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#キハ58、キハ28の大量増備はなかった。 | #キハ58、キハ28の大量増備はなかった。 | ||
#キハ80系は本系列を基に設計されていた。 | #キハ80系は本系列を基に設計されていた。 | ||
===キハ91系のキハ65系への編入改造=== | |||
キハ91系をキハ65系に編入改造する計画でした。 | |||
#キハ91系はキハ65系900番台になっていた。 | |||
#*キサロ90系はキハ28系900番台に改造。 | |||
#JR化後はJR東海が承継。 | |||
#*急行のりくら廃止と運命を共にする。 | |||
#キハ65系への編入とともに全車冷房化。 | |||
===ガスタービン車=== | ===ガスタービン車=== |
2021年4月12日 (月) 16:08時点における版
製造・改造に至らなかった車両がもし、実用化していたら?
- 乱立防止の為、記載は実際に元ネタがあるものに限ります。
- 項目内にそれに関する文章を書いていただければ幸いです。
- 新規追加は「形式が若い順→形式不明(50音)」の順にお願いします。
- 便宜上、実際に導入された形式の改造車についてもこちらで扱います。
- 関連項目
- 勝手に鉄道車両開発/JR - 根も葉もない鉄道車両を作りたければこちらへ。
- もしあの鉄道車両が実用化されていたら/JR - 民営化後に導入が検討されていた物はこちらへ。
- もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/国鉄 - 実際に導入された車両はこちらへ。
独立済み
気動車
キハ47系両運転台車
キハ40の暖地仕様(2000番台)は当初両開き2扉のキハ47を両運転台にしたような形態になる予定でしたが、暖房配管の都合でキハ40と同様の片開き2扉になりました。
- 形式は「キハ41」という新形式が与えられていた。
- 現実にキハ47を両運転台改造して登場した車両は本系列の新区分番台に分類されていた。
- トイレはキハ23・53と同じく運転台後部に設置されていた。
- キハ40の製造両数が減っていた。
キハ60
試作車2両のみで失敗とされたキハ60が成功して居たら?
- キハ58、キハ28の大量増備はなかった。
- キハ80系は本系列を基に設計されていた。
キハ91系のキハ65系への編入改造
キハ91系をキハ65系に編入改造する計画でした。
- キハ91系はキハ65系900番台になっていた。
- キサロ90系はキハ28系900番台に改造。
- JR化後はJR東海が承継。
- 急行のりくら廃止と運命を共にする。
- キハ65系への編入とともに全車冷房化。
ガスタービン車
非電化線区の高速化のために試作車としてキハ391系が製作されましたが、もし、量産車に相当する形式が登場したら?
- 高速化により非電化路線沿線の過疎化を遅らせることができた。
- 沿線では騒音問題が深刻化していた。
- 鉄道は環境を破壊する乗り物と非難されていた。
- 国鉄の財政を現実以上に逼迫させ民営化が5年早まっていた。
- 燃料費が莫大なものに。
- 後にターボ・エレクトリック方式のガスタービン機関車が開発され、北海道に投入されていた。
- 電気系統の制御にはVVVF+IGBTが採用されている。
- 確実にニコニコ動画の「迷列車シリーズ」の題材にされていた。
- 電車列車の非電化路線直通が実現していた?
- 導入線区はどこになるか。電化が進んでいたせいで導入されなかったわけで。
- 史実の振り子気動車が導入されている線区あたりか。
- これらの後継車もガスタービン車。JR東海管内にあったらカミンズエンジンを使うのだろうけど。
- 流石に2000年代以降は環境配慮とコストダウンで新車は製造されないが。
- 史実の振り子気動車が導入されている線区あたりか。
キクユニ
キハ10系列の気動車と併結するために計画された2軸の郵便荷物付随車。
- 使い勝手の悪さから、1両が試作されたのみで終わっていた可能性が高い。
- その後の郵便荷物改造気動車の登場は史実通り。
- 持て余す存在となり、事業用車の改造種車にされてしまう。あるとしたら救援車か?
- 改造しても2軸車なので貨車に分類されていた。
急行形気動車の食堂車・ビュフェ
気動車急行にも食堂車やビュフェの導入を検討したことがあったが、需要と多層建て列車との兼ね合いなどから実現しなかった。
- キハ58系の一員となっていた。
- 形式はキハシ28&キシ28
- 急行形電車同様、食堂部には冷房が備えられていた。
- 後に客室にも冷房化されるが、全車には及ばなかった。
- 導入は幹線級の列車に限られていた。
- 1970年代後半には電車と同様に持て余す存在になり、運用を離脱していた。
- 余剰車両の一部は事業用車や荷物車に改造されていた。
- キニ28・キユニ28は本形式からも改造されていた。
- 余剰車両の一部は事業用車や荷物車に改造されていた。
- 四国に投入された車両はさぬきうどんを売りにするため、うどんコーナーになっていた。
新系列急行形気動車
国鉄末期、転換クロスシートの新系列急行形気動車が計画されましたが、実現しませんでした。もし、実現していたら?
- キハ151系になっていた。
- キハ185系は登場しなかった。
- 高徳線・徳島線では今も急行列車のまま。
- 久大本線・豊肥本線も急行「由布」「火の山」のまま。
- むしろ地方交通線に特急を設定しても採算が取れない東北地方に投入されていた。
- 「陸中」「よねしろ」に投入されていた。
- キハ110系に急行仕様車はなかった。
- キハ185系は登場しなかった。
- 急行列車が現実より衰退することはなかった。
- むしろ格下げ改造を前提とした設計で登場していた。
- キハ58系の老朽化と枯渇でジョイフルトレインの種車にもなっていた。
- 計画ではステンレス車体だったので難工事になっていた。
- 185系電車も急行形として製作され、171系電車になっていた。
- 特急格上げもなく、「最悪の特急」と揶揄されることはなかった。
- 373系も登場しなかった。
- と言うか、史実でも185系は最初から急行形として設計されていた。それなのに用途違いの特急列車で使われたのは、最初に投入される予定だった急行伊豆が、国鉄営業部門の判断で特急へ格上げ(→踊り子)されたせい。
- 213系をデッキ付きの片開き扉にした車両として登場していた。
- この形式をベースとした北海道向け仕様が登場する。
- 「宗谷」「利尻」「礼文」に投入されていた。
- これら列車が客車化されることもなかった。
- キハ54急行仕様車やキハ400は登場しない。
- 特急格上げ後は札沼線に転用され、電化後は室蘭本線に転用されていた。
- 史実におけるキハ143のポジションについていた。
- 北海道向け仕様車は二重窓とするため、211系グリーン車に似た車体となっていた。
- 「宗谷」「利尻」「礼文」に投入されていた。
寝台気動車
10系客車ベースの急行用車両。
- 東京発九州行急行あたりに初投入されていた。
- むしろ山陰急行あたりでは?
- 581系は誕生せず、153系寝台電車が誕生していたかもしれない。しかも新製車で。
- 汎用性とを考えるとそれはないのでは?
- この形式をベースとした北海道向け仕様が登場する。
- 「利尻」「大雪」「まりも」でキハ56系に混じって使用される。
- 14系500番台は登場しなかった。
- 「利尻」「大雪」「まりも」でキハ56系に混じって使用される。
ステンレス製特急形気動車
前後に動力車を配置した準動力集中方式。四国に投入されるはずだった。
- キハ185は無かった。
- 振り子式気動車?なにそれ美味しいの?
- 土讃線の速度向上などを考えるとTSE以降の振子車は史実通りなんじゃないだろうか。
- 登場は90年代中頃になっていたかもしれない。
- 土讃線の速度向上などを考えるとTSE以降の振子車は史実通りなんじゃないだろうか。
- むしろこっちがキハ185系になっていたかと。
- 振り子式気動車?なにそれ美味しいの?
- 四国の特急は動力集中方式に・・・なったのかなあ。
- JR東海のキハ85系辺りが動力集中型になっていたかもしれない。
- 基本的に3両編成になっていたと思われる。
- 「剣山」「むろと」に導入されていたは微妙。輸送量的に2000系あたりが導入されていたか。
- 使い勝手にもよるが、JR九州への売却はおそらく史実通り。
- 「ななつ星in九州」も両先頭車が動力車になり、DF200形7000番台は製造されなかった。
- 先頭動力車の形式は「キヤ」になっていた。
機関車
AH100形原子力機関車
原子力の技術的可能性を検討するため、調査目的として計画案として練られた車両。
- あくまでも調査目的なので1両のみ製造されていた。
- EH10を超える巨体であるため「マンモス」の愛称はこちらについていた。
- 仮に実用化された場合、日本の原子力発電はそれほど発展しなかったかもしれない。
- 少なくとも旅客運用にはついていない。
C63形蒸気機関車
設計図こそ完成したものの、製造には至らなかった。
- 国鉄最後の蒸気機関車となっていた。
- 1両は梅小路蒸気機関車館に保存されていた。
- 最後の地はやはり北海道か?
- 国鉄からSLが消える時期はおそらく史実と変わらなかった。
- むしろ2~3年ほどずれて1978年10月改正の頃になっていた。
- 「やまぐち号」に使用されていた可能性もある。
- マイクロエースではなくKATOが模型化していた。
- =もし動力近代化計画が失敗していたら、である。
KE50形蒸気機関車
設計図こそ完成したものの、製造には至らなかった。
- 国鉄最後の蒸気機関車となっていた。
- それはない:E10が最後の蒸気機関車。
- 国鉄からSLが消える時期はおそらく史実と変わらなかった。
- むしろ2~3年ほどずれて1978年10月改正の頃になっていた。
- ボイラーがD52と同じなので、戦後早い段階で全車C62に改造されて形式消滅。
EB90形(AB90形)
ED71形を入換用蓄電池式機関車に改造する計画がありましたが、実現しませんでした。もし、実現していたら?
- 環境に優しい車両として注目されていた。
- 量産車は新車として製作された。
- AB11形になっていたかも。
- DE10形の製作は打ち止めになっていた。
- 国鉄分割民営化後はDE10は旅客会社にしか引き継がれなかった。
- JR貨物へは本形式が引き継がれていた。
- 入換用機関車は蓄電池式機関車が主体になっていた。
- ハイブリッド? 何それ?
- HD300形は製作されなかった。
- ハイブリッド? 何それ?
EF70形直流化改造車
1980年代初期、北陸本線へのEF81形進出により余剰化したEF70形を直流機に改造し、EF58形の代替車として東海道・山陽本線に投入する計画があったそうです。
- 交流専用のタップ制御は廃止され、基本的な制御装置は全てEF65形から流用される。
- 最高出力も2550kWに揃えられる。
- 当時の国鉄の事情では、新形式の「EF68形」を名乗るのは困難だったかもしれない。
- 結果、EF65形のジャンプナンバー(1500番代?)となる。
- しかしカラーの塗り分けは0番代と共通。
- EF70の1000番台車についてはEF65の550番台となり、塗り分けも500番台・1000番台と同じになる。
- 結果、EF65形のジャンプナンバー(1500番代?)となる。
- JR発足時には全機JR西日本に引き継がれていた。
- 史実のEF62形の代わりだが、民営化前に全機廃車の憂き目には遭わなかったかもしれない。
- 但し、2011年現在まで稼動していたかどうかは不明。
- KATOの青のEF70は絶版にならなかった。
EH50形電気機関車
昼行客車特急の高速化を目的に導入が検討されていたが、151系(登場時は20系)電車の登場により幻になったようだ。もし、151系に先んじてこの車両が誕生していたら…
- 151系登場後は夜行列車の牽引に回されていた。
- 今でもブルートレインを下関まで牽引している。
- 1978年に史実通りEF65PFに置き換えられ、その後は荷物列車牽引で余生を送ったのち1986年に廃車。
- 今でもブルートレインを下関まで牽引している。
- EF65はF機のみでP機は存在しなかった。
- EF60の500番台も当然存在しなかった。
- その後の電気機関車史は違ったものになっている。
- EF66やEF81は下手すると登場しなかったかもしれない・・。
- EH50の交流版や交直流版が開発されることに・・。
- EH50にはクイル駆動方式が導入されていた可能性もあるので、もしEH50でクイル式が成功していたら、その後の国鉄電気機関車の駆動方式はクイル式が定番となる。
- 山陽新幹線全通後に一部がEH10に改造される。
ED55
ED50、ED51、ED52の置き換え用として開発されていた。もし、実現していたら?
- ED14に類似した車体と、デッカー製私鉄向電気機関車のようなデッキと一体化した板台枠台車を組み合わせたような構造で、軸配置1B+B1の68t機となる予定であった。
ED95(ED63)
EF58やEF15の置き換え用として開発されていた、電機子チョッパ制御のD級直流電気機関車。まずED95を試作し、その後ED63として量産予定だったが、1982年11月のダイヤ改正で機関車が余って開発中止に。もし量産化されていたら?
- EF66のような流線形に、デッキ付の貫通扉(乗務員扉)という奇抜なデザインが、鉄道ファンの間で賛否両論となる。
- 民営化後にJR貨物が開発する機関車が、ステンレス車体になっていた。
DF51
幹線・亜幹線向けに3000FP級として構想されたが国鉄経営悪化の縮小経営の中で構想図のみとなってしまった。 もしこれが開発されていたら?
- 北海道に集中的に配備される。
- JR化の際にはJR北海道とJR貨物に引き継がれ北斗星も引いていた。
- DF200が出るまで最強クラスの機関車として名をはせていた。
客車
マイテ30
「かもめ」用に使われる予定だったドーム展望車。
- 計画とは異なり「つばめ」「はと」に投入され、捻出されたマイテ49あたりが「かもめ」に使われていた。
- 当然青大将塗装にもなっていた。
- 後に事業用車に改造されていた。
- 1960年から1963年の間は「かもめ」「みずほ」に使用された。その後は団体臨時列車に転用されたものの、東海道新幹線開業後は使用頻度が低下し1968年までに事業用車に改造され、1987年の国鉄民営化まで車籍が残った。
- その後復元されて鉄道博物館に展示されることになっていたか。
- 1960年から1963年の間は「かもめ」「みずほ」に使用された。その後は団体臨時列車に転用されたものの、東海道新幹線開業後は使用頻度が低下し1968年までに事業用車に改造され、1987年の国鉄民営化まで車籍が残った。
オニ22形
パンタグラフと電動発電機を搭載した直流区間専用の20系電源荷物車。実際には非電化区間兼用のカニ22形が登場したため実現しなかった。
- いずれは下関「あさかぜ」「瀬戸」「安芸」に集中使用される。
- 「瀬戸」用の20系は最初から広島・下関所属だった。
- 24系に下枠交差型パンタグラフ搭載の電源車が登場する。
- 代わりにスハ25が生まれない。
- やがて「銀河」へ転用され、オヤ22に改造される。
- むしろ使い勝手の問題から早期に淘汰されたか、あるいはディーゼル発電機に乗せ換えて簡易電源車に改造された。
- マヤ20形は旧型客車からではなく、当形式から改造されていた。
- 本形式ベースの直流/交流50・60Hz対応車も製作された(青函トンネル通過を考慮)。
貨車
コキ70000形
コキ60000形同様、コキ5500形を5tコンテナ5個積みに改造した車両。こちらは最高速度100km/n走行可能としたもので鮮魚輸送に用いられていたレサ10000形の置き換えとコンテナ化に際して計画されていた。
- 積載できるコンテナに限りがあるため、運用が制限されていた。
- JR化後には識別のため、塗色変更がされていた。
- 現在はコキ100系に置き換えられている。
その他
超音速滑走体
- 昭和30年代後半から名城大学において実験が行われていたが計画断念に終わる。実現していれば東京-大阪間を14分で結ぶ事が出来たという。
- 実用化するとすればおそらく国鉄だろうから便宜上ここへ。
- 新幹線以上に騒音が問題になっていた。
- チューブ内を走る関係上全線地下になっていてもおかしくはない。
- 軌道内は真空になるから音は伝わるかな?
- 実験では加速時に30Gもの衝撃がかかっていたそうなので、衝撃緩和に関しても対処がなされているはず。
- リニアモーターカーの計画はすぐさま放棄されていただろう。
- とは言えロケットエンジンより磁気浮上の方が運行コストが抑えられるのではという意見が出るはず。
- 大阪企業の東京移転、並びに関西経済の地盤沈下は現実より早いペースで起こっていた。
- 大阪は東京の衛星都市みたいな感じになっていた。大阪から東京へ通勤する人もいたかも。
- それでも大阪の昼夜間人口比率が100未満にはならないはず。
- 逆に大阪企業の東京移転は抑制されていたかもしれない。
- 名古屋に停まっていたかどうかも気になるところ。
- おそらく停車する列車もあるとは思うが、加速方式が普通の列車とは異なる(ロケットエンジンを使っていたらしい)のでノンストップが中心になっていたと思う。
- もし停車できなかったとしたら史実の名古屋飛ばしの比ではないほどの大騒動になっていただろう。実験を行っていた名城大学が名古屋の大学である事を考えると尚更。
- 果たして運賃はどうなっていたか…。
- 普通に考えるととてつもなく高くなっていたかも。
- 現実のリニア新幹線はのぞみより1000円高くなるらしいが、この場合だと2倍~3倍高くなりそう。
- 採算ベースにのせるには片道100万円以上かかるなんて話も。
- さすがに14分は無理だろうが、30分か45分で結ばれていたか。
- 航空機の国内線の数はかなり減っていた。
- 伊丹空港・小牧空港は廃止になっていた。
- 死亡事故が起きて休止か廃止という可能性もあったかも。
- 後々アメリカでのハイパーループ建設の際の参考にされる。
- ソ連やアメリカでも同様の列車が導入される。
- こうなっていた。
鉄道省のクルーズトレイン計画
1940年の東京オリンピックに合わせて計画されていたが、同大会の中止に伴い幻となった。
- ほぼ間違いなく客車として製造されていたと見られる。
- どちらにしろ終戦までまともな形で動くことはできなかった。
- 戦中には展望車と同じく地方に疎開されていた。
- 戦後は進駐軍専用列車に優先的に使用され、一般人が乗れるようになるまでには更なる時間を要した。
- 戦中には展望車と同じく地方に疎開されていた。
- 末期は専ら団体専用列車として使用され、バブル期のジョイフルトレインの投入でその役目を終えていた。
- 現在ではこの車両がジョイフルトレインの始祖として扱われている。
- 上手くいけば交通博物館→鉄道博物館への保存が実現していたかもしれない。
- いわゆる「或る列車」やお召列車の客車から改造された車両もあった。
- 天皇以外の皇族専用車両としても使用されていた。
- 20系客車の計画に影響が出ていた。(当初は外国人専用客車として考えられていたため)
無人カフェテリア車
食堂車に変わる車両として自動販売機などを置いて食事を提供する車両が考案されていました
- ビュッフェに変わりこの車両が導入される。
- 車内販売縮小がさらに進んでいた可能性大。
- 車内の飲料水の自販機ももう少しバラエティに富んでいた。
- しかし近年では残ったとしても飲料水以外ではニチレイの冷凍食品など僅かなラインナップしかない。