もしあの選手があのJクラブに入団しなかったら

2014年5月17日 (土) 00:07時点における61.21.250.111 (トーク)による版
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今野泰幸(コンサドーレ札幌)

現在ザックジャパンの主力選手として活躍する今野泰幸は東北高校時代に地元のベガルタ仙台を始めとする複数のクラブから注目されていたものの結局獲得するクラブは現れませんでした。そして同じく地元でJFLのソニー仙台入りが内定していたところに当時コンサドーレの監督だった岡田武史監督からの評価を受け急遽コンサドーレ入団が決まりました。その後の今野の活躍はご周知の通りですがもしこのとき違った運命になっていたら?

コンサドーレのその後
  1. 特に大きな変化はなし?
ベガルタ仙台なら
  1. 入団早々からポジションを獲得しチームに貢献。同じ地元出身の千葉直樹とともにサポーターから「ミスターベガルタ」と呼ばれ親しまれる。
  2. J2降格もなかったかも知れない。仮に降格してもなかなかJ1復帰できない、ということにもならなかった。
  3. もし降格して史実通り移籍、となった場合FC東京ではなく岡ちゃんが率いていたマリノスへと移籍していたかも。
    • あるいは浦和、もしくはこの時点でガンバに移籍していた可能性も。
  4. 2005年のリーグ最終戦のロスタイムの同点ゴールはなく、ガンバではなくセレッソがリーグ優勝していた。
ソニー仙台なら
  1. JFLでの活躍が認められJリーグのクラブ(おそらくJ2のどこか)からオファーを受け移籍する。

高原直泰(ジュビロ磐田)

数クラブからオファーがあった時、「最初は横浜フリューゲルスに行こうと思っていた」と某インタビュー記事で本人が語っていましたが、実史では当時のコーチ・山本昌邦氏に説得されジュビロ磐田に入団しました。仮に横浜フリューゲルスに入団していたら?

ジュビロ磐田のその後
  1. 実史とは大差ないものの、得点力が課題になっていた。
横浜フリューゲルスなら
  1. クラブ合併に伴い、その後はマリノスか遠藤保仁の様に京都に移籍していた。
  2. 横浜FCのJ1昇格前後に加入したかもしれない。その代わり城彰二か久保竜彦のいずれかは移籍してこなかった。

中田英寿(ベルマーレ平塚)

中田英寿は当時のJリーグ全12クラブ中ヴェルディ川崎以外の11クラブからオファーを受けベルマーレ平塚に入団しますが、仮にベルマーレ以外のチームに移籍していたら

ベルマーレのその後
  1. 94年の天皇杯獲得は無かった
    • 彼が入団したのは95年なので、実史と変わらない。
      • それでも同年のアジアウィナーズカップで優勝できたかは微妙なところ。
鹿島アントラーズなら
  1. 少なくとも10冠達成は早まった。
  2. 小笠原満男は入団しなかったかも知れない。
  3. 96年のチャンピオンズファイナルで優勝した可能性もある。
  4. 野口幸司に1試合で5得点を決められずに済んだ。
浦和レッドダイヤモンズなら
  1. 第1次オジェック時代の時にファーストステージを制覇していた
  2. 小野伸二は入団しなかったかもしれない。
    • おそらく清水エスパルスに入団していた。
  3. 1999年シーズンにJ2へ降格することも無かった。
    • 仮に降格していたら、史実どおり海外クラブへ移籍している。
ジェフユナイテッド市原なら
  1. 98年のJ1参入決定戦参加はなかった。
横浜マリノスなら
  1. 90年代はアントラーズ、ジュビロとの3つ巴のタイトル争いを演じていた
  2. 中村俊輔は入団しなかったかも。
横浜フリューゲルスなら
  1. 海外クラブに留学後、フリューゲルスに戻ってくるがクラブ合併の話を聞いて移籍を決意する
  2. 三浦淳宏のレギュラー定着が遅れる。
    • 遠藤保仁の入団もなかったかもしれない。
清水エスパルスなら
  1. 98年の1stステージをジュビロとのデッドヒートの末に制していたかも。
ジュビロ磐田なら
  1. 史実どおりに98年に海外移籍なら99年の優勝もなく名波の海外移籍もないだろう。
名古屋グランパスエイトなら
  1. ピクシー・小倉とのコンビでベンゲル監督在任時にリーグ優勝を果たしていた可能性も。
ガンバ大阪なら
  1. エムボマと中田の連携プレイで大活躍、しかしその後エムボマ、中田共に移籍し・・・
サンフレッチェ広島なら
  1. 少なくともヤンセン時代に天皇杯を獲得していた

本田圭佑(名古屋グランパス)

本田圭佑は中学生時代ガンバ大阪のジュニアユースチームに所属していたものの同じポジションに生年月日も一緒である家長昭博がいたこともありユースには昇格できませんでした。その後星稜高校に進学しグランパスに入団する訳ですが、もし仮に本田がガンバでユース→トップチームへ、という道に進んでいたらどうなっていたか?

グランパスのその後
  1. 優勝争いに加わり始めたのがピクシー監督就任、即ち本田海外移籍以降ということで特に大きな変化はなし?
ガンバ大阪なら
  1. 入団後即レギュラー獲得しルーキーイヤーの2005年はもちろん翌2006年、2007年もリーグ優勝し3連覇に貢献。
    • 浦和は未だにリーグ優勝を果たせていない。
  2. 史実とは逆に家長が高校へ進学し選手権で活躍→別のクラブでプロ入りしていたかも。
  3. 星稜高校といえばサッカーではなく野球のイメージのままだった。
  4. もしかしたら西野監督と対立し干される→他クラブに移籍してブレイク、となっていたかも知れない。
    • その場合海外移籍と代表レギュラー定着は数年遅れていた。

松田直樹(横浜マリノス)

2011年8月9日の松田直樹の告別式で、生前の盟友でもありマリノス時代のチームメイトであった安永聡太郎氏が弔辞で、「(安永氏が)サンフレッチェ広島に行きかけるのを聞いて、オレ(松田直樹)も広島行く!でも、実際は(安永氏が)マリノスに行く事になって、ヤスがマリノスに行くならばオレも行く」 と言うエピソードを明かしました。もし、実史ではミスターマリノスの名をほしいままにしていた松田直樹選手がサンフレッチェ広島に入団していたら (なお、広島サポいわく当時の松田は競合が多かったと言う)

横浜マリノスその後
  1. 小村徳男や那須大亮は移籍が遅れていたか、不動のセンターバックとしてマリノスで活躍。
    • 実史では小村は2002年にベガルタ仙台、那須は2008年に東京ヴェルディ1969(当時)に移籍。
  2. いずれにせよ、フリューゲルスを吸収するのは不可避であった。
  3. 栗原勇蔵のレギュラー定着は早まっていた。
  4. ボンバーこと中澤佑二は2002年にマリノスに移籍しなかった。
  5. 背番号3は永久欠番になっていない。
サンフレッチェ広島なら
  1. 安永と松田が入団する事で、安永と同じFWの久保竜彦は別のクラブに入団していたかも知れない。
    • 00年当時、トムソン監督が敷いた3バック「上村、ポポヴィッチ、フォックス」の内1~2選手はサンフレッチェにいなかった。
  2. 95年と96年の天皇杯決勝で勝っていたかもしれない。
  3. 2001年以前にサンフレッチェを退団していなかったら、松田と同じポジションで、「広島にルーツのある父の勧めで入団した」と言うトゥーリオの台頭は遅れていた。
  4. 中澤は2002年に実史どおり松田を慕っていたのと2002年の日韓W杯を目指していた(実際の中澤は落選したが)ため、サンフレッチェに移籍していた。
    • ただ、サンフレッチェはマリノスより年間予算が少ないため、代わりにほかの主力選手が流出していた。
  5. 02年と08年のサンフレッチェJ2降格は回避されていた。
    • それ故に、サンフレッチェはJ2未経験クラブのままであった。
  6. サンフレッチェで現役を全うしていたら、ミスターサンフレッチェの称号は松田のものであった。
  7. 初のリーグ優勝も史実(2012年)より早かったはず。

イルハン・マンスズ(ヴィッセル神戸)

ヴィッセル神戸は2002W杯でトルコ代表として活躍したイルハン・マンスズを2004年に獲得しました。しかし、怪我などもありさらに無断帰国で契約解除に至りました。もし、最初から獲得していなかったら・・・

  1. 三木谷オーナーはヴィッセルや楽天イーグルスの戦力補強でケチることはなかったはず。
  2. アルパイ・オザランも浦和レッズに加入しなかった。

柳沢敦(鹿島アントラーズ)

柳沢敦は高校時代にJリーグ13クラブからオファーを受けジーコの誘いもあり鹿島に入団しましたが、では鹿島以外のクラブに入団していたら (鹿島以外では横浜Mしか分からなかった・・・残りの11クラブの補足希望)

どこにせよ
  1. 遅かれ早かれQBKと呼ばれた。
鹿島アントラーズその後
  1. 少なくとも鈴木隆行の活躍の場が増えてレンタル移籍の期間が少なくなっていた
    • 鈴木がレンタル移籍しなかったらジェフが98年に降格してたかも知れん
    • 2000年のナビスコ杯でニューヒーロー賞は受賞しなかった。
  2. 平瀬智行は史実より長く鹿島に在籍していた。
    • 黒崎久志も。
  3. 富山第一高校の後輩の中島裕希も鹿島ではなく柳沢のいたクラブに入団していた。
浦和レッドダイヤモンズなら
  1. 00年のJ2降格時に移籍していた可能性も
    • 移籍しなかったら背番号9は柳沢(実史では永井雄一郎)が引き継いでいた
      • 背番号は13に拘っているので、それは無いかも。2009年現在、背番号13をつけている鈴木啓太は別の背番号をつけていた可能性も。
    • むしろ、J2降格が無かった可能性もある。
柏レイソルなら
  1. 入団の動機は「カレカが誘ったから」とか?
  2. 「ヤナガシワ」が現実以上に有名になった。
    • 他クラブのサポーターからは「嫌な柏」と揶揄される。
  3. 北嶋秀朗や玉田圭司の入団はなかったかもしれない。
    • 海外移籍中にFWの穴を埋められず実史より早くJ2降格、となっていた恐れも。
  4. 2000年の2ndステージで優勝していた。
    • その年に例のトンズラをしても、サポーターに「リンダリンダ」の替え歌を歌われる事はなかった。
横浜マリノスなら
  1. 少なくとも鹿島のFWが削がれる分、マリノスはJ初期に短い黄金時代を築いていたかも知れない
  2. 城障二、久保竜彦がマリノスに入団しなかった
    • 吉田孝行はフリエから直接ヴィッセルに移籍したかも。
横浜フリューゲルスなら
  1. クラブ消滅・マリノスとの合併時にそのままF・マリノス入りか、あるいは楢崎正剛・山口素弘と共に名古屋へ移籍していた可能性も。
  2. 98年元旦の天皇杯決勝で鹿島を破って優勝。
ベルマーレ平塚なら
  1. 中田、呂比須とのコンビで活躍するも結局クラブの財政難により移籍することに・・・
ジュビロ磐田なら
  1. ゴン中山と2トップを組みゴールを量産し史実以上の磐田の黄金時代を築く。
    • 鹿島より先に磐田が10冠を達成していた可能性が高い。
  2. 高原直泰は入団していなかったかも知れない。
ガンバ大阪なら
  1. 入団直後に松波正信からポジションを奪い、エムボマとの2トップで大活躍し97年のセカンドステージを制覇していたかも知れない
    • ガンバに柳沢が入団していたら松波の引退が早まっていただろう
  2. 03年に大黒将志にポジションを奪われ移籍、或いはスーパーサブとして今もガンバに在籍してる
  3. 吉原宏太はガンバに移籍しなかった。
セレッソ大阪なら
  1. 西澤明訓と2トップを組み、森島寛晃はMFでの起用が多くなる。
  2. 京都サンガより先に関西勢初のタイトルを獲得できた。
  3. J2降格もなかった。
  4. 大久保嘉人が入団しなかった可能性がある。