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==福岡のメディアの噂==
==野球==
===TVの噂===
===荒川博===
#現在、NHK(総合・教育)KBC(テレ朝系)RKB(JNN系)TNC(フジテレビ系)FBS(日テレ系)TVQ(TXN系)の6局/7ch体制。
#王貞治は一本足打法を生み出せなかった。
#*やっぱり独立U局が有って欲しい。
#*巨人のV9もおそらくなかった。
#夕方の情報番組を3局で争そっている(NHK、FBS、RKB)
#1974年のヤクルト監督には史実より少し早く広岡達朗が就任していた。
#*最近(06年10月)になって、さらに1局参戦(TNC)し、関西ばりの夕方ワイド番組の激戦区になった。
#KBCとTNCも同様に、本来ならば合併して、一つのラジオ・テレビ兼営局になっているはずだった。
#*→[[もしテレビ西日本と九州朝日放送が合併していたら]]
#そのTNCテレビ西日本は、もともと日本テレビ系列だった。社名ロゴも共に1世代前の同様のものを使っていた。
#*しかし[[読売新聞]]の九州進出でフジテレビにネットチェンジ。
#NHK福岡放送局舎はウルトラマンの基地に似ている。
#*ウルトラマンの基地って何よ?
#**ごめんね。宇宙っぽいものは、みんなウルトラマン繋がりなのよ。MEちゃんは・・・(南区出身)
#百道にあるTNCとRKBは、どう見てもRKBの方が地味。
#*むしろ、渡辺通にあった頃のRKBの方が立派
#*隣同士にもかかわらず、TNCもRKBも絶対にお隣の局がTV画面に映りこまないように頑張る。カメラマンの苦労は並大抵ではない。
#以前、CM間引き問題を起こした局がある。(電気ビルの反対側)
#*サン○ルコの南に移転しました
#TNCのかつてのオープニングで、アラレちゃんが出てきたことがある。
#NHKは福岡放送局と北九州放送局がある。1つの県に複数の放送局があるのは、面積が広大な北海道を除いて唯一福岡県のみ。
#*かつて放送局だった福山、浜松などは支局に降格された。
#*夕方のローカルニュースなどは、福岡局と北九州局と別々のものをやっているらしい。
#[[佐賀]]は営業エリア内。
#*むしろ、放送エリア内。
#**ただ、正式な放送区域には入っていない。
#アナログテレビのみの時代は関東や関西みたいにテレビ局=チャンネル番号が結びつかなかったが、デジタル放送が開始され、ようやくKBC=1・教育=2・NHK=3・RKB=4・FBS=5・TVQ=7・TNC=8とテレビ局とチャンネルの一致の周知徹底がなされようとしている。
#全局ホークス贔屓が強すぎて、うんざりしている視聴者も少なからずいる。
#*[[アビスパ福岡]]を忘れずに。
#**さらにかわいそうなライジング福岡やラグビー、なでしこ、レッドワーブラーズ。


==福岡・民放各局の噂==
===荒木大輔===
===RKB毎日放送===
#1980年代初期に「大輔」の名前が流行ることはなく、松坂大輔の名前も変わっていた。
*[http://www.rkb.ne.jp RKBホームページ]
#*TBSのスポーツマンNo.1決定戦の総合ナンバー1の名前も何人か変わっていたかもしれない。
#JNN基幹局の一つである。
#*史実では1979年に1位になっているから多少は流行しても、史実より小さかったかも。
#*ただ2007年秋現在、同局製作の全国ネットのレギュラー番組は持っていない。
#1999年に池尻和佳子アナが入社してから、2005年に川添麻美アナが入社するまでの6年間、女子アナを採用しなかった。
#[[毎日新聞]]からの資本を受けてるのに「毎日」をあまり使いたがらない。
#*[[毎日放送]]と混同されて、紛らわしいからだろう。
#*ただ、その毎日放送とは比較的強い資本関係にあり、ラジオネットワークJRN結成では互いに協力し合っている。
#**『ヤングおー!おー!』は腸捻転解消よりも前(1973年頃)にKBCから移行した。
#全国で4番目、九州では初めての民間放送局。またRKBラジオ北九州(開局当時小倉)局は、民間放送初の中継局である。
#九州の放送局の中で唯一上場(福岡証券取引所)企業である。また[[西日本鉄道|西鉄]]、[[新日本製鐵|新日鐵]]も株主の一つでもある。
#RKBラジオの深夜放送番組「スマッシュ!11!!」から多くのアーティストを輩出した。
#RKBテレビのチャンネル(アナログTV)[[福岡市|福岡]]は4ch、[[北九州市|北九州]]は8ch、[[久留米市|久留米]]は福岡+北九州で48ch!
#*地デジの場合、福岡・佐賀県内全域でリモコンキーIDは4ch、大分・山口県(但し受信可能エリアに限る)で9chとなる。
#RKBラジオの北九州局1197kHzは、[[熊本|隣県]]のRKK熊本放送ラジオと同一なので[[福岡/筑豊|筑豊]]南部や[[山口]]県南東部ではよく混信する。
#*そういや朝鮮語も聞こえたぞ。
#{{極小|カメラマンが強姦}}やったらしい。
#*いや、やったのは記者。
#ロゴを「+rkb」に変えた。
#*前のほうがかっこよかったなぁ…
#深夜アニメに力を入れている。RKBで放映されたローゼン一期は関東以外では初の放映だった。
#*CBCと共同だが九州の放送局で唯一アニメの制作経験のある放送局
#**でも最近は、枠減らしてる。あと、九州唯一じゃないぞ。トマトマン…
#***ところがクラナド~に続き、夜桜~も放送へ。復活か?
#福岡の中波ラジオでは唯一AMステレオ放送を実施中。(1278kHz,50kW)
#「窓を開けて九州」の影響で、「サンデージャポン」をネットせず。このためtysで視聴。
#開局当初の社名はラジオ九州(Radio Kyushu Broadcasting.)。なのでRKB。
#本来なら土曜の昼に放送されるはずの「よしもと新喜劇」が、日曜深夜に放送。
#*しかも7ヶ月遅れ。夏頃にクリスマスの話が出てくる。
#*[[山梨のメディア#テレビ山梨|テレビ山梨]]も深夜の放送だが、金曜で1ヶ月弱の遅れ。
#*もしかしてここが一番遅・・・(ry
#*KBCの吉本系の番組は「ちょうど」1年遅れなので問題がない。
#「九州青春銀行」は2006年開始にも関わらずいまや看板番組。
#*スザンヌを有名にした。芸名もこの番組で。
#**さらに、ここにも里田まいのラジオレギュラーあり。たぶん九州で一番Paboを推してる局。
#**↑↑芸名はそれの前番組(後述)では?
#ラジオ九州と西部毎日テレビが合併して、一つのラジオ・テレビ兼営局になった。
#毎日新聞が大株主で、かつ社長や報道局長が毎日新聞の天下りなことから、TBS系で最も毎日新聞色の強い局。しかし一部事業でなぜか西日本新聞と提携している。
#キー局のTBSより開局が早い!(開局日RKB=S26.12.1 TBS=S26.12.25)
#やしきたかじんがラジオレギュラーを持っていたこともある。
#「毎日」という名前の通り、別府大分毎日マラソンを第1回目から主催している。'''大分県にはTBS系の放送局があるのに!'''
#*RKBと[[大分のメディア#大分放送|OBS]]の共同制作になっているが、正確にはOBSの機材を使ってRKBが製作してるだけの話。
#[[フジテレビ]]より先にピーチーズがいた。
#*「ピーチーズの@お気に入り」という番組から生まれたアナウンサーやローカルタレントによるユニットで、番組が始まった2000年ごろは歌も歌ってて(こちらは口ぱくではない)、全国放送の新春特番でも紹介された。しかし、そのあとはピーチーズは歌わなくなった。余談だが、スザンヌはこの番組でデビューした。
#JRN結成前はLF・MBSとラジオネットを組んでいたので、JRN単独でありながらKBCから漏れたLF・QRの番組を積極的にネットする傾向にある。


===テレビ西日本===
===イチロー===
*[http://www.tnc.co.jp TNCホームページ]
#ニコニコ動画で「イチローのレーザービームで人類滅亡」なる動画が投稿される事はなかった。
#女子アナによる日記のFlashページ、「アナウンサーにっき」がある。(HTMLページもある)
#オリックスの1995~96年のリーグ優勝やWBC日本代表の優勝もおそらくなかった。
#女子アナが東京の局よりもキレイで、ヲタの間じゃ有名
#*オリックスのBクラス転落も史実より早まっていた。
#*対して男性アナは大谷君以外オッサンしかいない。
#ニッチローは有名にならなかった。
#『めざましテレビ』の初代お天気お姉さんの角田華子さんが出演している報道情報番組がある。
#福島弓子は栗山英樹と結婚していた。
#局舎がびっくりするほどデッカい。でも会社の規模は隣の地味なRKBより小さかったりする。(ちなみに福岡の放送局で一番大きい規模なのはRKB)
#*関テレ追放されちゃったし、この際準キー局のポジション奪ったらどうだろう?関テレよりマシな番組つくりよーし。
#*高いビルのほとんどのフロアを他社に貸している。ケータイのソフトバンクは、以前Jフォン九州という会社だったが、Jフォン九州の本社もこのビルの中にあった。
#*建物の高さはRKBよりかなり高いがフロアの面積は実はRKBの方が広い。
#今では想像がつかないが、本社は[[北九州市|八幡]]に構えていた。
#*つい先日まで、釣具のポイントの本店として利用。釣具店の上にパラボラが残ってた。
#*さわらびガーデンモール建設のため撤去。
#天気予報で使われてるBGMはTM NETWORKの「FANTASTIC VISION」。かれこれ20年以上も使われている。
#*↑懐かしいな~未だに使っているんですね。(by南区出身)
#*例の事件以降、月9の主題歌などに差し替え。
#めちゃイケのナレーター木村匡也が番組を持っていた。
#*松村邦洋が学生時代にカメラアシスタントのバイトをしていた。
#なぜか神戸のプロレス団体「DRAGON GATE」のレギュラー放送をしてる。
#親局のチャンネルが10ch→9ch→8chに。(注釈:10ch=北九州、9ch=福岡、8ch=地デジリモコンキーID)
#*地デジでは、福岡・佐賀・大分・山口県内すべて(但し受信可能エリアに限る)8ch!このためTNCのマスコットが「キューちゃん」から、「てれビー」=『はち』に変更。
#**てれびーの顔は'''西'''。
#***てれびーの顔は'''シャー!'''
#****ツノが生えてる
#「テレ西」と呼んで欲しいらしいが、全然浸透してない。
#*平日昼間の司会者が変なこと言うからだよ!!
#フジテレビ系列ではなんと開局第一号!!(キー局のフジや関テレよりも早い)
#*ただし当時は日テレ系。(開局月日は日テレ、ytvとは年月日が同じ)
#**しかし[[読売新聞]]の九州進出に西日本新聞が激怒したため、日テレと絶縁し、フジテレビにネットチェンジ。
#[[関西テレビ放送|関西テレビ]]を見下している。
#かの忌まわしき「王シュレット事件」でフジテレビとの仲が険悪化した。
#*それ以前の関係は比較的良好だった。
#*しかし開局50周年ドラマスペシャル「[[クッキングパパファン|クッキングパパ]]」ではこともあろうに主演(荒岩一味役)にその当事者のひとりである山口智充を起用した。
#**まあ、あれは製作者に責任があって、タレントには罪はないからねえ。(ただし番組の構成作家だった世界のナベアツは出入り禁止だろう)
#*仲が悪くなったとはいっても、フジと関テレ、[[TBS]]と[[毎日放送|MBS]]、TBSと[[中部日本放送|CBC]]、[[日本テレビ|日テレ]]と[[札幌テレビ放送|STV]]の関係に比べればまだまだ良好。
#夜中のフィラーの、夜の星座の写真、きれいだな…。


===福岡放送===
===王貞治===
*[http://www.fbs.co.jp FBSホームページ]
#巨人のV9はなかった。
#元アナウンサーに、堤信子、今泉清保、橋本志穂がいる。
#*それどころか戦後日本のプロ野球史が大きく変っていた。
#*現役アナウンサーに福岡竜馬という名前だけで即採用されたようなアナウンサーがいる。しかも2月29日生まれらしい。
#ホームラン最多記録は2017年現在でもベーブ・ルースの755本のまま。
#過去にCM間引きの前科がある。
#国民栄誉賞は設立されなかった。
#*上記については北陸放送も同じ時期に発覚して同じ時期に処分を受けた(民放連資格停止)。
#当然「王シフト」なんてものはない。
#*この放送局は何かと問題が多い気が・・・。
#荒川博の知名度が史実より低くなっていた。
#*そう言えばこの放送局、'''過去に[[関西テレビ放送|ここ]]が株をもっていたそうな'''。
#王シュレット事件も起きなかった。
#*その事件によって、[[熊本のメディア#熊本県民テレビ|ここ]]がしばらく基幹局代行をやっていた。
#「ON砲」や「OH砲」はなかった。
#「新型テレビ」の製造元。
#現在のソフトバンク球団会長はいったい誰になっていたのやら・・・
#イメージキャラクターのゆめんたはキューピーマヨネーズのたらこ人形に似ている。
#*それ以前にダイエーホークスの黄金時代もなかったか遅れている。
#正確な社屋が何処なのか?市民でさえ解らない。
#*わざわざ公式サイトに「社屋」のページを設けている。
#ボクシング中継も行っている。
#「めんたいワイド」が始まるまではRKBの眼中にもなかった。
#[[山口]]の某所では[[大分のメディア#テレビ大分|トスキー]]と混信して映らない。
#[[日本テレビ|日テレ]]とは仲良し。
#*だが、当初はTNCからあぶれたフジテレビの番組も放送していた。
#*その反面、[[讀賣テレビ放送|ytv]]とは犬猿の仲。
#**「ミヤネ屋」の15時台はネットせず、「めんたいワイド」を放送している。
#**たかじんのそこまで言って委員会も特番でつぶす事がある。
#***その特番とは、日テレのエコ特番のことである。
#*ytvと同じく、キー局の意向で設立されたから。
#デジタルキーIDは「5」。既に「4」がRKBに押さえられてたのとKBCが「5」でなく「1」を使用していたため。
#*ちなみに「5」は[[札幌テレビ放送]]と同じ。あそことは電力会社が大株主という共通点もあり。
#TBS系列ではないのに、[[毎日放送|MBS]]製作のUHFアニメ「デビルマンレディー」を放送していたことがある。
#*ちなみに、今までにFBSが放送した唯一のUHFアニメだったりする。


===TVQ九州放送===
===落合博満===
*[http://www.tvq.co.jp TVQホームページ]
#日本プロ野球で三冠王になった選手は王貞治以降、バースと松中信彦のみとなっていた。
#「TVQ」と書いて「テレキュー」と読むらしい。西鉄バスの「TVQ前」のアナウンスでそう呼んでた。
#近藤貞雄の監督退任後、中日が長きにわたってBクラスor最下位の常連になっていた。
#*でも決して「テレビ九州」の略ではない(禁句らしい)。
#*史実通り星野仙一が監督になっても、あれだけの実績を上げることはできなかっただろう。
#**ちなみに「テレビ九州」は佐賀県のケーブルテレビ局。
#*もっともロッテはこの段階でBクラスの常連だったので、それほど変わらず。
#*それでも事情を知らない首都圏の人たちはTVQを「テレビ九州」とつい言ってしまう(実際、正式に「テレビ九州」としたかったと言う)。
#駒田徳広は巨人で現役生活を終えていたかもしれない。
#**まれに「九州テレビ」と呼ばれることも…
#*ただし中畑清との確執もあっただけに、いずれはFA宣言して出ていった可能性もあっただろうけど。
#*でも「テレビ九州」の登録商標はTVQ側が所有(商標登録第3083972号)。そして「テレビ福岡」も所有(商標登録第3083973号)
#当然、落合福嗣も生まれていなかっただろう。
#本来は佐賀県に割当てていたチャンネルを「どうせ電波が届くから」と、割当をもぎ取って開局した…と言われても、仕方が無い。
#開局当初、略称は「TVQ」(テレキュー)で変わってないが、正式社名はTXN系列にちなんで「ティーエックスエヌ九州」だった。
#*今の社名に変えたのはいいが、『TVQ』はカタカナ表記。
#全国のアニヲタやデイトレーダーが首から手が出るほど欲しいテレビ東京系列局。深夜は東名阪ほどではないが結構アニメを放送中。
#*[[岡山・香川のメディア#テレビせとうちの噂|テレビせとうち]]よりはまし。
#*平成19年4月よりアニメ魂枠にも参戦
#*東名阪以外ではアニメ放映数が最も多い。
#ナイター時期は、福岡ソフトバンクスホークスの試合をよく中継する。
#*土曜は18:30から放送してくれありがたいが、火曜は次番組が20:54開始のため早く放送終了する。放送延長はない。
#**テレビ大阪ローカルのタイガース中継は火曜日はなんでも鑑定団を休止して22時まで放送することがある。休止したなんでも鑑定団は日曜日の昼に振り替え放送する。土曜日は延長なし。
#*土曜日は試合途中でも放送終了して、「地域密着型エンターテイメント」を謳う番組を流す。どっちが地域密着なんだ…
#*でもTVQがホークス低迷期から中継を根気強く続けていたんだよね。それがパリーグ2連覇から他局も追随…(ホークス応援していたのはTNCくらいだろう)
#*シーズンオフでも火曜と土曜の19・20時台は遅れネット・ローカル番組。
#*おそらく、クロスネット・独立UHF局を除いて、'''日本で一番ゴールデンタイムの差し替えが多い局'''。(1週間に約4時間)
#独立U局に近い編成(例:[[テレビ神奈川|sakusaku]]をするときがある。
#「{{あきまへん}}TVふくおか」は伝説となっている。
#*「ギルガメ」が霞んでしまうほどやばかった。
#**そして、ここにもButchの影が・・・
#1996年、日本で初めて韓国ドラマをレギュラー放送した。
#*確か「トップパイロット」という、韓国では放送されるや[[大韓航空]]への就職希望者が殺到したドラマだった。
#佐賀県ではほとんど、山口県でも結構映るので重宝されている。
#確か博多と北九州で2つ本社があったような。。。
#[[wikipedia:ja:サラダ十勇士トマトマン|これ]]を知ってる人は少ないと思う。
#[[テレビ東京|キー局]]とは仲があまりよくないらしい。
#*その理由は上の項目にもあるように当初は「テレビ九州」にしたかったが、キー局に勝手に名前を「TXN九州」に命名された。
#**テレビ九州というCATV局があっただけでテレビ東京は関係ないような気がする。
#*この際だからTNCと系列交換はどうよ?TNCもキー局と仲悪いし、TVQにフジテレビ資本もあるのだから。
#*平気でゴールデンの番組潰して野球中継するぐらいだからなw
#日曜の早朝にひっそり放送してた『まめうしくん』を半年で打ち切り。ちびアニ劇場系の作品の途中打ち切りって始めてかもしれない。{{極小|まあ、みんな興味ないとは思うが。}}
#*放送時間を遅くしていたら続いてたかも?
#未来の主役が唯一のネット番組。


===九州朝日放送===
===清原和博===
→[[九州朝日放送]]


===CROSS FM===
清原選手は小学生の時に好奇心から車に飛び込んだらしいです。しかし、その際は無傷で助かっています(男道にそういう記述あり)。もしこの際、打ち所が悪く{{あきまへん}}してしまったら。
*[http://www.crossfm.co.jp CROSS FM(旧エフエム九州)HP]
#迷走中(番組表で判断)
#*実際にCMは催し物が多い。
#*ついに倒産。
#**[[京都放送|KBS京都]]も倒産寸前まで陥ったけど、あれは地元の総合商社の背任事件に巻き込まれたのが主要因で本事業自体の要因ではない。次にやばいのは[[奈良のメディア|ここ]]だろ…
#***実は[[関西テレビ放送|ここ]]もそうとうやばいらしい。
#***[[石川のメディア#FM石川|このラジオ局]]もあまりCMが流れず、危ない話を聞くが・・・。
#***いや、[[外国語FM局#interFM|ここ]]が一番やばい
#**再建に会社更生法や民事再生法は使わず、債務だけを旧来の「株式会社エフエム九州」に残し、放送業務は東京のファンドが出資する「株式会社CROSS FM」に譲渡して再出発するとのこと。いわゆる新旧分離。
#筆頭株主はKBC[九州朝日放送]で、開局当初は朝の10分間に同時放送があった。
#*でも西日本新聞が配布するフリーペーパーに番組票が載ってる。朝日系か西日本系かどっちだ?
#福岡でなく北九州が本社。
#TOGGYに頼る。
#熊本のCFMであるエフエム小国にもネットされている。
#新会社になった後の最初の改編(2008/10)でほとんどの番組が変更された。しかし、「music forest」は同一のプレイリストが何度も流れているらしい。[[鹿児島のメディア#おおすみFMネットワーク|鹿児島のコミュニティFM]]並みだ。


===fm fukuoka===
#KKコンビもない。
*[http://www.fmfukuoka.co.jp fm fukuoka・HP]
#*学年が違うが「桑田+金本」という可能性もあるかもしれない。
#爆走中
#*kkコンビにまつわる事柄がすべてなかったことになる。
#公共の電波を何だと思っているんだ!!!?
#**『幽☆遊☆白書』の桑原和真も別の名前になっていた。
#昼間からエロい。
#***名前の由来の一つがおまじないの「くわばらくわばら」だからどっち道苗字は桑原になってたんじゃないの?原辰徳と桑田で「桑原辰真」とかになってたかも。
#*FM F__k-Oka?
#****そもそも桑原和真の名前の由来はおまじないの「くわばらくわばら」が先で「漢字を当ててみたら偶然KKコンビから一字ずつもらった形になったため、名前の方ももらった」らしいのでKKコンビが存在しなかった場合、下の名前は球界とは全く関係ないところから取られてたんじゃないの?
#**某カードの名前でも入れますか?(当然{{あきまへん}})
#西武の黄金期にも影響を与えていた。
#*「カミサマハ~、ミテイマス。カメサマハ~{{あきまへん}}」は名文句
#*秋山幸二はパワーヒッターのままだった。
#[[TOKYO FM]]の番組は殆ど流さない。が、地元ではダントツの人気局
#*下手すれば史実より優勝回数が減っていたかもしれない。
#*なんと[[大阪のメディア #fm osaka|fm osaka]]よりもTFMのネット率が低い、JFN系では全国最低。
#落合は96年オフに巨人から日ハムに移籍する事はなく、98年に巨人で現役を終えた。
#**[[愛知のメディア|FM AICHI]]よりも売上高、自社制作率が上と完全に格上。あっちはライバル局が強いからね。
#*あるいは97年オフに別のチームに移籍して現役を終えた。
#*でも全国同時ネットの番組は流す。
#河合じゅんじの「かっとばせ!キヨハラくん」は存在せず、本来キヨハラくんのスピンオフであったクワタくんシリーズがメインとなって連載されていた。
#開局35年以上の古参局なので、福岡の音楽シーンを一番理解している局でもある。
#「ドカベンプロ野球編」は存在しなかったか、連載開始時期が遅れていた。
#RKB毎日放送が大株主
#[[もしあのプロ野球選手が現実以上に活躍していたら/は~わ行#元木大介|元木大介はレギュラーに定着していた。]]
#看板番組のひとつに「ラジ★ゴン」があるが、この番組に出ていた某DJは札幌に移って某FM局で「さっぽろラジ★ゴン」なる番組をやっていた。
#2008年11月新社屋移転。
#*またまたFBS福岡放送さんの近所(現在入居してる電気ビルの真向かいのビルに以前FBS福岡放送さんの入居してた)
#4月にロゴを変更。FMFUKUOKAになる。


====ブチカンの噂====
===多田野数人===
#福岡人が故郷に帰ってきて最初にすることとは、ブチカンを聴くこと
#[[もしあのプロ野球選手が○○だったら#多田野数人|ここ]]に書いてあることが現実になっていた。
#*「ちょっとストリーム」最高
#立教大学は未だ野球弱小高のまま。
#**「本日のフライトはいかがでしたでしょうか?股の上でのご搭乗お待ちしております・・・」
#「右の多田野、左の和田」という言葉は「右の(別の選手)、左の和田」になっていた。
#全部Butchの所為
#3時からとエンディングだけはスタッフが真剣になる。
#*「ブチコ」と江頭2:50は、だいたい似たキャラだと思ってもらえれば。
#**キン×マ〜(バキューンという銃声のSEで声を消そうとするが、わざとタイミングを外している)
#「ミシュラン」は「メシュラン」のパクリだ!・・・と信じたい。
#*私のアソコは......


===Love FM===
===田中将大===
*[http://www.lovefm.co.jp Love FM・HP]
#シーズン24連勝する投手は存在しない。
*[[外国語FM局]]
#*過去の数々の連勝記録も更新されず。
#安定飛行中
#**いまだに「シーズン無敗・勝率10割の選手」といえば間柴茂有ただ一人。
#福岡では一番影が薄いが、全県で聞ける。
#楽天は2007年以降も最下位が続き、未だにクライマックスシリーズ出場なしだった。
#Inter FM系で、隣県でも聞けるらしい。
#*そのため2007年以降のドラフトでは目玉投手を積極的に取りに行っていた。
#*いわゆるMegaNet系のFM局は外国語放送のため、県単位ではとても経営が成り立たないということで広域放送が認められている。
#**大谷翔平の強行指名も決行したかもしれない。
#**送信出力は1kwと他在福FMの1/3だが、送信位置が違い、標高の高い所に設置してあるため、エリアが広い。
#*2013年の優勝もなかっただろう。
#**このおかげで宮崎の[[宮崎/諸県#えびの市の噂|えびの市]]辺りや鹿児島の[[鹿児島/北薩#菱刈町の噂|菱刈町]]辺りでも聴けてしまう。しかし送信所は福岡市内からは離れており、本社のある天神辺りでは悲惨な状態になる。大名の某ホテルでは見事に……
#駒大苫小牧高校は2004年の優勝のみの一発屋に終わっていた。
#**スピルオーバーという意味では他にもFM佐賀・熊本・宮崎の本局、FM大分の玖珠局、FM鹿児島の阿久根と鹿屋が類似した例。しかし出力・エリア内の人口ともにLove FMがトップとなる。
#*2005年・2006年も史実通りの成績なら2004年同様打力のチームと言われていた。
#[[九州自動車道]]を福岡に向けて走る時、熊本の[[八代]]ぐらいからもちゃんと聞こえる。故にFMKは聞かない。
#**それでも、駒大岩見沢高校は閉校していたと思う。
#夜間に都市高を流す時は、ここでキマリ!(by[[利用者:Action F|出身者]])
#斎藤佑樹の知名度も少し下がっていた。
#最近は邦楽もかかるようになり以前と比べたら魅力減。しかし、明らかに他局とは選曲センスは一線を画している。(byフィラーのサンライズは神選曲だと思ってる人)
#*むしろ上がっており、プロ入り後も史実以上に活躍していた。
#*とりあえず「After dark」→「Journey」→「Sunrise」まで一晩中洋楽を神選曲で垂れ流している。それがまたスバラシイ。
#**でも、2006年夏の甲子園は多くの人々の記憶には残らなかったかもしれない。
#リスニング対策には最適…?
#*大学進学しなかったかもしれない。
#*外国語放送局なのでニュース・天気予報の際に英語でも読まれる。時間帯によっては英語「だけ」なので日本人にはさっぱり。
#1988年度生まれのプロ野球選手が黄金世代になることはなかった。
#本社の隣にはCROSS FM、コミュニティFMのFree Waveのスタジオがある。
#*1987年、1989年度生まれは実際より豊作の世代と言われていた。
#*前田健太が史実と同じかそれ以上の活躍をしていれば1988年度生まれは「前田世代」と呼ばれていた。
#**あるいは現在でも「ハンカチ世代」と呼ばれていた。
#里田まいは芸能人と結婚し、結婚後も積極的に芸能活動を行っていた。


== 関連項目 ==
===長嶋茂雄===
*[[西日本新聞]]
#宮武三郎の東京六大学ホームラン記録は田淵幸一が更新していた。
#*立教大学野球部も史実より地味なままだった。
#巨人どころか日本プロ野球の歴史が大きく変わっていた。
#*巨人のV9もなかった。
#1980年の読売新聞不買運動も起きなかった。
#徳光和夫は大下弘のファンだったので、大下の母校である明治大学に進学していた。
#*卒業後は在福局のアナウンサーか西鉄グループに就職した。
#長嶋一茂も生まれていないため、例の落書き騒動もなかった。
#トライアスロンの日本での普及も遅れていたかもしれない。


==隣接メディア==
===野村克也===
*[[山口のメディア]]
#南海ホークスの凋落は史実よりも早まっていた。
*[[佐賀のメディア]]
#*下手すると70年代にはどこかに身売りしてたか、最悪合併していた。
*[[長崎のメディア]]
#戦後初の三冠王は王貞治。
*[[熊本のメディア]]
#日本プロ野球におけるクイックやリード等の戦術の進歩が史実よりも遅れた。
*[[大分のメディア]]
#90年代ヤクルトは黄金期を迎える事は無く、古田の通算成績や評価も史実より低かった。
#監督にもよるが、長嶋一茂は出場試合や通算成績が増加していた可能性も。
#阪神の暗黒時代からの脱却が遅れていたかも。
#*楽天の強化も。


[[Category:福岡|めていあ]]
===原貢===
[[Category:都道府県別のメディア|ふくおか]]
#三池工業、東海大相模の強豪化はなく、高校野球の歴史が変わっていた。
#*東海大学及び首都大学野球連盟も地味なまま。
#*2015年夏の甲子園は仙台育英が東北勢初の優勝を果たしていたかも。
#当然、原辰徳や菅野智之もいないので、80年代以降の巨人の歴史もまた変わっていた。
#*長嶋茂雄(第2次)の後を受けて巨人の監督に就任したのはおそらく中畑清。
#*2000年代以降巨人は低迷期を迎えたかも。
 
===張本勲===
彼は5歳の時に広島で原爆に遭っています。もしこの時居場所が悪くて×××しまっていたら
 
#当然3000本安打の達成はなく、日本プロ野球にとっての悲願になり続けた。
#*イチローの日米通算3000本安打が史実よりも大々的に取り上げられた。
#同じ在日韓国人の金村義明や金本知憲などが自分が在日韓国人であることを公表することができなかったかもしれない。
#落合博満は史実よりも注目されなかった。
#*山内一弘や金田正一などの言っていることを真に受けてフォーム改造とかに走り出していたら落合の引退も早まっていたかもしれない。
#「サンデーモーニング」の週刊御意見番の論者も変わっていた。
#*江川紹子とのトラブルも起きなかった。
 
===ベーブ・ルース===
#メジャーリーグの勢力図は大きく変わっていた。
#*野球の知名度が低かったままの可能性も。
#**むしろ、クリケットが日米を含めた世界的なスポーツになっている。
#・・・と思ったが、野球の神が名実ともにルー・ゲーリックに変わっただけだったかもしれない。若くして亡くなった分、こっちのほうが分が上がる。
#*少なくともレッドソックスのジンクスはなくなる。
#ヤンキースが強豪になる事はなかった。
 
===星野仙一===
#1970年代の中日は成績が低迷し、巨人はV10を達成していた。
#*与那嶺監督の退任も早まっていた。
#**もしかしたら与那嶺監督は退任後他のチームのコーチにならず、ハワイに帰国してたかも。
#*川上監督の任期も延び、長嶋茂雄の引退も遅れていた。
#近藤監督も優勝を果たせなかったかもしれない。
#*その場合、大洋や日本ハムの監督にならなかったかも。
#1980年代の中日は山内一弘以外にも外様監督を招聘してた可能性も。
#*根本陸夫かドン・ブレイザーあたりが就任してたかも。
#4対1のトレードで落合博満が中日に来ることはなかった。
#*その場合、当然落合は中日の監督に就任することはなかった。
#**牛島が横浜の監督にならず、中日の監督になってたかも。
#**2004年以降も中日は暗黒時代が続き、身売りされてた可能性も。
#*落合はこの時点で巨人入りしていた。
#平成以降の中日の監督は主に高木、木俣が務めていた。
#高代延博、山田久志が中日のコーチになることはなかった。
#*従って山田久志が中日の監督になることはなかった。
#*高代は三村監督の退任後も広島のコーチを続投し、広島の監督に就任していたかもしれない。
#2011年の楽天の監督には桑田真澄が就任していた。
#*その場合、清原和博は楽天のコーチになってたかも。
#当然中日だけでなく阪神にも影響が出る。→[[もし星野仙一が阪神の監督に就任しなかったら]]を参照。
 
===松井秀喜===
#1993年以降の巨人の優勝回数が大きく減っていた。
#*史実以上にセ・リーグはヤクルトの天下になっていた。
#日本人メジャーリーガーのワールドシリーズMVPは未だに出ていない。
#当然ながら、あの5打席連続敬遠は無かった。
#*馬淵史郎にダーティーなイメージは根付いておらず、純粋に高校野球界の名将として名声を得ていた。
#1992年のドラフトではバルセロナ五輪代表組が更に注目を浴びた。
#*伊藤智仁を指名する球団が増えていた。
#河合じゅんじの「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」は存在せず、「かっとばせ!キヨハラくん」の連載が長くなっていたか、イチローが主役の作品がキヨハラくんの後継になっていた。
#石川県出身の有名人の顔ぶれが地味になっていた。
#石川県はいまだに野球不毛の地と言われていた。
#星稜高校と言えば現実以上に本田圭佑の母校というイメージが強くなっていた。
#『地獄先生ぬ~べ~』に松井さんという変な顔の女子児童が登場することもなかった。
 
===松坂大輔===
#1980年度生まれのプロ野球選手が「松坂世代」と呼ばれて黄金世代になることはなかった。
#*1981年度生まれが黄金世代になっていた。
#1981年~1997年ごろの横浜高校の低迷期がもう少し続いていた。
#*場合によってはそのまま弱小に成り下がった可能性も。
#史実通り横浜高校が1998年の甲子園で春夏連覇していたら、打力のチームと言われていた。
#*あるいは対戦相手の京都成章高校が京都勢42年ぶりの夏優勝を果たしていた。
#史実通りアナウンサーになっても(仮にプロへ行っても)、上重聡の知名度は今よりも若干低かった。
#1999年以降の西武ライオンズに関しては、観客動員数が若干少なくなるのを除けば史実とあまり変わらない。
 
===森祇晶(森昌彦)===
#それでも巨人はV9を達成していただろうが、1、2回くらいは日本一を逃す年があったかもしれない。
#「背番号27=捕手の背番号」のイメージは現実ほど強くなっていなかった。
#*古田敦也は野村克也の現役時代と同じ背番号19をつけていたかも。
#80年代後半~90年代の西武の優勝回数が減り、代わりに近鉄や阪急→オリックスの優勝回数が増えていた。
#*ライオンズの通算優勝回数は平成時代のうちにホークスに再逆転されていた。
#*日本ハムも同様。よって、東京ドーム時代は一度もリーグ優勝を経験できなかったと言われる事はなかった。
#*もしかすると史実の西武に代わって、近鉄か阪急→オリックスが黄金時代を迎えていたかもしれない。
#2001年以降の横浜ベイスターズに関しては現実とほとんど変わらない。
 
==サッカー==
===澤穂希===
#女子サッカーが日本で人気になることはなく、[[もしあの国がサッカー弱小国だったら#日本_2|これ]]の一部が現実化していた。
#アメリカ代表のワンバックの日本での知名度は下がっていた。
#史実通り2011年の女子ワールドカップで日本が優勝していたら、MVPとその年のバロンドールは宮間あやが受賞していた。
#東京オリンピックの招致活動も別の人がやっていた。
 
===三浦知良===
#1980年代に日本人サッカー選手の海外留学が注目されることはなかった。
#*野茂英雄のメジャーリーグ挑戦がさらに注目されていたかもしれない。
#「カズ」の愛称はなかったか、別の選手のものになっていた。
#1998年のワールドカップでは三浦知良の代わりに別の選手が代表から外され、別の「外れるのは○○」が流行した。
#「三浦かずよし」といえば山梨県出身の実業家のことだった。
#設楽りさ子は芸能人と結婚し、芸能活動は結婚後も積極的だった。
 
==大相撲==
===琴風豪規===
元大関琴風は生後すぐ黄疸にかかり命が危なくなったがあったという。
#がぶり寄りを武器にする力士が長く現れなかった。
#千代の富士の関脇昇進は早まっただろうが、苦手意識払拭のための稽古がなかったので史実ほどの大横綱になれたか疑わしい。
#尾車部屋も創設されず豪風や嘉風らは別の部屋に入門していた。
#大関空位の場所がもう1つ増える。
 
===大鵬幸喜===
#柏戸は少なくとも10回は優勝できた(史実では5回)。
#一代年寄という制度は設けられなかった。
#白鵬には違う四股名が付けられていた。
#何らかの事情で日本に引き揚げることができず樺太に残留した場合は、サンボかレスリング、柔道の選手として活躍したかも。
#当然ながら「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉は存在しない。
 
===貴乃花光司===
#若貴ブームという言葉はなく、若乃花勝が曙のライバルとして90年代の大相撲人気を牽引していた。
#若乃花が引退後に程なくして廃業しなかった場合、父の二子山部屋を継いでいた。
#上記の場合、次代の理事長候補は当然若乃花。
#宮沢りえの芸能活動にも影響を与えていただろう。
#河野景子は「家なき子」出演以降は女優に転向していたかもしれない。
 
===稀勢の里寛===
#琴奨菊が稀勢の里の代わりにマスコミにごり押しされていた。
#高安は少なくとも大関にはならなかった。関取になれたかどうかも怪しい。
#隆の鶴の親方としての無能さがまことしやかに囁かれることも無かった。
#史実より二所ノ関一門がもっとまとまりを欠いていた。
 
===力道山===
#日本でプロレスがメジャーになることはなかった。
#*プロレスから派生した様々な格闘技も誕生していない。
#テレビの普及は史実より少し遅れていた。
#二所ノ関一門がここまでの大勢力にならなかった。
#1950年代に撮影された相撲のカラー映像は存在しない。
#声優・[[小山力也ファン|小山力也]]の名前が変わっていた。
 
==テニス==
===マリア・シャラポワ===
#2020年現在の日本における有名なロシア女子スポーツ選手といえば満場一致でザギトワ。
#*あるいはシャラポワのブレイク前に「妖精」と呼ばれていたアンナ・クルニコワの知名度が上がっていた。
#女子テニスにおける「妖精」の称号はいったい誰になっていただろうか。
 
===マルチナ・ナブラチロワ===
#マルチナ・ヒンギスの名前は変わっていた。
#*「マルチナという有名テニス選手で誰を連想するか」という設問が成立しなかった。
 
===松岡修造===
#ニコ動でのネタが一つ減った。
#*裏御三家といえば、レスリング・淫夢・エア本だった。
#*レスリング・浜崎順平・エア本でもありかも。
#錦織圭は史実通りテニス選手にはなってただろうが、そこまで活躍できなかったのではかと。
#日本人テニス選手にとってウィンブルドンのセンターコートは遠い存在と思われていた。
#『まいにち、修造!』が出版されないため、日めくりカレンダーは2015年以後も有名人の名言ものではなく、脳トレものに人気が集中していた。
#『[[斉木楠雄のΨ難]]』の灰呂杵志の設定が変わっていた。
#'''地球は氷河期に突入していた。'''
 
==バスケットボール==
===マイケル・ジョーダン===
バスケットボールの神、NBAの歴史を変えたといわれるマイケル・ジョーダンが生まれていなかったとしたら、NBAはどのようになっていたかを検証してみる。
#デトロイト・ピストンズ、ニューヨーク・ニックス、アトランタ・ホークス、ユタ・ジャズ、サンアントニオ・スパーズ、ヒューストン・ロケッツ、フェニックス・サンズなどのチームが覇権を争う群雄割拠の時代になっていた。
#デニス・ロッドマンのブルズ移籍が早まっていた。
#[[シカゴ]]の有名スポーツ選手といえばサミー・ソーサだった。
#*もしくはブライアン・アーラッカー(NFLシカゴ・ベアーズ)。
#ロス五輪でアメリカは金メダル獲れなかったかもしれない。
#バスケの神と言えば今もカリーム・アブドゥル=ジャバーだった。
#NBA選手の国籍が多様化することはなかった。
#MJという著名人と言えば満場一致でマイケル・ジャクソン。
 
===中村和雄===
#長崎女子高校の強豪化はなく、高校女子バスケの勢力図も変わっていた。
#共同石油(現:JX-ENEOSサンフラワーズ)も日本リーグ(現:Wリーグ)に上がれても常勝チームとは行かず、20世紀のうちに廃部されたかもしれない。
#オーエスジーフェニックス(現:浜松・東三河フェニックス)のbjリーグ→Bリーグ参加もなかったかもしれない。
#渋谷バスケットボールストリートのモニュメントも違う人の言葉が刻まれていた。
 
==ボクシング==
===モハメド・アリ===
#ソニー・リストンの時代はもっと長く続いていただろう。
#ジョージ・フォアマンは史実より地味な存在だったかもしれない。
#*キンシャサの知名度も下がっていた。
#**キンシャサノキセキも違う馬名になっていた。
#アントニオ猪木の(少なくともアメリカでの)知名度が下がっていた。
#*総合格闘技というジャンルも成立しなかった可能性がある。
#*中邑真輔のフィニッシュホールドも違う名前になっていた。
#カシアス内藤のリングネームも変わっていた。
#*モハネド・ヨネも。
#アトランタ五輪の最終聖火ランナーも別の人物になっていた。
 
===大橋秀行===
#昭和末期から平成初頭の日本人世界チャンピオン不在の暗黒期がより長く続いていた。
#リカルド・ロペスの日本での知名度は下がっていた。
#川嶋勝重や八重樫東らはヨネクラジムでプロになっていた。
#*井上尚弥はリオ五輪を目指し、その後は父のジムがプロ加盟して転向していた。
#*宮尾綾香は協栄かワタナベ辺りに移籍。
 
===亀田史郎===
#当然亀田兄弟も存在しないことになる。日本のボクシング界は静かなものになっていただろう。
#*その代わり井岡一法(井岡弘樹の兄で一翔の父)が暴走したかもしれない。
#**赤井英和や井岡一家の活躍と存在感次第では、大阪市西成区はボクサーの町として有名にならなかったかも。
#*協栄ジムも図に乗りかねない。
#*帝拳ジムも史実以上に叩かれていた。
#内藤大助は今より少し地味な存在だったかもしれない。
#*坂田健史も協栄ジムの後継者に指名されなかったかもしれない。
#亀田問題そのものが存在しないのでやくみつるはおとなしくなる。
#ボクシング界で亀田と言えばいまだに亀田昭雄を指していた。
 
==ラグビー==
===清宮克幸===
#21世紀に入っての早大及びサントリーの復活はなかったかもしれない。
#ヤマハ発動機の躍進もなかった。
#五郎丸歩も史実ほどの活躍ができず、おそらくブライトンの奇跡もなかった。
#清宮幸太郎も生まれていないので、2015年の高校野球に対する世間の注目度も下がっていた。
#*オコエか小笠原に注目が振り分けられていたのではなかろうか。
 
===五郎丸歩===
#2015年ラグビーワールドカップで日本代表が歴史的勝利を挙げることはなかったかも。
#当然、○郎丸姓が脚光を浴びることもなかった。
#*阪神ファンが昔のドラフトのトラウマを掘り返す事もなかっただろう。
 
==フィギュアスケート==
===荒川静香===
#トリノ五輪で日本はメダル0に終わっていた。
#*それを気に強化が行われ、その反動でバンクーバー五輪では金を獲得できたかもしれない。
 
===アリーナ・ザギトワ===
#2020年現在でも日本における有名なロシア人女子スポーツ選手といえばマリア・シャラポワ。
#*もしくはエフゲニア・メドベージェワの知名度が上がり、平昌五輪で金メダルを獲得していた。
#エテリ・トゥトベリーゼの知名度が上がる事はなかった。
 
===エテリ・トゥトベリーゼ===
#2020年現在の女子フィギュアスケートにおける低年齢化は起きなかった。
#*よってジュニアからシニアへの年齢引き上げは議論されていない。
#女子の4回転時代突入も遅れていた。
#ザギトワやメドベージェワのコーチが変わっていた。
#*というより現実でエテリの門下生になった選手は別のコーチの元へ入っていた。
#自国開催のソチ五輪でアデリナ・ソトニコワが金を獲得したので女子フィギュアでのロシアの強豪化は現実通りであるが、一人のコーチの選手達が幅を利かせる事はなかった。
 
===羽生結弦===
#ソチ、平昌五輪の男性シングルの金メダリストが変わっていた。
#*平成生まれ初の金メダリストはリオで獲得した萩野公介になっていた。
#羽生姓の国民栄誉賞受賞者と言えば満場一致で羽生善治。
#男性フィギュアでの日本の強豪化はなかったかも。
 
==その他==
===ランス・アームストロング===
#ヤン・ウルリッヒがツールドフランスで5回優勝し、「5勝クラブ」の一人になる。
#ディスカバリーチームは存在しない
#グレッグ・レモンの米国内での名声は更に大きくなる
#ドーピング問題はもっと早く露見していた
#トレックのロード自転車は今ほどメジャーにならなかった
#SPD-SLペダルは開発されず、現在もSPD-Rが生産されている。
 
=== アリーナ・カバエワ ===
#アリーナ・ザギトワの名前は変わっていた。
#新体操が現実ほど柔軟さを求められる事はなかった。
#プーチン大統領の愛人は誰になっていただろうか…。
 
===蝶野正洋===
#当然のこと、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」での年越しスペシャル「笑ってはいけないシリーズ」で月亭方正のビンタはない。
#*DVDネタも存在せず、ココリコの田中直樹のタイキックもなかったかもしれない。
#アントニオ猪木の弟子が別のプロレスラーになっていたかも。
 
===マッハ文朱===
#女子プロレスは「お色気」目当ての中年男性向けというイメージが変わることはなく、ブームは発生しなかった。
#*試合会場に少女たちが殺到することはなかった。
#*女子プロレス自体存続していなかったかも。
#レスラー志願の少女もほとんどいないので、ビューティー・ペア以降の女子レスラーの大半はプロレス界に入っていない。
 
===室伏重信===
#息子の広治、娘の由佳も生まれていないため、日本では投てき、特にハンマー投げで世界と戦える選手は皆無だった。
 
[[カテゴリ:もしあの人が存在しなかったら|すほおつ]]
[[カテゴリ:スポーツ|もしあのひとかそんさいしなかつたら]]

2021年7月14日 (水) 21:40時点における版

野球

荒川博

  1. 王貞治は一本足打法を生み出せなかった。
    • 巨人のV9もおそらくなかった。
  2. 1974年のヤクルト監督には史実より少し早く広岡達朗が就任していた。

荒木大輔

  1. 1980年代初期に「大輔」の名前が流行ることはなく、松坂大輔の名前も変わっていた。
    • TBSのスポーツマンNo.1決定戦の総合ナンバー1の名前も何人か変わっていたかもしれない。
    • 史実では1979年に1位になっているから多少は流行しても、史実より小さかったかも。

イチロー

  1. ニコニコ動画で「イチローのレーザービームで人類滅亡」なる動画が投稿される事はなかった。
  2. オリックスの1995~96年のリーグ優勝やWBC日本代表の優勝もおそらくなかった。
    • オリックスのBクラス転落も史実より早まっていた。
  3. ニッチローは有名にならなかった。
  4. 福島弓子は栗山英樹と結婚していた。

王貞治

  1. 巨人のV9はなかった。
    • それどころか戦後日本のプロ野球史が大きく変っていた。
  2. ホームラン最多記録は2017年現在でもベーブ・ルースの755本のまま。
  3. 国民栄誉賞は設立されなかった。
  4. 当然「王シフト」なんてものはない。
  5. 荒川博の知名度が史実より低くなっていた。
  6. 王シュレット事件も起きなかった。
  7. 「ON砲」や「OH砲」はなかった。
  8. 現在のソフトバンク球団会長はいったい誰になっていたのやら・・・
    • それ以前にダイエーホークスの黄金時代もなかったか遅れている。

落合博満

  1. 日本プロ野球で三冠王になった選手は王貞治以降、バースと松中信彦のみとなっていた。
  2. 近藤貞雄の監督退任後、中日が長きにわたってBクラスor最下位の常連になっていた。
    • 史実通り星野仙一が監督になっても、あれだけの実績を上げることはできなかっただろう。
    • もっともロッテはこの段階でBクラスの常連だったので、それほど変わらず。
  3. 駒田徳広は巨人で現役生活を終えていたかもしれない。
    • ただし中畑清との確執もあっただけに、いずれはFA宣言して出ていった可能性もあっただろうけど。
  4. 当然、落合福嗣も生まれていなかっただろう。

清原和博

清原選手は小学生の時に好奇心から車に飛び込んだらしいです。しかし、その際は無傷で助かっています(男道にそういう記述あり)。もしこの際、打ち所が悪く×××××してしまったら。

  1. KKコンビもない。
    • 学年が違うが「桑田+金本」という可能性もあるかもしれない。
    • kkコンビにまつわる事柄がすべてなかったことになる。
      • 『幽☆遊☆白書』の桑原和真も別の名前になっていた。
        • 名前の由来の一つがおまじないの「くわばらくわばら」だからどっち道苗字は桑原になってたんじゃないの?原辰徳と桑田で「桑原辰真」とかになってたかも。
          • そもそも桑原和真の名前の由来はおまじないの「くわばらくわばら」が先で「漢字を当ててみたら偶然KKコンビから一字ずつもらった形になったため、名前の方ももらった」らしいのでKKコンビが存在しなかった場合、下の名前は球界とは全く関係ないところから取られてたんじゃないの?
  2. 西武の黄金期にも影響を与えていた。
    • 秋山幸二はパワーヒッターのままだった。
    • 下手すれば史実より優勝回数が減っていたかもしれない。
  3. 落合は96年オフに巨人から日ハムに移籍する事はなく、98年に巨人で現役を終えた。
    • あるいは97年オフに別のチームに移籍して現役を終えた。
  4. 河合じゅんじの「かっとばせ!キヨハラくん」は存在せず、本来キヨハラくんのスピンオフであったクワタくんシリーズがメインとなって連載されていた。
  5. 「ドカベンプロ野球編」は存在しなかったか、連載開始時期が遅れていた。
  6. 元木大介はレギュラーに定着していた。

多田野数人

  1. ここに書いてあることが現実になっていた。
  2. 立教大学は未だ野球弱小高のまま。
  3. 「右の多田野、左の和田」という言葉は「右の(別の選手)、左の和田」になっていた。

田中将大

  1. シーズン24連勝する投手は存在しない。
    • 過去の数々の連勝記録も更新されず。
      • いまだに「シーズン無敗・勝率10割の選手」といえば間柴茂有ただ一人。
  2. 楽天は2007年以降も最下位が続き、未だにクライマックスシリーズ出場なしだった。
    • そのため2007年以降のドラフトでは目玉投手を積極的に取りに行っていた。
      • 大谷翔平の強行指名も決行したかもしれない。
    • 2013年の優勝もなかっただろう。
  3. 駒大苫小牧高校は2004年の優勝のみの一発屋に終わっていた。
    • 2005年・2006年も史実通りの成績なら2004年同様打力のチームと言われていた。
      • それでも、駒大岩見沢高校は閉校していたと思う。
  4. 斎藤佑樹の知名度も少し下がっていた。
    • むしろ上がっており、プロ入り後も史実以上に活躍していた。
      • でも、2006年夏の甲子園は多くの人々の記憶には残らなかったかもしれない。
    • 大学進学しなかったかもしれない。
  5. 1988年度生まれのプロ野球選手が黄金世代になることはなかった。
    • 1987年、1989年度生まれは実際より豊作の世代と言われていた。
    • 前田健太が史実と同じかそれ以上の活躍をしていれば1988年度生まれは「前田世代」と呼ばれていた。
      • あるいは現在でも「ハンカチ世代」と呼ばれていた。
  6. 里田まいは芸能人と結婚し、結婚後も積極的に芸能活動を行っていた。

長嶋茂雄

  1. 宮武三郎の東京六大学ホームラン記録は田淵幸一が更新していた。
    • 立教大学野球部も史実より地味なままだった。
  2. 巨人どころか日本プロ野球の歴史が大きく変わっていた。
    • 巨人のV9もなかった。
  3. 1980年の読売新聞不買運動も起きなかった。
  4. 徳光和夫は大下弘のファンだったので、大下の母校である明治大学に進学していた。
    • 卒業後は在福局のアナウンサーか西鉄グループに就職した。
  5. 長嶋一茂も生まれていないため、例の落書き騒動もなかった。
  6. トライアスロンの日本での普及も遅れていたかもしれない。

野村克也

  1. 南海ホークスの凋落は史実よりも早まっていた。
    • 下手すると70年代にはどこかに身売りしてたか、最悪合併していた。
  2. 戦後初の三冠王は王貞治。
  3. 日本プロ野球におけるクイックやリード等の戦術の進歩が史実よりも遅れた。
  4. 90年代ヤクルトは黄金期を迎える事は無く、古田の通算成績や評価も史実より低かった。
  5. 監督にもよるが、長嶋一茂は出場試合や通算成績が増加していた可能性も。
  6. 阪神の暗黒時代からの脱却が遅れていたかも。
    • 楽天の強化も。

原貢

  1. 三池工業、東海大相模の強豪化はなく、高校野球の歴史が変わっていた。
    • 東海大学及び首都大学野球連盟も地味なまま。
    • 2015年夏の甲子園は仙台育英が東北勢初の優勝を果たしていたかも。
  2. 当然、原辰徳や菅野智之もいないので、80年代以降の巨人の歴史もまた変わっていた。
    • 長嶋茂雄(第2次)の後を受けて巨人の監督に就任したのはおそらく中畑清。
    • 2000年代以降巨人は低迷期を迎えたかも。

張本勲

彼は5歳の時に広島で原爆に遭っています。もしこの時居場所が悪くて×××しまっていたら

  1. 当然3000本安打の達成はなく、日本プロ野球にとっての悲願になり続けた。
    • イチローの日米通算3000本安打が史実よりも大々的に取り上げられた。
  2. 同じ在日韓国人の金村義明や金本知憲などが自分が在日韓国人であることを公表することができなかったかもしれない。
  3. 落合博満は史実よりも注目されなかった。
    • 山内一弘や金田正一などの言っていることを真に受けてフォーム改造とかに走り出していたら落合の引退も早まっていたかもしれない。
  4. 「サンデーモーニング」の週刊御意見番の論者も変わっていた。
    • 江川紹子とのトラブルも起きなかった。

ベーブ・ルース

  1. メジャーリーグの勢力図は大きく変わっていた。
    • 野球の知名度が低かったままの可能性も。
      • むしろ、クリケットが日米を含めた世界的なスポーツになっている。
  2. ・・・と思ったが、野球の神が名実ともにルー・ゲーリックに変わっただけだったかもしれない。若くして亡くなった分、こっちのほうが分が上がる。
    • 少なくともレッドソックスのジンクスはなくなる。
  3. ヤンキースが強豪になる事はなかった。

星野仙一

  1. 1970年代の中日は成績が低迷し、巨人はV10を達成していた。
    • 与那嶺監督の退任も早まっていた。
      • もしかしたら与那嶺監督は退任後他のチームのコーチにならず、ハワイに帰国してたかも。
    • 川上監督の任期も延び、長嶋茂雄の引退も遅れていた。
  2. 近藤監督も優勝を果たせなかったかもしれない。
    • その場合、大洋や日本ハムの監督にならなかったかも。
  3. 1980年代の中日は山内一弘以外にも外様監督を招聘してた可能性も。
    • 根本陸夫かドン・ブレイザーあたりが就任してたかも。
  4. 4対1のトレードで落合博満が中日に来ることはなかった。
    • その場合、当然落合は中日の監督に就任することはなかった。
      • 牛島が横浜の監督にならず、中日の監督になってたかも。
      • 2004年以降も中日は暗黒時代が続き、身売りされてた可能性も。
    • 落合はこの時点で巨人入りしていた。
  5. 平成以降の中日の監督は主に高木、木俣が務めていた。
  6. 高代延博、山田久志が中日のコーチになることはなかった。
    • 従って山田久志が中日の監督になることはなかった。
    • 高代は三村監督の退任後も広島のコーチを続投し、広島の監督に就任していたかもしれない。
  7. 2011年の楽天の監督には桑田真澄が就任していた。
    • その場合、清原和博は楽天のコーチになってたかも。
  8. 当然中日だけでなく阪神にも影響が出る。→もし星野仙一が阪神の監督に就任しなかったらを参照。

松井秀喜

  1. 1993年以降の巨人の優勝回数が大きく減っていた。
    • 史実以上にセ・リーグはヤクルトの天下になっていた。
  2. 日本人メジャーリーガーのワールドシリーズMVPは未だに出ていない。
  3. 当然ながら、あの5打席連続敬遠は無かった。
    • 馬淵史郎にダーティーなイメージは根付いておらず、純粋に高校野球界の名将として名声を得ていた。
  4. 1992年のドラフトではバルセロナ五輪代表組が更に注目を浴びた。
    • 伊藤智仁を指名する球団が増えていた。
  5. 河合じゅんじの「ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん」は存在せず、「かっとばせ!キヨハラくん」の連載が長くなっていたか、イチローが主役の作品がキヨハラくんの後継になっていた。
  6. 石川県出身の有名人の顔ぶれが地味になっていた。
  7. 石川県はいまだに野球不毛の地と言われていた。
  8. 星稜高校と言えば現実以上に本田圭佑の母校というイメージが強くなっていた。
  9. 『地獄先生ぬ~べ~』に松井さんという変な顔の女子児童が登場することもなかった。

松坂大輔

  1. 1980年度生まれのプロ野球選手が「松坂世代」と呼ばれて黄金世代になることはなかった。
    • 1981年度生まれが黄金世代になっていた。
  2. 1981年~1997年ごろの横浜高校の低迷期がもう少し続いていた。
    • 場合によってはそのまま弱小に成り下がった可能性も。
  3. 史実通り横浜高校が1998年の甲子園で春夏連覇していたら、打力のチームと言われていた。
    • あるいは対戦相手の京都成章高校が京都勢42年ぶりの夏優勝を果たしていた。
  4. 史実通りアナウンサーになっても(仮にプロへ行っても)、上重聡の知名度は今よりも若干低かった。
  5. 1999年以降の西武ライオンズに関しては、観客動員数が若干少なくなるのを除けば史実とあまり変わらない。

森祇晶(森昌彦)

  1. それでも巨人はV9を達成していただろうが、1、2回くらいは日本一を逃す年があったかもしれない。
  2. 「背番号27=捕手の背番号」のイメージは現実ほど強くなっていなかった。
    • 古田敦也は野村克也の現役時代と同じ背番号19をつけていたかも。
  3. 80年代後半~90年代の西武の優勝回数が減り、代わりに近鉄や阪急→オリックスの優勝回数が増えていた。
    • ライオンズの通算優勝回数は平成時代のうちにホークスに再逆転されていた。
    • 日本ハムも同様。よって、東京ドーム時代は一度もリーグ優勝を経験できなかったと言われる事はなかった。
    • もしかすると史実の西武に代わって、近鉄か阪急→オリックスが黄金時代を迎えていたかもしれない。
  4. 2001年以降の横浜ベイスターズに関しては現実とほとんど変わらない。

サッカー

澤穂希

  1. 女子サッカーが日本で人気になることはなく、これの一部が現実化していた。
  2. アメリカ代表のワンバックの日本での知名度は下がっていた。
  3. 史実通り2011年の女子ワールドカップで日本が優勝していたら、MVPとその年のバロンドールは宮間あやが受賞していた。
  4. 東京オリンピックの招致活動も別の人がやっていた。

三浦知良

  1. 1980年代に日本人サッカー選手の海外留学が注目されることはなかった。
    • 野茂英雄のメジャーリーグ挑戦がさらに注目されていたかもしれない。
  2. 「カズ」の愛称はなかったか、別の選手のものになっていた。
  3. 1998年のワールドカップでは三浦知良の代わりに別の選手が代表から外され、別の「外れるのは○○」が流行した。
  4. 「三浦かずよし」といえば山梨県出身の実業家のことだった。
  5. 設楽りさ子は芸能人と結婚し、芸能活動は結婚後も積極的だった。

大相撲

琴風豪規

元大関琴風は生後すぐ黄疸にかかり命が危なくなったがあったという。

  1. がぶり寄りを武器にする力士が長く現れなかった。
  2. 千代の富士の関脇昇進は早まっただろうが、苦手意識払拭のための稽古がなかったので史実ほどの大横綱になれたか疑わしい。
  3. 尾車部屋も創設されず豪風や嘉風らは別の部屋に入門していた。
  4. 大関空位の場所がもう1つ増える。

大鵬幸喜

  1. 柏戸は少なくとも10回は優勝できた(史実では5回)。
  2. 一代年寄という制度は設けられなかった。
  3. 白鵬には違う四股名が付けられていた。
  4. 何らかの事情で日本に引き揚げることができず樺太に残留した場合は、サンボかレスリング、柔道の選手として活躍したかも。
  5. 当然ながら「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉は存在しない。

貴乃花光司

  1. 若貴ブームという言葉はなく、若乃花勝が曙のライバルとして90年代の大相撲人気を牽引していた。
  2. 若乃花が引退後に程なくして廃業しなかった場合、父の二子山部屋を継いでいた。
  3. 上記の場合、次代の理事長候補は当然若乃花。
  4. 宮沢りえの芸能活動にも影響を与えていただろう。
  5. 河野景子は「家なき子」出演以降は女優に転向していたかもしれない。

稀勢の里寛

  1. 琴奨菊が稀勢の里の代わりにマスコミにごり押しされていた。
  2. 高安は少なくとも大関にはならなかった。関取になれたかどうかも怪しい。
  3. 隆の鶴の親方としての無能さがまことしやかに囁かれることも無かった。
  4. 史実より二所ノ関一門がもっとまとまりを欠いていた。

力道山

  1. 日本でプロレスがメジャーになることはなかった。
    • プロレスから派生した様々な格闘技も誕生していない。
  2. テレビの普及は史実より少し遅れていた。
  3. 二所ノ関一門がここまでの大勢力にならなかった。
  4. 1950年代に撮影された相撲のカラー映像は存在しない。
  5. 声優・小山力也の名前が変わっていた。

テニス

マリア・シャラポワ

  1. 2020年現在の日本における有名なロシア女子スポーツ選手といえば満場一致でザギトワ。
    • あるいはシャラポワのブレイク前に「妖精」と呼ばれていたアンナ・クルニコワの知名度が上がっていた。
  2. 女子テニスにおける「妖精」の称号はいったい誰になっていただろうか。

マルチナ・ナブラチロワ

  1. マルチナ・ヒンギスの名前は変わっていた。
    • 「マルチナという有名テニス選手で誰を連想するか」という設問が成立しなかった。

松岡修造

  1. ニコ動でのネタが一つ減った。
    • 裏御三家といえば、レスリング・淫夢・エア本だった。
    • レスリング・浜崎順平・エア本でもありかも。
  2. 錦織圭は史実通りテニス選手にはなってただろうが、そこまで活躍できなかったのではかと。
  3. 日本人テニス選手にとってウィンブルドンのセンターコートは遠い存在と思われていた。
  4. 『まいにち、修造!』が出版されないため、日めくりカレンダーは2015年以後も有名人の名言ものではなく、脳トレものに人気が集中していた。
  5. 斉木楠雄のΨ難』の灰呂杵志の設定が変わっていた。
  6. 地球は氷河期に突入していた。

バスケットボール

マイケル・ジョーダン

バスケットボールの神、NBAの歴史を変えたといわれるマイケル・ジョーダンが生まれていなかったとしたら、NBAはどのようになっていたかを検証してみる。

  1. デトロイト・ピストンズ、ニューヨーク・ニックス、アトランタ・ホークス、ユタ・ジャズ、サンアントニオ・スパーズ、ヒューストン・ロケッツ、フェニックス・サンズなどのチームが覇権を争う群雄割拠の時代になっていた。
  2. デニス・ロッドマンのブルズ移籍が早まっていた。
  3. シカゴの有名スポーツ選手といえばサミー・ソーサだった。
    • もしくはブライアン・アーラッカー(NFLシカゴ・ベアーズ)。
  4. ロス五輪でアメリカは金メダル獲れなかったかもしれない。
  5. バスケの神と言えば今もカリーム・アブドゥル=ジャバーだった。
  6. NBA選手の国籍が多様化することはなかった。
  7. MJという著名人と言えば満場一致でマイケル・ジャクソン。

中村和雄

  1. 長崎女子高校の強豪化はなく、高校女子バスケの勢力図も変わっていた。
  2. 共同石油(現:JX-ENEOSサンフラワーズ)も日本リーグ(現:Wリーグ)に上がれても常勝チームとは行かず、20世紀のうちに廃部されたかもしれない。
  3. オーエスジーフェニックス(現:浜松・東三河フェニックス)のbjリーグ→Bリーグ参加もなかったかもしれない。
  4. 渋谷バスケットボールストリートのモニュメントも違う人の言葉が刻まれていた。

ボクシング

モハメド・アリ

  1. ソニー・リストンの時代はもっと長く続いていただろう。
  2. ジョージ・フォアマンは史実より地味な存在だったかもしれない。
    • キンシャサの知名度も下がっていた。
      • キンシャサノキセキも違う馬名になっていた。
  3. アントニオ猪木の(少なくともアメリカでの)知名度が下がっていた。
    • 総合格闘技というジャンルも成立しなかった可能性がある。
    • 中邑真輔のフィニッシュホールドも違う名前になっていた。
  4. カシアス内藤のリングネームも変わっていた。
    • モハネド・ヨネも。
  5. アトランタ五輪の最終聖火ランナーも別の人物になっていた。

大橋秀行

  1. 昭和末期から平成初頭の日本人世界チャンピオン不在の暗黒期がより長く続いていた。
  2. リカルド・ロペスの日本での知名度は下がっていた。
  3. 川嶋勝重や八重樫東らはヨネクラジムでプロになっていた。
    • 井上尚弥はリオ五輪を目指し、その後は父のジムがプロ加盟して転向していた。
    • 宮尾綾香は協栄かワタナベ辺りに移籍。

亀田史郎

  1. 当然亀田兄弟も存在しないことになる。日本のボクシング界は静かなものになっていただろう。
    • その代わり井岡一法(井岡弘樹の兄で一翔の父)が暴走したかもしれない。
      • 赤井英和や井岡一家の活躍と存在感次第では、大阪市西成区はボクサーの町として有名にならなかったかも。
    • 協栄ジムも図に乗りかねない。
    • 帝拳ジムも史実以上に叩かれていた。
  2. 内藤大助は今より少し地味な存在だったかもしれない。
    • 坂田健史も協栄ジムの後継者に指名されなかったかもしれない。
  3. 亀田問題そのものが存在しないのでやくみつるはおとなしくなる。
  4. ボクシング界で亀田と言えばいまだに亀田昭雄を指していた。

ラグビー

清宮克幸

  1. 21世紀に入っての早大及びサントリーの復活はなかったかもしれない。
  2. ヤマハ発動機の躍進もなかった。
  3. 五郎丸歩も史実ほどの活躍ができず、おそらくブライトンの奇跡もなかった。
  4. 清宮幸太郎も生まれていないので、2015年の高校野球に対する世間の注目度も下がっていた。
    • オコエか小笠原に注目が振り分けられていたのではなかろうか。

五郎丸歩

  1. 2015年ラグビーワールドカップで日本代表が歴史的勝利を挙げることはなかったかも。
  2. 当然、○郎丸姓が脚光を浴びることもなかった。
    • 阪神ファンが昔のドラフトのトラウマを掘り返す事もなかっただろう。

フィギュアスケート

荒川静香

  1. トリノ五輪で日本はメダル0に終わっていた。
    • それを気に強化が行われ、その反動でバンクーバー五輪では金を獲得できたかもしれない。

アリーナ・ザギトワ

  1. 2020年現在でも日本における有名なロシア人女子スポーツ選手といえばマリア・シャラポワ。
    • もしくはエフゲニア・メドベージェワの知名度が上がり、平昌五輪で金メダルを獲得していた。
  2. エテリ・トゥトベリーゼの知名度が上がる事はなかった。

エテリ・トゥトベリーゼ

  1. 2020年現在の女子フィギュアスケートにおける低年齢化は起きなかった。
    • よってジュニアからシニアへの年齢引き上げは議論されていない。
  2. 女子の4回転時代突入も遅れていた。
  3. ザギトワやメドベージェワのコーチが変わっていた。
    • というより現実でエテリの門下生になった選手は別のコーチの元へ入っていた。
  4. 自国開催のソチ五輪でアデリナ・ソトニコワが金を獲得したので女子フィギュアでのロシアの強豪化は現実通りであるが、一人のコーチの選手達が幅を利かせる事はなかった。

羽生結弦

  1. ソチ、平昌五輪の男性シングルの金メダリストが変わっていた。
    • 平成生まれ初の金メダリストはリオで獲得した萩野公介になっていた。
  2. 羽生姓の国民栄誉賞受賞者と言えば満場一致で羽生善治。
  3. 男性フィギュアでの日本の強豪化はなかったかも。

その他

ランス・アームストロング

  1. ヤン・ウルリッヒがツールドフランスで5回優勝し、「5勝クラブ」の一人になる。
  2. ディスカバリーチームは存在しない
  3. グレッグ・レモンの米国内での名声は更に大きくなる
  4. ドーピング問題はもっと早く露見していた
  5. トレックのロード自転車は今ほどメジャーにならなかった
  6. SPD-SLペダルは開発されず、現在もSPD-Rが生産されている。

アリーナ・カバエワ

  1. アリーナ・ザギトワの名前は変わっていた。
  2. 新体操が現実ほど柔軟さを求められる事はなかった。
  3. プーチン大統領の愛人は誰になっていただろうか…。

蝶野正洋

  1. 当然のこと、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」での年越しスペシャル「笑ってはいけないシリーズ」で月亭方正のビンタはない。
    • DVDネタも存在せず、ココリコの田中直樹のタイキックもなかったかもしれない。
  2. アントニオ猪木の弟子が別のプロレスラーになっていたかも。

マッハ文朱

  1. 女子プロレスは「お色気」目当ての中年男性向けというイメージが変わることはなく、ブームは発生しなかった。
    • 試合会場に少女たちが殺到することはなかった。
    • 女子プロレス自体存続していなかったかも。
  2. レスラー志願の少女もほとんどいないので、ビューティー・ペア以降の女子レスラーの大半はプロレス界に入っていない。

室伏重信

  1. 息子の広治、娘の由佳も生まれていないため、日本では投てき、特にハンマー投げで世界と戦える選手は皆無だった。