「もしあのプロボクサーが○○だったら」の版間の差分

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==亀田興毅・大毅==
==亀田3兄弟==
;一連の騒動を起こさなかったら
;一連の騒動を起こさなかったら
#亀田3兄弟は現実とは正反対に国民的人気者になっていた。
#亀田3兄弟は現実とは正反対に国民的人気者になっていた。
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#協栄ジムから独立することも無かった。
#協栄ジムから独立することも無かった。
#*ただし史郎氏は切られていただろう。
#*ただし史郎氏は切られていただろう。
==辰吉丈一郎==
;薬師寺保栄に勝利していたら
#薬師寺のタレント転向はなかった。
#*薬師寺の知名度も現実ほどには高くならなかったかもしれない。
#辰吉も王座陥落の時点で引退したかもしれない。
#*意外に薬師寺のほうが長く現役を続けていたりして。


==内藤大助==
==内藤大助==

2012年4月15日 (日) 15:01時点における版

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亀田3兄弟

一連の騒動を起こさなかったら
  1. 亀田3兄弟は現実とは正反対に国民的人気者になっていた。
  2. その代わり内藤大助が国民的人気者になることはなかった。
  3. 協栄ジムから独立することも無かった。
    • ただし史郎氏は切られていただろう。

辰吉丈一郎

薬師寺保栄に勝利していたら
  1. 薬師寺のタレント転向はなかった。
    • 薬師寺の知名度も現実ほどには高くならなかったかもしれない。
  2. 辰吉も王座陥落の時点で引退したかもしれない。
    • 意外に薬師寺のほうが長く現役を続けていたりして。

内藤大助

アルバイト先のホテルの正社員になっていたら

プロボクシング元世界チャンピオンの内藤大助は、高校時代に洞爺湖温泉のホテルでアルバイトをしていて、卒業後の正式採用も内定していました。しかし、トラブルを起こして取り消され、上京してボクシングと出会いプロとなりました。もしトラブルなく正社員となっていたら・・・

  1. 言うまでもなく世界チャンピオンは一人減る。
  2. 史実の内藤のポジションにいたのは清水智信か山口真吾あたりか。
  3. 粉川拓也に「内藤2世」とつけられることもなかった。
  4. C-C-Bによる「Romanticが止まらない」セルフカバーもなかった。
  5. 井岡一翔は吉本と契約していた。
  6. 世界戦最短KO負けの不名誉ももちろんなかった。

仲井真重次

プロ野球選手になっていたら

仲井真重次と言えば、かの具志堅用高をボクシングに誘い、世界王者に導き、その後地元でジムを設立して平仲明信を育てた人物として知られています。しかし、彼は元々プロ野球選手を志望し、プロテストも受験していました。もし、彼がプロ野球選手になっていたら・・・

  1. 具志堅も野球選手を目指していただろう。
    • すなわち、世界王座13連続防衛もない。
      • 世界王座防衛記録はしばらく小林弘と輪島功一の「6」のままで、徳山昌守によって破られる。
  2. 日本ボクシング界は現実より様変わりしていた。
    • 具志堅を目標としていたボクサーも多かったため。
  3. 協栄ジムはいわゆる「古豪」になっていた。
    • 「毒入りオレンジ事件」も起こらなかった可能性が高い。
  4. 沖縄が「ボクシング王国」と呼ばれる事もなかった。
  5. 白井・具志堅ジムももちろんない。
    • なので、内藤大助のボクサー人生も大幅に変わっていただろう。

矢尾板貞雄

あの時引退せず2度目の世界王座挑戦を果たしていたら

矢尾板貞雄と言えば、日本・東洋王座を獲得し、白井義雄に次ぐ2度目の世界王座を期待されたボクサーでした。2度目の世界挑戦も決まっていたが、師匠との軋轢などもあり、突然引退してしまいました。

もし、師匠と関係を修復した、あるいは別のジムに移籍して2度目の世界挑戦を敢行していたら…

  1. ファイティング原田の世界王座挑戦が遅れていた。
  2. 間違いなく世界王座は取っていただろう。当時の実力から考えれば。

関連項目