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{{Pathnav|参拝スポット|日本の寺院|name=近畿}} | |||
== | ==独立項目== | ||
*[[ | *[[奈良の寺社仏閣と遺跡#仏閣|奈良の寺院]]へ。 | ||
*[[ | *[[京都の寺院]] | ||
== | ==滋賀== | ||
# | *[[比叡山#延暦寺の噂|延暦寺]] | ||
# | ===三井寺=== | ||
# | *[[大津市#皇子山・大津京の噂|大津市]] | ||
# | #正式には長等山園城寺というらしいが、三井寺の通称で知られている。 | ||
# | #寺の裏手の展望台から見下ろす、寺越しの琵琶湖が美しい。 | ||
#* | #天台宗寺門派の総本山。ちょくちょく日本史の教科書に出てくるみたい。但し「園城寺」としか書かれていないので混乱する。 | ||
#*総本山名乗っているだけあって、文化財の数がえげつない。 | |||
#**しかも、中世しょっちゅう山門派の[[比叡山]]の焼き討ちに遭ってこの数。ひえ~。 | |||
== | ===石山寺=== | ||
# | *[[大津市#石山の噂|大津市]] | ||
# | #源氏物語の舞台。 | ||
# | #*紫式部が篭ったらしい。中宮定子の御付女中の仕事はサボったんですね | ||
#**単に源氏物語中の「須磨」「明石」の着想を得ただけ、しかもこれすら裏付ける史料もなく信憑性が薄いのだが、いつの間にかここで執筆したという話になっている。 | |||
#**既に江戸時代には「紫式部の間」が作られ、等身大の人形まで置かれていた。話がどんどん膨らんで言ってるのは明らか。寺の言い伝えなるものは、実はかなり信用出来ないといういい例。 | |||
#*平安の女性たちに人気があり、藤原道綱母や菅原孝標娘など紫式部以外の文学作品とも縁がある。実際行くと確かに、瀬田川を望んだ風光明媚な景観は素晴らしく、人気があったのも頷ける。 | |||
#国宝指定の本堂は滋賀県最古の木造建築らしい。 | |||
#*でっかい岩の上に建てられているのが素晴らしい。よくまあ落ちんもんやね。 | |||
#*源頼朝寄進の多宝塔は日本最古の多宝塔。 | |||
#**多宝塔内部には入れないが、その本尊の大日如来像を拝観することはできるらしい。因みに、この仏像は昭和の終わりまで誰の作品か分かってなかったが、文化庁の調査で快慶作と判明したらしい。 | |||
#**戦後に文化財指定をやり直した際でも、初年で国宝に指定されている。これだけ優美で美しい塔なら納得である。 | |||
#**鎌倉初期でもこれだけ美しいのなら、美に煩い平安貴族たちが作った平安の寺院建築は更に素晴らしかったであろう。つくづく応仁の乱などで焼けてしまったのが惜しまれる。 | |||
== | ===岩間寺=== | ||
# | *[[大津市#石山の噂|大津市]] | ||
# | #石山寺の奥の方にある山寺。毎月17日以外のお参りは結構しんどい。 | ||
#*正式には「岩間山正法寺」というらしいが、通称は岩間寺。 | |||
#* | #俳人を装った隠密が「カエルが池に飛び込んだ」というだけの事を17文字で実況した場所という話がある。 | ||
#*本堂真横の池がそれらしい。 | |||
#御本尊(非公開)は深夜の肉体労働が大好きらしい。 | |||
#*毎晩衆生救済のため西へ東へ、汗びっしょりになるまで走り回っているらしい。 | |||
# | |||
#* | |||
# | |||
#* | |||
== | ===善水寺=== | ||
*湖南市 | |||
# | #桓武天皇の病気を平癒したという水が未だに湧き続けている。 | ||
# | #秋には檜皮葺の本堂と赤黄に染まる木々が美しくなる。 | ||
# | #江州にある三山の中でもマイナーな湖南三山の一つ。 | ||
#* | #*湖南三山の中で唯一入山料がタダ。他は500円ずつだったはず。 | ||
== | ===常楽寺 === | ||
# | *[[滋賀/甲賀#石部の噂|湖南市石部町]] | ||
# | #同じ湖南三山の善水寺に比べると紅葉の染まり具合は控えめな感じ。 | ||
# | #*にも関わらず500円だよ、拝観料。 | ||
# | #三重塔と本堂に風格がある。 | ||
#* | #*本堂というと堂内にある寄木造りに風神雷神が入れられているが、これはアリなのだろうか? | ||
== | ===長寿寺=== | ||
*湖南市石部町 | |||
# | #ここも湖南三山の一つ。因みに常楽寺から歩いてすぐ。 | ||
# | #参道に置かれたお地蔵様が年季がこもっている感じ。 | ||
#神仏習合の名残で白山神社が残されている。 | |||
# | |||
== | ===長命寺=== | ||
# | *[[近江八幡市]] | ||
#* | #すぐそこ琵琶湖なのに山寺らしい。 | ||
#* | #武内宿禰が死に損なった原因となる故事がある。 | ||
#*それに感服を受けた聖徳太子が寺として整備してこれを以て開基とするらしい。 | |||
#○○如来とか△△菩薩を祀らない結構珍しい寺。 | |||
#*代わりに十一面、千手、聖の三観音を祀っているのだが、このラインナップをまとめて一体の御本尊様にしてしまうという珍事を働いている。 | |||
== | ===観音正寺=== | ||
# | *[[近江八幡市#安土|近江八幡市安土町]] | ||
#* | #山の上にある。行きづらい。 | ||
# | #*尾根伝いに行ったら、[[近畿の城#安土城|安土城]]へ行けそうな気がするんだが、多分どっかで阻まれるんだろうなあ…… | ||
#* | #聖徳太子が自分で千手観音を彫って堂塔を建てて祀ったのが始まりらしい。 | ||
# | #*どうでもいいんだけど、聖徳太子はそこらじゅうで仏像彫ってるけど、いつ政治をやってたんだか…… いっそ仏師にでも転職したら良かったのに。 | ||
#* | #*異説には人魚が建てたという話も残っているらしい。最近まで人魚のミイラもあったらしい。 | ||
#信長が焼いちまう。 | |||
#*六角氏の観音寺城をぶっ壊した後、同じ山にあって六角と仲が良かったという理由で焼き払った。 | |||
#1993年、焼かれる。 | |||
#*おかげで、彦根城から移築した欅御殿が消失しちまった上に御本尊も、人魚のミイラも燃えちまった。 | |||
#**因みに、本尊は新しく白檀23tを使ったものをインドから取り寄せて祀られていて、(2013年末時点)ちょっとだけ木の香りがまだ残っている。 | |||
== | ===桑實寺=== | ||
# | *近江八幡市安土町 | ||
# | #天智天皇の姫君が近江で流行中の疫病にかかった際、祈祷をすると湖から薬師如来が猛烈な勢いで飛んでいきたというのが始まりらしい。 | ||
#* | #藤原鎌足の長男が初代住職。 | ||
#*唐からのおみやげに持ってきた桑の実を植えたのが寺名の由来らしい。 | |||
#室町幕府本店が移転してきたことがある。 | |||
#山号が観音正寺と同じ繖山。 | |||
== | ===教林坊=== | ||
*近江八幡市安土町 | |||
# | #石の素晴らしさを実感できる、そんな庭を持つ御寺。 | ||
# | #小堀遠州が造園をやったらしいが、ホント感動の嵐。特に紅葉の時期などもう…… | ||
[[Category: | ===石塔寺=== | ||
*[[東近江市]] | |||
#山名がおかしい。阿育王山というのだが、普通には読めん。 | |||
#石塔寺の名に相応しい塔があるが、これはインドで造られたという説がある。 | |||
===百済寺=== | |||
*東近江市 | |||
#ルイス・フロイスに「地上の天国」と言わしめたらしい。 | |||
#*流石にそれは言いすぎな気がするが、紅葉の時期の庭はたいそう美しいと評判。無論それ以外の時期も味があって非常に良いのは言うまでもない。 | |||
#本尊の十一面観音は、聖徳太子がまだ根を張って葉を茂らせている杉の木を彫った物らしい。仏像のためとはいえ自然破壊なんじゃ……? | |||
===西明寺=== | |||
*[[滋賀/湖東#甲良町の噂|甲良町]] | |||
#湖東三山の一つ。他の2寺同様、紅葉の時期が一番美しいが、他の時期も宜しい。 | |||
#信長に焼討されたが、本堂と三重塔は焼失を免れた。 | |||
===金剛輪寺=== | |||
*[[滋賀/湖東#愛荘町の噂|愛荘町]] | |||
#紅葉のみならずあじさい、石楠花と飽きが来ない。 | |||
===宝厳寺=== | |||
*[[長浜市]]([[琵琶湖#竹生島の噂|竹生島]]) | |||
#宝厳寺唐門が有名。然し乍ら只今(2013年末)工事中につき…… | |||
#秀吉のお気に入りだったらしく豊国廟から色々もらってきた。おかげで江戸幕府には…… | |||
#都久夫須麻神社と仲が悪いのかしらんが、ホームページで相互リンクはどっちにも一つも乗っておらず…… ネット上のたったそんだけのことで以って判断するのはイカンとは思うが、邪推してしまう。 | |||
#*少なくとも「リンク集の項目に、近江高月の歴史博物館のURL載っけるくらいやったら」と思わんでもない。 | |||
#神社も含めて「拝観無料!」のはずが…… | |||
#*船代だけならまだしも(それでも十分高いけど)、仮に鳥人間になって自作飛行機で島まで行っても入島料を払わねばならんという…… | |||
===興聖寺=== | |||
*[[滋賀/湖西#朽木の噂|高島市]] | |||
#いい感じの古い庭がある。 | |||
#朽木氏の檀那寺にして曹洞宗の巨刹として栄えたらしいが、今や見る影もない。 | |||
==大阪== | |||
===太融寺=== | |||
*[[大阪市/北区|大阪市北区]] | |||
#なんとなく、大人向けな感じがする…… | |||
#実は結構歴史あり。 | |||
===三津寺=== | |||
*[[大阪市/中央区]][[心斎橋|心斎橋筋]] | |||
#御堂筋に面した心斎橋の歴史ある寺。 | |||
#庫裏は地上3階、地下1階建ての鉄筋コンクリート造で、外観を除けば味は1つもない。 | |||
#本堂は第一回大阪府議会の議場となった。位牌堂の内装なんかは相当金が掛っているのが見て取れるが、江戸時代のものらしくいかほど行ったのかは分からんらしい。 | |||
===四天王寺=== | |||
[[画像:四天王寺.JPEG|thumb|四天王寺]] | |||
*[[大阪市/天王寺区|大阪市天王寺区]][[天王寺|四天王寺]] | |||
#日本初の官立寺院 | |||
#*でもその背景はあんまり褒められた内容ではない。要は、「アイツ殺せたら御礼に寺建てますわ。」という[[皇族伝#聖徳太子(厩戸皇子)|皇族の方]]と[[仏]]の約束が実っただけ。 | |||
#[[高松建設#金剛組の噂|現存する中では世界最古の企業]]が起こったのはここの造営事業の賜物。 | |||
#*数年前に一回倒産したけどね…… | |||
#**どこかの傘下に入ったんじゃなかったっけ??? | |||
#施薬院や悲田院など、ビスマルクもびっくりの社会福祉事業団を展開していたらしい。 | |||
#宝物館は宝物の宝庫。国宝がゴロゴロ転がっている。 | |||
#五重塔とあべのハルカスが同時に写せる場所があるが、11時以降だと逆光で絶対にうまく写せない。 | |||
#谷町筋側は三が日や祭りの時は必ずと言っていいほど混むが、裏側の上町筋側は基本的にガラガラだったりする。 | |||
#自転車乗り入れが許されているみたい。いつ行っても誰かが絶対通り抜けている。 | |||
#伽藍や庭園の外側は24時間365日常時無料開放されている。近隣住民は早朝のジョギングや通勤時の駅までの抜け道など、その辺の公園と同じような扱いで通りすぎて行く。 | |||
#大阪の中心部であることを考えたら、いくらプチ高級住宅地や言うてもうるさいはずなのだが、ここは静か。 | |||
#*朝夕スピーカーから流れてくる寺の変な歌みたいな奴が一番やかましかったりする。 | |||
#~ワッソ | |||
#*韓国っぽいお祭り。(ですよね?見に行ったことはないもので) | |||
#**百済だか朝鮮通信使だかその辺からのいわれらしいが、言い出したのが戦後だけに、どこまで事実なのか疑わしいと思う。 | |||
===大念佛寺=== | |||
*[[大阪市/平野区|大阪市平野区]] | |||
#平野のでっかい寺。寺内町を作っていた。 | |||
===勝尾寺=== | |||
*[[箕面市]] | |||
#東海自然歩道から行くとタダで入山できる。 | |||
#秋口の紅葉が一番見ものな気がするが春先の桜もなかなか。 | |||
#*箕面の滝とともにどうぞ。 | |||
#噴水とかあってあんまり古刹なイメージがない。入口の所の建物も。 | |||
===成田山明王院=== | |||
*[[寝屋川市]] | |||
#成田山の別院だが、交通安全祈願でも知られる。クルマに乗ったまま ご祈祷を受けるってのは あまりないかも。(←ドライブスルー?) | |||
#節分の豆撒きで毎年、[[NHK大阪放送局|BK]]制作の朝ドラの出演者が登場する。 | |||
#*そろそろ、地元寝屋川出身の力士、豪栄道にも参加してほしい。 | |||
#元々ここに、[[京阪]]が、野球場だったかテーマパークだか作ろうとして失敗したあとが、これになったんだっけ??? | |||
===慈眼寺=== | |||
*[[大東市]] | |||
#通称野崎観音 | |||
#飯盛山のすぐ下にある。本殿の裏からハイキングができる。 | |||
===葛井寺=== | |||
*[[藤井寺市]] | |||
#年末になると大根が振る舞われる。結構旨く炊いてある。 | |||
===叡福寺=== | |||
*[[大阪/河内#太子町の噂|太子町]] | |||
#聖徳太子永眠中。 | |||
#3つに分かれた竹がうんたらかんたら…… | |||
#*の伝説の竹が今もあるんだっけ…… | |||
===弘川寺=== | |||
*[[大阪/河内#河南町の噂|河南町]] | |||
#西行終焉の地。 | |||
#枯山水と桜がナイス。 | |||
===観心寺=== | |||
*[[河内長野市]] | |||
#仏堂みたいな塔がある。三重塔の一段目だけ造って、後は放置プレイらしい。 | |||
#南朝所縁の寺院。楠木正成が馬に乗っている像がある。 | |||
#*楠木正成って[[近畿の山#金剛山地|あの辺の山々]]を根城にして山岳ゲリラをやってたわけだから、馬に乗ってってのは無理なような気がする…… | |||
#河内長野の山奥のサントー線沿いにあるんだが、こんな所に国宝が3点もある。ありえへん。 | |||
#大阪府内にある木造建築で最古の建物があるらしい。 | |||
===金剛寺=== | |||
*河内長野市 | |||
#滝畑ダムから下って行って、旧外環にぶちあたった所にある寺。女人高野の一つらしい。 | |||
#南朝北朝双方の行在所になった過去あり。楠木正成のお膝元にあるにも関わらず、北朝の行在所やっとんのかい! | |||
#金堂にある3つの仏像は運慶さん作。歴史あるのが分かる。 | |||
#*違う。快慶の高弟で、事実上の後継者・行快の作。近年、金剛寺をはじめ作品が次々と「発見」され、評価が上がりそうな仏師の一人。 | |||
#*なお、そのうちの降三世明王は、奈良国立博物館の仏像館にしばらく出張中。 | |||
#紅葉の名所。夕日に映える紅葉が美しい。 | |||
#寺で酒を造っている。 | |||
#*天野酒と呼ばれるこの酒は[[豊臣秀吉]]も認めたというほどの味らしい。飲んだことはないので分からんが。 | |||
#美術マニア的には、「日月山水図屏風」で有名。 | |||
#*今は重要文化財。いつ国宝になってもおかしくない逸品だが、制作時期など謎が多すぎて二の足を踏んでるのだろう。 | |||
#*5月5日と、11月3日のみ公開。まあ、注意してれば数年に一度は、展覧会に貸し出されているが。 | |||
===願泉寺=== | |||
*[[貝塚市]] | |||
#寺内町・貝塚の中心となったお寺。 | |||
#住職は代々卜半斎を名乗る。地元ではこのお寺を「ぼっかんさん」と呼び親しまれていた。 | |||
#*平島公方にも一応関係があるらしい。 | |||
#本願寺が織田信長と講和して石山本願寺を撤退、紀伊に行った後にこの寺に来ている。 | |||
#*そんときの住職・卜半斎了珍さんは根来寺の出身である。あれ?本願寺とこの願泉寺が浄土真宗、根来寺は新義真言宗… | |||
#卜半斎了珍さん、徳川家康とも仲が良かったらしい。大阪夏の陣の折、豊臣方が紀州浅野氏を攻めに行ったときには大阪方を接待し、大野某ら後続部隊を酔い潰して戦に遅延させるという働きを見せる。 | |||
#そんなことで徳川家からも信頼され、貝塚の自治を認められる(市全域じゃなくて当時の寺内町のあたりね、念のため)。 | |||
#*自治が認められたから町内には遊郭もあったそうで。 | |||
===水間寺=== | |||
*貝塚市 | |||
#泉南地方でもっとも有名なお寺、といって良いのではないだろうか。 | |||
#名前の通り水の間(川の合流地点)にある。 | |||
#五重塔が有名、というほどではないが、一応シンボル。 | |||
#江戸時代は金貸しもやっていたらしい。ちっとも返しに来なかった若者が数十年後に馬にいっぱいの銭を積んで返しにやってきた、みたいな美談がある。 | |||
#ここに詣でるための電車が[[水間鉄道]]。水間駅はお寺っぽい感じの建物になっている。 | |||
===七宝瀧寺=== | |||
*[[泉佐野市]] | |||
#犬鳴山の山深いエリアにある。犬鳴山温泉と一緒にどうぞ。 | |||
#役行者の修行の地。吉野大峰よりも6年ほど早い開山。 | |||
#*まあ、大峰に比べたらラクやろからなあ。 | |||
#渓谷の小滝と紅葉が美しい。そんな小滝で滝行やってる人が結構多い。 | |||
#*また行場もある。こっちは相当険しい箇所もあり、生半可な覚悟できたらアカン。 | |||
#義犬伝説というそこそこ泣ける話がある。犬鳴山の由来はそれ。 | |||
==兵庫== | |||
===能福寺=== | |||
*[[神戸市/兵庫区|神戸市兵庫区]] | |||
#元日本三大大仏の一つ兵庫大仏が在った。 | |||
#*戦時下の金属供出のため御国の為にスクラップ化されたのだが、後に戦争が終わり平和になると三大大仏の最後の一枠は何処がもらうかでモメるという新たな戦いの端緒となる羽目になったというのは誠に皮肉な話。 | |||
===須磨寺=== | |||
*[[神戸市/須磨区|神戸市須磨区]] | |||
#三重塔、源平の庭、敦盛の首塚など見どころ多数。 | |||
#Wikipediaでは「B級スポットとして紹介されることが多い」と書かれている。失礼にも程があるとは思わんのかね。 | |||
===忉利天上寺=== | |||
*[[神戸市/灘区|神戸市灘区]] | |||
#摩耶山山上にあった。 | |||
#色々文化財を持っていたようだが、賽銭ドロに放火されて文化財焼失。 | |||
===中山寺=== | |||
*[[宝塚市]] | |||
#安産祈願のため妊婦さんが訪れることに配慮し、ほかの寺社なら階段のみの場所にエスカレーターが設置されている。 | |||
#[[ベタな節分の法則|節分]]の豆まきは、[[宝塚歌劇団|ヅカガール]] | |||
#*ヅカファン御用達の神社の一つ。JR乗ったら「村」から一駅という近さもあって、ファンはよく来る。 | |||
#「いつの時代も変わること無い」らしい。 | |||
#日本最古の観音霊場らしい。創建が聖徳太子の時代なので嘘偽りはなかろうが、ドラえもんでもいない限り確認もできないだろう…… | |||
===清荒神清澄寺=== | |||
*宝塚市 | |||
#地元民は「清澄寺」をわざわざ付けて言われるとほんの僅かだか何のことか迷う。 | |||
#*まだ、清澄寺とだけ言うてもらったほうが楽という感じ。 | |||
#元大阪市助役の大平光代さんの更生の地。因みに彼女は西宮出身らしいが、他の寺は受け入れ拒否したんやろね。 | |||
#*こういうことをさせてくれる御寺って未だにあったんだなと思う。 | |||
#これだけの御寺だが入山料は取っていない。代わりに中の美術館が入館料を取っているが、手を合わせるだけの目的の人間にはものすごく有難い事だと思う。 | |||
#*しかもその入館料すら、市の中央図書館内にある文庫の美術書購入資金として、全額寄付している。太っ腹すぎ。 | |||
#*美術館は、幕末明治の南画家・富岡鉄斎の個人美術館。鉄斎は多作で、あちこちの美術館などが所蔵しているが、ここが一番所蔵数が多い。 | |||
#真言宗の御寺だが神をも祀っている。なので「清荒神」とつくらしい。 | |||
===神呪寺=== | |||
*[[西宮市]] | |||
#見るからに名前が恐い…… 名前だけで見たらちょっとアカン事しただけで呪われそうな…… | |||
#*そんな所であっても地元の子供はちょくちょくかくれんぼをしに行く。 | |||
#枝垂れ桜と日の出が美しい。 | |||
#*「夜中に懐中電灯も持たんと老人が……」とか言う話が、よくブログとかオカ板に載っとうけど、アレ、十中八九、日の出見に行った後ラジオ体操やったりしてはる地元のおじいちゃんおばあちゃんやから…… | |||
#*どうでもええっちゃ、どうでもええけど、ココよりも鷲林寺の方がそれっぽい噂は多いからな。 | |||
===鷲林寺=== | |||
*西宮市 | |||
#神呪寺よりも山の中へ入ってきました的な寺。ココも神呪寺同様真言宗のお寺。 | |||
#神呪寺がその名前から心霊スポット認定されているのは一部で知られているが、こっちの方が雰囲気はよりそれっぽい。 | |||
#*おかげで、そういうのが好きな人達の中で集団で来る人間が時々荒らしに来るため、住職が迷惑しているらしい。 | |||
#*どうでもええっちゃ、どうでもええけど、ココよりさらに奥の五ヶ池がマジコワであってここは雰囲気だけでっせ。 | |||
===高源寺=== | |||
*[[兵庫/丹波#青垣|丹波市]] | |||
#開山後たった一年で帝に認められた御寺らしい。 | |||
#*今となっては知名度0ですが何か? | |||
#本当に知名度がない。けれども紅葉の時期のこの御寺は物凄く美しい。友人が撮ってきた写真でしか見たこと無いけど…… | |||
#*なんでも、開基なさったお坊さんが遠路はるばる中国からお持ち帰りになられたとか。 | |||
===圓満寺=== | |||
*[[兵庫/東播磨#播磨町の噂|播磨町]] | |||
#土山あたりにある五重塔のある寺。 | |||
#*JRの神戸線からも見えるのだが、鶴林寺でもないし、なんという寺なのだろうと前々から気になっているんだが、どういう謂れがあるのだろう。 | |||
#*念の為に言っとくがwikipediaにも載っていない。 | |||
#五重塔の名前は播磨五重塔というらしいが、エレベーター、非常階段付きの曲者。 | |||
#*胡散臭いなあ、と思わなくもないが、実は消防法の影響もあるらしい。こんなもんにまで、そういうの付けるなよ! | |||
===鶴林寺=== | |||
*[[加古川市]] | |||
#加古川の古刹。 | |||
#*伽藍が現在でも16棟も残っているが、鎌倉後期には30棟ほどあったらしい。 | |||
#一部では、西の法隆寺とも呼ばれているとか。 | |||
#*聖徳太子が建立したとされるのでそう言われているが、聖徳太子からしたら、大した寺ではなかったようで、聖徳太子建立七大寺の認定を受けてはいない。 | |||
#*西の法隆寺と言いつつ、聖徳宗の寺ではなく天台宗の寺だったりする。にしても、書写山と言い、ここといい播磨は天台系が強いね。 | |||
#2002年、古い国宝ものの絵画が盗まれた。 | |||
#*それが、外国で見つかったそうだが、対馬の石仏同様、盗まれたままだったりする。 | |||
===教信寺=== | |||
*加古川市 | |||
#これも加古川の古刹。但し、ぶっちゃけ無名。 | |||
#鶴林寺ほどではないけど、結構古い御寺で御薬師さんを祀っている天台宗寺院。 | |||
#*立場的には圓教寺の子分なのだそうだが、圓教寺よりも歴史が古い。 | |||
===播州清水寺=== | |||
*[[兵庫/北播磨#東条|加東市]] | |||
#「どこにあんねん」と言いたくなるような山の中。 | |||
===光明寺=== | |||
*[[兵庫/北播磨#滝野|加東市]] | |||
#インドから雲にのってやって来た仙人が開基。色々と変わった手品師らしい。 | |||
#*布施を受け取る際に、自分は動かず鉢を飛ばしてそこに入れさせたとかなんとか。おかげで空鉢仙人という仇名があったそうだが、それ以前に頂物をするのにそれって無礼千万な気がする…… | |||
#真言宗の御寺だが元天台座主の円仁が山内にて居住した経験あり。 | |||
===浄土寺=== | |||
*[[兵庫/北播磨#小野市の噂|小野市]] | |||
#運慶作の阿弥陀三尊像が光り輝いている。 | |||
#*運慶ではなく、快慶の作。運慶は奈良や京都、鎌倉にいる権門相手の造仏に忙しく、地方までとても手が回らなかった。そのため、快慶などの流派傍系の仏師に担当が回ってくる。 | |||
#**しかし、その御蔭で快慶の作品は比較的よく残っている反面、運慶の作品の多くは戦災などで失われていった。後の長谷川等伯っと狩野永徳でも同じようなことが起こっており、歴史の皮肉と言える。 | |||
#*早い時期の作品だが、おそらく快慶の最高傑作。快慶には珍しい大作であり、夕日の光を取り込んで阿弥陀如来来迎を劇的に演出する。まさに阿弥陀仏を熱心に信仰し、己の外に仏を見ることが出来た快慶の資質が、遺憾なく発揮された名品。 | |||
#浄土堂は国宝。それ以外に多数の文化財がある。 | |||
===一乗寺=== | |||
*[[兵庫/北播磨#加西市の噂|加西市]] | |||
#インドから来た仙人が開基。宗派は違えどここは上の光明寺と同じ。 | |||
#山号は法華山。でも法華教の寺ではなく天台宗の寺である。 | |||
#*天台宗の高僧の像が数多く安置されている。平安時代から守られている大事な文化財である。 | |||
#三重塔は平安時代の物。 | |||
===随願寺=== | |||
*[[姫路市#野里|姫路市]] | |||
#山号を増位山という。 | |||
#*これ以上は、言わんでも分かるでしょ。[[大相撲ファン|そういうことです]]。 | |||
#聖徳太子さんが建立なさったそうな。 | |||
#*ここも僧坊が30を数えるなどデカかったらしい。すぐ横、広峰さんでっせ。 | |||
#サルも寄進をすれば、タヌキの子分四天王の1人も寄進するという有様。 | |||
#*それだけ、重要な寺だったのに、書写山に有名どころの地位を持ってかれて(涙目)。 | |||
===圓教寺=== | |||
*[[姫路市]] | |||
#すなわち、侍終焉の地。 | |||
#姫路の北の方にある。 | |||
#*ロープウェイと登山道があり、どちらかを選んでいくといい。 | |||
#**登山道は、複数通じているのだが、1本を除いて、無人料金所となっている。でも、誰も入れている気配はないし、回収に来ている気配もない。 | |||
#天台宗の陰陽本店。 | |||
#*ずっと昔は、確かに、ここいらは山陽地方だったのでそうなるんやろなあ。 | |||
===八葉寺=== | |||
*姫路市 | |||
#日本史で出てくる難読人名の一つ慶滋保胤が坊さんとして入っていた寺の一つ。 | |||
#*だからといって取り立てて有名なものではない。 | |||
#『ごちそうさん』のロケ地。 | |||
#*ウィキペディアにこの寺の項目があるが、初版が書かれたのはこの寺で撮られたシーンが放映された日のことである。 | |||
===花岳寺=== | |||
*[[赤穂市]] | |||
#赤穂藩主浅野内匠頭の家系の菩提寺。 | |||
#*偶然の一致だが、吉良上野介の家系の菩提寺も花岳寺というらしい…… これは因縁やろなあ。 | |||
#大石内蔵助も眠っている。 | |||
#*碑文を書いたのは大石主税らしい。この二人は家族ではないらしい。ところで、赤穂四十七士って、後1人ほど、大石さんって居なかったっけ? 大石多いし、なんちって。 | |||
#**大石信清だったかな?確かいたと思う。 | |||
==和歌山== | |||
*[[和歌山/紀南#熊野三山の噂|熊野三山]] | |||
===紀三井寺=== | |||
*[[和歌山市]] | |||
#正式名称は「金剛宝寺護国院」というらしい。 | |||
#*金剛宝寺までは知っている人もある程度は居るが護国院が付くことを知っている人となると一気に減る。 | |||
#門前の土産物屋では、みかんが山ほど売ってある。もちろん紀州産。 | |||
#*せやけど高い。近くのオークワや松源で買うたら、アレの半額よりも安い。 | |||
#**因みに、もうちょっと田舎の方へ行けば、無人販売所やふれあい販売所などでもっと安値で売ってはる。 | |||
#名草地区の人間は、一回200円払っておけば、その日から1年間有効のフリーパスがもらえる。 | |||
#*和歌山市民でもみんなが貰えるわけではないのがミソ。 | |||
#実は裏の名草山からただで入れるルートが嘗てはあった。今は通る人が減ったため荒れてしまい、道がトレースできない。 | |||
#紀三井寺の由来は三井寺だと思われている事があるが、本当は3つの井戸があったことにちなむらしい。 | |||
#*そのうちの1つ、清浄水の水質の良さは、昭和天皇陛下の耳にまで及び、陛下が和歌浦へ滞在なさった折にその水を調理などに供させられたとか。 | |||
#多宝塔は本堂より人気がある。 | |||
#*紀三井寺というとこの塔と桜をイメージする人が多い。でも実際、これが境内で一番古い建物なので参拝者の目は間違ってない。 | |||
===根来寺=== | |||
*[[和歌山/紀北#岩出市の噂|岩出市]] | |||
#大塔で有名。 | |||
#*室町時代の創建のもので、結構でかい多宝塔。40m位あるんだっけ? | |||
#*実は真言密教の教義を表しているとかなんとか。 | |||
#雑賀と並んで比較的早く鉄砲を武器にした紀州の寺。 | |||
#*歴史通にはこういうイメージのほうが強そう。 | |||
#*種子島へ渡った鉄砲をこのお寺の津田監物さんがすぐ譲り受けている。雑賀、堺へはこの寺を経由して伝播した。津田監物さんが種子島氏と交流があったことが結構重要。 | |||
#戦国時代は70万石・僧兵3万の威勢をふるった。 | |||
#*雑賀衆とならんで超優秀な鉄砲衆を抱え、傭兵として働いた。 | |||
#**雑賀衆と共に本願寺側についたこともあれば、織田信長側についたこともあった。まぁ雑賀衆だって一部は本願寺側、一部は織田方ってこともあるし。 | |||
#*矢を一本作るとお経を1回唱えるだけの御利益が、みたいなことを言ってたらしい。おいこら。 | |||
#*あれ?紀州徳川藩も55万石ですけど、それ以上? | |||
#豊臣秀吉に攻められて数多あった伽藍も炎上。その炎は夜空を焦がし、山を越えた和泉国からも赤々と見えたと。 | |||
#*その前年の小牧長久手の戦いの際に徳川家康に味方し、秀吉留守の隙に大坂城を攻めようとしていたからなぁ。手前の岸和田城で撃退されたけど。 | |||
#*秀吉の侵攻軍に対し、雑賀衆とともに泉州貝塚に防衛戦を築き、秀吉の馬印を狙撃するくらいのもんだったが、たまたま豊臣方が放った火矢が火薬庫に引火・大爆発で城(砦)が一つ落城してからはあっけなく壊滅。 | |||
#*どっかの建物にそのときの鉄砲玉の跡があるらしい。 | |||
#根来寺の近所に僧兵鍋とかいう料理を出す店がちらほら。観光客向けに創ったっぽい。中身はイノシシとかなんとか。坊主が肉食ですか?ってその前に僧兵は合戦で人殺ししてるか。 | |||
#新義真言宗の総本山。初代の覚鑁(かくばん)上人は高野山とケンカ別れしたのか? | |||
#*高野山衆徒に暗殺されそうになって、根来寺まで逃れる。なお、衆徒はここまで追い掛けて来て乱暴狼藉を繰り返した模様。何がこれだけ彼らを駆り立てるのだろう。 | |||
#*覚鑁が仏様に記した告発文によると、窃盗や殺人まで横行してたようだ。どんな社会状況だよ。 | |||
#*これでも高野山は田舎な分まだマシな方で、都に近い比叡山は更に酷かったらしい。どんだけ~。 | |||
===粉河寺=== | |||
*[[和歌山/紀北#粉河|紀の川市粉河町]] | |||
#縁起絵巻で有名。 | |||
#*でも、あの絵巻物は今は京都国立博物館かどっかに置かれてるんですよね。 | |||
#大門と庭園で有名。因みに庭園は2つあるが石庭の方が有名なやつなので要注意。 | |||
#本堂のサイズは西国三十三ヶ所の寺院の中で最大サイズらしい。 | |||
#お寺の前は小規模ながら門前町になっている。まぁ、粉河の町がこのお寺でできたようなもんなんだろうな(多少は大和街道沿いってのもあるでしょうけど)。 | |||
===慈尊院=== | |||
*[[和歌山/紀北#九度山町の噂|九度山町]] | |||
#世界遺産高野山{{極小|の子分というか門番というか……}} | |||
#空海の母親の家にして、女人高野みたいな存在。女性の場合ここへ参れば高野山へ来たものとして扱われたらしい。 | |||
#木造弥勒菩薩坐像が実は国宝らしい。えっ、世界遺産なんだし、国宝とか重文とかはこの際どうでもいいって? | |||
#女人高野だけあって、お乳の出が良くなるように乳房型が奉納されている。 | |||
===高野山=== | |||
*[[和歌山/紀北#高野町の噂|高野町]] | |||
#言わずと知れた真言宗の総本山。 | |||
#*総本山は金剛峯寺。なので節の名前も金剛峯寺にした方がいいのかも知れない。高野山のほうがよほど通りがいいけど。 | |||
#空海さんが中国から仏具を投げたらここの松の枝に落ちてたからここにお寺を建てたんだと。 | |||
#大名家の墓も多い。武田信玄や上杉謙信、織田信長に明智光秀など。生前のライバル達も同じ高野山の霊地に。 | |||
#企業の墓地も多い。企業の業態に合わせた独特な形の墓石も。 | |||
#*大名のお墓は元々あったと思われる杉林のなかの奥の院への参道沿いにあるが、企業の墓はそれより東側の開けたところが多い。 | |||
#幾つかの僧坊は一般でも宿泊可。 | |||
#*[[楽天]]トラベルやじゃらんに登録してあってビックリした。 | |||
#*ただし、値段は[[ベタなビジネスホテルの法則|ビジネスホテル]]に比べて当然高い。 | |||
===道成寺=== | |||
*[[和歌山/紀中#川辺|日高川町]] | |||
#歌舞伎の京鹿子娘道成寺でお馴染みの道成寺。 | |||
#*上記日高町のページには「ヤンデレストーカー蛇女」と書かれてた。なるほど。 | |||
#**男には同情する、どうしようもなかっただろうけど<!--ダジャレです-->。 | |||
#本堂は1300年代の建物。でもそれ以外は1700年以降の物。歴史的価値の差が激しい。 | |||
===青岸渡寺=== | |||
*[[和歌山/紀南#那智勝浦町の噂|那智勝浦町]] | |||
#那智の滝のところ。 | |||
#滝の上のところの注連縄の掛け替えは近畿地方の年末のニュース。 | |||
#熊野三山の一つだが、残り二つ本宮・新宮は神社。まぁ神仏混淆の時代のもんやからえぇか。 | |||
#西国三十三番札所の一番目。なお、二番札所は紀三井寺でその先は粉河寺、あとは京都奈良とかに多く、ここだけがえらい飛んでいる。 | |||
[[Category:寺院|きんき]] | |||
[[Category:近畿地方|しいん]] |
2014年1月26日 (日) 00:55時点における版
独立項目
滋賀
三井寺
- 正式には長等山園城寺というらしいが、三井寺の通称で知られている。
- 寺の裏手の展望台から見下ろす、寺越しの琵琶湖が美しい。
- 天台宗寺門派の総本山。ちょくちょく日本史の教科書に出てくるみたい。但し「園城寺」としか書かれていないので混乱する。
- 総本山名乗っているだけあって、文化財の数がえげつない。
- しかも、中世しょっちゅう山門派の比叡山の焼き討ちに遭ってこの数。ひえ~。
- 総本山名乗っているだけあって、文化財の数がえげつない。
石山寺
- 源氏物語の舞台。
- 紫式部が篭ったらしい。中宮定子の御付女中の仕事はサボったんですね
- 単に源氏物語中の「須磨」「明石」の着想を得ただけ、しかもこれすら裏付ける史料もなく信憑性が薄いのだが、いつの間にかここで執筆したという話になっている。
- 既に江戸時代には「紫式部の間」が作られ、等身大の人形まで置かれていた。話がどんどん膨らんで言ってるのは明らか。寺の言い伝えなるものは、実はかなり信用出来ないといういい例。
- 平安の女性たちに人気があり、藤原道綱母や菅原孝標娘など紫式部以外の文学作品とも縁がある。実際行くと確かに、瀬田川を望んだ風光明媚な景観は素晴らしく、人気があったのも頷ける。
- 紫式部が篭ったらしい。中宮定子の御付女中の仕事はサボったんですね
- 国宝指定の本堂は滋賀県最古の木造建築らしい。
- でっかい岩の上に建てられているのが素晴らしい。よくまあ落ちんもんやね。
- 源頼朝寄進の多宝塔は日本最古の多宝塔。
- 多宝塔内部には入れないが、その本尊の大日如来像を拝観することはできるらしい。因みに、この仏像は昭和の終わりまで誰の作品か分かってなかったが、文化庁の調査で快慶作と判明したらしい。
- 戦後に文化財指定をやり直した際でも、初年で国宝に指定されている。これだけ優美で美しい塔なら納得である。
- 鎌倉初期でもこれだけ美しいのなら、美に煩い平安貴族たちが作った平安の寺院建築は更に素晴らしかったであろう。つくづく応仁の乱などで焼けてしまったのが惜しまれる。
岩間寺
- 石山寺の奥の方にある山寺。毎月17日以外のお参りは結構しんどい。
- 正式には「岩間山正法寺」というらしいが、通称は岩間寺。
- 俳人を装った隠密が「カエルが池に飛び込んだ」というだけの事を17文字で実況した場所という話がある。
- 本堂真横の池がそれらしい。
- 御本尊(非公開)は深夜の肉体労働が大好きらしい。
- 毎晩衆生救済のため西へ東へ、汗びっしょりになるまで走り回っているらしい。
善水寺
- 湖南市
- 桓武天皇の病気を平癒したという水が未だに湧き続けている。
- 秋には檜皮葺の本堂と赤黄に染まる木々が美しくなる。
- 江州にある三山の中でもマイナーな湖南三山の一つ。
- 湖南三山の中で唯一入山料がタダ。他は500円ずつだったはず。
常楽寺
- 同じ湖南三山の善水寺に比べると紅葉の染まり具合は控えめな感じ。
- にも関わらず500円だよ、拝観料。
- 三重塔と本堂に風格がある。
- 本堂というと堂内にある寄木造りに風神雷神が入れられているが、これはアリなのだろうか?
長寿寺
- 湖南市石部町
- ここも湖南三山の一つ。因みに常楽寺から歩いてすぐ。
- 参道に置かれたお地蔵様が年季がこもっている感じ。
- 神仏習合の名残で白山神社が残されている。
長命寺
- すぐそこ琵琶湖なのに山寺らしい。
- 武内宿禰が死に損なった原因となる故事がある。
- それに感服を受けた聖徳太子が寺として整備してこれを以て開基とするらしい。
- ○○如来とか△△菩薩を祀らない結構珍しい寺。
- 代わりに十一面、千手、聖の三観音を祀っているのだが、このラインナップをまとめて一体の御本尊様にしてしまうという珍事を働いている。
観音正寺
- 山の上にある。行きづらい。
- 尾根伝いに行ったら、安土城へ行けそうな気がするんだが、多分どっかで阻まれるんだろうなあ……
- 聖徳太子が自分で千手観音を彫って堂塔を建てて祀ったのが始まりらしい。
- どうでもいいんだけど、聖徳太子はそこらじゅうで仏像彫ってるけど、いつ政治をやってたんだか…… いっそ仏師にでも転職したら良かったのに。
- 異説には人魚が建てたという話も残っているらしい。最近まで人魚のミイラもあったらしい。
- 信長が焼いちまう。
- 六角氏の観音寺城をぶっ壊した後、同じ山にあって六角と仲が良かったという理由で焼き払った。
- 1993年、焼かれる。
- おかげで、彦根城から移築した欅御殿が消失しちまった上に御本尊も、人魚のミイラも燃えちまった。
- 因みに、本尊は新しく白檀23tを使ったものをインドから取り寄せて祀られていて、(2013年末時点)ちょっとだけ木の香りがまだ残っている。
- おかげで、彦根城から移築した欅御殿が消失しちまった上に御本尊も、人魚のミイラも燃えちまった。
桑實寺
- 近江八幡市安土町
- 天智天皇の姫君が近江で流行中の疫病にかかった際、祈祷をすると湖から薬師如来が猛烈な勢いで飛んでいきたというのが始まりらしい。
- 藤原鎌足の長男が初代住職。
- 唐からのおみやげに持ってきた桑の実を植えたのが寺名の由来らしい。
- 室町幕府本店が移転してきたことがある。
- 山号が観音正寺と同じ繖山。
教林坊
- 近江八幡市安土町
- 石の素晴らしさを実感できる、そんな庭を持つ御寺。
- 小堀遠州が造園をやったらしいが、ホント感動の嵐。特に紅葉の時期などもう……
石塔寺
- 山名がおかしい。阿育王山というのだが、普通には読めん。
- 石塔寺の名に相応しい塔があるが、これはインドで造られたという説がある。
百済寺
- 東近江市
- ルイス・フロイスに「地上の天国」と言わしめたらしい。
- 流石にそれは言いすぎな気がするが、紅葉の時期の庭はたいそう美しいと評判。無論それ以外の時期も味があって非常に良いのは言うまでもない。
- 本尊の十一面観音は、聖徳太子がまだ根を張って葉を茂らせている杉の木を彫った物らしい。仏像のためとはいえ自然破壊なんじゃ……?
西明寺
- 湖東三山の一つ。他の2寺同様、紅葉の時期が一番美しいが、他の時期も宜しい。
- 信長に焼討されたが、本堂と三重塔は焼失を免れた。
金剛輪寺
- 紅葉のみならずあじさい、石楠花と飽きが来ない。
宝厳寺
- 宝厳寺唐門が有名。然し乍ら只今(2013年末)工事中につき……
- 秀吉のお気に入りだったらしく豊国廟から色々もらってきた。おかげで江戸幕府には……
- 都久夫須麻神社と仲が悪いのかしらんが、ホームページで相互リンクはどっちにも一つも乗っておらず…… ネット上のたったそんだけのことで以って判断するのはイカンとは思うが、邪推してしまう。
- 少なくとも「リンク集の項目に、近江高月の歴史博物館のURL載っけるくらいやったら」と思わんでもない。
- 神社も含めて「拝観無料!」のはずが……
- 船代だけならまだしも(それでも十分高いけど)、仮に鳥人間になって自作飛行機で島まで行っても入島料を払わねばならんという……
興聖寺
- いい感じの古い庭がある。
- 朽木氏の檀那寺にして曹洞宗の巨刹として栄えたらしいが、今や見る影もない。
大阪
太融寺
- なんとなく、大人向けな感じがする……
- 実は結構歴史あり。
三津寺
- 御堂筋に面した心斎橋の歴史ある寺。
- 庫裏は地上3階、地下1階建ての鉄筋コンクリート造で、外観を除けば味は1つもない。
- 本堂は第一回大阪府議会の議場となった。位牌堂の内装なんかは相当金が掛っているのが見て取れるが、江戸時代のものらしくいかほど行ったのかは分からんらしい。
四天王寺
- 日本初の官立寺院
- 現存する中では世界最古の企業が起こったのはここの造営事業の賜物。
- 数年前に一回倒産したけどね……
- どこかの傘下に入ったんじゃなかったっけ???
- 数年前に一回倒産したけどね……
- 施薬院や悲田院など、ビスマルクもびっくりの社会福祉事業団を展開していたらしい。
- 宝物館は宝物の宝庫。国宝がゴロゴロ転がっている。
- 五重塔とあべのハルカスが同時に写せる場所があるが、11時以降だと逆光で絶対にうまく写せない。
- 谷町筋側は三が日や祭りの時は必ずと言っていいほど混むが、裏側の上町筋側は基本的にガラガラだったりする。
- 自転車乗り入れが許されているみたい。いつ行っても誰かが絶対通り抜けている。
- 伽藍や庭園の外側は24時間365日常時無料開放されている。近隣住民は早朝のジョギングや通勤時の駅までの抜け道など、その辺の公園と同じような扱いで通りすぎて行く。
- 大阪の中心部であることを考えたら、いくらプチ高級住宅地や言うてもうるさいはずなのだが、ここは静か。
- 朝夕スピーカーから流れてくる寺の変な歌みたいな奴が一番やかましかったりする。
- ~ワッソ
- 韓国っぽいお祭り。(ですよね?見に行ったことはないもので)
- 百済だか朝鮮通信使だかその辺からのいわれらしいが、言い出したのが戦後だけに、どこまで事実なのか疑わしいと思う。
- 韓国っぽいお祭り。(ですよね?見に行ったことはないもので)
大念佛寺
- 平野のでっかい寺。寺内町を作っていた。
勝尾寺
- 東海自然歩道から行くとタダで入山できる。
- 秋口の紅葉が一番見ものな気がするが春先の桜もなかなか。
- 箕面の滝とともにどうぞ。
- 噴水とかあってあんまり古刹なイメージがない。入口の所の建物も。
成田山明王院
- 成田山の別院だが、交通安全祈願でも知られる。クルマに乗ったまま ご祈祷を受けるってのは あまりないかも。(←ドライブスルー?)
- 節分の豆撒きで毎年、BK制作の朝ドラの出演者が登場する。
- そろそろ、地元寝屋川出身の力士、豪栄道にも参加してほしい。
- 元々ここに、京阪が、野球場だったかテーマパークだか作ろうとして失敗したあとが、これになったんだっけ???
慈眼寺
- 通称野崎観音
- 飯盛山のすぐ下にある。本殿の裏からハイキングができる。
葛井寺
- 年末になると大根が振る舞われる。結構旨く炊いてある。
叡福寺
- 聖徳太子永眠中。
- 3つに分かれた竹がうんたらかんたら……
- の伝説の竹が今もあるんだっけ……
弘川寺
- 西行終焉の地。
- 枯山水と桜がナイス。
観心寺
- 仏堂みたいな塔がある。三重塔の一段目だけ造って、後は放置プレイらしい。
- 南朝所縁の寺院。楠木正成が馬に乗っている像がある。
- 楠木正成ってあの辺の山々を根城にして山岳ゲリラをやってたわけだから、馬に乗ってってのは無理なような気がする……
- 河内長野の山奥のサントー線沿いにあるんだが、こんな所に国宝が3点もある。ありえへん。
- 大阪府内にある木造建築で最古の建物があるらしい。
金剛寺
- 河内長野市
- 滝畑ダムから下って行って、旧外環にぶちあたった所にある寺。女人高野の一つらしい。
- 南朝北朝双方の行在所になった過去あり。楠木正成のお膝元にあるにも関わらず、北朝の行在所やっとんのかい!
- 金堂にある3つの仏像は運慶さん作。歴史あるのが分かる。
- 違う。快慶の高弟で、事実上の後継者・行快の作。近年、金剛寺をはじめ作品が次々と「発見」され、評価が上がりそうな仏師の一人。
- なお、そのうちの降三世明王は、奈良国立博物館の仏像館にしばらく出張中。
- 紅葉の名所。夕日に映える紅葉が美しい。
- 寺で酒を造っている。
- 天野酒と呼ばれるこの酒は豊臣秀吉も認めたというほどの味らしい。飲んだことはないので分からんが。
- 美術マニア的には、「日月山水図屏風」で有名。
- 今は重要文化財。いつ国宝になってもおかしくない逸品だが、制作時期など謎が多すぎて二の足を踏んでるのだろう。
- 5月5日と、11月3日のみ公開。まあ、注意してれば数年に一度は、展覧会に貸し出されているが。
願泉寺
- 寺内町・貝塚の中心となったお寺。
- 住職は代々卜半斎を名乗る。地元ではこのお寺を「ぼっかんさん」と呼び親しまれていた。
- 平島公方にも一応関係があるらしい。
- 本願寺が織田信長と講和して石山本願寺を撤退、紀伊に行った後にこの寺に来ている。
- そんときの住職・卜半斎了珍さんは根来寺の出身である。あれ?本願寺とこの願泉寺が浄土真宗、根来寺は新義真言宗…
- 卜半斎了珍さん、徳川家康とも仲が良かったらしい。大阪夏の陣の折、豊臣方が紀州浅野氏を攻めに行ったときには大阪方を接待し、大野某ら後続部隊を酔い潰して戦に遅延させるという働きを見せる。
- そんなことで徳川家からも信頼され、貝塚の自治を認められる(市全域じゃなくて当時の寺内町のあたりね、念のため)。
- 自治が認められたから町内には遊郭もあったそうで。
水間寺
- 貝塚市
- 泉南地方でもっとも有名なお寺、といって良いのではないだろうか。
- 名前の通り水の間(川の合流地点)にある。
- 五重塔が有名、というほどではないが、一応シンボル。
- 江戸時代は金貸しもやっていたらしい。ちっとも返しに来なかった若者が数十年後に馬にいっぱいの銭を積んで返しにやってきた、みたいな美談がある。
- ここに詣でるための電車が水間鉄道。水間駅はお寺っぽい感じの建物になっている。
七宝瀧寺
- 犬鳴山の山深いエリアにある。犬鳴山温泉と一緒にどうぞ。
- 役行者の修行の地。吉野大峰よりも6年ほど早い開山。
- まあ、大峰に比べたらラクやろからなあ。
- 渓谷の小滝と紅葉が美しい。そんな小滝で滝行やってる人が結構多い。
- また行場もある。こっちは相当険しい箇所もあり、生半可な覚悟できたらアカン。
- 義犬伝説というそこそこ泣ける話がある。犬鳴山の由来はそれ。
兵庫
能福寺
- 元日本三大大仏の一つ兵庫大仏が在った。
- 戦時下の金属供出のため御国の為にスクラップ化されたのだが、後に戦争が終わり平和になると三大大仏の最後の一枠は何処がもらうかでモメるという新たな戦いの端緒となる羽目になったというのは誠に皮肉な話。
須磨寺
- 三重塔、源平の庭、敦盛の首塚など見どころ多数。
- Wikipediaでは「B級スポットとして紹介されることが多い」と書かれている。失礼にも程があるとは思わんのかね。
忉利天上寺
- 摩耶山山上にあった。
- 色々文化財を持っていたようだが、賽銭ドロに放火されて文化財焼失。
中山寺
- 安産祈願のため妊婦さんが訪れることに配慮し、ほかの寺社なら階段のみの場所にエスカレーターが設置されている。
- 節分の豆まきは、ヅカガール
- ヅカファン御用達の神社の一つ。JR乗ったら「村」から一駅という近さもあって、ファンはよく来る。
- 「いつの時代も変わること無い」らしい。
- 日本最古の観音霊場らしい。創建が聖徳太子の時代なので嘘偽りはなかろうが、ドラえもんでもいない限り確認もできないだろう……
清荒神清澄寺
- 宝塚市
- 地元民は「清澄寺」をわざわざ付けて言われるとほんの僅かだか何のことか迷う。
- まだ、清澄寺とだけ言うてもらったほうが楽という感じ。
- 元大阪市助役の大平光代さんの更生の地。因みに彼女は西宮出身らしいが、他の寺は受け入れ拒否したんやろね。
- こういうことをさせてくれる御寺って未だにあったんだなと思う。
- これだけの御寺だが入山料は取っていない。代わりに中の美術館が入館料を取っているが、手を合わせるだけの目的の人間にはものすごく有難い事だと思う。
- しかもその入館料すら、市の中央図書館内にある文庫の美術書購入資金として、全額寄付している。太っ腹すぎ。
- 美術館は、幕末明治の南画家・富岡鉄斎の個人美術館。鉄斎は多作で、あちこちの美術館などが所蔵しているが、ここが一番所蔵数が多い。
- 真言宗の御寺だが神をも祀っている。なので「清荒神」とつくらしい。
神呪寺
- 見るからに名前が恐い…… 名前だけで見たらちょっとアカン事しただけで呪われそうな……
- そんな所であっても地元の子供はちょくちょくかくれんぼをしに行く。
- 枝垂れ桜と日の出が美しい。
- 「夜中に懐中電灯も持たんと老人が……」とか言う話が、よくブログとかオカ板に載っとうけど、アレ、十中八九、日の出見に行った後ラジオ体操やったりしてはる地元のおじいちゃんおばあちゃんやから……
- どうでもええっちゃ、どうでもええけど、ココよりも鷲林寺の方がそれっぽい噂は多いからな。
鷲林寺
- 西宮市
- 神呪寺よりも山の中へ入ってきました的な寺。ココも神呪寺同様真言宗のお寺。
- 神呪寺がその名前から心霊スポット認定されているのは一部で知られているが、こっちの方が雰囲気はよりそれっぽい。
- おかげで、そういうのが好きな人達の中で集団で来る人間が時々荒らしに来るため、住職が迷惑しているらしい。
- どうでもええっちゃ、どうでもええけど、ココよりさらに奥の五ヶ池がマジコワであってここは雰囲気だけでっせ。
高源寺
- 開山後たった一年で帝に認められた御寺らしい。
- 今となっては知名度0ですが何か?
- 本当に知名度がない。けれども紅葉の時期のこの御寺は物凄く美しい。友人が撮ってきた写真でしか見たこと無いけど……
- なんでも、開基なさったお坊さんが遠路はるばる中国からお持ち帰りになられたとか。
圓満寺
- 土山あたりにある五重塔のある寺。
- JRの神戸線からも見えるのだが、鶴林寺でもないし、なんという寺なのだろうと前々から気になっているんだが、どういう謂れがあるのだろう。
- 念の為に言っとくがwikipediaにも載っていない。
- 五重塔の名前は播磨五重塔というらしいが、エレベーター、非常階段付きの曲者。
- 胡散臭いなあ、と思わなくもないが、実は消防法の影響もあるらしい。こんなもんにまで、そういうの付けるなよ!
鶴林寺
- 加古川の古刹。
- 伽藍が現在でも16棟も残っているが、鎌倉後期には30棟ほどあったらしい。
- 一部では、西の法隆寺とも呼ばれているとか。
- 聖徳太子が建立したとされるのでそう言われているが、聖徳太子からしたら、大した寺ではなかったようで、聖徳太子建立七大寺の認定を受けてはいない。
- 西の法隆寺と言いつつ、聖徳宗の寺ではなく天台宗の寺だったりする。にしても、書写山と言い、ここといい播磨は天台系が強いね。
- 2002年、古い国宝ものの絵画が盗まれた。
- それが、外国で見つかったそうだが、対馬の石仏同様、盗まれたままだったりする。
教信寺
- 加古川市
- これも加古川の古刹。但し、ぶっちゃけ無名。
- 鶴林寺ほどではないけど、結構古い御寺で御薬師さんを祀っている天台宗寺院。
- 立場的には圓教寺の子分なのだそうだが、圓教寺よりも歴史が古い。
播州清水寺
- 「どこにあんねん」と言いたくなるような山の中。
光明寺
- インドから雲にのってやって来た仙人が開基。色々と変わった手品師らしい。
- 布施を受け取る際に、自分は動かず鉢を飛ばしてそこに入れさせたとかなんとか。おかげで空鉢仙人という仇名があったそうだが、それ以前に頂物をするのにそれって無礼千万な気がする……
- 真言宗の御寺だが元天台座主の円仁が山内にて居住した経験あり。
浄土寺
- 運慶作の阿弥陀三尊像が光り輝いている。
- 運慶ではなく、快慶の作。運慶は奈良や京都、鎌倉にいる権門相手の造仏に忙しく、地方までとても手が回らなかった。そのため、快慶などの流派傍系の仏師に担当が回ってくる。
- しかし、その御蔭で快慶の作品は比較的よく残っている反面、運慶の作品の多くは戦災などで失われていった。後の長谷川等伯っと狩野永徳でも同じようなことが起こっており、歴史の皮肉と言える。
- 早い時期の作品だが、おそらく快慶の最高傑作。快慶には珍しい大作であり、夕日の光を取り込んで阿弥陀如来来迎を劇的に演出する。まさに阿弥陀仏を熱心に信仰し、己の外に仏を見ることが出来た快慶の資質が、遺憾なく発揮された名品。
- 運慶ではなく、快慶の作。運慶は奈良や京都、鎌倉にいる権門相手の造仏に忙しく、地方までとても手が回らなかった。そのため、快慶などの流派傍系の仏師に担当が回ってくる。
- 浄土堂は国宝。それ以外に多数の文化財がある。
一乗寺
- インドから来た仙人が開基。宗派は違えどここは上の光明寺と同じ。
- 山号は法華山。でも法華教の寺ではなく天台宗の寺である。
- 天台宗の高僧の像が数多く安置されている。平安時代から守られている大事な文化財である。
- 三重塔は平安時代の物。
随願寺
- 山号を増位山という。
- これ以上は、言わんでも分かるでしょ。そういうことです。
- 聖徳太子さんが建立なさったそうな。
- ここも僧坊が30を数えるなどデカかったらしい。すぐ横、広峰さんでっせ。
- サルも寄進をすれば、タヌキの子分四天王の1人も寄進するという有様。
- それだけ、重要な寺だったのに、書写山に有名どころの地位を持ってかれて(涙目)。
圓教寺
- すなわち、侍終焉の地。
- 姫路の北の方にある。
- ロープウェイと登山道があり、どちらかを選んでいくといい。
- 登山道は、複数通じているのだが、1本を除いて、無人料金所となっている。でも、誰も入れている気配はないし、回収に来ている気配もない。
- ロープウェイと登山道があり、どちらかを選んでいくといい。
- 天台宗の陰陽本店。
- ずっと昔は、確かに、ここいらは山陽地方だったのでそうなるんやろなあ。
八葉寺
- 姫路市
- 日本史で出てくる難読人名の一つ慶滋保胤が坊さんとして入っていた寺の一つ。
- だからといって取り立てて有名なものではない。
- 『ごちそうさん』のロケ地。
- ウィキペディアにこの寺の項目があるが、初版が書かれたのはこの寺で撮られたシーンが放映された日のことである。
花岳寺
- 赤穂藩主浅野内匠頭の家系の菩提寺。
- 偶然の一致だが、吉良上野介の家系の菩提寺も花岳寺というらしい…… これは因縁やろなあ。
- 大石内蔵助も眠っている。
- 碑文を書いたのは大石主税らしい。この二人は家族ではないらしい。ところで、赤穂四十七士って、後1人ほど、大石さんって居なかったっけ? 大石多いし、なんちって。
- 大石信清だったかな?確かいたと思う。
- 碑文を書いたのは大石主税らしい。この二人は家族ではないらしい。ところで、赤穂四十七士って、後1人ほど、大石さんって居なかったっけ? 大石多いし、なんちって。
和歌山
紀三井寺
- 正式名称は「金剛宝寺護国院」というらしい。
- 金剛宝寺までは知っている人もある程度は居るが護国院が付くことを知っている人となると一気に減る。
- 門前の土産物屋では、みかんが山ほど売ってある。もちろん紀州産。
- せやけど高い。近くのオークワや松源で買うたら、アレの半額よりも安い。
- 因みに、もうちょっと田舎の方へ行けば、無人販売所やふれあい販売所などでもっと安値で売ってはる。
- せやけど高い。近くのオークワや松源で買うたら、アレの半額よりも安い。
- 名草地区の人間は、一回200円払っておけば、その日から1年間有効のフリーパスがもらえる。
- 和歌山市民でもみんなが貰えるわけではないのがミソ。
- 実は裏の名草山からただで入れるルートが嘗てはあった。今は通る人が減ったため荒れてしまい、道がトレースできない。
- 紀三井寺の由来は三井寺だと思われている事があるが、本当は3つの井戸があったことにちなむらしい。
- そのうちの1つ、清浄水の水質の良さは、昭和天皇陛下の耳にまで及び、陛下が和歌浦へ滞在なさった折にその水を調理などに供させられたとか。
- 多宝塔は本堂より人気がある。
- 紀三井寺というとこの塔と桜をイメージする人が多い。でも実際、これが境内で一番古い建物なので参拝者の目は間違ってない。
根来寺
- 大塔で有名。
- 室町時代の創建のもので、結構でかい多宝塔。40m位あるんだっけ?
- 実は真言密教の教義を表しているとかなんとか。
- 雑賀と並んで比較的早く鉄砲を武器にした紀州の寺。
- 歴史通にはこういうイメージのほうが強そう。
- 種子島へ渡った鉄砲をこのお寺の津田監物さんがすぐ譲り受けている。雑賀、堺へはこの寺を経由して伝播した。津田監物さんが種子島氏と交流があったことが結構重要。
- 戦国時代は70万石・僧兵3万の威勢をふるった。
- 雑賀衆とならんで超優秀な鉄砲衆を抱え、傭兵として働いた。
- 雑賀衆と共に本願寺側についたこともあれば、織田信長側についたこともあった。まぁ雑賀衆だって一部は本願寺側、一部は織田方ってこともあるし。
- 矢を一本作るとお経を1回唱えるだけの御利益が、みたいなことを言ってたらしい。おいこら。
- あれ?紀州徳川藩も55万石ですけど、それ以上?
- 雑賀衆とならんで超優秀な鉄砲衆を抱え、傭兵として働いた。
- 豊臣秀吉に攻められて数多あった伽藍も炎上。その炎は夜空を焦がし、山を越えた和泉国からも赤々と見えたと。
- その前年の小牧長久手の戦いの際に徳川家康に味方し、秀吉留守の隙に大坂城を攻めようとしていたからなぁ。手前の岸和田城で撃退されたけど。
- 秀吉の侵攻軍に対し、雑賀衆とともに泉州貝塚に防衛戦を築き、秀吉の馬印を狙撃するくらいのもんだったが、たまたま豊臣方が放った火矢が火薬庫に引火・大爆発で城(砦)が一つ落城してからはあっけなく壊滅。
- どっかの建物にそのときの鉄砲玉の跡があるらしい。
- 根来寺の近所に僧兵鍋とかいう料理を出す店がちらほら。観光客向けに創ったっぽい。中身はイノシシとかなんとか。坊主が肉食ですか?ってその前に僧兵は合戦で人殺ししてるか。
- 新義真言宗の総本山。初代の覚鑁(かくばん)上人は高野山とケンカ別れしたのか?
- 高野山衆徒に暗殺されそうになって、根来寺まで逃れる。なお、衆徒はここまで追い掛けて来て乱暴狼藉を繰り返した模様。何がこれだけ彼らを駆り立てるのだろう。
- 覚鑁が仏様に記した告発文によると、窃盗や殺人まで横行してたようだ。どんな社会状況だよ。
- これでも高野山は田舎な分まだマシな方で、都に近い比叡山は更に酷かったらしい。どんだけ~。
粉河寺
- 縁起絵巻で有名。
- でも、あの絵巻物は今は京都国立博物館かどっかに置かれてるんですよね。
- 大門と庭園で有名。因みに庭園は2つあるが石庭の方が有名なやつなので要注意。
- 本堂のサイズは西国三十三ヶ所の寺院の中で最大サイズらしい。
- お寺の前は小規模ながら門前町になっている。まぁ、粉河の町がこのお寺でできたようなもんなんだろうな(多少は大和街道沿いってのもあるでしょうけど)。
慈尊院
- 世界遺産高野山の子分というか門番というか……
- 空海の母親の家にして、女人高野みたいな存在。女性の場合ここへ参れば高野山へ来たものとして扱われたらしい。
- 木造弥勒菩薩坐像が実は国宝らしい。えっ、世界遺産なんだし、国宝とか重文とかはこの際どうでもいいって?
- 女人高野だけあって、お乳の出が良くなるように乳房型が奉納されている。
高野山
- 言わずと知れた真言宗の総本山。
- 総本山は金剛峯寺。なので節の名前も金剛峯寺にした方がいいのかも知れない。高野山のほうがよほど通りがいいけど。
- 空海さんが中国から仏具を投げたらここの松の枝に落ちてたからここにお寺を建てたんだと。
- 大名家の墓も多い。武田信玄や上杉謙信、織田信長に明智光秀など。生前のライバル達も同じ高野山の霊地に。
- 企業の墓地も多い。企業の業態に合わせた独特な形の墓石も。
- 大名のお墓は元々あったと思われる杉林のなかの奥の院への参道沿いにあるが、企業の墓はそれより東側の開けたところが多い。
- 幾つかの僧坊は一般でも宿泊可。
道成寺
- 歌舞伎の京鹿子娘道成寺でお馴染みの道成寺。
- 上記日高町のページには「ヤンデレストーカー蛇女」と書かれてた。なるほど。
- 男には同情する、どうしようもなかっただろうけど。
- 上記日高町のページには「ヤンデレストーカー蛇女」と書かれてた。なるほど。
- 本堂は1300年代の建物。でもそれ以外は1700年以降の物。歴史的価値の差が激しい。
青岸渡寺
- 那智の滝のところ。
- 滝の上のところの注連縄の掛け替えは近畿地方の年末のニュース。
- 熊野三山の一つだが、残り二つ本宮・新宮は神社。まぁ神仏混淆の時代のもんやからえぇか。
- 西国三十三番札所の一番目。なお、二番札所は紀三井寺でその先は粉河寺、あとは京都奈良とかに多く、ここだけがえらい飛んでいる。