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== TV全般 ==
# 十数年前から毎週土曜18:30からやっている「さんまのまんま」は、実は深夜番組の再放送であるということを知らない。
#*さんまのまんまは本放送の関西ではゴールデンです(ドラえもんの裏)。そして1週遅れで関東でネット。
#* ゴールデン進出前の「愛のエプロン」が夕方に放送されてたため、これが関東では深夜番組だったことも知らない。
#* 「なんでも鑑定団」も真昼からやっている
#* さんまの番組の再放送が、異様に多い。
# 石川テレビには石川さんという気持ち悪いマスコットがいる。
#*石川テレビのマスコット石川さんは、日本テレビ製作でテレビ金沢で放送している「メレンゲの気持ち」に出演したことがある。
#*北陸放送の「みらいちゃん」と、米永仏壇の「一休さん」の目つきはアブない。
#*「日本列島の中心で電波を発信している図」をモチーフとした「みるる」は、ある意味「さすが朝日系列の放送局」のマスコットと言える。(アンテナ=自社の位置を「日本の中心」に見立てるあたりは特に)
#**まぁ、そのものズバリ「日本列島ここが真ん中」ってラジオ番組をやっていた北陸放送よりは奥ゆかしいかもしれない。
#*クロージングで石川さんが機材の後始末をしている。
#*みうらじゅんが提唱した全国の「ゆるキャラ」の中でも代表格である石川さん。著書でも紹介されている。全国的にもそれなりに知名度があるのは彼の引き立てによるところが大きい。
# 深夜番組のCMのほとんどがパチンコ屋である。
#*深夜帯に限らず石川ではパチンコ屋のCMが異様に多い
#*レジャランとパチンコ屋と村井葬儀社のCMが流れると「そろそろ寝ないと」と思う。
# 相撲の本場所中、テレビのニュースで「郷土出身力士の成績」を毎日放送する。
#*うちもそうです。(新潟県民)
# Hなテレビがある。
# 石川県はテレビ東京系のキー局が無く、テレ東系の番組は慨存する4局で分け合って放送している。(ただ、それでも放送する時間帯は平日の昼間か全日の深夜帯しか無く放映されてる番組も限られているので、マトモにテレ東の番組を見るにはBSデジタル(またはケーブルテレビ)を導入するしか方法がない)
# いにしえの時代、女子高生の集団が街頭に立ち「夕焼けニャンニャン」の放送を訴えて署名運動を敢行した伝説がある。
# 北陸放送と石川テレビの老舗局が年々転落傾向にある。 
# 以前は「ズームイン」も「ニュースステーション」も放送されず、某「どげんかせんといかん」知事のいる県と同じだった。


== アニメ ==
少数派に留まった車両や完全な車両置き換えに至らなかった車両がもし、更に増備されていたら?
# 北陸3県とも言えることだが、関東地方でやっていたアニメが1年以上後になってこちらで放送されるケースが多い。
*新規追加は車種別に形式が若い順にお願いします。
#*新世紀エヴァンゲリオン 本放送1995年10月~、石川1997年2月〜(週5回放送)
**項目内に史実の導入編成数を書いていただければ幸いです。
#*機動戦艦ナデシコ 本放送1996年4月~、石川1997年ごろ〜
*安易すぎる内容はご遠慮願います(「◯◯系が登場するのは史実通り」「保存車が増えていた」「あの形式の増備が打ち切りになっていた」「あの形式とともに活躍していた」「JR発足後は○○に継承されていた」など)。
#**ナデシコは[[福井]]でやってもいなかった。[[広島]]もやってなかった。
*現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。
#*コードギアス 反逆のルルーシュ 本放送2006年10月~、石川2007年10月〜
#**↑それたぶん深夜の再放送。1年経って再放送なんかするぐらいなら新作流せって言いたい。
#*地上波深夜アニメ枠は皆無に等しい(ただしこれは他の地方も同様)。
# 30代中盤のアニヲタ(現役、元問わず)は、北陸放送が富野アニメを2週遅れで土曜の早朝に放送し、挙句に「エルガイム」の40話を最後に打ち切った事を根に持っている。
#*ちなみに翌週「A-TOLL初登場」だった。富野アニメの放送が再開されるのはZZガンダム以降。石川テレビによって再開され、ZとZZがほぼ同時にスタートするという状態(Zは週四日平日夕方4時半〜、ZZは週一回土曜早朝。)
#*ただし富山の北日本放送を受信可能な地域はZガンダムをほぼリアルタイムで見られた。それでもエルガイムの41話〜最終回は見られずじまい。
#*エルガイムの件ってロサンゼルスオリンピックのアマレスに地元の馳浩が出場するってんで独自の事前番組とか挟む編成にシフトしたんだっけ?
#石川県には「アニメイト」と「ゲーマーズ」のアニメショップが存在するのに肝心のアニメは少ない(テレ東系キー局が無い)
#*ゲーマーズって無くなった?建物自体無くなってたよね
#**どこかに移転した。閉店だったら公式HPからの紹介が消されてるはず。
#**調べたら移転されてましたね、thx
#***ゲーマーズは武蔵のエムザの近くにある。入り口がビルの裏側というよくわからない構造。
#*独立U局も無いしね。
#「デ・ジ・キャラットにょ」は2クール目で打ち切り。ブロッコリーの木谷会長の出身地なのに残念。
#18時と言えばニュース。このため、近年まで土6アニメは1週遅れだった。
#実は、10年前(1997年)の石川県のアニメ事情はかなりの上位だったりする[http://paranoia.sblo.jp/article/6369598.html]。
#「よみがえる空」作品の舞台は石川県小松市だが、地上波放送が行われていない。
#現代用語の基礎知識にのる「能登かわいいよ能登」と言っても通用しない。語源の能登麻美子は石川県出身。
#*能登地方ではなく、金沢市出身。
#アニメ「赤ずきんチャチャ」の最終話がカットされ放送されていない。原作者の彩花みん先生は石川県七尾の出身。
#「永井豪が石川生まれなんだよ」というと大抵「へー」という顔をする。
# 北陸放送は1985年10月「ドラえもん」などのアニメをすべて打ち切り、ドラマの再放送に変更するという「暴挙」に出た。


==北國新聞==
;関連項目
#1面は地域ニュース・松井情報優先
*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/JR]] - JR発足後に増備が考えられたものはこちらへ。
#*1面は金沢大学の研究成果発表のことも多いが、これはゴルフ接待の賜物である。
*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄]] - 導入計画があったが未成に終わった車両や試作車はこちらへ。
#*まれに社屋移転がカラーで掲載される
#*ヒラリ君の金沢弁はどう見ても失敗だ
#*中身も地域のことが大きく載るので、大事なニュースは7時のNHKニュースを見ないと分からない。ふるさと不足でいいから情報クレ。
# 回覧板扱いなのでバカをやると見事に載る。
# 北國新聞を取らない企業は誌面で嫌がらせを受ける。
#*つか、うちは毎日新聞だけど、広告が入ってるのは月に1回くらい?必然的に北國新聞との関係がないとだめなんじゃ。
# 在京全国紙の記事は一日遅れであると信じて北國新聞を取りたがる。
#*そこまでひどくはないが、朝日・毎日は関西で印刷したものをトラック輸送しているため、前夜のプロ野球のナイターが長くなると、最終回の結果まで載っていないことも。
# 他県の人から「ほっこく」新聞を「きたぐに」新聞と言われる。
#*間違っても「北国新聞」ではない。
#**過去の一時期「北国新聞」だった事がある。
# 主催する花火大会の記事が、1面トップを飾る。
# 無料情報誌の「金沢情報」も有名。
# 北國新聞ニュースのオープニングは千葉日報の負けず劣らずのおどろおどろしさ。
# 論調は金沢中心主義で、新潟県の知事に「新幹線開通で上越地方が金沢経済圏に組み込まれると思うが」という質問を平気でやる。<font size=-2>…誇大妄想しすぎだよ。</font>
# テレビ欄・ラジオ欄が日本一分かりにくい。しかもテレビ金沢など支援している放送局をひいきしすぎ。隣県のテレビ・ラジオ欄の扱いもひどく、FM福井・FMとやま、夕刊ではFBCラジオは掲載されていない。
#*チャンネルの数字や開局順ではなく、系列関係にある局を最も左に並べる。今では信じられないが、MROとニュースの配信やイベント等で関係があったときは、MROが最も左に掲載されていた。
#*コミュニティFM、ラジオかなざわなどに出資しているものだから、ラジオ欄にFM石川と同様に載せており、全国紙のラジオ欄に慣れた読者には違和感がある。


==NHK金沢放送局==
==電車==
===特急・急行形===
====165系・457系====
*急行型電車は1973(昭和48)年をもって新製が打ち切られました。もし、もう少し増備がつづけられていたら。
#70年代終盤あたりから特急型電車がガンガン新製されて、急行増発→急行列車の特急化を推進させられた。
#*その結果、旧型電車・旧型客車(普通列車)は長野・新潟地区はオール165系化、仙台・秋田・青森・金沢地区などは、オール急行型で新性能化される。
#*[[紀勢本線]]の急行「きのくに」は1978.10改正の新宮電化の時点で165系電車に置き換えられていた。
#**南海からの南紀直通もこの時点で廃止されていた。
#**それでも1985年に特急「くろしお」に格上げ→廃止は史実通りだろう。
#従って、急行形電車は3ドア化、洗面所・デッキ撤去される。
#*史実の717系900番台と近似の形態となっていた。
#*近郊型改造に伴い165系は115系、457系は415系の新区分番台に改番されていた。
#*洗面所撤去だけでなくトイレの数も減らされていた。
#よって、ローカル向け115系1000番台(状況次第では2000番台も)、119系、419系電車、50系客車、ED76系交流機関車などはデビューすることはなかった。
#「しらゆき」に投入されていた場合、457系は3電源を発揮できる電車となっていた。
#いや、「しらさぎ」は特急化されて「白鳥」と併結運転となっていた。
#よって、「白鳥」は1~6号となっていた。
#455・457・475系から改造されたジョイフルトレインも存在していた。


==[http://www.mro.co.jp/ 北陸放送]==
====183系あまぎ・白根用====
#石川の老舗テレビ&ラジオ局。
「あまぎ(現在の踊り子)」「白根(現在の草津)」で運用されていた157系置き換え用に留まることなく、更に増備されていたら?
#*なのに老舗局との自覚がないどころか、北陸朝日放送より視聴率は下。
#185系は登場しなかった。
#過去にCM飛ばしをして問題になったことがある。
#*117系と比べられることなく、「最悪の特急」と揶揄されることもなかった。
#*その影響でハウス食品のCMは激減した。
#*「あかぎ」にも183系が投入されていた。よって、新特急も生まれなかった。
#「なぜMRO?」と疑問を抱く者が数人いる。
#**「はまかいじ」にもこの編成が充当されていた。
#*昔、KNBの相本アナがラジオで「北陸放送のMROって何の略ですか」というリスナーの質問に答えるため、本番中にこれまた本番中のMROのスタジオに直接電話をかけて聞いていたな。(富山出身者)
#*185系は元々急行型電車として開発された車両だから、本来の急行用としては登場してたかもしれない。
#**ちなみにそのリスナーは「'''M'''ystery '''R'''adio '''O'''h!」の略だと思ってたらしい。
#基本10両編成だけでなく、付属5両編成も登場していた。
# さわやか合唱団の一番最後に出ていた「デュワ~な気分で楽しい一日を。」の'''デュワ~'''って何なのでしょうか?
#*サハ183形が登場していた。
#ココも'''みらい'''
#*2階建て列車のために貫通路付きクハ183形の製造が再開されていた。
#*♪み~らいららいららい~
#2005年までにE257系によって置き換えられていた。
#一部の人たちには、「MROホール」の隣にある建物として知られる。
#*上記の通り高崎線特急にも183系が投入されていた場合、同線にもE257系が投入されていた。
# かつて朝8時30分からは「モーニングショー」、午後3時からは「アフタヌーンショー」など(いずれもテレビ朝日系)を放送していた。つまりキー局TBSのワイドショーは一切無視。オウムビデオ事件の時も他人事だった。
#**651系1000番台は存在せず、E657系投入後に行き場をなくした651系は殆どが廃車されていた。
#*当時、この2本は、テレビ朝日の高視聴率番組で、朝日のネット局がない地方でも放送することがあった。事実、NNN系列の富山の北日本放送も、両方とも放送していたわけで、MROのみ変わったことをやっていたわけではない。
#***伊豆クレイルの種車は255系になっていた。
# 他局の真似が多い。あとテレビ金沢、北陸朝日放送潰しのために金曜夕方に無理矢理ローカル番組を放送している。
#****255系の編成からすれば無理があると思うが。
#***651系はむしろ当初の予定通り波動用に転用されていたのでは?


==[http://www.ishikawa-tv.com/ 石川テレビ]==
====185系====
#[[フジテレビ]]の『NG大賞』で、1997年頃に春の新番組を紹介する時に局の編成のお偉いさんが「SMAPのキムタカ」と言ったことがある。
史実では東海道線の急行伊豆(今の特急踊り子)と新幹線リレー号(後の新特急「あかぎ」、「草津」)向けに東日本地区のみ導入されたのである。
#古くから幾つかのローカル番組をやっている。
#関西圏にも導入された。
#*歌のホームラン
#*中国地方にも納車された。
#**Uちゃんという着ぐるみがいた。当時は民放が2チャンネルしかなく、VHFはMRO、UHFは石川テレビしかなかったので、Uチャンネルは石川テレビ専用だった。そのためUちゃんと言ってた。
#*これらはJR西日本に継承された際に緑色のストライプが青色に変更された。
#*日曜の夜10時過ぎにやっていた30分番組
#*「北近畿」、「はしだて」などはこれになった。
#*元気王
#**「エーデル北近畿」、「エーデル丹後」はなかった。
#*ほのぼのマンディ、ほのぼのサンディ
#***あれらは「エーデル鳥取」のみに。
#'''「ハピふる!」がやってない。めざましテレビ5時台もやっていない。'''
#*関西地区用の普通車の座席はJR西日本発足後の早い時期に背面テーブル付き回転式リクライニングシートに交換されていた。同時に最高速度を120km/hに向上するための改造工事も行われた。
#* '''石川さん情報Live リフレッシュ'''というのが始まるそうな。
#*2000年代に入るとリニューアル工事で683系並みのアコモデーションに改良され、グリーン車は3列シートになるなど、185系とは思えないほどの見違えるような車両になっていた。
#深夜UHFアニメ「BLACK LAGOON」(しかも1stと2rdシーズン全話)をやってました。
#同じくUHFアニメ「プレイボール」もやってました。
#アニメ版「のだめカンタービレ!」が昼間にやってました。(これはたしか深夜枠の番組のはず・・・)
#マリオがいるらしい。
#エリア最高視聴率を誇る番組を擁する。ただし石川テレビはFNN系列局でありながら、その番組とは'''「開運!なんでも鑑定団」(テレ東)'''である。
#'''メイド服を着た女子アナ'''がMCをするローカル映画番組「Cafe du Cinema」が毎週土曜のゴールデンタイム直前に放送されている(さらに再放送まである)。
#*まるでイロモノのようで、事実イロモノだが、その割にメイド服のままでプレミア上映会のレッドカーペットを歩く来日ハリウッドスターに突撃アピールしたり、メイド服のままでコーヒー出前しつつ単独インタビューをしたり、メイド服のままでフジテレビ制作の劇場映画に出演したりしている。
#*このメイド服の制作には樋口真嗣、出渕裕、劇団新感線の竹田団吾が携わった。
#*フジテレビの笠井アナウンサーが在京スタッフ扱いでたびたび出演する。
#*カフェはワーナーマイカルシネマズ金沢内にあるという設定。つまり劇場とのタイアップ。
#*石川県エリアでの広告効果が見込めないためシオノギ製薬が提供番組「ミュージックフェア」の放送を渋っていて(クスリの国富山県では放送している)、元々はその穴埋め企画だった。
#遊戯王が知らんうちに日曜朝に。(かつては火曜夕方)
#*たぶん、テレビ金沢が月曜の特番放送時にハヤテとしまじろうを火曜に代替え放送したことが原因。(遊戯王とハヤテでは、遊戯王のほうが不利。)
# かつて夕方にローカル番組「まちかど元気王」を放送していたが、裏のテレビ金沢「じゃんけんぽん」に惨敗し、わずか2年3ヶ月で時間帯移行(土曜昼)し、その後打ち切りになった。


==[http://www.tvkanazawa.co.jp/ テレビ金沢]==
====473系====
#本州の[[日本テレビ]]系列では最後発の開局だった。
史実では475系が製造されたため1編成しか製造されませんでした。453系並みに多かったら。
#びービーみつばち。
#475系の導入が遅れた。
#*[[長崎のメディア#長崎国際テレビ|NIB?]]
#*475系は瀬野八越えの区間を抱える山陽~九州方面のみの投入となっていて、北陸方面には1970年の富山地方鉄道立山駅乗り入れの時に457系が投入されるまで475系は投入されなかった。
#平見ちゃんの行方と塚田アナの後退具合が気になる。
#413系100番台も複数編成存在している。
#* 現在進行形ですね>後退
#2010年頃まで現役で運用されていた編成も複数あった。
#'''テレ金'''
#のちに、普通列車に転用されて、50系客車が史実よりも少なくなっていたかもしれない。
#最後発局らしく、本社はつつましく金沢西ICのそばにある。
#* 西IC周辺には、同様につつましくHABの本社もある。
#*最後発は北陸朝日で、テレビ金沢は3局目。むしろ3局目の申請が読売・朝日・北國などの思惑で膠着状態になり、4局目の見通しが付くまで、3局目の免許が下りなかった。
#**3局目ができた時期は、今でも3局しかない富山の3局目[[チューリップテレビ]]に先行される失態。
#日本テレビ系列番組、特にバラエティが好調なこともあり後発にも関わらず存在感は大きい(=デカい顔)。
#開局にあたり、長年MROと深い間柄だった北國新聞が乗り換えるように新規の関係を築いた。
#読売グループと北國新聞グループに一致するところで、傾向は強い保守。
#*「びービーみつばち」等の大衆的なローカルワイドショー番組でも「プライバシーより治安強化」に代表されるような保守的論調が繰り返される。
#*一方MROでは現在は新聞配信のニュース番組は北陸中日新聞と提携するようになった。シェアに比例してか広域紙の地域版という事情もあってか主張のカラーは抑え気味で、やや不明瞭なものとなっている。
#同局で[http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/hayate ハヤテのごとく!]が同局で放送されるようになってからはネット上での知名度が若干上がった。
#*また、月曜に特番を放送した場合は必ずと言っていいほど火曜に代替え放送をするので、遅れ日数が少ない。
#*ハヤテをネットしている日テレ系では最速ネット。<他にハヤテをネットしているNNN系列局は、[[福島のメディア#福島中央テレビ|FCT]]、[[愛媛のメディア#南海放送|RNB]]、[[鳥取・島根のメディア#日本海テレビジョン放送|NKT]]>


==[http://www.hab.co.jp/ 北陸朝日放送]==
===普通列車用===
#H(エイチ)なテレビ。
====103系====
#福井と富山の住民はとても重宝されています。
史実では3447両製造されましたが、もし製造両数がワム80000形(26605両)並みだったら?
#ローカル番組「DokiDokiテレビ」にラッシャー板前が出ているため、石川県内ではラッシャー板前の知名度がよそより高い。
#=国鉄が近郊路線にも4ドア車に投入していた場合か。
# '''視聴者の皆様へ…北陸朝日放送は不偏不党の立場で公平且つ客観的な番組を見ていただくよう努めてまいります。本日もどうぞHABの番組でお楽しみ下さい。'''
#*グリーン車使用やクロスシートタイプも製造されていた。
#*まるで、不偏不党でないテレビ局がどこかにあるような。
#*101系は全て103系に改造されていた。
# 「エイチ・エー・ビーお天気予報です」の「エイチ・エー・ビー」がことさら強調されているような気がする。
#*直流電化区間も伸びていた。
#天気予報の曲が'''カードキャプターさくら'''。
#**3ドア車は常磐線などごく一部にとどまった。
#*最近天気予報のOPが変わりそれではなくなった
#JR東海で令和になっても103系が走っていた可能性大。
# 平日の夕方6時台は、首都圏にいるような雰囲気を味わえる。
#ミィーゴチャンの声を聞いてがっかりした人は多いはず。


====105系改造編入車====
史実では新規製造車(60両)と改造編入車(61両+補充車1両)がありましたが、もし、105系が全て改造編入車だったら?
#205系の製造数が現実より多かった。
#105系登場が遅れていた。(新規製造車は1981年、改造編入車は1984年)
#そもそも105系にはならず103系の番台区分には…流石にならないか。


==[http://fmishikawa.co.jp/ FM石川]==
====113系700・2700番台====
#午前中はJFN垂れ流し。
史実では湖西線向けに開発されたため少なかった。
#Kanazawa Hot 100という[[JFL]]のような番組が金曜の夜に放送されている。3時間番組でHot100って・・・
#草津線の電化が早まっていた。
#平日の日中の時報後は必ず[[パチンコ]]のCMが入る。
#湖西線が全線直流になっていた。交流60Hzとは無縁。
#*それも開業当初から。
#福知山線や山陰本線にも早々と導入されていた。
#*新福知山色は800番台ではなく本番台に塗られていた。
#*勿論福知山口の電化も史実より早まっていた。
#関西圏の東海道線の3ドア快速は221系が入る前はこれで統一されていた。
#*丸窓で大目玉は他路線へ行った。
#JR東海に継承された編成も登場。
#*そちらは当然ながらブルーシートに牛革のシートカバー。
#小浜線や舞鶴線の電化も早まっていたかも。


==隣接メディア==
====113系1500番台====
*[[富山のメディア]]
史実では数両程度増備していた。
*[[岐阜のメディア]]
#横須賀線はSM分離並びに総武本線との直通を境にこれで統一されていた。
*[[福井のメディア]]
#*1000'番台の東京乗り入れは無くなっていたかも。
#**全車房総地区に転属。
#***それも史実より早めに。
#民営化以降、置き換え時期が遅くなり早々とE217系に置き換えられるとはなかった。
#*きっと置き換えるときはE231系1000番台の地下乗り入れ版が開発されていたかも。


[[Category:石川|めてぃあ]]
====113系2000番台====
[[Category:都道府県別のメディア|いしかわ]]
史実では2000番台の数は0番台を下回っていた。
#東海道線東京口はSM分離を境にこれに統一されていたかも(勿論サロは1200番台だけ)。
#サハ代用のクハは史実よりも早く無くなっていたかもしれない(他線区に転用)。
#111系は史実よりも早く無くなっていたかも知れない。
#*四国に譲渡されることはなく、紀勢本線に転属していたかも。
#*あるいは四国に113系0番台の配属が早まっていた。
====123系====
#地方交通線の輸送力適正化に一役買う。
#地方私鉄へ譲渡される車両も出てくるかも
#寒冷地向け仕様や山岳地域向け仕様も出てくる。
#南武支線や鶴見線にも少なからず導入され、クモハ12を置き換えていた。
#*南武支線用101系はなかった。
#**現在はどちらも205系で置き換え済
#郵政省所有のクモユ143も国鉄に譲渡後直ちに123系に改造された。
 
====201系武蔵野線用====
中央線快速用から転用で配置されたものの一部に留まった。
#101系を確実に置き換えていた。
#8両編成化に際しては組み換えで対応していた。
#*8両編成化で持て余した車両は青梅・五日市線に転用されていた。
#*補充として205系も更に増備されていた。
#今頃はE233系に置き換えられている。
 
====205系関西地区用====
史実では京阪神緩行線用に0番台が7両4編成、阪和線用に1000番台が4両5編成のみ導入されました。もし関西にも205系が本格的に投入されていたら?
#京阪神緩行線の103系は1980年代のうちになくなっていた。
#*京阪神緩行線の103系の置き換えが終わると大阪環状線や阪和線などにも投入。
#*JR東西線開通に伴い207系が京阪神緩行線に投入された結果、201系は阪和線や大和路線に転用されていた。
#*京阪神緩行線のスピードアップも実現していた。
#結果として関西から103系が撤退するのが早かった。
#*あるいは高運転台クハ(勿論中間車も後期車のみで構成)の編成だけが生き延びていた。
#1988年以降は1000番台として投入されていた。
#321系は忠実より10年ほど後に227系顔として導入され、205系を駆逐。
#*阪和線の201系導入は大和路戦同様、205系転属となり後回しに。
#**ただ体質改善されそこそこ綺麗な状態にはなっているはず。
#*むしろホームドアの設置の観念から、4扉車の321系は開発されず、3扉車の323系に相当する通勤型車両が投入される。
#**網干車に関しては207系との兼ね合いでそうはならない気がする。
#205系の増備に集中して、221系はあまり造られなかった。
#*恐らく221系は爆音外扇モーター搭載での設計だったかも。
 
====207系900番台====
史実では1編成のみの製造でしたが、もし、実用化して量産車が登場していたら?
#常磐緩行線だけでなく、埼京線、横浜線、京浜東北線などにも投入された。
#*205系は山手線投入分で打ちとめになっていた。
#*JR西日本の205系1000番台も207系として登場していたかも。
#**その場合、[[JR西日本221系電車|221系]]がVVVF制御車として登場していた可能性もある。
#*地下鉄乗り入れ用以外は前面非貫通式で登場していた。
#こっちの方が207系0番代になっていた。
#*JR西日本の207系は209系になっていた。
#**史実における209系はなかったかも。
#***むしろ209系→231系、E231系→E233系、E233系→E235系、E235系→E237系になっていた。
#203系は常磐快速線に転用されていたか他線に転出していた。
#*常磐快速線に転用されていた場合、誤乗防止のため、E231系のように黄緑の帯が追加されたかあるいは青緑1色に塗装された。
#*あるいは営団東西線乗り入れ用車両(301系・103系1200番代)置換えのために転出していた。
#**東西線にも207系が投入されていたような気がしなくもない。
#引退は現実よりも遅く、2017年現在の時点でも現役車両がいたかも。
#*上記のようにJR西日本にも投入されていた場合は尚更。
#*2000年代後半からIGBT-VVVFへの制御装置更新が行われていた。
#常磐線中距離快速にJRになってすぐに投入される。
#総武線各駅停車の103系置き換え用に投入されていた。
#総武線の地下鉄乗り入れ車に投入されていた。(青帯)
#1994年製造中止?
#'''試作車を意味する「900番台」は外されていた。'''
#*西の207系は別の形式になっていた。
#**上に書いてあるように209系になっていたか。
 
====211系0番台・1000番台====
初期形113・115系の後継車として計画としてされたが、前者は10両編成6本、後者は5両編成11本で製造が打ち切られました。もし更なる増備が継続されたら?
#私見になるが、前者は10両編成14本、後者は5両編成24本まで製造できたと思う。
#*そうなった場合、初期型113系・115系の廃車ペースは史実以上に早められた。
#**従って、特別保全工事、冷改などは、史実ほどには施工されなかった。
#*しかし、ロングシート編成の製作両数は史実どうり。
#後年、長野転属のさい14本全て向かい合わせ座席になっていた。
#415系はクハ・モハにも1700番台が登場したかもしれない。
#そもそもJR東日本がクロスシート車の製造に意欲的だったら十分あり得た(JR東日本発足後はクロスシート車の製造に消極的になったため)。
 
====211系0番台名古屋地区用====
*4両編成2本のみの製造となり5000番台へと移行しましたが、もし0番台時代に大量製造されていた場合。
#311系を投入後は東海道線の脇役へと変化。
#211系5000番台は東海道線に投入される時期は短かった。
#313系投入後は中央線を中心に転属。
#*その分1100番代以降の製造が少なかった。
#静岡地区にもこれが導入され丸窓の113系が史実よりも早々と無くなっていた。
 
====301系====
製造コストが非常に高かったことから製造が途中で打ち切られ、103系1200番台の製造へと方針が転換された。
#103系1000番台の代わりに常磐緩行線にも投入されていたかもしれない。
#*どちらにせよ203系の投入とそれに伴う地上転出は史実通り。ただし105系(303系?)に改造されたかどうかは微妙なところ。
#*103系1200番台は存在しない。1500番台も301系の番台区分になっていた。
#201系辺りでアルミ車体の導入が真剣に検討されていた。
#*この場合203系は201系の番台区分になっていた。
#**場合によっては205系以降もアルミ車体が継続使用されていたかもしれない。
#国鉄の財政は間違いなく史実以上に悪化していた。
#*分割民営化が早まったかもしれない。
 
====415系1700番台====
史実ではサハ411-1701の1両のみ製造された。
#ロングシート車の415系1500番台の製造両数が少なくなっていた。
#*サハ411-1601は登場せず、サハ411-1702として登場していた。
#恐らく九州に投入された415系ステンレス車はこちらになっていた。
#JR東日本では混雑緩和のため1500番台よりも先に廃車されたが、JR九州では全車両現役。
#*JR九州でも混雑緩和のためロングシートに改造された車両も存在していた。
#811系は投入されなかった。あるいは製造数が減っていた。
#むしろ415系1500番台の7両化用に投入されていた。
#*415系ステンレス車のみで組成された7両編成の登場が実現していた。
#**史実ではステンレス車のみで組成された7両編成は存在しない。
#クハ415-1901は登場しなかった。
 
====417系====
史実では仙台地区のみの導入であったが、この他にも秋田や金沢地区などにも導入する計画があった。
#50系客車の製造数が減っていた。
#急行形車両の格下げ転用はなく、急行列車はある程度維持できていた。
#713系・715系・717系・413系・419系・701系は登場しなかった。
#*田沢湖線改軌時に719系5000番台が投入されていた。
#JR西日本所属車はN40改造されていた。
#JR東日本所属車は今頃はE721系に置き換えられており、秋田・盛岡地区にも投入されていた。
#金沢地区配置車は新製時から冷房付きとなっていた。
#*417系にも青や赤1色の車両が登場していた。
 
====713系====
史実では試作車4編成が製造されているが、量産車は鹿児島本線にも投入する計画があった。この他にも周波数を変更することで50Hz線区にも投入出来る設計となっていた。もし、量産車が製造されていたら?
#当初の計画通り、ステンレス車体・空気ばね台車となっていた。
#*時期的に213系を固定クロスシートにした感じの車両となっていた。
#*空気ばね台車は、他形式の廃車発生品を再利用。
#**やる気があれば、新品のボルスタレス台車に変更されてたかも。
#715系・717系は登場しなかった。
#東北地区に投入されていた場合は719系・701系は登場しなかった。
#鹿児島本線に投入されていた場合は肥薩おれんじ鉄道に数編成が移籍していた。
#900番台が主制御機器を更新した際車番が変更されることはなかった。
 
====715系====
*715系電車は、長崎地区の715系4両編成12本、仙台地区の715系4両15本、金沢地区の419系3両編成15本をもって、製作が打ち切られました。もし、種車の583(581)系のモハ583・582(モハ581・モハ580)の総計118ユニットを全て715系化するとしたならば、どのようになっていたか。
#419系は製作されなかった。
#長崎・仙台地区のほか、青森、秋田、鹿児島地区にも投入された。
#*場合によっては鹿児島地区に投入される場合、長崎地区のモハ715を先頭車化改造(トイレ・洗面所もあわせて撤去)して3両化。
#417系は、金沢地区に転属になっていた。
#*その結果、715系の総製作数は374両になっていた。
#**よって、583系は国鉄時代に姿を消していたかもしれない。
#急行きたぐには客車のままだった。
#12系2000番台は登場しなかった。
#寝台車の絶対数不足が起きるため、20系客車がJR化後も定期運用を持っていた。
#*銀河・ちくま・だいせん・かいもん・日南の寝台車はJR化後も20系のままだった。
 
====717系仙台地区用====
仙台地区の451・453系全車改造に至るまで増備していたら?
#種車が抑速ブレーキを持たないので運用が常磐線に限定されていた。
#水戸乗り入れも末期まで行われていた。
#719系の登場は史実通りであるが、455系が置き換え対象となっていた。
#*455系の大規模な更新工事はなかった。
#ワンマン運転が難しく、輸送力も過剰であるため、一部の編成が701系に置き換えられていた。
#今頃はE721系に置き換えられている。
 
==気動車==
===キハ35形900番台===
史実では10両のみの製作で終わりましたが、もし、更に増備されていたら?
#これ以降のキハ30・キハ35は東急車輛製造で作られていた。
#*205系のように他社への技術開示はできなかったと思われるため。
#*もっともこれができていれば国鉄の歴史は変わっていただろう。
 
===キハ37形===
史実では5両のみの製作で終わりましたが、もし、更に増備されていたら?
#加古川線・久留里線のキハ35系を確実に置き換えていた。
#*キハ38形は登場しなかった。
#加古川線のものは電化後は中国地方へ転出していた。
#*延命工事も行われており、早期廃車の対象になることはなかった。
#久留里線のものは史実通りにキハE130形に置き換えられていた。
#久留里線や加古川線以外の線区にも投入されていた。
#両運転台版も登場していた。
#*扉配置はキハ40形に準じていた。
 
===キハ38形===
史実では7両のみの製作で終わりましたが、もし、八高線のキハ35系全車置き換えに至るまで製作されていたら?
#八高線にキハ110系は投入されなかった。
#八高線電化時に一部が久留里線に転出するのは史実通りであるが、この時点でキハ35系が全廃されていた。
#*和田岬線用は?
#今頃はキハE130系に置き換えられていただろう。
 
===キハ58・28形===
史実では1969年までに製造が続けていましたが、もし、更に増備されていたら?
#キハ40系は製造されなかったかも。
#*むしろキハ66・67形の方が登場しなかった。
#**それすらなかったので117系の登場にも影響が出ていた。
#50系客車の普通列車はなく、一ノ関以北の東北本線や村上以北の羽越本線に運用されていた。
#*非電化線区ならともかく、交流電化線区での機関車有効活用や交流/直流電化線区への直通運転、通勤輸送との観点から長編成で有利となることからむしろ登場したのでは?
#キハ65形登場と同時期にモデルチェンジしていた。
#*同時期に登場した12系と同様のスタイルとなっていた。
#*本州向けは製造時から冷房車として製造され、北日本向けは依然として冷房は準備工事だった。
#遜色急行が減っていた。
#*特に北海道のキハ22形急行列車は本系列によって置き換えられ、普通と急行で車種の専従化が徹底されていた。
#[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄#新系列急行形気動車|この車両]]は計画されなかった。
 
===キハ66・67形===
史実では九州に30両が投入されただけで終わりました。
#九州以外にも投入されていた。
#*投入線区は恐らく[[関西本線]]とかだろうか?
#**名古屋口に投入して[[近鉄特急]]に対抗していたか?
#**急行「かすが」はこれになっていたかも?
#***かすがに限らず一部の気動車急行をこれにしてたかもしれない。
#キハ40系の製造両数が現実よりも少なかった。
#両運転台車も登場していた。形式名は「キハ68形」か?
#おそらくキロも登場していた。
#165系・475系の車体に側面はキハ66・67形といった電車も登場していた。
 
==客車==
===12系===
1969(昭和44)年からデビューした12系客車ですが、諸事情により1972(昭和47)年より特急形14系客車の製造に変更となりました。もし、1972(昭和47)年以降も12系客車で製造されたら?
*1977年(昭和52年)に製造が再開されていますが、ここでは製造が中断されなかったらとします。
#総製作両数は、2000両近くまで製造された。
#50系客車は製造されなかった。
#*夜行急行などでの需要があるから流石に投入されるだろう。
#後年のローカル転用にあたり、115系・417系・715(711)系などの朝夕ラッシュ時間帯にて混雑緩和用として用いられた。
#*それにあたり、折戸ドア→引戸ドアの施行、3ドア化、デッキ撤去などの施行が行われていた。
#北海道へは側引戸、2重窓装備のマイナーチェンジ車が投入されていた。
#*14系500番代は登場しなかった。
#*北海道向けの車両の冷房・電気暖房・ディーゼル発電機は準備工事のみで、暖房は機関車からの蒸気暖房を使用していた。国鉄最末期になってやっと冷房・電気暖房が設置され、津軽海峡線の快速「海峡」に使用された。
#「[[北斗星]]」用にこれを種車にした個室寝台車が製作されていた。
#旧型客車の急行運用は1978年までに全廃され、以降の運用は普通列車のみであった。
#*寝台車については新車は特急優先とするスタンスから10系が引き続き使用されていた。20系の転用も史実通り。
#「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」に14系座席車が投入されることはなかった。
#1973年以降の増備車は防火対策がされていた。
#12系を種車にしたジョイフルトレインがさらに増えていたかもしれない。
#*史実で14系座席車を種車にしたジョイフルトレインも12系から改造を行っていた。
 
==機関車==
===EF81形300番台===
史実では関門トンネル増発用として4両が登場しましたが、製造両数がもっと多かったら?
#EF30はローズピンクに塗装され北陸本線米原〜田村間に転出していた。
#*田村機関区はEF30が廃車される1986年まで存続した。
#増備車は製造当初から重連総括機能を搭載していた。
 
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史|あのてつとうしやりようかさらにそうひこくてつ]]
[[カテゴリ:日本国有鉄道の車両|もしさらにそうひ]]

2021年3月4日 (木) 20:48時点における版

少数派に留まった車両や完全な車両置き換えに至らなかった車両がもし、更に増備されていたら?

  • 新規追加は車種別に形式が若い順にお願いします。
    • 項目内に史実の導入編成数を書いていただければ幸いです。
  • 安易すぎる内容はご遠慮願います(「◯◯系が登場するのは史実通り」「保存車が増えていた」「あの形式の増備が打ち切りになっていた」「あの形式とともに活躍していた」「JR発足後は○○に継承されていた」など)。
  • 現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。
関連項目

電車

特急・急行形

165系・457系

  • 急行型電車は1973(昭和48)年をもって新製が打ち切られました。もし、もう少し増備がつづけられていたら。
  1. 70年代終盤あたりから特急型電車がガンガン新製されて、急行増発→急行列車の特急化を推進させられた。
    • その結果、旧型電車・旧型客車(普通列車)は長野・新潟地区はオール165系化、仙台・秋田・青森・金沢地区などは、オール急行型で新性能化される。
    • 紀勢本線の急行「きのくに」は1978.10改正の新宮電化の時点で165系電車に置き換えられていた。
      • 南海からの南紀直通もこの時点で廃止されていた。
      • それでも1985年に特急「くろしお」に格上げ→廃止は史実通りだろう。
  2. 従って、急行形電車は3ドア化、洗面所・デッキ撤去される。
    • 史実の717系900番台と近似の形態となっていた。
    • 近郊型改造に伴い165系は115系、457系は415系の新区分番台に改番されていた。
    • 洗面所撤去だけでなくトイレの数も減らされていた。
  3. よって、ローカル向け115系1000番台(状況次第では2000番台も)、119系、419系電車、50系客車、ED76系交流機関車などはデビューすることはなかった。
  4. 「しらゆき」に投入されていた場合、457系は3電源を発揮できる電車となっていた。
  5. いや、「しらさぎ」は特急化されて「白鳥」と併結運転となっていた。
  6. よって、「白鳥」は1~6号となっていた。
  7. 455・457・475系から改造されたジョイフルトレインも存在していた。

183系あまぎ・白根用

「あまぎ(現在の踊り子)」「白根(現在の草津)」で運用されていた157系置き換え用に留まることなく、更に増備されていたら?

  1. 185系は登場しなかった。
    • 117系と比べられることなく、「最悪の特急」と揶揄されることもなかった。
    • 「あかぎ」にも183系が投入されていた。よって、新特急も生まれなかった。
      • 「はまかいじ」にもこの編成が充当されていた。
    • 185系は元々急行型電車として開発された車両だから、本来の急行用としては登場してたかもしれない。
  2. 基本10両編成だけでなく、付属5両編成も登場していた。
    • サハ183形が登場していた。
    • 2階建て列車のために貫通路付きクハ183形の製造が再開されていた。
  3. 2005年までにE257系によって置き換えられていた。
    • 上記の通り高崎線特急にも183系が投入されていた場合、同線にもE257系が投入されていた。
      • 651系1000番台は存在せず、E657系投入後に行き場をなくした651系は殆どが廃車されていた。
        • 伊豆クレイルの種車は255系になっていた。
          • 255系の編成からすれば無理があると思うが。
        • 651系はむしろ当初の予定通り波動用に転用されていたのでは?

185系

史実では東海道線の急行伊豆(今の特急踊り子)と新幹線リレー号(後の新特急「あかぎ」、「草津」)向けに東日本地区のみ導入されたのである。

  1. 関西圏にも導入された。
    • 中国地方にも納車された。
    • これらはJR西日本に継承された際に緑色のストライプが青色に変更された。
    • 「北近畿」、「はしだて」などはこれになった。
      • 「エーデル北近畿」、「エーデル丹後」はなかった。
        • あれらは「エーデル鳥取」のみに。
    • 関西地区用の普通車の座席はJR西日本発足後の早い時期に背面テーブル付き回転式リクライニングシートに交換されていた。同時に最高速度を120km/hに向上するための改造工事も行われた。
    • 2000年代に入るとリニューアル工事で683系並みのアコモデーションに改良され、グリーン車は3列シートになるなど、185系とは思えないほどの見違えるような車両になっていた。

473系

史実では475系が製造されたため1編成しか製造されませんでした。453系並みに多かったら。

  1. 475系の導入が遅れた。
    • 475系は瀬野八越えの区間を抱える山陽~九州方面のみの投入となっていて、北陸方面には1970年の富山地方鉄道立山駅乗り入れの時に457系が投入されるまで475系は投入されなかった。
  2. 413系100番台も複数編成存在している。
  3. 2010年頃まで現役で運用されていた編成も複数あった。
  4. のちに、普通列車に転用されて、50系客車が史実よりも少なくなっていたかもしれない。

普通列車用

103系

史実では3447両製造されましたが、もし製造両数がワム80000形(26605両)並みだったら?

  1. =国鉄が近郊路線にも4ドア車に投入していた場合か。
    • グリーン車使用やクロスシートタイプも製造されていた。
    • 101系は全て103系に改造されていた。
    • 直流電化区間も伸びていた。
      • 3ドア車は常磐線などごく一部にとどまった。
  2. JR東海で令和になっても103系が走っていた可能性大。

105系改造編入車

史実では新規製造車(60両)と改造編入車(61両+補充車1両)がありましたが、もし、105系が全て改造編入車だったら?

  1. 205系の製造数が現実より多かった。
  2. 105系登場が遅れていた。(新規製造車は1981年、改造編入車は1984年)
  3. そもそも105系にはならず103系の番台区分には…流石にならないか。

113系700・2700番台

史実では湖西線向けに開発されたため少なかった。

  1. 草津線の電化が早まっていた。
  2. 湖西線が全線直流になっていた。交流60Hzとは無縁。
    • それも開業当初から。
  3. 福知山線や山陰本線にも早々と導入されていた。
    • 新福知山色は800番台ではなく本番台に塗られていた。
    • 勿論福知山口の電化も史実より早まっていた。
  4. 関西圏の東海道線の3ドア快速は221系が入る前はこれで統一されていた。
    • 丸窓で大目玉は他路線へ行った。
  5. JR東海に継承された編成も登場。
    • そちらは当然ながらブルーシートに牛革のシートカバー。
  6. 小浜線や舞鶴線の電化も早まっていたかも。

113系1500番台

史実では数両程度増備していた。

  1. 横須賀線はSM分離並びに総武本線との直通を境にこれで統一されていた。
    • 1000'番台の東京乗り入れは無くなっていたかも。
      • 全車房総地区に転属。
        • それも史実より早めに。
  2. 民営化以降、置き換え時期が遅くなり早々とE217系に置き換えられるとはなかった。
    • きっと置き換えるときはE231系1000番台の地下乗り入れ版が開発されていたかも。

113系2000番台

史実では2000番台の数は0番台を下回っていた。

  1. 東海道線東京口はSM分離を境にこれに統一されていたかも(勿論サロは1200番台だけ)。
  2. サハ代用のクハは史実よりも早く無くなっていたかもしれない(他線区に転用)。
  3. 111系は史実よりも早く無くなっていたかも知れない。
    • 四国に譲渡されることはなく、紀勢本線に転属していたかも。
    • あるいは四国に113系0番台の配属が早まっていた。

123系

  1. 地方交通線の輸送力適正化に一役買う。
  2. 地方私鉄へ譲渡される車両も出てくるかも
  3. 寒冷地向け仕様や山岳地域向け仕様も出てくる。
  4. 南武支線や鶴見線にも少なからず導入され、クモハ12を置き換えていた。
    • 南武支線用101系はなかった。
      • 現在はどちらも205系で置き換え済
  5. 郵政省所有のクモユ143も国鉄に譲渡後直ちに123系に改造された。

201系武蔵野線用

中央線快速用から転用で配置されたものの一部に留まった。

  1. 101系を確実に置き換えていた。
  2. 8両編成化に際しては組み換えで対応していた。
    • 8両編成化で持て余した車両は青梅・五日市線に転用されていた。
    • 補充として205系も更に増備されていた。
  3. 今頃はE233系に置き換えられている。

205系関西地区用

史実では京阪神緩行線用に0番台が7両4編成、阪和線用に1000番台が4両5編成のみ導入されました。もし関西にも205系が本格的に投入されていたら?

  1. 京阪神緩行線の103系は1980年代のうちになくなっていた。
    • 京阪神緩行線の103系の置き換えが終わると大阪環状線や阪和線などにも投入。
    • JR東西線開通に伴い207系が京阪神緩行線に投入された結果、201系は阪和線や大和路線に転用されていた。
    • 京阪神緩行線のスピードアップも実現していた。
  2. 結果として関西から103系が撤退するのが早かった。
    • あるいは高運転台クハ(勿論中間車も後期車のみで構成)の編成だけが生き延びていた。
  3. 1988年以降は1000番台として投入されていた。
  4. 321系は忠実より10年ほど後に227系顔として導入され、205系を駆逐。
    • 阪和線の201系導入は大和路戦同様、205系転属となり後回しに。
      • ただ体質改善されそこそこ綺麗な状態にはなっているはず。
    • むしろホームドアの設置の観念から、4扉車の321系は開発されず、3扉車の323系に相当する通勤型車両が投入される。
      • 網干車に関しては207系との兼ね合いでそうはならない気がする。
  5. 205系の増備に集中して、221系はあまり造られなかった。
    • 恐らく221系は爆音外扇モーター搭載での設計だったかも。

207系900番台

史実では1編成のみの製造でしたが、もし、実用化して量産車が登場していたら?

  1. 常磐緩行線だけでなく、埼京線、横浜線、京浜東北線などにも投入された。
    • 205系は山手線投入分で打ちとめになっていた。
    • JR西日本の205系1000番台も207系として登場していたかも。
      • その場合、221系がVVVF制御車として登場していた可能性もある。
    • 地下鉄乗り入れ用以外は前面非貫通式で登場していた。
  2. こっちの方が207系0番代になっていた。
    • JR西日本の207系は209系になっていた。
      • 史実における209系はなかったかも。
        • むしろ209系→231系、E231系→E233系、E233系→E235系、E235系→E237系になっていた。
  3. 203系は常磐快速線に転用されていたか他線に転出していた。
    • 常磐快速線に転用されていた場合、誤乗防止のため、E231系のように黄緑の帯が追加されたかあるいは青緑1色に塗装された。
    • あるいは営団東西線乗り入れ用車両(301系・103系1200番代)置換えのために転出していた。
      • 東西線にも207系が投入されていたような気がしなくもない。
  4. 引退は現実よりも遅く、2017年現在の時点でも現役車両がいたかも。
    • 上記のようにJR西日本にも投入されていた場合は尚更。
    • 2000年代後半からIGBT-VVVFへの制御装置更新が行われていた。
  5. 常磐線中距離快速にJRになってすぐに投入される。
  6. 総武線各駅停車の103系置き換え用に投入されていた。
  7. 総武線の地下鉄乗り入れ車に投入されていた。(青帯)
  8. 1994年製造中止?
  9. 試作車を意味する「900番台」は外されていた。
    • 西の207系は別の形式になっていた。
      • 上に書いてあるように209系になっていたか。

211系0番台・1000番台

初期形113・115系の後継車として計画としてされたが、前者は10両編成6本、後者は5両編成11本で製造が打ち切られました。もし更なる増備が継続されたら?

  1. 私見になるが、前者は10両編成14本、後者は5両編成24本まで製造できたと思う。
    • そうなった場合、初期型113系・115系の廃車ペースは史実以上に早められた。
      • 従って、特別保全工事、冷改などは、史実ほどには施工されなかった。
    • しかし、ロングシート編成の製作両数は史実どうり。
  2. 後年、長野転属のさい14本全て向かい合わせ座席になっていた。
  3. 415系はクハ・モハにも1700番台が登場したかもしれない。
  4. そもそもJR東日本がクロスシート車の製造に意欲的だったら十分あり得た(JR東日本発足後はクロスシート車の製造に消極的になったため)。

211系0番台名古屋地区用

  • 4両編成2本のみの製造となり5000番台へと移行しましたが、もし0番台時代に大量製造されていた場合。
  1. 311系を投入後は東海道線の脇役へと変化。
  2. 211系5000番台は東海道線に投入される時期は短かった。
  3. 313系投入後は中央線を中心に転属。
    • その分1100番代以降の製造が少なかった。
  4. 静岡地区にもこれが導入され丸窓の113系が史実よりも早々と無くなっていた。

301系

製造コストが非常に高かったことから製造が途中で打ち切られ、103系1200番台の製造へと方針が転換された。

  1. 103系1000番台の代わりに常磐緩行線にも投入されていたかもしれない。
    • どちらにせよ203系の投入とそれに伴う地上転出は史実通り。ただし105系(303系?)に改造されたかどうかは微妙なところ。
    • 103系1200番台は存在しない。1500番台も301系の番台区分になっていた。
  2. 201系辺りでアルミ車体の導入が真剣に検討されていた。
    • この場合203系は201系の番台区分になっていた。
      • 場合によっては205系以降もアルミ車体が継続使用されていたかもしれない。
  3. 国鉄の財政は間違いなく史実以上に悪化していた。
    • 分割民営化が早まったかもしれない。

415系1700番台

史実ではサハ411-1701の1両のみ製造された。

  1. ロングシート車の415系1500番台の製造両数が少なくなっていた。
    • サハ411-1601は登場せず、サハ411-1702として登場していた。
  2. 恐らく九州に投入された415系ステンレス車はこちらになっていた。
  3. JR東日本では混雑緩和のため1500番台よりも先に廃車されたが、JR九州では全車両現役。
    • JR九州でも混雑緩和のためロングシートに改造された車両も存在していた。
  4. 811系は投入されなかった。あるいは製造数が減っていた。
  5. むしろ415系1500番台の7両化用に投入されていた。
    • 415系ステンレス車のみで組成された7両編成の登場が実現していた。
      • 史実ではステンレス車のみで組成された7両編成は存在しない。
  6. クハ415-1901は登場しなかった。

417系

史実では仙台地区のみの導入であったが、この他にも秋田や金沢地区などにも導入する計画があった。

  1. 50系客車の製造数が減っていた。
  2. 急行形車両の格下げ転用はなく、急行列車はある程度維持できていた。
  3. 713系・715系・717系・413系・419系・701系は登場しなかった。
    • 田沢湖線改軌時に719系5000番台が投入されていた。
  4. JR西日本所属車はN40改造されていた。
  5. JR東日本所属車は今頃はE721系に置き換えられており、秋田・盛岡地区にも投入されていた。
  6. 金沢地区配置車は新製時から冷房付きとなっていた。
    • 417系にも青や赤1色の車両が登場していた。

713系

史実では試作車4編成が製造されているが、量産車は鹿児島本線にも投入する計画があった。この他にも周波数を変更することで50Hz線区にも投入出来る設計となっていた。もし、量産車が製造されていたら?

  1. 当初の計画通り、ステンレス車体・空気ばね台車となっていた。
    • 時期的に213系を固定クロスシートにした感じの車両となっていた。
    • 空気ばね台車は、他形式の廃車発生品を再利用。
      • やる気があれば、新品のボルスタレス台車に変更されてたかも。
  2. 715系・717系は登場しなかった。
  3. 東北地区に投入されていた場合は719系・701系は登場しなかった。
  4. 鹿児島本線に投入されていた場合は肥薩おれんじ鉄道に数編成が移籍していた。
  5. 900番台が主制御機器を更新した際車番が変更されることはなかった。

715系

  • 715系電車は、長崎地区の715系4両編成12本、仙台地区の715系4両15本、金沢地区の419系3両編成15本をもって、製作が打ち切られました。もし、種車の583(581)系のモハ583・582(モハ581・モハ580)の総計118ユニットを全て715系化するとしたならば、どのようになっていたか。
  1. 419系は製作されなかった。
  2. 長崎・仙台地区のほか、青森、秋田、鹿児島地区にも投入された。
    • 場合によっては鹿児島地区に投入される場合、長崎地区のモハ715を先頭車化改造(トイレ・洗面所もあわせて撤去)して3両化。
  3. 417系は、金沢地区に転属になっていた。
    • その結果、715系の総製作数は374両になっていた。
      • よって、583系は国鉄時代に姿を消していたかもしれない。
  4. 急行きたぐには客車のままだった。
  5. 12系2000番台は登場しなかった。
  6. 寝台車の絶対数不足が起きるため、20系客車がJR化後も定期運用を持っていた。
    • 銀河・ちくま・だいせん・かいもん・日南の寝台車はJR化後も20系のままだった。

717系仙台地区用

仙台地区の451・453系全車改造に至るまで増備していたら?

  1. 種車が抑速ブレーキを持たないので運用が常磐線に限定されていた。
  2. 水戸乗り入れも末期まで行われていた。
  3. 719系の登場は史実通りであるが、455系が置き換え対象となっていた。
    • 455系の大規模な更新工事はなかった。
  4. ワンマン運転が難しく、輸送力も過剰であるため、一部の編成が701系に置き換えられていた。
  5. 今頃はE721系に置き換えられている。

気動車

キハ35形900番台

史実では10両のみの製作で終わりましたが、もし、更に増備されていたら?

  1. これ以降のキハ30・キハ35は東急車輛製造で作られていた。
    • 205系のように他社への技術開示はできなかったと思われるため。
    • もっともこれができていれば国鉄の歴史は変わっていただろう。

キハ37形

史実では5両のみの製作で終わりましたが、もし、更に増備されていたら?

  1. 加古川線・久留里線のキハ35系を確実に置き換えていた。
    • キハ38形は登場しなかった。
  2. 加古川線のものは電化後は中国地方へ転出していた。
    • 延命工事も行われており、早期廃車の対象になることはなかった。
  3. 久留里線のものは史実通りにキハE130形に置き換えられていた。
  4. 久留里線や加古川線以外の線区にも投入されていた。
  5. 両運転台版も登場していた。
    • 扉配置はキハ40形に準じていた。

キハ38形

史実では7両のみの製作で終わりましたが、もし、八高線のキハ35系全車置き換えに至るまで製作されていたら?

  1. 八高線にキハ110系は投入されなかった。
  2. 八高線電化時に一部が久留里線に転出するのは史実通りであるが、この時点でキハ35系が全廃されていた。
    • 和田岬線用は?
  3. 今頃はキハE130系に置き換えられていただろう。

キハ58・28形

史実では1969年までに製造が続けていましたが、もし、更に増備されていたら?

  1. キハ40系は製造されなかったかも。
    • むしろキハ66・67形の方が登場しなかった。
      • それすらなかったので117系の登場にも影響が出ていた。
  2. 50系客車の普通列車はなく、一ノ関以北の東北本線や村上以北の羽越本線に運用されていた。
    • 非電化線区ならともかく、交流電化線区での機関車有効活用や交流/直流電化線区への直通運転、通勤輸送との観点から長編成で有利となることからむしろ登場したのでは?
  3. キハ65形登場と同時期にモデルチェンジしていた。
    • 同時期に登場した12系と同様のスタイルとなっていた。
    • 本州向けは製造時から冷房車として製造され、北日本向けは依然として冷房は準備工事だった。
  4. 遜色急行が減っていた。
    • 特に北海道のキハ22形急行列車は本系列によって置き換えられ、普通と急行で車種の専従化が徹底されていた。
  5. この車両は計画されなかった。

キハ66・67形

史実では九州に30両が投入されただけで終わりました。

  1. 九州以外にも投入されていた。
    • 投入線区は恐らく関西本線とかだろうか?
      • 名古屋口に投入して近鉄特急に対抗していたか?
      • 急行「かすが」はこれになっていたかも?
        • かすがに限らず一部の気動車急行をこれにしてたかもしれない。
  2. キハ40系の製造両数が現実よりも少なかった。
  3. 両運転台車も登場していた。形式名は「キハ68形」か?
  4. おそらくキロも登場していた。
  5. 165系・475系の車体に側面はキハ66・67形といった電車も登場していた。

客車

12系

1969(昭和44)年からデビューした12系客車ですが、諸事情により1972(昭和47)年より特急形14系客車の製造に変更となりました。もし、1972(昭和47)年以降も12系客車で製造されたら?

  • 1977年(昭和52年)に製造が再開されていますが、ここでは製造が中断されなかったらとします。
  1. 総製作両数は、2000両近くまで製造された。
  2. 50系客車は製造されなかった。
    • 夜行急行などでの需要があるから流石に投入されるだろう。
  3. 後年のローカル転用にあたり、115系・417系・715(711)系などの朝夕ラッシュ時間帯にて混雑緩和用として用いられた。
    • それにあたり、折戸ドア→引戸ドアの施行、3ドア化、デッキ撤去などの施行が行われていた。
  4. 北海道へは側引戸、2重窓装備のマイナーチェンジ車が投入されていた。
    • 14系500番代は登場しなかった。
    • 北海道向けの車両の冷房・電気暖房・ディーゼル発電機は準備工事のみで、暖房は機関車からの蒸気暖房を使用していた。国鉄最末期になってやっと冷房・電気暖房が設置され、津軽海峡線の快速「海峡」に使用された。
  5. 北斗星」用にこれを種車にした個室寝台車が製作されていた。
  6. 旧型客車の急行運用は1978年までに全廃され、以降の運用は普通列車のみであった。
    • 寝台車については新車は特急優先とするスタンスから10系が引き続き使用されていた。20系の転用も史実通り。
  7. 「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」に14系座席車が投入されることはなかった。
  8. 1973年以降の増備車は防火対策がされていた。
  9. 12系を種車にしたジョイフルトレインがさらに増えていたかもしれない。
    • 史実で14系座席車を種車にしたジョイフルトレインも12系から改造を行っていた。

機関車

EF81形300番台

史実では関門トンネル増発用として4両が登場しましたが、製造両数がもっと多かったら?

  1. EF30はローズピンクに塗装され北陸本線米原〜田村間に転出していた。
    • 田村機関区はEF30が廃車される1986年まで存続した。
  2. 増備車は製造当初から重連総括機能を搭載していた。