もしあの国鉄路線が全通していたら/九州
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福岡・佐賀・長崎・大分
油須原線
- 豊前川崎~油須原
- レールの準備はできていたようだが、白糠線・大隅線と同レベル(15年以下)の短命路線で終わっただろう。
- 漆生~油須原が油須原線となり、上山田線は飯塚から下山田までに短縮された可能性も。
- だが、結局は上山田線が飯塚~豊前川崎から飯塚~油須原となった。
- キハ200による赤い快速が運転されていた。
- 開通式には油須原駅が属する赤村出身の西川峰子が「一日駅長」を務めた。
- 高校の学区が拡大され、沿線の赤村や大任町、川崎町から飯塚地区の県立高校普通科への受験ならびに通学が可能となった。
- 平成筑豊鉄道上山田線として再出発していた。
呼子線
- 西唐津~呼子
- 直流電化となり地下鉄からの直通列車が運転される。
- もし電化されなかったら、佐賀方面と直通運転されるかもしれない。
- そうなったら唐津市民の猛反発は必至。やっぱり福岡との直通じゃないと・・・
- 高規格の高架上を103系1500番台がMT55の爆音を轟かせ爆走し、「九州の武蔵野線」と呼ばれる。
- 103系ではなく地下鉄直通可能な近郊型車両が投入されていた可能性がある。
- それだと3扉の近郊型と4扉の103系や303系・305系が混在するから地下鉄線内にホームドアが設置できなくなるんじゃ・・・。
- ホームドア取り付けまでは3扉車も投入されるが、ホームドア取り付け後は4扉車に置き換えられる。
- 305系にロング⇔クロス転換可能な座席が採用されていた。
- それだと3扉の近郊型と4扉の103系や303系・305系が混在するから地下鉄線内にホームドアが設置できなくなるんじゃ・・・。
- 103系ではなく地下鉄直通可能な近郊型車両が投入されていた可能性がある。
- 呼子-唐津-博多-空港直通特急導入。(筑肥線<北九州鉄道>のバス部門を買い取った)昭和バス涙目。
- 釜山までの延伸計画が立つ。
- 土休日には快速「呼子のイカシュウマイ」号が運転されていた。但し、使用車両は103系1500番台なのでJR東日本の「ホリデー快速おくたま」号レベルの観光・行楽色が薄い列車W
- そこでキハ185系の出番ですよ。(唐津線入線経験ありなので。)
- 電化されていれば筑肥線を含めて平日にも快速が運転されていた可能性が高い。但し地下鉄線内は各駅停車。
- 平日の快速は「よぶこライナー」と命名されてたかも。あるいは、快速「よぶこ」かな?本数多い場合呼子方面は奇数・空港方面は偶数の号数当てられた可能性も。
- 伊万里まで全通していた場合、呼子以西は電化されない。
- 呼子以西はJR化後の早い内に松浦鉄道に譲渡・移管される。
- 壱岐~呼子間を結ぶフェリーが存続した。(現在は壱岐~唐津間。)
- キハ47形気動車とキハ125形気動車による呼子~佐賀間を結ぶ普通列車が運行されていた。
- 1988年4月までに運行されていた唐津~長崎間の急行「平戸」が呼子まで乗り入れていたかもしれない。(唐津~呼子間は各駅停車)
- 唐津線か筑肥線に編入されていた。
- 無論、2010年3月にSUGOCAが導入されていた。
臼ノ浦線
北松炭田があったころ、小佐々経由で江迎鹿町へ至る延伸構想があった。
- 松浦線のバイパス線となっていた。
- レールバスが導入されることはなかった。
- 赤字83線にリストアップされることはなかった。
- 特定地方交通線に指定されるが、松浦鉄道に引き継がれている。
室木線・宮田線
両線をつなげる構想はかなり昔から存在したが、特に宮田町のトヨタ誘致のころかなり具体的に検討された。(参考)
- 宮田工業団地は史実以上に発展していた。
- 盲腸線にならないので廃止にならなかった。
- 通勤路線として篠栗線と同時期に電化されていた。
熊本・宮崎・鹿児島
高千穂線
- 立野~高森~高千穂~延岡
- 急行や特急の走る幹線になっていた。
- 博多~延岡間の所要時間が大幅に短縮されていた。
- 宮崎への短絡ルートにもなっていたので、博多~宮崎間の所要時間も大幅に短縮されていた。
- 新しい九州横断鉄道になってた。
- 高千穂夜神楽の時期には宮崎発&熊本発のリレー号的列車が設定された。
- 勿論博多~高千穂間直通の臨時特急もある。
- 愛称は「かぐら」「いわと」辺りになる?
- 高千穂夜神楽の時期には宮崎発&熊本発のリレー号的列車が設定された。
- キハ183‐1000は流転人生を歩むことなく、この路線の観光特急として永住。
- 2005年の台風で被害を受けてもすぐに復旧されていた。
- 流石に「すぐ」というわけでもなさそう。現に高山本線は結構時間かけてたし。
- 沿線のどこかが市に昇格していた。
- 高千穂町は熊本県に編入されていた可能性も。
- 受験生向けに飲料水を売り出していた。
- 「南阿蘇水の生まれる里白水高原」などという駅名が誕生することもない。
- 阿蘇下田や日ノ影の駅舎内に温泉施設が造られることもなく、「~温泉駅」と改称することもない。
- 「~温泉駅」自体は、JRにもちらほらあるのであり得たと思う。
- 阿蘇下田や日ノ影の駅舎内に温泉施設が造られることもなく、「~温泉駅」と改称することもない。
- 特急「おおよど」は高森・高千穂線経由で運転され、逆に「にちりん」が廃止されていた。
- 日豊本線の佐伯~延岡間は廃止されていた可能性もある。
- 貨物があるから廃止はないにしても、特急廃止で佐伯-延岡が超過疎の特急空白地帯になる可能性が高そう。
- 定期列車こそ少ないが、都市部から比較的手軽に行ける九州の超秘境路線として意外と人気になる。
- 本州方面から宮崎への需要も考えると、さすがに廃止はない。でもソニックの一部が小倉発着に短縮して、山陽新幹線からの乗り換えに特化するかも。
- 日豊線と立場が逆転した時点で「おおよど」が「にちりん」に改称されて消滅しそう。
- 佐伯~市棚間の普通列車は全廃されるが大分と宮崎両県間の流動目的で特急数往復だけが残される。
- 市棚に特急数往復が止まるようになり佐伯~市棚間の駅は廃止または信号場化される。
- 当然18特例区間となりシーズンはきっぱーで混雑する。
- 日豊本線の佐伯~延岡間は廃止されていた可能性もある。
- キハ183の九州タイプが大量に投入され、キハ183‐1000が一編成だけということはなくなっていた。よって四国からキハ185を購入することもなかった。
- むしろ電化されて883系や885系電車が投入されていたかもしれない。
- 熊本~立野間が複線化されそれぞれ「別府行」、「延岡行」が運転される。
- さすがに肥後大津までではなかろうか。
- 路線名は立野~延岡~宮崎~鹿児島間が「肥日本線」となっていた。
- むしろ「日肥線」かと(史実でもJRバスの路線として実在していた)。
- 史実の日肥線は、湯前線や妻線のルートのほうだっけ?こっちも両者をつないで九州横断鉄道にする計画があったらしいけど、西米良のあたりが山深過ぎて断念されたとか。
- 「日肥線」だと「日豊線」と紛らわしくなるという理由で「熊延線」になっていた可能性が微レ存?
- 三セク化の場合は「高千穂かぐら鉄道」的な名前に。
- むしろ「日肥線」かと(史実でもJRバスの路線として実在していた)。
- 第三セクター化された場合は南阿蘇車と高千穂車による相互乗り入れ運転。
- 福岡~宮崎間の高速バス「フェニックス」がすこし苦戦していた。
- 同区間の航空路線は廃止。
- 九州新幹線開業後は熊本-南宮崎・都城間に高森・高千穂線経由の特急「おおよど」が運転されるため、新八代-宮崎間の新幹線接続高速バス路線の設定はなかった。
- その場合、787系電車と783系電車で運行されていた。また、787系電車の車両数が史実よりも多くなっていた。
- 九州新幹線全通するまでは、485系電車も運行されていた。583系電車も運行されていたかもしれない。
- 宇土~浜町~高千穂~延岡のルート
- 豊肥本線の宮地~豊後竹田間と日豊本線の佐伯~延岡間のどちらかは廃止されたかも。
- 宇土が発展していた。
- 昭和30年ごろ、早くても戦前には開通していた。
- 豊肥本線の宮地~豊後竹田間は平成24年北部九州豪雨で廃線になっていた。
- 狩勝峠区間の廃止によって空文化されていた「日本三大車窓」(狩勝峠・善光寺平・矢岳越え)が名実ともに3つ(善光寺平・高森峠・矢岳越え)になる。
- 史実の南阿蘇鉄道と同様に熊本地震による被害を受けた場合。
- 数年単位で運休を余儀なくされる。
- JRの場合は高森~延岡間のみで折り返し運転が行われ、普通需要の少ない高森~高千穂間は一日一往復程度になってしまう。
- 立野~高森間は完全にバス代行になる。
- 分断された福岡対宮崎ルートとして、高千穂線開通で過疎化していたであろう日豊線ルートに臨時特急が運転される。
- 博多発着ではなく、大分止まり特急に連絡する形で大分(あるいは別府)始発になる。
- 高千穂線が非電化だった場合、車両は高千穂線で使われていた特急型DC。(日豊線が盛り上がっていない=史実ほど特急電車が増備されていない可能性があるので)
- 本数は三往復程度か。
- 1930年代のうちに全通できた場合,急勾配や急曲線が多いが,隧道の総延長は遙かに短い。重連の名所があったかも。熊本は戦後も九州の中心機能を持ち,豊肥本線は全線電化の上,立野駅のスイッチバックは解消,熊本-立野間は高速化の一環で電化される。当線も後を追い,電化の話が出る。
- 立野より西は複線電化だろうか。
湯前線
- 湯前~西米良~杉安
- 国鉄妻線は廃止されず、湯前線として統一された。
- 杉安から途中の黒瀬までは日向軌道跡を流用する。
- 戦前には開業していた。
- 九州横断鉄道としての役割は・・・・流石に果たせなかった。
- 上記の高規格で開業している高千穂線にはかなわなかった。
- 民営化後史実通り三セク化され、人吉~佐土原間がくま川鉄道となる。
- 一部の列車はJR日豊本線に直通し、宮崎まで乗り入れている。
- 西米良村の過疎化のスピードが遅かった。
- 人口は5000人程度と椎葉、諸塚の両村の人口を上回っていた。
- 国道219号が整備され「酷道」ではなくなっている。
- この場合,肥薩線八代-人吉間と湯前線全線が電化・高速化。特急「おおよど」が2020年現在は787系で運行。おもな運行区間は熊本-八代-人吉-(佐土原-)宮崎間。別列車であるが,西鹿児島(鹿児島中央)まで乗り換え無しでいける列車がある。
- 九州新幹線全通後、新八代〜宮崎で新幹線接続特急が運行されていたか?
大隅線
- 大隅高須~川北
- 根占港へ向けて鹿児島から直通列車が走っていた。
- フェリーと連絡するダイヤになる。
- 急行「大隅」の付属編成。
- JR化後まで生き残った場合、フェリーを介して鹿児島湾一周ルートとして一躍脚光を浴びる。
- 鹿児島~根占港(仮)間に骨董車両を水戸岡にチョチョイといじらせた「特に急がない特急」が設定される。
- 愛称は「おおすみの海」か(爆)
- 廃止されても大隅高須以東の部分廃止となる。
- 根占港~指宿港間で車両の航送が企画されるが、割に合わないとしてあっさり断念。
もしあの国鉄路線が全通していたら |
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