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*モノレールは[[もしあの鉄道路線が開業していたら/モノレール]]へ記載するようお願いいたします。
*地下鉄は[[もしあの鉄道路線が開業していたら/地下鉄]]へ記載するようお願いいたします。


{{市|name=札幌市|reg=北海道|pref=北海道|area=石狩|ruby=さっぽろ|eng=Sapporo}}
==近鉄関連==
{{石狩}}
===堺線===
==区ごとの噂==
*古市~堺間、布忍~堺間
{{札幌市}}
#堺市の交通の利便性が良くなっていた。
#*逆に、堺市のLRT計画は構想されなかった。
#松原市、藤井寺市、羽曳野市から堺市に通勤・通学する人が増えていた。
#*これらの都市は現実よりも堺市との繋がりが強くなっていた。特に松原市に関しては平成の大合併で美原町とともに堺市と合併していたかも。
#*堺市の昼間人口は史実よりも多く、昼夜間人口比率は1.0を上回り、堺都市圏という独立した都市圏を形成していた。
#[[大阪市高速電気軌道御堂筋線]]の中百舌鳥延伸時にこの路線との交点に駅が設置されていた。
#*北花田駅か新金岡駅のいずれかの場所が変わっていた。
#JR阪和線もしくは南海に乗り入れて関空と飛鳥や吉野を直結する構想が出る。
#2019年に百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されると世界遺産を結ぶ路線として注目を浴びていた。


==テーマ別の噂==
===四条畷線===
*[[札幌市の交通]]
天満橋筋四丁目~額田間のちに桜ノ宮~額田間
**[[札幌市交通局]]
*[[もしあの鉄道会社が梅田に乗り入れていたら#近畿日本鉄道|こちらも参照]]
***[[札幌市営地下鉄東西線]]
#初めは天満橋筋四丁目~額田間で開業したのちに、梅田~額田間になっていた。
***[[札幌市営地下鉄南北線]]
#近鉄バスの阪奈生駒線はなかった。
***[[札幌市営地下鉄東豊線]]
#梅田にも近鉄特急が走行していた。
*[[札幌市の駅]]
**[[札幌駅]]
*[[札幌プレイガイド]]
**[[居酒屋松]]
**[[すすきの]]
*[[北海道大学]]
*[[北海道の学業#札幌大学|札幌大学]]
*[[東海大学]]
*[[藤女子大学]]
*[[札幌vs○○]]
*[[YOSAKOIソーラン]]
*[[札幌ジャイアニズム]]


==札幌市の噂==
===観心寺線===
#札幌人は自分たちの街が雪が多いと憤慨しているが、[[小樽市|小樽]]のほうが実は雪が多い。
河内長野~観心寺間
#*小樽のバスガイドが「札幌6メートル、小樽8メートル」と豪語するくらいだ。
#河内長野駅の島式ホームは両方使用されていた。(史実では、2番線のみ使用。)
#*都道府県庁所在地の中でも、[[青森市]]の方が多い。
#千早赤阪村方面への延伸が計画されていた。
#**青森市は「世界的に見ても稀に見る、豪雪地帯にある大都市」なんだそうな。県庁所在地だとイメージ的には[[新潟市|新潟]]の方が多そうだけど、実は新潟市は雪が少ない。
#***青森は大都市ではない。30万そこそこ。札幌がなぜ凄いのかは、その雪の量に対して180万人を抱えている事による。これは世界で見ても珍しい事である。ただそのせいで除雪費用に毎年100億以上かかるが…
#****確かに日本の中では青森は大都市ではないが、世界的に見れば大都市では?
#*****青森は大都市ではない。中都市に分類される
#*****人口 青森<弘前
#*****何言ってんの? 青森市の人口は30万人、弘前市の人口は17万人、ちなみに八戸市の人口は27万人(by青森県民)
#*****何故か札幌で起きる青森県バトル
#***札幌は除雪が隅々まで行きとどいている分まだマシ。by青森市民
#***しかし、除雪回数削減とロードヒーティングもドンドン廃止になり、市のど真ん中でも路地に入ると除雪が行き届かなくなってきてる。
#***区役所から同心円状に遠くなるほど、除雪が甘くなる。北区と東区の境目らへんとか。
#**※雪が降る地域で定番の「積雪量討論バトル」である。
#*いつだったか記録的な豪雪があって、小樽が完全に隔離されてしまったことがある。
#*自分の所の雪を道路にまき散らす馬鹿が多い。
#**こいつらの考えは主に2パターンあり、ひとつは車に踏まれることにより雪がシャーベット状になり、溶けることを狙ったもの。初冬や春先に多発する。もうひとつは除雪車をあてにしたもので、真冬に多発する。
#**ある地域に「除雪車が来る」というデマが広まってそこの地域の道路に排雪し通行できなくなったことがあった。家庭用のママさんダンプならまだしも(もちろん許される行為ではない)、業者のダンプで雪を置いていく悪質なケースも
#*中心部は近年どんん温暖化してる。特に冬場の最低気温で-10度以下でさえ珍しくなった。1月の平均気温はかつては-5.5度だったのに、いつの間にか-4.1度に。このままでは、冷帯から温帯へ変わりそう?温暖化した影響で、雪質はパウダースノーから重い雪になり除雪が大変に。
#**ただ、温暖化してるのは、気象台がある中心部だけ。今でも、郊外は1月~2月、毎日-10度以下。-20前後まで普通に下がる。冬場の朝の気温は最も高い中心部からドーナツ状になり、中心部よりも手稲山口などの沿岸部のほうが冷え込みがきつい。北東・南東・東へいくほど朝の冷え込みが厳しくり、中心部との温度差10度以上になることもある。
#札幌人は、自分が北海道の中でも特になまっている方だと言うことに気がついていない。
#*「なまら」「したっけ」などの、代表的な北海道弁を普通に使うのは札幌人(と、その周辺市町村)くらい。
#**しかし何が悲しいのか北海道弁をわざと使う連中はどう思って使ってるんだ?
#*本州の本社に主張に行って「棒っこ」と言ったら、なに?といわれた。
#**「●●っこ」は東北の方言。「馬っこ」「べこっこ」みんなそう。「ぼっこ」も同じ。「どじょっこふなっこ」という童謡もあったが、今の若者は知らんだろうなぁ。
#*「ごみを投げる」「ざんぎ(鳥のから揚げ)」が一般的な日本語だと信じている。(ざんぎが通用するのは他には[[今治市]]くらい。)
#**今治市の他でも、[[愛媛/東予|東予]]なら通用します。※移動させますた。
#***東予では「せんざんき」と言うらしい。餃子の王将(北海道にないけど)では「エンザーキー」と言う(店員だけ)。
#****ザンギ=から揚げは間違い。ザンギは醤油ベースの味付けがしてあるので、正確にはから揚げとは物自体ちょっと違う。鳥のから揚げとして別にあるし、ふたつは別物だよ
#**東京に進出した居酒屋「つぼ八」のメニューには「ザンギ」が載ってるので、東京でも知ってる人は少なくない。
#***最近さいたま市緑区界隈の「魚吉鳥吉」って店でも「ザンギ」が載っているのでその界隈でも知ってる人はそれなりにいるかも。あそこのザンギうまい。
#*「ごみを投げる」は、仙台でも言います。
#**盛岡でも言います。by盛岡人
#*「ゴミを投げる」「したっけ」はもともと[[仙台市|仙台]]弁。明治に北海道に入植した人たちの名残だそうです。札幌市白石区は[[宮城]]県[[白石市]]の住民の入植先だったらしいからそのあたりが密接に関係するかと。
#**新潟人は、「したっけ」「なまら」は新潟方言であり、新潟からの入植者が多かったが故に北海道に根付いたと思っている
#***道新で「なまら」論争が勃発。発端は北海道観光振興機構の情報誌のタイトルが「NAMARA(なまら)」としたことによるもの。2013年4月ごろ投書欄で「”なまら”は方言でなく地域の若者言葉」「下品」「元々北海道の方言でない」(→タイトルを変えろ!という主張)などと反対派がヒートアップ。
#****この論争は道内だけにとどまらず[[TBS|恵が司会の全国ネットの昼番組]]にまで取り上げられた。
#****道内の親戚のおばちゃんは普通に「なまら」を使っているぞ。それも数十年前から。そして当時から「おばちゃん」だった。
#***新潟には仕事で何度も行ったが、「なまら」は一度も聞いたことがないな。
#**「らしい」じゃなくその通り。なのであの辺りは現在「しろいし」区になっている。「白石」は「しらいし」と読む地域が圧倒的に多いのにあそこが「しろいし」なのは、入植者が出身地の地名を付けたから。道内にはこの手の地名が多数ある。
#*[[関西弁]]がなまっていると信じて疑わない。
#**「わや」と「ナンボ」は間違いなく通じる。兵庫県の移民が多かったのも原因かも。
#***日本一県民性のない土地だけど、移住したのは「北の零年」みたいに淡路島の人?
#***「ナンボ」は、仙台でも言います。
#****盛岡でも言います。by盛岡人
#**屯田兵制度によって作られた街なので、全国各地の移民が入っている。
#***それに加えて大正時代の関東大震災で被災して東京から北海道に移住してきた人たちや、戦後に樺太・千島列島から北海道に引き揚げてきた人たちも多数札幌に住み着いたので、首都圏以外では最も標準語に近いといえる。
#*「くすぐったい」ことを「こちょばい」と言う事があるが元をただせば関西周辺の方言らしい。東北や関東の出身の人間は「こちょばい」と言わないらしい。
#*北海道は元々移民の土地。だから日本各地の方言が結構入り混じっている。道民なら大抵知っている。
#**そのはずなのだが、なぜか北海道人は自分たちが北海道弁と理解している語彙が北海道以外いかなるところでもで通じないという前提で語りたがる。
#***でも「ばくる」は他の地域で通じたことが一度もない。元はどこの言葉?
#*「ほっちゃる」と捨てる意味で札幌の友人が使いますが、これは何処の方言だろう?
#**「放ったる」(ほうったる)だとしたら、「放る」は大阪では言うね。
#コンビニに[[すすきの|ススキノ]]の情報誌が売られている。
#*他にないもの。[[歌舞伎町]]とか[[五反田]]とか福原を載せられても。
#*「どうだい!他所なんかと比べたら断然いいだろ!」という意思表示。
#大型商業施設が建つたび、エスカレーターは左に列を作るべきか、右にすべきか議論が絶えない。
#*地下鉄が左側通行のせいか普通は左に列ができる。
#*つーか右側に並んでるの見たことない。
#*日本で右側は大阪くらいだろ。
#**海外では右側が基本。
#*片側ばかりに荷重をかけるのは機械に良くない。だからアナウンスでは「中央にお乗りください」って。
#*[[北海道新聞|道新]]に「せせこましい関東や関西にない、中央に立ってゆっくり列車に乗ろうよ」というトンデモコラムが昔載ってた。
#**関東や関西の人から見たらどう見ても道新は迷惑行為推奨……と言いたいところだが、エスカレーターは動く歩道のように駆けあがったりすると止まってしまうことがあるから道新の主張もあながち的外れではないかもしれない
#***関西は知らんが東京だとここ25年くらいでできた習慣なんだよな。ちなみに片側追い越しで空けておくよりも、2列できっちり並んで乗ったほうが輸送効率はいいそうだ。
#**そして実際オバチャンたちは両側で立ち止まるのである。
#「ジンパ(ジンギスカンパーティー)」を全国区の言葉だと思っている。
#*しかし恐ろしい事に、ここ最近のジンギスカンブームで、全国区の言葉になりつつある。
#*北大用語であるが少なくとも東京の''スイーツ()''には輸出されている。
#**内地の羊肉は匂いがキツイので、嫌いな子が多い。特に女の子。
#***というふうに道民は羊肉が道産だと信じているが、実は道内に流通する羊肉はほとんどがオーストラリア・ニュージーランドなどの外国産である。道産羊肉は高い。
#***子供の頃、肉と言えば豚か羊だった。たまに牛肉を食べると牛特有の癖が気になった。(実は乳牛だったのかもしれないが・・・)
#****肉屋に行くと高い順に牛→豚→鶏→羊だった。フツーに羊肉が並んでいたもんだよ、あの丸いマトンが。
#**しかし某番組で「羊の肉にはダイエット効果のあるアミノ酸が多量含まれている」と放映されてから、女性の人気もうなぎ登りである。
#*札幌生まれ札幌育ちだが、初めて聞いたw
#**ジンパは元々北大用語なので、知らないのも無理はない。今でも全国区用語とは言い難い。
#***東京じゃ誰も知らないぞ。
#進学や就職の際に、道外へでることに強い抵抗を感じる人が多い。
#*大学のレベルは「[[東京大学|東大]]→京大→北大」だと思っている人が結構いる。しかも北大卒の方が重宝される。
#**私の両親がマジにそう信じている。ケツ叩かれて無理やり北大行かされたけど、卒業後に身の程を知る(苦笑)。
#*東京基準の収入で北海道勤務なら、道内では勝ち組。頭のいい道民はだいたい道外に流出する。地元就職は公務員や全国規模の大企業以外は収入レベルが絶望的に低い。
#中小企業になると北海学園大学閥があるという。世間から見れば三流大だけど。
#*だが、他の道内私大と比べると一流であるという認識が定着しているのも事実。
#**ものはいいよう<!--(嘲笑)-->。
#「就職は道内」という人は、たいがい「道内=札幌」。
#*勤務地が札幌とその近郊以外になることを嫌がる人も……。
#*嫌です。
#*正直、田舎で顕著な不景気と少子高齢化のせいで、札幌圏以外の就職口は非常に少ない。
#**札幌だって十分少ない。
#都心商業地域が二箇所に分散されているとよく聞くが、実情は「札幌駅周辺=大人・小金持ち以上・ノーブルな一般人を含めたノーブルなオタクなどの人達が集う場所」「大通公園周辺=子供・貧乏人・おたく・ヤンキーが集う場所」と棲み分け化が確立しつつある。
#*相次いだ大型書店の駅前移転が影響。
#**紀伊国屋の移転が、大通にとどめを刺した。
#**最近は駅周辺=パソコン・書店街 大通(西1丁目)=オタクショップ街となってきている。
#よほど商品単価が高い(厚利少売)のか、客足がまばらなのに経営が成り立っている二条市場。
#*最近は、田中義剛よろしく、ネットで儲けているらしい。
#市内コミュニティーFM局(数は多い)と言えば、「内紛」が定番キーワード。とにかくどこも局内の人間関係が悪い。米プロレス団体「WWE」に匹敵。
#*「財界さっぽろ」等、道内ローカル経済情報誌にとっては格好の飯の種。
#**それが「クオリティ」なんですね。
#**ほとんど素人だけで素人仕事をいかにもな顔してザツーにやっておるな。
#[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]サポーター、もしくは[[北海道日本ハムファイターズ]]のファンが三人集まれば、話題の中心はチームの成績よりも、まずは「あの選手を(他チームに)奪われない為にどうすべきか」「あの監督に逃げられない為にどうしようか」といった具合。
#*そんなことはない。 by日ハムファン
#*日ハムは強さを維持しているからよほどの選手が放出されない限り言われないが、コンサドーレファンの特徴としては概ね正しい。
#無理を承知で、JRタワーにはりあおうとしているテレビ塔が何やら微笑ましい。
#*「[http://www.tv-tower.co.jp/103/ テレビとうさん]」というトボケた感じの裏マスコットキャラ(しりあがり寿みたいなデザイン)が人気を博しているが、「じゃあ表マスコットキャラは?」と尋ねられると、誰も答えられない…。
#**表マスコットキャラは今のところ存在しない。
#***実は『[http://www.papara.jp/moblog/archives/2006/11/post_3921.html タワッキー]』という、さっぽろテレビ塔の公式キャラクターがいる。
#*そのときの風速にもよるがテレビ塔はけっこう揺れるのでご注意。
#**風がもっと強くなると、屋根のトタンがはがれる。
#ミスドの喫煙席、座っているのはいつも若い女性客。
#*つまりが女子高生。
#道路ごとに仕切られたブロックによって住所が表される。したがって、同じ交差点にある信号でも柱が立つ位置によって信号の名前が違っていて訳がわからない。
#*それは札幌における条丁が、「通り」ではなく「シマ」を指すから。(下にも書いた人)
#**おかげで迷子になったことがあります。
#***通りの名前は数字の大きい方をとる。北1条と北2条の境目に「北2条通」がある。慣れるとなんてことない。
#****ただし中心部の北1条~南19条だけは例外。南○条通の両側が、南○条という住所になってたりする。(計画的に都市づくりがされているようで、意外とそうではない。)
#*****南3条以南の石山通周辺のブロックが、それ以北のブロックに比べて微妙に傾いているのは、区画作成のときに磁北基準から真北基準に途中から変更したため。
#******変更じゃなくて、どっちにするかを決めていなかっただけ
#*******街区の1ブロックは「一丁角」とも呼ばれる。(特に年配者)
#古くからある個人医院では、6月には「北海道神宮祭のため休診します」10月には「観楓会のため休診します」というお知らせが出て本当に休診する。
#*神宮祭の日は小学校も午前授業
#*6月15日(北海道神宮例大祭本祭)に高熱を出し病院へ行ったら休診でえらい目に遭った。しかもその日は自分の誕生日!最悪だった…
#*建設業界も休みになります。(神事のため)
#市の面積は[[東京23区]]の約1.8倍。それ故か、面積の感覚がなんか違う。
#*南区の面積だけでも23区を上回る。
#**南区(=ほとんど山地)を除くと面積は6割引きになってしまうが、それが実質的な市街地。なので人口密度はそれほど低くない。
#***南区だけでスキー場2つにダム2つ、大温泉地をもつ。因みに中央区も小林と盤渓が中央区なのでスキー場2つ。
#****南区のスキー場は藻岩山、札幌国際、フッズ(藤野)、滝野で4つ。(真駒内が潰れていたのにはショック。)
#*感覚はだいたい一緒。よく勘違いされるが、ちょっとそこまでで、車で一時間。…なんてことはない。札幌圏以外ではありえるが
#*対人距離は明らかに東京より「長い」。電車の中で、立っている人の隙間を人が通れる程度の混み具合で、すごい混雑だと思う。
#**札幌から「ちょっと」離れると汽車の中で席が半分埋まっているだけで激混みだと思う。ただし、その「ちょっと」の距離が問題。
#**そのせいで、地下鉄8人掛けなのにそこそこ混んでてもゆったり掛けてる人が多い。もっと詰めろ!
#**もうちょっと詰めましょう。混んでるときにゆったりと座席に手荷物置くな。
#***それよりも混んでる訳でも降りるわけでもないのにドアの前にふきだまるのと、ガラガラなのに乗らずに次の電車を待つのがイラつく。
#意外と地元の人は「じゃがポックル」を知らない。
#*千歳空港で人気のためでは?
#**当初、新千歳空港の土産物店でしか売っていなかったため。地元民はそれを買うためにわざわざ空港には行かない。
#*中山峠の「あげいも」なら知ってますが。全国にあるこの食い物(特に高速の売店)の発祥地らしい。
#**それ美味い。大好き。
#***でも3つ串刺しはやや多く3つめで脂っこくなる。夕食に影響する。2つがちょうどいい。
#**あげいもなら中山峠よりも京極町の吹き出し公園の売店のほうが圧倒的にうまい。一緒に売ってるコーヒーとの組み合わせは最高!
#**支笏湖近くのポロピナイの売店で食べたが、結構美味しかった。3つで250円。
#*ジャガビーとどこが違うのかさっぱりわからない。コンビニ行きゃーいくらでも買えるのにあれに狂喜して買う人の気持ちがさっぱりわからん。(元道民、現兵庫県民)
#*むしろ本州の人から初めて聞いた。
#[[すすきの|ススキノ]]や大通りをフラフラしていると警察官ではなくボランティアに捕まる。
#*ガーディアン・エンジェルスですよね?
#*民間交番もある。
#タバコをポイ捨て、歩きタバコが見つかると市民・観光客問わず罰金1000円。
#*比較的喫煙にはルーズだったのに急に厳しくなったよなァ。JR北海道も特急全面禁煙にしたし。
#*駅周辺からすすきの近辺まで禁煙なので、旅行者は特に注意。
#戦時中、ここに原爆を落とす計画もあったらしい。ソ連の上陸防止のため。
#*実際は空襲すら受けなかった(手稲とかはのぞく)。
#**手稲は1963年以前は札幌じゃなかったし。
#**原爆投下の候補地になったのは、爆弾の効果を確認するに十分な都市規模と面積だったから。[[ソビエト|ソ連]]とかは関係ない。また、空襲を受けなかったのは原爆投下候補地だったから(空襲した焼け野原に投下しても被害規模や効果が確かめられない)。[[広島市]]・[[長崎市]]やその他の候補地も同じ理由で大規模空襲はなかった。
#***そもそも旧日本軍関係の工場が少なかったですからねぇ
#****サイパンから遠すぎたのでB29による空襲もなく、海がないので艦砲射撃もなかったから、地震が少ないことと併せて戦前からの町並みや建物が内地の都市よりも残っているという意外な状況。
#同じような地位で都市規模も同じ程度の[[福岡市]]といつも都会論争している。
#*同じくらいではない。福岡のほうが明らかに上。もはや[[仙台市]]のほうが近い。
#*福岡の強みは新幹線や都市高速、大手私鉄があること、都市圏人口が220万人と札幌より多いこと。
#*札幌の強みは市自体の人口の多さ、商業施設の充実ぶり、高層ビルの多さ。結論はつきそうにない。
#*野球で勝負!(ぁ
#*美人で勝負!札幌かな~
#**福岡も美人は多いぞ。
#*サッカーで勝負!(・・・
#**どっちも貧乏でどっちも弱くてどっちも地元は野球人気
#**両方とも負け!
#*大学で勝負!(どっちだろう?
#**旧帝の北大と九大では偏差値的に九大の勝ち。私大では西南学院大が頭ひとつ抜けてるから、全体的に福岡の勝ちだろうね。
#***入学試験の偏差値は九大、学術研究レベルは北大の勝ち。祝!ノーベル賞!
#***90年代前半までは、札幌の藤女子大は間違いなく西南学院大と偏差値で並ぶかそれ以上だったんだが。やはり女子大厳冬の時代の影響か、今の藤女子大は・・・(略)。
#*バスケで勝負!(リーグが違う・・・
#*また、碁盤目状の区画整備、人口、商業施設などの観点から、[[名古屋市]]と比較される事も多い。
#**実際のところ、それは名古屋市民の片想いでしかなく、札幌市民は名古屋に関心を抱いていないのだが・・・。
#***名古屋人も札幌には目を向けておらず、いかに[[大阪市|大阪]]を上回るかにしか興味はないみたいだが・・・。
#*隣の市と合わせて200万人以上なら特別区になれることに。つまり、福岡→政令市(笑) 札幌→特別区 の可能性が!
#*人口密度だと福岡どころか[[北九州市|九州のすべての]][[熊本市|政令指定都市]]に負けているから福岡のコールド勝ち。
#勉強サボって札幌競馬場に通っている予備校生が意外と多い。
#*予備校をゲームセンターと競馬場と居酒屋と電気屋で囲むのってどうかと思うの私。
#札幌競馬場最寄駅は桑園駅「くわぞの一枚!」といったら他所者とバレル。(ソウエンと読む)
#*ヨソモノっていう考え方、あんまし無くね?
#*その前に窓口で切符を買う事はサスガにないと思うけど。
#映画「日本沈没」で七大都市のうち唯一存在が忘れ去られた。[[仙台市]]や[[広島市]]よりも人口多いのに…。
#*しかしテレビ塔や道庁が崩壊していく図柄の専用ポスターや広告が組まれたのは札幌
#**理由が『ガ○ラで札幌は壊した事あるから。』
#*ちなみに1974年放送されたTBSドラマ版では第20話で札幌周辺が沈没する。
#札幌駅、大通り周辺を「まち」と呼ぶ
#*大通り公園を「通り(どおり)」と略して呼ぶ人もいる
#**札幌駅周辺は「サツエキ」。
#***そう呼ぶようになったのは2000年頃から。年配世代には通じない。
#***そもそも中高年にとって札幌駅は「永遠に工事中」のイメージのほうが強いため、「今でもなんとなく生活圏に含めていない」という人は少なくない。
#**「どおり」はガキしか使わない。新札幌「シンサツ」は年寄りにも辛うじて通じる。
#**表記注意!「通り」の「り」はつけないのが札幌流です。
#ジンギスカンの発祥地だと言っているが、本当の発祥は[[北海道/空知|空知]]管内の[[滝川市]]。
#*そんな事言ってる人なんて居るの?北海道=ジンギスカンなら言ってるが…。
#**意外に結構いる。
#***おそらく月寒にある八紘学園の「じんぎすかんクラブ」が普及のきっかけだからかと。
#****ジンギスカンとして確認されている最古の記録は東京で北海道ですらない。
#****普及に尽力したのは、滝川の畜産試験場(漬け系)と北海道庁(後ダレ系)の人です
#札幌ホワイトイルミネーションは日本のイルミネーション発祥の地
#*ホワイトイルミネーションをカップルで見に行くと破局するらしい
#**最近では「片道だと破局、往復すれば逆に愛が深まる」とも言われている。
#札幌出身の芸能人は案外札幌にばかりこだわらずに普通に「北海道出身」と言う。
#*札幌出身の関東在住者も同じ。
#*それは親が札幌人ではない例が多いから。また、北海道と札幌の区別がつく頭のある人が芸能界に入るはずもない
#*札幌以外の北海道出身者に気遣ってるからでしょ。私もこういいますよ。
#*「あくまで経済中心としての都市部(しかも本社機能は東京に置いてしまうことが多い)」という認識によるものとも言える。
#**産業中心の北海道にありながら工業も農業も水産業も札幌はほぼ消費と流通、集客の機能しか持たず、またそれらの恩恵と文化的影響を大きく受けていることから「札幌市民」というよりも「北海道民」と言ったほうがしっくりくるようだ。
#棒を表す言葉「ぼっこ」を方言と思っていない。
#*2本指(親指+他4本)の手袋を「ぼっこ手袋」という。
#[[札幌ドーム]]の近くには「グリーンドーム」というドームがある。初心者は間違えないように(間違えようもないが)。また、他にも「つドーム」等のドームが存在する。雪国ならではである。
#*「月寒グリーンドーム」はほぼ毎週中古車市をやっている。「つどーむ」の表記は平仮名。ちなみに札幌ドームの隣に札幌競馬場を移転し、全天候型にしようという動きがある。
#**「月寒グリーンドーム」の正式名称は「共進会場(きょうしんかいじょう)」という。その昔、そこで牛のせりが行われていたのである。地元民は未だに共進会場と呼んでいる。
#**「月寒グリーンドーム」では18年前くらいに「コム博」というものが行われていた。
#**札幌ドームでは、雪をイメージした「白いカレーライス」が食べられます。
#**最近は「北海道ペット・ワン博」というのもたまにやっている。
#**1982年には「北海道博覧会'82」がここで開催され、道内初の回転ジェットコースター「ループ・ザ・ループ」に長い行列ができた(このコースターはテイネハイランドに移築され現役)。また、大スクリーンの映像に合わせて座席が動く「ダイエー館」も人気を博した。
#**しかし、1988年に同じこの場所で「世界・食の祭典」を開催したところ、バブル景気にも関わらず見事に失敗。巨額の赤字となる。それ以後、ここで巨大博覧会は開催されていない。
#***黒歴史を挙げやがって! でも、一村一品運動は定着。 ああ横路孝弘。
#****裏では「世界・汚職の祭典」と呼ばれていた。革新系知事は役人に甘い。 はぁ横路孝弘。
#***その失敗を教訓にしてか、2008年より大通公園で「オータムフェスト」なるイベントが開催されている。
#*グリーンドームのすぐ近く(なので札幌ドームからも近い)には「ゼビオドーム」もあるが、ドームではなく多少大きいスーパースポーツゼビオ。
#*「つどーむ」の正式名称は「札幌コミュニティドーム」。
#**その名前のせいで間違えて羊が丘に行ってしまったよ。
#*ネーミングライツとかというやつで名前が「月寒アルファコートドーム」という長い名前に変わってしまった。
#**だけどその事実に気付いている人間は少ない。
#*「月寒アルファコートドーム」は「レラカムイ北海道」なるプロバスケチームのホームコートでもある
#*羊が丘店の他に支店あり。→「札幌ドーム 清田店」
#*北海道のオタクにとっては、つどーむ・月寒=月毎、札幌ドーム=半年に一度 の即売会会場と認識されている。札幌市内はもとより、全道からサークル・コスプレイヤーが集まるため、良くも悪くも圧巻である。
#**同人誌即売会のくせにコスプレイヤーの存在感の方が圧倒的に強いという地方特有の悩みも。
#***ちなみに、つどーむだと2000SP募集して200SPくらいしか集まらない。
#*施設の老朽化が進み維持管理の負担が増加する一方で、建設当時と比べ大規模屋内施設が増加したこと、そして何よりも本来の目的で使われるイベントが少なくなり、名ばかりの施設となったため、2009年9月、2015年度を目処に廃止する方針を固めた
#小学生のミニバスケットボール大会や中学校のバスケットボール大会での北海道地区大会では男女とも札幌地区が優勝することがしばしば。
#実は海に全く面していない。
#*海に面していない政令指定都市は札幌市とさいたま市と京都市。
#**手稲区だと1番海に近いところまで1km無かったりする。(海側は小樽市)
#***小樽市銭函地内の移動(三丁目←→四・五丁目)に札幌市内を通る必要があったりするんだよね。
#**[[相模原市|新しい仲間]]ができた。
#札幌駅周辺にはヨドバシカメラ、ビックカメラ、東急百貨店があるので東京の飛び地かと思ってしまう事がある。
#*支店経済の都市だし、あながち間違いではない。
#**「東京にあるものは札幌にある。札幌にないものは東京にない」なんていってたね。
#***かつては「リトルトーキョー」って言ってたりする(自称?)。
#***だが実は、上記3つが全て揃ってる街は東京には1つも無い。(東急百貨店・ビックがある渋谷にはヨドバシがなく、東急とヨドバシがある吉祥寺・町田にはビックがない)
#****ヨドバシとビックがあっても東急百貨店がないのが横浜、川崎、八王子。
#「ジョッピンカル」という名の日本一ビッグな草サッカーチームがある。何がどうビッグなのかはさておき…。
#*かつてはレアルじょっぴんなど多数のチームで構成されていた。
#*総監督は何とあのウーゴ・フェルナンデスである。
#*「何でサッカーチームで『じょっぴん』なんだ?」と思ったけど、「カテナチオ(じょっぴんかる=鍵をかける)」から取ったのかw
#札幌の街が'''"世界第一の都を造る"'''と言う、[[wikipedia:ja:島義勇|一人の九州人]]の雄大な構想によるものである事は殆ど知られていない。
#*大通り公園の広大なスペースはこの人の我侭によって出来た。
#**オフィスビルと商業ビルに囲まれ、サラリーマン、買い物客、観光客全てを受け入れられる憩いの場。あってよかったな。
#**元々は防火帯です。
#***防火帯→ゴミ捨て場→畑→運動場→公園(現在)
#**「大通」に「り」の送り仮名はつけないで!
#*お墓は[[佐賀市]]の来迎寺(らいこうじ)にありますよ。
#25年位前は札幌に本社のある(あった)ソフトウェア屋(ハドソンやデービーソフトなど)はなぜか[[シャープ]]のパソコン向けのソフトばかりを作っていた(当時はWindowsはおろか、16ビットマシンさえぜいたく品だった)。
#*当時は電子部品はここと狸小路の梅沢無線にお世話になった。(もう1軒、狸小路のすぐ傍にあったマイコン専門店、あれは何ていうお店だった?)
#**札幌駅西のガード下に移ってます。
#札幌が一番住み良い街だと思う。寒いのは着込んだり懐炉を持ち歩くとかで何とかなるが暑いのは半袖半ズボンぐらいは出来るがそれ以上はちょっと...何故なら余りに肌が見え過ぎる服装だと露出の問題で出来ないから。だから暑い所に住んでる人(沖縄や鹿児島)は裸族が羨ましいと思う!
#*このように自分勝手に自慢げに語るのが札幌クォリティ
#**そして札幌にやってきた道外人が「本州に帰りたくない」と言い出すととても喜ぶ。
#***でも実際にそう言ってくれるのは、超少数。とくに首都圏、中京圏、関西圏から来た人間は異常に地元に帰りたがる。
#****関西人はどこへ行っても「地元が最高や!」と頑なに言い放っている。
#*札幌人は毎シーズン数メートルの降雪が大したことだと思ってないからね
#札幌地裁本庁は[[北海道/日高|浦河支部管内]]の合議事件も取り扱うが、浦河支部管内との間の[[室蘭市|室蘭]]・[[苫小牧市|苫小牧]]両支部管内の合議事件は取り扱わない。
#冬季オリンピック開催都市で最大の都市。人口が100万人を超えているのはここだけ。2番手のトリノもギリギリ100万人未満。長野市に至っては札幌市の6分の1。
#*その座を北京が虎視眈々と狙っているそうだ。
#札幌の時計台の鐘の音は初めて聴いた時、その余韻の無さに驚いた。しかし今札幌を離れて暮らしているとあの音が懐かしい。
#*日本三大がっかり名所の一つ
#**あと2か所はどこ? 世界3大がっかりスポットにも入っていなかったっけ?他の2か所はアムステルダムの人魚像とシンガポールのマーライオン。
#*ビルが入るとがっかり感高まるので、ぜひがっかりしない角度を探して見上げたり写真を撮ったりして欲しい。がっかりしない写真は大体そこから撮影されている。
#初音ミクの故郷。
#*正確には初音ミクを開発したCRYPTONの本社のある街。
#*だが、[[ヤマハ]]のある静岡を故郷と勘違い(?)してる人の方が圧倒的に多い・・・。
#**CRYPTONが作ったのは初音ミクの音声データデータベースとパッケージだけ。プログラムエンジンやVocaloidエディタはYAMAHA製。
#***VOCALOIDはヤマハが作ったが、「キャラクターボーカルシリーズ01『初音ミク』」を作ったのはクリプトン。ってことで静岡生まれ札幌育ちでいいんじゃね?
#その昔「札チョン族は二度泣く」と言われたらしい。
#*転勤族だね。最初は「僻地に左遷された」と泣き、実際に住んでみると土地柄や人柄に魅せられ、昇進して本社に転属するときに「札幌を離れたくない」と泣く。
#札幌は北海道の中心地のためか、地元人は札幌は東京と張るくらい都会だと思っている。が、実際は横浜の足元にすら及ばない田舎。人口は多いが人口密度が他の都市に比べ極端に低いのも勘違いを助長していると思われる。
#*単に無知なだけ。
#*この項目を書いた人がな…人口密度って
#**編集されたせいなのかもしれないけど文章の後半がよくわからん。人口密度が低いなら普通は田舎だと思うのでは。
#*横浜は日本最大の「市」だよね。比較対象が無茶すぎる。
#*横浜はともかくとして・・。広島、名古屋、神戸などの地方都市と比較してもちょっと厳しいかも。
#**それも大きな誤解。札幌市の人口密度は1,680人/km²。広島市(1,290人/km²)より多く、京都市(1,770人/km²)と遜色ない。
#***堺市(5,580人/km²)神戸市(2,780人/km²)名古屋市(6,890人/km²)さいたま市(5,530人/km²)千葉市(3,490人/km²)横浜市(8,360人/km²)
#****人口密度以前に周辺都市の人口があまりにも少なすぎる。
#****福岡市(4,600人/km²)はおろか九州だと熊本市(1,890人/km²)や北九州市(1,900人/km²)と比べても低い。
#***まあ京都も広島も近年になって隣接の過疎地域(京北町→京都市右京区、湯来町→広島市佐伯区)を吸収した訳で。
#***そもそも市の総面積に対する人口密度で比べたら南区の山ん中とか京都市右京区、北区とかみたいなほとんど人の住んでいないところも含んでいるから意味がない。可住地面積に対する人口密度でで比較してみたら?
#**数字ではなく、道民、いや札幌の人は田舎の意識がなく札幌を大都会だと勘違いしてるってことがこの項では言いたいんでないかい?
#**札幌駅周辺の話をするんであれば近代的な都市計画のもとに作られた地下鉄や地下歩道が整備された都市は国内でも世界的にみても都会に含むと思うぞ。…まさか丘珠やあいの里や定山渓を都会と思ってる奴はどこ探したっていないだろ。
#*札幌の[[江別市#札幌市江別区の噂|ベッド]][[石狩市|タウン]][[北海道/石狩#北広島市の噂|三人衆]]も札幌近郊以外の道内全都市よりも都会だと思っている。札幌の威光に頼ってばかりのあんたらより[[旭川市|旭川]]とか[[北見市|北見]]の方が断然上だと思うぞ。
#**札幌の威光とかw 札幌に都会を求めているor札幌を都会だと思ってるのなんて道民ぐらい。
#***社会学的な見地からは都会だけどね。
#***いや、青森や秋田あたりの奴らも・・・。
#**(都会云々)とは思っていない。札幌が近くにあるため比較的他の市町村より便利だとは思っている。対抗心燃やされてびっくりしている。そのあたりの町は「札幌と併合して地下鉄が来ればいいのに」と思っている。(by江別市民)
#いかに札幌の人口が増えようとも、雇用状況、バイトの時給の低さは上にでてる地名のどこよりも札幌のほうが酷いのは間違いない。
#*でっかい会社がバッタバッタ潰れてる。
#*本当の都会では最低賃金と高校生のコンビニのバイトの時給に100円〜200円近い差があることを道民たちは知らない。
#札幌市中心部を指して「都心」と呼ぶ。(いつから首都になったんだい?)
#*'''都'''市の中'''心'''部を「都心」というんじゃないの?[[wikipedia:ja:都心]]
#*都心の意味も分からない無知首都圏人は釣りなのか?マジなのか?
#*首都園には都心が沢山あるので首都園陣の投稿なハズはないと思いたい。幕張新都心、さいたま新都心(自称の域を出ない)、横浜の都心(みなとみらい、関内、新横浜)
#**「新都心」はあくまで「新しい都心」であって「真の都心」ではない。
#***よく勘違いしてる人がいるけど、さいたまや幕張の「新都心」は、さいたま市・千葉市の都心(大宮・浦和、千葉駅周辺)に対して「新しく(計画的に)造られた都心」という意味で、東京の都心とは無関係。
#**感覚として「都心」とは東京都千代田・港・中央の3区。MM21も大宮操車場跡地も「新都心」と呼ばれているので違和感はない。
#**ちなみに新都心なら[[那覇市|那覇]](と[[尼崎市|尼崎]])もあるぞ。
#札幌人は都会人だと東京の人間に熱く語った猛者がいる。
#*それは'''内地の人間が「札幌には熊やらキツネやらが沢山居る」と思い込んでる為。'''まァ、多少は居るけど・・・。
#**盤渓や定山渓などもあり、さらには中心部に鹿が出没する土地柄(上のほうにも書いてある)、まぁ間違ってはいない。
#*北の国からのような生活を北海道全体でしてると思われてるからなぁ。
#*札幌人は札幌を地方都市として認めてない。大都会だと勘違いしている。
#**道民は、札幌都市圏以外のことを「地方」という。つまり、北海道王国の中の首都が札幌で、それ以外の都市や地域は地方という感覚。北海道の中だけで地理的な空間認識が完結している証拠。
#*その前に、まず北海道は離島だということを認識できてない人が多い。
#**札幌民含めて日本の外れだという認識はあるよ。だから道外の観光客に対して遠くから良く来たねって反応をするわけだし。四国+九州よりでかい北海道を離「島」と捕えてる人はまずいないと思うけど。
#**東京の文化や情報が平均して15年遅れで浸透する。
#*北海道はお隣は東北だし、田舎に囲まれてるので、札幌を大都会だと勘違いしている道民が大変多い。
#**そもそも東北をお隣と考える道民自体が渡島南部を除いてほとんどおらん。
#*むしろ本州の人間に「ヒグマはしょっちゅう出没するからクマ保険に入っておけ」とか「うちの学校ではキタキツネ飼ってた」とか大ボラ吹く人の方が多いのでは。
#*「政令指定都市だし市外まで通勤圏を持って都市機能を果たしているのになんで大都市以外の住民からまで地方呼ばわりされるのか…」という不満はたまに噴出するのでその辺は必要以上に刺激しないであげて欲しい。
#*東京圏が人口、経済両面で世界最高クラスだから麻痺してるけど札幌圏も小国家(NZくらい)のGDPに匹敵するくらいには産業規模ある都市なのよ?
#修学旅行の定番の地。
#*札幌にもう一度行きたい。
#*札幌から離れた道内の中学(大抵は道東)の修学旅行の定番。札幌市民は青森とか秋田が定番。
#統一地方選では一度に4回投票。(知事、道議、市長、市議が同日のため。全国で唯一)
#*これまで任期途中の首長の辞任や死去、議会解散が一度もなかったんですね、きっと。でも議員の補選は?
#**2011年から[[相模原市]]、2019年から[[大阪市]]も統一地方選では一度に4回投票。
#意外とオタク産業を多く生み出している。I've・IOSYS・メロンブックスもここが発祥。
#*北大で古くからマイコンの研究をしていたからソフトウェア関連の企業がよく立地してるのだとか。I'veはやっぱり北国風のサウンドだよねー
#*但しメロブは東京に引越してる。
#3年連続で[http://tiiki.jp/brand_research/index.html 日本一魅力的な市区町村]に輝いている。
#*自然は1流、サービスは4流、意識は5流といわれています。
#*町や自然に魅力はあっても、人間はモラルがないと道外の人に評されることがあるのでもう少しがんばりましょう。
#**いい意味ですごくユルい。悪く言うと地方都市特有のだらしなさと自己中の要素そのままで、それを正当化する各自の自論のままに、人は人って感じで生活している。
#*一度道外で暮らしてみればよくわかるはず。
#*家賃安いが、交通費、光熱費、外食が高く、給与はバカ安
#*観光する分には良いが二度と住みたくない
#**逆に札幌に住んだ知り合いは「二度と帰りたくない」という、ついでにいえば札幌に「観光」は合わない。観光する場所なんてほとんどない。雪まつりとソーランくらい。
#*函館に座を奪われてしまった。
#**1年で奪還しました(2010)
#*人が温かいと言われるが、ほとんどが単なるコミュ障で実は表向きだけで、姑息な詐欺師がやたら多い街という印象。でもそういう人のとこになぜか集るので厄介な社会構造。
#とにかく星が好き。知っているものだけで、市章・交通局のロゴ・札幌駅南口の時計の文字盤・ステラプレイスのロゴ・一部の学校の制服など。ガキみたいに「星は格好良い」とでも思っているのか…?
#*まぁ、カッコ悪くは無いっしょ。
#**交通局のロゴ(STの文字の真ん中が星型にくり抜かれたロゴ)とステラプレイスのロゴ(不規則な星型)は悪くないけど、子供の本にあるような「★」を露骨に使うのはいくら何でもダサすぎると思う。by2つ上を書いた人
#*北海道や札幌がよく使う星は「北斗星」。つまり『北』を象徴している。カッコだけで使ってるわけではないんだよ。
#**せめてセンスよく使ってほしい。
#**『北斗星』は大昔、東芝の冷蔵庫の商品名だったの知ってる人は少ない…。はずw
#***ちなみに『北斗星』は、「北極星」と「北斗七星」のどちらの別名としても使われる。まぎらわしいけどね。
#*格好良さの基準なんて人それぞれだ。
#*北海道開拓使の旗のデザイン(白地に赤い北極星)にちなんでいます。道庁の赤れんが庁舎や時計台、豊平館など、歴史ある建物を注意して観察すると、いたるところに星がデザインされています。サッポロビールのマークもこれが由来です。元は「開拓使麦酒醸造所」だったからね。
#*ネーミングもサピカ・スピカ・ピリカ・ステラ(プレイス)とか。道産米の銘柄はほとんど天体ネタ。
#**ピリカは美しいという意味のアイヌ語で星とは関係ない。
#税金の無駄遣いが大好き。大赤字承知で作った地下鉄東豊線、廃止されそうになったホールを買い取っておきながら新築した市民会館、雪祭りの雪が足りなくなればトラックを40Km以上離れた地域まで雪確保に飛ばす…。密かに第二の夕張に立候補?
#*雪集めは自衛隊の管轄・予算では?
#*「赤字や消費=無駄遣い」という等式は必ずしも成り立たない、とだけ擁護しておきたい。赤字を出してでも住宅地を拡張して人口を増やした時期はどんな都市にもあったし、さっぽろ雪祭りの費用対効果は非常に高いとされている。
#札幌北、南、西、東はともかく、高校名にやたらと「札幌」を付けたがる。
#*付けないと本州とかぶる高校名が多いからでは。
#**本州ならまだしも道内でもかぶる場合があるかも。
#**それ、札幌に限らず道立高校はどこの地域でも同じパターンだよ。
#*都市圏では当たり前の「◯◯第一小学校」「◯◯第三中学校」というネーミングを極端に嫌う。代わりに「藻岩北小学校」「石山南中学校」など東西南北で区分をするのが好き。
#**都市圏では当たり前、といっても、たとえば東京都心でナンバリングによる名称は今も昔も聞いたことないですが。
#***都内なら目黒区の中学校はほとんどナンバリングだぞ
#****ナンバースクールは都会でもやってない所はあるし、逆にあまり都会ではない所でやってたりもする。
#その一例として(主に公共の)施設に<s>ダサい</s>ユーモラスな愛称をつけるのが伝統。
#*アスティ45
#*かでる2・7(北海道立道民活動センター)
#*ちえりあ(札幌市生涯学習センター)
#*つどーむ(札幌コミュニティドーム)
#*きたえーる(北海道立総合体育センター)
#*Hiroba([[札幌ドーム]]、まず愛称で呼ばれないが)
#*SORA(札幌コンベンションセンター、こちらもまず呼ばれないというより誰も知らない)
#*HILOSHI(大通駅の待ち合わせスポット)
#*お笑いのセンスがとにかく低い。
#県庁所在地ではない。道庁所在地だ。
#札幌で一番小さい面積の字名は「南10条西2丁目」。パークホテルとキリンビール園の間の中洲で石碑があったり、ご丁寧にちゃんと街区符号までついている(住居表示実施済み)。
#最近市内で人間に化けた名状しがたき邪神共の目撃情報が相次いでる。
#札幌特別区誕生の可能性が。
#「3M」と言う宮の沢('''M'''iyanosawa)、円山('''M'''aruyama)そして真駒内('''M'''akomanai)が閑静な住宅街として人気らしい。
#*最近は上記の3つに山鼻が追加されているが、組に属している方が多く住んでいるようで、2000年に組長が{{あきまへん}}されたとか…。
#**山鼻なんてまだまだボロいアパートが多くて貧民街ですが?(山鼻在住)
#*宮の沢が閑静な住宅街というのは初耳だ。
#*宮の森じゃなかろうか?
#**宮の沢も地下鉄通って以降はそこそこ新しく家が建ってるけど、まあ閑静な住宅街といえば宮の森だろうね。
#ポケモンセンターがある。
#*行ってみたが、かなり人が多かった。
#政令指定都市では珍しく、移動図書館が存在しない。
#「札幌裏京都説」というのがあるらしい。
#*碁盤の目状の町割りなど、札幌市は京都市をモデルにしてると言われるが、山や川などの配置が京都と東西南北逆になってるというもの。
#**京都では[[比叡山]]が鬼門にあたる北東にあるのに対し、札幌では藻岩山が裏鬼門にあたる南西にある。
#***さらにその向こうには[[琵琶湖]]や支笏湖がある。
#**平安神宮が京都の東にあるのに対し、北海道神宮は札幌の西の方にある。
#***しかもどちらも近くに「円山公園」がある。この円山公園は京都のそれにあやかって名づけられたもの。
#**[[淀川#桂川の噂|桂川]]は南に向かって流れているが、[[北海道の河川#豊平川|豊平川]]は北に向かって流れている。
#**京都は南側が開けてるが、札幌は北側が開けている。
#***ということは札幌で言う日本海は京都で言う大阪湾?
#*作家の荒巻義雄氏が自身の著書で提唱したと言われる。
#*京都市には百貨店の「藤井大丸」があり札幌市には文房具店の「大丸藤井」があるのもその関係かも?
#よさこい祭りやら札幌ドームでの交流戦やらが重なると、かなり早い段階から宿を押さえないと寝床にも困る羽目になる(丁度それらが重なって、地元の方のクルマで岩見沢のスーパー銭湯まで行く羽目になった者)。
#中央区北1条西2丁目に札幌市役所がある。
#*かつて最上階に茶室が存在したが、現在は会議室になっている。また、同じく最上階に展望回廊があり、JRタワーやさっぽろテレビ塔の展望台が有料なのに対し、こちらは無料で入場することができる。但し、冬季や悪天候で閉鎖されることがある。なお、この展望回廊から札幌市時計台を真上から見下ろすことができる。
#*地下1階には大食堂があり、元々職員の福利厚生施設ではあるが、たくさんの市民が利用する大衆食堂と化している。
#**大食堂窓側から滝や池などがある日本庭園が見える。
#**最上階と市議会フロアにもレストランが入居しており、比較的リーズナブルで利用できる上、窓から見える景色も良好である。
#**コロナ禍でススキノの飲食店に休業要請が出ていても大食堂はちゃんと営業しており、市民にとってはリーズナブルに利用できるので助かっている。
#*地下鉄駅すぐそばにもかかわらず駅とつながっていない。
#**道庁や国の機関の合同庁舎も同様。直結するように作ると「公務員だけに過剰な便宜を図るな」と苦情を受けるおそれがあるためとか。
#**2018年の胆振東部地震のすぐ後に地下道と直結になりました。
#*1階ロビーでは1980年8月から月1回(原則として第4金曜日)12時25分から約20分間「市民ロビーコンサート」を実施している。
#実は住民の「生活困窮率」が政令指定都市の中ではかなり高い。
#*生活保護の受給率も高め。市全体では25~26分の1であり、政令市で最も低率の浜松(108~110分の1)に比べると一目瞭然!


==動物出没の噂==
===道明寺線延伸計画===
#市内にヒグマが出る所がある。
柏原~香里園間
#*山が近づくに連れ「熊出没注意」の看板が目立つ。
#10分間隔で運行されていた。
#*田舎では熊が出ると集団下校。それでいいのか?
#東大阪市や八尾市にも狭軌の近鉄路線が存在し、寝屋川市や大東市にも近鉄の路線が伸びていた。
#**集団下校=熊が出たら集団で襲われる
#野崎駅に国鉄線と近鉄線との連絡線が設置され、1982年まで南大阪線用の新製車両は近畿車輛のある徳庵から野崎まで甲種輸送を行い、野崎で近鉄に引き渡していた。
#***熊は基本的に人を恐れて近づかないから、集団でワイワイ騒ぐほうが安全。ばったり会ったときが危険。
#***単独で遭遇したら襲われる確率1/1。でも集団x人だったら1/x。自分を除く(1-x)人が襲われている間に逃げ切ればOK。要するに確率の問題。
#*全国に「中央区」「中区」は多数あれど、クマ出没注意な中央区はここだけ(ばんけい方面)。
#**「中央区」なのに超山間過疎な地区があるのは数ある政令市の中でも札幌ぐらい。
#**南側は山がちで開発に向かず、高級住宅街を過ぎるとすぐ市街化調整区域。しかも南区はほぼ山。西区も住宅街ながら山沿いのエリアである。結果「中央区」の面積の4割近くは山であるといっても過言ではなく、このあたりから西区や南区のみならず中央区まで熊や狐などが入り込む。
#*給食時間に熊が入って来てパニックになった小学校がある。猟師さんがとてもかっこよく見えた。
#*[[北海道大学|北大]]植物園(さっぽろと大通の間あたりの都心部)には開拓時の原生林がそのまま保存されているのでキタキツネの巣があるらしい。
#**植物園の存在は実際迷惑である。秋~冬になるとそこら辺一帯が枯れ葉だらけに…。
#**さすがに巣はない。
#*北大のクラーク会館の裏は崖になっている。そこにキタキツネがすんでいる。
#*北大の総長が[[アメリカ]]の大学キャンパスにリスがいることに感動して北大にもリスを放ったが全部キツネに食べられて断念。総長を辞めた今も画策している。
#**北大構内でリスをみかけたぞ(北大生)
#**というか、北米大陸では珍しくないのでは。[[カナダ]]だと住宅街で見かけるゾ。ドーナツ屋のゴミ箱まで漁ってる始末。(カナダからの書き込み)
#**鎌倉なんて普通にいるぞ、タイワンリスが
#**道庁でリスを見かけたぞ(札幌市民)
#*西区の平和や福井、中央区の盤渓とかか?
#札幌の中心部にほど近い豊平川の河川敷には時々エゾシカが出没する。
#*しかし、それらはほとんどがメスで、なぜかオスを見かけることはまずない。
#*2000年前後頃だったと思うが、早朝、大通西7丁目あたりのオフィスビル前にエゾシカが出た。無事保護されたそうです。
#**2007年には雄鹿が豊平~菊水で一昼夜逃げ回り、最後はマンションの廊下でガラスをぶち壊すなど大暴れの末御用。
#*市内に原生林や山があるため動物の出没が多いが、街としての緑化地域は決して多いほうではない。
#**そのとおり。やっと立派に街路樹が育ったなと思ったら、お上が切り倒すことの繰り返し。(北1条、駅前通、北18条、[[北海道の河川#創成川|創成川]]…)
#**緑の恩恵を受けているのは南区~中央区~西区のラインに住んでいる人だけ。あとは樹木は少なく、札幌特有の強風にさらされる毎日。
#*野生のミンクが生息しており、上流だけでなく、幌平橋付近でもたまに目撃される。昔、目の前で陸に上がってきた時はビビッた。
#*豊平川は2011年の台風12号で氾濫を起こしそうになったが、ぎりぎりで回避された。
#**1981年の水害と同規模かそれ以上かと思われたが、河川敷周辺の工事が開発済だったので難を逃れた。先人達のおかげ。


[[Category:県庁所在地]]
===枚岡線===
[[Category:政令指定都市]]
枚岡~信貴山口間
[[Category:オリンピック]]
#枚岡~信貴山口~河内山本間として、運行されていたかもしれない。
#枚岡駅に準急が停車していたかもしれない。
 
==京阪関連==
*[[もしあの鉄道会社が梅田に乗り入れていたら#京阪電気鉄道|京阪梅田線]]
===森ノ宮線===
#大阪市営地下鉄中央線は架線集電方式で建設されていた。
#*当然近鉄けいはんな線も架線集電方式となっている。
#[[京阪中之島線]]は建設されなかった。
#中央線経由で出町柳~コスモスクエアを直通する電車が運転されている。
#*2025年に開催が予定されている大阪万博の京都方面からのメインアクセスとして位置づけられるだろう。
#[[東大阪市]]あたりまで京阪のエリアが広がっていた。
#*中央大通以北は近鉄バスではなく京阪バスのエリアだったかもしれない。
#[[大阪モノレール]]の門真市以南への延伸計画は進まなかった。
#[[阪神なんば線]]の開業後は阪神沿線と京阪沿線の間の移動は九条乗り換えがメインとなっていた。
 
===交野線生駒延伸===
京阪交野線はもともと枚方東口(現枚方市)-生駒間を開業すべく信貴生駒電気鉄道によって建設が行われましたが、結局私市-生駒間は建設されず、残った枚方東口-私市間は交野電気鉄道を経て京阪神急行電鉄に合併され、最終的に京阪電気鉄道の路線となりました。もし京阪交野線が生駒への延伸を実現していたら…
#路線名は「京阪生駒線」となっていた。
#[[四條畷市]]東部や[[生駒市]]北部は早くに住宅開発が行われていた。
#*[[田原 (生駒市・四條畷市)#上田原・下田原・田原台|パークヒルズ田原]]は昭和の高度成長期のうちに開発されていた。
#近鉄生駒線も[[京阪電気鉄道|京阪]]の路線となっていた。
#*生駒駅は地形及び線形の関係で[[東武野田線]]柏駅や[[小田急江ノ島線]]藤沢駅のようなスイッチバック方式を採っていた。
#*逆に枚方市-私市間が近鉄の路線になっていた可能性もある。
#**と言うか全線開業を果たしていたら普通に近鉄に所属しているでしょ。
#***その場合枚方の近鉄百貨店は潰れなかった。
#*生駒線も京阪の路線だった場合、王寺から先は尺土を経て御所まで京阪によって延伸されていた。現実の近鉄御所線も京阪が運営する広軌の路線となっていた。
#京阪電鉄は奈良県に進出していた。
#枚方市から反対側も[[阪急京都線]]高槻市駅あるいはJR京都線高槻駅まで延伸されていた。
#私市駅から学研都市に向かう支線も建設されていた。
#*けいはんな線がある以上、あったとしても乗換駅が作られるくらいでは?
#**私市-生駒間が建設されていたら史実のけいはんな線はなかったのでは?ウッディタウンや彩都みたくニュータウン盲腸線のけいはんなだったかも。
#京阪帰属なら史実では廃止された近鉄東信貴鋼索線は京阪信貴鋼索線になっていた。信貴山は近鉄と京阪で開発合戦となり、双方から麓に向かう直通列車が走っていた。
 
===北大阪電気鉄道淡路以南===
*北大阪電気鉄道は、当初大阪市街から千里までの路線を計画していましたが淡路以南の架橋費用を節約するため阪急十三駅へ乗り入れ、その結果使われなかった淡路以南の免許目当ての新京阪鉄道と合併し、新京阪によって淡路以南が建設されました。もし自力で架橋できていたら‥
#全列車北千里-天下茶屋の運行。梅田や高槻市駅への乗り入れはない。
#最初から架橋費用を用意できていたら現在の阪急京都線十三駅 - 淡路駅間は建設されず。
#梅田-十三間の三複線はない。
#それでも阪急+京阪の戦時統合に巻き込まれていた。
#阪急線とのつながりは希薄だったので戦後阪急から独立。
#*[[もし新京阪線が戦後京阪に帰属していたら|新京阪線も阪急から分離]]。
#新京阪は別ルートで大阪市街へ乗り入れていた。
#*上新庄駅を出た後、淡路方面へ曲がらず直進。都島を縦断し桜ノ宮駅から大阪環状線に沿って梅田へ。
#北大阪急行は北大阪電気鉄道系の会社。
#*北大阪急行にかわって北大阪電気鉄道が準大手になっているだろう。
#阪急バスの吹田千里両営業所は北大阪電気鉄道のバス部門。
 
==阪急関連==
===新大阪線===
{{駅名標/阪急|name=新大阪|ruby=しんおおさか|roma=SHIN-OSAKA|back=あわじ|back2=AWAJI|next=じゅうそう|next2=JUSO}}
{{駅名標/阪急|name=新大阪|ruby=しんおおさか|roma=SHIN-OSAKA|back=あわじ|back2=AWAJI|next=みくに|next2=MIKUNI}}
*[[wikipedia:ja:阪急新大阪連絡線]]
#京都線の淡路ー南方ー十三は廃止されていた。
#*支線に格下げになり、車両は嵐山線と共通運用で4~6両の各停が行き来していたのでは。
#*上筒井線や北野線と同じく、一旦は支線となるも乗客低迷で廃止。
#**御堂筋線に三国駅は出来ず、また崇禅寺駅がない代わりに柴島駅の乗降客数が増えていた。
#**さすがに大阪市内にあって、古くからの住宅地(だと思う)にあるから、廃止には出来ないと思うが・・・。
#**新大阪~淡路間に崇禅寺駅が開業していた可能性もある。淡路駅が高架化された後に、開業していた可能性もある。
#*実際の計画では南方回りは淡路-南方-十三の折り返し運転で残すつもりだった。
#神宝線列車も新大阪まで直通していた。
#*梅田と新大阪を天秤にかけた場合、新大阪が優先される度合いは低いと思うが。
#**曽根-神崎川-新大阪というルートも構想にはあったそうだから、これも建設されていたらある程度は乗り入れ運用があったと思われる。
#**大阪空港線(曽根起点)も、セットで建設されていた。
#**神崎川支線は単線で開業していた可能性もあった。
#三宮-河原町間に直通特急が運行されていた。
#*春・秋の行楽シーズンの臨時列車として、運行されていた可能性が高い。また、夏の行楽シーズンには、河原町~須磨浦公園間を結ぶ臨時特急も運行されていた可能性もある。
#*「京とれいん」が確実に投入されていた。
#新大阪が梅田・難波・天王寺に次ぐターミナルとして現実より発展していた。
#*[[阪急百貨店]]ができていた可能性もある。
#*JR[[おおさか東線]]が現実よりも早く全通していた。
#**なにわ筋線の建設も早まっていた。
#*阪急グループも新大阪駅付近の開発に加わり、新大阪駅付近の開発が史実より進んでいた。
#*特急「くろしお」の新大阪乗り入れが史実より早く実現していた。
#*新大阪駅に乗り入れる[[大阪シティバス]]や[[阪急バス]]の路線も多くなっていた。
#**阪急バスが運営していた深夜急行バス「スターライナー」も新大阪駅に乗り入れていた。
#*大阪モノレールの東大阪市への延伸計画が史実よりも早く実現していた。
#**おおさか東線の全通は史実通りに2019年になっていた可能性もある。
#*新大阪が何もない町と言われることはなかった。
#**駅の外に出る人も現実よりも多かっただろう。
#**オフィスビルが多く立ち並び、日清食品の本社ビルも当駅付近に移転していた。
#**西鉄インも当駅周辺に開業していた。
#*[[大阪市高速電気軌道四つ橋線|四つ橋線]]も当初から十三経由で新大阪までの路線として計画されていた。
#淡路駅の高架化工事の配線が史実とは異なっていた。
#*南方経由が残っている場合は京急蒲田以上に複雑な配線になりそう。
#*場合によっては、史実よりも早く高架化工事が進められていた。
<!--#建設されれば南方ルート廃止および神戸線側の起点を園田に付け替えたうえで工事を行ったと思う。ルートは園田-三国-新大阪-淡路。通称「園田淡路ライン」。また、伊丹線も雲雀丘花屋敷まで延伸された。
#*10両編成で甲陽園-北千里または雲雀丘花屋敷-嵐山の区間運用をメインに、ラッシュ時には新大阪止まり・園田止まり・西宮北口止まり・仁川行き・宝塚行き・神戸三宮行きも運転された。-->
#新大阪にある阪急ビルが文字通り、阪急新大阪駅の駅ビルとなっていた。
#*新大阪阪急ビルは史実とは異なる形でできていた。
#新大阪駅付近にある府立東淀川高校に進学する生徒が多少増えていた。
#阪急京都線、千里線を利用する乗客が増え、沿線住民も多少増えていた。
#*洛西口駅、摂津市駅、西山天王山駅の開業が史実より早まっていた。
#1967~1969年頃にできていたら、大阪万博会場へのアクセスの一つとして、北大阪急行電鉄とともに大いに活用された。
#特急が新大阪に停車する代わりに、淡路は通過になっていた。
#*準急の設定はなく、上新庄駅は通過となっていた。また、日中において、急行が堺筋線に乗り入れていた可能性は低い。
#*通勤特急は当駅を通過していた。
#*京とれいんも新大阪に停車していた。
#神崎川支線ができると、神戸線所属車両が正雀工場で検査入出場する際に利用されていた。
#対抗して、京阪は、特急専用車である3000系電車を全て8両編成になっていた可能性がある。京阪線の1500Vの昇圧の実施が史実より早く実施されていた。
#*3000系電車が全て7両編成で運行されていた可能性が高い。
#北大阪急行電鉄沿線の住民も増えていた。また、史実より早く箕面萱野駅までに延伸していた可能性もある。
#*延伸区間の駅名はほぼ仮称通りになっていた。
#新大阪駅で乗り継ぐ京都市内からバスで大阪国際空港・関西国際空港・有馬温泉に向かうお得な切符が発売された。
#史実より多くの外国人観光客で賑わっていた。
#*通勤・退勤の時間帯でも大荷物を抱えた観光客が増え乗降に手間取ることも増えていた。
#*2018年の大阪府北部地震では立ち往生した列車に乗っていた外国人客の対応に苦慮していた。
#もし、十三~新大阪~淡路間だけ開通した場合、阪急新大阪駅のホームは、島式ホーム1面2線になり、残りスペースは、史実通り、新幹線ホームの増設工事に活用されていた。
#*新大阪~神崎川間も開業していたら、地下スペースを活用して、新幹線ホームを増設していたかもしれない。
#1970年までに開業していたら、千里線が万博輸送のメインルートとなり、万博会場に直接乗り入れていた可能性が高い。
#遠方から阪急沿線に訪れる観光客が増えた。
#*宝塚大劇場や能勢妙見に訪れる観光客が増えた。また、宝塚ファミリーランド(2003年に閉鎖)に訪れる観光客も増えていた。
#*西宮球場に訪れる観客も増えて、阪急ブレーブスの身売りも史実より遅れていたかもしれない。
#阪急京都本線・千里線のダイヤは史実とは異なるものになっていた。
#*急行は存続し、準急の設定はなかった。
#北大阪急行電鉄沿線にある駿台予備学校大阪校と代々木ゼミナール大阪校(2015年に閉鎖)に通う予備校生が増えていた。
#新大阪駅周辺は史実より賑わっていく一方で、南方駅周辺はさびれていたかもしれない。
#*その代わりに、阪急電鉄の手によって、再開発されて、高層マンションが乱立していた。
#普通列車の7両編成、8両編成での運転が史実より早まっていた。(史実によると、7両編成での運転は1982年に、8両編成による運転は2001年に開始した。)
#*大宮駅、西院駅、烏丸駅でのホームの延伸工事も史実より早く完成し、大宮駅でのドアカットもなかった。
#*2300系電車の2311Fも表示幕車に改造されていたかもしれない。
#新大阪駅にごあんないカウンターが設置された。また、アズナスや阪急そばやブックファーストも開業していた。
#6300系による特急の10両編成での運転が1985年11月に実施されていたかもしれない。
#新大阪駅前にあるニッセイ新大阪ビルは、阪急電鉄と日本生命が共同で開発されて、「阪急日生新大阪ビル」になっていたかもしれない。
#阪急千里線(南千里~北千里間)の開業が1964~1966年頃に早まっていたかもしれない。(史実では、1967年に開業)
#駅前にある新大阪センイシティーの規模が史実よりも大きくなり、利用客も史実よりも多くなっていた。
#*ライフではく、阪急百貨店が入居していた。
#なにわ筋線計画に阪急が参加することはなかった。
#十三~新大阪~淡路間の場合、1964年9月に大阪市営地下鉄御堂筋線の梅田~新大阪間の開業と同時に開業していた可能性がある。つまり、東海道新幹線の開通までに開業していた。
#*遅くても、大阪万博が開催された1970年頃までに開業していた。
#崇禅寺駅が完全に廃止された場合、東淀川区東中島地区辺りに阪急バスが運営するコミュニティバスが運行されていた。
#*1990年代辺りに、東口にも改札口が設けられていた。
#十三~南方~淡路間の廃線跡は歩道として整備されていたかもしれない。
#阪急の駅構内や車内にJR東海の広告が掲載されていた。
#*阪急とJR東海がコラボしてイベントや観光キャンペーンが行われていたかも。
#*逆に東海道新幹線の車内や駅にも阪急の広告が掲載されている。
#南方駅の代わりに、淡路駅か上新庄駅か吹田駅か南茨木駅辺りにネスカフェスタンドが設けられていた。
#阪急沿線において、価値が史実よりもより向上し、開発も史実よりも進んでいた。
#*高槻市に安満遺跡芝生公園が史実よりも早く開業していた。
#*摂津市・西山天王山・洛西口駅の開業も早まっていた。
#大阪市営地下鉄御堂筋線の9両編成化が1969年に早まっていた。
#*なかもず延伸時に10両編成化されていた。
#*新大阪止まりの列車が史実よりも多くなり、中津止まりの列車が史実よりも少なくなっていた。
#梅田駅の混雑は緩和されていた。
#*梅田駅で乗り換える客が新大阪駅に移っていたため。
#*むしろ、江坂・北大阪急行線からの乗客は新大阪駅で乗り換え、(梅田から南から)御堂筋線からの乗客は梅田駅で乗り換えていた。
#阪急宝塚線沿線に住んでいる人々にとって、新大阪駅へのアクセスが容易となるので、新幹線を利用する人も多くなっていた。
 
===千里線(南千里~桜井間)===
#北大阪急行電鉄は開業されなかった。
#箕面市は史実より開発が進んで、人口が増えていた。
#*逆に千里ニュータウンは現実ほど発展していなかったかも(阪急千里線ルートは北急よりも遠回りになり時間がかかるので)。
#[[もし1970年の大阪万博が○○だったら|もし大阪万博が開催されない、あるいは別の場所で開催されていたら]]こうなっていたかもしれない。
#急行or準急が運行されていたかもしれない。
#千里中央駅経由のルートで建設されたら、千里阪急の開業が史実より早まっていたかもしれない。
#*千里中央駅周辺の開発も史実より早く進んでいた。
#新大阪線・曽根新線と合わせて北大阪に環状線が形成されていたかもしれない。
 
===曽根新線===
*神崎川~曽根間
#京阪本線のように急行線と緩行線に分離されていた。
#1990年代に曽根~大阪空港間が開通していた。
#JR福知山線に勝っていた。
#曽根新線には、特急(日生エクスプレスも含む)と急行が走行し、現行の宝塚線には、準急と普通が運行されていた。
#*2019年時点で特急も運行されていた。(史実では、2003年8月に廃止された。)
#*日生エクスプレスが日中も運行されていたかも。
#*新大阪線もセットで建設されていた。
#豊中~曽根間、神崎川~十三間もが複々線化されていた。
#宝塚線で10両運転が実施されることはなかった。
#*その代わりに、神戸線と京都線での10両運転が史実よりも早まっていた。
 
===箕面有馬電気軌道野江線===
宝塚線を梅田から野江まで延伸して京阪本線と直通運転する計画があり、実際に特許まで得たが、大阪市の反対や資金面の都合もあって頓挫した。
梅田~野江間
#京阪電気鉄道の路線は阪急の所有になっていた。
#*その代わりに、新京阪鉄道の路線が京阪電気鉄道の路線になっていた。
#*むしろ新京阪鉄道の路線は戦後史実通り阪急の路線になる代わりにこの路線が京阪に帰属していた。
#**その時点で京阪は悲願の梅田進出を果たしていた。
#寝屋川市や枚方市や門真市や守口市や交野市の人口が史実より増加していた。
#野江駅の重要性が増し、優等列車も停車していた。
#*JR[[おおさか東線]]の直通快速もJR野江に停車していただろう。
#[[大阪市高速電気軌道谷町線|地下鉄谷町線]]の東梅田以北のルートが変わっていた。
#*守口方面には向かわなかったか、向かっていたとしても城北公園通経由だった。
#1950年代までに、阪急宝塚線・神戸線と京阪本線との直通運転が行われていた。
#京阪グループは梅田にも進出していた。
#*京阪電鉄本社は梅田近辺に移転していた。
#*京阪バスも高速バスも含めて、梅田駅・大阪駅周辺に乗り入れていた。
#*京阪百貨店梅田店ができていた。
#**おそらく現実でHEP FIVEがある位置。
#*梅田近辺に京阪グループの手によって、開発されたビルができていた。
#*京阪グループの規模は史実より大きくなっていたかもしれない。
#京阪間において、JRや阪急と史実よりとても激しい競争が繰り広げられていた。
#*速度では勝負にならないため豪華さや東山エリア直通を売りにしていた。
#**プレミアムカーが20世紀のうちに実現していた。
#淀屋橋乗り入れは史実通りで、中之島線はなかったかもしれない。
 
====阪急側====
#梅田駅はあんな構造にはならなかった。
#*とりあえず、阪急百貨店の構造も、大きく変わっていた可能性がある。
#省線→国鉄→JRに対抗するため直通列車は神戸線が主となっていた。
#戦後、新京阪線が京阪電気鉄道として分離独立を果たし、京阪本線は阪急に帰属していた。
#*はたして大津線はどうなっただろう?
#もしくは[[もし京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から分離独立しなかったら|分離独立は行われなかった]]。
#野江では優等列車の接続が行えないので、京橋か天満橋での接続に計画が変更されていた可能性も有る。
#*中之島線の開業はともかく、京阪本線の淀屋橋延伸はおそらくなかった。
#**むしろ淀屋橋から中之島・西九条方面へ延伸していた。
#*むしろ野江駅の構造が現実と大きく変わっていた。
 
====京阪側====
#どこかしらで新京阪線改め京阪本線(二代目)の梅田延長が行われていた。
#*阪急新大阪線が京阪の路線として出来ていたかも。
#ひらパーは高槻に出来ていた。
#「出町柳から」は「河原町から」になっていた。
#*京阪特急の歌詞も「十三から河原町へ」になっていた。
#**メロディーを考えると「河原町から十三へ」になっていたかもしれない。
#**むしろ十三は梅田だったのでは?
#梅田延長が行われていた場合、十三経由ではなく天神橋経由となっていた。
#*[[大阪市高速電気軌道堺筋線]]は天六で京阪本線と分岐していた。
#[[京阪百貨店]]は守口ではなく[[梅田]]にできていた。
#[[北大阪急行電鉄]]は京阪グループとなっていた。
 
====その他====
#[[大阪市高速電気軌道谷町線]]の都島以北のルートが変わっていた公算が高い。
#*都島駅で北に折れて赤川方面に向かい、そこから守口方面か淀川を渡って東淀川区に向かっていた。
#**要は、現在の大東町経由守口車庫前行きバスみたいな感じなのかな。
 
==南海関連==
===柏原線===
平野~柏原間
#平野線は廃止されずに、恵美須町・天王寺駅前~柏原間が運行されていた。
#*阪堺電気軌道に移管されていた。
#*路面電車から高速鉄道になっていた可能性がある。その場合動物園前から堺筋線・阪急に乗り入れていた。
#大阪市営地下鉄谷町線(天王寺~八尾南間)は整備されていなかったかも。
#*平野区の南部には千日前線が延伸されていた可能性もある。谷町線は天王寺から南下し堺東に向かっていた。
#八尾市・柏原市においても、南海電鉄による開発事業が行われていた。
#*[[近鉄バス]]のみならず[[南海バス]]も市内で運行されていた。
#近鉄道明寺線を標準軌に改軌して乗り入れていたかもしれない。
 
===八尾線===
堺~八尾(JR)間
#八尾市から松原市を経て堺市に向かう環状路線として機能していた。
#*途中八尾でJR大和路線、瓜破で地下鉄谷町線、高見の里で近鉄南大阪線、新金岡で地下鉄御堂筋線、三国ヶ丘でJR阪和線と南海高野線、宿院で阪堺線、堺で南海本線と接続していた。
#**高野線の三国ヶ丘駅は急行停車駅となっていた。
#*これらの地域からの関空アクセスとしても重宝されていた。
#大阪モノレールの堺方面延伸計画は出なかった(当線とほぼ同じルートになるため)。
#大泉緑地へのアクセスが良くなっていた。
#南海平野線の八尾・柏原方面への延伸も実現していた。
#*河内エリアにおいて南海電鉄の影響が強まっていた。
#おおさか東線の計画が具体化すると八尾から久宝寺に接続を変更し同線との直通が検討されるようになっていた。
 
===平野線八尾延伸===
南海平野線(史実では1980年廃止)は平野から先八尾までの路線延伸が計画されましたが、戦争の激化などにより中止されました。もしこの延伸計画が実現していたら…
#戦後路面電車から改良され、高速鉄道となっていた。
#*大阪~八尾間では近鉄・国鉄(JR)・南海の3社が競合することになっていた。
#*急行電車の運転も実施され、平野あたりに退避設備が設けられていた。
#平野線は1435mm軌間なので、南海の鉄道線では唯一の標準軌路線となっていた。
#大阪側は今池から難波まで延伸されていた。
#*反対側も八尾から柏原まで延伸されていただろう。
#廃止されず現在でも存続している。
#[[大阪市高速電気軌道谷町線|地下鉄谷町線]]の天王寺以南は建設されなかった。
#*むしろ天王寺から平野線への連絡線が建設され、谷町線と平野線が相互直通運転していた。
#*この場合谷町線は架線式集電となるので、反対側でも京阪との相互直通が実現していたかもしれない。
#*瓜破・長吉などの平野区南部地域へは南巽駅から千日前線が延伸されていた。
#架線電圧の1500V昇圧は本線・高野線と同時期に実施されていた。
 
==阪神関連==
===四条畷延伸===
阪神電気鉄道は大正時代に、本線を梅田から四条畷へ延伸する計画がありましたが、免許が下りず実現しませんでした。もし阪神電気鉄道の四条畷延伸が実現していたら?
 
#姫路-四条畷間に料金有料の特急が走る。
#*流石に四条畷がターミナルなのは中途半端だから、有料特急だけは梅田止まりでは。
#**但し下の奈良延伸まで行われていたらこの限りではない。
#住道駅・四條畷駅でJR片町線と接続していた。
#[[大東市]]・[[四條畷市]]にも私鉄が走っていた。
#*この地域を運行するバス路線は[[近鉄バス]]ではなく[[阪神バス]]だった。
#**近鉄バスが梅田に乗り入れることはなかった。
#四条畷駅にも阪神百貨店が開業していた。
#なんば線は計画されなかった可能性がある。
#*[[Wikipedia:ja:大阪電気軌道四条畷線|近鉄四条畷線]]も計画されていない。
#*なんば線が開業したとしても直通相手は[[近鉄大阪線|大阪線]]になっていた。
#最終的には四条畷から奈良へ延伸され、梅田と奈良を最短ルートで結んでいた。
#*[[近鉄けいはんな線]]の生駒以東はルートが重なることから建設されなかった。
#京橋か野江あたりで[[京阪電気鉄道|京阪]]との連絡駅が設置されていた。
#*ちょうど下北沢における小田急と京王井の頭線のようなイメージになっていた。
#*京阪との相互直通運転が実現していた可能性もある。
#**この場合[[京阪中之島線]]は開業しなかった。
#*この場合阪神は[[阪急電鉄|阪急]]ではなく京阪と経営統合していた。
#梅田駅の構造が史実とは異なっていた。
#1990年に鶴見緑地で開催された国際花と緑の博覧会のアクセス路線として機能していた可能性が高い。
#*花博開催を前に会場の最寄り地点に新駅が設置されていた。
#*この場合、[[大阪市高速電気軌道長堀鶴見緑地線|地下鉄長堀鶴見緑地線]]の開業は現実よりも遅れていた。
#*阪神が現実以上に花博をPRしていた。
#**同時期に京阪で走っていたような花博塗装の電車が阪神にも走っていた。
#*会期中には山陽姫路駅からの会場最寄り駅への直通臨時特急が運行され、それがきっかけで[[直通特急 (阪神・山陽)|直通特急]]が7年程早く運転開始していた。
 
==その他==
===東大阪電気鉄道===
#森ノ宮にターミナル駅ができていた。
#おそらく山越え区間は敷設されないか、迂回経路となった。
#[[近鉄奈良線|近鉄けいはんな線]]は建設されていなかった。
#戦後、森ノ宮から地下鉄中央線に乗り入れていた。
#*地下鉄中央線は架線集電方式になっていた。
#最終的には[[近畿日本鉄道|近鉄]]に合併されていた。
#*路線名は「四條畷線」か?
#*あるいは[[京阪電気鉄道|京阪]]に合併され、同社の「奈良線」となっていた。
 
===河内鉄道===
*路線:住道~八尾(あるいは柏原)
#関西鉄道に合併後国有化され、国鉄→JRの河内線となっていた。
#城東貨物線の南半分(放出~久宝寺)は開通しなかった。
#*[[おおさか東線]]は新大阪~放出間だけだった。
#*現実に城東貨物線を通っていた貨物列車は河内線経由となっていた。
#*竜華操車場は存在しなかった。
#*阪和貨物線は八尾で分岐していた。
#国有化後は長らく非電化で、1973年の[[関西本線]]湊町(現JR難波)~奈良間電化と同時に電化される。
#1997年の[[JR東西線]]開業と同時に奈良~尼崎間直通快速が運行開始されていた。(現実には2008年おおさか東線開業と同時に運行開始)
#*尼崎どころか神戸・姫路方面直通となっていたかもしれない。
 
===東西鉄軌道===
*堺市中心部を東西に結ぶLRTで、阪堺・南海による公設民営方式が検討されていた。早ければ2010年度に開業する予定だったが、市長が反対派に交替してしまい計画自体が頓挫する事に。
#堺東-堺間が最初に開業、堺-堺浜間は当面様子見と言う形で段階的に開業していた。
#*同時に阪堺線の大和川以南も堺市が線路を保有する形になっていた。
#**阪堺電気軌道自体も南海単独から堺市が株を保有することになっていたかも。
#*逆に四つ橋線の南進構想は具体化しない。
#運営自体は阪堺がやる予定だったので、路線名はそのまま阪堺東西線になっていた。
#堺トラムの導入が数年早まっていた。
#宇都宮のLRT構想がもう少し順調に進んでいた可能性大。
#大小路に阪堺線からの連絡線が設置され、天王寺駅前~堺東の直通運転も行われていた。
 
===梅田~難波間における新規輸送施設===
*御堂筋線の混雑緩和のため、1971年の都市交通審議会で答申されていました。
#恐らく新交通システムで建設されていた。
#*1981年以前に開業していたら、日本最初の新交通システム路線となっていた。
#*またはリニア地下鉄になっていた。
#既存の御堂筋線との差別化のため、駅は同線よりも多めになっていた。
#*[[JR東西線]]北新地駅はこの路線の駅に接続するように設置されていた。
#新交通システムは輸送力が小さいため、御堂筋線の混雑はある程度緩和されていたが劇的な改善にはならなかったと思われる。
#*ニュートラムと異なり6両編成となっていた。
#梅田以北、難波以南への延伸計画も出ていた。
#四つ橋線は別ルートになっていたかも?
 
===水間鉄道犬鳴延伸===
*清児~犬鳴間の免許は平成までに持っていました。ここでは、犬鳴までの開業した場合を考えます。粉河までの延伸は[[もしあの鉄道路線が開業していたら/近畿#紀泉鉄道]]を参照。
#貝塚~清児間は複線化されていた。
#*水間観音行きと犬鳴不動行きの列車が各2本ずつ運行されていた。
#水間鉄道の経営がマシになっていたかもしれない。
#熊取ニュータウンが史実よりも発展していた。
#犬鳴山や犬鳴山温泉に訪れる観光客が史実よりも多くなっていた。
#*犬鳴山七宝瀧寺本堂へ訪れる参拝客のために大晦日の時には終夜運転が行われていた。
 
[[カテゴリ:もしあの鉄道路線が開業していたら|おおさか]]

2021年7月24日 (土) 11:12時点における版

近鉄関連

堺線

  • 古市~堺間、布忍~堺間
  1. 堺市の交通の利便性が良くなっていた。
    • 逆に、堺市のLRT計画は構想されなかった。
  2. 松原市、藤井寺市、羽曳野市から堺市に通勤・通学する人が増えていた。
    • これらの都市は現実よりも堺市との繋がりが強くなっていた。特に松原市に関しては平成の大合併で美原町とともに堺市と合併していたかも。
    • 堺市の昼間人口は史実よりも多く、昼夜間人口比率は1.0を上回り、堺都市圏という独立した都市圏を形成していた。
  3. 大阪市高速電気軌道御堂筋線の中百舌鳥延伸時にこの路線との交点に駅が設置されていた。
    • 北花田駅か新金岡駅のいずれかの場所が変わっていた。
  4. JR阪和線もしくは南海に乗り入れて関空と飛鳥や吉野を直結する構想が出る。
  5. 2019年に百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されると世界遺産を結ぶ路線として注目を浴びていた。

四条畷線

天満橋筋四丁目~額田間のちに桜ノ宮~額田間

  1. 初めは天満橋筋四丁目~額田間で開業したのちに、梅田~額田間になっていた。
  2. 近鉄バスの阪奈生駒線はなかった。
  3. 梅田にも近鉄特急が走行していた。

観心寺線

河内長野~観心寺間

  1. 河内長野駅の島式ホームは両方使用されていた。(史実では、2番線のみ使用。)
  2. 千早赤阪村方面への延伸が計画されていた。

道明寺線延伸計画

柏原~香里園間

  1. 10分間隔で運行されていた。
  2. 東大阪市や八尾市にも狭軌の近鉄路線が存在し、寝屋川市や大東市にも近鉄の路線が伸びていた。
  3. 野崎駅に国鉄線と近鉄線との連絡線が設置され、1982年まで南大阪線用の新製車両は近畿車輛のある徳庵から野崎まで甲種輸送を行い、野崎で近鉄に引き渡していた。

枚岡線

枚岡~信貴山口間

  1. 枚岡~信貴山口~河内山本間として、運行されていたかもしれない。
  2. 枚岡駅に準急が停車していたかもしれない。

京阪関連

森ノ宮線

  1. 大阪市営地下鉄中央線は架線集電方式で建設されていた。
    • 当然近鉄けいはんな線も架線集電方式となっている。
  2. 京阪中之島線は建設されなかった。
  3. 中央線経由で出町柳~コスモスクエアを直通する電車が運転されている。
    • 2025年に開催が予定されている大阪万博の京都方面からのメインアクセスとして位置づけられるだろう。
  4. 東大阪市あたりまで京阪のエリアが広がっていた。
    • 中央大通以北は近鉄バスではなく京阪バスのエリアだったかもしれない。
  5. 大阪モノレールの門真市以南への延伸計画は進まなかった。
  6. 阪神なんば線の開業後は阪神沿線と京阪沿線の間の移動は九条乗り換えがメインとなっていた。

交野線生駒延伸

京阪交野線はもともと枚方東口(現枚方市)-生駒間を開業すべく信貴生駒電気鉄道によって建設が行われましたが、結局私市-生駒間は建設されず、残った枚方東口-私市間は交野電気鉄道を経て京阪神急行電鉄に合併され、最終的に京阪電気鉄道の路線となりました。もし京阪交野線が生駒への延伸を実現していたら…

  1. 路線名は「京阪生駒線」となっていた。
  2. 四條畷市東部や生駒市北部は早くに住宅開発が行われていた。
  3. 近鉄生駒線も京阪の路線となっていた。
    • 生駒駅は地形及び線形の関係で東武野田線柏駅や小田急江ノ島線藤沢駅のようなスイッチバック方式を採っていた。
    • 逆に枚方市-私市間が近鉄の路線になっていた可能性もある。
      • と言うか全線開業を果たしていたら普通に近鉄に所属しているでしょ。
        • その場合枚方の近鉄百貨店は潰れなかった。
    • 生駒線も京阪の路線だった場合、王寺から先は尺土を経て御所まで京阪によって延伸されていた。現実の近鉄御所線も京阪が運営する広軌の路線となっていた。
  4. 京阪電鉄は奈良県に進出していた。
  5. 枚方市から反対側も阪急京都線高槻市駅あるいはJR京都線高槻駅まで延伸されていた。
  6. 私市駅から学研都市に向かう支線も建設されていた。
    • けいはんな線がある以上、あったとしても乗換駅が作られるくらいでは?
      • 私市-生駒間が建設されていたら史実のけいはんな線はなかったのでは?ウッディタウンや彩都みたくニュータウン盲腸線のけいはんなだったかも。
  7. 京阪帰属なら史実では廃止された近鉄東信貴鋼索線は京阪信貴鋼索線になっていた。信貴山は近鉄と京阪で開発合戦となり、双方から麓に向かう直通列車が走っていた。

北大阪電気鉄道淡路以南

  • 北大阪電気鉄道は、当初大阪市街から千里までの路線を計画していましたが淡路以南の架橋費用を節約するため阪急十三駅へ乗り入れ、その結果使われなかった淡路以南の免許目当ての新京阪鉄道と合併し、新京阪によって淡路以南が建設されました。もし自力で架橋できていたら‥
  1. 全列車北千里-天下茶屋の運行。梅田や高槻市駅への乗り入れはない。
  2. 最初から架橋費用を用意できていたら現在の阪急京都線十三駅 - 淡路駅間は建設されず。
  3. 梅田-十三間の三複線はない。
  4. それでも阪急+京阪の戦時統合に巻き込まれていた。
  5. 阪急線とのつながりは希薄だったので戦後阪急から独立。
  6. 新京阪は別ルートで大阪市街へ乗り入れていた。
    • 上新庄駅を出た後、淡路方面へ曲がらず直進。都島を縦断し桜ノ宮駅から大阪環状線に沿って梅田へ。
  7. 北大阪急行は北大阪電気鉄道系の会社。
    • 北大阪急行にかわって北大阪電気鉄道が準大手になっているだろう。
  8. 阪急バスの吹田千里両営業所は北大阪電気鉄道のバス部門。

阪急関連

新大阪線

しんおおさか
新大阪
SHIN-OSAKA
あわじ
AWAJI
じゅうそう
JUSO
しんおおさか
新大阪
SHIN-OSAKA
あわじ
AWAJI
みくに
MIKUNI
  1. 京都線の淡路ー南方ー十三は廃止されていた。
    • 支線に格下げになり、車両は嵐山線と共通運用で4~6両の各停が行き来していたのでは。
    • 上筒井線や北野線と同じく、一旦は支線となるも乗客低迷で廃止。
      • 御堂筋線に三国駅は出来ず、また崇禅寺駅がない代わりに柴島駅の乗降客数が増えていた。
      • さすがに大阪市内にあって、古くからの住宅地(だと思う)にあるから、廃止には出来ないと思うが・・・。
      • 新大阪~淡路間に崇禅寺駅が開業していた可能性もある。淡路駅が高架化された後に、開業していた可能性もある。
    • 実際の計画では南方回りは淡路-南方-十三の折り返し運転で残すつもりだった。
  2. 神宝線列車も新大阪まで直通していた。
    • 梅田と新大阪を天秤にかけた場合、新大阪が優先される度合いは低いと思うが。
      • 曽根-神崎川-新大阪というルートも構想にはあったそうだから、これも建設されていたらある程度は乗り入れ運用があったと思われる。
      • 大阪空港線(曽根起点)も、セットで建設されていた。
      • 神崎川支線は単線で開業していた可能性もあった。
  3. 三宮-河原町間に直通特急が運行されていた。
    • 春・秋の行楽シーズンの臨時列車として、運行されていた可能性が高い。また、夏の行楽シーズンには、河原町~須磨浦公園間を結ぶ臨時特急も運行されていた可能性もある。
    • 「京とれいん」が確実に投入されていた。
  4. 新大阪が梅田・難波・天王寺に次ぐターミナルとして現実より発展していた。
    • 阪急百貨店ができていた可能性もある。
    • JRおおさか東線が現実よりも早く全通していた。
      • なにわ筋線の建設も早まっていた。
    • 阪急グループも新大阪駅付近の開発に加わり、新大阪駅付近の開発が史実より進んでいた。
    • 特急「くろしお」の新大阪乗り入れが史実より早く実現していた。
    • 新大阪駅に乗り入れる大阪シティバス阪急バスの路線も多くなっていた。
      • 阪急バスが運営していた深夜急行バス「スターライナー」も新大阪駅に乗り入れていた。
    • 大阪モノレールの東大阪市への延伸計画が史実よりも早く実現していた。
      • おおさか東線の全通は史実通りに2019年になっていた可能性もある。
    • 新大阪が何もない町と言われることはなかった。
      • 駅の外に出る人も現実よりも多かっただろう。
      • オフィスビルが多く立ち並び、日清食品の本社ビルも当駅付近に移転していた。
      • 西鉄インも当駅周辺に開業していた。
    • 四つ橋線も当初から十三経由で新大阪までの路線として計画されていた。
  5. 淡路駅の高架化工事の配線が史実とは異なっていた。
    • 南方経由が残っている場合は京急蒲田以上に複雑な配線になりそう。
    • 場合によっては、史実よりも早く高架化工事が進められていた。
  6. 新大阪にある阪急ビルが文字通り、阪急新大阪駅の駅ビルとなっていた。
    • 新大阪阪急ビルは史実とは異なる形でできていた。
  7. 新大阪駅付近にある府立東淀川高校に進学する生徒が多少増えていた。
  8. 阪急京都線、千里線を利用する乗客が増え、沿線住民も多少増えていた。
    • 洛西口駅、摂津市駅、西山天王山駅の開業が史実より早まっていた。
  9. 1967~1969年頃にできていたら、大阪万博会場へのアクセスの一つとして、北大阪急行電鉄とともに大いに活用された。
  10. 特急が新大阪に停車する代わりに、淡路は通過になっていた。
    • 準急の設定はなく、上新庄駅は通過となっていた。また、日中において、急行が堺筋線に乗り入れていた可能性は低い。
    • 通勤特急は当駅を通過していた。
    • 京とれいんも新大阪に停車していた。
  11. 神崎川支線ができると、神戸線所属車両が正雀工場で検査入出場する際に利用されていた。
  12. 対抗して、京阪は、特急専用車である3000系電車を全て8両編成になっていた可能性がある。京阪線の1500Vの昇圧の実施が史実より早く実施されていた。
    • 3000系電車が全て7両編成で運行されていた可能性が高い。
  13. 北大阪急行電鉄沿線の住民も増えていた。また、史実より早く箕面萱野駅までに延伸していた可能性もある。
    • 延伸区間の駅名はほぼ仮称通りになっていた。
  14. 新大阪駅で乗り継ぐ京都市内からバスで大阪国際空港・関西国際空港・有馬温泉に向かうお得な切符が発売された。
  15. 史実より多くの外国人観光客で賑わっていた。
    • 通勤・退勤の時間帯でも大荷物を抱えた観光客が増え乗降に手間取ることも増えていた。
    • 2018年の大阪府北部地震では立ち往生した列車に乗っていた外国人客の対応に苦慮していた。
  16. もし、十三~新大阪~淡路間だけ開通した場合、阪急新大阪駅のホームは、島式ホーム1面2線になり、残りスペースは、史実通り、新幹線ホームの増設工事に活用されていた。
    • 新大阪~神崎川間も開業していたら、地下スペースを活用して、新幹線ホームを増設していたかもしれない。
  17. 1970年までに開業していたら、千里線が万博輸送のメインルートとなり、万博会場に直接乗り入れていた可能性が高い。
  18. 遠方から阪急沿線に訪れる観光客が増えた。
    • 宝塚大劇場や能勢妙見に訪れる観光客が増えた。また、宝塚ファミリーランド(2003年に閉鎖)に訪れる観光客も増えていた。
    • 西宮球場に訪れる観客も増えて、阪急ブレーブスの身売りも史実より遅れていたかもしれない。
  19. 阪急京都本線・千里線のダイヤは史実とは異なるものになっていた。
    • 急行は存続し、準急の設定はなかった。
  20. 北大阪急行電鉄沿線にある駿台予備学校大阪校と代々木ゼミナール大阪校(2015年に閉鎖)に通う予備校生が増えていた。
  21. 新大阪駅周辺は史実より賑わっていく一方で、南方駅周辺はさびれていたかもしれない。
    • その代わりに、阪急電鉄の手によって、再開発されて、高層マンションが乱立していた。
  22. 普通列車の7両編成、8両編成での運転が史実より早まっていた。(史実によると、7両編成での運転は1982年に、8両編成による運転は2001年に開始した。)
    • 大宮駅、西院駅、烏丸駅でのホームの延伸工事も史実より早く完成し、大宮駅でのドアカットもなかった。
    • 2300系電車の2311Fも表示幕車に改造されていたかもしれない。
  23. 新大阪駅にごあんないカウンターが設置された。また、アズナスや阪急そばやブックファーストも開業していた。
  24. 6300系による特急の10両編成での運転が1985年11月に実施されていたかもしれない。
  25. 新大阪駅前にあるニッセイ新大阪ビルは、阪急電鉄と日本生命が共同で開発されて、「阪急日生新大阪ビル」になっていたかもしれない。
  26. 阪急千里線(南千里~北千里間)の開業が1964~1966年頃に早まっていたかもしれない。(史実では、1967年に開業)
  27. 駅前にある新大阪センイシティーの規模が史実よりも大きくなり、利用客も史実よりも多くなっていた。
    • ライフではく、阪急百貨店が入居していた。
  28. なにわ筋線計画に阪急が参加することはなかった。
  29. 十三~新大阪~淡路間の場合、1964年9月に大阪市営地下鉄御堂筋線の梅田~新大阪間の開業と同時に開業していた可能性がある。つまり、東海道新幹線の開通までに開業していた。
    • 遅くても、大阪万博が開催された1970年頃までに開業していた。
  30. 崇禅寺駅が完全に廃止された場合、東淀川区東中島地区辺りに阪急バスが運営するコミュニティバスが運行されていた。
    • 1990年代辺りに、東口にも改札口が設けられていた。
  31. 十三~南方~淡路間の廃線跡は歩道として整備されていたかもしれない。
  32. 阪急の駅構内や車内にJR東海の広告が掲載されていた。
    • 阪急とJR東海がコラボしてイベントや観光キャンペーンが行われていたかも。
    • 逆に東海道新幹線の車内や駅にも阪急の広告が掲載されている。
  33. 南方駅の代わりに、淡路駅か上新庄駅か吹田駅か南茨木駅辺りにネスカフェスタンドが設けられていた。
  34. 阪急沿線において、価値が史実よりもより向上し、開発も史実よりも進んでいた。
    • 高槻市に安満遺跡芝生公園が史実よりも早く開業していた。
    • 摂津市・西山天王山・洛西口駅の開業も早まっていた。
  35. 大阪市営地下鉄御堂筋線の9両編成化が1969年に早まっていた。
    • なかもず延伸時に10両編成化されていた。
    • 新大阪止まりの列車が史実よりも多くなり、中津止まりの列車が史実よりも少なくなっていた。
  36. 梅田駅の混雑は緩和されていた。
    • 梅田駅で乗り換える客が新大阪駅に移っていたため。
    • むしろ、江坂・北大阪急行線からの乗客は新大阪駅で乗り換え、(梅田から南から)御堂筋線からの乗客は梅田駅で乗り換えていた。
  37. 阪急宝塚線沿線に住んでいる人々にとって、新大阪駅へのアクセスが容易となるので、新幹線を利用する人も多くなっていた。

千里線(南千里~桜井間)

  1. 北大阪急行電鉄は開業されなかった。
  2. 箕面市は史実より開発が進んで、人口が増えていた。
    • 逆に千里ニュータウンは現実ほど発展していなかったかも(阪急千里線ルートは北急よりも遠回りになり時間がかかるので)。
  3. もし大阪万博が開催されない、あるいは別の場所で開催されていたらこうなっていたかもしれない。
  4. 急行or準急が運行されていたかもしれない。
  5. 千里中央駅経由のルートで建設されたら、千里阪急の開業が史実より早まっていたかもしれない。
    • 千里中央駅周辺の開発も史実より早く進んでいた。
  6. 新大阪線・曽根新線と合わせて北大阪に環状線が形成されていたかもしれない。

曽根新線

  • 神崎川~曽根間
  1. 京阪本線のように急行線と緩行線に分離されていた。
  2. 1990年代に曽根~大阪空港間が開通していた。
  3. JR福知山線に勝っていた。
  4. 曽根新線には、特急(日生エクスプレスも含む)と急行が走行し、現行の宝塚線には、準急と普通が運行されていた。
    • 2019年時点で特急も運行されていた。(史実では、2003年8月に廃止された。)
    • 日生エクスプレスが日中も運行されていたかも。
    • 新大阪線もセットで建設されていた。
  5. 豊中~曽根間、神崎川~十三間もが複々線化されていた。
  6. 宝塚線で10両運転が実施されることはなかった。
    • その代わりに、神戸線と京都線での10両運転が史実よりも早まっていた。

箕面有馬電気軌道野江線

宝塚線を梅田から野江まで延伸して京阪本線と直通運転する計画があり、実際に特許まで得たが、大阪市の反対や資金面の都合もあって頓挫した。 梅田~野江間

  1. 京阪電気鉄道の路線は阪急の所有になっていた。
    • その代わりに、新京阪鉄道の路線が京阪電気鉄道の路線になっていた。
    • むしろ新京阪鉄道の路線は戦後史実通り阪急の路線になる代わりにこの路線が京阪に帰属していた。
      • その時点で京阪は悲願の梅田進出を果たしていた。
  2. 寝屋川市や枚方市や門真市や守口市や交野市の人口が史実より増加していた。
  3. 野江駅の重要性が増し、優等列車も停車していた。
  4. 地下鉄谷町線の東梅田以北のルートが変わっていた。
    • 守口方面には向かわなかったか、向かっていたとしても城北公園通経由だった。
  5. 1950年代までに、阪急宝塚線・神戸線と京阪本線との直通運転が行われていた。
  6. 京阪グループは梅田にも進出していた。
    • 京阪電鉄本社は梅田近辺に移転していた。
    • 京阪バスも高速バスも含めて、梅田駅・大阪駅周辺に乗り入れていた。
    • 京阪百貨店梅田店ができていた。
      • おそらく現実でHEP FIVEがある位置。
    • 梅田近辺に京阪グループの手によって、開発されたビルができていた。
    • 京阪グループの規模は史実より大きくなっていたかもしれない。
  7. 京阪間において、JRや阪急と史実よりとても激しい競争が繰り広げられていた。
    • 速度では勝負にならないため豪華さや東山エリア直通を売りにしていた。
      • プレミアムカーが20世紀のうちに実現していた。
  8. 淀屋橋乗り入れは史実通りで、中之島線はなかったかもしれない。

阪急側

  1. 梅田駅はあんな構造にはならなかった。
    • とりあえず、阪急百貨店の構造も、大きく変わっていた可能性がある。
  2. 省線→国鉄→JRに対抗するため直通列車は神戸線が主となっていた。
  3. 戦後、新京阪線が京阪電気鉄道として分離独立を果たし、京阪本線は阪急に帰属していた。
    • はたして大津線はどうなっただろう?
  4. もしくは分離独立は行われなかった
  5. 野江では優等列車の接続が行えないので、京橋か天満橋での接続に計画が変更されていた可能性も有る。
    • 中之島線の開業はともかく、京阪本線の淀屋橋延伸はおそらくなかった。
      • むしろ淀屋橋から中之島・西九条方面へ延伸していた。
    • むしろ野江駅の構造が現実と大きく変わっていた。

京阪側

  1. どこかしらで新京阪線改め京阪本線(二代目)の梅田延長が行われていた。
    • 阪急新大阪線が京阪の路線として出来ていたかも。
  2. ひらパーは高槻に出来ていた。
  3. 「出町柳から」は「河原町から」になっていた。
    • 京阪特急の歌詞も「十三から河原町へ」になっていた。
      • メロディーを考えると「河原町から十三へ」になっていたかもしれない。
      • むしろ十三は梅田だったのでは?
  4. 梅田延長が行われていた場合、十三経由ではなく天神橋経由となっていた。
  5. 京阪百貨店は守口ではなく梅田にできていた。
  6. 北大阪急行電鉄は京阪グループとなっていた。

その他

  1. 大阪市高速電気軌道谷町線の都島以北のルートが変わっていた公算が高い。
    • 都島駅で北に折れて赤川方面に向かい、そこから守口方面か淀川を渡って東淀川区に向かっていた。
      • 要は、現在の大東町経由守口車庫前行きバスみたいな感じなのかな。

南海関連

柏原線

平野~柏原間

  1. 平野線は廃止されずに、恵美須町・天王寺駅前~柏原間が運行されていた。
    • 阪堺電気軌道に移管されていた。
    • 路面電車から高速鉄道になっていた可能性がある。その場合動物園前から堺筋線・阪急に乗り入れていた。
  2. 大阪市営地下鉄谷町線(天王寺~八尾南間)は整備されていなかったかも。
    • 平野区の南部には千日前線が延伸されていた可能性もある。谷町線は天王寺から南下し堺東に向かっていた。
  3. 八尾市・柏原市においても、南海電鉄による開発事業が行われていた。
  4. 近鉄道明寺線を標準軌に改軌して乗り入れていたかもしれない。

八尾線

堺~八尾(JR)間

  1. 八尾市から松原市を経て堺市に向かう環状路線として機能していた。
    • 途中八尾でJR大和路線、瓜破で地下鉄谷町線、高見の里で近鉄南大阪線、新金岡で地下鉄御堂筋線、三国ヶ丘でJR阪和線と南海高野線、宿院で阪堺線、堺で南海本線と接続していた。
      • 高野線の三国ヶ丘駅は急行停車駅となっていた。
    • これらの地域からの関空アクセスとしても重宝されていた。
  2. 大阪モノレールの堺方面延伸計画は出なかった(当線とほぼ同じルートになるため)。
  3. 大泉緑地へのアクセスが良くなっていた。
  4. 南海平野線の八尾・柏原方面への延伸も実現していた。
    • 河内エリアにおいて南海電鉄の影響が強まっていた。
  5. おおさか東線の計画が具体化すると八尾から久宝寺に接続を変更し同線との直通が検討されるようになっていた。

平野線八尾延伸

南海平野線(史実では1980年廃止)は平野から先八尾までの路線延伸が計画されましたが、戦争の激化などにより中止されました。もしこの延伸計画が実現していたら…

  1. 戦後路面電車から改良され、高速鉄道となっていた。
    • 大阪~八尾間では近鉄・国鉄(JR)・南海の3社が競合することになっていた。
    • 急行電車の運転も実施され、平野あたりに退避設備が設けられていた。
  2. 平野線は1435mm軌間なので、南海の鉄道線では唯一の標準軌路線となっていた。
  3. 大阪側は今池から難波まで延伸されていた。
    • 反対側も八尾から柏原まで延伸されていただろう。
  4. 廃止されず現在でも存続している。
  5. 地下鉄谷町線の天王寺以南は建設されなかった。
    • むしろ天王寺から平野線への連絡線が建設され、谷町線と平野線が相互直通運転していた。
    • この場合谷町線は架線式集電となるので、反対側でも京阪との相互直通が実現していたかもしれない。
    • 瓜破・長吉などの平野区南部地域へは南巽駅から千日前線が延伸されていた。
  6. 架線電圧の1500V昇圧は本線・高野線と同時期に実施されていた。

阪神関連

四条畷延伸

阪神電気鉄道は大正時代に、本線を梅田から四条畷へ延伸する計画がありましたが、免許が下りず実現しませんでした。もし阪神電気鉄道の四条畷延伸が実現していたら?

  1. 姫路-四条畷間に料金有料の特急が走る。
    • 流石に四条畷がターミナルなのは中途半端だから、有料特急だけは梅田止まりでは。
      • 但し下の奈良延伸まで行われていたらこの限りではない。
  2. 住道駅・四條畷駅でJR片町線と接続していた。
  3. 大東市四條畷市にも私鉄が走っていた。
    • この地域を運行するバス路線は近鉄バスではなく阪神バスだった。
      • 近鉄バスが梅田に乗り入れることはなかった。
  4. 四条畷駅にも阪神百貨店が開業していた。
  5. なんば線は計画されなかった可能性がある。
  6. 最終的には四条畷から奈良へ延伸され、梅田と奈良を最短ルートで結んでいた。
  7. 京橋か野江あたりで京阪との連絡駅が設置されていた。
    • ちょうど下北沢における小田急と京王井の頭線のようなイメージになっていた。
    • 京阪との相互直通運転が実現していた可能性もある。
    • この場合阪神は阪急ではなく京阪と経営統合していた。
  8. 梅田駅の構造が史実とは異なっていた。
  9. 1990年に鶴見緑地で開催された国際花と緑の博覧会のアクセス路線として機能していた可能性が高い。
    • 花博開催を前に会場の最寄り地点に新駅が設置されていた。
    • この場合、地下鉄長堀鶴見緑地線の開業は現実よりも遅れていた。
    • 阪神が現実以上に花博をPRしていた。
      • 同時期に京阪で走っていたような花博塗装の電車が阪神にも走っていた。
    • 会期中には山陽姫路駅からの会場最寄り駅への直通臨時特急が運行され、それがきっかけで直通特急が7年程早く運転開始していた。

その他

東大阪電気鉄道

  1. 森ノ宮にターミナル駅ができていた。
  2. おそらく山越え区間は敷設されないか、迂回経路となった。
  3. 近鉄けいはんな線は建設されていなかった。
  4. 戦後、森ノ宮から地下鉄中央線に乗り入れていた。
    • 地下鉄中央線は架線集電方式になっていた。
  5. 最終的には近鉄に合併されていた。
    • 路線名は「四條畷線」か?
    • あるいは京阪に合併され、同社の「奈良線」となっていた。

河内鉄道

  • 路線:住道~八尾(あるいは柏原)
  1. 関西鉄道に合併後国有化され、国鉄→JRの河内線となっていた。
  2. 城東貨物線の南半分(放出~久宝寺)は開通しなかった。
    • おおさか東線は新大阪~放出間だけだった。
    • 現実に城東貨物線を通っていた貨物列車は河内線経由となっていた。
    • 竜華操車場は存在しなかった。
    • 阪和貨物線は八尾で分岐していた。
  3. 国有化後は長らく非電化で、1973年の関西本線湊町(現JR難波)~奈良間電化と同時に電化される。
  4. 1997年のJR東西線開業と同時に奈良~尼崎間直通快速が運行開始されていた。(現実には2008年おおさか東線開業と同時に運行開始)
    • 尼崎どころか神戸・姫路方面直通となっていたかもしれない。

東西鉄軌道

  • 堺市中心部を東西に結ぶLRTで、阪堺・南海による公設民営方式が検討されていた。早ければ2010年度に開業する予定だったが、市長が反対派に交替してしまい計画自体が頓挫する事に。
  1. 堺東-堺間が最初に開業、堺-堺浜間は当面様子見と言う形で段階的に開業していた。
    • 同時に阪堺線の大和川以南も堺市が線路を保有する形になっていた。
      • 阪堺電気軌道自体も南海単独から堺市が株を保有することになっていたかも。
    • 逆に四つ橋線の南進構想は具体化しない。
  2. 運営自体は阪堺がやる予定だったので、路線名はそのまま阪堺東西線になっていた。
  3. 堺トラムの導入が数年早まっていた。
  4. 宇都宮のLRT構想がもう少し順調に進んでいた可能性大。
  5. 大小路に阪堺線からの連絡線が設置され、天王寺駅前~堺東の直通運転も行われていた。

梅田~難波間における新規輸送施設

  • 御堂筋線の混雑緩和のため、1971年の都市交通審議会で答申されていました。
  1. 恐らく新交通システムで建設されていた。
    • 1981年以前に開業していたら、日本最初の新交通システム路線となっていた。
    • またはリニア地下鉄になっていた。
  2. 既存の御堂筋線との差別化のため、駅は同線よりも多めになっていた。
    • JR東西線北新地駅はこの路線の駅に接続するように設置されていた。
  3. 新交通システムは輸送力が小さいため、御堂筋線の混雑はある程度緩和されていたが劇的な改善にはならなかったと思われる。
    • ニュートラムと異なり6両編成となっていた。
  4. 梅田以北、難波以南への延伸計画も出ていた。
  5. 四つ橋線は別ルートになっていたかも?

水間鉄道犬鳴延伸

  1. 貝塚~清児間は複線化されていた。
    • 水間観音行きと犬鳴不動行きの列車が各2本ずつ運行されていた。
  2. 水間鉄道の経営がマシになっていたかもしれない。
  3. 熊取ニュータウンが史実よりも発展していた。
  4. 犬鳴山や犬鳴山温泉に訪れる観光客が史実よりも多くなっていた。
    • 犬鳴山七宝瀧寺本堂へ訪れる参拝客のために大晦日の時には終夜運転が行われていた。