「もしあの地震が○○だったら」の版間の差分
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===北海道南西沖地震(1993年)=== | ===北海道南西沖地震(1993年)=== | ||
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#津波襲来をとらえた写真が残されている。 | #津波襲来をとらえた写真が残されている。 | ||
#*インド洋大津波より10年以上前に多くの人々が津波の恐怖を認識できていた。 | #*インド洋大津波より10年以上前に多くの人々が津波の恐怖を認識できていた。 |
2016年11月30日 (水) 21:47時点における版
独立項目
19世紀以前
天正地震(1586年)
- 発生しなかったら
- 内ヶ島家は今でも存続。
- 鉱山掘りとしてある程度活動していた。大阪の陣の堀埋め立てをやっていたかも。
- 後に甲府や佐渡、石見でも活躍、近代鉱山の礎を築いた。
- 江戸時代、譜代大名になっていれば、幕末頃には10万石くらいになっていたかも。
- 後に甲府や佐渡、石見でも活躍、近代鉱山の礎を築いた。
- 鉱山掘りとしてある程度活動していた。大阪の陣の堀埋め立てをやっていたかも。
- 織田信雄は長島城を天守にしたまま清洲移転はなかった。
- 一豊の娘与祢は死ななかった。
濃尾地震(1891年)
- 発生しなかったら
- 内陸型地震の脅威はあまり知られていなかった。
- その分、阪神淡路大震災の淡路島における被害が大きかった。
- 恐らく、現時点で内陸型地震の代表と呼ばれるのは阪神淡路大震災か。
- 「根尾谷」などという地名を知っているのは地元のごく限られた人に過ぎない。
- 鉄道唱歌(東海道編)の岐阜の部分の歌詞が「長良の川に灯を映す」あたりになっていた。
明治東京地震(1894年)
- マグニチュード8クラスだったら
- 死者は10万人前後だった。
- この地震による災害は「東京大震災」と呼ばれる。
- 場合によってはこの地震による災害が「関東大震災」と呼ばれていた。この場合、1923年に発生した史実の関東大震災は「大正関東大震災」と呼ばれていた。
- この世界だと、1894年の地震による災害は「明治関東大震災」と呼ばれる。
- 場合によってはこの地震による災害が「関東大震災」と呼ばれていた。この場合、1923年に発生した史実の関東大震災は「大正関東大震災」と呼ばれていた。
- 確実に日清戦争で負けていた。
- 東京湾北部断層で発生していたら可能性はあった。
- 首都直下型地震の被害想定モデルはこの地震の被害をもとに作られていた。
- その分、史実の関東大震災の被害は少なかった。それでも死者は数万人出ていたかも。
- 史実通り関東大震災が発生していたら遷都が検討されていたかも。
1900~1980年代
西埼玉地震(1931年)
- 関東大震災並みの被害を受けていたら
- 恐らく大きな被害受けるのは埼玉県と群馬県と栃木県辺り。場合によってはこの地震による災害が「北関東大震災」と呼ばれていた。
- 南関東大震災(史実の関東大震災)と北関東大震災(史実の西埼玉地震)と別れて呼ばれていたかもしれない。
- 川越の昔の町並みは地震によって壊れてしまう。その分修復費がかかっていたかもしれない。
- 津波に関しては内陸で起きているので恐らく起きていない。
- この地震により内陸県でも地震の被害を受けるということで内陸県も地震対策が史実以上に進んでいたかもしれない。
- マグニチュードは7~8間辺り。
- 一部関東大震災の余震という報道もあったかもしれない。
- 史実の関東大震災でも大きな被害を受けていたから、首都を地震や台風の被害がほとんどない京城に移転する声が出てきた。
昭和東南海地震(1945年)
- 3年早く発生していたら
- 発生日が1941年12月7日だったら
- 史実の真珠湾攻撃の前日なので真珠湾攻撃が延期されていた。
- 1年遅く発生していたら
- 発生日が1945年12月7日だったら?
- 終戦直後だったので情報統制も緩いと思われるが、それでも混乱状態だったので被害規模が不明だった所もあったか。
- 三河地震(1945年1月13日発生)が前兆地震ということになっていた。
- 動員学徒などもういないため犠牲者は減っていた可能性が高い。
南海地震(1946年)
- 数年早く発生していたら
- 時期としては東南海地震(1944)の直後か。
- 新聞紙上の報道は一面ではなく真ん中のベタ記事。
- そのため後世の調査では影響が出ていた。
- 高知県など被災地への支援が遅れ犠牲者はさらに増えていた。
福井地震(1948年)
- 発生しなかったら
- 阪神淡路大震災まで震度7は存在せず。
- 阪神淡路大震災でも5と6が強弱に分割されただけだったかも。場合によっては10段階にするため4も分割されたかも。
- 震度7の導入は東日本大震災を待つことに。
- 阪神淡路大震災でも5と6が強弱に分割されただけだったかも。場合によっては10段階にするため4も分割されたかも。
- 福井県の衰退はもう少し遅かったか?
- 少なくとも「江戸時代の十大都市が平成では一地方都市」ということにはならなかった。
- そうなると、北陸地方の中心は石川県ではなく福井県に?
- とは言っても、やはり中心は石川だったと思う。少なくとも福井県の人口が100万人を切ることはなかった。
- 北陸は現在よりも地位が高かった。
- 北陸新幹線は国鉄時代に開通していた。
- そうなると、北陸地方の中心は石川県ではなく福井県に?
- 少なくとも「江戸時代の十大都市が平成では一地方都市」ということにはならなかった。
- 大和百貨店は早くとも20世紀末まで福井店を続けていた。
チリ地震(1960年年)
- マグニチュード10クラスだったら
- 実際にマグニチュード10は地球上で起こりえる最大規模だと言われておりますが…。
- 日本でも10m以上の津波が観測されていた。最大観測は20mか?
- 東北沿岸は三陸地震並み、西日本沿岸は南海地震並みになっていた。
- 死傷者数はチリ内だけでも1万人。最悪3万人になっていた。
- 死傷者数が6000人どころか10倍~100倍になっていた。
- もしかするとチリ地震ではなく、チリ大地震と呼ばれていた可能性もあり得る。
- 史実通り津波に対する認識が甘ければ、日本の津波被害は想像を絶するくらい受けていた。
- 但し、史実以上に巨大防潮堤を建造しているため、その後の地震による津波被害は最低限に落ち着いたかも。
- 各地に津波の石碑が建っていた。
- 但し、史実以上に巨大防潮堤を建造しているため、その後の地震による津波被害は最低限に落ち着いたかも。
- 確実に南米どころか北米・中米まで地震による被害を受けていた。
- パナマ運河がこの地震でしばらくの間通れなくなっていた。
新潟地震(1964年)
- 発生しなかったら
- 地震保険は阪神淡路大震災まで存在しなかった。
- コンビナート火災もあまり知られず、東日本大震災の被害が拡大していた。
- 中越地震まで新潟県には地震安全神話があり、その影響もあって中越地震の被害はさらに大きかった。
1990年代
北海道南西沖地震(1993年)
- 発生が昼間だったら
- 迅速に避難できるため犠牲者は減っていた・・・と信じたい。
- 津波襲来をとらえた写真が残されている。
- インド洋大津波より10年以上前に多くの人々が津波の恐怖を認識できていた。
- 空からの救援もやりやすかった。
- プロパンガスボンベが火元のため火災発生はどのみち避けられない。
北海道東方沖地震(1994年)
- 震源地が○○だったら
- 北方領土寄りだったら
- 震源地は恐らく択捉島辺り。北海道の被害はそれほど受けなかったと思われる。但し、その分北方領土の被害が大きくなることに…。
- 色丹島だけじゃなくて他の北方領土の島も衰退していたかもしれない。
- 場合によっては北方領土問題に影響し、歯舞色丹国後の三島返還でカタがついていたかも。
- 色丹島だけじゃなくて他の北方領土の島も衰退していたかもしれない。
- 恐らく日本として震災ではなくロシアとしての震災になっていたかもしれない。恐らくイトゥルップ地震と呼ばれていた。
- 北海道寄りだったら
- 釧路市か根室市辺りで震度7を観測していた可能性がある。その分北海道の被害が大きくなっていた可能性がある。
- 負傷者は多くて800~1000人ぐらい居ただろうな…。
- 色丹島は史実通り衰退していたか?
ネフチェゴルスク地震(1995年)
- 日本でも被害を受けていたら
- 日本でも被害受けたとは言っても、稚内市の北海道北部ぐらいしか大きな被害を受けていないか。
- 北海道では阪神淡路大震災の影がやや薄くなっていた。
- 震源地がネフチェゴルスクではなく最もサハリン南部だったらあり得た。
- 史実通り同じ震源地なら恐らくマグニチュードは8後半~9前半になっていた可能性がある。
- 場合によっては津波が起きかねない。その場合北海道北部を中心に被害を受けていた。
- 史実通り同じ震源地なら恐らくマグニチュードは8後半~9前半になっていた可能性がある。
イズミット地震(1999年)
- イスタンブール直下が震源だったら
- 名称が「イスタンブール大震災」になっていた。
- 旧市街の歴史的建造物に被害が続出。
- 例:モスクのミナレットがあちこちで無残に折れる。
- 危機遺産リスト入りしていた恐れが非常に高い。
- ボスポラス橋が倒壊していたらアジア側とヨーロッパ側が完全に分断されていた。
- 観光客の犠牲者も多い。
- マルマライ計画は防災の側面も持たされていた。
- イスタンブールのオリンピック招致にも影響があったはず。
921大地震(1999年)
- 発生しなかったら
- 集集のイメージといえば満場一致で「日本時代の古い駅舎」。
- 台湾の防災日は全く別の日に。
- この地震で日月潭が被害を受けなかったため現在ももっとにぎわっていた。
- 大安溪大峡谷は存在しない。
- 東日本大震災後の台湾からの支援がやや少なくなっていた可能性あり。
2000年代
鳥取県西部地震(2000年)
- 1年早かったら
- ノストラダムスの予言と合わせた陰謀論が多数出ていた。
- 災害訓練より前の話だったため、死者が数名出ていた。
- マグニチュード8クラスだったら
- この場合は世紀末と合わせた陰謀論が広がっていた。
- 「1年遅いノストラダムス」とも。
- 死者は鳥取・島根の両県で出ていた。
- 山陰の過疎化が史実より著しく進行していた。
新潟県中越地震(2004年)
- 発生しなかったら
- 2004年の新潟での自然災害は7.13水害関連の報道で占められていた。
- 新幹線200系K25編成は2007年現在も現役。
- もちろん「ときタン」のフラッシュが製作されることはなかった。
- 脱線事故が無かったため、新幹線の安全性もそれほど注目されていない。
- 長岡市の合併後、旧山古志村の長島忠美村長が衆議院議員になることはなかった。
- 中越・魚沼両地方の人口減少は緩やかだった。
- 映画『マリと子犬の物語』が製作されることはない。
- 県内の公共施設の地震対策が進んでいないため、2007年中越沖地震の被害がさらに拡大していた可能性も。
- 一方「中越地震」と「中越沖地震」が紛らわしい、という事は無かった。
- 「中越沖地震」が「中越地震」になっていた。
- 2度立て続けには起こっていないので、新潟に地震のイメージが着くこともなかった。
- 一方「中越地震」と「中越沖地震」が紛らわしい、という事は無かった。
- 地震発生時魚沼の実家にいた大桃美代子が注目されなかった。
- 新潟アルビレックスのプロ野球参入も実現していた・・・か?
- アニメ『ポケットモンスター アドバンスジェネレーション』で「ゆれる島の戦い! ドジョッチVSナマズン!!」は予定通り放映されていた。
- そのため「海の男! 四天王ゲンジ登場!!」は第102話として放映されていた。
- 「じしん」等の地面を揺らす技がその当時は自粛される事はなかった。
- そのため「海の男! 四天王ゲンジ登場!!」は第102話として放映されていた。
- 2ちゃんのアニメ関係の板が分割される時期が遅れていた。
- 数日前に豊岡市で発生した台風23号被害がもっとクローズアップされていた。
- 三洋電機の経営悪化はなかったかもしれない。
- パナソニックに吸収されることもなかった。
福岡県西方沖地震(2005年)
- 直下型地震だったら
- 九州及び、日本の経済に大打撃を与える。
- 2000年代中盤の一時的な景気回復がなく、バブル崩壊後ずっと就職難が続いていた。
- 阪神淡路大震災然り東日本大震災然り、海外からは「景気回復の兆しが見えると共に大地震が起こる」と思われる。
- 2000年代中盤の一時的な景気回復がなく、バブル崩壊後ずっと就職難が続いていた。
- 太宰府天満宮等の貴重な史跡が跡形も無く崩壊する。
- 線路が寸断された宮地岳線は復旧することなく休止のまま全線廃止に。
- 老朽化の上、免震構造でないビルが多いために神戸より被害が拡大する。
- 西鉄天神大牟田線の高架橋が崩壊している画像が全国に流れる。
- その後も一足先に復旧したJR九州の鹿児島本線に客を奪われ、関西や中京の大手私鉄と同様に利用客減少に悩むこととなった。
- そのため天神大牟田線は日中の急行を廃止して特急に統一され、同時に停車駅も増えて日中の特急に3扉車が混用されるようになる。
- JRは小倉-博多-大牟田に特別快速を最高速度130km/hで設定(小倉-博多は49分、博多-大牟田は45分で運転)。九州新幹線全線開業後は毎時2往復に増発され、小倉-博多-大牟田では快速と合わせて毎時4往復となり完全に西鉄を突き放す。
- 北九州-福岡間の高速バスにも影響が出ていたかもしれない。
- その後も一足先に復旧したJR九州の鹿児島本線に客を奪われ、関西や中京の大手私鉄と同様に利用客減少に悩むこととなった。
- 佐賀県や熊本県にも被害が拡大していた恐れあり。
- 長崎の壱岐は実史以上に酷くなった
- 玄海島はその後無人島に
- 福岡空港も都心に近いため被害が大きく、長期間使用不能となる。
- 佐賀空港が無事だった場合、ここが第二空港として存在が見直されていた。
- 北九州空港の移転(史実では2006年3月)も半年ほど前倒しされていた。
- 死者は約6000~7000人。
- 漫画『スケッチブック』で地震を題材にした話が作られていた。
- 熊本市・佐賀市・大牟田市が近年発展。
- 北九州市も永年の低迷から見事復活を果たし、福岡市民に「キタキュー」と蔑視されることもない。
- ただし、他地区も被害が膨大だったらこの限りではない。
- 民間企業の多くが支社・支店を福岡市内から小倉に移転させたり、門司に戻させたりしていた。
- 大分市の人口も平成10年代のうちに50万人を突破していた。
- 熊本市は省庁の出先機関の福岡からの移転もあり人口が大きく増加。さらに宇土市などを吸収合併して人口100万人を達成していた。
- 北九州市も永年の低迷から見事復活を果たし、福岡市民に「キタキュー」と蔑視されることもない。
- 福岡県内を走る山陽新幹線が脱線し、多数の死傷者が出る。
- 新幹線開業以来死者0の記録が途切れてしまう。
- 震災1週間までは新下関止まり、復旧を持って博多まで運行を再開した。
- おそらく関門トンネルの被害が無ければ、1週間で小倉まで運転再開。
- もしかしたら復興もかねて小倉-博多間に新駅ができていたかも。
- 福岡ドームが地震で被害を受けたため、2005年のプロ野球パ・リーグの試合日程が遅れることとなった。
- セ・パ交流戦の日程にも影響を与えていた。
- 埋立地に球場が立地していることから、液状化により場合によっては修復不能と言えるほどの損傷を受けていた可能性もある(地震の程度にもよるが)。
- 最悪球場の建て替えか移転を余儀なくされた可能性もある。
- その場合、球場の工事期間中はホークスは近県の球場を借用していたか、かつてのロッテのようなジプシー球団となっていたかも。
- 2005年以降のホークスは現実ほど強くなかったかもしれない。
- その場合、球場の工事期間中はホークスは近県の球場を借用していたか、かつてのロッテのようなジプシー球団となっていたかも。
- 最悪球場の建て替えか移転を余儀なくされた可能性もある。
- 同年4月25日に発生した福知山線脱線事故の扱いがやや小さくなっていた。
- 九州新幹線鹿児島ルートの全線開通が1~2年遅れていた。
- 鹿児島から九州北部へのストロー現象も発生しなかった。
- 博多駅の新駅ビルは震災復旧に合わせて建設されていた。
- 2007年の大河ドラマは、当初の予定(風林火山)から福岡県を舞台にしたものに急遽変更。
- 戦国だと、黒田孝高&長政親子。
- この場合2014年が「風林火山」になって小海線のハイブリッド車にラッピングが施されるかも。
- 戦国だと、黒田孝高&長政親子。
- 2007年春期の朝ドラも、福岡県を舞台にしたものになる。
- この場合だと、「花子とアン」か?
- 柳原白蓮主人公の朝ドラが作られる。
- 村岡花子主人公の朝ドラも後に作られるが、柳原白蓮の出番は大きく省略され、むしろ馬込文士村における文士達との交流が強調される。
- 柳原白蓮主人公の朝ドラが作られる。
- 「どんど晴れ」の舞台となる旅館(加賀見屋)が、岩手県から福岡県に設定変更される。
- ラストシーンで加賀見屋が参加する祭りが、さんさ踊りではなく博多祇園に。
- 主題歌が、小田和正から福岡県出身の歌手に変更。
- 当時、朝ドラになって居ない県を順番に舞台にしていたので、瞳の出身地が北海道から岩手県に変更される。(史実だと、岩手(どんど晴れ)→福井(ちりとてちん)→[瞳]→島根(だんだん)→埼玉(つばさ))
- この場合だと、「花子とアン」か?
- 2005年の博多どんたくは中止されていた。
- 震災復興を掲げて2016年か2020年の五輪に立候補し、当選していた。(実際には2016年五輪の国内候補都市に立候補し落選)
- 「3.20」が合言葉となっていた。
- 消費税8%は、遅くとも2012年10月までには施行されていた。
- 史実以上に復興資金を費やすことになり、2014年3月まで5%を続けるのは困難と予想される為。
- テレビ西日本局舎が倒壊していた可能性もある。
- 2011年に福岡市の人口が京都市のそれを抜くことはなかった。