ページ「愛知/知多」と「もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/国鉄」の間の差分

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{{地域|name=知多|pref=愛知|reg=東海|ruby=ちた}}
==知多半島の噂==
{{知多}}
#別名、セントレア半島。
#*そんなこと言うのは県外の人間です。
#**実は県外の人間も言わない。
#**大抵の人は「セントレアってどこの国?」だと思う、私も含めて。
#***「セントレアってどこの国?」と、私は思った。
#実は、[[名古屋鉄道|名鉄]]の知多新線は愛知県一のゴミクズFランク大学として有名な日本福祉大学で維持されている。
#*太田川駅を境に常滑線と河和線とが分かれる。中部国際空港開港に伴うダイヤ改正以降、なぜか河和線は太田川の接続で常滑線と比べ冷遇されている。
#**セントレア開港以前は、常滑線の冷遇されていたが、、、
#*セントレア開港にともない特急がはしるようになった。
#**特急は前からあった。一部特別車の特急ね。
#**河和線や知多新線には昔から多数走っている。常滑線はほとんど走っていなかったが空港連絡で大増発となった。
#東部や中部以南の民は、自分の地域を名古屋とは意識していない。特に東浦や半田など東部地域は、三河弁。
#*そうか?名古屋弁でないにしても三河弁では決してない。知多弁では。
#**そうだげェ(知多弁)
#知多半島道路・南知多道路・知多横断道路・中部国際空港連絡道路という有料道路がある。
#*知多横断道路と空港連絡道路は、別名「セントレアライン」
#*衣浦トンネルという知多半島と[[愛知/西三河|西三河]]を結ぶ有料海底トンネルもある。
#知多半島出身者は名古屋の高校に通うと「へぇ、半島民なんだ」と言われる。
#知多地方では、「はんしん」は[[阪神電気鉄道|阪神電鉄]]でも[[阪神タイガース]]でもなく、「半田信用金庫」を意味する。
#*安城にはくしゃみをしたような名前の信用金庫がある。
#**化学式C<sub>6</sub>H<sub>10</sub>のような名前ですな。
#**Hekkishin!
#知多半島南部を「シモ」と呼称する。意味合いとしては「ど田舎」だが、侮辱語の意味合いが強い。
#*基本的に自分が住んでいる所より南に境界線が設定される。
#*シモの学校にカミの人間が通うといぢめられるとか。
#道路がガタガタでぼろぼろだったが空港のおかげできれいになった。
#東海市から知多市にかけて、制限速度70km/hで走れる「西知多産業道路」というのがある。しかも無料で走行できる。法定速度(60km/h)以上で走れる無料の道路というのは全国的にもめずらしい、とのこと。
#*でもネコの礫死体が異様にあった(7~8体は見た)。よりによってデート中に。どうしてくれる。
#*名古屋市内の自動車学校で、高速教習はここでした。
#どうせなら名古屋にひっつくより三重県に入って近畿地方に入りたいって思ってるヤツらもいる。
#*そんな人はいないと思う。
#*ほんと。だいいち三重は近畿ではない。住民がそう思っているだけ。
#2008年夏の甲子園記念大会での区域分けで、尾張なのに東愛知になった。
#*廃藩置県直後、今の愛知県は三河+知多半島で「額田県」、残りが「名古屋県」だったから、それでじゃない?
#「知多みるく」の話題が見当たらない件について…。
#三重のテレビ・ラジオの電波が結構入る。
#*ケータイのワンセグを試したとき、名古屋のテレビ局は全滅だったのにNHK総合(津放送局)と三重テレビは映った。


==主な市の噂==
少数派に留まった車両や完全な車両置き換えに至らなかった車両がもし、更に増備されていたら?
*[[東海市]]
*新規追加は車種別に形式が若い順にお願いします。
*[[半田市]]
**項目内に史実の導入編成数を書いていただければ幸いです。
*安易すぎる内容はご遠慮願います(「◯◯系が登場するのは史実通り」「保存車が増えていた」「あの形式の増備が打ち切りになっていた」「あの形式とともに活躍していた」「JR発足後は○○に継承されていた」など)。
*現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。


==大府市の噂==
;関連項目
*大府駅については[[東海の駅/愛知#大府駅の噂|東海の駅]]を参照。
*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/JR]] - JR発足後に増備が考えられたものはこちらへ。
#半島なのか?
*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄]] - 導入計画があったが未成に終わった車両や試作車はこちらへ。
#*一応昔は知多郡だったので。
#**名古屋市緑区の大高も、名古屋市に吸収される前は半島だった。
#***豊明の名鉄本線以南もね
#****大府市内に名鉄は通っていない。
#隣接する市は豊明市等、東浦町の次くらいに三河に近い。またそのため三河訛が多く見られる。
#名産品は葡萄。市内にある大府東高校の校章は葡萄がモチーフになっている。
#市役所がまだ新しいのでやけにキレイ。最上階に展望レストランがある。
#*だがレストランは誰も使わない。税金の無駄遣いの象徴。
#読みが「オーブ」(正確にはオオブだが)なのに何にも活用されない。大阪府とも全く係わりを持とうとしない。
#*そういえば、そんな名前の化粧品がありましたな。
#伊勢湾岸自動車道・大府インターはよく見たら隣の東海市にある。
#やたら浅田や深谷や久野という苗字の人が多い。
#名古屋市外大阪府市って、知ってます?愛媛県大阪府市ともいうらしい。
#市外局番は(0562)だが、あまり認知されてないようだ。
#*(0562)4*-****の地区と(0569)4*-****の地区は間違い電話が多い。
#市内の地名で「大府町字ウド」という場所とそこに「ウド」という交差点がある。
#黄色い方向幕の電車を見るとブチ壊したくなる。(by市民)
#*↑在来線の方。
#健康都市を宣言しているが、市民はこれといって健康ではない。
#大府駅対共和駅という他市民にはどうでもいい対立が存在する。
#大府高校といえば、槙原・赤星・青空バッグである。(by30代)
#大府市で事件が起きると大阪で事件がおきたと勘違いされる。
#*某掲示板のスレッドは「また[[大阪]]か」のオンパレード。
#市章は平仮名の「お」を図案化したものだが、そうと知らない人には「み」にしか見えない。
#男性も学べる[[中京女子大学]]がある。


==知多市の噂==
==電車==
#佐布里池(そうりいけ)という読みにくい名前の貯水池がある。
===特急・急行形===
#*梅園が見ごろになるととてもキレイ。
====165系・457系====
#知多半島で唯一有料道路が走ってない。
*急行型電車は1973(昭和48)年をもって新製が打ち切られました。もし、もう少し増備がつづけられていたら。
#*知多半島道路は知多市をさけるように東浦町の方にかたむいている。
#70年代終盤あたりから特急型電車がガンガン新製されて、急行増発→急行列車の特急化を推進させられた。
#*そのせいか東浦町のICの名前は「東浦知多インター」
#*その結果、旧型電車・旧型客車(普通列車)は長野・新潟地区はオール165系化、仙台・秋田・青森・金沢地区などは、オール急行型で新性能化される。
#新舞子に人工の海水浴場「ブルーサンビーチ」がある。ちなみに砂浜は壱岐のものを使用。
#*[[紀勢本線]]の急行「きのくに」は1978.10改正の新宮電化の時点で165系電車に置き換えられていた。
#野球選手が多い。
#**南海からの南紀直通もこの時点で廃止されていた。
#*伊藤敦規(阪神コーチ)・山崎武司(楽天)・浅尾拓也(中日)、3人とも八幡中学校出身(「はちまん」ではなく「やわた」)
#**それでも1985年に特急「くろしお」に格上げ→廃止は史実通りだろう。
#知多半島在住者以外の愛知県人は知多市と南知多町を混同している人が多い。
#従って、急行形電車は3ドア化、洗面所・デッキ撤去される。
#*「知多市出身です。」と言うと「ああ、内海には毎年行くよ」とか言う人は多い。
#*史実の717系900番台と近似の形態となっていた。
#*半島名をそのまんま名乗られても、正直位置がパッとしないというか…緯度的には大府と同じくらいだが。
#*近郊型改造に伴い165系は115系、457系は415系の新区分番台に改番されていた。
#やたらと「竹内」さんが多い。
#*洗面所撤去だけでなくトイレの数も減らされていた。
#*クラスに3~4人はざらにいる。
#よって、ローカル向け115系1000番台(状況次第では2000番台も)、119系、419系電車、50系客車、ED76系交流機関車などはデビューすることはなかった。
#*さらに「竹内先生」も非常に多い。
#「しらゆき」に投入されていた場合、457系は3電源を発揮できる電車となっていた。
#*だから「竹内」さんは下の名前で呼ばれる。というかそうしないと収拾がつかない。
#いや、「しらさぎ」は特急化されて「白鳥」と併結運転となっていた。
#市外局番は基本的に(0562)だが南部地域の一部は(0569)になっている。
#よって、「白鳥」は1~6号となっていた。
#*市外局番の境目は「鍛冶屋川」という川。ここから南は(0569)。
#455・457・475系から改造されたジョイフルトレインも存在していた。
#*ついでに言うと(0569)の地区の市内局番は4*で大府市の(0562)4*の地区との間違い電話が多い。
#もともと普通科高校が知多東と知多しかなかったが、合併した上に普通科でもなくなったため普通科高校が存在しない。
#*統合校の「知多翔洋(ちたしょうよう)」高校は'''総合学科'''。
#ゴミ収集車のことを「パッカー車」と呼ぶ。


==常滑市の噂==
====183系あまぎ・白根用====
*中部国際空港駅の噂については[[東海の駅/愛知#中部国際空港駅の噂|東海の駅/愛知]]を参照。
「あまぎ(現在の踊り子)」「白根(現在の草津)」で運用されていた157系置き換え用に留まることなく、更に増備されていたら?
#競艇の町ではない。焼き物の町です。
#185系は登場しなかった。
#*競艇場では年に数回お祭りがある。
#*117系と比べられることなく、「最悪の特急」と揶揄されることもなかった。
#**常滑焼きまつり。
#*「あかぎ」にも183系が投入されていた。よって、新特急も生まれなかった。
#***決して常滑を焼くわけじゃない焼き物の祭りである。
#**「はまかいじ」にもこの編成が充当されていた。
#*[[住生活グループ#INAXの噂|INAX]]もお忘れなく
#*185系は元々急行型電車として開発された車両だから、本来の急行用としては登場してたかもしれない。
#*ジャニスもお忘れなく。
#基本10両編成だけでなく、付属5両編成も登場していた。
#**今はINAXの関連会社。
#*サハ183形が登場していた。
#*INAXは北部。ジャニスは南部。
#*2階建て列車のために貫通路付きクハ183形の製造が再開されていた。
#*実は「愛知東陶」なる[[TOTO]]の子会社も所在。
#2005年までにE257系によって置き換えられていた。
#セントレアのおかげで道路が広くなった。
#*上記の通り高崎線特急にも183系が投入されていた場合、同線にもE257系が投入されていた。
#キティの招き猫が売っている。
#**651系1000番台は存在せず、E657系投入後に行き場をなくした651系は殆どが廃車されていた。
#常滑の中心地と南部の差がすごい。
#***伊豆クレイルの種車は255系になっていた。
#*南部にはコンビニが1~2個しかない。
#****255系の編成からすれば無理があると思うが。
#[[中部国際空港|空港]]ができるまで、常滑駅は自動改札ではなかった。
#***651系はむしろ当初の予定通り波動用に転用されていたのでは?
#*空港が出来るちょっと前まで常滑駅は休業して、高架になった。
#空港ができるまで、[[国道247号]]はユニーの辺り以外は片側1車線だった。
#*実は現在も南部は片側1車線。(一応中央分離帯はある。)
#*信号の待ち時間も変わった。
#市民病院が古い。
#カインズモールやイオンを作る計画がある。
#*カインズモールは2007年の暮れにオープン。
#**さらにエイデンもできた。
#*イオンは2009年になっても全く建てられる気配がない。
#人口が5万人弱。半田市の1/5。
#*半田に25万人も住んでるワケがない。実際はダブルスコア。
#知多半島横断道路という有料道路があった。
#*現在は知多横断道路。
#*ここも空港のおかげで片側1車線から片側2車線になった。
#地名の縁起が悪い。「常に滑る」だし…
#*常滑高校とか落ちるから受けないって人多そう・・・あれ、常滑高校ってあったっけ?
#**あるぞ、常滑北高校+(旧)常滑高校=(新)常滑高校(しかし校舎は常滑北のだが)
#**それでも進学校。
#**進学校とか恥ずかしいから止めてくれ・・・国立いけるの30人くらいだぞ
#'''とこなめ'''と読む。
#*古くは「とこなべ」とも。
#*よく難読地名にあがる。
#*名鉄沿線の人は普通に読める。
#「久田」(ひさだ)さんが多い(特に南部)。
#床ではなく、道路に寝ころんで車に轢かれる遊びがブームらしい。
#*そんな{{あきまへん}}なことをする人いるのか!?
#*ああ、あの事件か・・・。やった奴が大馬鹿なだけでブームになんかなってないぞ。


==知多郡の噂==
====185系====
#南セントレア市成立の暁には、「セントレア郡」と改称する予定であった。
史実では東海道線の急行伊豆(今の特急踊り子)と新幹線リレー号(後の新特急「あかぎ」、「草津」)向けに東日本地区のみ導入されたのである。
#*んなこたあない。
#関西圏にも導入された。
#*中国地方にも納車された。
#*これらはJR西日本に継承された際に緑色のストライプが青色に変更された。
#*「北近畿」、「はしだて」などはこれになった。
#**「エーデル北近畿」、「エーデル丹後」はなかった。
#***あれらは「エーデル鳥取」のみに。
#*関西地区用の普通車の座席はJR西日本発足後の早い時期に背面テーブル付き回転式リクライニングシートに交換されていた。同時に最高速度を120km/hに向上するための改造工事も行われた。
#*2000年代に入るとリニューアル工事で683系並みのアコモデーションに改良され、グリーン車は3列シートになるなど、185系とは思えないほどの見違えるような車両になっていた。


===阿久比町の噂===
====473系====
#「あぐい」と読む。よそ者は「あくひ」と読み間違える。
史実では475系が製造されたため1編成しか製造されませんでした。453系並みに多かったら。
#1日8本しか列車が止まらない椋岡駅があったが、2006年12月16日に廃止された。
#475系の導入が遅れた。
#*↑名鉄。
#*475系は瀬野八越えの区間を抱える山陽~九州方面のみの投入となっていて、北陸方面には1970年の富山地方鉄道立山駅乗り入れの時に457系が投入されるまで475系は投入されなかった。
#昔、阿久比駅前にフィールがあったが潰れた。今は福井県が本社の薬局「ゲンキー」。
#413系100番台も複数編成存在している。
#知多半島内最長の河川の名前は阿久比川である。
#2010年頃まで現役で運用されていた編成も複数あった。
#阿久比で有名なサイトといったら[http://www.agui.net/ ここ]。
#のちに、普通列車に転用されて、50系客車が史実よりも少なくなっていたかもしれない。
#*管理人が阿久比出身。


===東浦町の噂===
===普通列車用===
#イオン東浦店がある。
====103系====
#*他には何も無い。
史実では3447両製造されましたが、もし製造両数がワム80000形(26605両)並みだったら?
#**MIDORIがあるじゃない。元キッズランドだっけ?
#=国鉄が近郊路線にも4ドア車に投入していた場合か。
#***↑のミドリはエイデンに吸収されましたよ。
#*グリーン車使用やクロスシートタイプも製造されていた。
#****ちなみに、エイデン東浦店は、もと[[ユニー]]東浦店だったそうです。
#*101系は全て103系に改造されていた。
#*****ちなみに、エイデン東浦店は、いつ行っても店員のほうが客より多いです かなり。
#*直流電化区間も伸びていた。
#武豊線の駅が4つもある
#**3ドア車は常磐線などごく一部にとどまった。
#*でも名鉄の駅はない。
#JR東海で令和になっても103系が走っていた可能性大。
#*名鉄を使うときは知多市の巽ヶ丘駅から乗る。
#かつて、[[兵庫/淡路島|淡路島]]に同じ名前の町があったが市町村合併によって消滅した。
#*淡路島の東浦町とは同じ名前ということで何か交流があったらしい。
#06年からモリコロパークで行われる市町村対抗の「愛知駅伝」の初代優勝(町村の部)の町。県内で知名度UP
#もうすぐ、人口5万人突破を目前に控えていることから、市制施行を検討中らしい。「東浦市」になるのも、もはや時間の問題。


===武豊町の噂===
====105系改造編入車====
#たけゆたかではない。
史実では新規製造車(60両)と改造編入車(61両+補充車1両)がありましたが、もし、105系が全て改造編入車だったら?
#*「武豊の3歳児餓死」という見出しが[[VOWファン|VOW]]に載ってた。「年収1億円以上稼いでいる彼がなぜ・・・。」というコメント。
#205系の製造数が現実より多かった。
#*逆に「たけゆたかの牧場で・・・」のニュースにドキッとさせられた半島民。
#105系登場が遅れていた。(新規製造車は1981年、改造編入車は1984年)
#コミュニティーバスはおろか、バス路線自体一本も無い。
#そもそも105系にはならず103系の番台区分には…流石にならないか。
#名鉄の知多武豊駅に特急が止まる理由は、名古屋直通の武豊線快速列車に対抗意識を燃やしているかららしい。
#*実は武豊線は非電化なので「電車」は来ない。かわりにスーパー気動車が来る。
#*現存する最も古いJRの駅舎(亀崎駅・明治19年製)が現役。その他あちこちの駅に博物館モノの建築物多数
#*もとは東海道線建設のため、武豊港から資材を運搬するために造られた路線。歴史は古い(建物も古いけど)
#*武豊線は30分に1本ぐらいで、名古屋まで行く区間快速は武豊線内各駅停車。名鉄の特急も30分に1本ぐらいだが速いし急行とかもあるので名鉄の方が便利…か?
#浦島伝説のある町として売り出している。
#武豊が一日町長を務めたことがある。
#*「たけゆたか」さんね。
#日●油●が幾度となく、爆発事故。社内で丸くおさめている事故は年に1回は確実にある。
#*2000年に爆発したときには、知多半島の付け根のあたりでも遠くの空が仄かに明るくなったのが見えた。
#**このときは吉良町の研究所の窓が割れたことでも騒がれた。
#ファイザーの中央研究所がある。
#*バイアグラの国内製造工場があることで、一時話題に。
#*リストラで研究所ごと廃止になりました。
#*MBOで独立して(ファイザーも一部出資)「ラクオリア製薬」になった
#かつて、武豊港駅があった。
#台風から乗客を救い殉職した駅員の銅像がある。
#名鉄河和線に上ゲ駅がある。愛知県人でも読めない。
#*某大手掲示板では異様に知名度が高い。
#*「あげ」と読む。マジで。
#そもそも上ゲってどういう意味なんだ?
#旭硝子の工場があるおかげで、学校でガラスを割ってもただ。ガラスを割ったらお金を請求されるのが本当だと知らない人も多い。
#「ヲヲガケ」という地名が武豊高校にある。


===美浜町の噂===
====113系700・2700番台====
#南セントレア市で騒いだ町。
史実では湖西線向けに開発されたため少なかった。
#[[戸塚ヨットスクール]]がある。
#草津線の電化が早まっていた。
#*「今もある」事を知らない人が多い。
#湖西線が全線直流になっていた。交流60Hzとは無縁。
#**というか、[[戸塚区|ここ]]にあると誤解してる人が多い。
#*それも開業当初から。
#大学があれば学生たちの消費で町が活気付くという構図はよくあるが(→[[京田辺市]])、日本福祉大学の場合、物を買おうにも周囲にお店がないのでこの構図は当てはまらない。
#福知山線や山陰本線にも早々と導入されていた。
#*名古屋からこんなクソ田舎に移転したのが間違い。だからFランクとバカにされる。
#*新福知山色は800番台ではなく本番台に塗られていた。
#**日福の経済学部は存在そのものがゴミ以下の落ちこぼれ学部。
#*勿論福知山口の電化も史実より早まっていた。
#*卒業生として俳優の温水洋一が有名であるが、入学当初は美浜にいたものの、すぐに町を逃げ出し堀田へ移住しながらも通ったそうな。
#関西圏の東海道線の3ドア快速は221系が入る前はこれで統一されていた。
#加藤化学の匂いに慣れたら地元民。
#*丸窓で大目玉は他路線へ行った。
#JR東海に継承された編成も登場。
#*そちらは当然ながらブルーシートに牛革のシートカバー。
#小浜線や舞鶴線の電化も早まっていたかも。


===南知多町の噂===
====113系1500番台====
#南セントレア市で騒いだ町。
史実では数両程度増備していた。
#日間賀島と篠島がある。
#横須賀線はSM分離並びに総武本線との直通を境にこれで統一されていた。
#*日間賀島でコンパニオンを頼むと船に乗ってやって来て、船に乗って帰って行く。
#*1000'番台の東京乗り入れは無くなっていたかも。
#南知多ビーチランドは実は隣の美浜町にある。
#**全車房総地区に転属。
#*東京ディズニーランドと一緒か・・・
#***それも史実より早めに。
#内海海水浴場が有名で夏は観光客が押し寄せるが、冬は閑古鳥が鳴いている。
#民営化以降、置き換え時期が遅くなり早々とE217系に置き換えられるとはなかった。
#*↑へ行くまでが地獄。[[国道247号|247]]が混む。
#*きっと置き換えるときはE231系1000番台の地下乗り入れ版が開発されていたかも。
#**名鉄を使いましょう。


====日間賀島====
====113系2000番台====
#日間賀島はフェリーで車を持ち込むことを禁止されている他、道が狭い為島内の住民は3No.車を走らせる事ができない。
史実では2000番台の数は0番台を下回っていた。
#東海道線東京口はSM分離を境にこれに統一されていたかも(勿論サロは1200番台だけ)。
#サハ代用のクハは史実よりも早く無くなっていたかもしれない(他線区に転用)。
#111系は史実よりも早く無くなっていたかも知れない。
#*四国に譲渡されることはなく、紀勢本線に転属していたかも。
#*あるいは四国に113系0番台の配属が早まっていた。
====123系====
#地方交通線の輸送力適正化に一役買う。
#地方私鉄へ譲渡される車両も出てくるかも
#寒冷地向け仕様や山岳地域向け仕様も出てくる。
#南武支線や鶴見線にも少なからず導入され、クモハ12を置き換えていた。
#*南武支線用101系はなかった。
#**現在はどちらも205系で置き換え済
#郵政省所有のクモユ143も国鉄に譲渡後直ちに123系に改造された。


==関連項目==
====201系武蔵野線用====
*[[中部国際空港]]
中央線快速用から転用で配置されたものの一部に留まった。
*[[知多半島の有料道路]]
#101系を確実に置き換えていた。
#8両編成化に際しては組み換えで対応していた。
#*8両編成化で持て余した車両は青梅・五日市線に転用されていた。
#*補充として205系も更に増備されていた。
#今頃はE233系に置き換えられている。


[[Category:愛知|ちた]]
====205系関西地区用====
[[Category:日本の半島|ちた]]
史実では京阪神緩行線用に0番台が7両4編成、阪和線用に1000番台が4両5編成のみ導入されました。もし関西にも205系が本格的に投入されていたら?
#京阪神緩行線の103系は1980年代のうちになくなっていた。
#*京阪神緩行線の103系の置き換えが終わると大阪環状線や阪和線などにも投入。
#*JR東西線開通に伴い207系が京阪神緩行線に投入された結果、201系は阪和線や大和路線に転用されていた。
#*京阪神緩行線のスピードアップも実現していた。
#結果として関西から103系が撤退するのが早かった。
#*あるいは高運転台クハ(勿論中間車も後期車のみで構成)の編成だけが生き延びていた。
#1988年以降は1000番台として投入されていた。
#321系は忠実より10年ほど後に227系顔として導入され、205系を駆逐。
#*阪和線の201系導入は大和路戦同様、205系転属となり後回しに。
#**ただ体質改善されそこそこ綺麗な状態にはなっているはず。
#*むしろホームドアの設置の観念から、4扉車の321系は開発されず、3扉車の323系に相当する通勤型車両が投入される。
#**網干車に関しては207系との兼ね合いでそうはならない気がする。
#205系の増備に集中して、221系はあまり造られなかった。
#*恐らく221系は爆音外扇モーター搭載での設計だったかも。
 
====207系900番台====
史実では1編成のみの製造でしたが、もし、実用化して量産車が登場していたら?
#常磐緩行線だけでなく、埼京線、横浜線、京浜東北線などにも投入された。
#*205系は山手線投入分で打ちとめになっていた。
#*JR西日本の205系1000番台も207系として登場していたかも。
#**その場合、[[JR西日本221系電車|221系]]がVVVF制御車として登場していた可能性もある。
#*地下鉄乗り入れ用以外は前面非貫通式で登場していた。
#こっちの方が207系0番代になっていた。
#*JR西日本の207系は209系になっていた。
#**史実における209系はなかったかも。
#***むしろ209系→231系、E231系→E233系、E233系→E235系、E235系→E237系になっていた。
#203系は常磐快速線に転用されていたか他線に転出していた。
#*常磐快速線に転用されていた場合、誤乗防止のため、E231系のように黄緑の帯が追加されたかあるいは青緑1色に塗装された。
#*あるいは営団東西線乗り入れ用車両(301系・103系1200番代)置換えのために転出していた。
#**東西線にも207系が投入されていたような気がしなくもない。
#引退は現実よりも遅く、2017年現在の時点でも現役車両がいたかも。
#*上記のようにJR西日本にも投入されていた場合は尚更。
#*2000年代後半からIGBT-VVVFへの制御装置更新が行われていた。
#常磐線中距離快速にJRになってすぐに投入される。
#総武線各駅停車の103系置き換え用に投入されていた。
#総武線の地下鉄乗り入れ車に投入されていた。(青帯)
#1994年製造中止?
#'''試作車を意味する「900番台」は外されていた。'''
#*西の207系は別の形式になっていた。
#**上に書いてあるように209系になっていたか。
 
====211系0番台・1000番台====
初期形113・115系の後継車として計画としてされたが、前者は10両編成6本、後者は5両編成11本で製造が打ち切られました。もし更なる増備が継続されたら?
#私見になるが、前者は10両編成14本、後者は5両編成24本まで製造できたと思う。
#*そうなった場合、初期型113系・115系の廃車ペースは史実以上に早められた。
#**従って、特別保全工事、冷改などは、史実ほどには施工されなかった。
#*しかし、ロングシート編成の製作両数は史実どうり。
#後年、長野転属のさい14本全て向かい合わせ座席になっていた。
#415系はクハ・モハにも1700番台が登場したかもしれない。
#そもそもJR東日本がクロスシート車の製造に意欲的だったら十分あり得た(JR東日本発足後はクロスシート車の製造に消極的になったため)。
 
====211系0番台名古屋地区用====
*4両編成2本のみの製造となり5000番台へと移行しましたが、もし0番台時代に大量製造されていた場合。
#311系を投入後は東海道線の脇役へと変化。
#211系5000番台は東海道線に投入される時期は短かった。
#313系投入後は中央線を中心に転属。
#*その分1100番代以降の製造が少なかった。
#静岡地区にもこれが導入され丸窓の113系が史実よりも早々と無くなっていた。
 
====301系====
製造コストが非常に高かったことから製造が途中で打ち切られ、103系1200番台の製造へと方針が転換された。
#103系1000番台の代わりに常磐緩行線にも投入されていたかもしれない。
#*どちらにせよ203系の投入とそれに伴う地上転出は史実通り。ただし105系(303系?)に改造されたかどうかは微妙なところ。
#*103系1200番台は存在しない。1500番台も301系の番台区分になっていた。
#201系辺りでアルミ車体の導入が真剣に検討されていた。
#*この場合203系は201系の番台区分になっていた。
#**場合によっては205系以降もアルミ車体が継続使用されていたかもしれない。
#国鉄の財政は間違いなく史実以上に悪化していた。
#*分割民営化が早まったかもしれない。
 
====415系1700番台====
史実ではサハ411-1701の1両のみ製造された。
#ロングシート車の415系1500番台の製造両数が少なくなっていた。
#*サハ411-1601は登場せず、サハ411-1702として登場していた。
#恐らく九州に投入された415系ステンレス車はこちらになっていた。
#JR東日本では混雑緩和のため1500番台よりも先に廃車されたが、JR九州では全車両現役。
#*JR九州でも混雑緩和のためロングシートに改造された車両も存在していた。
#811系は投入されなかった。あるいは製造数が減っていた。
#むしろ415系1500番台の7両化用に投入されていた。
#*415系ステンレス車のみで組成された7両編成の登場が実現していた。
#**史実ではステンレス車のみで組成された7両編成は存在しない。
#クハ415-1901は登場しなかった。
 
====417系====
史実では仙台地区のみの導入であったが、この他にも秋田や金沢地区などにも導入する計画があった。
#50系客車の製造数が減っていた。
#急行形車両の格下げ転用はなく、急行列車はある程度維持できていた。
#713系・715系・717系・413系・419系・701系は登場しなかった。
#*田沢湖線改軌時に719系5000番台が投入されていた。
#JR西日本所属車はN40改造されていた。
#JR東日本所属車は今頃はE721系に置き換えられており、秋田・盛岡地区にも投入されていた。
#金沢地区配置車は新製時から冷房付きとなっていた。
#*417系にも青や赤1色の車両が登場していた。
 
====713系====
史実では試作車4編成が製造されているが、量産車は鹿児島本線にも投入する計画があった。この他にも周波数を変更することで50Hz線区にも投入出来る設計となっていた。もし、量産車が製造されていたら?
#当初の計画通り、ステンレス車体・空気ばね台車となっていた。
#*時期的に213系を固定クロスシートにした感じの車両となっていた。
#*空気ばね台車は、他形式の廃車発生品を再利用。
#**やる気があれば、新品のボルスタレス台車に変更されてたかも。
#715系・717系は登場しなかった。
#東北地区に投入されていた場合は719系・701系は登場しなかった。
#鹿児島本線に投入されていた場合は肥薩おれんじ鉄道に数編成が移籍していた。
#900番台が主制御機器を更新した際車番が変更されることはなかった。
 
====715系====
*715系電車は、長崎地区の715系4両編成12本、仙台地区の715系4両15本、金沢地区の419系3両編成15本をもって、製作が打ち切られました。もし、種車の583(581)系のモハ583・582(モハ581・モハ580)の総計118ユニットを全て715系化するとしたならば、どのようになっていたか。
#419系は製作されなかった。
#長崎・仙台地区のほか、青森、秋田、鹿児島地区にも投入された。
#*場合によっては鹿児島地区に投入される場合、長崎地区のモハ715を先頭車化改造(トイレ・洗面所もあわせて撤去)して3両化。
#417系は、金沢地区に転属になっていた。
#*その結果、715系の総製作数は374両になっていた。
#**よって、583系は国鉄時代に姿を消していたかもしれない。
#急行きたぐには客車のままだった。
#12系2000番台は登場しなかった。
#寝台車の絶対数不足が起きるため、20系客車がJR化後も定期運用を持っていた。
#*銀河・ちくま・だいせん・かいもん・日南の寝台車はJR化後も20系のままだった。
 
====717系仙台地区用====
仙台地区の451・453系全車改造に至るまで増備していたら?
#種車が抑速ブレーキを持たないので運用が常磐線に限定されていた。
#水戸乗り入れも末期まで行われていた。
#719系の登場は史実通りであるが、455系が置き換え対象となっていた。
#*455系の大規模な更新工事はなかった。
#ワンマン運転が難しく、輸送力も過剰であるため、一部の編成が701系に置き換えられていた。
#今頃はE721系に置き換えられている。
 
==気動車==
===キハ35形900番台===
史実では10両のみの製作で終わりましたが、もし、更に増備されていたら?
#これ以降のキハ30・キハ35は東急車輛製造で作られていた。
#*205系のように他社への技術開示はできなかったと思われるため。
#*もっともこれができていれば国鉄の歴史は変わっていただろう。
 
===キハ37形===
史実では5両のみの製作で終わりましたが、もし、更に増備されていたら?
#加古川線・久留里線のキハ35系を確実に置き換えていた。
#*キハ38形は登場しなかった。
#加古川線のものは電化後は中国地方へ転出していた。
#*延命工事も行われており、早期廃車の対象になることはなかった。
#久留里線のものは史実通りにキハE130形に置き換えられていた。
#久留里線や加古川線以外の線区にも投入されていた。
#両運転台版も登場していた。
#*扉配置はキハ40形に準じていた。
 
===キハ38形===
史実では7両のみの製作で終わりましたが、もし、八高線のキハ35系全車置き換えに至るまで製作されていたら?
#八高線にキハ110系は投入されなかった。
#八高線電化時に一部が久留里線に転出するのは史実通りであるが、この時点でキハ35系が全廃されていた。
#*和田岬線用は?
#今頃はキハE130系に置き換えられていただろう。
 
===キハ58・28形===
史実では1969年までに製造が続けていましたが、もし、更に増備されていたら?
#キハ40系は製造されなかったかも。
#*むしろキハ66・67形の方が登場しなかった。
#**それすらなかったので117系の登場にも影響が出ていた。
#50系客車の普通列車はなく、一ノ関以北の東北本線や村上以北の羽越本線に運用されていた。
#*非電化線区ならともかく、交流電化線区での機関車有効活用や交流/直流電化線区への直通運転、通勤輸送との観点から長編成で有利となることからむしろ登場したのでは?
#キハ65形登場と同時期にモデルチェンジしていた。
#*同時期に登場した12系と同様のスタイルとなっていた。
#*本州向けは製造時から冷房車として製造され、北日本向けは依然として冷房は準備工事だった。
#遜色急行が減っていた。
#*特に北海道のキハ22形急行列車は本系列によって置き換えられ、普通と急行で車種の専従化が徹底されていた。
#[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄#新系列急行形気動車|この車両]]は計画されなかった。
 
===キハ66・67形===
史実では九州に30両が投入されただけで終わりました。
#九州以外にも投入されていた。
#*投入線区は恐らく[[関西本線]]とかだろうか?
#**名古屋口に投入して[[近鉄特急]]に対抗していたか?
#**急行「かすが」はこれになっていたかも?
#***かすがに限らず一部の気動車急行をこれにしてたかもしれない。
#キハ40系の製造両数が現実よりも少なかった。
#両運転台車も登場していた。形式名は「キハ68形」か?
#おそらくキロも登場していた。
#165系・475系の車体に側面はキハ66・67形といった電車も登場していた。
 
==客車==
===12系===
1969(昭和44)年からデビューした12系客車ですが、諸事情により1972(昭和47)年より特急形14系客車の製造に変更となりました。もし、1972(昭和47)年以降も12系客車で製造されたら?
*1977年(昭和52年)に製造が再開されていますが、ここでは製造が中断されなかったらとします。
#総製作両数は、2000両近くまで製造された。
#50系客車は製造されなかった。
#*夜行急行などでの需要があるから流石に投入されるだろう。
#後年のローカル転用にあたり、115系・417系・715(711)系などの朝夕ラッシュ時間帯にて混雑緩和用として用いられた。
#*それにあたり、折戸ドア→引戸ドアの施行、3ドア化、デッキ撤去などの施行が行われていた。
#北海道へは側引戸、2重窓装備のマイナーチェンジ車が投入されていた。
#*14系500番代は登場しなかった。
#*北海道向けの車両の冷房・電気暖房・ディーゼル発電機は準備工事のみで、暖房は機関車からの蒸気暖房を使用していた。国鉄最末期になってやっと冷房・電気暖房が設置され、津軽海峡線の快速「海峡」に使用された。
#「[[北斗星]]」用にこれを種車にした個室寝台車が製作されていた。
#旧型客車の急行運用は1978年までに全廃され、以降の運用は普通列車のみであった。
#*寝台車については新車は特急優先とするスタンスから10系が引き続き使用されていた。20系の転用も史実通り。
#「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」に14系座席車が投入されることはなかった。
#1973年以降の増備車は防火対策がされていた。
#12系を種車にしたジョイフルトレインがさらに増えていたかもしれない。
#*史実で14系座席車を種車にしたジョイフルトレインも12系から改造を行っていた。
 
==機関車==
===EF81形300番台===
史実では関門トンネル増発用として4両が登場しましたが、製造両数がもっと多かったら?
#EF30はローズピンクに塗装され北陸本線米原〜田村間に転出していた。
#*田村機関区はEF30が廃車される1986年まで存続した。
#増備車は製造当初から重連総括機能を搭載していた。
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史|あのてつとうしやりようかさらにそうひこくてつ]]
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2021年3月4日 (木) 20:48時点における版

少数派に留まった車両や完全な車両置き換えに至らなかった車両がもし、更に増備されていたら?

  • 新規追加は車種別に形式が若い順にお願いします。
    • 項目内に史実の導入編成数を書いていただければ幸いです。
  • 安易すぎる内容はご遠慮願います(「◯◯系が登場するのは史実通り」「保存車が増えていた」「あの形式の増備が打ち切りになっていた」「あの形式とともに活躍していた」「JR発足後は○○に継承されていた」など)。
  • 現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。
関連項目

電車

特急・急行形

165系・457系

  • 急行型電車は1973(昭和48)年をもって新製が打ち切られました。もし、もう少し増備がつづけられていたら。
  1. 70年代終盤あたりから特急型電車がガンガン新製されて、急行増発→急行列車の特急化を推進させられた。
    • その結果、旧型電車・旧型客車(普通列車)は長野・新潟地区はオール165系化、仙台・秋田・青森・金沢地区などは、オール急行型で新性能化される。
    • 紀勢本線の急行「きのくに」は1978.10改正の新宮電化の時点で165系電車に置き換えられていた。
      • 南海からの南紀直通もこの時点で廃止されていた。
      • それでも1985年に特急「くろしお」に格上げ→廃止は史実通りだろう。
  2. 従って、急行形電車は3ドア化、洗面所・デッキ撤去される。
    • 史実の717系900番台と近似の形態となっていた。
    • 近郊型改造に伴い165系は115系、457系は415系の新区分番台に改番されていた。
    • 洗面所撤去だけでなくトイレの数も減らされていた。
  3. よって、ローカル向け115系1000番台(状況次第では2000番台も)、119系、419系電車、50系客車、ED76系交流機関車などはデビューすることはなかった。
  4. 「しらゆき」に投入されていた場合、457系は3電源を発揮できる電車となっていた。
  5. いや、「しらさぎ」は特急化されて「白鳥」と併結運転となっていた。
  6. よって、「白鳥」は1~6号となっていた。
  7. 455・457・475系から改造されたジョイフルトレインも存在していた。

183系あまぎ・白根用

「あまぎ(現在の踊り子)」「白根(現在の草津)」で運用されていた157系置き換え用に留まることなく、更に増備されていたら?

  1. 185系は登場しなかった。
    • 117系と比べられることなく、「最悪の特急」と揶揄されることもなかった。
    • 「あかぎ」にも183系が投入されていた。よって、新特急も生まれなかった。
      • 「はまかいじ」にもこの編成が充当されていた。
    • 185系は元々急行型電車として開発された車両だから、本来の急行用としては登場してたかもしれない。
  2. 基本10両編成だけでなく、付属5両編成も登場していた。
    • サハ183形が登場していた。
    • 2階建て列車のために貫通路付きクハ183形の製造が再開されていた。
  3. 2005年までにE257系によって置き換えられていた。
    • 上記の通り高崎線特急にも183系が投入されていた場合、同線にもE257系が投入されていた。
      • 651系1000番台は存在せず、E657系投入後に行き場をなくした651系は殆どが廃車されていた。
        • 伊豆クレイルの種車は255系になっていた。
          • 255系の編成からすれば無理があると思うが。
        • 651系はむしろ当初の予定通り波動用に転用されていたのでは?

185系

史実では東海道線の急行伊豆(今の特急踊り子)と新幹線リレー号(後の新特急「あかぎ」、「草津」)向けに東日本地区のみ導入されたのである。

  1. 関西圏にも導入された。
    • 中国地方にも納車された。
    • これらはJR西日本に継承された際に緑色のストライプが青色に変更された。
    • 「北近畿」、「はしだて」などはこれになった。
      • 「エーデル北近畿」、「エーデル丹後」はなかった。
        • あれらは「エーデル鳥取」のみに。
    • 関西地区用の普通車の座席はJR西日本発足後の早い時期に背面テーブル付き回転式リクライニングシートに交換されていた。同時に最高速度を120km/hに向上するための改造工事も行われた。
    • 2000年代に入るとリニューアル工事で683系並みのアコモデーションに改良され、グリーン車は3列シートになるなど、185系とは思えないほどの見違えるような車両になっていた。

473系

史実では475系が製造されたため1編成しか製造されませんでした。453系並みに多かったら。

  1. 475系の導入が遅れた。
    • 475系は瀬野八越えの区間を抱える山陽~九州方面のみの投入となっていて、北陸方面には1970年の富山地方鉄道立山駅乗り入れの時に457系が投入されるまで475系は投入されなかった。
  2. 413系100番台も複数編成存在している。
  3. 2010年頃まで現役で運用されていた編成も複数あった。
  4. のちに、普通列車に転用されて、50系客車が史実よりも少なくなっていたかもしれない。

普通列車用

103系

史実では3447両製造されましたが、もし製造両数がワム80000形(26605両)並みだったら?

  1. =国鉄が近郊路線にも4ドア車に投入していた場合か。
    • グリーン車使用やクロスシートタイプも製造されていた。
    • 101系は全て103系に改造されていた。
    • 直流電化区間も伸びていた。
      • 3ドア車は常磐線などごく一部にとどまった。
  2. JR東海で令和になっても103系が走っていた可能性大。

105系改造編入車

史実では新規製造車(60両)と改造編入車(61両+補充車1両)がありましたが、もし、105系が全て改造編入車だったら?

  1. 205系の製造数が現実より多かった。
  2. 105系登場が遅れていた。(新規製造車は1981年、改造編入車は1984年)
  3. そもそも105系にはならず103系の番台区分には…流石にならないか。

113系700・2700番台

史実では湖西線向けに開発されたため少なかった。

  1. 草津線の電化が早まっていた。
  2. 湖西線が全線直流になっていた。交流60Hzとは無縁。
    • それも開業当初から。
  3. 福知山線や山陰本線にも早々と導入されていた。
    • 新福知山色は800番台ではなく本番台に塗られていた。
    • 勿論福知山口の電化も史実より早まっていた。
  4. 関西圏の東海道線の3ドア快速は221系が入る前はこれで統一されていた。
    • 丸窓で大目玉は他路線へ行った。
  5. JR東海に継承された編成も登場。
    • そちらは当然ながらブルーシートに牛革のシートカバー。
  6. 小浜線や舞鶴線の電化も早まっていたかも。

113系1500番台

史実では数両程度増備していた。

  1. 横須賀線はSM分離並びに総武本線との直通を境にこれで統一されていた。
    • 1000'番台の東京乗り入れは無くなっていたかも。
      • 全車房総地区に転属。
        • それも史実より早めに。
  2. 民営化以降、置き換え時期が遅くなり早々とE217系に置き換えられるとはなかった。
    • きっと置き換えるときはE231系1000番台の地下乗り入れ版が開発されていたかも。

113系2000番台

史実では2000番台の数は0番台を下回っていた。

  1. 東海道線東京口はSM分離を境にこれに統一されていたかも(勿論サロは1200番台だけ)。
  2. サハ代用のクハは史実よりも早く無くなっていたかもしれない(他線区に転用)。
  3. 111系は史実よりも早く無くなっていたかも知れない。
    • 四国に譲渡されることはなく、紀勢本線に転属していたかも。
    • あるいは四国に113系0番台の配属が早まっていた。

123系

  1. 地方交通線の輸送力適正化に一役買う。
  2. 地方私鉄へ譲渡される車両も出てくるかも
  3. 寒冷地向け仕様や山岳地域向け仕様も出てくる。
  4. 南武支線や鶴見線にも少なからず導入され、クモハ12を置き換えていた。
    • 南武支線用101系はなかった。
      • 現在はどちらも205系で置き換え済
  5. 郵政省所有のクモユ143も国鉄に譲渡後直ちに123系に改造された。

201系武蔵野線用

中央線快速用から転用で配置されたものの一部に留まった。

  1. 101系を確実に置き換えていた。
  2. 8両編成化に際しては組み換えで対応していた。
    • 8両編成化で持て余した車両は青梅・五日市線に転用されていた。
    • 補充として205系も更に増備されていた。
  3. 今頃はE233系に置き換えられている。

205系関西地区用

史実では京阪神緩行線用に0番台が7両4編成、阪和線用に1000番台が4両5編成のみ導入されました。もし関西にも205系が本格的に投入されていたら?

  1. 京阪神緩行線の103系は1980年代のうちになくなっていた。
    • 京阪神緩行線の103系の置き換えが終わると大阪環状線や阪和線などにも投入。
    • JR東西線開通に伴い207系が京阪神緩行線に投入された結果、201系は阪和線や大和路線に転用されていた。
    • 京阪神緩行線のスピードアップも実現していた。
  2. 結果として関西から103系が撤退するのが早かった。
    • あるいは高運転台クハ(勿論中間車も後期車のみで構成)の編成だけが生き延びていた。
  3. 1988年以降は1000番台として投入されていた。
  4. 321系は忠実より10年ほど後に227系顔として導入され、205系を駆逐。
    • 阪和線の201系導入は大和路戦同様、205系転属となり後回しに。
      • ただ体質改善されそこそこ綺麗な状態にはなっているはず。
    • むしろホームドアの設置の観念から、4扉車の321系は開発されず、3扉車の323系に相当する通勤型車両が投入される。
      • 網干車に関しては207系との兼ね合いでそうはならない気がする。
  5. 205系の増備に集中して、221系はあまり造られなかった。
    • 恐らく221系は爆音外扇モーター搭載での設計だったかも。

207系900番台

史実では1編成のみの製造でしたが、もし、実用化して量産車が登場していたら?

  1. 常磐緩行線だけでなく、埼京線、横浜線、京浜東北線などにも投入された。
    • 205系は山手線投入分で打ちとめになっていた。
    • JR西日本の205系1000番台も207系として登場していたかも。
      • その場合、221系がVVVF制御車として登場していた可能性もある。
    • 地下鉄乗り入れ用以外は前面非貫通式で登場していた。
  2. こっちの方が207系0番代になっていた。
    • JR西日本の207系は209系になっていた。
      • 史実における209系はなかったかも。
        • むしろ209系→231系、E231系→E233系、E233系→E235系、E235系→E237系になっていた。
  3. 203系は常磐快速線に転用されていたか他線に転出していた。
    • 常磐快速線に転用されていた場合、誤乗防止のため、E231系のように黄緑の帯が追加されたかあるいは青緑1色に塗装された。
    • あるいは営団東西線乗り入れ用車両(301系・103系1200番代)置換えのために転出していた。
      • 東西線にも207系が投入されていたような気がしなくもない。
  4. 引退は現実よりも遅く、2017年現在の時点でも現役車両がいたかも。
    • 上記のようにJR西日本にも投入されていた場合は尚更。
    • 2000年代後半からIGBT-VVVFへの制御装置更新が行われていた。
  5. 常磐線中距離快速にJRになってすぐに投入される。
  6. 総武線各駅停車の103系置き換え用に投入されていた。
  7. 総武線の地下鉄乗り入れ車に投入されていた。(青帯)
  8. 1994年製造中止?
  9. 試作車を意味する「900番台」は外されていた。
    • 西の207系は別の形式になっていた。
      • 上に書いてあるように209系になっていたか。

211系0番台・1000番台

初期形113・115系の後継車として計画としてされたが、前者は10両編成6本、後者は5両編成11本で製造が打ち切られました。もし更なる増備が継続されたら?

  1. 私見になるが、前者は10両編成14本、後者は5両編成24本まで製造できたと思う。
    • そうなった場合、初期型113系・115系の廃車ペースは史実以上に早められた。
      • 従って、特別保全工事、冷改などは、史実ほどには施工されなかった。
    • しかし、ロングシート編成の製作両数は史実どうり。
  2. 後年、長野転属のさい14本全て向かい合わせ座席になっていた。
  3. 415系はクハ・モハにも1700番台が登場したかもしれない。
  4. そもそもJR東日本がクロスシート車の製造に意欲的だったら十分あり得た(JR東日本発足後はクロスシート車の製造に消極的になったため)。

211系0番台名古屋地区用

  • 4両編成2本のみの製造となり5000番台へと移行しましたが、もし0番台時代に大量製造されていた場合。
  1. 311系を投入後は東海道線の脇役へと変化。
  2. 211系5000番台は東海道線に投入される時期は短かった。
  3. 313系投入後は中央線を中心に転属。
    • その分1100番代以降の製造が少なかった。
  4. 静岡地区にもこれが導入され丸窓の113系が史実よりも早々と無くなっていた。

301系

製造コストが非常に高かったことから製造が途中で打ち切られ、103系1200番台の製造へと方針が転換された。

  1. 103系1000番台の代わりに常磐緩行線にも投入されていたかもしれない。
    • どちらにせよ203系の投入とそれに伴う地上転出は史実通り。ただし105系(303系?)に改造されたかどうかは微妙なところ。
    • 103系1200番台は存在しない。1500番台も301系の番台区分になっていた。
  2. 201系辺りでアルミ車体の導入が真剣に検討されていた。
    • この場合203系は201系の番台区分になっていた。
      • 場合によっては205系以降もアルミ車体が継続使用されていたかもしれない。
  3. 国鉄の財政は間違いなく史実以上に悪化していた。
    • 分割民営化が早まったかもしれない。

415系1700番台

史実ではサハ411-1701の1両のみ製造された。

  1. ロングシート車の415系1500番台の製造両数が少なくなっていた。
    • サハ411-1601は登場せず、サハ411-1702として登場していた。
  2. 恐らく九州に投入された415系ステンレス車はこちらになっていた。
  3. JR東日本では混雑緩和のため1500番台よりも先に廃車されたが、JR九州では全車両現役。
    • JR九州でも混雑緩和のためロングシートに改造された車両も存在していた。
  4. 811系は投入されなかった。あるいは製造数が減っていた。
  5. むしろ415系1500番台の7両化用に投入されていた。
    • 415系ステンレス車のみで組成された7両編成の登場が実現していた。
      • 史実ではステンレス車のみで組成された7両編成は存在しない。
  6. クハ415-1901は登場しなかった。

417系

史実では仙台地区のみの導入であったが、この他にも秋田や金沢地区などにも導入する計画があった。

  1. 50系客車の製造数が減っていた。
  2. 急行形車両の格下げ転用はなく、急行列車はある程度維持できていた。
  3. 713系・715系・717系・413系・419系・701系は登場しなかった。
    • 田沢湖線改軌時に719系5000番台が投入されていた。
  4. JR西日本所属車はN40改造されていた。
  5. JR東日本所属車は今頃はE721系に置き換えられており、秋田・盛岡地区にも投入されていた。
  6. 金沢地区配置車は新製時から冷房付きとなっていた。
    • 417系にも青や赤1色の車両が登場していた。

713系

史実では試作車4編成が製造されているが、量産車は鹿児島本線にも投入する計画があった。この他にも周波数を変更することで50Hz線区にも投入出来る設計となっていた。もし、量産車が製造されていたら?

  1. 当初の計画通り、ステンレス車体・空気ばね台車となっていた。
    • 時期的に213系を固定クロスシートにした感じの車両となっていた。
    • 空気ばね台車は、他形式の廃車発生品を再利用。
      • やる気があれば、新品のボルスタレス台車に変更されてたかも。
  2. 715系・717系は登場しなかった。
  3. 東北地区に投入されていた場合は719系・701系は登場しなかった。
  4. 鹿児島本線に投入されていた場合は肥薩おれんじ鉄道に数編成が移籍していた。
  5. 900番台が主制御機器を更新した際車番が変更されることはなかった。

715系

  • 715系電車は、長崎地区の715系4両編成12本、仙台地区の715系4両15本、金沢地区の419系3両編成15本をもって、製作が打ち切られました。もし、種車の583(581)系のモハ583・582(モハ581・モハ580)の総計118ユニットを全て715系化するとしたならば、どのようになっていたか。
  1. 419系は製作されなかった。
  2. 長崎・仙台地区のほか、青森、秋田、鹿児島地区にも投入された。
    • 場合によっては鹿児島地区に投入される場合、長崎地区のモハ715を先頭車化改造(トイレ・洗面所もあわせて撤去)して3両化。
  3. 417系は、金沢地区に転属になっていた。
    • その結果、715系の総製作数は374両になっていた。
      • よって、583系は国鉄時代に姿を消していたかもしれない。
  4. 急行きたぐには客車のままだった。
  5. 12系2000番台は登場しなかった。
  6. 寝台車の絶対数不足が起きるため、20系客車がJR化後も定期運用を持っていた。
    • 銀河・ちくま・だいせん・かいもん・日南の寝台車はJR化後も20系のままだった。

717系仙台地区用

仙台地区の451・453系全車改造に至るまで増備していたら?

  1. 種車が抑速ブレーキを持たないので運用が常磐線に限定されていた。
  2. 水戸乗り入れも末期まで行われていた。
  3. 719系の登場は史実通りであるが、455系が置き換え対象となっていた。
    • 455系の大規模な更新工事はなかった。
  4. ワンマン運転が難しく、輸送力も過剰であるため、一部の編成が701系に置き換えられていた。
  5. 今頃はE721系に置き換えられている。

気動車

キハ35形900番台

史実では10両のみの製作で終わりましたが、もし、更に増備されていたら?

  1. これ以降のキハ30・キハ35は東急車輛製造で作られていた。
    • 205系のように他社への技術開示はできなかったと思われるため。
    • もっともこれができていれば国鉄の歴史は変わっていただろう。

キハ37形

史実では5両のみの製作で終わりましたが、もし、更に増備されていたら?

  1. 加古川線・久留里線のキハ35系を確実に置き換えていた。
    • キハ38形は登場しなかった。
  2. 加古川線のものは電化後は中国地方へ転出していた。
    • 延命工事も行われており、早期廃車の対象になることはなかった。
  3. 久留里線のものは史実通りにキハE130形に置き換えられていた。
  4. 久留里線や加古川線以外の線区にも投入されていた。
  5. 両運転台版も登場していた。
    • 扉配置はキハ40形に準じていた。

キハ38形

史実では7両のみの製作で終わりましたが、もし、八高線のキハ35系全車置き換えに至るまで製作されていたら?

  1. 八高線にキハ110系は投入されなかった。
  2. 八高線電化時に一部が久留里線に転出するのは史実通りであるが、この時点でキハ35系が全廃されていた。
    • 和田岬線用は?
  3. 今頃はキハE130系に置き換えられていただろう。

キハ58・28形

史実では1969年までに製造が続けていましたが、もし、更に増備されていたら?

  1. キハ40系は製造されなかったかも。
    • むしろキハ66・67形の方が登場しなかった。
      • それすらなかったので117系の登場にも影響が出ていた。
  2. 50系客車の普通列車はなく、一ノ関以北の東北本線や村上以北の羽越本線に運用されていた。
    • 非電化線区ならともかく、交流電化線区での機関車有効活用や交流/直流電化線区への直通運転、通勤輸送との観点から長編成で有利となることからむしろ登場したのでは?
  3. キハ65形登場と同時期にモデルチェンジしていた。
    • 同時期に登場した12系と同様のスタイルとなっていた。
    • 本州向けは製造時から冷房車として製造され、北日本向けは依然として冷房は準備工事だった。
  4. 遜色急行が減っていた。
    • 特に北海道のキハ22形急行列車は本系列によって置き換えられ、普通と急行で車種の専従化が徹底されていた。
  5. この車両は計画されなかった。

キハ66・67形

史実では九州に30両が投入されただけで終わりました。

  1. 九州以外にも投入されていた。
    • 投入線区は恐らく関西本線とかだろうか?
      • 名古屋口に投入して近鉄特急に対抗していたか?
      • 急行「かすが」はこれになっていたかも?
        • かすがに限らず一部の気動車急行をこれにしてたかもしれない。
  2. キハ40系の製造両数が現実よりも少なかった。
  3. 両運転台車も登場していた。形式名は「キハ68形」か?
  4. おそらくキロも登場していた。
  5. 165系・475系の車体に側面はキハ66・67形といった電車も登場していた。

客車

12系

1969(昭和44)年からデビューした12系客車ですが、諸事情により1972(昭和47)年より特急形14系客車の製造に変更となりました。もし、1972(昭和47)年以降も12系客車で製造されたら?

  • 1977年(昭和52年)に製造が再開されていますが、ここでは製造が中断されなかったらとします。
  1. 総製作両数は、2000両近くまで製造された。
  2. 50系客車は製造されなかった。
    • 夜行急行などでの需要があるから流石に投入されるだろう。
  3. 後年のローカル転用にあたり、115系・417系・715(711)系などの朝夕ラッシュ時間帯にて混雑緩和用として用いられた。
    • それにあたり、折戸ドア→引戸ドアの施行、3ドア化、デッキ撤去などの施行が行われていた。
  4. 北海道へは側引戸、2重窓装備のマイナーチェンジ車が投入されていた。
    • 14系500番代は登場しなかった。
    • 北海道向けの車両の冷房・電気暖房・ディーゼル発電機は準備工事のみで、暖房は機関車からの蒸気暖房を使用していた。国鉄最末期になってやっと冷房・電気暖房が設置され、津軽海峡線の快速「海峡」に使用された。
  5. 北斗星」用にこれを種車にした個室寝台車が製作されていた。
  6. 旧型客車の急行運用は1978年までに全廃され、以降の運用は普通列車のみであった。
    • 寝台車については新車は特急優先とするスタンスから10系が引き続き使用されていた。20系の転用も史実通り。
  7. 「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」に14系座席車が投入されることはなかった。
  8. 1973年以降の増備車は防火対策がされていた。
  9. 12系を種車にしたジョイフルトレインがさらに増えていたかもしれない。
    • 史実で14系座席車を種車にしたジョイフルトレインも12系から改造を行っていた。

機関車

EF81形300番台

史実では関門トンネル増発用として4両が登場しましたが、製造両数がもっと多かったら?

  1. EF30はローズピンクに塗装され北陸本線米原〜田村間に転出していた。
    • 田村機関区はEF30が廃車される1986年まで存続した。
  2. 増備車は製造当初から重連総括機能を搭載していた。