ページ「平成大合併の悲劇」と「もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/国鉄」の間の差分

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平成の大合併の結果、悲惨なことになってしまった地域を検証する。
*いびつな地名になってしまったもの
*いびつな形状になってしまったもの
*住民が大変な不便を強いられている事実
*合併までの数々の道のり…などなど
*元「問題な地名(笑)」を移動し、趣旨を明確化しました
*もともとある地名で読めないものや変なものは→[[読めない地名]]へ
*合併後すぐに世間を震撼させる事件が起きてイメージ悪化の巻き添えになってしまったもの
[http://glin.jp/ 都道府県市区町村]
{{日本目次}}
==注意==
*各県の項目の内容が都道府県名で表示されるリンクのみになっているものは、容量の関係でサブページを分割設置したものです。新規投稿はその'''リンク先'''へお願い致します。
*投稿はなるべく県別に(つまり節ごとに)分けて行って下さい。編集競合や旧版編集などのトラブルが減ります。
==傾向==
#分不相応な名前は基本的に変。(坂東、湖南、南アルプス、中央他)
#*一部にすぎないのに全体を代表するかのようなやたら広域の名前がその典型([[奥州市]]、甲州市、瀬戸内市、南九州市)。
#**山梨県内には山梨市、甲斐市、甲州市が……
#抽象的な名前やどこにでもある名前は基本的に変。(みどり、さくら他)
#* みやこ町なんぞ、いったい何のみやこだと言うのか
#**「京都郡(みやこぐん)」ですが、何か?
#「美里」とか「大和」みたいな瑞祥地名ってやつは元々それと反対の意味が多い(仲が悪いところ同士合併して大和、森林が少ないのに緑とか)
#*大和は名前で揉めただけだよ
#* 国号を安易に使うなよ(例:大和、秋津、瑞穂)。
#「大空町」や「みどり市」はもはや地名じゃない。
#*「お住まいはどこですか?」「大空です」「え゛!?」
#*ほかに、中央市(山梨)・さくら市・黒潮町もそういえる。
# 方角 + 大都市・地方の地名がうざい
#* 古くは[[北九州市]]・東広島市・[[東大阪市]]・阪南市・[[大東市]]・[[浜松市/浜北区|浜北市]](消滅)。平成版は北広島町・[[北秋田市]]・北名古屋市・北杜市・紀北町・南あわじ市・南丹市・周南市・南魚沼市・南島原市・雲南市・湖南市・南越前町・南砺市・南房総市・南さつま市・南アルプス市・南阿蘇村・南三陸町・南大隅町・南相馬市・南セントレア市(没)・[[東近江市]]・東かがわ市・東みよし町・東松島市・愛西市・西予市・西東京市・四国中央市・中央アルプス市(没)・上天草市。
#** 南魚沼市と南大隅町は郡名由来だから良いだろ。
#** 北広島市だけは由来が別で歴史がある。北広島町は混乱の元を分かっていながら作り出した。
#** 西伊豆町も前から西伊豆なので別物。南伊勢町は微妙。北栄町は合成地名なので別の問題。
#***西伊豆町は昭和の大合併で出来たので同類。
#** 西予・南砺は何とか地方名だと言えるが、周南は徳山の名前を捨てる意味があったのか疑問。北杜はこじつけ。
#** 北斗市はやったもん勝ち。
#** 北秋田市は元々北秋田郡。(上小阿仁村は離脱→独立独歩)
#** 上天草市は、天草上島からきているものなので、ここに含めるのはどうかと思う。市名を公募したら、最多数だったのは「天草シオマネキ市」だったそうだから、それよりずっとまともな名前。
#** 浜北市は浜名村と北浜村が合併にして浜北町→浜北市となったもの。
#** 阪南市は旧泉南郡阪南町。大阪府の一番南という意味らしい。
#*しかし、どれほどひどかろうが'''[[つくばみらい市|あそこ]]よりはマシ'''と住民も近隣自治体民も納得する。
#「新○○町」はおおかた元祖の地名が消滅しているので由来を知らない人を混乱させる。
#*「温泉町」が「新温泉町」になったのはどうしてよいやら。
#「郡名そのまんま」「難読でも平仮名にしない」は地名の研究家から評価が高い。
#* [[兵庫/西播磨|宍粟市]]はよくがんばった!
#*でも新しくつけたのに読めない地名は評価が悪い。→[[千葉/海匝・山武|匝瑳市]]とか。
#**ちなみに匝瑳は元々、郡名です。(旧八日市場市+旧匝瑳郡野栄町が合併)
#* [[古河市]]もえらい。
# 昔の地図を一切使えなくして地図業界の再興を図ろうとする国家事業である。
#*あと、地方自治体の面積を無秩序に巨大化することにより、自動車を使わない人にとってさらにバリアができた。つまり、自動車産業とその関連企業(ガソリン・部品等)の永遠の安泰を保障するための国家事業という要素もあるな。
#*確かに年末年始になると○文社とか成○堂出版の日本地図&世界地図がでかい顔して本屋に並ぶよな。
#**あと、パソコンショップのソフトの販売しているところにも・・・
#**北九州市に本社を置く[[ゼンリン|某大手住宅地図出版社]]も確実に恩恵に与っている
#*だから、借金まみれにもかかわらず合併した自治体に「合併特例債」を乱発できるような余裕あるんだ。(ある意味納得)「'''大企業様のためなら何でも・・・'''」という今の政府の姿勢を見てみるとそういえるかも。
#**大企業のためなんてのはオマケ。地方潰しと↓に書いてある通り、地方への支出を削るのが目的だった。「合併特例債」はそのための餌。
#あと、昭和の大合併と異なり、政令指定都市周辺は合併せずというケース多い。政令市にパラサイトしているのに、無駄にプライドは高いという寄生虫的自治体が多いためか??…と
#*原発の立地町村も、周りが同一市になったのに単独なのが多い(女川町とか玄海町とか)
#*お金に余裕がある所が多かったからかも。次の大合併ではどうなるか知らんが。
#地方分権の強化どころか、結局は中央集権の強化・地方潰しになってしまった。


===かな書き地名===
少数派に留まった車両や完全な車両置き換えに至らなかった車両がもし、更に増備されていたら?
#ひらがなは基本的に変。(つがる、にかほ、あわら、[[さぬき市|さぬき]]、[[つくば市|つくば]]、かほく、うきは、せたな、まんのう、さつま他)
*新規追加は車種別に形式が若い順にお願いします。
#*どことなく幼稚な感じがする。
**項目内に史実の導入編成数を書いていただければ幸いです。
#「さいたま」はもう笑いのタネだ。
*安易すぎる内容はご遠慮願います(「◯◯系が登場するのは史実通り」「保存車が増えていた」「あの形式の増備が打ち切りになっていた」「あの形式とともに活躍していた」「JR発足後は○○に継承されていた」など)。
#*ひらがな自治体はジョークページ[[さいたま帝国]]([[勝手に国づくり]])の諜略対象とされているw
*現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。
#「かすみがうら市」「[[つくばみらい市]]」これぞ茨城県の双璧。
#*「かすみがうら」は地名として納得できる(旧霞ヶ浦町(個人的には出島村)が霞ヶ浦に面している)が、「つくばみらい」は意味不明。つくば市の将来はつくばみらい市ですか?世も末だ(名前が)
#**「つくばみらい」の「つくば」は、旧伊奈町と旧谷和原村が「筑波郡」に属していたから。「みらい」は、元はこの2町村+旧水海道市(現常総市)で合併しようとしてたときに候補に挙がった新市名。「み」つかいどう+やわ「ら」+「い」な。その後一旦「常総市」で市名が決定したが、市役所の位置で揉めて旧水海道市が離脱。残りの2町村で合併することになったが、「常総市」を先に隣にとられてしまったため、旧候補の「みらい」を再利用する形になった。
#**つくばみらい市誕生の前年に[[つくばエクスプレス]]が開通し、市内に「みらい平」駅が設置されたことも影響している模様。
# 平仮名で「つがる」=「違う」という意味もあるらしい。By津軽弁(語?)のお勉強してる人
# でも「[[いわき市]]」は定着しすぎたせいかひらがな名でもネタ化されない。
# あきる野市は1995年合併なので、もうあきられたらしい。
#* ひたちなか市もどうでもよくなってきた。何がなかなんだろう。
#**常陸那珂港の"なか"だから。
#*まぁそんなものかも。「決定的に変」なものは淘汰され、そうでないものは確乎たる地位を確立する。<br>パリのエッフェル塔だって当時は邪魔物扱いだったのだから…
#ひらがななら秋田に「[[秋田/沿岸#にかほ市の噂|にかほ市]]」ってあるけど、別に変でもないような。
#*思いっきりヘンだと思います
#*特に旧象潟町民はこの名前に反対だった人も多いはず。
#**つくばみらいよりよっぽどマシ
#ひらがな市名の全ての始まりは青森県[[むつ市]]からスタート。
#*むつ市とかえびの市、[[いわき市]]くらいはよかった。[[さいたま市]](笑)、つがる市(笑)
#**「つくば市」あたりからおかしくなり始めた。
#***つくば市はまだマシ。元々ほとんどが筑波郡だったし、市誕生当時、まだ筑波郡筑波町が合併していなかったから、区別の意味もあった。でも、つくばみらい市だけは許せんw。
#** むつ市とかえびの市、いわき市が良いという理由が分からない。単に慣れただけでは?
#* 青森には、さらに「おいらせ町」が登場。
#スタートは長野県ちの町(現[[長野/諏訪#茅野市の噂|茅野市]])。
#*カタカナ市町村名の全ての始まりは滋賀県[[高島市|マキノ町]]からスタート。
#**ニセコは?
#***北海道は例外と考えたほうが良い。元来非漢字文化圏でつけられていた地名を、明治期になって日本語化したところに由来するから。北海道を含めていちいち紐解いていくと、ルーツが戦前にまで遡ってしまう。
#**カタカナ市名は沖縄県コザ市(現[[沖縄/中頭#沖縄市の噂|沖縄市]])
#***コザはアメリカ人が付けた名前だから違うかも。
#うきは市は「浮き輪市」に思われて仕方ない。
#「みなかみ」をNHKの天気予報で見ると、悲しくなってくる。


== [[北海道]] ==
;関連項目
*[[平成大合併の悲劇/北海道|北海道]]
*[[もしあの鉄道車両が更に増備されていたら/JR]] - JR発足後に増備が考えられたものはこちらへ。
*[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄]] - 導入計画があったが未成に終わった車両や試作車はこちらへ。


== [[青森]] ==
==電車==
*[[平成大合併の悲劇/青森|青森]]
===特急・急行形===
====165系・457系====
*急行型電車は1973(昭和48)年をもって新製が打ち切られました。もし、もう少し増備がつづけられていたら。
#70年代終盤あたりから特急型電車がガンガン新製されて、急行増発→急行列車の特急化を推進させられた。
#*その結果、旧型電車・旧型客車(普通列車)は長野・新潟地区はオール165系化、仙台・秋田・青森・金沢地区などは、オール急行型で新性能化される。
#*[[紀勢本線]]の急行「きのくに」は1978.10改正の新宮電化の時点で165系電車に置き換えられていた。
#**南海からの南紀直通もこの時点で廃止されていた。
#**それでも1985年に特急「くろしお」に格上げ→廃止は史実通りだろう。
#従って、急行形電車は3ドア化、洗面所・デッキ撤去される。
#*史実の717系900番台と近似の形態となっていた。
#*近郊型改造に伴い165系は115系、457系は415系の新区分番台に改番されていた。
#*洗面所撤去だけでなくトイレの数も減らされていた。
#よって、ローカル向け115系1000番台(状況次第では2000番台も)、119系、419系電車、50系客車、ED76系交流機関車などはデビューすることはなかった。
#「しらゆき」に投入されていた場合、457系は3電源を発揮できる電車となっていた。
#いや、「しらさぎ」は特急化されて「白鳥」と併結運転となっていた。
#よって、「白鳥」は1~6号となっていた。
#455・457・475系から改造されたジョイフルトレインも存在していた。


== [[秋田]] ==
====183系あまぎ・白根用====
*[[平成大合併の悲劇/秋田|秋田]]
「あまぎ(現在の踊り子)」「白根(現在の草津)」で運用されていた157系置き換え用に留まることなく、更に増備されていたら?
#185系は登場しなかった。
#*117系と比べられることなく、「最悪の特急」と揶揄されることもなかった。
#*「あかぎ」にも183系が投入されていた。よって、新特急も生まれなかった。
#**「はまかいじ」にもこの編成が充当されていた。
#*185系は元々急行型電車として開発された車両だから、本来の急行用としては登場してたかもしれない。
#基本10両編成だけでなく、付属5両編成も登場していた。
#*サハ183形が登場していた。
#*2階建て列車のために貫通路付きクハ183形の製造が再開されていた。
#2005年までにE257系によって置き換えられていた。
#*上記の通り高崎線特急にも183系が投入されていた場合、同線にもE257系が投入されていた。
#**651系1000番台は存在せず、E657系投入後に行き場をなくした651系は殆どが廃車されていた。
#***伊豆クレイルの種車は255系になっていた。
#****255系の編成からすれば無理があると思うが。
#***651系はむしろ当初の予定通り波動用に転用されていたのでは?


== [[岩手]] ==
====185系====
*[[平成大合併の悲劇/岩手|岩手]]
史実では東海道線の急行伊豆(今の特急踊り子)と新幹線リレー号(後の新特急「あかぎ」、「草津」)向けに東日本地区のみ導入されたのである。
#関西圏にも導入された。
#*中国地方にも納車された。
#*これらはJR西日本に継承された際に緑色のストライプが青色に変更された。
#*「北近畿」、「はしだて」などはこれになった。
#**「エーデル北近畿」、「エーデル丹後」はなかった。
#***あれらは「エーデル鳥取」のみに。
#*関西地区用の普通車の座席はJR西日本発足後の早い時期に背面テーブル付き回転式リクライニングシートに交換されていた。同時に最高速度を120km/hに向上するための改造工事も行われた。
#*2000年代に入るとリニューアル工事で683系並みのアコモデーションに改良され、グリーン車は3列シートになるなど、185系とは思えないほどの見違えるような車両になっていた。


== [[宮城]] ==
====473系====
*[[平成大合併の悲劇/宮城|宮城]]
史実では475系が製造されたため1編成しか製造されませんでした。453系並みに多かったら。
#475系の導入が遅れた。
#*475系は瀬野八越えの区間を抱える山陽~九州方面のみの投入となっていて、北陸方面には1970年の富山地方鉄道立山駅乗り入れの時に457系が投入されるまで475系は投入されなかった。
#413系100番台も複数編成存在している。
#2010年頃まで現役で運用されていた編成も複数あった。
#のちに、普通列車に転用されて、50系客車が史実よりも少なくなっていたかもしれない。


== [[山形]] ==
===普通列車用===
*[[山形/庄内#東田川郡の噂|庄内町]]
====103系====
**酒田や鶴岡をも含む広域地名を独占。
史実では3447両製造されましたが、もし製造両数がワム80000形(26605両)並みだったら?
*はながさ市(未遂)
#=国鉄が近郊路線にも4ドア車に投入していた場合か。
**伝統のある「尾花沢」と「大石田」の名が危うく安易な市名に消されてしまうところだった…。危ないところだったぜ…。
#*グリーン車使用やクロスシートタイプも製造されていた。
#*101系は全て103系に改造されていた。
#*直流電化区間も伸びていた。
#**3ドア車は常磐線などごく一部にとどまった。
#JR東海で令和になっても103系が走っていた可能性大。


== [[福島]] ==
====105系改造編入車====
*[[平成大合併の悲劇/福島|福島]]
史実では新規製造車(60両)と改造編入車(61両+補充車1両)がありましたが、もし、105系が全て改造編入車だったら?
== [[茨城]] ==
#205系の製造数が現実より多かった。
*[[平成大合併の悲劇/関東/茨城|茨城]]
#105系登場が遅れていた。(新規製造車は1981年、改造編入車は1984年)
#そもそも105系にはならず103系の番台区分には…流石にならないか。


== [[栃木]] ==
====113系700・2700番台====
*[[平成大合併の悲劇/関東#栃木|栃木]]
史実では湖西線向けに開発されたため少なかった。
== [[群馬]] ==
#草津線の電化が早まっていた。
*[[平成大合併の悲劇/関東#群馬|群馬]]
#湖西線が全線直流になっていた。交流60Hzとは無縁。
== [[埼玉]] ==
#*それも開業当初から。
*[[平成大合併の悲劇/関東#埼玉|埼玉]]
#福知山線や山陰本線にも早々と導入されていた。
== [[千葉]] ==
#*新福知山色は800番台ではなく本番台に塗られていた。
*[[平成大合併の悲劇/関東#千葉|千葉]]
#*勿論福知山口の電化も史実より早まっていた。
== [[東京]] ==
#関西圏の東海道線の3ドア快速は221系が入る前はこれで統一されていた。
*[[平成大合併の悲劇/関東#東京|東京]]
#*丸窓で大目玉は他路線へ行った。
== [[神奈川]] ==
#JR東海に継承された編成も登場。
*[[平成大合併の悲劇/関東#神奈川|神奈川]]
#*そちらは当然ながらブルーシートに牛革のシートカバー。
#小浜線や舞鶴線の電化も早まっていたかも。


== [[新潟]] ==
====113系1500番台====
*[[平成大合併の悲劇/甲信越・北陸#新潟|新潟]]
史実では数両程度増備していた。
#横須賀線はSM分離並びに総武本線との直通を境にこれで統一されていた。
#*1000'番台の東京乗り入れは無くなっていたかも。
#**全車房総地区に転属。
#***それも史実より早めに。
#民営化以降、置き換え時期が遅くなり早々とE217系に置き換えられるとはなかった。
#*きっと置き換えるときはE231系1000番台の地下乗り入れ版が開発されていたかも。


== [[長野]] ==
====113系2000番台====
*[[平成大合併の悲劇/甲信越・北陸#長野|長野]]
史実では2000番台の数は0番台を下回っていた。
#東海道線東京口はSM分離を境にこれに統一されていたかも(勿論サロは1200番台だけ)。
#サハ代用のクハは史実よりも早く無くなっていたかもしれない(他線区に転用)。
#111系は史実よりも早く無くなっていたかも知れない。
#*四国に譲渡されることはなく、紀勢本線に転属していたかも。
#*あるいは四国に113系0番台の配属が早まっていた。
====123系====
#地方交通線の輸送力適正化に一役買う。
#地方私鉄へ譲渡される車両も出てくるかも
#寒冷地向け仕様や山岳地域向け仕様も出てくる。
#南武支線や鶴見線にも少なからず導入され、クモハ12を置き換えていた。
#*南武支線用101系はなかった。
#**現在はどちらも205系で置き換え済
#郵政省所有のクモユ143も国鉄に譲渡後直ちに123系に改造された。


== [[山梨]] ==
====201系武蔵野線用====
*[[平成大合併の悲劇/甲信越・北陸#山梨|山梨]]
中央線快速用から転用で配置されたものの一部に留まった。
#101系を確実に置き換えていた。
#8両編成化に際しては組み換えで対応していた。
#*8両編成化で持て余した車両は青梅・五日市線に転用されていた。
#*補充として205系も更に増備されていた。
#今頃はE233系に置き換えられている。


== [[富山]] ==
====205系関西地区用====
*[[平成大合併の悲劇/甲信越・北陸#富山|富山]]
史実では京阪神緩行線用に0番台が7両4編成、阪和線用に1000番台が4両5編成のみ導入されました。もし関西にも205系が本格的に投入されていたら?
#京阪神緩行線の103系は1980年代のうちになくなっていた。
#*京阪神緩行線の103系の置き換えが終わると大阪環状線や阪和線などにも投入。
#*JR東西線開通に伴い207系が京阪神緩行線に投入された結果、201系は阪和線や大和路線に転用されていた。
#*京阪神緩行線のスピードアップも実現していた。
#結果として関西から103系が撤退するのが早かった。
#*あるいは高運転台クハ(勿論中間車も後期車のみで構成)の編成だけが生き延びていた。
#1988年以降は1000番台として投入されていた。
#321系は忠実より10年ほど後に227系顔として導入され、205系を駆逐。
#*阪和線の201系導入は大和路戦同様、205系転属となり後回しに。
#**ただ体質改善されそこそこ綺麗な状態にはなっているはず。
#*むしろホームドアの設置の観念から、4扉車の321系は開発されず、3扉車の323系に相当する通勤型車両が投入される。
#**網干車に関しては207系との兼ね合いでそうはならない気がする。
#205系の増備に集中して、221系はあまり造られなかった。
#*恐らく221系は爆音外扇モーター搭載での設計だったかも。


== [[石川]] ==
====207系900番台====
*[[平成大合併の悲劇/石川|石川]]
史実では1編成のみの製造でしたが、もし、実用化して量産車が登場していたら?
#常磐緩行線だけでなく、埼京線、横浜線、京浜東北線などにも投入された。
#*205系は山手線投入分で打ちとめになっていた。
#*JR西日本の205系1000番台も207系として登場していたかも。
#**その場合、[[JR西日本221系電車|221系]]がVVVF制御車として登場していた可能性もある。
#*地下鉄乗り入れ用以外は前面非貫通式で登場していた。
#こっちの方が207系0番代になっていた。
#*JR西日本の207系は209系になっていた。
#**史実における209系はなかったかも。
#***むしろ209系→231系、E231系→E233系、E233系→E235系、E235系→E237系になっていた。
#203系は常磐快速線に転用されていたか他線に転出していた。
#*常磐快速線に転用されていた場合、誤乗防止のため、E231系のように黄緑の帯が追加されたかあるいは青緑1色に塗装された。
#*あるいは営団東西線乗り入れ用車両(301系・103系1200番代)置換えのために転出していた。
#**東西線にも207系が投入されていたような気がしなくもない。
#引退は現実よりも遅く、2017年現在の時点でも現役車両がいたかも。
#*上記のようにJR西日本にも投入されていた場合は尚更。
#*2000年代後半からIGBT-VVVFへの制御装置更新が行われていた。
#常磐線中距離快速にJRになってすぐに投入される。
#総武線各駅停車の103系置き換え用に投入されていた。
#総武線の地下鉄乗り入れ車に投入されていた。(青帯)
#1994年製造中止?
#'''試作車を意味する「900番台」は外されていた。'''
#*西の207系は別の形式になっていた。
#**上に書いてあるように209系になっていたか。


== [[福井]] ==
====211系0番台・1000番台====
*[[平成大合併の悲劇/福井|福井]]
初期形113・115系の後継車として計画としてされたが、前者は10両編成6本、後者は5両編成11本で製造が打ち切られました。もし更なる増備が継続されたら?
#私見になるが、前者は10両編成14本、後者は5両編成24本まで製造できたと思う。
#*そうなった場合、初期型113系・115系の廃車ペースは史実以上に早められた。
#**従って、特別保全工事、冷改などは、史実ほどには施工されなかった。
#*しかし、ロングシート編成の製作両数は史実どうり。
#後年、長野転属のさい14本全て向かい合わせ座席になっていた。
#415系はクハ・モハにも1700番台が登場したかもしれない。
#そもそもJR東日本がクロスシート車の製造に意欲的だったら十分あり得た(JR東日本発足後はクロスシート車の製造に消極的になったため)。


== [[静岡]] ==
====211系0番台名古屋地区用====
*[[平成大合併の悲劇/東海/静岡|静岡]]
*4両編成2本のみの製造となり5000番台へと移行しましたが、もし0番台時代に大量製造されていた場合。
#311系を投入後は東海道線の脇役へと変化。
#211系5000番台は東海道線に投入される時期は短かった。
#313系投入後は中央線を中心に転属。
#*その分1100番代以降の製造が少なかった。
#静岡地区にもこれが導入され丸窓の113系が史実よりも早々と無くなっていた。


== [[愛知]] ==
====301系====
*[[平成大合併の悲劇/東海#愛知|愛知]]
製造コストが非常に高かったことから製造が途中で打ち切られ、103系1200番台の製造へと方針が転換された。
#103系1000番台の代わりに常磐緩行線にも投入されていたかもしれない。
#*どちらにせよ203系の投入とそれに伴う地上転出は史実通り。ただし105系(303系?)に改造されたかどうかは微妙なところ。
#*103系1200番台は存在しない。1500番台も301系の番台区分になっていた。
#201系辺りでアルミ車体の導入が真剣に検討されていた。
#*この場合203系は201系の番台区分になっていた。
#**場合によっては205系以降もアルミ車体が継続使用されていたかもしれない。
#国鉄の財政は間違いなく史実以上に悪化していた。
#*分割民営化が早まったかもしれない。


== [[岐阜]] ==
====415系1700番台====
*[[平成大合併の悲劇/東海#岐阜|岐阜]]
史実ではサハ411-1701の1両のみ製造された。
#ロングシート車の415系1500番台の製造両数が少なくなっていた。
#*サハ411-1601は登場せず、サハ411-1702として登場していた。
#恐らく九州に投入された415系ステンレス車はこちらになっていた。
#JR東日本では混雑緩和のため1500番台よりも先に廃車されたが、JR九州では全車両現役。
#*JR九州でも混雑緩和のためロングシートに改造された車両も存在していた。
#811系は投入されなかった。あるいは製造数が減っていた。
#むしろ415系1500番台の7両化用に投入されていた。
#*415系ステンレス車のみで組成された7両編成の登場が実現していた。
#**史実ではステンレス車のみで組成された7両編成は存在しない。
#クハ415-1901は登場しなかった。


== [[三重]] ==
====417系====
*[[平成大合併の悲劇/東海#三重|三重]]
史実では仙台地区のみの導入であったが、この他にも秋田や金沢地区などにも導入する計画があった。
#50系客車の製造数が減っていた。
#急行形車両の格下げ転用はなく、急行列車はある程度維持できていた。
#713系・715系・717系・413系・419系・701系は登場しなかった。
#*田沢湖線改軌時に719系5000番台が投入されていた。
#JR西日本所属車はN40改造されていた。
#JR東日本所属車は今頃はE721系に置き換えられており、秋田・盛岡地区にも投入されていた。
#金沢地区配置車は新製時から冷房付きとなっていた。
#*417系にも青や赤1色の車両が登場していた。


== [[滋賀]] ==
====713系====
*[[滋賀/甲賀#湖南市の噂|湖南市]]
史実では試作車4編成が製造されているが、量産車は鹿児島本線にも投入する計画があった。この他にも周波数を変更することで50Hz線区にも投入出来る設計となっていた。もし、量産車が製造されていたら?
**湖南違うやん!
#当初の計画通り、ステンレス車体・空気ばね台車となっていた。
**「湖の南」ってよりは「『'''湖国'''』(近江国の別称)の南」って意味でついたらしい。だけどこの意味でも立派な僭称になっちゃうからどっちにしろアウトだな。
#*時期的に213系を固定クロスシートにした感じの車両となっていた。
*[[滋賀/湖東#安土町の噂|安土町]]の孤立
#*空気ばね台車は、他形式の廃車発生品を再利用。
**というより「安土市」失敗の後、安土町が近江八幡市からのラブコールをはねつけた。
#**やる気があれば、新品のボルスタレス台車に変更されてたかも。
***近江八幡市は財政難やからねぇ…。(部○も多いし)
#715系・717系は登場しなかった。
*[[東近江市]]
#東北地区に投入されていた場合は719系・701系は登場しなかった。
**八日市市に神崎郡、愛知郡、さらには蒲生郡までつまみ食い。まとまりなさすぎ。
#鹿児島本線に投入されていた場合は肥薩おれんじ鉄道に数編成が移籍していた。
**同じ愛知郡仲間だったはずの湖東・愛東が八日市と駈け落ちしてしまったため、愛知川と秦荘はしぶしぶ愛荘町に。
#900番台が主制御機器を更新した際車番が変更されることはなかった。
*[[滋賀/湖西#高島市の噂|高島市]]
**郡名からとった名前とはいえ、不思議とピンと来るものがない。
***でも、決まりかかっていた「西近江市」よりはずっとマシ。
***ピンと来ないからこそいいのかも。
*[[米原市]]
**有名な山の名にもある「伊吹」の町名が消えたのが惜しまれる。
**どうせ読みを駅名と同じ「まい'''ば'''ら」に変えるぐらいだったら、最初から「まい'''は'''ら」になんかしておくなよ。ややこしい。
*[[甲賀市]]
**紫香楽宮と狸と信楽焼で由緒ある「信楽」の町名が消えてしまったことが惜しまれる。


== [[大阪]] ==
====715系====
*そういえば、大阪は全国の中で平成の大合併における合併が最も進んでいないようだ。ここでも日本の流行から乗り遅れている。
*715系電車は、長崎地区の715系4両編成12本、仙台地区の715系4両15本、金沢地区の419系3両編成15本をもって、製作が打ち切られました。もし、種車の583(581)系のモハ583・582(モハ581・モハ580)の総計118ユニットを全て715系化するとしたならば、どのようになっていたか。
**次の大合併ではどうなるかわからないが・・・
#419系は製作されなかった。
**そもそも民族が違うさかい、日本の流行は関係ないんや!
#長崎・仙台地区のほか、青森、秋田、鹿児島地区にも投入された。
**そのとおりや。合併せんとあかんような弱小市町村が少ないことは誇るべきやろ。
#*場合によっては鹿児島地区に投入される場合、長崎地区のモハ715を先頭車化改造(トイレ・洗面所もあわせて撤去)して3両化。
*[[堺市]]
#417系は、金沢地区に転属になっていた。
**美原町の編入自体には特に何も言わないが、政令指定都市移行後の区名のネーミングが雑なのばっかり。
#*その結果、715系の総製作数は374両になっていた。
***雑というか特定の地名を付けると付けられなかった所からクレームが出るから。例えば「北野田区」と付けたら初芝や大美野から文句が出るだろ?
#**よって、583系は国鉄時代に姿を消していたかもしれない。
***文句の無い区名と言ったら「[[堺市/堺区|堺区]]」と「[[堺市/美原区|美原区]]」ぐらい。
#急行きたぐには客車のままだった。
***泉北ニュータウンで名の知れたところが[[堺市/南区|南区]]に・・・混乱を招きそうだ。
#12系2000番台は登場しなかった。
****流石にそれは仕方なし。確かに泉州の中では北(つまり泉北)だろうが、堺市域では南なんだから。
#寝台車の絶対数不足が起きるため、20系客車がJR化後も定期運用を持っていた。
*[[東大阪市]](平成の大合併のネタがないので、昭和の合併の話を)
#*銀河・ちくま・だいせん・かいもん・日南の寝台車はJR化後も20系のままだった。
**西東京市と同じ名付けパターンであるが、こっちはすっかり定着している。
**やはり最初はこの市名も違和感が大きかったのだろうか?
**名前の意味が「大阪市の東隣」なのか「大阪府の東部」なのかいまいちはっきりしない。
**それなりの規模の街が寄り集まったんで無難な名前にしたんだよ
***布施市+河内市+枚岡市
**大阪の東という意味では、[[大東市]]も存在する。
***'''おおひがしし'''ではありません。


== [[京都]] ==
====717系仙台地区用====
*[[京田辺市]](注:平成大合併以前に誕生)・[[京都/丹波#京丹波町の噂|京丹波町]]・[[京都/丹後#京丹後市の噂|京丹後市]]
仙台地区の451・453系全車改造に至るまで増備していたら?
**[[京都市]]以外京都と見てもらえない京都府の自治体の悲哀が・・・
#種車が抑速ブレーキを持たないので運用が常磐線に限定されていた。
***京田辺の場合は和歌山県田辺市とかぶってしまうのを避ける為じゃないのかね?
#水戸乗り入れも末期まで行われていた。
*[[京都/丹波#南丹市の噂|南丹市]]
#719系の登場は史実通りであるが、455系が置き換え対象となっていた。
**地味に4府県に接しているとんでもない市。
#*455系の大規模な更新工事はなかった。
**ネーミングもなんか…。兵庫県丹波市とかぶるというか…。
#ワンマン運転が難しく、輸送力も過剰であるため、一部の編成が701系に置き換えられていた。
**名水と茅葺きの里でそれなりに知名度のあった「美山」の名を返さんかい。
#今頃はE721系に置き換えられている。
*[[京都/山城#山城の噂|旧山城町]]
**合併で「'''木津川市'''」になったので、消えると思いきや「'''木津川市山城町'''」という住所名になった。'''京都府最南端の1市'''の中に'''北は京都市左京区久多辺りまでを指す広域地名'''があるのだ。絶対変だ。


== [[兵庫]] ==
==気動車==
*[[兵庫/但馬#新温泉町の噂|新温泉町]]
===キハ35形900番台===
**もめてるから折衝案で「新」らしいが見直す気配は無い。
史実では10両のみの製作で終わりましたが、もし、更に増備されていたら?
*[[たつの市]]
#これ以降のキハ30・キハ35は東急車輛製造で作られていた。
**そんなに吸収合併はイヤか!
#*205系のように他社への技術開示はできなかったと思われるため。
**龍野市じゃなくて揖保川町に竜野駅があるという違和感が解消されたのは救いだった。だが、対等合併でも漢字で「龍野市」存続っていう方法があったはずだよな?
#*もっともこれができていれば国鉄の歴史は変わっていただろう。
*[[兵庫/但馬#豊岡市の噂|豊岡市]]
**温泉として由緒ある町名「城崎」の名前が消えてしまった。
***その代わり、JR城崎駅が城崎温泉駅に改名された。
**そばと情緒ある町並みとして由緒ある町名「出石」の名前も消えてしまった。
*[[兵庫/丹波#丹波市の噂|丹波市]]
**なぜ国府・一宮・国分寺がない北播丹波の氷上郡が丹波の名を??いまいちピンときませんが…
***合併前の6町の中に既に「氷上町」があったから。つまり身内同士の関係が崩れさえしなければ丹波の他の市町村のことなど知ったこっちゃない、という見解らしい。
****いや、絶対「氷上市」の方がいいだろう。
**この地名を決める際、[[兵庫/丹波#篠山市の噂|篠山市]]が猛反対した。
*[[淡路市]]
**淡路島全域を含んでるわけじゃないだろう。
*[[南あわじ市]]
**「『淡路』市」は漢字なのにこっちは平仮名って何じゃらほい。


== [[奈良]] ==
===キハ37形===
*[[奈良市]]
史実では5両のみの製作で終わりましたが、もし、更に増備されていたら?
**随分変な形になってしまった。
#加古川線・久留里線のキハ35系を確実に置き換えていた。
**ってか都祁村って主に天理市とつながってなかったっけ?
#*キハ38形は登場しなかった。
**江戸時代から梅林で有名だった「月ヶ瀬」の名前は出来れば残しておいて欲しかった。
#加古川線のものは電化後は中国地方へ転出していた。
*[[五條市]]
#*延命工事も行われており、早期廃車の対象になることはなかった。
**これまた変わった形に…。
#久留里線のものは史実通りにキハE130形に置き換えられていた。
**旧:吉野郡西吉野村は五條市西吉野町になった。だが、五條自体は市制施行以前は旧:吉野郡じゃなくて旧:宇智郡だった。そんな五條市の住所に「西'''吉野'''町」とか言われてもな~…。
#久留里線や加古川線以外の線区にも投入されていた。
*[[奈良/中和・東和#葛城市の噂|葛城市]]
#両運転台版も登場していた。
**そもそも「葛城」ってのは北は王寺や香芝辺りから南は御所辺りまでを指す広域地名。その広域地名を事実上独り占めした。他の葛城地区(特に北葛城地区の中心である大和高田や南葛城地区の中心で葛城山を抱える御所)の立場はどうなっちまうんだ?
#*扉配置はキハ40形に準じていた。
**ウィンドウズVistaで新JIS規格が導入されると「葛」の下部分が「勹」+「人」+「└」に変わってしまう。せっかくわざわざ「葛」の字にしたのに・・・♪あとの祭りよ~
**ガーン!寺の名前にもある「當麻」の名が…。
*西和市(未遂)
**聖徳太子ゆかりの由緒ある「斑鳩」の町名が危うく消されるところだった。しかもこんな安易なネーミングの市の一部になるとなったら余計イヤだ。でも合併が未遂に終わったおかげで「斑鳩」の名は生き残れた。ざまあみろ。
***実現すると広陵町だけ取り残されるところだった。
*[[橿原市]](合併計画は頓挫)
**飛鳥時代という時代があるほど歴史的に由緒ある明日香村は橿原に飲み込まれそうだった。だが明日香村のみならず全国の反発もあり、合併は未遂に終わった(明日香の名は生き残れた)。ざまあみろ。
***橿原は飛鳥よりさらに古くて由緒正しい名前なんだけどね。何しろ初代天皇である神武天皇が即位した場所だし。ちなみ飛鳥の語源は安宿で、帰化人の集落と言う意味だったらしい。飛鳥も明日香も当て字。
**というか、今でも明日香村の遺跡を保護してるのはほぼ橿原考古学研究所。むしろ現地の事情を知らない全国の古代史オタの暴走ともいえる。
**変な地名が予定されていたわけでもないのに全国から反発がきた合併も珍しい。


==[[和歌山]]==
===キハ38形===
*[[和歌山/紀中#みなべ町の噂|みなべ町]]
史実では7両のみの製作で終わりましたが、もし、八高線のキハ35系全車置き換えに至るまで製作されていたら?
**「なんぶ」と読まれたくないがために…
#八高線にキハ110系は投入されなかった。
**梅干の産地で名高い「南部川」の村名を消すなよ!!
#八高線電化時に一部が久留里線に転出するのは史実通りであるが、この時点でキハ35系が全廃されていた。
***相手は南部町だから一緒だろ。
#*和田岬線用は?
****だけど仮名書き地名にしちゃったんじゃな…
#今頃はキハE130系に置き換えられていただろう。
**びんちょう町とかにならないでよかった…(ボソ)
*[[和歌山/紀南#田辺市の噂|田辺市]]の大膨張
**元西牟婁郡と元東牟婁郡両方をまたぐものすごい面積を持つ市に。てか、熊野本宮大社のある本宮町まで田辺にするな。田辺(西牟婁郡)と本宮(熊野・東牟婁郡)とはイメージが違う。
**日本三大美人湯で有名な「龍神」の名前が消えてしもうた。がっくし。
*[[和歌山/紀南#串本町の噂|串本町]]
**もともと西牟婁郡に属してて、東牟婁郡古座町との合併と同時に串本自体も東牟婁郡に移った。だけどやっぱり串本は西牟婁郡に属してる方がしっくりくるよ。


==[[鳥取]]==
===キハ58・28形===
*[[平成大合併の悲劇/中国地方#鳥取|鳥取]]
史実では1969年までに製造が続けていましたが、もし、更に増備されていたら?
==[[島根]]==
#キハ40系は製造されなかったかも。
*[[平成大合併の悲劇/中国地方#島根|島根]]
#*むしろキハ66・67形の方が登場しなかった。
==[[岡山]]==
#**それすらなかったので117系の登場にも影響が出ていた。
*[[平成大合併の悲劇/中国地方#岡山|岡山]]
#50系客車の普通列車はなく、一ノ関以北の東北本線や村上以北の羽越本線に運用されていた。
==[[広島]]==
#*非電化線区ならともかく、交流電化線区での機関車有効活用や交流/直流電化線区への直通運転、通勤輸送との観点から長編成で有利となることからむしろ登場したのでは?
*[[平成大合併の悲劇/中国地方#広島|広島]]
#キハ65形登場と同時期にモデルチェンジしていた。
==[[山口]]==
#*同時期に登場した12系と同様のスタイルとなっていた。
*[[平成大合併の悲劇/中国地方#山口|山口]]
#*本州向けは製造時から冷房車として製造され、北日本向けは依然として冷房は準備工事だった。
#遜色急行が減っていた。
#*特に北海道のキハ22形急行列車は本系列によって置き換えられ、普通と急行で車種の専従化が徹底されていた。
#[[もしあの鉄道車両が実用化されていたら/国鉄#新系列急行形気動車|この車両]]は計画されなかった。


== [[香川]] ==
===キハ66・67形===
*[[平成大合併の悲劇/四国#香川|香川]]
史実では九州に30両が投入されただけで終わりました。
#九州以外にも投入されていた。
#*投入線区は恐らく[[関西本線]]とかだろうか?
#**名古屋口に投入して[[近鉄特急]]に対抗していたか?
#**急行「かすが」はこれになっていたかも?
#***かすがに限らず一部の気動車急行をこれにしてたかもしれない。
#キハ40系の製造両数が現実よりも少なかった。
#両運転台車も登場していた。形式名は「キハ68形」か?
#おそらくキロも登場していた。
#165系・475系の車体に側面はキハ66・67形といった電車も登場していた。


== [[徳島]] ==
==客車==
*[[平成大合併の悲劇/四国#徳島|徳島]]
===12系===
1969(昭和44)年からデビューした12系客車ですが、諸事情により1972(昭和47)年より特急形14系客車の製造に変更となりました。もし、1972(昭和47)年以降も12系客車で製造されたら?
*1977年(昭和52年)に製造が再開されていますが、ここでは製造が中断されなかったらとします。
#総製作両数は、2000両近くまで製造された。
#50系客車は製造されなかった。
#*夜行急行などでの需要があるから流石に投入されるだろう。
#後年のローカル転用にあたり、115系・417系・715(711)系などの朝夕ラッシュ時間帯にて混雑緩和用として用いられた。
#*それにあたり、折戸ドア→引戸ドアの施行、3ドア化、デッキ撤去などの施行が行われていた。
#北海道へは側引戸、2重窓装備のマイナーチェンジ車が投入されていた。
#*14系500番代は登場しなかった。
#*北海道向けの車両の冷房・電気暖房・ディーゼル発電機は準備工事のみで、暖房は機関車からの蒸気暖房を使用していた。国鉄最末期になってやっと冷房・電気暖房が設置され、津軽海峡線の快速「海峡」に使用された。
#「[[北斗星]]」用にこれを種車にした個室寝台車が製作されていた。
#旧型客車の急行運用は1978年までに全廃され、以降の運用は普通列車のみであった。
#*寝台車については新車は特急優先とするスタンスから10系が引き続き使用されていた。20系の転用も史実通り。
#「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」に14系座席車が投入されることはなかった。
#1973年以降の増備車は防火対策がされていた。
#12系を種車にしたジョイフルトレインがさらに増えていたかもしれない。
#*史実で14系座席車を種車にしたジョイフルトレインも12系から改造を行っていた。


== [[高知]] ==
==機関車==
*[[平成大合併の悲劇/四国#高知|高知]]
===EF81形300番台===
史実では関門トンネル増発用として4両が登場しましたが、製造両数がもっと多かったら?
#EF30はローズピンクに塗装され北陸本線米原〜田村間に転出していた。
#*田村機関区はEF30が廃車される1986年まで存続した。
#増備車は製造当初から重連総括機能を搭載していた。


== [[愛媛]] ==
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 国鉄・JR史|あのてつとうしやりようかさらにそうひこくてつ]]
*[[平成大合併の悲劇/四国#愛媛|愛媛]]
[[カテゴリ:日本国有鉄道の車両|もしさらにそうひ]]
 
== [[福岡]] ==
*[[福岡/豊前#みやこ町|みやこ町]]
**佐賀県みやき町と被ってる。
**さらにみやま市もできるぞ。
**ただし漢字で書くと「京都」・・・
*[[福岡/筑後#うきは市の噂|うきは市]]
**サスケ?(そりゃ「うちは」)
*[[福岡/筑前#筑前町の噂|筑前町]]
**言うこと無し。旧夜須町民にとってあの事件は迷惑だ。
*[[福岡/筑豊#宮若市の噂|宮若市]]・[[福岡/筑前#福津市の噂|福津市]]
**これまた随分いい加減なネーミング。
**九州道の若宮ICの看板『若宮 宮若』って…、昔は『若宮 宮田』だったのに。これも悲劇。
*ゆたか市(未遂)
**直方市+小竹町+鞍手町で「ゆたか市」。福北ゆたか線にあやかって「ゆたか市」にしたが直方市を中心に反対意見が相次ぎ、合併は白紙になった。
*ただいま壮大な合併が計画されようとしている。詳細は[[wikipedia:ja:関門都市圏|wikipediaの関門都市圏]]のページを参照のこと。
 
== [[佐賀]] ==
*[[佐賀/松浦#唐津市の噂|唐津市]]
**人口減少率が過疎地域との合併で増えてしまった。
**人口密度が減少。
**玄海町を入れなかったため、中途半端な形に。
*[[佐賀/西部#嬉野市の噂|嬉野市]](湯陶里市案、'''未遂''')
**鳥取の湯梨浜町(温泉と梨の浜に因んでつけた町名)と同じような感じで、温泉と陶器の里に因んで「湯陶里市」を考案したが、「ゆとり市」っていったい…。しかし、住民から抗議殺到して、結局、嬉野町+塩田町=嬉野市として成立した。
*[[佐賀市]]
**福岡市と隣同士になってしまった
 
== [[長崎]] ==
*[[長崎/五島#新上五島町の噂|新上五島町]]
**どこが新?
**「新」ってのが気に入らないね。
**合併した町に「上五島町」があったから「新」らしい。
**ちなみに合併前の自治体にも「新魚目町」があった。
*[[長崎/北松#平戸市の噂|平戸市]]
**島の名前にちなんだ市名を継承したわけだが、今回の合併では本土にはみ出してしまったので、その辺ちと違和感が生じた。
 
== [[大分]] ==
*[[大分/南部#臼杵市の噂|臼杵市]]
**吉四六(きっちょむ)さんでおなじみの野津町が消えてしまったか…。
*[[大分/中部#日田市の噂|日田市]]
**あの中津江村は、日田市と合併したが、その住所表記が「日田市'''中津江村'''大字○○」という快挙をやってのけた。とはいえ、地元民としちゃやはり自治体名として残しておきたかったのでは…?
*合併でできた自治体は全て「市」。町と村は合わせてたったの4つに。
 
== [[熊本]] ==
*[[熊本/球磨|あさぎり町]]
**霧が有名なのか?
**合併前にあった岡原村は、「岡本」と「宮原」の合成地名だったのだが、あさぎり町誕生の際に岡本は「岡原南」に、宮原は「岡原北」にそれぞれ変えられてしまった。こうして歴史は抹殺される。
*[[熊本/北部|和水町]]
**合成地名(三加和+菊水)。しかも読み方が無理やり。
 
== [[宮崎]] ==
*[[宮崎市]]
**もともとから清武町をわしづかみにしたような形だったが、田野と高岡の両町を編入したら清武町を握り潰してやれと言わんばかりの形になってしまった。
*[[宮崎/北部#日向市の噂|日向市]]
**編入合併だったとはいえ、同時に市名を変更することも出来たはずだったのだが、結局宮崎県全体を指す名前を独り占めした市名をそのまま存続。
**一時県名にもなった富高か美々津に改称すべき。
 
== [[鹿児島]] ==
*[[薩摩川内市]]
**無駄に画数多すぎ。
***川内はたった7画だったのに。
**薩摩を付けたのは仙台と区別するためか。
*[[鹿児島/中南薩#いちき串木野市|いちき串木野市]]
**くっつけただけでは長いよ。
**しかも前半ひらがなww(爆)
***でもすぐ上に比べたらどうでもいいこと
**日置市と合併するべきだな。
*[[さつま町]]
**3町とも元々祁答院の内だったんだから、祁答院町と合併して「祁答院市」になるべきだった。
*[[鹿児島/大隅#志布志市|志布志市]]
**志布志市志布志町志布志
**とっとと大崎町と合併して「救仁市」に改名しろ!
*[[鹿児島市]]
**よくも「'''[[桜島]]'''」の町名を消してくれたな?
**「安心しろ、山は消えねえから」ってことだろ。
**石油備蓄基地が欲しいんだろうが喜入は要らないだろ?南北に長くなり過ぎ。
*[[鹿児島/奄美#奄美市|奄美市]]
**奄美諸島全域が合併したわけじゃないだろう。
**候補の中に「'''ブルー奄美市'''」なんてのがあったらしい。まるでホテルや列車につける名前じゃないか。
*南九州市(07/12/01誕生予定)
**最低の糞市名。合併協議会の良識を疑う。酷過ぎ。地元住民は馬鹿と思われても仕方が無い。
 
== [[沖縄]] ==
*[[沖縄/中頭#うるま市ぬ噂|うるま市]]
**うるまって何?
***沖縄言葉で「珊瑚の島」という意味らしい
****沖縄全体を指す言葉でもあるらしい。昭和時代にもコザ+美里でいきなり「沖縄市」を名乗ったと思ったら…。
***官房長官
*[[沖縄/宮古|宮古島市]]
**岩手県に宣戦布告しておいて自爆した。
**でも、岩手の[[岩手/沿岸北部#宮古市の噂|宮古市]]出身の[[銀座]]の某ママは、宮古島の名を冠した沖縄料理の店を贔屓にしている。
 
== 関連項目 ==
*[[読めない地名]]
*[[勝手に市町村合併して委員会]]
*[[歴史のif検討委員会#テーマ別#地方別#市町村変遷史|市町村変遷史@歴史のif委員会]]
 
[[Category:ご当地の噂テーマ別|へいせいたいかつへいのひけき]]
[[category:平成大合併の悲劇|*]]
[[category:都道府県別の噂|へいせいたいかつへいのひけき]]

2021年3月4日 (木) 20:48時点における版

少数派に留まった車両や完全な車両置き換えに至らなかった車両がもし、更に増備されていたら?

  • 新規追加は車種別に形式が若い順にお願いします。
    • 項目内に史実の導入編成数を書いていただければ幸いです。
  • 安易すぎる内容はご遠慮願います(「◯◯系が登場するのは史実通り」「保存車が増えていた」「あの形式の増備が打ち切りになっていた」「あの形式とともに活躍していた」「JR発足後は○○に継承されていた」など)。
  • 現実を想定した広い視野を持った内容でお願いします。
関連項目

電車

特急・急行形

165系・457系

  • 急行型電車は1973(昭和48)年をもって新製が打ち切られました。もし、もう少し増備がつづけられていたら。
  1. 70年代終盤あたりから特急型電車がガンガン新製されて、急行増発→急行列車の特急化を推進させられた。
    • その結果、旧型電車・旧型客車(普通列車)は長野・新潟地区はオール165系化、仙台・秋田・青森・金沢地区などは、オール急行型で新性能化される。
    • 紀勢本線の急行「きのくに」は1978.10改正の新宮電化の時点で165系電車に置き換えられていた。
      • 南海からの南紀直通もこの時点で廃止されていた。
      • それでも1985年に特急「くろしお」に格上げ→廃止は史実通りだろう。
  2. 従って、急行形電車は3ドア化、洗面所・デッキ撤去される。
    • 史実の717系900番台と近似の形態となっていた。
    • 近郊型改造に伴い165系は115系、457系は415系の新区分番台に改番されていた。
    • 洗面所撤去だけでなくトイレの数も減らされていた。
  3. よって、ローカル向け115系1000番台(状況次第では2000番台も)、119系、419系電車、50系客車、ED76系交流機関車などはデビューすることはなかった。
  4. 「しらゆき」に投入されていた場合、457系は3電源を発揮できる電車となっていた。
  5. いや、「しらさぎ」は特急化されて「白鳥」と併結運転となっていた。
  6. よって、「白鳥」は1~6号となっていた。
  7. 455・457・475系から改造されたジョイフルトレインも存在していた。

183系あまぎ・白根用

「あまぎ(現在の踊り子)」「白根(現在の草津)」で運用されていた157系置き換え用に留まることなく、更に増備されていたら?

  1. 185系は登場しなかった。
    • 117系と比べられることなく、「最悪の特急」と揶揄されることもなかった。
    • 「あかぎ」にも183系が投入されていた。よって、新特急も生まれなかった。
      • 「はまかいじ」にもこの編成が充当されていた。
    • 185系は元々急行型電車として開発された車両だから、本来の急行用としては登場してたかもしれない。
  2. 基本10両編成だけでなく、付属5両編成も登場していた。
    • サハ183形が登場していた。
    • 2階建て列車のために貫通路付きクハ183形の製造が再開されていた。
  3. 2005年までにE257系によって置き換えられていた。
    • 上記の通り高崎線特急にも183系が投入されていた場合、同線にもE257系が投入されていた。
      • 651系1000番台は存在せず、E657系投入後に行き場をなくした651系は殆どが廃車されていた。
        • 伊豆クレイルの種車は255系になっていた。
          • 255系の編成からすれば無理があると思うが。
        • 651系はむしろ当初の予定通り波動用に転用されていたのでは?

185系

史実では東海道線の急行伊豆(今の特急踊り子)と新幹線リレー号(後の新特急「あかぎ」、「草津」)向けに東日本地区のみ導入されたのである。

  1. 関西圏にも導入された。
    • 中国地方にも納車された。
    • これらはJR西日本に継承された際に緑色のストライプが青色に変更された。
    • 「北近畿」、「はしだて」などはこれになった。
      • 「エーデル北近畿」、「エーデル丹後」はなかった。
        • あれらは「エーデル鳥取」のみに。
    • 関西地区用の普通車の座席はJR西日本発足後の早い時期に背面テーブル付き回転式リクライニングシートに交換されていた。同時に最高速度を120km/hに向上するための改造工事も行われた。
    • 2000年代に入るとリニューアル工事で683系並みのアコモデーションに改良され、グリーン車は3列シートになるなど、185系とは思えないほどの見違えるような車両になっていた。

473系

史実では475系が製造されたため1編成しか製造されませんでした。453系並みに多かったら。

  1. 475系の導入が遅れた。
    • 475系は瀬野八越えの区間を抱える山陽~九州方面のみの投入となっていて、北陸方面には1970年の富山地方鉄道立山駅乗り入れの時に457系が投入されるまで475系は投入されなかった。
  2. 413系100番台も複数編成存在している。
  3. 2010年頃まで現役で運用されていた編成も複数あった。
  4. のちに、普通列車に転用されて、50系客車が史実よりも少なくなっていたかもしれない。

普通列車用

103系

史実では3447両製造されましたが、もし製造両数がワム80000形(26605両)並みだったら?

  1. =国鉄が近郊路線にも4ドア車に投入していた場合か。
    • グリーン車使用やクロスシートタイプも製造されていた。
    • 101系は全て103系に改造されていた。
    • 直流電化区間も伸びていた。
      • 3ドア車は常磐線などごく一部にとどまった。
  2. JR東海で令和になっても103系が走っていた可能性大。

105系改造編入車

史実では新規製造車(60両)と改造編入車(61両+補充車1両)がありましたが、もし、105系が全て改造編入車だったら?

  1. 205系の製造数が現実より多かった。
  2. 105系登場が遅れていた。(新規製造車は1981年、改造編入車は1984年)
  3. そもそも105系にはならず103系の番台区分には…流石にならないか。

113系700・2700番台

史実では湖西線向けに開発されたため少なかった。

  1. 草津線の電化が早まっていた。
  2. 湖西線が全線直流になっていた。交流60Hzとは無縁。
    • それも開業当初から。
  3. 福知山線や山陰本線にも早々と導入されていた。
    • 新福知山色は800番台ではなく本番台に塗られていた。
    • 勿論福知山口の電化も史実より早まっていた。
  4. 関西圏の東海道線の3ドア快速は221系が入る前はこれで統一されていた。
    • 丸窓で大目玉は他路線へ行った。
  5. JR東海に継承された編成も登場。
    • そちらは当然ながらブルーシートに牛革のシートカバー。
  6. 小浜線や舞鶴線の電化も早まっていたかも。

113系1500番台

史実では数両程度増備していた。

  1. 横須賀線はSM分離並びに総武本線との直通を境にこれで統一されていた。
    • 1000'番台の東京乗り入れは無くなっていたかも。
      • 全車房総地区に転属。
        • それも史実より早めに。
  2. 民営化以降、置き換え時期が遅くなり早々とE217系に置き換えられるとはなかった。
    • きっと置き換えるときはE231系1000番台の地下乗り入れ版が開発されていたかも。

113系2000番台

史実では2000番台の数は0番台を下回っていた。

  1. 東海道線東京口はSM分離を境にこれに統一されていたかも(勿論サロは1200番台だけ)。
  2. サハ代用のクハは史実よりも早く無くなっていたかもしれない(他線区に転用)。
  3. 111系は史実よりも早く無くなっていたかも知れない。
    • 四国に譲渡されることはなく、紀勢本線に転属していたかも。
    • あるいは四国に113系0番台の配属が早まっていた。

123系

  1. 地方交通線の輸送力適正化に一役買う。
  2. 地方私鉄へ譲渡される車両も出てくるかも
  3. 寒冷地向け仕様や山岳地域向け仕様も出てくる。
  4. 南武支線や鶴見線にも少なからず導入され、クモハ12を置き換えていた。
    • 南武支線用101系はなかった。
      • 現在はどちらも205系で置き換え済
  5. 郵政省所有のクモユ143も国鉄に譲渡後直ちに123系に改造された。

201系武蔵野線用

中央線快速用から転用で配置されたものの一部に留まった。

  1. 101系を確実に置き換えていた。
  2. 8両編成化に際しては組み換えで対応していた。
    • 8両編成化で持て余した車両は青梅・五日市線に転用されていた。
    • 補充として205系も更に増備されていた。
  3. 今頃はE233系に置き換えられている。

205系関西地区用

史実では京阪神緩行線用に0番台が7両4編成、阪和線用に1000番台が4両5編成のみ導入されました。もし関西にも205系が本格的に投入されていたら?

  1. 京阪神緩行線の103系は1980年代のうちになくなっていた。
    • 京阪神緩行線の103系の置き換えが終わると大阪環状線や阪和線などにも投入。
    • JR東西線開通に伴い207系が京阪神緩行線に投入された結果、201系は阪和線や大和路線に転用されていた。
    • 京阪神緩行線のスピードアップも実現していた。
  2. 結果として関西から103系が撤退するのが早かった。
    • あるいは高運転台クハ(勿論中間車も後期車のみで構成)の編成だけが生き延びていた。
  3. 1988年以降は1000番台として投入されていた。
  4. 321系は忠実より10年ほど後に227系顔として導入され、205系を駆逐。
    • 阪和線の201系導入は大和路戦同様、205系転属となり後回しに。
      • ただ体質改善されそこそこ綺麗な状態にはなっているはず。
    • むしろホームドアの設置の観念から、4扉車の321系は開発されず、3扉車の323系に相当する通勤型車両が投入される。
      • 網干車に関しては207系との兼ね合いでそうはならない気がする。
  5. 205系の増備に集中して、221系はあまり造られなかった。
    • 恐らく221系は爆音外扇モーター搭載での設計だったかも。

207系900番台

史実では1編成のみの製造でしたが、もし、実用化して量産車が登場していたら?

  1. 常磐緩行線だけでなく、埼京線、横浜線、京浜東北線などにも投入された。
    • 205系は山手線投入分で打ちとめになっていた。
    • JR西日本の205系1000番台も207系として登場していたかも。
      • その場合、221系がVVVF制御車として登場していた可能性もある。
    • 地下鉄乗り入れ用以外は前面非貫通式で登場していた。
  2. こっちの方が207系0番代になっていた。
    • JR西日本の207系は209系になっていた。
      • 史実における209系はなかったかも。
        • むしろ209系→231系、E231系→E233系、E233系→E235系、E235系→E237系になっていた。
  3. 203系は常磐快速線に転用されていたか他線に転出していた。
    • 常磐快速線に転用されていた場合、誤乗防止のため、E231系のように黄緑の帯が追加されたかあるいは青緑1色に塗装された。
    • あるいは営団東西線乗り入れ用車両(301系・103系1200番代)置換えのために転出していた。
      • 東西線にも207系が投入されていたような気がしなくもない。
  4. 引退は現実よりも遅く、2017年現在の時点でも現役車両がいたかも。
    • 上記のようにJR西日本にも投入されていた場合は尚更。
    • 2000年代後半からIGBT-VVVFへの制御装置更新が行われていた。
  5. 常磐線中距離快速にJRになってすぐに投入される。
  6. 総武線各駅停車の103系置き換え用に投入されていた。
  7. 総武線の地下鉄乗り入れ車に投入されていた。(青帯)
  8. 1994年製造中止?
  9. 試作車を意味する「900番台」は外されていた。
    • 西の207系は別の形式になっていた。
      • 上に書いてあるように209系になっていたか。

211系0番台・1000番台

初期形113・115系の後継車として計画としてされたが、前者は10両編成6本、後者は5両編成11本で製造が打ち切られました。もし更なる増備が継続されたら?

  1. 私見になるが、前者は10両編成14本、後者は5両編成24本まで製造できたと思う。
    • そうなった場合、初期型113系・115系の廃車ペースは史実以上に早められた。
      • 従って、特別保全工事、冷改などは、史実ほどには施工されなかった。
    • しかし、ロングシート編成の製作両数は史実どうり。
  2. 後年、長野転属のさい14本全て向かい合わせ座席になっていた。
  3. 415系はクハ・モハにも1700番台が登場したかもしれない。
  4. そもそもJR東日本がクロスシート車の製造に意欲的だったら十分あり得た(JR東日本発足後はクロスシート車の製造に消極的になったため)。

211系0番台名古屋地区用

  • 4両編成2本のみの製造となり5000番台へと移行しましたが、もし0番台時代に大量製造されていた場合。
  1. 311系を投入後は東海道線の脇役へと変化。
  2. 211系5000番台は東海道線に投入される時期は短かった。
  3. 313系投入後は中央線を中心に転属。
    • その分1100番代以降の製造が少なかった。
  4. 静岡地区にもこれが導入され丸窓の113系が史実よりも早々と無くなっていた。

301系

製造コストが非常に高かったことから製造が途中で打ち切られ、103系1200番台の製造へと方針が転換された。

  1. 103系1000番台の代わりに常磐緩行線にも投入されていたかもしれない。
    • どちらにせよ203系の投入とそれに伴う地上転出は史実通り。ただし105系(303系?)に改造されたかどうかは微妙なところ。
    • 103系1200番台は存在しない。1500番台も301系の番台区分になっていた。
  2. 201系辺りでアルミ車体の導入が真剣に検討されていた。
    • この場合203系は201系の番台区分になっていた。
      • 場合によっては205系以降もアルミ車体が継続使用されていたかもしれない。
  3. 国鉄の財政は間違いなく史実以上に悪化していた。
    • 分割民営化が早まったかもしれない。

415系1700番台

史実ではサハ411-1701の1両のみ製造された。

  1. ロングシート車の415系1500番台の製造両数が少なくなっていた。
    • サハ411-1601は登場せず、サハ411-1702として登場していた。
  2. 恐らく九州に投入された415系ステンレス車はこちらになっていた。
  3. JR東日本では混雑緩和のため1500番台よりも先に廃車されたが、JR九州では全車両現役。
    • JR九州でも混雑緩和のためロングシートに改造された車両も存在していた。
  4. 811系は投入されなかった。あるいは製造数が減っていた。
  5. むしろ415系1500番台の7両化用に投入されていた。
    • 415系ステンレス車のみで組成された7両編成の登場が実現していた。
      • 史実ではステンレス車のみで組成された7両編成は存在しない。
  6. クハ415-1901は登場しなかった。

417系

史実では仙台地区のみの導入であったが、この他にも秋田や金沢地区などにも導入する計画があった。

  1. 50系客車の製造数が減っていた。
  2. 急行形車両の格下げ転用はなく、急行列車はある程度維持できていた。
  3. 713系・715系・717系・413系・419系・701系は登場しなかった。
    • 田沢湖線改軌時に719系5000番台が投入されていた。
  4. JR西日本所属車はN40改造されていた。
  5. JR東日本所属車は今頃はE721系に置き換えられており、秋田・盛岡地区にも投入されていた。
  6. 金沢地区配置車は新製時から冷房付きとなっていた。
    • 417系にも青や赤1色の車両が登場していた。

713系

史実では試作車4編成が製造されているが、量産車は鹿児島本線にも投入する計画があった。この他にも周波数を変更することで50Hz線区にも投入出来る設計となっていた。もし、量産車が製造されていたら?

  1. 当初の計画通り、ステンレス車体・空気ばね台車となっていた。
    • 時期的に213系を固定クロスシートにした感じの車両となっていた。
    • 空気ばね台車は、他形式の廃車発生品を再利用。
      • やる気があれば、新品のボルスタレス台車に変更されてたかも。
  2. 715系・717系は登場しなかった。
  3. 東北地区に投入されていた場合は719系・701系は登場しなかった。
  4. 鹿児島本線に投入されていた場合は肥薩おれんじ鉄道に数編成が移籍していた。
  5. 900番台が主制御機器を更新した際車番が変更されることはなかった。

715系

  • 715系電車は、長崎地区の715系4両編成12本、仙台地区の715系4両15本、金沢地区の419系3両編成15本をもって、製作が打ち切られました。もし、種車の583(581)系のモハ583・582(モハ581・モハ580)の総計118ユニットを全て715系化するとしたならば、どのようになっていたか。
  1. 419系は製作されなかった。
  2. 長崎・仙台地区のほか、青森、秋田、鹿児島地区にも投入された。
    • 場合によっては鹿児島地区に投入される場合、長崎地区のモハ715を先頭車化改造(トイレ・洗面所もあわせて撤去)して3両化。
  3. 417系は、金沢地区に転属になっていた。
    • その結果、715系の総製作数は374両になっていた。
      • よって、583系は国鉄時代に姿を消していたかもしれない。
  4. 急行きたぐには客車のままだった。
  5. 12系2000番台は登場しなかった。
  6. 寝台車の絶対数不足が起きるため、20系客車がJR化後も定期運用を持っていた。
    • 銀河・ちくま・だいせん・かいもん・日南の寝台車はJR化後も20系のままだった。

717系仙台地区用

仙台地区の451・453系全車改造に至るまで増備していたら?

  1. 種車が抑速ブレーキを持たないので運用が常磐線に限定されていた。
  2. 水戸乗り入れも末期まで行われていた。
  3. 719系の登場は史実通りであるが、455系が置き換え対象となっていた。
    • 455系の大規模な更新工事はなかった。
  4. ワンマン運転が難しく、輸送力も過剰であるため、一部の編成が701系に置き換えられていた。
  5. 今頃はE721系に置き換えられている。

気動車

キハ35形900番台

史実では10両のみの製作で終わりましたが、もし、更に増備されていたら?

  1. これ以降のキハ30・キハ35は東急車輛製造で作られていた。
    • 205系のように他社への技術開示はできなかったと思われるため。
    • もっともこれができていれば国鉄の歴史は変わっていただろう。

キハ37形

史実では5両のみの製作で終わりましたが、もし、更に増備されていたら?

  1. 加古川線・久留里線のキハ35系を確実に置き換えていた。
    • キハ38形は登場しなかった。
  2. 加古川線のものは電化後は中国地方へ転出していた。
    • 延命工事も行われており、早期廃車の対象になることはなかった。
  3. 久留里線のものは史実通りにキハE130形に置き換えられていた。
  4. 久留里線や加古川線以外の線区にも投入されていた。
  5. 両運転台版も登場していた。
    • 扉配置はキハ40形に準じていた。

キハ38形

史実では7両のみの製作で終わりましたが、もし、八高線のキハ35系全車置き換えに至るまで製作されていたら?

  1. 八高線にキハ110系は投入されなかった。
  2. 八高線電化時に一部が久留里線に転出するのは史実通りであるが、この時点でキハ35系が全廃されていた。
    • 和田岬線用は?
  3. 今頃はキハE130系に置き換えられていただろう。

キハ58・28形

史実では1969年までに製造が続けていましたが、もし、更に増備されていたら?

  1. キハ40系は製造されなかったかも。
    • むしろキハ66・67形の方が登場しなかった。
      • それすらなかったので117系の登場にも影響が出ていた。
  2. 50系客車の普通列車はなく、一ノ関以北の東北本線や村上以北の羽越本線に運用されていた。
    • 非電化線区ならともかく、交流電化線区での機関車有効活用や交流/直流電化線区への直通運転、通勤輸送との観点から長編成で有利となることからむしろ登場したのでは?
  3. キハ65形登場と同時期にモデルチェンジしていた。
    • 同時期に登場した12系と同様のスタイルとなっていた。
    • 本州向けは製造時から冷房車として製造され、北日本向けは依然として冷房は準備工事だった。
  4. 遜色急行が減っていた。
    • 特に北海道のキハ22形急行列車は本系列によって置き換えられ、普通と急行で車種の専従化が徹底されていた。
  5. この車両は計画されなかった。

キハ66・67形

史実では九州に30両が投入されただけで終わりました。

  1. 九州以外にも投入されていた。
    • 投入線区は恐らく関西本線とかだろうか?
      • 名古屋口に投入して近鉄特急に対抗していたか?
      • 急行「かすが」はこれになっていたかも?
        • かすがに限らず一部の気動車急行をこれにしてたかもしれない。
  2. キハ40系の製造両数が現実よりも少なかった。
  3. 両運転台車も登場していた。形式名は「キハ68形」か?
  4. おそらくキロも登場していた。
  5. 165系・475系の車体に側面はキハ66・67形といった電車も登場していた。

客車

12系

1969(昭和44)年からデビューした12系客車ですが、諸事情により1972(昭和47)年より特急形14系客車の製造に変更となりました。もし、1972(昭和47)年以降も12系客車で製造されたら?

  • 1977年(昭和52年)に製造が再開されていますが、ここでは製造が中断されなかったらとします。
  1. 総製作両数は、2000両近くまで製造された。
  2. 50系客車は製造されなかった。
    • 夜行急行などでの需要があるから流石に投入されるだろう。
  3. 後年のローカル転用にあたり、115系・417系・715(711)系などの朝夕ラッシュ時間帯にて混雑緩和用として用いられた。
    • それにあたり、折戸ドア→引戸ドアの施行、3ドア化、デッキ撤去などの施行が行われていた。
  4. 北海道へは側引戸、2重窓装備のマイナーチェンジ車が投入されていた。
    • 14系500番代は登場しなかった。
    • 北海道向けの車両の冷房・電気暖房・ディーゼル発電機は準備工事のみで、暖房は機関車からの蒸気暖房を使用していた。国鉄最末期になってやっと冷房・電気暖房が設置され、津軽海峡線の快速「海峡」に使用された。
  5. 北斗星」用にこれを種車にした個室寝台車が製作されていた。
  6. 旧型客車の急行運用は1978年までに全廃され、以降の運用は普通列車のみであった。
    • 寝台車については新車は特急優先とするスタンスから10系が引き続き使用されていた。20系の転用も史実通り。
  7. 「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」に14系座席車が投入されることはなかった。
  8. 1973年以降の増備車は防火対策がされていた。
  9. 12系を種車にしたジョイフルトレインがさらに増えていたかもしれない。
    • 史実で14系座席車を種車にしたジョイフルトレインも12系から改造を行っていた。

機関車

EF81形300番台

史実では関門トンネル増発用として4両が登場しましたが、製造両数がもっと多かったら?

  1. EF30はローズピンクに塗装され北陸本線米原〜田村間に転出していた。
    • 田村機関区はEF30が廃車される1986年まで存続した。
  2. 増備車は製造当初から重連総括機能を搭載していた。