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*新規追加は東から順にお願いします。 | |||
==独立項目== | |||
*[[もしあの建造物が現存していたら/海外]] | |||
*[[もしあの城が現存していたら]] | |||
== | ==北海道・東北== | ||
===札幌メディアパーク・スピカ=== | |||
* | #使い勝手の良いデザインであることや赤字にならず収益をあげている前提か。 | ||
#初音ミクの黎明期にライブイベントが開催されていた。 | |||
#*とくPの「SPiCa」がこの施設のテーマソングになっていた。 | |||
#札幌テレビ放送の経営は未だに伊坂重孝一族に握られていた。 | |||
#「1×8いこうよ!」はロケだけの番組にならず公開番組収録も行われていた。 | |||
===松島パークホテル=== | |||
* | #現在も松島のランドマークとして親しまれている。 | ||
#*町の公式HPや各種ガイドブックにも写真が当然のように載っている。 | |||
#日本で唯一現役のヤン・レツル<!--原爆ドームの設計者-->の建築として近代建築ファンにはおなじみ。 | |||
#近くの松島海岸駅も似たようなデザインに改装された。 | |||
#東日本大震災で浸水し数か月の間休業を強いられた。 | |||
==関東(東京以外)== | |||
<!--千葉--> | |||
===東京ベイNKホール=== | |||
#今でもミュージックステーションスーパーライブやベストアーティストの公開生放送が行われていた。 | |||
#AKB48やPerfume、ももいろクローバーZが最低一回ぐらいここで公演を行っていた。 | |||
#2020年6月現在の名称は「SOMPO東京ベイホール」。第一生命に譲渡されなければこうなったかも | |||
# | |||
# | |||
# | |||
== | ===ららぽーとスキードームSSAWS=== | ||
# | #船橋オートレース場の廃止は遅れてたかもしれない。 | ||
#* | #*マンションは建設されないため騒音問題もなかった。 | ||
# | #若者のスキー離れは史実ほどではなかった。 | ||
#* | #*冬季五輪など日本全体のウインタースポーツの凋落も史実ほどではない。 | ||
#* | #「湾岸スキーヤー」は少年隊に留まらず嵐などのジャニーズグループによって歌い継がれていた。 | ||
#[[ | #*以降のフジテレビの冬季五輪中継テーマソングも歌うグループは違えど「湾岸スキーヤー」で固定されていたかもしれない。 | ||
#[ | #*ジャニーズのイベントも本施設で東京グローブ座並の頻度で行われるようになり聖地化していた。 | ||
#* | #本施設の大フィーバーに乗じて沖縄県など雪が降らない地域にも屋内スキー場が多く建てられていた。 | ||
# | #*史実では本施設のアイデアを元にドバイに屋内スキー場が建設された。 | ||
# | |||
#*[[ | <!--神奈川--> | ||
#* | ===高徳院大仏殿=== | ||
# | #史実での経緯を踏まえると現存しているのは15世紀ごろに再建されたもの。 | ||
#* | #*あるいは江戸時代に徳川将軍家の寄進により建設されたもの。 | ||
# | #関東大震災でもかなり被害を受けていた。 | ||
#* | #鎌倉の大仏が現実のように酸性雨で変色することはなかった。 | ||
# | #*奈良の大仏同様の色になっていると思われる。 | ||
#* | #それでも「武家の古都・鎌倉」の世界遺産登録をめぐる状況に変化はない。 | ||
#* | #鎌倉市の津波想定はそれほど高く設定されていない。 | ||
#*現実では「大仏殿が津波に飲まれた」という言い伝えをもとに10m以上を想定している。 | |||
===ワイルドブルーヨコハマ=== | |||
#湘南地域からの競合による物言いにより夏季期間は営業休止に追い込まれたかもしれない。 | |||
#*周辺に小中学校があるため治安面でPTAの槍玉に挙げられ続けていて厳しかったかもしれないが。 | |||
#北海道のグリュック王国にも屋内プールが無事建設されており閉鎖に追い込まれなかっただろう。 | |||
#本施設のノウハウが海外に輸出され海も湖などもない内陸国で大規模な屋内プール施設が史実以上に建設されていた。 | |||
==東京== | |||
===鹿鳴館=== | |||
#帝国ホテル共々、博物館明治村への移築が行われていた。 | |||
#大和生命の本社は別の場所になっていた可能性が高い。 | |||
#*史実通りここを本社にしていた場合、鹿鳴館の外壁だけ残して高層ビルを建てる計画をぶち上げ反対運動を食らう事になりそう。 | |||
#現在は間違いなく重要文化財と史跡に指定されている。 | |||
#*明治村に移築された場合も。 | |||
#時々往時を再現したダンスパーティが開催される。ときの人気女性芸能人があでやかなドレス姿でダンスを披露する。 | |||
#社交ダンス競技の日本選手権会場として使われ、関係者にとっての聖地となる。 | |||
#*テレビの社交ダンス企画(ウリナリや金スマ)は絶対『鹿鳴館への道』なんてキャッチコピーがついていた。 | |||
===千住火力発電所=== | |||
#おそらく発電設備は停止されている。 | |||
#*「お化け煙突」共々何かしらの記念館として残されていた。 | |||
#どこかのタイミングで全ての煙突に耐震補強工事が施されていた。 | |||
#酒の細道の「北千住探訪」はなかった。 | |||
===若竹=== | |||
*建物自体は現存してます(このパターンもここで桶?) | |||
#相変わらず赤字経営だった。 | |||
#『笑点』の収録も史実以上に多く行われていた。 | |||
#どっかのタイミングで永谷商事(都内で寄席を運営する不動産業者)に経営が譲渡されていた。 | |||
#*よってお江戸両国亭(史実の円楽一門会の寄席)は存在しない。 | |||
===松竹蒲田撮影所=== | |||
#松竹大船撮影所は存在しなかった。 | |||
#*『男はつらいよ』シリーズはここで撮影されていた。 | |||
#鎌倉シネマワールドは「東京シネマワールド」という名称で蒲田に建設されていた。 | |||
#*「羽田空港に一番近い遊園地」という強みが生まれるので、現在まで残存していたかも。 | |||
#*松竹大船ショッピングセンターも「松竹蒲田ショッピングセンター」として蒲田にできていた。 | |||
#史実の松竹大船撮影所同様、2000年代に入ってから閉鎖されていたと思われる。 | |||
#*ただし跡地が区民ホールだったかどうか怪しい。 | |||
#映画「蒲田行進曲」は東映京都撮影所ではなくこの撮影所が舞台になっていた。 | |||
#「蒲田=松竹」というイメージが強くなるため『シン・ゴジラ』(東宝)で序盤のゴジラ上陸地点が変更されていた。 | |||
#*「かまたくん」というニックネームも消滅。 | |||
===同潤会青山アパート=== | |||
#もちろん表参道ヒルズは存在しない。 | |||
#*その代わりこのアパート全体が商業施設に改装され「近代建築の保存・活用の成功例」とされる。 | |||
#**中野ブロードウェイみたいに商業施設と居住棟が共存している可能性もある。但しこの場合だとアパート全体が現存しているか微妙なところ。 | |||
#保存決定のものが出たため他の同潤会アパートがもう少し簡単に取り壊された危険あり。 | |||
#文化財指定はなさそうな気がする。 | |||
===旧警視庁本部庁舎=== | |||
#相変わらず多くの刑事ドラマなどに登場している。 | |||
#*『こち亀』で両津による被害を受けることも複数回あった。 | |||
#現実で本部庁舎にある一部機能がスペース不足により別の場所に移されていた。 | |||
#警視庁本部見学ツアーはもう少し人気だった。 | |||
===初代新橋駅駅舎=== | |||
#関東大震災と戦災を乗り越えているのが大前提。 | |||
#大正末~昭和初期からは史実の計画通り鉄道博物館として使われていた。 | |||
#*万世橋の博物館は当初やや小規模だった。 | |||
#汐留貨物駅の拡張により明治村に移設されたかもしれない。 | |||
#*この場合SLの駅として使われるのが有力。 | |||
#*となると現在の旧新橋駅の場所はどうなっているんだろう。再開発後のビジネス需要を当て込んで、JR資本の高層ビルでも出来ていたんだろうか。 | |||
===トキワ荘(初代)=== | |||
#さすがに現在はアパートとしては使用されていない。 | |||
#*漫画の歴史に関する博物館として使われていた。 | |||
#**一部の部屋は当時の様子を人形などで再現している。 | |||
#バブル期の地上げはかつて入居していた漫画家たちの協力で乗り切った。 | |||
#最近では海外の観光客も訪れるようになっている。 | |||
#南長崎地区の全国的な知名度はもう少し上がっていたはず。 | |||
#2020年、復活してしまいました。 | |||
===凌雲閣=== | |||
#仁丹塔は無かった。 | |||
#*場合によってはこちらに仁丹の広告看板が取り付けられていたかもしれない。 | |||
#スカイツリーとコラボしていたか。 | |||
#老朽化が著しいので戦後に大規模な改修工事が行われている。 | |||
#こち亀では両津勘吉のせいでひどいことになっている。 | |||
#日本近代高層建築の先駆けとして登録有形文化財くらいにはなっている。 | |||
===日本劇場=== | |||
#有楽町マリオンの規模は小さくなっていた。 | |||
#*東宝が噛むこともなかった。 | |||
#84年以降も複数のゴジラ映画で破壊された。 | |||
#80年代後半に建設当初の姿へ戻された。 | |||
#*その際に外壁の巨大な東芝の看板も撤去された。 | |||
#結局内部はシネコンのようなものに改装される。 | |||
#*史実では40近くあったテナントが完全になくなり、小さなショッピングモールとなっていた。 | |||
#日劇で行われていた戦時下の風船爆弾製造に関するレリーフか何かが設置されていた。 | |||
#21世紀以降、歌舞伎座みたく原型を生かした複合型高層ビルに建て替わっていた。 | |||
===東京国際見本市会場=== | |||
#現在でもコミックマーケットが開催されていた。 | |||
#老朽化が進行しているので東京オリンピック開催の際に新国立競技場がここに建設される噂が出ていた。 | |||
#*そのせいかオタク界隈では東京オリンピックを返上しろという声が聞こえていた。 | |||
#移動通路に屋根がついていた。 | |||
#イベント開催時の大江戸線が臨時ダイヤを組んでいた。 | |||
===ホテルニュージャパン=== | |||
#≒火災事故が起こらなかったらである。 | |||
#*事故発生以前の無茶苦茶な経営をどこかで止める事が出来ていれば何とかなっていたかもしれない。 | |||
#**それでもバブル崩壊などの影響で一回は経営の危機に晒されていた。 | |||
#*藤山現代中国文庫も無事慶応大に寄贈されていた。 | |||
#そろそろ建て替えが本格的に検討され始める時期になっている。 | |||
#*場合によっては史実通り高層ビルに建て替え→高層階はホテルニュージャパンとして存続、低層部はオフィスに貸す…と言う流れになっていたかもしれない。 | |||
#*赤坂プリンスホテルと同時期に建て替えが決まっていたかもしれない。 | |||
#*バブル崩壊で横井英樹が手放して結局プルデンシャルタワーになっていた。 | |||
#**むしろ横井英樹は最初からニュージャパンを買収していなかった。 | |||
#***むしろ横井英樹が史実よりだいぶ早い時期に他界していた。 | |||
#*横井が買収しなかったら確実にバブル後に倒産あるいは廃業していた。 | |||
#**国内の別企業が買ったとしてもバブル崩壊後プルデンシャル以外に売却されたかも。 | |||
#ここで暴力団員に刺された力道山を慰霊するモニュメントがどこかのタイミングで設置されていた。 | |||
===旧東京都庁第一庁舎=== | |||
*第三本庁舎だけは住友不動産丸の内ビルとして現存しています。 | |||
#確実に民間デベロッパーに売却されていた。 | |||
#*低層階は商業施設への転用も検討される。 | |||
#*豊田通商は第三庁舎ではなくこちらを東京本社としていたかもしれない。 | |||
#国際フォーラムに相当する施設がお台場か汐留辺りに出来ていた。 | |||
#泡沫候補が都知事選のマニフェストで「旧都庁への回帰」を訴えていた。 | |||
===旧国鉄本社ビル=== | |||
#現在もJR東日本の本社ビルになっている。 | |||
#国鉄清算事業団との交渉がうまくいけばこうなっていたかもしれない。 | |||
#東京中央郵便局同様、コンクリート造りの建物の中から高層のガラス張りビルが飛び出ているような感じになっていたかもしれない。 | |||
===谷中五重塔=== | |||
#放火心中事件が起きていないのが前提。 | |||
#現在では幸田露伴の小説『五重塔』のモデルになったことを示す看板が建てられていた。 | |||
===蔵前国技館=== | |||
#「=80年代前半の日本相撲協会がもっと裕福だった場合」。 | |||
#*現実では蔵前の土地を売ってその利益で両国国技館を作った。 | |||
#相撲博物館は両国国技館内ではなくこちらに置かれていた。 | |||
#*常設展示も存在していた。 | |||
#おそらく「国技館」という名称ではなくなっている。 | |||
#*この場合は女子相撲や一部格闘技などの会場としても使用されていた。 | |||
#最近は戦闘機工場の鉄骨を使っていることに言及されるようになってきた。 | |||
===三菱一号館(初代)=== | |||
#史実で取り壊された1968年時点で検討されていたように重要文化財になっていた。 | |||
#*70年代前半までには国の補助金で修復工事が行われていた。 | |||
#三菱グループの伝統のシンボルとして祀り上げられている。 | |||
#*三菱自動車のカタログの背景にも1回は使われていた。 | |||
#*名称もどこかのタイミングで「東9号館」から戻されていた。 | |||
#年号が「昭和」のうちには美術館などの文化施設に改装されている。 | |||
#場合によっては明治村か江戸東京たてもの園に移築されていた。 | |||
#*理由は丸の内地区のオフィス面積を確保するため。 | |||
#*この策で生き残っていたら近代建築を保存するにあたりいい先例となっていた。 | |||
=== 丸の内ビルヂング === | |||
1923年竣工のオフィスビル。激しい反対運動を無視して1999年解体。 | |||
#重要文化財になっていた。 | |||
#最近リニューアル工事をしようとして反対される。 | |||
==中部== | |||
<!--長野--> | |||
===筑摩県庁=== | |||
筑摩県は明治時代に5年間だけ存在していた県で、現在でいう長野県中部・南部と岐阜県飛騨地方にあたる。その県庁が火災にあったのは1876年6月19日といわれ、この火災がきっかけで筑摩県は長野県と岐阜県に分裂したとされる。 | |||
#松本電鉄は難工事の末、高山まで開通していた。 | |||
#*高山線電化も実現している。 | |||
#*神岡鉄道(旧国鉄神岡線)も廃止されずに、高山まで開通。 | |||
#**結果、首都圏から北陸へは新宿発着のルートが定着。 | |||
#*松本電鉄はおそらく国有化されていた。 | |||
#信州2県(長野県と筑摩県)は、「あっちよりこっちがいい。」と言って首都圏からの観光客の誘致を競い合うことに明け暮れる。その宣伝費が両県の財政を圧迫する。 | |||
#*1998年の冬季オリンピックの候補地を Nagano と Matsumoto のどちらにするか、国内選考の段階でもめる。 | |||
#**いや、たぶん松本になる。で、北陸新幹線の高崎~上田間、支線の上田~松本間が先行開業。 | |||
#***漁父の利で次点だった盛岡だったんじゃないの。 | |||
#****その場合、冬季五輪最南端はスコーバレーのまま。これなら2018年の平昌五輪はなかったかも。 | |||
#***もし開催地が松本になった場合は、大糸北線も電化され、信濃大町以南は複線化されていた。白馬へのオリンピック道路も長野からではなく、豊科ICから分岐する形になっていた。 | |||
#***[[もし長野県庁が松本市に移転していたら|こっち]]にも記述があるが、中央東線・篠ノ井線沿いのルートだったと思う。 | |||
#***松本だった場合、最南端記録がさらに南になっていた。 | |||
#松本は平成の大合併で政令指定都市へ昇格していた。 | |||
#*塩尻市なども松本市に編入されていた。 | |||
#**信州の中央に位置しているため、松本市への一極集中が起こっていた。そのため「松本VS長野」の構造は生まれる筈もない。 | |||
#そもそも松本は冬季五輪などに興味を示さない。 | |||
#NHK松本放送局は東海北陸に組み込まれていた。 | |||
#長野銀行(長野県商工信用組合)は言うまでもなく長野市に本店を置いていた。 | |||
#[[岐阜]]県が現実以上に地味な存在になる。 | |||
#信州大学の一部キャンパスは立地が変わっていた。 | |||
#もしかすると都道府県再編の際に筑摩県が長野県を編入してたかも | |||
#*この場合、飛騨地方は史実通り岐阜県に編入されていた | |||
#*県庁所在地が中央部に近い、松本市にあるため史実の長野県よりもまとまる(精々、静岡県程度) | |||
#飯田・下伊那・木曽だけでなく中信・上伊那も名古屋志向が強くなっていた。 | |||
#篠ノ井線・大糸線の塩尻〜松本〜南小谷(および松本〜高山)はJR東海管轄だった。 | |||
#*それでも新宿〜松本間の「あずさ」は健在。 | |||
#*篠ノ井線は長野との県境まで東海だったかもしれない(もしかしたら全線東海?)。また飯田線の兼ね合いから大八回りは東海の管轄にされる。 | |||
<!--石川--> | |||
===白雲楼ホテル=== | |||
#運営会社があと数年長く持ちこたえていたら…。 | |||
#*00年代中頃くらいまで営業していたら廃業後に大江戸温泉物語or湯快リゾートあたりが買い取り再生させていた。 | |||
#所在する湯涌温泉が舞台のアニメ『花咲くいろは』の聖地巡礼で多くのファンが訪れていた。 | |||
#隣の金沢江戸村も廃業に追い込まれることはなかった。 | |||
#*建築ファンの間で「近世と近代の建築が一度に見られる」として人気を呼んでいた。 | |||
#場合によっては重要文化財指定もあり得たかもしれない。 | |||
<!--愛知--> | |||
===名古屋市金山体育館=== | |||
#流石に当時の状態を考えれば、建て替えが行われていることが前提。 | |||
#*代わりに熱田に名古屋市民会館が出来ていた。 | |||
#現在の名称は「[[中京大学]]金山体育館」→「日本特殊陶業金山体育館」 | |||
#大相撲名古屋場所が開催され続けていたかどうかは不明。 | |||
#*立地的にはどちらも悪くないし…。 | |||
#*空調設備が整った後もボンベからの酸素放出は継続。 | |||
==近畿== | |||
<!--京都--> | |||
===金閣寺(初代)=== | |||
#勿論国宝のままだった。 | |||
#*足利義満像も残っていた。 | |||
#三島由紀夫の小説はなかった。 | |||
#*水上勉の『五番町夕霧楼』もなかった。 | |||
#**八つ橋の「夕子」は発売されなかったか別の名前になっていた。 | |||
#2層に金箔が貼られていなかった。 | |||
#ポケモンのジョウト地方にある塔は少なくとも「やけたとう」ではなかった。 | |||
#何らかのイベントで「創建当時の金色に輝く金閣」の模型が展示されていた。 | |||
#その分銀閣寺が影が薄くなっていたかも。 | |||
#戦前から警備体制が厳しかった。 | |||
===羅城門=== | |||
#史実同様何度か壊れて再建…を繰り返し続けていた。 | |||
#*現存するのは豊臣秀吉あたりが再建させたもの。 | |||
#ソウルの東大門や南大門のように、周りを道路に囲まれていたかもしれない。 | |||
#*あるいは市電を通す際の工事でやや動かされている。 | |||
===相国寺七重大塔=== | |||
#国宝指定は確実。 | |||
#*相国寺も世界遺産「古都京都の文化財」に含まれていた。 | |||
#京都人の高層建築に対する抵抗感はある程度和らいでいた。 | |||
#*その代わりこの塔より高い京都タワー建設がもっと揉めていた恐れがある。 | |||
#*「七重塔より高い建築物を禁止する」と明文化されていたかも。 | |||
#同志社大学を遠まわしに表現する「七重塔の近所の大学」という言い回しが存在していた。 | |||
#特撮や漫画などで京都が壊滅する際によく倒壊シーンが描かれていた。 | |||
#*候補:日本沈没(テレビ版)、ゴジラvsメカゴジラ、太陽の黙示録 | |||
===旧丸物本店=== | |||
#大阪の綿業会館などとともに渡辺節を代表する建物となっていた。 | |||
#[[近鉄百貨店]]閉店後は[[ヨドバシカメラ]]が居抜きで入居していた。 | |||
#*数あるヨドバシカメラでも異質の店舗となっていただろう。レトロな家電量販店として注目されていた。 | |||
#**三越新宿店→ビックロのように外装を大幅に変えて大顰蹙を買っていたかもしれない。 | |||
#*オープンも史実より1年くらい早かった。 | |||
#登録有形文化財に指定されていたかも。 | |||
#大船鉾の保存施設は全く別の場所に設けられている。 | |||
#所有者が(旧京都)近鉄百貨店から近鉄本体(持株会社移行以前)に移っている。変な名称を付けられた危険が。 | |||
#*その場合テナントビルとなり,メインテナントがヨドバシカメラになる | |||
===池田屋=== | |||
#入居していた佐々木旅館が廃業していなかったら現存していた可能性大。 | |||
#*60年代まで池田屋事件当時の建物が残っていたらしい。 | |||
#*廃業がもっと遅い時代でも交流スペースなどとして活用されていた。 | |||
#もちろん新撰組ファンにとってはトップクラスの聖地になっていた。 | |||
#それでも新選組を扱った映画やドラマなどで内部がロケに使われることは意外と多くない。 | |||
#*事件を扱った演劇などでクライマックスとされる「階段落ち」ができるような階段が存在しないため。 | |||
#京都に現存する江戸時代の旅籠としても貴重な存在とされた。 | |||
<!--大阪--> | |||
===大阪万博のパビリオン=== | |||
[[ファイル:Omatsuri-hiroba.jpg|200px|サムネイル|今の残る大屋根の一部]] | |||
;お祭り広場の大屋根 | |||
#今でも太陽の塔の全体像を一枚に収める事は出来ない。 | |||
#*その姿が京阪[[大阪の駅/北河内#萱島駅の噂|萱島駅]]のクスノキと似てると言われていた。 | |||
#残っていたとしても規模は半分くらいに縮小されている。 | |||
#屋根の下を史実通り緑地?にする訳にもいかないだろうから、この部分だけは万博開催時の構造物が残されていた。 | |||
#*但し「お祭り広場」の名前がそのまま残っていたかは微妙。場合によっては公園の名前に合わせて「万博記念広場」や「EXPO'70広場」辺りにに改名されていたかもしれない。 | |||
#映画やテレビドラマなどで大阪万博のシーンを撮影する際に重宝された。 | |||
#*実写版「20世紀少年」でもロケが行われた。 | |||
#太陽の塔内部の再公開がもっと早い時期に実現していた。 | |||
#もしかしたら青春の塔・母の塔も現地で残っていた。 | |||
#*テーマ館の地下展示室も埋められず「地底の太陽」が行方不明になることもなかった。 | |||
;アメリカ館 | |||
#「月の石」が恒常展示されるようなことがあれば意外と有り得たかもしれない。 | |||
#構造上東京ドームと比較されることが多いような気がする。 | |||
#*「旧アメリカ館は東京ドーム何個分の大きさか?」と言ったクイズが出題されていた。 | |||
#*流石に(史実の)大阪ドーム竣工まで「大阪ドーム」と呼ばれるようなことはないはず。 | |||
#「プロジェクトX」の東京ドームの回で言及されていたように他の目的に転用されていても不思議ではない。 | |||
#*史実では建築基準法か消防法に引っかかって再使用できなかったため法の網を潜り抜けるのに苦戦していたはず。 | |||
;古河パビリオン | |||
*東大寺七重塔を再現したパビリオンだった。 | |||
#史実でも計画があったように、一部設計を変更した上で東大寺に移築されていた。 | |||
#*おそらくエレベーターは撤去されている。 | |||
#*奈良の大仏と七重塔をセットで巡るプランも当たり前のように組まれていた。 | |||
#万博記念公園に残っていた場合は別の宗教法人に落札されていた可能性も否定できない。 | |||
;日本館 | |||
*当時の一部ガイドブックに永久保存される旨の解説があった。 | |||
#74年の中華人民共和国博覧会など各種イベントの会場として使われていた。 | |||
#代わりにエキスポタワーあたりが史実より早く解体されていた。 | |||
#鉄鋼館ではなくこちらがEXPO'70パビリオンになっていたかもしれない。 | |||
#*この場合鉄鋼館は予定通り国立産業技術史博物館になれていた・・・と思いたい。 | |||
#万博当時は真っ白だった外壁がとんでもない色に塗り替えられた恐れもある。 | |||
;フジパンロボット館 | |||
*万博後は後に愛・地球博の会場になる愛知青少年公園に移築されたが1993年解体。 | |||
#愛・地球博でもパビリオンとして使われた。 | |||
#*環境保護を訴えた同博覧会にふさわしい再利用パビリオンとして注目を集めた。 | |||
#*大阪万博でこのパビリオンをプロデュースした手塚治虫の息子である手塚眞がプロデュースを担当していた。 | |||
#現在では博覧会ファンにとって日本最強クラスの聖地になっている。 | |||
;ガスパビリオン | |||
#その外観から、ドラゴンクエストのスライムと似てると言われていた。 | |||
#*ドラクエ関連のイベントで青色に化粧直しされたりして。 | |||
#館内にあったガスによる焼却を使って洗浄するタイプのトイレはさすがになくなっていた。 | |||
;エキスポタワー | |||
#当初の予定通り太陽の塔が保存されていなければ大阪万博を記念するシンボルとして残されていた。 | |||
#*エレベーターなどの補修工事もきちんと行われていた。 | |||
#エキスポランド閉鎖時に解体の噂が飛んでいた。 | |||
#万博当時の銀色に塗り替えるという話も出るが航空法の絡みで断念。 | |||
#EXPOCITYに観覧車ができることはなかった。 | |||
===大阪大国技館=== | |||
#大相撲春場所は大阪府立体育会館ではなくここで開催されていた。 | |||
#1990年代以降、耐震補強を兼ねた改修工事が行われていた。 | |||
#*その際相撲だけでなく他の競技やイベントにも活用できるよう改修されていた。 | |||
#**アーティストのライブなども積極的に行われている。 | |||
#***「東の[[日本武道館]]、西の大阪国技館」と呼ばれていた。 | |||
#**言うまでもなく相撲だけでは採算が取れないため(メインは東京の国技館なので)。 | |||
#その大規模さから「日本のコロッセオ」と呼ばれていた。 | |||
#[[大阪市高速電気軌道今里筋線]]の利用客数が現実よりも多かった。 | |||
#*最寄りの新森古市駅の駅名が「国技館前新森古市」とかになっていたかも。 | |||
#*今里筋線開業前はアクセスの悪さがやり玉に上がり、イベント開催が敬遠されるようになっていたかも。 | |||
#[[Wikipedia:ja:第52回国民体育大会|なみはや国体]]の相撲は大浜公園ではなくここで行われた。 | |||
===大阪市庁舎(3代目)=== | |||
#阪神淡路大震災を契機に最新の工法で補強された。 | |||
#近くの中之島公会堂と同じように重要文化財に指定されていた。 | |||
#Chakuwikiでは「キー局が取り上げない大阪の風景」としてネタにされている。 | |||
#*しかし「大阪都」構想のおかげで全国ニュースなどに取り上げられる頻度が一時的に上がった。 | |||
#**構想反対派は「大阪市が無くなればあの庁舎もどうなるか分かりません」と呼びかけていた。 | |||
===大阪放送会館(初代)=== | |||
#現在の名称は「NHK大阪放送局馬場町別館」か。 | |||
#緊急時用のバックアップ設備の一部も置かれている。 | |||
#NHK大阪の複数の番組でシルエットなどが登場した。 | |||
#*『ごちそうさん』のラジオ局のシーンの撮影にも使われた。 | |||
#下手をすると旧第四師団司令部のように未利用状態で放置されている恐れもある。 | |||
#*ちなみに跡地は今も空き地のまま。 | |||
<!--兵庫--> | |||
===神戸阪急ビル東館=== | |||
#少なくとも震災後すぐに解体されることは無かった。 | |||
#*その代わりに耐震補強工事が成されていた。 | |||
#阪急電車の復旧が史実よりやや遅れていた。 | |||
#阪急百貨店三宮店はあと数年長く持ちこたえていた。 | |||
#*ハーバーランド のが閉店した後は神戸阪急に名前が戻っていたかも。 | |||
#後に建て替えの話が出ると地元などから反対運動が巻き起こっていた。 | |||
#*神戸市営地下鉄との相互直通が具体化していた場合、高層ビルに建て替えるか否かで議論が起こっていたかもしれない。 | |||
#階段室部分の「宝塚歌劇・宝塚ファミリーランド・西宮スタジアム」の看板は21世紀に入ってから撤去された。 | |||
===神戸タワー=== | |||
#1995年の阪神・淡路大震災で損傷し、改修工事が行われていた。 | |||
#現存する唯一の戦前に建てられたタワーとして重要文化財に指定されている。 | |||
#新開地・湊川地区の衰退は現実ほど進まなかった。 | |||
#同じ神戸市内にある神戸ポートタワーとタイアップしたイベントなんかも行われている。 | |||
===舞子タワー=== | |||
#現在でも明石海峡大橋や淡路島を展望する観光施設となっていた。 | |||
#今や全国に数少なくなった回転展望台という点でも注目されている。 | |||
<!--奈良--> | |||
===法輪寺三重塔(初代)=== | |||
#飛鳥時代に作られた貴重な三重塔として新国宝に登録されたのは確実。 | |||
#*世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」にも含まれていた。 | |||
#近年の最新技術を用いた調査で何らかの新たな事実が見つかっていた。 | |||
#幸田文は生涯斑鳩とそこまで深い縁を持つことはなかった。 | |||
#奈良交通が観光シーズンに法隆寺、法起寺とこの寺を結ぶバス路線を運行していた。 | |||
#*「斑鳩三塔めぐり」といったような愛称付き。 | |||
===東大寺七重塔=== | |||
#間違いなく奈良県で一番高い建造物となっている。 | |||
#*100mという巨大さゆえ、遠くからでも目立っていた。 | |||
#*大仏殿とともに奈良観光の目玉となっていた。 | |||
#間違いなく国宝に指定されていた。 | |||
#大阪万博の古河パビリオンはこれを模したデザインにはならなかった。 | |||
#現存しているものは江戸時代(18世紀前半か?)に再建されたもの。 | |||
==中国・四国== | |||
===広島市民球場(初代)=== | |||
#ある市民団体が実際に提唱していたように最低限の改造でサッカー場に転用されていた。 | |||
#*サンフレッチェの観客動員は確実に増えるがアストラムラインの利用者はさらに減少してしまう。 | |||
#*そうなると名称はどうなっていたんだろう?史実通り市民球場の名はマツダスタジアムに移るだろうし…。 | |||
#**広島市民サッカー場…… | |||
#展開によってはビッグアーチの存廃問題が浮上していた。 | |||
#2013年の全国菓子博は広大跡地あたりで行われていた。 | |||
===出雲大社本殿(古代)=== | |||
*高さについては諸説ありますが、平安期の本殿は高さ50~100mほどの高層建築だったそうです。 | |||
#「日本の高層建築の元祖」として大きく評価されていた。 | |||
#*同時に「どのようにして建設したのか」と言う点についてもかなり研究が進んでいた。 | |||
#*少なくとも現代まで残っていれば尚の事神聖視されていたのは間違いないだろう。 | |||
#国鉄大社線の大社駅の構造が史実と同じかどうか怪しい。 | |||
#当時は本殿まで100m級の長さを誇る階段があったそうだが、一般客はおろか皇族でも入れないのは史実と変わりない気がする。 | |||
#*下手をすると階段の周りにすら入れなかったかもしれない。 | |||
#何かと清水寺と比較される機会が増えていそう。 | |||
#世界遺産に登録されていてもおかしくなかった。 | |||
==九州== | |||
<!--福岡--> | |||
===平和台野球場=== | |||
#どのみちホークスは福岡ドームに移転していた。 | |||
#*とは言え西武ライオンズが「ライオンズ・クラシック」の企画の一環でここでホークスとの試合をする事くらいはあったかもしれない。 | |||
#ここを本拠地とする独立リーグ球団の設立が少なからず検討されていた。 | |||
<!--長崎--> | |||
===浦上天主堂(初代)=== | |||
[[長崎市]]にあった浦上天主堂は1945年8月9日の原爆投下により破壊され、残骸がしばらく残されていました。しかし1958年に <!-- 市民の保存を求める運動や市議会の決議にも関わらず-->撤去されてしまいました。もし撤去されていなかったら? | |||
#長崎市を代表する観光名所になっていた。 | |||
#*長崎を扱った各種観光ガイドブックには廃墟のまま保存された天主堂の写真なりイラストなりが表紙を飾っていただろう。 | |||
#平和祈念像の影が少し薄くなっていた。 | |||
#*それ以上に影の薄くなる大浦天主堂。 | |||
#**もしかすると浦上天主堂と紛らわしい天主堂として一種の似非的な存在扱いでそこそこ名が通った可能性もあるけど。 | |||
#**でも大浦天主堂は国宝だし、世間一般的にはともかく長崎では(特にカトリック教会関係者の間では)大浦はいろんな意味で「別格」なんだけどなぁ。そんなに影薄くなるかな?(by長崎県民) | |||
#***そう言われてみると確かにとうなずけてしまう…… 大浦の存在意義って観光客的には国内では珍しい江戸末期のキリシタン建築であることにあるしねえ……(2つ上を書いたバカ) | |||
#原爆ドームとともに「広島・長崎の平和記念碑」として世界遺産になっていた。 | |||
#*瓦礫に雑草が生えているところまで同じだっただろう。 | |||
#*原爆ドームより風化が早そう・・・。 | |||
#天主堂自体はもちろん移転していた。 | |||
#*マジレスして申し訳ないが、そうならないために教会関係者が元の場所に再建すると決めたわけです・・・(by長崎県民) | |||
#**だから冒頭文の「市民の保存を求める運動や市議会の決議にも関わらず」というのは、じつは「あの場所に再建することに意味がある」という当事者の意向を無視した、ちょっと的外れな見方だったりする。近年になっても、いろんな陰謀論まで付け加えてそういうことを言いたがる人やマスメディアがいるのでそう思われてるだけで。 | |||
#***冒頭文の該当部分を削除しました。 | |||
#長崎に修学旅行に行く学校が現実よりも多かった。 | |||
#被爆都市としてのイメージは広島と同じ位強いものとなっていた。 | |||
#長崎に来た観光客が浦上にも寄って行くことが多くなったことは確実だろう。当然大浦天主堂下の辺りみたいに土産物屋街が長崎大の付近にできていただろう。 | |||
#*一方で浦上天主堂と平和祈念像がオランダ坂や大浦天主堂、グラバー園のあたりからは微妙に離れているという事実が観光客を悩ます問題として浮上していたことも想定される。 | |||
===対馬オメガ塔=== | |||
#東京タワーは日本一高い塔に返り咲けなかった。 | |||
#現在は対馬市が維持管理を行っているはず。 | |||
#*スカイツリー開業時に対馬市と墨田区の間で姉妹都市宣言が締結されていたかもしれない。 | |||
#**「元・日本一高い塔」をアピールするゆるキャラも登場していた。 | |||
#*ワイヤーで支える方式である事が災いし、メンテナンス費が財政を大幅に圧迫していた。 | |||
#[[韓国]]側では「対馬島が我が領土になったら軍の施設になる」噂が出る。 | |||
<!--鹿児島--> | |||
===甲突川五石橋=== | |||
#「=8.6水害がなかった場合」。 | |||
#石橋がある景観が観光スポットとして広く案内されていた。 | |||
#*この石橋をモチーフにしたマンホールも設置されていた。 | |||
#石橋を建設した岩永三五郎の像はもっと中心部に近い場所に作られている。 | |||
#老朽化のため一部の橋が車両通行禁止になっていたかもしれない。 | |||
<!--沖縄--> | |||
===アクアポリス=== | |||
#定期的に一部の展示内容が交換されていた。 | |||
#*現在は環境関連の展示が多くなっている。 | |||
#内部に「海洋博記念展示室」があった。 | |||
#保守費用をうまく捻出できていなかったら赤錆びた無残な姿をさらし続けている。 | |||
#*「海洋博が沖縄にあまり利益をもたらさなかった」というシンボルとして扱われることも多い。 | |||
==関連項目== | ==関連項目== | ||
*[[ | *[[もしあの建造物が保存されていなかったら]] | ||
[[カテゴリ:歴史のif検討委員会 地方史|あのけんそうふつけんそん]] | |||
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2021年6月15日 (火) 21:59時点における版
- 新規追加は東から順にお願いします。
独立項目
北海道・東北
札幌メディアパーク・スピカ
- 使い勝手の良いデザインであることや赤字にならず収益をあげている前提か。
- 初音ミクの黎明期にライブイベントが開催されていた。
- とくPの「SPiCa」がこの施設のテーマソングになっていた。
- 札幌テレビ放送の経営は未だに伊坂重孝一族に握られていた。
- 「1×8いこうよ!」はロケだけの番組にならず公開番組収録も行われていた。
松島パークホテル
- 現在も松島のランドマークとして親しまれている。
- 町の公式HPや各種ガイドブックにも写真が当然のように載っている。
- 日本で唯一現役のヤン・レツルの建築として近代建築ファンにはおなじみ。
- 近くの松島海岸駅も似たようなデザインに改装された。
- 東日本大震災で浸水し数か月の間休業を強いられた。
関東(東京以外)
東京ベイNKホール
- 今でもミュージックステーションスーパーライブやベストアーティストの公開生放送が行われていた。
- AKB48やPerfume、ももいろクローバーZが最低一回ぐらいここで公演を行っていた。
- 2020年6月現在の名称は「SOMPO東京ベイホール」。第一生命に譲渡されなければこうなったかも
ららぽーとスキードームSSAWS
- 船橋オートレース場の廃止は遅れてたかもしれない。
- マンションは建設されないため騒音問題もなかった。
- 若者のスキー離れは史実ほどではなかった。
- 冬季五輪など日本全体のウインタースポーツの凋落も史実ほどではない。
- 「湾岸スキーヤー」は少年隊に留まらず嵐などのジャニーズグループによって歌い継がれていた。
- 以降のフジテレビの冬季五輪中継テーマソングも歌うグループは違えど「湾岸スキーヤー」で固定されていたかもしれない。
- ジャニーズのイベントも本施設で東京グローブ座並の頻度で行われるようになり聖地化していた。
- 本施設の大フィーバーに乗じて沖縄県など雪が降らない地域にも屋内スキー場が多く建てられていた。
- 史実では本施設のアイデアを元にドバイに屋内スキー場が建設された。
高徳院大仏殿
- 史実での経緯を踏まえると現存しているのは15世紀ごろに再建されたもの。
- あるいは江戸時代に徳川将軍家の寄進により建設されたもの。
- 関東大震災でもかなり被害を受けていた。
- 鎌倉の大仏が現実のように酸性雨で変色することはなかった。
- 奈良の大仏同様の色になっていると思われる。
- それでも「武家の古都・鎌倉」の世界遺産登録をめぐる状況に変化はない。
- 鎌倉市の津波想定はそれほど高く設定されていない。
- 現実では「大仏殿が津波に飲まれた」という言い伝えをもとに10m以上を想定している。
ワイルドブルーヨコハマ
- 湘南地域からの競合による物言いにより夏季期間は営業休止に追い込まれたかもしれない。
- 周辺に小中学校があるため治安面でPTAの槍玉に挙げられ続けていて厳しかったかもしれないが。
- 北海道のグリュック王国にも屋内プールが無事建設されており閉鎖に追い込まれなかっただろう。
- 本施設のノウハウが海外に輸出され海も湖などもない内陸国で大規模な屋内プール施設が史実以上に建設されていた。
東京
鹿鳴館
- 帝国ホテル共々、博物館明治村への移築が行われていた。
- 大和生命の本社は別の場所になっていた可能性が高い。
- 史実通りここを本社にしていた場合、鹿鳴館の外壁だけ残して高層ビルを建てる計画をぶち上げ反対運動を食らう事になりそう。
- 現在は間違いなく重要文化財と史跡に指定されている。
- 明治村に移築された場合も。
- 時々往時を再現したダンスパーティが開催される。ときの人気女性芸能人があでやかなドレス姿でダンスを披露する。
- 社交ダンス競技の日本選手権会場として使われ、関係者にとっての聖地となる。
- テレビの社交ダンス企画(ウリナリや金スマ)は絶対『鹿鳴館への道』なんてキャッチコピーがついていた。
千住火力発電所
- おそらく発電設備は停止されている。
- 「お化け煙突」共々何かしらの記念館として残されていた。
- どこかのタイミングで全ての煙突に耐震補強工事が施されていた。
- 酒の細道の「北千住探訪」はなかった。
若竹
- 建物自体は現存してます(このパターンもここで桶?)
- 相変わらず赤字経営だった。
- 『笑点』の収録も史実以上に多く行われていた。
- どっかのタイミングで永谷商事(都内で寄席を運営する不動産業者)に経営が譲渡されていた。
- よってお江戸両国亭(史実の円楽一門会の寄席)は存在しない。
松竹蒲田撮影所
- 松竹大船撮影所は存在しなかった。
- 『男はつらいよ』シリーズはここで撮影されていた。
- 鎌倉シネマワールドは「東京シネマワールド」という名称で蒲田に建設されていた。
- 「羽田空港に一番近い遊園地」という強みが生まれるので、現在まで残存していたかも。
- 松竹大船ショッピングセンターも「松竹蒲田ショッピングセンター」として蒲田にできていた。
- 史実の松竹大船撮影所同様、2000年代に入ってから閉鎖されていたと思われる。
- ただし跡地が区民ホールだったかどうか怪しい。
- 映画「蒲田行進曲」は東映京都撮影所ではなくこの撮影所が舞台になっていた。
- 「蒲田=松竹」というイメージが強くなるため『シン・ゴジラ』(東宝)で序盤のゴジラ上陸地点が変更されていた。
- 「かまたくん」というニックネームも消滅。
同潤会青山アパート
- もちろん表参道ヒルズは存在しない。
- その代わりこのアパート全体が商業施設に改装され「近代建築の保存・活用の成功例」とされる。
- 中野ブロードウェイみたいに商業施設と居住棟が共存している可能性もある。但しこの場合だとアパート全体が現存しているか微妙なところ。
- その代わりこのアパート全体が商業施設に改装され「近代建築の保存・活用の成功例」とされる。
- 保存決定のものが出たため他の同潤会アパートがもう少し簡単に取り壊された危険あり。
- 文化財指定はなさそうな気がする。
旧警視庁本部庁舎
- 相変わらず多くの刑事ドラマなどに登場している。
- 『こち亀』で両津による被害を受けることも複数回あった。
- 現実で本部庁舎にある一部機能がスペース不足により別の場所に移されていた。
- 警視庁本部見学ツアーはもう少し人気だった。
初代新橋駅駅舎
- 関東大震災と戦災を乗り越えているのが大前提。
- 大正末~昭和初期からは史実の計画通り鉄道博物館として使われていた。
- 万世橋の博物館は当初やや小規模だった。
- 汐留貨物駅の拡張により明治村に移設されたかもしれない。
- この場合SLの駅として使われるのが有力。
- となると現在の旧新橋駅の場所はどうなっているんだろう。再開発後のビジネス需要を当て込んで、JR資本の高層ビルでも出来ていたんだろうか。
トキワ荘(初代)
- さすがに現在はアパートとしては使用されていない。
- 漫画の歴史に関する博物館として使われていた。
- 一部の部屋は当時の様子を人形などで再現している。
- 漫画の歴史に関する博物館として使われていた。
- バブル期の地上げはかつて入居していた漫画家たちの協力で乗り切った。
- 最近では海外の観光客も訪れるようになっている。
- 南長崎地区の全国的な知名度はもう少し上がっていたはず。
- 2020年、復活してしまいました。
凌雲閣
- 仁丹塔は無かった。
- 場合によってはこちらに仁丹の広告看板が取り付けられていたかもしれない。
- スカイツリーとコラボしていたか。
- 老朽化が著しいので戦後に大規模な改修工事が行われている。
- こち亀では両津勘吉のせいでひどいことになっている。
- 日本近代高層建築の先駆けとして登録有形文化財くらいにはなっている。
日本劇場
- 有楽町マリオンの規模は小さくなっていた。
- 東宝が噛むこともなかった。
- 84年以降も複数のゴジラ映画で破壊された。
- 80年代後半に建設当初の姿へ戻された。
- その際に外壁の巨大な東芝の看板も撤去された。
- 結局内部はシネコンのようなものに改装される。
- 史実では40近くあったテナントが完全になくなり、小さなショッピングモールとなっていた。
- 日劇で行われていた戦時下の風船爆弾製造に関するレリーフか何かが設置されていた。
- 21世紀以降、歌舞伎座みたく原型を生かした複合型高層ビルに建て替わっていた。
東京国際見本市会場
- 現在でもコミックマーケットが開催されていた。
- 老朽化が進行しているので東京オリンピック開催の際に新国立競技場がここに建設される噂が出ていた。
- そのせいかオタク界隈では東京オリンピックを返上しろという声が聞こえていた。
- 移動通路に屋根がついていた。
- イベント開催時の大江戸線が臨時ダイヤを組んでいた。
ホテルニュージャパン
- ≒火災事故が起こらなかったらである。
- 事故発生以前の無茶苦茶な経営をどこかで止める事が出来ていれば何とかなっていたかもしれない。
- それでもバブル崩壊などの影響で一回は経営の危機に晒されていた。
- 藤山現代中国文庫も無事慶応大に寄贈されていた。
- 事故発生以前の無茶苦茶な経営をどこかで止める事が出来ていれば何とかなっていたかもしれない。
- そろそろ建て替えが本格的に検討され始める時期になっている。
- 場合によっては史実通り高層ビルに建て替え→高層階はホテルニュージャパンとして存続、低層部はオフィスに貸す…と言う流れになっていたかもしれない。
- 赤坂プリンスホテルと同時期に建て替えが決まっていたかもしれない。
- バブル崩壊で横井英樹が手放して結局プルデンシャルタワーになっていた。
- むしろ横井英樹は最初からニュージャパンを買収していなかった。
- むしろ横井英樹が史実よりだいぶ早い時期に他界していた。
- むしろ横井英樹は最初からニュージャパンを買収していなかった。
- 横井が買収しなかったら確実にバブル後に倒産あるいは廃業していた。
- 国内の別企業が買ったとしてもバブル崩壊後プルデンシャル以外に売却されたかも。
- ここで暴力団員に刺された力道山を慰霊するモニュメントがどこかのタイミングで設置されていた。
旧東京都庁第一庁舎
- 第三本庁舎だけは住友不動産丸の内ビルとして現存しています。
- 確実に民間デベロッパーに売却されていた。
- 低層階は商業施設への転用も検討される。
- 豊田通商は第三庁舎ではなくこちらを東京本社としていたかもしれない。
- 国際フォーラムに相当する施設がお台場か汐留辺りに出来ていた。
- 泡沫候補が都知事選のマニフェストで「旧都庁への回帰」を訴えていた。
旧国鉄本社ビル
- 現在もJR東日本の本社ビルになっている。
- 国鉄清算事業団との交渉がうまくいけばこうなっていたかもしれない。
- 東京中央郵便局同様、コンクリート造りの建物の中から高層のガラス張りビルが飛び出ているような感じになっていたかもしれない。
谷中五重塔
- 放火心中事件が起きていないのが前提。
- 現在では幸田露伴の小説『五重塔』のモデルになったことを示す看板が建てられていた。
蔵前国技館
- 「=80年代前半の日本相撲協会がもっと裕福だった場合」。
- 現実では蔵前の土地を売ってその利益で両国国技館を作った。
- 相撲博物館は両国国技館内ではなくこちらに置かれていた。
- 常設展示も存在していた。
- おそらく「国技館」という名称ではなくなっている。
- この場合は女子相撲や一部格闘技などの会場としても使用されていた。
- 最近は戦闘機工場の鉄骨を使っていることに言及されるようになってきた。
三菱一号館(初代)
- 史実で取り壊された1968年時点で検討されていたように重要文化財になっていた。
- 70年代前半までには国の補助金で修復工事が行われていた。
- 三菱グループの伝統のシンボルとして祀り上げられている。
- 三菱自動車のカタログの背景にも1回は使われていた。
- 名称もどこかのタイミングで「東9号館」から戻されていた。
- 年号が「昭和」のうちには美術館などの文化施設に改装されている。
- 場合によっては明治村か江戸東京たてもの園に移築されていた。
- 理由は丸の内地区のオフィス面積を確保するため。
- この策で生き残っていたら近代建築を保存するにあたりいい先例となっていた。
丸の内ビルヂング
1923年竣工のオフィスビル。激しい反対運動を無視して1999年解体。
- 重要文化財になっていた。
- 最近リニューアル工事をしようとして反対される。
中部
筑摩県庁
筑摩県は明治時代に5年間だけ存在していた県で、現在でいう長野県中部・南部と岐阜県飛騨地方にあたる。その県庁が火災にあったのは1876年6月19日といわれ、この火災がきっかけで筑摩県は長野県と岐阜県に分裂したとされる。
- 松本電鉄は難工事の末、高山まで開通していた。
- 高山線電化も実現している。
- 神岡鉄道(旧国鉄神岡線)も廃止されずに、高山まで開通。
- 結果、首都圏から北陸へは新宿発着のルートが定着。
- 松本電鉄はおそらく国有化されていた。
- 信州2県(長野県と筑摩県)は、「あっちよりこっちがいい。」と言って首都圏からの観光客の誘致を競い合うことに明け暮れる。その宣伝費が両県の財政を圧迫する。
- 1998年の冬季オリンピックの候補地を Nagano と Matsumoto のどちらにするか、国内選考の段階でもめる。
- いや、たぶん松本になる。で、北陸新幹線の高崎~上田間、支線の上田~松本間が先行開業。
- 漁父の利で次点だった盛岡だったんじゃないの。
- その場合、冬季五輪最南端はスコーバレーのまま。これなら2018年の平昌五輪はなかったかも。
- もし開催地が松本になった場合は、大糸北線も電化され、信濃大町以南は複線化されていた。白馬へのオリンピック道路も長野からではなく、豊科ICから分岐する形になっていた。
- こっちにも記述があるが、中央東線・篠ノ井線沿いのルートだったと思う。
- 松本だった場合、最南端記録がさらに南になっていた。
- 漁父の利で次点だった盛岡だったんじゃないの。
- いや、たぶん松本になる。で、北陸新幹線の高崎~上田間、支線の上田~松本間が先行開業。
- 1998年の冬季オリンピックの候補地を Nagano と Matsumoto のどちらにするか、国内選考の段階でもめる。
- 松本は平成の大合併で政令指定都市へ昇格していた。
- 塩尻市なども松本市に編入されていた。
- 信州の中央に位置しているため、松本市への一極集中が起こっていた。そのため「松本VS長野」の構造は生まれる筈もない。
- 塩尻市なども松本市に編入されていた。
- そもそも松本は冬季五輪などに興味を示さない。
- NHK松本放送局は東海北陸に組み込まれていた。
- 長野銀行(長野県商工信用組合)は言うまでもなく長野市に本店を置いていた。
- 岐阜県が現実以上に地味な存在になる。
- 信州大学の一部キャンパスは立地が変わっていた。
- もしかすると都道府県再編の際に筑摩県が長野県を編入してたかも
- この場合、飛騨地方は史実通り岐阜県に編入されていた
- 県庁所在地が中央部に近い、松本市にあるため史実の長野県よりもまとまる(精々、静岡県程度)
- 飯田・下伊那・木曽だけでなく中信・上伊那も名古屋志向が強くなっていた。
- 篠ノ井線・大糸線の塩尻〜松本〜南小谷(および松本〜高山)はJR東海管轄だった。
- それでも新宿〜松本間の「あずさ」は健在。
- 篠ノ井線は長野との県境まで東海だったかもしれない(もしかしたら全線東海?)。また飯田線の兼ね合いから大八回りは東海の管轄にされる。
白雲楼ホテル
- 運営会社があと数年長く持ちこたえていたら…。
- 00年代中頃くらいまで営業していたら廃業後に大江戸温泉物語or湯快リゾートあたりが買い取り再生させていた。
- 所在する湯涌温泉が舞台のアニメ『花咲くいろは』の聖地巡礼で多くのファンが訪れていた。
- 隣の金沢江戸村も廃業に追い込まれることはなかった。
- 建築ファンの間で「近世と近代の建築が一度に見られる」として人気を呼んでいた。
- 場合によっては重要文化財指定もあり得たかもしれない。
名古屋市金山体育館
- 流石に当時の状態を考えれば、建て替えが行われていることが前提。
- 代わりに熱田に名古屋市民会館が出来ていた。
- 現在の名称は「中京大学金山体育館」→「日本特殊陶業金山体育館」
- 大相撲名古屋場所が開催され続けていたかどうかは不明。
- 立地的にはどちらも悪くないし…。
- 空調設備が整った後もボンベからの酸素放出は継続。
近畿
金閣寺(初代)
- 勿論国宝のままだった。
- 足利義満像も残っていた。
- 三島由紀夫の小説はなかった。
- 水上勉の『五番町夕霧楼』もなかった。
- 八つ橋の「夕子」は発売されなかったか別の名前になっていた。
- 水上勉の『五番町夕霧楼』もなかった。
- 2層に金箔が貼られていなかった。
- ポケモンのジョウト地方にある塔は少なくとも「やけたとう」ではなかった。
- 何らかのイベントで「創建当時の金色に輝く金閣」の模型が展示されていた。
- その分銀閣寺が影が薄くなっていたかも。
- 戦前から警備体制が厳しかった。
羅城門
- 史実同様何度か壊れて再建…を繰り返し続けていた。
- 現存するのは豊臣秀吉あたりが再建させたもの。
- ソウルの東大門や南大門のように、周りを道路に囲まれていたかもしれない。
- あるいは市電を通す際の工事でやや動かされている。
相国寺七重大塔
- 国宝指定は確実。
- 相国寺も世界遺産「古都京都の文化財」に含まれていた。
- 京都人の高層建築に対する抵抗感はある程度和らいでいた。
- その代わりこの塔より高い京都タワー建設がもっと揉めていた恐れがある。
- 「七重塔より高い建築物を禁止する」と明文化されていたかも。
- 同志社大学を遠まわしに表現する「七重塔の近所の大学」という言い回しが存在していた。
- 特撮や漫画などで京都が壊滅する際によく倒壊シーンが描かれていた。
- 候補:日本沈没(テレビ版)、ゴジラvsメカゴジラ、太陽の黙示録
旧丸物本店
- 大阪の綿業会館などとともに渡辺節を代表する建物となっていた。
- 近鉄百貨店閉店後はヨドバシカメラが居抜きで入居していた。
- 数あるヨドバシカメラでも異質の店舗となっていただろう。レトロな家電量販店として注目されていた。
- 三越新宿店→ビックロのように外装を大幅に変えて大顰蹙を買っていたかもしれない。
- オープンも史実より1年くらい早かった。
- 数あるヨドバシカメラでも異質の店舗となっていただろう。レトロな家電量販店として注目されていた。
- 登録有形文化財に指定されていたかも。
- 大船鉾の保存施設は全く別の場所に設けられている。
- 所有者が(旧京都)近鉄百貨店から近鉄本体(持株会社移行以前)に移っている。変な名称を付けられた危険が。
- その場合テナントビルとなり,メインテナントがヨドバシカメラになる
池田屋
- 入居していた佐々木旅館が廃業していなかったら現存していた可能性大。
- 60年代まで池田屋事件当時の建物が残っていたらしい。
- 廃業がもっと遅い時代でも交流スペースなどとして活用されていた。
- もちろん新撰組ファンにとってはトップクラスの聖地になっていた。
- それでも新選組を扱った映画やドラマなどで内部がロケに使われることは意外と多くない。
- 事件を扱った演劇などでクライマックスとされる「階段落ち」ができるような階段が存在しないため。
- 京都に現存する江戸時代の旅籠としても貴重な存在とされた。
大阪万博のパビリオン
- お祭り広場の大屋根
- 今でも太陽の塔の全体像を一枚に収める事は出来ない。
- その姿が京阪萱島駅のクスノキと似てると言われていた。
- 残っていたとしても規模は半分くらいに縮小されている。
- 屋根の下を史実通り緑地?にする訳にもいかないだろうから、この部分だけは万博開催時の構造物が残されていた。
- 但し「お祭り広場」の名前がそのまま残っていたかは微妙。場合によっては公園の名前に合わせて「万博記念広場」や「EXPO'70広場」辺りにに改名されていたかもしれない。
- 映画やテレビドラマなどで大阪万博のシーンを撮影する際に重宝された。
- 実写版「20世紀少年」でもロケが行われた。
- 太陽の塔内部の再公開がもっと早い時期に実現していた。
- もしかしたら青春の塔・母の塔も現地で残っていた。
- テーマ館の地下展示室も埋められず「地底の太陽」が行方不明になることもなかった。
- アメリカ館
- 「月の石」が恒常展示されるようなことがあれば意外と有り得たかもしれない。
- 構造上東京ドームと比較されることが多いような気がする。
- 「旧アメリカ館は東京ドーム何個分の大きさか?」と言ったクイズが出題されていた。
- 流石に(史実の)大阪ドーム竣工まで「大阪ドーム」と呼ばれるようなことはないはず。
- 「プロジェクトX」の東京ドームの回で言及されていたように他の目的に転用されていても不思議ではない。
- 史実では建築基準法か消防法に引っかかって再使用できなかったため法の網を潜り抜けるのに苦戦していたはず。
- 古河パビリオン
- 東大寺七重塔を再現したパビリオンだった。
- 史実でも計画があったように、一部設計を変更した上で東大寺に移築されていた。
- おそらくエレベーターは撤去されている。
- 奈良の大仏と七重塔をセットで巡るプランも当たり前のように組まれていた。
- 万博記念公園に残っていた場合は別の宗教法人に落札されていた可能性も否定できない。
- 日本館
- 当時の一部ガイドブックに永久保存される旨の解説があった。
- 74年の中華人民共和国博覧会など各種イベントの会場として使われていた。
- 代わりにエキスポタワーあたりが史実より早く解体されていた。
- 鉄鋼館ではなくこちらがEXPO'70パビリオンになっていたかもしれない。
- この場合鉄鋼館は予定通り国立産業技術史博物館になれていた・・・と思いたい。
- 万博当時は真っ白だった外壁がとんでもない色に塗り替えられた恐れもある。
- フジパンロボット館
- 万博後は後に愛・地球博の会場になる愛知青少年公園に移築されたが1993年解体。
- 愛・地球博でもパビリオンとして使われた。
- 環境保護を訴えた同博覧会にふさわしい再利用パビリオンとして注目を集めた。
- 大阪万博でこのパビリオンをプロデュースした手塚治虫の息子である手塚眞がプロデュースを担当していた。
- 現在では博覧会ファンにとって日本最強クラスの聖地になっている。
- ガスパビリオン
- その外観から、ドラゴンクエストのスライムと似てると言われていた。
- ドラクエ関連のイベントで青色に化粧直しされたりして。
- 館内にあったガスによる焼却を使って洗浄するタイプのトイレはさすがになくなっていた。
- エキスポタワー
- 当初の予定通り太陽の塔が保存されていなければ大阪万博を記念するシンボルとして残されていた。
- エレベーターなどの補修工事もきちんと行われていた。
- エキスポランド閉鎖時に解体の噂が飛んでいた。
- 万博当時の銀色に塗り替えるという話も出るが航空法の絡みで断念。
- EXPOCITYに観覧車ができることはなかった。
大阪大国技館
- 大相撲春場所は大阪府立体育会館ではなくここで開催されていた。
- 1990年代以降、耐震補強を兼ねた改修工事が行われていた。
- その際相撲だけでなく他の競技やイベントにも活用できるよう改修されていた。
- アーティストのライブなども積極的に行われている。
- 「東の日本武道館、西の大阪国技館」と呼ばれていた。
- 言うまでもなく相撲だけでは採算が取れないため(メインは東京の国技館なので)。
- アーティストのライブなども積極的に行われている。
- その際相撲だけでなく他の競技やイベントにも活用できるよう改修されていた。
- その大規模さから「日本のコロッセオ」と呼ばれていた。
- 大阪市高速電気軌道今里筋線の利用客数が現実よりも多かった。
- 最寄りの新森古市駅の駅名が「国技館前新森古市」とかになっていたかも。
- 今里筋線開業前はアクセスの悪さがやり玉に上がり、イベント開催が敬遠されるようになっていたかも。
- なみはや国体の相撲は大浜公園ではなくここで行われた。
大阪市庁舎(3代目)
- 阪神淡路大震災を契機に最新の工法で補強された。
- 近くの中之島公会堂と同じように重要文化財に指定されていた。
- Chakuwikiでは「キー局が取り上げない大阪の風景」としてネタにされている。
- しかし「大阪都」構想のおかげで全国ニュースなどに取り上げられる頻度が一時的に上がった。
- 構想反対派は「大阪市が無くなればあの庁舎もどうなるか分かりません」と呼びかけていた。
- しかし「大阪都」構想のおかげで全国ニュースなどに取り上げられる頻度が一時的に上がった。
大阪放送会館(初代)
- 現在の名称は「NHK大阪放送局馬場町別館」か。
- 緊急時用のバックアップ設備の一部も置かれている。
- NHK大阪の複数の番組でシルエットなどが登場した。
- 『ごちそうさん』のラジオ局のシーンの撮影にも使われた。
- 下手をすると旧第四師団司令部のように未利用状態で放置されている恐れもある。
- ちなみに跡地は今も空き地のまま。
神戸阪急ビル東館
- 少なくとも震災後すぐに解体されることは無かった。
- その代わりに耐震補強工事が成されていた。
- 阪急電車の復旧が史実よりやや遅れていた。
- 阪急百貨店三宮店はあと数年長く持ちこたえていた。
- ハーバーランド のが閉店した後は神戸阪急に名前が戻っていたかも。
- 後に建て替えの話が出ると地元などから反対運動が巻き起こっていた。
- 神戸市営地下鉄との相互直通が具体化していた場合、高層ビルに建て替えるか否かで議論が起こっていたかもしれない。
- 階段室部分の「宝塚歌劇・宝塚ファミリーランド・西宮スタジアム」の看板は21世紀に入ってから撤去された。
神戸タワー
- 1995年の阪神・淡路大震災で損傷し、改修工事が行われていた。
- 現存する唯一の戦前に建てられたタワーとして重要文化財に指定されている。
- 新開地・湊川地区の衰退は現実ほど進まなかった。
- 同じ神戸市内にある神戸ポートタワーとタイアップしたイベントなんかも行われている。
舞子タワー
- 現在でも明石海峡大橋や淡路島を展望する観光施設となっていた。
- 今や全国に数少なくなった回転展望台という点でも注目されている。
法輪寺三重塔(初代)
- 飛鳥時代に作られた貴重な三重塔として新国宝に登録されたのは確実。
- 世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」にも含まれていた。
- 近年の最新技術を用いた調査で何らかの新たな事実が見つかっていた。
- 幸田文は生涯斑鳩とそこまで深い縁を持つことはなかった。
- 奈良交通が観光シーズンに法隆寺、法起寺とこの寺を結ぶバス路線を運行していた。
- 「斑鳩三塔めぐり」といったような愛称付き。
東大寺七重塔
- 間違いなく奈良県で一番高い建造物となっている。
- 100mという巨大さゆえ、遠くからでも目立っていた。
- 大仏殿とともに奈良観光の目玉となっていた。
- 間違いなく国宝に指定されていた。
- 大阪万博の古河パビリオンはこれを模したデザインにはならなかった。
- 現存しているものは江戸時代(18世紀前半か?)に再建されたもの。
中国・四国
広島市民球場(初代)
- ある市民団体が実際に提唱していたように最低限の改造でサッカー場に転用されていた。
- サンフレッチェの観客動員は確実に増えるがアストラムラインの利用者はさらに減少してしまう。
- そうなると名称はどうなっていたんだろう?史実通り市民球場の名はマツダスタジアムに移るだろうし…。
- 広島市民サッカー場……
- 展開によってはビッグアーチの存廃問題が浮上していた。
- 2013年の全国菓子博は広大跡地あたりで行われていた。
出雲大社本殿(古代)
- 高さについては諸説ありますが、平安期の本殿は高さ50~100mほどの高層建築だったそうです。
- 「日本の高層建築の元祖」として大きく評価されていた。
- 同時に「どのようにして建設したのか」と言う点についてもかなり研究が進んでいた。
- 少なくとも現代まで残っていれば尚の事神聖視されていたのは間違いないだろう。
- 国鉄大社線の大社駅の構造が史実と同じかどうか怪しい。
- 当時は本殿まで100m級の長さを誇る階段があったそうだが、一般客はおろか皇族でも入れないのは史実と変わりない気がする。
- 下手をすると階段の周りにすら入れなかったかもしれない。
- 何かと清水寺と比較される機会が増えていそう。
- 世界遺産に登録されていてもおかしくなかった。
九州
平和台野球場
- どのみちホークスは福岡ドームに移転していた。
- とは言え西武ライオンズが「ライオンズ・クラシック」の企画の一環でここでホークスとの試合をする事くらいはあったかもしれない。
- ここを本拠地とする独立リーグ球団の設立が少なからず検討されていた。
浦上天主堂(初代)
長崎市にあった浦上天主堂は1945年8月9日の原爆投下により破壊され、残骸がしばらく残されていました。しかし1958年に 撤去されてしまいました。もし撤去されていなかったら?
- 長崎市を代表する観光名所になっていた。
- 長崎を扱った各種観光ガイドブックには廃墟のまま保存された天主堂の写真なりイラストなりが表紙を飾っていただろう。
- 平和祈念像の影が少し薄くなっていた。
- それ以上に影の薄くなる大浦天主堂。
- もしかすると浦上天主堂と紛らわしい天主堂として一種の似非的な存在扱いでそこそこ名が通った可能性もあるけど。
- でも大浦天主堂は国宝だし、世間一般的にはともかく長崎では(特にカトリック教会関係者の間では)大浦はいろんな意味で「別格」なんだけどなぁ。そんなに影薄くなるかな?(by長崎県民)
- そう言われてみると確かにとうなずけてしまう…… 大浦の存在意義って観光客的には国内では珍しい江戸末期のキリシタン建築であることにあるしねえ……(2つ上を書いたバカ)
- それ以上に影の薄くなる大浦天主堂。
- 原爆ドームとともに「広島・長崎の平和記念碑」として世界遺産になっていた。
- 瓦礫に雑草が生えているところまで同じだっただろう。
- 原爆ドームより風化が早そう・・・。
- 天主堂自体はもちろん移転していた。
- マジレスして申し訳ないが、そうならないために教会関係者が元の場所に再建すると決めたわけです・・・(by長崎県民)
- だから冒頭文の「市民の保存を求める運動や市議会の決議にも関わらず」というのは、じつは「あの場所に再建することに意味がある」という当事者の意向を無視した、ちょっと的外れな見方だったりする。近年になっても、いろんな陰謀論まで付け加えてそういうことを言いたがる人やマスメディアがいるのでそう思われてるだけで。
- 冒頭文の該当部分を削除しました。
- だから冒頭文の「市民の保存を求める運動や市議会の決議にも関わらず」というのは、じつは「あの場所に再建することに意味がある」という当事者の意向を無視した、ちょっと的外れな見方だったりする。近年になっても、いろんな陰謀論まで付け加えてそういうことを言いたがる人やマスメディアがいるのでそう思われてるだけで。
- マジレスして申し訳ないが、そうならないために教会関係者が元の場所に再建すると決めたわけです・・・(by長崎県民)
- 長崎に修学旅行に行く学校が現実よりも多かった。
- 被爆都市としてのイメージは広島と同じ位強いものとなっていた。
- 長崎に来た観光客が浦上にも寄って行くことが多くなったことは確実だろう。当然大浦天主堂下の辺りみたいに土産物屋街が長崎大の付近にできていただろう。
- 一方で浦上天主堂と平和祈念像がオランダ坂や大浦天主堂、グラバー園のあたりからは微妙に離れているという事実が観光客を悩ます問題として浮上していたことも想定される。
対馬オメガ塔
- 東京タワーは日本一高い塔に返り咲けなかった。
- 現在は対馬市が維持管理を行っているはず。
- スカイツリー開業時に対馬市と墨田区の間で姉妹都市宣言が締結されていたかもしれない。
- 「元・日本一高い塔」をアピールするゆるキャラも登場していた。
- ワイヤーで支える方式である事が災いし、メンテナンス費が財政を大幅に圧迫していた。
- スカイツリー開業時に対馬市と墨田区の間で姉妹都市宣言が締結されていたかもしれない。
- 韓国側では「対馬島が我が領土になったら軍の施設になる」噂が出る。
甲突川五石橋
- 「=8.6水害がなかった場合」。
- 石橋がある景観が観光スポットとして広く案内されていた。
- この石橋をモチーフにしたマンホールも設置されていた。
- 石橋を建設した岩永三五郎の像はもっと中心部に近い場所に作られている。
- 老朽化のため一部の橋が車両通行禁止になっていたかもしれない。
アクアポリス
- 定期的に一部の展示内容が交換されていた。
- 現在は環境関連の展示が多くなっている。
- 内部に「海洋博記念展示室」があった。
- 保守費用をうまく捻出できていなかったら赤錆びた無残な姿をさらし続けている。
- 「海洋博が沖縄にあまり利益をもたらさなかった」というシンボルとして扱われることも多い。