もし奈良県庁が○○に置かれていたら
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橿原市
- 近鉄大和八木駅の乗降客数が現実より多かった。
- 奈良県内の駅では最多を誇っていた。
- JRの大和路快速は王寺から和歌山線〜桜井線を経由していた。
- 従って、名前は和歌山線ではなかったかもしれない。
- 「橿」の字が書ける人が多くなっていた。
- 国道25号は今の国道165号のルートになっている。
- 奈良市は現実の栃木市と同様、観光地ではあるものの県庁所在地ではないため、人口は少なくなっていた。
- 阪神なんば線は近鉄奈良線ではなく大阪線と直通していた。
- 橿原神宮がもっと巨大になっている。
- おそらく日本唯一の「行政・宗教都市」となっていた。
- 明治政府の政策がさらに宗教色の強いものになっていたらありえた気がする。
- なお商業の中心は奈良。
- いやむしろ江戸期には「大和の金は今井(現在の橿原市今井町)に七分」と呼ばれたくらいだから、商業の中心は橿原市のままだったかと・・・
- 奈良市民が「明治政府のせいで・・・」と今も恨んでいる。
- 今井町の町並みは開発で消滅している。
- まさかの実現することになりました。
- そんなニュースを見た記憶は一切ないが…。(関西在住)
- 畝傍駅が「橿原駅」を名乗れていた。
- 駅前には神武天皇の巨大な銅像が建っている。
- 藤原京の遺構が地中から見つかる頻度が史実より上昇。
五條市
- JR和歌山線は全線複線化されていた。
- 南海電鉄が五條~橋本間に新線を建設していた。
- 大阪~五條間は現実より便利になっていて、通勤客も増加していた。
- むしろ河内長野~五条間では?橋本ではJRと重複するし河内長野に直結することで大阪と最短距離で結ぶことができる。
- 奈良県の南北格差が小さくなっていた。
- 国道168号線は全線にわたって改良され、五新線も改良していた。
- 新宮市は現実以上に奈良県側とのつながりが強くなっていた。
- 新宮市及び東牟婁郡自体が和歌山県ではなく奈良県に編入されていた可能性もある。
- 交通路(吉野川→紀の川)を考えると紀伊北部が編入されるほうが自然。
- 戦前には幕末に当地で蜂起した天誅組の聖地としてアピールしていた。
- それ以前に南朝の本拠地が一時的に置かれていたことも持ちだしていた。
天理市
- 天理教が現実より大きな勢力を持っていた。
- むしろ天理教潰しのために県庁が置かれていた。
- 史実でも明治初期には天理教は迫害対象だった。
- むしろ天理教潰しのために県庁が置かれていた。
- 市名は「山辺市」。
- 近鉄大阪線もJR関西本線(大和路線)も天理経由だった。
大和郡山市
- 戦国時代末期に筒井順慶が郡山城に拠り、その城下町が発達してから、順慶亡き後1585年に豊臣秀長(当時羽柴秀長)が郡山城に入り、郡山はこの時期大和国の中心都市として栄えていました。
- 問題なく郡山市を名乗れる。
- 現実の福島県郡山市は安積市を名乗り、あずみと読み間違われることが増えている。
- 江戸時代の郡山藩は少なくとも奈良盆地一帯くらいは支配できていた。
- 宅地・商業地開発により金魚養殖が下火になっていた危険がある。
- 西の京付近も郡山に編入されていた。
吉野町
- 実は奈良県の南北の真ん中あたり。
- 南北朝時代が長引いている間に発展し、南北朝統合後も大和国の重要拠点になっていれば、県庁が置かれたかもしれない。
- 特に明治政府は南朝大好きなので。
- 近鉄のほかにJRも吉野線がある。
- 和歌山線は和歌山-吉野口間。吉野口-王子はJR吉野線。
もしあの県の県庁が○○に置かれていたら | |
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