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{{Pathnav|もしあの県が存続していたら|name=分裂したままだったら}} | |||
== | ==独立項目== | ||
*[[もし北海道がいくつかの県に分かれていたら#三県一局時代が続いていたら]] | |||
*[[もし摂津と播磨が別の県だったら]] | |||
# | |||
== | ==青森県== | ||
#弘前県も含めて小さい県ばかり。 | |||
===弘前県=== | |||
* | *[[もし弘前県が存続していたら]] | ||
===八戸県=== | |||
* | *[[もしあの県が存続していたら/東北#八戸県]] | ||
===黒石県=== | |||
*現在の[[青森/津軽#黒石市の噂|黒石市]]周辺 | |||
* | #当然県庁所在地は黒石市。 | ||
#[[青森市]][[弘前市]][[八戸市]]につぐ、人口10万位の都市になっていただろうか。 | |||
===斗南県=== | |||
*現在の青森県東部 | |||
* | #徹底的に明治政府から冷遇された。 | ||
#鉄道はおろか国道も通らなかった。 | |||
#*新幹線も含め[[東北自動車道]]のルートで建設された。 | |||
* | ===七戸県=== | ||
*現在の[[青森/南部#七戸町の噂|七戸町]]周辺 | |||
#七戸が町のままということはあるまい。 | |||
#どこかで市制施行していた。 | |||
* | |||
==山形県== | |||
* | #旧山形県は[[仙台市|仙台]]志向、鶴岡県は[[新潟]]志向、置賜県は[[福島]]・[[東京]]のほうを向いて、バラバラ。 | ||
* | #[[日本の河川#最上川|最上川]]の水利権を巡って県同士で争っている。 | ||
** | ===鶴岡県=== | ||
* | *[[もしあの県が存続していたら/東北#鶴岡県]] | ||
* | ===旧山形県=== | ||
** | *現在の山形県[[山形/村山|村山地方]]・[[山形/最上|最上地方]] | ||
* | #[[山形市]]の求心力が実際より低い。 | ||
#[[山形新幹線]]も開業せず。 | |||
===置賜県=== | |||
*現在の山形県[[山形/置賜|置賜地方]] | |||
#実史より[[米沢市|米沢]]は発展していた。 | |||
#[[東日本高速道路#山形自動車道|山形自動車道]]とは別に、福島から米沢自動車道が開通していた。 | |||
#教育にも力を入れた米沢藩の精神を受け継ぎ、山形・[[鶴岡市|鶴岡]]よりもはやく高等教育機関ができた。 | |||
==福島県== | |||
#東北第2の都市は[[盛岡市|盛岡]]。 | |||
#やはり福島県内で[[福島vs郡山]]が勃発。 | |||
#県内人口が少ないためテレビ局は4局そろわない。旧福島県では民報系・民友系・朝日系の3局だが福島市民はケーブルテレビで仙台のテレビ局も視てる。 | |||
#*多くても旧福島県人口115万程度で3局の大分県と同じくらい。若松県白河県はそれ以下。 | |||
===旧福島県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら/東北#旧福島県]] | |||
===磐前県=== | |||
*[[もし磐前県が存続していたら]] | |||
===若松県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら/東北#若松県]] | |||
===白河県=== | |||
*現在の福島県南東部 | |||
#中通りという地域区分は存在しない。 | |||
#白河県にも1校くらい大学が出来ていた。 | |||
==茨城県== | |||
#戦時中の常総鉄道(印旛県)と[[関東鉄道#筑波鉄道の噂|筑波鉄道]](新治県)の合併はない。 | |||
#[[小美玉市#玉里|玉里村]]は新治県だったので、[[小美玉市]]も誕生しなかった。 | |||
#下妻無尽は「つくば銀行」なんて名乗らず、新治県土浦市の関東銀行とも合併しなかった。 | |||
===旧茨城県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら/関東#旧茨城県]] | |||
===新治県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら/関東#新治県]] | |||
===印旛県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら/関東#印旛県]] | |||
==栃木県== | |||
#戦時中に栃木県内のバス事業者は関東自動車、宇都宮県内のバス事業者は東野交通に整理されていた。 | |||
#宇都宮県には宇都宮FMが開局するも、両県の規模・財政力が現実の栃木県から半減しているため、NACK5や群馬テレビが視聴可能な旧栃木県に放送局は開局せず、宇都宮県にもAMラジオ局やテレビ局は開局しない。 | |||
===旧栃木県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら/関東#旧栃木県]] | |||
===宇都宮県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら/関東#宇都宮県]] | |||
==埼玉県== | |||
#西武資本のNACK5は入間県の県域FM局。旧埼玉県は県域ラジオ空白県。 | |||
#*最初から送信所が飯盛峠。 | |||
#**対抗して埼玉県域の[[テレビ埼玉#テレビ埼玉(テレ玉)の噂|テレ玉]]も出力増強で入間県でも視聴可能に。 | |||
#埼玉銀行は誕生せず。戦時中に入間県内の銀行は川越の八十五銀行に、旧埼玉県の銀行は武州銀行にそれぞれ統合。有力地銀として都市銀行間の合併には加わらない。 | |||
#*協和銀行は直接、大和銀行と合併してりそな銀行となっていた。 | |||
===旧埼玉県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら/関東#旧埼玉県]] | |||
===入間県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら/関東#入間県]] | |||
==千葉県== | |||
#[[千葉市/緑区#土気|土気町]]は[[千葉市/緑区|千葉市]]に編入されず、[[大網白里市|大網白里]]と合併していた。大網白里は昭和のうちに市に移行していた。 | |||
#[[千葉/外房#横芝光町の噂|横芝光町]]は誕生しない。 | |||
#*それぞれ[[山武市|山武]]、[[千葉/東総#匝瑳市の噂|匝瑳]]に吸収されていた。 | |||
#[[成田市#下総|下総町]]と[[成田市#大栄|大栄町]]は[[成田市]]にならず、[[香取市]]になっていた。。 | |||
#「[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]]」の後ろに千葉はつかない。 | |||
#*[[千葉市|千葉市民]]は他県ではあるが隣の市のジェフのサポーターと、県内だが遠方の[[柏レイソル|レイソル]]のサポーターとで半分ずつ。 | |||
#**千葉市は県庁は置かれず、印旛県の端の一地方都市。 | |||
#***印旛県内での序列は県庁所在地([[佐倉市|佐倉]],[[流山市|流山]],[[市川市|市川]])=[[松戸市|松戸]]=[[柏市|柏]]=[[船橋市|船橋]]>[[習志野市|習志野]][[千葉市/花見川区#幕張の噂|幕]][[千葉市/美浜区#幕張新都心の噂|張]]=成田の下、県内序列9位。特に名所名物のない千葉市に対しての[[東京ディズニーランド]]開業後の[[浦安市|浦安]]の成長、県庁所在地[[木更津市|木更津]]、新治県序列2位の[[銚子市|銚子]]も含めれば現千葉県都市の中では上位十位にも入れない零落ぶりである。 | |||
===新治県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら/関東#新治県]] | |||
===印旛県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら/関東#印旛県]] | |||
===木更津県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら/関東#木更津県]] | |||
==新潟県== | |||
*1873年6月10日にそれまでの新潟県と柏崎県が合併して発足。 | |||
#[[新潟市]]の政令指定都市化は数年遅れていた。 | |||
#*下手すると現時点で良くて中核市 | |||
#*新潟市は政令指定都市になっていない。又、新潟市の人口や求心力は、[[秋田市|秋田]]や[[郡山市|郡山]]と同じ規模。 | |||
#アルビレックス新潟のサポーターが半減している(涙 | |||
#*[[福島/会津|会津]]や[[山形/庄内|庄内]]がアルビレックス新潟の地盤になっている。 | |||
#*モンテディオ山形vsベガルタ仙台の対戦カードは、「東北ダービー」じゃなくて「蔵王ダービー」と呼ばれている。 | |||
#*地域リーグのプロサッカーチームとして、柏崎を本拠地とする「柏崎カメリア」(チーム名は県花の椿に由来)が存在する。 | |||
#**この柏崎カメリアと長岡ビルボードFCが、柏崎県のサッカー界を代表するチームになっている。 | |||
#**寧ろFCビルボードが平山征夫・柏崎県知事の肝煎りで強化されて、1999年にJ2入りを果たしていた。本拠地も、長岡ではなく柏崎になっていた。 | |||
#***チーム名は、「柏崎ビルボード」のままか、こちらが「アルビレックス柏崎」に改名した(「ブランメル仙台」が「ベガルタ仙台」に改名してユニフォーム色も変えたのと同じパターン)かの、どれかになっていた。 | |||
#*デンカの工場は柏崎県の糸魚川に所在する為、ビッグスワンは「デンカビッグスワンスタジアム」を称していない。 | |||
#*[[新潟/中越|中越]]と[[新潟/下越|下越]]が別の県になる為、下越には肝煎りがおらず、新潟イレブンSC(史実でのアルビレックス新潟の前身)の強化と改名は、史実(1996年)よりもっと晩くなっていた。 | |||
#**新潟イレブンSCの後身が所属する地域リーグも、北陸信越リーグではなく、東北リーグになっていた。 | |||
#田中角栄の選挙区([[新潟/中越|中越]])が別の県になるため、[[上越新幹線]]と[[北陸自動車道]]は[[新潟市|新潟]]まで乗り入れしていない。 | |||
#*[[国道7号]]と[[国道8号]]の始点は、長岡か柏崎になっている。 | |||
#*国道7号に相当する鉄道路線の名称は、「羽越本線」ではなく「出羽本線」になっていたかも。 | |||
#*[[羽越本線]](or出羽本線)は、長岡か柏崎が始点で、青森が終点になっていた。 | |||
#*新潟は開港地なので信越本線は史実通り。 | |||
#柏崎県は「北陸地方○○局」の管内に、新潟県は「東北地方○○局」の管内に編入される。 | |||
#佐渡はどっちだ? | |||
#*柏崎県になった場合は、柏崎側に空港がないので佐渡空港もなし。 | |||
#**そのかわり柏崎港から佐渡への航路が誕生。 | |||
#*旧新潟県側になった場合は直江津便が少なくなるくらいで特に変化はない。 | |||
#*あるいは相川県存続の可能性も。 | |||
===旧新潟県=== | |||
*1873年6月10日以前の新潟県。現在の[[新潟/下越|下越地方]]。 | |||
#新潟県は名実ともに[[東北]]の一員に。 | |||
#*霞ヶ関や民間企業やインターハイなどでも、「東北地方○○局」「東北地区」のエリアに入れられている。 | |||
#*[[福島/会津|会津]]と[[山形/庄内|庄内]]との交流が、現実以上に親密になっている。 | |||
#**会津と庄内は、ローカルニュースや交通情報で下越の情報を聞けない、という酷い仕打ちを強いられなかった。 | |||
#**会津と庄内のどれかが、新潟県に編入されていたかもしれない。 | |||
#**下越と庄内を一括りにして「新潟 佐渡 庄内」「新潟 庄内」と称する観光ガイドや、下越・庄内・[[秋田|秋田県]]沿岸部で一括りにして「出羽」と称する観光ガイドが販売されている。 | |||
#**荘内銀行は新潟市から撤退せず、新潟支店が存続していた。 | |||
#***一方で、第四銀行が、庄内地方に支店を出していたかもしれない。 | |||
#****少なくとも、[[鶴岡市|鶴岡]]と[[酒田市|酒田]]には支店を出している。 | |||
#****[[磐越西線]]沿線でも、第四銀行は、[[会津若松市|会津]]だけじゃなくて、[[郡山市|郡山]]にも支店を出しているだろう。 | |||
#**会津を本拠地とするリオンドールが新潟県1873年以前に進出してるのはこの世界でも同様だが、新潟市を本拠地とするウオロクも会津地方に進出している。 | |||
#**磐越西線には、新潟⇔郡山の普通列車も運行されていた。 | |||
#*対岸である太平洋沿岸とは、南の[[東京|東京都]]ではなく、東の[[福島/浜通り|福島県浜通り]](磐前県が存続していれば[[もし磐前県が存続していたら|磐前県]])との交流が多くなっている。 | |||
#**もし磐前県が存続していたら、北東北の秋田~宮古と同じく、新潟~[[いわき市#平(いわき)|平]]の対岸交流の親密化も謳われていた。但し、「沿岸同士」である出羽自動車道が優先される為、「山越え両岸」である磐越自動車道の全通は早くて2000年代後半になっていた。 | |||
#***磐越自動車道の新潟~郡山の開通は2000年代前半で、史実よりも晩くなっていた。 | |||
#**「全国屈指の東京大好き県」などと嘲笑されることは無かったはず。 | |||
#*[[新潟市]]と[[秋田市]]が同じエリア(東北、出羽など)に含まれるため、新潟市と秋田市は孤立した県庁所在地にならず、出羽地方(東北日本海沿岸)の地位も現実ほど低くならなかった。 | |||
#**後述の日本海東北自動車道(or出羽自動車道)の建設で、新潟県知事・[[秋田|秋田県]]知事・[[青森|青森県]]知事が、早期全通を目指して同盟を組んでいた。 | |||
#**「北関東・新潟地域連携軸推進協議会」は設立されない。その代わり、日本海沿岸の南北軸の連携を謳う「出羽地域連携軸推進協議会」が設立されている。 | |||
#***「出羽地域連携軸推進協議会」は、新潟県・(山形県・)秋田県・青森県の県知事による連合か、羽越本線(or出羽本線)沿線の市町村長による連合の、いずれのパターンもあり得る。 | |||
#*テレビ番組雑誌は、新潟県と山形県で一つのエリア(新潟・山形版)になっている。 | |||
#*日本道路公団とネクスコ東日本(分割民営化後)の両方とも、新潟県は東北支社のエリアになっており、ネクスコ東日本の新潟支社は設置されなかった。 | |||
#**新潟管理事務所は、東北支社の付属機関。 | |||
#**東日本大震災で東北と茨城県が対象になった通行料減額or無料の区間(2012年3月まで)には、新潟県も含まれていた。つまり、新潟を経由する会津地方⇔庄内地方が減額or無料で通行できた。 | |||
#新津〜新潟は磐越西線の一部に。 | |||
#*新潟駅は折り返し型にならず、柏崎方面から[[酒田市|酒田]]方面に行く路線が直進型になっていた。 | |||
#*羽越本線(or出羽本線)の特急「いなほ」は、南限が新潟ではなく、柏崎か長岡になっていた。従って、特急「いなほ」の運行区間も、柏崎or長岡⇔[[村上市|村上]]、柏崎or長岡⇔酒田、柏崎or長岡⇔秋田が主流になっていた。 | |||
#*国鉄の鉄道管理局(分割民営化後はJR東日本支社)は新潟市にも設置されるが、新潟鉄道管理局のエリアは新潟県1873年以前と庄内地方。 | |||
#新潟市の国道7号バイパスや[[国道49号]]バイパスは、擬似高速道路にならず、立体交差も史実より少なかった(国道7号バイパスと国道49号バイパスが交差する紫竹山など、主要交差点のみ立体交差)。その代わりに、沿道はロードサイド銀座になっていた。 | |||
#[[東日本高速道路#日本海東北自動車道|日本海東北自動車道]]の開通はバブル崩壊後。 | |||
#*史実での日本海東北自動車道の名称が、「出羽自動車道」になっていたかも。 | |||
#*山形自動車道の全通や秋田自動車道(黒沢尻~横手~秋田)の開通よりも、出羽自動車道の新潟~[[鶴岡市|鶴岡]]~秋田の方が早く開通した。 | |||
#*秋田以北の日本海沿岸も秋田自動車道にはならず、[[長岡市|長岡]]or[[柏崎市|柏崎]]~新潟~鶴岡~秋田~[[秋田/北部#能代市の噂|能代]]~[[青森市|青森]]の全区間が、日本海東北自動車道(or出羽自動車道)の区間になっていた。 | |||
#*この[[もしあの地域が1つの県だったら/複数地方/北日本#新潟県下越地方・佐渡島・山形県庄内地方|新潟県1873年以前が庄内地方を編入した場合]]も同様だが、出羽自動車道の新潟~鶴岡の開通が1997年史実における秋田自動車道の北上~秋田の開通が1997年7月、出羽自動車道の鶴岡~秋田の開通が2000年代前半になっていた。 | |||
#*出羽自動車道の開通時期は、柏崎or長岡~新潟の開通が1990年代前半、新潟~酒田(鶴岡までではなく、当初から酒田まで)の開通が1990年代後半、酒田~秋田の開通が2000年代前半、という経過になっていた。 | |||
#**新潟~酒田は165kmも離れているから、1990年代後半の開通は無理だろう。1990年代後半に新潟~温海温泉が開通して、2000年代前半に新潟~酒田が開通した。 | |||
#**一方で、秋田~酒田は100kmしか離れていないから、1991年7月25日<!--(史実で秋田南IC~横手ICが開通)-->に秋田~象潟が開通して、1990年代後半に秋田~酒田が開通した。 | |||
#*秋田中央ICは単に「秋田IC」という名称で、秋田ICの案内表示の南行きは、「(当初分)横手 北上」「(追加分)仙台 酒田」と表示されず、当初から「酒田」と表示されていた。 | |||
#*仙台⇔鶴岡/酒田の高速バスは運行されていない。その代わりに、新潟⇔鶴岡/酒田の高速バスが運行されている。 | |||
#**山形自動車道の全通も晩く、最短でも2012年3月24日<!--史実で鶴岡JCT~温海温泉ICの開通-->。 | |||
#*史実の新潟亀田ICが「新潟IC」を称して、史実の新潟中央JCTは「新潟JCT」を称していた。 | |||
#**新潟JCTはT字型の構造で、ICを併設していない。 | |||
#**新潟JCTの方向表示:(出羽道柏崎方面)[[柏崎市|柏崎]](or長岡) [[北陸自動車道|北陸道]]|(出羽道酒田方面)[[村上市|村上]] [[酒田市|酒田]]|(磐越道)[[郡山市|郡山]] [[東北自動車道|東北道]] | |||
#*出羽自動車道のPAとSAの数が貧弱になる事はあり得ないし、庄内地方にSAが無いなんて事もあり得ない。 | |||
#*当然、磐越自動車道の全通よりも、出羽自動車道の新潟~酒田~秋田の開通の方が早かった。 | |||
#**磐越自動車道の開通は、史実より10年は晩くなっていた。従って、磐越自動車道の全通は、早くて2000年代後半。 | |||
#*2010年代後半には、出羽自動車道が青森まで全通するかもしれない。<!--(1)史実で、秋田~青森の区間は、2016年10月22日時点で能代~鷹巣を残すのみとなっている為。(2)前述の通り、山越え高速道路(磐越自動車道、山形自動車道、秋田自動車道)が沿岸高速道路(出羽自動車道)より劣後する為。--> | |||
#「雪国」というイメージは弱く、庄内地方と同じ「風の強い日本海沿岸」というイメージが強くなっていた。 | |||
#*史実で庄内地方に風力発電所が多いのと同じく、新潟県にも風力発電所が多数立地している。 | |||
#*「日本海の夕日が見える県」としての観光戦略も実践されているだろう。 | |||
#**笹川流れや信濃川河口が、夕日展望スポットの常連になっている。 | |||
#「下越」という呼称は使われず、新潟県内は「蒲原」(新潟市など)と「岩船」([[村上市|村上]]など)の二地域に区分されている。 | |||
#*新潟県の天気予報は、細分化される前は、「蒲原」(新潟地方気象台)と「岩船」(村上測候所)の計二地域。細分化された後は、新潟市周辺の平野部に当たる「新潟地域」、[[国道49号]]沿線・阿賀野川流域の内陸部に当たる「津川地域」、村上など平野北部の「岩船地域」、弥彦や三条など平野南部の「三条地域」の、計四地域に分かれている。 | |||
#グルメでは、「米どころ」というイメージはさほど強くはなく、枝豆と笹団子のイメージが強くなっていた。 | |||
#*漫画『うちのトコ』において、新潟県は、「枝豆娘」(女性)や「笹男子」(男性)として描かれている。 | |||
#新潟市の人口は約28万人で、求心力も秋田や郡山に近い程度。 | |||
#*「外見だけ東京の真似」は、史実より遙に少ない。従って、過密都市向き娯楽である[[プロ野球]]チームの、新潟市への誘致話も発生しない。 | |||
#*NGT48も結成されない。NGT48は、「[[もしあの地域にAKB48の姉妹グループができたら|ここにAKB48の姉妹グループが結成されたら]]」のネタになる程度。 | |||
#「新潟県防災の日」が制定されるとしたら、10月23日(2004年中越地震が由来)じゃなくて6月16日(1964年新潟地震が由来)。 | |||
#元々新潟県は広いため上越&中越地方が分離しても面積的にも人口的にも全く問題は生じない。しかし下越(と佐渡)だけになった新潟県は観光地も特産品もほとんど持たない日本一地味な県にされてしまう。 | |||
#FMPORTはない。 | |||
===柏崎県=== | |||
*現在の新潟県[[新潟/上越|上越]]・[[新潟/中越|中越地方]] | |||
**県庁所在地は[[柏崎市]]。 | |||
#[[上越新幹線]]の終点は[[長岡駅]]。 | |||
#*「とき」じゃなくて「いなほ」という名称の列車が登場する。 | |||
#**「いなほ」は上越新幹線の名称では使用されず、羽越本線の特急の名称で使用されている。 | |||
#*そもそも上越新幹線があるかどうかもわからん。 | |||
#**田中角栄の地盤は柏崎県になるので、上越新幹線の建設は史実通り。 | |||
#***東京電力の原発も史実通り建設された<!--史実における東京電力の柏崎刈羽原発の誘致には、田中角栄が関与していた。-->が、県庁所在地の柏崎には建設されず、別の場所に建設されていた。 | |||
#***上越新幹線ではなく北陸新幹線として建設されていた。 | |||
#**長野新幹線は高崎~長野間が長野五輪時に開業。 | |||
#***その後直江津まで開通する。 | |||
#***全線がミニ新幹線になっていたかも。 | |||
#*長岡駅ではなく、柏崎駅が上越新幹線の終点となり、下りは新潟ではなく直江津を向いていた。 | |||
#**[[北陸新幹線]]は柏崎駅から延伸する形で建設され、北越急行ほくほく線は設立されなかった。 | |||
#***柏崎県内の、上越・北陸新幹線の駅:越後湯沢駅、浦佐駅、柏崎駅、直江津駅、糸魚川駅。 | |||
#***柏崎を目指すなら十日町を経由のほうがいいのでは。 | |||
#***上越・北陸新幹線は、柏崎以南がJR東日本のエリアで、柏崎以西がJR西日本のエリア。なお、新幹線の柏崎駅はJR東日本の保有。 | |||
#***東京駅や上野駅の主要停車駅掲示板には、「長野」ではなく、「柏崎」が表示されている。 | |||
#**その場合越後湯沢~新潟が「新潟新幹線」としてミニ新幹線化していた。 | |||
#***柏崎~新潟は羽越本線の特急が多いから、「新潟新幹線」にはならない。新潟どころか、[[酒田市|酒田]]まで運行される特急列車がザラだろうから。 | |||
#*長岡新潟間は大した山もないし、田んぼばかりで用地買収も容易だろうから結局新潟まで延伸された。 | |||
#**沿岸で県庁所在地の柏崎が終点だろうから、新潟への延伸はないだろう。 | |||
#[[北陸自動車道]]の始点が[[長岡市|長岡]]になる。長岡以北は[[東日本高速道路#日本海東北自動車道|日本海東北自動車道]]の沿線に。 | |||
#*鉄道も同じく、長岡駅を境に西が北陸本線、北が出羽本線(現実の羽越本線)に分かれる。 | |||
#*行政と交通の中心地が柏崎(行政中心地)と長岡(交通中心地)に離れて分立したら、史実の[[福島/中通り|中通り]](行政の福島市vs交通の郡山)と似た様相を呈するかもしれない。 | |||
#*長岡ではなく、寧ろ県庁所在地の柏崎を中心に、交通インフラが整備されていた。 | |||
#**従って、[[国道7号]]・[[国道8号]]・[[国道17号]]、日本海東北自動車道・北陸自動車道・[[関越自動車道]]、羽越本線・北陸本線・上越線、これらはいずれも柏崎が始終点になっていた。 | |||
#***国道17号・関越自動車道・上越線は、柏崎~広田~小千谷のルートになっていた。 | |||
#***[[羽越本線]]の特急「いなほ」には、柏崎⇔[[酒田市|酒田]]や柏崎⇔[[秋田市|秋田]]の列車も運行されていた。 | |||
#***柏崎駅には機関庫と運輸区も設置され、国鉄の鉄道管理局(分割民営化後はJR東日本支社)も柏崎に設置された。 | |||
#****柏崎鉄道管理局のエリアは柏崎県と長野県北部・東部で、[[長野市|長野]]には鉄道管理局が設置されなかった。 | |||
#****一方で、[[長野/松本#塩尻市の噂|塩尻]]にも鉄道管理局が設置され、[[中央本線]]沿線である[[山梨|山梨県]]と長野県中部・南部をエリアとしている。 | |||
#***日本海東北自動車道(or出羽自動車道)の柏崎~新潟は、出雲崎と燕を経由するルートになっていた。 | |||
#***北陸自動車道は、全通前は柏崎ICと朝日IC(富山県)の2箇所を暫定的な始点(0キロポストとIC番号1番)にしていた。しかし、北陸自動車道の全通と出羽自動車道の柏崎~燕の開通(両方とも1988年7月20日)により、始点が柏崎JCTに変更されて現在に至る。 | |||
#****柏崎JCTは、沿岸軸の北陸自動車道(西行き)と出羽自動車道(北行き)が本線で、山越え軸の関越自動車道(南行き)が沿岸軸に分岐・合流する構造になっている。なお、柏崎JCTの位置は、柏崎ICよりやや富山側。 | |||
#****柏崎JCTの方向表示:(北陸道<!--富山方面-->)直江津 [[富山市|富山]]|(出羽道<!--新潟方面-->)[[新潟市|新潟]] 酒田|(関越道<!--高崎方面-->)[[湯沢町|湯沢]] [[高崎市|高崎]] | |||
#***開通は、北陸自動車道が前で、出羽自動車道が後。北陸自動車道:柏崎IC~直江津ICが1978年9月21日<!--史実で長岡IC~新潟黒埼ICが開通-->。関越自動車道:柏崎JCT~広田PA~小千谷ICが1982年3月30日<!--史実で長岡JCT~小千谷ICが開通-->、柏崎JCT~湯沢ICが1984年11月8日<!--史実で長岡JCT~湯沢ICが開通-->。出羽自動車道:柏崎JCT~燕ICが1988年7月20日、柏崎JCT~新潟IC(史実の新潟亀田IC)が1990年頃。 | |||
#****寧ろ柏崎県内区間の柏崎~[[糸魚川市|糸魚川]](83km)が1981年11月<!--史実の柏崎IC~上越IC(41.5km)と同じく11月開通で、開通速度が14km/1年だった事から算定-->に開通して、北陸自動車道の全通と全線四車線化が史実より3年早くなっていた(1985年7月20日に全線開通、1997年10月3日に全線四車線化)。出羽自動車道は、1985年7月20日時点では柏崎~出雲崎or寺泊の開通に留まっていた。 | |||
#***国道8号・北陸自動車道の上り線、国道17号・関越自動車道の下り線で、最遠地の表示は「新潟」ではなく、「柏崎」になっていた。 | |||
#**越後線の電化が史実より早かった。 | |||
#**史実の越後線と白新線が、羽越本線になっていた。 | |||
#***新潟駅のホームは折り返し式にならず、柏崎方面と[[村上市|村上]]方面の往来が直進式になっていた。 | |||
#***越後線白新線の直進は史実と同じでは? | |||
#*一方、柏崎~長岡~新津~新潟の鉄路は、「長岡線」を称していた。 | |||
#**国道は、史実の国道116号が国道8号となり、柏崎~長岡~新潟のルートが国道116号となり、国道117号は長岡がターミナルになっていた。 | |||
#***史実の国道116号は、柏崎以北なので国道7号になっていた。 | |||
#**越後交通の本社所在地も、柏崎になっていた。 | |||
#*長岡新潟間は関越自動車道。 | |||
#柏崎県は、[[長野市|長野]]や[[富山市|富山]]との繋がりが深くなる。 | |||
#*第二次大戦中の電力会社統合で、柏崎県は北陸電力のエリアに入れられている。 | |||
#**直江津に、北陸電力の上越火力発電所が建設された。 | |||
#*故に上中越を駄目にしてるのは下越+東北エリアなのではないかな?ううむ頸城の人間として新潟の存在がウザイ | |||
#*「甲信越」というエリア名は存在しない。 | |||
#*[[長野|長野県]]も「北陸地方○○局」のエリアに入れられている。 | |||
#**柏崎県に加えて、[[もしあの地域が1つの県だったら/中部#長野県南部|長野県中部・南部が「筑摩県」として独立していたら]]、[[山梨|山梨県]]は関東扱いされず、山梨県・筑摩県・[[岐阜|岐阜県]]・[[静岡|静岡県]]・[[愛知|愛知県]]の五県で「中部地方○○局」のエリアになっていた。つまり、川伝いで交流の有る内陸同士と太平洋沿岸同士<!--川伝いだと富士川流域、三遠南信、濃尾の三地域が該当。内陸同士だと山梨県~筑摩県~岐阜県が該当。-->が、一緒の枠組みになっていた。 | |||
#***この場合、国政選挙の比例区は、北陸ブロック(柏崎県・長野県・富山県・石川県)、中部ブロック(山梨県・筑摩県・岐阜県・静岡県・愛知県)、東近畿ブロック(三重県・奈良県・滋賀県・福井県・京都府)、西近畿ブロック(大阪府・和歌山県・兵庫県)に分かれていた。 | |||
#*インターハイやサッカーの地域リーグの名称は、「北陸信越○○」ではなく、単に「北陸○○」になっていた。 | |||
#*柏崎県や[[富山|富山県]]に、「越路」を称する娯楽団体が存在していた。(東北で言えば「みちのく」を称する娯楽団体に相当) | |||
#*柏崎県は北陸運輸局のエリアで、自動車のナンバープレート名も「柏崎」になっていた。 | |||
#*日本道路公団では、柏崎県は北陸支社のエリアに属した。その後の、日本道路公団の分割民営化(2005年10月)では、関越自動車道と[[敦賀市|敦賀]][[名古屋市|名古屋]]線に挟まれた一帯が、[[中日本高速道路|ネクスコ中日本]]のエリアになっていた。 | |||
#**具体的には、[[東名高速道路]]と[[中央自動車道]](いずれも東京以西)、[[上信越自動車道]](高崎以西)、北陸自動車道(柏崎以西)が、ネクスコ中日本のエリア。 | |||
#**柏崎県では、出羽自動車道と関越自動車道は[[東日本高速道路|ネクスコ東日本]]のエリアだが、北陸自動車道と上信越自動車道はネクスコ中日本のエリア。なお、ネクスコ東日本とネクスコ中日本の境は柏崎JCT。 | |||
#**日本海側をエリアとするネクスコ中日本の支社所在地は、金沢ではなく、富山か直江津になっていた。 | |||
#*北陸地方の予報中枢気象台は、柏崎地方気象台か富山地方気象台のどれか。 | |||
#*霞ヶ関の「△△地方○○局」で、柏崎県が東京に支配されたり(関東地方○○局)、富山県や[[石川|石川県]]が名古屋に支配されたり(中部地方○○局)する例は、史実よりもっと少ない。 | |||
#**「北陸地方知事会」も設立され、柏崎県・長野県・富山県・石川県がメンバーになっていた。なお、福井県は、北陸地方知事会と近畿ブロック知事会の両方のメンバー。 | |||
#**柏崎県が近隣三県程度の知事会に加わる例としては、[[群馬|群馬県]]・長野県・柏崎県による「上信越三県知事会議」ぐらい。 | |||
#柏崎・長岡・[[上越市|直江津]]のいずれかに、工業系か農業系の国立専門学校が建っていた。これらは、第二次大戦後の学制改革で「柏崎大学」になっている。 | |||
#*第二次大戦後の工業高専は、史実通り長岡に立地し、「長岡高専」を称している。 | |||
#*史実で柏崎を本拠地としている私立大学は、「新潟産業大学」「新潟工科大学」ではなく、「柏崎産業大学」「柏崎工科大学」を称している。 | |||
#*柏崎大学には、法文系学部が設立と同時に設置され、1970年代には医学部も設置された。又、雪国という地理環境から、研究機関として気象研究所も設置された。 | |||
#*柏崎大学の前身となった第二次大戦前の国立学校は、柏崎高等農業学校、高田高等工業学校、柏崎師範学校。 | |||
#2004年(第1次)と2007年(第2次)に柏崎沖で発生した大地震は、「柏崎県沖地震」と呼ばれている。 | |||
#*当然、復興のキャッチフレーズは、「がんばろう!'''柏崎'''」になっていた。 | |||
#観光宣伝で、河井継之助をモチーフにしたゆるキャラが使用されている。 | |||
#*この他にも、直江兼続や上杉謙信や上杉景勝をモチーフにしたゆるキャラも登場している。 | |||
#柏崎県を代表する企業として、雪国まいたけの存在感が強い。 | |||
#*勿論、ブルボンの存在感も強く、ブルボンは柏崎県を本拠地とするプロスポーツチームのスポンサーになっている。 | |||
#県紙として「柏崎新聞」か「越後新報」が存在する。 | |||
#県域テレビ局としては、「越後放送」「テレビ柏崎」が存在する。 | |||
#*NHKの県域放送は、NHK柏崎放送局が担当する。 | |||
#**大河ドラマ「天地人」の制作には、言うまでもなくNHK'''柏崎'''放送局が関与した。 | |||
#***JRグループのデスティネーションキャンペーンは、2009年が柏崎県で、2014年が新潟県と庄内地方になっていた。 | |||
#****柏崎県が「うまさぎっしり」というキャッチフレーズを使用し、新潟県と庄内地方は別のキャッチフレーズを使用した。 | |||
#**NHKの広域ローカルニュースは、日本海側同士である長野・富山・[[金沢市|金沢]]と同じエリアになっている。 | |||
#**ありそうなNHK柏崎放送局のローカル番組としては、「ためしてガッテン」の柏崎県版みたいな番組で「毎日生き生き!かしわざキット」など。 | |||
#*考えられる民放テレビ局名は、越後放送、テレビ柏崎、柏崎中央テレビ、北越放送かな。いずれにせよ、民放テレビ局は4局が立地するだろう。 | |||
#県域銀行として、北越銀行の他に「柏崎銀行」が存在する。 | |||
#「雪国の県」「米どころの県」と言えば、真っ先に柏崎県を思い衝く者も多数いるだろう。 | |||
#*「越乃寒梅」は、柏崎県の日本酒メーカーのトレードマークになっており、新潟市を本拠地とする石本酒造のトレードマークになっていない。 | |||
#*柏崎県産のコシヒカリは、勿論「柏崎コシヒカリ」と呼ばれている。 | |||
#中越高校(私立)や長岡高校が、甲子園の柏崎県代表の常連になっていた。 | |||
#*高田勢を忘れるな。 | |||
#県のシンボルとして、雷鳥が柏崎県の県鳥になり、雪椿が柏崎県の県樹になっていた。 | |||
#*史実の新潟県民歌の2番が、柏崎県民歌の2番になっていた。 | |||
#県のエリア区分に、「中越」「上越」という地域名は使用されていない。中越ではなく「魚沼」、上越ではなく「頚城」という地域名が使用されている。 | |||
#下越地方出身者である君健男(新潟市出身)と泉田裕彦(加茂出身)は、柏崎県知事に就任しなかった。 | |||
#*平山征夫は柏崎県知事(在任:1992年~2004年)に就任した為、2002年の日韓WCサッカーでは柏崎県の都市が開催地の一つになったかもしれない。 | |||
#**1998年冬季五輪(立候補しようとして断念)と2002年日韓WC(立候補した)には、柏崎県が立候補を企図して、新潟県は立候補すら思い衝かなかった。 | |||
#**日韓WCの開催都市も、県庁所在地かつ新幹線停車地の柏崎になっていた。なお、開催地選考(1996年12月)では、柏崎(柏崎県)・掛川(静岡県、エコパ)・挙母(愛知県、豊田スタジアム)の3都市が争い、掛川と柏崎が当選して、挙母が落選した。 | |||
#ラジオ局では、県域AMラジオ局として越後放送(ラ・テ兼営)が、県域FMラジオ局としてエフエム柏崎が、ぞれぞれ立地する。 | |||
#*「エフエム雪国」は、柏崎県の六日町を本拠地とするコミュニティーラジオ局。 | |||
#県庁所在地である柏崎の市制施行は1910年代で、史実(1940年代)より遙に早かった。 | |||
#*県庁と交通ターミナルの効果により、柏崎の人口は30万人近く(史実の3倍)に増えていた。 | |||
#**一方で、長岡の人口は13万人程度で、周辺市町村を史実ほど多く編入していない。 | |||
#**交通・人口・娯楽などあらゆる面で、柏崎と長岡の立場が逆転していた。 | |||
#**柏崎市の人口が約279936人(6<sup>7</sup>、10000000<sub>(6)</sub>人)に上り、対する長岡市の人口は約116640人(6<sup>7</sup>×5/12、2300000<sub>(6)</sub>人)に下がる。 | |||
#日本地図が丸ごと出る全国の天気予報では、新潟市が表示されない。その代わり、柏崎が表示される物が出回っている。 | |||
#*(1)柏崎と金沢の2箇所が表示されるパターンか、(2)柏崎と金沢が表示されず、富山が表示されるパターン;のどれかが多いだろう。 | |||
#日本列島改造論の発信地も柏崎県になるため、柏崎空港も1980年代に開設された。場所は柏崎市内か、柏崎の近隣市町村。 | |||
#NSG(新潟総合学園)グループの専門学校が、柏崎県に進出したかどうかは未知数。 | |||
#*もし柏崎県に進出しなかった場合、庄内地方に進出していた。 | |||
==愛知県== | |||
*1872年11月27日に名古屋県⇒愛知県が額田県を編入して現在の愛知県域が確定。 | |||
#トヨタ自動車名古屋オフィスは存在しない。 | |||
#*豊田通商本社は名古屋ではなく豊田市にある(東京本社は史実どおり)。 | |||
#愛知教育大学は名古屋市に置かれた。 | |||
#東海銀行は名古屋県の地銀なので額田県にまで進出できず、都市銀行に成長できない。 | |||
#*都銀再編にも参加せず、[[コンコルディア・フィナンシャルグループ#横浜銀行の噂|浜銀]]・[[静岡銀行|静銀]]と地銀トップを争っている。 | |||
===名古屋県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら#名古屋県]] | |||
===額田県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら#額田県]] | |||
==石川県== | |||
*1872年に七尾県と旧石川県が合併。 | |||
#羽咋郡南大海村(現:かほく市)は七尾石川県境をまたいでの合併はできずに、七尾県内の町と合併して宝達志水町の一部になっている。 | |||
===七尾県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら#七尾県]] | |||
===旧石川県=== | |||
#[[もしあの県の県庁が○○に置かれたままだったら#石川県庁が美川町|金沢だと北に寄り過ぎているため県庁は石川郡美川町のまま。]] | |||
#半島を失っていると石川県がどこにあるのか誰も分からない。 | |||
#*形だけ見ても石川県だと分からない。 | |||
#県章が替わっている。 | |||
==福井県== | |||
*1873年1月に足羽県と敦賀県が合併。 | |||
#参議院選挙区は鳥取+島根や徳島+高知同様合区が行われ、足羽+敦賀で一つの選挙区になっている(つまりは現実の選挙と変わらない)。 | |||
===足羽県=== | |||
*現在の福井県北東部 | |||
#福岡?福島?と間違われることはない。 | |||
#*それでも知名度は低い。 | |||
===敦賀県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら#敦賀県]] | |||
==滋賀県== | |||
*1872年9月28日に大津県⇒滋賀県と、長浜県⇒犬上県が合併して発足。 | |||
#大津県と長浜県で琵琶湖をめぐって争ってるので、京都や大阪の人に湖の水を止めると脅すこともできない。 | |||
#人口が少ないのでびわ湖放送は存在せず、KBS大津・KBS長浜がテレビ放送を開始。 | |||
#現実の滋賀大学は大津師範学校・大津青年師範学校からできた大津大学と、彦根高等商業学校からできた彦根大学の2つに分かれて発展していた。 | |||
===大津県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら#大津県]] | |||
===長浜県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら#長浜県]] | |||
==島根県== | |||
*1876年に4月18日に浜田県が島根県に編入された。 | |||
#平成に入る前に参議院選挙で合区が導入された。 | |||
#今頃は人口にかかわらず各県一人ずつ選出される(米国上院式)制度に変更されている。 | |||
#憲法改正も実現できていた。 | |||
#隠岐はどっちだ? | |||
#*ちなみに当初隠岐は単独で隠岐県だったが後に浜田県となり、史実で浜田県と島根県が合併した時点での隠岐の帰属は鳥取県。 | |||
===旧島根県=== | |||
*現在の島根県東部(旧出雲国) | |||
#左右どっちが島根でどっちが浜田?といわれている。 | |||
#*現実の鳥取?島根?よりは少ないだろうが‥ | |||
#竹島は日韓ではなく島根・浜田間で領有を争っている。 | |||
#浜田県とは合併しないものの史実どおりに鳥取県を吸収合併(1876年8月)。 | |||
#*石見地方の分だけ東西が短くて人口も少ないため、史実とは違い鳥取県が再度設置されることはない。 | |||
===浜田県=== | |||
*[[もしあの県が存続していたら#浜田県]] | |||
==熊本県== | |||
*1873年に白川県と八代県が合併。 | |||
#上益城郡・下益城郡・宇土郡は八代県に属するので、熊本市(白川県)は八代県に囲まれていた。 | |||
#*南区・東区の一部は越県合併できず、熊本市は現実より小さい。 | |||
===白川県=== | |||
*現在の熊本県北部 | |||
#県庁が南端に位置しているため、県北部の荒尾や玉名・山鹿などは反発し福岡県筑後地方との結ぶつきを強める。 | |||
===八代県=== | |||
*現在の熊本県南部 | |||
#政治の中心は八代だが、経済は宇土市・文化は人吉市。 | |||
#熊本市からの電波が八代平野で受信できるので八代県に放送局はできず。 | |||
#宇土市の第百三十五国立銀行が肥後銀行の母体となっているため、肥後銀行は八代県の銀行。 | |||
#*規模が現実より小さいため、対等ではなく鹿児島銀行の傘下に入っている。 | |||
#*白川県の熊本銀行もふくおかフィナンシャルグループ傘下なので、両県ともに他県に経済を握られている。 | |||
==関連項目== | ==関連項目== | ||
*[[ | *[[もしあの都道府県が分裂したら]] | ||
[[ | [[カテゴリ:もしあの県が存続していたら|あのけんかふんれつしたままたったら]] |
2021年4月5日 (月) 11:31時点における版
独立項目
青森県
- 弘前県も含めて小さい県ばかり。
弘前県
八戸県
黒石県
- 現在の黒石市周辺
斗南県
- 現在の青森県東部
- 徹底的に明治政府から冷遇された。
- 鉄道はおろか国道も通らなかった。
- 新幹線も含め東北自動車道のルートで建設された。
七戸県
- 現在の七戸町周辺
- 七戸が町のままということはあるまい。
- どこかで市制施行していた。
山形県
鶴岡県
旧山形県
置賜県
- 現在の山形県置賜地方
福島県
- 東北第2の都市は盛岡。
- やはり福島県内で福島vs郡山が勃発。
- 県内人口が少ないためテレビ局は4局そろわない。旧福島県では民報系・民友系・朝日系の3局だが福島市民はケーブルテレビで仙台のテレビ局も視てる。
- 多くても旧福島県人口115万程度で3局の大分県と同じくらい。若松県白河県はそれ以下。
旧福島県
磐前県
若松県
白河県
- 現在の福島県南東部
- 中通りという地域区分は存在しない。
- 白河県にも1校くらい大学が出来ていた。
茨城県
旧茨城県
新治県
印旛県
栃木県
- 戦時中に栃木県内のバス事業者は関東自動車、宇都宮県内のバス事業者は東野交通に整理されていた。
- 宇都宮県には宇都宮FMが開局するも、両県の規模・財政力が現実の栃木県から半減しているため、NACK5や群馬テレビが視聴可能な旧栃木県に放送局は開局せず、宇都宮県にもAMラジオ局やテレビ局は開局しない。
旧栃木県
宇都宮県
埼玉県
- 西武資本のNACK5は入間県の県域FM局。旧埼玉県は県域ラジオ空白県。
- 最初から送信所が飯盛峠。
- 対抗して埼玉県域のテレ玉も出力増強で入間県でも視聴可能に。
- 最初から送信所が飯盛峠。
- 埼玉銀行は誕生せず。戦時中に入間県内の銀行は川越の八十五銀行に、旧埼玉県の銀行は武州銀行にそれぞれ統合。有力地銀として都市銀行間の合併には加わらない。
- 協和銀行は直接、大和銀行と合併してりそな銀行となっていた。
旧埼玉県
入間県
千葉県
- 土気町は千葉市に編入されず、大網白里と合併していた。大網白里は昭和のうちに市に移行していた。
- 横芝光町は誕生しない。
- 下総町と大栄町は成田市にならず、香取市になっていた。。
- 「ジェフユナイテッド市原」の後ろに千葉はつかない。
新治県
印旛県
木更津県
新潟県
- 1873年6月10日にそれまでの新潟県と柏崎県が合併して発足。
- 新潟市の政令指定都市化は数年遅れていた。
- アルビレックス新潟のサポーターが半減している(涙
- 会津や庄内がアルビレックス新潟の地盤になっている。
- モンテディオ山形vsベガルタ仙台の対戦カードは、「東北ダービー」じゃなくて「蔵王ダービー」と呼ばれている。
- 地域リーグのプロサッカーチームとして、柏崎を本拠地とする「柏崎カメリア」(チーム名は県花の椿に由来)が存在する。
- この柏崎カメリアと長岡ビルボードFCが、柏崎県のサッカー界を代表するチームになっている。
- 寧ろFCビルボードが平山征夫・柏崎県知事の肝煎りで強化されて、1999年にJ2入りを果たしていた。本拠地も、長岡ではなく柏崎になっていた。
- チーム名は、「柏崎ビルボード」のままか、こちらが「アルビレックス柏崎」に改名した(「ブランメル仙台」が「ベガルタ仙台」に改名してユニフォーム色も変えたのと同じパターン)かの、どれかになっていた。
- デンカの工場は柏崎県の糸魚川に所在する為、ビッグスワンは「デンカビッグスワンスタジアム」を称していない。
- 中越と下越が別の県になる為、下越には肝煎りがおらず、新潟イレブンSC(史実でのアルビレックス新潟の前身)の強化と改名は、史実(1996年)よりもっと晩くなっていた。
- 新潟イレブンSCの後身が所属する地域リーグも、北陸信越リーグではなく、東北リーグになっていた。
- 田中角栄の選挙区(中越)が別の県になるため、上越新幹線と北陸自動車道は新潟まで乗り入れしていない。
- 柏崎県は「北陸地方○○局」の管内に、新潟県は「東北地方○○局」の管内に編入される。
- 佐渡はどっちだ?
- 柏崎県になった場合は、柏崎側に空港がないので佐渡空港もなし。
- そのかわり柏崎港から佐渡への航路が誕生。
- 旧新潟県側になった場合は直江津便が少なくなるくらいで特に変化はない。
- あるいは相川県存続の可能性も。
- 柏崎県になった場合は、柏崎側に空港がないので佐渡空港もなし。
旧新潟県
- 1873年6月10日以前の新潟県。現在の下越地方。
- 新潟県は名実ともに東北の一員に。
- 霞ヶ関や民間企業やインターハイなどでも、「東北地方○○局」「東北地区」のエリアに入れられている。
- 会津と庄内との交流が、現実以上に親密になっている。
- 会津と庄内は、ローカルニュースや交通情報で下越の情報を聞けない、という酷い仕打ちを強いられなかった。
- 会津と庄内のどれかが、新潟県に編入されていたかもしれない。
- 下越と庄内を一括りにして「新潟 佐渡 庄内」「新潟 庄内」と称する観光ガイドや、下越・庄内・秋田県沿岸部で一括りにして「出羽」と称する観光ガイドが販売されている。
- 荘内銀行は新潟市から撤退せず、新潟支店が存続していた。
- 会津を本拠地とするリオンドールが新潟県1873年以前に進出してるのはこの世界でも同様だが、新潟市を本拠地とするウオロクも会津地方に進出している。
- 磐越西線には、新潟⇔郡山の普通列車も運行されていた。
- 対岸である太平洋沿岸とは、南の東京都ではなく、東の福島県浜通り(磐前県が存続していれば磐前県)との交流が多くなっている。
- もし磐前県が存続していたら、北東北の秋田~宮古と同じく、新潟~平の対岸交流の親密化も謳われていた。但し、「沿岸同士」である出羽自動車道が優先される為、「山越え両岸」である磐越自動車道の全通は早くて2000年代後半になっていた。
- 磐越自動車道の新潟~郡山の開通は2000年代前半で、史実よりも晩くなっていた。
- 「全国屈指の東京大好き県」などと嘲笑されることは無かったはず。
- もし磐前県が存続していたら、北東北の秋田~宮古と同じく、新潟~平の対岸交流の親密化も謳われていた。但し、「沿岸同士」である出羽自動車道が優先される為、「山越え両岸」である磐越自動車道の全通は早くて2000年代後半になっていた。
- 新潟市と秋田市が同じエリア(東北、出羽など)に含まれるため、新潟市と秋田市は孤立した県庁所在地にならず、出羽地方(東北日本海沿岸)の地位も現実ほど低くならなかった。
- テレビ番組雑誌は、新潟県と山形県で一つのエリア(新潟・山形版)になっている。
- 日本道路公団とネクスコ東日本(分割民営化後)の両方とも、新潟県は東北支社のエリアになっており、ネクスコ東日本の新潟支社は設置されなかった。
- 新潟管理事務所は、東北支社の付属機関。
- 東日本大震災で東北と茨城県が対象になった通行料減額or無料の区間(2012年3月まで)には、新潟県も含まれていた。つまり、新潟を経由する会津地方⇔庄内地方が減額or無料で通行できた。
- 新津〜新潟は磐越西線の一部に。
- 新潟市の国道7号バイパスや国道49号バイパスは、擬似高速道路にならず、立体交差も史実より少なかった(国道7号バイパスと国道49号バイパスが交差する紫竹山など、主要交差点のみ立体交差)。その代わりに、沿道はロードサイド銀座になっていた。
- 日本海東北自動車道の開通はバブル崩壊後。
- 史実での日本海東北自動車道の名称が、「出羽自動車道」になっていたかも。
- 山形自動車道の全通や秋田自動車道(黒沢尻~横手~秋田)の開通よりも、出羽自動車道の新潟~鶴岡~秋田の方が早く開通した。
- 秋田以北の日本海沿岸も秋田自動車道にはならず、長岡or柏崎~新潟~鶴岡~秋田~能代~青森の全区間が、日本海東北自動車道(or出羽自動車道)の区間になっていた。
- この新潟県1873年以前が庄内地方を編入した場合も同様だが、出羽自動車道の新潟~鶴岡の開通が1997年史実における秋田自動車道の北上~秋田の開通が1997年7月、出羽自動車道の鶴岡~秋田の開通が2000年代前半になっていた。
- 出羽自動車道の開通時期は、柏崎or長岡~新潟の開通が1990年代前半、新潟~酒田(鶴岡までではなく、当初から酒田まで)の開通が1990年代後半、酒田~秋田の開通が2000年代前半、という経過になっていた。
- 新潟~酒田は165kmも離れているから、1990年代後半の開通は無理だろう。1990年代後半に新潟~温海温泉が開通して、2000年代前半に新潟~酒田が開通した。
- 一方で、秋田~酒田は100kmしか離れていないから、1991年7月25日に秋田~象潟が開通して、1990年代後半に秋田~酒田が開通した。
- 秋田中央ICは単に「秋田IC」という名称で、秋田ICの案内表示の南行きは、「(当初分)横手 北上」「(追加分)仙台 酒田」と表示されず、当初から「酒田」と表示されていた。
- 仙台⇔鶴岡/酒田の高速バスは運行されていない。その代わりに、新潟⇔鶴岡/酒田の高速バスが運行されている。
- 山形自動車道の全通も晩く、最短でも2012年3月24日。
- 史実の新潟亀田ICが「新潟IC」を称して、史実の新潟中央JCTは「新潟JCT」を称していた。
- 出羽自動車道のPAとSAの数が貧弱になる事はあり得ないし、庄内地方にSAが無いなんて事もあり得ない。
- 当然、磐越自動車道の全通よりも、出羽自動車道の新潟~酒田~秋田の開通の方が早かった。
- 磐越自動車道の開通は、史実より10年は晩くなっていた。従って、磐越自動車道の全通は、早くて2000年代後半。
- 2010年代後半には、出羽自動車道が青森まで全通するかもしれない。
- 「雪国」というイメージは弱く、庄内地方と同じ「風の強い日本海沿岸」というイメージが強くなっていた。
- 史実で庄内地方に風力発電所が多いのと同じく、新潟県にも風力発電所が多数立地している。
- 「日本海の夕日が見える県」としての観光戦略も実践されているだろう。
- 笹川流れや信濃川河口が、夕日展望スポットの常連になっている。
- 「下越」という呼称は使われず、新潟県内は「蒲原」(新潟市など)と「岩船」(村上など)の二地域に区分されている。
- 新潟県の天気予報は、細分化される前は、「蒲原」(新潟地方気象台)と「岩船」(村上測候所)の計二地域。細分化された後は、新潟市周辺の平野部に当たる「新潟地域」、国道49号沿線・阿賀野川流域の内陸部に当たる「津川地域」、村上など平野北部の「岩船地域」、弥彦や三条など平野南部の「三条地域」の、計四地域に分かれている。
- グルメでは、「米どころ」というイメージはさほど強くはなく、枝豆と笹団子のイメージが強くなっていた。
- 漫画『うちのトコ』において、新潟県は、「枝豆娘」(女性)や「笹男子」(男性)として描かれている。
- 新潟市の人口は約28万人で、求心力も秋田や郡山に近い程度。
- 「外見だけ東京の真似」は、史実より遙に少ない。従って、過密都市向き娯楽であるプロ野球チームの、新潟市への誘致話も発生しない。
- NGT48も結成されない。NGT48は、「ここにAKB48の姉妹グループが結成されたら」のネタになる程度。
- 「新潟県防災の日」が制定されるとしたら、10月23日(2004年中越地震が由来)じゃなくて6月16日(1964年新潟地震が由来)。
- 元々新潟県は広いため上越&中越地方が分離しても面積的にも人口的にも全く問題は生じない。しかし下越(と佐渡)だけになった新潟県は観光地も特産品もほとんど持たない日本一地味な県にされてしまう。
- FMPORTはない。
柏崎県
- 上越新幹線の終点は長岡駅。
- 「とき」じゃなくて「いなほ」という名称の列車が登場する。
- 「いなほ」は上越新幹線の名称では使用されず、羽越本線の特急の名称で使用されている。
- そもそも上越新幹線があるかどうかもわからん。
- 田中角栄の地盤は柏崎県になるので、上越新幹線の建設は史実通り。
- 東京電力の原発も史実通り建設されたが、県庁所在地の柏崎には建設されず、別の場所に建設されていた。
- 上越新幹線ではなく北陸新幹線として建設されていた。
- 長野新幹線は高崎~長野間が長野五輪時に開業。
- その後直江津まで開通する。
- 全線がミニ新幹線になっていたかも。
- 田中角栄の地盤は柏崎県になるので、上越新幹線の建設は史実通り。
- 長岡駅ではなく、柏崎駅が上越新幹線の終点となり、下りは新潟ではなく直江津を向いていた。
- 北陸新幹線は柏崎駅から延伸する形で建設され、北越急行ほくほく線は設立されなかった。
- 柏崎県内の、上越・北陸新幹線の駅:越後湯沢駅、浦佐駅、柏崎駅、直江津駅、糸魚川駅。
- 柏崎を目指すなら十日町を経由のほうがいいのでは。
- 上越・北陸新幹線は、柏崎以南がJR東日本のエリアで、柏崎以西がJR西日本のエリア。なお、新幹線の柏崎駅はJR東日本の保有。
- 東京駅や上野駅の主要停車駅掲示板には、「長野」ではなく、「柏崎」が表示されている。
- その場合越後湯沢~新潟が「新潟新幹線」としてミニ新幹線化していた。
- 柏崎~新潟は羽越本線の特急が多いから、「新潟新幹線」にはならない。新潟どころか、酒田まで運行される特急列車がザラだろうから。
- 北陸新幹線は柏崎駅から延伸する形で建設され、北越急行ほくほく線は設立されなかった。
- 長岡新潟間は大した山もないし、田んぼばかりで用地買収も容易だろうから結局新潟まで延伸された。
- 沿岸で県庁所在地の柏崎が終点だろうから、新潟への延伸はないだろう。
- 「とき」じゃなくて「いなほ」という名称の列車が登場する。
- 北陸自動車道の始点が長岡になる。長岡以北は日本海東北自動車道の沿線に。
- 鉄道も同じく、長岡駅を境に西が北陸本線、北が出羽本線(現実の羽越本線)に分かれる。
- 行政と交通の中心地が柏崎(行政中心地)と長岡(交通中心地)に離れて分立したら、史実の中通り(行政の福島市vs交通の郡山)と似た様相を呈するかもしれない。
- 長岡ではなく、寧ろ県庁所在地の柏崎を中心に、交通インフラが整備されていた。
- 従って、国道7号・国道8号・国道17号、日本海東北自動車道・北陸自動車道・関越自動車道、羽越本線・北陸本線・上越線、これらはいずれも柏崎が始終点になっていた。
- 国道17号・関越自動車道・上越線は、柏崎~広田~小千谷のルートになっていた。
- 羽越本線の特急「いなほ」には、柏崎⇔酒田や柏崎⇔秋田の列車も運行されていた。
- 柏崎駅には機関庫と運輸区も設置され、国鉄の鉄道管理局(分割民営化後はJR東日本支社)も柏崎に設置された。
- 日本海東北自動車道(or出羽自動車道)の柏崎~新潟は、出雲崎と燕を経由するルートになっていた。
- 北陸自動車道は、全通前は柏崎ICと朝日IC(富山県)の2箇所を暫定的な始点(0キロポストとIC番号1番)にしていた。しかし、北陸自動車道の全通と出羽自動車道の柏崎~燕の開通(両方とも1988年7月20日)により、始点が柏崎JCTに変更されて現在に至る。
- 開通は、北陸自動車道が前で、出羽自動車道が後。北陸自動車道:柏崎IC~直江津ICが1978年9月21日。関越自動車道:柏崎JCT~広田PA~小千谷ICが1982年3月30日、柏崎JCT~湯沢ICが1984年11月8日。出羽自動車道:柏崎JCT~燕ICが1988年7月20日、柏崎JCT~新潟IC(史実の新潟亀田IC)が1990年頃。
- 寧ろ柏崎県内区間の柏崎~糸魚川(83km)が1981年11月に開通して、北陸自動車道の全通と全線四車線化が史実より3年早くなっていた(1985年7月20日に全線開通、1997年10月3日に全線四車線化)。出羽自動車道は、1985年7月20日時点では柏崎~出雲崎or寺泊の開通に留まっていた。
- 国道8号・北陸自動車道の上り線、国道17号・関越自動車道の下り線で、最遠地の表示は「新潟」ではなく、「柏崎」になっていた。
- 越後線の電化が史実より早かった。
- 史実の越後線と白新線が、羽越本線になっていた。
- 新潟駅のホームは折り返し式にならず、柏崎方面と村上方面の往来が直進式になっていた。
- 越後線白新線の直進は史実と同じでは?
- 従って、国道7号・国道8号・国道17号、日本海東北自動車道・北陸自動車道・関越自動車道、羽越本線・北陸本線・上越線、これらはいずれも柏崎が始終点になっていた。
- 一方、柏崎~長岡~新津~新潟の鉄路は、「長岡線」を称していた。
- 国道は、史実の国道116号が国道8号となり、柏崎~長岡~新潟のルートが国道116号となり、国道117号は長岡がターミナルになっていた。
- 史実の国道116号は、柏崎以北なので国道7号になっていた。
- 越後交通の本社所在地も、柏崎になっていた。
- 国道は、史実の国道116号が国道8号となり、柏崎~長岡~新潟のルートが国道116号となり、国道117号は長岡がターミナルになっていた。
- 長岡新潟間は関越自動車道。
- 柏崎県は、長野や富山との繋がりが深くなる。
- 第二次大戦中の電力会社統合で、柏崎県は北陸電力のエリアに入れられている。
- 直江津に、北陸電力の上越火力発電所が建設された。
- 故に上中越を駄目にしてるのは下越+東北エリアなのではないかな?ううむ頸城の人間として新潟の存在がウザイ
- 「甲信越」というエリア名は存在しない。
- 長野県も「北陸地方○○局」のエリアに入れられている。
- 柏崎県に加えて、長野県中部・南部が「筑摩県」として独立していたら、山梨県は関東扱いされず、山梨県・筑摩県・岐阜県・静岡県・愛知県の五県で「中部地方○○局」のエリアになっていた。つまり、川伝いで交流の有る内陸同士と太平洋沿岸同士が、一緒の枠組みになっていた。
- この場合、国政選挙の比例区は、北陸ブロック(柏崎県・長野県・富山県・石川県)、中部ブロック(山梨県・筑摩県・岐阜県・静岡県・愛知県)、東近畿ブロック(三重県・奈良県・滋賀県・福井県・京都府)、西近畿ブロック(大阪府・和歌山県・兵庫県)に分かれていた。
- 柏崎県に加えて、長野県中部・南部が「筑摩県」として独立していたら、山梨県は関東扱いされず、山梨県・筑摩県・岐阜県・静岡県・愛知県の五県で「中部地方○○局」のエリアになっていた。つまり、川伝いで交流の有る内陸同士と太平洋沿岸同士が、一緒の枠組みになっていた。
- インターハイやサッカーの地域リーグの名称は、「北陸信越○○」ではなく、単に「北陸○○」になっていた。
- 柏崎県や富山県に、「越路」を称する娯楽団体が存在していた。(東北で言えば「みちのく」を称する娯楽団体に相当)
- 柏崎県は北陸運輸局のエリアで、自動車のナンバープレート名も「柏崎」になっていた。
- 日本道路公団では、柏崎県は北陸支社のエリアに属した。その後の、日本道路公団の分割民営化(2005年10月)では、関越自動車道と敦賀名古屋線に挟まれた一帯が、ネクスコ中日本のエリアになっていた。
- 北陸地方の予報中枢気象台は、柏崎地方気象台か富山地方気象台のどれか。
- 霞ヶ関の「△△地方○○局」で、柏崎県が東京に支配されたり(関東地方○○局)、富山県や石川県が名古屋に支配されたり(中部地方○○局)する例は、史実よりもっと少ない。
- 「北陸地方知事会」も設立され、柏崎県・長野県・富山県・石川県がメンバーになっていた。なお、福井県は、北陸地方知事会と近畿ブロック知事会の両方のメンバー。
- 柏崎県が近隣三県程度の知事会に加わる例としては、群馬県・長野県・柏崎県による「上信越三県知事会議」ぐらい。
- 第二次大戦中の電力会社統合で、柏崎県は北陸電力のエリアに入れられている。
- 柏崎・長岡・直江津のいずれかに、工業系か農業系の国立専門学校が建っていた。これらは、第二次大戦後の学制改革で「柏崎大学」になっている。
- 第二次大戦後の工業高専は、史実通り長岡に立地し、「長岡高専」を称している。
- 史実で柏崎を本拠地としている私立大学は、「新潟産業大学」「新潟工科大学」ではなく、「柏崎産業大学」「柏崎工科大学」を称している。
- 柏崎大学には、法文系学部が設立と同時に設置され、1970年代には医学部も設置された。又、雪国という地理環境から、研究機関として気象研究所も設置された。
- 柏崎大学の前身となった第二次大戦前の国立学校は、柏崎高等農業学校、高田高等工業学校、柏崎師範学校。
- 2004年(第1次)と2007年(第2次)に柏崎沖で発生した大地震は、「柏崎県沖地震」と呼ばれている。
- 当然、復興のキャッチフレーズは、「がんばろう!柏崎」になっていた。
- 観光宣伝で、河井継之助をモチーフにしたゆるキャラが使用されている。
- この他にも、直江兼続や上杉謙信や上杉景勝をモチーフにしたゆるキャラも登場している。
- 柏崎県を代表する企業として、雪国まいたけの存在感が強い。
- 勿論、ブルボンの存在感も強く、ブルボンは柏崎県を本拠地とするプロスポーツチームのスポンサーになっている。
- 県紙として「柏崎新聞」か「越後新報」が存在する。
- 県域テレビ局としては、「越後放送」「テレビ柏崎」が存在する。
- NHKの県域放送は、NHK柏崎放送局が担当する。
- 大河ドラマ「天地人」の制作には、言うまでもなくNHK柏崎放送局が関与した。
- JRグループのデスティネーションキャンペーンは、2009年が柏崎県で、2014年が新潟県と庄内地方になっていた。
- 柏崎県が「うまさぎっしり」というキャッチフレーズを使用し、新潟県と庄内地方は別のキャッチフレーズを使用した。
- JRグループのデスティネーションキャンペーンは、2009年が柏崎県で、2014年が新潟県と庄内地方になっていた。
- NHKの広域ローカルニュースは、日本海側同士である長野・富山・金沢と同じエリアになっている。
- ありそうなNHK柏崎放送局のローカル番組としては、「ためしてガッテン」の柏崎県版みたいな番組で「毎日生き生き!かしわざキット」など。
- 大河ドラマ「天地人」の制作には、言うまでもなくNHK柏崎放送局が関与した。
- 考えられる民放テレビ局名は、越後放送、テレビ柏崎、柏崎中央テレビ、北越放送かな。いずれにせよ、民放テレビ局は4局が立地するだろう。
- NHKの県域放送は、NHK柏崎放送局が担当する。
- 県域銀行として、北越銀行の他に「柏崎銀行」が存在する。
- 「雪国の県」「米どころの県」と言えば、真っ先に柏崎県を思い衝く者も多数いるだろう。
- 「越乃寒梅」は、柏崎県の日本酒メーカーのトレードマークになっており、新潟市を本拠地とする石本酒造のトレードマークになっていない。
- 柏崎県産のコシヒカリは、勿論「柏崎コシヒカリ」と呼ばれている。
- 中越高校(私立)や長岡高校が、甲子園の柏崎県代表の常連になっていた。
- 高田勢を忘れるな。
- 県のシンボルとして、雷鳥が柏崎県の県鳥になり、雪椿が柏崎県の県樹になっていた。
- 史実の新潟県民歌の2番が、柏崎県民歌の2番になっていた。
- 県のエリア区分に、「中越」「上越」という地域名は使用されていない。中越ではなく「魚沼」、上越ではなく「頚城」という地域名が使用されている。
- 下越地方出身者である君健男(新潟市出身)と泉田裕彦(加茂出身)は、柏崎県知事に就任しなかった。
- 平山征夫は柏崎県知事(在任:1992年~2004年)に就任した為、2002年の日韓WCサッカーでは柏崎県の都市が開催地の一つになったかもしれない。
- 1998年冬季五輪(立候補しようとして断念)と2002年日韓WC(立候補した)には、柏崎県が立候補を企図して、新潟県は立候補すら思い衝かなかった。
- 日韓WCの開催都市も、県庁所在地かつ新幹線停車地の柏崎になっていた。なお、開催地選考(1996年12月)では、柏崎(柏崎県)・掛川(静岡県、エコパ)・挙母(愛知県、豊田スタジアム)の3都市が争い、掛川と柏崎が当選して、挙母が落選した。
- 平山征夫は柏崎県知事(在任:1992年~2004年)に就任した為、2002年の日韓WCサッカーでは柏崎県の都市が開催地の一つになったかもしれない。
- ラジオ局では、県域AMラジオ局として越後放送(ラ・テ兼営)が、県域FMラジオ局としてエフエム柏崎が、ぞれぞれ立地する。
- 「エフエム雪国」は、柏崎県の六日町を本拠地とするコミュニティーラジオ局。
- 県庁所在地である柏崎の市制施行は1910年代で、史実(1940年代)より遙に早かった。
- 県庁と交通ターミナルの効果により、柏崎の人口は30万人近く(史実の3倍)に増えていた。
- 一方で、長岡の人口は13万人程度で、周辺市町村を史実ほど多く編入していない。
- 交通・人口・娯楽などあらゆる面で、柏崎と長岡の立場が逆転していた。
- 柏崎市の人口が約279936人(67、10000000(6)人)に上り、対する長岡市の人口は約116640人(67×5/12、2300000(6)人)に下がる。
- 県庁と交通ターミナルの効果により、柏崎の人口は30万人近く(史実の3倍)に増えていた。
- 日本地図が丸ごと出る全国の天気予報では、新潟市が表示されない。その代わり、柏崎が表示される物が出回っている。
- (1)柏崎と金沢の2箇所が表示されるパターンか、(2)柏崎と金沢が表示されず、富山が表示されるパターン;のどれかが多いだろう。
- 日本列島改造論の発信地も柏崎県になるため、柏崎空港も1980年代に開設された。場所は柏崎市内か、柏崎の近隣市町村。
- NSG(新潟総合学園)グループの専門学校が、柏崎県に進出したかどうかは未知数。
- もし柏崎県に進出しなかった場合、庄内地方に進出していた。
愛知県
- 1872年11月27日に名古屋県⇒愛知県が額田県を編入して現在の愛知県域が確定。
- トヨタ自動車名古屋オフィスは存在しない。
- 豊田通商本社は名古屋ではなく豊田市にある(東京本社は史実どおり)。
- 愛知教育大学は名古屋市に置かれた。
- 東海銀行は名古屋県の地銀なので額田県にまで進出できず、都市銀行に成長できない。
名古屋県
額田県
石川県
- 1872年に七尾県と旧石川県が合併。
- 羽咋郡南大海村(現:かほく市)は七尾石川県境をまたいでの合併はできずに、七尾県内の町と合併して宝達志水町の一部になっている。
七尾県
旧石川県
- 金沢だと北に寄り過ぎているため県庁は石川郡美川町のまま。
- 半島を失っていると石川県がどこにあるのか誰も分からない。
- 形だけ見ても石川県だと分からない。
- 県章が替わっている。
福井県
- 1873年1月に足羽県と敦賀県が合併。
- 参議院選挙区は鳥取+島根や徳島+高知同様合区が行われ、足羽+敦賀で一つの選挙区になっている(つまりは現実の選挙と変わらない)。
足羽県
- 現在の福井県北東部
- 福岡?福島?と間違われることはない。
- それでも知名度は低い。
敦賀県
滋賀県
- 1872年9月28日に大津県⇒滋賀県と、長浜県⇒犬上県が合併して発足。
- 大津県と長浜県で琵琶湖をめぐって争ってるので、京都や大阪の人に湖の水を止めると脅すこともできない。
- 人口が少ないのでびわ湖放送は存在せず、KBS大津・KBS長浜がテレビ放送を開始。
- 現実の滋賀大学は大津師範学校・大津青年師範学校からできた大津大学と、彦根高等商業学校からできた彦根大学の2つに分かれて発展していた。
大津県
長浜県
島根県
- 1876年に4月18日に浜田県が島根県に編入された。
- 平成に入る前に参議院選挙で合区が導入された。
- 今頃は人口にかかわらず各県一人ずつ選出される(米国上院式)制度に変更されている。
- 憲法改正も実現できていた。
- 隠岐はどっちだ?
- ちなみに当初隠岐は単独で隠岐県だったが後に浜田県となり、史実で浜田県と島根県が合併した時点での隠岐の帰属は鳥取県。
旧島根県
- 現在の島根県東部(旧出雲国)
- 左右どっちが島根でどっちが浜田?といわれている。
- 現実の鳥取?島根?よりは少ないだろうが‥
- 竹島は日韓ではなく島根・浜田間で領有を争っている。
- 浜田県とは合併しないものの史実どおりに鳥取県を吸収合併(1876年8月)。
- 石見地方の分だけ東西が短くて人口も少ないため、史実とは違い鳥取県が再度設置されることはない。
浜田県
熊本県
- 1873年に白川県と八代県が合併。
- 上益城郡・下益城郡・宇土郡は八代県に属するので、熊本市(白川県)は八代県に囲まれていた。
- 南区・東区の一部は越県合併できず、熊本市は現実より小さい。
白川県
- 現在の熊本県北部
- 県庁が南端に位置しているため、県北部の荒尾や玉名・山鹿などは反発し福岡県筑後地方との結ぶつきを強める。
八代県
- 現在の熊本県南部
- 政治の中心は八代だが、経済は宇土市・文化は人吉市。
- 熊本市からの電波が八代平野で受信できるので八代県に放送局はできず。
- 宇土市の第百三十五国立銀行が肥後銀行の母体となっているため、肥後銀行は八代県の銀行。
- 規模が現実より小さいため、対等ではなく鹿児島銀行の傘下に入っている。
- 白川県の熊本銀行もふくおかフィナンシャルグループ傘下なので、両県ともに他県に経済を握られている。