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{{Pathnav|もしあの芸能人がブレイクしていたら|もしあの歌手がブレイクしていたら|name=グループ}}
{{淡路島}}
鳴り物入りでデビューした歌手グループがもしブレイクしていたら?
==淡路市の噂==
*新規追加は50音順でお願いします。
#こちらは北あわじ市に改名。
*後に(別の形で)ブレイクしたグループについては「史実より早くブレイクしていたら」の妄想とします。
#*いつ?2006年7月11日現在は「淡路市」のまま!
*実際にそこそこブレイクしたグループについては「史実以上にブレイクしていたら」の妄想とします。
#*将来もしも一島一市になったら「淡路島市」でええやん。
*男性アイドルグループは[[もしあの芸能人がブレイクしていたら#男性アイドル]]、女性アイドルグループについては[[もしあの女性アイドルグループがブレイクしていたら]]へ。
#*それは候補の1つ!でも非難うけてたから、変えるのかもねwww
*「○○といえば(別の××)だった」という投稿は禁止です。
#*名前変えるのに金が掛かる。そんな金あったら水道代を安くしろ!と反発が出る。
#*同じ県内の篠山市が「[[丹波篠山市]]」に改名するようだがもしうまくいったらこちらも…と思ったりもする。
#*旧津名郡なので「津名市」でもよかったような気がする。
#ミスドのドーナツを買う為に、淡路サービスエリアへ行った事がある。
#*信じられない???
#*淡路サービスエリアの中に、観覧車が出来た。
#*この街って考えてみると、市内に二つも観覧車があるのね。
#*淡路サービスエリアにはちくわの自動販売機も存在する。
#[[神戸淡路鳴門自動車道#明石海峡大橋|明石海峡大橋]]が出来るまではよく[[徳島市|徳島]]へも買い物に行ったが、最近は神戸へしか行かなくなった。
#*橋が開通する前の[[阪神淡路大震災|あの地震]]の時には、兵庫県からの支援よりも徳島県からの支援の方が先に来たらしい。
#神戸へ通勤・通学している人がいる。
#*少数だが、[[大阪市|大阪]]まで通勤している人もいる。
#**たこフェリーが24時間動いてる為。だから西明石行の終電に乗っても帰れる。(京都23:50、大阪0:25、三宮1:04発)
#***でもフェリーで通勤している人は少数派。大抵の人は高速バスで通勤している。
#****平日夕方頃の高速舞子BSには、バス待ちの列まで出来る程。
#***そのたこフェリーもついに運行休止に。
#**お陰で[[加古川市|加古川]]や[[姫路市|姫路]]の人よりも遅くまで神戸や大阪で遊んでいられる。
#***神戸から深夜帯でも帰宅できる。東浦BT・北淡IC・津名一宮ICは0時台着のバス有り。
#****東浦BTは2011年6月1日のダイヤ改正で23時台が最終便に繰り上げ。
#**それなのに神戸や大阪で「淡路島から来た」と言うと、とんでもない僻地から来たみたいに思われるのが悲しい。
#大阪辺りだと、[[滋賀/湖北|滋賀県北部]]や[[和歌山/紀南|和歌山県南部]]よりも遠い所だと思われがち。
#*確かに明石海峡大橋ができるまでは淡路島が眼中になかった(大阪人)。でも橋が開通してからは同じ県内の但馬や播磨西部よりも近く感じるようになった。
#*それでも大阪(特に市内北部と[[大阪/北摂|北摂]])で淡路から来たと言ったら[[東淀川区]]から来たと思われる。
#*逆に東淀川区民はタクシーを乗るのが怖くなった。東京の赤羽橋([[東京/港区|港区]])や江戸川橋([[文京区]])の方がマシなくらい。
#淡路市の人は神戸の病院に通うのに、県立淡路病院を欲しがる。
#*岩屋中学校、北淡中学校は、明石学区(高校)に進学できる。
#*仮に神戸~鳴門ルートに鉄道が通っていたら間違いなく阪神地区の通勤圏になっていたと思う。
#阪神淡路大震災の震源地がある。
#*海の中にwww
#*こちらは復興に時間かかり、市財政は苦しい。
#*その地震が起こった活断層を観光資源として活用している。
#**野島断層。
#地元での買い物は淡路SATYで済ます。
#*某P○A○Tが進出してくるとの噂あり。
#*サティも新洲本ジャスコに押されてだんだん寂れて来ている。
#市内で一番有名な米屋は打越米穀店。
#昔は徳島から津名まで高速艇連絡用のバスが1時間に1本出ていた。
#*明石海峡大橋が出来てから減便、グレードダウン。末期は一般道用のバスが大鳴門橋を爆走していた。
#*本数は減りましたが、現在も走っています。
#市の名前は「あ」で始まるが、兵庫県内の市を五十音順にすると6番目になる。
#*[[相生市|相生]]→[[明石市|明石]]→[[赤穂市|赤穂]]→[[芦屋市|芦屋]]→[[尼崎市|尼崎]]→あわじの順。
#**[[朝来市|朝来]]をわすれていますよ。なので7番目になる。
#農業用ため池の数が日本一。兵庫県・香川県・広島県を除くどの都道府県よりも多い。
#*兵庫を除いてどうする。
#久しぶりに墓参りのために岩屋に帰ると、「コンビニまで○km」と看板が立っていた。
#石の寝屋古墳は何処にあるのか分かりにくい。
#あわじ花さじきにはびわソフトというソフトクリームが売っていた。
#明淡高速船を播淡汽船と呼ぶ人が多い。大正11年に始まった船もそろそろ終焉。
#*明石側の乗り場の前の信号も「播淡汽船前」だなァ、そーいや。因みに今はジェノバラインになってます。
#*たこフェリーが並行して走り、格安運賃で徒歩客を乗せているため、最近はこちらに客が流れている。
#*たこフェリーも高速船も、高速千円の影響で本当に終焉を迎えてしまいそうな気配…。
#*高速船には自転車も乗せられるらしい。原付は無理だが。
#2002年W杯ではイングランド代表のキャンプ地に。
#*ベッカム様のおっかけや報道陣で大いに賑わった。が、その賑わいも今や昔…。
#旧淡路町よりも範囲は広がったが、僭称感は相変わらず。
#淡路島=たまねぎと良く言われるが、北部の淡路市ではほとんど生産していない(わが街一宮では皆無)
#*たまねぎは[[南あわじ市|南淡]]のほうがすごい。時期によっては[[神戸淡路鳴門自動車道|高速]]で走っていてもエアコンを外気にしていると臭うほど。
#実は子午線が通っている。
#*しかも子午線の町でお馴染みの明石よりも通っている距離が長い。
#*高速道路沿いにはモニュメントも設置されている。
#淡路市立学習小学校がある。
#淡路交通の舞子・大磯港線の存在がよくわからない。
#*日中のみの運行
#*単独運行?それとも他バス会社との共同運行?共同運行していたとしても出典が無い。
#*単独運行ならば、舞子・津名線に吸収統合されてもいいのでは?
#*結局、2011年6月1日廃止。
#高速艇が姿を消してからは津名港が無駄な存在
#*そのおかげで、洲本高速バスセンター発着の高速バスが津名港経由で所要時間が長くなる。洲本市民にとっては津名港経由より洲本IC経由で津名一宮IC停車の方がいい。神戸〜洲本高速バスセンターの所要時間は津名港経由のバスより、洲本IC経由津名一宮ICにも停車するくにうみライナー洲本線の方が短い。
#**2012年8月、くにうみライナー洲本線はかけはし号に吸収統合されました。
#*津名港経由のバスは津名一宮ICの停留所に停車できない。
#*淡路市の事業仕分けに掛けられて要改善の判定に。
#*でも、大学や専修学校、ワールドパークおのころなどへの旅客輸送もあるので、そう簡単に全便津名港を廃止して洲本IC経由にできない。
#*高速舞子までの定期運賃が高額。
#**津名一宮ICからであれば通勤1ヶ月37,890円(片道運賃1,150円)、一方津名港からだと通勤1ヶ月50,400円(片道運賃1,200円)。
#***洲本高速バスセンター発着津名港経由の高速バスは通勤・通学者にとってバス会社にぼったくられている状態。
#**淡路交通の舞子・津名線利用であれば、通勤1ヶ月39,240円でそれほど高くない。
#あわじ花さじきや淡路夢舞台のある場所は元はといえば[[関西国際空港|関西空港]]の埋め立てのための土砂を採取した場所。
#*2000年には淡路花博が開催された。
#市章はアルファベットのAと明石海峡大橋のイメージ。
#2010年代前半からさる大手人材派遣会社の子会社がこの地域に複数の観光施設を建設している。
#*廃校を改装した商業施設などが次々とオープン。
#*県立淡路島公園にはアニメのテーマパークが併設された。
#**なお公園の公式HP(2017年9月時点)ではなぜかそのテーマパークについてほとんど言及なし。
#*本社機能も東京から移転してきた。
#合併前の旧町名が愛知県と2つも被っていた(東浦町と一宮町)。
#*加えて愛知県には[[一宮市]]もある。
#佐野・尾崎と何気に[[大阪/泉南|大阪湾の対岸]]と2つも地名が被っていたりもする。


==旧津名町==
==あ行==
#旧津名町の志筑が中心市街なのだが、ちょっと南に偏り過ぎ。
===RCサクセション===
#*淡路島初。大学が進出してきた。
;フォークグループ時代にブレイクしていたら
#*市役所も一応ココに置かれている。
初期のRCサクセションはフォークグループで1970年に「宝くじは買わない」でデビューし、1972年に「ぼくの好きな先生」がヒットしましたが、その後、全然、売れなかったので忌野清志郎がRCサクセションをロックバンドにしたら、見事、ブレイクしました。
#*市役所は志筑じゃなくてその隣の生穂。
もし、フォークグループでブレイクしていたら・・・。
#せんべい売ってる施設がある。
#破廉ケンチが脱退しなかったかもしれない。(エレキギターが弾けない事で悩み、鬱状態になったから。)
#なんといっても金塊。
#「シングルマン」再発実行委員会が生まれなかった。
#*高速道路の市町村標識の絵にまで金塊が描かれていた。
#**R28のカントリーサインはご当地キャラみたいヤツに変わってた。
#世界の建造物のミニチュアがある淡路ワールドパークONOKOROがあるのはここ。
#海を挟んだ真東に[[関西国際空港]]がある。かつては高速艇も出ていた。


==旧東浦町==
===あみん===
#一旦、淡路町から分立した。
『待つわ』の一発屋で終わることがなかったら?
#*役場を巡っての喧嘩別れだった。
#加藤晴子が引退することはなかった。
#[[神戸淡路鳴門自動車道|高速]]からこの辺の海際に立っているのが見える2本の鉄塔は何なんだろう?
#*当然、活動休止に追い込まれることもなかった。
#*確かに気になりますね。あれは一体何なんでしょうか?(by徳島人)
#**岡村孝子名義の曲のいくつかはあみん名義でリリースされていた。
#*ラジオ関西の電波塔かと思われます。三洋電機の建物の近くですね。
#*加藤はテレビ東京に就職することはなかった。
#*もう一本は北淡垂水中継局です。
#「ふきもどし」の八幡光雲堂がある。
#町内に「大磯」がある。でも一般的には神奈川県の大磯が有名。
#*かつて[[神戸市/須磨区|須磨]]からフェリーの便があった。その名残で現在は高速バスのターミナルがある。
#*フェリー乗り場跡地には[[三洋電機]]工場も建てられた。


==旧淡路町==
===al.ni.co===
#東浦分立の際、旧岩屋町の範囲しか残らなかったのに、この狭い範囲内で「淡路」の僭称を存続させていた。
元WANDSの上杉昇と柴崎浩による2人組ユニット。
#人口も面積も、殆どが「津名郡淡路町岩屋」。実質的に「岩屋町」。
#解散することは当然なく、猫騙やabingdon boys schoolが結成されることはなかった。
#数キロ先の対岸に大都会が広がっている。
#上杉昇はキワモノ路線に走ることはなかった。
#*晩に岩屋側から本州側を眺めると、対岸全体が光り輝いている様に見える。
#柴崎浩は西川貴教と関係を持つこともなかった。
#実は同じ兵庫県内の[[神戸市/灘区|神戸市灘区]]にも岩屋という地名が存在する。そこには阪神電車の駅も存在する。
#柴崎浩はその名前ゆえに柴咲コウといじられていた。
#*阪神間在住の人(特に阪神沿線)や私鉄ファンは「岩屋」といえばこちらの方を思い出す人の方が多いだろう。
#新生WANDSの存在が薄れていた。
#*対岸の[[明石市]]にも岩屋神社が存在する。何か関係あるのかも。
#柴崎浩はWANDS再結成に際して復帰することもなかった。


==旧一宮町==
===EE JUMP===
#忘れられてるみたいなので作りました…
#ケンはサッカー選手を目指すために早期脱退することはなかった。
#線香の生産日本一?
#ユウキが非行に走ることもなかった。
#名脇役・笹野高史を輩出した。
#*後藤真希のモー娘。卒業もなかったか遅れていた。
#*しかし実家の笹野酒造は…。
#2軍ではエースだった元阪神の福家雅明(一宮中)も輩出。
#県下唯一の神宮であるイザナギ神宮がある。こんなド田舎でも一応日本文明発祥の地
#平成の大合併までは県内にもう1箇所一宮町があった(現在の[[宍粟市]])。


==旧北淡町==
===INFIX/infix===
#本当に忘れられてるみたいなので作りました…
機動戦士Vガンダムの主題歌である「WINNERS FOREVER〜勝利者よ〜」がヒットしたものの、ブレイクには至らなかった。
#室津に某相談員をやってる落語家の桂吉弥の実家がある。
#史実では実現しなかったミュージックステーションへの出演が実現していた。
#*室津といえば遠浅の海岸と播磨灘に沈む美しい夕日が見事。
#このバンドの「愛が止まらない」という曲をWinkの「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」と混同する人が増えていた。
#**高速の室津PAの神戸・大阪方面行きは行楽シーズンの日の入り前になると、急に賑わい出す。この夕日を見るためだけに泊まっていく車が多いのである。
#蛯原友里の「蛯」や草なぎ剛の「なぎ」みたく、ボーカルである長友仍世の「仍」の字の知名度が史実より増えていた。
#阪神淡路の震災で大きくずれた断層として有名な野島断層がある野島は旧北淡町の野島地区。
 
#*その野島地区にあるのが、北淡震災記念公園。ここに今も断層が保存されている。たしか断層直上にあった家も当時のままで保存されてたはず。
===H<sub>2</sub>O===
#北淡路市構想があった。(平成の大合併当時)
「想い出がいっぱい」が大ヒットしたもののそれ以降はヒット曲に恵まれなかった。
#方向性を巡って事務所と揉めることはなかった。
#オリジナル曲もいくつかリリースされていた。
#フォークソングがオワコン化することもなかった。
#*時代の変化で路線変更を迫られていたかも。
#チャゲアスをライバル視していた。
#赤塩正樹が海外へ留学することもなかった。
 
===0930===
「山田君」が話題になったものの、その後は伸び悩んだ。
#Kiroroの仕事を奪っていた。
#*イロモノでもあるのでPUFFYの仕事も奪っていただろう。
#所属レーベルの経営が悪化することはなかった。
#*そして解散に追い込まれることもなかった。
#児玉美代はローカルタレントに転じることはなかった。
#紅白歌合戦には少なくとも最低1回くらいは出場していただろう。
#「笑っていいとも」のレギュラーを降板することはなかった。
 
===オメガトライブ===
サザンやTUBE並みに人気があったら?
#何度も解散することはなかった。
#杉山清貴&オメガトライブ時代にブレイクしていたら1986オメガトライブとして再出発することもなかった。よって、カルロス・トシキはソロで活動していた。
#TUBEのライバルとして張り合っていた。
#*高島信二はビーイング入りすることはなく、TUBEの制作スタッフに参加することはなかった。
#サザンの仕事をいくつも奪っていた。
#*サザンは1988年に活動再開することなく、解散に追い込まれていたかも。
#オメガ'''ド'''ライブと間違える人も減っていた。
#オレンジレンジの存在が薄れていた。
 
==かさ行==
===girl next door===
初期の頃はそこそこの売れ行きがあったものの次第に売り上げが伸び悩んだ。
*それは聞いたことがないが・・・。
**[[もしあの芸能人がブレイクしていなかったら#girl next door|この項目]]にもありますが、史実以上にブレイクしていたらとしてください。
#千紗は北島康介との結婚後も活動をし続けていた。
#*なので[[もしあの歌手グループが解散・活動停止していなかったら#girl next door|解散することはなかった。]]
#ケラケラの存在が薄れていた。
#*そういえばこのグループ今どうしているのか聞いたことがないな・・・。
#いきものがかりをライバル視していた。
#*あのグループも放牧宣言出しちゃったしよ・・・。
#鈴木大輔はday after tomorrowのメンバーという認識で終わることはなかった。
#エイベックスはアイドルに力を入れることはなかった。
#*SKE48が移籍することはなかった。AKB48の派生ユニット(フレンチ・キス、DiVA)とソロ曲(指原莉乃、柏木由紀)もエイベックスからリリースすることはなかった。
#*IDOL Street(特にSUPER★GIRLS)に力を入れることもなかった。
#*E-girlsやBsGirlsに力を入れることもなかった。
#**というか、AKBグループとLDHはごり押しされなかったのでは?
#*それは[[もしAKB48がブレイクしていなかったら]]そうなっていた。
#エイベックスはこれ以降もELTをはじめとする女性ボーカルと男性2人を構成する3人組ユニットの結成を乱発させていた。
#浜崎あゆみ、倖田來未、ELTの仕事を奪っていた。
#*浜崎あゆみは結婚と同時に完全引退に追い込まれていた。
#*倖田來未もあの発言の余波で次第にフェードアウトされていた。
#*そういえば、これらも聞いたことがないが・・・。
#*ELTは形だけのグループになり、ソロ活動がメインになってくる。伊藤一朗はバラエティタレントに転身。持田香織はソロ歌手としてスポーツトレーナーの旦那と幸せな日々。
#楽曲がJR篠山口駅の発車あるいは到着メロディーに選ばれていたかも(千紗は兵庫県篠山市出身のため)。
 
===カブキロックス===
活動初期は人気があったものの次第に失速した。
#聖飢魔Ⅱの仕事を奪っていた。
#メンバーが次々と脱退することもなかった。
#氏神一番が素顔を見せることもなかった。
 
===KLACK===
日本人斬首映像をライブで公開してしまったバンド。
#忠実以上に叩かれていた。
#PIERROTと衝突していた。(PIERROTのキリトがKLACKを批判していたから。)
 
===ZARD===
それなりの人気はありましたが、1990年代後半以降は次第に伸び悩みました。もし、B`zのように安定した人気を堅持していたら?
#「制作上の都合」を理由とした突発的な発売延期を度々起こすことはなかった。
#*そもそもビーイングはファンを軽視した利益主義に走ることもなかった。
#*坂井泉水のわがままを晒すことはなく、ファンが離れることもなかった。
#GIZA Studio系のアーティストに力を入れることもなかった。
#メディアへの露出が解禁されていた。
#*少なくとも最低1回くらいは紅白歌合戦に出場することができていた。
#史実で坂井の死後もボーカルの交代が行われていた。
 
===THE ALFEE===
;ALFIE時代にブレイクしていたら
THE ALFEEは1974年にALFIE名義で「夏しぐれ」(松本隆&筒見京平コンビによって最初に作詞・作曲された曲)でアイドル・フォークグループとしてデビューしましたが、ヒットする事無くそれから数年間鳴かず飛ばず状態が続き、バックバンド活動等の地道な活動を経て1979年にALFEEに改名して再デビュー、その後80年代に入って大ブレイクを果たし現在まで続くロックバンドとなりましたが、もしデビュー当時のアイドル・フォーク路線でブレイクしていたら・・・。
 
#果たして30年以上バンドとしての活動が続いていたか・・・・・。
#80年代初期のロック路線への転身もなかったかもしれない。
#*同様に高見沢氏が作詞家・作曲家としても活躍する事もなかった。
#**『木枯らしに抱かれて』や『真っ赤なウソ』は存在しない。
#坂崎氏がラジオの名パーソナリティーとして名を馳せる事もなかった。
#BEAT BOYSの「スターズ★オン23」(「ショック!! TAKURO23」)は制作されていない。
#当初の4人組のまま活動を続けていた。
 
===シェキドル===
ハロプロの一員であるが、アイドル色が薄いため、ここに記載。
#大木衣吹の脱退はなかった。
#ハロプロの脱アイドル路線は成功していた。
#*史実以上にアイドルに力を入れることはなかった。
#メジャーデビュー後にハロプロを離脱することはなかった。
#末永真己が体調不良後も活動をし続けていた。
#BABYMETALの存在が薄れていた。
#*シェキドルが現在に至るまで活動し続けていれば別だが。
#2人組時代にブレイクしていたらPUFFYの仕事を奪っていた。
 
===シャインズ(SHINE'S)===
東京プリンの伊藤ようすけがかつて杉村太郎と組んでいた2人組ユニット。現役サラリーマンによる歌手グループとして「私の彼はサラリーマン」などを歌い、そこそこの人気はあったものの、史実以上に人気があったら?
#当然、東京プリンは結成されなかった。
#杉村太郎は実業家に転身することはなかった。
#*早死にすることもなかった。
#*それは関係ないのでは?
#伊藤ようすけは森永に転職することはなかった。
#*参議院議員選挙に出馬することもなかった。
#*それは違う。史実で伊藤ようすけが森永に転職したのはシャインズの芸能活動に支障が出るためである。
 
===ZOO===
TRFのYU-KIやEXILEのHIROがかつて所属していたユニット。「Choo Choo TRAIN」は大ヒットしたもののそれ以降はヒット曲に恵まれなかった。
#YU-KIの早期脱退はなかった。
#中西圭三はプロデューサーとしても名を馳せていた。
#*スーパーモンキーズの中西圭三プロデュースも成功していた。
#*その分、小室哲哉の存在が薄れていた。
#**安室奈美恵が小室ファミリー入りすることもなかった。
#現在に至るまで活動し続けた場合、メンバーチェンジを繰り返していた。
#*EXILEも世に出ることはなかった。
#**E-girlsも。
#***現在のEXILE系列は全員ZOOのメンバーとなっていた。
#CAPがクスリで{{あきまへん}}されることもなかったか?
 
===STEEL===
柏原崇の弟・柏原収史と現EXILEのネスミスによる2人組ユニット。
#ネスミスのEXILE入りはなかった。
#柏原も兄の事務所に移籍することはなかった。
#*柏原収史の活動が迷走することもなく、Pottyaをプロデュースすることもなかった。
#逆にCHEMISTRYは史実程ブレイク出来なかった。
 
==たな行==
===TM NETWORK/TMN===
*史実以上にブレイクしていたら、具体的には「(史実における)最初の活動終了時までに渡辺美里の『My Revolution』(小室哲哉の作曲)以上に大衆的なヒット曲を生み出していたら」とします。
#小室哲哉がTMNのファンに対して「15万個の消しゴム」なる発言をすることはなかった。
#1994年にTMNが終了することはなく、もう少し長く活動が続いていた。
#*ひょっとしたら[[もしあの歌手グループが解散・活動停止していなかったら#TMN|こうなっていた]]かもしれない。
#*小室哲哉が史実ほどプロデュース業に力を入れなかったかもしれない。
#史実とは異なる形で「小室ブーム」が起きていた。
 
===dos===
Kaba.ちゃんがかつて所属していた男性1人、女性2人で構成される3人組の歌手グループ。もし、TRF並みにブレイクしていたら?
#事実上の解散はなく、もう少し長く活動が続いていた。
#*TRUE KiSS DESTiNATiONは結成されなかった。
#Kaba.ちゃんはオネエタレントに転向することはなかった。
#*{{あきまへん}}することもなかった。
#*イロモノ路線に走ることもなかった。
#*遅かれ早かれトランスジェンダーを告白したか。
#小室ファミリーの黒歴史が減っていた。
#*というか、小室ファミリーの退潮は起きなかった。
 
===TRUE KiSS DESTiNATiON===
小室哲哉と吉田麻美による2人組ユニット。
#ブレイクした恩恵で小室ブームは長続きしていた。
#小室哲哉と吉田麻美が離婚することもなかった。
#*Keikoとの再婚もなかった。
#小室は5億円詐欺事件を起こすことはなかった。
#globeの存在が薄れていた。
 
===Dream5===
『妖怪ウォッチ』の主題歌で大ブレイクしたが、その後も人気を維持出来ていたら?
*男女混合ユニットですのでここ記載しております。
#2016年を以って活動終了することはなかった。
#*その前に玉川桃奈が見切りをつけて卒業することはなかった。
#**史実通り卒業していた場合、卒業後に新メンバーオーディションが行われていた。
#*大原優乃のグラビア進出は史実通り。
#**彼女と同い年の浅川梨奈<!--(SUPER☆GiRLS)-->や京佳<!--(夢みるアドレセンス)-->みたくグラビア活動しながらグループを売り出し続けていたかも。
#現在も『妖怪ウォッチ!』のエンディングテーマを担当していた。
#*2016年以降も『妖怪ウォッチ』のエンディングテーマを担当していたらこうなっていたかも。
#重本ことりのその後の活動が迷走することはなく、暴露本を出したり引退することもなかった。
#AKB48の足元に及ばなかったとみなされることもなかった。
#*『妖怪ウォッチ』の主題歌においてニャーKBが不評でDream5が返り討ちしたものの結果的にはフェードアウトされたため。
#*AKB48の仕事をいくつも奪っていた。
#**むしろメンバーの規模が小さいももクロ、でんぱ組、SUPER☆GiRLS、BABYMETAL、つりビット、Rev.From DVLあたりが適当かも。
#そもそも『妖怪ウォッチ』の人気が冷え込むことなく、安定していたらこうなっていた。
 
==は行==
===花*花===
初期の頃はそれなりにヒットしていたが、次第に売上は伸び悩んだ。
#Kiroroの仕事を奪っていた。
#0930の存在が薄れていた。
#事務所が破綻することなく、活動停止に追い込まれることもなかった。
 
===pigstar===
#「ピリオド」、「純情ロマンチカ」の主題歌担当を黒歴史としていた。
#活動休止はなかった。
 
===ヒロシ&キーボー===
『3年目の浮気』は大ヒットしたもののそれ以降はヒット曲に恵まれなかった。
#夫婦をテーマにした曲を中心に歌手活動していた。
#紅白歌合戦出場を果たしていた。
#*史実では『3年目の浮気』の歌詞の内容により、出場できなかった。
#**『3年目の浮気』は夫婦ゲンカを連想させる内容なのでそれ以外の曲を歌っていた。
#**『5年目の破局』以降の曲が大ヒットしていたら十分あり得た。
#ソフトバンクモバイルのCMではヒロシ&キーボーとして出演していた。
#*このため、ヒロシの相方はトリンドル玲奈ではなかった。
#キーボーは苦労人になっていなかった。
#*介護で暴行を受けたり万引きで{{あきまへん}}されることもなかった。
#**この顛末で『3年目の浮気』の歌詞を引き合いに出して茶化されることもなかった。
#*そもそもキーボーは浜松へ帰郷することはなかった。
#**キーボーが意欲をなくすことがなかったら帰郷していなかった。
#『男と女のラブゲーム』も歌っていた。よって、ヒロシの相方は石川みゆきではなかった。
#キーボーのソロデビューが実現していた。
 
===BINGO BONGO===
#ユースケ・サンタマリアが黒歴史にすることはなかった。
 
===Whiteberry===
『夏祭り』以外はヒット曲に恵まれなかった。
#同じく北海道出身のガールズバンドであるZONEをライバル視していた。
#大学進学後も活動を両立していた。
#*解散はほほ史実通りだったと思うが、解散ツアーはやっていたかも。
#*前田以外のメンバーも何人かは音楽活動を継続、または再開していたかも。
#ミニスカート丈の浴衣ブームも長続きしていた。
#オリジナル曲が売れないグループで終わってしまうこともなかった。
#*BaBeの二の舞になってしまうこともなかった。
 
==ま~わ行==
===MAD CATZ===
元NMB48の山本彩がメンバーだったガールズバンド
#当然山本彩のNMB48入りはなかった。
#*NMB48そのものもここまでブレイク出来たか怪しいかも。
#所属レーベルはSMEのままだった。
#*MBS日5アニメの主題歌も手掛けていただろう。
#*逆にSCANDALは、ブレイクしなかったかもしれない。
#**MUSIC JAPANアニソンSPで、けいおん!のEDテーマ曲「Don't say "lazy"」をカバーしていたのはMAD CATZとなっていた。
#**SCANDALをライバル視していた可能性もある。
#NHK朝の連続テレビ小説『[[連続テレビ小説/2010年代後半#あさが来た(15後)|あさが来た]]』の主題歌は別アーティストになっていた。
#*あるいはセンターは別のメンバーになっていた。
#**その場合、2015年の紅白歌合戦はNMB48は落選していた。
#*MAD CATZが担当したってことは…無いか。
 
===MANISH===
#KIX-Sの良きライバルとなっていた。
#女性版B`zとして名を馳せていた。
 
===MINAKO with WILD CATS===
本田美奈子が結成した女性のみのロックバンド。
#本田美奈子がミュージカルに進出することはなかった。
#*知念里奈やソニン、神田沙也加や生田絵梨花がミュージカルに進出することもなかった。
#**知念里奈の再婚相手は井上芳雄ではないかもしれない。
#BABYMETAL以前にアイドルグループから派生としてロックバンドを結成する動きがあったかもしれない。
 
===ラ・ムー===
菊池桃子がボーカルを務めていたバンド。
#菊池桃子のアーティスト転向は成功したとみなされていた。
#*歌手活動を続けており、女優に転向することはなかった。
#菊池桃子にとっての黒歴史になることはなかった。
 
===Le Couple===
『ひだまりの詩』の一発屋で終わることがなかったら?
#ダ・カーポ、チェリッシュといい意味で比較されていた。
#*後述のとおり、離婚さえなければおしどり夫婦ユニットとして名を馳せていた。
#離婚することはなく、解散に追い込まれることもなかった。
#*隆二が出来の悪さに辛辣してDVに走ることがなかったらこうなっていた。
#『ひとつ屋根の下2』の挿入歌を歌っていたユニットという認識で終わることはなかった。
#2004年のM-1グランプリでトータルテンボスにネタにされることはなかった。
#*DVDで↑の部分がカットされることはなかった。
 
===WANDS===
;路線変更に成功していたら
WANDSは元々は正統派バンドであり、中山美穂とのコラボ曲である「世界中の誰よりきっと」の大ヒットでブレイクし、一時は人気を博したが、その後上杉昇が志向するオルタナティブ路線に変更するも人気が伸び悩んだ。もし、路線変更に成功していたら?
#音楽性の違いでビーイングと揉めることなく、上杉昇と柴崎浩は脱退することはなかった。
#*よって、[[もしあの歌手グループにあのメンバーが残留していたら#上杉昇・柴崎浩(WANDS)|ここ]]に書かれているいくつかは現実のものとなっていた。
#*和久二郎と杉本一生の加入もなかった。
#*ai.ni.coも結成されなかった。
#和製GUNS N' ROSES、ニルヴァーナと呼ばれていた。
#邦楽でもオルタナティブは市民権を得ていた。
#*これを受けて二番煎じとするアーティストが増えていた。
;メンバーチェンジに成功していたら
上杉昇と柴崎浩は音楽性の違いでビーイングと揉めてWANDSを脱退し、後継者として和久二郎と杉本一生の加入とともに原点回帰した路線に変更したが、かつての勢いを取り戻すことはできなかった。もし、メンバーチェンジに成功していたら?
#2000年に解体宣言をすることはなかった。
#B'z、ミスチルの仕事を奪っていた。
#和久二郎はバーを経営することはなかった。
#*松元治郎として再出発することもなかった。
#当然、2019年に再結成することはなかった。
#*柴崎浩の復帰もなかった。上原大史のメンバー入りも怪しい。
 
==関連項目==
*[[もしあの歌手がブレイクしていなかったら]]
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 芸能史|あのかしゆくるうふかふれいくしていたら]]

2021年7月29日 (木) 07:55時点における版

鳴り物入りでデビューした歌手グループがもしブレイクしていたら?

あ行

RCサクセション

フォークグループ時代にブレイクしていたら

初期のRCサクセションはフォークグループで1970年に「宝くじは買わない」でデビューし、1972年に「ぼくの好きな先生」がヒットしましたが、その後、全然、売れなかったので忌野清志郎がRCサクセションをロックバンドにしたら、見事、ブレイクしました。 もし、フォークグループでブレイクしていたら・・・。

  1. 破廉ケンチが脱退しなかったかもしれない。(エレキギターが弾けない事で悩み、鬱状態になったから。)
  2. 「シングルマン」再発実行委員会が生まれなかった。

あみん

『待つわ』の一発屋で終わることがなかったら?

  1. 加藤晴子が引退することはなかった。
    • 当然、活動休止に追い込まれることもなかった。
      • 岡村孝子名義の曲のいくつかはあみん名義でリリースされていた。
    • 加藤はテレビ東京に就職することはなかった。

al.ni.co

元WANDSの上杉昇と柴崎浩による2人組ユニット。

  1. 解散することは当然なく、猫騙やabingdon boys schoolが結成されることはなかった。
  2. 上杉昇はキワモノ路線に走ることはなかった。
  3. 柴崎浩は西川貴教と関係を持つこともなかった。
  4. 柴崎浩はその名前ゆえに柴咲コウといじられていた。
  5. 新生WANDSの存在が薄れていた。
  6. 柴崎浩はWANDS再結成に際して復帰することもなかった。

EE JUMP

  1. ケンはサッカー選手を目指すために早期脱退することはなかった。
  2. ユウキが非行に走ることもなかった。
    • 後藤真希のモー娘。卒業もなかったか遅れていた。

INFIX/infix

機動戦士Vガンダムの主題歌である「WINNERS FOREVER〜勝利者よ〜」がヒットしたものの、ブレイクには至らなかった。

  1. 史実では実現しなかったミュージックステーションへの出演が実現していた。
  2. このバンドの「愛が止まらない」という曲をWinkの「愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜」と混同する人が増えていた。
  3. 蛯原友里の「蛯」や草なぎ剛の「なぎ」みたく、ボーカルである長友仍世の「仍」の字の知名度が史実より増えていた。

H2O

「想い出がいっぱい」が大ヒットしたもののそれ以降はヒット曲に恵まれなかった。

  1. 方向性を巡って事務所と揉めることはなかった。
  2. オリジナル曲もいくつかリリースされていた。
  3. フォークソングがオワコン化することもなかった。
    • 時代の変化で路線変更を迫られていたかも。
  4. チャゲアスをライバル視していた。
  5. 赤塩正樹が海外へ留学することもなかった。

0930

「山田君」が話題になったものの、その後は伸び悩んだ。

  1. Kiroroの仕事を奪っていた。
    • イロモノでもあるのでPUFFYの仕事も奪っていただろう。
  2. 所属レーベルの経営が悪化することはなかった。
    • そして解散に追い込まれることもなかった。
  3. 児玉美代はローカルタレントに転じることはなかった。
  4. 紅白歌合戦には少なくとも最低1回くらいは出場していただろう。
  5. 「笑っていいとも」のレギュラーを降板することはなかった。

オメガトライブ

サザンやTUBE並みに人気があったら?

  1. 何度も解散することはなかった。
  2. 杉山清貴&オメガトライブ時代にブレイクしていたら1986オメガトライブとして再出発することもなかった。よって、カルロス・トシキはソロで活動していた。
  3. TUBEのライバルとして張り合っていた。
    • 高島信二はビーイング入りすることはなく、TUBEの制作スタッフに参加することはなかった。
  4. サザンの仕事をいくつも奪っていた。
    • サザンは1988年に活動再開することなく、解散に追い込まれていたかも。
  5. オメガライブと間違える人も減っていた。
  6. オレンジレンジの存在が薄れていた。

かさ行

girl next door

初期の頃はそこそこの売れ行きがあったものの次第に売り上げが伸び悩んだ。

  • それは聞いたことがないが・・・。
    • この項目にもありますが、史実以上にブレイクしていたらとしてください。
  1. 千紗は北島康介との結婚後も活動をし続けていた。
  2. ケラケラの存在が薄れていた。
    • そういえばこのグループ今どうしているのか聞いたことがないな・・・。
  3. いきものがかりをライバル視していた。
    • あのグループも放牧宣言出しちゃったしよ・・・。
  4. 鈴木大輔はday after tomorrowのメンバーという認識で終わることはなかった。
  5. エイベックスはアイドルに力を入れることはなかった。
    • SKE48が移籍することはなかった。AKB48の派生ユニット(フレンチ・キス、DiVA)とソロ曲(指原莉乃、柏木由紀)もエイベックスからリリースすることはなかった。
    • IDOL Street(特にSUPER★GIRLS)に力を入れることもなかった。
    • E-girlsやBsGirlsに力を入れることもなかった。
      • というか、AKBグループとLDHはごり押しされなかったのでは?
    • それはもしAKB48がブレイクしていなかったらそうなっていた。
  6. エイベックスはこれ以降もELTをはじめとする女性ボーカルと男性2人を構成する3人組ユニットの結成を乱発させていた。
  7. 浜崎あゆみ、倖田來未、ELTの仕事を奪っていた。
    • 浜崎あゆみは結婚と同時に完全引退に追い込まれていた。
    • 倖田來未もあの発言の余波で次第にフェードアウトされていた。
    • そういえば、これらも聞いたことがないが・・・。
    • ELTは形だけのグループになり、ソロ活動がメインになってくる。伊藤一朗はバラエティタレントに転身。持田香織はソロ歌手としてスポーツトレーナーの旦那と幸せな日々。
  8. 楽曲がJR篠山口駅の発車あるいは到着メロディーに選ばれていたかも(千紗は兵庫県篠山市出身のため)。

カブキロックス

活動初期は人気があったものの次第に失速した。

  1. 聖飢魔Ⅱの仕事を奪っていた。
  2. メンバーが次々と脱退することもなかった。
  3. 氏神一番が素顔を見せることもなかった。

KLACK

日本人斬首映像をライブで公開してしまったバンド。

  1. 忠実以上に叩かれていた。
  2. PIERROTと衝突していた。(PIERROTのキリトがKLACKを批判していたから。)

ZARD

それなりの人気はありましたが、1990年代後半以降は次第に伸び悩みました。もし、B`zのように安定した人気を堅持していたら?

  1. 「制作上の都合」を理由とした突発的な発売延期を度々起こすことはなかった。
    • そもそもビーイングはファンを軽視した利益主義に走ることもなかった。
    • 坂井泉水のわがままを晒すことはなく、ファンが離れることもなかった。
  2. GIZA Studio系のアーティストに力を入れることもなかった。
  3. メディアへの露出が解禁されていた。
    • 少なくとも最低1回くらいは紅白歌合戦に出場することができていた。
  4. 史実で坂井の死後もボーカルの交代が行われていた。

THE ALFEE

ALFIE時代にブレイクしていたら

THE ALFEEは1974年にALFIE名義で「夏しぐれ」(松本隆&筒見京平コンビによって最初に作詞・作曲された曲)でアイドル・フォークグループとしてデビューしましたが、ヒットする事無くそれから数年間鳴かず飛ばず状態が続き、バックバンド活動等の地道な活動を経て1979年にALFEEに改名して再デビュー、その後80年代に入って大ブレイクを果たし現在まで続くロックバンドとなりましたが、もしデビュー当時のアイドル・フォーク路線でブレイクしていたら・・・。

  1. 果たして30年以上バンドとしての活動が続いていたか・・・・・。
  2. 80年代初期のロック路線への転身もなかったかもしれない。
    • 同様に高見沢氏が作詞家・作曲家としても活躍する事もなかった。
      • 『木枯らしに抱かれて』や『真っ赤なウソ』は存在しない。
  3. 坂崎氏がラジオの名パーソナリティーとして名を馳せる事もなかった。
  4. BEAT BOYSの「スターズ★オン23」(「ショック!! TAKURO23」)は制作されていない。
  5. 当初の4人組のまま活動を続けていた。

シェキドル

ハロプロの一員であるが、アイドル色が薄いため、ここに記載。

  1. 大木衣吹の脱退はなかった。
  2. ハロプロの脱アイドル路線は成功していた。
    • 史実以上にアイドルに力を入れることはなかった。
  3. メジャーデビュー後にハロプロを離脱することはなかった。
  4. 末永真己が体調不良後も活動をし続けていた。
  5. BABYMETALの存在が薄れていた。
    • シェキドルが現在に至るまで活動し続けていれば別だが。
  6. 2人組時代にブレイクしていたらPUFFYの仕事を奪っていた。

シャインズ(SHINE'S)

東京プリンの伊藤ようすけがかつて杉村太郎と組んでいた2人組ユニット。現役サラリーマンによる歌手グループとして「私の彼はサラリーマン」などを歌い、そこそこの人気はあったものの、史実以上に人気があったら?

  1. 当然、東京プリンは結成されなかった。
  2. 杉村太郎は実業家に転身することはなかった。
    • 早死にすることもなかった。
    • それは関係ないのでは?
  3. 伊藤ようすけは森永に転職することはなかった。
    • 参議院議員選挙に出馬することもなかった。
    • それは違う。史実で伊藤ようすけが森永に転職したのはシャインズの芸能活動に支障が出るためである。

ZOO

TRFのYU-KIやEXILEのHIROがかつて所属していたユニット。「Choo Choo TRAIN」は大ヒットしたもののそれ以降はヒット曲に恵まれなかった。

  1. YU-KIの早期脱退はなかった。
  2. 中西圭三はプロデューサーとしても名を馳せていた。
    • スーパーモンキーズの中西圭三プロデュースも成功していた。
    • その分、小室哲哉の存在が薄れていた。
      • 安室奈美恵が小室ファミリー入りすることもなかった。
  3. 現在に至るまで活動し続けた場合、メンバーチェンジを繰り返していた。
    • EXILEも世に出ることはなかった。
      • E-girlsも。
        • 現在のEXILE系列は全員ZOOのメンバーとなっていた。
  4. CAPがクスリで×××××されることもなかったか?

STEEL

柏原崇の弟・柏原収史と現EXILEのネスミスによる2人組ユニット。

  1. ネスミスのEXILE入りはなかった。
  2. 柏原も兄の事務所に移籍することはなかった。
    • 柏原収史の活動が迷走することもなく、Pottyaをプロデュースすることもなかった。
  3. 逆にCHEMISTRYは史実程ブレイク出来なかった。

たな行

TM NETWORK/TMN

  • 史実以上にブレイクしていたら、具体的には「(史実における)最初の活動終了時までに渡辺美里の『My Revolution』(小室哲哉の作曲)以上に大衆的なヒット曲を生み出していたら」とします。
  1. 小室哲哉がTMNのファンに対して「15万個の消しゴム」なる発言をすることはなかった。
  2. 1994年にTMNが終了することはなく、もう少し長く活動が続いていた。
    • ひょっとしたらこうなっていたかもしれない。
    • 小室哲哉が史実ほどプロデュース業に力を入れなかったかもしれない。
  3. 史実とは異なる形で「小室ブーム」が起きていた。

dos

Kaba.ちゃんがかつて所属していた男性1人、女性2人で構成される3人組の歌手グループ。もし、TRF並みにブレイクしていたら?

  1. 事実上の解散はなく、もう少し長く活動が続いていた。
    • TRUE KiSS DESTiNATiONは結成されなかった。
  2. Kaba.ちゃんはオネエタレントに転向することはなかった。
    • ×××××することもなかった。
    • イロモノ路線に走ることもなかった。
    • 遅かれ早かれトランスジェンダーを告白したか。
  3. 小室ファミリーの黒歴史が減っていた。
    • というか、小室ファミリーの退潮は起きなかった。

TRUE KiSS DESTiNATiON

小室哲哉と吉田麻美による2人組ユニット。

  1. ブレイクした恩恵で小室ブームは長続きしていた。
  2. 小室哲哉と吉田麻美が離婚することもなかった。
    • Keikoとの再婚もなかった。
  3. 小室は5億円詐欺事件を起こすことはなかった。
  4. globeの存在が薄れていた。

Dream5

『妖怪ウォッチ』の主題歌で大ブレイクしたが、その後も人気を維持出来ていたら?

  • 男女混合ユニットですのでここ記載しております。
  1. 2016年を以って活動終了することはなかった。
    • その前に玉川桃奈が見切りをつけて卒業することはなかった。
      • 史実通り卒業していた場合、卒業後に新メンバーオーディションが行われていた。
    • 大原優乃のグラビア進出は史実通り。
      • 彼女と同い年の浅川梨奈や京佳みたくグラビア活動しながらグループを売り出し続けていたかも。
  2. 現在も『妖怪ウォッチ!』のエンディングテーマを担当していた。
    • 2016年以降も『妖怪ウォッチ』のエンディングテーマを担当していたらこうなっていたかも。
  3. 重本ことりのその後の活動が迷走することはなく、暴露本を出したり引退することもなかった。
  4. AKB48の足元に及ばなかったとみなされることもなかった。
    • 『妖怪ウォッチ』の主題歌においてニャーKBが不評でDream5が返り討ちしたものの結果的にはフェードアウトされたため。
    • AKB48の仕事をいくつも奪っていた。
      • むしろメンバーの規模が小さいももクロ、でんぱ組、SUPER☆GiRLS、BABYMETAL、つりビット、Rev.From DVLあたりが適当かも。
  5. そもそも『妖怪ウォッチ』の人気が冷え込むことなく、安定していたらこうなっていた。

は行

花*花

初期の頃はそれなりにヒットしていたが、次第に売上は伸び悩んだ。

  1. Kiroroの仕事を奪っていた。
  2. 0930の存在が薄れていた。
  3. 事務所が破綻することなく、活動停止に追い込まれることもなかった。

pigstar

  1. 「ピリオド」、「純情ロマンチカ」の主題歌担当を黒歴史としていた。
  2. 活動休止はなかった。

ヒロシ&キーボー

『3年目の浮気』は大ヒットしたもののそれ以降はヒット曲に恵まれなかった。

  1. 夫婦をテーマにした曲を中心に歌手活動していた。
  2. 紅白歌合戦出場を果たしていた。
    • 史実では『3年目の浮気』の歌詞の内容により、出場できなかった。
      • 『3年目の浮気』は夫婦ゲンカを連想させる内容なのでそれ以外の曲を歌っていた。
      • 『5年目の破局』以降の曲が大ヒットしていたら十分あり得た。
  3. ソフトバンクモバイルのCMではヒロシ&キーボーとして出演していた。
    • このため、ヒロシの相方はトリンドル玲奈ではなかった。
  4. キーボーは苦労人になっていなかった。
    • 介護で暴行を受けたり万引きで×××××されることもなかった。
      • この顛末で『3年目の浮気』の歌詞を引き合いに出して茶化されることもなかった。
    • そもそもキーボーは浜松へ帰郷することはなかった。
      • キーボーが意欲をなくすことがなかったら帰郷していなかった。
  5. 『男と女のラブゲーム』も歌っていた。よって、ヒロシの相方は石川みゆきではなかった。
  6. キーボーのソロデビューが実現していた。

BINGO BONGO

  1. ユースケ・サンタマリアが黒歴史にすることはなかった。

Whiteberry

『夏祭り』以外はヒット曲に恵まれなかった。

  1. 同じく北海道出身のガールズバンドであるZONEをライバル視していた。
  2. 大学進学後も活動を両立していた。
    • 解散はほほ史実通りだったと思うが、解散ツアーはやっていたかも。
    • 前田以外のメンバーも何人かは音楽活動を継続、または再開していたかも。
  3. ミニスカート丈の浴衣ブームも長続きしていた。
  4. オリジナル曲が売れないグループで終わってしまうこともなかった。
    • BaBeの二の舞になってしまうこともなかった。

ま~わ行

MAD CATZ

元NMB48の山本彩がメンバーだったガールズバンド

  1. 当然山本彩のNMB48入りはなかった。
    • NMB48そのものもここまでブレイク出来たか怪しいかも。
  2. 所属レーベルはSMEのままだった。
    • MBS日5アニメの主題歌も手掛けていただろう。
    • 逆にSCANDALは、ブレイクしなかったかもしれない。
      • MUSIC JAPANアニソンSPで、けいおん!のEDテーマ曲「Don't say "lazy"」をカバーしていたのはMAD CATZとなっていた。
      • SCANDALをライバル視していた可能性もある。
  3. NHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』の主題歌は別アーティストになっていた。
    • あるいはセンターは別のメンバーになっていた。
      • その場合、2015年の紅白歌合戦はNMB48は落選していた。
    • MAD CATZが担当したってことは…無いか。

MANISH

  1. KIX-Sの良きライバルとなっていた。
  2. 女性版B`zとして名を馳せていた。

MINAKO with WILD CATS

本田美奈子が結成した女性のみのロックバンド。

  1. 本田美奈子がミュージカルに進出することはなかった。
    • 知念里奈やソニン、神田沙也加や生田絵梨花がミュージカルに進出することもなかった。
      • 知念里奈の再婚相手は井上芳雄ではないかもしれない。
  2. BABYMETAL以前にアイドルグループから派生としてロックバンドを結成する動きがあったかもしれない。

ラ・ムー

菊池桃子がボーカルを務めていたバンド。

  1. 菊池桃子のアーティスト転向は成功したとみなされていた。
    • 歌手活動を続けており、女優に転向することはなかった。
  2. 菊池桃子にとっての黒歴史になることはなかった。

Le Couple

『ひだまりの詩』の一発屋で終わることがなかったら?

  1. ダ・カーポ、チェリッシュといい意味で比較されていた。
    • 後述のとおり、離婚さえなければおしどり夫婦ユニットとして名を馳せていた。
  2. 離婚することはなく、解散に追い込まれることもなかった。
    • 隆二が出来の悪さに辛辣してDVに走ることがなかったらこうなっていた。
  3. 『ひとつ屋根の下2』の挿入歌を歌っていたユニットという認識で終わることはなかった。
  4. 2004年のM-1グランプリでトータルテンボスにネタにされることはなかった。
    • DVDで↑の部分がカットされることはなかった。

WANDS

路線変更に成功していたら

WANDSは元々は正統派バンドであり、中山美穂とのコラボ曲である「世界中の誰よりきっと」の大ヒットでブレイクし、一時は人気を博したが、その後上杉昇が志向するオルタナティブ路線に変更するも人気が伸び悩んだ。もし、路線変更に成功していたら?

  1. 音楽性の違いでビーイングと揉めることなく、上杉昇と柴崎浩は脱退することはなかった。
    • よって、ここに書かれているいくつかは現実のものとなっていた。
    • 和久二郎と杉本一生の加入もなかった。
    • ai.ni.coも結成されなかった。
  2. 和製GUNS N' ROSES、ニルヴァーナと呼ばれていた。
  3. 邦楽でもオルタナティブは市民権を得ていた。
    • これを受けて二番煎じとするアーティストが増えていた。
メンバーチェンジに成功していたら

上杉昇と柴崎浩は音楽性の違いでビーイングと揉めてWANDSを脱退し、後継者として和久二郎と杉本一生の加入とともに原点回帰した路線に変更したが、かつての勢いを取り戻すことはできなかった。もし、メンバーチェンジに成功していたら?

  1. 2000年に解体宣言をすることはなかった。
  2. B'z、ミスチルの仕事を奪っていた。
  3. 和久二郎はバーを経営することはなかった。
    • 松元治郎として再出発することもなかった。
  4. 当然、2019年に再結成することはなかった。
    • 柴崎浩の復帰もなかった。上原大史のメンバー入りも怪しい。

関連項目