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現在建設中の13号線(池袋-渋谷)で東京の地下鉄建設は終わり。でもまだまだ不便だという地域は多いでしょう。というわけで「こんな路線が欲しい」という意見をどうぞ。
==独立項目==
==丸ノ内線関係==
*[[武田信玄]]
===方南町支線を荻窪へ延伸===
*[[伊達政宗]]
#終点の荻窪で本線に合流する。荻窪1丁目は現状ではろくな交通機関のない陸の孤島なので、ここを救済する。
*[[徳川家康]]
#*または、方南町から永福町へ延伸。新宿永福町直通列車を運転。
*[[豊臣秀吉]]


====
===方南町支線を蒲田へ延伸===
===太原雪斎===
#路線 方南町~笹塚~代々木上原~三軒茶屋~中目黒~旗の台~西馬込~京急蒲田
#お坊さんだが活躍した時期、時代背景の関係から戦国武将にカテゴライズされる事が多い。
#*東京外環線計画の一部になれば、有効活用。問題は、あの架線形式だと工事費用は安いが、車両を鋳造しなければならなくなる。既存の民鉄の乗り入れを考慮するなら、方南町支線だけでも、架線を吊るすか・・・
#今川家の参謀。軍事に外交に八面六臂の大活躍。雪斎の死が今川家滅亡を早めたとまで言われるほど。
#デスラー総統はハマリ役でした。
#元々は僧侶になるはずだった義元の師だったが、義元が還俗して今川家の家督を継いだため、そのまま義元に付いてきて軍師になった。


===高橋紹運===
===方南町支線を八王子方向へ延伸===
#立花宗茂の実父。
#路線 方南町〜西永福(又は永福町)〜杏林大学付属病院付近〜千川公園〜府中運転免許試験場〜北府中〜谷保〜八王子(基督教大学(ICU)付近より地上へ。その後は高架。第三軌条はそのままで道路との平面交差無し。全線地下も検討。)
#わずか700名で岩屋城に立て籠もって島津の大軍を迎え撃ち、3000人もの損害を与えて散ったその壮絶な最期は、後々まで語り草になった。
#まず、道路としての計画として、東京八王子道路が有ります。これは、方南町の上を通る方南通りの先を延伸し、東八道路と接続する計画となってる都道です。まだ完成していませんが。
#*正確には763名。一方寄せ手の島津勢は2万名。
#コンセプトは、東京でも有数なラッシュとなっている中央線と京王線のちょうど真ん中付近を通る事で、両線の混雑緩和と、そのどちらかの路線の駅に行かなくてはならない住民のサービス向上を計ります。また、東芝府中工場、明星高、農工大、府中運転免許試験場、多摩霊園、ICU、杏林大学病院など、沿線に需要も見込まれる事と既に市街化の進んでいる事を考えると、都心への通勤通学需要も見込まれるもとの考えます。
#*彼が玉砕してまで稼いだ時間のおかげで秀吉の援軍が間に合い、主家である大友家は救われる事となる。
#建設も、道路と一緒に行えば少なくとも杏林大学病院の付近までは、通常より安価に住むのではないでしょうか。さらに、方南町駅も延伸が有った場合にも対応できる構造と思います。少なくとも環七の大放水路は避けていますので、建設も困難ではないと思います。府中運転免許試験場付近の道路は片側3車線となっており、高架とした場合の橋脚にもスペースの提供が可能でしょう。
#敵将・島津忠長は彼の死後にその首に対し涙を流しながら正座して向かい、秀吉は自ら「乱世の華」と称えてその死を惜しんだという。
#運転計画としては、現在新宿駅折り返しとなっているものを、一部八王子方向へ向ければ良いのではないでしょうか。また、中野坂上駅もまるでこうなる事を予想していたかのように、八王子方向も荻窪方向も両方とも折り返し運転が可能ですので、状況によって方南支線を本線とし荻窪方向を支線とする事も検討できます。
#*紹運が忠長宛に遺した手紙には一言「これも義によってである。理解して頂きたい」。忠長は、「ああ、この男と友であったなら。武士とは恨めしいものよ」と涙したと伝えられる。
#許婚が疱瘡にかかってしまい破談を申し入れられるが、「自分は顔で嫁を選んだのではない」と強引に結婚。生まれたのが後の立花宗茂。


===武田勝頼===
===荻窪からさらに青梅街道の下をさらに西へ===
#長篠の戦いで大敗し、あげくに信長に亡ぼされてしまったので、すっかりダメ武将扱いされているが、実はけっこう知勇兼備だったらしい。
====1案====
#*ただ偉大な父・信玄の影に常にプレッシャーを感じて、焦りすぎた気配はある。
#路線 荻窪~四面道~桃井~営団上石神井~青梅街道関町~営団東伏見~青梅街道柳沢~田無本町~新花小金井~
#*信長のやっていた「城下町作り」「楽市楽座」「鉄砲隊の充実」など革新的な施策の意義をよく理解していたようだが、実現するための財力と時間が無かった。
小平天神~営団小平~新小平~青梅街道小川~東大和市~南街~奈良橋~みずうみ口~武蔵村山中央~箱根ヶ崎~
#**かろうじて城下町作り(新府城)には取り掛かったが、完成させることなくタイムオーバー。
青梅新町~河辺~東青梅~青梅
#*信玄のころまで武田家を支えていた甲州金が、この人の代になってさっぱり採れなくなったとか。ちょっと同情。
#謙信亡き後の上杉家の内紛に首を突っ込んだのが命取りだった。
#*北条氏政の弟である景虎が上杉を継ぐと、北条家の力が強大になりすぎると見て、景勝に肩入れ。局所的に見れば、関東の勢力を均衡させる、悪くない判断なのだが……
#*おかげで北条家と決定的に仲違いし、大事なところで助けて貰えず命を落とすはめに。織田家が大きくなりすぎて、関東で勢力均衡を図っているような場合ではなかったのであった。
#信玄の跡継ぎとされたのは勝頼の息子の信勝で、勝頼は信勝が成長するまでの後見役に過ぎなかったという説もある。
#*勝頼は本来、武田軍団中の信濃衆(諏訪衆)旗頭としての役割を期待されていた。もともとの後継者であった兄・義信が失脚・落命したために、急遽全軍を率いることになったので、部将たちからの人望がイマイチだったようだ。
#**それをなんとかしようと、豪族の寄合である武田家の政体を中央集権型に変えようとしたが、部将達から反発食らって失敗。
#**そもそも武田氏は大名への権力集中が非常に遅れていた。
#***有力部将の多くは、武田氏成立とそう変わらない11世紀から12世紀に遡れるほど古い家系で、その時の領国支配構造が[[鎌倉時代]]や[[南北朝時代 (日本)|南北朝]]を経ても相当残っていたため。
#***信虎は権力を集中しようとして失敗、しかも有力家臣のクーデターという形で代替わりしたため、彼らに担ぎ出された信玄は家臣の扱いには非常に気を遣わざるを得なかった。
#****信玄も晩年は自分に忠実な直臣や官僚を育てていて、勝頼もその路線を引き継いでいたが、やっぱり時間が足りなかった・・・。
#****跡部勝資や長坂長閑斎などがその種の官僚タイプで、大変有能でもあったのだが、後世の評価は「佞臣」。
#****松永久秀、石田三成など、主君の側につかえている官僚というのは悪い噂を立てられるものらしい。
#信玄からも気づかれていたようだ。「勝頼では信長や家康に対抗できまい」と…。
#実史の立ち位置や立場を考えると、もう少し生まれ時がずれていたら、問答無用の名将だったかもしれない。
#とはいえ、没落ですまずにほぼ完全滅亡までいってしまったのは褒められたものではなかろう。今川はなんだかんだで続いたし、北条も跡継ぎが若死にしたからポシャったが再興の目はあった。武田の最期は・・・


===武田信虎===
====2案====
#息子の信玄に追放された親父。
*(至新宿・池袋方面)~荻窪~桃井(桃井3丁目交差点)~井草八幡~関中央(関町交番前交差点)~北浦~柳沢~新田無~谷戸~ひばりが丘
#暴君として有名だけれど、実際はそこまでひどくはなかったらしい。
**現在の荻窪駅直前(天沼陸橋)から左折せずにそのまま青梅街道の地下を直進。田無町3丁目交差点からはバス通りの地下を北上しひばりが丘まで。
#*中央集権化を断行しようとして家臣団の反発を買い、追放されたというのが有力説。
**荻窪駅は現在の南口から北口に移設(新設)し、現在のホームは留置線または検車区とする。
#信玄の死後まで生き、81歳の天寿を全うした。
**柳沢・新田無から[[西武新宿線]]への連絡はせず(若干距離があるので)。
#*追放後の人生のほうが充実していたのではなかろうか。
*これを機に一律8両編成化し、[[中央快速線]]・[[西武池袋線]]・西武新宿線から利用客を分散させ、混雑緩和を目論む。
#今川氏真の祖父でもある。でも仲は悪かったらしい。
**出来れば更にサードレールから架空電車線(パンタグラフ)方式へと集電機能を変更する。
#*生き方は結構似てはいるのだが。


===立花道雪===
===荻窪から池袋へ・・・丸の内環状線===
#豊後大友家の重臣。通称カミナリ親父、もとい雷神の化身。
#路線 荻窪~清水~井荻~南田中~富士見台~豊島園~北桜台~小竹向原~千川~要町~池袋
#下半身不随で戦場には家臣に担がせた輿に乗っていたが、常に最前線で指揮を執っていた。
#*手に持った棒で輿をガンガン叩いて兵を叱咤し、自らかけ声を上げて突撃していたんだとか。
#**「おまいら、逃げたくなったら輿を敵陣のど真ん中に置いて逃げるように!」と常々言っていた。
#下半身不随になった理由は、雷を斬る剣を会得しようと剣を振っていて落雷に遭ったから。
#*このとき雷の中にいた雷神を斬ったとされ、愛刀に「雷切」と名付けていた。命中率とかダメージにボーナスが付きそうだ。
#*あれ?木陰で休憩していたら、その木に落雷があって、道雪が雷神を木ごと切ったため、と聞いたが。
#**曰く、「落雷を切ったら手応えがあった」とか。そりゃ感電しながら木を切れば手応えはあろうに。
#どうにも腰が定まらない[[戦国武将/あ行#大友義鎮(宗麟)|主君]]にたびたび諫言していた。
#その勇名は東国にも伝わり、武田信玄から「是非会いたい」とラブレターをもらったとか。
#本名は戸次鑑連。彼自身は立花姓を名乗ってはいない。
#*読み方は「べっき・あきつら」。一部ではベッキーの愛称で親しまれている。
#*本人は立花姓を名乗ろうとしていたが、先代の立花鑑載が2回も反乱を起こしたもんだから大友本家が許さなかった、という噂も。
#武功のないやつ俺んとこに来い、がモットー。必ず手柄をあげさせてやると公言していた。
#*同時に軍規は非常に厳格。戦の最中に家に帰った兵に討手を差し向け、本人と、家族も同罪として討殺した。


===立花直次===
===荻窪から池袋へ・・・丸の内環状線案Ⅱ===
#兄をよく助けた。
現在の丸の内支線を伸ばして環状化する案(もちろん現行の駅も拡張工事)
#柳川藩の藩主はこの人の子孫が受け継いだ。
#*兄には子がいなかったし、直次の子も一人息子だった。兄弟揃ってこの子供の少なさは何だろう。
#**スマン。たくさんいたらしいorz


===立花宗茂===
駅(赤字の駅は既設駅)
#豊後大友家の猛将・高橋紹運を実父とし、同じく猛将・立花道雪を養父とする、猛将のサラブレッドみたいな人。
<BR><font color="red">・中野坂上
#*でもお坊ちゃんで、関ヶ原の後まで雑炊というものを出されるまで知らなかったらしい。
<BR>・中野新橋
#**雑炊は知っていたんだが、宗茂「雑炊が食べたければ食べたいと言うから、気を使わなくてもいいぞ」 家臣(米が足りないから雑炊にしたって言えねえ……)ということらしい。お坊ちゃんなのは確かだ。
<BR>・中野富士見町
#*実父、養父に対し、隣国を治め親交が深かった小早川隆景が心の父とも言われているらしい。
<BR>・方南町</font>
#嫁は道雪の娘・誾千代。
<BR>・大宮八幡前
#*悠に一軍の将が務まるだけの能力と器量がある姫君だったらしい。
<BR>・新西永福
#**男子がいなかったからとはいえ誾千代が立花家の家督を継いでいることから、その器量推して知るべし。
<BR>・新浜田山
#**豊臣秀吉が名護屋城に滞在していたとき、側室候補にと誾千代を呼び寄せたが鉄砲を構え武装して表れたため断念したそうだ
<BR>・上高井戸
#*宗茂との夫婦仲が悪かったというのが通説だが、個々のエピソードを見ると、むしろ仲良し夫婦だったような印象がある。
<BR>・宮前
#**不仲説は二人の間に子供が生まれていないせいらしいが、宗茂は他の妻妾にも子供は産ませられなかったから、もともと種無しだったかもしれない。
<BR>・松庵
#***つか、彼は世間知らずだったらしいから、やり方を知らなかっただけかもしれない。
<BR>・吉祥寺(中央線・東西線・京王井の頭線)
#****案外[[戦国無双ファン|戦国無双]]で表現されていた二人の関係が実像に近いのかもしれない。
<BR>・関町
#*高橋家と立花家の領地は隣り合っていたので、親同士の付き合いで城を訪問したりしていたらしい。幼馴染やね。
<BR>・武蔵関(西武新宿線)
#とにかく戦争にめっぽう強かった。
<BR>・石神井台
#*若い頃から、対秋月戦、対島津戦で大活躍。
<BR>・下石神井
#*朝鮮の役でも大活躍。
<BR>・南田中
#*関ヶ原の戦いでは、大津城を攻めてこれまた大活躍。
<BR><font color="red">・富士見台(西武池袋線)
#**宗茂が大津城など置き捨てて関ヶ原に来ていれば、戦闘の様相も変わっていたかもしれない。
<BR>・練馬(西武池袋線・豊島園線・有楽町線・大江戸線)
#**敗軍となっても、自城にこもって頑強に抵抗。加藤清正・鍋島直茂・黒田如水の連合軍を相手に一歩も引かず、攻めあぐねた連合軍は仕方なく説得にかかってようやく開城させた。
<BR>・小竹向原(西武有楽町線・有楽町線・副都心線)
#***宗茂の人柄を惜しむ加藤清正が単身乗り込んで「立花殿。貴殿ほどの方をむざむざ槍にかけるは、不本意にござる。城をお出でなされよ。身の安全はこの清正が保証致す」と殺し文句で説得。清正の人柄を知る宗茂は「清正殿にお任せ致す」と決意を語って城を明け渡す。
<BR>・池袋(有楽町線・副都心線・西武池袋線・東武東上線 他JR多数)</font>
#***このエピソードは父親(高橋)を彷彿とさせるね。血は争えないということか。
#*島原の乱にまで顧問格で出兵。
#**一揆勢の立てこもった原城は、食糧が無くなれば自然に落ちると見て、宗茂は長期包囲を進言したが、幕府軍は言うことを聞かずに積極攻勢に出て大苦戦。言わんこっちゃない。
#*このように、宗茂自身の持ち場の戦闘においてはほとんど負け無しだったが、なぜか全体の勝敗としては敗軍に属していることが多かった。だからこそ強さが光ったのかもしれない。
#関ヶ原の戦後改易されたのに、旧領に大名として返り咲くことができた唯一の武将。
#*応援する人が多かった。志操の明快さでみんなに愛されていたらしい。
#一騎打ちで敵将の鼻毛だけを斬ってみせたという逸話がある。
#生い立ちと数々のエピソードといい、[[NHK大河ドラマ|大河ドラマ]]の主役にうってつけだと思うが、いまだ映像化されたことはない。
#*適役が思い浮かばん…。剛毅さと涼やかさと世間しらずを併せ持ったこの人物を誰が演じられるんだろうか?
#関が原の敗戦後に堺から九州に戻る船で島津義弘と一緒になり「父君(高橋紹運)の仇を討って東軍に寝返りましょう」と勧める家臣を叱って義弘一行と一緒に酒を飲んで話をしたと言う俗説がある。
#「宗茂」というのは一番最後に名乗った名前。初名の「統虎」から、10回以上改名している。


===伊達成実===
富士見台から池袋は既設の路線の下を潜りながら池袋へ向かいます
#伊達正宗の従兄弟。武の伊達成実として有名。
<BR>(そのとき中村橋・新桜台・千川・要町は駅舎を作らず通過します)
#*従兄弟というのは母方から見た場合。父は政宗の大叔父(祖父・晴宗の弟)なので、父方から見れば従兄弟違い。
#政宗より1歳下で、兄弟同然の育ち仲はかなり良好だった。
#戦における政宗最大のピンチだった人取橋の合戦では奮戦して政宗を逃がし、摺上原の合戦でも政宗勝利に多大な貢献をした。
#しかしその後謎の出奔。
#*白石城合戦時に帰参。それからは再び政宗の腹心として活躍。
#帰参後も政宗との仲はかなり良かったようで、「特に用は無いけどしばらく会ってないから手紙書いたよ。また今度城まで遊びに来てね。」という政宗から成実に送った女子会の誘いみたいな手紙が残っている。
#成実記という自伝小説を書いた。
#兜にムカデなんか付けていた。
#*毛虫説もある。どっちにしろ「後ろに退かない」心意気を表すものには変わりないけど。
#**思ってたよりは気持ち悪くない。
#「なるみ」と読みたくなるが、正しくは「しげざね」。


===伊達稙宗===
==千代田線関係==
#いろいろと暴れまくっていたが、晴宗のおかげで全部おじゃんに。
===北綾瀬支線改善===
#*稙宗「もはやあやつとは親でもなければ子でもないわ!」晴宗「うっせ~あのクソ親父!何で相馬ごときにウチの領地くれてやんなきゃなんねぇんだ!」…結果、天分の大乱に。
#北綾瀬-綾瀬間を結ぶ北綾瀬支線をまず本線と一体化にし、北綾瀬駅を地下化して10両編成が通れるようにする。その後[[つくばエクスプレス]]六町駅or八潮駅まで延伸する。
#太閤立志伝Ⅴでは、やたらと能力が高い。でも年だし、仕官する気もないので、宝の持ち腐れ。
#*むしろ6両化して、綾瀬~六町(または八潮)とつくばエクスプレスとで直通させる。


===伊達輝宗===
===品川方面へ支線===
#独眼竜政宗の父親。
#表参道-西麻布(新駅)-広尾-南麻布(新駅)-白金高輪-泉岳寺-(京急線と直通運転)
#「信長の野望」では下手したら政宗よりメジャーな存在だ。
#*品川方面の東京メトロ空白地帯を解消する。
#温厚でいい人っぽいイメージだが、政宗をあんな感じに育成したのもこの人。
#*軌間が違うのにどうやって京急と直通するんだ?


===伊達晴宗===
===上野支線===
#伊達政宗の祖父。
#路線 湯島~上野。
#政策について父と対立した結果、東北中を巻き込む盛大な親子喧嘩に発展した。
#*小田急特急ロマンスカーが湯島始発になる時期に合わせて、開業させたい。地下鉄の駅とはいっても、やはり山手線のターミナルとの許容集客数では負けると思う。そこで、小田急の特急を上野発とさせたい。
#他所に行く予定の花嫁を強奪して自分の嫁にした。
#**停車駅:上野・湯島・大手町・日比谷・霞ヶ関・国会議事堂前・表参道<br>以降は、既存の特急停車駅と同じにする。「町田停車」なら「町田停車」、小田原までノンストップなら、小田原までノンストップは同様に扱う。
#**ただし、「あさぎり号」に限っては、小田急線内を全駅通過してJR御殿場線に入ってしまう恐れがあるので、『上野発、千代田線経由沼津行き』のあさぎり号に限っては相模大野または本厚木に停車。
#**けれど、ロマンスカーは北千住発になった。


===田中吉政===
===渋谷支線===
#農民から出世した。
#路線 代々木公園~渋谷(西口)
#三成を捕らえた人。
#小田急線からの直通電車を渋谷に乗り入れさせて、井の頭線の混雑を緩和する。
#*三成に目をかけられて出世したため捕らえるのを躊躇したってぇ話が小説で出てくるが実際どうなんだろ…?
#綾瀬方面からの電車は一部明治神宮前で折り返し。
#水郷柳川を作った。
#都市計画を得意とし、現在でも評価されている。
#たった二代で筑後32万石が潰されたのは惜しい。
#*よそ者だし、凡将だし、都市化のために圧政を敷いた人らしいので地元民的にはそんなに惜しくないのが本音。
#墓は柳川の某寺の床下にある。


===種子島時尭===
==有楽町線関係==
#日本の鉄砲はこの男から始まった。
===葛西へ延伸===
#流れ着いた南蛮人から鉄砲を取り上げるのではなく、わざわざ娘を嫁がせたりして製法を教わった。
#新木場-葛西-浦安-([[東京メトロ東西線|東西線]]乗り入れ、西船橋まで複々線化)
#「信長の野望・武将風雲録」では本土にいる。
#*むしろ[[京葉線]]乗り入れて上総一ノ宮or君津まで。
#*「種子島」の意味無し
#*西葛西駅(東西線に隣接させて新設)で接続させるか、臨海町あたりに駅を作ったほうがいい気がする。勿論、優等列車は通過で。
#*南葛西-葛西-東葛西-二之江-一之江-大杉-興宮町-一色(総武緩行線新駅乗換)-奥戸細田-青砥
-南亀有-亀有-中川公園-加平-足立区役所前-西新井-西新井本町-鹿浜-新田-志茂
-赤羽-桐ヶ丘・・・いわゆるメトロセブン・エイトライナー直通ってのは


===田村隆顕===
===住吉支線===
#田村マロの子孫。
(8号線延長計画に沿っている)
#駅・・・・豊洲ー東陽町ー住吉
#*これにより、有楽町線を介して東武線の2台動脈(伊勢崎線と東上線)が結ばれる。
#*さらに、北千住まで新線を作り、つくばエクスプレスと乗り入れるほか、現在の東武伊勢崎線の曳舟~北千住間を新線に移動する。
#*さらに東武線沿いからベイエリアにスムーズに行ける。
#東武線南栗橋・久喜まで直通。


====
===羽田空港へ延伸===
===長宗我部国親===
;概要
#元親の父親で、元親より知名度が低いが、当時は元親よりずっと偉大だとされていた。
*(小竹向原方面)~豊洲~東雲~東京ビッグサイト~青海~潮風公園~八潮北~<!--(大井ふ頭)-->中央海浜公園~京浜島~羽田空港
#似た苗字の香宗我部氏を養子縁組で従属させた。
**開業の目処が立っていない[[Wikipedia:ja:東京地下鉄有楽町線#地下鉄8号線延伸構想|地下鉄8号線延伸構想]]を見直し、現在使用されていない豊洲駅の中2ホームから、[[青海・有明|有明]]・[[お台場]]・大井埠頭を通して[[羽田空港]]へ延伸。
**豊洲駅からそのまま晴海通りの地下に沿って[[東京/江東区#東雲の噂|東雲]]へ。[[東京ビッグサイト]]からは潮風公園までゆりかもめに沿う様にして<!--(テレコムセンターへは行かず)-->[[青海・有明#有明の噂|有明]]・[[お台場]]([[青海・有明#青海の噂|青海]])を横断。[[東京湾]]をくぐったら[[関東・甲信越の国道#国道357号|国道357号]]の地下に入って羽田空港へ。
*優等列車を設置。
**退避駅等については適宜。
***青海で緩急接続する。
**種別は現在既に運用されている「準急」をそのまま流用。
*[[東京メトロ千代田線#ロマンスカーの噂|ロマンスカー]]の乗り入れも考慮。


===長宗我部元親===
;路線図
#最初「土佐の姫若子」といわれていた。
普<font color="Lime">準</font>
#*別に女の子みたいに可愛らしかったわけではない。
<BR>通<font color="Lime">急</font>
#**その代わり、性格が女々しかったそうだ。
<BR>∥∥(至小竹向原)
#*初陣を華々しく飾った後は鬼若子に昇格した。
<BR>○○豊洲([[ゆりかもめ]]に接続)
#**初陣が22歳になってからと、超遅咲き。他家では10代半ばで初陣してたからなぁ。
<BR>○│東雲([[東京臨海高速鉄道|りんかい線]]に接続)
#***後世書かれた軍記本では、家臣に戦いのやり方を教わったとか槍の突き方知らなかったとかミソクソに書かれてる。
<BR>○○東京ビッグサイト(ゆりかもめ『国際展示場正門駅』に接続)
#もし10年早かったら天下を…という意見もあるが、当人は[[四国]]の覇者になれれば満足だったらしい。
<BR>○○青海(ゆりかもめに接続)
#[[戦国無双ファン|戦国無双]]でも[[戦国BASARAファン|BASARA]]でも有名であり、後世のゲーマー達に論争の種を与えている武将の一人である。
<BR>○│潮風公園(ゆりかもめ『船の科学館駅』に接続)
#後半生および子孫は悲惨すぎる・・・・・・。
<BR>○│八潮北
#*秀吉の命令で駆り出された戦で嫡男を喪い、以後精神的に不安定になってしまった。
<BR>○○中央海浜公園
#*大名が息子を失ってしまい、心身を悪くしてしまうのは意外と珍しい事という訳でもなかった。
<BR>○│京浜島
#**他の例として、大内義隆(文治に傾倒。後に大寧寺の変へ)や三好長慶(兄弟も相次いで失う)などがいる。
<BR>○○羽田空港([[京浜急行電鉄|京浜急行]]・[[東京モノレール]]に接続)
#**とりわけ元親が悲惨に見えるのは、嫡男・信親を失った戸次川の戦いが、あまりにバカげたいくさであったためではなかったかと。
#***元親も、僚将の十河存保も、島津軍の伏兵を見抜いて自重を訴えたのに、功を焦った仙石秀久の突出で戦闘に巻き込まれ、「案の定」の伏兵でやられてしまった。
#*戸次川の戦いでは、信親だけでなく家臣の跡取りも数多く戦死した。以後長宗我部は、家臣団の再建や後継者争いによる内紛で弱体化していく。
#嫁は明智光秀の片腕だった齋藤利三の妹。
#長曽我部とも書く。どっちでもいいらしい。
#信長からはコウモリ呼ばわりされてた。
#*「どっちつかず」の意味のコウモリではなく、「鳥無き里」のほうのコウモリね。
#**意味は「鳥がいない場所ではコウモリのような弱い動物でも栄えられるのだ」といった感じだろうか。「狼無き里の犬」「虎無き里の猫」とか言うともっと分かりやすいかも。
#まさか、後世、「超スケベ元痴漢」などとネタにされるなんて、夢にも思っていなかったろう・・・。


===長宗我部盛親===
==南北線関係==
#元親の四男。長兄・信親が戸次川で戦死したため、家督を継ぐ。
===赤羽・志村支線===
#*家中には、三兄・親忠を推す勢力もあって、相続時にちょっとゴタゴタした。
#志茂-赤羽-桐ケ丘赤羽台-志村坂上
#**しかもそのゴタゴタが、ちょうど秀吉の死から関ヶ原の戦いに向かう時期だった。おかげで長宗我部家は情報収集もままならないまま、成り行きで西軍に属すことになってしまった。
#*親忠が殺害されてお家騒動は終息。
#**盛親が指令したのか、盛親派の家臣が先走ったのか、微妙なところ。
#**長宗我部家が取り潰されたのは、実は西軍に属したためではなく、この兄殺しを咎められたからだという説も。だとすれば馬鹿なことをしたものだ。
#***徳川からすればていのいい口実を用意してくれた、ってとこだ。
#*信親が戦死した直後、秀吉から後継者に指名されたのは次兄の親和だったのだが、元親のゴリ押しで後継者に指名されたという経緯もある。
#**そしてその直後、親和は病死。暗殺、自殺説もある。
#関ヶ原の戦いでは、戦場に出る道を毛利勢(というか吉川広家)に塞がれて、まるっきり戦闘に参加しないまま敗軍となる。あんまりだ。
#*そもそも西軍に属した理由が徳川へ送った密使がヘタレで、三成の関所網を越えられずに戻ってきたから東軍に参加できず成り行きで、らしい。あんまりだ。
#土佐を追われた後、大岩祐夢と名乗って、寺子屋の先生になった。
#大坂の陣では、誘われて勇んで大坂に入城。
#*単身で配流場所を抜け出したが、山内一豊に迫害されていた元家臣たちが途中で次々と駆けつけ、たちまち大軍勢となって大坂入りを果たし、人々を驚かせた。
#*短期間とはいえ大名だったのは彼だけだったので、城内ではなかなか人望もあったらしい。
#**あとの大坂方の将は、「元大名の子」とか「大名の元重臣」とかがほとんど。
#*冬の陣ではあんまり見せ場が無かったが、夏の陣では藤堂勢との遭遇戦で鮮やかな大勝利。
#**かろうじて、名将であったことを死ぬ前に証明できたのは何より。本人ももって瞑すべきであろう。
#*夏の陣の後、脱出しようとして捕まり、斬られた。
#**生存伝説もある。若狭に逃れて行ったと言う。


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===王子・西新井支線===
===津軽為信===
#王子神谷-環状七号線-西新井-北綾瀬-亀有-青砥
#津軽地方の英雄。でも旧南部氏の領土だった場所ではすこぶる評判が悪い。
#*王子神谷の搬入線を延伸し、環状七号線下を亀有(青砥)まで延伸
#*もともと南部氏一族で旧姓は大浦。しかし南部本家に無断で津軽地域を乗っ取った上に一地方の津軽を姓にした。そればかりか本家を圧迫しまくった。反乱っぽくみえるが、所詮同族同士の争い。でも南部氏旧領地域では「反乱」の扱い。
#*東武の西新井-大師前は機能が重複するため廃止
#南部氏よりも先に秀吉に謁見して、独立を認めさせた。
#北区-足立区-葛飾区の連携により23区北部の連携発展が見込める
#肖像画はすごいヒゲだ。
#*三国志の関羽にあやかって伸ばしていたとか。
#ライバルの南部信直が上方でホームシックにかかったのに比べて、先祖ゆかりの(伝承レベルだけど)名門公家の養子になるなど、都会生活をエンジョイしていたようだ。
#*盂蘭盆会では巨大灯籠を作って街中を練り歩かせた。これがねぶた祭の元だとも言われる。


===筒井順慶===
===品川支線===
#梟雄松永久秀と死闘を繰り広げた末信長を後ろ盾があったものの遂には久秀を追い詰め引導を渡した。これだけでも凄い武将である。
#白金高輪-高輪台-品川-天王洲アイル-(東海道貨物線を旅客化して乗り入れ)
#なのに世間は裏切者とか日和見主義者とか、そういうマイナスの面ばかりピックアップする。
#白金高輪~品川間は東京メトロと都営地下鉄の二重線籍区間、品川から先はJRの区間とする。
#*いわゆる「洞ヶ峠」。
#東海道貨物線側では桜木町、小田原、相鉄海老名、相鉄湘南台まで乗り入れる。
#**昔順慶の遠縁の子孫にあたるSF作家の筒井康隆が「洞ヶ峠で滞陣していたのは順慶ではなく順慶の援軍を待つ光秀だった」という説を小説の形で発表している。
#***現在ではこの説がむしろ主流。
#筒井筒という仮名でも漢字でも回文になる茶器を所有していた。
#生まれも育ちも没地も[[大和郡山市]]。
#「右近左近」と併称されるイカした家臣が居た。
#*松倉右近と島左近。
#*島左近のほうはのちに石田三成の謀臣となり、関ヶ原で華やかに散って有名になったが、松倉右近のほうはいまいち知名度が低い。
#**息子が島原の乱の原因になった。
#父親が急死したために2歳で家督相続。成人するまでは木阿弥という僧が父親の影武者をしていた。
#*そのうち順慶が成人したので、お役御免になった影武者は旧名に戻る。「元の木阿弥」の由来だそうな。


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==東西線関係==
===土岐頼芸===
===和光市駅へ延長===
#つわものどもが夢のあと
#西高島平-板橋区-地下鉄赤塚-地下鉄成増-和光市
#絵画に関しては類稀な奇才の持ち主だったらしい。
#*それ三田線じゃないの?ラインカラー似てるけど
#*特に[[猛禽類#鷹|鷹]]の絵を得意としていた。「土岐の鷹」として有名。
#斎藤道三に追われた後も各地を逍遥しながら生き延び、80歳以上の長寿を全うしている。
#名前の読みは「よりのり」「よりなり」「よりよし」「よりあき」と諸説ある。
#*ライゲイさんと呼ぶこともあるらしい。
#**冗談だわな。
#***有識読みというか、音読みで言えば、別に間違いではない。
#斎藤義龍いわく「本当の父親」。


===藤堂高虎===
===全線に渡り複々線化===
#当時の人物の平均身長(160cm前後)からえらく乖離した、六尺三寸(190cm)を越える大男。
#中野-高田馬場-飯田橋-大手町-茅場町-(東陽町)-西船橋
#戦国武将の中では加藤清正に比肩する築城の達人として名高い。
#*快速線を別線でひいてもいいのでは?
#*高虎「石垣は高くてナンボ、あとはお堀で補うべし」清正「いやいや、石垣は反りを大きくして人が登れないようにしないとな」という具合に特徴が違うらしい
#私は停車駅案を別に持ってまいりました中野―高田馬場―飯田橋―大手町―日本橋―東陽町―葛西―妙典―西船橋
#浅井長政に始まり徳川家康まで幾度も主を変えたため、変節漢、裏切者と言うネガティヴな印象で語られることが多い。
#中野-高田馬場-飯田橋-大手町-日本橋-茅場町-西船橋とし従来線は各駅専用とする。茅場町-西船橋間が15分くらいならベスト。
#*実際は優秀な人材があちこちから引っ張りダコにされるようなもので、彼自身が謀反を起こしたとかは一度もない。
#*何故門前仲町に止めない?
#*3番目の主君の磯野員昌や5番目の羽柴秀長は敬愛していたようで、後に大名になったときに員昌の子を召抱え、大坂の陣の後に加増もしている。
#*別線ひくなら急行線。乗り入れ線の範囲はJRから客を奪うくらいにしないと千葉は発展しない。埼玉のほうが鉄道が便利になってると思う。JRは、千葉以遠の担当にするぐらいでないと発展しないと思う。
#**逆に4番目の津田信澄には嫌われていて、手柄を上げても加増されなかったから嫌になって浪人になっていたところを秀長に拾われた。
#*自分的にはJR直通を津田沼までではなく千葉までにして土日もやって欲しい
#外様だが、徳川政権下でも譜代並に重用された。
#'''''通勤時間帯の快速'''''は、'''通勤快速になるし'''早いところやってもらわねば。
#*その重用たるや外様筆頭なんていわれたり、西に対する要衝の伊勢・伊賀・志摩の国を与えたり、さらに家康の臨終にも特別に枕元へ呼ばれたりと外様の割にはかなりの破格。
#頭の切れる印象が強いが、本人の腕っ節もかなりのものだった。
#*腕っ節だけでもひとかどの人物だったが、「上に登るのに必要なスキルは何か?」と考えて築城や外交術を勉強した偉い人。
#晩年、目が見えなくなった。将軍秀忠が「廊下をまっすぐにして迷わず俺ンとこ来れるようにしようか?」と持ちかけるも丁重に辞退。
#遺訓は「主君に仕える際は誠心誠意、力の限り奉公せよ。それで数年経っても評価してもらえないならば、いっそ主君を変えてしまえ」という内容だった。
#*でも子孫の高猷は幕府軍からあっさりと政府軍に鞍替えしたもんで、「藩祖の薫陶が行き届いているな」という皮肉で敵味方問わず「裏切り者」扱いになっちゃったりもしている。
#貧しいときに餅をめぐんでくれた[[豊橋市|三河吉田]]の宿の主人に、大名になった後手厚く恩返しをした。
#*このときのエピソードから生まれたのが「三つ餅」の旗指物、らしい。
#朝鮮へはなぜか水軍の将として出陣。


===徳川信康===
===西早稲田支線===
#家康の長男。母親は今川義元の養女の築山殿。
#現在の早稲田駅から諏訪通りを通り西武新宿線高田馬場ホームにつなげる支線を作る
#*なかなか武勇にすぐれていたらしく、関ヶ原の戦いがやや膠着状態になっていた時に、家康が<BR>「あやつが生きておればなあ」<BR>と述懐したとか。
#*つまり西武新宿線への乗り入れの際今の高田馬場駅の構造だと直通しにくいから支線を使い西武線のホームをそのまま使わせる作戦です
#嫁は信長の娘。
#*さらにこれの開業により副都心線西早稲田駅と連絡ができるようになる
#*「五徳」という名前であったとされるが、疑わしい。女の名前じゃないだろ、こんなの。
#**「徳姫」とも言われるが、これは織田側から見て「徳川家に嫁入りした姫」というだけの意味。「五徳」の徳も同様。
#**「五」のほうは本人の手紙に書かれた署名なので、「五」を含む名前であったのは確かと思われる。
#***当時の女性の署名は、名前の最初の一文字(今で言うイニシャル)を書くだけというのが普通だった。
#**息子に奇妙とか、茶筅とかつける信長だからなぁ・・・。女の名前じゃないのも良いんじゃないかと思う。
#**織田家の記録に「ごとくひめ」とあるから名前は五徳でほぼ決着済み
#夫婦喧嘩の末に命を落とす。
#*嫁が勢いに任せて、実家にあることないこと12箇条ばかり言いふらした。
#*義父の信長は、徳川家の重臣・酒井忠次を呼んで事情を訊いたが、12箇条のうち10箇条について申し開きができなかった。
#**実は忠次が信康を嫌っていたので、あえて申し開きをしなかったという説も。
#*信長は家康に、信康の誅殺を命じる。家康、逆らえずに実行。
#**検分役の配下に、信康をこっそり逃がすようにそれとなく指示したが、その配下が堅物で空気を読めず、あっさり殺してしまったのだとも言われる。
#**実は信長はそんなことを命じておらず、家康が勝手に(対立していた)信康を誅殺して、あとで信長のせいにした……とも言われる。
#父に見捨てられていた弟の秀康を救済し、父と対面させたという美談もある。
#徳川の姓を継ぐ前に処刑されたので「松平信康」が正解、という説も結構ある
#*むしろ史学的には一応「松平信康」の方が正しいらしいのだが、秀忠も相続前から「徳川秀忠」と呼ばれるのでその理論はお察し
#**「岡崎信康」と言う呼び方も、あるようだが・・・。


===豊臣秀次===
*T-04 早稲田(西船橋方面本線・東葉高速線直通運転)
#無能と言われるが、負けたのは小牧・長久手の戦いのみ。
**早稲田通りを通らず諏訪通りへ
#暴君か名君か評価の分かれる人物。
*t-04 西早稲田(副都心線)
#*宣教師の記録だと、性格は温厚で、物事を熟慮するタイプだったらしい。江戸時代だったらいい殿様だったかもしれないが、戦国武将としては微妙だったのだろう。
**地上へ
#最後は高野山で自害させられた。彼の一族郎党34人も誅滅されたという。
*t-03 高田馬場(西武新宿線直通運転)
#*原因として石田三成の讒言説もあるらしいが、全くのでっち上げ。三成自身、取り潰された秀次家臣を多く石田家に採用している。
#*側室や子供に至っては、殺されてまとめて埋められた後、塚がひとつ建てられたのみ。名も『畜生塚(悪逆塚)』という酷いもの。
#**見世物感覚で集まった庶民は、鴨川を血に染めるほどの余りの処刑の惨たらしさに執行人に対して罵声を浴びせたとか、見に来たのを後悔したという民が多数だったとか。
#**中には最上義光の娘・駒姫の様にまだ旦那とあったことすらないのにもかかわらず、秀次の妻という事でとばっちりを食う形で同じく処断された。義光が後の関ヶ原の戦いで徳川方に付く遠因になったとされる。
#**その塚を整備したのは富士川や天竜川の開発で有名な角倉了以である。高瀬川の開削作業中に荒れ果てた『畜生塚』を憐れんで「畜生」の2文字を削って塚を修復し、さらに供養のために瑞泉寺を建立したという。
#**側室の実家で亡骸を引き取ることも許されなかった。側室には大名の娘も多かったので、秀吉の評判、上も下も等しく下落。
#*一族もそうだが、木村常陸介や前野長康といった秀次付きの家臣はことごとく切腹を命じられ、秀次の縁戚の菊亭晴季、果ては小早川秀秋や里村紹巴、曲直瀬玄朔、瀬田正忠(利休の高弟)など、多くの公卿・大名・家臣などが罰せられている。もはや、耄碌した秀吉のヒステリーと言わざるを得ない。
#**「殺生関白」の一族だからという理由だが、誰もそう思わなかった。「畜生は{{あきまへん}}だろう……」と。
#秀頼誕生後の秀吉からの疎まれようは尋常じゃない。


===豊臣秀長===
===全線に渡り複々線化+西早稲田支線===
#秀吉の弟。
*上の2つを見ていたら思いつきました
#*異父弟説と実弟説がある。
#東葉高速鉄道―西船橋―(妙典)―葛西(or西葛西)―東陽町―門前仲町(or茅場町)―大手町(日本橋駅との連絡通路有)―九段下―飯田橋―早稲田―西早稲田―高田馬場―西武新宿線と作る(高田馬場・西船橋以外は地下を通る)
#**異父弟説の根拠は、当時の噂としてある公家が日記に書き留めているということと、幼名「小竹」が秀吉の継父の名前「竹阿弥」と通じるかららしい。
#急行停車駅西船橋・東陽町・大手町・飯田橋・高田馬場に止まり西武線は急行運転
#**実弟説の根拠は、秀吉の実父が死んだのが秀長誕生より後のことだったらしいから。秀吉の母が、実父と離婚して竹阿弥と再婚したとは考えづらいので。
#*準急は複々線の各駅に停車し西武線は各駅停車
#*大河ドラマ「秀吉」で、原作者の堺屋太一が原作本の中でかなりのスペースをとって実弟説を考証していたのに、ドラマになるとその点はガン無視、通説どおり異父弟ということになっていた。
#今までの各駅停車や快速は今まで通り中央線にのみ直通する。また総武線への直通も増量
#**ただでさえ大河好きのじっさま達の知ってる話とはかけ離れてたから(がんまく=石川五右衛門とか)史実かどうかは別として多少は通説どおりの設定もいれとかねぇと、とでも思ったか。
#実は成り上がり距離は秀吉に肉薄し、おそらく齋藤道三や北条早雲を上回る戦国第二位。
#*22歳まで貧しい農民として過ごしていたのに、30年ほどのうちに大和・紀伊のほぼ全域を領する120万石の大大名に。
#突っ走り気味な兄貴をよく支え、天下盗りを助けた殊勲者。
#*自分の手柄を決して吹聴しようとしなかった。戦国人としては稀有なタイプ。
#*そのため地味な印象があるが、実は戦場ではほとんど負け知らず。秀長自身の責任による敗戦は皆無に近い。
#**攻撃も手堅かったが、防衛戦にはもっと強かった。賤ヶ岳で秀吉が勝てたのは、大返しの奇襲効果もさることながら、前線にいた秀長が佐久間盛政の猛攻に耐えて一歩も引かなかったおかげ。
#*秀吉も秀長の働きを大きく評価し、木下家→羽柴家→豊臣家の総収入の中の1割を常に秀長に与えていたらしい。
#**知行300貫の美濃時代は30貫、12万石の長浜城主時代は1万2千石、などなど。
#*島津軍に圧迫されてたまらず上京した大友宗麟を懇切に元気づけ、「うちうちのことは利休に、おおやけのことはこの秀長にお申し付け下され」と言った。弟なのにうちうちのことにタッチしなかったあたりが賢明である。
#*一言で言うと、秀吉の[[銀河英雄伝説ファン|キルヒアイス]]。
#秀吉に先立って死去。
#*秀吉は「大納言(秀長)が死んだら豊臣の家はどうなるんじゃあ」と泣き叫んだらしい。その後の経過を見ると、秀吉の本音だったようだ。
#*息子はおらず、姉の子(秀保)を養子にしていた。しかしこの秀保、兄の秀次以上に狂騒人で、結局非業の死を遂げた。
#**小姓に「そこの崖から飛び降りてみよ」と命令したところ、やけになった小姓が秀保を抱きかかえたまま飛び降り、二人とも墜落死した……という不気味な話も。
#***その話も秀次を悪人に仕立て上げるために、その兄弟も悪人に仕立て上げた作り話だろう。
#もともとの名乗りは長秀だったが丹羽長秀に遠慮して秀長にしたと堺屋太一が小説のなかで書いてたけど…実際どうなんだろう?
#*上位者からの偏諱を先にするのが礼儀なので、最初長秀だったのはたぶん本当。紛らわしいから逆にしたのだと思われる。
#**ただし「長秀」時代には、この名乗りを用いるような機会はほとんど無かっただろう。


===鳥居元忠===
==副都心線関係==
#[[徳川家康|タヌキ]]の最も信頼していた男らしい。
===六本木・湾岸方面延伸===
#*その割には、[[近畿の城#伏見城|捨石]]にしているので実際にはどうだったのか。
#副都心線を六本木・汐留まで延伸し汐留からさらに新路線として建設し直通運転を行う
#**あんなヤバイ役本当に信頼してなきゃ任せられん。家名こそ誉、討死も軍功の内の価値観で見れば、そこら辺は最大限の抜擢だ。
急行停車駅=○ 通過駅=×
#*一応、清州にも駿府にも付いて行っていたらしい。
<BR>↑既設の路線
#忠臣として江戸時代には有名だった。
<BR>○渋谷(既設)
#*その名は、明治維新の時の新政府軍も敬意を払うほどで、江戸城内に置かれていた元忠血染めの畳は、一切傷を付けられることなく、鳥居家所縁の寺に送られたそうな、
<BR>×西麻布
#実は玄孫が大石内蔵助であるというのは知られていない。
<BR>○六本木(日比谷線・大江戸線)
<BR>×東麻布(赤羽橋と接続)
<BR>○浜松町(JR山手線・大門と接続)
<BR>○汐留(都営大江戸線)(汐留から先は別路線としての開業)
<BR>○築地(日比谷線・東銀座駅と接続)
<BR>×勝どき(大江戸線)花火大会の時は急行を停車させる
<BR>×晴海
<BR>×新豊洲(ゆりかもめ)
<BR>×新東雲
<BR>○国際展示場(りんかい線)
<BR>○台場(ゆりかもめ)
<BR>×港南
<BR>○地下鉄品川
<BR>×東品川
<BR>×品川シーサイド
<BR>×八潮
<BR>×流通センター(東京モノレール)
<BR>○大森町(京急本線)
*京急本線羽田空港まで直通運転
*駅がこんなに増えるんだったら地下鉄品川-東品川の間に品川車両基地を新設。地下。
*汐留・台場で緩急接続を行う。


===戸沢盛安===
==新設==
#出羽角館の大名。なのに小田原の役では秀吉を西から追いかけていた。
===竹ノ塚線===
{{駅名標/メトロ|name=滝野川|roma=Takinogawa|back=西巣鴨|back2=Nishi-Sugamo|next=王子|next2=Oji|symbol=K|s-no=04|next-no=05|color=pink}}
#[[池袋]]-[[王子]]-竹ノ塚-([[東武伊勢崎線・日光線|東武伊勢崎線]]に直通)
#*途中、舎人線との乗り換え駅を設置。
#*池袋ー上池袋ー西巣鴨(三田線乗換)ー滝野川ー王子(JR・南北線乗換)ー水再生センターー荒川土手ー江北(舎人線乗換)ー大師前(大師線乗換)ー竹ノ塚。
#**大師線から地上に出て東武竹ノ塚駅と連絡。
#*雑司ヶ谷まで伸ばして副都心線直通や板橋まで伸ばして東上線直通も考えられる。


==関連項目==
===山手通り線===
{{行別|戦国武将}}
{{駅名標/メトロ|name=交通短大前|roma=Kotsutandaimae|back=大山金井町|back2=Oyama-Kaneimachi|next=要町|next2=Kanmamecho|symbol=R|s-no=03|next-no=04|color=darkgreen}}
#環状六号線、通称「山手通り」はたくさんの鉄道路線と交差しており、たいていは交差地点のすぐ近くに駅があるという、地下鉄新線の建設には最も適した道路である。実際、わずかに大江戸線が通されている。<br>しかし、何を狂ったか、お役所は山手通りの渋谷区以北の地下に、今度は地下鉄新線ではなく地下高速道路を通そうとしている。2007年現在、工事中。<br>今からでも変えられる。地下鉄に作り直そう。駅前という貴重な空間資源を、駅前でなくてもよい建造物である高速道路という形で無駄遣いさせないぞ。
#*駅一覧:※カッコ内は乗り換えできる路線<br>板橋区役所前(三田線)─大山金井町(東武東上線にも新駅設置)─交通短大前─要町(有楽町線)─椎名町(西武池袋線)─中井(西武新宿線・大江戸線)─東中野─(中央線・大江戸線)─中野坂上(丸ノ内線・大江戸線)─国際高校前─初台(京王線)─南初台─代々木八幡(小田急小田原線・千代田線)─東大北─神泉(京王井の頭線)─目黒青葉台(東急田園都市線にも新駅設置)─目黒東山─中目黒(東急東横線・日比谷線)─目黒署前─大鳥神社前─下目黒─不動前(東急目黒線)─大崎広小路(東急池上線のりかえ、それとともに都営浅草線にも新駅設置)─大崎(JR各線・りんかい線)─北品川四丁目(京浜東北線にも新駅設置)─新馬場(京急本線)─東品川一丁目─天王洲アイル(東京モノレール・りんかい線)
#*目黒不動から一番近い駅が不動前でなく下目黒になることから、不動前駅を改称する必要に迫られる。


[[Category:戦国武将|]]
===六本木通り線===
{{駅名標/メトロ|name=南青山|roma=Minami-Aoyama|back=西麻布|back2=Nishi-Azabu|next=渋谷|next2=Shibuya|symbol=P|s-no=06|next-no=07|color=#5654a2}}
#東京(丸の内側) - 桜田門 - 溜池山王 - 六本木 - 西麻布 - 南青山 - 渋谷(東急田園都市線に直通)
#*田園都市線の半蔵門線直通は中止。これで田園都市線の東武線直通を阻止できる。w
#**'''阻止するなよ。'''
#*半蔵門線(大手町~永田町~渋谷)とルートがかぶりまくってるからわざわざ作る意味が感じられない。{{ネタ殺し}}
#**半蔵門線の混雑緩和と速達線としてのものならありだと思う。
 
===新宿~京成上野===
{{駅名標/京成|name=神保町|roma=Jinbocho(KS-04)|back=おちゃのみず|back2=Ochanomizu|next=いいだばし|next2=Idabashi(KS-05)}}
#新宿から成田空港へ行く際の乗換えが不便。NEXは遠回り。そこで。
#*停車駅:京成上野~北秋葉原~御茶ノ水~神保町~飯田橋~西武新宿~新宿
#*更に、地下鉄内を上野までノンストップのスカイライナーが走れば、新宿から55分で成田空港到着。更に、上野と日暮里と成田に止まらないスカイライナーを走らせれば、新宿・成田空港間を50分切る。いつまでも京成が延伸しないから、東京メトロが線路を引いて、実質的にはそれを京成へ貸す形とする。
#*[[京成関連路線延長・新線#京成線新宿延伸|こちら]]も参考までに
#2009年3月には上野御徒町駅と京成上野駅が地下通路で接続されるので意味が無くなる。[http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2008/10/20iat200.htm 参考]
 
===新宿~北千住===
{{駅名標/メトロ|name=本郷|roma=Hongo|back=南駒込|back2=Minami-Komagome|next=後楽園|next2=Korakuen|symbol=G|s-no=06|next-no=07|color=lime}}
#TXつくば、守谷まで←北千住ー東日暮里ー田端新町ー田端ー南駒込ー本郷ー後楽園ー飯田橋ー半蔵門ー永田町ー四ッ谷ー牛込ー北青山ー新宿3丁目ー新宿ー西新宿ー西大久保ー南中野ー高円寺ー南野方ー新都立家政ー鷲ノ宮→西武新宿線所沢まで。
#*快速も新設(停車駅:北千住ー田端ー後楽園ー飯田橋ー永田町ー四ッ谷ーー新宿3丁目ー新宿ー西新宿ー高円寺ー鷲宮)
#*TXはつくばまで一部メトロ車にも交直流車を作る。西武は上石神井、所沢まで。半分程度は西新宿折り返し。
#*TXの真下に地下ホ-ムを作る。
 
===永福線===
{{駅名標/メトロ|name=馬事公苑|roma=Bazikoen|back=千歳船橋|back2=Chitosefunabashi|next=桜新町|next2=Sakurashinmachi|symbol=U|s-no=08|next-no=09|color=red}}
#方南町支線を延長する形で。↑の「丸の内線関連・荻窪から池袋へ・・・丸の内環状線」関連
#路線 方南町~大園児~永福町~神田川~桜上水~新船橋~千歳船橋~馬路公園~桜新町~(田園都市線と平行)~渋谷~(銀座線)~青山一丁目~四ツ谷~(丸の内線)~方南町
#*環状線
#*新船橋は東武野田線の駅
 
===上野線===
{{駅名標/メトロ|name=大塚四丁目|roma=Otsuka4chome|back=千石|back2=Sengoku|next=護国寺|next2=Gokokuji|symbol=O|s-no=07|next-no=08|color=navy}}
#[[上野駅|上野]]-上野公園北-根津-東大前-白山-千石-大塚4丁目-護国寺-西早稲田1丁目-戸山-東新宿-大京-国立競技場-表参道-西麻布-六本木-麻布台-赤羽台-慶應大前-三田-芝浦-品川
 
===亀有線===
{{駅名標/メトロ|name=浜松町|roma=Hamamatsucho|back=汐留|back2=Shiodome|next=芝公園|next2=Shibakouen|symbol=K|s-no=17|next-no=18|color=#00ffff}}
#(取手から常磐線で)亀有-綾瀬-北千住-南千住-日暮里-根津-本郷三丁目-水道橋-神保町-大手町-東京-有楽町-銀座一丁目-東銀座-新橋-汐留-浜松町-芝公園-赤羽橋-麻布十番-神谷町-溜池山王-半蔵門-市ヶ谷-曙橋-牛込-馬場口-目白-池袋-十条-板橋-板橋区役所前-東板橋-王子-上中里-尾久
#*亀有から押上方面に延伸して都市計画にある有楽町線、半蔵門線の北部延伸の代替としても良いかもしれない。
#*駅ナンバリングの方だが亀有がK01、綾瀬がK02・・・という順番で尾久がK36。もし押上方面へ伸ばすならK01が亀有でその次がk02・・・という風だろう。
#東京メトロこども大学の亀有先生は、両津勘吉になる。教える内容のテーマは、下町出身なだけに「都電から地下鉄へ」。
 
===松戸線(仮)===
{{駅名標/メトロ|name=千駄ヶ谷|roma=Sendagaya|back=明治神宮前|back2=Meiji-Jingumae|next=新宿御苑前|next2=Shinjukugyoenmae|symbol=D|s-no=06|next-no=07|color=teal}}
#(新京成線、京成千葉線直通で新津田沼、京成津田沼、千葉中央まで)松戸-柴又四丁目-小菅-北千住-町谷-西日暮里-日暮里-根津-後楽園(春日)-江戸川橋-神楽坂-牛込柳町-曙橋-新宿御苑前-千駄ヶ谷-明治神宮前-表参道-広尾-白金台-五反田(東急池上線直通で蒲田まで)
#支線1 柴又四丁目-柴又(京成各線、都営浅草線、京急線直通で押上、西馬込、三崎口、浦賀、羽田空港までと京成本線直通で京成上野、成田空港まで)
#支線2 (五反田方面)柴又四丁目ー柴又ー新柴又(北総公団鉄道直通で印旛日本医大まで)
#*柴又四丁目の支線1は松戸、五反田のどちら側からも使えます。
#*いろいろな直通先があるけどどれも途中で同じ駅に止まる。
#**京成津田沼(新京成・京成)、日暮里(松戸・京成)、五反田(松戸・浅草)、蒲田(東急池上・京急)、新鎌ヶ谷(新京成・北総)
#***町屋(松戸・京成)。
#*津田沼まで行きたいんだったら五反田で都営浅草線や千駄ヶ谷で総武線に乗り換えた方が早いかもしれません。意見が合ったらどんどん言ってください(但し新京成の乗り入れは絶対)
#*新駅、「柴又四丁目」京成金町駅、JR金町駅接続。
#*1)新鎌ヶ谷で北総鉄道→都営浅草線のルートと2)少し遠回りだが、松戸から矢切もしくは高砂経由のルートがあると既存線を有効活用できるのでは?
#**柴又四丁目駅は京成金町駅の近くにあるので連絡線を作れば「京成高砂、押上、浅草線方面」まで行けます。京成高砂にとめないで新柴又までつなげれば北総公団線「印旛日本医大方面」との直通も可能です。
#これによって池上線もローカル間のある路線から一気に通勤路線へと飛躍する。
#*さらに、開業時からの3両編成からも脱却。
#松戸~北千住間に新駅作ったほうが良いと思う
#松戸~西日暮里って、千代田線と被ってると思うんですけど
#くぬぎ山の狸が上京
#総武線・千代田線・日比谷線のパイプ路線として活用できる。
 
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2009年4月6日 (月) 15:49時点における版

現在建設中の13号線(池袋-渋谷)で東京の地下鉄建設は終わり。でもまだまだ不便だという地域は多いでしょう。というわけで「こんな路線が欲しい」という意見をどうぞ。

丸ノ内線関係

方南町支線を荻窪へ延伸

  1. 終点の荻窪で本線に合流する。荻窪1丁目は現状ではろくな交通機関のない陸の孤島なので、ここを救済する。
    • または、方南町から永福町へ延伸。新宿永福町直通列車を運転。

方南町支線を蒲田へ延伸

  1. 路線 方南町~笹塚~代々木上原~三軒茶屋~中目黒~旗の台~西馬込~京急蒲田
    • 東京外環線計画の一部になれば、有効活用。問題は、あの架線形式だと工事費用は安いが、車両を鋳造しなければならなくなる。既存の民鉄の乗り入れを考慮するなら、方南町支線だけでも、架線を吊るすか・・・

方南町支線を八王子方向へ延伸

  1. 路線 方南町〜西永福(又は永福町)〜杏林大学付属病院付近〜千川公園〜府中運転免許試験場〜北府中〜谷保〜八王子(基督教大学(ICU)付近より地上へ。その後は高架。第三軌条はそのままで道路との平面交差無し。全線地下も検討。)
  2. まず、道路としての計画として、東京八王子道路が有ります。これは、方南町の上を通る方南通りの先を延伸し、東八道路と接続する計画となってる都道です。まだ完成していませんが。
  3. コンセプトは、東京でも有数なラッシュとなっている中央線と京王線のちょうど真ん中付近を通る事で、両線の混雑緩和と、そのどちらかの路線の駅に行かなくてはならない住民のサービス向上を計ります。また、東芝府中工場、明星高、農工大、府中運転免許試験場、多摩霊園、ICU、杏林大学病院など、沿線に需要も見込まれる事と既に市街化の進んでいる事を考えると、都心への通勤通学需要も見込まれるもとの考えます。
  4. 建設も、道路と一緒に行えば少なくとも杏林大学病院の付近までは、通常より安価に住むのではないでしょうか。さらに、方南町駅も延伸が有った場合にも対応できる構造と思います。少なくとも環七の大放水路は避けていますので、建設も困難ではないと思います。府中運転免許試験場付近の道路は片側3車線となっており、高架とした場合の橋脚にもスペースの提供が可能でしょう。
  5. 運転計画としては、現在新宿駅折り返しとなっているものを、一部八王子方向へ向ければ良いのではないでしょうか。また、中野坂上駅もまるでこうなる事を予想していたかのように、八王子方向も荻窪方向も両方とも折り返し運転が可能ですので、状況によって方南支線を本線とし荻窪方向を支線とする事も検討できます。

荻窪からさらに青梅街道の下をさらに西へ

1案

  1. 路線 荻窪~四面道~桃井~営団上石神井~青梅街道関町~営団東伏見~青梅街道柳沢~田無本町~新花小金井~

小平天神~営団小平~新小平~青梅街道小川~東大和市~南街~奈良橋~みずうみ口~武蔵村山中央~箱根ヶ崎~ 青梅新町~河辺~東青梅~青梅

2案

  • (至新宿・池袋方面)~荻窪~桃井(桃井3丁目交差点)~井草八幡~関中央(関町交番前交差点)~北浦~柳沢~新田無~谷戸~ひばりが丘
    • 現在の荻窪駅直前(天沼陸橋)から左折せずにそのまま青梅街道の地下を直進。田無町3丁目交差点からはバス通りの地下を北上しひばりが丘まで。
    • 荻窪駅は現在の南口から北口に移設(新設)し、現在のホームは留置線または検車区とする。
    • 柳沢・新田無から西武新宿線への連絡はせず(若干距離があるので)。
  • これを機に一律8両編成化し、中央快速線西武池袋線・西武新宿線から利用客を分散させ、混雑緩和を目論む。
    • 出来れば更にサードレールから架空電車線(パンタグラフ)方式へと集電機能を変更する。

荻窪から池袋へ・・・丸の内環状線

  1. 路線 荻窪~清水~井荻~南田中~富士見台~豊島園~北桜台~小竹向原~千川~要町~池袋

荻窪から池袋へ・・・丸の内環状線案Ⅱ

現在の丸の内支線を伸ばして環状化する案(もちろん現行の駅も拡張工事)

駅(赤字の駅は既設駅)
・中野坂上
・中野新橋
・中野富士見町
・方南町

・大宮八幡前
・新西永福
・新浜田山
・上高井戸
・宮前
・松庵
・吉祥寺(中央線・東西線・京王井の頭線)
・関町
・武蔵関(西武新宿線)
・石神井台
・下石神井
・南田中
・富士見台(西武池袋線)
・練馬(西武池袋線・豊島園線・有楽町線・大江戸線)
・小竹向原(西武有楽町線・有楽町線・副都心線)
・池袋(有楽町線・副都心線・西武池袋線・東武東上線 他JR多数)

富士見台から池袋は既設の路線の下を潜りながら池袋へ向かいます
(そのとき中村橋・新桜台・千川・要町は駅舎を作らず通過します)

千代田線関係

北綾瀬支線改善

  1. 北綾瀬-綾瀬間を結ぶ北綾瀬支線をまず本線と一体化にし、北綾瀬駅を地下化して10両編成が通れるようにする。その後つくばエクスプレス六町駅or八潮駅まで延伸する。
    • むしろ6両化して、綾瀬~六町(または八潮)とつくばエクスプレスとで直通させる。

品川方面へ支線

  1. 表参道-西麻布(新駅)-広尾-南麻布(新駅)-白金高輪-泉岳寺-(京急線と直通運転)
    • 品川方面の東京メトロ空白地帯を解消する。
    • 軌間が違うのにどうやって京急と直通するんだ?

上野支線

  1. 路線 湯島~上野。
    • 小田急特急ロマンスカーが湯島始発になる時期に合わせて、開業させたい。地下鉄の駅とはいっても、やはり山手線のターミナルとの許容集客数では負けると思う。そこで、小田急の特急を上野発とさせたい。
      • 停車駅:上野・湯島・大手町・日比谷・霞ヶ関・国会議事堂前・表参道
        以降は、既存の特急停車駅と同じにする。「町田停車」なら「町田停車」、小田原までノンストップなら、小田原までノンストップは同様に扱う。
      • ただし、「あさぎり号」に限っては、小田急線内を全駅通過してJR御殿場線に入ってしまう恐れがあるので、『上野発、千代田線経由沼津行き』のあさぎり号に限っては相模大野または本厚木に停車。
      • けれど、ロマンスカーは北千住発になった。

渋谷支線

  1. 路線 代々木公園~渋谷(西口)
  2. 小田急線からの直通電車を渋谷に乗り入れさせて、井の頭線の混雑を緩和する。
  3. 綾瀬方面からの電車は一部明治神宮前で折り返し。

有楽町線関係

葛西へ延伸

  1. 新木場-葛西-浦安-(東西線乗り入れ、西船橋まで複々線化)
    • むしろ京葉線乗り入れて上総一ノ宮or君津まで。
    • 西葛西駅(東西線に隣接させて新設)で接続させるか、臨海町あたりに駅を作ったほうがいい気がする。勿論、優等列車は通過で。
    • 南葛西-葛西-東葛西-二之江-一之江-大杉-興宮町-一色(総武緩行線新駅乗換)-奥戸細田-青砥

-南亀有-亀有-中川公園-加平-足立区役所前-西新井-西新井本町-鹿浜-新田-志茂 -赤羽-桐ヶ丘・・・いわゆるメトロセブン・エイトライナー直通ってのは

住吉支線

(8号線延長計画に沿っている)

  1. 駅・・・・豊洲ー東陽町ー住吉
    • これにより、有楽町線を介して東武線の2台動脈(伊勢崎線と東上線)が結ばれる。
    • さらに、北千住まで新線を作り、つくばエクスプレスと乗り入れるほか、現在の東武伊勢崎線の曳舟~北千住間を新線に移動する。
    • さらに東武線沿いからベイエリアにスムーズに行ける。
  2. 東武線南栗橋・久喜まで直通。

羽田空港へ延伸

概要
  • (小竹向原方面)~豊洲~東雲~東京ビッグサイト~青海~潮風公園~八潮北~中央海浜公園~京浜島~羽田空港
  • 優等列車を設置。
    • 退避駅等については適宜。
      • 青海で緩急接続する。
    • 種別は現在既に運用されている「準急」をそのまま流用。
  • ロマンスカーの乗り入れも考慮。
路線図



∥∥(至小竹向原)
○○豊洲(ゆりかもめに接続)
○│東雲(りんかい線に接続)
○○東京ビッグサイト(ゆりかもめ『国際展示場正門駅』に接続)
○○青海(ゆりかもめに接続)
○│潮風公園(ゆりかもめ『船の科学館駅』に接続)
○│八潮北
○○中央海浜公園
○│京浜島
○○羽田空港(京浜急行東京モノレールに接続)

南北線関係

赤羽・志村支線

  1. 志茂-赤羽-桐ケ丘赤羽台-志村坂上

王子・西新井支線

  1. 王子神谷-環状七号線-西新井-北綾瀬-亀有-青砥
    • 王子神谷の搬入線を延伸し、環状七号線下を亀有(青砥)まで延伸
    • 東武の西新井-大師前は機能が重複するため廃止
  2. 北区-足立区-葛飾区の連携により23区北部の連携発展が見込める

品川支線

  1. 白金高輪-高輪台-品川-天王洲アイル-(東海道貨物線を旅客化して乗り入れ)
  2. 白金高輪~品川間は東京メトロと都営地下鉄の二重線籍区間、品川から先はJRの区間とする。
  3. 東海道貨物線側では桜木町、小田原、相鉄海老名、相鉄湘南台まで乗り入れる。

東西線関係

和光市駅へ延長

  1. 西高島平-板橋区-地下鉄赤塚-地下鉄成増-和光市
    • それ三田線じゃないの?ラインカラー似てるけど

全線に渡り複々線化

  1. 中野-高田馬場-飯田橋-大手町-茅場町-(東陽町)-西船橋
    • 快速線を別線でひいてもいいのでは?
  2. 私は停車駅案を別に持ってまいりました中野―高田馬場―飯田橋―大手町―日本橋―東陽町―葛西―妙典―西船橋
  3. 中野-高田馬場-飯田橋-大手町-日本橋-茅場町-西船橋とし従来線は各駅専用とする。茅場町-西船橋間が15分くらいならベスト。
    • 何故門前仲町に止めない?
    • 別線ひくなら急行線。乗り入れ線の範囲はJRから客を奪うくらいにしないと千葉は発展しない。埼玉のほうが鉄道が便利になってると思う。JRは、千葉以遠の担当にするぐらいでないと発展しないと思う。
    • 自分的にはJR直通を津田沼までではなく千葉までにして土日もやって欲しい
  4. 通勤時間帯の快速は、通勤快速になるし早いところやってもらわねば。

西早稲田支線

  1. 現在の早稲田駅から諏訪通りを通り西武新宿線高田馬場ホームにつなげる支線を作る
    • つまり西武新宿線への乗り入れの際今の高田馬場駅の構造だと直通しにくいから支線を使い西武線のホームをそのまま使わせる作戦です
    • さらにこれの開業により副都心線西早稲田駅と連絡ができるようになる
  • T-04 早稲田(西船橋方面本線・東葉高速線直通運転)
    • 早稲田通りを通らず諏訪通りへ
  • t-04 西早稲田(副都心線)
    • 地上へ
  • t-03 高田馬場(西武新宿線直通運転)

全線に渡り複々線化+西早稲田支線

  • 上の2つを見ていたら思いつきました
  1. 東葉高速鉄道―西船橋―(妙典)―葛西(or西葛西)―東陽町―門前仲町(or茅場町)―大手町(日本橋駅との連絡通路有)―九段下―飯田橋―早稲田―西早稲田―高田馬場―西武新宿線と作る(高田馬場・西船橋以外は地下を通る)
  2. 急行停車駅西船橋・東陽町・大手町・飯田橋・高田馬場に止まり西武線は急行運転
    • 準急は複々線の各駅に停車し西武線は各駅停車
  3. 今までの各駅停車や快速は今まで通り中央線にのみ直通する。また総武線への直通も増量

副都心線関係

六本木・湾岸方面延伸

  1. 副都心線を六本木・汐留まで延伸し汐留からさらに新路線として建設し直通運転を行う

急行停車駅=○ 通過駅=×
↑既設の路線
○渋谷(既設)
×西麻布
○六本木(日比谷線・大江戸線)
×東麻布(赤羽橋と接続)
○浜松町(JR山手線・大門と接続)
○汐留(都営大江戸線)(汐留から先は別路線としての開業)
○築地(日比谷線・東銀座駅と接続)
×勝どき(大江戸線)花火大会の時は急行を停車させる
×晴海
×新豊洲(ゆりかもめ)
×新東雲
○国際展示場(りんかい線)
○台場(ゆりかもめ)
×港南
○地下鉄品川
×東品川
×品川シーサイド
×八潮
×流通センター(東京モノレール)
○大森町(京急本線)

  • 京急本線羽田空港まで直通運転
  • 駅がこんなに増えるんだったら地下鉄品川-東品川の間に品川車両基地を新設。地下。
  • 汐留・台場で緩急接続を行う。

新設

竹ノ塚線

西巣鴨
Nishi-Sugamo
 K 
04
滝野川
Takinogawa
王子
Oji
 K 
05
  1. 池袋-王子-竹ノ塚-(東武伊勢崎線に直通)
    • 途中、舎人線との乗り換え駅を設置。
    • 池袋ー上池袋ー西巣鴨(三田線乗換)ー滝野川ー王子(JR・南北線乗換)ー水再生センターー荒川土手ー江北(舎人線乗換)ー大師前(大師線乗換)ー竹ノ塚。
      • 大師線から地上に出て東武竹ノ塚駅と連絡。
    • 雑司ヶ谷まで伸ばして副都心線直通や板橋まで伸ばして東上線直通も考えられる。

山手通り線

大山金井町
Oyama-Kaneimachi
 R 
03
交通短大前
Kotsutandaimae
要町
Kanmamecho
 R 
04
  1. 環状六号線、通称「山手通り」はたくさんの鉄道路線と交差しており、たいていは交差地点のすぐ近くに駅があるという、地下鉄新線の建設には最も適した道路である。実際、わずかに大江戸線が通されている。
    しかし、何を狂ったか、お役所は山手通りの渋谷区以北の地下に、今度は地下鉄新線ではなく地下高速道路を通そうとしている。2007年現在、工事中。
    今からでも変えられる。地下鉄に作り直そう。駅前という貴重な空間資源を、駅前でなくてもよい建造物である高速道路という形で無駄遣いさせないぞ。
    • 駅一覧:※カッコ内は乗り換えできる路線
      板橋区役所前(三田線)─大山金井町(東武東上線にも新駅設置)─交通短大前─要町(有楽町線)─椎名町(西武池袋線)─中井(西武新宿線・大江戸線)─東中野─(中央線・大江戸線)─中野坂上(丸ノ内線・大江戸線)─国際高校前─初台(京王線)─南初台─代々木八幡(小田急小田原線・千代田線)─東大北─神泉(京王井の頭線)─目黒青葉台(東急田園都市線にも新駅設置)─目黒東山─中目黒(東急東横線・日比谷線)─目黒署前─大鳥神社前─下目黒─不動前(東急目黒線)─大崎広小路(東急池上線のりかえ、それとともに都営浅草線にも新駅設置)─大崎(JR各線・りんかい線)─北品川四丁目(京浜東北線にも新駅設置)─新馬場(京急本線)─東品川一丁目─天王洲アイル(東京モノレール・りんかい線)
    • 目黒不動から一番近い駅が不動前でなく下目黒になることから、不動前駅を改称する必要に迫られる。

六本木通り線

西麻布
Nishi-Azabu
 P 
06
南青山
Minami-Aoyama
渋谷
Shibuya
 P 
07
  1. 東京(丸の内側) - 桜田門 - 溜池山王 - 六本木 - 西麻布 - 南青山 - 渋谷(東急田園都市線に直通)
    • 田園都市線の半蔵門線直通は中止。これで田園都市線の東武線直通を阻止できる。w
      • 阻止するなよ。
    • 半蔵門線(大手町~永田町~渋谷)とルートがかぶりまくってるからわざわざ作る意味が感じられない。ネタ殺し
      • 半蔵門線の混雑緩和と速達線としてのものならありだと思う。

新宿~京成上野

おちゃのみず 神保町 いいだばし
Ochanomizu  
  Jinbocho(KS-04) Idabashi(KS-05)
  1. 新宿から成田空港へ行く際の乗換えが不便。NEXは遠回り。そこで。
    • 停車駅:京成上野~北秋葉原~御茶ノ水~神保町~飯田橋~西武新宿~新宿
    • 更に、地下鉄内を上野までノンストップのスカイライナーが走れば、新宿から55分で成田空港到着。更に、上野と日暮里と成田に止まらないスカイライナーを走らせれば、新宿・成田空港間を50分切る。いつまでも京成が延伸しないから、東京メトロが線路を引いて、実質的にはそれを京成へ貸す形とする。
    • こちらも参考までに
  2. 2009年3月には上野御徒町駅と京成上野駅が地下通路で接続されるので意味が無くなる。参考

新宿~北千住

南駒込
Minami-Komagome
 G 
06
本郷
Hongo
後楽園
Korakuen
 G 
07
  1. TXつくば、守谷まで←北千住ー東日暮里ー田端新町ー田端ー南駒込ー本郷ー後楽園ー飯田橋ー半蔵門ー永田町ー四ッ谷ー牛込ー北青山ー新宿3丁目ー新宿ー西新宿ー西大久保ー南中野ー高円寺ー南野方ー新都立家政ー鷲ノ宮→西武新宿線所沢まで。
    • 快速も新設(停車駅:北千住ー田端ー後楽園ー飯田橋ー永田町ー四ッ谷ーー新宿3丁目ー新宿ー西新宿ー高円寺ー鷲宮)
    • TXはつくばまで一部メトロ車にも交直流車を作る。西武は上石神井、所沢まで。半分程度は西新宿折り返し。
    • TXの真下に地下ホ-ムを作る。

永福線

千歳船橋
Chitosefunabashi
 U 
08
馬事公苑
Bazikoen
桜新町
Sakurashinmachi
 U 
09
  1. 方南町支線を延長する形で。↑の「丸の内線関連・荻窪から池袋へ・・・丸の内環状線」関連
  2. 路線 方南町~大園児~永福町~神田川~桜上水~新船橋~千歳船橋~馬路公園~桜新町~(田園都市線と平行)~渋谷~(銀座線)~青山一丁目~四ツ谷~(丸の内線)~方南町
    • 環状線
    • 新船橋は東武野田線の駅

上野線

千石
Sengoku
 O 
07
大塚四丁目
Otsuka4chome
護国寺
Gokokuji
 O 
08
  1. 上野-上野公園北-根津-東大前-白山-千石-大塚4丁目-護国寺-西早稲田1丁目-戸山-東新宿-大京-国立競技場-表参道-西麻布-六本木-麻布台-赤羽台-慶應大前-三田-芝浦-品川

亀有線

汐留
Shiodome
 K 
17
浜松町
Hamamatsucho
芝公園
Shibakouen
 K 
18
  1. (取手から常磐線で)亀有-綾瀬-北千住-南千住-日暮里-根津-本郷三丁目-水道橋-神保町-大手町-東京-有楽町-銀座一丁目-東銀座-新橋-汐留-浜松町-芝公園-赤羽橋-麻布十番-神谷町-溜池山王-半蔵門-市ヶ谷-曙橋-牛込-馬場口-目白-池袋-十条-板橋-板橋区役所前-東板橋-王子-上中里-尾久
    • 亀有から押上方面に延伸して都市計画にある有楽町線、半蔵門線の北部延伸の代替としても良いかもしれない。
    • 駅ナンバリングの方だが亀有がK01、綾瀬がK02・・・という順番で尾久がK36。もし押上方面へ伸ばすならK01が亀有でその次がk02・・・という風だろう。
  2. 東京メトロこども大学の亀有先生は、両津勘吉になる。教える内容のテーマは、下町出身なだけに「都電から地下鉄へ」。

松戸線(仮)

明治神宮前
Meiji-Jingumae
 D 
06
千駄ヶ谷
Sendagaya
新宿御苑前
Shinjukugyoenmae
 D 
07
  1. (新京成線、京成千葉線直通で新津田沼、京成津田沼、千葉中央まで)松戸-柴又四丁目-小菅-北千住-町谷-西日暮里-日暮里-根津-後楽園(春日)-江戸川橋-神楽坂-牛込柳町-曙橋-新宿御苑前-千駄ヶ谷-明治神宮前-表参道-広尾-白金台-五反田(東急池上線直通で蒲田まで)
  2. 支線1 柴又四丁目-柴又(京成各線、都営浅草線、京急線直通で押上、西馬込、三崎口、浦賀、羽田空港までと京成本線直通で京成上野、成田空港まで)
  3. 支線2 (五反田方面)柴又四丁目ー柴又ー新柴又(北総公団鉄道直通で印旛日本医大まで)
    • 柴又四丁目の支線1は松戸、五反田のどちら側からも使えます。
    • いろいろな直通先があるけどどれも途中で同じ駅に止まる。
      • 京成津田沼(新京成・京成)、日暮里(松戸・京成)、五反田(松戸・浅草)、蒲田(東急池上・京急)、新鎌ヶ谷(新京成・北総)
        • 町屋(松戸・京成)。
    • 津田沼まで行きたいんだったら五反田で都営浅草線や千駄ヶ谷で総武線に乗り換えた方が早いかもしれません。意見が合ったらどんどん言ってください(但し新京成の乗り入れは絶対)
    • 新駅、「柴又四丁目」京成金町駅、JR金町駅接続。
    • 1)新鎌ヶ谷で北総鉄道→都営浅草線のルートと2)少し遠回りだが、松戸から矢切もしくは高砂経由のルートがあると既存線を有効活用できるのでは?
      • 柴又四丁目駅は京成金町駅の近くにあるので連絡線を作れば「京成高砂、押上、浅草線方面」まで行けます。京成高砂にとめないで新柴又までつなげれば北総公団線「印旛日本医大方面」との直通も可能です。
  4. これによって池上線もローカル間のある路線から一気に通勤路線へと飛躍する。
    • さらに、開業時からの3両編成からも脱却。
  5. 松戸~北千住間に新駅作ったほうが良いと思う
  6. 松戸~西日暮里って、千代田線と被ってると思うんですけど
  7. くぬぎ山の狸が上京
  8. 総武線・千代田線・日比谷線のパイプ路線として活用できる。