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==ラジオNIKKEI(日経ラジオ社)==
{{Pathnav|もしWiki|歴史のif検討委員会}}
===終夜放送を行っていたら===
==都市銀行同士==
#競馬関係の番組を放送していた。
===UFJ銀行+あさひ銀行===
#*競馬関係者の冠番組が、現実より多くなっていた。
*三和銀行+東海銀行+あさひ銀行
#*土日は、競馬一色になっていたかも。
#大和は東京三菱と合併していた。
#もしかしたら、アニラジが多くなっていたかも知れない
#それでも旧埼玉関係者は対立したままで、後に「新埼玉銀行」を設立していた。
#「オールナイトニッポン」のような帯番組を放送していただろう。
#現実のUFJ及びりそなほど経営は悪化していないだろう。
#*「ヤバイ決算で東京三菱に救済されたUFJ」 + 「大和に救済されたあさひ銀」では寧ろもっと酷かった可能性のほうが大きい。
#社名は「UFJ銀行」のままだろう。
#[[日立製作所]]が推進する指静脈認証を採用したため掌静脈認証が早く衰退してしまった。
#旧埼玉銀行の伝統を引き継ぐ旧あさひ銀行が誇っていた埼玉県内のきめの細かい支店網が、まっさきにリストラや店舗の統廃合の対象とされた。
#*それゆえ、埼玉県関係者らは激怒し、埼玉りそな銀行のように、'''埼玉三和東海あさひ銀行'''を設立するよう訴える。
#**武蔵野銀行が(新たな)埼玉銀行と改称した上で、埼玉県および県内の市町村の金融機関となり出世する。
#**というか、りそなが国有化された時、実際に埼玉県議会で埼玉りそなを県が出資する埼玉県民銀行にするとかいう構想出てたよな。
#*実際には店舗網はほぼ史実の埼玉りそなと同じで埼玉UFJ銀行(本店大宮)とかになってたんじゃなかろうか?
#*さすがに高収益の埼玉の店舗を減らすことは東海銀同様にあまりなかっただろうと思われる。ただ埼玉系の行員は東海系と同じような扱いを受けただろう。


===日本経済新聞系列の放送局でなかったら===
===三井住友UFJ銀行===
日本短波放送の時代より日本経済新聞が筆頭株主であり、2003年に日経のグループ整理に伴い、社名が「日経ラジオ社」となりました。
#どのみち名古屋本店の都市銀行は消滅していた。
*もし、日経の系列に入ってなかったら?
#名古屋圏での影響力維持を目指す東京三菱銀行の主導で、十六・百五・愛知三行が合併していた。
#もちろん、今でも「ラジオたんぱ」を名乗っていた。
#セディナは史実のOMCカード+セントラルファイナンス+クオークにUFJニコスを加える形で発足していた。
#経済関係の番組はあまり多くなかったかも知れない。
#*OMCカードはMTFG傘下になっていたかもしれない。
#UFJつばさ証券、SMBCフレンド証券、トヨタファイナンシャルサービス証券が合併し「三井住友UFJ証券」が発足。
#*東海東京証券(UFJ銀行時代にUFJグループを離脱し三井住友海上傘下に)入れるの忘れてた。
#カブドットコム証券のコーポレートカラーは緑のまま。
#*もしかしたら史実とは逆に伊藤忠商事の子会社になっていたかも知れない。
#トヨタ自動車は名実共に三井グループの一員に。
#*三菱航空機に出資することはなく、傘下におさめた富士重工業を通じて国産航空機開発に乗り出していた。
#三越は史実の伊勢丹とではなく、高島屋かH2Oリテイリングと経営統合していた。
#*下手したら松坂屋を加えた4社統合が実現したかも。


===社名が『日本短波放送』のままだったら===
===三菱第一銀行===
*→[[もしあの放送局の社名・愛称・略称が変わっていなかったら]]
*第一銀行 + 三菱銀行(1969年に一度合併契約書に調印までしながら破談)
#合併当初はそれなりに第一銀行側(というより当時の長谷川頭取)も発言力があるので、コンピュータは第一銀行との繋がりで富士通を採用。
#ただ、たぶん10年もしないうちに「第一」の文字が取れて「三菱銀行」に名前が戻る。
#*おそらく東京銀行との合併も史実通り(「第一」の文字が残っていたとしてもここで「東京三菱銀行」になる)。
#古河グループや川崎重工など第一系の企業が三菱グループにいいように食い物にされる。
#伊藤忠商事はメインバンクが住友銀行のままとなるため、住友商事の影響下から抜け出せない。
#日本勧業銀行は他の都銀との合併を模索する。
#*太陽銀行・神戸銀行との三行合併あたりが有力か。
#**三井銀行と合併して『三井勧業銀行』になっていた可能性も。
#**むしろ富士銀行あたりと合併して『富士勧業銀行』となっていたかもしれない。
#**(勧銀が)太陽・神戸両行or三井銀行と合併していた場合、太陽神戸三井銀行(→さくら銀行)は誕生しなかった。


===プロ野球中継から撤退しなかったら===
===富士銀行+三和銀行===
*→[[もしあの企業が○○から撤退していなかったら#ラジオNIKKEI|プロ野球中継から撤退しなかったら]]
#本店は東京大手町の富士銀行本店
#*三和銀行本店が富士三和銀行大阪営業部を名乗っていた。
#*三和銀行東京営業部は店名こそ変更されないがバブル崩壊とともに本店に統合建物は東京建物に売却されている。
#**それでも史実とほぼ同時期に再開発される。
#*富士銀行大阪支店(現実のみずほ銀行大阪支店)実店舗としては大阪営業部に統合し東京建物によって再開発の対象となっていた。
#システムは三和銀行(日立製)のシステムに統一される。
#*日立が芙蓉グループでもあるため。
#*政治的に日立を育成するため。
#法律上の存続会社は富士銀行
#対等過ぎ規模も大き過ぎるため第一勧業銀行以上い効率が悪いと皮肉られることが多いが、たすき掛け人事を徹底していたと言われる。
#*しかし、合併から30年経ち(東京一極集中の影響もあり)完全に人事的に富士銀行が主導権を握ることになる。
#銀行業界全体が田中角栄の『都銀六行集約論』から金融再編が現実より早かった。平成初期には金融再編が6行に再編されている。
;1975年ごろ
#三井銀行が確実に合併が早かった。
#*おそらく住友銀行か協和銀行あたりと
#*または大和銀行と協和銀行が合併してたかも
#*バブル期の貸し出し競争は現実程の熱はない。むしろ第一勧銀と住友銀行による貸し出し競争が現実のものとなる。
;2000年ごろ
#東海あさひ大和銀行が現実のものになっていた。
#第一勧銀と興銀はどこと合併しただろうか。
#第一勧銀が日債銀,興銀が長銀と合併したかもしれない。


==東京MXテレビ==
==都市銀行+地方銀行==
===史実より早く開局していたら===
===新北海道銀行===
;1970年代に開局していたら
*[[北海道の企業#北海道拓殖銀行|北海道拓殖銀行]]+[[ほくほくフィナンシャルグループ#北海道銀行|北海道銀行]]
#教育番組中心の編成になってたかも。
#経営が苦しいのは変わりないが、少なくとも破綻へ追い込まれることはなかっただろう。
#*90年代以後も教育番組は健在。石原慎太郎が知事に就任してからは、道徳や歴史の番組に妙に力を入れ始める。
#*よって、北海道経済がどん底まで落ちる事はなかった。日本経済の低迷とほぼ同レベル。
#**石原知事主導の教育番組に労働組合が反発。頻繁に争議が起きていたかもしれない。
#*むしろ一度破綻処理させた後の受け皿として北海道銀が出ていたのでは?
#*NETと東京12チャンネルの一般局化に伴って、両局で放送していた教育番組の一部が移行してきたかも。
#[[北海道の企業#北洋銀行|北洋銀行]]が「道民の銀行」と呼ばれる事はなかった。
#**両局の関係者が、開局のために様々な面で協力したかもしれない。
#*札幌銀行との合併が早まっていた。
#***表向きは「新局開局のための支援」だが、本音は「教育番組を<del>押し付けて</del>引き受けてもらって自分たちは一般局になりたい」
#**そして行名は「'''札幌北洋銀行'''」に。
#***両局の役員は、一般局化を認めてもらうために、史実以上に?積極的に郵政官僚や政治家に働きかけた。
#***逆に札幌銀行も勝ち馬に乗る形で北海道銀行と統合したかもしれない。
#**東京12チャンネルから移行した工業高校向けの番組は、少なくとも1980年頃までは続いた(史実の東京12チャンネルでは73年度末まで)。
#*「北洋大通センター」も建てられなかった。
#***科学技術学園高校向けに今でも続いていたかもしれない。
#夕張の財政再建団体入りもなかった。
#社名も[[テレビ東京|ココ]]にならって「東京14チャンネル」にしていたかも。
#*まあどっち道寿命が少し延びるに過ぎんと思うが・・・
#[[wikipedia:ja:NHK UHFテレビ実験局|NHK東京テレビ実験局→放送試験局]]は別チャンネルになっていた。
#*それとこれとは別問題だろう。かりに北拓が潰れてなくても、旧態依然の乱脈運営と産業構造の変化になんの対策も打てない自治体は早晩潰れたに違いない。
#*あるいは、試験放送休止後に開局していた。
#道外店舗はやはり大手に譲渡された
#高校野球東京大会の中継には史実より力を入れている。
#*譲渡先は、現実のあさひか大和あたりに譲渡された。
#*国立高校初出場の時や、荒木大輔の現役時代の盛り上がりは史実以上のものになっていた。
#函館ではみちのく銀行の入る隙がなかった。
#*パリーグ(特に日本ハム戦)の中継にも力を入れていそう。
#北陸銀行も北海道から撤退していた。
#開局時期によってはオイルショックによりいきなり存亡の危機に立たされた。
#*あるいは北陸銀行と北洋銀行が合併していた。
#*[[群馬のメディア#群馬テレビ|ここ]]と同様に上記のようになった場合、放送開始が夕方(下手すると夜)・放送終了が21時とかになっていた。
#*撤退と同時に道銀,みちのく銀行の3行経営統合を実現したかもしれない。
#開局がエフエム東京と同時だ。
#札幌テルメもまだ営業していた。
#テレビ東京の前身が東京都域局として開局していたら、ここは開局構想すら上がらなかった可能性もある。
#*シャトレーゼの北海道での知名度はゴルフ関係しか知られなかった。
#*東京都域ではない。
#丸井今井は規模拡大を続け、帯広・北見などにも出店していた。
#*その場合、テレビ東京の総合チャンネル化が史実より早まった。
#*それどころか、本州にも進出。
#*つ[[三条市]]…と冗談はさておき東北のどこかに進出とかはありえたかもしれない。
#北海信用金庫があそこまででかくなることもなかった。
#名古屋から支店が消える事態はなかった。
#*その場合本州にあった北拓の支店で残るのは名古屋支店で、ほかは北海道銀の東京、大阪、仙台、八戸、青山、新宿に統合扱い。なお、その後の大阪、八戸、青山、新宿の統廃合は予定通り。
#[[テレビ北海道]]の全道エリアカバーが、遅くとも地上デジタル放送開始までには実現していた。
#*銀行の統合と地デジ化は全く関係ないと思うんだが……
#*バブルのツケという観点で経営破綻がなくても現実よりまし程度だと思う
#都市銀行を返上していた。
#ニトリが無借金経営を行うこともなかったかもしれない。


;1980年代に開局していたら
===あさひ銀行+横浜銀行===
#(当時問題になっていた)「いじめ」をテーマにした番組が放送されていたかも。
*公式には発表されていなかったが、90年代末期、あさひ銀行の非主流派であった旧埼玉系が横浜銀と計画していた。
#サンテレビ・近畿放送(当時)などとも仲良くなっていた。
#三和東海あさひ構想は、あさひが浜銀を選んだため結局破談に。その後の三和+東海→UFJ→三菱UFJ銀行の流れは現実と同じ。
#*実質的なネットワークのようなものを組んでいた。
#神奈川県民が調子乗ってる時に吐かす「横浜銀行って都市銀行じゃなかったの?」はある意味事実になる。
#エフエム東京と同時開局というのが自然か?
#首都圏という地盤を同じとする[[みずほ銀行]]との差別化に苦心した挙句、結局大企業よりも中小リテールという現実のりそな銀行と同じ戦略に出ることになる。
#*TFMの開局は1970年。
#*場合によっては、ここで戦略が似ている大和銀HDと対等合併で経営統合になる可能性もある。この場合、あさひ銀は旧横浜銀と旧埼玉銀の収益や資産のおかげでそこまでヤバくなっておらず、よってりそなショックもなかった。
#「東京でしか見られない放送局」として地方から上京してきた若者の間で特別視された。
#**この場合はりそな本体と埼玉りそな、横浜りそな、奈良りそな、近畿大阪の5行がりそなHDの傘下銀行になっていた。
#*大和銀と統合してなかった場合、旧横浜銀行の首都圏地銀と密接な関係を活かして、千葉銀や常陽銀などとATM相互開放を2000年代の早い時期から行ってみずほに対抗していた。だが関東以外のエリアの地銀とは今ほど提携はなかったと思われる。
#**この場合、2015年頃に起きた地銀再編の大きな流れの中で東日本銀は勿論のこと千葉銀や常陽銀、群馬銀など関東の優良地銀と統合していた可能性も捨てがたい。
#***この様にならなかった場合は逆に、関東の地銀が大連合を作って統合し対抗していただろう。
#行内人事は旧横浜銀系が旧埼玉銀系と手を結び主流派になり、協和銀系は非主流派として閑職に。
#後に足利銀行を経営統合している。この際持ち株会社を設立。社名は「関東フィナンシャルグループ」か。


;1990年代前半に開局していたら
==信託銀行==
#現実とあまり変わらず?
===住友UFJ信託銀行===
#(当時できたてほやほやの)Jリーグ中継に力を入れていたかも。
#日本最大のメガ信託となっていた。
#*ただし当初は東京が本拠地のチームが存在しなかったため特定のチームを重視するような姿勢にはならなかった気がする。
#合併の数年後に行名を元の「住友信託銀行」に戻される。
#**早い時期から東京移転が噂されていたヴェルディは日本テレビが筆頭株主のためあまり大きく扱えない。
#***柏レイソルの公式戦の中継を史実よりも早くやっていた。
#サンテレビ制作の阪神タイガース主催試合中継をネットしていた試合数が史実よりも多くなっていた。
#遅くても、1993年頃までに開局していた。
#*茨城放送と同時に開局していた可能性もある。


===史実より遅く開局していたら===
==地方銀行同士==
;21世紀初頭に開局していたら
===平成銀行===
#21世紀としては初めて開局した民放テレビ局として認められていた。
*徳陽シティ銀行・北日本銀行・殖産銀行
#放送研究者などの間で「インターネットなどとは異なる21世紀ならではのテレビ局のあり方を追求してほしい」と期待された。
#辛うじて持ち応え、東北最大の第二地銀になっていた。
#*局自身もそのような決意を何回か表明している。
#きらやか銀行はなく、山形しあわせ銀行は別の地銀と合併していた可能性が高い。
#*たぶん荘内銀行。
#仙台銀行は平成銀行か七十七銀行に吸収されたかもしれない。
#福島銀行と大東銀行を後に経営統合する。


===開局当時の編成方針を踏襲していたら===
===静岡銀行+駿州銀行(現・清水銀行)===
開局時はニュース番組主体の編成でした。仮に、現在もこの編成が続いていたら?
*1945年7月31日に予定されていたものの、7月7日の清水空襲の影響で10月1日に延期し、終戦による混乱などで白紙となった。
#アニメは、ほとんど放送されない状態だった。
#史実以上に、静岡銀行の勢力が大きかったのは間違いない。
#*アニヲタからは嫌われていた。
#*[[神奈川|神奈川県]]への出店攻勢が現実より強かったかも。
#*深夜アニメは[[千葉テレビ放送|こ]][[テレビ神奈川|れ]][[テレビ埼玉|]]で放送されていた。
#[[清水エスパルス]]のスポンサーになっていただろうか。
#*ネット右翼に因縁をつけられる事例も増えていた。
#「東京情報チャンネル」(ディレクTVで全国放送していたときのチャンネル名)は、現在もスカパー!のチャンネルとして残っていた。
#毎日放送と親しくなることもなかった。
#現実で言う[[とちぎテレビ|ここ]]や[[群馬のメディア#群馬テレビ|ここ]]見たいな状態になっていた。


===開局当初からアニメに積極的だったら===
===十六銀行+大垣共立銀行===
開局当初はアニメはほとんど放送されていない状態でしたが、2000年代半ば以降は殆どの作品を放送しております。もし開局当初から殆どの作品を放送していたら?
#岐阜県の地方銀行は一本化されていた。
#東京都内のアニヲタは史実以上に増えていた。
#1980年代に[[wikipedia:ja:コーポレートアイデンティティ|CI]]を導入していたかも。
#*都内外に関わらず、東京タワー向けUHFアンテナが史実より早く増えていた。
#柳ケ瀬が寂れることもなかっただろう。
#秋葉原にサテライトスタジオか何かを設けていても不思議ではない。
#名鉄岐阜市内線や美濃町線・揖斐線は廃止にならず存続していた。
#2010年の東京都青少年健全育成条例改正案には局を挙げて猛反発していた。
#1945年7月に合併協議を行っており、その後の岐阜空襲・大垣空襲が無ければ、実現していた可能性がある(直ぐに終戦が来るから、その混乱で流れた可能性もある)。
#現在のマスコットは「ゆめらいおん」ではなく萌え系のキャラクター。
#高度経済成長期の頃から積極的に愛知県内に出店している。その為2020年現在愛知県内の(個人・法人の)シェアをの2割程を持っているか。
====十六銀行主体====
#銀行名はそのまま(十六銀行)で、本店を大垣市に移転させていた。
#愛知県だけでなく、三重・滋賀・長野・石川・富山・福井にも進出。
#本店ビルは16階建だ。
====大垣共立銀行主体====
#十六銀行が存続行となった場合とは逆で、本店を岐阜市に移転させていた。
#*銀行名も「岐阜共立銀行」になっていた。
#高山支店の開設が史実より早くなっていた。
#長野・石川・富山・福井にも進出。
#*現実に北陸銀行との提携がある以上、縄張り荒らしはしないと思う。むしろ三河方面にガンガン出店するんじゃね?
#**大垣共立がメインになっていたため、大垣とのつながりがある桑名~四日市に出店していた可能性が高い。


===首都圏ネット4を脱退しなかったら===
===愛知本店の地方銀行===
#地上デジタル放送の送信所は東京タワーのままだった。
#東海銀行(現:[[三菱UFJ銀行]])への合併を拒んだ銀行か戦後地銀であった。
#ここでもハピモ(千葉テレビ制作)、ありがとッ! (テレビ神奈川)、ごごたま (テレビ埼玉)が放送されていた。
#*岡崎銀行が合併されていなかったらそのまま地銀になっていた可能性は高い。
#*東京MX側は何を放送するんだろう。
#*その場合岡崎信用金庫がメガ信金にならずにこぢんまりとした信金になっていた。
#**U・LA・LAか5時に夢中が放送されていたかもしれない。
#東海銀行は早く他行と合併していた。
#首都圏ネット4にとちぎテレビや群馬テレビも加盟していた。
#愛知本店の第二地方銀行は3つもなかった。
#それでもTVKとの仲は悪いまま。
#岡崎信用金庫みたいな巨大な[[信用金庫|信金]]は存在しなかった。
#*テレ玉や千葉テレビとの関係も微妙と言ったところか?
#*というか、岡崎信金が、相互銀行経由で地銀に(岐阜か静岡の地銀を呑む形で)のし上がってた可能性が大きそう。


===地上デジタル放送の送信所が東京タワーのままだったら===
===幸福銀行+京都共栄銀行+福徳銀行+なにわ銀行===
#一部で東京MXが見られないということはなかった。
#4行特例合併を採っていた。
#親会社であるTFMがスカイツリーに送信所を移していないことと関連して理解されることが多い。
#*どのみち経営破綻してた可能性が高い。
#*さらにTFMの大株主に東京タワーの運営会社である日本電波塔が名を連ねていることもよく指摘される。
#関西アーバン銀行は誕生しなかった。
#東京タワーのフットタウンのどこかにTFMと合同でPRスペースか何かを設けている。
#もし生き残れていた場合でも、大阪の場合どっかの都市銀行の子分になってただろうが、一体どこが持ってくれたのだろう?
#*住友銀行か大和銀行あたりが妥当と思われる。
#阪和銀行と兵庫銀行(両行とも持ちこたえれば)が合流したかも。


===全日帯アニメの放送に積極的になっていたら===
==その他==
深夜アニメの大半は東京MXテレビでの放送になって久しいですが、同様の現象が全日帯アニメにまで波及したら
===新生銀行+あおぞら銀行===
#TBS・フジテレビでアニメ枠新設はなかった。
*2009年4月から交渉が行われ、6月に「2010年中の統合」で合意したものの、経営方針の違いなどから交渉が纏まらず、2010年5月に破棄となった。
#*MBS制作のアニメも廃枠になっていた。
#行名は「新生あおぞら銀行」が妥当だろう。
#*サンデーLIVEスタート時に戦隊やライダーがMXに移っていたかも。(アキバレンジャーや仮面ライダーアマゾンズがMXだったので。)
#2018年のヴァンガアニメの新シリーズは19時台で放送。
#*バディファイトも2018年6月以降はMXに移っていた。
#全曜日19時台は新作アニメの放送になる。
#*プリキュア(再放送)などは18時半辺りで放送。
#テレ東アニメは大幅に減少する。
#*特にBSジャパンで放送されていないアニメはMXに飛ばされる。
#*[[もしあの番組が終了したら#午後6時台のアニメ番組|こうなるかもしれない。]]
#BS11も全日帯アニメ枠が増える。
#*同時ネットでテレ東系よりも低予算で全国をカバー。
#**場合によってはサン、KBSでもネット。
#月曜は小学館関係のアニメで固定。
#*火曜はブシロード枠。
#史実で深夜で放送されたアニメがMX全日帯で放送されたかも。
#ホークス戦中継による休止も増える。


===都外へのスピルオーバー制限が厳格に行われていたら===
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 企業史|きんこう]]
#東京タワーにしろ東京スカイツリーにしろ、都県境が近い方角には岐阜放送ばりに送信アンテナがお辞儀する形になっていた。
[[カテゴリ:銀行|もしあのきんこうがたんしようしていたら]]
#*少なくとも横浜駅、浦和駅、柏駅、津田沼駅周辺では受信不能レベルになるように設定されていた。
#**ケーブルテレビでも再送信される局は史実より少なかった。
#***北関東や山梨、伊豆半島東部で再送信される可能性は極めて低くなっていた。
#周辺の独立局との連携を史実以上に強めていた。
#*テレビ神奈川とも史実ほど関係は悪化していない。
#ただしそれでもMXのみ放送の番組は一定数は存在する。
 
===独自のネットワークを結成したら===
→ [[もしあのテレビ局が独自のテレビネットを新設したら]]
 
===放送対象地域が関東広域圏だったら===
→[[もしあの放送局の放送対象地域が広域圏だったら]]
 
==テレビ神奈川==
===放送対象地域が関東広域圏だったら===
→[[もしあの放送局の放送対象地域が広域圏だったら]]
 
===独自のネットワークを結成したら===
#→[[もしあのテレビ局が独自のテレビネットを新設したら]]
 
===2003年12月に地デジ放送を開始していたら===
#その分、[[東京MXテレビ|MXテレビ]]の地デジ開始が遅れていた。
#*逆に、[[wikipedia:ja:小田原テレビ中継局|小田原]]・[[wikipedia:ja:平塚テレビジョン中継放送所|平塚]]両中継局の地デジ開始が史実より早くなっていた。
#**[[岐阜のメディア#岐阜放送|ぎふチャン]]、[[サンテレビ]]、[[京都放送|京都テレビ]]、[[三重のメディア#三重テレビ|三重テレビ]]、[[千葉テレビ放送|チバテレビ]]、[[テレビ埼玉|テレ玉]](開局順)の地デジ開始も。
#太田町移転までは(当時本社があった)山下町からの送出となっていただろう。
#*移転後はほぼ史実どおり。
#*ヘタしたら[[#太田町への移転が見送られていたら|現在も山下町送出]]。
 
===太田町への移転が見送られていたら===
テレビ神奈川は、2004年5月に横浜市中区太田町の横浜メディア・ビジネスセンター内に本社を移転させましたが、仮に移転が見送られていたら。
#TVKロゴは現在も大文字のまま。
#地上デジタル放送は、簡易マスターからの送出になっていた。
#*[[岐阜のメディア#岐阜放送|ぎふチャン]]や[[京都放送|KBS京都]]と同時期に統合マスターにしていたかも。
#「JOKM-DTV。こちらはTVKテレビです。」…
#*そこは「JOKM-DTV。こちらはTVKテレビデジタルテレビジョンです。」...とかになると思う
 
==文化放送==
*[[もしあの放送局がテレビ放送を開始していたら#文化放送|テレビ免許を交付されていたら]]
===アニラジに力を入れていなかったら===
#かつてのRFラジオ日本同様、硬派路線の放送局となっていた。
#[[ラジオNIKKEI|ラジオNIKKEI(旧ラジオたんぱ)]]が代わりに放送。
#*短波対応のラジオがもう少し普及していた。
#意外と、[[TBSラジオ|TBS]]がアニラジに積極的になる。
#*たぶん[[ニッポン放送]]じゃね。
#**そういやLFには放送業界で1,2を争うほどのオタクがいたような・・・。
#**仮にLFが力を入れた場合、平日は一応オールナイトニッポンは残すが史実のRと魂ラジの時間帯はアニラジを放送する。さらに宇宙Gメンのとこもアニラジに転用か?
#***二部が「オールナイトニッポンA&G」として声優による放送になっていた。
 
===若葉1丁目で再開発があったら===
#同地を離れることなく新ビルにめでたく入居。
#*このビルにはあの名門校も入居。
#現実で文化放送メディアプラスがある浜松町1丁目駐車場跡地には別の資本のビルが建っていた。
 
===本社が大阪だったら===
#テレビ免許を交付され、準キー局としてテレビ朝日かTBS辺りとネットを組んでいた。
#*むしろテレビ東京だろ。
#現実のOBCとなっていた。
#*だがラジ関には圧勝している。
#やけに左寄りの内容だった頃から何度も革新が強い京都への移転が噂される。
#筆頭株主が史実通りカトリック聖パウロ修道会の場合は大阪万博のキリスト教館にこの放送局の臨時スタジオが設置されていた。
 
===放送エリアが全国だったら===
放送エリアを全国に広げる計画もあったが、却下されました。もし実現していたら…
#特に関東圏では聴取率トップに。
#西武ライオンズファンも全国に広がっていた。
#*全国での放送開始が1978年以前ならライオンズの本拠地はまだ福岡なのでその可能性は極めて薄い。
#同じく全国に放送エリアを広げるつもりだった日本テレビが黙っていなかったのは間違いない。
#*正力松太郎が郵政省などに圧力をかけていた。
#*しかしラジオとテレビは別という理由で却下。
#日本の放送史は現実と大きく異なっていた。
#*史実では存在できなかった全国区の中波ラジオ局ができていたためテレビ局の資本や民放のビジネスモデルなどに大きな影響が出ていた。
#史実通り宗教放送局として開局していたらだろうか。
 
===NACK5と合併していたら===
#文化放送の本社は浜松町ではなく川口に移転していた。
#*文化放送のエリアが関東広域であることを考慮すると東京都区部以外への移転はなさそう。
#*そもそも総資産額や従業員数などを考慮すると文化放送主導の合併になった公算が大きい。
#**ただしNACK5の最大株主である西武鉄道がかなり暗躍した場合は展開が変わっていた可能性あり。
#日本で初めてAMとFMを兼営する民放が誕生する。
#*総務省(or郵政省)も戸惑うと思われる。
#*他地域でも同様の合併が噂された。
#FM波での補完放送開始時に旧NACK5のノウハウを生かして大胆な番組改編を行っていた。
#西武ライオンズはもちろんのこと、埼玉県にフランチャイズをおくスポーツチームを応援していた。
 
==ニッポン放送==
===独自のネットを結成したら===
*→[[もしNRNがニッポン放送系と文化放送系に分裂したら]]
 
===アニラジにもっと力を入れていたら===
#おそらくオールナイトニッポンのパーソナリティーのレパートリーは声優中心。
#*Rも同様。・・・といいたいが毎日30分4枠か60分1枠+30分2枠か60分2枠なんかに分割。
#*またANNの月曜は<!--某声優がパーソナリティをやっていたので-->MBSの某番組をネット受けしていたかも。もう終わったけど。
 
===社屋をお台場に移転したら===
かつて、ニッポン放送は有楽町の社屋を建て替える間、お台場のフジテレビの社屋を間借りしていた時期がありました。もし、ニッポン放送がそのままお台場に移転したら?
 
#おそらく、しばらくフジテレビの社屋を間借りした後、フジテレビの近所にある別の場所に社屋を建てて、そこに入居していた。
#もしくは、現実の「フジテレビ湾岸スタジオ」に入居していたかもしれない。
 
==RFラジオ日本==
===「社会の木鐸」宣言がなかったら===
#大幅な聴取率低下を招くことはなかった。
#『林原めぐみのHeartful Station』は現在もRF製作のまま。
#FMヨコハマ開局時に本社制作番組が増えてたかも。
#[[横浜DeNAベイスターズ|ホエールズ→ベイスターズ]]戦のホームゲームが放送されてたかも。
#『ROCK TODAY』が『POWER ROCK TODAY』に改題されなかった。
#ラジオたんぱが「社会の木鐸」化していた。
 
===毎日新聞からのニュース提供を続けていたら===
#毎日新聞がTBSを手放した。
#一方で、毎日新聞はNETを傘下に入れた。
#茨城放送も毎日系にしてグループ局になっていた。
#ジャイアンツびいき放送局は別の民放に変わっていた。
#*読売資本が残ったままならTBS。
#出力増強とラジオ関東からの社名変更はなかった。
#[[毎日新聞|毎日新聞社]]と[[毎日放送]]が出資してテレビ放送も開始してた。
 
===開局時より日本テレビの傘下だったら===
#もちろん、開局時より「ラジオ日本」を名乗っていた。
#*どこかのタイミングで社名に「讀賣」が入っていたと思われる。
#本社は横浜ではなく東京だった。
#*日本テレビの社屋に入居していた。
#*麹町→汐留への移転の際には、汐留・日テレタワーに仲良く引越し。
#**もしくは、麹町の旧日テレ社屋をラジオ用に改装し、現在もそこに入居。
#JRN・NRNとは異なる第3のラジオネットワークを立ち上げていた。
#*岐阜放送・ラジオ関西は確実に加わっていた。
#開局当初から巨人戦をキラーコンテンツとしていた。
#箱根駅伝の中継も行っていた。
#日本テレビホールディングス設立後は同社の完全子会社に。
#*出力も100kwに増力され、関東広域放送が実現していた。
 
===テレビ放送免許が受理されていたら===
→*[[もしあの放送局がテレビ放送を開始していたら#RFラジオ日本]]
 
===独自のネットを新設したら===
*→[[もしラジオ日本が独自のネットを新設したら]]
 
===放送対象地域が関東広域圏だったら===
→[[もしあの放送局の放送対象地域が広域圏だったら]]
 
==エフエム横浜==
===FM群馬やFM三重やJ-WAVEより先んじて開局していたら===
#FM群馬やFM三重にFM横浜がネット番組を供給していた。
#JFN Bラインが発展することはなかった。
#JFN系列は「NORU SORU」まで本格的な深夜放送を手がけなかった。
#FM横浜の全国での存在感が増した。
 
===送信所が大山に移転せず円海山のままだったら===
#磯子中継局は存在しない。
 
==放送大学==
===一般の番組も放送されていたら===
#それでもCMは放送されていない。
#*放送されていた場合、他民放に扱いが近くなっている。
#**この局でしか放送されないCM(教育関連商品?)もあったと思われる。
#放送時間も実際より長くなっていた。
#かつての東京12チャンネルや日本教育テレビのような編成になっていた。
#局名が変わっている。「BUTテレビ」(Broadcasting University Television)とか。
#緊急地震速報などが流れる。(実際は「緊急地震速報」等を流す義務は放送大学には無い。)
#栃木県や茨城県にも中継局が設置されていた。
#*でも、中継局は、宇都宮と水戸のみ。
#*参考までに、実史上ではアナログ放送時代、東京都区内と横浜市内に、SHF波による中継局が開設されていた。
 
===送信所が東京スカイツリーに移転していたら===
#放送大学を視聴できる世帯が増えていた。
#送信所機能を失った東京タワーは・・・。
#*東京タワーは、NHKと在京キー局の予備送信所として、残されてます。
#2018年10月に地上波放送が廃止される事は史実と変わらず。
 
==TBS(東京放送)==
===独立項目===
*[[もしTBSがクロスネットを禁止していなかったら]]
*[[もしTBSの放送免許が取り消しになっていたら]]
*[[もし現在までTBS黄金期が続いていたら]]
 
===ラジオ東京が日本初の民間放送局だったら===
TBSの前身・ラジオ東京(KRT)は1951年12月25日に開局し、[[毎日放送]](MBS)や[[中部日本放送]](CBC)(いずれも1951年9月1日開局)より遅れて開局しています。もし、ラジオ東京が日本初の民間放送局として開局していたらどうなっていたのでしょうか?
 
#民放最初の放送局と他局に対し自負していた。
#MBSやCBCとの関係は現実のように悪くはならなかった。
#もしかしたらTBSが「新日本放送」を名乗っていたかも。
#*意外にコールサインの「JOKR」が定着し、「ラジオ東京」が「東京放送」に改称後も、略称が、「KR」もしくは「KRT」のままだったりして。
#*「日本放送」(史実ではニッポン放送の開局前の社名)の可能性も。
#**その場合、日本テレビは「読売テレビ」に…あれ?
#**または、実史ではペーパーカンパニーに終わった「読売放送」だったかも。
#[[日本テレビ]]より早くテレビに参入していたかもしれない。
#*その場合、テレビチャンネルはVHF4chがTBSに使用され関西と同じチャンネルになる。一方日テレはVHF6chを使用する。
#*そのため地デジのリモコンキーIDがJNN系列は4ch、NNN系列は6chが標準になっていた。
 
===社屋を緑山に移転していたら===
TBSは1970年代に郊外への社屋移転計画を打ち出し、横浜市緑区に土地を取得したが、周囲の反発にあい実行されませんでした。(この土地に建てられたのが後の「緑山スタジオ」)
#「横浜」にあるのに「東京」放送では矛盾するのでこの時点で「TBS」に社名変更。
#赤坂の知名度が下がっていた。
#青葉台駅から出てる関係者用バスが一般にも開放。
#SASUKEの収録はどこで行われていたのだろうか・・・。
#*そもそもたけし城もSASUKEも存在しなかったのではなかろうか。
#*実史上で春秋の改変時に放送される『オールスター感謝祭』も緑山から放送?
#**緑山からの放送だったら、「赤坂5丁目ミニマラソン(に相当するコーナー)」は、どのルートになっていたか?
#東急こどもの国線の通勤路線化が史実よりも早まった。
#東北放送など、郊外に局舎のあるネット局から「うちと似た所にあるんですね」と言われる。そうした地域(宮城県など)の視聴者・リスナーがTBSの放送センターを見ても、地元の放送局と大差のない立地条件なので、違和感を感じない。
#キー局で唯一本社が東京都内にないことになる。
#*但し、何らかの形で都内にも拠点を残していたと思われる。
 
===東京放送の略称として「TBC」が使われていたら===
史実では仙台の「東北放送」が1955年に「TBC」という略称を使っていたので、1960年にこの放送局が「ラジオ東京」から「東京放送」に社名変更した時、この放送局は略称として「Tokyo Broadcasting System」の略称として「TBS」を名乗ることになりました。もし、東北放送をはじめとする他の放送局がそれまで「TBC」の略称を使わわなかったので、東京放送が「TBC」の略称を使うことができたら、どうなっていたのでしょうか?
#エステサロン「東京ビューティセンター」は、「TBC」の略称を名乗らなかった。
#東京放送の歴代ロゴは、史実のデザインか、それとも史実の東北放送のロゴか。
#「TBS」と言えば「東京ビッグサイト」の略称になっていたかも。
#その後追いで、放送界では、東北放送か別の地方局が「TBS」の略称を使い始めるか。ただし、地方局だから、筆記体ロゴ(史実の東京放送のロゴ)は使っても「ミクロコスモス」は使わないだろう。
 
===ラジオ単営局のままだったら===
→[[もしあの放送局がテレビ放送を開始していなかったら]]
 
==テレビ東京==
===独立項目===
*[[もしテレビ東京が日本のメディア界で天下を取っていたら]]
*[[もしあの放送局がTXNとクロスネットしていたら]]
*[[もしNETテレビと東京12チャンネルが一般総合局化していなかったら|もし旧・東京12チャンネルが一般総合局化していなかったら]]
*[[もしテレビ朝日とテレビ東京が開局当初から一般総合局だったら|もしテレビ東京が開局当初から一般総合局だったら]]
 
===現実より系列局が多かったら===
#広島に「もみじテレビ」、仙台に「杜の都放送」、新潟に「テレビ越後」、静岡に「テレビスルガ」が開局していた。
#*TVQ以外にも局名が「テレビ○○(地名)」という原則にあてはまらない局が多数存在。
#**むしろTVQの旧称「TXN九州」に倣って「TXN○○(地名)」では?
#*フジテレビnextで放送されたドラマ「ニュース速報が流れた」で登場した架空のテレビ局「北国テレビ」をどこかで使ってたかもしれない。
#*↑多分、新潟か東北で使われている。
#テレビ宮崎がTXNにネットチェンジし、放送エリアを鹿児島・熊本を含めた南九州3県に拡大。
#大半の地方局は他系列とのクロスネットで加盟していた。
#現実ほどアニメに力を入れなかった。
#*その代わり経済番組に力を入れている。
#**それか韓流ドラマに力を入れている。
#*その分テレビ朝日も未だにアニメに力を入れている。
#**むしろ[[もし今でもキー局がゴールデンタイムでのアニメ放送に意欲的だったら|こっち]]だと思う。
#他の民放と変わり映えしなくなる。
#*ワイドショーも開始され、緊急報道特番も当たり前になる。
#BSジャパンの番組もほとんどがオリジナルになる。
#日経ではなく朝日新聞の傘下になっていたかも。
#*この場合、NET(テレビ朝日)と立場が逆転。
#日テレやフジテレビのように[[もしあの番組が○○だったら#あの放送局が長時間特番を制作したら|長時間特番を制作。]]
#競馬はフジテレビの代わりに日曜を中継。土曜は独立局及び地方局へ。
 
===他の放送局に買収されていたら===
かつてNHKや毎日放送が買収を計画していましたが失敗に終わりました。
*→[[もしあの放送局の親会社が○○だったら/関東]]
 
=== 東京都域局だったら ===
→[[もしテレビ東京の放送エリアが東京都だけだったら]]
 
===社屋が東京タワースタジオのままだったら===
旧・東京12チャンネル時代、東京タワーのふもとにかつて存在した「東京タワースタジオ」を本社屋としていた時期がありました。
 
#東京の観光名所のひとつに数えられていた。
#もちろん、虎ノ門への移転もなかった。
#笑福亭鶴瓶が当時の社長のペットであった錦鯉を殺害した池も健在。
 
===社名が「東京12チャンネル」のままだったら===
*→[[もしあの放送局の社名・愛称・略称が変わっていなかったら]]
 
==日本テレビ==
===『正力タワー計画』が実現していたら===
日本テレビは、東新宿駅付近(当時)に「正力タワー」を建設する計画を立てていたことがあります(これについては[[wikipedia:ja:東京タワー|こちら]]を参照)が、結局実現しませんでした。仮にこの計画が実現していたら。
#[[東京タワー]]への送信所機能移転はなかった。
#[[東京MXテレビ]]は、正力タワーからの送信になっていた。
#地上デジタル放送開始時には、地デジ用の送信アンテナも設置されていた。
#*もちろん、NTV・MX兼用。
#在京テレビ局の送信所機能一本化は、[[東京スカイツリー]]完成まで実現しない。
#*逆に正力タワーに一本化だろ。
#*現在の東京タワーは(アナログ放送終了が延期されなければ)2011年7月にお役ごめん。
#333メートルの東京タワーの2倍を誇るこのタワーをつくり、タワー建造のための莫大な出費によって日テレは当分の間経営悪化に襲われた。
#東京の赤坂・四ツ谷・麹町周辺はVHFアンテナを2本必要とした。また、正力タワーへの一本化まではデジタル放送を視聴するのにUHFアンテナを2本必要とした。このため、早期に一本化されている。
#東新宿周辺は電磁波被害に悩まされ続けている。
#1958年6月に、日テレ・清水社長が新宿区東大久保に「屋根つき野球場」の建設計画を表明する事が無かった。(『大衆とともに25年沿革史』(日テレ社史)に「屋根つき野球場」についての記載あり。)
#北関東でもキー局VHFの受信が容易になるので、場合によっては東北新幹線開通前後でも宇都宮タワーが存在しなかった。
#*おそらく開業はとちぎテレビ開局時までにずれ込んでいた。
 
===JNNより早くネットワークを完成させていたら===
日本テレビは1953年8月、日本最初の民放テレビ局として開局しましたが、同局をキーステーションとするニュースネットワーク「NNN」はTBSをキーステーションとする「JNN」に約7年遅れで結成されました。
もし、日本テレビがTBSより早く「NNN」を結成していたら?
 
#当時開局していたテレビ局は、大半がNNN系列になっていた。
#*[[もし全ての地域で最初に開局したテレビ局が○○系列だったら#日本テレビ系列だったら|もし全ての地域で最初に開局したテレビ局が日本テレビ系列だったら]]
#NNNのクロスネットが禁止され、JNNのクロスネットは禁止されなかった可能性も。
#当然、沖縄にもNNN系列局はできていた。
#*[[琉球放送]]が日テレ系列になっていた。
#*沖縄テレビがFNNとNNNのクロスネットになっていた。
#*いや、南西放送が開局していたというのが自然だろう
#**南西放送開局まで、沖縄テレビがNNNメインのFNNとのクロスネットだったのでは。
#鹿児島以外にも「○○読売テレビ」「○○読売放送」を名乗る局ができていた。
#JNNではなくNNNに排他協定ができていた。
 
===1社による全国の放送ネットワークが完成していたら===
→[[もし日本テレビ1社による全国の放送ネットワークが完成していたら]]
 
===視聴率至上主義に走らなかったら===
1990年代の中盤から[[日本テレビ]]は視聴率ノルマのもとに、視聴率優先の番組作りに転換。しかしそこから生まれた幾多の演出等は多くの視聴者の反感を買っていったにも関わらず、テレビ全般にまで広がるほどの影響を与えるにまで発展してしまいました。
仮にもし、現在に至るまで日本テレビが視聴率至上主義に踏み切らなかったにどうなっていたでしょう?
 
#五味一男は早いうちに退職した。
#「進め!電波少年」は1年ぐらいで打ち切りに。
#時代劇枠や「火曜サスペンス劇場」はまだ続いていた。
#*むしろ史実より廃止が早まった。
#日本テレビは史実より低迷していた。
#*最近まで3冠王はフジテレビが総なめ。
#**テレ朝の台頭やフジの後退により、今ではフジvs日テレvsTBSの三つ巴の状態に。
#視聴率買収事件は無かった。
#*2000から2001年にかけてあった「電波少年年越しカウントダウンフライング事件」も起きなかった。
#日本のTV番組の形式は大幅に変わっていただろう。<!--電波少年が打ち切り→極端な演出過多番組は受けないと判断される→地味なドキュメント番組がメインになる。-->
#皇室アルバムを金曜のゴールデンタイムに1時間番組でやる。
#城朋子や梅原幹が台頭することはなかった。
#2014年現在「それいけ!アンパンマン」は夕方に放送され、「名探偵コナン」は未だ月曜夜に居座っている。
#福澤朗がフリーになる時期が史実より遅かった。
#「金曜ロードショー」が「金曜ロードSHOW!」になることはなかった。
#リーマンショックや東日本大震災を経た後、倒産あるいは他局と合併していた可能性もあった。
#*テレビ局は今でもかつての「護送船団方式」を彷彿とさせるような制度に守られているのでそこまで簡単に潰れるような気がしない。
#*このご時世、放送事業より副業(不動産・映画等)の方が儲かる状況だからねぇ…
#*汐留本社は大幅に縮小されて空いたスペースは貸事務所になる。(と、氏家社長がかつて言っていました。)
#読売ジャイアンツ戦の中継に依存する体質が現在まで続いていたかも。
#*「スポーツの日テレ」の地位を築き上げていた。
 
==テレビ朝日==
===開局当初から一般総合局だったら===
*→[[もしテレビ朝日とテレビ東京が開局当初から一般総合局だったら|もしテレビ朝日が開局当初から一般総合局だったら]]
 
===旧・日本教育テレビが一般総合局化されていなかったら===
*→[[もしNETテレビと東京12チャンネルが一般総合局化していなかったら|もし旧・NETテレビが一般総合局化していなかったら]]
 
===開局時からANNが結成されていたら===
テレビ朝日をキーステーションするニュースネットワーク「ANN」は1970年1月1日に結成されたが、もし前身の日本教育テレビ(略称:NET)開局時にニュースネットワークを結成していたらどうなっていただろうか?
 
#実史より早くかつ多くの系列局が開局した。
#*ANNが実際は無い高知県やクロスネットの宮崎・福井両県にも系列局が存在していた。
#青森テレビは、JNNにネットチェンジせずそのままANNに加盟し続けた。
#*その場合青森放送は、現実の秋田放送の様な編成となっている。
#*青森朝日放送は開局しなかったか、「テレビユー青森」という名のJNN局として開局。
#*県民は第3局目をFNN・FNSで開局を希望したが元国会議員の圧力でJNN系列局として開局。
#毎日放送はANNの「A」を朝日と勘違いしている事から、テレビ東京(当時:東京12チャンネル)と完全なネットワークを結んだ。
#北海道放送は、JNN排他協定がなければ1962年にJNNを離脱しANN入りしていたかもしれない。
#*1962年まではSTVがNETの教育番組を放送していたが、NETネットワーク拡大を目指したことにSTVが激怒している。
#*その結果、HBCがNETの番組を多く放送する事態になったため、HBCはJNNを離脱してもおかしくなかった。
#*北海道テレビも史実より早く開局し、JNNに加盟していた。
#名古屋テレビもニュースネットワークは最初からANN入りしていた。よってNNN加盟はなかった。
 
===TBS系列局を救済したら===
[[テレビ朝日]]はかつて[[朝日新聞]]とともに[[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]や[[山形のメディア#山形テレビ|山形テレビ]]を助けたことがあります。また、[[TBS]]系列(JNN)は2009年4月以降の視聴率低下の影響もありTBS系列局の多くはTBSと不仲で、経営に苦しんでいる局も多いようです。もしテレビ朝日がTBS系列局を助けた場合、どうなるでしょうか。
 
#TBS自体は[[もしTBSが倒産したら|なくなるか]]、TBSがテレビ朝日系列局を受け入れる。
#在阪局は[[毎日放送]]と組むのが自然だが、MBSはテレビ朝日と険悪なので[[朝日放送|ABC]]とそのまま組む。
#*そしてそのまま[[もし毎日放送がFNS系列に加盟したら|FNNに入る]]か[[もし毎日放送がTXN系列に加盟したら|TXNに入る]]。
#テレ朝と朝日新聞との関係は維持されるが、[[毎日新聞]]との連携はTBS以上に強くなる。
#TBS・MBS以外のJNN系列26局の面倒をテレ朝が見ることで、テレ朝の経営が厳しくなる可能性がある。
#*それでも[[北海道放送|HBC]]・[[東北放送|TBC]]・[[中部日本放送|CBC]]・[[中国放送|RCC]]・[[RKB毎日放送|RKB]]はテレ朝に助けてもらうことで、TBS時代よりも経営が良くなる。
#*場合によっては潰れるかもしれない・・・
#**[[もし関東広域圏内の放送局同士で合併したら#TBS+テレビ朝日|こうなる]]可能性も。
#とりあえずテレ朝はTBS系列ではない[[関西テレビ放送|関西テレビ]]を救わずに済むので喜ぶ。
#各地にある特に平成新局の〇〇朝日テレビ/〇〇朝日放送は最悪潰れるかも・・・
#[[高知のメディア#テレビ高知|KUTV]]はそのままANN入りするので、テレビ事情も多少改善される・・・かも。
 
===不祥事により放送免許がはく奪されたら===
テレビ朝日はかつて、「アフタヌーンショーのやらせ事件(1985年)」や「椿発言事件(1993年)」などの不祥事の時に放送免許剥奪が議題に挙がっていましたが、それが現実のものになっていたら…
 
→[[もしあのテレビ局が免許取り消しになっていたら]]
 
===社名変更がなかったら===
テレビ朝日は1977年まで日本教育テレビ(NET)、2003年まで全国朝日放送(ANB)という社名でした。
*→[[もしあの放送局の社名・愛称・略称が変わっていなかったら]]
 
==TOKYO FM==
===送信所が富士山頂に置かれていたら===
TOKYO FMの前身、FM東海は「富士山頂超短波放送実用化試験局」で免許申請を行いました。
#受信エリアは現実より広かった。
#現在は社名が変更になってもエフエム東京にはならないはず。
#*エフエム富士…何でもありません。
#JFNが結成されたか怪しい。
 
==フジテレビ==
===今でも硬派路線だったら===
*→[[もしフジテレビが硬派路線を堅持していたら]]
 
===局舎が品川区大崎に移転したら===
局舎の移転先の候補として、お台場とともに大崎駅周辺(現在の大崎ニューシティやゲートシティ大崎がある辺り)も候補になっていました。もし、そこに移転したら…
#局舎は汐留にある日本テレビタワーと同様な構造の建物になっていた。
#*関西テレビや東海テレビやテレビ西日本などの系列局の支社も入居していた。また、同系列であるニッポン放送本社も大崎駅周辺に移転していた。
#そこに本社を構えているソニーとコラボした番組や企画が実施されていた。
#JR東日本の車内広告において、自社の番組を大胆に宣伝していた。
#お台場は、2020年の東京オリンピック開催決定まであまり注目されていなかったかもしれない。
#*しかし、東京臨海高速鉄道りんかい線の開業は史実通り。
#建設費が莫大になることはなかったので、フジテレビの経営は史実より良好になっていたかもしれない。
#京浜急行バスと東急バス(実史上の運行は東急トランセ)の「羽田空港~大崎駅西口」の空港連絡バスが、実史より早くから運行していた。
#お台場にあるFCGビルの予定地は高級ホテルか国際展示場か博物館か大型ショッピングモールが立地されていた。
 
===局舎が富士山麓に移転していたら===
フジテレビがその名前にちなんで富士山麓に移転していたら?
#名実ともに富士テレビ
#フジテレビ用の営業マグレブが用意される。
#*りんかい線は富士テレビと関係がなくなる。
#*[[リニア中央新幹線|中央新幹線]]にフジテレビが協力、自社の目の前に駅を設置する。
#富士山が噴火したら速報はフジテレビが最初に出す。
#*ていうか、速報なんか流している内に巻き込まれるんじゃ・・・。
#**マグマにも負けない頑丈な建物が建設されたりして。
#***しかしそんなものを作ったせいで建設費が高騰、経営を圧迫することになる。
#**だからこそ河田町支局を残す必要があるのだよ。
#関東はおろか東海・甲信越もネットする。
#*そのエリアのFNN系列局は実質経営統合。
#**長野放送→フジテレビ長野支局
#**テレビ静岡→フジテレビ静岡支局
#**新潟総合テレビ→フジテレビ新潟支局
#**新設:フジテレビ甲府支局
#***というか静岡・山梨・長野の各県が関東広域圏に入るようになる。
#****でも、静岡県西部は愛知県の影響が強いので、静岡県西部は東海テレビのエリアに。
#****他局は現実通りなのにフジテレビだけ各県をカバーする、という意味では。
#旧社屋は「フジテレビ河田町支局」になる。
#*建物の老朽化が進んでいるので一回改築。
#*むしろ正式名称は「フジテレビ東京支局」となる。
#お台場の発展が遅れた。
#*案外日テレが移転しているかもしれない。
#「一緒に送信所も移転したら電波が遠くまで飛ばせるじゃん」と思い、送信所まで東京タワーから富士山山頂に移転。
#費用がかかりまくりそう…
#北関東の扱いがさらになおざりになる。
#[[TBS|赤坂の某局]]も追従して赤坂に移転する。
#芸能人はヘリやセスナで東京からフジテレビに移動してくる。
 
===局舎が新宿区河田町に留まっていたら===
#局舎は建て替えられて、汐留にある日本テレビタワーと同様な構造の建物になっていた。
#*建て替え中は、新宿区市谷仲之町(新宿支局があったところ)を仮社屋にしていた。
#青海にある湾岸スタジオが史実よりも広大なスタジオになっていた。
#JR東日本、小田急電鉄、京王電鉄、西武鉄道、東京地下鉄、都営地下鉄の車内広告において、自社の番組を大胆に宣伝していた。
#お台場は、2020年の東京オリンピック開催決定まであまり注目されていなかったかもしれない。
#フジテレビの経営は史実より良好になっていた。
#東京テレポート駅ではなく曙橋駅がフジテレビ前に。発車メロディーも踊る大捜査線じゃないがフジテレビの曲が使われていた。
 
===違う時期に局舎をお台場に移転していたら===
#2002~2003年頃に移転していた場合、局舎の周辺を走る東京臨海高速鉄道りんかい線の全線開業とほぼ同時期なのでそのころからお台場の観光客がかなり急増していた。さらにこの時期は日テレやテレビ朝日も局舎移転していたので局舎移転ラッシュになっていた。 
#*移転と同時に大半の番組がハイビジョン制作に切り替わっていた。
#史実より遅く移転していたら視聴率はマシになっていたかもしれない。
 
==テレビ埼玉==
===史実(1979年4月1日)より早く開局していたら===
#早くても、1972年頃に開局していた。
#*いや、千葉テレビ放送や群馬テレビと同様に、1971年に開局していた可能性もあり得る。
#巨人主催試合のトップ&リレーナイターを史実より長く中継していた。
#*江川事件による打ち切りは史実通り。
#ライオンズの所沢への移転までに、日本ハム主催の試合の中継に力を入れていた可能性もあり得る。
#1979年に茨城放送か栃木放送がテレビ事業に進出していた。
#2020年頃に新社屋に移転する計画があった。
#*するとしたら武蔵浦和らへんか?
#**そうなると現実よりも武蔵浦和のタワーマンション数は減っていた。
 
===独自のネットワークを結成したら===
→ [[もしあのテレビ局が独自のテレビネットを新設したら]]
 
===放送対象地域が関東広域圏だったら===
→[[もしあの放送局の放送対象地域が広域圏だったら]]
 
==千葉テレビ放送==
===放送対象地域が関東広域圏だったら===
→[[もしあの放送局の放送対象地域が広域圏だったら]]
 
==とちぎテレビ==
===史実(1999年4月1日)より早く開局していたら===
#早くても、1970年代に開局していた。
#栃木放送がテレビと兼営する形で開局していた。
#茨城県で、第3セクター方式による放送局が開局していた。
#[[もし平成新局が全て現実より20年早く開局していたら#とちぎテレビ|この内容]]にほとんど近い。
 
==FMナックファイブ==
===独自のネットを結成したら===
#→[[もしあのラジオ局が独自のラジオネットを新設したら]]
 
===放送対象地域が関東広域圏だったら===
→[[もしあの放送局の放送対象地域が広域圏だったら]]
 
==群馬テレビ==
===放送対象地域が関東広域圏だったら===
→[[もしあの放送局の放送対象地域が広域圏だったら]]
 
==茨城放送==
===茨城放送テレビが開局していたら===
→[[もし茨城放送テレビが開局していたら]]
 
==栃木放送==
===栃木放送テレビが開局していたら===
→[[もしあの放送局がテレビ放送を開始していたら#栃木放送]]
 
{{もしあの放送局}}
[[Category:もしあの放送局が○○だったら|*かんとう]]
[[Category:関東地方|もしあのほうそうきよくか]]

2021年3月1日 (月) 12:24時点における版

都市銀行同士

UFJ銀行+あさひ銀行

  • 三和銀行+東海銀行+あさひ銀行
  1. 大和は東京三菱と合併していた。
  2. それでも旧埼玉関係者は対立したままで、後に「新埼玉銀行」を設立していた。
  3. 現実のUFJ及びりそなほど経営は悪化していないだろう。
    • 「ヤバイ決算で東京三菱に救済されたUFJ」 + 「大和に救済されたあさひ銀」では寧ろもっと酷かった可能性のほうが大きい。
  4. 社名は「UFJ銀行」のままだろう。
  5. 日立製作所が推進する指静脈認証を採用したため掌静脈認証が早く衰退してしまった。
  6. 旧埼玉銀行の伝統を引き継ぐ旧あさひ銀行が誇っていた埼玉県内のきめの細かい支店網が、まっさきにリストラや店舗の統廃合の対象とされた。
    • それゆえ、埼玉県関係者らは激怒し、埼玉りそな銀行のように、埼玉三和東海あさひ銀行を設立するよう訴える。
      • 武蔵野銀行が(新たな)埼玉銀行と改称した上で、埼玉県および県内の市町村の金融機関となり出世する。
      • というか、りそなが国有化された時、実際に埼玉県議会で埼玉りそなを県が出資する埼玉県民銀行にするとかいう構想出てたよな。
    • 実際には店舗網はほぼ史実の埼玉りそなと同じで埼玉UFJ銀行(本店大宮)とかになってたんじゃなかろうか?
    • さすがに高収益の埼玉の店舗を減らすことは東海銀同様にあまりなかっただろうと思われる。ただ埼玉系の行員は東海系と同じような扱いを受けただろう。

三井住友UFJ銀行

  1. どのみち名古屋本店の都市銀行は消滅していた。
  2. 名古屋圏での影響力維持を目指す東京三菱銀行の主導で、十六・百五・愛知三行が合併していた。
  3. セディナは史実のOMCカード+セントラルファイナンス+クオークにUFJニコスを加える形で発足していた。
    • OMCカードはMTFG傘下になっていたかもしれない。
  4. UFJつばさ証券、SMBCフレンド証券、トヨタファイナンシャルサービス証券が合併し「三井住友UFJ証券」が発足。
    • 東海東京証券(UFJ銀行時代にUFJグループを離脱し三井住友海上傘下に)入れるの忘れてた。
  5. カブドットコム証券のコーポレートカラーは緑のまま。
    • もしかしたら史実とは逆に伊藤忠商事の子会社になっていたかも知れない。
  6. トヨタ自動車は名実共に三井グループの一員に。
    • 三菱航空機に出資することはなく、傘下におさめた富士重工業を通じて国産航空機開発に乗り出していた。
  7. 三越は史実の伊勢丹とではなく、高島屋かH2Oリテイリングと経営統合していた。
    • 下手したら松坂屋を加えた4社統合が実現したかも。

三菱第一銀行

  • 第一銀行 + 三菱銀行(1969年に一度合併契約書に調印までしながら破談)
  1. 合併当初はそれなりに第一銀行側(というより当時の長谷川頭取)も発言力があるので、コンピュータは第一銀行との繋がりで富士通を採用。
  2. ただ、たぶん10年もしないうちに「第一」の文字が取れて「三菱銀行」に名前が戻る。
    • おそらく東京銀行との合併も史実通り(「第一」の文字が残っていたとしてもここで「東京三菱銀行」になる)。
  3. 古河グループや川崎重工など第一系の企業が三菱グループにいいように食い物にされる。
  4. 伊藤忠商事はメインバンクが住友銀行のままとなるため、住友商事の影響下から抜け出せない。
  5. 日本勧業銀行は他の都銀との合併を模索する。
    • 太陽銀行・神戸銀行との三行合併あたりが有力か。
      • 三井銀行と合併して『三井勧業銀行』になっていた可能性も。
      • むしろ富士銀行あたりと合併して『富士勧業銀行』となっていたかもしれない。
      • (勧銀が)太陽・神戸両行or三井銀行と合併していた場合、太陽神戸三井銀行(→さくら銀行)は誕生しなかった。

富士銀行+三和銀行

  1. 本店は東京大手町の富士銀行本店
    • 三和銀行本店が富士三和銀行大阪営業部を名乗っていた。
    • 三和銀行東京営業部は店名こそ変更されないがバブル崩壊とともに本店に統合建物は東京建物に売却されている。
      • それでも史実とほぼ同時期に再開発される。
    • 富士銀行大阪支店(現実のみずほ銀行大阪支店)実店舗としては大阪営業部に統合し東京建物によって再開発の対象となっていた。
  2. システムは三和銀行(日立製)のシステムに統一される。
    • 日立が芙蓉グループでもあるため。
    • 政治的に日立を育成するため。
  3. 法律上の存続会社は富士銀行
  4. 対等過ぎ規模も大き過ぎるため第一勧業銀行以上い効率が悪いと皮肉られることが多いが、たすき掛け人事を徹底していたと言われる。
    • しかし、合併から30年経ち(東京一極集中の影響もあり)完全に人事的に富士銀行が主導権を握ることになる。
  5. 銀行業界全体が田中角栄の『都銀六行集約論』から金融再編が現実より早かった。平成初期には金融再編が6行に再編されている。
1975年ごろ
  1. 三井銀行が確実に合併が早かった。
    • おそらく住友銀行か協和銀行あたりと
    • または大和銀行と協和銀行が合併してたかも
    • バブル期の貸し出し競争は現実程の熱はない。むしろ第一勧銀と住友銀行による貸し出し競争が現実のものとなる。
2000年ごろ
  1. 東海あさひ大和銀行が現実のものになっていた。
  2. 第一勧銀と興銀はどこと合併しただろうか。
  3. 第一勧銀が日債銀,興銀が長銀と合併したかもしれない。

都市銀行+地方銀行

新北海道銀行

  1. 経営が苦しいのは変わりないが、少なくとも破綻へ追い込まれることはなかっただろう。
    • よって、北海道経済がどん底まで落ちる事はなかった。日本経済の低迷とほぼ同レベル。
    • むしろ一度破綻処理させた後の受け皿として北海道銀が出ていたのでは?
  2. 北洋銀行が「道民の銀行」と呼ばれる事はなかった。
    • 札幌銀行との合併が早まっていた。
      • そして行名は「札幌北洋銀行」に。
        • 逆に札幌銀行も勝ち馬に乗る形で北海道銀行と統合したかもしれない。
    • 「北洋大通センター」も建てられなかった。
  3. 夕張の財政再建団体入りもなかった。
    • まあどっち道寿命が少し延びるに過ぎんと思うが・・・
    • それとこれとは別問題だろう。かりに北拓が潰れてなくても、旧態依然の乱脈運営と産業構造の変化になんの対策も打てない自治体は早晩潰れたに違いない。
  4. 道外店舗はやはり大手に譲渡された
    • 譲渡先は、現実のあさひか大和あたりに譲渡された。
  5. 函館ではみちのく銀行の入る隙がなかった。
  6. 北陸銀行も北海道から撤退していた。
    • あるいは北陸銀行と北洋銀行が合併していた。
    • 撤退と同時に道銀,みちのく銀行の3行経営統合を実現したかもしれない。
  7. 札幌テルメもまだ営業していた。
    • シャトレーゼの北海道での知名度はゴルフ関係しか知られなかった。
  8. 丸井今井は規模拡大を続け、帯広・北見などにも出店していた。
    • それどころか、本州にも進出。
    • 三条市…と冗談はさておき東北のどこかに進出とかはありえたかもしれない。
  9. 北海信用金庫があそこまででかくなることもなかった。
  10. 名古屋から支店が消える事態はなかった。
    • その場合本州にあった北拓の支店で残るのは名古屋支店で、ほかは北海道銀の東京、大阪、仙台、八戸、青山、新宿に統合扱い。なお、その後の大阪、八戸、青山、新宿の統廃合は予定通り。
  11. テレビ北海道の全道エリアカバーが、遅くとも地上デジタル放送開始までには実現していた。
    • 銀行の統合と地デジ化は全く関係ないと思うんだが……
    • バブルのツケという観点で経営破綻がなくても現実よりまし程度だと思う
  12. 都市銀行を返上していた。
  13. ニトリが無借金経営を行うこともなかったかもしれない。

あさひ銀行+横浜銀行

  • 公式には発表されていなかったが、90年代末期、あさひ銀行の非主流派であった旧埼玉系が横浜銀と計画していた。
  1. 三和東海あさひ構想は、あさひが浜銀を選んだため結局破談に。その後の三和+東海→UFJ→三菱UFJ銀行の流れは現実と同じ。
  2. 神奈川県民が調子乗ってる時に吐かす「横浜銀行って都市銀行じゃなかったの?」はある意味事実になる。
  3. 首都圏という地盤を同じとするみずほ銀行との差別化に苦心した挙句、結局大企業よりも中小リテールという現実のりそな銀行と同じ戦略に出ることになる。
    • 場合によっては、ここで戦略が似ている大和銀HDと対等合併で経営統合になる可能性もある。この場合、あさひ銀は旧横浜銀と旧埼玉銀の収益や資産のおかげでそこまでヤバくなっておらず、よってりそなショックもなかった。
      • この場合はりそな本体と埼玉りそな、横浜りそな、奈良りそな、近畿大阪の5行がりそなHDの傘下銀行になっていた。
    • 大和銀と統合してなかった場合、旧横浜銀行の首都圏地銀と密接な関係を活かして、千葉銀や常陽銀などとATM相互開放を2000年代の早い時期から行ってみずほに対抗していた。だが関東以外のエリアの地銀とは今ほど提携はなかったと思われる。
      • この場合、2015年頃に起きた地銀再編の大きな流れの中で東日本銀は勿論のこと千葉銀や常陽銀、群馬銀など関東の優良地銀と統合していた可能性も捨てがたい。
        • この様にならなかった場合は逆に、関東の地銀が大連合を作って統合し対抗していただろう。
  4. 行内人事は旧横浜銀系が旧埼玉銀系と手を結び主流派になり、協和銀系は非主流派として閑職に。
  5. 後に足利銀行を経営統合している。この際持ち株会社を設立。社名は「関東フィナンシャルグループ」か。

信託銀行

住友UFJ信託銀行

  1. 日本最大のメガ信託となっていた。
  2. 合併の数年後に行名を元の「住友信託銀行」に戻される。

地方銀行同士

平成銀行

  • 徳陽シティ銀行・北日本銀行・殖産銀行
  1. 辛うじて持ち応え、東北最大の第二地銀になっていた。
  2. きらやか銀行はなく、山形しあわせ銀行は別の地銀と合併していた可能性が高い。
    • たぶん荘内銀行。
  3. 仙台銀行は平成銀行か七十七銀行に吸収されたかもしれない。
  4. 福島銀行と大東銀行を後に経営統合する。

静岡銀行+駿州銀行(現・清水銀行)

  • 1945年7月31日に予定されていたものの、7月7日の清水空襲の影響で10月1日に延期し、終戦による混乱などで白紙となった。
  1. 史実以上に、静岡銀行の勢力が大きかったのは間違いない。
    • 神奈川県への出店攻勢が現実より強かったかも。
  2. 清水エスパルスのスポンサーになっていただろうか。

十六銀行+大垣共立銀行

  1. 岐阜県の地方銀行は一本化されていた。
  2. 1980年代にCIを導入していたかも。
  3. 柳ケ瀬が寂れることもなかっただろう。
  4. 名鉄岐阜市内線や美濃町線・揖斐線は廃止にならず存続していた。
  5. 1945年7月に合併協議を行っており、その後の岐阜空襲・大垣空襲が無ければ、実現していた可能性がある(直ぐに終戦が来るから、その混乱で流れた可能性もある)。
  6. 高度経済成長期の頃から積極的に愛知県内に出店している。その為2020年現在愛知県内の(個人・法人の)シェアをの2割程を持っているか。

十六銀行主体

  1. 銀行名はそのまま(十六銀行)で、本店を大垣市に移転させていた。
  2. 愛知県だけでなく、三重・滋賀・長野・石川・富山・福井にも進出。
  3. 本店ビルは16階建だ。

大垣共立銀行主体

  1. 十六銀行が存続行となった場合とは逆で、本店を岐阜市に移転させていた。
    • 銀行名も「岐阜共立銀行」になっていた。
  2. 高山支店の開設が史実より早くなっていた。
  3. 長野・石川・富山・福井にも進出。
    • 現実に北陸銀行との提携がある以上、縄張り荒らしはしないと思う。むしろ三河方面にガンガン出店するんじゃね?
      • 大垣共立がメインになっていたため、大垣とのつながりがある桑名~四日市に出店していた可能性が高い。

愛知本店の地方銀行

  1. 東海銀行(現:三菱UFJ銀行)への合併を拒んだ銀行か戦後地銀であった。
    • 岡崎銀行が合併されていなかったらそのまま地銀になっていた可能性は高い。
    • その場合岡崎信用金庫がメガ信金にならずにこぢんまりとした信金になっていた。
  2. 東海銀行は早く他行と合併していた。
  3. 愛知本店の第二地方銀行は3つもなかった。
  4. 岡崎信用金庫みたいな巨大な信金は存在しなかった。
    • というか、岡崎信金が、相互銀行経由で地銀に(岐阜か静岡の地銀を呑む形で)のし上がってた可能性が大きそう。

幸福銀行+京都共栄銀行+福徳銀行+なにわ銀行

  1. 4行特例合併を採っていた。
    • どのみち経営破綻してた可能性が高い。
  2. 関西アーバン銀行は誕生しなかった。
  3. もし生き残れていた場合でも、大阪の場合どっかの都市銀行の子分になってただろうが、一体どこが持ってくれたのだろう?
    • 住友銀行か大和銀行あたりが妥当と思われる。
  4. 阪和銀行と兵庫銀行(両行とも持ちこたえれば)が合流したかも。

その他

新生銀行+あおぞら銀行

  • 2009年4月から交渉が行われ、6月に「2010年中の統合」で合意したものの、経営方針の違いなどから交渉が纏まらず、2010年5月に破棄となった。
  1. 行名は「新生あおぞら銀行」が妥当だろう。