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{{|name=長野|reg=甲信越|ruby=ながの|eng=Nagano}}
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==地域の噂==
*新規追加は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
*[[長野/北安曇|北安曇]] - 大町
*現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。
*[[長野/長野|長野]] - [[長野市|長野]] 須坂 千曲
*[[長野/北信|北信]] - 中野 飯山
*[[長野/松本|松本]] - [[松本市|松本]] 安曇野 塩尻
*[[長野/上小|上小]] - [[上田市|上田]] 東御
*[[長野/木曽|木曽]]
*[[長野/上伊那|上伊那]] - [[伊那市|伊那]] 駒ヶ根
*[[長野/下伊那|下伊那]] - 飯田
*[[長野/諏訪|諏訪]] - [[岡谷市|岡谷]] [[諏訪市|諏訪]] 茅野 [[下諏訪町|下諏訪]]
*[[長野/佐久|佐久]] - [[佐久市|佐久]] 小諸 [[軽井沢町|軽井沢]]
*[http://www.pref.nagano.jp/ 長野県庁HP]


==テーマ別==
==独立項目==
*[[長野の言葉]]
*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら]]
*[[長野の食文化]]
*[[もしあの鉄道車両が計画されなかったら]]
*[[長野の学業]]
*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら]]
**[[信州大学]]
*[[もしあの鉄道車両がもっと長く使われていたら]]
*[[長野の交通事情]]
**[[東日本旅客鉄道/信越地区]]
**[[松本電気鉄道]]
*[[長野のメディア]]
*[[長野vs松本]]
*[[長野に言いたい]]
*[[偽長野の特徴]]
*[[ベースボールチャレンジリーグ#信濃グランセローズ|信濃グランセローズ]]
*[[JFL#松本山雅FC|松本山雅FC]]
*[[長野出身の有名人]]
*[[もし日本の首都が長野県の都市になっていたら]]
*長野の企業:[[セイコーエプソン]] [[キッセイ薬品]] [[ルートイン]] [[ホクト]] [[マツヤ]]
*[[信濃の国]]
*[[信州の気候]]


==長野(信州)の噂==
==東武鉄道==
#4月になるとほとんどの市町村で人口が減少する(東京や名古屋に若者が出て行ってしまうため)。
===500系===
#*全国のほとんどの都道府県でそうなります。
====地下鉄乗り入れに対応していたら====
#**さすがに「都」はならないと思うが。
#S-TRAINのように平日は日比谷線直通、土休日は半蔵門線直通になっていた。
#**「府」もならないのでは?
#*特に半蔵門線直通は中央林間~会津田島まで行く超ロングランとなる。
#**「県」もならないのでは?
#*THライナーはこの車両で運行されていた。
#**[http://www.stat.go.jp/data/nihon/02.htm 総務省統計局の都道府県別転出入者数調査]によれば殆どの県が転出超過で、年度末の3,4月がピークに重なる。
#4両編成も製造され、途中東武動物公園で切り離していた。
#博物館の数が異様に多い。(東京、北海道に次いで3位)(by ああり満男<東京都>)
#フラワーエクスプレスも特急になっていた。
#社会科の副読本の「長野いろいろ日本一」の欄に、百姓一揆が起こった回数が全国1位だということを自慢している。
#[[長野のメディア|信濃毎日新聞]]・八十二銀行・信学会・しなの鉄道・アルピコグループを敵に回すと生きていけない。
#*信学会・しなの鉄道・アルピコは単に市民のライフラインという意味
#*信濃毎日新聞・八十二銀行・岡谷組辺りは政治家・地元企業の命運を握る
#*軽井沢周辺はコクドの圧倒的支配下。
#**アルピコは債務超過問題があるので、今後県民の目は厳しくなると思われ。
#長野県には[[信用金庫]]が各エリアに一つしか無いので、看板は「○○信用金庫」などと書かず「しんきん」の四文字だけ。
#廃藩置県の際、うっかり松代の名前が県庁所在地に挙がったら、松代藩民はお城を自らの手で焼き捨てて拒否。
#*どーして?
#ギターなら「モーリス」。「[[ヤマハ]]」や「キャッツアイ」は邪道である。
#*中学の音楽の授業で使ったギター、「ヤマハ」でした(勿論、学校の物)。
#*オラぁやっぱり、[http://www.headway.to/ ヘッドウェイ]がえぇな!
#**エレキだったら[http://www.fujigen.co.jp/ フジゲン]でしょう!
#*パソコンの光学ドライブならシナノケンシ(プレクスター)、プリンタなら[[セイコーエプソン]]、モニターならイーヤマ(2005年倒産)。
#**プリンタでエプソンを選ぶのは修理工場が塩尻にあることも一因なのではないでしょうか。(以前プリンタが壊れたとき塩尻の工場に持ち込んだら翌日帰ってきた)同じ理由でディジカメはオリンパス(修理を工場は岡谷にある)を選びました。
#***おじいちゃんちのコンバイン「ヤマハ」だったよ。あ、楽器のことか。
#**イーヤマは2005年倒産→マウスコンピュータ傘下になり、その後合併[[Wikipedia:ja:iiyama|iiyama]]されてブランドは継続している。
#セイコー以外の時計は販売禁止、輸入禁止。
#*セイコーエプソンの本社が諏訪にあるためと思われる。確かに多いが、そこまで極端ではない。
#*セイコーエプソンでは時計は作ってない。長野オリンピックの時にスポンサーになったものの、コンピュータ関連はIBMがスポンサーになっていた関係上供給出来ず、セイコーの時計を持ってきた。
#**ウソ。服部セイコーは売るだけ。セイコーエプソンとセイコーインスツルが製造している。
#**東御市にシチズン系の会社があったりするが、あまり知られていない。
#***正確には本社は御代田。御代田にはシチズン系列の会社が3社ある。
#****正確に東御市にあるのはシチズンミヨタの事業所。
#コンビニエンスストア「セブンイレブン」が異常に多い。
#*トップが上田人。
#*「ローソン」の衰退もあってのこと。
#**これは微妙。セブンイレブンが東京の次に長野でドミナントを作ったためであり、ローソンが進出してくるずっと前からすでに「セブンイレブンだらけ」の状態になっていた。
#**セブンイレブンジャパンの創始者が坂城町出身だから当然
#ソニーのエンターテインメントロボット「AIBO」は100%長野県産だった。
#浜岡原発を巡って静岡県と抗争中。
#県民が農民や土木作業員に至るまで総じて理屈っぽい。
#やたらと「ちがう」「そうじゃなくて」と否定したがる。
#*それを聞いて、[[wikipedia:ja:違う、そうじゃない/渋谷で5時|鈴木雅之がこの曲]]を作った。
#布団や洗濯物などを外に干してはいけない。日常業務の一環として、強風でも焚き火をするため煙をかぶる危険性アリ。県外からの転入者による投書が新聞に時々載る。
#新潟ほどではないが、携帯電話の地域会社が統一されていない
#*地域の電力会社が中部電力なので、電力各社が株主だったauは中部支社(旧IDO時代含む)、旧アステルもアステル中部
#*残りは関東地方及び山梨県と同じだが、東京志向バリバリの新潟と異なり、気にする人は少ない
#**たしかにあの県の異様な東京崇拝(東京信仰)には正直引く。
#*新潟の場合はドコモは最初から関東甲信越、auは会社統一後に関東(かつてはセルラー東北)、ソフトバンクは現在も東北(かつてはデジタルツーカー東北)となっている。
#人間よりも蚕のほうが地位が高い。「蚕」と呼び捨てにすると年配者から怒られるので、「お蚕様」と呼ばなければならない。
#「長野県出身」ではなく、「信州出身」と言いたがる。
<!--#俺発見!「長野県」の子どもがやたらWikipediaに多い。-->
#JR東海に集ろうと強請りを入れている。
#八方尾根にある自動販売機は、5月になると冬眠する。相棒は山荘の中で働いていますと書いてあるが山荘も5月は休みだった修学旅行の思い出。
#長野県は、昔から([[沖縄]]県と並んで)「年寄りが元気な県」で名高い。ゆえに「認知(痴呆)症」にかかること自体、最大の罪と考えている。


==信州のレジャー・芸能==
===30000系===
#大型の「遊園地」のような遊具つき施設は少ないが、「温泉」がついてる宿泊施設が多い
====東上線に転属しなかったら====
#*観光資源の寺社仏閣、美術館、避暑静養地が景観条例で保護されているため巨大レジャー施設は作れない
#10両固定化の際に中間運転台を撤去した。
#*作っても(長野五輪以前は特に)交通の便が良くなかったので廃れていた。
#あるいは伊勢崎線の8000系・10000系を置き換えたかも。
#*今は東北信地方は新幹線のおかげで宿泊自体減っている。
#*8000系はともかく、10000系はまだ時期尚早だぞ。
#小さな公園を遊園地と言いはる。
#**なので10000系は野田線に回されていた。
#*アルプス公園を遊園地と言う奴はいない。
#*そういえば、私の母方の家の近くの神社あたりでも、メリーゴーランドや籠型のブランコみたいな乗り物があったな…。
#*ただの野っぱらに柵を立てて動物を入れただけの場所をテーマパークと言い張る。
#長野県には競馬場や競輪場などがないので、唯一のギャンブル施設のパチンコ屋が繁盛している。(taccyan27/長野県)
#*場外も含め公営のギャンブル施設がないのは長野県と沖縄県だけでしたっけ?
#*そのため、パチンコ屋の周りにはスーパーやコンビニが多い
#*パチンコ以外でも、(国道沿いの)ゲームセンターも繁盛している。
#*正月早々から開店前に行列ができる打始め。長野県じゃ浸透が遅い。
#*昼間でも日中パチスロ店のCMが絶えない。パチスロはある意味信州名物。
#**テレビCMも新聞広告もパチンコだらけ。県内マスコミがパチンコにスポンサーとして依存しているというなんとも情けない状態。
#白骨温泉もいまどきは温泉の素を使用する。
#*「[[禁句/長野|禁句]]」の項を参照。
#全員スキーが上手いわけではない。
#*スノーボードは今時当たり前としても、スケート経験者も多い
#**myスケート靴(スピートスケート靴)を冬の間レンタルし、冬の体育の授業はスケートの地域あり(ビニールでくるんだ座布団必携)
#*指導者級の腕の人~小中校の教室でしかやらない人に分かれる
#**教室でスキーって、さすが。
#***意味が違う
#ダフ屋を取り締まる条例がない。
#*人気のある公演は「サイトウキネン」ぐらいなので商売にならない。
#**アルフィーを忘れてはいけない
#*どんなに人気アーティストでも、よそからの「追っかけ」が来ないから。ヤ○オクでも長野での公演チケは売れ残る傾向。
#**当日は県外ナンバーの「ヲタ・ワゴン」をよく見る。
#*[[ベタな金券ショップの法則|金券ショップ]]も商売にならず、すぐ潰れる所がほとんど。県外から来た人に「金券ショップはありません」と言うと驚かれる。


==長野の冷蔵庫==
====10両貫通編成だったら====
*野沢菜
#「半蔵門線直通」のステッカーが貼ってあったかもしれない。
**木曽じゃ「すんき」だな(昔は塩が貴重品だったので酢で漬けた)。
#東上線転属はなかった。
***すんきは酢漬けではなく、乳酸菌醗酵。塩を使わない珍しい漬物。
#*逆に東上線で先行営業を開始し、半蔵門線直通開始前に本線に一斉転出。代わりに8000系が転入し、東上線ファンからは顰蹙を買っていた。
*わさび漬
#50050系の製造数は少なかった。
**大王わさび農場は松本観光の定番。
#「フラワーエクスプレス」は久喜乗り換えとなっていた。
*信州そば
#*館林までホームは10両あるので館林まで走っていた。
**そば作りには執念を燃やす信州人だが、めんつゆには気が回らない。一般的にダシが薄杉もしくは化学調味料入れすぎ。
***同感。もちろん美味いところはそうでもないのだが。駅そばとかよく口にするのはダシ薄い気がする。調味料は八幡屋磯五郎の影響?
***化学調味料=ビミサン。
*おやき
**長野と松本では全然別物、石焼・灰焼きは固いが長野で売っているのは水っぽい
*りんご
*なめ茸
**東京じゃ安いなめ茸が1瓶70~80円で売っている。瓶代と輸送費だけで採算割れしていると思う。
*ぶどう
*浮かし餅
*[http://www.yawataya.co.jp/index.html 八幡屋磯五郎](七味唐辛子・一味唐辛子)
*[http://www.rakuten.co.jp/sakana/655477/ ビタミンちくわ]
**ビタミンちくわって長野限定なんですか?
***限定ではないが、全国シェアの7割が長野だとか。
*[http://www.yomeishu.co.jp/ 薬用養命酒]
*[http://www.kantenpp.co.jp/ かんてんぱぱ]
*[http://www.marukome.co.jp/ マルコメみそ]
*[http://www.hanamaruki.co.jp/ ハナマルキみそ]
*[http://www.rakuten.co.jp/nagano-tokyu/422381/469965/ 小布施竹風堂](栗菓子・方寸)
**[http://www.kanseido.co.jp/ 桜井甘精堂]や[http://www.obusedo.com/index.html 小布施堂]もあるよ。
*[http://www.kaiundo.co.jp/ 松本開運堂](道祖神)
*[http://www.konnanodo.com/shop/azumino/ 就一郎本舗]
* [http://www.alps.or.jp/iizura/contents/member/omusubi/omusubi.html おむすびころりん](フリーズドライお茶漬け)
*[http://www.sudo-jam.co.jp/ スドージャム]
*[http://www.naganotomato.jp/index.php ナガノトマト]
*[http://www.tableland.co.jp/ テーブルランド(丸善食品)]
*[http://www.gold-pak.com/ ゴールドパック]
*[http://www.goichiwine.co.jp/ 五一ワイン]
*[http://www.sinanowine.co.jp/ 信濃ワイン]
*[http://www.alpswine.com/ アルプスワインワイン]
*[http://www.azumino-winery.co.jp/ 安曇野ワイン]
*[http://www.masumi.co.jp/ 真澄(宮坂酒造)]
*[http://www.rakuten.co.jp/yonayona/ よなよなエール] (地ビール)
*「おざんざ」
*[http://www.tenyo-takeda.co.jp/ ビミサン] (山梨県を中心とする地域でしか売っていないローカルな商品だが、長野県ではその事実が知られていない)
*[http://www.misuzuame.com/ みすゞ飴](人により好き嫌いが分かれる?)
*ローメン
*蜂の子
*ざざむし
*蝗
*蜂の唐揚げ
*蚕の蛹


==信州にないものへの憧れ==
==東京メトロ==
#他県(ほぼ東京)にあって長野にないものに異常に憧れる。
===8000系===
#[[スターバックスコーヒー|スターバックス]]出店のため、[http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/3rd_place/02/index2.html 署名活動]があり、県内初出店の長野駅前店はスターバックスの「オープン1日目の売上記録」ワールドレコード達成。
====東西線に正式導入されていたら====
#*アメリカのスターバックス会長の[http://web.archive.org/web/20031217201421/http://www.starbucks.co.jp/ja/pr2003070201.htm コメント]が公開された。
*史実では05系導入までの繋ぎで東西線に半蔵門線用の8000系が数年間走っていた事があります。
#*東京行ったらスターバックスがいたるところにあって、嬉しくて涙が出た。
#05系の導入が史実よりも遅れていた。
#*上田では駅ビルを新しく造る際の目玉にスターバックス招致を目論むも失敗し、結局イオンショッピングセンターへ。
#*最初からワイドドアである事を前提に開発されていた可能性が高い。
#*そのイオンショッピングセンターでもスターバックスほどの人気を得られなかった「北新地鳥屋」、「ビアードパパスイーツ」は開業から1年半の内に撤退。
#*但し帯色に関しては小田急との混同を避けるために、05系とほぼ同一のカラーリングになっていた。
#他県(ほぼ東京)の「モノ」は欲しがるが、他県の「ヒト」には冷淡である。
#15000系導入時に全編成が置き換え対象になっていた。
#*閉鎖性は、ムラ社会に共通のもので京都の閉鎖性ほど徹底的ではない
#*インドネシアや北綾瀬支線に送られる編成が多い一方で、B修工事の上で半蔵門線に転籍する車両もいたかもしれない。
#外国人の出稼ぎは多いのに、である。
#*出稼ぎ外国人は社会的影響力が無く、地域参加をしないので興味が無いのだ
#*工場の深夜シフトを担当する外国人も多いので接点が希薄という事もある
#*地区の児童会とかだとムードメーカーだったりもする人もいる。
#しばしばヨーカドーやダイエーを「デパート」だと言い張る。
#*食品を主に扱っていた個人商店が、店舗改装などで「スーパー」を名乗るようになったため、全国展開しているものを「デパート」と呼ぶようになった。デパートが進出していない地方ではよくある事。(例:[http://local.goo.ne.jp/aichi/shopID_nttbis-23-36277/ 愛知のタウンページ分類])
#*正確な分類について知りたければ、[http://q.hatena.ne.jp/1117468064 ここ]が参考になる。
#**[[イトーヨーカドー]]が「デパート」ではないと言いつつ「スーパーストア」が正解と知ってる人が業界以外で少ないのは、建物の外観で区別しているからっぽい。


==信州の自治体==
===15000系===
#「村」の数が全国一多く、38もある。2位の福島・沖縄の2倍。(2006年3月)
====ワイドドア車がなかったら====
#「○科」という地名が多い。
#東京メトロ東西線ホームドア全駅設置が早まったかも。
#*もともと「信濃」は「科野」という話。
#*つまり07系は全て15000系に置き換えられていたか?
#*合併して[[長野/長野#千曲市の噂|千曲市]]になった旧更埴市は、更科と埴科が合併して誕生した際、それぞれの頭文字をとって命名された。
#混雑で苦情が殺到していた。
#**旧更埴市・旧戸倉町・旧上山田町が合併する際の新市名候補として、現在の「千曲市」と「更科市」があったが、「更科市」は住民投票で却下された。
#***「更科」の方が古いゆかりのある地名なんだがなぁ。


==信州の政治==
==東京急行電鉄==
#何でもかんでも反対としか言う事の出来ない無能な馬鹿知事が却ってこの地をダメにした。
===7700系===
#*でもって、後任者はそいつの言うことは何でも否定。これもいかがなものかと…。
====7915Fの故障が少なかったら====
#**正にクリスタル。
7700系は4両編成3本が目蒲線から池上線への転属の際、3両編成にされ余剰となった中間車3両が先頭車化改造され7915Fができましたが、制御装置の故障が多く2010年9月に廃車になりました。もし故障が少なかったら?
#**ダメにしたものを否定するのは当たり前で、実際は情報公開の方針等引き継いでるものも沢山ある。
#もちろんまだ廃車にはなっていなかった
#**その後任者はリニアルート問題の最大のガン。後世にリニア誕生秘話のドラマが企画されれば、間違いなく悪役にされる。
#3000系以降の車両も一部に東洋製IGBTが採用されていた。
#長野県庁は、実は動物園で一階では珍獣を展示している。という、ヤジがある。
#目蒲線分断により4両編成から3両編成への組み換えの際にも先頭車化改造が行われ、7915Fのような車両が量産されていた。
#*珍獣展示は8月上旬で終了。八十二銀行(前頭取)に見限られたのがトドメだったか。
#9000系の東横線から大井町線への転属の際にも一部は先頭車化改造が行われていた。
#**で、珍獣の後釜も以前に増して無茶苦茶な政策をしているらしい。おかげで[[2ちゃんねる]]では「こんな知事を選んだ長野県民ってバカじゃないの!?」と言われる始末…。
#どちらにしろ、東急1000系リニューアル車の投入で廃車。
#***県民ですら「こんな知事選んだやつバカじゃないの」と思ってる。
#*異端車である以上、真っ先に廃車になる。
#****じゃ誰が選んだんだ?出てこい責任者!
#東急は先頭車化改造に消極的になることはなかった。
#*****実際、(中略)なのでしょうがない。
#*他線区への転用に際して持て余した中間車が廃車になってしまうこともなかった。


==信州の礼儀・マナー==
==相模鉄道==
#知人の家に行くときの礼儀として、野菜を土産に持っていくものだという認識がある。
===11000系===
#*自宅栽培をしている人は、渡すことが多い。
====JRに乗り入れていたら====
#*自分の家の庭でとれたリンゴや巨峰なども。
史実では計画中止になりましたが、もし実現していたら?
#電車を待つときやエレベーターを利用する時などで「並ぶ」というマナーを知らない。
#本数に余裕ができるので埼京線大宮~武蔵浦和間の減便はなかったかもしれない。
#*そもそも並ぶ機会が少ない
#*場合によっては日中も大宮まで乗り入れていたかもしれない。
#**お陰で東京行ったとき一人列から外れて電車に乗れなかった。そもそも自動改札を通れなかった。
#内装は12000系に近いものに改造されていた。
#*最初からいた人や老人子供などを自然と優先させてあげる優しい習慣です。
#女性は一緒に食卓を囲んではいけない。(土間らしい)
#*本家訪問時、「次女の婿さん」の身分は下の下。
#お通夜にご祝儀袋を持って行く地域がある。
#*香典袋は用意しておいたみたいで失礼にあたるから。
#*病気なのに、お見舞いに行けなくてゴメンナサイという意味です。香典袋も別途もって行きます。
#長野県民は、電子メールより「'''(郵便を使った)手紙による文通'''」や、「'''人同士の会話'''」を重視しているとのこと…(昔ながらの交流形式)。
#*長野県は、昔から(日記など)筆記による交流や教育を重視しているために…。
#*まもなく「'''自由なネット(&電子メール)社会が終わろうとしている'''」とのニュースを聞いたときは、(政府関係や会社関連などでの、連絡利用を除いては)「'''将来の自分のためにも、今後は手紙や郵便による文通を利用して下さい。'''」と子供に呼びかける学校が増えているらしい…。
#**おそらく長野県民は、いち早く「OA(インターネット)依存症」を敏感に察知したかも…。


==信州の所属==
==小田急電鉄==
#県民であっても、東日本か西日本かで困るときがある。
===9000形===
#*明らかに東日本文化圏。でも中部地方を細分化する際には判断に迷う。
====常磐緩行線に乗り入れていたら====
#**関東と同じにされて関東甲信越ってよばれるからね。
実際に国鉄(JR)に乗り入れに対応できる車両になっていました。
#*電力は中部電力から供給され、西日本と同様に60Hzである。
#常磐緩行線に乗り入れる小田急の多摩急行、準急が史実より多くなっていた。
#天気予報に限り「関東甲信越地方」と称される事をネタに、他府県の人には関東地方だと言い張る。地域的には東海、中部もしくは甲信越地方なのに、すすんで言いたがらない。
#1000形電車も乗り入れ対応できる車両になっていた。
#*時折、甲信越地方、中部地方など、所属している地方が変わる。
#*某携帯電話会社のエリア分けでも「中央(関東甲信越)」のエリアに入りますしね。
#*少なくとも[[東海]]地方ではない。
#**海沿いじゃないんだから東海のはずがない。
#***岐阜は...


==信州の行事==
==京成電鉄==
#7年に一度無駄遣いをする。そのために7年間貯蓄に励む。
===3500形===
#*[http://www.gokaicho.com 善光寺御開帳]、[http://www.onbashira.jp 諏訪御柱祭]のこと
====全編成の車体更新が行われていたら====
#*「おんばしら」の祭りが近くなるとなぜか浮き足立つ。
3500形は車体更新を全編成にわたって行う予定でしたが、鋼材の腐食が予想以上に早く進んだため、約半数を更新したところで打ち切りとなり、未更新車は先に廃車されました。
#**日本人なら誰でも知っていると思っている。
#3000形(2代)の投入数がやや少なくなっていた。
#***それは無い。諸説ある[[wikipedia:ja:日本三大一覧#祭り|日本三大奇祭]]に入ることがある程度の話を勘違いしたものと思われ。ちなみに善光寺の阿弥陀如来は[[wikipedia:ja:日本三大一覧#寺院・仏像・鐘・門・塔|日本三如来]]。
#全編成が京急への乗り入れを果たしていた。
#*「7年に一度」って聞いて丸7年ごとに行われるものだと思っていた子供の頃。正確には「7年目」もしくは「丸6年に一度」。数え年と満年齢のギャップに苦しんだ。
#*京急沿線から見た京成のイメージが、史実より古臭いものとなっていた。
#*ちなみに次回の善光寺御開帳は2009年、諏訪御柱祭は2010年。
#未更新車のさよなら運転イベントはなかった。
#*御神渡りがない年のほうが多いのに善光寺御開帳か諏訪御柱祭の年には必ず出してるのは凄い。
#どんどん焼き(どんど焼き)と厄投げを小正月の頃に行う習慣がある。
#*どんど焼きは1月7日の早朝に行う地域もあるが、最近はそれに近い土曜もしくは日曜に行うところも増えてきている。
#*又の名をおんべとも言う
#*三九郎とも言う
#小中学校の夏休みが他県と比べ、かなり短い。(7月下旬~8月中旬)よって、よくある8月31日に宿題をまとめてやる、という経験ができない。
#*これは、北海道・東北・北陸・山陰でも同様。
#*現在、夏休みが30日以下なのは長野県と北海道だけ。
#*夏休みが短い分、春休みが長くなっている
#**秋休みもある。農繁期のための休みのなごり。
#***無い所もあるが当然夏休みは短い。
#*家庭で花火ができるのはお盆の4日のみ
#*30日以下の夏休みで驚くのは早いよ。冬休みなんて約10日間しかないんだから・・。
#*かつては寒中休みなるものがあったがゆとり是正で消えた。
#やたらに花火好き。町内行事や学校行事レベルでも花火を早朝に打ち上げたりする。
#「[[信濃の国]]」に次いで、「'''松本ボンボン'''」なる祭りのテーマ曲も歌唱率が高い。(主に中信エリア)
#結婚式で近所の人(隣組)が招待される。
#*消防団に入っていると、伝統の下ネタ満載の余興が披露される。


==信州のファッション==
==伊豆箱根鉄道==
#ファッションの水準がとても低い。
===7000系===
#県立の高校はほとんどが制服がないため手抜き。
====JRに乗り入れていたら====
#*むしろ私服校だからこそ力を入れると思うんだけど?実際そこまでひどくない。
史実ではJR線乗り入れ用を想定した機器を搭載していましたが実現することなく撤去された
#**いやいや、力を入れるのは最初のほうだけ。だんだんジャージ登校や適当なラフな格好での登校をする生徒ばかりになっていくのが現実である。
#三島から沼津、静岡方面に乗り入れていた。
#高校生は皆、松本パルコに買い物に行く。
#指定席車両連結も継続していた。
#*ユニクロ南松本とあづみのが出来て、そっちに流れる層もあって全国との平準化が進んだ
#*列車愛称も付与されていただろう。
#よそ行きの服だったら特急あずさで新宿まで買いに行く。(日帰り可)
#修善寺踊り子の存在意義が薄くなる。
#*たしかにダサい女の子は多かった。でも、すれてない女の子も素敵だ。(by他県民)
#長野市内は'''東京の影響が強まってる'''のか、ファッションの水準が少し上がっている感じ。
#*毎年夏休みになると都市に移住した長野県民が東京ファッションを持ち帰る現象がある。
#*その逆のケースとしては、初めて東京エリアに上京する際、余所(よそ)行きの格好総出で超オシャレして出かける人も…。(現地に着いてから、ギャップに驚くが…)
#長野県は、昔から「非道徳的な行為&ファッション」に厳しいのか、昔ながらの住民ほど「交通ルール」に対してはマジメで、服装などに関しては「'''けばけばしい言動や、過度の装飾は下品'''」と考えている。
#*ちなみに長野県内の交通違反の検挙数は「'''ビリから2番'''」の好成績だが、検挙されたり事故を起こすのは「たいていは'''県外から来た車&運転者'''(が大半)」と考えている人が、少なからずはいるらしい・・・。
#日本で一番最初にブルマーを廃止した県。
#*長野県内&出身者は、基本的には「道徳に厳しい」のか、ブルマと言えば今ではネット&書籍の世界で見かけるくらいだ・・・。


==信州のスポーツ==
==富山地方鉄道==
#野球はジャイアンツ、サッカーはいまだにヴェルディがファンも多く、一番強いと思っている。
===7000系===
#*巨人ファンが多いのは、イースタンリーグでやってくる事も影響している
====上滝線に乗り入れていたら====
#*ヴェルディファンが多いのではなく、興味が無いから初期ヴェルディと数チームしか知らないというのが真相。
史実では上滝線の勾配を超えられませんでしたが、もし超えられていたら?
#*地元に強豪チームが無い県というのは、どこも似たようなものだ
#路面電車乗り入れの実績を持つため、上滝線のLRT化がすんなり進んでいた。
#*何も考えてないおめでたい人ほどその傾向がある(特に30代以降)。目覚めよ!
#沿線人口が少ないのでそれでも赤字だが、赤字幅は史実より減っていた。
#*中南信では巨人ファンと中日ドラゴンズファンがほぼ半々。
#不二越線にも駅数を増やした上で乗り入れていた。
#*コクドの影響で西武ファンも結構いる。
#野球やサッカーの応援で立見は禁止である。
#*「アルウィン」には立見席があるんですが・・・。


==信州のサブカルチャー==
==名古屋鉄道==
#全国から木崎湖へ旅行してくる人々のために、近所の駅舎に交流ノート的なものが置いてある。
===キハ8500系===
#*自分も県民なのに「巡礼」に行きましたよ。あと中央本線の信濃境駅も結構有名ではないでしょうか。
====あの会社に譲渡されていたら====
#銭形警部の左遷先。
史実では会津鉄道に譲渡されていますが、もし、譲渡先が違っていたら?
#近年は新幹線の影響か、「'''コスプレイベント'''」や「'''おたく文化'''」「'''メイドカフェ'''」も長野県内に持ち込もうとする長野県民(の若年世代)も、増加中。
;全般
#*そんなもの持ち込まないで!田舎もんの信濃国民には(あがたの森や木崎湖とかの)某アニメ程度でお腹いっぱいです。都会の「OTAKU」文化は一部の人を除いて一般人には刺激が強すぎます。
#会津鉄道とは違い、早期廃車になることはなかった。
#*山梨は余裕で「おたく文化」受け入れたらしい。CATVが大きな原因かと思われる。
#「AIZUマウントエクスプレス」は設定されなかった。
#**隣の県が受け入れたことでよりヲタ化が進みそう。
;三陸鉄道
#**そもそも山梨は東京の隣で、関東には入らないが首都圏には入る。
#イベント列車仕様に改造されていた。
#「リアス・シーライナー」には本形式が充当されていた。
#*だが震災でその列車が運命を共にするのはほぼ現実であるが、それでもイベント列車には本形式がある程度活用されていた。
;JR東日本
#=地方交通線への優等列車設定に意欲的だったら、である。
#*JR東日本は非電化特急不毛の地(非電化特急が育たない)と言われ続けることもなかった。
#形式はキハE151系だった。
#「陸中」か「よねしろ」の特急格上げに充てていた。
#*「陸中」に充てた場合は絶対数に限りがあるのであっても一部が格上げされるに留まっていた。
#**その分、キハ110系0番代を快速「南三陸」の指定席車に捻出するのは史実通りだった。
#*「よねしろ」に充てた場合は快速に格下げされることはなく、特急化していた。
#**通勤優等列車の役割を果たす性質上、定期券でも乗車できるようになっていた。
#**701系セミクロスシート改造車は登場しなかった。
;JR東海
#走行機器や性能が同社のキハ85系とほぼ同一なので、保守・運用面での制約は少なかったと思われる。
#*そもそもJR東海が「北アルプス」の存在が厄介になっていなかったら受け入れていたかも。
#これを使用して参宮線-紀勢本線を経由して伊勢志摩と南紀を直通する特急が設定されていた。
#*「南紀」の増結用としても運用されていただろう。
#*=観光列車の設定に意欲的だったら、である。
#*むしろ「かすが」の特急格上げに充てていたかも。
#キハ85系に編入していた。
#*車体構造が異なるので番台区分はされていた。
#当然、東海色に変更していた。
;京都丹後鉄道
#大阪・京都-天橋立経由豊岡方面を結ぶ特急に運用されていた。
#*鳥取や敦賀方面に乗り入れていたかもしれない。
#今頃は水戸岡デザインにリニューアルされている。
;JR九州
#水戸岡デザインにリニューアルされていた。
#恐らく久大本線・豊肥本線・肥薩線なんかで観光特急に運用されていた。
#*場合によっては博多-肥薩・吉都線経由宮崎間の特急「おおよど」が復活していたかもしれない。
;JR西日本
#「つやま」か「みよし」に投入されていた。
#*快速に統合されることなく、現在に至るまで運行していた。
#*あるいは「はまかぜ」に投入され、キハ181系を置き換えていた。
#**但しそれだけでは両数が足りないので、キハ189系の新造は史実通り。
#形式はキハ171系であり、急行形に分類されていた。
;東武鉄道
#この車両による浅草~会津若松直通が実現していた。
#*うまく行けば栗橋からJRに直通し、新宿~会津若松だったかも。
#**東京都内に乗り入れる唯一の気動車となっていた。
#史実と同じく会津鉄道を通るが、大手私鉄の整備技術で史実よりは長生きできただろう。


==信州の性==
===2000系===
#全国で唯一淫行条例がない、自由恋愛の聖地。
====最初から4両編成で登場していたら====
#*↑をいう人は、条例より既判力の強い「刑法」の存在を忘れている。
落成時には、3両編成で登場し、のちに、4両編成化されました。
#*長野市には長野市青少年保護育成条例がある
#製造数が史実よりも多くなっていた。
#**佐久市や東御市、塩尻市でも青少年保護育成条例はある。
#8両編成で運行する全車特別車の本数が朝夕ラッシュ時を中心に史実よりも多くなっていた。
#そのかわり合法な性風俗店はない。第一、淫行は常識としてダメ!
#*でも出張系性風俗店は多い。
#自由恋愛はとにかく、長野県内は昔から「恋愛&結婚に関してマジメな人」が多い。このため「援助交際や浮気は言語道断」の考えがあることも、お忘れなく…。(by.母親が長野県出身者の、東京都民)


==広い信州==
==京阪電気鉄道==
#隣接する県の数が、日本一!! ちなみに、知られていないかもしれないが、埼玉県とも接している。
===3000系===
#*埼玉、長野県境の三国峠は一度行ってみる価値あり(埼玉県側から)。ただし、夜間通行止めなのでご注意を!
====全て7両編成で製造されていたら====
#*面積とか人口が似ている新潟県をライバルだと思っているが、[[新潟/上越|頚城地方]]を除いて相手にしてもらえない。なので、頚城地方を長野県に吸収しようというプランが、地中深くで進行中らしい。
史実では、6両編成5本、7両編成4本で投入されました。
#**そして長年の夢だった海を手に入れたので、県庁所在地を上越市に移転。
#8500形が3000系電車に編入されることはなかった。
#*しかし長野県自体が大きい上にまとまりがないため、大抵の地域で関わりがあるのはすぐ近くの県だけ。
#**[[長野/北信|北信]]→[[新潟]]県、[[長野/佐久|佐久]]→[[群馬]]県、[[長野/諏訪|諏訪]]→[[山梨]]県、[[長野/下伊那|下伊那]]→[[愛知]]県、とかね。
#*2009年度、[[カターレ富山]]が[[Jリーグ]]入りすることにより、長野県に隣接する8県すべてJクラブを保有する県となった。
#**そして、[[JFL#松本山雅FC|ここ]]がJリーグに参入できれば、J空白県は埋まる。(早ければ2011年)
#地域が広い為、某県民紹介番組での常識が県内全域で通用しないことが非常に多い。
#*東君の転勤のやつも前・中・後編構成だったのはここだけ。(通常は前後編)
#長野が県庁所在地であることに自信を持てない。
#*南信の奥のほうでは、県庁所在地の長野まで日帰りできない所があるって言いますぜ、旦那。
#**飯田からだと長野市は名古屋はおろか東京よりも遠い。
#*四分割されて群馬、新潟、愛知、山梨にされてても多分他の地方の住民は気づかない。
#**だから「長野県歌・[[信濃の国]]」を小学校で強制教育して県民一体感を醸成しようとしている。
#**もう歌ってない小学校もあるらしい。正直さみしい。


{{DEFAULTSORT:なかの}}
==阪急電鉄==
[[Category:日本の都道府県]]
===5000系===
[[Category:長野|*]]
====宝塚線での運用が継続していたら====
[[Category:甲信越地方]]
5000系は神戸線に集中配置されいたので、1編成を宝塚線に転属しましたが、運転上、扱いにくいということで宝塚線での運用は中止となりました。もし運用が継続していたら、
[[Category:北陸地方]]
#5000系は史実より多く増備されていた。
[[Category:Apple]]
#5100系は史実より少なかったかもしれない。
[[Category:寒冷地]]
#3000系と同様に9000系、1000系の増備により、今津線、伊丹線、箕面線に転属された。
[[Category:●野]]
#*6000系の転属は史実より遅れた。
 
====T車がもっと製造されていたら====
5000-5040に将来T車2両が組み込まれることが考慮されておりました。その際に新造された場合、5580、5590になる予定でした。もし、製造されたら…
#2000・2021系の付随車が組み込まれることはなかったかもしれない。
#*ひょっとしたら、5040形と5550形と同様に製造数は少なかった可能性もある。
#*2000・2021系は5200系に組み込まれていた可能性が高い。
#5200系電車は製造されなかったかもしれない。
#2001年~2007年に行われたリニューアル工事の際に、車番が変更されていた。
 
===6300系===
====10両編成での運行が実現したら====
実際に、計画されていました。
#早くても、1980年代に増備され、1985年11月18日頃に運用され始めた。
#10両固定編成の場合、9300系も10両編成で登場していた。
#*この場合、京阪プレミアムカーに続く形で指定席車を導入していたかもしれない。
#2連による増結の場合、車番は6320番台となり、3扉ロングシートになっていた。
#*むしろ7300系になっていただろう。
#**7300系の10連増結車と共通運用されていた。
#(2連による増結の場合)9300系の登場後も、2両編成の6300系は、増結用として利用された。
#(2連による増結の場合)通勤ラッシュ時だけではなく、行楽シーズンの時でも増結されていた。
 
====「京とれいん 雅洛」が6300系の改造による導入だったら====
#6356Fか6330Fが改造された。
#*6330Fは他車と仕様が異なるので6356Fあたりじゃない?
#2011年5月頃に運行され始めた。
#*2008年5月に「京とれいん」が運行され始めて、2010年3月に「京とれいん 雅洛」が運行され始めた。
#十三駅に停車していた。
#*2019年3月にホームドアが導入された時には、通過となっていた。
 
===8200系===
====京都線でも運用されたら====
#車両番号は、8230、8280になっていた。
#*京都線用なので8340・8490かも。
#早くても、1996年3月頃に登場していた。
#やがて、2008年頃にロングシートに変更されていた。
#電機品は京都線用のため東洋電機製で、車体寸法も8300系と同じだった。
#*それでも堺筋線への乗り入れは行わない。
#嵐山線でも運用されていた可能性もあり得る。
 
====宝塚線でも運用されたら====
#8000系40番台は登場しなかった。
#恐らく日生エクスプレスの増結用として運用されていた。
#やはり神戸線用と同時期に普通のロングシートに改造されている。
#今頃は2+2で箕面線でも運用されている。
 
===8300系===
====増結用車両が製造されたら====
8300系も8000系の8040Fのような増結車が導入されていたら
#10両運転による快速急行が増発していた。
#*特急の10両運転が実現していたかもしれない。
#新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していたらあり得た。
#車両番号は、8340、8460になっていた。
 
===9300系===
====ロングシート車が製造されたら====
#側面や車内は神宝線の9000系と同じような感じになっていた。
#*但し寸法は異なる。
#恐らく堺筋線直通仕様になっていた。
#車番は9311F~になっていた。
#*9319Fの中間車に「9999」というナンバーが現れて有名になる。
#2300系の引退が早まっていた。
 
==近畿日本鉄道==
===9820系・9020系===
====大阪線・名古屋線でも運用されていたら====
#9820系は4両編成で投入されていた。
#*大阪線では、6両編成で導入されていたかもしれない。
#大阪線・名古屋線における急行・準急・普通は5~6両編成で運行されていた。
#長距離運用に備えてトイレが設置されていた。
#5820系の4両バージョンも登場していた。
#車番は「9751、9851、…」のようになっていた。
 
===12200系===
====12257F~12259Fも登場していたら====
当初は、1977年12月に、10100系電車の代替として、12257F~12259Fとして、製造されました。しかし、監督官庁からの指摘を受けて、12400系電車として、登場しました。もし、12257F~12259Fも登場していたら…
 
;予定通りに、12257F~12259Fが登場していたら
#12600系電車もなく、12261F、12262Fとして、製造された。
#*12410系が12400系を名乗っていた。
 
;史実よりも早く12257F~12259Fが登場していたら
#1974年12月に登場していた。
#近鉄特急の長編成化が史実よりも進んでいた。
#後継の22600系電車は史実よりも多く製造されていた。
 
===16000系===
====中間車が史実よりも多く製造していたら====
#4両編成での運行が史実よりも増えていた。
#*朝夕ラッシュ時には、6両編成もしくは、8両編成で運行されていたかもしれない。
#16010系電車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
 
===21000系===
====増結車が史実よりも多く製造していたら====
史実では、増結用2編成3本が製造されました。
#名阪特急の利用者が史実よりも多くなっていた。
#*無論、アーバンライナーにおける8両編成での運行本数が史実よりも多くなっていた。
#22600系電車と12200系電車は史実よりも多く製造されていた。
#*22000系電車も史実よりも多く製造されていた可能性もある。
#21000系電車自体が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
#*その場合、アーバンライナーの本数が史実よりも多くなっていた。
#*後継の80000系電車の車両数も史実よりも多くなっていた。(80000系電車の車両数が21000系電車の車両数と同じであるため。)
 
====全て8両編成で製造されていたら====
#名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていた。
#21020系電車や80000系電車も全て8両編成で製造されていた。
#アーバンライナーnextやアーバンライナーplusのデラックスシート車も2両になっていた。
 
==南海電気鉄道==
===2200系===
====高野線山岳区間直通運用が史実よりも長く残っていたら====
*当初は一部を高野線用に残す予定でしたが、最終的には全て2000系に置き換えられました。
#2000系の製造両数が減っていた。
#*余剰となった車両が本線に転用されることもなかった。
#**その分8000系の製造両数が増え、泉北3000系の本線転用も多かったかもしれない。
#*熊本電鉄に譲渡されることもなかった。
#橋本までの複線化完成後に17m車の運用が減少すると史実通り支線に転用される。
#2300系の登場や観光列車「天空」への改造は史実通りだろう。
#貴志川線には21000系が転用されていた。
#*和歌山電鐵に引き継がれるのも史実通りだが、老朽化のため2010年代に東急1000系か東京メトロ03系あたりに置き換えられていただろう。
 
===6000系===
====廃車ではなくリニューアルしていたら====
*置き換えのプレスリリースでは南海6000系を「更新」としか書かれておらず、内装を新しくして使い続けるという噂がありました
#一体何年使い続けるのか…。
#*なお養老鉄道に同時期に製造された東急7700系が譲渡されましたが、製造から50年たつがあと30年使えるとのこと。
#8300系は存在せず。
#リニューアル工事は9000系に準じる。
#さすがに戸閉装置は新品に交換されていた。
 
====南海本線にも投入していたら====
#7000系はない。
#8000系(2代)投入が遅れていた。
#6100系も本線に投入されていた。
#南海の鋼製車は特急車を除き1960年以降投入されなくなっていた。
 
===10000系===
====最初から4両固定編成で製造されていたら====
#1985年11月のダイヤ改正で特急「サザン」は8両編成で運行されていた。
#*急行も8両編成で運行されていた。
#1989年11月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
#トイレも最初から完備していた。
 
====全ての2両編成に中間車が製造されていたら====
#当然ながら、10001F - 10003Fの中間車化改造はなかった。
#*リニューアル化されて、2019年現在でも廃車されずに運行されていたかもしれない。
#**ただ、併結相手である7000・7100系の車齢を考えると12000系への置き換えもおかしくはない。
#場合によっては、中間車は1989年頃に登場していた可能性もある。
#*その場合、10006F~10010Fの登場が史実よりも早まっていた可能性もあり得る。
#*9000系電車の投入も史実よりも早まり、特急「サザン」・急行の8両化が1988年10月頃に早まっていた可能性もある。
#1992年7月の改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
#*全列車が8両化されたのと同時に統一されていた。
#12000系電車は近鉄21020系電車と同様に、リニューアル化に伴う不足を補うために導入されていた可能性が高い。
#**リニューアルが完了したら車両が余るので、一部が高野線に転属し「泉北ライナー」に運用されていた。
#**もしくは、10000系電車の一部が泉北高速鉄道に譲渡していた可能性もある。その場合、泉北高速鉄道所有の12000系電車が製造されることはなかったかもしれない。
#**最初から「泉北ライナー」向けに12000系電車が投入されていた可能性もあり得る。
#全車座席指定の列車が今でも存続していたかもしれない。
 
====中間車が史実よりも製造されていたら====
#中間車に改造される先頭車が史実よりも少なくなっていた。
#*2013年6月以降は新造された中間車が挿入されている編成のみが運行されていた。
 
==大阪市高速電気軌道==
===10系===
====10連化にあたり新造車を組み込んでいたら====
#当初計画通り1989年頃に10連化が行われていたらそうなっていた。
#*1700形は全車両10系後期タイプの車体を持つ車両となっていた。
#*増結が1990年代初頭に行われた場合でもデザインは10系に合わされていた。
#1101F~1104Fもリニューアルが行われていた。
#*2010年代に入って30000系に置き換えられていた。
#21系の新造両数が減っていた。
 
===100形(2代)===
====50系のT車に改造されていたら====
#恐らく[[近鉄けいはんな線|近鉄東大阪線]]開業を機に千日前線から中央線に転属し、T車化改造が行われていた。
#中央線所属の50系に関しては抑速ブレーキ設置のほか、谷町線用と同様モーター出力アップも行われていた。
#1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。
 
===1000形(初代)===
====50系への組み込みが実現していたら====
*1970年代に四つ橋線50系のT車として組み込む構想がありましたが、実現しませんでした。
#製造後20年足らずで廃車されることはなかった。
#四つ橋線における50系の活躍が現実よりも長かった。
#*四つ橋線からの撤退は1980年頃だった。
#**その後はモーター出力アップの上谷町線に転用されていた。
#1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 鉄道史|あのてつとうしやりようかたつたらしてつ]]
[[カテゴリ:鉄道車両|もししてつ]]

2021年3月1日 (月) 12:24時点における版

  • 新規追加は会社別(東から順)+形式が若い順にお願いします。
  • 現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。

独立項目

東武鉄道

500系

地下鉄乗り入れに対応していたら

  1. S-TRAINのように平日は日比谷線直通、土休日は半蔵門線直通になっていた。
    • 特に半蔵門線直通は中央林間~会津田島まで行く超ロングランとなる。
    • THライナーはこの車両で運行されていた。
  2. 4両編成も製造され、途中東武動物公園で切り離していた。
  3. フラワーエクスプレスも特急になっていた。

30000系

東上線に転属しなかったら

  1. 10両固定化の際に中間運転台を撤去した。
  2. あるいは伊勢崎線の8000系・10000系を置き換えたかも。
    • 8000系はともかく、10000系はまだ時期尚早だぞ。
      • なので10000系は野田線に回されていた。

10両貫通編成だったら

  1. 「半蔵門線直通」のステッカーが貼ってあったかもしれない。
  2. 東上線転属はなかった。
    • 逆に東上線で先行営業を開始し、半蔵門線直通開始前に本線に一斉転出。代わりに8000系が転入し、東上線ファンからは顰蹙を買っていた。
  3. 50050系の製造数は少なかった。
  4. 「フラワーエクスプレス」は久喜乗り換えとなっていた。
    • 館林までホームは10両あるので館林まで走っていた。

東京メトロ

8000系

東西線に正式導入されていたら

  • 史実では05系導入までの繋ぎで東西線に半蔵門線用の8000系が数年間走っていた事があります。
  1. 05系の導入が史実よりも遅れていた。
    • 最初からワイドドアである事を前提に開発されていた可能性が高い。
    • 但し帯色に関しては小田急との混同を避けるために、05系とほぼ同一のカラーリングになっていた。
  2. 15000系導入時に全編成が置き換え対象になっていた。
    • インドネシアや北綾瀬支線に送られる編成が多い一方で、B修工事の上で半蔵門線に転籍する車両もいたかもしれない。

15000系

ワイドドア車がなかったら

  1. 東京メトロ東西線ホームドア全駅設置が早まったかも。
    • つまり07系は全て15000系に置き換えられていたか?
  2. 混雑で苦情が殺到していた。

東京急行電鉄

7700系

7915Fの故障が少なかったら

7700系は4両編成3本が目蒲線から池上線への転属の際、3両編成にされ余剰となった中間車3両が先頭車化改造され7915Fができましたが、制御装置の故障が多く2010年9月に廃車になりました。もし故障が少なかったら?

  1. もちろんまだ廃車にはなっていなかった
  2. 3000系以降の車両も一部に東洋製IGBTが採用されていた。
  3. 目蒲線分断により4両編成から3両編成への組み換えの際にも先頭車化改造が行われ、7915Fのような車両が量産されていた。
  4. 9000系の東横線から大井町線への転属の際にも一部は先頭車化改造が行われていた。
  5. どちらにしろ、東急1000系リニューアル車の投入で廃車。
    • 異端車である以上、真っ先に廃車になる。
  6. 東急は先頭車化改造に消極的になることはなかった。
    • 他線区への転用に際して持て余した中間車が廃車になってしまうこともなかった。

相模鉄道

11000系

JRに乗り入れていたら

史実では計画中止になりましたが、もし実現していたら?

  1. 本数に余裕ができるので埼京線大宮~武蔵浦和間の減便はなかったかもしれない。
    • 場合によっては日中も大宮まで乗り入れていたかもしれない。
  2. 内装は12000系に近いものに改造されていた。

小田急電鉄

9000形

常磐緩行線に乗り入れていたら

実際に国鉄(JR)に乗り入れに対応できる車両になっていました。

  1. 常磐緩行線に乗り入れる小田急の多摩急行、準急が史実より多くなっていた。
  2. 1000形電車も乗り入れ対応できる車両になっていた。

京成電鉄

3500形

全編成の車体更新が行われていたら

3500形は車体更新を全編成にわたって行う予定でしたが、鋼材の腐食が予想以上に早く進んだため、約半数を更新したところで打ち切りとなり、未更新車は先に廃車されました。

  1. 3000形(2代)の投入数がやや少なくなっていた。
  2. 全編成が京急への乗り入れを果たしていた。
    • 京急沿線から見た京成のイメージが、史実より古臭いものとなっていた。
  3. 未更新車のさよなら運転イベントはなかった。

伊豆箱根鉄道

7000系

JRに乗り入れていたら

史実ではJR線乗り入れ用を想定した機器を搭載していましたが実現することなく撤去された

  1. 三島から沼津、静岡方面に乗り入れていた。
  2. 指定席車両連結も継続していた。
    • 列車愛称も付与されていただろう。
  3. 修善寺踊り子の存在意義が薄くなる。

富山地方鉄道

7000系

上滝線に乗り入れていたら

史実では上滝線の勾配を超えられませんでしたが、もし超えられていたら?

  1. 路面電車乗り入れの実績を持つため、上滝線のLRT化がすんなり進んでいた。
  2. 沿線人口が少ないのでそれでも赤字だが、赤字幅は史実より減っていた。
  3. 不二越線にも駅数を増やした上で乗り入れていた。

名古屋鉄道

キハ8500系

あの会社に譲渡されていたら

史実では会津鉄道に譲渡されていますが、もし、譲渡先が違っていたら?

全般
  1. 会津鉄道とは違い、早期廃車になることはなかった。
  2. 「AIZUマウントエクスプレス」は設定されなかった。
三陸鉄道
  1. イベント列車仕様に改造されていた。
  2. 「リアス・シーライナー」には本形式が充当されていた。
    • だが震災でその列車が運命を共にするのはほぼ現実であるが、それでもイベント列車には本形式がある程度活用されていた。
JR東日本
  1. =地方交通線への優等列車設定に意欲的だったら、である。
    • JR東日本は非電化特急不毛の地(非電化特急が育たない)と言われ続けることもなかった。
  2. 形式はキハE151系だった。
  3. 「陸中」か「よねしろ」の特急格上げに充てていた。
    • 「陸中」に充てた場合は絶対数に限りがあるのであっても一部が格上げされるに留まっていた。
      • その分、キハ110系0番代を快速「南三陸」の指定席車に捻出するのは史実通りだった。
    • 「よねしろ」に充てた場合は快速に格下げされることはなく、特急化していた。
      • 通勤優等列車の役割を果たす性質上、定期券でも乗車できるようになっていた。
      • 701系セミクロスシート改造車は登場しなかった。
JR東海
  1. 走行機器や性能が同社のキハ85系とほぼ同一なので、保守・運用面での制約は少なかったと思われる。
    • そもそもJR東海が「北アルプス」の存在が厄介になっていなかったら受け入れていたかも。
  2. これを使用して参宮線-紀勢本線を経由して伊勢志摩と南紀を直通する特急が設定されていた。
    • 「南紀」の増結用としても運用されていただろう。
    • =観光列車の設定に意欲的だったら、である。
    • むしろ「かすが」の特急格上げに充てていたかも。
  3. キハ85系に編入していた。
    • 車体構造が異なるので番台区分はされていた。
  4. 当然、東海色に変更していた。
京都丹後鉄道
  1. 大阪・京都-天橋立経由豊岡方面を結ぶ特急に運用されていた。
    • 鳥取や敦賀方面に乗り入れていたかもしれない。
  2. 今頃は水戸岡デザインにリニューアルされている。
JR九州
  1. 水戸岡デザインにリニューアルされていた。
  2. 恐らく久大本線・豊肥本線・肥薩線なんかで観光特急に運用されていた。
    • 場合によっては博多-肥薩・吉都線経由宮崎間の特急「おおよど」が復活していたかもしれない。
JR西日本
  1. 「つやま」か「みよし」に投入されていた。
    • 快速に統合されることなく、現在に至るまで運行していた。
    • あるいは「はまかぜ」に投入され、キハ181系を置き換えていた。
      • 但しそれだけでは両数が足りないので、キハ189系の新造は史実通り。
  2. 形式はキハ171系であり、急行形に分類されていた。
東武鉄道
  1. この車両による浅草~会津若松直通が実現していた。
    • うまく行けば栗橋からJRに直通し、新宿~会津若松だったかも。
      • 東京都内に乗り入れる唯一の気動車となっていた。
  2. 史実と同じく会津鉄道を通るが、大手私鉄の整備技術で史実よりは長生きできただろう。

2000系

最初から4両編成で登場していたら

落成時には、3両編成で登場し、のちに、4両編成化されました。

  1. 製造数が史実よりも多くなっていた。
  2. 8両編成で運行する全車特別車の本数が朝夕ラッシュ時を中心に史実よりも多くなっていた。

京阪電気鉄道

3000系

全て7両編成で製造されていたら

史実では、6両編成5本、7両編成4本で投入されました。

  1. 8500形が3000系電車に編入されることはなかった。

阪急電鉄

5000系

宝塚線での運用が継続していたら

5000系は神戸線に集中配置されいたので、1編成を宝塚線に転属しましたが、運転上、扱いにくいということで宝塚線での運用は中止となりました。もし運用が継続していたら、

  1. 5000系は史実より多く増備されていた。
  2. 5100系は史実より少なかったかもしれない。
  3. 3000系と同様に9000系、1000系の増備により、今津線、伊丹線、箕面線に転属された。
    • 6000系の転属は史実より遅れた。

T車がもっと製造されていたら

5000-5040に将来T車2両が組み込まれることが考慮されておりました。その際に新造された場合、5580、5590になる予定でした。もし、製造されたら…

  1. 2000・2021系の付随車が組み込まれることはなかったかもしれない。
    • ひょっとしたら、5040形と5550形と同様に製造数は少なかった可能性もある。
    • 2000・2021系は5200系に組み込まれていた可能性が高い。
  2. 5200系電車は製造されなかったかもしれない。
  3. 2001年~2007年に行われたリニューアル工事の際に、車番が変更されていた。

6300系

10両編成での運行が実現したら

実際に、計画されていました。

  1. 早くても、1980年代に増備され、1985年11月18日頃に運用され始めた。
  2. 10両固定編成の場合、9300系も10両編成で登場していた。
    • この場合、京阪プレミアムカーに続く形で指定席車を導入していたかもしれない。
  3. 2連による増結の場合、車番は6320番台となり、3扉ロングシートになっていた。
    • むしろ7300系になっていただろう。
      • 7300系の10連増結車と共通運用されていた。
  4. (2連による増結の場合)9300系の登場後も、2両編成の6300系は、増結用として利用された。
  5. (2連による増結の場合)通勤ラッシュ時だけではなく、行楽シーズンの時でも増結されていた。

「京とれいん 雅洛」が6300系の改造による導入だったら

  1. 6356Fか6330Fが改造された。
    • 6330Fは他車と仕様が異なるので6356Fあたりじゃない?
  2. 2011年5月頃に運行され始めた。
    • 2008年5月に「京とれいん」が運行され始めて、2010年3月に「京とれいん 雅洛」が運行され始めた。
  3. 十三駅に停車していた。
    • 2019年3月にホームドアが導入された時には、通過となっていた。

8200系

京都線でも運用されたら

  1. 車両番号は、8230、8280になっていた。
    • 京都線用なので8340・8490かも。
  2. 早くても、1996年3月頃に登場していた。
  3. やがて、2008年頃にロングシートに変更されていた。
  4. 電機品は京都線用のため東洋電機製で、車体寸法も8300系と同じだった。
    • それでも堺筋線への乗り入れは行わない。
  5. 嵐山線でも運用されていた可能性もあり得る。

宝塚線でも運用されたら

  1. 8000系40番台は登場しなかった。
  2. 恐らく日生エクスプレスの増結用として運用されていた。
  3. やはり神戸線用と同時期に普通のロングシートに改造されている。
  4. 今頃は2+2で箕面線でも運用されている。

8300系

増結用車両が製造されたら

8300系も8000系の8040Fのような増結車が導入されていたら

  1. 10両運転による快速急行が増発していた。
    • 特急の10両運転が実現していたかもしれない。
  2. 新大阪線(十三~新大阪~淡路)が開業していたらあり得た。
  3. 車両番号は、8340、8460になっていた。

9300系

ロングシート車が製造されたら

  1. 側面や車内は神宝線の9000系と同じような感じになっていた。
    • 但し寸法は異なる。
  2. 恐らく堺筋線直通仕様になっていた。
  3. 車番は9311F~になっていた。
    • 9319Fの中間車に「9999」というナンバーが現れて有名になる。
  4. 2300系の引退が早まっていた。

近畿日本鉄道

9820系・9020系

大阪線・名古屋線でも運用されていたら

  1. 9820系は4両編成で投入されていた。
    • 大阪線では、6両編成で導入されていたかもしれない。
  2. 大阪線・名古屋線における急行・準急・普通は5~6両編成で運行されていた。
  3. 長距離運用に備えてトイレが設置されていた。
  4. 5820系の4両バージョンも登場していた。
  5. 車番は「9751、9851、…」のようになっていた。

12200系

12257F~12259Fも登場していたら

当初は、1977年12月に、10100系電車の代替として、12257F~12259Fとして、製造されました。しかし、監督官庁からの指摘を受けて、12400系電車として、登場しました。もし、12257F~12259Fも登場していたら…

予定通りに、12257F~12259Fが登場していたら
  1. 12600系電車もなく、12261F、12262Fとして、製造された。
    • 12410系が12400系を名乗っていた。
史実よりも早く12257F~12259Fが登場していたら
  1. 1974年12月に登場していた。
  2. 近鉄特急の長編成化が史実よりも進んでいた。
  3. 後継の22600系電車は史実よりも多く製造されていた。

16000系

中間車が史実よりも多く製造していたら

  1. 4両編成での運行が史実よりも増えていた。
    • 朝夕ラッシュ時には、6両編成もしくは、8両編成で運行されていたかもしれない。
  2. 16010系電車が史実よりも多く製造されていたかもしれない。

21000系

増結車が史実よりも多く製造していたら

史実では、増結用2編成3本が製造されました。

  1. 名阪特急の利用者が史実よりも多くなっていた。
    • 無論、アーバンライナーにおける8両編成での運行本数が史実よりも多くなっていた。
  2. 22600系電車と12200系電車は史実よりも多く製造されていた。
    • 22000系電車も史実よりも多く製造されていた可能性もある。
  3. 21000系電車自体が史実よりも多く製造されていたかもしれない。
    • その場合、アーバンライナーの本数が史実よりも多くなっていた。
    • 後継の80000系電車の車両数も史実よりも多くなっていた。(80000系電車の車両数が21000系電車の車両数と同じであるため。)

全て8両編成で製造されていたら

  1. 名阪特急の利用客が史実よりも多くなっていた。
  2. 21020系電車や80000系電車も全て8両編成で製造されていた。
  3. アーバンライナーnextやアーバンライナーplusのデラックスシート車も2両になっていた。

南海電気鉄道

2200系

高野線山岳区間直通運用が史実よりも長く残っていたら

  • 当初は一部を高野線用に残す予定でしたが、最終的には全て2000系に置き換えられました。
  1. 2000系の製造両数が減っていた。
    • 余剰となった車両が本線に転用されることもなかった。
      • その分8000系の製造両数が増え、泉北3000系の本線転用も多かったかもしれない。
    • 熊本電鉄に譲渡されることもなかった。
  2. 橋本までの複線化完成後に17m車の運用が減少すると史実通り支線に転用される。
  3. 2300系の登場や観光列車「天空」への改造は史実通りだろう。
  4. 貴志川線には21000系が転用されていた。
    • 和歌山電鐵に引き継がれるのも史実通りだが、老朽化のため2010年代に東急1000系か東京メトロ03系あたりに置き換えられていただろう。

6000系

廃車ではなくリニューアルしていたら

  • 置き換えのプレスリリースでは南海6000系を「更新」としか書かれておらず、内装を新しくして使い続けるという噂がありました
  1. 一体何年使い続けるのか…。
    • なお養老鉄道に同時期に製造された東急7700系が譲渡されましたが、製造から50年たつがあと30年使えるとのこと。
  2. 8300系は存在せず。
  3. リニューアル工事は9000系に準じる。
  4. さすがに戸閉装置は新品に交換されていた。

南海本線にも投入していたら

  1. 7000系はない。
  2. 8000系(2代)投入が遅れていた。
  3. 6100系も本線に投入されていた。
  4. 南海の鋼製車は特急車を除き1960年以降投入されなくなっていた。

10000系

最初から4両固定編成で製造されていたら

  1. 1985年11月のダイヤ改正で特急「サザン」は8両編成で運行されていた。
    • 急行も8両編成で運行されていた。
  2. 1989年11月のダイヤ改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
  3. トイレも最初から完備していた。

全ての2両編成に中間車が製造されていたら

  1. 当然ながら、10001F - 10003Fの中間車化改造はなかった。
    • リニューアル化されて、2019年現在でも廃車されずに運行されていたかもしれない。
      • ただ、併結相手である7000・7100系の車齢を考えると12000系への置き換えもおかしくはない。
  2. 場合によっては、中間車は1989年頃に登場していた可能性もある。
    • その場合、10006F~10010Fの登場が史実よりも早まっていた可能性もあり得る。
    • 9000系電車の投入も史実よりも早まり、特急「サザン」・急行の8両化が1988年10月頃に早まっていた可能性もある。
  3. 1992年7月の改正で南海本線の特急は「サザン」で統一された。
    • 全列車が8両化されたのと同時に統一されていた。
  4. 12000系電車は近鉄21020系電車と同様に、リニューアル化に伴う不足を補うために導入されていた可能性が高い。
      • リニューアルが完了したら車両が余るので、一部が高野線に転属し「泉北ライナー」に運用されていた。
      • もしくは、10000系電車の一部が泉北高速鉄道に譲渡していた可能性もある。その場合、泉北高速鉄道所有の12000系電車が製造されることはなかったかもしれない。
      • 最初から「泉北ライナー」向けに12000系電車が投入されていた可能性もあり得る。
  5. 全車座席指定の列車が今でも存続していたかもしれない。

中間車が史実よりも製造されていたら

  1. 中間車に改造される先頭車が史実よりも少なくなっていた。
    • 2013年6月以降は新造された中間車が挿入されている編成のみが運行されていた。

大阪市高速電気軌道

10系

10連化にあたり新造車を組み込んでいたら

  1. 当初計画通り1989年頃に10連化が行われていたらそうなっていた。
    • 1700形は全車両10系後期タイプの車体を持つ車両となっていた。
    • 増結が1990年代初頭に行われた場合でもデザインは10系に合わされていた。
  2. 1101F~1104Fもリニューアルが行われていた。
    • 2010年代に入って30000系に置き換えられていた。
  3. 21系の新造両数が減っていた。

100形(2代)

50系のT車に改造されていたら

  1. 恐らく近鉄東大阪線開業を機に千日前線から中央線に転属し、T車化改造が行われていた。
  2. 中央線所属の50系に関しては抑速ブレーキ設置のほか、谷町線用と同様モーター出力アップも行われていた。
  3. 1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。

1000形(初代)

50系への組み込みが実現していたら

  • 1970年代に四つ橋線50系のT車として組み込む構想がありましたが、実現しませんでした。
  1. 製造後20年足らずで廃車されることはなかった。
  2. 四つ橋線における50系の活躍が現実よりも長かった。
    • 四つ橋線からの撤退は1980年頃だった。
      • その後はモーター出力アップの上谷町線に転用されていた。
  3. 1編成の中で両開きと片開き扉の車両が混在していた。