜかと言えば、大山はその後も内藤との対戦では……
        • 対局中に「内藤さん、テレビに出ると、いくらもらえるの?」「封じ手を2時過ぎにやって、すぐ麻雀にしよう」「福田家には、お手つきの仲居さんがいたしね」と内藤の神経を逆なでしていた。
      • 内藤國雄の、対大山の対戦成績は18勝50敗(勝率.265)で終生苦手にしていた。
    • 真剣師(賭け勝負師)出身の花村元司には、自分が勝った後に「あんたは所詮素人だもんね」。
    • 対局中の雑談は、現在では当然のマナーとして行われないが、大山はこの雑談で相手を怒らせては正常な思考を奪っていた。
    • いくら盤外戦でもここまで徹底するのは珍しく「どんな手を使っても勝つ」という大山の哲学が垣間見える。
    • ちなみに盤外戦は、最近では流行らないらしい。
      • 相手の側に回って将棋盤を眺めるのも元々は盤外戦術の一つだが加藤一二三の「ひふみんアイ」は盤外戦術とは考えられていない。
  6. コンピューター将棋がまだ使い物にならなかった頃から「コンピューターの方が強いに決まってるじゃないか」と未来を予期していた。
    • 「コンピュータに将棋なんか教えちゃいけないよ。ろくなことにならないから」とも発言。
    • 現代将棋では羽生善治や渡辺明などの超一流棋士でもコンピューターで棋力を磨くのが常識だが、大山が今生きていたらどういうのだろうか?

加藤一二三

  1. ご存じ「ひふみん」。
    • 同じ愛称を持つアニメキャラが同時期に話題になったのをTwitterでネタにされてたら、本人にも捕捉されてしまった。
  2. 藤井聡太のプロデビュー戦で対局、それに負けて引退したが、おかげで将棋を知らない人たちにも有名になった。
    • そのため、藤井聡太に会うたびごとに「(有名にしてくれて)ありがとう」。
  3. でもそこは勝負師。身内では「僕には藤井聡太でも破れない記録があるんだよ」と自慢している記録があるらしい。
    • 残念ながらそれが何の記録だったかは失念。
      • 順位戦A級昇格の最年少記録らしい。
        • それは藤井聡太も可能性があるので最年少五段記録かも。これならもう結果が出てるので藤井は達成不可能。
  4. 大の猫好き。
    • 外で猫を見かけると「ハロー」と手を上げて挨拶。続けて「君達も、将棋に興味があるのかい?」
    • 野良猫にエサを与え続けた結果、猫が増えてご近所トラブルに。
  5. 現在のひふみんキャラからは想像もつかないが、デビュー当時は「神武以来の天才」と騒がれた。
    • 加藤が11歳の時、関西将棋会館で板谷四郎に指導対局を受けていた際、たまた通りかかった升田幸三が一目で加藤の才能を見抜いた。
      • 天才が天才を知る、ということらしい。
  6. 上記の大山康晴に匹敵する、盤外戦術の帝王。
    • 「盤外であろうと、主張すべき事は決して譲らない」とか。
      • 盤外戦術というよりこの人の場合、素でやってる事が相手に嫌がられているだけだと思う。
  7. 敬虔なクリスチャンであり、賞金の多くをキリスト教に寄付。
    • 聖シルベストロ教皇騎士団勲章を授与されている。
      • ただしどの程度すごいのかはチャクウィキでは判断できない。
  8. 引退後も2018年現在、公式戦における対局数(2,505)及び敗北数(1,180)で一位を保持している。
    • 勝利数は三位(1,324)。
      • 一位は大山康晴(1,433)、二位は羽生善治(1,400・更新中)

神吉宏充

  • かんき ひろみつ
  1. 師匠の内藤國雄とともにタレント棋士のはしり。
    • 関西では「将棋の強いお笑い芸人」と思われている。
    • NHKに将棋番組の企画を持ち込み、「大逆転将棋」という特番の司会を(引退後も)つとめている。
      • 一時期中断されていたが、昨今の将棋ブームで2018年正月特番として復活。
  2. 奨励会に入る前は普通の会社員だったという棋士としては異色の経歴を持つ。
  3. YouTubeに「神吉宏充の最高!エンタメ将棋」というチャンネルを持つユーチューバーでもある[6]
    • でもチャンネル登録者が147人(執筆時点)というのは何かのギャグか?
    • あとゲストが偏りすぎ。北浜健介とか北浜健介とか北浜健介とか。

桐谷広人

  1. 財テク棋士。
    • 証券会社に対局指導に行き、株式投資を覚えた。
  2. 衣服や靴、日用品などもすべて株主優待品。現金を使うのはマンションの家賃と光熱費くらい。
    • 元々は普通にお金を払って生活していたが、リーマンショックで株式が暴落したため、配当なども減り、お金をつかえなくなった。
  3. 年間140本もの新作映画を観るという映画通。
    • テレビ番組で映画の試写会に訪れた際、ジョニー・デップに映画の感想を直接伝えるという離れ業を演じた。
    • 映画鑑賞も、もちろん株主優待。
  4. 実は升田幸三の弟子で唯一棋士になった人物である。

芹沢博文

  1. 元祖マルチタレント棋士。文化人タレントのはしりでもある。
    • 肩書は、棋士以外にタレント、俳優、歌手、エッセイストなど。
    • 将棋では勝数既定で九段になったが、A級在籍は2期にとどまり、八大タイトルは最後まで獲れなかった。
      • 室内ゲームには全般にわたって強く、特に麻雀は、棋界内で愛好家が多いにもかかわらず、一・二を争う実力だった
    • 将棋しろ!
  2. 将棋の普及にも尽力し、全国各地で今も開催される「将棋まつり」は芹沢の発案。
  3. 1982年、当時C級2組で全敗しても降格することがなかったため、猛烈に抗議した。
    • いわく「競争原理が働くはずのプロが、全敗でクラスも落ちず、給料を貰えるのはおかしい」
      • 1986年にC級2組からの降級が復活。
    • なお今は縮小されているが、棋士には連盟から、活動やクラスに応じた給与が支給される。
      • タイトル料はもちろん、対局料、原稿料、取材、解説。対局指導などなど、およそ棋士の活動の全て。
        • 何もしていなくてももらえる「謎の給料」もあるらしい。というか以前はこれが多かった。
          • 芹沢の指摘は主にこれと思われる。
  4. 当時の第一人者の大山康晴を著書で度々批判。
    • 当の大山は、当然激怒したが「将棋界に役に立つ男」としては芹沢を認めていたという。
  5. クイズダービーに弟弟子の中原誠が出演した際、司会の大橋巨泉が「中原君」と呼んだ事に激怒。
    • 以後、大橋巨泉を著書で攻撃。
    • また「はらたいらに答えを教えている」と暴露して名誉棄損で訴訟になりかけた。
      • これは、後にはらたいらが、間違って次の問題の答えを書いたことで芹沢の主張が正しかった事が証明された。
  6. 姉弟子の蛸島彰子女流名人(当時)が時代劇「新・必殺仕置人」に出演したとき、殺されてコモ(むしろ)を被せられる役だったことにも猛反発。
    • 「女流とはいえ名人、それがコモかぶりでは将棋のタメにならない」と抗議し、結局このシーンはお蔵入りとなった。
  7. トラブルには事欠かなかったため、次第に周囲から敬遠されるように。
    • とどめは板谷四郎の「芹沢、お前の最近の態度は何だ。ほかでチャラチャラ稼ぐから将棋がおろそかになるのだ」。
  8. 若い頃は将棋の自信にあふれていたが、中原誠や米長邦雄に抜き去られたと感じ「前に2頭いれば連対できない(※競馬用語:「1位にも2位にもなれない」の意味)」と自信を無くしていた。
    • 結果、朝から酒をあおる生活となり、1987年に肝不全で死去。享年51歳。現役のままこの世を去った。
    • だから将棋しろってば!

内藤國雄

  1. 一般的には将棋棋士としてより歌手としての方が有名。
    • 若いころカラオケで歌っている声を聴いた流しのボスが歌手としてスカウトした。
    • 代表曲「おゆき」はミリオンを達成している。

升田幸三

  1. 間違いなく伝説の棋士の一人。
  2. 将棋界の革命児で、次々と新手を編み出し「将棋と言う競技に寿命があるなら、その寿命を300年縮めた」と言われる。
    • 現在でも将棋の新戦術を編み出した棋士に「将棋世界」から送られる「升田幸三賞」にその名をとどめている。
  3. 将棋の実力はもちろん、その豪放磊落な性格と放言癖は、数々の伝説を残している。
    • 故郷を発つとき「この幸三、名人に香車を引いて…(勝つ)」と書きおいて、後に王将戦で大山康晴名人(当時)に対し、実際に香落ちで勝って現実のものとした。
  4. ヘビースモーカーで、一日に200本吸ったと言われる。酒豪でもあった。
    • 谷川浩司に対して「自分は5歳のときから酒を飲んでいたので記憶力が減退してしまった。酒は控えなさい」。
  5. ギャンブルは一通り験してみた結果「運に左右されるものは勝負じゃない」とその後はやらなかった。
  6. 戦後GHQが「将棋は捕虜(取った駒)を再び使うから捕虜虐待につながる」という理由で廃止しようとしていたところ。
    • 「将棋は人材を有効に活用する合理的なゲームである。チェスは取った駒を殺すが、これこそ捕虜の虐待ではないか。」
    • 「キングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げるが、これは貴殿の民主主義やレディーファーストの思想に反するではないか」
      • これを延々と5時間に渡って話続け、将棋の廃止は免れた。
  7. 全日本選手権戦(竜王戦の前身)で木村義雄名人(当時)と対局した際
    • 升田「名人など所詮はゴミのようなもの」
    • 木村「じゃあ君は一体なんだ?」
    • 升田「ゴミにたかるハエだな」
    • 木村「では名人に挑戦くらいしてはどうかね?」
      • 升田は後に実際に名人のタイトルを獲得している。
  8. 塚田正夫とは仲がよかったが、あるとき升田が「俺は太陽で、あんたは月だ」と言うと、塚田も頭にきて反論、太陽だ、月だ、と言いあった。
  9. 名人獲得は2期で永世名人資格を持っていないが、将棋界における貢献から「第4代実力制名人」の称号が贈られている。
    • 永世名人(含・有資格者)以外でこの称号を持つのは、升田以外では塚田正夫(第2代実力制名人)のみ。
    • 升田と塚田は親友同士で、実力制名人の称号も升田と塚田同時に贈られている。
  10. 羽生善治が「将棋を指したい相手は?」と聞かれて「升田幸三」と回答。
    • 羽生善治がデビューしたとき、升田は存命中であったが、囲碁は指したが将棋は指さなかった。
      • どうして棋士同士でわざわざ囲碁を指すのか?

村山聖

  • むらやま さとし
  1. 29歳でこの世を去った、悲劇の天才棋士。
    • 5歳で腎臓の難病(ネフローゼ症候群)を発症、いったん普通の小学校に進むも、その後は病院内学級と養護学校で過ごす。
    • 当時から「いつ死んでもおかしくない」状態だった。
  2. 将棋を覚えたのも病院内で、それに没頭するように。
  3. 1981年、中学一年で「谷川浩司を倒したい」という動機でプロ棋士を目指すようになる。
    • 両親が師匠探しに苦心した挙句、森信雄に弟子入り。
  4. 1982年、奨励会に合格するが、師匠がバッティングしており、もう一方の師匠の反対で入会取り消しに。
    • 1983年再受験して5級で入会。
      • 1986年11月5日、17歳の時に四段に昇格してプロデビュー。奨励会在籍2年11か月は、現在(2018年5月)に至るまで奨励会最速通過記録。
  5. 度重なる体調悪化に悩まされる。
    • 村山自身が「(体温が)40度になったら死にます」と言い、実際には40度を超えていても師匠の森は「まだ40度は超えてない。大丈夫や。」といって励ました。
    • 少女漫画が好きだったが、体調のために自分では買いに行けず、師匠が買いに走っていた。
      • 師匠はどこに売っているかもわからない少女漫画を探してあちこちの書店を巡ったという。
    • 蔵書は少女漫画3000冊。同じ本を「読む分、書棚に飾る分、保存する分」3冊買った。
  6. ニックネームは「怪童丸」
    • 村山は「爪や髪の毛にも命がある」として切らず、病気のための浮腫(むくみ)もあって独特の風貌になっていた。
    • 理由は不明だが、歯も磨かなかったようで周囲からは「不潔」と言われた。
  7. 終盤に抜群に強く「終盤は村山に聞け」と言われた。
    • A級順位戦の対局を関西将棋会館の控え室で観戦していたところ、内藤國雄が「詰んどる」と言ったので、一同で詰みを探したが……。
      • 村山は「詰まない」と言っており、事実その通りだった。
  8. 20歳前に「名人になって早く将棋を辞めたい」と発言。
    • 自分の命が限られている事がわかっていた事と、病気で苦しみながら将棋を指していたがゆえんの発言。
  9. 「東の羽生、西の村山」と言われた。
    • 文字通り「命を懸けて将棋を指して」いたため、将棋は滅法強かった。
      • しかも村山は体調の関係で対局に行けない事もしばしばであった。
  10. 羽生善治とは実力伯仲だった。
    • 最初の対戦で、羽生は村山の指し手と病状に関し「こんなのが最初の作戦で大丈夫?」と二重の意味で思ったが
      • 「そんな状態で、指す将棋がとんでもない冴えと切れ味。その二面性に、棋士の中でも異質なタイプなんだなとしみじみと思っていました」
    • 1997年2月28日に竜王戦1組の1回戦で羽生と対戦して勝ち、通算対戦成績を6勝6敗のタイに。
    • しかしこの頃から体調がますます悪化し始める。
  11. 晩年は膀胱がん発症。
    • 1997年頃に膀胱がんが見つかり、8時間半の手術を受けて復帰。
    • ただし放射線治療と抗がん剤治療は「対局に影響がでる」と拒否した。
    • 同年のNHK杯の決勝で羽生と対戦するが、優勢に進めていたにも関わらず、自らのポカで負けて対戦成績を6勝7敗とした。
      • 結果的にこれが対羽生善治の生涯対戦成績となった。ただしこの後は羽生以外の棋士を相手に公式戦で5連勝を挙げる。
  12. 1998年春、癌の再発・転移が見つかり、「1年間休戦し療養に専念」する。29歳。
    • 1998年8月8日逝去。享年29歳。翌日九段追贈。
  13. 村山が最後に会った棋士は、羽生善治。
    • 村山は当時、最後の病気療養のために地元・広島の病院にいた。
      • 羽生が仕事で広島に来ていることを聞きつけた村山が父親に頼み、会場まで連れて行ってもらった。
      • 村山は、もうすでに危険な状態であったが、病気の事は周囲には隠しており、羽生も知らなかった。
  14. 目指した名人はおろか、八大タイトルの獲得はついにかなわず、一般タイトルの獲得も2つにとどまった。
  15. 生涯成績は356勝201敗(うち不戦敗12) 勝率0.639。

米長邦雄

  1. 2012年に69歳で亡くなったのが惜しまれるエピソード満載の棋士。
    • この没年齢の数字すら、氏ならではのギャグに見えてしまう。
  2. 本人はプロ志望ではなかったが、師匠の方からスカウトされた。
    • この時、師匠が両親に言ったセリフ。
    • 「息子さんは名人にはなれないかもしれないが、八段にはなれます。」
    • なお米長は九段になって名人位も獲得している。
  3. 女子小学生の内弟子(林葉直子)を取った事があり、そのまま「りゅうおうのおしごと!」の設定のネタにされた。
  4. 升田幸三に可愛がられたが、升田には「麦長くん」と呼ばれていた。
  5. 兄が3人いるが、3人とも東大に進んでいる。
    • 「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」と発言した(と言われている)。
      • このエピソードは、同じく兄が東大に進んだ谷川浩司の発言として語られることもある。
  6. 「あなたのストレス解消法は」と質問されて「口に出すわけにはいかない」。
    • 「可能ならばやってみたいスポーツは」と訊かれて「段違い平行棒」。
  7. 42歳の時にヌード写真を雑誌で掲載。
    • 需要のほどは不明だが、確かに話題はさらった。
    • 撮影場所は鳥取砂丘
  8. 女性関係でもめ事があると、桐谷広人(上述)に解決させ、脅迫文の代筆までさせていた。
  9. 1996年、「コンピュータがプロを負かす日は? 来るとしたらいつ」というアンケートに「永遠になし」と回答。
    • それから16年後の2012年、米長はボンクラーズに敗れている。
  10. 十段戦(竜王戦の前身)で福崎文吾に敗れた際、その福崎に「おめでとう」と言って自ら花束贈呈。
  11. 政治的立場は保守派であるが、日本共産党が若手登竜門のタイトル(新人王戦)を主宰しているため「政党で真っ先にいちばん感謝しなければならないのは日本共産党」と発言。
  12. 囲碁がめっぽう強く、将棋棋士なのに「碁敵が泣いて口惜しがる本 “将棋”の天才が発見した囲碁必勝の秘訣」という本を書いている。
    • 囲碁は八段(追贈)
  13. 末期は前立腺がんにかかったが、その際には「癌ノート ~米長流 前立腺癌への最善手~」という本を書いている。

女流棋士

  • 現役・引退を問わない。ただし数が増えたら分離検討

安食総子

  • あじき ふさこ
  1. ニコ生やAbemaTVでの聞き手によく出てくる。
    • ほんわかした雰囲気とアニメ声に定評がある。
  2. かつては「妖精を見たことがある」など不思議ちゃん発言を繰り返していた。

香川愛生

  • かがわ まなお
  1. 15歳で女流棋士となった。
    • 高校生の頃はメガネにショートカットだったが、立命館大学入学後にイメチェン。
    • 雑誌グラビアなどでは「将棋界のあやや」と呼ばれる。
      • しかし、ニックネームは「番長」
  2. 女流王将を2期獲得。
    • 2期目の防衛戦2局目と3局目の間に、竜王戦第1局をハワイで行う糸谷哲郎を応援するために他の関西所属棋士とともにハワイへ向かった。
      • 日本周辺では台風が猛威を振るっており帰国が危ぶまれたが、無事第3局に間に合い、防衛を果たした。
  3. 上記のようなこともあり、糸谷哲郎とコンビ扱いされることが多い。
    • そのトークは「番長と徒弟」「夫婦漫才」と呼ばれる。

竹俣紅

  • たけまた べに
  1. 女流の中でも下位段者(女流初段)ながら、メディアへの露出が多く、知名度が高い。
    • 芸能プロダクションと契約している。
  2. 早稲田大学に通う、現役のJD(2018年現在)。
  3. 趣味が盆栽。
    • 「盆栽世界」の連載も持っている。

林葉直子

  1. 女流棋士の認知度を高めた功労者。アイドル女流棋士の先駆け。
  2. 小学生でプロ棋士(米長邦雄)に内弟子入りし、中学生で女流王将を奪取して話題を呼んだ。
    • その後女流王将で10連覇。女流では無敵の強さを誇った。
  3. 男性プロ棋士との対局で、おそらく最初に勝ったのもこの人(非公式戦)。
  4. 対局時の服装はセーラー服で、これも話題をさらった理由の一つ。
  5. プロ棋士と不倫した挙句、関係が悪化すると、その相手からストーカー行為を受け、さらに相手から「不倫の事実をマスコミにばらす」と脅迫を受けた。
    • その相手は名誉名人位まで獲得した第一人者。詳しくはネットで。
  6. 親も親で生活を、娘の林葉の収入に頼る状態になっていたため、精神的に追い詰められて奇行に走るようになり「プッツン棋士」とまで言われた。
  7. リアル雛鶴あい

アマチュア棋士

小池重明

  • こいけ じゅうめい
  1. 人生がそのままドラマか映画にできそうな波乱万丈の人生を歩んだ伝説の天才棋士(真剣師<賭け将棋師>)。
    • 執筆時点(2018年6月)で映画やドラマにはなっていないが、小池の事は何度か書籍化されている。
    • 真剣師はプロと言えなくもないが、この項目でのプロ棋士の定義は「将棋連盟が認めたプロ棋士」なのでアマチュア棋士に入れる。
  2. まず両親からしてすごい。
    • 父親 - 定職は持たず、傷痍軍人のふりをして街頭で物乞いし、その金で博打を打っていた。
      • その父親から「男なら博打の一つも憶えておけ」と言われて将棋を始める。
    • 母親 - 娼婦。しかも「職場」は自宅。
  3. 「将棋で生計を立てたい」と高校を中退して名古屋から上京。
    • 当初はまっとうにプロ棋士を目指していた。
    • 上野にある将棋センターの住み込み従業員として働きながら、プロ棋士になるために将棋の腕を磨く。
    • 22歳の頃にプロを目指して松田茂役に弟子入り。
      • ここら辺まではギリギリまともなのだが……。
  4. 素行が悪化。
    • 夜遊びを覚え、キャバレーのホステスに入れあげた挙句、勤務先の金を着服して解雇されると同時に松田にも破門を食らう。
  5. 一旦名古屋に戻る。
    • プロ棋士をあきらめた小池は名古屋に戻り、葬祭業を営む会社にアルバイトとして勤務。
      • この頃結婚。
  6. 再上京、真剣師へ。
    • トラック運転手として運送会社に勤務、真面目に勤める。
    • 初めてもうけた子供が出産後数日で亡くなり、その精神的ショックから会社を辞めて賭け将棋にのめりこむように。
    • 新宿の将棋道場で、賭け将棋で連戦連勝、間もなくして「新宿の殺し屋」の異名を持つ凄腕の真剣師となる。
    • 「日本一の真剣師」の座を賭けて、当時日本最強の真剣師と評されていた大阪の加賀敬治と対戦して2日間で7勝7敗と譲らず、加賀に「もう一度やったら勝てる自信がない」と言わせた。
    • しかし私生活では夫人と離婚、酒におぼれるすさんだ生活を送るようになる。
  7. アマチュア将棋界へ。
    • 知人から「賭け将棋ではないが、勝てば賞金が出る」と言われてアマチュア大会に出場、
    • 1980年から2年連続アマ名人のタイトルを獲得。
    • プロとの対局でも好成績を挙げて、プロ編入の話が出るようになる。
  8. プロ棋士編入申請却下。
    • 皮肉な事に有名になったために、過去の女性関係や、横領などの行為が問題視され、編入の話は将棋連盟から却下された。
    • プロ入りを熱望していた小池は大きなショックを受け、およそ2年の間将棋界から身を退き、肉体労働などで生計を立てていた。
      • さらに皮肉な事に、真剣師としては有名になりすぎたために、相手がおらず、かつ小池が現れると借金取りやヤ◯ザが押し掛けてくるために、道場によっては出禁となった。