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{{区|name=北|reg=関東|pref=東京|city=東京23区|ruby=きたく|eng=Kita-ku}}
==野球==
==主な街の噂==
===荒川博===
*[[赤羽]]
#王貞治は一本足打法を生み出せなかった。
#*巨人のV9もおそらくなかった。
#1974年のヤクルト監督には史実より少し早く広岡達朗が就任していた。


==北区の噂==
===荒木大輔===
[[画像:KitaCityOffice02.jpg|frame|北区役所]]
#1980年代初期に「大輔」の名前が流行ることはなく、松坂大輔の名前も変わっていた。
*尾久駅の噂については[[関東の駅/東京23区#尾久駅の噂|関東の駅/東京23区]]を参照。
#*TBSのスポーツマンNo.1決定戦の総合ナンバー1の名前も何人か変わっていたかもしれない。
#北区民は足立区が嫌い。
#*史実では1979年に1位になっているから多少は流行しても、史実より小さかったかも。
#*当たり前だー。一緒にしないでくれー
#**地図を見ると荒川に取り残された足立区の一部が目に付く。「入れてくれ」と叫んでいるように見える。
#***でも絶対反対!河川改修「難民」は[[#浮間の噂|浮間]](埼玉あがり)だけで沢山。
#*でも「北区に北千住レベルの繁華街ないじゃん」って言われると言葉に詰まる。
#**確かに悔しいがそれは認めざるを得ない。が、逆にあっちは「北千住だけじゃん」。少なくとも鉄道駅から大きく離れた不便な地は北区にはなかったと思う。
#***豊島5丁目団地は、陸の孤島じゃなかったけ?
#**北千住なんてむしろ何もないじゃない。
#*昭和40~50年代にはマンガにしか出てこないような不良たちが実際に居ましたが、足立や荒川の猛者にボコられすぎました。しかも足立や荒川の不良の真の目的は、越境してきて某国系の学校とのケンカですから、地元北区の不良連中は肩身が狭かったのです。その名残で足立がキライなんです。
#[[川口市]]民に対して、かろうじて都民という優越感を持っている
#*ていうかアノ川口だから…(鋳物の川口)
#**不動産の価格は赤羽のほうが川口よりも高い。
#*荒川を渡って北区に入ると、同じ住宅街でも空気が変わった感はある。(by川口市民)
#[[池田大作|創価学会]]の勢力が強い
#*強いねぇ。自民が分裂してるから、第1党が公明党だし(笑
#**どうでもいいけど、TVの代表質問に立つあのオッサンが十条の中華屋で隣り合わせになる違和感をなんとかしてくれ(笑)おまいさんはほんとに偉いんかと小一時間(ry
#***昨今の北区と足立区の一部の衆議院の小選挙区にも、自民ではなく公明党のO氏が立候補している。
#****O氏のポスターがそこらじゅうに貼ってある。
#*****そこから、岩手の小沢一郎氏が出馬をするらしい。
#******小沢じゃなくて、元キャバ嬢で一躍有名になった「太田」和美氏の出馬の噂も。公明党は「あきひろ」を全面に出したポスターを準備中かも。
#*******太田あきひろのポスターには、「(地元の代表)」などと赤い字で書かれているが、どこにも公明党などとかかれていないから要注意!!
#********しかも太田は生まれが豊橋市なので、北区とはもともと縁もゆかりもない。
#**2011年4月の統一地方選で自民が第1党に。
#*やっと2009年の衆院選で太田の呪いが解けた!
#**民主党議員の地元なのに、区議会では第4党とはこれいかに(第1党:自民、第2党:公明、第3党(1議席差):共産)
#「北区に帰宅」と言うと怒られる
#*でもベッドタウンのイメージしかない。
#**それは事実…
#「[[埼玉]]」と言われることに腹が立つ。
#*赤羽あたりだと新聞折込の広告の一部が埼玉と同じだったりする。(不動産・求人など)
#*私はまえ赤羽のある書店においてバイトをしていたら、某氏から「赤羽って埼玉だよね?」などと言われてしまった(鬱)
#なぜか「萩の月」「阿部かま」といった仙台に関する広告が新幹線から見える。
#*新幹線などを対象にした広告は行き先のものが多い。東海道新幹線からは東海・近畿以西の広告が結構あるはず。
#*そして住民もそれぞれの方面の[[地方出身者]]が多い。(一応該当するか?反対側にも縁があるけど)
#内田康夫の著作、『浅見光彦シリーズ』の浅見光彦は北区西ヶ原在住の設定で、区役所では住民票も発行されている。
#*現代美術家の沼田識史氏の出身地の住所は、『浅見光彦シリーズ』の浅見光彦の住所(北区西ヶ原)と同じ。
#23区で山手線ゲームをするとまずあげられない。最も影の薄い区。
#*山手線も通ってる(田端)のにねえ。
#*他県民に東京の北区に住んでるって言ったら「よく知らないけど23区じゃないよね?」と言われた。
#*荒川区辺りとは最下位で並べるんじゃないか
#**悔しいが同意せざるを得ない(by 荒川区出身)
#JRの駅の数が23区内で最も多い。(計9:田端・尾久・上中里・王子・十条・東十条・赤羽・北赤羽・浮間舟渡)
#*駅が多いのに、6月オープンの新しい中央図書館はどこの駅からも平均して遠い。赤羽駅ビルにでもしたほうが結局は便利だったのにと今から批判あり。
#**王子から北区コミュニティバスを利用するのが吉(帰りが大変だけど)
#全国各地の北区のうちで人口が最も多いのだが、知名度は人口が最も少ない大阪市北区より低いと思う。→現在東京都北区は人口が減少中。2002時点。
#*参考資料: 北区の人口<br>東京都北区 330092人(2006年9月1日)<br>神戸市北区 226045人(2006年5月1日)<br>名古屋市北区 166619人(2003年10月1日)<br>堺市北区 151143人(2006年3月1日)<br>さいたま市北区 135016人(2006年9月1日)<br>京都市北区 123753人(2006年8月1日)<br>札幌市北区 122595人(2006年9月1日)<br>大阪市北区 100392人(2005年10月)
#**どうでもいいが札幌の北区の数字がおかしい。倍くらいはいるはず。
#***札幌市北区 275386人(2007年8月1日)
#**大阪の北区はまさに都心なのにねぇ。
#***都心だから少ない。あそこは仕事したり買い物に行く所で住む所じゃない。
#あの有名なトンボ鉛筆、カルビーの本社があるのを忘れてはいけない。
#*昔は赤羽らへんに雪印工場もあった
#**今は20階建ての「東京メガシティ」。北赤羽が最寄だが、志村坂上駅(板橋区)利用者が多い。
#***珍味で有名な「なとり」を忘れてもいけない。本社は王子消防署の対面、一族のお屋敷は神谷あたりにあったような気がする。うちの母が内職で割きイカ割いてた。昔はホントに手で割いてたんだよ
#****その「なとり」本社前から赤羽方面に少し歩くと[[ニトリ|「ニトリ」]]東京本部(赤羽店)。本社は札幌だが、本社機能の大半が北区神谷に移転してきた。
#*カルビーは丸の内に移転。空いた赤羽の旧本社ビルにはなぜか[[吉野家|吉牛]]が。
#*KYこと[[西友]]も忘れないで。かつてセゾン時代サンシャイン60にあった本社は西友赤羽店内に移転統合済み。
#**まあ、今や北区というよりアメリカの会社なんだけど。
#23区の研究学園都市。日本特殊塗料開発本部、日本製紙研究開発本部、国立国語研究所、大日本印刷の技術開発センターと包装研究所、日本化薬の機能化学品と医薬研究所、東京都立産業技術研究センター、東京外語大(現在は移転)、国立スポーツ科学センター等、国や民間のつくばへ移転しきれなかった研究所が多数存在する。
#'''明治'''通り沿いに'''昭和'''町がある。
#国立スポーツ科学センター、ナショナルトレーニングセンター、西が丘サッカー場がある西が丘地区は、日本の競技スポーツの総本山であり、虎の穴とでもいうべきところである。
#*国立スポーツ科学センターは、フェンシング銀メダルの太田雄貴選手の練習拠点である。
#同じ北区だけに、西が丘と西ヶ原は間違われやすい。
#番長が弱い
#*金剛?
#浦和レッズのサポーターが意外と多い。
#*[[埼玉高速鉄道]]で直行できるから?
#雑誌によっては、「東京都」も「区」も略され、単に「北」と書かれる場合があり、一瞬何のことなのか戸惑う。(例:北・匿名希望)
#荒川に面するため、荒川区と混同されやすい(荒川区は荒川に面していない)
#小池清と児玉清、名前もよく似ていて2人とも在阪局制作のクイズ番組の司会者だが、2人とも出身が滝野川。


==王子の噂==
===イチロー===
[[画像:Oji01.jpg|frame|北とぴあから臨む王子の街並み]]
#ニコニコ動画で「イチローのレーザービームで人類滅亡」なる動画が投稿される事はなかった。
#王子製紙発祥の地だが、ここにはもうない。あるのは紙の博物館。
#オリックスの1995~96年のリーグ優勝やWBC日本代表の優勝もおそらくなかった。
#*駅前にアイスホッケー部が練習していたスケートリンクが残っていたんだけど、ゲーセンになってしまった。王子中(現王子桜田中)の校歌は「煤煙匂う工業地」と唄ってる。王子製紙や十条製紙の工場が誇らしい時代があった名残。
#*オリックスのBクラス転落も史実より早まっていた。
#*旧王子製紙の王子・十条地区の工場や諸施設は旧王子の分割後、十條製紙が引き継いだ。今も日本製紙(旧十條製紙)関連の研究所や系列運送会社などが多数残っている。
#ニッチローは有名にならなかった。
#**日本製紙の登記上の本店は、王子駅前のサンスクエア(の住所)。
#福島弓子は栗山英樹と結婚していた。
#北の[[二子玉川]]と呼ばれるほど高校が多い
#*でも、女子高生目当てで群がる男子のレベルは格段に低い(泉麻人「東京23区物語」参照)。
#**「北の二子玉川」なんて聞いたことない。どこの情報ですか?だいたい高校は2つしかないし。
#**厳密に言えば王子ではないが、王子界隈(西ヶ原や滝野川を含む意味で)となると高校がやはり多い。<!--無知なのはいけないので高校に通いましょう。
#***↑↑を書いた者です。高校はすでに卒業しました。こんなところで人をバカにしてむなしくないんですか?www-->
#***厳密に言わず王子だけでも,都立飛鳥,順天,駿台,成徳とやっぱり多い.
#****昔は朝、王子駅から北に向かって、成徳、駿台、都立北(現飛鳥)へ向かう高校生の大行軍が見られた。途中にあるコンビニでバイトしていたが、朝は戦場だった。今は南北線が通ったから鎮静化したかもしれない。
#***昔は学区制があってあまり気にしてなかったが都立高は少ないかもね。北高(現飛鳥高)ももはや伝説だしな。
#駅前の歩道橋に落書きされ「玉子駅前」になっていた時期がある
#赤羽と比べると店があんまりなく寂しい。意外に[[池袋]]が近いためバスで行くことができる。
#深田恭子の原産地。
#「みのめんた」というラーメン屋がある。マスコミにも度々取り上げられてる。
#*有名だが、そのわりにはうまくはない。しかし、王子にはラーメン屋が少ないのでここで食べることになる。
#**ただ、最近は結構増えてきた。
#**量は結構多い
#**もともとは、「味の麺多」らしい
#*「平澤かまぼこ店」という名前の立ち飲み屋もある。赤羽の「丸健水産」と並んで、ここら辺では知られたおでんの店。
#王子の由来は、割烹「扇屋」が訛ったとも、扇屋で売ってる玉子焼きが名物でそれが変化して王子になったとも言われている。
#*扇屋ってそんなに古い?王子神社が1322年にできて地名の由来になったはずだけど(小学校の社会科で習った)。
#王子稲荷神社というかなり大きなお稲荷さんがある。また、そこを舞台とした古典落語で「王子の狐」というのもある。
#*あったねぇ、そんなの。区役所側から見た鳥居の左下あたりに「都指定無形文化財」と主張した看板があった気が。(by神社近所の高校卒業生)
#*紀州熊野の若王子社を勧請したが、これが後の王子神社である。また、飛鳥山の地名も紀州熊野の飛鳥明神に由来する(奈良の飛鳥ではない)。
#桜の名所飛鳥山公園がある、ここに置いてある都電は悲惨なことになっている。[[画像:AsukayamaPMR01.jpg|thumb|120px|斜行モノレール]]
#*飛鳥山とJR線路の間にある「さくら新道」は、ここだけ時が止まったかのような凄い空間だ。飲み屋もやってるのか、怪しい。
#** 王中時代の同級生の実家がそこの飲み屋のひとつだけど。30~25年前は営業してた。今はどうなのかね。
#***何故か入口辺りにはダース・ベイダー似の銅像がある。そして飲み屋には今時流しが現れるという。
#**しかし2012年初頭に…
#*入り口にモノレールとエレベーターの中間みたいな乗り物ができた。
#**名前はアスカルゴ(飛鳥山+エスカルゴ)
#都電荒川線ならびに営団の南北線が停車する。
#*都電荒川線の駅名は「王子駅前」であり、営団の南北線の王子駅とJRの王子駅は非常に近くにあるため、埼玉の鳩ヶ谷とかからJRに乗り換えたい人にとっては王子が便利だけど高い(汗)。赤羽岩淵と赤羽の間は、少し遠いため雨天のときが大変になる。
#**埼玉からここまでは武蔵野線・京浜東北線を回ってくる人も多い。
#*70年代初めまで、王子駅前から分かれて北本通り上を赤羽(今の赤羽岩淵あたり)まで行く都電の路線があった。南北線の王子~赤羽岩淵間に相当。
#[[東北自動車道|東北道]]方面からの高速バス利用者にとっては馴染みの深い場所。ここで降りて渋滞回避という裏技が使える。
#平成12年ごろに移転してしまった[[東京外国語大学]]は王子から近い西ヶ原にあった。文系だけの大学だったので、ぼろい公立高校のような雰囲気だった。
#*現在は府中市に所在。移転して日が浅いので建物はすごく綺麗。
#「王子」って、東京を知らない人からしたら何気に変な名前だよね。
#*王子なんて[[熊野古道]]沿いにはなんぼでもある。地名にも残っている。大阪・和歌山の人(と歴史オタ)からは珍しくもなんともないはず。
#*下記のように「八王子」があるからそこまで変だとは思われないと思うが…
#JR王子駅前のマックは色々と凄い。普通に店内に鳩がいる。
#*マックが珍しいって時代からあった古い店で、売上が都内上位だった時期があったはず。昭和末期かもしれないが。
#かつて、「キャバレー女の世界」という店が、駅前の象徴のように存在していた。昼間からスピーカーで宣伝アナウンスが流れていて、某小学校の新卒新任女性教師曰く「とんでもない町に赴任してしまった」と思ったそうだ。
#バスのハブターミナルとしては、JRで複数接続が無い駅としての格に見合わぬほど昔から規模がでかい。都電や南北線があったとしても、やはりでかい。バス天国。
#埼玉スタジアム2002(浦和レッズのホーム)へ行くにはここで乗換となるため、レッズの試合がある日は駅北口が真っ赤に染まる。
#<!--田舎者には-->まず八王子と勘違いされる。都民でも二人に一人は八王子と勘違いする。
#駅前にサンスクエアという長い歴史を持つ複合レジャー施設がある。
#*上の方にもあるように、そこは日本製紙の会社登記上の本店所在地。
#昔からある不二泉という洋菓子店には、巨大なフクロウの看板がある。
#*「ミミちゃん最中」と呼ぶ。
#大晦日かから新年にかけて「狐の行列」というイベントがあり、結構な人が集まる。内容は狐の扮装をした参加者が街を練り歩くというもの。
#*33ケ国から狐がやってくるとウィキ「王子の狐の歴史」に。
#おまいら「石鍋屋」を忘れてないだろうな。稲荷神社の屋台が出ると普通に行列。ちなみに[[読売新聞|某新聞]]に載りました。どでーんと。
#「狸家」という和菓子やもある。狐・狸・ふくろうと動物天国王子。
#なにげに故小渕元首相の邸宅がある。官房長官になったら、門の横に詰所が作られて、警官が常駐していた。邸宅はいまもある。


==十条の噂==
===王貞治===
[[画像:Jujo ST.jpg|thumb|240px|十条駅前]]
#巨人のV9はなかった。
#十条駅の駅員は痴漢を突き出しても駅長自ら勝手に逃がす。駅前交番の警官も呆れ顔。
#*それどころか戦後日本のプロ野球史が大きく変っていた。
#*小学生男子への痴漢をした男が捕まったことがある。
#ホームラン最多記録は2017年現在でもベーブ・ルースの755本のまま。
#十条銀座周辺における物価は東京23区内とは思えない水準。マンションの家賃もやたら安い。住みやすいのはいいんだけどさ。
#国民栄誉賞は設立されなかった。
#*密かに大山商店街がライバル。
#当然「王シフト」なんてものはない。
#なぜか2ちゃんねるでは上京者に人気のエリアになっている。物価と新宿・池袋への距離のせいか?家賃上がると困るからあんまり勧めんな(笑)
#荒川博の知名度が史実より低くなっていた。
#*その破格の家賃により近年外国人労働者が急増中。
#王シュレット事件も起きなかった。
#**外国人でも一緒に神輿が担げれば無問題。アフリカ系もベトナム人もコリアンも土着民も、みんな同じように混ざれるのがいいとこかと。
#「ON砲」や「OH砲」はなかった。
#最近はアド街やみのさんなどメディアが取り上げてくれたおかげで「観光客」が増加。なんとなく地方有名都市在住の方々の気持ちがわかるような気がするよ。行きつけの店に入れなくてトホホですよ。
#現在のソフトバンク球団会長はいったい誰になっていたのやら・・・
#十条駅~東十条駅間の道は狭く入り組んでいる
#*それ以前にダイエーホークスの黄金時代もなかったか遅れている。
#*これって噂?
#*その間にある讃岐うどん店「すみた」は東京で一番うまい讃岐うどんって言われています。
#**すみたは2009年3月より赤羽に移転しました
#*激安とんかつ定食の「みのや」も有名。昼の時間帯には店の前に行列ができている。
#**不況の煽りかメニューが減ってしまった(看板のとんかつは健在)
#**ここは普通の人にとっては豚汁とご飯だけでもう十分な気がする。
#**豪快な量の定食を出す<!--みのやという店がある-->。豚汁は丼によそうのが基本。
#草月の『黒松』(黒糖と蜂蜜入りの皮がふんわりしたどら焼き)は名物。
#*開店までけっこう時間がある平日の朝、ものっそい人が並んでてビビッタ。
#*岸朝子著の”東京5つ星手土産”の表紙になっている。
#**1個105円はさすがに安い。
#今はなき東十条のサウナ☆☆☆、一部の間で熱烈なファンが多かった。
#*そのサウナとパチンコ屋の建物は、以前ダイエーだった。
#京都人からしてみれば、地味な地名。
#*だからどうした。
#**一条~九条はどこ?
#稲荷台の住民は板橋区民という理由だけで駐輪場の値段が高い。なんと理不尽な。
#大衆演劇のメッカ、篠原演芸場がある。
#十条駅から歩いて赤羽のほうにいくと途中ででかい道路があり、そこから右(東)のほうにいくと、ガス●という美味しい家庭食堂があったけど、かなり前に潰れてしまった。
#十条のN崎屋。
#*十条銀座は一度N崎屋を追い払った事がある。十条銀座の核になっている「よしだフード」と「アサイ」の所にある空き店舗がその名残。
#6月30日と7月1日にある通称「お富士さん」の盛り上がり方は異常。屋台もこれまた異常に種類と数が出るので必ず一度は行くべき。
#*そしてどこからかDQNが沸いてくる・・・どこでもそうなのかもしれんが。
#*的屋で買った焼きそばなどを食べる場所が殆ど無いので通り沿いの路地は悲惨な事になっていたりする。
#自転車で東十条から十条へ行くには必ずきつい坂を登らなければならない。赤羽に行った方が楽。


==浮間の噂==
===落合博満===
[[東京/板橋区#舟渡の噂|舟渡]]も参照。浮間舟渡駅の噂は[[関東の駅/東京23区#浮間舟渡駅の噂|23区の駅の噂]]まで。
#日本プロ野球で三冠王になった選手は王貞治以降、バースと松中信彦のみとなっていた。
#浮間舟渡駅は浮間(北区)と舟渡(板橋区)にまたがっているが、駅は北区に属す。荒川花火大会の際には最寄り駅であるのも関わらず、ほとんどの人がこの地名を知らない。
#近藤貞雄の監督退任後、中日が長きにわたってBクラスor最下位の常連になっていた。
#浮渡公園を心から愛している。
#*史実通り星野仙一が監督になっても、あれだけの実績を上げることはできなかっただろう。
#*浮間公園じゃないのか?
#*もっともロッテはこの段階でBクラスの常連だったので、それほど変わらず。
#荒川が改修されるまでは[[埼玉]](現・[[川口市]])と地続きだった。
#駒田徳広は巨人で現役生活を終えていたかもしれない。
#*ていうか当時は埼玉に属した。荒川改修後に編入。「埼玉あがり」「中途採用」と揶揄される(泉麻人「東京23区物語」より)
#*ただし中畑清との確執もあっただけに、いずれはFA宣言して出ていった可能性もあっただろうけど。
#若干だが、舟渡には優越感を感じる。
#当然、落合福嗣も生まれていなかっただろう。
#*あっちはれっきとした「東京府北豊島郡」だったのに…「元・埼玉」に見下されるとは(憐)
#浮間島。


==田端の噂==
===清原和博===
#実は北区。
#ばたばた
#昔のテレビ番組「11PM」のテーマ曲を連想させる。
#*人によってはゴールドブレンドを連想させる。
#田端駅の南口で降りると誰でも田舎に帰ったような気分になるらしい。
#*理由は行ってみればわかる。
#実は隠れた鉄ヲタの聖地
#JR東日本の東京支社の建物もここにある。
#芥川龍之介をはじめ、かつては文人が多く住んでいた。(田端文士村)
#田端八幡神社と赤札不動ぐらいしか見所がない
#北区の住民は「文京区と北区で、北区を選んでやった」と思ってる、
#*別に誰もそんな事は思っていない。
#文芸評論家である福田和也の出身地
#*キライなので知りたくなかった
#昔から山手線沿線の中でも「屈指の地味さを誇る(by POPEYE)」地区だったが、ここ数年、更にその風格を増している。
#*かつての商店街にはやたらビルだけが増えているが、日々の食料を買うにも生協くらいしかなく、生活するには確実に不便な地区になっている。
#上から読んでも下から読んでも「たばた」
#駒込近くに謎の中華料理店「萬来軒」がある。昼も夜も営業していないが、早朝5時以前に営業の目撃例がある。客は一心不乱に餃子を食っていたらしい。なお会員制である。
#*「会員制」としているのには別の事情があるらしい。
#かつて存在したデニーズはコインパーキングに変貌を遂げ、土佐屋商店さんは区画整理でなくなってしまった・・・ここで生まれ育った者として、さみしい。
#山の手が田端で下町が田端新町。なんで坂の下のが洗練されてそうな名前なのか疑問に思う。
<!--<googlemap lat="35.736158" lon="139.75958" type="map">
35.738109, 139.760715, (日本)田端駅(東京)
35.735165, 139.758915, 田端八幡神社</googlemap>-->


==上中里の噂==
清原選手は小学生の時に好奇心から車に飛び込んだらしいです。しかし、その際は無傷で助かっています(男道にそういう記述あり)。もしこの際、打ち所が悪く{{あきまへん}}してしまったら。
#上中里駅は都内でも屈指の利用者が少ない駅。ちなみに近くにある南北線の西ヶ原駅も少ない。
#*上中里は[[京浜東北線・根岸線]]で、西ヶ原は[[東京地下鉄|東京メトロ]]でともにダントツの最下位。
#*毎日京浜東北線を利用しているが、上中里駅は3本に1本くらいの割合で停車すれば十分だといつも思う。
#**むしろ「必要ないだろ」とつくづく思う。
#宇都宮線・高崎線の沿線民にとって有名な'''「腸にミヤリサン」'''は上中里にある。
#*尾久近辺で真っ先に思いつく車窓のランドマークといえばミヤリサンのネオン、というイメージがある。
#**わからない人のためにYouTubeのリンク貼っとく。[http://www.youtube.com/watch?v=6me-WvUHYdI]
#駅前にある某中華屋は大盛がデフォルト。かた焼きそばを注文すると、のり切らない具が小どんぶりに盛られてついてくる。
#マージャン用具のかきぬま発祥の地


[[Category:北区_(東京)|*]]
#KKコンビもない。
#*学年が違うが「桑田+金本」という可能性もあるかもしれない。
#*kkコンビにまつわる事柄がすべてなかったことになる。
#**『幽☆遊☆白書』の桑原和真も別の名前になっていた。
#***名前の由来の一つがおまじないの「くわばらくわばら」だからどっち道苗字は桑原になってたんじゃないの?原辰徳と桑田で「桑原辰真」とかになってたかも。
#****そもそも桑原和真の名前の由来はおまじないの「くわばらくわばら」が先で「漢字を当ててみたら偶然KKコンビから一字ずつもらった形になったため、名前の方ももらった」らしいのでKKコンビが存在しなかった場合、下の名前は球界とは全く関係ないところから取られてたんじゃないの?
#西武の黄金期にも影響を与えていた。
#*秋山幸二はパワーヒッターのままだった。
#*下手すれば史実より優勝回数が減っていたかもしれない。
#落合は96年オフに巨人から日ハムに移籍する事はなく、98年に巨人で現役を終えた。
#*あるいは97年オフに別のチームに移籍して現役を終えた。
#河合じゅんじの「かっとばせ!キヨハラくん」は存在せず、本来キヨハラくんのスピンオフであったクワタくんシリーズがメインとなって連載されていた。
#「ドカベンプロ野球編」は存在しなかったか、連載開始時期が遅れていた。
#[[もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/は~わ行#元木大介|元木大介はレギュラーに定着していた。]]
 
===多田野数人===
#[[もしあのプロ野球選手が○○だったら#多田野数人|ここ]]に書いてあることが現実になっていた。
#立教大学は未だ野球弱小高のまま。
#「右の多田野、左の和田」という言葉は「右の(別の選手)、左の和田」になっていた。
 
===田中将大===
#シーズン24連勝する投手は存在しない。
#*過去の数々の連勝記録も更新されず。
#**いまだに「シーズン無敗・勝率10割の選手」といえば間柴茂有ただ一人。
#楽天は2007年以降も最下位が続き、未だにクライマックスシリーズ出場なしだった。
#*そのため2007年以降のドラフトでは目玉投手を積極的に取りに行っていた。
#**大谷翔平の強行指名も決行したかもしれない。
#*2013年の優勝もなかっただろう。
#駒大苫小牧高校は2004年の優勝のみの一発屋に終わっていた。
#*2005年・2006年も史実通りの成績なら2004年同様打力のチームと言われていた。
#**それでも、駒大岩見沢高校は閉校していたと思う。
#斎藤佑樹の知名度も少し下がっていた。
#*むしろ上がっており、プロ入り後も史実以上に活躍していた。
#**でも、2006年夏の甲子園は多くの人々の記憶には残らなかったかもしれない。
#*大学進学しなかったかもしれない。
#1988年度生まれのプロ野球選手が黄金世代になることはなかった。
#*1987年、1989年度生まれは実際より豊作の世代と言われていた。
#*前田健太が史実と同じかそれ以上の活躍をしていれば1988年度生まれは「前田世代」と呼ばれていた。
#**あるいは現在でも「ハンカチ世代」と呼ばれていた。
#里田まいは芸能人と結婚し、結婚後も積極的に芸能活動を行っていた。
 
===長嶋茂雄===
#宮武三郎の東京六大学ホームラン記録は田淵幸一が更新していた。
#*立教大学野球部も史実より地味なままだった。
#巨人どころか日本プロ野球の歴史が大きく変わっていた。
#*巨人のV9もなかった。
#1980年の読売新聞不買運動も起きなかった。
#徳光和夫は大下弘のファンだったので、大下の母校である明治大学に進学していた。
#*卒業後は在福局のアナウンサーか西鉄グループに就職した。
#長嶋一茂も生まれていないため、例の落書き騒動もなかった。
#トライアスロンの日本での普及も遅れていたかもしれない。
 
===野村克也===
#南海ホークスの凋落は史実よりも早まっていた。
#*下手すると70年代にはどこかに身売りしてたか、最悪合併していた。
#戦後初の三冠王は王貞治。
#日本プロ野球におけるクイックやリード等の戦術の進歩が史実よりも遅れた。
#90年代ヤクルトは黄金期を迎える事は無く、古田の通算成績や評価も史実より低かった。
#監督にもよるが、長嶋一茂は出場試合や通算成績が増加していた可能性も。
#阪神の暗黒時代からの脱却が遅れていたかも。
#*楽天の強化も。
 
===原貢===
#三池工業、東海大相模の強豪化はなく、高校野球の歴史が変わっていた。
#*東海大学及び首都大学野球連盟も地味なまま。
#*2015年夏の甲子園は仙台育英が東北勢初の優勝を果たしていたかも。
#当然、原辰徳や菅野智之もいないので、80年代以降の巨人の歴史もまた変わっていた。
#*長嶋茂雄(第2次)の後を受けて巨人の監督に就任したのはおそらく中畑清。
#*2000年代以降巨人は低迷期を迎えたかも。
 
===張本勲===
彼は5歳の時に広島で原爆に遭っています。もしこの時居場所が悪くて×××しまっていたら
 
#当然3000本安打の達成はなく、日本プロ野球にとっての悲願になり続けた。
#*イチローの日米通算3000本安打が史実よりも大々的に取り上げられた。
#同じ在日韓国人の金村義明や金本知憲などが自分が在日韓国人であることを公表することができなかったかもしれない。
#落合博満は史実よりも注目されなかった。
#*山内一弘や金田正一などの言っていることを真に受けてフォーム改造とかに走り出していたら落合の引退も早まっていたかもしれない。
#「サンデーモーニング」の週刊御意見番の論者も変わっていた。
#*江川紹子とのトラブルも起きなかった。
 
===ベーブ・ルース===
#メジャーリーグの勢力図は大きく変わっていた。
#*野球の知名度が低かったままの可能性も。
#**むしろ、クリケットが日米を含めた世界的なスポーツになっている。
#・・・と思ったが、野球の神が名実ともにルー・ゲーリックに変わっただけだったかもしれない。若くして亡くなった分、こっちのほうが分が上がる。
#*少なくともレッドソックスのジンクスはなくなる。
#ヤンキースが強豪になる事はなかった。
 
===星野仙一===
#1970年代の中日は成績が低迷し、巨人はV10を達成していた。
#*与那嶺監督の退任も早まっていた。
#**もしかしたら与那嶺監督は退任後他のチームのコーチにならず、ハワイに帰国してたかも。
#*川上監督の任期も延び、長嶋茂雄の引退も遅れていた。
#近藤監督も優勝を果たせなかったかもしれない。
#*その場合、大洋や日本ハムの監督にならなかったかも。
#1980年代の中日は山内一弘以外にも外様監督を招聘してた可能性も。
#*根本陸夫かドン・ブレイザーあたりが就任してたかも。
#4対1のトレードで落合博満が中日に来ることはなかった。
#*その場合、当然落合は中日の監督に就任することはなかった。
#**牛島が横浜の監督にならず、中日の監督になってたかも。
#**2004年以降も中日は暗黒時代が続き、身売りされてた可能性も。
#*落合はこの時点で巨人入りしていた。
#平成以降の中日の監督は主に高木、木俣が務めていた。
#高代延博、山田久志が中日のコーチになることはなかった。
#*従って山田久志が中日の監督になることはなかった。
#*高代は三村監督の退任後も広島のコーチを続投し、広島の監督に就任していたかもしれない。
#2011年の楽天の監督には桑田真澄が就任していた。
#*その場合、清原和博は楽天のコーチになってたかも。
#当然中日だけでなく阪神にも影響が出る。→[[もし星野仙一が阪神の監督に就任しなかったら]]を参照。
 
===松井秀喜===
#1993年以降の巨人の優勝回数が大きく減っていた。
#*史実以上にセ・リーグはヤクルトの天下になっていた。
#日本人メジャーリーガーのワールドシリーズMVPは未だに出ていない。
#当然ながら、あの5打席連続敬遠は無かった。
#*馬淵史郎にダーティーなイメージは根付いておらず、純粋に高校野球界の名将として名声を得ていた。
#1992年のドラフトではバルセロナ五輪代表組が更に注目を浴びた。
#*伊藤智仁を指名する球団が増えていた。
#河合じゅんじの「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」は存在せず、「かっとばせ!キヨハラくん」の連載が長くなっていたか、イチローが主役の作品がキヨハラくんの後継になっていた。
#石川県出身の有名人の顔ぶれが地味になっていた。
#石川県はいまだに野球不毛の地と言われていた。
#星稜高校と言えば現実以上に本田圭佑の母校というイメージが強くなっていた。
#『地獄先生ぬ~べ~』に松井さんという変な顔の女子児童が登場することもなかった。
 
===松坂大輔===
#1980年度生まれのプロ野球選手が「松坂世代」と呼ばれて黄金世代になることはなかった。
#*1981年度生まれが黄金世代になっていた。
#1981年~1997年ごろの横浜高校の低迷期がもう少し続いていた。
#*場合によってはそのまま弱小に成り下がった可能性も。
#史実通り横浜高校が1998年の甲子園で春夏連覇していたら、打力のチームと言われていた。
#*あるいは対戦相手の京都成章高校が京都勢42年ぶりの夏優勝を果たしていた。
#史実通りアナウンサーになっても(仮にプロへ行っても)、上重聡の知名度は今よりも若干低かった。
#1999年以降の西武ライオンズに関しては、観客動員数が若干少なくなるのを除けば史実とあまり変わらない。
 
===森祇晶(森昌彦)===
#それでも巨人はV9を達成していただろうが、1、2回くらいは日本一を逃す年があったかもしれない。
#「背番号27=捕手の背番号」のイメージは現実ほど強くなっていなかった。
#*古田敦也は野村克也の現役時代と同じ背番号19をつけていたかも。
#80年代後半~90年代の西武の優勝回数が減り、代わりに近鉄や阪急→オリックスの優勝回数が増えていた。
#*ライオンズの通算優勝回数は平成時代のうちにホークスに再逆転されていた。
#*日本ハムも同様。よって、東京ドーム時代は一度もリーグ優勝を経験できなかったと言われる事はなかった。
#*もしかすると史実の西武に代わって、近鉄か阪急→オリックスが黄金時代を迎えていたかもしれない。
#2001年以降の横浜ベイスターズに関しては現実とほとんど変わらない。
 
==サッカー==
===澤穂希===
#女子サッカーが日本で人気になることはなく、[[もしあの国がサッカー弱小国だったら#日本_2|これ]]の一部が現実化していた。
#アメリカ代表のワンバックの日本での知名度は下がっていた。
#史実通り2011年の女子ワールドカップで日本が優勝していたら、MVPとその年のバロンドールは宮間あやが受賞していた。
#東京オリンピックの招致活動も別の人がやっていた。
 
===三浦知良===
#1980年代に日本人サッカー選手の海外留学が注目されることはなかった。
#*野茂英雄のメジャーリーグ挑戦がさらに注目されていたかもしれない。
#「カズ」の愛称はなかったか、別の選手のものになっていた。
#1998年のワールドカップでは三浦知良の代わりに別の選手が代表から外され、別の「外れるのは○○」が流行した。
#「三浦かずよし」といえば山梨県出身の実業家のことだった。
#設楽りさ子は芸能人と結婚し、芸能活動は結婚後も積極的だった。
 
==大相撲==
===琴風豪規===
元大関琴風は生後すぐ黄疸にかかり命が危なくなったがあったという。
#がぶり寄りを武器にする力士が長く現れなかった。
#千代の富士の関脇昇進は早まっただろうが、苦手意識払拭のための稽古がなかったので史実ほどの大横綱になれたか疑わしい。
#尾車部屋も創設されず豪風や嘉風らは別の部屋に入門していた。
#大関空位の場所がもう1つ増える。
 
===大鵬幸喜===
#柏戸は少なくとも10回は優勝できた(史実では5回)
#一代年寄という制度は設けられなかった。
#白鵬には違う四股名が付けられていた。
#何らかの事情で日本に引き揚げることができず樺太に残留した場合は、サンボかレスリング、柔道の選手として活躍したかも。
#当然ながら「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉は存在しない。
 
===貴乃花光司===
#若貴ブームという言葉はなく、若乃花勝が曙のライバルとして90年代の大相撲人気を牽引していた。
#若乃花が引退後に程なくして廃業しなかった場合、父の二子山部屋を継いでいた。
#上記の場合、次代の理事長候補は当然若乃花。
#宮沢りえの芸能活動にも影響を与えていただろう。
#河野景子は「家なき子」出演以降は女優に転向していたかもしれない。
 
===稀勢の里寛===
#琴奨菊が稀勢の里の代わりにマスコミにごり押しされていた。
#高安は少なくとも大関にはならなかった。関取になれたかどうかも怪しい。
#隆の鶴の親方としての無能さがまことしやかに囁かれることも無かった。
#史実より二所ノ関一門がもっとまとまりを欠いていた。
 
===力道山===
#日本でプロレスがメジャーになることはなかった。
#*プロレスから派生した様々な格闘技も誕生していない。
#テレビの普及は史実より少し遅れていた。
#二所ノ関一門がここまでの大勢力にならなかった。
#1950年代に撮影された相撲のカラー映像は存在しない。
#声優・[[小山力也ファン|小山力也]]の名前が変わっていた。
 
==テニス==
===マリア・シャラポワ===
#2020年現在の日本における有名なロシア女子スポーツ選手といえば満場一致でザギトワ。
#*あるいはシャラポワのブレイク前に「妖精」と呼ばれていたアンナ・クルニコワの知名度が上がっていた。
#女子テニスにおける「妖精」の称号はいったい誰になっていただろうか。
 
===マルチナ・ナブラチロワ===
#マルチナ・ヒンギスの名前は変わっていた。
#*「マルチナという有名テニス選手で誰を連想するか」という設問が成立しなかった。
 
===松岡修造===
#ニコ動でのネタが一つ減った。
#*裏御三家といえば、レスリング・淫夢・エア本だった。
#*レスリング・浜崎順平・エア本でもありかも。
#錦織圭は史実通りテニス選手にはなってただろうが、そこまで活躍できなかったのではかと。
#日本人テニス選手にとってウィンブルドンのセンターコートは遠い存在と思われていた。
#『まいにち、修造!』が出版されないため、日めくりカレンダーは2015年以後も有名人の名言ものではなく、脳トレものに人気が集中していた。
#『[[斉木楠雄のΨ難]]』の灰呂杵志の設定が変わっていた。
#'''地球は氷河期に突入していた。'''
 
==バスケットボール==
===マイケル・ジョーダン===
バスケットボールの神、NBAの歴史を変えたといわれるマイケル・ジョーダンが生まれていなかったとしたら、NBAはどのようになっていたかを検証してみる。
#デトロイト・ピストンズ、ニューヨーク・ニックス、アトランタ・ホークス、ユタ・ジャズ、サンアントニオ・スパーズ、ヒューストン・ロケッツ、フェニックス・サンズなどのチームが覇権を争う群雄割拠の時代になっていた。
#デニス・ロッドマンのブルズ移籍が早まっていた。
#[[シカゴ]]の有名スポーツ選手といえばサミー・ソーサだった。
#*もしくはブライアン・アーラッカー(NFLシカゴ・ベアーズ)。
#ロス五輪でアメリカは金メダル獲れなかったかもしれない。
#バスケの神と言えば今もカリーム・アブドゥル=ジャバーだった。
#NBA選手の国籍が多様化することはなかった。
#MJという著名人と言えば満場一致でマイケル・ジャクソン。
 
===中村和雄===
#長崎女子高校の強豪化はなく、高校女子バスケの勢力図も変わっていた。
#共同石油(現:JX-ENEOSサンフラワーズ)も日本リーグ(現:Wリーグ)に上がれても常勝チームとは行かず、20世紀のうちに廃部されたかもしれない。
#オーエスジーフェニックス(現:浜松・東三河フェニックス)のbjリーグ→Bリーグ参加もなかったかもしれない。
#渋谷バスケットボールストリートのモニュメントも違う人の言葉が刻まれていた。
 
==ボクシング==
===モハメド・アリ===
#ソニー・リストンの時代はもっと長く続いていただろう。
#ジョージ・フォアマンは史実より地味な存在だったかもしれない。
#*キンシャサの知名度も下がっていた。
#**キンシャサノキセキも違う馬名になっていた。
#アントニオ猪木の(少なくともアメリカでの)知名度が下がっていた。
#*総合格闘技というジャンルも成立しなかった可能性がある。
#*中邑真輔のフィニッシュホールドも違う名前になっていた。
#カシアス内藤のリングネームも変わっていた。
#*モハネド・ヨネも。
#アトランタ五輪の最終聖火ランナーも別の人物になっていた。
 
===大橋秀行===
#昭和末期から平成初頭の日本人世界チャンピオン不在の暗黒期がより長く続いていた。
#リカルド・ロペスの日本での知名度は下がっていた。
#川嶋勝重や八重樫東らはヨネクラジムでプロになっていた。
#*井上尚弥はリオ五輪を目指し、その後は父のジムがプロ加盟して転向していた。
#*宮尾綾香は協栄かワタナベ辺りに移籍。
 
===亀田史郎===
#当然亀田兄弟も存在しないことになる。日本のボクシング界は静かなものになっていただろう。
#*その代わり井岡一法(井岡弘樹の兄で一翔の父)が暴走したかもしれない。
#**赤井英和や井岡一家の活躍と存在感次第では、大阪市西成区はボクサーの町として有名にならなかったかも。
#*協栄ジムも図に乗りかねない。
#*帝拳ジムも史実以上に叩かれていた。
#内藤大助は今より少し地味な存在だったかもしれない。
#*坂田健史も協栄ジムの後継者に指名されなかったかもしれない。
#亀田問題そのものが存在しないのでやくみつるはおとなしくなる。
#ボクシング界で亀田と言えばいまだに亀田昭雄を指していた。
 
==ラグビー==
===清宮克幸===
#21世紀に入っての早大及びサントリーの復活はなかったかもしれない。
#ヤマハ発動機の躍進もなかった。
#五郎丸歩も史実ほどの活躍ができず、おそらくブライトンの奇跡もなかった。
#清宮幸太郎も生まれていないので、2015年の高校野球に対する世間の注目度も下がっていた。
#*オコエか小笠原に注目が振り分けられていたのではなかろうか。
 
===五郎丸歩===
#2015年ラグビーワールドカップで日本代表が歴史的勝利を挙げることはなかったかも。
#当然、○郎丸姓が脚光を浴びることもなかった。
#*阪神ファンが昔のドラフトのトラウマを掘り返す事もなかっただろう。
 
==フィギュアスケート==
===荒川静香===
#トリノ五輪で日本はメダル0に終わっていた。
#*それを気に強化が行われ、その反動でバンクーバー五輪では金を獲得できたかもしれない。
 
===アリーナ・ザギトワ===
#2020年現在でも日本における有名なロシア人女子スポーツ選手といえばマリア・シャラポワ。
#*もしくはエフゲニア・メドベージェワの知名度が上がり、平昌五輪で金メダルを獲得していた。
#エテリ・トゥトベリーゼの知名度が上がる事はなかった。
 
===エテリ・トゥトベリーゼ===
#2020年現在の女子フィギュアスケートにおける低年齢化は起きなかった。
#*よってジュニアからシニアへの年齢引き上げは議論されていない。
#女子の4回転時代突入も遅れていた。
#ザギトワやメドベージェワのコーチが変わっていた。
#*というより現実でエテリの門下生になった選手は別のコーチの元へ入っていた。
#自国開催のソチ五輪でアデリナ・ソトニコワが金を獲得したので女子フィギュアでのロシアの強豪化は現実通りであるが、一人のコーチの選手達が幅を利かせる事はなかった。
 
===羽生結弦===
#ソチ、平昌五輪の男性シングルの金メダリストが変わっていた。
#*平成生まれ初の金メダリストはリオで獲得した萩野公介になっていた。
#羽生姓の国民栄誉賞受賞者と言えば満場一致で羽生善治。
#男性フィギュアでの日本の強豪化はなかったかも。
 
==その他==
===ランス・アームストロング===
#ヤン・ウルリッヒがツールドフランスで5回優勝し、「5勝クラブ」の一人になる。
#ディスカバリーチームは存在しない
#グレッグ・レモンの米国内での名声は更に大きくなる
#ドーピング問題はもっと早く露見していた
#トレックのロード自転車は今ほどメジャーにならなかった
#SPD-SLペダルは開発されず、現在もSPD-Rが生産されている。
 
=== アリーナ・カバエワ ===
#アリーナ・ザギトワの名前は変わっていた。
#新体操が現実ほど柔軟さを求められる事はなかった。
#プーチン大統領の愛人は誰になっていただろうか…。
 
===蝶野正洋===
#当然のこと、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」での年越しスペシャル「笑ってはいけないシリーズ」で月亭方正のビンタはない。
#*DVDネタも存在せず、ココリコの田中直樹のタイキックもなかったかもしれない。
#アントニオ猪木の弟子が別のプロレスラーになっていたかも。
 
===マッハ文朱===
#女子プロレスは「お色気」目当ての中年男性向けというイメージが変わることはなく、ブームは発生しなかった。
#*試合会場に少女たちが殺到することはなかった。
#*女子プロレス自体存続していなかったかも。
#レスラー志願の少女もほとんどいないので、ビューティー・ペア以降の女子レスラーの大半はプロレス界に入っていない。
 
===室伏重信===
#息子の広治、娘の由佳も生まれていないため、日本では投てき、特にハンマー投げで世界と戦える選手は皆無だった。
 
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2021年7月14日 (水) 21:40時点における版

野球

荒川博

  1. 王貞治は一本足打法を生み出せなかった。
    • 巨人のV9もおそらくなかった。
  2. 1974年のヤクルト監督には史実より少し早く広岡達朗が就任していた。

荒木大輔

  1. 1980年代初期に「大輔」の名前が流行ることはなく、松坂大輔の名前も変わっていた。
    • TBSのスポーツマンNo.1決定戦の総合ナンバー1の名前も何人か変わっていたかもしれない。
    • 史実では1979年に1位になっているから多少は流行しても、史実より小さかったかも。

イチロー

  1. ニコニコ動画で「イチローのレーザービームで人類滅亡」なる動画が投稿される事はなかった。
  2. オリックスの1995~96年のリーグ優勝やWBC日本代表の優勝もおそらくなかった。
    • オリックスのBクラス転落も史実より早まっていた。
  3. ニッチローは有名にならなかった。
  4. 福島弓子は栗山英樹と結婚していた。

王貞治

  1. 巨人のV9はなかった。
    • それどころか戦後日本のプロ野球史が大きく変っていた。
  2. ホームラン最多記録は2017年現在でもベーブ・ルースの755本のまま。
  3. 国民栄誉賞は設立されなかった。
  4. 当然「王シフト」なんてものはない。
  5. 荒川博の知名度が史実より低くなっていた。
  6. 王シュレット事件も起きなかった。
  7. 「ON砲」や「OH砲」はなかった。
  8. 現在のソフトバンク球団会長はいったい誰になっていたのやら・・・
    • それ以前にダイエーホークスの黄金時代もなかったか遅れている。

落合博満

  1. 日本プロ野球で三冠王になった選手は王貞治以降、バースと松中信彦のみとなっていた。
  2. 近藤貞雄の監督退任後、中日が長きにわたってBクラスor最下位の常連になっていた。
    • 史実通り星野仙一が監督になっても、あれだけの実績を上げることはできなかっただろう。
    • もっともロッテはこの段階でBクラスの常連だったので、それほど変わらず。
  3. 駒田徳広は巨人で現役生活を終えていたかもしれない。
    • ただし中畑清との確執もあっただけに、いずれはFA宣言して出ていった可能性もあっただろうけど。
  4. 当然、落合福嗣も生まれていなかっただろう。

清原和博

清原選手は小学生の時に好奇心から車に飛び込んだらしいです。しかし、その際は無傷で助かっています(男道にそういう記述あり)。もしこの際、打ち所が悪く×××××してしまったら。

  1. KKコンビもない。
    • 学年が違うが「桑田+金本」という可能性もあるかもしれない。
    • kkコンビにまつわる事柄がすべてなかったことになる。
      • 『幽☆遊☆白書』の桑原和真も別の名前になっていた。
        • 名前の由来の一つがおまじないの「くわばらくわばら」だからどっち道苗字は桑原になってたんじゃないの?原辰徳と桑田で「桑原辰真」とかになってたかも。
          • そもそも桑原和真の名前の由来はおまじないの「くわばらくわばら」が先で「漢字を当ててみたら偶然KKコンビから一字ずつもらった形になったため、名前の方ももらった」らしいのでKKコンビが存在しなかった場合、下の名前は球界とは全く関係ないところから取られてたんじゃないの?
  2. 西武の黄金期にも影響を与えていた。
    • 秋山幸二はパワーヒッターのままだった。
    • 下手すれば史実より優勝回数が減っていたかもしれない。
  3. 落合は96年オフに巨人から日ハムに移籍する事はなく、98年に巨人で現役を終えた。
    • あるいは97年オフに別のチームに移籍して現役を終えた。
  4. 河合じゅんじの「かっとばせ!キヨハラくん」は存在せず、本来キヨハラくんのスピンオフであったクワタくんシリーズがメインとなって連載されていた。
  5. 「ドカベンプロ野球編」は存在しなかったか、連載開始時期が遅れていた。
  6. 元木大介はレギュラーに定着していた。

多田野数人

  1. ここに書いてあることが現実になっていた。
  2. 立教大学は未だ野球弱小高のまま。
  3. 「右の多田野、左の和田」という言葉は「右の(別の選手)、左の和田」になっていた。

田中将大

  1. シーズン24連勝する投手は存在しない。
    • 過去の数々の連勝記録も更新されず。
      • いまだに「シーズン無敗・勝率10割の選手」といえば間柴茂有ただ一人。
  2. 楽天は2007年以降も最下位が続き、未だにクライマックスシリーズ出場なしだった。
    • そのため2007年以降のドラフトでは目玉投手を積極的に取りに行っていた。
      • 大谷翔平の強行指名も決行したかもしれない。
    • 2013年の優勝もなかっただろう。
  3. 駒大苫小牧高校は2004年の優勝のみの一発屋に終わっていた。
    • 2005年・2006年も史実通りの成績なら2004年同様打力のチームと言われていた。
      • それでも、駒大岩見沢高校は閉校していたと思う。
  4. 斎藤佑樹の知名度も少し下がっていた。
    • むしろ上がっており、プロ入り後も史実以上に活躍していた。
      • でも、2006年夏の甲子園は多くの人々の記憶には残らなかったかもしれない。
    • 大学進学しなかったかもしれない。
  5. 1988年度生まれのプロ野球選手が黄金世代になることはなかった。
    • 1987年、1989年度生まれは実際より豊作の世代と言われていた。
    • 前田健太が史実と同じかそれ以上の活躍をしていれば1988年度生まれは「前田世代」と呼ばれていた。
      • あるいは現在でも「ハンカチ世代」と呼ばれていた。
  6. 里田まいは芸能人と結婚し、結婚後も積極的に芸能活動を行っていた。

長嶋茂雄

  1. 宮武三郎の東京六大学ホームラン記録は田淵幸一が更新していた。
    • 立教大学野球部も史実より地味なままだった。
  2. 巨人どころか日本プロ野球の歴史が大きく変わっていた。
    • 巨人のV9もなかった。
  3. 1980年の読売新聞不買運動も起きなかった。
  4. 徳光和夫は大下弘のファンだったので、大下の母校である明治大学に進学していた。
    • 卒業後は在福局のアナウンサーか西鉄グループに就職した。
  5. 長嶋一茂も生まれていないため、例の落書き騒動もなかった。
  6. トライアスロンの日本での普及も遅れていたかもしれない。

野村克也

  1. 南海ホークスの凋落は史実よりも早まっていた。
    • 下手すると70年代にはどこかに身売りしてたか、最悪合併していた。
  2. 戦後初の三冠王は王貞治。
  3. 日本プロ野球におけるクイックやリード等の戦術の進歩が史実よりも遅れた。
  4. 90年代ヤクルトは黄金期を迎える事は無く、古田の通算成績や評価も史実より低かった。
  5. 監督にもよるが、長嶋一茂は出場試合や通算成績が増加していた可能性も。
  6. 阪神の暗黒時代からの脱却が遅れていたかも。
    • 楽天の強化も。

原貢

  1. 三池工業、東海大相模の強豪化はなく、高校野球の歴史が変わっていた。
    • 東海大学及び首都大学野球連盟も地味なまま。
    • 2015年夏の甲子園は仙台育英が東北勢初の優勝を果たしていたかも。
  2. 当然、原辰徳や菅野智之もいないので、80年代以降の巨人の歴史もまた変わっていた。
    • 長嶋茂雄(第2次)の後を受けて巨人の監督に就任したのはおそらく中畑清。
    • 2000年代以降巨人は低迷期を迎えたかも。

張本勲

彼は5歳の時に広島で原爆に遭っています。もしこの時居場所が悪くて×××しまっていたら

  1. 当然3000本安打の達成はなく、日本プロ野球にとっての悲願になり続けた。
    • イチローの日米通算3000本安打が史実よりも大々的に取り上げられた。
  2. 同じ在日韓国人の金村義明や金本知憲などが自分が在日韓国人であることを公表することができなかったかもしれない。
  3. 落合博満は史実よりも注目されなかった。
    • 山内一弘や金田正一などの言っていることを真に受けてフォーム改造とかに走り出していたら落合の引退も早まっていたかもしれない。
  4. 「サンデーモーニング」の週刊御意見番の論者も変わっていた。
    • 江川紹子とのトラブルも起きなかった。

ベーブ・ルース

  1. メジャーリーグの勢力図は大きく変わっていた。
    • 野球の知名度が低かったままの可能性も。
      • むしろ、クリケットが日米を含めた世界的なスポーツになっている。
  2. ・・・と思ったが、野球の神が名実ともにルー・ゲーリックに変わっただけだったかもしれない。若くして亡くなった分、こっちのほうが分が上がる。
    • 少なくともレッドソックスのジンクスはなくなる。
  3. ヤンキースが強豪になる事はなかった。

星野仙一

  1. 1970年代の中日は成績が低迷し、巨人はV10を達成していた。
    • 与那嶺監督の退任も早まっていた。
      • もしかしたら与那嶺監督は退任後他のチームのコーチにならず、ハワイに帰国してたかも。
    • 川上監督の任期も延び、長嶋茂雄の引退も遅れていた。
  2. 近藤監督も優勝を果たせなかったかもしれない。
    • その場合、大洋や日本ハムの監督にならなかったかも。
  3. 1980年代の中日は山内一弘以外にも外様監督を招聘してた可能性も。
    • 根本陸夫かドン・ブレイザーあたりが就任してたかも。
  4. 4対1のトレードで落合博満が中日に来ることはなかった。
    • その場合、当然落合は中日の監督に就任することはなかった。
      • 牛島が横浜の監督にならず、中日の監督になってたかも。
      • 2004年以降も中日は暗黒時代が続き、身売りされてた可能性も。
    • 落合はこの時点で巨人入りしていた。
  5. 平成以降の中日の監督は主に高木、木俣が務めていた。
  6. 高代延博、山田久志が中日のコーチになることはなかった。
    • 従って山田久志が中日の監督になることはなかった。
    • 高代は三村監督の退任後も広島のコーチを続投し、広島の監督に就任していたかもしれない。
  7. 2011年の楽天の監督には桑田真澄が就任していた。
    • その場合、清原和博は楽天のコーチになってたかも。
  8. 当然中日だけでなく阪神にも影響が出る。→もし星野仙一が阪神の監督に就任しなかったらを参照。

松井秀喜

  1. 1993年以降の巨人の優勝回数が大きく減っていた。
    • 史実以上にセ・リーグはヤクルトの天下になっていた。
  2. 日本人メジャーリーガーのワールドシリーズMVPは未だに出ていない。
  3. 当然ながら、あの5打席連続敬遠は無かった。
    • 馬淵史郎にダーティーなイメージは根付いておらず、純粋に高校野球界の名将として名声を得ていた。
  4. 1992年のドラフトではバルセロナ五輪代表組が更に注目を浴びた。
    • 伊藤智仁を指名する球団が増えていた。
  5. 河合じゅんじの「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」は存在せず、「かっとばせ!キヨハラくん」の連載が長くなっていたか、イチローが主役の作品がキヨハラくんの後継になっていた。
  6. 石川県出身の有名人の顔ぶれが地味になっていた。
  7. 石川県はいまだに野球不毛の地と言われていた。
  8. 星稜高校と言えば現実以上に本田圭佑の母校というイメージが強くなっていた。
  9. 『地獄先生ぬ~べ~』に松井さんという変な顔の女子児童が登場することもなかった。

松坂大輔

  1. 1980年度生まれのプロ野球選手が「松坂世代」と呼ばれて黄金世代になることはなかった。
    • 1981年度生まれが黄金世代になっていた。
  2. 1981年~1997年ごろの横浜高校の低迷期がもう少し続いていた。
    • 場合によってはそのまま弱小に成り下がった可能性も。
  3. 史実通り横浜高校が1998年の甲子園で春夏連覇していたら、打力のチームと言われていた。
    • あるいは対戦相手の京都成章高校が京都勢42年ぶりの夏優勝を果たしていた。
  4. 史実通りアナウンサーになっても(仮にプロへ行っても)、上重聡の知名度は今よりも若干低かった。
  5. 1999年以降の西武ライオンズに関しては、観客動員数が若干少なくなるのを除けば史実とあまり変わらない。

森祇晶(森昌彦)

  1. それでも巨人はV9を達成していただろうが、1、2回くらいは日本一を逃す年があったかもしれない。
  2. 「背番号27=捕手の背番号」のイメージは現実ほど強くなっていなかった。
    • 古田敦也は野村克也の現役時代と同じ背番号19をつけていたかも。
  3. 80年代後半~90年代の西武の優勝回数が減り、代わりに近鉄や阪急→オリックスの優勝回数が増えていた。
    • ライオンズの通算優勝回数は平成時代のうちにホークスに再逆転されていた。
    • 日本ハムも同様。よって、東京ドーム時代は一度もリーグ優勝を経験できなかったと言われる事はなかった。
    • もしかすると史実の西武に代わって、近鉄か阪急→オリックスが黄金時代を迎えていたかもしれない。
  4. 2001年以降の横浜ベイスターズに関しては現実とほとんど変わらない。

サッカー

澤穂希

  1. 女子サッカーが日本で人気になることはなく、これの一部が現実化していた。
  2. アメリカ代表のワンバックの日本での知名度は下がっていた。
  3. 史実通り2011年の女子ワールドカップで日本が優勝していたら、MVPとその年のバロンドールは宮間あやが受賞していた。
  4. 東京オリンピックの招致活動も別の人がやっていた。

三浦知良

  1. 1980年代に日本人サッカー選手の海外留学が注目されることはなかった。
    • 野茂英雄のメジャーリーグ挑戦がさらに注目されていたかもしれない。
  2. 「カズ」の愛称はなかったか、別の選手のものになっていた。
  3. 1998年のワールドカップでは三浦知良の代わりに別の選手が代表から外され、別の「外れるのは○○」が流行した。
  4. 「三浦かずよし」といえば山梨県出身の実業家のことだった。
  5. 設楽りさ子は芸能人と結婚し、芸能活動は結婚後も積極的だった。

大相撲

琴風豪規

元大関琴風は生後すぐ黄疸にかかり命が危なくなったがあったという。

  1. がぶり寄りを武器にする力士が長く現れなかった。
  2. 千代の富士の関脇昇進は早まっただろうが、苦手意識払拭のための稽古がなかったので史実ほどの大横綱になれたか疑わしい。
  3. 尾車部屋も創設されず豪風や嘉風らは別の部屋に入門していた。
  4. 大関空位の場所がもう1つ増える。

大鵬幸喜

  1. 柏戸は少なくとも10回は優勝できた(史実では5回)。
  2. 一代年寄という制度は設けられなかった。
  3. 白鵬には違う四股名が付けられていた。
  4. 何らかの事情で日本に引き揚げることができず樺太に残留した場合は、サンボかレスリング、柔道の選手として活躍したかも。
  5. 当然ながら「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉は存在しない。

貴乃花光司

  1. 若貴ブームという言葉はなく、若乃花勝が曙のライバルとして90年代の大相撲人気を牽引していた。
  2. 若乃花が引退後に程なくして廃業しなかった場合、父の二子山部屋を継いでいた。
  3. 上記の場合、次代の理事長候補は当然若乃花。
  4. 宮沢りえの芸能活動にも影響を与えていただろう。
  5. 河野景子は「家なき子」出演以降は女優に転向していたかもしれない。

稀勢の里寛

  1. 琴奨菊が稀勢の里の代わりにマスコミにごり押しされていた。
  2. 高安は少なくとも大関にはならなかった。関取になれたかどうかも怪しい。
  3. 隆の鶴の親方としての無能さがまことしやかに囁かれることも無かった。
  4. 史実より二所ノ関一門がもっとまとまりを欠いていた。

力道山

  1. 日本でプロレスがメジャーになることはなかった。
    • プロレスから派生した様々な格闘技も誕生していない。
  2. テレビの普及は史実より少し遅れていた。
  3. 二所ノ関一門がここまでの大勢力にならなかった。
  4. 1950年代に撮影された相撲のカラー映像は存在しない。
  5. 声優・小山力也の名前が変わっていた。

テニス

マリア・シャラポワ

  1. 2020年現在の日本における有名なロシア女子スポーツ選手といえば満場一致でザギトワ。
    • あるいはシャラポワのブレイク前に「妖精」と呼ばれていたアンナ・クルニコワの知名度が上がっていた。
  2. 女子テニスにおける「妖精」の称号はいったい誰になっていただろうか。

マルチナ・ナブラチロワ

  1. マルチナ・ヒンギスの名前は変わっていた。
    • 「マルチナという有名テニス選手で誰を連想するか」という設問が成立しなかった。

松岡修造

  1. ニコ動でのネタが一つ減った。
    • 裏御三家といえば、レスリング・淫夢・エア本だった。
    • レスリング・浜崎順平・エア本でもありかも。
  2. 錦織圭は史実通りテニス選手にはなってただろうが、そこまで活躍できなかったのではかと。
  3. 日本人テニス選手にとってウィンブルドンのセンターコートは遠い存在と思われていた。
  4. 『まいにち、修造!』が出版されないため、日めくりカレンダーは2015年以後も有名人の名言ものではなく、脳トレものに人気が集中していた。
  5. 斉木楠雄のΨ難』の灰呂杵志の設定が変わっていた。
  6. 地球は氷河期に突入していた。

バスケットボール

マイケル・ジョーダン

バスケットボールの神、NBAの歴史を変えたといわれるマイケル・ジョーダンが生まれていなかったとしたら、NBAはどのようになっていたかを検証してみる。

  1. デトロイト・ピストンズ、ニューヨーク・ニックス、アトランタ・ホークス、ユタ・ジャズ、サンアントニオ・スパーズ、ヒューストン・ロケッツ、フェニックス・サンズなどのチームが覇権を争う群雄割拠の時代になっていた。
  2. デニス・ロッドマンのブルズ移籍が早まっていた。
  3. シカゴの有名スポーツ選手といえばサミー・ソーサだった。
    • もしくはブライアン・アーラッカー(NFLシカゴ・ベアーズ)。
  4. ロス五輪でアメリカは金メダル獲れなかったかもしれない。
  5. バスケの神と言えば今もカリーム・アブドゥル=ジャバーだった。
  6. NBA選手の国籍が多様化することはなかった。
  7. MJという著名人と言えば満場一致でマイケル・ジャクソン。

中村和雄

  1. 長崎女子高校の強豪化はなく、高校女子バスケの勢力図も変わっていた。
  2. 共同石油(現:JX-ENEOSサンフラワーズ)も日本リーグ(現:Wリーグ)に上がれても常勝チームとは行かず、20世紀のうちに廃部されたかもしれない。
  3. オーエスジーフェニックス(現:浜松・東三河フェニックス)のbjリーグ→Bリーグ参加もなかったかもしれない。
  4. 渋谷バスケットボールストリートのモニュメントも違う人の言葉が刻まれていた。

ボクシング

モハメド・アリ

  1. ソニー・リストンの時代はもっと長く続いていただろう。
  2. ジョージ・フォアマンは史実より地味な存在だったかもしれない。
    • キンシャサの知名度も下がっていた。
      • キンシャサノキセキも違う馬名になっていた。
  3. アントニオ猪木の(少なくともアメリカでの)知名度が下がっていた。
    • 総合格闘技というジャンルも成立しなかった可能性がある。
    • 中邑真輔のフィニッシュホールドも違う名前になっていた。
  4. カシアス内藤のリングネームも変わっていた。
    • モハネド・ヨネも。
  5. アトランタ五輪の最終聖火ランナーも別の人物になっていた。

大橋秀行

  1. 昭和末期から平成初頭の日本人世界チャンピオン不在の暗黒期がより長く続いていた。
  2. リカルド・ロペスの日本での知名度は下がっていた。
  3. 川嶋勝重や八重樫東らはヨネクラジムでプロになっていた。
    • 井上尚弥はリオ五輪を目指し、その後は父のジムがプロ加盟して転向していた。
    • 宮尾綾香は協栄かワタナベ辺りに移籍。

亀田史郎

  1. 当然亀田兄弟も存在しないことになる。日本のボクシング界は静かなものになっていただろう。
    • その代わり井岡一法(井岡弘樹の兄で一翔の父)が暴走したかもしれない。
      • 赤井英和や井岡一家の活躍と存在感次第では、大阪市西成区はボクサーの町として有名にならなかったかも。
    • 協栄ジムも図に乗りかねない。
    • 帝拳ジムも史実以上に叩かれていた。
  2. 内藤大助は今より少し地味な存在だったかもしれない。
    • 坂田健史も協栄ジムの後継者に指名されなかったかもしれない。
  3. 亀田問題そのものが存在しないのでやくみつるはおとなしくなる。
  4. ボクシング界で亀田と言えばいまだに亀田昭雄を指していた。

ラグビー

清宮克幸

  1. 21世紀に入っての早大及びサントリーの復活はなかったかもしれない。
  2. ヤマハ発動機の躍進もなかった。
  3. 五郎丸歩も史実ほどの活躍ができず、おそらくブライトンの奇跡もなかった。
  4. 清宮幸太郎も生まれていないので、2015年の高校野球に対する世間の注目度も下がっていた。
    • オコエか小笠原に注目が振り分けられていたのではなかろうか。

五郎丸歩

  1. 2015年ラグビーワールドカップで日本代表が歴史的勝利を挙げることはなかったかも。
  2. 当然、○郎丸姓が脚光を浴びることもなかった。
    • 阪神ファンが昔のドラフトのトラウマを掘り返す事もなかっただろう。

フィギュアスケート

荒川静香

  1. トリノ五輪で日本はメダル0に終わっていた。
    • それを気に強化が行われ、その反動でバンクーバー五輪では金を獲得できたかもしれない。

アリーナ・ザギトワ

  1. 2020年現在でも日本における有名なロシア人女子スポーツ選手といえばマリア・シャラポワ。
    • もしくはエフゲニア・メドベージェワの知名度が上がり、平昌五輪で金メダルを獲得していた。
  2. エテリ・トゥトベリーゼの知名度が上がる事はなかった。

エテリ・トゥトベリーゼ

  1. 2020年現在の女子フィギュアスケートにおける低年齢化は起きなかった。
    • よってジュニアからシニアへの年齢引き上げは議論されていない。
  2. 女子の4回転時代突入も遅れていた。
  3. ザギトワやメドベージェワのコーチが変わっていた。
    • というより現実でエテリの門下生になった選手は別のコーチの元へ入っていた。
  4. 自国開催のソチ五輪でアデリナ・ソトニコワが金を獲得したので女子フィギュアでのロシアの強豪化は現実通りであるが、一人のコーチの選手達が幅を利かせる事はなかった。

羽生結弦

  1. ソチ、平昌五輪の男性シングルの金メダリストが変わっていた。
    • 平成生まれ初の金メダリストはリオで獲得した萩野公介になっていた。
  2. 羽生姓の国民栄誉賞受賞者と言えば満場一致で羽生善治。
  3. 男性フィギュアでの日本の強豪化はなかったかも。

その他

ランス・アームストロング

  1. ヤン・ウルリッヒがツールドフランスで5回優勝し、「5勝クラブ」の一人になる。
  2. ディスカバリーチームは存在しない
  3. グレッグ・レモンの米国内での名声は更に大きくなる
  4. ドーピング問題はもっと早く露見していた
  5. トレックのロード自転車は今ほどメジャーにならなかった
  6. SPD-SLペダルは開発されず、現在もSPD-Rが生産されている。

アリーナ・カバエワ

  1. アリーナ・ザギトワの名前は変わっていた。
  2. 新体操が現実ほど柔軟さを求められる事はなかった。
  3. プーチン大統領の愛人は誰になっていただろうか…。

蝶野正洋

  1. 当然のこと、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」での年越しスペシャル「笑ってはいけないシリーズ」で月亭方正のビンタはない。
    • DVDネタも存在せず、ココリコの田中直樹のタイキックもなかったかもしれない。
  2. アントニオ猪木の弟子が別のプロレスラーになっていたかも。

マッハ文朱

  1. 女子プロレスは「お色気」目当ての中年男性向けというイメージが変わることはなく、ブームは発生しなかった。
    • 試合会場に少女たちが殺到することはなかった。
    • 女子プロレス自体存続していなかったかも。
  2. レスラー志願の少女もほとんどいないので、ビューティー・ペア以降の女子レスラーの大半はプロレス界に入っていない。

室伏重信

  1. 息子の広治、娘の由佳も生まれていないため、日本では投てき、特にハンマー投げで世界と戦える選手は皆無だった。