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==日本軍の空母の噂==
{{Pathnav|もしあの鉄道車両が○○だったら|name=私鉄}}
#空中から識別するために、甲板に艦名の頭文字がカタカナで描かれている。
*新規追加は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
===赤城===
*現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。
#ミッドウェー海戦で沈んだ空母の一つ。
#南雲中将率いる第一機動艦隊の旗艦。
#*艦橋が低いから、旗艦には不向きだと言われたが、元戦艦だからと言う理由で押し切ったらしい。
#**赤城は巡洋艦からの改造である。
#***元々は金剛型4隻の次級天城型巡洋戦艦二番艦。命名時は巡洋艦の扱いで「山の名」がついた。のちに日本では「巡洋戦艦は戦艦」になったので、赤城も「元戦艦」と言えなくはない。
#****ちなみに巡洋艦と巡洋戦艦は別の艦種。
#空母に改装されたばかりの頃は(一応)3段空母で20センチ砲を搭載していた。
#*建造当時(1920年ごろ)は航空機の性能(特に航続距離)が短く、空母航空機が主力になりえず、空母も砲撃戦に参加する可能性が高かったため。
#**ついでに近代化改装後も20センチ砲は装備したままである。ミッドウェー海戦で発砲したらしい。
#映画『トラ・トラ・トラ!』ではシルエットをエンタープライズに間違われたが、実はそのシルエットは赤城ではない。
#*そのシルエットは映画では赤城として撮影されたレキシントンのもの。
#長門より大型の巡洋戦艦として登場する予定だった。
#パンツアニメでは、なんと空中空母になった。
#図体の割りに艦橋が小さいのでやたら巨大に見える。
#ドイツに設計図を渡して「グラーフ・ツェッペリン」として建造されたが建造中止
#[[艦隊これくしょん -艦これ-|軍艦擬人化ゲーム]]では「[[ベタな大食い・早食いキャラの法則|大食らい]]・[[ニート|食っちゃ寝]]」に。どうしてこうなった?


===飛龍===
==独立項目==
#ミッドウェーにおいて他の空母が早々に戦闘不能となる中で孤軍奮闘し米空母を一隻撃沈した。
*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら]]
#*正確にはヨークタウンを撃破。沈めたのは伊-168。
*[[もしあの鉄道車両が計画されなかったら]]
#パイロットから「艦首右前方に艦橋があると邪魔」と指摘された為、艦橋を左中央に。
*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら]]
#*で、「右に煙突があるからバランスが取れていいんじゃね?」と設計図を見ながらニヤニヤしてたら後で大変な事に……。
*[[もしあの鉄道車両がもっと長く使われていたら]]
#*空母とか全部右舷に艦橋があるのは、海の交通ルールでは右側に他の船を見たほうが回避義務があることになっているため。ルールよりも帝國軍艦がえらかったのか?
#**本気で言っているのか不明だけど、艦橋が右にあろうが左にあろうが自船から他の船を見たときの方向は、相手が右舷側にいれば同じ右である。
#***当時のプロペラ機のプロペラの回転方向の関係から右に機体がずれやすい。というのも右艦橋がよくないとされた理由の一つだったとか。
#*まさに飛龍革命(違)
#*えーと……日本海軍の空母は、当初2隻セットでの運用が前提だったので、お互いの艦橋が相手の艦載機に干渉しないよう艦橋は奇数艦が右(「加賀」「蒼龍」)、偶数艦は左(「赤城」「飛龍」)になっていたのです。
#**その後、あんまり意味が無い事がわかったので、「瑞鶴」の計画段階で左に統一されました。
#***翔鶴型は右では。右に統一、なら正しい


===加賀===
==東武鉄道==
#搭載機は70機と日本軍の中では多く艦載機を搭載できた。
===500系===
#*最大搭載機数は90機である。ちなみに赤城は91機。
====地下鉄乗り入れに対応していたら====
#赤城と同様、ミッドウェー海戦で沈んだ空母の一つ。
#S-TRAINのように平日は日比谷線直通、土休日は半蔵門線直通になっていた。
#一時期使用していたダクト型煙突は最悪だった。艦尾の気流を乱すし、居住区をサウナ化していた。
#*特に半蔵門線直通は中央林間~会津田島まで行く超ロングランとなる。
#*これは煙突排出口の近くに居住区があったからである。設計者の頭には居住環境という要素がなかったらしい。
#*THライナーはこの車両で運行されていた。
#**下にある用に建造途中から計画がどんどん変更されてしまったため、それに対応するため。最初から空母として作られていたり戦艦のまま完成していればそんなことにはならなかった。
#4両編成も製造され、途中東武動物公園で切り離していた。
#*当時海軍パイロットを海鷲と呼んだことから、ついた渾名が「海鷲の焼き鳥製造器」
#フラワーエクスプレスも特急になっていた。
#最初は戦艦として建造されたが、軍縮条約で廃艦決定→空母転用予定の巡洋艦天城が関東大震災で大破→加賀が空母転用決定、と二転三転。
#*そのため、排水量当たりの機関パワーが足りず最高速度は28ノットどまり。微妙に南雲機動部隊の足を引っ張る。
#**ただ、元戦艦だけあった安定性には確かなものがあり、着艦するパイロットからも受けは良かった。
#艦内風紀は最悪、自殺者多数、メシはまずい…であまり居心地の良い艦では無かったらしい。板倉光馬氏曰く「陰湿な気風の艦」


===蒼龍===
===30000系===
#ミッドウェー回線で沈んだ空母の一つ。
====東上線に転属しなかったら====
#日本海軍初の近代的正規空母。
#10両固定化の際に中間運転台を撤去した。
#日本空母一の俊足。
#あるいは伊勢崎線の8000系・10000系を置き換えたかも。
#本艦と飛龍を足して2で割って雲龍型を設計。
#*8000系はともかく、10000系はまだ時期尚早だぞ。
#**なので10000系は野田線に回されていた。


===隼鷹===
====10両貫通編成だったら====
#角田少将が指揮した南太平洋海鮮で活躍。
#「半蔵門線直通」のステッカーが貼ってあったかもしれない。
#終戦まで生き残れた数少ない空母。
#東上線転属はなかった。
#元は日本郵船の「橿原丸」という、日本最大の客船になるはずだった。
#*逆に東上線で先行営業を開始し、半蔵門線直通開始前に本線に一斉転出。代わりに8000系が転入し、東上線ファンからは顰蹙を買っていた。
#*有事には海軍が徴用する契約で、建造費用を海軍が6割負担して建造された。
#50050系の製造数は少なかった。
#*終戦後の処遇として、再び客船に改造するという案もあった。しかしながら空母にする際に原型を留めぬ程改造したため戻すことが出来ず、そのまま解体となった。
#「フラワーエクスプレス」は久喜乗り換えとなっていた。
#内火艇とぶつかった時に隼鷹の方がすこし凹んだ。(一応、装甲張ってない所のようだけど)
#*館林までホームは10両あるので館林まで走っていた。
#空母に改装後、艦内で「女のすすり泣く声が聞こえる」などという噂があったらしい。怖い


===飛鷹===
==東京メトロ==
#隼鷹型2番艦。日本郵船の「出雲丸」を改造。ただし改造前提の設計だった。
===8000系===
#隼鷹とともにミッドウェー後の主力空母の役割を担う。
====東西線に正式導入されていたら====
#客船改造だけあって、艦内は何となく優美な作りだったらしい。
*史実では05系導入までの繋ぎで東西線に半蔵門線用の8000系が数年間走っていた事があります。
#マリアナ沖海戦で空襲と敵潜の魚雷により沈没。
#05系の導入が史実よりも遅れていた。
#*最初からワイドドアである事を前提に開発されていた可能性が高い。
#*但し帯色に関しては小田急との混同を避けるために、05系とほぼ同一のカラーリングになっていた。
#15000系導入時に全編成が置き換え対象になっていた。
#*インドネシアや北綾瀬支線に送られる編成が多い一方で、B修工事の上で半蔵門線に転籍する車両もいたかもしれない。


===大鳳===
===15000系===
#とてつもない防御力を備えた空母!の筈だったが'''魚雷一発で沈んでしまった・・・・・。'''
====ワイドドア車がなかったら====
#*ガソリンタンクの防御不足。これ以後セメントでタンクを補強するようになった。
#東京メトロ東西線ホームドア全駅設置が早まったかも。
#*「あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!」状態。
#*つまり07系は全て15000系に置き換えられていたか?
#**気密性が良すぎたというか、換気が悪いというのか、その辺も問題だったらしい。
#混雑で苦情が殺到していた。
#理論上は500kg爆弾に耐えられることになっていた。
#*前後エレベーター間だけ。


===信濃===
==東京急行電鉄==
#[[大和_(戦艦)|大和]]級三番艦だけど建造途中から空母に変更。
===7700系===
#*ミッドウェーで空母が沈みすぎたからと言う悲しい理由。
====7915Fの故障が少なかったら====
#でかいけど搭載機数は軽空母並だった。
7700系は4両編成3本が目蒲線から池上線への転属の際、3両編成にされ余剰となった中間車3両が先頭車化改造され7915Fができましたが、制御装置の故障が多く2010年9月に廃車になりました。もし故障が少なかったら?
#*元々前進基地として使う予定だったので、自分の護衛機と予備機しか積まないから。
#もちろんまだ廃車にはなっていなかった
#**信濃と上記の大鳳は搭載機を烈風と流星で計算していたからという説もある。大鳳はカタログスペック上は搭載機は52+1機だが、零戦・天山なら70機積めるという説もある。
#3000系以降の車両も一部に東洋製IGBTが採用されていた。
#一度も実戦参加せずに海の藻屑・・・
#目蒲線分断により4両編成から3両編成への組み換えの際にも先頭車化改造が行われ、7915Fのような車両が量産されていた。
#*ある意味いきなり実戦かも・・・
#9000系の東横線から大井町線への転属の際にも一部は先頭車化改造が行われていた。
#*進水後、残りの艤装をするために、呉へ回航中に潮岬沖で撃沈された。
#どちらにしろ、東急1000系リニューアル車の投入で廃車。
#**魚雷を受けたのは浜名湖沖。被雷後4時間以上も航行したらしい・・・(沈没は7時間後)。
#*異端車である以上、真っ先に廃車になる。
#*乗員の半分以上が訓練未熟で、かつ艦内をケーブルが縦横無尽に這わせたままのため、魚雷を食らった後の防水・注水作業がうまくできなかったらしい。
#東急は先頭車化改造に消極的になることはなかった。
#対空ロケット砲を装備していたとかいなかったとか。
#*他線区への転用に際して持て余した中間車が廃車になってしまうこともなかった。
#進水式で浸水しかねないトラブル・・・。先を暗示していたのかも。
#ちなみに信濃を沈めた潜水艦は上層部に「そんな大きな空母が居るわけねぇだろ」と言われてしまい、撃沈したのは瑞鶴かそこらへんとされてしまった・・・
#*さらにその後、上層部が信濃の詳細を知る前に沈めた潜水艦が撃沈されてしまったため、「世界最大の空母を撃沈した功績」を本人たちが知ることは無かったのだ。
#**信濃を沈めた潜水艦「アーチャーフィッシュ」は撃沈されてない。後に当時の艦長が信濃撃沈時の様子を本にして出版してたりする。
#船がでかすぎて、遭難者がいたそうな。
#紫電改の艦上機型の着艦実験が行われた。
#就役したのはレイテ沖海戦の後。仮に就役直後に撃沈されなくても、結局役に立たなかっただろう。


===瑞鶴===
==相模鉄道==
#フィリピンで沈んだ日本最後の空母。
===11000系===
#*鳳翔? 葛城? 隼鷹? 
====JRに乗り入れていたら====
#レイテ海戦で自ら囮になって[[大和_(戦艦)|大和]]を助けたが、その大和が勝手に帰ってしまった。もちろん某戦艦大和の映画ではそんなことはまったく描かれていない。
史実では計画中止になりましたが、もし実現していたら?
#*[[東宝]]映画『連合艦隊』では、そのことについても、かなり描かれている。
#本数に余裕ができるので埼京線大宮~武蔵浦和間の減便はなかったかもしれない。
#五航戦そろって[[ドラゴンクエストVI|DQ6]]の中ボスの名前になるぐらい有名。
#*場合によっては日中も大宮まで乗り入れていたかもしれない。
#内装は12000系に近いものに改造されていた。


===翔鶴===
==小田急電鉄==
#有名な'''被害担当艦'''。
===9000形===
#沈没時、ほぼ轟沈状態であったため、乗組員の生存がほとんどなく、詳しいことがまだまだ謎に包まれているらしい。
====常磐緩行線に乗り入れていたら====
#*とりあえず、瑞鶴のように、写真なんか撮ってるヒマはなかった。
実際に国鉄(JR)に乗り入れに対応できる車両になっていました。
#**わずかな生き残りの証言によると、艦が直角90度に傾き沈んだらしい。そこに居合わせたらと思うと、想像するのも恐ろしい…
#常磐緩行線に乗り入れる小田急の多摩急行、準急が史実より多くなっていた。
#我が国初のバルバスバウを採用した艦にあたるらしい。
#1000形電車も乗り入れ対応できる車両になっていた。
#*しかし,徹底図解船のしくみ(編者…新星出版社編集部,発行者…富永靖弘,発行所…株式会社新星出版社)にはバルバスバウを日本で初めて採用した艦は「大和」型戦艦と書いてありました。なぜ「翔鶴」と書かなかったの?
#**「竣工時と起工段階からの差」になりそうだな。どうやら。


===雲龍===
==京成電鉄==
#海軍が最後に建造した空母。だけど、かなり地味…。
===3500形===
#*雲竜'''級'''ね。
====全編成の車体更新が行われていたら====
#実戦参加は無いまま、1番艦雲龍は米潜の魚雷で沈没。2番艦天城は呉港空襲で大破。
3500形は車体更新を全編成にわたって行う予定でしたが、鋼材の腐食が予想以上に早く進んだため、約半数を更新したところで打ち切りとなり、未更新車は先に廃車されました。
#それにしてもネームシップ以外は何で山の名なのだろう。ネタ切れにしてもまだ幾らかはある気もするのだが。(のちの海自のそうりゅう型の様に)
#3000形(2代)の投入数がやや少なくなっていた。
#*雲竜級は15隻建造が計画されていたので、間違いなくネタ切れになるから。
#全編成が京急への乗り入れを果たしていた。
#**あと、それまでの基準(空を飛ぶ瑞祥動物の合成語)であんまり凝りすぎると、中国のフネと勘違いされるから変えたというヨタ話がある。
#*京急沿線から見た京成のイメージが、史実より古臭いものとなっていた。
#*雲竜級が竣工しはじめる時期(昭和18年)に合わせ、命名基準を改定した。
#未更新車のさよなら運転イベントはなかった。
#そもそも雲龍級は、ミッドウェーで健闘した飛龍を改良したとかなんとか。
#*ミッドウェーで失われた空母戦力を早急に回復させるため、比較的短期間で建造できる中型空母の飛龍を元に改設計、簡略化したもの。
#*基本図面は飛龍。艦橋や煙突の配置は、蒼龍と同一方式であるなど、多少の改正を加えた程度での着工らしい。


===葛城===
==伊豆箱根鉄道==
#雲龍級空母の3番艦。終戦時、数少ない航行可能な空母の1隻。
===7000系===
#*呉港空襲の際に飛行甲板と格納庫に直撃弾を受けて中破したが、船体そのものには被害を受けなかった。
====JRに乗り入れていたら====
#実戦では活躍できなかったが、戦後、復員船として活躍した。
史実ではJR線乗り入れ用を想定した機器を搭載していましたが実現することなく撤去された
#*この艦に乗って日本に復員してきた人の中には、歌手の藤山一郎氏もいる。
#三島から沼津、静岡方面に乗り入れていた。
#指定席車両連結も継続していた。
#*列車愛称も付与されていただろう。
#修善寺踊り子の存在意義が薄くなる。


===千歳・千代田===
==富山地方鉄道==
#色々似ている姉妹<s>整形</s>改造空母。
===7000系===
#元が水上機母艦なせいか戦艦改装型に比べると地味な扱い。
====上滝線に乗り入れていたら====
#姉妹そろってマリアナ参戦、レイテで沈没。
史実では上滝線の勾配を超えられませんでしたが、もし超えられていたら?
#*そこまで仲良くなくても・・・。
#路面電車乗り入れの実績を持つため、上滝線のLRT化がすんなり進んでいた。
#沿線人口が少ないのでそれでも赤字だが、赤字幅は史実より減っていた。
#不二越線にも駅数を増やした上で乗り入れていた。


===鳳翔===
==名古屋鉄道==
#(就役タイミングで)世界初の正規空母にして、太平洋戦争を生き抜いた筋金入りの老兵。
===キハ8500系===
#中国大陸の方で航空護衛や支援を主にしていたらしい。
====あの会社に譲渡されていたら====
#*戦争後半には飛行甲板を延長して訓練用空母に。終戦後は復員船として使われた。
史実では会津鉄道に譲渡されていますが、もし、譲渡先が違っていたら?
#*太平洋戦争のはじまりから終わりまでを見届け、1947年に解体される。
;全般
#会津鉄道とは違い、早期廃車になることはなかった。
#「AIZUマウントエクスプレス」は設定されなかった。
;三陸鉄道
#イベント列車仕様に改造されていた。
#「リアス・シーライナー」には本形式が充当されていた。
#*だが震災でその列車が運命を共にするのはほぼ現実であるが、それでもイベント列車には本形式がある程度活用されていた。
;JR東日本
#=地方交通線への優等列車設定に意欲的だったら、である。
#*JR東日本は非電化特急不毛の地(非電化特急が育たない)と言われ続けることもなかった。
#形式はキハE151系だった。
#「陸中」か「よねしろ」の特急格上げに充てていた。
#*「陸中」に充てた場合は絶対数に限りがあるのであっても一部が格上げされるに留まっていた。
#**その分、キハ110系0番代を快速「南三陸」の指定席車に捻出するのは史実通りだった。
#*「よねしろ」に充てた場合は快速に格下げされることはなく、特急化していた。
#**通勤優等列車の役割を果たす性質上、定期券でも乗車できるようになっていた。
#**701系セミクロスシート改造車は登場しなかった。
;JR東海
#走行機器や性能が同社のキハ85系とほぼ同一なので、保守・運用面での制約は少なかったと思われる。
#*そもそもJR東海が「北アルプス」の存在が厄介になっていなかったら受け入れていたかも。
#これを使用して参宮線-紀勢本線を経由して伊勢志摩と南紀を直通する特急が設定されていた。
#*「南紀」の増結用としても運用されていただろう。
#*=観光列車の設定に意欲的だったら、である。
#*むしろ「かすが」の特急格上げに充てていたかも。
#キハ85系に編入していた。
#*車体構造が異なるので番台区分はされていた。
#当然、東海色に変更していた。
;京都丹後鉄道
#大阪・京都-天橋立経由豊岡方面を結ぶ特急に運用されていた。
#*鳥取や敦賀方面に乗り入れていたかもしれない。
#今頃は水戸岡デザインにリニューアルされている。
;JR九州
#水戸岡デザインにリニューアルされていた。
#恐らく久大本線・豊肥本線・肥薩線なんかで観光特急に運用されていた。
#*場合によっては博多-肥薩・吉都線経由宮崎間の特急「おおよど」が復活していたかもしれない。
;JR西日本
#「つやま」か「みよし」に投入されていた。
#*快速に統合されることなく、現在に至るまで運行していた。
#*あるいは「はまかぜ」に投入され、キハ181系を置き換えていた。
#**但しそれだけでは両数が足りないので、キハ189系の新造は史実通り。
#形式はキハ171系であり、急行形に分類されていた。
;東武鉄道
#この車両による浅草~会津若松直通が実現していた。
#*うまく行けば栗橋からJRに直通し、新宿~会津若松だったかも。
#**東京都内に乗り入れる唯一の気動車となっていた。
#史実と同じく会津鉄道を通るが、大手私鉄の整備技術で史実よりは長生きできただろう。


===龍驤===
===2000系===
#最初から空母として設計されたフネとしては二番目に建造された正規空母。
====最初から4両編成で登場していたら====
#だが性能が軽空母並みの上、加賀や蒼龍という有名どころに挟まれているため、とっても地味。
落成時には、3両編成で登場し、のちに、4両編成化されました。
#*とは言いながら、結構な武勲艦だったような・・・。
#製造数が史実よりも多くなっていた。
#ワシントン軍縮条約、友鶴事件、第四艦隊事件と、様々な外的要因によって設計変更や改装が繰り返し行われた。
#8両編成で運行する全車特別車の本数が朝夕ラッシュ時を中心に史実よりも多くなっていた。
#*鳳翔と並び、海軍の空母開発のテストベットになったと言えば言える。じっさい龍驤から後は、日本の空母の仕様がほぼ確定している。


==アメリカ軍の空母の噂==
==京阪電気鉄道==
#得意技はダメージコントロール。
===3000系===
#*まあ、空母に限った事ではないけど。
====全て7両編成で製造されていたら====
史実では、6両編成5本、7両編成4本で投入されました。
#8500形が3000系電車に編入されることはなかった。


===カサブランカ===
==阪急電鉄==
#1943年から1944年の間に50隻も建造された。
===5000系===
#*週艦護衛空母。
====宝塚線での運用が継続していたら====
#こいつのお陰で殆どの輸送船団や小艦隊にも護衛の戦闘機がつくようになってしまった。
5000系は神戸線に集中配置されいたので、1編成を宝塚線に転属しましたが、運転上、扱いにくいということで宝塚線での運用は中止となりました。もし運用が継続していたら、
#兄弟の1人が、よりにもよって世界最大の戦艦やその他の戦艦を含む大艦隊によって文字どおりボッコボコにされてしまった。
#5000系は史実より多く増備されていた。
#*その様はまさに広域ヤクザ同士の抗争で運悪く相手の幹部組員達と遭遇してしまったチンピラの如し。
#5100系は史実より少なかったかもしれない。
#*巨大戦艦の砲弾は飛行甲板に穴を開けただけだが、十分すさまじいダメージを受けたことだろう。三式を使われたら沈んだだろう。
#3000系と同様に9000系、1000系の増備により、今津線、伊丹線、箕面線に転属された。
#**三式弾は対空対地用拡散波d…焼夷弾なので対艦攻撃力は皆無。穴を空けたのは戦艦らが撃ったのが対装甲目標用九一式徹甲弾だったために、装甲など無いに等しい護衛空母を信管が作動する前にぶち抜いてしまったため。
#*6000系の転属は史実より遅れた。
#***紙の如き薄さの護衛空母の装甲では三式弾すら防げる筈も無く
#****三式弾はクラスター化されたただの焼夷弾の塊なので護衛空母の装甲でも余裕。
#****もしかしたら三式弾をショットガンのような何かと勘違いしていたのかな。 三式弾は無数の焼夷弾を束ねたものなので、砲撃戦を行っている最中の甲板上に戦闘機や燃料が置きっぱなしということがない限り、基本的に艦船には無力である。(ただし近距離でぶち当てれば炎上させまくって装備くらいなら壊せる)
#鈍いと言われるがどーせ艦隊は補給船以上の速度で航海しないんだから十分なのである
#*ただし空母の速力はそのまま艦載機の離艦速度の足しになるので速いに越したことはない。
#他の兄弟の1人は、魚雷1発で昇天している。


===エンタープライズ===
====T車がもっと製造されていたら====
====CV-6====
5000-5040に将来T車2両が組み込まれることが考慮されておりました。その際に新造された場合、5580、5590になる予定でした。もし、製造されたら…
#ビッグEの愛称で知られる。
#2000・2021系の付随車が組み込まれることはなかったかもしれない。
#幾度となく海戦で破壊されてるものの修理されまくって、終戦まで生き残った。
#*ひょっとしたら、5040形と5550形と同様に製造数は少なかった可能性もある。
#*ついたあだ名が「不死身」・・・。
#*2000・2021系は5200系に組み込まれていた可能性が高い。
#**エンタープライズやヨークタウン等で見せたアメリカ海軍のダメージコントロールの高さには恐れ入る。
#5200系電車は製造されなかったかもしれない。
#*45年には特攻機の体当たりを喰らい、爆弾が艦内で爆発したにもかかわらず火災は30分程度で鎮火、浸水で2メートル以上低下した喫水も36時間後には元の喫水線に復活したそうな。
#2001年~2007年に行われたリニューアル工事の際に、車番が変更されていた。
#ヨークタウン級2番艦。


====CVN-65====
===6300系===
#二代目エンタープライズは世界初の原子力空母として登場。こいつもビッグEの愛称がついている。
====10両編成での運行が実現したら====
#*演習中操艦ミスで海山にぶつかって船体とスクリューにダメージを受けた…が、演習続行して後から修理。ここでもダメージコントロールの高さを見せつける。
実際に、計画されていました。
<!--#先代に引き続き「ビッグE」の愛称を持つ。-->
#早くても、1980年代に増備され、1985年11月18日頃に運用され始めた。
#同型艦が存在しない。
#10両固定編成の場合、9300系も10両編成で登場していた。
#中国語wikiでは企業號航空母艦。搭載機はF/A-18大黄蜂式、EA-6B徘徊者式、SH-3海王式など
#*この場合、京阪プレミアムカーに続く形で指定席車を導入していたかもしれない。
#[[アメリカ]]の連続テレビドラマ『JAG 犯罪捜査官ネイビーファイル』、ならびに、同ドラマのスピンオフシリーズ『NCIS ネイビー犯罪捜査班』の劇中にしばしば登場する、空母「シーホーク」(架空の艦名)は、原子力空母「エンタープライズ」(CVN-65)がモデルであり、ロケ撮影も本艦において行なわれている。
#2連による増結の場合、車番は6320番台となり、3扉ロングシートになっていた。
#*むしろ7300系になっていただろう。
#**7300系の10連増結車と共通運用されていた。
#(2連による増結の場合)9300系の登場後も、2両編成の6300系は、増結用として利用された。
#(2連による増結の場合)通勤ラッシュ時だけではなく、行楽シーズンの時でも増結されていた。


====その他====
====「京とれいん 雅洛」が6300系の改造による導入だったら====
#エンタープライズの名を冠した宇宙船(OV-101、XCV-330、NX-01、NCC-1701シリーズ)は[[スタートレック]]、[[スタートレックファン]]を参照。って言うか航空母艦じゃないじゃん(汗
#6356Fか6330Fが改造された。
#*6330Fは他車と仕様が異なるので6356Fあたりじゃない?
#2011年5月頃に運行され始めた。
#*2008年5月に「京とれいん」が運行され始めて、2010年3月に「京とれいん 雅洛」が運行され始めた。
#十三駅に停車していた。
#*2019年3月にホームドアが導入された時には、通過となっていた。


===ホーネット===
===8200系===
#ドーリットル隊のB-25爆撃機を運んだことで有名
====京都線でも運用されたら====
#しかし、南太平洋海戦であっと言う間に沈められた。
#車両番号は、8230、8280になっていた。
#*日本が鹵獲しようとしたが、あきらめて日本の駆逐艦の魚雷で処分したんじゃなかったっけ?
#*京都線用なので8340・8490かも。
#*処分の様子が、絵の上手な日本海軍の水兵によって「空母ホーネット最期の図」として描かれたり、映像に記録されたりで当時の日本国民の晒し者にされている。
#早くても、1996年3月頃に登場していた。
#でも、エセックス級の4番艦として艦名は復活。1970年まで活躍した。
#やがて、2008年頃にロングシートに変更されていた。
#*現在は、[[カリフォルニア|カリフォルニア州]]のアラメダで博物館となっている。
#電機品は京都線用のため東洋電機製で、車体寸法も8300系と同じだった。
#**宇宙船アポロ11号とアポロ12号の回収母艦を務めたのもエセックス級のホーネット(CV-12)。
#*それでも堺筋線への乗り入れは行わない。
#嵐山線でも運用されていた可能性もあり得る。


===エセックス級===
====宝塚線でも運用されたら====
#正規空母としては1番の完成隻数を誇り、大部分の艦が、1970年代まで活躍した。
#8000系40番台は登場しなかった。
#*レキシントン(CV-16)に至っては、1991年まで現役であった。
#恐らく日生エクスプレスの増結用として運用されていた。
#**1960年代以降は、練習空母として使用されていました。
#やはり神戸線用と同時期に普通のロングシートに改造されている。
#日本軍機の雷爆撃や神風特攻機の体当たり攻撃を受けて大破しても、1隻も沈没しなかった。
#今頃は2+2で箕面線でも運用されている。
#*九州沖航空戦では、フランクリン(CV-13)が日本海軍機の急降下爆撃により大破し、一時は沈没寸前まで追い込まれたが、強靭なダメージコントロールにより、アメリカ本土に帰還した。
#**フランクリン(CV-13)を急降下爆撃で大破させたのは、第五航空艦隊指揮下の第762海軍航空隊所属の陸上爆撃機「銀河」と思われる。
#**魚雷攻撃には極めて脆弱な欠点があったがバレずに済んだ。
#日本軍に撃沈された先代空母の艦名を引き継いでいるものが多い。ヨークタウンⅡ(CV-10)、ホーネットⅡ(CV-12)、レキシントンⅡ(CV-16)、ワスプⅡ、プリンストンⅡなど。
#*そのせいか、ホーネットⅡには様々な怪奇談があるらしい。
#全長は大和より長いそうだ。


===コメンスメント・ベイ===
===8300系===
#護衛空母の決定版。
====増結用車両が製造されたら====
#*サンガモン級の使い勝手が良かったので、改良設計して再生産したもの。
8300系も8000系の8040Fのような増結車が導入されていたら
#搭載機数こそ少ないものの充実した防空火力にエレベーター2基とカタパルト2基を備える。
#10両運転による快速急行が増発していた。
#2番艦以降の数艦は海兵隊が喉から手が出るほど欲しかった「海兵隊専用の空母」として運用された。
#*特急の10両運転が実現していたかもしれない。
#新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していたらあり得た。
#車両番号は、8340、8460になっていた。


===ニミッツ級航空母艦===
===9300系===
#とにかくでかい。世界最大の船。
====ロングシート車が製造されたら====
#*そんなことはないあくまで軍艦では世界一なだけであってこれよりでかいタンカーとはざらにいる。
#側面や車内は神宝線の9000系と同じような感じになっていた。
#**排水量ではそうなんだが、乗員数と建造費の面でも世界一なんじゃないかな。
#*但し寸法は異なる。
#***商船と軍艦じゃ排水量算出法が違うから何ともいえないが相手がタンカーなら勝てっこないな。
#恐らく堺筋線直通仕様になっていた。
#横須賀基地をホームに6番艦ジョージワシントンが活動中。
#車番は9311F~になっていた。
#アングルドデッキ、蒸気カタパルト、舷側エレベーター等アメリカ海軍の空母の集大成ともいえる空母
#*9319Fの中間車に「9999」というナンバーが現れて有名になる。
#2300系の引退が早まっていた。


===レンジャー===
==近畿日本鉄道==
#アメリカ海軍初の正規空母。主に大西洋で活動した。
===9820系・9020系===
#トーチ作戦(連合軍北アフリカ上陸作戦)等、結構いろんな作戦に参加してるけど地味。
====大阪線・名古屋線でも運用されていたら====
#煙突は左右両舷に起倒式のものを3本ずつ配置。
#9820系は4両編成で投入されていた。
#*どの国でも、最初は試行錯誤の繰り返しというのがよくわかる。
#*大阪線では、6両編成で導入されていたかもしれない。
#大阪線・名古屋線における急行・準急・普通は5~6両編成で運行されていた。
#長距離運用に備えてトイレが設置されていた。
#5820系の4両バージョンも登場していた。
#車番は「9751、9851、…」のようになっていた。


===レキシントン(CV-2)===
===12200系===
#アメリカ版赤城とも言える改造空母。
====12257F~12259Fも登場していたら====
#*赤城同様元々は巡洋戦艦だったのを空母に改造された。艦橋と一体となった巨大な煙突が特徴的。
当初は、1977年12月に、10100系電車の代替として、12257F~12259Fとして、製造されました。しかし、監督官庁からの指摘を受けて、12400系電車として、登場しました。もし、12257F~12259Fも登場していたら…
#**一体化はしていない。まあ、艦橋より煙突が倍も大きいのでそう見えるのも無理ないが。
#珊瑚海海戦で撃沈されるが姉妹艦のサラトガは終戦まで生き残った。
#*サラトガは巡洋戦艦時代は3番艦であったが2番艦よりも工事が進んでいたため、空母に改造されたらしい。
#本土で停電があった際には姉妹艦共々都市に電気を供給した。
#重巡クラスの8インチ砲を8門装備。こんなところも赤城と似ている。


===イントレピッド===
;予定通りに、12257F~12259Fが登場していたら
#特攻機に3回も当てられてる。
#12600系電車もなく、12261F、12262Fとして、製造された。
#*更に魚雷にも被弾してる。
#*12410系が12400系を名乗っていた。
#退役後は航空博物館として余生を過ごしている。
#*かつての艦載機からコンコルドやスペースシャトルまでいる。


==ドイツ軍の空母の噂==
;史実よりも早く12257F~12259Fが登場していたら
===グラーフ・ツェッペリン===
#1974年12月に登場していた。
#いろいろな架空戦記に登場するが、肝心の艦載機(Bf109T&Ju87C)は実は'''空母に着艦することが出来ない'''可能性が高い。
#近鉄特急の長編成化が史実よりも進んでいた。
#*艦載機のことは空母が完成してから真剣に考えようと思っていたそうな。
#後継の22600系電車は史実よりも多く製造されていた。
#**ある作品では艦載機がMe262T。もっと危ない。
#***ちょっと待て。Bf109ですら最低速度が速すぎて着陸が難しいってのにMe262は着艦できるほどスピード落とせるのか?
#****劇中ではその様子が描かれていないが、着艦してるものと思われる。ただ、陸上基地に着陸しに行っていたことも。
#*****全長262㍍(信濃は400㎝長い266m)の大型空母だから発着艦は容易だった可能性が高い
#**1942年頃になるとFw190に色気を出していた
#**複葉雷撃機のFi167が12機とBf109T12機とJu87C9機の総数33機の実験航空隊が編成されていて、Ju87Cは陸上で900回以上も着艦テストをしているのだが
#空母にしては重武装&重装甲。これはドイツ海軍の運用思想が通商破壊を目的にしていたため。その分搭載機数は減っている。
#*ドイツ空軍側が大砲減らして戦闘機搭載スペースを増やせと要求したので搭載機数が少し増えた
#最近[[バルト海]]に沈んでいるのが再発見された。
#日本ではつい最近まで碌な資料が無かった所為で謎の多い空母でもある


==イタリア軍の空母の噂==
===16000系===
===アキーラ===
====中間車が史実よりも多く製造していたら====
#グラーフ・ツェッペリンが架空戦記に何回も登場しがちだが、こちらが登場した事はたぶん無い。
#4両編成での運行が史実よりも増えていた。
#*最近は結構出てくるようになった。っていうか一昔前は欧州戦線を扱うなんてなかったからなあ。
#*朝夕ラッシュ時には、6両編成もしくは、8両編成で運行されていたかもしれない。
#アドバンスド大戦略に出てくるが、初代の大戦略ではこれがあるのに肝心の艦載機がイタリアにはない。(フランスも同様)
#16010系電車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
#KOEIのウォーシップガンナーには登場。たぶん空母の中で一番硬い。報われた?


===ジュゼッペ・ガリバルディ===
===21000系===
#当初はヘリ空母として配備されたが露骨にVTOL機装備を狙ってスキージャンプ台を備えていた。
====増結車が史実よりも多く製造していたら====
#配備後に法改正を受け、満を持してハリアーを配備。
史実では、増結用2編成3本が製造されました。
#イタリアって空母連れてまで戦う相手っているんだろうか。[[カナリア諸島]]があるスペインや太平洋に島がいっぱいある英仏なら分かるが。
#名阪特急の利用者が史実よりも多くなっていた。
#*地中海は意外と島が多いから重宝するんでは?それとも単に「半島迂回するのめんどくさいから飛行機くれ」と海軍が言ったとか()
#*無論、アーバンライナーにおける8両編成での運行本数が史実よりも多くなっていた。
#22600系電車と12200系電車は史実よりも多く製造されていた。
#*22000系電車も史実よりも多く製造されていた可能性もある。
#21000系電車自体が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
#*その場合、アーバンライナーの本数が史実よりも多くなっていた。
#*後継の80000系電車の車両数も史実よりも多くなっていた。(80000系電車の車両数が21000系電車の車両数と同じであるため。)


==イギリス軍の空母の噂==
====全て8両編成で製造されていたら====
#かつての覇権国家なのに、どこかパッとしない。
#名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていた。
#21020系電車や80000系電車も全て8両編成で製造されていた。
#アーバンライナーnextやアーバンライナーplusのデラックスシート車も2両になっていた。


===フューリアス===
==南海電気鉄道==
#世界初の空母だが、そこに至るまでは紆余曲折。
===2200系===
#*18インチ砲搭載の超重武装巡洋艦として建造。ちなみに排水量2万トン足らず(参考:大和型は約6万4000トン)。
====高野線山岳区間直通運用が史実よりも長く残っていたら====
#**計画した人間は何か悪いものに取り憑かれていたとまで言われている。
*当初は一部を高野線用に残す予定でしたが、最終的には全て2000系に置き換えられました。
#*空母改装。しかし艦橋は巡洋艦時代のまま艦の真ん中らへんににょっきり生えていて、その前後に発艦用と着艦用の飛行甲板があった。
#2000系の製造両数が減っていた。
#**当然着艦事故多発。
#*余剰となった車両が本線に転用されることもなかった。
#*全通型飛行甲板に改装。しかし甲板の艦首部は2段式になっていた。
#**その分8000系の製造両数が増え、泉北3000系の本線転用も多かったかもしれない。
#**「着艦しながら戦闘機を発艦させられるようにすれば強いじゃん。あったまいー」→たちまち全金属単葉機の時代に入り使い物にならず。
#*熊本電鉄に譲渡されることもなかった。
#**さらに日本も「加賀」でやらかした誘導煙突。しかも「フューリアス」のは、左右に分割して設けると言うヒジョーに楽しいもの。
#橋本までの複線化完成後に17m車の運用が減少すると史実通り支線に転用される。
#*ちなみにこの時点で、とっくに「ハーミス」や「鳳翔」は竣工している。その時点でここまでわらかせてくれるイギリス軍。さすがパンジャンドラムを作った国。
#2300系の登場や観光列車「天空」への改造は史実通りだろう。
#*世界初の空母なんだからいろいろ試行錯誤するのは当たり前だが。
#貴志川線には21000系が転用されていた。
#**しかし甲板を前後に分断するカタチで艦橋を設置するのは問題があると改装する前に気づいてほしい。 そのへん考えたらやはり英国面である。
#*和歌山電鐵に引き継がれるのも史実通りだが、老朽化のため2010年代に東急1000系か東京メトロ03系あたりに置き換えられていただろう。


===アーク・ロイヤル===
===6000系===
#初代はガレオン船、二代目は貨物船を設計変更した水上機母艦、三代目から本格的な航空母艦として建造された。
====廃車ではなくリニューアルしていたら====
#シャルンホルストに爆弾を当て(不発)、そしてビスマルク号に雷撃し行動不能に陥らせた。
*置き換えのプレスリリースでは南海6000系を「更新」としか書かれておらず、内装を新しくして使い続けるという噂がありました
#一体何年使い続けるのか…。
#*なお養老鉄道に同時期に製造された東急7700系が譲渡されましたが、製造から50年たつがあと30年使えるとのこと。
#8300系は存在せず。
#リニューアル工事は9000系に準じる。
#さすがに戸閉装置は新品に交換されていた。


===インビンシブル===
====南海本線にも投入していたら====
#インビジブル(不可視)ではない。
#7000系はない。
#中国語Wikiでは無敵級航母。そのまんま。
#8000系(2代)投入が遅れていた。
#6100系も本線に投入されていた。
#南海の鋼製車は特急車を除き1960年以降投入されなくなっていた。


===ハーミズ===
===10000系===
#世界ではじめて最初から空母として"起工"された空母。巨大なアイランド艦橋が特徴。
====最初から4両固定編成で製造されていたら====
#*この艦橋は艦の安定性を損なわせ、燃料の配分を間違えると転覆する危険性を秘めていた。
#1985年11月のダイヤ改正で特急「サザン」は8両編成で運行されていた。
#第二次世界大戦初期はドーバー海峡や西アフリカ沖にて、警戒任務や船団護衛、海上封鎖などを行った。
#*急行も8両編成で運行されていた。
#*その後、東洋艦隊に配備されインド洋に派遣。しかし日本軍の機動艦隊に発見されてしまう。逃走を試みるも5隻の空母にリンチされた末、撃沈される。
#1989年11月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
#**急降下爆撃で沈められたが、このときの命中率は驚異の82%。
#トイレも最初から完備していた。


==ブラジル軍の空母の噂==
====全ての2両編成に中間車が製造されていたら====
===サンパウロ===
#当然ながら、10001F - 10003Fの中間車化改造はなかった。
#現代なのにミサイルを搭載してない上に艦載機がA-4攻撃機という北朝鮮レベルの旧式。多分有事の際には使えないと思う。
#*リニューアル化されて、2019年現在でも廃車されずに運行されていたかもしれない。
#どうみても見栄を張っただけです。本当にありがとうございました。
#**ただ、併結相手である7000・7100系の車齢を考えると12000系への置き換えもおかしくはない。
#場合によっては、中間車は1989年頃に登場していた可能性もある。
#*その場合、10006F~10010Fの登場が史実よりも早まっていた可能性もあり得る。
#*9000系電車の投入も史実よりも早まり、特急「サザン」・急行の8両化が1988年10月頃に早まっていた可能性もある。
#1992年7月の改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
#*全列車が8両化されたのと同時に統一されていた。
#12000系電車は近鉄21020系電車と同様に、リニューアル化に伴う不足を補うために導入されていた可能性が高い。
#**リニューアルが完了したら車両が余るので、一部が高野線に転属し「泉北ライナー」に運用されていた。
#**もしくは、10000系電車の一部が泉北高速鉄道に譲渡していた可能性もある。その場合、泉北高速鉄道所有の12000系電車が製造されることはなかったかもしれない。
#**最初から「泉北ライナー」向けに12000系電車が投入されていた可能性もあり得る。
#全車座席指定の列車が今でも存続していたかもしれない。


==フランス海軍の空母の噂==
====中間車が史実よりも製造されていたら====
===ベアルン===
#中間車に改造される先頭車が史実よりも少なくなっていた。
#フランス海軍初の空母。
#*2013年6月以降は新造された中間車が挿入されている編成のみが運行されていた。
#当時としてはなかなかの先進設計。同時期に日本が迷走してたことは内緒だ。
#ただ、元々の設計が戦艦なためかスピードが遅すぎて、第二次世界大戦では空母としては使い物にならなかったことも内緒だ。
#戦時中はドイツによる鹵獲を恐れられて、マルティニーク諸島に抑留されるなんていう放置プレーを食らったことも内緒だ。


===ジョッフル===
==大阪市高速電気軌道==
#完成していれば世界初のアングルドデッキを採用した先進的でありながら保守的でもある変な空母になる予定だった
===10系===
#時代を先取りした先進設計が採用された原因は、当時でも時代遅れになりつつあった水上雷撃機を運用する為に艦尾にクレーンが設置されている為である
====10連化にあたり新造車を組み込んでいたら====
===シャルル・ド・ゴール===
#当初計画通り1989年頃に10連化が行われていたらそうなっていた。
#フランス海軍初の原子力空母。かなりの金食い虫。
#*1700形は全車両10系後期タイプの車体を持つ車両となっていた。
#*原子炉とエレベーターのおかげです。
#*増結が1990年代初頭に行われた場合でもデザインは10系に合わされていた。
#*まぁ基本的に原子力空母ってのは超金食い虫である。
#1101F~1104Fもリニューアルが行われていた。
#やたら舷が低いので甲板が水を被ったり、格納庫に進水したりしているようだ。
#*2010年代に入って30000系に置き換えられていた。
#2隻作る予定だったが一番艦の評価があまりにもひどかったから1隻で終わった。
#21系の新造両数が減っていた。
#*本当は3隻ないとローテーション組めないから稼働率は激下がりらしい。力の象徴だからそれでもいいのかもしれないが…
#名前でひと悶着あった。
#カタパルトはアメリカ製らしい。


==ソ連・ロシア海軍の空母の噂==
===100形(2代)===
===キエフ===
====50系のT車に改造されていたら====
#一応"'''重航空巡洋艦'''"だがどう見てもVTOL母艦です。本当にありがとうございました。
#恐らく[[近鉄けいはんな線|近鉄東大阪線]]開業を機に千日前線から中央線に転属し、T車化改造が行われていた。
#*[[黒海]]から外洋に出るための方便です。
#中央線所属の50系に関しては抑速ブレーキ設置のほか、谷町線用と同様モーター出力アップも行われていた。
#*長射程で強力なSS-N-12サンドボックスミサイルを最低でも十六発装備。前甲板は砲や対空対艦ミサイルや対潜核ロケットなどで埋め尽くされている。周辺にも八基のCIWSが装備されており、さながら針鼠の如し。大和より大きな艦橋には巨大なレーダーが多数装備されている。
#1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。
#弟はインドへ移住。アドミラル・クヅネツォフと瓜二つの外見へと変貌した。
#艦載機は'''一応'''垂直離陸できるYak-38。こいつのお陰でロシアの脱出装置は世界でもトップレベルの物に発展した。
#現在廃艦で中国に売却され、公開展示されている。


===アドミラル・クズネツォフ===
===1000形(初代)===
#一応"'''重航空巡洋艦'''"だがどう見ても空母(以下略)
====50系への組み込みが実現していたら====
#平時は40機ほどを搭載しているが、いざとなれば60機まで運用できるそうな。
*1970年代に四つ橋線50系のT車として組み込む構想がありましたが、実現しませんでした。
#対艦核ミサイル発射可能
#製造後20年足らずで廃車されることはなかった。
#*P-700の性能は異常。衛星と連動とか…。
#四つ橋線における50系の活躍が現実よりも長かった。
#*ミサイルにスペースを食われて搭載機数は少なめ。ロマン搭載量は増えたからよしとすべきか?
#*四つ橋線からの撤退は1980年頃だった。
#*搭載機のSu-33はスキージャンプ甲板のせいで武装や燃料搭載量を大きく制限されている。下手すると搭載量ニトンという噂すら流れ込んでくる。
#**その後はモーター出力アップの上谷町線に転用されていた。
#1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。


==中国海軍の空母の噂==
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道史|あのてつとうしやりようかたつたらしてつ]]
===ミンスク===
[[カテゴリ:鉄道車両|もししてつ]]
#廃棄処分になったキエフ級ミンスクをテーマパーク「明思克航母世界」として改造した物。
#*直訳すると「ミンスク空母ランド」。
#**ランドじゃなくてワールドかな、この場合は。
#たまに下のと混同されて報道されたりする。
#一時、「ミンスク仮面」などとネタにされ、一部で人気があった模様。
 
===ヴァリャーク===
#建造途中で要らなくなったクズネツォフ級二番艦。
#2012年に練習空母とする計画らしい。
#艦名は「施琅」と仮決定。
#*結局就役時に「遼寧」に変わった。まったく違う・・・。
#完成しても護衛があれじゃねぇ…。
#*がんばれソブレメンヌイ級!!
#**全部ロシア製じゃないか!たまにはなんちゃってイージスの052Cとかも思い出してあげて……。
 
[[Category:軍艦|こうくうほかん]]

2021年3月1日 (月) 12:24時点における版

  • 新規追加は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
  • 現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。

独立項目

東武鉄道

500系

地下鉄乗り入れに対応していたら

  1. S-TRAINのように平日は日比谷線直通、土休日は半蔵門線直通になっていた。
    • 特に半蔵門線直通は中央林間~会津田島まで行く超ロングランとなる。
    • THライナーはこの車両で運行されていた。
  2. 4両編成も製造され、途中東武動物公園で切り離していた。
  3. フラワーエクスプレスも特急になっていた。

30000系

東上線に転属しなかったら

  1. 10両固定化の際に中間運転台を撤去した。
  2. あるいは伊勢崎線の8000系・10000系を置き換えたかも。
    • 8000系はともかく、10000系はまだ時期尚早だぞ。
      • なので10000系は野田線に回されていた。

10両貫通編成だったら

  1. 「半蔵門線直通」のステッカーが貼ってあったかもしれない。
  2. 東上線転属はなかった。
    • 逆に東上線で先行営業を開始し、半蔵門線直通開始前に本線に一斉転出。代わりに8000系が転入し、東上線ファンからは顰蹙を買っていた。
  3. 50050系の製造数は少なかった。
  4. 「フラワーエクスプレス」は久喜乗り換えとなっていた。
    • 館林までホームは10両あるので館林まで走っていた。

東京メトロ

8000系

東西線に正式導入されていたら

  • 史実では05系導入までの繋ぎで東西線に半蔵門線用の8000系が数年間走っていた事があります。
  1. 05系の導入が史実よりも遅れていた。
    • 最初からワイドドアである事を前提に開発されていた可能性が高い。
    • 但し帯色に関しては小田急との混同を避けるために、05系とほぼ同一のカラーリングになっていた。
  2. 15000系導入時に全編成が置き換え対象になっていた。
    • インドネシアや北綾瀬支線に送られる編成が多い一方で、B修工事の上で半蔵門線に転籍する車両もいたかもしれない。

15000系

ワイドドア車がなかったら

  1. 東京メトロ東西線ホームドア全駅設置が早まったかも。
    • つまり07系は全て15000系に置き換えられていたか?
  2. 混雑で苦情が殺到していた。

東京急行電鉄

7700系

7915Fの故障が少なかったら

7700系は4両編成3本が目蒲線から池上線への転属の際、3両編成にされ余剰となった中間車3両が先頭車化改造され7915Fができましたが、制御装置の故障が多く2010年9月に廃車になりました。もし故障が少なかったら?

  1. もちろんまだ廃車にはなっていなかった
  2. 3000系以降の車両も一部に東洋製IGBTが採用されていた。
  3. 目蒲線分断により4両編成から3両編成への組み換えの際にも先頭車化改造が行われ、7915Fのような車両が量産されていた。
  4. 9000系の東横線から大井町線への転属の際にも一部は先頭車化改造が行われていた。
  5. どちらにしろ、東急1000系リニューアル車の投入で廃車。
    • 異端車である以上、真っ先に廃車になる。
  6. 東急は先頭車化改造に消極的になることはなかった。
    • 他線区への転用に際して持て余した中間車が廃車になってしまうこともなかった。

相模鉄道

11000系

JRに乗り入れていたら

史実では計画中止になりましたが、もし実現していたら?

  1. 本数に余裕ができるので埼京線大宮~武蔵浦和間の減便はなかったかもしれない。
    • 場合によっては日中も大宮まで乗り入れていたかもしれない。
  2. 内装は12000系に近いものに改造されていた。

小田急電鉄

9000形

常磐緩行線に乗り入れていたら

実際に国鉄(JR)に乗り入れに対応できる車両になっていました。

  1. 常磐緩行線に乗り入れる小田急の多摩急行、準急が史実より多くなっていた。
  2. 1000形電車も乗り入れ対応できる車両になっていた。

京成電鉄

3500形

全編成の車体更新が行われていたら

3500形は車体更新を全編成にわたって行う予定でしたが、鋼材の腐食が予想以上に早く進んだため、約半数を更新したところで打ち切りとなり、未更新車は先に廃車されました。

  1. 3000形(2代)の投入数がやや少なくなっていた。
  2. 全編成が京急への乗り入れを果たしていた。
    • 京急沿線から見た京成のイメージが、史実より古臭いものとなっていた。
  3. 未更新車のさよなら運転イベントはなかった。

伊豆箱根鉄道

7000系

JRに乗り入れていたら

史実ではJR線乗り入れ用を想定した機器を搭載していましたが実現することなく撤去された

  1. 三島から沼津、静岡方面に乗り入れていた。
  2. 指定席車両連結も継続していた。
    • 列車愛称も付与されていただろう。
  3. 修善寺踊り子の存在意義が薄くなる。

富山地方鉄道

7000系

上滝線に乗り入れていたら

史実では上滝線の勾配を超えられませんでしたが、もし超えられていたら?

  1. 路面電車乗り入れの実績を持つため、上滝線のLRT化がすんなり進んでいた。
  2. 沿線人口が少ないのでそれでも赤字だが、赤字幅は史実より減っていた。
  3. 不二越線にも駅数を増やした上で乗り入れていた。

名古屋鉄道

キハ8500系

あの会社に譲渡されていたら

史実では会津鉄道に譲渡されていますが、もし、譲渡先が違っていたら?

全般
  1. 会津鉄道とは違い、早期廃車になることはなかった。
  2. 「AIZUマウントエクスプレス」は設定されなかった。
三陸鉄道
  1. イベント列車仕様に改造されていた。
  2. 「リアス・シーライナー」には本形式が充当されていた。
    • だが震災でその列車が運命を共にするのはほぼ現実であるが、それでもイベント列車には本形式がある程度活用されていた。
JR東日本
  1. =地方交通線への優等列車設定に意欲的だったら、である。
    • JR東日本は非電化特急不毛の地(非電化特急が育たない)と言われ続けることもなかった。
  2. 形式はキハE151系だった。
  3. 「陸中」か「よねしろ」の特急格上げに充てていた。
    • 「陸中」に充てた場合は絶対数に限りがあるのであっても一部が格上げされるに留まっていた。
      • その分、キハ110系0番代を快速「南三陸」の指定席車に捻出するのは史実通りだった。
    • 「よねしろ」に充てた場合は快速に格下げされることはなく、特急化していた。
      • 通勤優等列車の役割を果たす性質上、定期券でも乗車できるようになっていた。
      • 701系セミクロスシート改造車は登場しなかった。
JR東海
  1. 走行機器や性能が同社のキハ85系とほぼ同一なので、保守・運用面での制約は少なかったと思われる。
    • そもそもJR東海が「北アルプス」の存在が厄介になっていなかったら受け入れていたかも。
  2. これを使用して参宮線-紀勢本線を経由して伊勢志摩と南紀を直通する特急が設定されていた。
    • 「南紀」の増結用としても運用されていただろう。
    • =観光列車の設定に意欲的だったら、である。
    • むしろ「かすが」の特急格上げに充てていたかも。
  3. キハ85系に編入していた。
    • 車体構造が異なるので番台区分はされていた。
  4. 当然、東海色に変更していた。
京都丹後鉄道
  1. 大阪・京都-天橋立経由豊岡方面を結ぶ特急に運用されていた。
    • 鳥取や敦賀方面に乗り入れていたかもしれない。
  2. 今頃は水戸岡デザインにリニューアルされている。
JR九州
  1. 水戸岡デザインにリニューアルされていた。
  2. 恐らく久大本線・豊肥本線・肥薩線なんかで観光特急に運用されていた。
    • 場合によっては博多-肥薩・吉都線経由宮崎間の特急「おおよど」が復活していたかもしれない。
JR西日本
  1. 「つやま」か「みよし」に投入されていた。
    • 快速に統合されることなく、現在に至るまで運行していた。
    • あるいは「はまかぜ」に投入され、キハ181系を置き換えていた。
      • 但しそれだけでは両数が足りないので、キハ189系の新造は史実通り。
  2. 形式はキハ171系であり、急行形に分類されていた。
東武鉄道
  1. この車両による浅草~会津若松直通が実現していた。
    • うまく行けば栗橋からJRに直通し、新宿~会津若松だったかも。
      • 東京都内に乗り入れる唯一の気動車となっていた。
  2. 史実と同じく会津鉄道を通るが、大手私鉄の整備技術で史実よりは長生きできただろう。

2000系

最初から4両編成で登場していたら

落成時には、3両編成で登場し、のちに、4両編成化されました。

  1. 製造数が史実よりも多くなっていた。
  2. 8両編成で運行する全車特別車の本数が朝夕ラッシュ時を中心に史実よりも多くなっていた。

京阪電気鉄道

3000系

全て7両編成で製造されていたら

史実では、6両編成5本、7両編成4本で投入されました。

  1. 8500形が3000系電車に編入されることはなかった。

阪急電鉄

5000系

宝塚線での運用が継続していたら

5000系は神戸線に集中配置されいたので、1編成を宝塚線に転属しましたが、運転上、扱いにくいということで宝塚線での運用は中止となりました。もし運用が継続していたら、

  1. 5000系は史実より多く増備されていた。
  2. 5100系は史実より少なかったかもしれない。
  3. 3000系と同様に9000系、1000系の増備により、今津線、伊丹線、箕面線に転属された。
    • 6000系の転属は史実より遅れた。

T車がもっと製造されていたら

5000-5040に将来T車2両が組み込まれることが考慮されておりました。その際に新造された場合、5580、5590になる予定でした。もし、製造されたら…

  1. 2000・2021系の付随車が組み込まれることはなかったかもしれない。
    • ひょっとしたら、5040形と5550形と同様に製造数は少なかった可能性もある。
    • 2000・2021系は5200系に組み込まれていた可能性が高い。
  2. 5200系電車は製造されなかったかもしれない。
  3. 2001年~2007年に行われたリニューアル工事の際に、車番が変更されていた。

6300系

10両編成での運行が実現したら

実際に、計画されていました。

  1. 早くても、1980年代に増備され、1985年11月18日頃に運用され始めた。
  2. 10両固定編成の場合、9300系も10両編成で登場していた。
    • この場合、京阪プレミアムカーに続く形で指定席車を導入していたかもしれない。
  3. 2連による増結の場合、車番は6320番台となり、3扉ロングシートになっていた。
    • むしろ7300系になっていただろう。
      • 7300系の10連増結車と共通運用されていた。
  4. (2連による増結の場合)9300系の登場後も、2両編成の6300系は、増結用として利用された。
  5. (2連による増結の場合)通勤ラッシュ時だけではなく、行楽シーズンの時でも増結されていた。

「京とれいん 雅洛」が6300系の改造による導入だったら

  1. 6356Fか6330Fが改造された。
    • 6330Fは他車と仕様が異なるので6356Fあたりじゃない?
  2. 2011年5月頃に運行され始めた。
    • 2008年5月に「京とれいん」が運行され始めて、2010年3月に「京とれいん 雅洛」が運行され始めた。
  3. 十三駅に停車していた。
    • 2019年3月にホームドアが導入された時には、通過となっていた。

8200系

京都線でも運用されたら

  1. 車両番号は、8230、8280になっていた。
    • 京都線用なので8340・8490かも。
  2. 早くても、1996年3月頃に登場していた。
  3. やがて、2008年頃にロングシートに変更されていた。
  4. 電機品は京都線用のため東洋電機製で、車体寸法も8300系と同じだった。
    • それでも堺筋線への乗り入れは行わない。
  5. 嵐山線でも運用されていた可能性もあり得る。

宝塚線でも運用されたら

  1. 8000系40番台は登場しなかった。
  2. 恐らく日生エクスプレスの増結用として運用されていた。
  3. やはり神戸線用と同時期に普通のロングシートに改造されている。
  4. 今頃は2+2で箕面線でも運用されている。

8300系

増結用車両が製造されたら

8300系も8000系の8040Fのような増結車が導入されていたら

  1. 10両運転による快速急行が増発していた。
    • 特急の10両運転が実現していたかもしれない。
  2. 新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していたらあり得た。
  3. 車両番号は、8340、8460になっていた。

9300系

ロングシート車が製造されたら

  1. 側面や車内は神宝線の9000系と同じような感じになっていた。
    • 但し寸法は異なる。
  2. 恐らく堺筋線直通仕様になっていた。
  3. 車番は9311F~になっていた。
    • 9319Fの中間車に「9999」というナンバーが現れて有名になる。
  4. 2300系の引退が早まっていた。

近畿日本鉄道

9820系・9020系

大阪線・名古屋線でも運用されていたら

  1. 9820系は4両編成で投入されていた。
    • 大阪線では、6両編成で導入されていたかもしれない。
  2. 大阪線・名古屋線における急行・準急・普通は5~6両編成で運行されていた。
  3. 長距離運用に備えてトイレが設置されていた。
  4. 5820系の4両バージョンも登場していた。
  5. 車番は「9751、9851、…」のようになっていた。

12200系

12257F~12259Fも登場していたら

当初は、1977年12月に、10100系電車の代替として、12257F~12259Fとして、製造されました。しかし、監督官庁からの指摘を受けて、12400系電車として、登場しました。もし、12257F~12259Fも登場していたら…

予定通りに、12257F~12259Fが登場していたら
  1. 12600系電車もなく、12261F、12262Fとして、製造された。
    • 12410系が12400系を名乗っていた。
史実よりも早く12257F~12259Fが登場していたら
  1. 1974年12月に登場していた。
  2. 近鉄特急の長編成化が史実よりも進んでいた。
  3. 後継の22600系電車は史実よりも多く製造されていた。

16000系

中間車が史実よりも多く製造していたら

  1. 4両編成での運行が史実よりも増えていた。
    • 朝夕ラッシュ時には、6両編成もしくは、8両編成で運行されていたかもしれない。
  2. 16010系電車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。

21000系

増結車が史実よりも多く製造していたら

史実では、増結用2編成3本が製造されました。

  1. 名阪特急の利用者が史実よりも多くなっていた。
    • 無論、アーバンライナーにおける8両編成での運行本数が史実よりも多くなっていた。
  2. 22600系電車と12200系電車は史実よりも多く製造されていた。
    • 22000系電車も史実よりも多く製造されていた可能性もある。
  3. 21000系電車自体が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
    • その場合、アーバンライナーの本数が史実よりも多くなっていた。
    • 後継の80000系電車の車両数も史実よりも多くなっていた。(80000系電車の車両数が21000系電車の車両数と同じであるため。)

全て8両編成で製造されていたら

  1. 名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていた。
  2. 21020系電車や80000系電車も全て8両編成で製造されていた。
  3. アーバンライナーnextやアーバンライナーplusのデラックスシート車も2両になっていた。

南海電気鉄道

2200系

高野線山岳区間直通運用が史実よりも長く残っていたら

  • 当初は一部を高野線用に残す予定でしたが、最終的には全て2000系に置き換えられました。
  1. 2000系の製造両数が減っていた。
    • 余剰となった車両が本線に転用されることもなかった。
      • その分8000系の製造両数が増え、泉北3000系の本線転用も多かったかもしれない。
    • 熊本電鉄に譲渡されることもなかった。
  2. 橋本までの複線化完成後に17m車の運用が減少すると史実通り支線に転用される。
  3. 2300系の登場や観光列車「天空」への改造は史実通りだろう。
  4. 貴志川線には21000系が転用されていた。
    • 和歌山電鐵に引き継がれるのも史実通りだが、老朽化のため2010年代に東急1000系か東京メトロ03系あたりに置き換えられていただろう。

6000系

廃車ではなくリニューアルしていたら

  • 置き換えのプレスリリースでは南海6000系を「更新」としか書かれておらず、内装を新しくして使い続けるという噂がありました
  1. 一体何年使い続けるのか…。
    • なお養老鉄道に同時期に製造された東急7700系が譲渡されましたが、製造から50年たつがあと30年使えるとのこと。
  2. 8300系は存在せず。
  3. リニューアル工事は9000系に準じる。
  4. さすがに戸閉装置は新品に交換されていた。

南海本線にも投入していたら

  1. 7000系はない。
  2. 8000系(2代)投入が遅れていた。
  3. 6100系も本線に投入されていた。
  4. 南海の鋼製車は特急車を除き1960年以降投入されなくなっていた。

10000系

最初から4両固定編成で製造されていたら

  1. 1985年11月のダイヤ改正で特急「サザン」は8両編成で運行されていた。
    • 急行も8両編成で運行されていた。
  2. 1989年11月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
  3. トイレも最初から完備していた。

全ての2両編成に中間車が製造されていたら

  1. 当然ながら、10001F - 10003Fの中間車化改造はなかった。
    • リニューアル化されて、2019年現在でも廃車されずに運行されていたかもしれない。
      • ただ、併結相手である7000・7100系の車齢を考えると12000系への置き換えもおかしくはない。
  2. 場合によっては、中間車は1989年頃に登場していた可能性もある。
    • その場合、10006F~10010Fの登場が史実よりも早まっていた可能性もあり得る。
    • 9000系電車の投入も史実よりも早まり、特急「サザン」・急行の8両化が1988年10月頃に早まっていた可能性もある。
  3. 1992年7月の改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
    • 全列車が8両化されたのと同時に統一されていた。
  4. 12000系電車は近鉄21020系電車と同様に、リニューアル化に伴う不足を補うために導入されていた可能性が高い。
      • リニューアルが完了したら車両が余るので、一部が高野線に転属し「泉北ライナー」に運用されていた。
      • もしくは、10000系電車の一部が泉北高速鉄道に譲渡していた可能性もある。その場合、泉北高速鉄道所有の12000系電車が製造されることはなかったかもしれない。
      • 最初から「泉北ライナー」向けに12000系電車が投入されていた可能性もあり得る。
  5. 全車座席指定の列車が今でも存続していたかもしれない。

中間車が史実よりも製造されていたら

  1. 中間車に改造される先頭車が史実よりも少なくなっていた。
    • 2013年6月以降は新造された中間車が挿入されている編成のみが運行されていた。

大阪市高速電気軌道

10系

10連化にあたり新造車を組み込んでいたら

  1. 当初計画通り1989年頃に10連化が行われていたらそうなっていた。
    • 1700形は全車両10系後期タイプの車体を持つ車両となっていた。
    • 増結が1990年代初頭に行われた場合でもデザインは10系に合わされていた。
  2. 1101F~1104Fもリニューアルが行われていた。
    • 2010年代に入って30000系に置き換えられていた。
  3. 21系の新造両数が減っていた。

100形(2代)

50系のT車に改造されていたら

  1. 恐らく近鉄東大阪線開業を機に千日前線から中央線に転属し、T車化改造が行われていた。
  2. 中央線所属の50系に関しては抑速ブレーキ設置のほか、谷町線用と同様モーター出力アップも行われていた。
  3. 1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。

1000形(初代)

50系への組み込みが実現していたら

  • 1970年代に四つ橋線50系のT車として組み込む構想がありましたが、実現しませんでした。
  1. 製造後20年足らずで廃車されることはなかった。
  2. 四つ橋線における50系の活躍が現実よりも長かった。
    • 四つ橋線からの撤退は1980年頃だった。
      • その後はモーター出力アップの上谷町線に転用されていた。
  3. 1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。