武田信玄

信玄公の噂編集

甲府駅前の武田信玄象
  1. 山梨県民にとっては神である。
  2. 一般的に『甲斐の虎』と呼ばれている。
    • ネットでは『甲斐のカピバラ』と呼ばれている。
    • 神で虎…ん??
      • 龍の朱印を使っていた。一方、ライバルの上杉謙信は「景」なので、本当は信玄が龍で謙信が虎の方が適切・・・と、研究者の柴辻さんが本で書いていた。
  3. 人望・カリスマ・知略・軍略などさまざまなものに恵まれていたが、唯一天命には恵まれなかった。
    • 子供も。
      • 実際はそこまででもなかったのだが、創作では最大限に良く解釈して描かれる。ぶっちゃけ信長の対抗馬がいないと面白くないため。
    • でも人間50年からいえば特別短命というわけではない。わりと長生きした秀吉、家康はともかく、信長も義元も謙信もみんな信玄より若く死んでいる。世代交代の準備は大事。
  4. 関東管領上杉氏の名跡を、甲斐源氏の嫡流である自分ではなく、ライバルの長尾景虎(上杉謙信)が継いだことが気に入らず、その後も「長尾」の旧姓で呼んでいた。
  5. 四畳半くらいの便所(それも水洗)を作り、よくそこに篭って作戦を練っていた。
    • その便所には香が焚き込められてたとか。便所を「山」と呼んでたそうな。「山には草木(臭き)があるではないか」と言ったとか言わなかったとか。
  6. 信玄は出家以降の法名。出家前は晴信(はるのぶ)。
    • 足利12代将軍義晴の偏諱を貰った。
    • 自分の長男には、13代将軍義輝から偏諱を貰ったが、輝信とはせず、より格上で謝礼金も高額な「義」のほうを貰い、義信とした。
      • 上杉謙信が「輝」を貰っていた(本名は輝虎)ので対抗したのかな?
  7. 戦国最強。もう少し京に近ければ歴史変わったかも。
    • もっと長生きで、病気もなかったら、歴史は変わったはず。
  8. 甲斐と信濃を結ぶ信玄棒道(八ヶ岳南麓~西麓を一直線に貫く)という軍用道路を造った。
  9. 堤防を作ったことでも有名。
  10. 信長や家康を散々ビビらせていたが、死ぬ間際は自身の方が信長や家康にだいぶヒヤヒヤしていた。
    • その為か、3年の間は自分の死を伏せるように家臣に命じた。
      • 結局はすぐにバレた。
  11. 無類の温泉好きで、現在の山梨、長野に数多くの隠し湯(専用の温泉)を持っていた。
  12. ミドリマキバオー。
    • なぜライバルのカスケードは徳川家康だったのだろうか。
  13. 一般的な肖像画のうちの一つ(わりとクワマンみたいな感じのヤツ)は、実は信玄じゃなかったそうな。
  14. 諏訪湖に水中墓がある。
    • 何でまた、甲斐国の湖を選ばなかったか?
  15. 三国同盟破棄後は、北条や今川を散々ビビらせていたが、小田原城は落とせなかった。
  16. 後に徳川が天下を取った影響で持ち上げられてる感もある(家康にとってのカリスマ的強敵ポジなので強ければ強いほどいい)
  17. 信長や謙信より芋虫が怖かったという。
    • 馬場信房の力で克服できた…、のだろうか?
  18. 竹田信玄だったが、縁起を担いで武田信玄へ改名した。

山梨と武田信玄編集

  1. 武田信玄は呼び捨て厳禁。
    • 「信玄公」「信玄さん」「(武田)信玄様」等。「信玄」「武田信玄」と呼び捨てにして言ってはいけない。
      • 「お館様」という呼び方が一番似合う人。
    • 千葉から来た人が「甲府って『武田』って名字の人が多いと思ってたのに、全然いないね」と発言したところ、山梨県人全員に「そんな恐れ多い!」と唱和された。
    • 呼び捨てしかしたことねえよw
  2. 信玄公の悪口をいうと、人が集まってきてボコられる。
    • 武田信玄は男色家と言ったら殺される?でもあの時代の大名のステータスだからねぇ、男色。
    • そういえば武田神社で「信玄は田舎武者だ」云々と話してたら通りすがりのオッサンに睨まれた。
      • (大河ドラマの配役から)カピバラ呼ばわりなどもってのほか?
      • 実際、田舎武者というのは当てはまらないだろ。田舎者だが武者ではないな。
    • 逆に飲み屋で信玄公をほめると、他のお客達が集まってきて盛り上がれる。
    • 「武田家滅亡の原因は信玄時代に蒔かれた」←これも禁句。NHKが歴史番組で勝頼時代のことをやっても盛り上がらない。
      • あれだけ裏切りまくってたらそりゃあ跡継ぎも苦労するわ…。
      • 勝頼は周りの大名にはそれなりに認められてたのにな。
        • 信長も一時期は勝頼を信玄以上の男だと言っていたくらい。
  3. いまだに甲州法度(武田信玄の定めた分国法)が通用するらしい。
    • 少なくとも喧嘩両成敗は生きている。
    • それでもって喧嘩をしていたらボコられたウチ。
    • 現在の民法896条は甲州法度の第40条を基にしたものだから、ある意味あってる。
  4. 武田神社で売っている、お土産の手ぬぐいには、「武田二十四将」が描かれている(原画は別にアリ)が、天目山の戦いで、武田勝頼を裏切った、小山田氏だけは、背中だけで顔が描かれていない。国中と郡内の抗争にも、このような歴史的背景がある(小山田氏は大月を領有していた)。この執念恐るべし。
    • 大月は、昔も今も「東京の奴隷」そのものかもしれない…。甲府の人にとっては、はっきり言って(それ自体が)悲しい。
    • ちなみに小山田信茂ではなく武田勝頼を入れるという説もあるが、これも上記の歴史的背景が関係あるのだろうか。
    • 二十四将を選定する時、小山田昌辰・昌行親子(信茂とは別の家系)と名前を間違えられたという説がある。彼らと大月は関係ない…はず。
  5. 武田節を歌える
    • 昔は山梨出身と言うと歌わされたらしい。
    • なにそれ?おいしいの?(山梨県在住・2○歳)
  6. ゲーム「戦国無双」にでてくる信玄公のデザインには、若干納得がいってない。
    • だから最近の戦国武将ブームに乗り切れてないorz
  7. 武田家滅亡後に建てられた舞鶴城には天守閣があったりとして新たな観光スポットとしても注目され天守閣再建の話もでたが、武田が作ったのではなく徳川が作ったもののため、再建に反対する声が根強い。県議会でも議論されたことがある。
  8. 男色だった。
    • あの時代の武将にとっては普通。寧ろ女しか相手にしなかった秀吉の方が異端っぽい。
    • なのに歴女=腐女子どもには取り憑かれない。なぜだ… やっぱりガチム○だからか!?
    • 高坂弾正あての浮気の弁明書が現存している。
  9. 実はそれほど強くなかったらしい。
    • と織田信長ファンに勘違いされがちである。上杉謙信ファンからはこうした意見は出ない。
      • 謙信ファンと信玄ファンは相手を貶めると「じゃあそんなヤツに苦戦した謙信(信玄)はなんなんだ?」と返ってくるから…。その点信長は信玄存命中にガチでやりあっていないから言い逃れの余地がある。もっとも、仮に織田軍とやりあって殲滅してたとしても手取川同様、無かったことにしようとするかもしれないが。
      • そんな勘違いする織田信長ファンはただのにわかだろ・・・信長が上洛する際背後の信玄をどれだけ警戒してたか?家康が武田軍に攻められたときどんだけビビってたか?なんて有名な話だ。
        • 何となくだけど信玄の最大の強みは外交な気がする。本人「手立て (今でいう外交) が尽きた時こそ兵を進める」と言ってたくらいだし。
  10. 信玄のおかげで歴史ヲタクからの知名度は抜群。これがなければ佐賀以下だったに違いない・・・
    • 佐賀を馬鹿にすんな!・・・んーでもありえる。
  11. 新田次郎の代表作は「武田信玄」である。
    • 「八甲田山死の彷徨」?あれ新田次郎の小説だったの?
    • 名将馬場美濃守信房のことを追放された信虎の言を借りて、「あぁ、武川衆の同心風情が頭にまで出世しておるのか」などと罵詈雑言を吐かせていた。
  12. ここで良くいわれている割に、甲府駅前の信玄の像の近くにあるトイレが恐ろしく汚いのは何でだろ・・・。(特に障害者用。タバコをなすりつけたようなあとがあったし。)