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{{Pathnav|もしあの鉄道車両が○○だったら|name=私鉄}}
==主な形式==
*新規追加は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
*[[東武8000系電車|8000系]]
*現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。
*[[東武50000系電車|50000系]](50050系・50070系・50090系含む)
 
==独立項目==
*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら]]
*[[もしあの鉄道車両が計画されなかったら]]
*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら]]
*[[もしあの鉄道車両がもっと長く使われていたら]]
 
==東武鉄道==
===500系===
====地下鉄乗り入れに対応していたら====
#S-TRAINのように平日は日比谷線直通、土休日は半蔵門線直通になっていた。
#*特に半蔵門線直通は中央林間~会津田島まで行く超ロングランとなる。
#*THライナーはこの車両で運行されていた。
#4両編成も製造され、途中東武動物公園で切り離していた。
#フラワーエクスプレスも特急になっていた。


==形式別の噂==
===30000系===
===30000系===
[[画像:10BU31603F00.png|frame|東急田園都市線田奈駅にて]]
====東上線に転属しなかったら====
#[[東京メトロ半蔵門線]]に乗り入れている。
#10両固定化の際に中間運転台を撤去した。
#*かなりの高コスト車両と思われる。
#あるいは伊勢崎線の8000系・10000系を置き換えたかも。
#しかし中間運転台が災いして、半蔵門線の先の[[東急田園都市線|田園都市線]]から追い出された。
#*8000系はともかく、10000系はまだ時期尚早だぞ。
#*ちなみに、関西の、[[阪急電鉄]]と、[[大阪市交通局堺筋線|大阪市営地下鉄堺筋線]]だと、阪急車両の大半が、中間運転台付きとなっている。
#**なので10000系は野田線に回されていた。
#**日本有数の混雑路線である田園都市線での最も降車数の多い渋谷駅での階段近くになる4両目と5両目の間に中間運転台があるのは致命的、唯でさえ東急は新型自社車両の5両目は6枚扉にしたのに。
 
#*その結果、極めて無駄なことに、50050系を新造し地上に転用された。
====10両貫通編成だったら====
#**まあおかげで8000系に当たる機会が少しは減った。少しは。
#「半蔵門線直通」のステッカーが貼ってあったかもしれない。
#*また、6+4編成だからこそ、フラワーエクスプレスを運転できるのである。
#東上線転属はなかった。
#*完全に撤退したわけではなく、今でも50050系と共に田園都市線でも走っている。
#*逆に東上線で先行営業を開始し、半蔵門線直通開始前に本線に一斉転出。代わりに8000系が転入し、東上線ファンからは顰蹙を買っていた。
#**「08年度の50050増備で、半直運用からは臨時以外完全撤退」という風の噂…
#50050系の製造数は少なかった。
#***最小限の編成を残して撤退するという話も出ているらしい。
#「フラワーエクスプレス」は久喜乗り換えとなっていた。
#北は太田・新栃木(ちょっと前まで東武宇都宮)から、南は中央林間まで見られる、顔の広い車両。
#*館林までホームは10両あるので館林まで走っていた。
#*久喜を発車していく普通太田行きの30000系を見かけて「そんなところまで行くんだ」と思った。田園都市線で乗ったことしかなかったから。
#*逆に、こいつが田園都市線を走ってるのかと思うと変な感じがする(by東武利用者)
#最後の茶色帯の車両。
#*同時に、良くも悪くも東武らしさがある最後の車両かと。
#半蔵門線の他社の車両と比べると車内の設備の作りこみがしっかりしている。
#*中間運転台があることを除けば、50050系よりも上かも?
#半蔵門線が押上まで開通する前は、浅草発着の準急に使われていた。
#アルナ工機製と[[東急車輛製造|東急車輛]]製では、袖仕切りの形などが異なる。
#屋根上の冷房装置についているスピーカーから発車ブザーを流せるが、バグって車内にブザーが流れたりする。
#よく「旧車」とバカにされる東急8500系より車両故障でダイヤを乱す率高し。この前なんかコンプレッサーが回りっぱなしだった。
#*それも、広範囲に影響が及ぶメトロ・東急直通用編成の故障が目立つ…
#50070系の前面LEDとは逆にこの車両の側面LEDはやたら横幅がでかい。実際の運用ではほぼありえないだろうが「柏」行きとか「県」行きを表示させてみたい。
#*2006年までは「区間準急 半蔵門線直通 中央林間」と一辺に表示する、ある意味壮観な光景が見られた。
#*「区間準急 東武動物公園」を縮小しなくても表示できる。
#先頭車同士の連結部で悪戯があるらしい くわしくはこれ[http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8008/hnzw/TOBU2003-04_overture/TOBU2003-04photos_c0.html]
#「チュイーン」って感じの音が特徴的。
#googleやyoutubeで「東武30000系」で検索すると、[[西武鉄道|こっち]]の30000系に関するページが出てきたりして困る…
#武骨な外観とは裏腹に、内装は結構すっきり(not手抜き)している。
#田園都市線沿線民は時刻表のTの文字を見て乗り心地の悪い東武車の運用を避けているらしい
#アルナ工機・東急車輛・[[富士重工業]]3社で製造されたが、31406Fは鉄道部門から撤退した富士重工が最後に手掛けた鉄道車両である。
#顔が'''イケメン'''


===20000系===
==東京メトロ==
[[画像:Tobu 20000.JPG|thumb|240px|新越谷へ向かう20000系]]
===8000系===
#[[東京メトロ日比谷線]]に乗り入れている。
====東西線に正式導入されていたら====
#*ほかの車両とことなり、車体の長さが短くてドアが1つ少なく3つである。
*史実では05系導入までの繋ぎで東西線に半蔵門線用の8000系が数年間走っていた事があります。
#**これは日比谷線に20mの車両が入れないため。
#05系の導入が史実よりも遅れていた。
#**だから1両を18mとしている。
#*最初からワイドドアである事を前提に開発されていた可能性が高い。
#**[[東急東横線|東急]]の保安装置非搭載の為菊名まで行けない。これは東急の車両でも同じ。
#*但し帯色に関しては小田急との混同を避けるために、05系とほぼ同一のカラーリングになっていた。
#制御方式は9000系と同じだが、音が10000系と大差がない。
#15000系導入時に全編成が置き換え対象になっていた。
#50・70の座席はこげ茶色だが、00だけは緑。
#*インドネシアや北綾瀬支線に送られる編成が多い一方で、B修工事の上で半蔵門線に転籍する車両もいたかもしれない。
#客室・乗務員室間の扉はガラスが大きく、背の低い子供でもかぶりつきがしやすい?
#先頭車を余分に作りすぎて余っちゃったので一部は[[伊予鉄道]]の新型電車になりました。
#6M2Tと無意味(でもない?)に高加速。京急とかには負けるが。
#*6M2Tには意味がある。地下鉄は結構急勾配あるから。中目黒~恵比寿なんて急勾配+急カーブの難所。まぁ日比谷線は平坦な区間少ないし…。
#全体的にJRの205系っぽい
#各駅停車はだいたいこいつらとメトロ03
#方向幕にいつの間にかローマ字がついた。


===20050系===
===15000系===
[[画像:Tobu 20050.JPG|thumb|240px|旧制服と20050系(越谷駅にて)]]
====ワイドドア車がなかったら====
#20000系との違いは両端が5扉になっていたり、制御装置がVVVFになっている。
#東京メトロ東西線ホームドア全駅設置が早まったかも。
#[[クレヨンしんちゃんファン|クレヨンしんちゃん]]に何度か出演している。
#*つまり07系は全て15000系に置き換えられていたか?
#*なぜか「快速/東武日光」と書いてあった。この車両は快速には使わないはずだが・・・
#混雑で苦情が殺到していた。
#中目黒の事故で側面を大破した車両がいる。
#*メトロ03系と・・・
#[[東急の車両#形式別|東急1000系]]と音が同じだが、ブレーキが緩む音が10000系と同じである。
#*東急1000系と同じ東洋GTOだが非同期の音が微妙に違う。京王1000系に近い。
#昔は9050系同様にドアの上にテレビが付いていたらしいが撤去された。
#*ドア上に、その名残と思われるでっぱりがある。
#乗車促進放送や車内自動放送の声が男性なのが特徴(20070もだが)。
#側面のLED行先表示機が、よく変な表示をしている。
#当然だが、同じ東武でも[[東武東上線]]のホームで待っていても、一生来ない。


===20070系===
==東京急行電鉄==
#両端の車両が3扉に戻った。
===7700系===
#一部で30000系の要素が取り入れられている。
====7915Fの故障が少なかったら====
#*ドアの上の駅名の表示とかパンタグラフの形とか・・・。
7700系は4両編成3本が目蒲線から池上線への転属の際、3両編成にされ余剰となった中間車3両が先頭車化改造され7915Fができましたが、制御装置の故障が多く2010年9月に廃車になりました。もし故障が少なかったら?
#日比谷線を走る東武車のなかでは当たりだと思う。
#もちろんまだ廃車にはなっていなかった
#3000系以降の車両も一部に東洋製IGBTが採用されていた。
#目蒲線分断により4両編成から3両編成への組み換えの際にも先頭車化改造が行われ、7915Fのような車両が量産されていた。
#9000系の東横線から大井町線への転属の際にも一部は先頭車化改造が行われていた。
#どちらにしろ、東急1000系リニューアル車の投入で廃車。
#*異端車である以上、真っ先に廃車になる。
#東急は先頭車化改造に消極的になることはなかった。
#*他線区への転用に際して持て余した中間車が廃車になってしまうこともなかった。


===10000系===
==相模鉄道==
[[画像:Tobu 10000.JPG|thumb|240px|[[川越駅]]にて]]
===11000系===
#8000系の後を継ぐステンレス車。
====JRに乗り入れていたら====
#音は東急8500系や西武2000系と同じようだが、多少マイルドな感じがする。
史実では計画中止になりましたが、もし実現していたら?
#更新工事に着手したものの、(08年5月現在)いまだに登場していない。
#本数に余裕ができるので埼京線大宮~武蔵浦和間の減便はなかったかもしれない。
#*大体の改造は終わった模様。08年夏中に出場するかと。更新内容は9000系とほぼ同じっぽい。
#*場合によっては日中も大宮まで乗り入れていたかもしれない。
#*出場しました。
#内装は12000系に近いものに改造されていた。
#*09/04/27現在、更新されてる11603Fの放送が自動じゃない
 
#顔がダサい。
==小田急電鉄==
#*でも、同時期の東急の車両よりは手が込んだデザインだと思う。
===9000形===
#2両固定の編成が2本が東上線に転属した。
====常磐緩行線に乗り入れていたら====
#*今のところ2本しかいない50000系と同じ本数なのになかなかお目にかからない。
実際に国鉄(JR)に乗り入れに対応できる車両になっていました。
#**9050よりは遭遇しやすいように感じる。
#常磐緩行線に乗り入れる小田急の多摩急行、準急が史実より多くなっていた。
#この前、北千住でフルカラーLEDのコイツを見たな
#1000形電車も乗り入れ対応できる車両になっていた。
#*久喜以北の普通でも運用されてたぞ。
#**北千住と西新井で区準・区急を狙って、こいつに乗りたいと思っても、なかなか当たらないのは、久喜以北でも運用されたからか…
#更新車には車内LEDや自動放送・ドアチャイムが付けられたが、最近何故かそれらが稼働していないことが多い・・・。
#ラッシュ時には、30000+10000+10030という、すごい編成が見れたりする。
#[[京王電鉄|京王]]の7000系との共通点が多い。


===10030・10050系===
==京成電鉄==
[[画像:10BU11031F00.png|frame|鶴瀬駅にて]]
===3500形===
#10000系と比べて側面の凸凹が少ないためスマートな雰囲気である。
====全編成の車体更新が行われていたら====
#10030系と10050系の違いはクーラーの形とラジオを再送信する装置の有無である。
3500形は車体更新を全編成にわたって行う予定でしたが、鋼材の腐食が予想以上に早く進んだため、約半数を更新したところで打ち切りとなり、未更新車は先に廃車されました。
#*念のため言っておくが、車内でラジオが流れているのではなく、乗客の持っているラジオを聞きやすくするための装置である。
#3000形(2代)の投入数がやや少なくなっていた。
#1両だけ作り直された車両がいる。
#全編成が京急への乗り入れを果たしていた。
#以前は東上線の小川町~寄居間でも走っていたが、ワンマン化で営業では走らなくなった。
#*京急沿線から見た京成のイメージが、史実より古臭いものとなっていた。
#*ワンマン化後も、[[秩父鉄道]]のSLへ連絡する臨時列車で入ったことがある。
#未更新車のさよなら運転イベントはなかった。
#何かの本に、8000系と同じ青帯になっていた10030系が載っていた・・・昔は青帯だった事があるらしい。
#*野田線の南桜井駅近くの模型屋でそれと思われる写真が展示されていた気がする。ちなみに、色がなんとなくりんかい線に似ている。
#**もともと、10000系列も、青にするつもりで試作車を作ったが、結局、似合わず、阪急マルーンにしたんだとか。
#***''阪急に失礼じゃ。''
#***阪急マルーンというよりもむしろ近鉄マルーンでは?
#****まあ確かに、東武・近鉄は「赤っぽい茶色」だしな。
#全体的に10000系よりかなりいいデザインだと思う。
#*車体のデザインは気に入ってるが、車内が寂しいので、10000系みたいにリニューアルしてほしい。


===10080系===
==伊豆箱根鉄道==
#東武初のVVVF車。
===7000系===
#*音は[[常磐緩行線|常磐線]]の207系や[[大阪市営地下鉄]]の新20系に似ていた。
====JRに乗り入れていたら====
#**どうやら最近になって制御装置が50000系と同じ部品に交換されたらしい。
史実ではJR線乗り入れ用を想定した機器を搭載していましたが実現することなく撤去された
#**というよりは、スペーシアの音と同じだったらしい。
#三島から沼津、静岡方面に乗り入れていた。
#車体は10030系と同じである。
#指定席車両連結も継続していた。
#*そのため、もし見れたとしても気づかない率高し。
#*列車愛称も付与されていただろう。
#*10030系と併結して走ってる率が結構高いから。両形式の差は発車時の走行音でわかる。
#修善寺踊り子の存在意義が薄くなる。
#編成数は1本だけだって?
#*あと、10080に乗りたいなら4+2の編成を狙うんだな
#**追加で浅草&北千住側の4両
#**そもそもVVVF搭載した試作車の意味で造った車両。ここで得た各種データを後発のスペーシアに生かした。なので1編成しかいない。この為ナンバーの末尾が「0」。8000系や5000系統などは「1」から始まってる。
#*昼間は南栗橋や北春日部で寝ていることも多いので、出会うにはそこそこ忍耐が必要。


===9000系===
==富山地方鉄道==
[[画像:Tobu 9000.jpg|thumb|240px|鶴瀬駅を発車する更新車]]
===7000系===
#[[東武東上線|東上線]]と[[東京メトロ有楽町線]]で走っている。
====上滝線に乗り入れていたら====
#*有楽町線乗り入れ仕様としてだと思うけど、東武で一番早く密着連結器装備したのはこの形式じゃなかったっけ?
史実では上滝線の勾配を超えられませんでしたが、もし超えられていたら?
#9001Fはドアの位置と開く音やブレーキの音が少し違う。
#路面電車乗り入れの実績を持つため、上滝線のLRT化がすんなり進んでいた。
#*その関係で副都心線(と言うか小竹向原)には入れなくなった。
#沿線人口が少ないのでそれでも赤字だが、赤字幅は史実より減っていた。
#**と言いながらも副都心線非対応車に貼られている「Y」マークがついている。
#不二越線にも駅数を増やした上で乗り入れていた。
#***と言いながらも専ら東上線内運用にばかり使われている(この前は森林公園で昼寝してた)。
#*最近、方向幕がところどころ故障していて紺色の幕を出しているときがある。
#9008Fは車体のつくりが異なる。
#*9050系とほぼ同じ構体だから。あとはクーラ配置と屋根上のラジオ受信アンテナが無いくらいの差かな?
#現在、9001F以外は[[東京メトロ副都心線]]に乗り入れるため車内が変わった。
#*前面にスカートもついたので、顔の印象が少し変わった。
#*車内は白色ベースで清潔感があり、好感が持てる。
#10000系ほどではないが、顔がダサい。
#*個人的にはこっちの方がダサイと思う。人それぞれか。
#*更新車に限るが、外見の割には車内は白色ベースにリニューアルしており、明るい感じである。ある意味ギャップが大きい。
#更新工事で9050系との見分けが付きにくくなったが、行き先表示器部分に縁があるのが9000系である。
#更新後も走行性能は変わっていないので、30000系と同じこと(東急からクレーム付けられ、結局地上に回る)になる予感…。
#*30000系は中間運転台が問題になったのであって、走行性能が問題になったのではないはず。しかも半直から完全撤退したわけでもない。9000系には中間運転台は無いし、走行性能も特に見劣りはしない。今の時点で「東急からクレーム」を想定する根拠は無いと思う。
#**東横線は、高加減速運転で110km/hで飛ばすんだが、チョッパ制御でついていけるのだろうか…。
#***おいおい、東横線で最近まで走っていた8000系はチョッパ制御だったんだが?
#****8000系がいなくなった後にダイヤ改正したんじゃないの?まあ、私は東横線のことはよく知らないんだけど。
#*****8000系が廃車される前から110km運転。というか8000系はチョッパ制御だけど普通に110km出せるよ。東武9000との違いは車体設計からかもね。
#*****東武9000系は110kmまで出せるが、加速力が高速域ではでにくくなるのでは? 副都心線では、ATOが回路のON/OFFを頻繁にやっていて、さらに東急の高加減速運転にモーター・チョッパ.etcは耐えられるのか?・・・
#******だったらVVVF化でいいよ
#更新車に限るが、座席は50000系列より座り心地が良い。
#地下鉄直通運用が主だが、地上線に直通することもある。なんか感動した。
#*地下鉄直通のみと思われているが、意外と顔の広い車両。小川町~池袋、和光市~新木場・渋谷で見ることができ、いずれは元町・中華街まで見ることができるかもしれない。


===9050系===
==名古屋鉄道==
[[画像:10Bu9152F.png|frame|朝霞台駅にて]]
===キハ8500系===
#9000系と車内の雰囲気が異なる。
====あの会社に譲渡されていたら====
#登場時、液晶テレビが付いていたがいつの間にか外された。
史実では会津鉄道に譲渡されていますが、もし、譲渡先が違っていたら?
#*末期は指で押された跡があった。
;全般
#現在、9000系と同様[[東京メトロ副都心線]]に乗り入れるため車内が変わった。
#会津鉄道とは違い、早期廃車になることはなかった。
#*ドアの上の液晶テレビが復活するかと思ったら9000系や50070系と同じLED表示器になった。
#「AIZUマウントエクスプレス」は設定されなかった。
#**50000シリーズもそうだけど、何か液晶を付けない特別な理由でもあるのかな・・・。
;三陸鉄道
#***その理由とは液晶事件でビビッているため。だから伊勢崎線の方にも一切無いわけ。もしあんなことがなかったら伊勢崎線共は即行につけているだろう。
#イベント列車仕様に改造されていた。
#****でもさ、東武に乗り入れる東急5000やメトロ10000にはついてるわけだし…。
#「リアス・シーライナー」には本形式が充当されていた。
#*****メトロ系列はフルカラーLED(方向幕ね)にビビり、西武系列は白いヘットライト(30000系も黄色ライト)にビビり、東武はLCDにビビる。東急はそんなの気にしないでバンバンやってくタイプ。
#*だが震災でその列車が運命を共にするのはほぼ現実であるが、それでもイベント列車には本形式がある程度活用されていた。
#******E233は忘れたのか?
;JR東日本
#*ただ、椅子周りが変わったのとLED表示がついた程度で9000系ほどは手を入れてない様子。
#=地方交通線への優等列車設定に意欲的だったら、である。
#**というよりは、もともと9000よりも若干進んだ設備だったからね。
#*JR東日本は非電化特急不毛の地(非電化特急が育たない)と言われ続けることもなかった。
#**2つ↑で東急はバンバン付けてくタイプといっているが東急はいまだに本物の'''網棚'''。
#形式はキハE151系だった。
#***パイプ型で失敗してパイプ型もわざわざ網に変えてます。
#「陸中」か「よねしろ」の特急格上げに充てていた。
#**ドアと化粧版はそのまま流用。
#*「陸中」に充てた場合は絶対数に限りがあるのであっても一部が格上げされるに留まっていた。
#9000系と同じく顔がダサい。
#**その分、キハ110系0番代を快速「南三陸」の指定席車に捻出するのは史実通りだった。
#*弟みたいなもんですから・・・。
#*「よねしろ」に充てた場合は快速に格下げされることはなく、特急化していた。
#*外見の割には車内は白色ベースにリニューアルしており、明るい感じである。外見とのギャップが大きい。
#**通勤優等列車の役割を果たす性質上、定期券でも乗車できるようになっていた。
#*9000系(9001F~9007F)との外見の違いは側面。コルゲート(補強用のリブ)が細かきゃ9000系。荒きゃ(ビードプレス加工)9050系。
#**701系セミクロスシート改造車は登場しなかった。
#**9008Fだけは9050系と同じ車体。
;JR東海
#50000系が来るまでは、東上線唯一のVVVF車両だった。
#走行機器や性能が同社のキハ85系とほぼ同一なので、保守・運用面での制約は少なかったと思われる。
#更新する前から自動放送があったが、本線の20050系などと同じ声だった。
#*そもそもJR東海が「北アルプス」の存在が厄介になっていなかったら受け入れていたかも。
#*現在は他の9000系や[[東京地下鉄|東京メトロ]]車両共々30000・50000系列と同様の女声に代わった。東武の通勤型電車で現在も男声の自動放送が聞けるのは[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]乗り入れ列車のみ。
#これを使用して参宮線-紀勢本線を経由して伊勢志摩と南紀を直通する特急が設定されていた。
#座席は50000系列より座り心地が良い。
#*「南紀」の増結用としても運用されていただろう。
#地下鉄直通運用が主だが、地上線に直通することもある。なんか感動した。
#*=観光列車の設定に意欲的だったら、である。
#*意外と顔の広い車両。小川町~池袋、和光市~新木場・渋谷で見ることができ、いずれは元町・中華街まで見ることができるかもしれない。
#*むしろ「かすが」の特急格上げに充てていたかも。
#キハ85系に編入していた。
#*車体構造が異なるので番台区分はされていた。
#当然、東海色に変更していた。
;京都丹後鉄道
#大阪・京都-天橋立経由豊岡方面を結ぶ特急に運用されていた。
#*鳥取や敦賀方面に乗り入れていたかもしれない。
#今頃は水戸岡デザインにリニューアルされている。
;JR九州
#水戸岡デザインにリニューアルされていた。
#恐らく久大本線・豊肥本線・肥薩線なんかで観光特急に運用されていた。
#*場合によっては博多-肥薩・吉都線経由宮崎間の特急「おおよど」が復活していたかもしれない。
;JR西日本
#「つやま」か「みよし」に投入されていた。
#*快速に統合されることなく、現在に至るまで運行していた。
#*あるいは「はまかぜ」に投入され、キハ181系を置き換えていた。
#**但しそれだけでは両数が足りないので、キハ189系の新造は史実通り。
#形式はキハ171系であり、急行形に分類されていた。
;東武鉄道
#この車両による浅草~会津若松直通が実現していた。
#*うまく行けば栗橋からJRに直通し、新宿~会津若松だったかも。
#**東京都内に乗り入れる唯一の気動車となっていた。
#史実と同じく会津鉄道を通るが、大手私鉄の整備技術で史実よりは長生きできただろう。


===2000系===
====最初から4両編成で登場していたら====
落成時には、3両編成で登場し、のちに、4両編成化されました。
#製造数が史実よりも多くなっていた。
#8両編成で運行する全車特別車の本数が朝夕ラッシュ時を中心に史実よりも多くなっていた。
==京阪電気鉄道==
===3000系===
====全て7両編成で製造されていたら====
史実では、6両編成5本、7両編成4本で投入されました。
#8500形が3000系電車に編入されることはなかった。
==阪急電鉄==
===5000系===
===5000系===
#7800系の足回りを活かしつつ車体を8000系と同じものに載せ変えた。
====宝塚線での運用が継続していたら====
#5050系や5070系と少し違うところがある。
5000系は神戸線に集中配置されいたので、1編成を宝塚線に転属しましたが、運転上、扱いにくいということで宝塚線での運用は中止となりました。もし運用が継続していたら、
#5000系は史実より多く増備されていた。
#5100系は史実より少なかったかもしれない。
#3000系と同様に9000系、1000系の増備により、今津線、伊丹線、箕面線に転属された。
#*6000系の転属は史実より遅れた。
 
====T車がもっと製造されていたら====
5000-5040に将来T車2両が組み込まれることが考慮されておりました。その際に新造された場合、5580、5590になる予定でした。もし、製造されたら…
#2000・2021系の付随車が組み込まれることはなかったかもしれない。
#*ひょっとしたら、5040形と5550形と同様に製造数は少なかった可能性もある。
#*2000・2021系は5200系に組み込まれていた可能性が高い。
#5200系電車は製造されなかったかもしれない。
#2001年~2007年に行われたリニューアル工事の際に、車番が変更されていた。
 
===6300系===
====10両編成での運行が実現したら====
実際に、計画されていました。
#早くても、1980年代に増備され、1985年11月18日頃に運用され始めた。
#10両固定編成の場合、9300系も10両編成で登場していた。
#*この場合、京阪プレミアムカーに続く形で指定席車を導入していたかもしれない。
#2連による増結の場合、車番は6320番台となり、3扉ロングシートになっていた。
#*むしろ7300系になっていただろう。
#**7300系の10連増結車と共通運用されていた。
#(2連による増結の場合)9300系の登場後も、2両編成の6300系は、増結用として利用された。
#(2連による増結の場合)通勤ラッシュ時だけではなく、行楽シーズンの時でも増結されていた。


===5050系===
====「京とれいん 雅洛」が6300系の改造による導入だったら====
#最後まで残ったつりかけ車である。
#6356Fか6330Fが改造された。
#*妻面が白くなった車両がいる。
#*6330Fは他車と仕様が異なるので6356Fあたりじゃない?
#北千住駅の[[鉄道むすめ・バスむすめファン|某駅員さん]]は引退を惜しんでいたらしい。
#2011年5月頃に運行され始めた。
#*実在の人物じゃないんかい!
#*2008年5月に「京とれいん」が運行され始めて、2010年3月に「京とれいん 雅洛」が運行され始めた。
#十三駅に停車していた。
#*2019年3月にホームドアが導入された時には、通過となっていた。


===5070系===
===8200系===
#野田線で走っていたが2004年に引退した。
====京都線でも運用されたら====
#末期は塗装は散々な状態で、車内もボロボロだった。
#車両番号は、8230、8280になっていた。
#最後まで残った編成はホームで見たときぱっと見8000系の8104F(最初期の更新車)と同じだが、床の色とか違っていた。
#*京都線用なので8340・8490かも。
#引退直前に団体列車として、東武日光・鬼怒川温泉まで台風の中運転された。
#早くても、1996年3月頃に登場していた。
#引退直前、ダイヤ改正をPRするヘッドマークが付いていたが、ダイヤ改正後走ることはなかった。
#やがて、2008年頃にロングシートに変更されていた。
#電機品は京都線用のため東洋電機製で、車体寸法も8300系と同じだった。
#*それでも堺筋線への乗り入れは行わない。
#嵐山線でも運用されていた可能性もあり得る。


===5700系===
====宝塚線でも運用されたら====
#東武博物館の構内に展示されてあるものはアルナ工機で保存されていたものらしい。
#8000系40番台は登場しなかった。
#*でも前の部分しかない。
#恐らく日生エクスプレスの増結用として運用されていた。
#[[東武動物公園|東武動物公園駅]]構内にカバーを掛けられて留置中らしい。
#やはり神戸線用と同時期に普通のロングシートに改造されている。
#モハ5701が、東武博物館に運ばれた。
#今頃は2+2で箕面線でも運用されている。
#*相棒のクハは解体されたらしい。


===モニ1400形===
===8300系===
#モニ1473は今はなき西新井の工場で入替え車として使われていた。
====増結用車両が製造されたら====
#最後まで残ったクリーム色の電車である。
8300系も8000系の8040Fのような増結車が導入されていたら
#なぜかwikipediaの記事がない。
#10両運転による快速急行が増発していた。
#*それじゃ、先に話題出したchakuwikiの勝利だな(笑)
#*特急の10両運転が実現していたかもしれない。
#**''chakuwikiがまた一歩wikipedia化した。''
#新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していたらあり得た。
#*と思ったらいつの間にWikipediaに記事がある。
#車両番号は、8340、8460になっていた。
#小山に1両居たものの、最近になって解体された。


===3000系===
===9300系===
#8000系と2000系を足して2で割ったようなデザインである。
====ロングシート車が製造されたら====
#↓の3050系や3070系と共通して足回りと車体がアンバランスである。
#側面や車内は神宝線の9000系と同じような感じになっていた。
#*但し寸法は異なる。
#恐らく堺筋線直通仕様になっていた。
#車番は9311F~になっていた。
#*9319Fの中間車に「9999」というナンバーが現れて有名になる。
#2300系の引退が早まっていた。
 
==近畿日本鉄道==
===9820系・9020系===
====大阪線・名古屋線でも運用されていたら====
#9820系は4両編成で投入されていた。
#*大阪線では、6両編成で導入されていたかもしれない。
#大阪線・名古屋線における急行・準急・普通は5~6両編成で運行されていた。
#長距離運用に備えてトイレが設置されていた。
#5820系の4両バージョンも登場していた。
#車番は「9751、9851、…」のようになっていた。
 
===12200系===
====12257F~12259Fも登場していたら====
当初は、1977年12月に、10100系電車の代替として、12257F~12259Fとして、製造されました。しかし、監督官庁からの指摘を受けて、12400系電車として、登場しました。もし、12257F~12259Fも登場していたら…
 
;予定通りに、12257F~12259Fが登場していたら
#12600系電車もなく、12261F、12262Fとして、製造された。
#*12410系が12400系を名乗っていた。
 
;史実よりも早く12257F~12259Fが登場していたら
#1974年12月に登場していた。
#近鉄特急の長編成化が史実よりも進んでいた。
#後継の22600系電車は史実よりも多く製造されていた。
 
===16000系===
====中間車が史実よりも多く製造していたら====
#4両編成での運行が史実よりも増えていた。
#*朝夕ラッシュ時には、6両編成もしくは、8両編成で運行されていたかもしれない。
#16010系電車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
 
===21000系===
====増結車が史実よりも多く製造していたら====
史実では、増結用2編成3本が製造されました。
#名阪特急の利用者が史実よりも多くなっていた。
#*無論、アーバンライナーにおける8両編成での運行本数が史実よりも多くなっていた。
#22600系電車と12200系電車は史実よりも多く製造されていた。
#*22000系電車も史実よりも多く製造されていた可能性もある。
#21000系電車自体が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
#*その場合、アーバンライナーの本数が史実よりも多くなっていた。
#*後継の80000系電車の車両数も史実よりも多くなっていた。(80000系電車の車両数が21000系電車の車両数と同じであるため。)
 
====全て8両編成で製造されていたら====
#名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていた。
#21020系電車や80000系電車も全て8両編成で製造されていた。
#アーバンライナーnextやアーバンライナーplusのデラックスシート車も2両になっていた。
 
==南海電気鉄道==
===2200系===
====高野線山岳区間直通運用が史実よりも長く残っていたら====
*当初は一部を高野線用に残す予定でしたが、最終的には全て2000系に置き換えられました。
#2000系の製造両数が減っていた。
#*余剰となった車両が本線に転用されることもなかった。
#**その分8000系の製造両数が増え、泉北3000系の本線転用も多かったかもしれない。
#*熊本電鉄に譲渡されることもなかった。
#橋本までの複線化完成後に17m車の運用が減少すると史実通り支線に転用される。
#2300系の登場や観光列車「天空」への改造は史実通りだろう。
#貴志川線には21000系が転用されていた。
#*和歌山電鐵に引き継がれるのも史実通りだが、老朽化のため2010年代に東急1000系か東京メトロ03系あたりに置き換えられていただろう。
 
===6000系===
====廃車ではなくリニューアルしていたら====
*置き換えのプレスリリースでは南海6000系を「更新」としか書かれておらず、内装を新しくして使い続けるという噂がありました
#一体何年使い続けるのか…。
#*なお養老鉄道に同時期に製造された東急7700系が譲渡されましたが、製造から50年たつがあと30年使えるとのこと。
#8300系は存在せず。
#リニューアル工事は9000系に準じる。
#さすがに戸閉装置は新品に交換されていた。
 
====南海本線にも投入していたら====
#7000系はない。
#8000系(2代)投入が遅れていた。
#6100系も本線に投入されていた。
#南海の鋼製車は特急車を除き1960年以降投入されなくなっていた。
 
===10000系===
====最初から4両固定編成で製造されていたら====
#1985年11月のダイヤ改正で特急「サザン」は8両編成で運行されていた。
#*急行も8両編成で運行されていた。
#1989年11月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
#トイレも最初から完備していた。


===3050系===
====全ての2両編成に中間車が製造されていたら====
#外観的には3000系と大した差はない。
#当然ながら、10001F - 10003Fの中間車化改造はなかった。
#*リニューアル化されて、2019年現在でも廃車されずに運行されていたかもしれない。
#**ただ、併結相手である7000・7100系の車齢を考えると12000系への置き換えもおかしくはない。
#場合によっては、中間車は1989年頃に登場していた可能性もある。
#*その場合、10006F~10010Fの登場が史実よりも早まっていた可能性もあり得る。
#*9000系電車の投入も史実よりも早まり、特急「サザン」・急行の8両化が1988年10月頃に早まっていた可能性もある。
#1992年7月の改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
#*全列車が8両化されたのと同時に統一されていた。
#12000系電車は近鉄21020系電車と同様に、リニューアル化に伴う不足を補うために導入されていた可能性が高い。
#**リニューアルが完了したら車両が余るので、一部が高野線に転属し「泉北ライナー」に運用されていた。
#**もしくは、10000系電車の一部が泉北高速鉄道に譲渡していた可能性もある。その場合、泉北高速鉄道所有の12000系電車が製造されることはなかったかもしれない。
#**最初から「泉北ライナー」向けに12000系電車が投入されていた可能性もあり得る。
#全車座席指定の列車が今でも存続していたかもしれない。


===3070系===
====中間車が史実よりも製造されていたら====
#解体の様子を納めたビデオが発売された。
#中間車に改造される先頭車が史実よりも少なくなっていた。
#*なぜかニコニコ動画にUPされたが、いつの間にか削除された。
#*2013年6月以降は新造された中間車が挿入されている編成のみが運行されていた。


===2000系===
==大阪市高速電気軌道==
#日比谷線に乗り入れるために作られた。
===10系===
#最後までクリーム色だった。
====10連化にあたり新造車を組み込んでいたら====
#*厳密に言えばお客を乗せる車両で最後のクリーム色の車両。93年頃まで走っていたっけ。
#当初計画通り1989年頃に10連化が行われていたらそうなっていた。
#[[グリーンマックス]]の大昔の8000系キットのおまけにお面パーツが入っていたらしい。
#*1700形は全車両10系後期タイプの車体を持つ車両となっていた。
#日比谷線で火事になった。
#*増結が1990年代初頭に行われた場合でもデザインは10系に合わされていた。
#*中目黒で事故って大破した車両がいたらしい。
#1101F~1104Fもリニューアルが行われていた。
#最後までクーラーが付く事は無かった。
#*2010年代に入って30000系に置き換えられていた。
#21系の新造両数が減っていた。


===2080系===
===100形(2代)===
#野田線向けに2000系を改造した車両。
====50系のT車に改造されていたら====
#前面が[[山手線]]っぽい形をしている。
#恐らく[[近鉄けいはんな線|近鉄東大阪線]]開業を機に千日前線から中央線に転属し、T車化改造が行われていた。
#*とういうか205系みたいだった。
#中央線所属の50系に関しては抑速ブレーキ設置のほか、谷町線用と同様モーター出力アップも行われていた。
#設計に無理があったらしく極めて短命で終わった車両
#1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。
#*タネ車の2000系は野田線には性能オーバー。しかもタネ車を冷房化改造しないで、オリジナルのまんまの非冷房だったからねぇ~
#*元々全電動車で設計されたものを、無理矢理電装解除などしたばっかりに、故障が頻発して乗務員からも非難轟々だったそうな。


===6050系===
===1000形(初代)===
[[画像:Tobu 6050.JPG|thumb|240px|新越谷を颯爽と通過する6050系]]
====50系への組み込みが実現していたら====
#浅草発着の快速や日光線新栃木以北、鬼怒川線の普通に使用されている。
*1970年代に四つ橋線50系のT車として組み込む構想がありましたが、実現しませんでした。
#野岩鉄道に2編成、会津鉄道に1編成所属しているが、東武とほとんど同じ仕様なので、見分けがつかない。
#製造後20年足らずで廃車されることはなかった。
#*ちなみに、野岩鉄道と会津鉄道所属車は東武から譲渡されたということになっている。
#四つ橋線における50系の活躍が現実よりも長かった。
#*メンテナンスは東武に委託してる。
#*四つ橋線からの撤退は1980年頃だった。
#6000系から走行機器を流用した編成と、オール新製の編成がある。
#**その後はモーター出力アップの上谷町線に転用されていた。
#*台車で見分けがつく。
#1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。
#**東武型ミンデン台車(FS357/057)が流用・阪急型ミンデン台車(FS529/029)が新製。
#料金不要の列車ながら座席がやけに豪華な感じがする。
#*ワインレッド一色。座席はほぼ直角だがクッション性は悪くない。転クロだったら完璧なのだが・・・
#**結構でっかい折りたたみテーブルがあった(今でもある?)。窓際のテーブルと組合すと広いテーブルになる。
#今は無き国鉄急行形の香りを残す数少ない車両
#西武4000系となんとなく存在が似ている。
#浅草から会津田島まで超ロングラン。
#そろそろ後継車両を導入する時期だと思うが…。
#*6000系の走行機器流用編成は走行機器だけでも更新しては?
#**8000系潰す方が先。
#8000系ほどじゃないが、結構塗装が凄いことになっている。
#*ジャスミンホワイト(白)を基調にパーブルルビー(マルーン)・サニーコーラル(オレンジ)の帯だが、塗り分けが東武独特。
#車内に当該車両の行先を表示する装置がある。
#*「装置」と言っても、ただの方向幕です。
#登場当初は有料優等列車(一昔前の「急行」に相当)にも使用されていた。
#*日光線・鬼怒川線の快速急行のことか。<だいや>・<おじか>が定期で、<スノーパル>・<尾瀬夜行23:50>が臨時。ちなみに23:50っていうのは浅草発車の時刻。
#一部のモハ6250は前頭部に霜取用下枠交差パンタ装備。
#*春日部から「空いてるな」と思って6050の区間快速に乗ると北千住までとまらない
#夜中に下り列車とすれ違うと、車内が夜汽車と通勤電車が混ざったような雰囲気に見える。


===1800系===
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道史|あのてつとうしやりようかたつたらしてつ]]
[[画像:Tobu 1800.JPG|thumb|240px|1800系使用の臨時快速]]
[[カテゴリ:鉄道車両|もししてつ]]
#もともとは急行「りょうもう」で使われていた。
#*08年秋の東武ファンフェスタの日に、「急行りょうもう」のヘッドマークを付けて伊勢崎まで行った。
#*前面の「りょうもう」表示は差し替え式。日光・宇都宮線系統急行向け改造受けた300・350系は電動幕式で側面にも電動幕あり。
#21世紀に入る少し前あたりに8000系と同じ色になり、通勤型に格下げされた。
#*そんで、館林エリアのワンマン化とともに引退。
#*小泉線、佐野線などで走っていた。トイレなどは撤去されていた。
#*実は前面のLED表示、「太田」「伊勢崎」「館林」などだけでなく、「浅草」「北春日部」なども表示できることは意外に知られていない。
#東上線へ転属することを思い描いていた人が多いらしい。
#りょうもう色の編成が残っており、臨時列車などに時々使われる。
#*1809編成。他の編成より遅れて導入された編成で、ヘッドライトが角型になるなど細部が変更された。
#*東武日光発着の臨時快速に使われたりするが、10000系などのロングシート通勤車を充当させる場合もあり、まさに天国と地獄。
#色使いが[[京急の車両]]っぽい。
#普段は北春日部の車庫で暇をこいている。
#*仕方ないよ。臨時列車のお呼び無きゃ失業してんだもん…。かといって200系入場のピンチランナーで特急「りょうもう」に入るわけにもいかんし(200系とは性能差があり過ぎ)…。入ったら入ったで[[鉄道ファン|こいつら]]が出撃するだろうし。
#ニックネームはペコちゃんだった。
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{{東武鉄道}}
[[Category:東武鉄道|しやりようけいしきへつ]]
[[Category:鉄道車両|とうふけいしきへつ]]

2021年3月1日 (月) 12:24時点における版

  • 新規追加は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
  • 現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。

独立項目

東武鉄道

500系

地下鉄乗り入れに対応していたら

  1. S-TRAINのように平日は日比谷線直通、土休日は半蔵門線直通になっていた。
    • 特に半蔵門線直通は中央林間~会津田島まで行く超ロングランとなる。
    • THライナーはこの車両で運行されていた。
  2. 4両編成も製造され、途中東武動物公園で切り離していた。
  3. フラワーエクスプレスも特急になっていた。

30000系

東上線に転属しなかったら

  1. 10両固定化の際に中間運転台を撤去した。
  2. あるいは伊勢崎線の8000系・10000系を置き換えたかも。
    • 8000系はともかく、10000系はまだ時期尚早だぞ。
      • なので10000系は野田線に回されていた。

10両貫通編成だったら

  1. 「半蔵門線直通」のステッカーが貼ってあったかもしれない。
  2. 東上線転属はなかった。
    • 逆に東上線で先行営業を開始し、半蔵門線直通開始前に本線に一斉転出。代わりに8000系が転入し、東上線ファンからは顰蹙を買っていた。
  3. 50050系の製造数は少なかった。
  4. 「フラワーエクスプレス」は久喜乗り換えとなっていた。
    • 館林までホームは10両あるので館林まで走っていた。

東京メトロ

8000系

東西線に正式導入されていたら

  • 史実では05系導入までの繋ぎで東西線に半蔵門線用の8000系が数年間走っていた事があります。
  1. 05系の導入が史実よりも遅れていた。
    • 最初からワイドドアである事を前提に開発されていた可能性が高い。
    • 但し帯色に関しては小田急との混同を避けるために、05系とほぼ同一のカラーリングになっていた。
  2. 15000系導入時に全編成が置き換え対象になっていた。
    • インドネシアや北綾瀬支線に送られる編成が多い一方で、B修工事の上で半蔵門線に転籍する車両もいたかもしれない。

15000系

ワイドドア車がなかったら

  1. 東京メトロ東西線ホームドア全駅設置が早まったかも。
    • つまり07系は全て15000系に置き換えられていたか?
  2. 混雑で苦情が殺到していた。

東京急行電鉄

7700系

7915Fの故障が少なかったら

7700系は4両編成3本が目蒲線から池上線への転属の際、3両編成にされ余剰となった中間車3両が先頭車化改造され7915Fができましたが、制御装置の故障が多く2010年9月に廃車になりました。もし故障が少なかったら?

  1. もちろんまだ廃車にはなっていなかった
  2. 3000系以降の車両も一部に東洋製IGBTが採用されていた。
  3. 目蒲線分断により4両編成から3両編成への組み換えの際にも先頭車化改造が行われ、7915Fのような車両が量産されていた。
  4. 9000系の東横線から大井町線への転属の際にも一部は先頭車化改造が行われていた。
  5. どちらにしろ、東急1000系リニューアル車の投入で廃車。
    • 異端車である以上、真っ先に廃車になる。
  6. 東急は先頭車化改造に消極的になることはなかった。
    • 他線区への転用に際して持て余した中間車が廃車になってしまうこともなかった。

相模鉄道

11000系

JRに乗り入れていたら

史実では計画中止になりましたが、もし実現していたら?

  1. 本数に余裕ができるので埼京線大宮~武蔵浦和間の減便はなかったかもしれない。
    • 場合によっては日中も大宮まで乗り入れていたかもしれない。
  2. 内装は12000系に近いものに改造されていた。

小田急電鉄

9000形

常磐緩行線に乗り入れていたら

実際に国鉄(JR)に乗り入れに対応できる車両になっていました。

  1. 常磐緩行線に乗り入れる小田急の多摩急行、準急が史実より多くなっていた。
  2. 1000形電車も乗り入れ対応できる車両になっていた。

京成電鉄

3500形

全編成の車体更新が行われていたら

3500形は車体更新を全編成にわたって行う予定でしたが、鋼材の腐食が予想以上に早く進んだため、約半数を更新したところで打ち切りとなり、未更新車は先に廃車されました。

  1. 3000形(2代)の投入数がやや少なくなっていた。
  2. 全編成が京急への乗り入れを果たしていた。
    • 京急沿線から見た京成のイメージが、史実より古臭いものとなっていた。
  3. 未更新車のさよなら運転イベントはなかった。

伊豆箱根鉄道

7000系

JRに乗り入れていたら

史実ではJR線乗り入れ用を想定した機器を搭載していましたが実現することなく撤去された

  1. 三島から沼津、静岡方面に乗り入れていた。
  2. 指定席車両連結も継続していた。
    • 列車愛称も付与されていただろう。
  3. 修善寺踊り子の存在意義が薄くなる。

富山地方鉄道

7000系

上滝線に乗り入れていたら

史実では上滝線の勾配を超えられませんでしたが、もし超えられていたら?

  1. 路面電車乗り入れの実績を持つため、上滝線のLRT化がすんなり進んでいた。
  2. 沿線人口が少ないのでそれでも赤字だが、赤字幅は史実より減っていた。
  3. 不二越線にも駅数を増やした上で乗り入れていた。

名古屋鉄道

キハ8500系

あの会社に譲渡されていたら

史実では会津鉄道に譲渡されていますが、もし、譲渡先が違っていたら?

全般
  1. 会津鉄道とは違い、早期廃車になることはなかった。
  2. 「AIZUマウントエクスプレス」は設定されなかった。
三陸鉄道
  1. イベント列車仕様に改造されていた。
  2. 「リアス・シーライナー」には本形式が充当されていた。
    • だが震災でその列車が運命を共にするのはほぼ現実であるが、それでもイベント列車には本形式がある程度活用されていた。
JR東日本
  1. =地方交通線への優等列車設定に意欲的だったら、である。
    • JR東日本は非電化特急不毛の地(非電化特急が育たない)と言われ続けることもなかった。
  2. 形式はキハE151系だった。
  3. 「陸中」か「よねしろ」の特急格上げに充てていた。
    • 「陸中」に充てた場合は絶対数に限りがあるのであっても一部が格上げされるに留まっていた。
      • その分、キハ110系0番代を快速「南三陸」の指定席車に捻出するのは史実通りだった。
    • 「よねしろ」に充てた場合は快速に格下げされることはなく、特急化していた。
      • 通勤優等列車の役割を果たす性質上、定期券でも乗車できるようになっていた。
      • 701系セミクロスシート改造車は登場しなかった。
JR東海
  1. 走行機器や性能が同社のキハ85系とほぼ同一なので、保守・運用面での制約は少なかったと思われる。
    • そもそもJR東海が「北アルプス」の存在が厄介になっていなかったら受け入れていたかも。
  2. これを使用して参宮線-紀勢本線を経由して伊勢志摩と南紀を直通する特急が設定されていた。
    • 「南紀」の増結用としても運用されていただろう。
    • =観光列車の設定に意欲的だったら、である。
    • むしろ「かすが」の特急格上げに充てていたかも。
  3. キハ85系に編入していた。
    • 車体構造が異なるので番台区分はされていた。
  4. 当然、東海色に変更していた。
京都丹後鉄道
  1. 大阪・京都-天橋立経由豊岡方面を結ぶ特急に運用されていた。
    • 鳥取や敦賀方面に乗り入れていたかもしれない。
  2. 今頃は水戸岡デザインにリニューアルされている。
JR九州
  1. 水戸岡デザインにリニューアルされていた。
  2. 恐らく久大本線・豊肥本線・肥薩線なんかで観光特急に運用されていた。
    • 場合によっては博多-肥薩・吉都線経由宮崎間の特急「おおよど」が復活していたかもしれない。
JR西日本
  1. 「つやま」か「みよし」に投入されていた。
    • 快速に統合されることなく、現在に至るまで運行していた。
    • あるいは「はまかぜ」に投入され、キハ181系を置き換えていた。
      • 但しそれだけでは両数が足りないので、キハ189系の新造は史実通り。
  2. 形式はキハ171系であり、急行形に分類されていた。
東武鉄道
  1. この車両による浅草~会津若松直通が実現していた。
    • うまく行けば栗橋からJRに直通し、新宿~会津若松だったかも。
      • 東京都内に乗り入れる唯一の気動車となっていた。
  2. 史実と同じく会津鉄道を通るが、大手私鉄の整備技術で史実よりは長生きできただろう。

2000系

最初から4両編成で登場していたら

落成時には、3両編成で登場し、のちに、4両編成化されました。

  1. 製造数が史実よりも多くなっていた。
  2. 8両編成で運行する全車特別車の本数が朝夕ラッシュ時を中心に史実よりも多くなっていた。

京阪電気鉄道

3000系

全て7両編成で製造されていたら

史実では、6両編成5本、7両編成4本で投入されました。

  1. 8500形が3000系電車に編入されることはなかった。

阪急電鉄

5000系

宝塚線での運用が継続していたら

5000系は神戸線に集中配置されいたので、1編成を宝塚線に転属しましたが、運転上、扱いにくいということで宝塚線での運用は中止となりました。もし運用が継続していたら、

  1. 5000系は史実より多く増備されていた。
  2. 5100系は史実より少なかったかもしれない。
  3. 3000系と同様に9000系、1000系の増備により、今津線、伊丹線、箕面線に転属された。
    • 6000系の転属は史実より遅れた。

T車がもっと製造されていたら

5000-5040に将来T車2両が組み込まれることが考慮されておりました。その際に新造された場合、5580、5590になる予定でした。もし、製造されたら…

  1. 2000・2021系の付随車が組み込まれることはなかったかもしれない。
    • ひょっとしたら、5040形と5550形と同様に製造数は少なかった可能性もある。
    • 2000・2021系は5200系に組み込まれていた可能性が高い。
  2. 5200系電車は製造されなかったかもしれない。
  3. 2001年~2007年に行われたリニューアル工事の際に、車番が変更されていた。

6300系

10両編成での運行が実現したら

実際に、計画されていました。

  1. 早くても、1980年代に増備され、1985年11月18日頃に運用され始めた。
  2. 10両固定編成の場合、9300系も10両編成で登場していた。
    • この場合、京阪プレミアムカーに続く形で指定席車を導入していたかもしれない。
  3. 2連による増結の場合、車番は6320番台となり、3扉ロングシートになっていた。
    • むしろ7300系になっていただろう。
      • 7300系の10連増結車と共通運用されていた。
  4. (2連による増結の場合)9300系の登場後も、2両編成の6300系は、増結用として利用された。
  5. (2連による増結の場合)通勤ラッシュ時だけではなく、行楽シーズンの時でも増結されていた。

「京とれいん 雅洛」が6300系の改造による導入だったら

  1. 6356Fか6330Fが改造された。
    • 6330Fは他車と仕様が異なるので6356Fあたりじゃない?
  2. 2011年5月頃に運行され始めた。
    • 2008年5月に「京とれいん」が運行され始めて、2010年3月に「京とれいん 雅洛」が運行され始めた。
  3. 十三駅に停車していた。
    • 2019年3月にホームドアが導入された時には、通過となっていた。

8200系

京都線でも運用されたら

  1. 車両番号は、8230、8280になっていた。
    • 京都線用なので8340・8490かも。
  2. 早くても、1996年3月頃に登場していた。
  3. やがて、2008年頃にロングシートに変更されていた。
  4. 電機品は京都線用のため東洋電機製で、車体寸法も8300系と同じだった。
    • それでも堺筋線への乗り入れは行わない。
  5. 嵐山線でも運用されていた可能性もあり得る。

宝塚線でも運用されたら

  1. 8000系40番台は登場しなかった。
  2. 恐らく日生エクスプレスの増結用として運用されていた。
  3. やはり神戸線用と同時期に普通のロングシートに改造されている。
  4. 今頃は2+2で箕面線でも運用されている。

8300系

増結用車両が製造されたら

8300系も8000系の8040Fのような増結車が導入されていたら

  1. 10両運転による快速急行が増発していた。
    • 特急の10両運転が実現していたかもしれない。
  2. 新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していたらあり得た。
  3. 車両番号は、8340、8460になっていた。

9300系

ロングシート車が製造されたら

  1. 側面や車内は神宝線の9000系と同じような感じになっていた。
    • 但し寸法は異なる。
  2. 恐らく堺筋線直通仕様になっていた。
  3. 車番は9311F~になっていた。
    • 9319Fの中間車に「9999」というナンバーが現れて有名になる。
  4. 2300系の引退が早まっていた。

近畿日本鉄道

9820系・9020系

大阪線・名古屋線でも運用されていたら

  1. 9820系は4両編成で投入されていた。
    • 大阪線では、6両編成で導入されていたかもしれない。
  2. 大阪線・名古屋線における急行・準急・普通は5~6両編成で運行されていた。
  3. 長距離運用に備えてトイレが設置されていた。
  4. 5820系の4両バージョンも登場していた。
  5. 車番は「9751、9851、…」のようになっていた。

12200系

12257F~12259Fも登場していたら

当初は、1977年12月に、10100系電車の代替として、12257F~12259Fとして、製造されました。しかし、監督官庁からの指摘を受けて、12400系電車として、登場しました。もし、12257F~12259Fも登場していたら…

予定通りに、12257F~12259Fが登場していたら
  1. 12600系電車もなく、12261F、12262Fとして、製造された。
    • 12410系が12400系を名乗っていた。
史実よりも早く12257F~12259Fが登場していたら
  1. 1974年12月に登場していた。
  2. 近鉄特急の長編成化が史実よりも進んでいた。
  3. 後継の22600系電車は史実よりも多く製造されていた。

16000系

中間車が史実よりも多く製造していたら

  1. 4両編成での運行が史実よりも増えていた。
    • 朝夕ラッシュ時には、6両編成もしくは、8両編成で運行されていたかもしれない。
  2. 16010系電車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。

21000系

増結車が史実よりも多く製造していたら

史実では、増結用2編成3本が製造されました。

  1. 名阪特急の利用者が史実よりも多くなっていた。
    • 無論、アーバンライナーにおける8両編成での運行本数が史実よりも多くなっていた。
  2. 22600系電車と12200系電車は史実よりも多く製造されていた。
    • 22000系電車も史実よりも多く製造されていた可能性もある。
  3. 21000系電車自体が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
    • その場合、アーバンライナーの本数が史実よりも多くなっていた。
    • 後継の80000系電車の車両数も史実よりも多くなっていた。(80000系電車の車両数が21000系電車の車両数と同じであるため。)

全て8両編成で製造されていたら

  1. 名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていた。
  2. 21020系電車や80000系電車も全て8両編成で製造されていた。
  3. アーバンライナーnextやアーバンライナーplusのデラックスシート車も2両になっていた。

南海電気鉄道

2200系

高野線山岳区間直通運用が史実よりも長く残っていたら

  • 当初は一部を高野線用に残す予定でしたが、最終的には全て2000系に置き換えられました。
  1. 2000系の製造両数が減っていた。
    • 余剰となった車両が本線に転用されることもなかった。
      • その分8000系の製造両数が増え、泉北3000系の本線転用も多かったかもしれない。
    • 熊本電鉄に譲渡されることもなかった。
  2. 橋本までの複線化完成後に17m車の運用が減少すると史実通り支線に転用される。
  3. 2300系の登場や観光列車「天空」への改造は史実通りだろう。
  4. 貴志川線には21000系が転用されていた。
    • 和歌山電鐵に引き継がれるのも史実通りだが、老朽化のため2010年代に東急1000系か東京メトロ03系あたりに置き換えられていただろう。

6000系

廃車ではなくリニューアルしていたら

  • 置き換えのプレスリリースでは南海6000系を「更新」としか書かれておらず、内装を新しくして使い続けるという噂がありました
  1. 一体何年使い続けるのか…。
    • なお養老鉄道に同時期に製造された東急7700系が譲渡されましたが、製造から50年たつがあと30年使えるとのこと。
  2. 8300系は存在せず。
  3. リニューアル工事は9000系に準じる。
  4. さすがに戸閉装置は新品に交換されていた。

南海本線にも投入していたら

  1. 7000系はない。
  2. 8000系(2代)投入が遅れていた。
  3. 6100系も本線に投入されていた。
  4. 南海の鋼製車は特急車を除き1960年以降投入されなくなっていた。

10000系

最初から4両固定編成で製造されていたら

  1. 1985年11月のダイヤ改正で特急「サザン」は8両編成で運行されていた。
    • 急行も8両編成で運行されていた。
  2. 1989年11月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
  3. トイレも最初から完備していた。

全ての2両編成に中間車が製造されていたら

  1. 当然ながら、10001F - 10003Fの中間車化改造はなかった。
    • リニューアル化されて、2019年現在でも廃車されずに運行されていたかもしれない。
      • ただ、併結相手である7000・7100系の車齢を考えると12000系への置き換えもおかしくはない。
  2. 場合によっては、中間車は1989年頃に登場していた可能性もある。
    • その場合、10006F~10010Fの登場が史実よりも早まっていた可能性もあり得る。
    • 9000系電車の投入も史実よりも早まり、特急「サザン」・急行の8両化が1988年10月頃に早まっていた可能性もある。
  3. 1992年7月の改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
    • 全列車が8両化されたのと同時に統一されていた。
  4. 12000系電車は近鉄21020系電車と同様に、リニューアル化に伴う不足を補うために導入されていた可能性が高い。
      • リニューアルが完了したら車両が余るので、一部が高野線に転属し「泉北ライナー」に運用されていた。
      • もしくは、10000系電車の一部が泉北高速鉄道に譲渡していた可能性もある。その場合、泉北高速鉄道所有の12000系電車が製造されることはなかったかもしれない。
      • 最初から「泉北ライナー」向けに12000系電車が投入されていた可能性もあり得る。
  5. 全車座席指定の列車が今でも存続していたかもしれない。

中間車が史実よりも製造されていたら

  1. 中間車に改造される先頭車が史実よりも少なくなっていた。
    • 2013年6月以降は新造された中間車が挿入されている編成のみが運行されていた。

大阪市高速電気軌道

10系

10連化にあたり新造車を組み込んでいたら

  1. 当初計画通り1989年頃に10連化が行われていたらそうなっていた。
    • 1700形は全車両10系後期タイプの車体を持つ車両となっていた。
    • 増結が1990年代初頭に行われた場合でもデザインは10系に合わされていた。
  2. 1101F~1104Fもリニューアルが行われていた。
    • 2010年代に入って30000系に置き換えられていた。
  3. 21系の新造両数が減っていた。

100形(2代)

50系のT車に改造されていたら

  1. 恐らく近鉄東大阪線開業を機に千日前線から中央線に転属し、T車化改造が行われていた。
  2. 中央線所属の50系に関しては抑速ブレーキ設置のほか、谷町線用と同様モーター出力アップも行われていた。
  3. 1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。

1000形(初代)

50系への組み込みが実現していたら

  • 1970年代に四つ橋線50系のT車として組み込む構想がありましたが、実現しませんでした。
  1. 製造後20年足らずで廃車されることはなかった。
  2. 四つ橋線における50系の活躍が現実よりも長かった。
    • 四つ橋線からの撤退は1980年頃だった。
      • その後はモーター出力アップの上谷町線に転用されていた。
  3. 1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。