ページ「もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/JR」と「もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄/電車」の間の差分

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少数派に留まった車両や完全な車両置き換えに至らなかった車両がもし、更に増備されていたら?
製造・改造に至らなかった車両がもし、実用化していたら?  
 
*乱立防止の為、記載は実際に元ネタがあるものに限ります。
*新規追加は車種別に形式が若い順にお願いします。
**項目内にそれに関する文章を書いていただければ幸いです。
**項目内に史実の導入編成数を書いていただければ幸いです。
*新規追加は「形式が若い順→形式不明(50音)」の順にお願いします。
*1年以上増備が行われていない形式でお願いします。
*便宜上、実際に導入された形式の改造車についてもこちらで扱います。


;関連項目
;関連項目
*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/国鉄]] - 国鉄時代に増備が考えられたものはこちらへ。
*[[勝手に鉄道車両開発/JR]] - 根も葉もない鉄道車両を作りたければこちらへ。
*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/JR]] - 導入計画があったが未成に終わった車両や試作車はこちらへ。
*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/JR]] - 民営化後に導入が検討されていた物はこちらへ。
*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/国鉄]] - 実際に導入された車両はこちらへ。


==新幹線==
==新幹線==
===200系H編成===
===個室ひかり===
*所謂100系の顔をした200系であり、史実では6編成が製造されました。
夜行新幹線用として企画されたが、実現しなかった。
#100系と同時に開発・製造が行われていれば十分有り得た。
#961形をベースに登場。
#*民営化よりも前に投入される事になるので、こちらがG編成を名乗っていた。
#*もしかしたらこっちが「100系」を名乗っていたか。
#その代わりF編成の数が大幅に減っていた。
#いずれにしても国鉄分割民営化後、[[のぞみ]]登場と同時に消滅。
#*連結器の構造を考えると、流石にK編成の登場には影響はないはず。
#東北・上越新幹線にも同等の設備を有する車両が投入された。
#どのみち勾配やら需要やらの影響で東北新幹線専用車になるのは変わりない。
#*「スーパーやまびこ」中心の運用に使われる。
#*E2系登場までは400系と連結する列車を除き、全ての「やまびこ」がこの車両で運用されていた。
#最後はこだま用として山陽新幹線で生涯を終えていた。
 
#*もしくは「ウエストひかり」を中心に運行していたかもしれない。
===E1系===
*100系、200系H編成に続く2階建ての新幹線で、史実では6編成が製造されました。
#E4系と同時に開発・製造が行われていれば十分有り得た。
#その代わりG編成の数が大幅に減っていた。
#全車引退ももちろん200系の後だった。
 
==電車==
===特急形===
====251系====
史実では4編成製造されました。もし185系全車を置き換えに至るまで製造されていたら?
#185系の一部は波動用に転用していた。
#ハイデッカーがバリアフリー対応の壁となって史実より早く引退していたかもしれない。
#*651系はこれの置き換え用として東海道線に転属していた。列車名も「スワロー踊り子」になっていた。
#*逆にE257系2000番台が草津・あかぎ・水上に転用していた。
#*E261系も史実より早く登場していたかもしれない。
 
====255系====
史実では5編成の製造で終わりましたが、もし、房総地区の183系全車を置き換えに至るまで製造されていたら?
#E257系500番代は登場しなかった。
#グリーン車なしの6両編成も登場していた。
#程度の良い183系は波動用に転用。
#*波動用165・167系の全廃も早かった。
#國鐵千葉の印象が薄れていた。
 
====283系====
史実では基本編成・付属編成各2本の製造で終わった。
#「くろしお」の愛称が「オーシャンアロー」のままだったかもしれない。
#*雷鳥→サンダーバードのように「くろしお」の愛称が無くなって「オーシャンアロー」で統一されていたかも。
#今頃「やくも」用新型車両が導入されているはず。
#*「マジカルクラウド」みたいなそれっぽい愛称が付けられる。
#**塗色は赤紫色と白のツートンカラーで、後に近鉄の「伊勢志摩ライナー」の赤いやつと似てると言われていた。
#**381系をリニューアルした「ゆったりやくも」はなかった。
#381系北近畿転用→485系廃車→287系の出る幕なし、というストーリーも考えられる。
 
====285系====
現実には「サンライズ出雲・瀬戸」のみの導入となりました。
#東京~大阪の急行「銀河」がこれに置き換えられ、「サンライズ銀河」が実現していた。
#*それと同時に特急格上げもあるだろう。
#*その場合「サンライズ出雲・瀬戸」の上りは大阪駅は通過となっていた。
#*「WEST EXPRESS 銀河」は別の名前になっていた。
#東京~下関に「サンライズあさかぜ」が新設されていた。
#これの交直流版も計画されていたかもしれない。
#*その場合交流50/60Hz対応になっていたし、青函トンネル及び耐寒耐雪対応になっていた。
#*京阪神~九州間には「サンライズなは」、「サンライズあかつき」、「サンライズ彗星」と大阪~青森・函館間には「サンライズ日本海」が新設されていた。
#寝台特急の衰退は現実ほどではなかった。
#TwilightExpress瑞風もこの形式で運転されていた。
#JR東日本も共同で開発していた。
#*E285系・C285系・W285系が誕生していた。
 
====E351系====
史実では基本編成・付属編成各5本の製造で終わった。
#E257系の導入は遅れている。
#*房総特急用に一から開発する必要がある。
#JR東日本は振り子式車両の導入にも意欲的になっていた。
#*JR西日本も同様に振り子式車両の導入に消極的になることはなかった。
#「かいじ」にも導入されていた。
#本形式の増備完了後は「スーパーあずさ」は「あずさ」に統合されていた。
#初期不良がなければ十分あり得た。
#史実では実現しなかった中央本線の高速化が実現していた。
#E353系が投入された後も史実通り転用されず廃車になっていた気がする。
#*踊り子向けとしてE259系の新区分番台が投入されていた。
#上手くいけば1両程度保存されているかもしれない。
#JR東日本にとっての黒歴史が減っていた。
 
====371系====
史実ではあさぎり用に1編成のみの製造で終わった。
#あさぎりの本数が増えていただろう。
#*その代わり小田急側が20000形を2編成所有することはなかったかも。
#「東海」「ムーンライトながら」「セントラルライナー」「ホームライナー浜松」などにも使用されていたかもしれない。
#*もしセントラルライナーに使用されていたら「銭取られるライナー」と揶揄されることはなかった。
#*その分373系の導入本数が減っていた。
 
====651系====
常磐線の485系全車置き換えに至るまで増備されていたら?
#E653系は常磐線ではなく、[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/JR#E653系電車はくたか・北越・いなほ用|「はくたか」「北越」「いなほ」に投入されていた]]
#*史実と違った形になっていた。
#*導入時期は2005年辺り?
#*E653系は3電源方式を発揮できる車両となっていた。
#651系置き換え完了後は「スーパーひたち」は「ひたち」に統合されていた。
#*むしろ行先別愛称が徹底され、茨城県内発着は「ときわ」、いわき(以北)発着は「ひたち」になっていた。
#**漢字表記(常磐・常陸)を考えると磐城国に行く平行きがときわで茨城県内がひたちではなかろうか。
#**JR東日本の感覚では行先別愛称が徹底されるだろうと考えられるため。
#*651系時代は「スーパーときわ」、E657系投入完了後スーパーが消される。
#クハ481-1100番台・サハ481-300番台は登場しなかった。
#*クハ481-1100番台は史実通りに登場しても白鳥・北越・雷鳥で運用されていたボンネット車の置き換えに転用されていた。
#E657系への置き換えは史実通り。
#*今頃は「あかぎ」「草津」だけでなく、「踊り子」にも転用されていた。
#*185系は定期運用を失っていた。
#*このためE257系2000番台は登場しなかった。
#「あいづ」にも本形式が投入されていた。
#*「あいづ」のために一部の編成は耐寒耐雪仕様で登場していた。
#*場合によっては末期「つばさ」も651系になっていた。
#**さすがに「つばさ」山形新幹線開業絡みもあるのでありえないと思うが。
#*「あいづ」が「ビバあいづ」にされた後は余剰分で「たざわ」の485系も一部置き換えられていた。
#*秋田新幹線開業後は「はつかり」→「つがる」に用いられていた。
#一部の編成は非電化線区乗り入れのために発電機を備えていた。
#*史実では実現しなかった「ビーチイン大洗ひたち」での運用が考えられたため。
#*非電化線区と直通運転する臨時・団体列車には本形式が重宝されていた。
 
====E751系====
史実では3編成しか製造されませんでしたが、ここでは全てのはつかりを置き換えられるまで製造していたらと仮定します。
#津軽海峡線にも乗り入れていた。
#*東北新幹線八戸延伸後はつがるだけでなく、白鳥にも使用されていた。
#東北新幹線新青森延伸後は一部の編成があいづに転用されていた。
#*北海道新幹線開業後は常磐線北部区間にも転用?
#*それでも余った分は廃車になり「迷列車」扱いに。
#789系0番台も基本性能はこれをベースに製造されていた。
#「つがる」の大幅減便はなく、青森~弘前間は1時間間隔で特急列車が走っていた。
 
====789系1000番台====
#785系の付属編成(2両編成のやつ)が特急から撤退し室蘭本線の普通列車として使用されていたかもしれない。
#*もしこれが史実だったらなんだか宝の持ち腐れ感が・・・
#学園都市線電化後、キハ143形は室蘭本線ではなく函館本線の岩見沢以北で使用されていた。ただし、キハ143-155の東日本送りは変わらず。
 
===普通列車用===
====サロ124・125形====
史実ではサロ124は29両、サロ125は5両製造されていた。
*113系に属しますが、登場はJR発足後であるため、ここに記載しております。
#横須賀線に在籍していた113系も早々と2階建てサロを連結している編成に統一されていた。
#*スカ色のサロ125も現実化。
#*幕張所属編成に於いても2階建てサロを連結。
#余った平サロは115系や415系鋼製車に転用。
#サロ110を筆頭とする平サロの淘汰が早まり、グリーン車は早くも2階建てサロに統一されていた。
#*よってサロ124+サロ125の編成で最後を迎えていたかも。
#また東北高崎線の115系向けのサロ126、サロ127や常磐線中電415系向けのサロ424、サロ425といった2階建てサロも登場。
#総武快速・横須賀線、東海道線両線からの113系撤退後の処遇が問題になっていたかも。
#サロ110形は早期に廃車されたか、あるいはリゾートエクスプレスゆうやシルフィードの種車となっていた。


====E127系電車====
==在来線特急用==
0番台が2両編成13本、100番台が2両編成12本製造されたが、新潟・長野地区の国鉄型車両全てを置き換えに至るまで製造されていたら?
===183系1000番台やくも用===
#国鉄新潟と揶揄されることはなかった。
「やくも」電車化の際に183系1000番台の転用が検討されたが、上越新幹線の開業が遅れて間に合わなかったため381系を新造投入したという
#しなの鉄道に115系は導入されず、E127系ベースの車両が導入されていた。
#史実で転用された房総方面・中央線の特急化が遅れた。
#211系が長野地区に転属しなかった。
#振り子装置がなかったので民営化して10年後ぐらいに新車に置き換えられたかも。
#甲府・高崎地区にも導入されていたかも?
#*183系なので北近畿に転用されたか。
#トレインビジョンは新潟地区に導入されることはなかった。
#JR西日本も純正の183系を保有していたことになる。(700・800番台は485系・489系から改造したものなので)
#実はノッチ刻みの関係でキハ181系より遅い。


====205系京浜東北線用====
===187系電車===
103系置き換え用に投入されたが、全車置き換えには至らなかった。
碓氷峠(横川-軽井沢間)を補機なしで自走できる特急形電車が計画されていましたが、実現しませんでした。もし、実現していたら?
#209系は製作されなかった。
#量産車は新車として導入された。
#*90年度後半まで205系が増備されつづけた。
#*試作車だけ他車と異なるので阪神8000系第1編成のように珍車扱いされ、注目されていた。
#**1998年からE231系が運用されていた。
#187系をベースにした一般形電車も製作された。
#*京浜東北線でもモーターからの爆音を轟かせていた。
#*107系に似た車両になっていた。
#**特に全般検査後に外扇モーターに変えられた時。
#**165系ベースでしょう。
#サハ204形が導入されていた。
#EF63形は史実より早く余剰廃車になっていた。
#E233系1000番台の導入は恐らく史実通り。
#横川-軽井沢間が廃止されることはなかった。
#*ただし房総地区送りになったかどうか怪しい。場合によってはE129系が房総地区に導入されていたかもしれない。
#サロ183形がサロ110形300番代に改造されることはなかった。
#京浜東北線へのD-ATC導入は遅れていた。
#*サロ110形0番代が分割民営化後も多く生き残っていた。
#もしも209系が製造されていたら、京葉線では205系の投入はされず、東京開業から数年遅れて209系の大量投入があっただろう。
#**153系の生き残りとして注目されていた。
#北陸新幹線開業後は「あずさ」に転用されていた。
#*E257系は製作されなかった。
#*房総特急で活躍しているかも。
#*史実通り製造された場合、新型NEXと似た感じの車両になり、E257と259の形式があべこべになる。
#**妙高、ムーンライト信州は187系で運行。
#***日光、きぬがわは187系が種車だった可能性も。
#**183系のように波動用で活躍。
#**むしろキハ183系500番台に似た車両になっていた。
#勢い余って487系もできる。
#*ただし、国鉄がそこまで赤字でなかった場合。
#*「白山」に投入されていた。
#**「白山」廃止後は「能登」に転用。
#***「能登」は上越線経由にならなかった。
#189系は電化されたばかりの北近畿地区に転用されていた。
#*183系485系改造車はなかった。
#**七尾線電化後も普通列車は気動車のままだった。
#***七尾線には521系が新製投入されていた。
#平坦区間でも電気を無駄食いするため、「扱いにくい」車両になっていた。
#*このため他に転用する際一部車両が電装解除されていた。
#*結局EF200の二の舞になり、早期淘汰の対象に。
#**EF63の余剰廃車が早かっただけでは?


====205系京葉線用====
===福知山・山陰本線用381系===
京葉線東京延伸開業用に投入されたが、もし、103系も置き換えていたら?
福知山・山陰本線の特急「北近畿(現・こうのとり)」には381系新造車を投入する計画がありましたが結局は他から485系が転用されました。
#6両+4両編成も登場していた。
#381系は国鉄分割民営化直前の1980年代中盤まで製造されていた。
#*東金線でも運用されていた。
#振り子式車両なので「北近畿」の所要時間は短縮されていた。
#史実より早く全列車110km/h運転を実施していた。
#それでも山陰本線京都口電化開業時の「はしだて」「きのさき」「たんば」用には北陸本線から485系が転用されていた。
#201系は転入しなかった。
#287系が初めて投入されたのは[[紀勢本線]]の「くろしお」だった。
#*201系は武蔵野線に回されていた。
#*現実と異なり振り子式になっていたかも。
#山手線の205系は京葉線に転用されず、房総地区に回されていた。
#*それでも、183系電車の置き換えのために投入していた。
#京浜東北線で運用していた209系500番台は武蔵野線に転用していた。
#福知山線用の増備車の座席は簡易リクライニングシートではなく、100系新幹線などと同様の背面テーブル付き新型リクライニングシートとなっていた。
#E331系の登場とE233系の置き換えは史実通り。
#やくもが現在も381系だと考えると2020年代まで現役かもしれない。
#*E331系は残留するが結局は量産化せず、車両故障の多さから運用を離脱するのは史実通りである。
#*いや、早くても、2015年に引退していたか、遅くても、2018年に引退していた。
#*だからといって205系を1編成だけ残留させるわけにはいかないので車種統一の観点からE233系がもう1本追加投入されていた。
#*もしくは、後藤総合車両所に転属し、特急「やくも」として、運用されていたかもしれない。その場合、「やくも」は原則、6両編成で運行されていた。
#*205系600番台はメルヘン顔で揃っていた。
<!--#中津川線が開業していた場合、あり得た。
#103系DDM試験車は登場しなかった。
#*その場合、名古屋~上諏訪・駒ヶ根間を結ぶ急行「伊那」が特急に格上げされて、381系電車が製造されていた。
#*原型ライトの103系も現実より早く消滅していた。
#*やがて、383系電車に置き換えられていた。
#「京葉中古車センター」と揶揄されることはなかった。
いくらなんでも趣旨を逸脱しすぎている-->
#1996年に山陰本線京都口電化が開業した際は、京都に乗り入れていた可能性もある。
#*485系電車を改造した183系電車も福知山線に乗り入れていた。
#当時の国鉄の事情では新製車だけではまかないきれないので「やくも」の短編成化で捻出した車両がこちらに回された可能性が高い。
#*485系「くろしお」はもう少し長く運用され、283系導入とともに置き換えられていた。


====205系武蔵野線用====
===交直流対応振子式特急車両===
新車としての投入は8両編成5本に留まった。ここでは全て新車として投入していたらということで。
591系として開発が進んでましたが、投入予定路線である東北本線に平行して東北新幹線を建設することが決まったため各地を転々とし、結局は381系として製造されました。
#103系を確実に置き換えていた。
#東北新幹線が開業する前までは「ひばり」に先行投入されていた。
#5000番代への改造数が減っていた。
#*その後北陸や九州に転用。
#*最も少ないければ253系200番台に機器提供のための2編成になっていた。
#485系の量産数が減っていた。
#205系の転用計画は武蔵野線が挙がることはなく、代わりに房総地区が挙がっていた。
#日豊本線、長崎本線にもにちりん、かもめとして導入される。
#E233系が武蔵野線にも投入された可能性あり。
#*その場合209系500番台やE231系0番台は武蔵野線に転属しなかった。
#*置き換えられた205系がインドネシアに譲渡される事は変わらなかった。


====205系南武線用====
===新特急電車===
新車としての投入されたものの結果的には103系が残留した。ここでは全て新車として投入していたらということで。
国鉄の130km/h対応特急。現実の高崎線新特急とは全くの別物。
#205系1200番代は登場しなかった。
#高崎線新特急は通勤特急という呼び名だった。
#209系は投入されなかった。
#*急行「伊豆」は特急「あまぎ」に統一、東北・高崎線系統の急行はすべて特急化(いずれも183系使用)されたと思う。
#E233系への置き換えは史実通り。
#おそらく781系・485系・183系の新区分番台だった。
#*209系のように1編成だけ残留することもなく、E233系8500番代は登場しなかった。
#*北海道の電化がもう少し進んだか。


====209系0番台南武線用====
==急行用==
史実では2編成のみの投入でしたが、もし、南武線の全車両が置き換えられるまで投入していたら?
===153系寝台電車===
#南武線の103系全廃は史実より早かった。
夜行寝台急行列車の電車化が計画され、本系列を寝台車電車に改造・投入するものであった。
#205系の房総地区転用が実現していた。
#急行銀河の廃止が数年伸びていた。
#*むしろ房総地区の車両統一を迅速化するため,205系は史実同様(インドネシアの)ジャカルタに譲渡。南武線209系が幕張211系の置き換え用に転属した。
#急行きたぐに(大阪ー青森)の車両にも使われていたかもしれない。
#今頃は全車機器更新されており、今なお現役。
#*153系は直流専用だから無理があるのでは?
#*機器更新されなかった場合はE233系8000番台に置き換えられている。
#**[[国鉄の電車/特急・急行形|451~475系]]ベースの交直両用版が開発される。
#**一部、南武支線や鶴見線の車両置き換えに使われていたかも。
#581系は誕生しなかった。
#*その予算で武蔵野線にでも投入、VVVF205系は北関東に転用?
#国鉄末期に通勤格下げ車両が出現していたりして。
#*史実の八高線の例を考えると結局淘汰されてそう。
#「ちくま」が客車に戻されることはなかった。
#上記どおり房総地区に転用された場合を除く


====209系500番台====
===163系電車(グリーン車を除く)===
あくまでもE231系までのつなぎ役としての製造でしたが、もし計画が変更されて量産されていたら?
付随車のみ存在したが、当初は153系の出力アップ型として165系と同時期に暖地向けに導入が検討されていたようだ。(ただし抑速ブレーキはなし。)もしこれが実用化されていたら…、
#E231系の誕生はかなり遅れた。
#結局、新幹線の延伸や特急運転区間の拡大で余剰となり、113系増備のための種車となってしまう。
#*場合によってはE231系500番台がE231系0番台になっていた。
#*113系1500番台や2000番台はこの車両のハコ替えだった。
#それでも他線への新製投入はないはず。
#あるいは大阪地区の新快速は153系が撤退した後、この車両を部分改造して充当される。
#常磐線快速にも投入されていた。
#*その場合117系は登場しなかったか国鉄末期のデビューとなっていたか。
#*史実通りE231系0番台だった場合、上野東京ラインの開業に合わせ史実でも検討されていた常磐快速線向けE233系が製造されていた。
#いずれは車種統一のため抑速ブレーキ取り付け改造を行い165系に編入された。
#製造数にもよるが武蔵野線がこの車両で統一されている可能性大。
#*1975年の山陽新幹線博多開業時に改造され、165系200番台となる。また、捻出したCS12系制御器はその頃増備された113系新製冷房車に転用。
#*抑速付けられるのなら瀬野八も越えられるな!→「安芸」他に導入。
#*平坦地向けなので、東京~下田・修繕寺および房総急行に使用されていた.
#*捻出した153系は、3ドア化・デッキ撤去のうえ、静岡・名古屋地区の普通電車に転用。
#*名古屋~大阪・神戸間を結ぶ急行「比叡」でも運用されていた。
#ビュフェは165系や交直流車と同じく、そばコーナーになっていた。
#仮に導入されても少数派で終わっていた。
#*少数派ゆえに国鉄末期には淘汰の対象となり、JRには継承されなかった。
#グリーン車が史実以上に113系に編入されていたかも。
#修学旅行用電車として、製造されていた可能性もある。
#*167系電車は旅客用電車として、製造されていたかもしれない。


====209系1000番台====
===サロ164形===
*06系同様千代田線用の車両として作られたが、史実では2編成しか導入されなかった。
大糸線乗り入れ急行用に計画されたハイデッカータイプの展望電車。サロ85形から改造される予定だった。
#量産されていたとなると、間違いなく203系と207系900番台は全てこの車両で置き換えられていた。
#改造されても所要数の関係から2両だけで終わっていた。
#*よって双方の引退も史実より早かった。
#80系からの改造なので新製車との乗り心地で格差が起きていた。
#*いくらなんでも引退が早過ぎる(20年経っていない)ので転用されるだろう。
#車齢の高さと両数の少なさもあり、早期廃車の対象になっていた。
#**だからと言ってどこに回すのだろう…。それでも中間車が廃車にされるのは確実。
#***やはり武蔵野線だろうか?
#****他に有力なのは南武線辺りか。
#**207系900番台は1編成しかないのでどちらにしろ廃車されていたのでは?
#*203系は301系と103系1200番台置き換えのために東西線に回されていた。
#**E231系ではなくE233系に置き換えられていた。
#置き換えが速ければ東西線への導入もありえたかもしれない。
#現在では小田急への乗り入れ対応のための改造がなされている。
#*どうかな?E233と小田急4000のベースが同じだから乗り入れ改造がされたわけで。
#E233導入と同時に武蔵野線へ流れており、武蔵野線における205系の在籍数が減っていた。
#*そもそもE233系2000番台が存在せず、E235系の地下鉄対応版(コンパチ東急2020系)によって置き換えられていた。
#*その後は相模線と仙石線に転用され、205系を置き換えていた。
#**中央快速線には京浜東北線用1000番台が小改造された上で一時転入していた。


====E233系5000番台ケヨ521編成====
===185系急行形電車===
E233系5000番台は250両(10両貫通21本、6+4編成4本)投入予定であったが、E331系の本格的な運用を見越して10両差し引きとなった。もし、当初の予定通り10両追加投入されていたら?
元々急行形電車として開発されましたが、投入予定だった急行伊豆が特急に格上げ(踊り子)されたため、本来の用途ではない特急形として運用されることになりました。もし、急行形として投入されていたら?
#=[[もし2008年の金融危機がなかったら]]、である。
#国鉄末期の急行列車の統廃合で余剰化。
#E331系は復帰することがなく廃車となるのは史実通りだった。
#*波動用として重宝される。
#209系500番台が1本だけ京葉線に居座り続けることはなかった。
#*ジョイフルトレインとして改造される車両も登場。
#*この編成の処遇が注目されてしまうこともなかった。
#*運用見直しで編成数削減だの京浜東北線からの転用で置き換えだのと噂されることもなかった。
#JR東日本のいい加減でやる気のない車両計画の1つに挙がってしまうこともなかった。
#*それでもJR九州よりはマシな方だと思うが。


====303系====
==近郊用==
現実ではたったの3編成しかありません。もし、305系並みに多かったら?
===モハ70系===
#既に103系は全敗。
湘南電車投入計画の一つに「63系を3扉にしたようなロングシートの車両にする」案があったそうです
#*「廃車が早すぎる」という意見が出ていた。
*なお、ここで述べるモハ70系は史実とは別の車両です。
#*他社への売却が打診される。
#後継の111系などの近郊型電車もオールロングシートになっていたかもしれない。
#*全廃。(誤字ってる)
#*それでも地方線区に転用されるときはセミクロスシートに改造されていた可能性も。
#1000番台の[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄/電車#103系1000番台筑肥線転用|筑肥・唐津線転用が実現していたら]]あり得た。
#185系・117系の登場が早まったか。
#福岡市営地下鉄車両も多く廃止されてた。
#305系はなかった。


====305系====
===113系1000番台初期車の総武快速・横須賀地下線乗り入れ===
筑肥線電化区間の車両が103系を全廃に追い込むまで増備していたら?
113系1000番台は総武快速・横須賀地下線への乗り入れを視野に入れて製造されましたが、初期車は地下線に乗り入れることはなく、早いうちに他線へ転用されました。
#それでも303系は残留している。
#さすがにATC設置改造くらいはされている。
#筑前前原-西唐津間の区間運転に対応する3両編成が登場していた。
#その分、0番台が史実より多く製造されていた。
#*3両編成は817系に似た前面になっていた。
#更新時期が早まるので211系・213系総武快速・横須賀線用の登場が実現していた。
#筑肥線姪浜-西唐津間でのワンマン運転が実現していた。
#クハ111-1310が阪和線に転出することなく、阪和色の113系1000番台は存在しなかった。
#*湘南色の113系1000番台も国鉄時代には存在していなかった。


====E331系(量産車)====
===サロ115形===
ついに量産されることがなかったE331系ですが、もし実用化していたら?
115系のグリーン車(1等車)として全自動ドア装備で検討された。
#京葉線にE233系は導入されなかった。
;東北・高崎線用新製車
#*埼京線はE233ではなくE331が導入されていた。
#普通車より一足早く冷房化された。
#**むしろ武蔵野線に投入されていた。
#15両化も早まっていた。
#JRで連接車が実用化されていた。
#サロ165-14がスカ色にならなかった。
#*JRはJRでも東日本限定になりそう。
#1973年の暴動がもっと大規模になっていた。
#*JR東日本でも首都圏エリアの一般型電車限定。
#*だが事件後に急行型使用の普通列車グリーン車が自由開放されることはなかった。
#JRで連接車は実用化しないというジンクスはできなかった。
#211系1000・3000番台も最初からサロを組み込んで登場したため、サハ211の製造両数は少なかった。
#4ドア・オールロングシート車も登場しているはず。
;宇野線用改造車
四国連絡快速用にサロ113を改造しての投入が計画された。
#首都圏で113系グリーン車が不足し、特急・急行型からのサロ110への編入改造が史実より多く行われた。
#備讃ライナー→マリンライナーにもグリーン車がついている。


====313系====
===117系関東仕様===
*ここではJR東海の全ての在来線車両(気動車除く)が313系に統一されていた場合を想定します。
急行「伊豆」の153系の置き換え用としてデッキのない転換クロスシート車両(=117系)が考えられていたが、居住性に問題があると判断され、さらに「伊豆」の特急格上げが決まったことにより結局は185系となった。
#飯田線の119系は213系の転属ではなく、313系の新造車で置き換えていた。
#特急「あまぎ」と急行「伊豆」の統合は遅れていた可能性が高い。統合は分割民営化後になった可能性も十分考えられる。
#2010年代にはJR東海から国鉄形車両は消えていた。
#*「谷川」「草津」「あかぎ」「なすの」の特急格上げも遅れた。下手すりゃ「なすの」は廃止まで急行だった。
#*静岡地区のトイレ問題もとっくに解決済み。
#**逆に快速に格下げされた可能性も。
#315系の開発に影響が出ていた。
#**'90年代にこれらの系統にも255系を導入して特急に格上げしていた。
#311系も313系に改造されていた。
#「新特急」と言う名称は存在しなかった。
#通勤形である事を生かして休日臨時快速→快速アクティーにも使われていた。
#*しかし2ドアのため遅延多発。211系に置き換えられていた。
#結局有料新快速扱いされるのは変わらない。
#晩年は長野か新潟の普通列車に転用されていた。


====415系1900番台====
===123系クモユ143形改造車===
*常磐線の着席向上を目的として1両だけ試作された415系の二階建て先頭車。
郵便輸送廃止で余剰となったクモユ143形を国鉄所有にして123系への改造も考えられていたが、実現しなかった。
#215系の登場が史実よりも早まっていた。
#旧型国電は国鉄時代に全廃することが出来ていた。
#*2階席の座席が2×3列になっていた。(現実の215系の2階席の座席は2×2列)
#*しかし、車両不足からクモハ84形の登場は史実通りになるだろう。
#「マリンライナー」用に211系・213系用の2階建て先頭車が導入されていたかもしれない。
#小野田線本山支線や鶴見線大川支線に投入されていた。
#それでも常磐線へのグリーン車導入は史実通りになっている。
#冷房装置は郵便車時代のものを再利用していた。
#*量産されていたらこの車両のグリーン車化改造も検討されるだろうが、先頭車では何かと使い勝手が悪いだろうし。
#JR東日本は着席通勤に対する理解を深めていた。
#*ロングシート化を必要以上に推進することはなかった。
#この車両を10~15両につないだ交直流版215系が検討されていた。


====E501系====
===211系・213系電車総武快速・横須賀線用===
史実では4編成しか製造されなかったが、もし、もっと多く製造されていたら?
国鉄時代、総武快速・横須賀線にも211系・213系電車を投入する計画がありましたが、実現しませんでした。もし、実現していたら?
#常磐快速線の土浦延伸は間違いなく実現していた。
#基本11両編成、付属4両編成になっていた。
#常磐快速線にE231系は導入されなかった。
#111系は国鉄時代に形式消滅していた。
#*E531系もなかった。
#*四国には史実より早く113系が配置されていた。
#**いや車体幅と水戸方面で運用の都合上結局製造された。
#[[動労千葉]]の勢力は弱くなっていた。
#403系は史実より早く全廃されていた。
#*弱くなるというか、元々弱いからこうなったわけで。
#2000年代半ば頃になってグリーン車連結。
#E217系は製作されなかった。
#*グリーン車連結で置き換えられたサハに廃車が出ていた。
#*今頃、E231系かE233系に置き換えられ、房総各線に転用されている。
#*あくまでも常磐線(中電)ではなく常磐快速線の延長としてだからそのままと考えられる。
#**東海道線と同時期にE233に置き換えが一番ありそう。
#松戸車両センターが交直流対応に改修されていた。
#***E235系1000番台は常磐快速線に導入されていた。
#水戸線と常磐線友部以北に転用されることはなかった。
#**わざわざスカ色から変える必要性がないので菜の花色は存在しない可能性も。
#*JR東からしてみれば上野東京ラインは幅広車両で統一したいだろうし、それまでには転用されているのでは。その頃になるとベースの209系も廃車・転用進行中だし。
#**209系は北関東か長野送り。
#**転用は2010年代になってからで、房総の209系2000番台と同じく一部車両がセミクロスシートに改造されていた。
#213系は2ドア転換クロスシートというより1M方式という認識となっていた。
#現在は機器更新され今日も爆走中。
#*JR東海の211系6000番台は213系6000番台として登場していた。
#*そもそも製造途中でシーメンス製インバータの採用は取りやめとなっている。
#JR発足後には2階建てグリーン車が組み込まれていた。
#**むしろシーメンスの日本撤退がなかった。
#総武快速・横須賀線に211系を集中投入した場合,東海道線・東北線・高崎線用の211系はJR発足後になって投入。東北線・高崎線の輸送力増強は他地区からサハ115を転入させた上で行った。サハ111からサハ115に改造された車が多い。その代わり先頭車化された車は少ない。クハ111はローカル用に転出,クハ115に改造された車も少なくない。
#*幕張のクハ111は房総ローカル,大船のそれはクハ115化?
#*↑↑213系の製造数が現実より多いこと。


====701系セミクロスシート改造車====
===211系関西地区用===
史実では秋田地区用の2連3本がセミクロスシートに改造されたが、更に改造されていたら?
京阪神の新快速用や福知山線電化用として投入する計画があったが、前者は117系のマイナーチェンジ車(100番台)が、後者は113系初期車を改造(800番台)して投入された。もし、関西地区にも211系が投入されていたら?
#機器更新と同時に改造されていた。
#221系が開発されなかった。
#鉄道ファンの不満も和らいでいた。
#*現実の223系が221系を名乗っていた。新快速に3扉転換クロスシート車が投入されるのは阪神・淡路大震災後の輸送力増強が名目だった。
#*失敗した施策を見直したと絶賛されていた。
#**新快速用は117系と比べて見劣りがしたので後にこれに置き換えられていた。
#*川島令三からも絶賛していた。
#大和路線や阪和線にも投入されていた。
#秋田地区に留まらず、盛岡、仙台地区用の車両までにも改造が波及していた。
#今頃は体質改善工事が行われ転換クロスシートに改造されている。
#快速と普通で運用を分けることもなかった。
#*むしろ製造当初から転換クロスシートになっていたのでは?
#**3ドア初の転換クロスシートといえば近鉄5200系ではなくこの車両のことを指していた。
#**あるいは民営化後投入分から、転換クロスシートを装備するようになったかも。
#**213系のような2ドア転換クロスシート車だったかも。
#***211系と213系の違いは車体・設備ではなく機器によるものだった。
#カラーリングは千葉地区用に似たものになっていた。
#*新快速用は関西急電をイメージしてベージュ+茶色の帯を巻いていた。
#1000番代をベースに製造され、1500番代に区分されていた。
#JR西日本の211系は「ゆめじ」以外にも存在していたこととなる。
#JR発足後には110km走行対応に改造されていた。
#*211系は最初から110km/h走行に対応している。
#民営化後に製造された車両は、設計改良により、最高速度が120㎞/hへ向上。
#*台車は、ヨーダンパ設置準備工事が施された改良型で、後年ヨーダンパが取り付けられた。
#**国鉄時代製造分についても、JR東海所属の0番台のように、台車へのヨーダンパ装着やブレーキ改良工事などが行われ、120㎞/h走行が可能になった。
#新快速用は、117系と同じく6両編成で登場した。
#*編成内のMT比を1:1にするため、中間車として211系の車体を持つ213系2両(モハ+サハ)が混結されている。
#*民営化後、輸送力増強のため、6両編成2本を8両編成1本と4両編成1本に組み替えられた。
#**6両編成から213系2両を引っこ抜いて、それを別の6両編成に挿入。
#117系100番台は登場しかなったかもしれない。
#225系導入で大阪地区から撤退し、岡山か広島に転用されて115系を置き換えていた。
#*あるいは奈良線や関西本線に転用されて103系を置き換えていた。
#(車内の座席が転換クロスシートの場合)同時期に神領電車区に配置された211系は上と似た仕様になる。


====719系====
===211系広島地区用===
仙台地区の455系全車置き換えに至るまで増備されていたら?
国鉄の財政難で話が消えたらしい
#常磐線や磐越西線にも史実より早くから運用され、常磐線では山下以南でも運用されていた。
#111系・115系に廃車が発生していた。
#*一部の編成は水戸にも乗り入れていた。
#もしかしたら岡山地区に転属して213系と共通運用になっていた。
#*一部の車両は快速「ばんだい」用のクロハが登場していた。
#227系導入で廃車になっていたかも。
#**しかし利用率の伸び悩みから早いうちに一般車と同様の設備に改造されていた。
#*むしろ製造数が減っていた。
#***クロハ455形とは違い、そのままの形で運用されることはなかった。
#*もしくは岡山・山口地区に転用された。
#*常磐線仙台地区の混雑も史実より早く緩和されていた。
#温暖な地域とはいえ、1000番台をベースに導入されていたと思われる。
#*常磐線仙台地区の車両置き換えに対する意見が出ることもなかった。
#カラーリングは115系3000番台に倣い、青20号の帯を施していた。
#今頃はE721系に置き換えられている。
#*415系1500番台と混同されていた。
#*仙台空港線用から先行して登場し、719系置き換え用は2010年代に入ってから登場していた。
#**誤乗防止のため、新山口辺りから西への入線は極力避けるような使い方をされている。史実通り227系で置き換えられていた場合、211系は岡山エリアにまとめられていた。
#**史実とは異なり、フルカラーLED、トレインビジョンにも対応していた。
#***それと同時に213系に準じた青帯に塗り替えられている。
#455系の大規模な更新工事はなかった。
#*クロハ455形も登場しなかった。
#当時ロングシート化を推進していた束の車両の中では一目置かれた存在あるため、鉄ヲタから高い評価を得ていた。
#*川島令三も絶賛していた。
#715系の置き換えは史実通りに701系で置き換えていた。
#山形新幹線新庄延伸で持て余した秋田地区の701系は常磐線ではなく715系の置き換えに回っていた。
#一部の編成はワンマン運転に対応していた。
;715系も置き換え対象となった場合
#仙台地区に701系が導入されることはなかった。
#山形新幹線新庄延伸で持て余した秋田地区の701系の処遇が問題になっていた。
#*標準軌仕様に改造されていたかも。


====735系====
===413系電車475系改造車===
3両編成2本のみ製造された。
413系電車は475系電車からの改造計画もありましたが、実現しませんでした。もし、413系電車が475系電車までも改造されていたら?
#はこだてライナー用に函館地区にも導入された。
#471系・475系の延命工事はなかった。
#JR北海道はアルミニウム合金製の車体の導入に積極的になっていた。
#521系は419系の置き換え分で製造が打ちきられていた。
#史実の733系はなかった。
#若い車体を活用して機器更新がされていた。
#*「なぜ735系はあるのに733系はないのか」と言われる。
#413系200番台になっていた。


====815系====
===793系===
史実では熊本・大分地区用に1999年の製造に留まりました。もし、更に増備されていたら?
サイリスタ位相制御+回生ブレーキ搭載の3扉交流電車
#=701系がやり玉に挙がっていなかったら、といえる。
#鹿児島本線博多地区か東北本線仙台地区に投入されていた。
#817系は存在しなかった。
#417系・713系はなかったかも。
#福岡、鹿児島地区にも本形式が投入されていた。
#*福岡地区用は3両編成も登場していた。
#BEC819系は本形式をベースに作られていた。
#415系ロングシート改造車はなかった。
#*811系はリニューアル後もクロスシートのままだった。
#*よって415系100番台の大分への集約が現実より早まっていた。場合によっては415系0番台全車も大分に集約されていた。
#**この場合、415系507・520編成はJR九州に譲渡された時から鹿児島に配置されていた。
#鹿児島本線列車追突事故の廃車補充は本形式によって行われていた。


====6000系(第3~第5編成)====
===795系===
6000系は当初の計画では5編成投入する予定であったが、2編成で製造が打ち切られ、その後の増備は行われなかった。
サイリスタ位相制御+回生ブレーキ搭載の2扉交流電車
#JR東日本から113系を購入することはなかった。
#長崎本線博多地区か常磐線仙台地区に投入されていた。
#*もちろんあの魔改造もない。
#419系・715系はなかったかも。
#現在でも瀬戸大橋を渡って本州に乗り入れている。
#*現在では瀬戸大橋を渡る運用がありますが、何か?
#**史実では瀬戸大橋を渡る運用が一時期なくなったが、増備されていたら瀬戸大橋を渡る運用がなくならなかったということだと思う。
#*2019年に瀬戸大橋を渡る普通列車が廃止されることもなかった。


==気動車==
===4扉近郊電車===
===キハ25系1次車===
1960年代に101系と同等の車体でオールクロスの車両が計画されていた。
史実では5編成の製造で終わりましたが、もし、もっと多く製造されていたら?
#首都圏の混雑が緩和されていた。
#武豊線のキハ75系の400・500番台を置き換えていた。
#*しかし上尾事件は史実どおり起こった。
#*もちろん、余剰となったキハ75系400・500番台は快速みえや紀勢本線・参宮線のワンマン運用に回されていた。
#近郊形・通勤形車両の区分が曖昧化し、その後の形式は一般形と称するようになっていた。
#実史の近鉄2610系がそうだったように、クロスシートのシートピッチが狭すぎたため後年オールロングシートに改造されていた。
#「仮称105系」の代わりに関西地区に大量に導入された。2000年代に山陽地方に転用される。常磐線と中央東線の中電は似た車両を使用していた。


===キハ33形===
===三扉簡易寝台電車===
史実では50系客車から2両の改造で終わりましたが、もし、もっと多く改造されていたら?
*平日は横須賀線の通勤用、休日は中央線登山客の仮眠用として使用される予定だったが、実用性に乏しいので却下された。
#キハ120形は製造されなかった。製造されても史実より少なかった。
#上記内容を見るに塗装はスカ色で間違いないだろう。
#オハフ50形からの改造で便所付の0番台が登場していた。
#いずれ簡易寝台が邪魔になり、115系に編入改造される。
#*こちらの方が改造が容易だと思うので多数改造されていたかもしれない。
#中央東線・篠ノ井線の夜行普通列車はこの車両で電車化された。
#同じ種車のキハ141系・143系と比較される事が多くなった。
#キハ40系同様、体質改善工事が行われていた。
#2015年現在でも活躍している。
#*しかし車齢を考えると老朽化は否めないのでキハ122・127系に置き換えられてもおかしくはない。
#*なので、キハ122・127系が姫新線以外にも投入されていた。


===キハ75系===
==通勤用==
史実では、快速みえ向けに1次車を2両編成×6本、2次車を2両編成×14本(うち6本はワンマン運転対応)の合計40両落成されたが、更に製造されたら。
===72系970番台武蔵野線用===
#400番台の製造数が増えた。
武蔵野線用に投入が計画されていました。
#*99年製造車から仕様が変わった。
#いずれ103系3000番台への編入改造が行われていた。
#**ドアチャイムの音色が313系と同じものに変わった。
#101系1000番台は存在しなかった。
#**ドアスイッチが乗降促進メロディ付きのものが付いた。
#武蔵野線への205系の投入数はもう少し多かったかもしれない。
#史実よりも早く高山本線に新造で導入された。
#ナンバーがインフレ化し、6桁台に突入していた。
#*紀勢本線、参宮線のワンマン普通列車の運用にも参入しみえと共用になった。


===キハE120形===
===サハ103形700番台===
史実では新潟地区用にキハ52・キハ58系置き換え用として8両の製造に留まりましたが、もし、キハ40系やキハ110系を置き換えるまでに増備されていたら?
サハ100形をサハ103形に改造する計画でした。
#片運転台車も登場していた。
#大阪環状線と片町線で運用された。
#*形式はキハE121・キハE122だった。
#*廃車は大阪環状線201系転属と同時期だと思われる。
#キハ40系も置き換えていた。
#キハ110系までも置き換え対象となった場合、転出に追い込んでいた。
#*只見線、八戸線あたりに転用されていた。
#**キハE130系500番台は登場しなかった。
#**この形式が只見線に転属することもなかった。
#キハE200形の存在が薄れていた。
#GV-E400系は秋田地区のみの導入に留まっていた。


=== キハ121・126系 ===
===101系横須賀線用===
米子支社のキハ40系を全て置き換えていたら?
かつて横須賀線の逗子~久里浜間の輸送力の適正化と高頻度運転化の為、101系の投入が検討されていました。
#広島に227系が投入されるまで、國鐵廣島を語るときに「中国地方の南北問題」と揶揄されていた。
*「シーサイドライナーヨコスカ」として実車こそ登場したものの、転用中止により営業入りには至らず。
#横須賀線は逗子で分断されていた。
#国鉄末期からJR初期の間に103系への置き換えが行われていた。
#*その後E217系の付属編成で置き換え。
#**場合によっては205系か209系が転用されていたかもしれない。
#***国鉄末期の投入予定だったことを考えると、南武支線と同時期に205系1000番台で置き換えもありえそう。
#大船工場の入れ替え車として使われることはなかった。
#塗装がハイスクール・フリートの制服に似ていると言われる。


===キハ130形===
===101系常磐快速線用===
史実では日高本線のみ11両の製造でしたが、さらに製造されていたら?
中間加速度が劣る103系にかわり、赤羽線と京浜東北線から101系を転属させる話があったようだ
#キハ40の老朽化問題の影響は最小限にとどまっていた。
#常磐緩行線の103系は常磐快速線に転用されなかった。
#2016年にキハ40が完全引退していたかもしれない。
#*105系に改造される車両が増えていたかもしれない。
#なぜかほぼ仕様が同じ北海道ちほく高原鉄道の気動車を譲受していたかも。
#*片町線・京阪神緩行線・福知山線に転用(片福連絡線計画に対応)されたかも。
#常磐線快速電車の15両化が遅れていた。
#*上記の緩行線103系を快速線に転用できなかったので。
#*E501系の製造量数が増えていたかも。
#*もしくは国鉄末期に、[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/JR#205系常磐線快速用|205系の常磐快速線投入が実現]]した。


===キハ150形===
===103系5扉車===
史実では、0番台が富良野線向けに10両・函館本線山線向けに7両、100番台が10両製造されましたが、さらに製造されていたら?
103系の開発にあたって1両辺りのドアの数を5つとすることが検討されていたが、車両に冷房などない時代に窓面積が減少するのは厳しいとして没となった。
#キハ40の老朽化問題の影響は最小限にとどまっていて、2016年3月のダイヤ改正による普通列車の減便も最小限にとどまっていた。
#その後の通勤車両は5扉がデフォになっていた。
#*函館~札幌間の普通列車乗り継ぎが不便になることもなかった。
#*サハ204は7扉になっていた。
#その代わり、711系の置き換えが遅れていたかも。
#*各路線へのホームドアの設置が遅れていたかもしれない。
#キハ150のみの6両編成を札沼線で多く見ることができた。朝夕の「ニセコライナー」札幌-小樽間も6両編成に。キハ201系は開発されなかったかも。キハ151・152(導入コスト低減のため片運転台車,片側の運転・車掌設備は準備工事)も投入される。「ニセコライナー」が繁忙期に,全区間4両編成で運行されたかも。
#**むしろ5ドア対応のホームドアが早期に開発されていた。
#冷房化が早まっていたかもしれない。
#[[京阪5000系電車|京阪5000系]]の影が薄くなっていた。
#*但し同系で初採用された座席昇降装置は現実よりも普及していたかも。


===キハ160形===
===103系1000番台筑肥線転用===
キハ130形の事故廃車補充で1両のみの製造でしたが、キハ130形を完全に置き換えるまで製造されていたら?
1980年代当時の鉄道雑誌に噂として書かれていたようです。
#日高本線にキハ40系が再配置されることはなかった。
*また筑前前原~唐津間の増発用に「東京の国電を改造して4両編成で運転する」事が新聞で報道されていたらしい。
#1両しかないことを理由に休車になったりハイブリッド試験車に改造されることもなかった。
#転用にあたって塗装はブルー系に変更されていた。
#2015年現在でも活躍している。
#さすがに冷房改造は行われていただろう。
#*日高本線の災害廃線+JR北海道の経営危機後はあちこちの路線でキハ40置換に回される。
#*もし行われなかった場合、福岡市営の車両との格差はさらに大きくなっていた。
#これの置き換え用として303系の投入両数が増えていた。
#*305系は登場しなかった。
#*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/JR#303系|こうなる]]。
#103系1500番台は登場しなかった代わり、奈良・和歌山線電化時には新造の105系0番台が投入されていた。
#*↑の105系0番代は「ローカル電車」ではなく「大阪圏の冷房促進」扱いで当初から冷房付きであった。
#上記の筑前前原~唐津間の増発用だったら1500番台に3両編成は登場しなかったら。


===キハ200系===
===仮称105系電車===
投入されたものの線区ごとに車種統一には至らず、在来車と混用された。もし、線区ごとに車種統一されるまで投入していたら?
京阪神緩行線への投入が考えられていた駅間距離の長い線区向けの4扉通勤形電車。史実の105系とは異なる。もしこの車両が登場していたら…。
;筑豊本線・篠栗線
#103系は現実ほど製造両数が多くならなかった。
#キハ66系は日田彦山線に転用されていた。
#101系のMT54搭載版という位置づけになっていた。
#原田線にはキハ220形が投入されていた。
#*歯車比は1:5.60で、419系や715系と同じ走行音を立てていた。
#電化後は大村線はもとより、指宿枕崎線、香椎線にも転用されていた。
#*付随車の形式は101系と共用するが、前面形状が103系と同時に変更される。
#*日田彦山線か原田線だったかも。
#史実の105系は「107系」になっていた。
;香椎線
#*こちらもMT54を搭載していた。
#指宿枕崎線に転用されることはなかった。
#**119系も。
#在来車を転出に追い込んでいた。
#*史実の107系は「109系」
#蓄電池車投入後は別の線区に転属した。
#常磐快速線にもこの車両が投入される。
;指宿枕崎線
#*中央快速線にも特別快速用としてこの車両が投入されていた。中央快速線向けは高尾以西への直通を考慮してパンタグラフ部分が低屋根(若しくはPS24形パンタ搭載)とされ、モハ104形800番台が製造されていた(?).
#山川以南でも運用されていた。
#**201系の初導入先は中央総武緩行線だった。
#香椎線からの転用はなく、残留していた。
#*201系のPS24パンタグラフ搭載車は存在しなかった。
#指宿のたまて箱はキハ40系ではなくキハ200系からの改造車だった。
#*中央本線新宿口の中距離電車は105系で置き換えられた。
#*その場合キハ220-1102(中間に展望スペースがある)が使用されていた。
#**のちにE231系1000番代が豊田に配置され(グリーン車連結)、105系を置き換えた。
#キハ58が史実よりも早々と全廃になってしまった。
#東武8000系は「私鉄の103系」ではなく「私鉄の105系」と呼ばれていた。因みに性能面では東武8000系は103系よりもむしろ仮称105系に近い。
;大村線
#*いや103系でしょ。規模的に。
#キハ66系は日田彦山線か大分地区に転用していた。
#その後321系により駆逐。環状線や広島地区に転属。
#YC1系が長崎地区に投入されることはなかった。
#*國鐵廣島では103系の中間車として活用される例も現れる。


===キハE200形===
===105系(汎用電車)===
量産先行車が3両製造されているが、未だに増備には至っていない。ここでは小海線の全車両がキハE200形に置き換えられるまで製造されていたらと仮定。
ロングシート・クロスシートの両方に転換可能なタイプの座席で計画されていたという。
#キハ110系は新潟地区に転出していた。
#ホリデー快速によく使用されていた。
#*キハE120型は登場しなかった。
#首都圏中電のオールロング化が遅れていた。
#*あるいはキハ40置き換えに只見線に転出していたかもしれない。
#民営化後、ホームライナーに使用されるが、苦情が来たため数年で中止。
#**非冷房車が多い八戸線に回された可能性もある。その場合、キハE130系500番代は登場しなかった。
#近鉄L/Cカーは現実よりも早く登場していた。
#JR東日本では電気式気動車は導入されず、ハイブリッド気動車が製造されていた。
#*5200系は登場しなかったかもしれない。その場合[[JR西日本221系電車|JR西日本221系]]などにも影響を与えていた。
#*キハE130系100番台・500番台は無く、この車両の3ドア版が製造された。
#首都圏の大手私鉄にも類似の車両が投入されていたかもしれない。
#**HB-E210系が仙石東北ライン以外の線区にも導入されていたのでは?
#*その場合、首都圏でも平日昼間や休日は運賃だけでクロスシートに乗れるようになっていた。その結果国鉄→JRとの競争が有利になりJRのグリーン料金も安くなっていたかもしれない。
#***両運転台版も製造されていた。
#*京急2000形はこのタイプの座席かつ3扉で登場していた。2100形は登場せず、二代目600形がこのタイプの座席で登場し増備されていた。
#**GV-E400系はHB-E400系としてハイブリッド気動車として製造されていた。
#*東武6050系や西武4000系もこのタイプの座席かつ3扉で登場していた。
#***この車両をベースとしたH100形もハイブリッド車になっていた。
#JR東日本のやる気のない車両計画の1つに挙がることはなかった。
#リゾートしらかみ・リゾートあすなろ・リゾートビューふるさとは捻出したキハ110系から改造していた。よって、HB-E300系は登場しなかった。
#*リゾートビューふるさとは電化区間を走行するため、E127系から改造していたかも。
#**ステンレス車体なので難工事になりそう。
#*種車は改造を容易にするため0番台から改造していた。
#**「南三陸」「はまゆり」の指定席は廃止されていた。
#**転出した車両の玉突きで改造種車とするため、0番台をねん出していた。


===キハ201系===
===105系0番台飯田線用===
3両編成4本が導入されましたが、もし、更に増備されていたら?
飯田線豊橋口用に105系0番台を投入する計画があったが、実現しなかった。
#札沼線に投入されている。
#飯田線の普通列車に165系が転用されることはなかった。
#*よって、キハ141系はキハ201系によって追われていた。
#*それでも119系の投入は史実通り。
#*片運転台では使い勝手が悪いので両運転台化改造されていた。
#しかし、トイレなし車両で長距離運用に不向きな車両であるため、結局は飯田線に165系が再配置され、静岡地区に転用される。
#*札沼線が電化されることはなかった。
#*ここでも他の近郊型と性能が合わないため、結局は211系に追われる形で御殿場線に転用される。
#JR北海道以外でも同種の車両が投入され、気動車と電車の協調運転が行われていた。
#**よって、御殿場線に211系6000番代が投入されることはなかった。
#*JR九州のキハ183系1000番台も再びその機能を活かしていたかも。
#*119系と運用を交換してするがシャトルに転用していたかも?(なお165系再配置の理由は119系のするがシャトル転用)
#むしろコストダウンのため、協調運転装置と車体傾斜装置なしで製造され、別の番台に区分されていた。
#それでも2010年代には313系に置き換えられる。
#JR発足後は東海カラーに変更されていた。


===キハ285系===
===105系0番台富山港線用===
JR北海道が導入予定だった振り子式ハイブリッド特急形気動車。試作車3両が製造されたが、就役には至らなかった。もし、仮に量産車が増備され、就役していたら?
富山港線に105系0番台を投入する計画があったが、実現しなかった。
#「北斗」「オホーツク」あたりに導入されていた。
#置き換え対象である72系と同じく青22号となっていた。
#*北海道新幹線開業絡みもあるので「北斗」には本形式が投入され、持て余したキハ281・283系を「オホーツク」に回していた。
#城川原車庫は廃止されなかった。
#*気動車の老朽化による車両不足もなかったので「サロベツ」は「宗谷」に統合され、「大雪」は設定されなかった。
#*JR移行時に金沢の支所となっていた。
#キハ261系の製造数が減っていた。
#富山ライトレール転換時に他線区に転用される。
#振り子式ハイブリッド車ゆえに製造コストが大きくなっていた。
#*時期的には加古川線電化用…と思ったがちょっとズレるな。
#*増備車では振り子機能が準備工事に留めていた。
#試験車への改造が検討されることもなかった。
#*仮に改造が実現した場合、マヤ35形は登場しなかった。
#*JR東日本からEast-Dの借用も解消していた。


===2600系===
===201系山手線用===
土讃線の線形に対応できなかったため、4両で製造が打ち切られた。
国鉄時代、山手線に201系を導入する予定でしたが、当時の国鉄は財政難だった為製造費の高かった201系の導入を断念しました。もし、実現していたら?
#グリーン車との合造車が登場していた。
#205系の誕生が遅れていた。
#土讃線での運用に無理があるため、「うずしお」「むろと」「剣山」「宇和海」に投入されていた。
#*初導入の路線は横浜線だった。
#*キハ185系や2000系を確実に置き換え、もしくは普通列車への格下げが行われていた。
#**いや、京浜東北線だったかもしれない。
#2700形は登場しなかった。
#**下にもある中央・総武緩行線もありそう。
#*205系はJR東日本の車両として登場していた。
#**関西地区に205系が投入されることはなかったかも。
#ウグイス色201系は1980年代の時点で見る事ができた。
#*ウグイス色の201系という都市伝説は生まれなかった。
#山手線への6ドア車導入は史実のE231系500番台まで待つことに。
#*その場合、11両編成化が行われただろうか。
#**そもそも6ドア化無しで増車という可能性もある。
#*もしくはサロ124・125の如くサハ200がステンレス車体で製造されていた。(=史実のサハ204とほぼ同様)
#**E231系500番台投入以降は全車両が205系に編入改造されていた。
#201系の性能をフルに発揮できていた。
#*電機子チョッパ制御は低速で加減速が多いほうが省エネ効果が大きいため。
#*201系に対する評価も大きく上がっていた。
#場合によっては他線への201系投入を中止して山手線に集中投入していた。
#*これらの路線には後に205系を投入する。
#205系は中央線に投入されていた。
#*総武線各駅停車の205系は忠実より多く投入されていた。
#山手線の205系が先頭車改造されて導入された線区には投入されず、別の車両が新造されるか、改造されていた。
#*投入されるなら中央線・総武緩行線の205系が改造される。
#*仙石線の103系引退は2010年代以降になっていた。
#駅間距離が短く加減速の機会が多いので、電機子チョッパ制御の長所をフルに発揮できていた。
#*201系の評価も現実よりも上がっていた。


==客車==
===205系中央・総武緩行線用===
===24系(夢空間仕様)===
国鉄時代、山手線に次いで中央・総武緩行線へ投入することが計画されていたが、実現しなかった。東中野事故の補充として投入された2編成とは別物。
3両のみ製造でしたが、もし、北斗星の全車両が置き換えられるまで投入していたら?
#東西線直通用の301系・103系1200番台の帯色変更が早まっていた。
#現実では登場しなかったA寝台1人用個室車、開放式B寝台車、B寝台2人用個室車、B寝台1人用個室車も製造されていた。
#当時の津田沼電車区に集中投入され、101系・103系を置き換えていた。
#「カシオペア」は誕生にも影響が出ていた。
#*よって209系500番台は存在しなかった。
#「トワイライトエクスプレス」の客車も新製されていた。
#*209系950番台は別の路線に投入されていた。
#1・2号の受け持ちを考えるとJR北海道も夢空間車両を保有していた。
#場合によっては中央・総武緩行線へE231系は投入されず、同線の201系・205系の置き換えはE233系が行っていたかもしれない。
#A寝台ロイヤルやグランシャリオは博多あさかぜに転用され、ブルートレインの起死回生策に利用された。


===E26系===
===401系(2代目)===
12両のみ製造でしたが、もし、北斗星の全車両が置き換えられるまで投入していたら?
常磐快速線電車の土浦延伸の為に計画された交直流形通勤電車。
#「カシオペア」は定期運用されていた。
#415系ロングシート車は登場しなかった。
#「トワイライトエクスプレス」の客車も新製されていた。
#史実の401・403系は411・413系(史実とは別の車両)に形式変更された。
#*史実の413系は何系になってたのやら…
#**二代目421系あたりが妥当なところでは。
#それでも史実通りにE531系に置き換えられるが、全車ロングシートで製造された。
#*むしろ403(この世界だと413系か)・415系置き換え用は史実通りセミクロスシートとなる。
#**どちらかが別番台になっていたか。
#**ついでに401系置き換え用のはグリーン車無しに。
#**むしろE531系化の時期が史実通りだったら快速線全列車がグリーン車連結になっていた。
#*たぶんE231系常磐線快速用にグリーン車は連結されない。
#成田線我孫子口は常磐線との直通がなく、2020年現在も千葉支社の車両で運転されている。
#*15両化はされるだろうしそのままでは。
#うまくいけば当初の計画通り福岡口に60Hz対応版の車両(おそらく二代目403系を名乗る)も導入されている。
#*もしかしたら[[もしあの鉄道路線が○○だったら/JR九州#福岡市地下鉄と直通運転を行わなかったら|筑肥線博多~姪浜間は交流電化]]されたかも。
#*のちに大分・熊本・鹿児島地区に回された。
#*筑肥・唐津線姪浜~唐津~西唐津間も交流電化されただろう。


==機関車==
==その他==
===ED76形550番台===
===燃料電池車===
当初は複数機改造する計画であったが、青函トンネルを通る客車列車の機関車不足時はJR貨物からED79形50番台を借り受ける方針としたため、1機のみの改造に終わった。
*国鉄時代から燃料電池車が計画されていたらしい。鉄道総研に205系ベースの試験車の模型が存在する。
#JR貨物からED79形50番台を借り受けることはなかった。
#FV-E991系を待たずして、鉄道の燃料電池車が20世紀から実用化されていた。
#「トワイライトエクスプレス」等特定の列車に運用が集中されることはなかった。
#*形式名は単純に考えてFV-205系だろうが、当時は形式にアルファベットが入った車両ってあったっけ?
#*とはいえ車体長の都合からED79形とは別運用となっていた。
#量産され、各非電化路線に導入される。
#2001年以降も活躍していた可能性もある。
#*烏山線に導入された場合、EV-E301系は別の路線の車両として登場していた。
#*ひょっとしたら北海道新幹線開業まで活躍していたかもしれない。
#ただ、国鉄の財政難を考えると、多くは製造されなかったもしれない。


===EF500形・ED500形電気機関車===
==関連項目==
試作車各1両のみの製作でした。もし、量産車が登場していたら?
*[[もしあの鉄道車両が計画されなかったら]]
#東北本線に投入されるも、やはり過剰性能が問題となり、EF200同様に出力を抑えられていた。
#*日本海縦貫線や九州にも投入されるが、同じく(ry
#EH500とEF510の登場が少し遅れていた。
#日立は電気機関車の製造から撤退しなかった。
#*EF200の早期廃車はなかった。


[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史|あのてつとうしやりようかさらにそうひしえいあある]]
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史|あのてつとうしやりようかしつようかこくてつてんしや]]
[[カテゴリ:JRの車両|もしさらにそうひ]]
[[カテゴリ:日本国有鉄道の車両|もししつようかてんしや]]
[[カテゴリ:鉄道車両|もししつようかされていたらこくてつてんしや]]

2021年8月23日 (月) 17:54時点における版

製造・改造に至らなかった車両がもし、実用化していたら?

  • 乱立防止の為、記載は実際に元ネタがあるものに限ります。
    • 項目内にそれに関する文章を書いていただければ幸いです。
  • 新規追加は「形式が若い順→形式不明(50音)」の順にお願いします。
  • 便宜上、実際に導入された形式の改造車についてもこちらで扱います。
関連項目

新幹線

個室ひかり

夜行新幹線用として企画されたが、実現しなかった。

  1. 961形をベースに登場。
    • もしかしたらこっちが「100系」を名乗っていたか。
  2. いずれにしても国鉄分割民営化後、のぞみ登場と同時に消滅。
  3. 東北・上越新幹線にも同等の設備を有する車両が投入された。
    • 「スーパーやまびこ」中心の運用に使われる。
  4. 最後はこだま用として山陽新幹線で生涯を終えていた。
    • もしくは「ウエストひかり」を中心に運行していたかもしれない。

在来線特急用

183系1000番台やくも用

「やくも」電車化の際に183系1000番台の転用が検討されたが、上越新幹線の開業が遅れて間に合わなかったため381系を新造投入したという

  1. 史実で転用された房総方面・中央線の特急化が遅れた。
  2. 振り子装置がなかったので民営化して10年後ぐらいに新車に置き換えられたかも。
    • 183系なので北近畿に転用されたか。
  3. JR西日本も純正の183系を保有していたことになる。(700・800番台は485系・489系から改造したものなので)
  4. 実はノッチ刻みの関係でキハ181系より遅い。

187系電車

碓氷峠(横川-軽井沢間)を補機なしで自走できる特急形電車が計画されていましたが、実現しませんでした。もし、実現していたら?

  1. 量産車は新車として導入された。
    • 試作車だけ他車と異なるので阪神8000系第1編成のように珍車扱いされ、注目されていた。
  2. 187系をベースにした一般形電車も製作された。
    • 107系に似た車両になっていた。
      • 165系ベースでしょう。
  3. EF63形は史実より早く余剰廃車になっていた。
  4. 横川-軽井沢間が廃止されることはなかった。
  5. サロ183形がサロ110形300番代に改造されることはなかった。
    • サロ110形0番代が分割民営化後も多く生き残っていた。
      • 153系の生き残りとして注目されていた。
  6. 北陸新幹線開業後は「あずさ」に転用されていた。
    • E257系は製作されなかった。
    • 房総特急で活躍しているかも。
    • 史実通り製造された場合、新型NEXと似た感じの車両になり、E257と259の形式があべこべになる。
      • 妙高、ムーンライト信州は187系で運行。
        • 日光、きぬがわは187系が種車だった可能性も。
      • 183系のように波動用で活躍。
      • むしろキハ183系500番台に似た車両になっていた。
  7. 勢い余って487系もできる。
    • ただし、国鉄がそこまで赤字でなかった場合。
    • 「白山」に投入されていた。
      • 「白山」廃止後は「能登」に転用。
        • 「能登」は上越線経由にならなかった。
  8. 189系は電化されたばかりの北近畿地区に転用されていた。
    • 183系485系改造車はなかった。
      • 七尾線電化後も普通列車は気動車のままだった。
        • 七尾線には521系が新製投入されていた。
  9. 平坦区間でも電気を無駄食いするため、「扱いにくい」車両になっていた。
    • このため他に転用する際一部車両が電装解除されていた。
    • 結局EF200の二の舞になり、早期淘汰の対象に。
      • EF63の余剰廃車が早かっただけでは?

福知山・山陰本線用381系

福知山・山陰本線の特急「北近畿(現・こうのとり)」には381系新造車を投入する計画がありましたが結局は他から485系が転用されました。

  1. 381系は国鉄分割民営化直前の1980年代中盤まで製造されていた。
  2. 振り子式車両なので「北近畿」の所要時間は短縮されていた。
  3. それでも山陰本線京都口電化開業時の「はしだて」「きのさき」「たんば」用には北陸本線から485系が転用されていた。
  4. 287系が初めて投入されたのは紀勢本線の「くろしお」だった。
    • 現実と異なり振り子式になっていたかも。
    • それでも、183系電車の置き換えのために投入していた。
  5. 福知山線用の増備車の座席は簡易リクライニングシートではなく、100系新幹線などと同様の背面テーブル付き新型リクライニングシートとなっていた。
  6. やくもが現在も381系だと考えると2020年代まで現役かもしれない。
    • いや、早くても、2015年に引退していたか、遅くても、2018年に引退していた。
    • もしくは、後藤総合車両所に転属し、特急「やくも」として、運用されていたかもしれない。その場合、「やくも」は原則、6両編成で運行されていた。
  7. 1996年に山陰本線京都口電化が開業した際は、京都に乗り入れていた可能性もある。
    • 485系電車を改造した183系電車も福知山線に乗り入れていた。
  8. 当時の国鉄の事情では新製車だけではまかないきれないので「やくも」の短編成化で捻出した車両がこちらに回された可能性が高い。
    • 485系「くろしお」はもう少し長く運用され、283系導入とともに置き換えられていた。

交直流対応振子式特急車両

591系として開発が進んでましたが、投入予定路線である東北本線に平行して東北新幹線を建設することが決まったため各地を転々とし、結局は381系として製造されました。

  1. 東北新幹線が開業する前までは「ひばり」に先行投入されていた。
    • その後北陸や九州に転用。
  2. 485系の量産数が減っていた。
  3. 日豊本線、長崎本線にもにちりん、かもめとして導入される。

新特急電車

国鉄の130km/h対応特急。現実の高崎線新特急とは全くの別物。

  1. 高崎線新特急は通勤特急という呼び名だった。
    • 急行「伊豆」は特急「あまぎ」に統一、東北・高崎線系統の急行はすべて特急化(いずれも183系使用)されたと思う。
  2. おそらく781系・485系・183系の新区分番台だった。
    • 北海道の電化がもう少し進んだか。

急行用

153系寝台電車

夜行寝台急行列車の電車化が計画され、本系列を寝台車電車に改造・投入するものであった。

  1. 急行銀河の廃止が数年伸びていた。
  2. 急行きたぐに(大阪ー青森)の車両にも使われていたかもしれない。
    • 153系は直流専用だから無理があるのでは?
      • 451~475系ベースの交直両用版が開発される。
  3. 581系は誕生しなかった。
  4. 国鉄末期に通勤格下げ車両が出現していたりして。
  5. 「ちくま」が客車に戻されることはなかった。

163系電車(グリーン車を除く)

付随車のみ存在したが、当初は153系の出力アップ型として165系と同時期に暖地向けに導入が検討されていたようだ。(ただし抑速ブレーキはなし。)もしこれが実用化されていたら…、

  1. 結局、新幹線の延伸や特急運転区間の拡大で余剰となり、113系増備のための種車となってしまう。
    • 113系1500番台や2000番台はこの車両のハコ替えだった。
  2. あるいは大阪地区の新快速は153系が撤退した後、この車両を部分改造して充当される。
    • その場合117系は登場しなかったか国鉄末期のデビューとなっていたか。
  3. いずれは車種統一のため抑速ブレーキ取り付け改造を行い165系に編入された。
    • 1975年の山陽新幹線博多開業時に改造され、165系200番台となる。また、捻出したCS12系制御器はその頃増備された113系新製冷房車に転用。
    • 抑速付けられるのなら瀬野八も越えられるな!→「安芸」他に導入。
    • 平坦地向けなので、東京~下田・修繕寺および房総急行に使用されていた.
    • 捻出した153系は、3ドア化・デッキ撤去のうえ、静岡・名古屋地区の普通電車に転用。
    • 名古屋~大阪・神戸間を結ぶ急行「比叡」でも運用されていた。
  4. ビュフェは165系や交直流車と同じく、そばコーナーになっていた。
  5. 仮に導入されても少数派で終わっていた。
    • 少数派ゆえに国鉄末期には淘汰の対象となり、JRには継承されなかった。
  6. グリーン車が史実以上に113系に編入されていたかも。
  7. 修学旅行用電車として、製造されていた可能性もある。
    • 167系電車は旅客用電車として、製造されていたかもしれない。

サロ164形

大糸線乗り入れ急行用に計画されたハイデッカータイプの展望電車。サロ85形から改造される予定だった。

  1. 改造されても所要数の関係から2両だけで終わっていた。
  2. 80系からの改造なので新製車との乗り心地で格差が起きていた。
  3. 車齢の高さと両数の少なさもあり、早期廃車の対象になっていた。

185系急行形電車

元々急行形電車として開発されましたが、投入予定だった急行伊豆が特急に格上げ(踊り子)されたため、本来の用途ではない特急形として運用されることになりました。もし、急行形として投入されていたら?

  1. 国鉄末期の急行列車の統廃合で余剰化。
    • 波動用として重宝される。
    • ジョイフルトレインとして改造される車両も登場。

近郊用

モハ70系

湘南電車投入計画の一つに「63系を3扉にしたようなロングシートの車両にする」案があったそうです

  • なお、ここで述べるモハ70系は史実とは別の車両です。
  1. 後継の111系などの近郊型電車もオールロングシートになっていたかもしれない。
    • それでも地方線区に転用されるときはセミクロスシートに改造されていた可能性も。
  2. 185系・117系の登場が早まったか。

113系1000番台初期車の総武快速・横須賀地下線乗り入れ

113系1000番台は総武快速・横須賀地下線への乗り入れを視野に入れて製造されましたが、初期車は地下線に乗り入れることはなく、早いうちに他線へ転用されました。

  1. さすがにATC設置改造くらいはされている。
  2. その分、0番台が史実より多く製造されていた。
  3. 更新時期が早まるので211系・213系総武快速・横須賀線用の登場が実現していた。
  4. クハ111-1310が阪和線に転出することなく、阪和色の113系1000番台は存在しなかった。
    • 湘南色の113系1000番台も国鉄時代には存在していなかった。

サロ115形

115系のグリーン車(1等車)として全自動ドア装備で検討された。

東北・高崎線用新製車
  1. 普通車より一足早く冷房化された。
  2. 15両化も早まっていた。
  3. サロ165-14がスカ色にならなかった。
  4. 1973年の暴動がもっと大規模になっていた。
    • だが事件後に急行型使用の普通列車グリーン車が自由開放されることはなかった。
  5. 211系1000・3000番台も最初からサロを組み込んで登場したため、サハ211の製造両数は少なかった。
宇野線用改造車

四国連絡快速用にサロ113を改造しての投入が計画された。

  1. 首都圏で113系グリーン車が不足し、特急・急行型からのサロ110への編入改造が史実より多く行われた。
  2. 備讃ライナー→マリンライナーにもグリーン車がついている。

117系関東仕様

急行「伊豆」の153系の置き換え用としてデッキのない転換クロスシート車両(=117系)が考えられていたが、居住性に問題があると判断され、さらに「伊豆」の特急格上げが決まったことにより結局は185系となった。

  1. 特急「あまぎ」と急行「伊豆」の統合は遅れていた可能性が高い。統合は分割民営化後になった可能性も十分考えられる。
    • 「谷川」「草津」「あかぎ」「なすの」の特急格上げも遅れた。下手すりゃ「なすの」は廃止まで急行だった。
      • 逆に快速に格下げされた可能性も。
      • '90年代にこれらの系統にも255系を導入して特急に格上げしていた。
  2. 「新特急」と言う名称は存在しなかった。
  3. 通勤形である事を生かして休日臨時快速→快速アクティーにも使われていた。
    • しかし2ドアのため遅延多発。211系に置き換えられていた。
  4. 結局有料新快速扱いされるのは変わらない。
  5. 晩年は長野か新潟の普通列車に転用されていた。

123系クモユ143形改造車

郵便輸送廃止で余剰となったクモユ143形を国鉄所有にして123系への改造も考えられていたが、実現しなかった。

  1. 旧型国電は国鉄時代に全廃することが出来ていた。
    • しかし、車両不足からクモハ84形の登場は史実通りになるだろう。
  2. 小野田線本山支線や鶴見線大川支線に投入されていた。
  3. 冷房装置は郵便車時代のものを再利用していた。

211系・213系電車総武快速・横須賀線用

国鉄時代、総武快速・横須賀線にも211系・213系電車を投入する計画がありましたが、実現しませんでした。もし、実現していたら?

  1. 基本11両編成、付属4両編成になっていた。
  2. 111系は国鉄時代に形式消滅していた。
    • 四国には史実より早く113系が配置されていた。
  3. 動労千葉の勢力は弱くなっていた。
    • 弱くなるというか、元々弱いからこうなったわけで。
  4. E217系は製作されなかった。
    • 今頃、E231系かE233系に置き換えられ、房総各線に転用されている。
      • 東海道線と同時期にE233に置き換えが一番ありそう。
        • E235系1000番台は常磐快速線に導入されていた。
      • わざわざスカ色から変える必要性がないので菜の花色は存在しない可能性も。
      • 209系は北関東か長野送り。
  5. 213系は2ドア転換クロスシートというより1M方式という認識となっていた。
    • JR東海の211系6000番台は213系6000番台として登場していた。
  6. JR発足後には2階建てグリーン車が組み込まれていた。
  7. 総武快速・横須賀線に211系を集中投入した場合,東海道線・東北線・高崎線用の211系はJR発足後になって投入。東北線・高崎線の輸送力増強は他地区からサハ115を転入させた上で行った。サハ111からサハ115に改造された車が多い。その代わり先頭車化された車は少ない。クハ111はローカル用に転出,クハ115に改造された車も少なくない。
    • 幕張のクハ111は房総ローカル,大船のそれはクハ115化?
    • ↑↑213系の製造数が現実より多いこと。

211系関西地区用

京阪神の新快速用や福知山線電化用として投入する計画があったが、前者は117系のマイナーチェンジ車(100番台)が、後者は113系初期車を改造(800番台)して投入された。もし、関西地区にも211系が投入されていたら?

  1. 221系が開発されなかった。
    • 現実の223系が221系を名乗っていた。新快速に3扉転換クロスシート車が投入されるのは阪神・淡路大震災後の輸送力増強が名目だった。
      • 新快速用は117系と比べて見劣りがしたので後にこれに置き換えられていた。
  2. 大和路線や阪和線にも投入されていた。
  3. 今頃は体質改善工事が行われ転換クロスシートに改造されている。
    • むしろ製造当初から転換クロスシートになっていたのでは?
      • 3ドア初の転換クロスシートといえば近鉄5200系ではなくこの車両のことを指していた。
      • あるいは民営化後投入分から、転換クロスシートを装備するようになったかも。
      • 213系のような2ドア転換クロスシート車だったかも。
        • 211系と213系の違いは車体・設備ではなく機器によるものだった。
  4. カラーリングは千葉地区用に似たものになっていた。
    • 新快速用は関西急電をイメージしてベージュ+茶色の帯を巻いていた。
  5. 1000番代をベースに製造され、1500番代に区分されていた。
  6. JR西日本の211系は「ゆめじ」以外にも存在していたこととなる。
  7. JR発足後には110km走行対応に改造されていた。
    • 211系は最初から110km/h走行に対応している。
  8. 民営化後に製造された車両は、設計改良により、最高速度が120㎞/hへ向上。
    • 台車は、ヨーダンパ設置準備工事が施された改良型で、後年ヨーダンパが取り付けられた。
      • 国鉄時代製造分についても、JR東海所属の0番台のように、台車へのヨーダンパ装着やブレーキ改良工事などが行われ、120㎞/h走行が可能になった。
  9. 新快速用は、117系と同じく6両編成で登場した。
    • 編成内のMT比を1:1にするため、中間車として211系の車体を持つ213系2両(モハ+サハ)が混結されている。
    • 民営化後、輸送力増強のため、6両編成2本を8両編成1本と4両編成1本に組み替えられた。
      • 6両編成から213系2両を引っこ抜いて、それを別の6両編成に挿入。
  10. 117系100番台は登場しかなったかもしれない。
  11. 225系導入で大阪地区から撤退し、岡山か広島に転用されて115系を置き換えていた。
    • あるいは奈良線や関西本線に転用されて103系を置き換えていた。
  12. (車内の座席が転換クロスシートの場合)同時期に神領電車区に配置された211系は上と似た仕様になる。

211系広島地区用

国鉄の財政難で話が消えたらしい

  1. 111系・115系に廃車が発生していた。
  2. もしかしたら岡山地区に転属して213系と共通運用になっていた。
  3. 227系導入で廃車になっていたかも。
    • むしろ製造数が減っていた。
    • もしくは岡山・山口地区に転用された。
  4. 温暖な地域とはいえ、1000番台をベースに導入されていたと思われる。
  5. カラーリングは115系3000番台に倣い、青20号の帯を施していた。
    • 415系1500番台と混同されていた。
      • 誤乗防止のため、新山口辺りから西への入線は極力避けるような使い方をされている。史実通り227系で置き換えられていた場合、211系は岡山エリアにまとめられていた。
        • それと同時に213系に準じた青帯に塗り替えられている。

413系電車475系改造車

413系電車は475系電車からの改造計画もありましたが、実現しませんでした。もし、413系電車が475系電車までも改造されていたら?

  1. 471系・475系の延命工事はなかった。
  2. 521系は419系の置き換え分で製造が打ちきられていた。
  3. 若い車体を活用して機器更新がされていた。
  4. 413系200番台になっていた。

793系

サイリスタ位相制御+回生ブレーキ搭載の3扉交流電車

  1. 鹿児島本線博多地区か東北本線仙台地区に投入されていた。
  2. 417系・713系はなかったかも。

795系

サイリスタ位相制御+回生ブレーキ搭載の2扉交流電車

  1. 長崎本線博多地区か常磐線仙台地区に投入されていた。
  2. 419系・715系はなかったかも。

4扉近郊電車

1960年代に101系と同等の車体でオールクロスの車両が計画されていた。

  1. 首都圏の混雑が緩和されていた。
    • しかし上尾事件は史実どおり起こった。
  2. 近郊形・通勤形車両の区分が曖昧化し、その後の形式は一般形と称するようになっていた。
  3. 実史の近鉄2610系がそうだったように、クロスシートのシートピッチが狭すぎたため後年オールロングシートに改造されていた。
  4. 「仮称105系」の代わりに関西地区に大量に導入された。2000年代に山陽地方に転用される。常磐線と中央東線の中電は似た車両を使用していた。

三扉簡易寝台電車

  • 平日は横須賀線の通勤用、休日は中央線登山客の仮眠用として使用される予定だったが、実用性に乏しいので却下された。
  1. 上記内容を見るに塗装はスカ色で間違いないだろう。
  2. いずれ簡易寝台が邪魔になり、115系に編入改造される。
  3. 中央東線・篠ノ井線の夜行普通列車はこの車両で電車化された。

通勤用

72系970番台武蔵野線用

武蔵野線用に投入が計画されていました。

  1. いずれ103系3000番台への編入改造が行われていた。
  2. 101系1000番台は存在しなかった。
  3. 武蔵野線への205系の投入数はもう少し多かったかもしれない。
  4. ナンバーがインフレ化し、6桁台に突入していた。

サハ103形700番台

サハ100形をサハ103形に改造する計画でした。

  1. 大阪環状線と片町線で運用された。
    • 廃車は大阪環状線201系転属と同時期だと思われる。

101系横須賀線用

かつて横須賀線の逗子~久里浜間の輸送力の適正化と高頻度運転化の為、101系の投入が検討されていました。

  • 「シーサイドライナーヨコスカ」として実車こそ登場したものの、転用中止により営業入りには至らず。
  1. 横須賀線は逗子で分断されていた。
  2. 国鉄末期からJR初期の間に103系への置き換えが行われていた。
    • その後E217系の付属編成で置き換え。
      • 場合によっては205系か209系が転用されていたかもしれない。
        • 国鉄末期の投入予定だったことを考えると、南武支線と同時期に205系1000番台で置き換えもありえそう。
  3. 大船工場の入れ替え車として使われることはなかった。
  4. 塗装がハイスクール・フリートの制服に似ていると言われる。

101系常磐快速線用

中間加速度が劣る103系にかわり、赤羽線と京浜東北線から101系を転属させる話があったようだ

  1. 常磐緩行線の103系は常磐快速線に転用されなかった。
    • 105系に改造される車両が増えていたかもしれない。
    • 片町線・京阪神緩行線・福知山線に転用(片福連絡線計画に対応)されたかも。
  2. 常磐線快速電車の15両化が遅れていた。
    • 上記の緩行線103系を快速線に転用できなかったので。
    • E501系の製造量数が増えていたかも。
    • もしくは国鉄末期に、205系の常磐快速線投入が実現した。

103系5扉車

103系の開発にあたって1両辺りのドアの数を5つとすることが検討されていたが、車両に冷房などない時代に窓面積が減少するのは厳しいとして没となった。

  1. その後の通勤車両は5扉がデフォになっていた。
    • サハ204は7扉になっていた。
    • 各路線へのホームドアの設置が遅れていたかもしれない。
      • むしろ5ドア対応のホームドアが早期に開発されていた。
  2. 冷房化が早まっていたかもしれない。
  3. 京阪5000系の影が薄くなっていた。
    • 但し同系で初採用された座席昇降装置は現実よりも普及していたかも。

103系1000番台筑肥線転用

1980年代当時の鉄道雑誌に噂として書かれていたようです。

  • また筑前前原~唐津間の増発用に「東京の国電を改造して4両編成で運転する」事が新聞で報道されていたらしい。
  1. 転用にあたって塗装はブルー系に変更されていた。
  2. さすがに冷房改造は行われていただろう。
    • もし行われなかった場合、福岡市営の車両との格差はさらに大きくなっていた。
  3. これの置き換え用として303系の投入両数が増えていた。
  4. 103系1500番台は登場しなかった代わり、奈良・和歌山線電化時には新造の105系0番台が投入されていた。
    • ↑の105系0番代は「ローカル電車」ではなく「大阪圏の冷房促進」扱いで当初から冷房付きであった。
  5. 上記の筑前前原~唐津間の増発用だったら1500番台に3両編成は登場しなかったら。

仮称105系電車

京阪神緩行線への投入が考えられていた駅間距離の長い線区向けの4扉通勤形電車。史実の105系とは異なる。もしこの車両が登場していたら…。

  1. 103系は現実ほど製造両数が多くならなかった。
  2. 101系のMT54搭載版という位置づけになっていた。
    • 歯車比は1:5.60で、419系や715系と同じ走行音を立てていた。
    • 付随車の形式は101系と共用するが、前面形状が103系と同時に変更される。
  3. 史実の105系は「107系」になっていた。
    • こちらもMT54を搭載していた。
      • 119系も。
    • 史実の107系は「109系」
  4. 常磐快速線にもこの車両が投入される。
    • 中央快速線にも特別快速用としてこの車両が投入されていた。中央快速線向けは高尾以西への直通を考慮してパンタグラフ部分が低屋根(若しくはPS24形パンタ搭載)とされ、モハ104形800番台が製造されていた(?).
      • 201系の初導入先は中央総武緩行線だった。
    • 201系のPS24パンタグラフ搭載車は存在しなかった。
    • 中央本線新宿口の中距離電車は105系で置き換えられた。
      • のちにE231系1000番代が豊田に配置され(グリーン車連結)、105系を置き換えた。
  5. 東武8000系は「私鉄の103系」ではなく「私鉄の105系」と呼ばれていた。因みに性能面では東武8000系は103系よりもむしろ仮称105系に近い。
    • いや103系でしょ。規模的に。
  6. その後321系により駆逐。環状線や広島地区に転属。
    • 國鐵廣島では103系の中間車として活用される例も現れる。

105系(汎用電車)

ロングシート・クロスシートの両方に転換可能なタイプの座席で計画されていたという。

  1. ホリデー快速によく使用されていた。
  2. 首都圏中電のオールロング化が遅れていた。
  3. 民営化後、ホームライナーに使用されるが、苦情が来たため数年で中止。
  4. 近鉄L/Cカーは現実よりも早く登場していた。
    • 5200系は登場しなかったかもしれない。その場合JR西日本221系などにも影響を与えていた。
  5. 首都圏の大手私鉄にも類似の車両が投入されていたかもしれない。
    • その場合、首都圏でも平日昼間や休日は運賃だけでクロスシートに乗れるようになっていた。その結果国鉄→JRとの競争が有利になりJRのグリーン料金も安くなっていたかもしれない。
    • 京急2000形はこのタイプの座席かつ3扉で登場していた。2100形は登場せず、二代目600形がこのタイプの座席で登場し増備されていた。
    • 東武6050系や西武4000系もこのタイプの座席かつ3扉で登場していた。

105系0番台飯田線用

飯田線豊橋口用に105系0番台を投入する計画があったが、実現しなかった。

  1. 飯田線の普通列車に165系が転用されることはなかった。
    • それでも119系の投入は史実通り。
  2. しかし、トイレなし車両で長距離運用に不向きな車両であるため、結局は飯田線に165系が再配置され、静岡地区に転用される。
    • ここでも他の近郊型と性能が合わないため、結局は211系に追われる形で御殿場線に転用される。
      • よって、御殿場線に211系6000番代が投入されることはなかった。
    • 119系と運用を交換してするがシャトルに転用していたかも?(なお165系再配置の理由は119系のするがシャトル転用)
  3. それでも2010年代には313系に置き換えられる。
  4. JR発足後は東海カラーに変更されていた。

105系0番台富山港線用

富山港線に105系0番台を投入する計画があったが、実現しなかった。

  1. 置き換え対象である72系と同じく青22号となっていた。
  2. 城川原車庫は廃止されなかった。
    • JR移行時に金沢の支所となっていた。
  3. 富山ライトレール転換時に他線区に転用される。
    • 時期的には加古川線電化用…と思ったがちょっとズレるな。

201系山手線用

国鉄時代、山手線に201系を導入する予定でしたが、当時の国鉄は財政難だった為製造費の高かった201系の導入を断念しました。もし、実現していたら?

  1. 205系の誕生が遅れていた。
    • 初導入の路線は横浜線だった。
      • いや、京浜東北線だったかもしれない。
      • 下にもある中央・総武緩行線もありそう。
    • 205系はJR東日本の車両として登場していた。
      • 関西地区に205系が投入されることはなかったかも。
  2. ウグイス色201系は1980年代の時点で見る事ができた。
    • ウグイス色の201系という都市伝説は生まれなかった。
  3. 山手線への6ドア車導入は史実のE231系500番台まで待つことに。
    • その場合、11両編成化が行われただろうか。
      • そもそも6ドア化無しで増車という可能性もある。
    • もしくはサロ124・125の如くサハ200がステンレス車体で製造されていた。(=史実のサハ204とほぼ同様)
      • E231系500番台投入以降は全車両が205系に編入改造されていた。
  4. 201系の性能をフルに発揮できていた。
    • 電機子チョッパ制御は低速で加減速が多いほうが省エネ効果が大きいため。
    • 201系に対する評価も大きく上がっていた。
  5. 場合によっては他線への201系投入を中止して山手線に集中投入していた。
    • これらの路線には後に205系を投入する。
  6. 205系は中央線に投入されていた。
    • 総武線各駅停車の205系は忠実より多く投入されていた。
  7. 山手線の205系が先頭車改造されて導入された線区には投入されず、別の車両が新造されるか、改造されていた。
    • 投入されるなら中央線・総武緩行線の205系が改造される。
    • 仙石線の103系引退は2010年代以降になっていた。
  8. 駅間距離が短く加減速の機会が多いので、電機子チョッパ制御の長所をフルに発揮できていた。
    • 201系の評価も現実よりも上がっていた。

205系中央・総武緩行線用

国鉄時代、山手線に次いで中央・総武緩行線へ投入することが計画されていたが、実現しなかった。東中野事故の補充として投入された2編成とは別物。

  1. 東西線直通用の301系・103系1200番台の帯色変更が早まっていた。
  2. 当時の津田沼電車区に集中投入され、101系・103系を置き換えていた。
    • よって209系500番台は存在しなかった。
    • 209系950番台は別の路線に投入されていた。
  3. 場合によっては中央・総武緩行線へE231系は投入されず、同線の201系・205系の置き換えはE233系が行っていたかもしれない。

401系(2代目)

常磐快速線電車の土浦延伸の為に計画された交直流形通勤電車。

  1. 415系ロングシート車は登場しなかった。
  2. 史実の401・403系は411・413系(史実とは別の車両)に形式変更された。
    • 史実の413系は何系になってたのやら…
      • 二代目421系あたりが妥当なところでは。
  3. それでも史実通りにE531系に置き換えられるが、全車ロングシートで製造された。
    • むしろ403(この世界だと413系か)・415系置き換え用は史実通りセミクロスシートとなる。
      • どちらかが別番台になっていたか。
      • ついでに401系置き換え用のはグリーン車無しに。
      • むしろE531系化の時期が史実通りだったら快速線全列車がグリーン車連結になっていた。
    • たぶんE231系常磐線快速用にグリーン車は連結されない。
  4. 成田線我孫子口は常磐線との直通がなく、2020年現在も千葉支社の車両で運転されている。
    • 15両化はされるだろうしそのままでは。
  5. うまくいけば当初の計画通り福岡口に60Hz対応版の車両(おそらく二代目403系を名乗る)も導入されている。
    • もしかしたら筑肥線博多~姪浜間は交流電化されたかも。
    • のちに大分・熊本・鹿児島地区に回された。
    • 筑肥・唐津線姪浜~唐津~西唐津間も交流電化されただろう。

その他

燃料電池車

  • 国鉄時代から燃料電池車が計画されていたらしい。鉄道総研に205系ベースの試験車の模型が存在する。
  1. FV-E991系を待たずして、鉄道の燃料電池車が20世紀から実用化されていた。
    • 形式名は単純に考えてFV-205系だろうが、当時は形式にアルファベットが入った車両ってあったっけ?
  2. 量産され、各非電化路線に導入される。
    • 烏山線に導入された場合、EV-E301系は別の路線の車両として登場していた。
  3. ただ、国鉄の財政難を考えると、多くは製造されなかったもしれない。

関連項目