「もし平成新局が全て現実より10年遅く開局していたら」の版間の差分
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2021年3月1日 (月) 12:30時点における版
全般
- アナログ放送の中継局は現実より少なかった。
- デジタル放送の中継局は現実と同じ。
- デジタル放送のみ開局の場合、初期のUHF局同様、スポンサーの強い意向により放映権の移行がスムーズには行われなかったり、既存他局との並行放送が行なわれていた。
- 地デジ開始前のアナアナ変換はそこまで大規模にならなかった。
- 岩手めんこいテレビ、長野朝日放送、TVQ九州放送、長崎国際テレビが21世紀初の地上波新局になっていた。
- 現実より経営が厳しい放送局が多かった。
- リーマンショックで閉局に追い込まれる放送局が続出していたかもしれない。
- あるいはキー局による完全子会社化や持株会社設置による経営統合などの力技で何とか生き残っていた。
- 21世紀にふさわしい放送局というキャッチフレーズが多用される。
- 国は同時期に行われた平成の大合併と絡めて「地方分権時代のための情報格差是正」とPRしていた。
- 多くの研究者から「なぜこの不景気の時期に」「まずデジタル放送の実用化が先ではないか」などと批判されていた。
- Chakuwikiでもこの大量開局に対し否定的な意見が多く見られた。
- 誕生した放送局の通称が「ミレニアム新局」になっていた可能性あり。
テレビ北海道
- 1999年10月1日開局。
- 旭川は2001年10月1日開局。
- 室蘭は2003年3月1日開局。
- 函館は2003年12月1日開局。
- 釧路、帯広、網走は史実通り2011年開局。
- BSジャパンの視聴者が史実よりも増えていた。
- 札幌・旭川以外ではデジタル限定での開局になっていた。
- 室蘭・函館進出は上記より遅れていたと思われる。
- 開局の2年前に発生した拓銀の破綻が何らかの悪影響を与えていた可能性も否定できない。
- 史実では第2位の株主となっている伊藤組土建はおそらく関わっていない。
- 同社はバブル崩壊以降副業にあまり手を出していないため。
- 「桃太郎電鉄V」にこの局の誕生を思わせるイベントが登場していた。
青森朝日放送
- 2001年10月1日開局。
- 青森ケーブルテレビでは2001年9月までHTBを再送信していた。
- 史実で本局がテレビ朝日系になった原因を作った田沢吉郎元農水大臣の影響力が既に薄れていたためフジテレビ系になっていた可能性もある。
- この場合かなり奇抜な局名になっていた。
- RABが未だにNNNとANNのクロスネットだったかもしれない。
- 開局当初八戸に本社を置いていたことは02年の東北新幹線八戸開業と関連付けて理解されることが多い。
- ポケモンは代わりにATVかRABどちらかで放送されていた。
岩手めんこいテレビ
- 2001年4月1日開局。
- ケーブルテレビでは仙台放送、東日本放送の再送信が2006年9月までになっていた。
- 本社は最初から盛岡市に置かれていた。
- 史実で最初は水沢が本社だったのは小沢一郎とフジサンケイグループとの間に「産経新聞の拡販と引き換えに地元にFNN局を置く」という約束があったため。
- 産経側が93年に自民党を離れた小沢にそこまで期待するのは想像しにくい。
- 奇抜な局名がネット上でさんざんネタにされていた。
- 場合によっては局名変更を求める動きも出ていた。
- 「岩手県民テレビ」とか?
- 場合によっては局名変更を求める動きも出ていた。
- 岩手競馬に関する番組はあまり放送しなかった。
- ミット君はもう少し目が大きいデザインになっていた。
テレビユー山形
- 1999年10月1日開局。
- 山形テレビのネットチェンジが2003年4月になっていた。
- ネットチェンジの原因となった無秩序な副業進出がなかったと思われるため今でもFNNに属していると考えるほうが自然。
- この場合第4局はおそらく開局していない。
- ネットチェンジの原因となった無秩序な副業進出がなかったと思われるため今でもFNNに属していると考えるほうが自然。
- ケーブルテレビでは東北放送、仙台放送の再送信がアナログ放送終了までになっていた。
- 開局に加藤紘一が絡んで本社が鶴岡に置かれていた可能性あり。
さくらんぼテレビ
- 2007年4月1日開局。
- 山形県民悲願のフジテレビ系列局として地元では大盛り上がり。
- たぶん仙台放送山形支社、フジテレビ山形支局と揶揄される。
- むしろ山形テレビがフジ系のままだった可能性もある(前項参照)。その場合「山形朝日テレビ」になっていた。
- 開局時期を考えるとデジタルのみで開局していた。
- ネット上でも本局の開局を求める山形県民や出身者による運動が行われていた。
- さくらんぼをモチーフにしたゆるキャラ風のマスコットが誕生。
とちぎテレビ
- 2009年4月1日開局。
- デジタルのみで開局していた。
- 当初の編成はやはり史実と同様深夜アニメをあまり放送しない局になっていた。
- リーマンショック後の開局のため史実以上に通販番組だらけの編成になっていた。
- 少なくともBS-QVC並みに通販番組は多かった。
- リーマンショック後の開局のため史実以上に通販番組だらけの編成になっていた。
- 「中央競馬ワイド中継」を見るためにテレ玉やチバテレを視聴する世帯が史実以上に増えていた。
- サービス放送時の開局PR映像などでU字工事が「ごめんねごめんね~」を披露していた。
- 多摩テレビとの略称重複に関する問題がネット上で論争を引き起こしていた。
- 他地域のケーブルテレビにも飛び火していたかもしれない。
東京MXテレビ
- 2005年11月1日開局。
- この場合ニュース中心の編成だったかは微妙。
- ネットとの差別化を図るため地域密着のドラマやバラエティに力を入れていた。
- 正式社名が「株式会社東京MXテレビ」になっていたかもしれない。
- 商号にアルファベットが使えるようになったのは02年11月から。
- 設立時点でどこかの大手IT企業が絡んでいてもおかしくない。
- 最有力はソフトバンク。
- 史実でAbemaTVを運営しているサイバーエージェントなんてどうだろう?
- その場合エムキャスはなくAbemaにMXなどを同時配信するチャンネルがあったかも。
- テレ朝と3社共同で出資していた。
- むしろこの場合テレ朝は関わっていないと思われる。
- そうなると全国ニュースはサイバーエージェントが自前で配信していた。
- むしろこの場合テレ朝は関わっていないと思われる。
- 本社は再開発で誕生した港区のどこかの高層ビルに入居している。
- 開局特番では当時の石原慎太郎都知事が数時間にわたって出演していた。
- 現在ではこの局の誕生も石原都政の実績に含まれている。
チューリップテレビ
- 2000年10月1日開局。
- ケーブルテレビでは北陸放送の再送信がアナログ放送終了まで続いた。
- 「チューリップテレビ」という愛称は公募で決められていた可能性も。
- インターネットを用いたローカル番組の配信にかなり積極的になっていた。
- 地元では国体に間に合うように開局したことになっている。
- サービス放送は夏季大会のことを考慮して9月初めから行われていた。
- 大株主であるインテックの本社ビルにこの局のスタジオが設けられていた。
- キー局のTBSが低迷していた時期のためテレビ朝日系での開局になっていた可能性も小さくない。
- 史実でも周波数割り当て時にはテレ朝系での開局が有力だったという。
テレビ金沢
- 2000年4月1日開局。
- ケーブルテレビでは北日本放送、メ~テレの再送信が2001年9月まで続いた。
- 開局PRに石川県出身で当時巨人の選手だった松井秀喜も起用されていた。
- 北國新聞との関係が深いこともありローカルニュースの論調が現実より右に寄っている。
- アナログでは特に能登方面が貧弱だった。
- 七尾、輪島、珠洲、羽咋くらいしか置局できていなかった。
長野朝日放送
- 2001年4月1日開局。
- ケーブルテレビではテレビ朝日の再送信が2001年3月まで続いた。
- 「田中康夫がもっと早く知事になっていれば開局できたかどうか怪しかった」という声が出ていた。
- トヨタ自動車関連の資本が入っていることもあり同じブロックでトヨタの影響が強いメ~テレとの関係がさらに深くなっていた。
- 当初の看板番組だった「サンデーSports Box」は存在しなかった公算が大きい。
- アナログで見られない地域が史実より多くなる一方デジタルはアナログ未開局の中継局分の費用を回せるため難視聴エリアが狭くなっていたかもしれない。
- 本社は信越放送の社屋にあったかも。
- SBC本社の建て替えが00年以前に完了していないと厳しい気がする。
あいテレビ
- 2002年10月1日開局。
- ケーブルテレビでは中国放送、広島ホームテレビの再送信が2005年3月まで続いた。
- 前者はあいテレビ開局時点で再送信が中止されているのでは。
- 名物「セントラルキャスティング方式」は開局当初から導入されていた。
- この場合自局にマスターを置いた経験がないため現在でも解消できていない可能性あり。
- 「RCC愛媛支局」などと揶揄される。
- この場合自局にマスターを置いた経験がないため現在でも解消できていない可能性あり。
- RNBでネットされていた一部のTBS系番組がアナログ終了まで移行されなかったかもしれない。
- 初代OPには少女ではなく局アナが起用されていた。
高知さんさんテレビ
- 2007年4月1日開局。
- デジタルのみ開局。
- ケーブルテレビに入ってもフジテレビ系列が2007年3月まで見れなかった。
- キー局の勢いからして当初からフジテレビ系となることが既定路線だった。
- 史実同様に橋本大二郎知事(当時)が尽力していた。
- 本人はこの局の設置実現を「最後のご奉公」と表現している。
- 史実同様に先発局に中継所の共同使用を拒否された場合は経営がかなり大変なことになっていた。
- リーマンショックやキー局の低迷のせいで存続自体危ぶまれていた。
- 一部では「高知さんざんテレビ」と揶揄されていた。
- リーマンショックやキー局の低迷のせいで存続自体危ぶまれていた。
TVQ九州放送
- 2001年4月1日開局。
- BSジャパンの視聴率が史実以上に増えていた。
- 北九州市が「北九州市ルネッサンス構想」第三次計画の柱として当局の本社誘致に乗り出すもやはり失敗。
- アナログの送信所・中継局は福岡・北九州・久留米だけ。
- 初期には福岡という土地柄や韓流ブームもあり韓国関連の番組を多く放送していた。
- 釜山の局との共同制作番組も存在していた。
- 史実ではムーミンが起用された開局告知CMにはポケモンが登場していた。
- 同年の世界水泳開催とともに福岡躍進のシンボルとされていた。
長崎文化放送
- 2000年4月1日開局。
- ケーブルテレビでは九州朝日放送、福岡放送の再送信がアナログ放送終了まで続いた。
- 史実のように長崎新聞が出資していたかどうか怪しい。
- 長崎新聞の大株主であるNBCがテレビ朝日系の人気番組喪失を恐れ開局に反対するという展開も考えられる。
- 出資がなかった場合は「長崎朝日放送」として開局していた。
- テレビ東京系番組や古いドラマ・アニメの放送頻度も現実と変わっていたかもしれない。
- 開局特番での社長の「21世紀の出島として・・・」という発言に対し「全然位置が違う」という声がネットで上がっていた。
- 社屋位置を踏まえて「それはNIBだろ」というツッコミも見られた。
熊本朝日放送
- 1999年10月1日開局。
- ケーブルテレビでは九州朝日放送の再送信が1999年9月まで続いた。
- 社屋は史実の熊本テクノプラザ(開局当初)や鉄道病院跡地とは全く異なる場所にできていた。
- シンボルマークの投票はインターネット上でも行われた。
- 現実とは異なりアナログでは内陸部が視聴困難地域だらけだった。
- 史実ではバブル絶頂期ということもあり先発のKKT並みのエリアを確保できていた。
- くまもと未来国体を考慮して開局がやや早まっていたかもしれない。
- 初代OPは予算削減のため史実のような日替わりにはできない。
鹿児島読売テレビ
- 2004年4月1日開局。
- KTSは2004年3月まで日本テレビ系列とフジテレビ系列のクロスネットだった。
- 開局直前の3月13日に開業した九州新幹線の開業式典などのためサービス放送の期間が史実より長かった。
- 社屋も新装なった鹿児島中央駅の近くに設けられていた。
- 07年ごろから「KY」がマイナスイメージで用いられるようになったため別の愛称を募集していた可能性あり。
- 島嶼部進出はデジタル放送開始後。
- 開局特番では史実とは異なりスポーツ関連には触れられずもっぱらバラエティ・報道番組の新規ネット開始を強調していた。
- 現実では94年ということもあり巨人やヴェルディの試合が見られるということが大きく扱われていた。
琉球朝日放送
- 2005年10月1日開局。
- 排他協定がなければ琉球放送による1社2系統体制で開局していたかもしれない。
- その場合南西放送も沖縄テレビによる1社2系統体制になるかも。
- OTVの経営状態からして実現しなかったのでは。
- その場合南西放送も沖縄テレビによる1社2系統体制になるかも。
- 先島諸島で見られるのは2011年7月ごろになっていた可能性も。
- 最初からデジタル限定での開局なら史実と変わらない時期に開始できていた。
- テレビ朝日系が開局したことに対し中国の裏工作を疑う声も出ていた。