もしあの歌が大ヒットしていたら/あ・か行

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あ行

愛ってナンダホー(大島麻衣)

  1. 大島麻衣は過去のアイドル扱いされることはなかった。
    • 「足を見るオジサンはチカン」発言の余波でファンが離れたと見なされることはなかった。
  2. 大島麻衣はその後も歌手活動を積極的に続けていた。

アイドルはウーニャニャの件(ニャーKB with ツチノコパンダ)

  1. 「48グループのCDは握手券がつかないと売れない」と言われることはなかった。
  2. 『妖怪ウォッチ』では7月の新展開まで本楽曲がエンディングテーマ曲として使用されていた。
    • Dream5が『妖怪ウォッチ』の主題歌に復帰することはなかった。
      • 『ようかい体操第二』も存在しない。
  3. アニメ『妖怪ウォッチ』本編でもニャーKBにスポットが当たるエピソードがあった。
  4. センターの島崎遥香の人気が上がり、AKB48の新しいエースになっていた。
  5. ツチノコパンダの知名度が上がり、『妖怪ウォッチ』の新しい看板キャラクターになっていた。
  6. エンディングの映像が当初からダンスシーンの多いものであったら、本項のようになっていたかも。
    • 当初のエンディングの映像はダンスシーンが少なく、「振付がよくわからない」という苦情が出ていたため。

I テンプレート:ハート ×××(大塚愛)

  1. 大塚愛は過去のアーティスト扱いされることはなかった。
    • 復帰後にリリースした「Re:NAME」の売り上げはもっとましなものになっていた。
  2. 卒業式の定番ソングになっていた。
  3. 「さくらんぼ」と並ぶ彼女の代表曲になっていた。

青い花火(浜田朱里)

  1. 浜田朱里はアイドル歌手としても成功した。
  2. 浜田朱里がヌードを晒すこともなかっただろう。

青山Killer物語(ラ・ムー)

  1. 菊池桃子は1990年代以後も積極的に歌手活動を行っていた。

雨の権之助坂(ビートきよし)

  1. ビートきよしは演歌歌手兼子二郎に転向し、ビートたけしを気にする生活は送らなかったかもしれない。
  2. 山形県では大泉逸郎と双璧を並べる芸能人扱いされたかもしれない。
  3. 目黒が「南の巣鴨」と呼ばれたかも。

イエローマン 〜星の王子様〜(サザンオールスターズ)

  1. サザンは保守的な路線に転向することはなかった。
  2. 大森隆志はサザンを脱退することはなかった。
  3. バカっぷりを叩かれることなく、評価が上がっていた。
  4. B'zを揶揄して大コケしたと見なされることはなかった。

インファントの娘(ザ・ピーナッツ)

映画『モスラ』公開時に正式の主題歌としてシングル発売された。

  1. 逆に「モスラの歌」の知名度は低くなっていた。

X海峡Y景色(J☆Dee'z)

  1. シングルCDがリリースされていた(史実では発売未定)。
    • 2014年7月23日に発売されました。
  2. J☆Dee'zの知名度は現実以上に高くなっていた。
  3. ポケモンアニメにおける音楽担当の変更は成功したと見なされていた。

男華(段田男)

  1. 段田男は引退することはなかった。

乙女の祈り(真野恵里菜)

  1. 真野恵里菜は名実ともにポスト松浦亜弥になっていた。
  2. 逆に道重さゆみや嗣永桃子はブレイクしなかったもしれない。
  3. ハロプロがAKBに史実ほどの差をつけられることはなかったかも。

思い出せない花(フレンチ・キス)

  1. フレンチ・キスは完全復活を遂げていた。
  2. AKB48の派生ユニットは過去のものになることはなかった。

か行

かたつむり(おぐまなみ)

AKB48の奥真奈美(現在は卒業)がおぐまなみ名義で『おじゃる丸』のエンディングテーマとして使われた曲だが、売り上げは伸び悩んだ。

  1. 奥真奈美は年少メンバーとしてもっと良い扱いを受けていた。
    • 場合によっては選抜復帰も考えられた(史実では『BINGO!』のみ)。
    • 高校進学を機に卒業することもなかっただろう。
  2. 『MUSIC JAPAN』でこの曲が歌われていた。
  3. 『おじゃる丸』のシンボルソングは、『詠人』や『プリン賛歌』ではなく本楽曲になっていた。

悲しきノンフィクション(Something ELse)

Something ELseのデビューシングル。

  1. 当然ながら『雷波少年』に出演することなどありえなかった。

悲しみのアイドル(大地真央)

  1. 宝塚歌劇団は現実よりメディア進出に積極的になっていた。
  2. 場合によっては史実より早く宝塚を退団して歌手として活動していたかもしれない。
    • その場合は宝塚の衰退が史実より早く進んでおり、黒木瞳は有名になれなかった。
    • 真矢みきは宝塚に入団しなかったかもしれない。
  3. 退団した後はサンミュージックに所属していた。

カラスの女房(中澤ゆうこ)

  1. 和田薫は丸坊主になることはなかった。
  2. 中澤裕子は演歌歌手としてブレイクし、路線変更をすることはなかった。

カンニングのヘイ・ユウ・ブルース(カンニング)

  1. カンニング自身がCDが売れなかったことをネタにすることはなかった。

ギターをひいてよ(あゆ朱美)

あゆ朱美(後の戸田恵子)のデビューシングル。

  1. 戸田恵子はアイドル演歌歌手・あゆ朱美として有名になっていた。
  2. 後に彼女が女優・声優デビューしても、その経緯は現実とは全く異なっていた可能性がある。
    • 女優・声優活動する際の芸名も「あゆ朱美」になっていたかもしれない。

君にささげる僕の歌(水木一郎)

水木一郎のデビューシングル。

  1. 水木一郎が、後にアニメソング歌手に転向することはなかっただろう。
    • アニメソングがメインにはならないにしても、アニメソングを何曲か録音していた可能性はある。

Can't Stop My Heart(McKee)

同日発売されたポケットビスケッツ「Rapturous Blue」とのオリコン初登場順位対決で勝利していたら?

  1. 『ウリナリ!!』の歌手プロジェクトはMcKee中心の展開となり、ポケットビスケッツは企画消滅していたかも。

Can't Stop!! -LOVING-(SMAP)

  • SMAPのデビュー曲です。
  1. 音楽番組などで史実の『SHAKE』と同じくらい使われていた。
  2. 光GENJIの解散が早まったかも?
    • 解散時期に限らず、「リラの咲くころバルセロナへ」や「勇気100%」あたりをSMAPが歌っていた可能性がある。
  3. 「SAY YES」のオリコン連続1位を「7」で止めていた。

クリスマス・イブ(山下達郎)

JR東海のCMによるヒットではなく、シングル発売(1983年)時点でヒットしていたらとして

  1. JR東海のCMが流れるより以前に季節限定発売ではなくシングルの通年販売がされていた。
    • 仮に季節限定発売のままだったとしてもオリジナルからの再リリースの期間が史実より短くなっていた。
  2. 「クリスマスキャロルの頃には」や「サイレント・イブ」などのクリスマスソングは史実より早く発売されていたかもしれない。
  3. 1983年時点で既に山下達郎のイメージが「夏」から「冬」に切り替わっていた。

軽蔑していた愛情(AKB48)

  1. AKB48はその後も社会派ソングをリリースし続けていた。
    • AKB48は社会派アイドルとして売り出していた。
      • 「マジすか学園」もなかっただろう。
      • 「ハステとワステ」のようなコミックソングもあり得ない。
  2. いじめ自殺事件と共に注目されていた。

恋人は君ひとり(山岡英二)

ヤンマーのCMのアイドル路線の曲でデビューするも売れず、後に吉幾三と改名して現在の地位に。

  1. 現実の新御三家(野口五郎・西城秀樹・郷ひろみ)に山岡英二を加えた「新四天王」が70年代前半の男性アイドルの代表的な存在になっていた。
  2. ヤンマーのCMには今でも出演している。
    • セレッソ大阪(ヤンマーが前身)のオフィシャルサポーターになり、応援歌をレコーディングしていた。
  3. 訛りを隠して無口なイメージで売っていた。
    • あるいは、訛りを活かして「8時だョ!全員集合」などのお笑い番組でも活躍した。
      • 「企画モノ」的に演歌やコミックソングのレコードを出し、その際には吉幾三と名乗ったかも。
  4. デビューから数年後にはポップス系のシンガーソングライターに転向した。

5年目の破局(ヒロシ&キーボー)

  1. ヒロシ&キーボーは「3年目の浮気」の一発屋で終わることはなかった。
  2. 解散に追い込まれることもなかった。

今夜かしら明日かしら(テレサ・テン)

テレサ・テンの日本デビューシングル。

  1. テレサ・テンは本作以後も日本ではアイドル路線で売り出され、演歌路線に転換することはなかった。

君の瞳は百万ボルト(堀内孝雄)

現実に「君の瞳は10000ボルト」としてヒットしたのが、誤って認識した人が少なくなかった。

  1. 堀内孝雄が、アリス活動休止前にソロのヒット曲がないと言われることがなかった。

さ行

ジェット・マシーン(フィンガー5)

渡米により活動を休止していたフィンガー5の復帰第一弾シングル。

  1. フィンガー5はその後も人気を維持していた。
    • 具志堅実(1975年、マネージャーに専念した玉元一夫に代わって加入)が15歳になった1982年に紅白歌合戦初出場を果たした。
      • 史実で人気絶頂の頃は、メンバーの年齢の関係で夜9時開始だった紅白歌合戦に出場できなかった。
      • 玉元晃が15歳になった1976年に、晃のソロor晃と兄たちのユニットで初出場し、その後も81年まではソロやユニットでの出場という形だったかも。
  2. フィンガー5といえばお子様ソングの印象が強いままで終わることはなかった。
  3. フィンガー5は史実以上に長く活動していた。
  4. フィンガー5の路線変更は成功したと見なされていた。
  5. その後もいろんなアーティストによってカバーされていたかもしれない。

少年よ 嘘をつけ!(渡り廊下走り隊7)

「少年よ 嘘をつけ!」は同時発売となったNot yet「西瓜BABY」に売り上げで大きく水を開けられ、前作「希望山脈」の売り上げより大きく落とし、大コケしました。もし、「少年よ 嘘をつけ!」が大ヒットしていたら?

  1. 「クレヨンしんちゃん」の主題歌は引き続き渡り廊下が担当していた。
  2. 浦野一美は渡り廊下での評価が上がっていた。
    • SDN48の印象が強いままで終わることはなかった。
      • 渡り廊下のメンバーとしては無理があると見なされることはなかった。
    • 過去のアイドル扱いされることはなかった。
    • 第5回選抜総選挙の圏内にもランクインしていただろう。
    • 渡り廊下のメンバー間格差を象徴することもなかった。
  3. 渡り廊下が活動休止状態になることなく、年に2~3回はシングルをリリースしていた。
    • 渡辺麻友名義のシングルは渡り廊下のシングルとしてリリースしていた。
    • 2013年11月に解散を発表することもなかっただろう。
  4. 渡り廊下の男子目線の曲は売れないというジンクスはなかった。
  5. 第4回選抜総選挙では渡辺麻友が1位になっていた。
    • 大島優子が1位に返り咲くことはなかった。
    • 指原莉乃も総選挙で順位を飛躍的に上昇することはなかった。
  6. 多田愛佳はHKT移籍でなく、兼任メンバーになっていた。
  7. 仲川遥香は他の海外移籍組とともに兼任メンバーとしてAKBに復帰していた。
  8. 多田・仲川は大コケしたことで左遷させられたと見なされることはなかった。
    • メンバーの仲が悪くなったデマもなかった。
  9. AKB48の派生ユニットの全盛期が続いていた。

白い街(石原裕次郎)

  1. 「名古屋をテーマにしたご当地ソングは大ヒットしない」というジンクスはこの時点で覆されていた。

新宿駅から(松山まさる)

この曲でデビューするも売れず、何度かの改名の後「五木ひろし」としてブレイクしましたが、この曲がヒットしていたら…

  1. 芸名は今でも松山まさる
  2. 青春歌謡の歌手と見られていた
  3. 青春歌謡が下火になった辺りで人気が低迷したかも。
    • その後不遇の時期があったものの、理解ある作詞家や作曲家に見出されて再ブレイク…という、現実と似たようなことになっていたかも。
      • その場合でも改名はしていない
  4. ブレイクするきっかけになった番組「全日本歌謡選手権」の現在の知名度は現実よりやや低い

新盛り場ブルース(里見洋と一番星)

「幻の名盤解放歌集」発売時ではなく、1971年のオリジナル盤発売当時に史実以上に売れていたら?

  1. ショッキング演歌がブームになっていた。
    • 彼らの歌唱法を模倣する歌手も出現していた。
  2. グループ自体も史実より長く活動していた。

すてきなエルザ(ザ・ライオンズ)

  1. 東芝が大損することはなかった。
  2. ザ・タイガースの人気を奪っていた。
  3. 巨大な蝶ネクタイがブームに…ということはさすがにない。
    • 熱烈なファンが、コンサートへ行くときに巨大な蝶ネクタイをつけることはあったかも。

素直なままで(IZAM with ASTRAL LOVE)

『素直なままで』は発売当時の歌手のネームバリューやタイアップとなったドラマ『ショムニ』の高視聴率とは裏腹に、オリコンではトップ10入りを逃した。もし、ドラマの視聴率に比肩するほどシングル売上が好調だったら?

  1. ドラマ『ショムニ』の曲といえば、SURFACEの「それじゃあバイバイ」ではなく本楽曲のイメージが強かった。
  2. IZAMの人気はドラマタイアップで復活したとみなされていた。

Splendid Love(Lip's)

  1. Lip"s が、90年代を代表するアイドルグループになって、「静岡だけ、すごく知名度の高いアイドル」や、ribbon の亜流扱いされることがなかった。
  2. Lip's が、スーパーモンキーズより先んじてダンスアイドルグループとして知名度を上げた。
  3. 吉村夏枝がan・anでヌードを晒すこともなく、数少ない「島根県石見地方が生んだアイドル」になっていた。
  4. 仮に、加藤貴子が今のように女優として成功しても、芸能界で永作博美並みのポジションを得ただろう。

それでも好きだよ(指原莉乃)

『それでも好きだよ』は同時発売となった乃木坂46『おいでシャンプー』に売り上げで大きく水を開けられ、大コケした。もし、『それでも好きだよ』が大ヒットしていたら?

  1. 乃木坂46は『ぐるぐるカーテン』の一発屋で終わっていた。
    • 場合によってはAKB48公式ライバルユニットは失敗したと見なされていた。
  2. 第4回選抜総選挙では指原莉乃が1位になっていた(史実では第5回で1位)。
  3. 場合によってはHKTに移籍することもなかった。
  4. 『意気地なしマスカレード』は指原莉乃withアンリレ(入山杏奈・川栄李奈・加藤玲奈)名義でリリースすることはなかった。

たな行

時計をとめて(わらべ)

  1. わらべは解散に追い込まれることもなかった。
  2. 欽ちゃんファミリーの全盛期が続いていた。
  3. ニャンニャン事件の余波で大コケしたとみなされることはなかった。

としごろ(山口百恵)

  • 山口百恵のデビュー曲。
  1. 出演していた映画「としごろ」もヒットしていた。
  2. 山口百恵は清純派路線で売り出されていた。
    • 「青い果実」「ひと夏の経験」などはなかった可能性がある。

Toi et moi(安室奈美恵)

  1. 小室ブームが続いていた。
    • 安室奈美恵が小室哲哉と決別することはなかった。
      • あったとしても遅れていた。
  2. 1999年度のNHK紅白歌合戦で、この曲が歌われていた。
    • ピカチュウは安室奈美恵の応援担当ゲストだった。
  3. これ以降、ポケモン関係の楽曲はavexが管理。
    • ポケモンアニメの主題歌もavex所属のアーティストによるタイアップとなっていた。
    • ももクロやエビ中ではなく、IDOL☆STREET系のアイドルが主題歌を歌っていた。
    • 史実とは逆にソニーミュージックが妖怪ウォッチのアニメ主題歌を管理していた。
  4. 2000年以降、「安室の時代は終わった」と言われることもない。
    • 翌年にリリースした九州沖縄サミットのテーマ曲「NEVER END」は自身最大のヒット曲「Can you Cerebrate?」のセールス記録を越えていた。
    • 2000年前半~半ばのavexは安室と浜崎あゆみで人気を二分していた。
  5. 日本のポピュラー音楽の世界でToi et moi(トワ・エ・モア/トワ・エ・モワ)といえば「誰もいない海」や「虹と雪のバラード」を歌った歌謡ポップデュオではなく本楽曲というイメージが強くなっていた。

ナウ ロマンティック(KOJI1200)

  1. 今田耕司は歌手としての評価が上がっていた。
  2. 『IQサプリ』で大コケしたことをネタにされることもなかった。

名古屋はええよ!やっとかめ(つボイノリオ)

近年におけるインターネットでのブームではなく、発表後(1985年)からご当地ソングとして定着するほど大ヒットしていたら

  1. 名古屋の知名度は史実よりさらに向上していた。
  2. 「名古屋に来たらカラオケ店で絶対に歌う歌」として史実よりさらに注目されていた。
  3. それぞれの時代に合わせたバージョンが発売されていた。
    • 例えば「瑞穂グラウンドが国立競技場に、小牧が国際空港に」は「TV塔がスカイツリーに、セントレアが国際空港に」に変わっていた。
    • 「愛・地球博」開催がされた2005年頃にリメイクして発売されていたり、あるいはSKE48がカバーして歌っていたとかあったかも知れない。
  4. 「名古屋をテーマにしたご当地ソングは大ヒットしない」というジンクスが崩れていた。
  5. 東日本大震災でアカんくなった東京の未来を預言した唄として、全国に再注目された。

なめこのうた(福原遥)

インターネット上でのブームだけでなく、CDの売上や音楽配信で史実以上の数字を記録していたら

  1. なめこブームが続いていた。
    • アニメはDVDではなく、TVシリーズだった。
  2. 福原遥の歌手活動がさらに活発になっていた。
    • ジュニアアイドルとして大ブレイクしていたかもしれない。
      • 2013年のNHK紅白歌合戦に、福原遥が出場していただろう。
  3. 「なめこのCD」に収録されている楽曲が次々とシングル化されていた。

は行

Bye-Bye(ブラックビスケッツ)

『ウリナリ!!』で指定された売上枚数のノルマを達成していたとしたら?

  1. 南々見(南原)とケディがブラックビスケッツから脱退することはなかった。
    • ブラックビスケッツはもう少し長く活動を続けていた。
  2. 『ウリナリ!!』自体の勢いも史実ほど低下しなかったかもしれない。
  3. 2ndシングルの「Timing」のようにミリオンヒットを達成していた。
  4. その後に発売されたポケットビスケッツの「Days/My Diamond」も触発され大ヒットしていた。
    • そして年末には再びポケビ&ブラビでの紅白出演を果たしていた。

博多みれん(野口五郎)

演歌でデビューしたものの、この曲が売れなかったのでアイドルに転向しましたが、もし大ヒットしていたら…

  1. 五木ひろしのライバルとみられていた。
  2. 「新御三家」は郷ひろみ・西城秀樹と、もう1人は伊丹幸雄、本郷直樹、あおい健(現・田中健)等のうちの誰かになっていた。
  3. 芸名の由来になった野口五郎岳をテーマにした曲を歌った。
  4. バラエティで活躍したり、ギターの腕前を披露したりするのは現実と同様。
    • 座長公演で力を発揮していただろう。
    • 木村好夫(演歌ギターの大御所)の後継者のような存在になっていたかも。

BE HAPPY 恋のやじろべえ(タンポポ)

  1. タンポポのメンバーチェンジは成功したとみなされていた。
    • 活動休止状態になることもなく、その後の新曲はシングルとして発売し続けていた。
  2. 柴田あゆみの知名度が上がっていた。

Be mine 〜君が好きだよ〜(May J.)

「Garden」並みの大ヒットになっていたら?

  1. 「May J.はカバー曲しかヒットさせられない歌手」という風潮はこの時点で消えていた。
  2. この曲が収録されたアルバム『for you』も史実以上に大ヒットしていた。

VICTORY(EXILE)

2010年のFIFAワールドカップ日本代表応援ソング。

  1. この年のFIFAワールドカップといえば、Superfly「タマシイレボリューション」ではなく本楽曲のイメージが強かった。
  2. この曲が収録されたシングル「FANTASY」も史実以上に大ヒットしていた。

ふるさと(モーニング娘。)

  1. モー娘のバラードは売れないジンクスはなかった。
    • 「LOVEマシーン」以降、アップテンポを主体とすることもなかっただろう。
    • そもそも、女性アイドルグループが歌うバラードは売れないジンクスは生まれなかった。
  2. 大型連休の定番ソングになっていた。
  3. 鈴木亜美の「BE TOGETHER」との同日発売対決で勝利していたかもしれない。
  4. 「ふるさと」といえば文部省唱歌の印象が強いままで終わることはなかった。

故郷の悲しき星(藤浩一)

藤浩一(後の子門真人)のデビューシングル。

  1. 藤(子門)が、後にアニメソング歌手に転向することはなかっただろう。
    • アニメソングがメインにはならないにしても、アニメソングを何曲か録音していた可能性はある。
    • 史実どおり『ひらけ!ポンキッキ』の楽曲を歌っていた可能性も十分ありうる。
  2. そもそも子門真人に改名することもなく、藤浩一の芸名で活動し続けたかもしれない。

平成枯れすすき/バッカじゃなかろかルンバ!(さくらと一郎)

「バッカじゃなかろかルンバ!」は楽天の野村克也監督が2008年のセパ交流戦の巨人戦後に口ずさんで有名になった曲。平成枯れすすきのカップリング曲であるためセットで掲載。

  1. 野村監督が巨人戦後に歌う前から有名になっていた。
    • 野村監督の作詞作曲と勘違いされることはなかった。
    • 2006年発売の曲なのに「平成生まれは知らない曲」などと言われることもなかった。
  2. バラエティ番組などで野球選手がカラオケに行って歌っていた。
  3. 楽天が応援歌か選手の登場曲として使用するようになっていたかもしれない。
  4. ニコニコ動画ではプロ野球や野球アニメ(メジャー、おお振り、大正野球娘など)のMADのBGMとして人気が出ていた。

ぼくたちの失敗(森田童子)

ドラマ「高校教師」によるヒットではなく、収録アルバム発売時点(1976年)にヒットしていたら。

  1. 森田童子は引退せずにバラード歌手として大成していた。
    • 仮に引退していたとしても、史実の「高校教師」のヒットで復帰していた。
    • 彼女を男性と間違える人もいたかもしれない。
  2. 女性が自分のことを「ぼく」と呼ぶ風潮は史実より進んでいた。

僕らのLIVE 君とのLIFE(μ's)

  1. ラブライブ!」の知名度はアニメ化以前から高かった。

まやらわ行

魔法のメロディ(MELODY)

『キッズウォー』1作目の主題歌。2作目の主題歌も(タイトルは『愛の花』)引き続き担当した。

  1. キッズウォーシリーズの主題歌は3作目以降もMELODYが担当していた。
  2. ZONEは別の形でブレイクしいてた。

みかん(大竹しのぶ)

  1. 大竹しのぶは歌手としての名声が高まっていた。
  2. モーニング娘。や関ジャニ∞(三兄弟)が歌う同名の曲が「大竹しのぶのカバー曲」と誤解されることが増えていた。

みかん(モーニング娘。)

  1. ウインターソングの定番が増えていた。
  2. スーパーの青果売場での定番ソングになっていた。

勇気100%(Ya-Ya-Yah)

光GENJIの同タイトル曲のカバー。

  1. Ya-Ya-Yahの正式デビューが実現していた。
    • オリジナル曲が次々とシングル化され、その度にマスコミにも積極的に登場。
  2. 弟分ユニットのJ.J.Expressもデビューしていた。
    • KAT-TUNが史実より早くデビューしていた。
    • Hey!Say!JUMPは結成されず、山田涼介は別の形で世に出された。
  3. デビュー後、相次いでメンバーが脱退するともなかった。
  4. 2002年に『忍たま乱太郎』がブームになっていた。
  5. カップリング曲の『世界がひとつになるまで』は手話ソングの定番だった。
    • SMAPの『世界にひとつだけの花』と混同されることなど決してあり得ない。

夕陽を見ているか?(AKB48)

  1. 女性アイドルグループが歌うバラードは売れないジンクスはこの曲で崩れていた。

ユメタマゴ(NYC)

  1. もしあのアニメが大ヒットしていたら/な行#忍たま乱太郎 忍術学園 全員出動!の段、である。
  2. 中山優馬がソロで活動することはなかった。
  3. 本楽曲が、オリコンウィークリーチャートで一位を獲得することができた。
    • ジャニーズ系グループの連続初登場首位の記録がストップすることはなかった。
  4. これ以降のシングルも大ヒットし続けていた。
  5. 2012年度のNHK紅白歌合戦にNYCが出演していた。
    • 当時NMB48に所属していた山田菜々と中山優馬が姉弟であることがカミングアウトされ、話題になっていたかも。
  6. 同日発売だった、SKE48の「バンザイVenus」は史実ほどヒットしなかった。
    • SKE48のブレイクは史実より遅れていた。

夢のENDはいつも目覚まし(B.B.クイーンズ)

  1. B.B.クイーンズが活動休止することはなかった。
    • 『おどるポンポコリン』の印象が強いままで終わることもなかった。
  2. アニソンといえばお子様ソングの風潮が今でも続いていた。
    • 『クレヨンしんちゃん』の主題歌もJ-POPに依存することもなかった。
  3. 『クレヨンしんちゃん』のシンボルソングは、『オラはにんきもの』ではなく本楽曲になっていた。

夜桜お七(吉木りさ)

坂本冬美の同タイトル曲のカバー

  1. 吉木りさはその後も演歌歌手として本格的に活動していた。
  2. グラビアアイドルに転向することもなかった。
  3. 島谷ひとみの二の舞になることはなかった。

ヨロシク原宿(ニックじゃがあず)

イモ欽トリオ、よせなべトリオに続いて欽ちゃん番組からデビューした音楽ユニットだが、レコード売上は前者二組と比べ伸び悩んだ。

  1. ニックじゃがあずに続いて「山口良一&生田悦子」「長江健次&松居直美」によるユニットが結成されレコードデビューしていたかも。

Loverboy(マライア・キャリー)

  1. 2001年以降、「マライアの時代は終わった」と言われることはなかった。
  2. マライアはビルボードのHot 100で12年連続で週間1位を獲得し、自身の持つ最長記録をさらに更新していた。
  3. この曲が使われていた映画『グリッター きらめきの向こうに』も大ヒットしていたかも。

Lost the way(DiVA)

  1. =もしウルトラマンサーガが大ヒットしていたらである。
  2. DiVAの増員は成功したと見なされていた。
    • オリジナルメンバーと追加メンバーとの格差を象徴することはなかった。
  3. DiVAが活動休止状態になることはなかった。
  4. 宮澤佐江、梅田彩佳はSNH、NMBに移籍することなく、AKBとの兼任メンバーになっていた。

ロックンローラー大放送(アラジン)

  1. アラジンは「完全無欠のロックンローラー」の一発屋で終わることはなかった。
  2. アラジンは現実以上に知名度が上がっていた。
    • 「クイズヘキサゴン」の企画ユニットの方のアラジンは別のユニット名になっていた。

WORST CRIME〜About a rock star who was a swindler〜(WANDS)

  1. WANDSの路線変更は成功したと見なされていた。
    • 旧来のWANDSファンが離れたと見なされることもなかった。
  2. 上杉昇と柴崎浩は音楽性の違いからWANDSを脱退し、al.ni.coを結成することはなかった。
    • 第3期WANDSとして原点回帰することもなく、和久二郎と杉元一生は違った形でデビューしていた。
  3. ビーイングブームが続いていた。

関連項目